あらすじ
明治の秋、東北の聯隊に所属していた若き軍曹は、秋季機動演習で会津から米沢へと旅次行軍を行いました。旅の道中、軍曹は各地に残る怪談話に耳を傾け、磐梯山の噴火の爪跡や雪女郎の伝説に胸を高鳴らせました。そして、米沢の宿営地にたどり着いた軍曹は、偶然にも母方の大伯父にあたる老僧がいることを知り、その寺を訪れます。老僧は、軍曹に不思議な体験を語って聞かせました。それは、老僧が住職になって間もない冬の夜、新仏の娘の霊が現れ、婚礼の装束のまま、生前の執着を断ち切るために老僧に助けを求めたという話です。老僧は、その娘の霊の切ない願いに応え、その黒髪を剃刀で切り落とし、娘は安堵してあの世に旅立ったそうです。軍曹は、老僧の不思議な体験に驚き、そして、その娘の霊が残した古鏡と黒髪を見せてもらいました。
 古びた手帳を繰(く)ると、明治廿二(にじゅうに)年の秋、私は東北の或(ある)聯隊(れんたい)に軍曹をして奉職していたことがあった。丁度(ちょうど)その年自分は教導団を卒業した、まだうら若い青年であった。
 当時、その聯隊(れんたい)の秋季機動演習は、会津(あいづ)の若松(わかまつ)の近傍(きんぼう)で、師団演習を終えて、後(のち)、我聯隊(れんたい)はその地で同旅団の新発田(しばた)の歩兵十六聯隊(れんたい)と分れて、若松から喜多方(きたかた)を経て、大塩峠(おおしおとうげ)を越え、磐梯山(ばんだいさん)を後方(うしろ)にして、檜原(ひばら)の山宿(やまじゅく)に一泊し、終(つい)に岩代(いわしろ)、羽前(うぜん)の境である檜原峠(ひばらとうげ)を越えて、かの最上川(もがみかわ)の上流の綱木(つなき)に出(い)で、そして米沢(よねぎわ)まで旅次(りょじ)行軍を続けたのであった。
 時は十一月の中旬、東北地方は既に厳霜凄風(げんそうせいふう)に搏(う)たれて、ただ見る万山(ばんざん)の紅葉は宛(さなが)らに錦繍(きんしゅう)を列(つらぬ)るが如く、到処秋景惨憺(いたるところしゅうけいさんたん)として、蕭殺(しょうざつ)の気が四隣(あたり)に充(み)ちている候(こう)であった、殊(こと)にこの地は東北に師団を置きて以来、吾々が初めて通る難路のことであるから、一層(いっそう)に吾々の好奇心を喚起(よびおこ)したのであった。第一、この会津地方には一般怪談の如きは乏(とぼ)しくない、殊(こと)に前年即(すなわ)ち明治廿一(にじゅういち)年七月十五日には、かの磐梯山が噴火して、為(た)めに、そのすぐ下に横たわる猪苗代湖(いなわしろこ)に注ぐ、長瀬川(ながせがわ)の上流を、熔岩(ラバー)を以(もっ)て閉じた為(た)めに、ここに秋元湖(しゅうげんこ)檜原湖と称する、数里にわたる新らしい湖を谿谷(けいこく)の間に現出した、その一年後のことであるから、吾々の眼にふるる処(ところ)、何(いず)れも当時の惨状を想像されない処(ところ)はなかった、且(か)つその山麓の諸温泉には、例の雪女郎(ゆきじょろう)の談(はなし)だの、同山の一部である猫魔山(ねこまやま)の古い伝説等は、吾々をして、一層(いっそう)凄い感を起(おこ)さしたのである。
 そして、この檜原の宿(しゅく)とても、土地の人から聞くと、つい昨年までは、その眼の前に見える湖の下にあったものが、当時、上から替地(かえち)を、元の山宿(やましゅく)であった絶項の峠の上に当(あた)る、この地に貰って、漸(ようや)くに人々が立退(たちの)いたとのことである。
