あらすじ
文政初年、比野大納言資治卿の館に奇怪な事件が起こります。満願の法要を終え、卿がお奥へ向かう途中、藤の局と出会いますが、そこへ突如、抜刀した男が現れます。藤の局は男を落ち着かせ、館の外へ誘導しますが、男はなかなか従おうとしません。男の正体、そして館に起きた事件の真相とは…?
        一

 伝へ聞く……文政(ぶんせい)初年の事である。将軍家の栄耀(えよう)其極(そのきょく)に達して、武家の代(よ)は、将(まさ)に一転機を劃(かく)せんとした時期だと言ふ。
 京都に於て、当時第一の名門であつた、比野大納言資治卿(ひのだいなごんやすはるきょう)(仮)の御館(みたち)の内に、一日(あるひ)偶(ふ)と人妖(じんよう)に斉(ひと)しい奇怪なる事が起つた。
 其(そ)の年、霜月(しもつき)十日は、予(かね)て深く思召(おぼしめ)し立つ事があつて、大納言卿、私(わたくし)ならぬ祈願のため、御館の密室に籠(こも)つて、護摩(ごま)の法を修(しゅ)せられた、其の結願(けちがん)の日であつた。冬の日は分けて短いが、まだ雪洞(ぼんぼり)の入らない、日暮方(ひくれがた)と云ふのに、滞(とどこお)りなく式が果てた。多日(しばらく)の精進潔斎(しょうじんけっさい)である。世話に云ふ精進落(しょうじんおち)で、其辺(そのへん)は人情に変りはない。久しぶりにて御休息のため、お奥に於て、厚き心構(こころがまえ)の夕餉(ゆうがれい)の支度が出来た。
 其処(そこ)で、御簾中(ごれんちゅう)が、奥へ御入(おんい)りある資治卿を迎(むかえ)のため、南御殿(みなみごてん)の入口までお立出(たちいで)に成る。御前(おんまえ)を間(あわい)三間(げん)ばかりを隔(へだ)つて其の御先払(おさきばらい)として、袿(うちぎ)、紅(くれない)の袴(はかま)で、裾(すそ)を長く曳(ひ)いて、静々(しずしず)と唯(ただ)一人、折(おり)から菊、朱葉(もみじ)の長廊下(ながろうか)を渡つて来たのは藤(ふじ)の局(つぼね)であつた。
 此(こ)の局は、聞えた美女で、年紀(とし)が丁(ちょう)ど三十三、比野(ひの)の御簾中と同年であつた。半月ばかり、身にいたはりがあつて、勤(つとめ)を引いて引籠(ひきこも)つて居たのが、此の日修法(しゅほう)ほどき、満願の御二方(おふたかた)の心祝(こころいわい)の座に列するため、久しぶりで髪容(かみかたち)を整へたのである。畳廊下(たたみろうか)に影がさして、艶麗(えんれい)に、然(しか)も軟々(なよなよ)と、姿は黒髪とともに撓(しな)つて見える。
 背後(うしろ)に……たとへば白菊(しらぎく)と称(とな)ふる御厨子(みずし)の裡(うち)から、天女(てんにょ)の抜出(ぬけい)でたありさまなのは、貴(あて)に気高い御簾中である。
 作者は、委(くわ)しく知らないが、此(これ)は事実ださうである。他(た)に女(め)の童(わらわ)の影もない。比野卿の御館(みたち)の裡(うち)に、此の時卿を迎ふるのは、唯(ただ)此の方(かた)たちのみであつた。
 また、修法の間(ま)から、脇廊下(わきろうか)を此方(こなた)へ参らるゝ資治卿の方は、佩刀(はかせ)を持つ扈従(こしょう)もなしに、唯(ただ)一人なのである。御家風(ごかふう)か質素か知らない。此の頃の恁(こ)うした場合の、江戸の将軍家――までもない、諸侯(だいみょう)の大奥と表(おもて)の容体(ようだい)に比較して見るが可(よ)い。
 で、藤の局(つぼね)の手で、隔てのお襖(ふすま)をスツと開(あ)ける。……其処(そこ)で、卿と御簾中(ごれんちゅう)が、一所(いっしょ)にお奥へと云ふ寸法であつた。
 傍(かたわら)とも云ふまい。片あかりして、冷(つめた)く薄暗い、其の襖際(ふすまぎわ)から、氷のやうな抜刀(ぬきみ)を提げて、ぬつと出た、身の丈(たけ)抜群な男がある。唯(と)、間(なか)二三尺(じゃく)隔てたばかりで、ハタと藤の局と面(おもて)を合せた。
 局が、其の時、はつと袖屏風(そでびょうぶ)して、間(なか)を遮(さえぎ)ると斉(ひと)しく、御簾中の姿は、すつと背後向(うしろむき)に成つた――丈(たけ)なす黒髪が、緋(ひ)の裳(もすそ)に揺(ゆら)いだが、幽(かすか)に、雪よりも白き御横顔(おんよこがお)の気高さが、振向(ふりむ)かれたと思ふと、月影に虹(にじ)の影の薄れ行く趣(おもむき)に、廊下を衝(つつ)と引返(ひきかえ)さる。
「一(ひと)まづ。」
 と、局が声を掛けて、腰をなよやかに、片手を膝(ひざ)に垂れた時、早(は)や其の襖際に気勢(けはい)した資治(やすはる)卿の跫音(あしおと)の遠ざかるのが、静(しずか)に聞えて、もとの脇廊下(わきろうか)の其方(そなた)に、厳(おごそか)な衣冠束帯(いかんそくたい)の姿が――其の頃の御館(みたち)の状(さま)も偲(しの)ばれる――襖(ふすま)の羽目(はめ)から、黄菊(きぎく)の薫(かおり)ともろともに漏(も)れ透いた。
 藤の局は騒がなかつた。
「誰(たれ)ぢや、何ものぢや。」
「うゝ。」
 と呻(うめ)くやうに言つて、ぶる/\と、ひきつるが如く首を掉(ふ)る。渠(かれ)は、四十ばかりの武士(さむらい)で、黒の紋着(もんつき)、袴(はかま)、足袋跣(たびはだし)で居た。鬢(びん)乱れ、髻(もとどり)はじけ、薄痘痕(うすあばた)の顔色(がんしょく)が真蒼(まっさお)で、両眼(りょうがん)が血走つて赤い。酒気は帯びない。宛如(さながら)、狂人、乱心のものと覚えたが、いまの気高い姿にも、慌(あわ)てゝあとへ退(ひ)かうとしないで、ひよろりとしながら前へ出る時、垂々(たらたら)と血の滴(したた)るばかり抜刀(ばっとう)の冴(さえ)が、脈(みゃく)を打つてぎらりとして、腕はだらりと垂れつつも、切尖(きっさき)が、じり/\と上へ反(そ)つた。
 局(つぼね)は、猶予(ためら)はず、肩をすれ違ふばかり、ひた/\と寄添(よりそ)つて、
「其方(そなた)……此方(こちら)へ。」
 ひそみもやらぬ黛(まゆずみ)を、きよろりと視(み)ながら、乱髪抜刀の武士(さむらい)も向きかはつた。
 其(それ)をば少しづゝ、出口へ誘ふやうに、局は静々(しずしず)と紅(くれない)の袴を廊下に引く。
 勿論、兇器(きょうき)は離さない。上(うわ)の空(そら)の足が躍(おど)つて、ともすれば局の袴に躓(つまず)かうとする状(さま)は、燃立(もえた)つ躑躅(つつじ)の花の裡(うち)に、鼬(いたち)が狂ふやうである。
「関東の武家のやうに見受けますが、何(ど)うなさつた。――此処(ここ)は、まことに恐(おそれ)多い御場所(ごばしょ)。……いはれなう、其方(そなた)たちの来る処(ところ)ではないほどに、よう気を鎮(しず)めて、心を落着けて、可(よ)いかえ。咎(とが)も被(き)せまい、罪にもせまい。妾(わらわ)が心で見免(みのが)さうから、可(よ)いかえ、柔順(おとな)しく御殿を出(で)や。あれを左へ突当(つきあた)つて、ずツと右へ廻つてお庭に出(で)や。お裏門の錠はまだ下りては居(い)ぬ。可(よ)いかえ。」
「うゝ。」
「分つたな。」
「うーむ。」
 雖然(けれども)、局(つぼね)が立停(たちどま)ると、刀とともに奥の方へ突返(つっかえ)らうとしたから、其処(そこ)で、袿(うちぎ)の袖(そで)を掛けて、曲(くせ)ものの手を取つた。それが刀を持たぬ方の手なのである。荒(あら)き風に当るまい、手弱女(たおやめ)の上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)(じょうろう)の此の振舞(ふるまい)は讃歎に値する。
 さて手を取つて、其のまゝなやし/\、お表出入口の方へ、廊下の正面を右に取つて、一曲(ひとまが)り曲つて出ると、杉戸(すぎと)が開(あ)いて居て、畳(たたみ)の真中に火桶(ひおけ)がある。
 其処(そこ)には、踏んで下りる程の段はないが、一段低く成つて居た。ために下りるのに、逆上した曲ものの手を取つた局は、渠(かれ)を抱くばかりにしたのである。抱くばかりにしたのだが、余所目(よそめ)には手負(てお)へる鷲(わし)に、丹頂(たんちょう)の鶴(つる)が掻掴(かいつか)まれたとも何ともたとふべき風情(ふぜい)ではなかつた。
 折悪(おりあし)く一人の宿直士(とのい)、番士(ばんし)の影も見えぬ。警護の有余(ありあま)つた御館(おやかた)ではない、分けて黄昏(たそがれ)の、それぞれに立違(たちちが)つたものと見える。欄間(らんま)から、薄(うす)もみぢを照(てら)す日影が映(さ)して、大(おおき)な番火桶(ばんひおけ)には、火も消えかゝつて、灰ばかり霜(しも)を結んで侘(わび)しかつた。
 局が、自分先(ま)づ座に直(なお)つて、
「とにかく、落着いて下に居(い)や。」
 曲(くせ)ものは、仁王立(におうだち)に成つて、じろ/\と瞰下(みおろ)した。しかし足許(あしもと)はふら/\して居る。
「寒いな、さ、手をかざしや。」
 と、美しく艶(えん)なお局(つぼね)が、白く嫋(しなや)かな手で、炭(す)びつを取つて引寄せた。
「うゝ、うゝ。」
 とばかりだが、それでも、どつかと其処(そこ)に坐つた。
「其方(そち)は煙草(たばこ)を持たぬかえ。」
 すると、此の乱心ものは、慌(あわただ)しさうに、懐中を開(あ)け、袂(たもと)を探した。それでも鞘(さや)へは納めないで、大刀(だんびら)を、ズバツと畳(たたみ)に突刺(つっさ)したのである。
 兇器(きょうき)が手を離るゝのを視(み)て、局は渠(かれ)が煙草入(たばこいれ)を探す隙(すき)に、そと身を起して、飜然(ひらり)と一段、天井の雲に紛(まぎ)るゝ如く、廊下に袴(はかま)の裙(すそ)が捌(さば)けたと思ふと、武士(さむらい)は武(む)しや振(ぶ)りつくやうに追縋(おいすが)つた。
「ほ、ほ、ほ。」
 と、局は、もの優しく微笑(ほほえ)んで、また先の如く手を取つて、今度は横斜違(よこはすかい)に、ほの暗い板敷(いたじき)を少時(しばし)渡ると、※(ぱっ)[#「火+發」、193-13]ともみぢの緋の映る、脇廊下(わきろうか)の端へ出た。
 言ふまでもなく、今は疾(と)くに、資治卿は影も見えない。
 もみぢが、ちら/\とこぼれて、チチチチと小鳥が鳴く。
「千鳥(ちどり)、千鳥。……」
 と※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)(ろう)たく口誦(くちずさ)みながら、半(なか)ば渡ると、白木(しらき)の階(きざはし)のある処(ところ)。
「千鳥、千鳥、あれ/\……」
 と且(か)つ指(ゆびさ)し、且つ恍惚(うっとり)と聞きすます体(てい)にして、
「千鳥や、千鳥や。」
 と、やゝ声を高うした。
 向う前栽(せんざい)の小縁(こえん)の端へ、千鳥と云ふ、其の腰元(こしもと)の、濃い紫(むらさき)の姿がちらりと見えると、もみぢの中をくる/\と、鞠(まり)が乱れて飛んで行(ゆ)く。
 恰(あたか)も友呼ぶ千鳥の如く、お庭へ、ぱら/\と人影が黒く散つた。
 其時(そのとき)、お局(つぼね)が、階下へ導いて下(お)り状(ざま)に、両手で緊(しっか)と、曲(くせ)ものの刀(かたな)持つ方の手を圧(おさ)へたのである。
「うゝ、うゝむ。」
「あゝ、御番(ごばん)の衆、見苦しい、お目触(めざわ)りに、成ります。……括(くく)るなら、其の刀を。――何事も情(なさけ)が卿様(だんなさま)の思召(おぼしめし)。……乱心ものゆゑ穏便(おんびん)に、許して、見免(みのが)して遣(や)つてたも。」
 牛蒡(ごぼう)たばねに、引括(ひきくく)つた両刀を背中に背負(しょ)はせた、御番の衆は立ちかゝつて、左右から、曲者(くせもの)の手を引張つて遠ざかつた。
 吻(ほっ)と呼吸(いき)して、面(おもて)の美しさも凄(すご)いまで蒼白(あおじろ)く成りつつ、階(きざはし)に、紅(くれない)の袴(はかま)をついた、お局(つぼね)の手を、振袖(ふりそで)で抱いて、お腰元の千鳥は、震へながら泣いて居る。いまの危(あやう)さを思ふにつけ、安心の涙である。
 下々(しもじも)の口から漏(も)れて、忽(たちま)ち京中(きょうちゅう)洛中(らくちゅう)は是沙汰(これさた)だが――乱心ものは行方が知れない。

