あらすじ
遠く離れた故郷の父親の墓を訪ねる男。二十年前、父親は戦死し、男は幼い頃、父親の話を聞くたびに母親の涙を目にしてきました。父親の遺品である手帳の日記には、戦地へ向かう父親の短い言葉が綴られています。男は、父親が生きていればきっと訪れたであろう故郷の町を歩き、かつて父親の目にしたであろう風景に思いを馳せます。そして、ついに父親の墓にたどり着いた男は、長い年月を経て今なおそこに残る父親の面影と向き合い、人生の無常を深く感じます。
 停車場(ステーシヨン)から町の入口まで半里位(ぐらゐ)ある。堤防になつてゐる二間(けん)幅(はゞ)の路(みち)には、櫨(はぜ)の大きな並木が涼しい蔭(かげ)をつくつて居(ゐ)て、車夫の饅頭笠(まんぢうがさ)が其間(そのあひだ)を縫つて走つて行く。小石が出て居(ゐ)るので、車がガタガタ鳴つた。
 堤防の下には、処々(ところ/\)に茅葺(かやぶき)屋根が見える。汚ない水たまりがあつて、其処(そこ)に白く塵埃(ほこり)に塗(まみ)れた茅(かや)や薄(すゝき)が生えて居(ゐ)る。日影のキラキラする夏の午後の空に、起伏した山の皺(しわ)が明(あきら)かに印(いん)せられた。
 堤防の尽きた処(ところ)から、路(みち)はだらだらと下(お)りて、汚ない田舎町に入つて行く。
 路(みち)の角に車夫が五六人、木蔭(こかげ)を選んで客待(きやくまち)をして居(ゐ)た。其傍(そのかたはら)に小さな宮があつて、其(その)広場で、子供が集(あつま)つて独楽(こま)を廻して居(ゐ)た。
 思ひも懸けぬ細い路(みち)が、更に思ひもかけぬ汚い狭い衰(おとろ)へた町を前に展(ひろ)げた。溝(どぶ)の日に乾く臭(にほひ)と物の腐る臭(にほひ)と沈滞した埃(ほこり)の交(まじ)つた空気の臭(にほひ)とが凄(すさま)しく鼻を衝(つ)いた。理髪肆(とこや)の男の白い衣(ころも)は汚れて居(ゐ)るし、小間物屋の檐(のき)は傾いて居(ゐ)るし、二階屋の硝子窓は塵埃(ほこり)に白くなつて居(ゐ)るし、肴屋(さかなや)の番台は青く汚くなつて居(ゐ)るし、古着屋の店には、古着、古足袋、古シヤツ、古ヅボンなどが一面に並べてあるし、何処(どこ)を見ても衰(おとろ)への感じのしないものはなかつた。
 とある道の角に、三十位(ぐらゐ)の卑(いや)しい女が、色の褪(さ)めた赤い腰巻を捲(まく)つて、男と立つて話をして居(ゐ)た。其処(そこ)に細い巷路(かうぢ)があつた。洗濯物が一面に干してあつた。
『肥後の八代(やつしろ)とも言はれる町が、まさかこんなでもあるまい。此処(こゝ)は裏町か何かで、賑(にぎや)かな大通(おほどほり)は別にあるだらう』と私(わたし)は思つた。成程(なるほど)、少し行くと、通(とほり)がいくらか綺麗(きれい)になつた。十字に交叉(かうさ)した路(みち)を右に折れると、やがて私(わたし)の選んだ旅店(やどや)の前に車夫は梶棒(かぢぼう)を下(おろ)した。
 私(わたし)の通された室(へや)は、奥の風通しの好(い)い二階であつた。八畳の座敷に六畳の副室があつた。衣桁(えかう)には手拭が一筋(すぢ)風に吹かれて、拙(まづ)い山水(さんすゐ)の幅(ふく)が床の間に懸(か)けられてあつた。座敷からすぐ瓦屋根に続いて、縁側も欄干(てすり)もない。古い崩れがけた[#「崩れがけた」はママ]黒塀(くろべい)が隣とのしきりをしては居(ゐ)るが、隣の庭にある百日紅(さるすべり)は丁度(てうど)此方(こちら)の庭木であるかのやうに鮮(あざや)かにすぐ眼の前に咲いて居(ゐ)る。