 吾々は、次(つ)ぎの日に、この新らしき湖を、分隊毎(ごと)に分れて、渉(わた)ったが、この時の絶景といったら、実に筆紙(ひつし)にも尽(つく)し難い、仰向いて見れば、四方の山々の樹々が皆錦(にしき)を飾って、それが今渉(わた)っている、真青に澄切ってる、この湖に映じて、如何(いか)な風流気のない唐変木(とうへんぼく)も、思わず呀(あっ)と叫ばずにはおられない、よく談話(はなし)にきく、瑞西(すいつる)のゲネパ湖の景(けい)も、斯(か)くやと思われたのであった、何様(なにさま)、新湖(しんこ)のこととて、未(ま)だ生々しいところが、往々(おうおう)にして見える、船頭の指すが儘(まま)に眺めると、その当時までは、村の西にあって、幾階段かを上ったという、村の鎮守の八幡の社(やしろ)も、今吾人(ごじん)の眼には、恰(あだか)もかの厳島(いつくしま)の社の廻廊が満つる潮に洗われておるかのように見える、もっと驚いたのは、この澄んでいる水面から、深い水底(みなそこ)を見下すと、土蔵の白堊(はくあ)のまだ頽(こわ)れないのが、まざまざとして発見されたのであった、その他湖上の処々(しょしょ)に、青い松の木が、ヌッと突出(つきで)ていたり、真赤に熟した柿の実の鈴生(すずなり)になっておる柿の木が、とる人とてもなく淋しく立っているなど、到底(とうてい)一寸(ちょっと)吾々が想像のつかぬ程の四辺(あたり)の光景に、いたく異様の感を催して、やがてかの東北有数の嶮阪(けんはん)なる○○峠を越えて、その日の夕暮近く、兼(かね)て期定(きてい)されたる、米沢の宿営地に着したのであった。
 ところが、この地に着いて、偶然(ふと)私は憶出(おもいだ)したのは、この米沢の近在の某寺院には、自分の母方の大伯父に当る、某(なにがし)といえる老僧が居(お)るという事であった。幸(さいわい)に私は一日の閑(かん)を得たので、二三の兵卒を同道して、初対面のこの大伯父の寺を訪れたのである。老僧は八十有余の善智識(ぜんちしき)であって、最早(もう)五十年来、この寺の住職である。初対面の私を種々(しゅしゅ)厚遇してくれて、さて四方山(よもやま)の談話(はなし)の末に老僧がいうには、「お前達(だち)は、まだ齢(とし)若い血気の少年であるから、幽霊などがあるといったら、一概に貶(けな)すことだろうが、しかしそうばかりではなくこの世には、実に不思議なことが往々(おうおう)にしてあるものだから、今私がお前達(だち)にも談(はな)してきかせよう」と如意(にょい)片手に、白髯(しらひげ)長きこの老僧が、改(あらたま)って物語る談話(はなし)を聞けば、こうである。
「それは、まだ自分がこの寺の住職になってから、三四年の後(のち)のことであった、自分もその時分は三十前後のことだったが、冬のことで、ふと或(ある)晩、庫裏(くり)の大戸(おおと)を叩いて訪れるものがある、寺男は最早(もはや)寐(ね)ていたが、その音に眼を覚まして、寝ぼけ眼をこすりこすり戸を開けて見ると驚いた、近所に稀(ま)れな、盛装した、十八九の娘が立っていて、方丈の私に是非(ぜひ)会いたいというのであった。寺男も、この冬の晩遅くそんな女が、私に会いに来たのだから、余程、不思議に思って、急いで私の居間に来て、その由(よし)を告げた。私は少し思う所があったので、早速、その頃寺に居た徒弟共を一室(ひとま)に集めて、さて静かにいうには、今当山に訪れたものは、お前達(だち)も兼(かね)て知っておる通り、この一七日前に当山に於て葬礼の式を行った、新仏(しんぼとけ)の○○村の豪家(ごうか)○○氏の娘の霊である、何か故(ゆえ)のあって、今宵(こよい)娘の霊が来たのであろうから、お前達(だち)も後々(のちのち)の為(た)めに窃(ひそ)かにこれを見ておけと告げて、彼等徒弟は、そっと一室(ひとま)に隠れさしておき、寺男には、その娘に、中門(ちゅうもん)の庭より私の居間へ入来(はいりく)る様に命じてやった。私は直(すぐ)に起(た)ってそこの廊下の雨戸を一枚明(あ)けて、立って待っておると戸外(おもて)は朧(おぼろ)の夜で庭の面(おも)にはもう薄雪の一面に降っていた。