        二

「やあ、小法師(こほうし)。……」
 こゝで読者に、真夜中の箱根の山を想像して頂きたい。同時に、もみぢと、霧(きり)と、霜(しも)と、あの蘆(あし)の湖(こ)と、大空の星とを思ひ浮べて頂きたい。
 繰返して言ふが、文政(ぶんせい)初年霜月(しもつき)十日の深夜なる、箱根の奥の蘆の湖の渚(なぎさ)である。
 霧は濃くかゝつたが、関所は然(さ)まで遠くない。峠(とうげ)も三島寄(みしまより)の渚に、憚(はばか)らず、ばちや/\と水音(みずおと)を立てるものがある。さみしさも静けさも、霜に星のきらめくのが、かち/\と鳴りさうなのであるから、不断の滝よりは、此の音が高く響く。
 鷺(さぎ)、獺(かわうそ)、猿(ましら)の類(たぐい)が、魚(うお)を漁(あさ)るなどとは言ふまい。……時と言ひ、場所と言ひ、怪(け)しからず凄(すさま)じいことは、さながら狼(おおかみ)が出て竜宮の美女たちを追廻(おいまわ)すやうである。
 が、耳も牙(きば)もない、毛坊主(けぼうず)の円頂(まるあたま)を、水へ逆(さかさま)に真俯向(まうつむ)けに成つて、麻(あさ)の法衣(ころも)のもろ膚(はだ)脱いだ両手両脇へ、ざぶ/\と水を掛ける。――恁(かか)る霜夜(しもよ)に、掻乱(かきみだ)す水は、氷の上を稲妻(いなずま)が走るかと疑はれる。
 あはれ、殊勝な法師や、捨身(しゃしん)の水行(すいぎょう)を修(しゅ)すると思へば、蘆(あし)の折伏(おれふ)す枯草(かれくさ)の中に籠(かご)を一個(ひとつ)差置(さしお)いた。が、鯉(こい)を遁(にが)した畚(びく)でもなく、草を刈(か)る代(しろ)でもない。屑屋(くずや)が荷(にな)ふ大形(おおがた)な鉄砲笊(てっぽうざる)に、剰(あまつさ)へ竹のひろひ箸(ばし)をスクと立てたまゝなのであつた。
「やあ、小法師(こほうし)、小法師。」
 もの幻の霧の中に、あけの明星の光明(こうみょう)が、嶮山(けんざん)の髄(ずい)に浸透(しみとお)つて、横に一幅(ひとはば)水が光り、縦に一筋(ひとすじ)、紫(むらさき)に凝(こ)りつつ真紅(まっか)に燃ゆる、もみぢに添ひたる、三抱余(みかかえあま)り見上げるやうな杉の大木(たいぼく)の、梢(こずえ)近い葉の中から、梟(ふくろう)の叫ぶやうな異様なる声が響くと、
「羽黒(はぐろ)の小法師ではないか。――小法師。」
 と言ふ/\、枝葉(えだは)にざわ/\と風を立てて、然(しか)も、音もなく蘆の中に下立(おりた)つたのは、霧よりも濃い大山伏(おおやまぶし)の形相である。金剛杖(こんごうづえ)を丁(ちょう)と脇挟(わきばさ)んだ、片手に、帯の結目(むすびめ)をみしと取つて、黒紋着(くろもんつき)、袴(はかま)の武士(さむらい)を俯向(うつむ)けに引提(ひきさ)げた。
 武士(ぶし)は、紐(ひも)で引(ひっ)からげて胸へ結んで、大小を背中に背負(しょ)はされて居る。卑俗な譬(たとえ)だけれど、小児(こども)が何とかすると町内を三遍(べん)廻らせられると言つた形で、此が大納言の御館(みたち)を騒がした狂人であるのは言ふまでもなからう。
「おう、」
 と小法師の擡(もた)げた顔の、鼻は鉤形(かぎなり)に尖(とが)つて、色は鳶(とび)に斉(ひと)しい。青黒(あおぐろ)く、滑々(ぬらぬら)とした背膚(せはだ)の濡色(ぬれいろ)に、星の影のチラ/\と映(さ)す状(さま)は、大鯰(おおなまず)が藻(も)の花を刺青(ほりもの)したやうである。
「これは、秋葉山(あきばさん)の御行者(おぎょうじゃ)。」
 と言ひながら、水しぶきを立てて、身体(からだ)を犬ぶるひに振つた。
「御身(おみ)は京都の返りだな。」
「然(さ)れば、虚空(こくう)を通り掛(がか)りぢや。――御坊(ごぼう)によう似たものが、不思議な振舞(ふるまい)をするに依(よ)つて、大杉(おおすぎ)に足を踏留(ふみと)めて、葉越(はごし)に試みに声を掛けたが、疑ひもない御坊と視(み)て、拙道(せつどう)、胆(きも)を冷(ひや)したぞ。はて、時ならぬ、何のための水悪戯(みずいたずら)ぢや。悪戯(いたずら)は仔細ないが、羽(は)ぶしの怪我(けが)で、湖(うみ)に墜(お)ちて、溺(おぼ)れたのではないかと思うた。」
「はゝ。」
 と事もなげに笑つて、
「いや、些(ち)と身に汚(けが)れがあつて、不精(ぶしょう)に、猫の面洗(つらあら)ひと遣(や)つた。チヨイ/\とな。はゝゝゝ明朝(あした)は天気だ。まあ休め。」
 と法衣(ころも)の袖(そで)を通して言ふ。……吐(は)く呼吸(いき)の、ふか/\と灰色なのが、人間のやうには消えないで、両個(ふたつ)とも、其のまゝからまつて、ぱつと飛んで、湖の面(おもて)に、名の知れぬ鳥が乱れ立つ。
 羽黒の小法師(こほうし)、秋葉の行者(ぎょうじゃ)、二個は疑(うたがい)もなく、魔界の一党、狗賓(ぐひん)の類属。東海、奥州、ともに名代(なだい)の天狗(てんぐ)であつた。

