あらすじ
人形町|通の床屋「紋床」の親方・紋三郎は、腕は確かだが、怠惰で仕事に身が入らない男。ある日、彼の店で働く下職人の愛吉が、歌の師匠である加茂川亘から侮辱を受け、激怒している。愛吉は加茂川の邸宅に殴り込みをかけ、その妻である才子と、才子の母親である老母にまで絡む。だが、愛吉の突拍子もない行動は、鴨川の家に大きな混乱をもたらす。
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表紙の画(え)の撫子(なでしこ)に取添えたる清書(きよがき)草紙、まだ手習児(てならいこ)の作なりとて拙(つたな)きをすてたまわずこのぬしとある処に、御名(おんな)を記させたまえとこそ。
  明治三十五年壬寅正月
鏡花


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「どうも相済みません、昨日(きのう)もおいで下さいましたそうで毎度恐入ります。」
 と慇懃(いんぎん)にいいながら、ばりかんを持って椅子なる客の後(うしろ)へ廻ったのは、日本橋人形町通(どおり)の、茂った葉柳(はやなぎ)の下に、おかめ煎餅(せんべい)と見事な看板を出した小さな角店を曲って、突当(つきあたり)の煉瓦(れんが)の私立学校と背(せなか)合せになっている紋床(もんどこ)の親方、名を紋三郎といって大の怠惰者(なまけもの)、若い女房(かみさん)があり、嬰児(あかんぼ)も出来たし、母親(おふくろ)もあるのに、東西南北、その日その日、風の吹く方にぶらぶらと遊びに出て、思い出すまでは家(うち)に帰らず、大切な客を断るのに母親(おふくろ)は愚痴になり、女房は泣声になる始末。
 またかい、と苦笑(にがわらい)をして、客の方がかえって気の毒になる位、別段腹も立てなければ愛想も尽かさず、ただ前町の呉服屋の若旦那が、婚礼というので、いでやかねての男振(おとこぶり)、玉も洗ってますます麗(あでや)かに、雫(しずく)の垂る処で一番綿帽子と向合おうという註文で、三日前からの申込を心得ておきながら、その間際に人の悪い紋床、畜生め、か何かで新道(しんみち)へ引外(ひっぱず)したために、とうとう髭(ひげ)だらけで杯をしたとあって、恋の敵(かたき)のように今も憤っているそればかり。町内の若い者、頭分(かしらぶん)、芸妓家(げいしゃや)待合、料理屋の亭主連、伊勢屋の隠居が法然頭(ほうねんあたま)に至るまで、この床の持分となると傍(わき)へは行(ゆ)かない。目下文明の世の中にも、特にその姿見において、その香水において、椅子において、ばりかんにおいて、最も文明の代表者たる床屋の中に、この床(みせ)ッ附(つき)ばかりはその汚さといったらないから、振(ふり)の客は一人も入らぬのであるが、昨日(きのう)は一日仕事をしたから、御覧なさいこの界隈(かいわい)にちょっと気の利いた野郎達は残らず綺麗(きれい)になりましたぜ、お庇様(かげさま)を持ちまして、女の子は撫切(なでぎり)だと、呵々(からから)と笑う大気焔(だいきえん)。
 もっとも小僧の時から庄司が店で叩込んで、腕は利く、手は早し、それで仕事は丁寧なり、殊に剃刀(かみそり)は稀代の名人、撫でるようにそっと当ってしかも布(きぬ)を裂くような刃鳴(はなり)がする、と誉(ほ)め称(えた)えて、いずれも紋床々々と我儘(わがまま)を承知で贔屓(ひいき)にする親方、渾名(あだな)を稲荷(いなり)というが、これは化かすという意味ではない、油揚(あぶらげ)にも関係しない、芸妓が拝むというでもないが、つい近所の明治座最寄(もより)に、同一(おなじ)名の紋三郎というお稲荷様があるからである。
「お前(まい)どこかでまた酒かい。」と客は笑いながら、
「珍しくはないがよく怠惰(なま)けるなあ。」
「何、今度ばかしゃ仲間の寄(より)でさ、少々その苦情事なんでして、」
「喧嘩(けんか)か。」
「いいえ、組合の外(ほか)に新床が出来たんで、どうのこうのって、何でも可(い)いじゃあがあせんか、お客様は御勝手な処へいらっしゃるんだ。一軒殖(ふ)えりゃそいつが食って行(ゆ)くだけ、皆(みんな)が一杯ずつお飯(まんま)の食分が減るように周章(あわ)てやあがって、時々なんです、いさくさは絶えやせん。」
「それじゃあ口でも利かされたのかね。」
「ならび大名の方なんでさ。」
「それに何も二日かかることはないじゃないか。」
「すっかり御存じだ。」と莞爾(にっこり)する。
「だっておい四度(たび)素帰(すがえり)をしたぜ、串戯(じょうだん)じゃあない。ほんとうに中洲(なかず)からお運び遊ばすんじゃあ、間に橋一個(ひとつ)、お大抵ではございませんよ。」
「おや、母親(おふくろ)がいった通り。」
「貴客(あなた)、全くそう申すんでございますよ。」と長火鉢の端が見えて、母親(おふくろ)の声がする。

