あらすじ
「もゝはがき」は、明治時代に活躍した斎藤緑雨の随筆作品です。日常の出来事や流行、世相などを、軽妙洒脱な筆致でつづった、ユーモラスな文章の数々。時に鋭い観察眼で社会を批評し、時に優しい筆致で人々の暮らしを描き出す、緑雨ならではの独特な世界観が楽しめます。
≪明治三十六年≫
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鷸(しぎ)にありては百羽掻也(もゝはがきなり)、僕にありては百端書也(もゝはがきなり)月(つき)や残(のこ)んの寝覚(ねざ)めの空(そら)老(おゆ)れば人の洒落(しやれ)もさびしきものと存候(ぞんじさふらふ)、僕(ぼく)昨今(さくこん)の境遇(きやうぐう)にては、御加勢(ごかせい)と申す程の事もなりかね候(さふら)へども、この命題(めいだい)の下(もと)に見るにまかせ聞くにまかせ、且(かつ)は思ふにまかせて過現来(くわげんらい)を問はず、われぞ数(かず)かくの歌の如(ごと)く其時々(そのとき/″\)の筆次第(ふでしだい)に郵便(いうびん)はがきを以(もつ)て申上候間(まうしあげさふらふあひだ)願(ねが)はくは其儘(そのまゝ)を紙面(しめん)の一隅(ぐう)に御列(おんなら)べ置(おき)被下度候(くだされたくさふらふ)、田(た)に棲(す)むもの、野に棲(す)むもの、鷸(しぎ)は四十八品(ひん)と称し候(そろ)とかや、僕のも豈夫(あにそ)れ調(てう)あり、御坐(ござ)います調(てう)あり、愚痴(ぐち)ありのろけあり花ならば色々(いろ/\)芥(あくた)ならば様々(さま/″\)、種類(しゆるゐ)を何(なに)と初めより一定不致候(いつていいたさずさふらう)十日に一通の事もあるべく一日に十通の事もあるべし、かき鳴らすてふ羽音(はおと)繁(しげ)きか、端書(はがき)繁(しげ)きか之(これ)を以(もつ)て僕が健康の計量器(けいりやうき)とも為(な)し被下度候(くだされたくそろ)勿々(さう/\)(十三日)
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今日(こんにち)不図(ふと)鉄道馬車(てつだうばしや)の窓より浅草(あさくさ)なる松田(まつだ)の絵看板(かんばん)を瞥見致候(べつけんいたしそろ)。ドーダ五十銭(せん)でこんなに腹が張つた云々(うん/\)野性(やせい)は遺憾(ゐかん)なく暴露(ばうろ)せられたる事に候(そろ)。其建物(そのたてもの)をいへば松田(まつだ)は寿仙(じゆせん)の跡也(あとなり)常磐(ときは)は萬梅(まんばい)の跡也(あとなり)今この両家(りやうけ)は御(ご)一人(にん)前(まへ)四十五銭と呼び、五十銭と呼びて、ペンキ塗(ぬり)競争(きやうそう)硝子張(がらすはり)競争(きやうそう)軒(のき)ランプ競争(きやうそう)に火花(ひばな)を散(ち)らし居(を)り候由(そろよし)に候(そろ)。見識(けんしき)と迂闊(うくわつ)は同根也(どうこんなり)、源平(げんぺい)の桃也(もゝなり)馬鹿(ばか)のする事なり。文明(ぶんめい)は銭(ぜに)のかゝらぬもの、腹のふくるゝものを求めて止(や)まざる事と相見(あひみ)え申候(まうしそろ)。(十四日)
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平民新聞(へいみんしんぶん)の創刊(そうかん)に賀(が)すべきは其門前(そのもんぜん)よりも其紙上(そのしゞやう)に酸漿提灯(ほうづきてうちん)なき事なり各国々旗(かくこく/\き)なき事なり市中音楽隊(しちうおんがくたい)なき事なり、即(すなは)ち一(いつ)の請負(》文字《うけおひもんじ)、損料文字(そんれうもんじ)をとゞめざる事なり。ト僕ガ言つてはヤツパリ広目屋臭(ひろめやくさ)い、追(おい)て悪言(あくげん)を呈(てい)するこれは前駆(ぜんく)さ、齷齪(あくせく)するばかりが平民(へいみん)の能でもないから、今一段の風流(ふうりう)気(き)を加味(かみ)したまへ但(たゞ)し風流(ふうりう)とは墨斗(やたて)、短冊(たんざく)瓢箪(へうたん)の謂(いひ)にあらず(十五日)