        三

「成程(なるほど)、成程、……御坊(ごぼう)の方は武士(さむらい)であつた。」
 行者が、どたりと手から放すと、草にのめつた狂人を見て、――小法師が言つたのである。
「然(さ)れば、此ぢや。……浜松の本陣から引攫(ひきさろ)うて持つて参つて、約束通り、京極、比野大納言殿の御館(おんやかた)へ、然(しか)も、念入りに、十二間(けん)のお廊下へドタリと遣(や)つた。」
「おゝ御館(おやかた)では、藤の局(つぼね)が、我折(がお)れ、かよわい、女性(にょしょう)の御身(おんみ)。剰(あまつさ)へ唯(ただ)一人にて、すつきりとしたすゞしき取計(とりはから)ひを遊ばしたな。」
「ほゝう。」
 と云つた山伏(やまぶし)は、真赤な鼻を撮(つま)むやうに、つるりと撫(な)でて、
「最早知つたか。」
「洛中(らくちゅう)の是沙汰(これさた)。関東一円、奥州まで、愚僧が一山(いっさん)へも立処(たちどころ)に響いた。いづれも、京方(きょうがた)の御為(おんため)に大慶(たいけい)に存ぜられる。此とても、お行者のお手柄だ、はて敏捷(すばや)い。」
「やあ、如何(いかが)な。すばやいは御坊ぢやが。」
「さて、其が過失(あやまり)。……愚僧、早合点(はやがてん)の先ばしりで、思ひ懸(が)けない隙入(ひまいり)をした。御身(おみ)と同然に、愚僧等(ら)御司配(ごしはい)の命令(おおせ)を蒙(こうむ)り、京都と同じ日、先(ま)づ/\同じ刻限に、江戸城へも事を試みる約束であつたれば、千住(せんじゅ)の大橋(おおはし)、上野の森を一(ひと)のしに、濠端(ほりばた)の松まで飛んで出た。かしこの威徳衰(おとろ)へたりと雖(いえど)も、さすがは征夷(せいい)大将軍の居城(きょじょう)だ、何処(いずこ)の門も、番衆、見張、厳重にして隙間(すきま)がない。……ぐるり/\と窺(うかが)ふうちに、桜田門の番所傍(そば)の石垣から、大(おおき)な蛇(へび)が面(つら)を出して居るのを偶(ふ)と見つけた。霞(かすみ)ヶ関(せき)には返り咲(ざき)の桜が一面、陽気はづれの暖かさに、冬籠(ふゆごも)りの長隠居、炬燵(こたつ)から這出(はいだ)したものと見える。早(は)や往来(おうらい)は人立(ひとだち)だ。
 処(ところ)へ、遙(はるか)に虚空(こくう)から大鳶(おほとび)が一羽(いちわ)、矢のやうに下(おろ)いて来て、すかりと大蛇(おおへび)を引抓(ひきつか)んで飛ばうとすると、這奴(しゃつ)も地所持(じしょもち)、一廉(いっかど)のぬしと見えて、やゝ、其の手は食(く)はぬ。さか鱗(うろこ)を立てて、螺旋(らせん)に蜿(うね)り、却(かえ)つて石垣の穴へ引かうとする、抓(つか)んで飛ばうとする。揉(も)んだ、揉んだ。――いや、夥(おびただ)しい人群集(ひとだかり)だ。――そのうちに、鳶の羽(は)が、少しづゝ、石垣の間(あいだ)へ入る――聊(いささ)かは引いて抜くが、少しづゝ、段々に、片翼(かたつばさ)が隠れたと思ふと、するりと呑(の)まれて、片翼だけ、ばさ/\ばさ、……煽(あお)つて煽つて、大(おお)もがきに藻掻(もが)いて堪(こら)へる。――見物は息を呑(の)んだ。」
「うむ/\。」
 と、山伏(やまぶし)も息を呑む。
「馬鹿鵄(ばかとび)よ、くそ鳶(とび)よ、鳶(とんび)、鳶(とんび)、とりもなほさず鳶(とび)は愚僧だ、はゝゝゝ。」
 と高笑ひして、
「何と、お行者(ぎょうじゃ)、未熟なれども、羽黒の小法師(こほうし)、六尺(しゃく)や一丈(じょう)の蛇(ながむし)に恐れるのでない。こゝが術(て)だ。人間の気を奪ふため、故(ことさ)らに引込(ひきこ)まれ/\、やがて忽(たちま)ち其(その)最後の片翼(かたつばさ)も、城の石垣につツと消えると、いままで呼吸(いき)を詰めた、群集(ぐんじゅ)が、阿(あ)も応(おう)も一斉(いっとき)に、わツと鳴つて声を揚げた。此の人声(ひとごえ)に驚いて、番所の棒が揃(そろ)つて飛出(とびだ)す、麻上下(あさがみしも)が群れ騒ぐ、大玄関(おおげんかん)まで騒動の波が響いた。
 驚破(すわ)、そのまぎれに、見物の群集(ぐんじゅ)の中から、頃合(ころあい)なものを引攫(ひきさら)つて、空からストンと、怪我(けが)をせぬやうに落(おと)いた。が、丁度(ちょうど)西の丸の太鼓櫓(たいこやぐら)の下の空地だ、真昼間(まっぴるま)。」
「妙(みょう)。」
 と、山伏がハタと手を搏(う)つて、
「御坊(ごぼう)が落した、試みのものは何ぢや。」
「屑屋(くずや)だ。」
「はて、屑屋とな。」
「紙屑買(かみくずかい)――即(すなわ)ち此だ。」
 と件(くだん)の大笊(おおざる)を円袖(まるそで)に掻寄(かきよ)せ、湖の水の星あかりに口を向けて、松虫(まつむし)なんぞを擽(くすぐ)るやうに笊(ざる)の底を、ぐわさ/\と爪で掻くと、手足を縮めて掻(かい)すくまつた、垢(あか)だらけの汚(きたな)い屑屋が、ころりと出た。が、出ると大きく成つて、ふやけたやうに伸びて、ぷるツと肩を振つて、継ぎはぎの千草(ちぐさ)の股引(ももひき)を割膝(わりひざ)で、こくめいに、枯蘆(かれあし)の裡(なか)にかしこまる。
 此の人間の気が、ほとぼりに成つて通(かよ)つたと見える。ぐたりと蛙(かえる)を潰(つぶ)したやうに、手足を張つて平(へた)ばつて居た狂気武士(きちがいざむらい)が、びくりとすると、むくと起きた。が、藍(あい)の如き顔色(がんしょく)して、血走つたまゝの目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)りつつ、きよとりとして居る。

