あらすじ
農林学校出身の青年、欣之介は、父の所有する土地に林檎林を造り、近代農業を夢見ていた。しかし、父の理解を得られず、資金面での苦労や思わぬ病害に見舞われ、計画は頓挫する。やがて林檎林は伐採され、欣之介は夢破れて故郷を去る。その後、欣之介はアメリカへ渡り、様々な仕事に就きながらも、夢を諦めずに奮闘する。
 或(あ)る年の、四月半ばの或る晴れた日、地主宇沢家の邸裏(やしきうら)の畑地へ二十人ばかりの人足が入りこんで、お喋舌(しやべり)をしたり鼻唄(はなうた)を唄つたりして賑(にぎや)かに立働いてゐた。或る者は鋤(すき)を持つて溝(みぞ)を掘り、或る者はそこから掘上げられた土を運んで、地続きになつてゐる凹(くぼ)みの水溜(みづたまり)を埋めてゐ、また或る者は鍬(くは)の刃を時々キラキラと太陽の光に照返へらせながら去年の畝(うね)を犂返(すきかへ)してゐた。
 漸(やうや)く雪解(ゆきどけ)がすんだばかりなので、ところどころでちよろ/\小流(こながれ)が出来てゐた。掘返へしても掘返へしても、かなり下の方まで土がぢく/\濡(ぬれ)れてゐた。それで、人足たちの手も足も、着てゐる仕事着も、頬(ほゝ)かぶりにした手拭(てぬぐひ)まで――身体ぢゆう泥だらけになつてゐた。
 方々で、泥の飛ぶ音や水のはねつ返へる音がしてゐた。
「やりきれやしないや。」と、誰(たれ)やらがこぼしてゐる。
「ほ、滑つて、歩かれやしない!」と、どこかで、他(ほか)の男が怒鳴つてゐる。
 と、こちらの、邸境(やしきざかひ)になつてゐる杉林に沿つたところを犂返へしてゐる一人の中年の男が、それに答へるやうに、何かで酷(ひど)く咽喉(のど)を害(や)られてゐる皺嗄声(しわがれごゑ)で、「何だつてまだ耕作(しごと)には時節が早過ぎるわ。」と嘯(うそぶ)いた。「地面の奴(やつ)、寝込みをあんまり早く叩(たゝ)き起されたんで機嫌(きげん)を悪くしてゐやがるんだよ。」
「さうよ、土がまだ妙に冷たいもんな。」と、それと並んで同じ労働(しごと)をしてゐる同じ年格好の、もう一人の男が云つた。そして、どこか不平を洩(も)らすやうな調子で訊(たづ)ねた。「だが、此地(こゝ)で一体何がおつぱじまるんだね?」
「林檎林(りんごばやし)が出来るんだとよ。」と、皺嗄声の男が、これも何やら気に入らなさ相な口調で答へた。
「へえ、林檎林が出来るか。だが、この界隈(かいわい)ぢや昔から林檎つてことは聞かないな、俺等(わしら)の地方(はう)にや適(む)かないんぢやないかね。なあにさ、そりや、どうせ旦那衆(だんなしゆう)の道楽だから何だつて構はないやうなもののな。」
「ほんとによ。林檎がこの土地に適かうが適くまいが、そんなこと俺等に何の関係もないこつたが、その為めに、俺等が永年作り込んだ地面を、なんぼ自分の所有(もの)だといつて、さうぽん/\と無造作(むざうさ)に取上げられたんぢや、全くやりきれやしない。」
「第一、勿体(もつたい)ないやね。こんな上等な土地を玩具(おもちや)にするなんて、全くよくないこつた! それには些(ち)つと広過ぎるよ。」
「しツ! 止(お)かつしやい。馬鹿言ふぢやない。お前がたの今言つてたやうな事が、あの若旦那の耳へ入りでもしたら、」と、その隣に並んで同じ労働(しごと)に従事してゐた三番目の男が、前の二人を窘(たしな)めるやうに言つて、その会話に加つた。「あの人は真面目(むき)だから怒ると恐(こは)いぜ。それに、今度のことぢや、若旦那、篦棒(べらぼう)なのぼせやうをして居なさるんだつて言ふからな。」が、その調子には、どこか一同(みんな)と共通した不平と嘲笑(てうせう)の影がひそんでゐた。彼は飽までも恍(とぼ)けた真面目(まじめ)な顔をして、なほも続けた。