「ははははは、旨(うま)くやりましたね、(ほんとうに中洲からお運び遊ばすんじゃあ間に橋一個、お大抵ではございません。)ッさ、え、旦那、先刻(さっき)親方が帰りました時に内のお婆さんがその通りいいました。ねえ、親方、どうですお婆さん、寸分違わねえ、同一(おんなじ)こッたい、こいつあ面白えや。」と少しかすれた声、顔をしかめながら嬉しそうに笑ったのは、愛吉といって、頬に角のある、鼻の隆(たか)い、目の鋭い、眉の迫った、額の狭い、色の浅黒い、さながら悪党の面だけれども、口許(くちもと)ばかりはその仇気(あどけ)なさ、乳首を含ましたら今でもすやすやと寐(ね)そうに見えて、これがために不思議に愛々しい、年の頃二十三四の小造(こづくり)で瘠(やせ)ぎすなのが、中形の浴衣の汗になった、垢染(あかじ)みた、左の腕あたりに大きな焼穴のあるのを一枚引掛(ひっか)けて、三尺の帯を尻下りに結び、前のめりの下駄の、板のようになったのに拇指(おやゆび)で蝮(まむし)を拵(こしら)えたが、三下という風なり。実は渡り者の下職人(したじょくにん)、左の手を懐に、右を頤(おとがい)にあてて傾きながら、ばりかんを使う紋床の手をその鋭い眼で睨(にら)むようにして見ているのであった。
 客は向うへ足を伸(のば)して、
「そうだろう、人情は誰も同一(おんなじ)だから言うことも違わないんだよ。」
「じゃあ何だ、内の母親(おふくろ)もやっぱり同一ようなことを言ってましょう、ふふん、」と頤を支えたまま、頷(うなず)くがごとくに言って笑(えみ)を洩(も)らす。
 紋床は顔を斜(ななめ)に、ばりかんに頬をつけて、ちょいと撓(た)めて、
「馬鹿をいいねえ、お前(めえ)と同一にされて耐(たま)るもんか、人情は異(かわ)らないでも遣(や)り方が違ってらあな、おい、こう見えても母親にゃまだ米の値を知らせねえんだが、どうだ。」
「あれ、あんなことをいうよ、のうお槙(まき)。」と母親は傍(かたわら)なる女房に言葉を渡したらしい。
「ほほほほほ。」と、気の無さそうに若い女が笑った、と思うと嬰児(あかんぼ)がおぎゃあと泣く。
 紋床はばりかんの歯を透(すか)して、フッと吹き、
「おっとまず黙ってあとを聞くことさ。さよう米の値は知らせねえが、そのかわり〆高(しめだか)で言訳をさせますか。」
「違えねえね。」
「黙れ! 手前(てめえ)が何だ、まあお聞きなさいまし、先生。」
 客はこの近辺(ちかまわり)の場所には余り似合わぬ学生風、何でも中洲に住んでるとより外悉(くわ)しくは知らないが、久しい間の花主(とくい)で紋床はただ背後(うしろ)の私立学校で一科目預っている人物と心得て、先生、先生と謂(い)うが、さにあらず、府下銀座通(どおり)なる某(なにがし)新聞の記者で、遠山金之助というのである。
「どうでございます、この私(わっし)に意見をしてくれろッて、涙を流して頼みましたぜ、この愛的の母親(おふくろ)が、およそ江戸市中広しといえども、私が口から小可愧(こっぱずかし)くもなく意見が出来ようというなあ、その役介者(やっかいもの)ばかりでさ、昔だと賭場(とば)の上へ裸でひッくり返ろうという奴(やっこ)なんで、」
「何を、詰らねえ、」
「いいえ賭博(ばくち)は遣りません、賭博は感心に遣りませんが、それも何幾干(いくら)かありゃきっとはじめるんでさ。それに女にかからずね、もっともまあ、かかり合をつけようたッて、先様が取合わねえんですからその方も心配はありませんが、飲むんです。この年紀(とし)で何と三升酒を被(かぶ)りますぜ、可恐(おッそろ)しい。そうしちゃあ管を巻いて往来でひッくり返りまさ、病(やまい)だね。愛、手前その病気だけは治さないと不可(いけね)えぜと、私(わっし)あこれでも偶(たま)にゃあ親身になっていうんです、すると何と、殺されても恨まないから五合(ごんつく)買っとくんなさい、とこうでしょう、言種(いいぐさ)が癪(しゃく)に障るじゃありませんか。」

 愛吉は何にもいわず、腕を拱(こまぬ)いて目を外(そら)して、苦言一針するごとに、内々恐縮の頸(うなじ)を窘(すく)める。
 紋床は構わず棚下(たなおろし)、
「活きるか死ぬかというこれが情婦(いろ)だったって、それじゃ愛想を尽(つか)しましょう、おまけにこれが行(ゆ)く先は、どこだって目上の親方ばかりでさ、大概(てえげえ)神妙(しんびょう)にしていたって、得て難癖が附こうてえ処でその身持じゃあ、三日と置く気遣(きづかい)はありやしません。もっとも三日なんて置こうものなら、はじめの日は朝寝をして、次の夜(よ)は内をあけて、三晩目には持遁(もちにげ)をしようというもんだ。」
「まさか、」といって客の金之助は仰向(あおむ)けに目を瞑(ねむ)る。
 愛は小指のさきで耳朶(みみたぶ)をちょいと掻(か)いて、
「酷(ひど)いなあ、親方。」
「まあそういった形よ、人情は同一(おんなじ)だから、」
「何が人情、」