何(どれ)も是(こ)れも俊秀(しゆんしう)なら、俊秀(しゆんしう)は一山(ひとやま)百文(もん)だとも言得(いひえ)られる。さて其(その)俊秀(しゆんしう)なる当代(たうだい)の小説家(せうせつか)が普通日用(にちよう)の語をさへ知らぬ事は、ヒイキたる僕(ぼく)の笑止(せうし)とするよりも、残念とする所だが今ではこれが新聞記者にも及んだらしい。けふの萬朝報(よろづてうはう)に悪銭(あくせん)に詰まるとあるのは、悪の性質を収得(しうとく)と見ず、消費と見たので記者は悪銭(あくせん)身に附(つ)かずといふのと、悪所(あくしよ)の金には詰まるが習ひといふのと、此(この)二箇(こ)の俗諺(ぞくげん)を混同したものだらう。かゝる誤りは萬朝報(よろづてうはう)に最も少(すくな)かつたのだが、先頃(さきごろ)も外(ほか)ならぬ言論欄に辻待(つぢまち)の車夫(しやふ)一切(いつせつ)を朧朧(もうろう)と称(せう)するなど、大分(だいぶ)耳目(じもく)に遠いのが現(あら)はれて来た。これでは国語調査会(こくごてうさくわい)が小説家や新聞記者を度外視(どぐわしし)するのも無理はないと思ふ。萬朝報(よろづてうはう)に限らず当分(たうぶん)此類(このるゐ)のが眼(め)に触れたら退屈(たいくつ)よけに拾(ひろ)ひ上げて御覧(ごらん)に供(きよう)さう。(十五日)
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日向恋(ひなたこひ)しく河岸(かし)へ出ますと丁度(ちやうど)其処(そこ)へ鰻捕(うなぎと)る舟が来て居(い)ました。誰(たれ)もよくいふ口ですが気の長い訳(わけ)さね 或一人(あるひとり)が嘲笑(あざわら)ひますと又(また)、或一人(あるひとり)がさうでねえ、あれで一日(いちにち)何両(なんりやう)といふものになる事がある俺(わつち)が家(うち)の傍(そば)の鰻捺(うなぎか)ぎは妾(めかけ)を置いて居(ゐ)ますぜと、ジロリと此方(こなた)の頭の先から足の先迄(まで)見下(みおろ)しましたこのやうな問答(もんだう)は行水(ゆくみづ)の流れ絶(た)えず昔(むかし)から此河岸(このかし)に繰(く)り返(かへ)されるのですがたゞ其時(そのとき)私(わたくし)の面白いと思ひましたのは、見下(みおろ)した人も見下(みおろ)された人も、殆(ほとん)ど同じ態度に近寄りまして更(あらた)めて感(かん)に入(い)つた一呼吸(いつこきう)の裡(うち)にどちらもが妾(めかけ)のありさうにも有得(ありえ)さうにもないのゝ明(あきら)かな事でした即(すなは)ち妾(めかけ)を置きますのを、こよなき驕奢(けうしや)こよなき快楽としますやうな色が、其(その)どちらもの顔一杯(ぱい)に西日(にしび)と共に照(てり)渡つた事でした。(十六日)
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二の酉也(とりなり)、上天気也(じやうてんきなり)、大当(おほあた)り也(なり)と人の語り行(ゆ)くが聞(きこ)え申候(まうしそろ)。看上(みあ)ぐるばかりの大熊手(おほくまで)を担(かつ)ぎて、例(れい)の革羽織(かはばおり)の両国橋(りやうごくばし)の中央に差懸(さしかゝ)り候処(そろところ)一葬儀(いちさうぎ)の行列(ぎやうれつ)前方(ぜんほう)より来(きた)り候(そろ)を避(さ)くるに由(よし)なく忽(たちまち)ち之(これ)を河中(かちう)に投棄(なげす)て、買直(かいなほ)しだ/\と引返(ひきかへ)し候(そろ)を小生(せうせい)の目撃致候(もくげきいたしそろ)は、早(はや)十四五年(ねん)も前の昼の事に候(そろ)。けふ此頃(このごろ)の酉(とり)の市(まち)に参(まゐ)りて、エンギを申候(まうじそろ)ものにこの意義(いぎ)ありや、この愛敬(あいきやう)ありや。年季職人(ねんきしよくにん)の隊(たい)を組みて夜(よ)を喧鬨(けうがう)の為(た)めに蟻集(ぎしう)するに過ぎずとか申せば、多分(たぶん)斯(かく)の如(ごと)き壮快(さうくわい)なる滑稽(こつけい)は復(また)と見る能(あた)はざるべしと小生(せうせい)は存候(ぞんじそろ)(一七日)