        四

 此の時代の、事実として一般に信ぜられた記録がある。――薩摩(さつま)鹿児島に、小給(しょうきゅう)の武士の子で年(とし)十四に成るのが、父の使(つかい)に書面を持つて出た。朝五(いつ)つ時(どき)の事で、侍町(さむらいまち)の人通りのない坂道を上(のぼ)る時、大鷲(おおわし)が一羽、虚空(こくう)から巌(いわ)の落下(おちさが)るが如く落して来て、少年を引掴(ひっつか)むと、忽(たちま)ち雲を飛んで行く。少年は夢現(ゆめうつつ)ともわきまへぬ。が、とに角(かく)大空を行くのだから、落つれば一堪(ひとたま)りもなく、粉微塵(こなみじん)に成ると覚悟して、風を切る黒き帆のやうな翼の下に成るがまゝに身をすくめた。はじめは双六(すごろく)の絵を敷いた如く、城が見え、町が見え、ぼうと霞(かす)んで村里(むらざと)も見えた。やがて渾沌(こんとん)瞑々(めいめい)として風の鳴るのを聞くと、果(はて)しも知らぬ渺々(びょうびょう)たる海の上を翔(か)けるのである。いまは、運命に任せて目を瞑(つむ)ると、偶(ふ)と風も身も動かなく成つた。我に返ると、鷲(わし)は大(おおい)なる樹(き)の梢(こずえ)に翼を休めて居る。が、山の峰の頂(いただき)に、さながら尖塔(せんとう)の立てる如き、雲を貫(つらぬ)いた巨木(きょぼく)である。片手を密(そ)つと動かすと自由に動いた。
 時に、脇指(わきゆび)の柄(え)に手を掛けはしたものの、鷲のために支へられて梢に留(と)まつた身体(からだ)である。――殺しおほせるまでも、渠(かれ)を疵(きず)つけて地に落されたら、立処(たちどころ)に五体が砕けよう。が、此のまゝにしても生命(いのち)はあるまい。何(ど)う処置しようと猶予(ためら)ふうちに、一打(ひとう)ち煽(あお)つて又飛んだ。飛びつつ、いつか地にやゝ近く、ものの一二間(けん)を掠(かす)めると見た時、此の沈勇(ちんゆう)なる少年は、脇指を引抜(ひきぬ)きざまにうしろ突(づき)にザクリと突く。弱る処(ところ)を、呼吸(いき)もつかせず、三刀(みかたな)四刀(よかたな)さし通したので、弱果(よわりは)てて鷲が仰向(あおむ)けに大地に伏す、伏しつつ仰向けに飜(ひるがえ)る腹に乗つて、柔(やわらか)い羽根蒲団(はねぶとん)に包まれたやうに、ふはふはと落ちた。
 恰(あたか)も鷲の腹からうまれたやうに、少年は血を浴びて出たが、四方、山また山ばかり、山嶽(さんがく)重畳(ちょうじょう)として更に東西を弁(べん)じない。
 とぼ/\と辿(たど)るうち、人間の木樵(きこり)に逢(あ)つた。木樵は絵の如く斧(おの)を提げて居る。進んで礼して、城下を教へてと言つて、且(か)つ道案内(みちあんない)を頼むと、城下とは何んぢやと言つた。お城を知らないか、と言ふと、知んねえよ、とけろりとして居る。薄給でも其の頃の官員の忰(せがれ)だから、向う見ずに腹を立てて、鹿児島だい、と大きく言ふと、鹿児島とは、何処(どこ)ぢやと言ふ。おのれ、日本(にっぽん)の薩摩国(さつまのくに)鹿児島を知らぬかと呼ばはると、伸び/\とした鼻の下を漸(やっ)と縮めたのは、大(おおき)な口を開(あ)けて呆(あき)れたので。薩摩は此処(ここ)から何千里あるだい、と反対(あべこべ)に尋ねたのである。少年も少し心着(こころづ)いて、此処(ここ)は何処(どこ)だらう、と聞いた時、はじめて知つた。木曾の山中(やまなか)であつたのである。
 此処(ここ)で、二人で、始めて鷲の死体を見た。
 麓(ふもと)へ連下(つれくだ)つた木樵が、やがて庄屋(しょうや)に通じ、陣屋に知らせ、郡(こおり)の医師を呼ぶ騒ぎ。精神にも身体(からだ)にも、見事異状がない。――鹿児島まで、及ぶべきやうもないから、江戸の薩摩屋敷まで送り届けた。
 朝五(いつ)つ時(どき)、宙に釣(つ)られて、少年が木曾山中(さんちゅう)で鷲の爪を離れたのは同じ日の夕(ゆうべ)。七つ時、間(あいだ)は五時(いつとき)十時間である。里数は略(ほぼ)四百里であると言ふ。
 ――鷲でさへ、まして天狗(てんぐ)の業(わざ)である。また武士(さむらい)が刀を抜いて居たわけも、此の辺で大抵想像が着くであらう。――
 ものには必ず対(つい)がある、序(ついで)に言はう。――是(これ)と前後して近江(おうみ)の膳所(ぜぜ)の城下でも鷲が武士の子を攫(さら)つた――此は馬に乗つて馬場に居たのを鞍(くら)から引掴(ひっつか)んで上(あが)つたのであるが、此の時は湖水の上を颯(さっ)と伸(の)した。刀は抜けて湖(うみ)に沈んで、小刀(しょうとう)ばかり帯に残つたが、下(した)が陸(くが)に成つた時、砂浜の渚(なぎさ)に少年を落して、鷲は目の上の絶壁の大巌(おおいわ)に翼を休めた。しばらくして、どつと下(おろ)いて、少年に飛(とび)かゝつて、顔の皮を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)(むし)りくらはんとする処(ところ)を、一生懸命脇差(わきざし)でめくら突(づ)きにして助かつた。人に介抱(かいほう)されて、後(のち)に、所を聞くと、此の方は近かつた。近江の湖岸で、里程は二十里。――江戸と箱根は是(これ)より少し遠い。……
 それから、人間が空をつられて行く状(さま)に参考に成るのがある。……此は見たものの名が分つて居る。讃州高松(さんしゅうたかまつ)、松平侯の世子(せいし)で、貞五郎(ていごろう)と云ふのが、近習(きんじゅう)たちと、浜町(はまちょう)矢の倉の邸(やしき)の庭で、凧(たこ)を揚げて遊んで居た。
 些(ち)と寒いほどの西風で、凧に向つた遙か品川の海の方から、ひら/\と紅(あか)いものが、ぽつちりと見えて、空中を次第に近づく。唯(と)、真逆(まっさかさ)になった[#「なった」はママ]女で、髪がふはりと下に流れて、無慙(むざん)や真白な足を空に、顔は裳(もすそ)で包まれた。ヒイと泣叫(なきさけ)ぶ声が悲しげに響いて、あれ/\と見るうちに、遠く筑波(つくば)の方へ霞(かす)んで了(しま)つた。近習たちも皆見た。丁(ちょう)ど日中(ひるなか)で、然(しか)も空は晴れて居た。――膚(はだ)も衣(きぬ)もうつくしく蓑虫(みのむし)がぶらりと雲から下(さが)つたやうな女ばかりで、他(た)に何も見えなかつた。が、天狗(てんぐ)が掴(つか)んだものに相違ない、と云ふのである。
 けれども、こゝなる両個(ふたつ)の魔は、武士(さむらい)も屑屋(くずや)も逆(さかさま)に釣(つ)つたのではないらしい。