「なんだつていふぜ、今度の事がうまく成功すると、追々手を拡げて、所有地を全部小作人から取上げてしまふんだつて。そして、村ぢゆうをその林檎林にしてしまふんだつて。いや、あの人のこつたからきつとやるぜ。」
「そんなことされて堪(たま)るもんか。」と、誰やらが、それに反対した。
「だつて、堪るも堪らないもないぢやないか。地主様の仕(さ)つしやる事、誰が苦情を申立てられよう!」と、他(ほか)の声が答へた。
「だが、さうなつたら、俺等(わしら)はどういふ事になるんだ?」と、最初皺嗄声の男と話し合つてゐた中央(まんなか)の男が、麻紐(あさひも)で腰へ下げてある竹の箆(へら)で餅(もち)のやうにへばり着いてゐる鍬の土を払ひ落しながら、幾らか気になると云つたやうに訊(たづ)ねた。
「さうなつたら、みんなで手を繋(つな)がつて北海道へでも出かけるより外ないさ。百姓が田地(でんぢ)にありつけなくなつたらもう、どうにも終(をへ)ないからな。」と、皺嗄声の男が答へた。ところが、その言ひ方が妙に哀れつぽくて殊更(ことさら)らしく滑稽(こつけい)だつたので、みんなが一斉にどつと笑ひ出した。
「笑ひごつちやないぜ。全く、追々時勢が変つて来てるんだからな。」
と、さつきの、恍けて真面目な顔をした男が、笑つて/\眼から涙を流しながら言つた。
 前よりも一層大きな、一層長く続く笑声が湧起(わきおこ)つた。と、その中の一人が、もう一度、一同(みんな)の笑を繰返へさせようとして、「若旦那も罪なもくろみを初めなすつたものさね。」と言ひ放つた。そして、その目的が充分に達せられた。その上に、それは、多少なり興奮してゐた一同の頭を一遍に和らげ、軽く易々(やす/\)とした暢気(のんき)な気持ちにさせた。なぜなら、そのなかに使用(つか)はれた「もくろみ」といふ言葉が、彼等の間では軈(やが)て直ちに『失敗』といふことを聯想(れんさう)させるものであつたから。――これを機として、彼等の話題は他の方へふら/\と漂ひ流れて行つた。この村の、もう一軒の地主である寺本といふ家では濁酒(だくしゆ)の醸造を創(はじ)めて、まだ十年と経(た)たない今日(こんにち)、家屋敷まで他人手(ひとで)に渡してしまつた……といふ、そんな噂(うはさ)や、それから、近年この近在の地主たちによつて頻々(ひん/゜\)として演じられるその種の失敗の数々を次から次へと並べたてて行つた。彼等独特な、思ひきり明つ放しな高笑が、時々彼等の間で湧き起つた。
 人々に依(よ)つて犂返へされた湿つぽい土からはほか/\した白い水蒸気が立ちのぼり、それと共に永い冬の間どこにも※(「鼾のへん+嗅のつくり」、第4水準2-94-73)(か)ぐことの出来なかつた或る一種の生々した香(にほひ)が発散してゐた。その畑地の外側に沿ふて通じてゐる灌漑用(くわんがいよう)の堀割の中を、雪解(ゆきげ)の水が押合ふやうにしてガボン/\流れてゐた。

 地面は、燃えるやうな憧憬(しようけい)を持つた青年を新らしく主人に迎へて喜こび、且つ彼を愛してゐるやうでもあつた。
 新らしく植付けられた林檎や葡萄(ぶだう)や実桜(さくらんぼ)の苗は何(いづ)れも面白いやうにずん/\生長(おひの)びて行つた。下作(したさく)として経営した玉葱(たまねぎ)やキャベツの類(たぐひ)もそれ/″\成功した。