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往還(わうくわん)よりすこし引入(ひきい)りたる路(みち)の奥(おく)に似(に)つかぬ幟(のぼり)の樹(た)てられたるを何かと問へば、酉(とり)の市(まち)なりといふ。行(ゆ)きて見るに稲荷(いなり)の祠(ほこら)なり。此地(こゝ)には妓楼(ぎろう)がありますでな、酉(とり)の無いのも異(い)なものぢやといふ事でと、神酒(みき)の番(ばん)するらしきが何(なに)ゆゑかあまたゝび顔撫(かほな)でながら、今日限(こんにちかぎ)り此祠(このほこら)を借(か)りましたぢや。これも六七年前。下総(しもふさ)は市川(いちかは)、中山(なかやま)、船橋辺(ふなばしへん)の郊行(かう/\)の興深(きようふか)からず、秋風(あきかぜ)の嚏(くさめ)となるを覚(おぼ)えたる時の事に候(そろ)。(十七日)
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人目(ひとめ)に附易(つきやす)き天井裏(てんじやうゝら)に掲(かゝ)げたる熊手(くまで)によりて、一年(ねん)若干(そくばく)の福利(ふくり)を掻(か)き招(まね)き得(う)べしとせば斃(たふ)せ/\の数(かず)ある呪(のろ)ひの今日(こんにち)に於(おい)て、そは余(あま)りに公明(こうめい)に失(しつ)したるものにあらずや
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銀座の大通(おほどう)りに空家(あきや)を見るは、帝都(ていと)の体面(たいめん)に関すと被説候人有之候(とかれそろひとこれありそろ)へども、これは今更(いまさら)の事に候(そろ)はず、東京(とうけふ)闢(ひら)けて銀座の大通(おほどほ)りの如(ごと)く、転変(てんぺん)の激(はげし)きは莫(な)しと某老人(ぼうらうじん)の申候(まうしそろ)其訳(そのわけ)は外充内空(ぐわいじうないくう)の商略(せふりやく)にたのみて、成敗(せいはい)の一挙(いつきよ)に決(けつ)せんと欲(ほつ)し候(そろ)人の、其家構(そのいへかま)へに於(おい)て、町構(まちかま)へに於(おい)て、同処(どうしよ)を利(り)と致候(いたしそろ)よりの事(こと)にて、今も店頭(てんとう)に堆(うつたか)きは資産(しさん)に非(あら)ず、負債(ふさい)なるが多きを占(し)むるよしの結果に候(そろ)、
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通抜(とほりぬけ)無用の札を路次口(ろじぐち)へ貼(は)つて置くのは、通抜(とほりぬけ)らるゝ事を表示(へうし)するやうなものだと言つた人があるが僕も先刻(せんこく)余儀(よぎ)なき用事で或抜裏(あるぬけうら)へ一足(ひとあし)這入(はい)るとすぐに妙(めう)なる二つの声を聞いた亭主(ていし)曰(いわ)く、いつまで饒舌(しやべ)つて居(い)やがるのだ、井戸端(ゐどばた)は米を磨(と)ぐ所で、油を売る所ぢやねえぞと。女房(にようぼ)曰(いわ)く、御大層(ごたいそう)な事をお言ひでないうちのお米が井戸端(ゐどばた)へ持つて出られるかえ其儘(そのまゝ)鳴(な)りの鎮(しづま)つたのは、辛辣(しんらつ)な後者の勝(かち)に帰したのだらう(十八日)