        五

「ふむ、……其処(そこ)で肝要な、江戸城の趣(おもむき)は如何(いかが)であつたな。」
「いや以ての外(ほか)の騒動だ。外濠(そとぼり)から竜(りょう)が湧(わ)いても、天守へ雷(らい)が転がつても、太鼓櫓(たいこやぐら)の下へ屑屋が溢(こぼ)れたほどではあるまいと思ふ。又、此の屑屋が興(きょう)がつた男で、鉄砲笊(てっぽうざる)を担(かつ)いだまゝ、落ちた処(ところ)を俯向(うつむ)いて、篦鷺(へらさぎ)のやうに、竹の箸(はし)で其処等(そこら)を突(つっ)つきながら、胡乱々々(うろうろ)する。……此を高櫓(たかやぐら)から蟻(あり)が葛籠(つづら)を背負(しょ)つたやうに、小さく真下(まっした)に覗(のぞ)いた、係りの役人の吃驚(びっくり)さよ。陽(ひ)の面(おもて)の蝕(むしば)んだやうに目が眩(くら)んで、折からであつた、八(や)つの太鼓を、ドーン、ドーン。」
 と小法師(こほうし)なるに力ある声が、湖水に響く。ドーンと、もの凄(すご)く谺(こだま)して、
「ドーン、ドーンと十三打つた。」
「妙(みょう)。」と、又乗出(のりだ)した山伏(やまぶし)が、
「前代未聞。」と言(ことば)の尾を沈めて、半(なか)ば歎息して云つた。
「謀叛人(むほんにん)が降つて湧いて、二(に)の丸(まる)へ取詰(とりつ)めたやうな騒動だ。将軍の住居(すまい)は大奥まで湧上(わきあが)つた。長袴(ながばかま)は辷(すべ)る、上下(かみしも)は蹴躓(けつまず)く、茶坊主(ちゃぼうず)は転ぶ、女中は泣く。追取刀(おっとりがたな)、槍(やり)、薙刀(なぎなた)。そのうち騎馬で乗出(のりだ)した。何と、紙屑買(かみくずかい)一人を、鉄砲づくめ、槍襖(やりぶすま)で捕(とら)へたが、見ものであつたよ。――国持諸侯(くにもちだいみょう)が虱(しらみ)と合戦(かっせん)をするやうだ。」
「真(まこと)か、それは?」
「云ふにや及ぶ。」
「あゝ幕府の運命は、それであらかた知れた。――」
「む、大納言殿御館(おやかた)では、大刀(だんびら)を抜いた武士(さむらい)を、手弱女(たおやめ)の手一つにて、黒髪一筋(ひとすじ)乱さずに、もみぢの廊下を毛虫の如く撮出(つまみだ)す。」
「征夷大将軍の江戸城に於ては、紙屑買唯(ただ)一人を、老中(ろうじゅう)はじめ合戦の混乱ぢや。」
「京都の御(おん)ため。」
 と西に向つて、草を払つて、秋葉の行者(ぎょうじゃ)と、羽黒の小法師(こほうし)、揃(そろ)つて、手を支(つ)いて敬伏(けいふく)した。
「小虫(しょうちゅう)、微貝(びばい)の臣等(しんら)……」
「欣幸(きんこう)、慶福(けいふく)。」
「謹(つつし)んで、万歳を祝(しゅく)し奉(たてまつ)る。」

        六

「さて、……町奉行(まちぶぎょう)が白洲(しらす)を立てて驚いた。召捕(めしと)つた屑屋を送るには、槍、鉄砲で列をなしたが、奉行役宅(やくたく)で突放(つっぱな)すと蟇(ひきがえる)ほどの働きもない男だ。横から視(み)ても、縦から視ても、汚(きたな)い屑屋に相違あるまい。奉行は継上下(つぎがみしも)、御用箱、うしろに太刀持(たちもち)、用人(ようにん)、与力(よりき)、同心徒(どうしんであい)、事も厳重に堂々と並んで、威儀を正して、ずらりと蝋燭(ろうそく)に灯(ひ)を入れた。
 灯を入れて、更(あらた)めて、町奉行が、余(あまり)の事に、櫓下(やぐらした)を胡乱(うろ)ついた時と、同じやうな状(さま)をして見せろ、とな、それも吟味(ぎんみ)の手段とあつて、屑屋を立たせて、笊(ざる)を背負(しょ)はせて、煮(に)しめたやうな手拭(てぬぐい)まで被(かぶ)らせた。が、猶(なお)の事だ。今更ながら、一同の呆(あき)れた処(ところ)を、廂(ひさし)を跨(また)いで倒(さかしま)に覗(のぞ)いて狙(ねら)つた愚僧だ。つむじ風を哄(どっ)と吹かせ、白洲(しらす)の砂利(じゃり)をから/\と掻廻(かきまわ)いて、パツと一斉に灯を消した。逢魔(おうま)ヶ時(どき)の暗(くら)まぎれに、ひよいと掴(つか)んで、空(くう)へ抜けた。お互に此処等(ここら)は手軽い。」
「いや、しかし、御苦労ぢや。其処(そこ)で何か、すぐに羽黒へ帰らいで、屑屋を掴んだまゝ、御坊(ごぼう)関所近(ぢか)く参られたは、其の男に後難(ごなん)あらせまい遠慮かな。」
「何、何、愚僧が三度息を吹掛(ふきか)け、あの身体中(からだじゅう)まじなうた。屑買(くずかい)が明日(あす)が日、奉行の鼻毛を抜かうとも、嚔(くさめ)をするばかりで、一向(いっこう)に目は附けん。其処(そこ)に聊(いささか)も懸念はない。が、正直な気のいゝ屑屋だ。不便(ふびん)や、定めし驚いたらう。……労力(ほねおり)やすめに、京見物をさせて、大仏前の餅(もち)なりと振舞(ふるま)はうと思うて、足ついでに飛んで来た。が、いや、先刻の、それよ。……城の石垣に於て、大蛇(おおへび)と捏合(こねお)うた、あの臭気(におい)が脊筋(せすじ)から脇へ纏(まと)うて、飛ぶほどに、駈(か)けるほどに、段々堪(たま)らぬ。よつて、此の大盥(おおだらい)で、一寸(ちょっと)行水(ぎょうずい)をばちや/\遣(や)つた。
 愚僧は好事(ものずき)――お行者こそ御苦労な。江戸まで、あの荷物を送(おくり)と見えます。――武士(さむらい)は何とした、心(しん)が萎(な)えて、手足が突張(つっぱ)り、殊(こと)の外(ほか)疲れたやうに見受けるな。」
「おゝ、其の武士(さむらい)は、部役(ぶやく)のほかに、仔細あつて、些(ち)と灸(きゅう)を用ゐたのぢや。」
「道理こそ、……此は暑からう。待て/\、お行者(ぎょうじゃ)。灸と言へば、煙草(たばこ)が一吹(ひとふか)し吹したい。丁(ちょう)ど、あの岨道(そばみち)に蛍(ほたる)ほどのものが見える。猟師が出たな。火縄(ひなわ)らしい。借りるぞよ。来い。」
 とハタと掌(てのひら)を一つ打つと、遙(はるか)に隔(へだ)つた真暗(まっくら)な渚(なぎさ)から、キリ/\/\と舞ひながら、森も潜(くぐ)つて、水の面(おも)を舞つて来るのを、小法師(こほうし)は指の先へ宙で受けた。つはぶきの葉を喇叭(らっぱ)に巻いたは、即(すなわ)ち煙管(きせる)で。蘆(あし)の穂といはず、草と言はず※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)(むし)り取つて、青磁色(せいじいろ)の長い爪に、火を翳(かざ)して、ぶく/\と吸(すい)つけた。火縄を取つて、うしろ状(ざま)の、肩越(かたごし)に、ポン、と投げると、杉の枝に挟まつて、ふつと消えたと思つたのが、めら/\と赤く燃上(もえあが)つた。ぱち/\と鳴ると、双子山颪(ふたごやまおろし)颯(さっ)として、松明(たいまつ)ばかりに燃えたのが、見る/\うちに、轟(ごう)と響いて、凡(およ)そ片輪車(かたわぐるま)の大きさに火の搦(から)んだのが、梢(こずえ)に掛(かか)つて、ぐる/\ぐる/\と廻る。
 此の火に照(てら)された、二個の魔神の状(さま)を見よ。けたゝましい人声(ひとごえ)幽(かすか)に、鉄砲を肩に、猟師が二人のめりつ、反(そ)りつ、尾花(おばな)の波に漂うて森の中を遁(に)げて行く。
 山兎(やまうさぎ)が二三疋(びき)、あとを追ふやうに、躍(おど)つて駈(か)けた。
「小法師、あひかはらず悪戯(いたずら)ぢや。」
 と兜(かぶと)のやうな額皺(ひたいじわ)の下に、恐(おそろ)しい目を光らしながら、山伏(やまぶし)は赤い鼻をひこ/\と笑つたが、
「拙道(せつどう)、煙草(たばこ)は不調法(ぶちょうほう)ぢや。然(さ)らば相伴(しょうばん)に腰兵糧(こしびょうろう)は使はうよ。」
 と胡坐(あぐら)かいた片脛(かたずね)を、づかりと投出(なげだ)すと、両手で逆に取つて、上へ反(そら)せ、膝(ひざ)ぶしからボキリボキリ、ミシリとやる。
「うゝ、うゝ。」
「あつ。」
 と、武士(さむらい)と屑屋は、思はず声を立てたのである。
 見向きもしないで、山伏は挫折(へしお)つた其の己(おの)が片脛を鷲掴(わしづか)みに、片手で踵(きびす)が穿(は)いた板草鞋(いたわらじ)を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)(むし)り棄(す)てると、横銜(よこぐわ)へに、ばり/\と齧(かじ)る……
 鮮血(なまち)の、唇を滴々(たらたら)と伝ふを視(み)て、武士(さむらい)と屑屋は一(ひと)のめりに突伏(つっぷ)した。
 不思議な事には、へし折つた山伏の片脛のあとには、又おなじやうな脛が生えるのであつた。
 杉なる火の車は影を滅(け)した。寂寞(せきばく)として一層もの凄(すご)い。
「骨も筋もないわ、肝魂(きもたましい)も消えて居る。不便(ふびん)や、武士(さむらい)……詫(わび)をして取らさうか。」
 と小法師が、やゝもの静(しずか)に、
「お行者よ。灸(きゅう)とは何かな。」