 農林学校出身(で)の、地主の悴(せがれ)の欣之介(きんのすけ)は毎日朝早くから日の暮れるまで、作男の庄吉を相手に彼の整頓(せいとん)した農園の中で余念なく労働した。玉葱やキャベツの収穫時(とりいれどき)には、彼の小さな弟や妹たちまで尻(しり)つ端折(ぱしをり)をして裸足(はだし)で手伝ひに出かけた。玉葱を引抜いたり、キャベツを笊(ざる)に入れて畑から納屋(なや)へ運んだりした。燥(はし)やぎのジム(飼犬(いぬ)の名)が人々の後を追ひかけ廻つて叱(しか)られたり、子供たちが走つて転(ころ)んで収穫物(とりいれもの)が笊の中から飛び出して地べたをころ/\ころがりあるいたり、……そんな日には家中(うちぢゆう)に愉快な、生々とした気分が漲(みなぎ)りあふれた。そんな騒ぎのあと四五日すると、いつも町から、近くの軍隊へ野菜類を納める御用商人の一人が荷馬車を持つてやつて来た。そして、山のやうに積んである納屋の収穫物(しうくわくぶつ)を綺麗(きれい)に持つて行つてしまふ。とその晩には、きまつて作男の庄吉が酒をのんで、酔払つて、可笑(をか)しな唄をうたつたりして家の者を笑はした。
 欣之介は或日、――それは麦打のすんだ後で、農家の周囲(まはり)には到(いた)る処(ところ)に麦藁(むぎわら)が山のやうに積んである頃のことであつた――庄吉と二人で農園の一つの隅(すみ)へ小さな小舎(こや)を一つ建てた。丸太を組合せて骨を造り、赤土を捏(こ)ねて壁を塗り、近所から麦藁を譲つて貰(もら)つて、屋根を葺(ふ)いた。そして、それが出来上ると其(その)翌日、七里も先方(さき)に在(あ)る牧場(まきば)へ庄吉をつれて行つて、豚の仔(こ)を一番(ひとつがひ)荷車に乗せて運んで来た。彼は又優良な鶏(とり)の卵を孵化(かへ)して、小作人たちの飼つてゐる古い、よぼ/\の、性質(たち)のよくない鶏(とり)とたゞで取替へてやることを申出た。なほ、近所の百姓たちに簡便に出来る蔬菜(そさい)の速成栽培のやりかたを教へたり、子供のある家では子供の内職として家鴨(あひる)を飼ふやうにといふやうな事を奨励してあるいたりした。
 欣之介は、自分の農園の中央部に小さな洋風の小舎(こや)を建てて、そこでたつた一人で寝起してゐた。その建物は八畳ばかりの広さの部屋と、それに隣(とな)つた同じ広さの土間との二つの部分から成立つてゐた。出入口は土間の方についてゐた。土間には、こま/\した農具や泥(どろ)のついた彼の仕事衣(しごとぎ)やが一方の壁に立かけたりぶら下げたりしてあつた。一つの隅に囲炉裏(ゐろり)が設けられ、それを取まいて三四脚の粗末な椅子(いす)が置かれてあつた。冬の夜永(よなが)などには、よく三四人の青年が其処(そこ)へ集つて来て、粗柔(そだ)を焚(た)きながらいつまでも/\語り続けた。それ等の客のなかに、一人の年若い小学教師があつた。彼は、いつも誰かの詩集を懐(ふところ)にしてゐて、よく文学や恋愛のことを熱のある口調で語つた。
「人間は(心)のほかの何物をも所持しようとしてはならない。」かういふのが彼のきまり文句であつた。
「人々がみんなさういふ考の上に生きてゆければ、その上に何の革命も必要としない。」
 定連(ぢやうれん)の一人に、病気で都会の学校から帰つてゐる大学生があつた。彼は一種の瞑想家(めいさうか)で、「自分には、この世に、生れたり死んだりするものの外に何か永劫(えいごふ)に変らない、少しの揺(ゆる)ぎすらない或(あ)る理法と云つたやうなものが存在してゐるやうな気がしてならない。」などと、静かな調子で語り出すのが彼の癖であつた。
 欣之介は、彼自身、自分の考へてゐることを他の人達のやうに口に出して話すことをあまり好まなかつたが、さうした人達のさうした話を凝(ぢ)つと聞いてゐるのが愉快で堪(たま)らなかつた。