「そうじゃないか、だってお前(めえ)真似(まね)をするにも好(い)いことはしたがらねえだろう、この間もね、先生、お聞きなさいまし。そういう風だから山手(のて)も下町も、千住(せんじゅ)の床屋でまで追出されやあがって、王子へ行(ゆ)きますとね、一体さきさき渡(わたり)がついてるだけにこちとらの稼業はつきあいが難かしゅうがす、それだのにしばらく仕事をさしてもらおうというその初対面の許(とこ)で、宿(しゅく)の中ほどの硝子戸(がらすど)をあけると、突然(いきなり)、私(わっし)あ忙しい身体(からだ)でござえして……とこうさ。
 どうです言種(いいぐさ)は、前かど博徒(ばくちうち)の人殺(ひとごろし)兇状持(きょうじょうもち)の挨拶(あいさつ)というもんです。それでなくッてさいこの風体なんですもの、懐手でぬッと入りゃ、真昼中(まっぴるなか)でもねえ先生、気の弱い田舎なんざ、一人勝手から抜出して総鎮守の角の交番へ届けに行こうというんでしょう。
 この頃は閑(ひま)だからと、早速がりを食って奴(やっこ)さん行処(ゆきどころ)なし、飲んだ揚句なり、その晩はとうとうお宮の縁の下に寝ましたッさ。この真似もまた宜しくねえてね。
 仕方がねえんで舞戻って例のごとく親方済みません、が呆れたもんです。そうして私(わっし)が忙しい体でござえして、とこういう塩梅(あんばい)に遣ッつけました。目を円くして驚きゃあがって、可笑(おか)しゅうがしたぜ、飛んだ面白えやと、それを嬉しがっていやあがる、始末におえねえじゃアありませんか。それがまた似合うんです、ちょいとこんな風、」と紋床も好事(ものずき)なり、ばりかんを持ったままで仕事の最中。
「成程、」といって金之助も故(わざ)とらしく振返った。
 愛は極(きまり)悪げに、
「親方沢山だ、何も身振(みぶり)までするこたアありません。」と愛くるしい件(くだん)の口許で、べそを掻くような(へ)の字形(なり)。
「私(わっし)にゃ素直だから可愛いんですがね。どうだこう改って言われちゃあ余り見ッとも好(い)いこッちゃあるめえ、ちっと気をつけるが可(い)いぜ、え、愛的(こう)。」
「可いやさ、罷違(まかりちが)えばという覚(おぼえ)があるから世の中を何とも思わんだろう、中々可い腕があるんだっていうじゃあないか。片腕ッていう処だが、紋床の役介者は親方の両腕だ、身に染みて遣りゃ余所行(よそゆき)の天窓(あたま)を頼まれるッて言っていたものがあるよ、どうだい。」
「へ、……どういたして、こうなると私(わっし)あ極(きまり)が悪い、」と面(おもて)を背けて、たじたじになった罪の無さ。
「ここらで発起をするこッた、また三晩ばかしあけたというじゃあないか。あのここな、」というのがちと仮声(こわいろ)になりかけたので、この場合吃驚(びっくり)し、紋床は声を呑んでくすりと笑う。
「ですがね親方、今度ばかりゃ、」と愛吉は屹(きっ)と真面目(まじめ)。

「どうした。」
「ええ、何ね、少し面白くねえ、馬鹿に癪(しゃく)なことがあって、腹が立って、私(わっし)あ腹が立ってならねえんで、」と愛はいう内にもその迫った眉を動かすのであった。
 紋床は、しばしばあって、珍しからぬ、愛吉がかかる様子に馴(な)れて、いうことを何とも思わず、
「妙だな、お前また腹が立って為様(しよう)がないから、そこで身体(からだ)を寝かしていたろう。」
「親方、茶かさずにさ、全くだね、私あ何だ、演劇(しばい)でする敵(かたき)ッてものはちょうどこんなものだろうと思いますぜ、ほんとうに親の敵。」
「可(い)い気なことを言ってらあ、お前(めえ)母親(おふくろ)は死んでやしねえじゃないか、父爺(ちゃん)の敵なら中気だろう、それとも母親(おふくろ)なら、愛的(こう)、お前がその当の敵だい。」
「何だってね。」
「苦労をさせるからよ。」
「気が早いや親方、誰も権太左衛門に母親が斬られたとは言やしません、私あ親の敵と思う位、小癪(こしゃく)に障る奴(やつ)が出来たッていうんです。」
「はてな。」
「それでね、出来るものならふん捕(づかま)えて畜生撲殺(なぐりころ)してやろうと思って、こう胸ッくそが悪くッて、じっとしていられねえんで、まったくでさ、ふらふらして歩行(ある)いたんで。」
「待ちねえ、おい、お前感心だな、ははあ解ったい、そうするとお前は大望のある身体(からだ)だ、その敵討をしようという。」
「そうですよ。」と真顔でいった。
「そうですよもねえもんだ、何だな、それがために浮身を窶(やつ)し、茶屋場の由良さんといった形で酔潰(よいつぶ)れて他愛々々よ。月が出て時鳥(ほととぎす)が啼(な)くのを機掛(きっかけ)に、蒲鉾小屋(かまぼこごや)を刎上(はねあ)げて、その浴衣で出ようというもんだな、はははは。」
「ようがすよ、もう沢山だ、何もそんなに改って今日という今日、脂を取んなさるこたあねえ、食潰(くいつぶ)しの極道にゃあ生れついて来たんだもの、天道様だって数の知れねえ人形を拵(こしら)えるんだ、削屑(けずりくず)も出まさあね、」と正直なだけに怒りッぽい、これでもまだ若いんだから、愛吉は拗(す)ね気味で横を向く。