 そして其(その)向ふに、同じつくりの二階屋がずらりと幾軒(いくけん)も並んで、其(そ)の裏を見せて居(ゐ)る。二階屋の裏! 其処(そこ)には蚊帳(かや)が釣つたまゝになつて居(を)る家(いへ)もあつた。雨戸が半ば明けられて、昨夜(ゆふべ)吊つたまゝの盆燈籠(ぼんどうろ)が其(その)軒に下げてある家(いへ)もあつた。雨戸の全く閉め切つてある家(いへ)もあつた。箪笥(たんす)、葛籠(つゞら)、長持(ながもち)、机などが見えた。不図(ふと)、其中(そのうち)の一軒から、艶(なまめ)かしい女が、白い脛(はぎ)を見せて、今時分(いまじぶん)ガラガラと雨戸を繰(く)り出(だし)た。
 茶を運んで出た女に、
『向ふの二階屋の表面(おもて)は大通りになつて[#「なつて」は底本では「なって」]居(ゐ)るのかね?』
『さうだツけん』と女は笑つた。
 其(その)二階屋の表の通(とほり)を私(わたし)は夕餐(ゆふめし)の後(のち)に通つて見た。其処(そこ)が此(この)田舎町の大通(おほどほり)で――矢張(やはり)狭かつた――西洋小間物店(みせ)、葉茶屋(はぢやや)、呉服商、絵葉書屋などが並んで居(ゐ)た。孰(いづ)れも古い家屋(かをく)ばかりで、此処(こゝ)らあたりの田舎町の特色がよく出て居(ゐ)た。町の中央に、芝居小屋があつて、青い白い幟(のぼり)が幾本(いくほん)となく風にヒラヒラして居(ゐ)た。

 私(わたし)の想像は二十年前(ぜん)の私(わたし)の故郷の藁葺(わらぶき)の田舎家(や)に私(わたし)を連れて行つた。
 母親は筒袖(つゝそで)を着て、いざり機(ばた)をチヤンカラチヤンカラ織つて居(ゐ)た。大名縞(だいめうじま)が梭(おさ)の動く度(たび)に少しづゝ織られて行く。裏には栗の樹(き)が深い蔭(かげ)をつくつて、涼しい風を絶えず一室(しつ)に送つて来る。壁に張つてある煤(すゝ)けた西南戦争の錦絵(にしきゑ)を私(わたし)は子供心(こどもごゝろ)によく覚えて居(ゐ)た。
『肥後八代(しろ)横手村(よこてむら)』
 母親はよく其(その)村のことを話した。四ツ切の大きな写真が箪笥(たんす)の底に蔵(しま)つてあつた。墓がいくつとなく並んで居(ゐ)る写真であつた。其(その)墓の一つを母親が指(ゆびさ)して『これがお前の父(おとつ)さんのお墓だよ。父(おとつ)さんは此処(こゝ)に居(ゐ)るんだよ。成長(おほき)くなつたら、行つて御覧?』
 またある時は、
『生きて居(ゐ)るなら、何(どん)なに遠くつても、お金を持(もつ)て、訪ねて行(ゆ)くけれど、お墓になつて居(ゐ)てはねえ!』
 母親の眼からは涙が流れた。その時に限らず、母親の膝を枕に、私(わたし)は其(そ)の父親の話――御国(みくに)の為(た)めに戦死した豪(えら)い父親の話を聞いて居(ゐ)ると、いつも私(わたし)の頬(ほう)に冷たいものゝ落ちるのが例(れい)であつた。母親は其(その)話をしては泣かずには居(ゐ)られなかつた。
 姉は其(その)頃十五六で、
『お前なぞは男だから、成長(おほき)くなつたら、いくらでもお墓参(まゐり)が出来るけれど、私(わたし)などは女だから、ねえ母(おつか)さん。……でも、一生に一度はお参(まゐ)りしたい!』