        七

 此の間(ま)に――
「塩辛(しおから)い。」
 と言ふ山伏(やまぶし)の声がして、がぶ/\。
「塩辛い。」
 と言つて、湖水の水を、がぶ/\と飲んだ――
「お行者(ぎょうじゃ)。」
「其の武士(さむらい)は、小堀伝十郎(こぼりでんじゅうろう)と申す――陪臣(ばいしん)なれど、それとても千石(せんごく)を食(は)むのぢや。主人の殿(との)は松平大島守(まつだいらおおしまのかみ)と言ふ……」
「西国方(さいこくがた)の諸侯(だいみょう)だな。」
「されば御譜代(ごふだい)。将軍家に、流(ながれ)も源(みなもと)も深い若年寄(わかどしより)ぢや。……何と御坊(ごぼう)。……今度、其の若年寄に、便宜(べんぎ)あつて、京都比野大納言殿より、(江戸隅田川の都鳥(みやこどり)が見たい、一羽首尾ようして送られよ。)と云ふお頼みがあつたと思へ。――御坊の羽黒、拙道(せつどう)の秋葉に於いても、旦那(だんな)たちがこの度(たび)の一儀(いちぎ)を思ひ立たれて、拙道等(ら)使(つかい)に立つたも此のためぢや。申さずとも、御坊は承知と存ずるが。」
「はあ、然(そ)うか、いや知らぬ、愚僧早走(はやばし)り、早合点(はやがってん)の癖で、用だけ聞いて、して来いな、とお先ばしりに飛出(とびで)たばかりで、一向(いっこう)に仔細は知らぬ。が、扨(さて)は、根ざす処(ところ)があるのであつたか。」
「もとよりぢや。――大島守(おおしまのかみ)が、此の段、殿中に於いて披露に及ぶと、老中(ろうじゅう)はじめ額(ひたい)を合せて、
 此は今めかしく申すに及ばぬ。業平朝臣(なりひらあそん)の(名にしおはゞいざこととはむ)歌の心をまのあたり、鳥の姿に見たいと言ふ、花につけ、月につけ、をりからの菊(きく)紅葉(もみじ)につけての思(おも)ひ寄(より)には相違あるまい。……大納言心(こころ)では、将軍家は、其の風流の優しさに感じて、都鳥をば一番(ひとつがい)、そつと取り、紅(くれない)、紫(むらさき)の房(ふさ)を飾つた、金銀蒔絵(まきえ)の籠(かご)に据(す)ゑ、使(つかい)も狩衣(かりぎぬ)に烏帽子(えぼし)して、都にのぼす事と思はれよう。ぢやが、海苔(のり)一帖(じょう)、煎餅(せんべい)の袋にも、贈物(おくりもの)は心すべきぢや。すぐに其は対手(あいて)に向ふ、当方の心持(こころもち)の表(しるし)に相成(あいな)る。……将軍家へ無心(むしん)とあれば、都鳥一羽も、城一つも同じ道理ぢや。よき折から京方(かみがた)に対し、関東の武威をあらはすため、都鳥を射(い)て、鴻(こう)の羽(はね)、鷹(たか)の羽(は)の矢を胸(むな)さきに裏掻(うらか)いて貫(つらぬ)いたまゝを、故(わざ)と、蜜柑箱(みかんばこ)と思ふが如何(いかが)、即ち其の昔、権現様(ごんげんさま)戦場お持出(もちだ)しの矢疵(やきず)弾丸痕(たまあと)の残つた鎧櫃(よろいびつ)に納めて、槍(やり)を立てて使者を送らう。と言ふ評定(ひょうじょう)ぢや。」
「気障(きざ)な奴だ。」
「むゝ、先(ま)づ聞けよ。――評定は評定なれど、此を発議(ほつぎ)したは今時の博士(はかせ)、秦四書頭(はたししょのかみ)と言ふ親仁(おやじ)ぢや。」
「あの、親仁(おやじ)。……予(かね)て大島守(おおしまのかみ)に取入(とりい)ると聞いた。成程(なるほど)、其辺(そのへん)の催(もよお)しだな。積(つも)つても知れる。老耄(おいぼれ)儒者めが、家(うち)に引込(ひっこ)んで、溝端(どぶばた)へ、桐(きり)の苗(なえ)でも植ゑ、孫娘の嫁入道具の算段なりとして居(お)れば済むものを――いや、何時(いつ)の世にも当代におもねるものは、当代の学者だな。」
「塩辛い……」
 と山伏(やまぶし)は、又したゝか水を飲んで、
「其処(そこ)でぢや……松平大島守、邸(やしき)は山ぢやが、別荘が本所大川(ほんじょおおかわ)べりにあるに依(よ)り、かた/″\大島守か都鳥を射(い)て取る事に成つた。……此の殿、聊(いささ)かものの道理を弁(わきま)へてゐながら、心得違ひな事は、諸事万端、おありがたや関東の御威光がりでな。――一年(ひととせ)、比野大納言、まだお年若(としわか)で、京都御名代(ごみょうだい)として、日光の社参(しゃさん)に下(くだ)られたを饗応(きょうおう)して、帰洛(きらく)を品川へ送るのに、資治(やすはる)卿の装束(しょうぞく)が、藤色(ふじいろ)なる水干(すいかん)の裾(すそ)を曳(ひ)き、群鵆(むらちどり)を白く染出(そめい)だせる浮紋(うきもん)で、風折烏帽子(かざおりえぼし)に紫(むらさき)の懸緒(かけお)を着けたに負けない気で、此(この)大島守は、紺染(こんぞめ)の鎧直垂(よろいひたたれ)の下に、白き菊綴(きくとじ)なして、上には紫の陣羽織。胸をこはぜ掛(がけ)にて、後(うしろ)へ折開(おりひら)いた衣紋着(えもんつき)ぢや。小袖(こそで)と言ふのは、此れこそ見よがしで、嘗(かつ)て将軍家より拝領の、黄なる地(じ)の綾(あや)に、雲形(くもがた)を萌葱(もえぎ)で織出(おりだ)し、白糸(しろいと)を以て葵(あおい)の紋着(もんつき)。」
「うふ。」
 と小法師(こほうし)が噴笑(ふきだ)した。
「何と御坊(ごぼう)。――資治卿が胴袖(どてら)に三尺(さんじゃく)もしめぬものを、大島守其(そ)の装(なり)で、馬に騎(の)つて、資治卿の駕籠(かご)と、演戯(わざおぎ)がかりで向合(むかいあ)つて、どんなものだ、とニタリとした事がある。」
「気障(きざ)な奴だ。」
「大島守は、おのれ若年寄の顕達(けんたつ)と、将軍家の威光、此見(これみ)よがしの上に、――予(かね)て、資治卿が美男におはす、従つて、此の卿一生のうちに、一千人の女を楽(たのし)む念願あり、また婦人の方より恁(かく)と知りつつ争つて媚(こび)を捧げ、色を呈(てい)する。専(もっぱ)ら当代の在五中将(ざいごちゅうじょう)と言ふ風説(うわさ)がある――いや大島守、また相当の色男がりぢやによつて、一つは其嫉(ねた)みぢや……負けまい気ぢや。
 されば、名にしおはゞの歌につけて、都鳥の所望(しょもう)にも、一つは曲(ね)つたものと思つて可(よ)い。
 また此の、品川で、陣羽織菊綴(きくとじ)で、風折烏帽子(かざおりえぼし)紫(むらさき)の懸緒(かけお)に張合(はりあ)つた次第を聞いて、――例の天下の博士(はかせ)めが、(遊ばされたり、老生(ろうせい)も一度其(そ)の御扮装を拝見。)などと申す。