 彼の小舎の外側には木蔦(きづた)が一ぱいに纏(まと)ひつかせてあつた。春先きから夏へかけて美しい柔かな葉が繁(しげ)つて、柱から羽目から屋根から凡(すべ)てを、まるで緑色の天驚絨(ビロウド)の夜具を頭からすつぽりひつかぶつたやうに掩(おほ)ひ隠してしまつた。彼は又、その家の周囲(まはり)に薫(かん)ばしい匂(にほ)ひを放ついろいろの草花を植えた。彼の部屋の、書卓(テーブル)を据(す)ゑてある窓へ、葡萄棚(ぶだうだな)の葉蔭を洩(も)れる月の光がちら/\と射(さ)し込んだ。たつた一人で過す多くの夜を、その窓に倚(もた)れて、彼は幾度(いくたび)か/\自分の仕事、自分の将来についていろ/\に思ひを馳(はし)らせた。そんな時、いつも彼の心の中(うち)には抑へきれない憧憬(しようけい)が波うつてゐた。彼の所謂(いはゆる)「幸福な幻影」が彼の目の前に顕々(あり/\)と描き出(いだ)された。――最も合理的に耕作された田畑、緑の樹蔭(こかげ)に掩はれた村、肥えて嬉々(きゝ)として戯れてゐる牧獣や家禽(かきん)の群、薫ばしい草花に包まれた家屋、清潔に斉然(きちん)と整理された納屋や倉、……甦(よみがへ)つた農業! 愚昧(ぐまい)な怠慢な奴隷達から開放された、自由な、生々とした土地! そこでは凡てが新鮮で、気持よく、そして、これまでのやうな乱雑や、下劣や、廃頽(はいたい)やが何処(どこ)の隅にも見ることが出来ない。……
「僕の力できつとさうならせて見せる!」
 かう思ふと、彼は、いつもきまつて、何ものかに祈祷(きとう)を捧(さゝ)げたいやうな、涙ぐましい気持ちになるのであつた。

 欣之介が予定してあつた春に、園(その)の林檎が花をつけた。その美しい淡紅色の花が、嘗(か)つて見たことのない村人の眼を驚ろかした。小作人のあるものは、「ひよつとしたら、若旦那の計画(もくろみ)がうまく成功するやうな事になるのではないか。」などと、愚かな心配をしながら囁(さゝや)き合つたりした。
 微風(そよかぜ)が日毎(ひごと)林檎林を軽く吹いて通つた。欣之介はその中で何かの仕事をしながら、「眼には見えないが花粉がうまい工合に吹き送られてゐるんだ!」と思ひ、人知れず心の中で微笑した。
「いよ/\これからだ。」
 が、丁度その頃から、彼と彼の父との間に、金銭上の事で何かごたごたした不機嫌な会話が屡々(しば/\)取交(とりか)はされるやうになつた。
 父は、初めから忰(せがれ)の企画(もくろみ)を賛成してはゐなかつた。忰が生涯を捧げようとまでしてゐる理想に対しても、たゞ、ほんの若い者の気紛(きまぐ)れ位にしか考えてゐなかつた。父は二言目にはよく、
「そんなに何時(いつ)までも何時までも俺(わし)の援助(たすけ)に俟(ま)たなければならないやうなものなら、何もかも止(よ)して、地面を俺にかへして貰(もら)はなければならない。」と言ひ/\した。
 そんな訳で、欣之介は、大切な時に充分に肥料を施すことが出来なかつたり、手入れが思ふやうに出来なかつたりした。彼は歯を喰(く)ひしばつて口惜(くや)しがつた。が、やつぱりどうすることも出来なかつた。覿面(てきめん)なもので、林檎林はその後、日に増し生気を失つて行つた。と、それにつけ込んで綿虫や天狗虫(てんぐむし)が急にどこからか発生して、盛んに繁殖し初めた。
 ある時、何かの事で葡萄の木の下を掘つてゐた欣之介は、土の中から出て来た水気のない痩(や)せた鬚根(ひげね)を摘(つま)み上げて、劇(はげ)しい痛ましさを覚えた。そして伸び上つて幹を検(しら)べてみると、それは明らかに或る一種の恐ろしい病気に襲はれてゐることが判(わか)つた。