やがて中門(ちゅうもん)より、庭の柴折戸(しおりど)を静かに開けて、温雅(しとやか)に歩み来る女を見ると、まぎれもないその娘だ、文金(ぶんきん)の高島田に振袖の裾(すそ)も長く、懐中から垂れている函迫(はこせこ)の銀の鏈(くさり)が、その朧(おぼろ)な雪明りに、きらきらと光って見える、俯向(うつむ)き勝(が)ちに歩むその姿は、また哀れが深くあった、私は懇(ねんご)ろに娘を室(へや)に招じて、来訪の用向(ようむき)を訊ねると、娘は両手を畳につきながらに、物静かにいうには、実は妾(わたし)は何某(なにがし)の娘で御座(ござ)いますが、今宵(こよい)折入って、御願(おねがい)に上った次第というのは、元来妾(わたし)はあの家の一粒種の娘であって、生前に於ても両親の寵愛も一方(ひとかた)では御座(ござ)いませんでした、最早(もう)妾(わたし)の婚礼も日がない、この一七日前(ぜん)に、妾(わたし)は遂(つい)に無常の風に誘(さそわ)れて果敢(はか)なくなりました身で御座(ござ)います、斯様(かよう)な次第故(ゆえ)、両親の悲歎は申すも中々(なかなか)の事、殊(こと)に母の心は如何(いか)ばかりかと思えば、妾(わたし)も安堵して、この世を去り兼(か)ねまするに、更(さ)らに、母は己の愛着のあまり、死出(しで)の姿にかうるに、この様な、妾(わたし)が婚礼の姿をその儘(まま)着せてくれまして、頭の髪も、こんな高田髷(たかたまげ)に結(ゆ)うて、厚化粧までしてもらったので、妾(わたし)は益々(ますます)この世に思(おもい)が残って、参るところへ参られぬ始末なので御座(ござ)います、何卒(なにとぞ)方丈様の御功徳(ごくどく)で、つゆも心残りなく、あの世に参れますよう、実は御願(おんねがい)に只今(ただいま)上りましたので御座(ござ)いますと、涙片手の哀訴に、私は直(ただ)ちに起(た)って、剃刀(かみそり)を持来(もちきた)って、立処(たちどころ)に、その娘の水の滴(た)るような緑の黒髪を、根元から、ブツリ切ると、娘は忽(たちま)ちその蒼白く美しい顔に、会心(かいしん)の笑(えみ)を洩(もら)して、一礼を述べて後(のち)、妾(わたし)がほんの志(こころ)ばかりの御礼の品にもと、兼(かね)てその娘が死せし際に、その枢(ひつぎ)に納めたという、その家に古くより伝わった古鏡(こきょう)と、それに、今切落(きりおと)した娘の黒髪とを形見に残して、喜んで再び庭より飛石伝えに中門(ちゅうもん)へ出(い)で行(ゆ)く姿を見ると、最早(もはや)今は全くこの世を思切(おもいき)りしものか、不思議な事は、スラリとしたその振袖姿の、袖や裾(すそ)のあたりが、恰度(ちょうど)蝉(せみ)の衣(ころも)のように、雪明りに透(す)いて見えて、それを通して、庭の梧桐(あおぎり)や金目(かなめ)などの木立がボーッと見えるのである、娘は柴折戸(しおりど)のところへ来ると今雨戸のところに立って見送っていた、私の方を振返(ふりかえ)って、莞爾(にっこり)と挨拶したが、それなりに、掻消(かきけ)す如くに中門(ちゅうもん)の方へ出て行ってしまった、この後(のち)は別に来なかったから、それで全く心残りなくなったものだろう、その黒髪と古鏡(こきょう)とは即(すなわ)ちこれだ」と先刻納所(なっしょ)をして、持ってこさした、桐の箱を開けると、中から出たは、パサパサになった女の黒髪と、最早(もう)曇って光沢のない古鏡(こきょう)であったので、当時血気な私初め傍(かたわら)に黙って聞いていた兵卒も、思わずゾッと戦慄したのであった。
 私は、その日この寺を辞して、宿所に帰ったが、この品は未(いま)だに、この寺に残っておるのである。
了

底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
   2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
   1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月22日作成
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