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鉄馬創業(てつばそうげふ)の際(さい)、大通(おほどほ)りの営業別(えいげふべつ)を調(しら)べたるに、新橋浅草間(しんばしあさくさかん)に湯屋(ゆや)は一軒(いつけん)なりしと、旧(ふる)けれどこれも其老人(そのらうじん)の話也(はなしなり)。勢(いきほひ)の自然(しぜん)と言つては堅過(かたす)ぎるが、成程(なるほど)江戸時代(えどじだい)から考(かんが)へて見ても、湯屋(ゆや)と与太郎(よたらう)とは横町(よこちやう)の方(ほう)が語呂(ごろ)がいゝ。(十八日)
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駆落(かけお)ちたりと申す語(ご)、今日(こんにち)の国民新聞(こくみんしんぶん)に見え申候(まうしそろ)茶漬(チヤヅ)る的(てき)筆法(ひつぱふ)の脱化(だくわ)とも申すべく候(そろ)。(十九日)
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無論一部の事には候(そろ)へども江戸(えど)つ子(こ)の略語(りやくご)に難有(ありがた)メの字(じ)と申すが有之(これあり)、難有迷惑(ありがためいわく)の意(い)に候(そろ)軽(かる)くメの字(じ)と略(りやく)し切りたる洒落工合(しやれぐあひ)が一寸(ちよつと)面白いと存候(ぞんじそろ)。(十九日)


親子(おやこ)若(もし)くは夫婦(ふうふ)が僅少(わづか)の手内職(てないしよく)に咽(むせ)ぶもつらき細々(ほそ/\)の煙(けむり)を立てゝ世が世であらばの嘆(たん)を発(はつ)し候(そろ)は旧時(きうじ)の作者が一場(いつぢやう)のヤマとする所に候(そろ)ひしも今時(こんじ)は小説演劇を取分(とりわ)けて申候迄(まうしさふらうまで)もなし実際に於(おい)てかゝる腑甲斐(ふがひ)なき生活状態の到底(たうてい)有得(ありう)べからざる儀(ぎ)となり申候(まうしそろ)、即(すなは)ち今時(こんじ)の内職(ないしよく)の目的(もくてき)は粥(かゆ)に非(あら)ず塩に非(あら)ず味噌(みそ)に非(あら)ず安コートを引被(ひつか)けんが為(ため)に候(そろ)安縮緬(やすちりめん)を巻附(まきつ)けんが為(ため)に候(そろ)今一歩をすゝめて遠慮(ゑんりよ)なく言はしめたまへ安俳優(やすはいいう)に贈り物をなさんが為(た)めに候(そろ)。行跡(ぎようせき)の稍(やゝ)正(たゞ)しと称(しよう)せらるゝ者も猶(なほ)親(おや)に秘(ひ)し夫に秘(ひ)して貯金帳(ちよきんてう)を所持(しよじ)せん為(ため)に候(そろ)。要(えう)するに娘が内職(ないしよく)するは親に関することなく妻が内職(ないしよく)は夫に関(くわん)することなし、一家(か)の経営上(けいえいじやう)全くこれは別口(べつくち)のお話とも申すべきものに候(そろ)。お前さんのは其処(そこ)にお葉漬(はづけ)かありますよ、これは儂(わたし)が儂(わたし)のお銭(あし)で買つたのですと天丼(てんどん)を抱(かゝ)へ込(こ)み候如(そろごと)きは敢(あへ)て社会下流(かりう)の事のみとも限(かぎ)られぬ形勢(けいせい)に候(そろ)内職(ないしよく)と人心(じんしん)、是亦(これまた)忽諸(こつしよ)に附(ふ)す可(べ)からざる一問題と存候(ぞんじそろ)。(二十日)
拭掃除(ふきさうじ)も面倒也(めんどうなり)、お茶拵(ちやごしら)へも面倒也(めんどうなり)内職婦人(ないしよくふじん)の時を惜(おし)むこと、金を惜(おし)むよりも甚(はなはだ)しく候(そろ)。煮染(にしめ)の行商(ぎやうせふ)はこれが為(ため)に起(おこ)りて、中々(なか/\)の繁昌(はんじやう)と聞き及(およ)び申候(まうしそろ)文明的(ぶんめいてき)に候(そろ)(二十日)