「あゝ、可哀相に、父が自分の考へてゐることを理解してくれさへしたら。」
 彼は落胆(がつかり)して吐息をついた。持つてゐた鍬(くは)が彼の手から滑り落ちて、力なく地べたに倒れた。

 幾年かして、欣之介の仕事はやはり一向いゝ成績をあげ得なかつた。
 ある夜、彼は父の部屋へ呼ばれて行つた。そして、そこから長いこと出て来なかつた。部屋の戸を締め切つて、父と子とは、夜が更(ふ)けて家の人がみんな寝静まつた後まで、何やら頻(しき)りに話し合つてゐた。
 それから一ヶ月ばかりして、林檎林で、十数年前(ぜん)の最初の犂返(すきか)へしの日以来見たことのない賑(にぎ)やかな騒ぎが初まつた。二十人ばかりの日傭人(ひやとひにん)がそこへ入りこんで、林檎や葡萄や実桜(さくらんぼ)の樹(き)を片つぱしから伐(き)り倒してゐるのだ。樹は何(いづ)れも衰へて痩(や)せてゐたが、まだ枯れては居なかつた。幹に鋸(のこぎり)を入れてゴリ/\やる度び、それにつれて梢(こずえ)の方で落ち残つてゐる紅葉した葉がカサ/\と鳴つた。そして、今切離されたばかりの生々しい傷口を持つた切株は一つ/\、自分の場所から退去されるのを拒みでもするかのやうに、それを掘り抜くのにひどく骨を折らせた。しかし、三四日するうちに、そこには何もなくなり真裸(まるはだか)な、穴だらけな、醜態(ぶざま)な土地が残された。
 畑の中央部に在(あ)つた可愛らしい小さな家も無論取こぼたれた。それを取囲んでゐた薫(かぐ)はしい香(にほひ)を放つ多くの草花は無造作に引抜かれて、母家(おもや)の庭の隅つこへ移し植ゑられた。
 この騒ぎの最初の日、欣之介は自分の家に留(とどま)つてゐるに堪(た)へない気がして、朝から隣家(となり)の病身の大学生のところへ出かけて行つた。友達は以前から見るとまた一層弱つてゐた。この分ではとても長くは生きられない、などと自分から言つて嘆息していた。そして、落胆(がつかり)して、悲観してゐる欣之介に対しても寧(むし)ろ「君などは身体がいゝんだから、これからだつて何をしようとも好きだ。」と云つて羨(うらやま)しがつてゐた。
 そこへ、午後になつて、小学校の教師が学校の帰りだと云つて訪(たづ)ねて来た。
「今、お宅へ伺つたら、こちらだといふ事でしたから。……一寸(ちよつと)畑の方をのぞいて来たんですが、まあ、何と言つたらいゝんでせうかね。僕等のやうな弱い心臓(ハート)を持つた者には、とてもあゝした痛々しい光景を立止つて見てゐるに堪へませんな。」こんなことを言ひながら、二人の間に置いてある火鉢(ひばち)の上へ白堊(チョーク)の粉のついた手を差翳(さしかざ)した。
 この人は――運命はこの人にだけ何時も心地(こゝち)よい微風(そよかぜ)を送つてゐるやうであつた――その後間もなく互ひに思ひ合ふ人が出来、やがて願ひが叶(かな)つて結婚の式をあげ、今では既に二人の幼い者の父親でさへある。しかし、彼の物を言ふ調子は昔と少しも変らなかつた。
「だが、今度のことだつて考へてみれば――、僕は思ふんです――あなたにとつては全く何の損失でもありませんよ。たゞ、徒(いたづ)らに悩ましい青春が去つただけです。ほんとに事をなさるには、これからです。」
 欣之介は物をいふ元気すらないと云つたやうに、妙に真面目な顔をして、黙つて沈みこんでゐた。
 秋の末のことで、霙(みぞれ)でも降つて来さうな空合ひであつた。林檎林(りんごばやし)のところ/″\に焚火(たきび)がされてゐた。その火が、三人の話してゐる大学生の部屋の窓からチラ/\見えた。そこから起つて来る日傭人(ひようにん)たちの明つ放しの高笑ひ混りの話声が、意地悪く欣之介の耳について離れなかつた。