「ほい、気に障ったら堪忍しねえ、言ったって治らねえ位のこたあ知ってるんだい、言葉の機(はずみ)よ、己(おれ)だってまだ人に意見を言う親仁形(おやじがた)は役不足だ、可(い)いや、喧嘩なら加勢をしよう、対手(あいて)は何だ。」
「そ、それがね親方、」とたちまち嬉しそうな顔色(かおつき)で、
「ちっと組合違いの人間でさ。」
「ふむ、船頭か。」
「いいえ。」
「馬士(うまかた)か。」
「詰らねえ。」
「まさか乳母(おんば)どんじゃあるめえな。」
「親方、真面目に聞いておくんなさいというに。聞くだけで可いんだから、私(わっし)あまた話すだけでもちったあ胸が透くだろうと思うんで。へい、ここの処(とこ)へ込上げて来やあがって。」と手を懐にしたまま拡げた胸に斜(ななめ)にかかってる守(まもり)の紐(ひも)の下あたりを、はたはたと叩いて見せる。
「可(よ)し可し、私が聞こう、どうしたんだ。」
「先生、聞いておくんなさるかい、難有(ありがて)え、こりゃ先生だとなほわかりが早い、対手(あいて)はね、先生なんざ御存じじゃありませんか、歌の師匠ですよ。」
 紋床は口を挟んで、
「ああ、中洲の清元の。なるほどこいつあ大望だ、親の敵より大事(おおごと)に違えねえ、しかし飛んだ気になったぜ、愛、お前(めえ)ありゃあ不可(いけね)えや、まるで組合が違ってらあ。」
「何がえ、親方。」
「お津賀さんのことだろう。」
「ありゃ、師匠じゃありませんか。」
「唄の師匠よ。」
「何を、私なあ味噌一漉(ひとこし)てえやつなんです。」
「味噌一漉? ああ三十一文字(みそひともじ)か。」
「その野郎だ。」と、愛吉は胸を張った。

「歌の先生、三十一文字の野郎で、それが敵、へい、」とばかりで紋床も変に思い、金之助もその意を得ない様子である。
 愛吉は熱心面(おもて)に顕(あらわ)れ、
「先生、貴客(あなた)知っていらっしゃりやしませんか、その三十一文字の野郎てえのを、」
「何というね、そしてどこの、」
「居る処は根岸なんで、」
「根岸か、」
「へい、根岸の加茂川亘(わたる)ッてんです。」
「加茂川亘。」と金之助は口の裡(うち)でその名を言った。
 紋床は背後(うしろ)へ廻って、
「神主様みてえだな。」
 金之助は更(あらた)めて打頷(うちうなず)き、
「有名な先生だ、歌の、そうそう。書(て)も能(よ)くお書きになるぜ。」
「知ッてますよ、手習師匠兼業の奴(やっこ)なんで、媽々(かかあ)が西洋の音楽とやらを教えて、その婆(ばばあ)がまた、小笠原礼法躾方(しつけかた)、活花(いけばな)、茶の湯を商(あきな)う、何でもごたごた娘子(むすめッこ)の好(すき)な者を商法にするッていいます。」
「ははあ何でも屋だな、場末の荒物屋にゃあ傘(からかさ)まで商ってら、行届いたものだ。虱(しらみ)でも買いに行って捻(ひね)ってやれ、癖にならあ、どうせ碌(ろく)な者は売るんじゃあねえ。」と紋床は話が実(まこと)で、ものになりそうな卵だと見て取ると、面白しで大(おおい)に煽(あお)る。
 金之助は驚いて、
「馬鹿なことを言え、罰の当った、根岸の加茂川と来た日にゃあ、歌の先生でも皆(みんな)が御前(ごぜん)々々と言う位なもんだ。宴会のあった時、出ていた芸妓(げいしゃ)が加茂川さんちょいとと言ったら、売女(ばいた)風情が御前を捉(つかま)えて加茂川さん、朋友(ともだち)でも呼ぶように失礼だ、と言って、そのまま座敷を構われた位な勢(いきおい)よ。高位高官の貴夫人令嬢方、解らなけりゃ、上(うえ)ツ方(がた)の奥様姫様(ひいさま)方、大勢お弟子があるッさ、場末の荒物屋と一所にされて耐(たま)るもんか、途方もない。」
「何でも、馬車だの腕車(くるま)だのが門に込合ってるッて謂(い)いますね。」
「そうだろうとも。」
「何だか知らねえが癪(しゃく)に障るッたらないんです。」
 と愛吉はさも口惜しそうである。
「おい、その方が敵かい。」
「お前(めえ)また妙な敵を持ったもんだな、金と女なら私(わっし)だって殺してえほど怨(うらみ)があらあ、先(せん)の中洲の清元の師匠の口だと、私も片棒担(かつ)ぐんだが、困ったな歌の先生じゃあ。お前どうした、狙ったか、」
「二晩ばかりつけました、上野の山ね、鶯谷(うぐいすだに)ね、杖(ステッキ)でも持ちゃあがって散歩とでも出掛けてみろ、手前(てめえ)活(いか)しちゃあ帰さねえつもりで、あすこいらを張りましたけれど、出ませんや。弱っちまいました、親方の前(めえ)だけれども。髪結床(かみいどこ)の下職(したじょく)なんぞするもんじゃアありませんね、せめて字でも読めりゃ何とか言って近づくんですが、一の字は引張(ひっぱ)って、十文字は組違え、打交(ぶっちが)えは鷹(たか)の羽だと、呑込んでいるんじゃあ為方(しかた)がありません、私あもう詰らねえ。」と力なさそうに投首をする。
「ああ、お互に不便(ふびん)なもんだ。」