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自分(じぶん)が内職(ないしよく)の金(かね)で嫁入衣裳(よめいりいしよう)を調(とゝの)へた娘(むすめ)が間(ま)もなく実家(さと)へ還(かへ)つて来(き)たのを何故(なぜ)かと聞(き)くと先方(さき)の姑(しうと)が内職(ないしよく)をさせないからとの事(こと)ださうだ(二十日)
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底あり蓋(ふた)ありで親も咎(とが)めず、夫(をつと)も咎めぬものをアカの他人(たにん)が咎(とが)めても、ハイ、止(よ)しませうと出る筈(はず)のない事だが僕(ぼく)とても内職(ないしよく)其(その)ものを直々(ぢき/″\)に不可(わる)いといふのではない、つまらなく手を明(あ)けない為(た)めに始めた内職(ないしよく)が内職(ないしよく)の為(ため)につまらなく手を塞(ふさ)げない事になつて何(な)にも彼(か)にも免(まぬか)れぬ弊風(へいふう)といふのが時世(ときよ)なりけりで今では極点(きよくてん)に達(たつ)したのだ髪(かみ)だけは曰(いは)く有(あ)つて奇麗(きれい)にする年紀(としごろ)の娘がせつせと内職(ないしよく)に夜(よ)の目も合はさぬ時は算筆(さんぴつ)なり裁縫(さいほう)なり第一は起居(たちゐ)なりに習熟(しうじよく)すべき時は五十仕上(しあ)げた、一百(そく)仕方(しあ)げたに教育せられ薫陶(くんとう)せられた中から良妻賢母(れうさいけんぼ)も大袈裟(おほげさ)だが並(なみ)一人前の日本(にほん)婦人が出て来る訳(わけ)なら芥箱(ごみばこ)の玉子の殻(から)もオヤ/\鶏(とり)に化(くわ)さねばならない、さうなれば僕も山の芋(いも)を二三日(にさんにち)埋(い)けて置(お)いて竹葉(ちくえう)神田川(かんだがは)へ却売(おろしう)りをする。内職(ないしよく)ではない本業(ほんげふ)だ。(二十日)
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縁附(えんづ)きてより巳(すで)に半年(はんとし)となるに、何(なに)一つわが方(かた)に貢(みつ)がぬは不都合(ふつがふ)なりと初手(しよて)云々(うん/\)の約束にもあらぬものを仲人(なかうど)の宥(なだ)むれどきかず達(たつ)て娘を引戻(ひきもど)したる母親有之候(これありそろ)。聞けば此(この)母親娘が或(ある)お屋敷(やしき)の奥向(おくむき)に奉公中(ほうこうちう)臨時(りんじ)の頂戴物(てうだいもの)もある事なればと不用分(ふようぶん)の給料を送りくれたる味の忘られず父親のお人よしなるに附込(つけこ)みて飽迄(あくまで)不法(ふはふ)を陳(ちん)じたるものゝ由(よし)に候(そろ)。さては此(この)母親の言ふに言はれぬ、世帯(せたい)の魂胆(こんたん)もと知らぬ人の一旦(いつたん)は惑(まど)へど現在の内輪(うちわ)は娘が方(かた)よりも立優(たちまさ)りて、蔵(くら)をも建つべき銀行貯金の有るやに候(そろ)。間然(かんぜん)する所なしとのみ只(たゞ)今となりては他(た)に申すやうも無之候(これなくそろ)
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娘売らぬ親を馬鹿(ばか)だとは申し難(がた)く候(そろ)へども馬鹿(ばか)見たやうなものだとは申得(まうしえ)られ候(そろ)。婿(むこ)を買ふ者あり娘を売る者あり上下(じやうげ)面白き成行(なりゆき)に候(そろ)