 処(ところ)で、今度、隅田川両岸(りょうがん)の人払(ひとばらい)、いや人よせをして、件(くだん)の陣羽織、菊綴、葵紋服(あおいもんぷく)の扮装(いでたち)で、拝見ものの博士を伴ひ、弓矢を日置流(へぎりゅう)に手(た)ばさんで静々(しずしず)と練出(ねりだ)した。飛びも、立ちもすれば射取(いと)られう。こゝに可笑(おかし)な事は、折から上汐(あげしお)満々たる……」蘆の湖は波一条(じょう)、銀河を流す気勢(けはい)がした。
「かの隅田川に、唯(ただ)一羽なる都鳥があつて、雪なす翼は、朱鷺色(ときいろ)の影を水脚(みずあし)に引いて、すら/\と大島守の輝いて立つ袖(そで)の影に入(い)るばかり、水岸(みずぎし)へ寄つて来た。」
「はて、それはな?」
「誰も知るまい。――大島守の邸(やしき)に、今年二十になる(白妙(しろたえ)。)と言つて、白拍子(しらびょうし)の舞(まい)の手(て)だれの腰元が一人あるわ――一年(ひととせ)……資治卿を饗応の時、酒宴(うたげ)の興に、此の女が一(ひと)さし舞つた。――ぢやが、新曲とあつて、其の今様(いまよう)は、大島守の作る処(ところ)ぢや。」
「迷惑々々。」
「中に(時鳥(ほととぎす))何とかと言ふ一句がある。――白妙が(時鳥)とうたひながら、扇をかざして膝(ひざ)をついた。時しも屋(や)の棟(むね)に、時鳥が一(いっ)せいしたのぢや。大島守の得意、察するに余(あまり)ある。……ところが、時鳥は勝手に飛んだので、……こゝを聞け、御坊(ごぼう)よ。
 白妙は、資治卿の姿に、恍惚(うっとり)と成つたのぢや。
 大島守は、折に触れ、資治卿の噂(うわさ)をして、……その千人の女に契(ちぎ)ると言ふ好色をしたゝかに詈(ののし)ると、……二人三人の妾(めかけ)妾(てかけ)、……故(わざ)とか知らぬ、横肥(よこぶと)りに肥つた乳母(うば)まで、此れを聞いて爪(つま)はじき、身ぶるひをする中(うち)に、白妙唯(ただ)一人、(でも。)とか申して、内々(ないない)思ひをほのめかす、大島守は勝手が違ふ上に、おのれ容色(きりょう)自慢だけに、いまだ無理口説(むりくどき)をせずに居(お)る。
 其の白妙が、めされて都に上(のぼ)ると言ふ、都鳥の白粉(おしろい)の胸に、ふつくりと心魂(こころだましい)を籠(こ)めて、肩も身も翼に入れて憧憬(あこが)れる……其の都鳥ぢや。何と、遁(に)げる処(どころ)ではあるまい。――しかし、人間には此は解らぬ。」
「むゝ、聞えた。」
「都鳥は手とらまへぢや。蔵人(くらんど)の鷺(さぎ)ならねども、手どらまへた都鳥を見て、将軍の御威光、殿の恩徳(おんとく)とまでは仔細ない、――別荘で取つて帰つて、羽(は)ぶしを結(ゆわ)へて、桜の枝につるし上げた。何と、雪白(せっぱく)裸身の美女を、梢(こずえ)に的(まと)にした面影(おもかげ)であらうな。松平大島守源(みなもと)の何某(なにがし)、矢の根にしるして、例の菊綴(きくとじ)、葵(あおい)の紋服(もんぷく)、きり/\と絞つて、兵(ひょう)と射(い)たが、射た、が。射たが、薩張(さっぱり)当らぬ。
 尤(もっと)も、此の無慙(むざん)な所業を、白妙は泣いて留(と)めたが、聴(き)かれさうな筈(はず)はない。
 拝見の博士(はかせ)の手前――二(に)の矢(や)まで射損(いそん)じて、殿、怫然(ふつぜん)とした処(ところ)を、(やあ、飛鳥(ひちょう)、走獣(そうじゅう)こそ遊ばされい。恁(かか)る死的(しにまと)、殿には弓矢の御恥辱(おんちじょく)。)と呼ばはつて、ばら/\と、散る返咲(かえりざき)の桜とともに、都鳥の胸をも射抜(いぬ)いたるは……
 ……塩辛い。」
 と山伏(やまぶし)は又湖水を飲む音。舌打(したうち)しながら、
「ソレ、其処(そこ)に控へた小堀伝十郎、即ち彼ぢや。……拙道(せつどう)が引掴(ひっつか)んだと申して、決して不忠不義の武士(さむらい)ではない。まづ言はば大島守には忠臣ぢや。
 さて、処(ところ)で、矢を貫(つらぬ)いた都鳥を持つて、大島守登営(とえい)に及び、将軍家一覧の上にて、如法(にょほう)、鎧櫃(よろいびつ)に納めた。
 故(わざ)と、使者差立(さした)てるまでもない。ぢやが、大納言の卿に、将軍家よりの御進物(ごしんもつ)。よつて、九州へ帰国の諸侯が、途次(みちすがら)の使者兼帯、其の武士(さむらい)が、都鳥の宰領(さいりょう)として、罷出(まかりい)でて、東海道を上(のぼ)つて行く。……
 秋葉の旦那(だんな)、つむじが曲つた。颶風(はやて)の如く、御坊(ごぼう)の羽黒と気脈を通じて、またゝく間(ま)の今度の催(もよおし)。拙道(せつどう)は即ち仰(おおせ)をうけて、都鳥の使者が浜松の本陣へ着いた処(ところ)を、風呂にも入れず、縁側から引攫(ひっさら)つた。――武士(さむらい)の這奴(しゃつ)の帯の結目(ゆいめ)を掴(つか)んで引釣(ひきつ)ると、斉(ひと)しく、金剛杖(こんごうづえ)に持添(もちそ)へた鎧櫃(よろいびつ)は、とてもの事に、狸(たぬき)が出て、棺桶(かんおけ)を下げると言ふ、古槐(ふるえんじゅ)の天辺へ掛け置いて、大井(おおい)、天竜、琵琶湖(びわこ)も、瀬多(せた)も、京の空へ一飛(ひととび)ぢや。」
 と又がぶりと水を飲んだ。
「時に、……時にお行者(ぎょうじゃ)。矢を貫(つらぬ)いた都鳥は何とした。」
「それぢや。……桜の枝に掛(かか)つて、射貫(いぬか)れたとともに、白妙(しろたえ)は胸を痛めて、どつと……息も絶々(たえだえ)の床(とこ)に着いた。」
「南無三宝(なむさんぼう)。」
「あはれと思(おぼ)し、峰、山、嶽(たけ)の、姫たち、貴夫人たち、届かぬまでもとて、目下(もっか)御介抱(ごかいほう)遊ばさるる。」
「珍重(ちんちょう)。」
 と小法師(こほうし)が言つた。
「いや、安心は相成(あいな)らぬ。が、かた/″\の御心(ごしん)もじ、御如才(おじょさい)はないかに存ずる。やがて、此の湖上にも白い姿が映るであらう。――水も、夜(よ)も、さて更(ふ)けた。――武士(さむらい)。」
 と呼んで、居直(いなお)つて、
「都鳥もし蘇生(よみがえ)らず、白妙なきものと成らば、大島守を其のまゝに差置(さしお)かぬぞ、と確(しか)と申せ。いや/\待て、必ず誓つて人には洩(もら)すな。――拙道の手に働かせたれば、最早(もは)や汝(そち)は差許(さしゆる)す。小堀伝十郎、確(しか)とせい、伝十郎。」
「はつ。」
 と武士(さむらい)は、魂とともに手を支(つ)いた。こゝに魂と云ふは、両刀の事ではない。