「親方本当でございますね、酒の値は上りまさ、食(たべ)る物は麺麭(パン)の附焼、鰻(うなぎ)の天窓(あたま)さ、串戯口(じょうだんぐち)でも利こうてえ奴あ子守児(こもりッこ)かお三どんだ、愛ちゃんなんてふざけやあがって、よかよかの飴屋(あめや)が尻と間違えてやあがる、へ、お忝(かたじけ)。」といって、愛吉はフンと棄鉢(すてばち)の鼻息。
「あいや、敵討(かたきうち)のお武家、ちとお話が反(そ)れましたようですが、加茂川が何か君に恥辱でも与えたというのかい、」
「そうです、恥を掻かしやがったんで、対手(あいて)は女ですよ。」
「何、女に恥辱を、待て、質(たち)の好(よ)くない奴だ。」
 ちょうど洗いましょうという処、金之助は膝を叩き、四辺(あたり)を払って、ついと立った。
「や、先生も味方らしい、こいつあ、難有(ありがて)えぞ難有えぞ。」

 戴(いただ)いたのは新しい夏帽子、着たのは中形の浴衣であるが、屹(きっ)と改まった様子で、五ツ紋の黒絽(くろろ)の羽織、白足袋、表打(おもてうち)の駒下駄(こまげた)、蝙蝠傘(こうもりがさ)を持ったのが、根岸御院殿寄(より)のとある横町を入って、五ツ目の冠木門(かぶきもん)の前に立った。
「そこです、」と、背後(うしろ)から声を懸けたのは、二度目を配る夕景の牛乳屋の若者(わかいもの)で、言い棄てると共に一軒置いて隣邸(となりやしき)へ入った。惟(おも)うにこの横町へ曲ろうという辺(あたり)で、処を聞いたものらしい。加茂川の邸へはじめての客と見える、件(くだん)の五ツ紋の青年(わかもの)は、立停(たちどま)って前後(あとさき)を※(「目+句」、第4水準2-81-91)(みまわ)して猶予(ためら)っていたのであるが、今牛乳屋(ちちや)に教えられたので振向いて、
「は、」と、頷(うなず)くと斉(ひと)しく門を開けて透(すか)して見る、と取着(とッつき)が白木の新しい格子戸、引込(ひっこ)んで奥深く門から敷石が敷いてある。右は黒板塀でこの内に井戸、湯殿などがあろうという、左は竹垣でここから押廻して庭、向うに折曲って縁側が見えた。
 一体いつもこの邸の門前には、馬車か、俥(くるま)か、当世の玉の輿(こし)の着いていないことはない。居廻(いまわり)の者は誰謂(い)うとなく加茂川の横町を、根岸の馬車新道と称(とな)えて、それの狭められるために、豆腐屋油屋など、荷のある輩(やから)は通行をしない位であるが、今日は日曜故か、もう晩方であるためか、内も外も人少なげに森(しん)として、土塀の屋根、樹の蔭などには、二ツ三ツ蚊の声が聞えた。
 されば敷石を鳴(なら)す穿物(はきもの)に音立てて、五ツ紋の青年(わかもの)はつかつかとその格子戸の前。
 ちょうどここへ立った時分に、今開けた門の、からからと鳴る、ばねつきの鈴(りん)の音が止(や)んで、あたかも可(よ)し、玄関へ書生が取次に顕(あらわ)れて、あえてものを言うまでもない。
 黙って、坐って、手を支(つ)いて、顔を見て、澄して控える。
 青年(わかもの)は格子戸を半ば引いたままで、慇懃(いんぎん)に小腰を屈(かが)め、
「御免下さいまし。」
「はい。」
「ええ、お友達、御免下さいまし、御当家、」と極(きま)って切口上で言出した。調子もおかしく、その蝙蝠傘を脇挟んだ様子、朝夕(ちょうせき)立入る在来の男女とは、太(いた)く行方(ゆきかた)を異(こと)にする、案ずるに蓋(けだ)し北海道あたりから先生の名を慕って来た者だろうと、取次は瞶(みつ)めたのである。
 青年(わかもの)はますます鄭重(ていちょう)、
「いかがでございましょうか、お友達、御当家先生様にお目通(めどおり)が出来ますでございましょうか。」
「貴方(あなた)はどちらから、」
「ええ、手前事は、ええ何でございまして、そのあれでございますよ。」
「はい、」
 人の内の取次というものは、いかなる場合にも真面目なものなり。
「お友達御免を蒙(こうむ)ります、手前はその日本橋人形町通り、勝山と申しまして、」
「勝山さん、」取次は聞き馴(な)れないという顔色(かおつき)。
「いえ、手前がその勝山と申すんじゃあございませんので、」
「ははあ、」
「御当家先生様の、ええ、お弟子でございまして、その勝山と申しますお嬢さんからちょいと頼まれました、手前使(つかい)の者でございます、少々お目に懸(かか)りとうございますが、お宅でいらっしゃいましょうか、お友達、お取次を願いとう存じますんで、へい。」
「先生はお宅ですが、ちょいとお待ち下さい、」と妙な顔をして取次はくるりと入った、青年(わかもの)は我を忘れた風でひょいとその頸(うなじ)を縮(すく)めたが、立直って、えへん内証の咳一咳(せきばらい)。