 私(わたし)は子供心(こどもごゝろ)に、父親のことを考へた。国の為(ため)に死んだ豪(えら)い父親! 其(その)墓のある処(ところ)はどんな処(ところ)だらうと思つた。
 故郷の藁葺家(わらぶきや)と、汚ない八畳の間と、裏の栗の樹(き)と、真黒になつてヤンマ取りに夢中になつて居(ゐ)る八歳の子供と――其(その)子供が別の子供のやうに眼の前を通つた。
 後送された父親の遺留品の中に、手帳が一冊あつた。
 成長(おほき)くなつてから、私(わたし)は幾度(いくど)も其(その)手帳を見たことがある。
 普通の革の手帳で、鉛筆が一本挿してあつた、中(なか)には日記がつけてあつた。
 其(その)日記を私(わたし)は覚えて居(ゐ)る――
 四月十日
 昨夜長崎より船にて上陸す。
 賊軍少々抵抗したれど、忽(たち)まちにして退散す。気候暖かし。晴(はれ)。
 十一日
 八代(しろ)にて昼食(ちうじき)。士民官軍を喜び迎ふ。
 甲佐(かふさ)方面に賊軍本営を置くとの説あり。
 菜の花既に盛(さかり)を過ぐ。
 十二日曇(くもり)
 進軍
 十三日晴(はれ)
 十四日晴(はれ)
 これで跡は白くなつてゐる。十四日の午後、御船(みふね)附近の戦争で、父親は胸に弾丸(たま)を受けて、死屍(しゝ)となつて野に横(よこた)はつたのである。十四日晴(はれ)――と書いて、後(あと)が何も書いてないといふことが少なからず人々を悲(かなし)ませた。私(わたし)も悲しかつた。
 私(わたし)は今年(ことし)三十八である。父親が海をこえてこの遠い九州の野に来た年齢(とし)は殆ど同じである。私(わたし)は二十年前(ぜん)、死ぬ四日前に此処(こゝ)に来た父親の心を考へずには居(ゐ)られなかつた。
 子の眼に映つた田舎町が其(その)当時父の眼に映つた田舎町とさう大(たい)して違ひはないといふことは、古い家並、古い通(とほり)、古い空気が明(あきら)かにそれを証拠立てゝ居(ゐ)る。父も家庭に対する苦(くるし)み、妻子に対する苦(くるし)み、社会に対する苦(くる)しみ――所謂(いはゆる)中年の苦痛(くるしみ)を抱(いだ)いて、其(その)時此(こ)の狭い汚い町を通(とほ)つたに相違(さうゐ)ない。世の係累を暫(しば)し戦ひの巷(ちまた)に遁(のが)れやうとしたか、それともまだ妻子の為(た)めに成功の道を求めやうとしたか、それは何方(どつち)であるか解(わか)らぬが、兎(と)に角(かく)自(みづ)から進んで此(この)地に遣(や)つて来たことは事実である。私(わたし)は官軍の服を着けた将校兵士が、隊を為し列を作つて此(こ)の狭い田舎町を通過した折りのさまを描(か)いて見た。

 其夜(そのよ)は征西将軍(せい/\しやうぐん)の宮の大祭で、町は賑(にぎや)かであつた。街頭をぞろぞろと人が通(とほ)つた。花火が勇ましい音を立てゝあがると、人々が皆(み)な足を留めて振返(ふりかへ)つた。
 郵便局の角から入ると、それから二三町(ちやう)の間(あひだ)は露店のランプの油烟(ゆえん)が、むせるほどに一杯に籠(こも)つて、往(ゆ)きちがふ人の肩と肩とが触れ合つた。田舎のお祭によく見るやうな見せ物――豹(ひよう)、大鱶(おほふか)、のぞき機関(からくり)、活動写真、番台の上の男は声を嗄(から)して客を呼んで居(ゐ)る。旅行用の枕を大負けに負けて売つてるものの隣(とな)りに、不思議に中(あた)る人相見(にんさうみ)の洋服の男がゐて、その周囲を取巻いて、人が黒山のやうにたかつて居(ゐ)る。をり/\摩違(すれちが)ふ娘の顔は白かつた。