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裾(すそ)曳摺(ひきず)りて奥様(おくさま)といへど、女は竟(つい)に女也(なり)当世(たうせい)の臍繰(へそくり)要訣(えうけつ)に曰(いわ)く出るに酒入(さけい)つても酒(さけ)、つく/\良人(やど)が酒浸(さけびた)して愛想(あいそう)の尽(つ)きる事もございますれど、其代(そのかは)りの一徳(とく)には月々(つき/\)の遣払(つかひはら)ひに、少々(せう/\)のおまじないが御座(ござ)いましても、酔(よ)つて居(ゐ)れば気の附(つ)く事ではございませぬ。
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縦令(たとへ)旦那様(だんなさま)が馴染(なじみ)の女の帯(おび)に、百金(きん)を抛(なげう)たるゝとも儂(わたし)が帯(おび)に百五十金(きん)をはずみ給(たま)はゞ、差引(さしひき)何の厭(いと)ふ所もなき訳也(わけなり)。この権衡(つりあひ)の失(うしな)はれたる時に於(おい)て胸(むな)づくしを取るも遅(おそ)からずとは、これも当世(たうせう)の奥様気質也(おくさまかたぎなり)、虎(とら)の巻(まき)の一節也(せつなり)。
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夫(をつと)をして三井(みつゐ)、白木(しろき)、下村(しもむら)の売出(うりだ)し広告(くわうこく)の前に立たしむればこれある哉(かな)必要(ひつえう)の一器械(きかい)なり。あれが欲(ほ)しいの愬(うつた)へをなすにあらざるよりは、毫(がう)もアナタの存在を認(みと)むることなし
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栄(さかえ)えよかしで祝(いは)はれて嫁(よめ)に来たのだ、改良竈(かいりやうかまど)と同じく燻(くすぶ)るへきではない、苦労(くらう)するなら一度還(かへ)つて出直(でなほ)さう。いかさまこれは至言(しげん)と考へる。
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黒縮(くろちり)つくりで裏(うら)から出て来たのは、豈斗(あにはか)らんや車夫(くるまや)の女房、一町(てう)許(ばかり)行(ゆ)くと亭主(ていし)が待つて居(ゐ)て、そらよと梶棒(かぢぼう)を引寄(ひきよ)すれば、衣紋(えもん)もつんと他人行儀(たにんぎようぎ)に澄(す)まし返りて急いでおくれ。女房も女房也(なり)亭主も亭主也、男女同権也(どだんじようけんなり)、五穀豊穣也(ごこくほうじようなり)、三銭均一也(せんきんいつなり)。これで女房が車から下(お)りて、アイと駄賃(だちん)を亭主に渡せば完璧々々(くわんぺき/\/\)
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状使のこれは極(きは)めて急なれば、車に乗りて行(ゆ)けと命(めい)ぜられたる抱車夫(かゝへしやふ)の、御用(ごよう)となれば精限(せいかぎ)り駈(か)けて駈(か)けて必(かなら)ずお間(ま)は欠(か)かざるべし、されど車に乗ると云(い)ふは、わが日頃(ひごろ)の誓(ちかひ)に反(そむ)くものなれば仰(おほ)せなれども御免下(ごめんくだ)されたし、好(この)みてするものはなき賤(いや)しき業(わざ)の、わが身も共々(とも/″\)に牛馬(ぎうば)に比(ひ)せらるゝを耻(はぢ)ともせず、おなじ思(おも)ひの人の車に乗りて命をも絞(しぼ)らん汗(あせ)の苦しきを見るに忍(しの)びねばと、足袋(たび)股引(もゝひき)の支度(したく)ながらに答へたるに人々(ひと/\)其(その)しをらしきを感じ合ひしがしをらしとは本(もと)此世(このよ)のものに非(あら)ずしをらしきが故(ゆゑ)に此男(このをとこ)の此世(このよ)の車夫(しやふ)とは落ちしなるべし。定(ぢやう)かや足は得洗(えあら)はで病(やまひ)の為(た)めに程(ほど)なく没(ぼつ)したりとぞ