 欣之介から取上げられて再び小作人たちの手に委(ゆだ)ねられた裏の畑地は、何事も起らなかつたもののやうに、間もなく、以前と少しの変りもない旧(もと)の姿に復(かへ)つて行つた。こま/\した幾つかの小さな畑に区劃(くくわく)され、豆やら大根やら黍(きび)やら瓜(うり)やら――様々なものがごつちやに、風(ふう)も態(ざま)もなく無闇(むやみ)に仕付けられた。小作人たちは其処(そこ)で再び彼等独有な、祖先伝来の永遠の労苦を訴へるやうな、地を匍(は)ふやうに響く、陰欝(いんうつ)な、退屈な野良唄(のらうた)を唄ひ出した。そして、その周囲(まはり)の物懶(ものう)げな、動かし難い単調が再びそこを蔽(おほ)ひ尽してしまつた。
 永い一日の間に、ほんの一寸した雲の切目から薄い日の光が、ほんの一寸の間(ま)ぱーつと洩(も)れて来た。と思ふともう消えてしまつた。欣之介の傷ついた心には、その後の曇天が以前にも増して一層暗欝に一層厭(いと)はしいものに感じられた。彼は、世に容(い)れられない不遇の詩人のやうに徒(いたづ)らに苛々(いら/\)した。悩ましい、どうしようもない、悲しい一日々々を重ねた。しかし、彼の内部に一度巣くつた憧憬(しようけい)は、やがてまた新らしい形となつて頭を擡(もた)げ初めた。
「此地(こゝ)でない、どこか他(ほか)の処(ところ)に広々とした、まだ何者にも耕し古るされてゐない新鮮な沃野(よくや)が拡がつてゐる。そこには旧(ふ)るくさい不自由な式たり、何とも知れず厭(いや)な様々な因縁(いんねん)――邪魔をするものが何もない。思ひのまゝに力一ぱいに仕事をすることが出来る!」
 青年の心は再び新らしく呼び起された。彼の机の上に、オーストラリア、カリフォルニア、テキサス、ブラジル……さういふ国々の土地に関したことを書いた書物が幾冊か取集められた。それ等の書物の中に、方々の耕作地や、牧場や、山林や、港やの写真が沢山載つてゐた。その中の一つには、人間(ひと)の背丈(せい)の三倍もあるやうな高さの綿花(わた)の木が見渡す限り涯(はてし)もなく繁つてゐる図があつた。と、他の一つに――これは何処(どこ)かの港の図で――何か袋につめた収穫物が大きな丘のやうに積み重ねてある。それを大勢の人足共がその周囲(まはり)に集つて端から/\と運び出してゐる。人足共の蟻(あり)の行列の末は埠頭(はとば)に繋(つな)いである大きな汽船の中へと流れ込んでゐる。……
 ある年の夏の初め、欣之介のゐる離家(はなれ)の横手にある灰汁柴(あくしば)の枝々の先端(さき)へ小さな粒々の白い花が咲き出した頃の或る日暮方、革紐(かはひも)で堅く結(ゆは)へた白いズックの鞄(かばん)が一つ、その灰汁柴の藪蔭(やぶかげ)に置いてあつた。が、誰もそれに気づくものがなかつた。そして、その翌朝(よくあさ)、下男の庄吉が庭掃(にははき)に出た時には、それはもう失くなつてゐた。
 その日から、欣之介の姿はそのあたりに見ることが出来なかつた。

 更らに又十幾年かの歳月が経(た)つた。
 その間に、村では、宇沢家の老主人が亡くなり、その後を次男の敬二郎が相続し、病身の大学生が死に、欣之介のところへよく話しにやつて来た小学校の教師が永年の勤続の結果として校長にあげられたりした。が、それ等は何れも如何(いか)にも尋常に、少しの際立(きはだ)つことなく、いつも穏かに取片附いてゆき、そこには殆(ほと)んど何の推移もなかつたやうにさへ思はれた。