 雑踏した長い馬場(ばゞ)を通り越すと、夜目にもそれと知らるゝ蓮池があつて、夏の夜風が白い赤い花と広葉(ひろば)とを吹動(ふきうご)かした。其(その)奥には社殿の燈明(とうみやう)――私(わたし)は其(その)一生を征旅(せいりよ)の中(うち)に送つて、この辺土に墓となつた征西将軍宮(せい/\しやうぐんのみや)の事蹟(じせき)を考へて黯然(あんぜん)とした。
 そして其(その)昔と今のこの祭の雑踏とを比べて考へて見た。
 頭上には星がキラ/\光つた。
 帰りには裏道を通(かよ)つた。露店の尽頭(はづれ)に、石鹸を五個六個並べて、大きな声で、
『買はんか、買はんか、これでも買はんか』
 と怒鳴(どな)つて居(ゐ)る爺(ぢい)さんがあつた。其(そ)の権幕が恐ろしいので、人々は傍(そば)にも寄りつかずにさつさと避けて通(とほ)つた。
『買はんか、買はんか、これでもか、これでも買はんか』
 露店の上の石鹸が皆(みな)跳(おど)り上(あが)つた。

 翌日、暑くならぬ中(うち)にと思つて、朝飯(あさめし)をすますとすぐ、私(わたし)は横手村(よこてむら)に行つた。
『墓地の鍵を預つて居(ゐ)る男がある筈(はず)ですから、其処(そこ)に行つて聞いて御覧なさい』と旅館の主人が教へて呉(く)れた。
 横手村(よこてむら)と謂(い)つても、町とは人家続きになつて居(ゐ)て、十町(ちやう)と隔(へだゝ)つては居(ゐ)なかつた。其(その)近所と思はれる処(ところ)に行くと、野菜の車を曳いて、向ふから男が遣(や)つて来る。
『官軍の墓地は何(ど)の辺(へん)になりませうか』
 と訊(き)くと、
『官軍の墓地? 何(なん)ですか、それは!』
 と要領を得ぬ答である。
 これこれと説明して聞かせると、それならこの向ふにあるのがそれだらうとのことである。
 私(わたし)は裏道に廻(まわ)つて見た。此処(こゝ)はつい此間(このあひだ)まで元(もと)の停車場(ていしやぢやう)のあつた処(ところ)で、柵などがまだ依然として残つて居(ゐ)た。片側は人家がつゞいてゐるが、向ふは田畝(たんぼ)になつて了(しま)ふので、私(わたし)はまたある家(うち)に立寄つて聞くと、このすぐ向ふだといふ。
 成程(なるほど)、墓地らしいものが田の中(なか)にあつた。周囲に柵が繞(めぐ)らしてある。
 それを少し離れて、二三軒(げん)の瓦屋根があつて、それに朝日がさした。小さい工場(こうば)の烟筒(えんとつ)からは、細い煙が登つて居(ゐ)る。向ふの街道には車の通る音が絶えず聞える。
 田圃道(たんぼみち)にはまだ朝の露が残つて居(ゐ)た。私(わたし)の足袋はしとどに濡れた。辛(から)うじて、瓦屋根の、同じ門のつくりの、鉄道の役員の官舎らしい家(いへ)の前に来ると、其処(そこ)の傍(そば)に車井戸があつて、肥つた下女が朝日を受けて、井戸の鏈(くさり)を音高く繰(く)つて居(ゐ)た。私(わたし)は今一度(ど)訊(たづ)ねて見た。其(その)下婢(かひ)も矢張(やはり)鍵を預(あづか)つて居(ゐ)る家(うち)を知らなかつた。けれど態々(わざ/″\)家(いへ)に入つて聞いて呉(く)れたので漸(やうや)く解(わか)つた。