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エモンを字の如(ごと)くイモンと読んで衣(きぬ)に附(つ)けた紋(もん)と心得(こゝろえ)て居(ゐ)た小説家(せうせつか)があつたさうだが、或(ある)若(わか)い御新造(ごしんぞう)が羽織(はをり)を幾枚(いくまい)こしらへても、実家(じつか)の紋(もん)を附けるのを隣の老婢(ばあや)が怪(あやし)んでたづねると、良人(やど)と儂(わたし)は歳(とし)の十幾(いく)つも違ふのですもの、永く役に立つやうにして置かねばと何でも無しの挨拶(あいさつ)に、流石(さすが)おせつかいの老婢(ばあや)もそれはそれはで引下(ひきさが)つたさうだ此処迄(こゝまで)来れば憾(うら)みは無い。
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いつの年(とし)でしたか私(わたくし)の乗りました車夫(くるまや)が足元(あしもと)へ搦(から)み着(つ)へた紙鳶(たこ)の糸目(いとめ)を丁寧(ていねい)に直して遣(や)りましたから、お前(まい)は子持(こもち)だねと申しましたら総領(そうりよう)が七(なゝ)つで男の子が二人(ふたり)あると申しました
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悠然(いうぜん)と車上(しやじよう)に搆(かま)へ込(こ)んで四方(しはう)を睥睨(へいげい)しつゝ駆(か)けさせる時は往来(わうらい)の奴(やつ)が邪魔(じやま)でならない右へ避(よ)け左へ避(さ)け、ひよろひよろもので往来(わうらい)を叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)(しつた)されつゝ歩く時は車上(しやじよう)の奴が(やつ)が癇癪(かんしやく)でならない。どちらへ廻(まは)つても気に喰(く)はない。
(以上十月二十日)
      ○
さうだ、こんな天気のいゝ時だと憶(おも)ひ起(おこ)し候(そろ)は、小生(せうせい)のいさゝか意(い)に満(み)たぬ事(こと)あれば、いつも綾瀬(あやせ)の土手(どて)に参(まゐ)りて、折(を)り敷(し)ける草の上に果(はて)は寝転(ねころ)びながら、青きは動かず白きは止(とゞ)まらぬ雲を眺(なが)めて、故(ゆゑ)もなき涙の頻(しき)りにさしぐまれたる事に候(そろ)。兄(あに)さん何して居(ゐ)るのだと舟大工(ふなだいく)の子の声を懸(か)け候(そろ)によれば其(その)時の小生(せうせい)は兄(あに)さんに候(そろ)如斯(かくのごと)きもの幾年(いくねん)厭(あ)きしともなく綾瀬(あやせ)に遠(とほざ)かり候(そろ)後(のち)は浅草公園(あさくさこうえん)の共同(きようどう)腰掛(こしかけ)に凭(もた)れて眼(め)の前を行交(ゆきか)ふ男女(なんによ)の年配(ねんぱい)、風体(ふうてい)によりて夫々(それ/″\)の身の上を推測(おしはか)るに、例(れい)の織(お)るが如(ごと)くなれば心(こゝろ)甚(はなは)だ忙(いそが)はしけれど南無(なむ)や大慈(たいじ)大悲(たいひ)のこれ程(ほど)なる消遣(なぐさみ)のありとは覚(おぼ)えず無縁(むえん)も有縁(うえん)の物語を作り得(え)て独(ひと)り窃(ひそか)にほゝゑまれたる事に候(そろ)。御覧(ごらん)よ、まだあの小父(おぢ)さんが居(ゐ)るよと小守娘(こもりむすめ)の指を差し候(そろ)によれば其(その)時の小生(せうせい)は小父(おぢ)さんに候(そろ)。猶(なほ)こゝに附記(ふき)すべき要件(えうけん)有之(これあり)兄(あに)さんの帰りは必ずよその家(いへ)に飲めもせぬ一抔の熱燗(あつかん)を呼び候(そろ)へども。小父(おぢ)さんの帰りはとつかはと馬車に乗りて喰(く)はねばならぬ我宿(わがやど)の三膳(ぜん)の冷飯(ひやめし)に急ぎ申候(まうしそろ)。今(いま)や則(すなは)ち如何(いかん)前便(ぜんびん)申上(まうしあ)げ候(そろ)通り、椽端(えんばた)の日向(ひなた)ぼつこに候(そろ)。