 家出をした欣之介はその後或る便宜を得てアメリカへ渡つて行つたが、其地(そこ)で何をしたか、今何をしてゐるか? それに答へるものは、彼が向ふから弟の敬二郎に書き送つた幾通かの手紙の外にない。それには次のやうな事が書いであつた。――
       *
(前略)余はふとした機会で思はしき手頃の土地見当りし故(ゆゑ)、今冬より満四ヶ年の契約にて借受け、試み旁々(かた/″\)事業着手のことに致(いた)し候(さふろふ)。余がこれまで寝食せし所、それは賄付(まかなひつき)の宿屋などとは以つての外のこと、テント同様の仮小屋にて、板敷の床へ薄つぺらの蒲団(ふとん)を敷きて寝るといふ始末、最初は身体が痛くて困難せしも、だん/\日を経(ふ)るに従ひ格別苦にもならぬやうに相成候(あひなりそろ)。賄は七八人以下の団体稼(だんたいかせ)ぎの時分には廻りコックにて、これにも初めは極(ひど)く閉口したが今では仲々下手(へた)なおさんどんなどはだしだよ。食べ物は日本と大差はないが、味は肉類野菜類何(いづ)れも日本のそれとは比較にならぬほどまづい。(中略)昨今のところでは何事も堪忍(かんにん)に堪忍、他日の勝利を期するのみにて只管(ひたすら)愚となり、変物となり居り候(そろ)。(後略)
       *
(前略)昨年は無経験に加ふるに、収穫半ばに不時の天災に出会ひし為め全く失敗したものの、今年(こんねん)は多少様子もわかり、且つは幾分考ふる所もあり、こゝ一番と努力せしこととて今後非常の天変などのない限りは多少の収益が見られることと思ふ。今二週間も経てば青豌豆(あをゑんどう)の収穫に取かゝるべく、しかしこれは副産物として利益も細いが、余今年(こんねん)の本稼(ほんかせ)ぎは実に六月初旬よりなれば目下その方の準備で仲々忙しい。(後略)
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(前略)既に御身にも新紙等(など)にて御承知の事と被存候(ぞんぜられさふらふ)が、当国は昨秋以来経済界に大恐惶(だいきようくわう)有之(これあり)、農産物はその種類の何たるを問はず低廉無此或(あ)るものは市場(いちば)へ出荷するもその運賃さへとれぬやうな次第殊(こと)に当地方の苺(いちご)耕作者の如(ごと)き実に惨澹(さんたん)たるものにて破綻(はたん)又破綻、目も当てられぬ有様、全く気の毒千万の事に候、右は一つには苺作(いちごさく)が耕すに易(やす)く比較的利益多きところより権(ごん)も八も植付に急なりし結果当××市郊外のみにて約三千英加(エーカー)といふ苺畑出来候為め産出過多加ふるに今回の経済界の大恐惶に出会ひし事とて実際話しにならず候。余は幸ひ苺作には力を入れ居(を)らざりし為め左程(さほど)にも無之候(これなくさふら)へども、目下のところ五百弗(ドル)程の負債出来奮闘真最中に候。尤(もつと)も春作は安価の為め失敗せしもので、main crop は一昨日より出荷を始め候へばこれにて何とか当分の遣繰(やりくり)付く事と存ぜられ候。(後略)
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(前略)……もとより創業費とて不充分なりし事故(ことゆゑ)、如何(いかん)とも進退出来ざるやうになり、昨年極末(ごくまつ)遂(つひ)に七百弗足らずの負債を背負ひ農業の方手を引き候。その後は市内働きと事きめ就働し来(きた)りしも、不拍子の時は不拍子々々々と或程度まで重なるものにて或時は主人破産せし為め働き金も大半無(ふい)になり、或時は主人の店火災に罷(かゝ)りし為め余の働口一時途切れ、加ふるに去月十日より風邪(かぜ)の気味にて三週間ばかりぶらぶらし、かた/″\碌(ろく)な事これなく候。