「さあ、こちらへ、私が加茂川で。はあ、」と仰向(あおむ)いて挨拶をする。これはあえて人を軽蔑するのでもなく、また自ら尊大にするのでもない。加茂川は鬼神(おにがみ)の心をも和(やわら)ぐるという歌人(うたびと)であるのみならず、その気立が優しく、その容貌も優しいので、鼻下、頤(あぎと)に髯(ひげ)は貯(たくわ)えているが、それさえ人柄に依って威厳的に可恐(こわら)しゅうはなく、かえって百人一首中なる大宮人の生(はや)したそれのように、見る者をして古代優美の感を起さしむる、ただしちと四角な顔で、唇は厚く、鼻は扁(ひらた)い、とばかりでは甚だ野卑に、且つ下俗に聞えるけれども、静(しずか)に聞召(きこしめ)せ、色が白い。
 これで七難を隠すというのに、嬰児(あかご)も懐(なつ)くべき目附と眉の形の物和(やわら)かさ。人は皆鴨川(かもがわ)(一に加茂川に造る、)君の詞藻は、その眉宇(びう)の間に溢(あふ)れると謂(い)うのである。
 かかる優美な人物が、客に達するに(はあ、)の調子で仰向くとなっては、いささか性格において矛盾するようであるが、これをいう前に、その和(やわらぎ)のある優しい一双の慈眼を(はあ、)と同時に糸のように細うしてあたかも眠るがごとくに装うことを断っておかねばならぬ。
 その上にいかなればしかするかの理由を説明したら、ますます鴨川の奥床しい用意のほどが知れるであろう。
 紋床でも噂があった、なおこの横町を馬車新道と称(とな)えるのでも解る、弟子の数が極めて多い。殊に華族豪商、いずれも上流の人達で、歌と云えば自然十が九ツまで女流である。
 それのみならず、令夫人が音楽を教えて、後室が茶の湯生花の指南をするのであるから。
 若き時はこれを戒(いまし)むる色にありで、師弟の間でもこの道はまた格別。花のごとく、玉のごとき顔(かんばせ)に対して、初恋、忍恋(しのぶこい)、互思恋(たがいにおもうこい)などという、安からぬ席題を課すような場合に、どんな手爾遠波(てにをは)の間違が出来ぬとも限らぬ。人木石にあらず己(おれ)も男だ、と何も下司(げす)にタンカを切ったわけではない。歌人(うたびと)が自分で深く慮(おもんぱか)り、すべて婦人の弟子に対する節は、いつもその紅(べに)、白粉(おしろい)、簪(かんざし)、細い手、雪なす頸(うなじ)、帯、八口(やつくち)を溢(あふ)れる紅(くれない)、褄(つま)、帯揚(おびあげ)の工合(ぐあい)などに、うっかりとも目の留まらぬよう、仰向いて眼(まなこ)を塞ぐのが、因習の久しき、終(つい)に性質となったのである。もっとも有数の秀才で、およそ年紀(とし)二十(はたち)ばかりの時から弟子を取立てた。十年一日のごとく、敬すべき尊むべき感謝すべき心懸けであるから、音楽に長(た)けたる鴨川夫人が、かつて弟子の中(うち)の一人(にん)であったことをもって、毫(ごう)も先生の品行を怪(あやし)んではならぬ。
 世には夫人が、おもて向き結婚してから八月目というのに、女児を流産したといって、云々する者もあるけれども、経典に言わずや、鶴は相見てすなわち孕(はら)む、それ歌人(うたびと)はこの濁世に処して、あたかも鳶(とび)烏の中における鶴のごときものであるから、結婚の以前、既に疾(はや)く児(こ)を宿さぬという数(すう)はあるまい、従って八月で流産しないとも限らぬのである。夫人は名を才子という、細川氏、父君(ちちぎみ)は以前南方に知事たりしもの、当時さる会社の副頭取を勤めておらるる。この名望家の令嬢で、この先生の令閨(れいけい)で、その上音楽の名手と謂えば風采のほども推量(おしはか)られる、次の室(へや)の葭戸(よしど)の彼方(かなた)に薔薇(ばら)の薫(かおり)ほのかにして、時めく気勢(けはい)はそれであろう。
 五ツ紋の青年(わかもの)は、先刻(さっき)門内から左に見えた、縁側づきの六畳に畏(かしこま)って、件(くだん)の葭戸を見返るなどの不作法はせず、恭(うやうや)しく手を支(つ)いて、
「はじめましてお目に懸(かか)ります。」

「はあ、貴方(あなた)がその勝山さんのお使(つかい)?」と大人(うし)は紅革(べにかわ)の夏蒲団(なつぶとん)の上に泰悠におわす。此方(こなた)は五ツ紋の肩をすぼめるまで謹んで、
「さようでございます、へい。」
「御親類の方ですかね。」
「いえ、親類と申しますでもございませんが、ちと懇意に致しますもので、ついこの坂下まで手前用事で参りましたに就いて、彼家(あちら)から頼まれまして、先生様の御邸へ伺いますように、かねてお世話に相成ります御礼を申上げますよう、またどうぞ何分お願い申上げまするようにと、ことづかりましたんで、へい、めっきりお暑うございますな、」といいながら、袂(たもと)を探ると白地の手拭(てぬぐい)を取出して額を拭った。
「はあ、何、それはわざわざ。」
「実は母親が参ります筈(はず)なんでございますが、一体このとかく病身な上、貧乏暇なし、手もございません処から、相済みませんが失礼をいたしまして、」といいかけてまた額の汗を。見る処人形町居廻りから使に頼まれたというが堅気(かたぎ)の商人(あきんど)とも見えず、米屋町辺の手代とも見えず、中小僧という柄にあらず、書生では無論ない。年若には似ない克明な口上振、時々ものいいの渋るといい、何でも口うつしに口上を習って路々暗誦でもして来たものらしい。