        八

「何と御坊」
 と、少時(しばらく)して山伏(やまぶし)が云つた。
「思ひ懸(が)けず、恁(かか)る処(ところ)で行逢(ゆきお)うた、互(たがい)の便宜(べんぎ)ぢや。双方、彼等(かれら)を取替(とりか)へて、御坊(ごぼう)は羽黒へ帰りついでに、其の武士(さむらい)を釣(つ)つて行く、拙道(せつどう)は一翼(ひとつばさ)、京へ伸(の)して、其の屑屋(くずや)を連れ参つて、大仏前の餅(もち)を食(く)はさうよ――御坊の厚意は無にせまい。」
「よい、よい、名案。」
「参れ。……屑屋。」
 と山の襞※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)(ひだ)を霧の包むやうに枯蘆(かれあし)にぬつと立つ、此の大(だい)なる魔神(ましん)の裾(すそ)に、小さくなつて、屑屋は頭から領伏(ひれふ)して手を合せて拝んだ。
「お慈悲(じひ)、お慈悲でござります、お助け下さいまし。」
「これ、身は損(そこ)なはぬ。ほね休めに、京見物をさして遣(や)るのぢや。」
「女房、女房がござります。児(こ)がござります。――何として、箱根から京まで宙が飛べませう。江戸へ帰りたう存じます。……お武家様、助けて下せえ……」
 と膝行(いざ)り寄る。半(なか)ば夢心地の屑屋は、前後の事を知らぬのであるから、武士(さむらい)を視(み)て、其の剣術に縋(すが)つても助かりたいと思つたのである。
 小法師(こほうし)が笑ひながら、塵(ちり)を払つて立つた。
「可厭(いや)なものは連れては参らぬ。いや、お行者(ぎょうじゃ)御覧の通りだ。御苦労には及ぶまい。――屑屋、法衣(ころも)の袖(そで)を取れ、確(しか)と取れ、江戸へ帰すぞ。」
「えゝ、滅相(めっそう)な、お慈悲、慈悲でござります。山を越えて参ります。歩行(ある)いて帰ります。」
「歩行(ある)けるかな。」
「這(は)ひます、這ひます、這ひまして帰ります。地(つち)を這ひまして帰ります。其の方が、どれほどお情(なさけ)か分りませぬ。」
「はゝ、気まゝにするが可(よ)い、――然(さ)らば入交(いれかわ)つて、……武士(さむらい)、武士(さむらい)、愚僧に縋(すが)れ。」
「恐れながら、恐れながら拙者(せっしゃ)とても、片時(へんし)も早く、もとの人間に成りまして、人間らしく、相成(あいな)りたう存じます。峠(とうげ)を越えて戻ります。」
「心のまゝぢや。――御坊。」
 と山伏(やまぶし)が式代(しきたい)した。
「お行者。」
「少時(しばらく)、少時(しばらく)何(ど)うぞ。」
 と蹲(うずくま)りながら、手を挙げて、
「唯今(ただいま)、思ひつきました。此には海内(かいだい)第一のお関所がござります。拙者券(てがた)を持ちませぬ。夜あけを待ちましても同じ儀ゆゑに……ハタと当惑を仕(つかまつ)ります。」
 武士(さむらい)はきつぱり正気に返つた。
「仔細ない。久能山辺(くのうざんあたり)に於ては、森の中から、時々、(興津鯛(おきつだい)が食べたい、燈籠(とうろう)の油がこぼれるぞよ。)なぞと声の聞える事を、此辺(こんあたり)でもまざ/\と信じて居(お)る。――関所に立向(たちむか)つて、大音(だいおん)に(権現(ごんげん)が通る。)と呼ばはれ、速(すみやか)に門を開(ひら)く。」
「恐れ……恐多(おそれおお)い事――承(うけたまわ)りまするも恐多い。陪臣(ばいしん)の分(ぶん)を仕(つかまつ)つて、御先祖様お名をかたります如き、血反吐(ちへど)を吐(は)いて即死をします。」
 と、わな/\と震へて云つた。
「臆病もの。……可(よ)し。」
「計(はか)らひ取らせう。」
 同音(どうおん)に、
「関所!」
 と呼ぶと、向うから歩行(ある)くやうに、する/\と真夜中の箱根の関所が、霧を被(かず)いて出て来た。
 山伏(やまぶし)の首が、高く、鎖(とざ)した門を、上から俯向(うつむ)いて見込む時、小法師(こほうし)の姿は、ひよいと飛んで、棟木(むなぎ)に蹲(しゃが)んだ。
「権現(ごんげん)ぢや。」
「罷通(まかりとお)るぞ!」
 哄(どっ)と笑つた。
 小法師の姿は東(あずま)の空へ、星の中に法衣(ころも)の袖(そで)を掻込(かいこ)んで、うつむいて、すつと立つ、早走(はやばしり)と云つたのが、身動きもしないやうに、次第々々に高く上(あが)る。山伏の形は、腹這(はらば)ふ状(さま)に、金剛杖(こんごうづえ)を櫂(かい)にして、横に霧を漕(こ)ぐ如く、西へふは/\、くるりと廻つて、ふは/\と漂ひ去る。……
 唯(と)、仰いで見るうちに、数十人の番士(ばんし)、足軽(あしがる)の左右に平伏(ひれふ)す関の中を、二人何の苦もなく、うかうかと通り抜けた。
「お武家様、もし、お武家様。」
 ハツとしたやうに、此の時、刀の柄(つか)に手を掛けて、もの/\しく見返つた。が、汚(きたな)い屑屋に可厭(いや)な顔して、
「何だ。」
「お袂(たもと)に縋(すが)りませいでは、一足(ひとあし)も歩行(ある)かれませぬ。」
「ちよつ。参れ。」
「お武家様、お武家様。」
「黙つて参れよ。」
 小湧谷(こわくだに)、大地獄(おおじごく)の音を暗中(あんちゅう)に聞いた。
 目の前の路(みち)に、霧が横に広いのではない。するりと無紋(むもん)の幕が垂れて、ゆるく絞つた総(ふさ)の紫(むらさき)は、地(ち)を透(す)く内側の燈(ともしび)の影に、色も見えつつ、ほのかに人声(ひとごえ)が漏(も)れて聞えた。
 女の声である。
 時に、紙屑屋の方が、武士(さむらい)よりは、もの馴(な)れた。
 そして、跪(ひざまず)かせて、屑屋も地(つち)に、並んで恭(うやうや)しく手を支(つ)いた。
「江戸へ帰りますものにござります。山道に迷ひました。お通しを願ひたう存じます。」
 ひつそりして、少時(しばらく)すると、
「お通り。」
 と、もの柔(やわらか)な、優しい声。
 颯(さっ)と幕が消えた。消(き)ゆるにつれて、朦朧(もうろう)として、白小袖(しろこそで)、紅(くれない)の袴(はかま)、また綾錦(あやにしき)、振袖(ふりそで)の、貴女たち四五人の姿とともに、中に一人、雪に紛(まが)ふ、うつくしき裸体の女があつたと思ふと、都鳥が一羽、瑪瑙(めのう)の如き大巌(おおいわ)に湛(たた)へた温泉(いでゆ)に白く浮いて居た。が、それも湯気とともに蒼(あお)く消えた。
 星ばかり、峰ばかり、颯々(さっさつ)たる松の嵐の声ばかり。
 幽(かすか)に、互(たがい)の顔の見えた時、真空(まそら)なる、山かづら、山の端(は)に、朗(ほがらか)な女の声して、
「矢は返すよ。」
 風を切つて、目さきへ落ちる、此が刺さると生命(いのち)はなかつた。それでも武士(さむらい)は腰を抜いた。
 引立(ひきた)てても、目ばかり働いて歩行(ある)き得ない。
 屑屋が妙なことをはじめた。
「お武家様、此の笊(ざる)へお入んなせい。」
 入(い)れると、まだ天狗(てんぐ)のいきの、ほとぼりが消えなかつたと見えて、鉄砲笊(てっぽうざる)へ、腰からすつぽりと納(おさま)つたのである。
 屑屋が腰を切つて、肩を振つて、其の笊を背負(しょ)つて立つた。
「屑(くず)い。」
 うつかりと、……
「屑い。」
 落ちた矢を見ると、ひよいと、竹の箸(はし)ではさんで拾つて、癖に成つて居るから、笊へ抛(ほう)る。
 鴻(こう)の羽(はね)の矢を額(ひたい)に取つて、蒼(あお)い顔して、頂きながら、武士(さむらい)は震へて居た。
了

底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
   1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
   1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
   1940(昭和15)年発行
初出:「新小説」
   1922(大正11)年1月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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