 鍵を預(あづか)つて居(ゐ)る人は、前の街道を一二町(ちやう)行つた処(ところ)の、鍛冶屋(かぢや)の隣の饅頭屋(まんぢうや)であつた。場末の町によく見るやうな家(いへ)の構(つくり)で、せいろの中(なか)の田舎饅頭(まんぢう)からは湯気が立つて居(ゐ)る。上(かみ)さんは手拭(てぬぐひ)を被(かぶ)つてせつせと働いて居(ゐ)た。
 朴訥(ぼくとつ)な人の好(よ)ささうな老爺(おやぢ)が、大きな鍵を持つて[#「持つて」は底本では「持って」]私(わたし)の前に立つた。私(わたし)は線香と花とを買つた。
 一歩毎(ひとあしごと)に老爺(おやぢ)の持つた鍵がぢやらぢやらと鳴る。
 今度は正面から入つた。
 街道の傍(そば)に『官軍改修墓地』といふ木標(もくひやう)が立つてゐたが、風雨に曝(さら)されて字も読めぬ位(くらゐ)に古びてゐた。石の橋の上には、刈つた藺(ゐ)が並べて干してあつて、それから墓地の柵までの間(あひだ)は、笠のやうな老松(らうしよう)が両側から蔽(おほ)ひかゝつた。
 老爺(おやぢ)は門の鍵を開けた。
 幼い頃見た写真がすぐ思出(おもひだ)された。けれど想像とは丸(まる)で違つてゐた。野梅(やばい)の若木が二三本(ぼん)処々(ところ/\)に立つて居(ゐ)るばかり、他(た)に樹木とてはないので、何(なん)だか墓のやうな気がしなかつた。夏の日に照(てら)されて、墓地の土は白く乾いて、どんな微(かす)かな風にもすぐ埃(ちり)が立ちさうである。私(わたし)の記憶も矢張(やはり)この白い土のやうに乾いて居(ゐ)た。

 数多い墓の中(うち)から、漸(やうや)く父の墓をさがし出して其(その)前に立つた。墓は小さな石で、表面に姓名、裏に戦死した年月日(ねんぐわつひ)と場所とが刻んであつた。
『分りましたかな』
 一緒に探して呉(く)れた老爺(おやぢ)は私(わたし)の傍(そば)に遣(や)つて来た。
『お参りに来る人がそれでも随分あるだらうねえ?』かう私(わたし)が訊(き)くと、
『え、時には御座(ござ)いますがな。たんとはありません。皆(みん)な遠いで御座(ござ)いますから……。』
『お前さん、余程(よほど)前から、番人をして居(ゐ)るのかね?』
『お墓が出来た時からかうして番人を致して居(を)ります』
 と爺(おやぢ)は言つて、『何(ど)うも一人で何(なに)も彼(か)も致すで、草がぢきに生(は)えて困りますばい。二三日鎌さ入れねえとかうでがんすばい』と、傍(そば)に青くなつた草を指(ゆびさ)した。
 四月の十四日――父の命日には、年々床の間に父の名の入つた石摺(いしずり)の大きな幅(ふく)をかけて、机の上に位牌と御膳(おぜん)を据ゑて、お祭をした。其(その)頃いつも八重さくらが盛(さか)りで、兄はその爛※(「火+曼」、第4水準2-80-1)(らんまん)たる花に山吹(やまぶき)を二枝(ふたえだ)ほど交(ま)ぜて瓶(かめ)にさして供へた。伯母(おば)は其(その)日は屹度(きつと)筍(たけのこ)を土産(みやげ)に持つて来た。長い年月(としつき)――さうして過した長い年月(としつき)を、此(この)墓守の爺(ぢゝ)は、一人さびしく草を除(と)つて掃除して居(ゐ)たのだ。
 私(わたし)は墓の前に跪(ひざまづ)いた。

 一人息子であつた父の戦死を嘆いた祖父母も死んだ。夫に死なれた為(た)めに、険しいさびしい性格になつて常に家庭の悲劇を起した母も死んだ。難(むづ)かしい母親の犠牲になつた兄も死んだ。