 かかる肌違(はだちがい)のものに対しては、鴨川大人口を開いて、あえて上(かみ)五文字をも吐くに当らず、
「はあ、」とばかりである。
 葭戸を下の方から密(そっ)と開けて、大形の茶碗の底へ、ぽっちり入った結構らしいのを、畳の上へ辷(すべ)らすようにして客の前に推して据えた、高島田の面長で色の白い、品の可(い)い、高等な中形の浴衣、帯をお太鼓に結んだ十九ばかりの美人。
 五ツ紋の青年(わかもの)は、斜(ななめ)にちょっと見たばかりで、はッと言って頭(こうべ)を下げ、
「恐入ります奥様、ええお控え下さいまし、手前から申上げます、日本橋区人形町通、」と俯向(うつむ)いたまま手をついて言った。
 茶を持って出た美人は、敷居の外へ半分ばかり出した膝を揃えて支(つ)いたまま、呆気(あっけ)に取られたが、上目づかいで鴨川の面(おもて)を窺(うかが)うと、渠(かれ)は目を瞑(ねむ)って俯向きながら、頤髯(あごひげ)のむしゃとある中へ苦笑を包んで、
「可(よ)し、」と頷(うなず)いて見せたので、葭戸を閉(た)ててすっと消える。
「小間使でありますよ。」と教えたが、耐(たま)りかねたか、ふふと笑った。青年(わかもの)の茫然(ぼんやり)拍子抜のした顔を上げた時、奥の方(かた)で女の笑声。
 此方(こなた)は面を赤うして、手拭を持った手を額にあて、
「これはどうも、手前不束(ふつつか)ものでございます、へい、実は奥様にはお目に懸(かか)ってよく御礼をと申しつけられましたものでございますから。ええ、何でございましょうか、奥様はお邸でいらっしゃいましょうか。」
「はあ、居(お)りますが。」
「いかがでございましょう、ちょいとお目に、」と御身分(おみぶん)柄、お家柄、総じては日本の国風を心得ないことを言うのである。
 鴨川は眉を顰(ひそ)めたが、さあらぬ調子で、
「面会日は別にあるです。」
「へい?」
「あれが皆様に別に面会しますのは水曜の午後です。」
「水曜の午後でございますか。」
 鴨川は至極冷淡に、
「はあ、」
 五ツ紋の青年(わかもの)は何か仔細(しさい)ありげに、不心服の色を露(あら)わした。

「ですが、何も別してお手間は取らせません、ちょいといかがでございましょう。」
「誰にも皆(みんな)そういうことになっておるですから、」
「へい、ごもっとも様ですが、そこン処をそのお繰合せ下さいまして。」
「たってお逢いなさりたい※(感嘆符疑問符、1-8-78)」と鴨川大人(うし)きっぱりとなる。
 五ツ紋は慌てた形で、
「いえ、たってと申す訳ではございません。」
「そして何の用ですな。」と改まって尋ねられた。
「その勝山から託(ことづか)りましたので、奥様にもお目にかかって御挨拶を。」
「はあ、何、それなれば別にお会い下さるにも及びませんですよ、私から申聞けましょう。そして遠い処をわざわざおいで下さるにも及ばんでした、貴方御苦労でしたな、宜しくどうぞ、ちとこれから出懸けんければならんですから。」
 歌人(うたびと)の住居(すまい)も早や黄昏(たそが)れるので、そろそろ蚊遣(かやり)で逐出(おいだし)を懸けたまえば、図々しいような、世馴れないような、世事に疎いような、また馬鹿律義でもあるような、腰を据えた青年(わかもの)もさすがにそれと推した様子で、
「これはどうも飛んだお邪魔をいたしましてございます、勝山のあの娘も不束なものでございますから、どうぞまた先生様、何分、」と、ここでまたぴったりと平蜘蛛(ひらたぐも)。
「はあ、それは宜しい、」ともう片膝を立てそうにする。
 青年(わかもの)も座を開いてちょいと中腰になったが、懐に手を入れると、長方形の奉書包、真中(まんなか)へ紅白の水引を懸けてきりりとした貫目のあるのを引出して、掌(てのひら)に据え直し、載せるために差して来たか、今まで風も入れなんだ扇子を抜いて、ぱらぱらと開くと、恭(うやうや)しく要(かなめ)を向うざまに畳の上に押出して、
「軽少でございますが、どうぞお納(おさめ)を。」
 と見ると金子(きんす)五千疋、明治の相場で拾円若干(なにがし)を、故(わざ)と古風に書いてある。
「ああ、こういうことをなすっては可(い)けません、そのために、ちゃんと月謝をお入れになることにしてあります。」
「さようおっしゃりましてはお可愧(はずか)しゅうございます、誠にお麁末(そまつ)で、どうぞ差置かれまし。」
「そうですか、皆様(みなさん)にもうかねてお断(ことわり)がしてあるんだのに、何かこういう御心配をなさるから困るよ、ああ、とかく御婦人方は、」と云いながら、その細い目でふと葭戸の内を見着けた。
「おお、お才、そこに……お前差支えがなくばちょっとお逢いなさい、こちらで、」と声を懸ける。