      ○
白氏(はくし)が晴天(せいてん)の雨の洒落(しやれ)ほどにはなく候(そろ)へども昨日(さくじつ)差上(さしあ)げ候(そろ)端書(はがき)十五枚(まい)もより風の枯木(こぼく)の吹けば飛びさうなるもののみ、何等(なんら)風情(ふぜい)をなすべくも候(そろ)はず、取捨(とりすて)は御随意(ごずいい)に候(そろ)骨(ほね)の折(を)れる事には随分(ずいぶん)骨を折り候(そろ)男と我(われ)ながらあとにて感服仕候(かんぷくつかまつりそろ)。日影(ひかげ)弱(よは)き初冬(はつふゆ)には稀(まれ)なる暖(あたゝか)さに候(そろ)まゝ寒斉(かんさい)と申すにさへもお耻(はづ)かしき椽端(えんばた)に出(い)でゝ今日(こんにち)は背を曝(さら)し居(を)り候(そろ)、所謂(いはゆる)日向(ひなた)ぼつこに候(そろ)日向(ひなた)ぼつこは今の小生(せうせい)が唯一(ゆいいつ)の楽しみに候(そろ)、人知(ひとし)らぬ楽しみに候(そろ)、病(や)むまじき事也(なり)衰(おとろ)ふまじき事也(なり)病(や)み衰(おとろ)へたる小生等(せうせいら)が骨は、人知(ひとし)らぬ苦(く)を以(もつ)て、人知(ひとし)らぬ楽(たのし)みと致候迄(いたしそろまで)に次第(しだい)に円(まる)く曲り行(ゆ)くものに候(そろ)。御憫笑可被下度候(ごびんせふくだされたくそろ)
      ○
読むのもいや書くのもいや、仕方(しかた)がないと申す時あるを小生(せうせい)は感じ申候(まうしそろ)。なまけ者の証拠(しようこ)と存候(ぞんじそろ)この仕方(しかた)がない時江川(えがは)の玉乗りを見るに定(さだ)めたる事有之候(これありそろ)、飛離(とびはな)れて面白いでもなく候(そろ)へどもほかの事の仕方(しかた)がないにくらべ候(そろ)へばいくらか面白かりしものと存候(ぞんじそろ)たゞ其頃(そのころ)小生(せうせい)の一奇(き)と致候(いたしそろ)は萬場(ばんじやう)の観客(かんかく)の面白げなるべきに拘(かゝわ)らず、面白(おもしろ)げなる顔色(がんしよく)の千番(せんばん)に一番捜(さが)すにも兼合(かねあひ)と申(もう)すやらの始末(しまつ)なりしに候(そろ)度々(たび/″\)の実験(じつけん)なれば理窟(りくつ)は申(まう)さず、今も然(しか)なるべくと存候(ぞんじそろ)愈々(いよ/\)益々(ます/\)然(しか)なるべくと存候(ぞんじそろ)。認(したゝ)め了(をは)りて此(この)一通の段落を見るに「と存候(ぞんじそろ)」の行列也(ぎやうれつなり)、更(さら)に一つを加へて悪文(あくぶん)と存候(ぞんじそろ)
      ○
容易(ようい)に胸隔(きようかく)を開(ひら)かぬ日本人(にほんじん)は容易(ようい)に胸隔(きようかく)を閉(と)つる日本人(にほんじん)に候(そろ)、失望(しつぼう)の相(さう)ならざるなしと、甞(かつ)て内村(うちむら)先生申され候(そろ)。然(しか)り小生(せうせい)も日本人(にほんじん)に候(そろ)拒(こば)まざるが故(ゆゑ)に此言(このげん)を為(な)し候(そろ)
(以上十一月廿一日)
了

底本:「明治の文学 第15巻 斎藤緑雨」筑摩書房
   2002(平成4)年7月25日初版第1刷発行
底本の親本:「緑雨遺稿」木下出版商社
   1907(明治40)年10月
初出:「平民新聞 第2、4、5、6、8号」平民社
   1903(明治36)年11月22日〜1904(明治37)年1月3日
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
入力:H.YAM
校正:noriko saito
2010年1月15日作成
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