 弾丸(たま)を胸部(むね)に受けて、野に横(よこたは)つた父の苦痛と、長い悲しい淋しい生活を続けた母の苦痛と、家庭の悲惨な犠牲になつて青年の希望も勇気も消磨(せうま)しつくして了(しま)つた兄の苦痛と――人生は唯(たゞ)長い苦痛の無意味の連続ではないか。
 私(わたし)は父の戦死から生じた総(すべ)ての苦痛を味(あじは)つて来た。絶望が絶望に続き、苦痛が苦痛に続いた。その絶望と苦痛の中(うち)で、私(わたし)は人の夫となり、人の親となつた。総領の男の児(こ)は、丁度(ちやうど)今私(わたし)が父に死別(しにわか)れた時の年齢と同じである。
 私(わたし)は父親のことよりも、自分と妻と児(こ)のことを考へた。過去よりも現在が烈(はげ)しく頭を衝(つ)いた。
『人間はかうして生存して居(ゐ)るのだ。かうして現在から現在を趁(はし)つて、無意味の中(うち)に生れて、生きて、で、そして死んで行くのだ』
『平凡なる事実だ。言ふを待たざることだけれど、事実だ』
 私(わたし)はジツとして墓の前に立つて居(ゐ)た。
 いろいろな顔や、いろいろな舞台(シーン)が早く眼の前を過ぎた。父の若かつた時のことから、自分の児(こ)の死ぬ時までのことが直線を為して見えるやうに思はれる。死は死と重なり、恋は恋と重なり、苦痛は苦痛と重なり、墓は墓と重なり、そして人生は無窮に続く。
 私(わたし)は四辺(へん)を※(「目+旬」、第3水準1-88-80)(みまは)した。かうした長い連続を積上げて行く一日一日のいかに平凡に、いかに穏(をだや)かであるかを思つた。日影は暑くなり出した。山には朝の薄い靄(もや)が靡(なび)いて、複雑した影を襞(ひだ)ごとにつくつた。青い田と田の間(あひだ)の小(ち)さい蓮池には紅白の花が咲いた。
 墓を去つて、笠松(かさまつ)の間(あひだ)の路(みち)を街道に出やうとしたのは、それから十分ほど経つてからのことであつた。何(なん)だか去るに忍びないやうな気がした。かうした思(おもひ)を取集めて考へることは、一生(しやう)中(ちう)幾度(いくど)もないやうにさへ思はれた。人間は唯(たゞ)※忙(そうばう)[#「總のつくり、怱の正字」、66-下-8]の中(うち)に過ぎて行(ゆ)く……味(あぢは)つて居(ゐ)る余裕すらないと又繰返した。
 松は濃い影を地上に曳いた。田の境の溝(どぶ)には藺(ゐ)がツンツン出て、雑草が網のやうに茂つてゐた。見て居(ゐ)ると街道には車が通る、馬が通る、児(こ)をたゞ負(おん)ぶした田舎の上(かみ)さんが通る、脚絆(きやはん)甲(かふ)かけの旅人が通る。鍛冶屋(かぢや)の男が重い鉄槌(てつゝち)に力をこめて、カンカンと赤い火花を通(とほり)に散らして居(ゐ)ると、其隣(そのとなり)には建前(たてまへ)をしたばかりの屋根の上に大工が二三人頻(しき)りに釘を打附(うちつ)けて居(ゐ)た。
了

底本:「ふるさと文学館 第五〇巻 【熊本】」ぎょうせい
   1993(平成5)年9月15日初版発行
底本の親本:「趣味 第4巻4号」易風社
   1909(明治42)年
初出:「趣味 第4巻4号」易風社
   1909(明治42)年
入力:林田清明
校正:鈴木厚司
2010年3月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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