(中略)向ふ三四年間は或程度までの金を作る為め雇人として働き、その間は多少読書もし、至つて平静(今までは余りに落付かなかつた)な生活を送る考(かんがへ)に候。近来種々感ずるところあり、如何(いかに)してもこの国に永住の事に決心せしに就(つ)いては、来春早々、此較的人種に区別をおかぬ東部へ出向く考に候。そして相当の資金を得し後は再び田園に引込み、今まで及び昨今のやうでも困るから多少余裕のある趣味ある生活をしたいと思ひ居り候。(後略)
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(前略)この五日より洗濯業研究に着手致し候。昨今は唯(たゞ)器械的に他人の工場内(こうばない)に働き居り候へども二ヶ年位後には本式に独立してやる考に候。
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(前略)不運は何故(なぜ)かくまで執拗(しつえう)に余に附纏(つきまと)ふことに候や。今春は複々(また/\)損失、××銀行破産の為め少しばかりの預金をおぢやんに致し候。その後とて引つゞき一つ所に働き居り候はば斯(か)くまで不如意にも陥らざりしものを、……(中略)当今は渡米以来一等の貧乏に候。今度こそは何とかして或る一定の専門技術を修得し、一日も早く普通労働者の域を脱したく、裁縫学校へ入学志願致し候。いろ/\の抱負もさる事ながら、一人前(ひとりまへ)に自分の口を糊(のり)することが先決問題かと被存候(ぞんぜられさふらふ)。この頃つく/″\その様な事を考へるやうに相成(あひな)り候(さふらふ)。(後略)
       *
(前略)一昨々年春以来他へ転居候為め、御書面昨日漸(やうや)く落手致し候次第、その後の御不沙汰(ごぶさた)何とも申訳無之(これなく)候。迂生事(うせいこと)、昨年七月より近郊にて(現今のところ)約六反歩(たんぶ)の土地つき家屋を借受け、昨秋切花用として芍薬(しやくやく)二千株程植付け候。されど、今年は勿論(もちろん)、明年とて格別の収入無之かるべく候へば、当分のうちは日曜の外毎夜電車にて下町へ通ひ何かと労働に従事致し居る次第、お問合せの妻帯などは迚(とて)も迚も以ての外のこと、未(いま)だに独立も出来ず相変らずの貧乏書生に候。向ふ三四年中には一度皆様にお目にかゝりに帰朝致したく存じ居候。
 迂生昨年五月以来、一晩も欠かさず冷水浴を継続致居り候為めか、身体の工合致つて宜(よろ)しく、明けて四十二歳になるが人々にはどうしても三十五歳にしか見えぬ由に候。呵々(かゝ)。
 今秋は御地(おんち)より山百合(やまゆり)二千個、芍薬種子(たね)三升程、花菖蒲(はなしやうぶ)五百株送附し来る都合に相成居り候間、追つて明年の結果御報知申上ぐべく候。(後略)
(大正六年十月)
了

底本:「現代日本文學大系 49 葛西善藏 嘉村礒多 相馬泰三 川崎長太郎 宮路嘉六 木山捷平 集」筑摩書房
   1971(昭和48)年2月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版12刷発行
初出:「新潮」
   1917(大正6)年10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:noriko saito
2010年2月18日作成
2011年10月25日修正
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