「はい、」と案外軽い返事、さやさやと衣(きぬ)の音がして葭戸越に立姿が近(ちかづ)いたが、さらりと開けて、浴衣がけの涼しい服装(みなり)、緋(ひ)の菱田鹿(ひったが)の子の帯揚をし、夜会結びの毛筋の通った、色が白い上に雪に香(におい)のする粧(よそおい)をして、艶麗(あでやか)に座に着いたのは、令夫人才子である。
「いらっしゃい、誰方(どなた)、」と可愛い目で連合(つれあい)の顔をちょいと見る、年紀(とし)は二十七だそうだが、小造(こづくり)で、それで緋の菱田鹿の子の帯揚という好(このみ)であるから、二十(はたち)そこそこに見える位、もっとも十九の時児髷(ちごまげ)に結った媛(ひめ)で、見る者は十四か五とよりは思わなかった。早朝上野の不忍(しのばず)の池の蓮見(はすみ)に歩行(ある)いて、草の露のいと繁きに片褄(かたづま)を取り上げた白脛(しらはぎ)を背後(うしろ)から見て、既に成女の肉附であるのに一驚を喫した書生がある、その時分から今も相変らず、美しい、若々しい。
 不意の見参(げんざん)といい、ことに先刻(さっき)小間使を見てさえ低頭平身した青年(わかもの)の、何とて本尊に対して恐入らざるべき。
 黙って額着(ぬかず)くと、鴨川大人は御自慢の細君、さもあらんという顔色(かおつき)、ぐッと澄して、
「勝山さんの使の方です。」

「そう、貴方よくいらっしゃいましたね、勝山さん、あのお夏さん、お変りはないの、ああ、ついこないだおいでなすったのね。」ともっての外御懇のお言葉。
「人形町からでは随分ある。」と鴨川は打頷(うちうなず)く。
「貴方もあの辺なんですか。」
 青年(わかもの)はやっと口が利けた。
「へい、近所でございまして、」
「遠いんですね、腕車(くるま)でも随分暑かったでしょう、宅に居(お)りましても今日あたりはまた格別なんです、」といいながら純白な麻を細く襲(かさ)ねた、浴衣でも上品な襟を扱(しご)いて背後(うしろ)を振向き、
「定や、団扇(うちわ)を持っておいで。」
 小造な若い令夫人は声を懸けて向直ったが返事をしなかったので、
「貴方憚(はばか)り様ですが呼鈴(よびりん)を、」とお睦まじい。
 すなわち傍(かたわら)なる一閑張(いっかんばり)の机、ここで書見をするとも見えず、帙入(ちついり)の歌の集、蒔絵(まきえ)の巻莨入(まきたばこいれ)、銀の吸殻落(おとし)などを並べてある中の呼鈴をとんと強く、あと二ツを軽く、三ツ押すと、チン、リンリンリン――と鳴る、ばたばたと急いで来て、
「はい、」といって顔を出した以前の小間使、先刻意を了したと見えて二本ばかり団扇をそれへ差出す折から、縁側に跫音(あしおと)して、奥の方から近(ちかづ)いたが、やがてこの座敷の前の縁、庭樹を籠(こ)めて何となく、隣家(となり)のでもあるか蚊遣の煙の薄(うっす)りと夏の夕を染めたる中へ、紗(しゃ)であろう、被布を召した白髪(しらが)を切下げの媼(おうな)、見るから気高い御老体。
 それともつかぬ状(さま)で座敷を見入ったが、
「御客様かい、貴方(あんた)御免なさいよ。」といって座に着いた。
「灯(あかり)をね、」と顔をさし寄せて、令夫人は低声(こごえ)でいう。
 夕暮の徒然(つれづれ)、老母も期せずしてこの処に会したので、あえて音楽に関して弟子に対する他(ほか)は、面会日が水曜と触(ふれ)の出た令夫人が、次の室(へや)に居合せたり、奥深く世を避けておわす老母が縁側に来合せたりするのが、謝礼金五千疋を持参の者に対する鴨川家の家風ではない。青年(わかもの)は蓋(けだ)し期せずして拝顔を得たのであった。
「お初に。どちらの、」とこれも鴨川をちょいと御覧ずる。
「勝山さんのお使ですって、」と令夫人傍(かたわら)から引取って引合せる。
「おお、あの何か江戸ッ子の、いつも前垂(まえだれ)掛けでおいでなさる、活溌な、ふァふァふァ、」と笑って、鯉が麩(ふ)を呑んだような口附をする。
 ト一人でさえ太刀打のむずかしい段違(だんちがい)の対手(あいて)が、ここに鼎(かなえ)と座を組んで、三面六臂(ろっぴ)となったので、青年(わかもの)は身の置場に窮した形で、汗を拭(ふ)き、押拭い、
「へい飛んだ御厄介様で、からもうお転婆でございまして、」
「可いさ。だがの、内なぞは傍(はた)のおつきあいがおつきあいじゃで、そこはまたな、御婦人じゃから直接(じか)にいっては赤い顔でもなさると悪いで申さんじゃったが、前掛は止して袴(はかま)になさるなぞは、まず第一のお心懸(こころがけ)じゃよ。いや、しかし貴方(あんた)の前じゃけれどお夏さんは珍しい御容色(ごきりょう)よし、ほんのこと内なぞはおつきあいがおつきあいじゃから、御華族様から大商人方(おおあきんどがた)の弟子も沢山見えるけれど、品といい様子といいあのお娘(こ)が一番じゃ。よくしたもので、上(うえ)つ方(がた)はまあ少々はおでこでもそこは事が済みますが、下々(しもじも)の娘(こ)が出世をしようというには、さらりと打明けた処で容色(きりょう)じゃ。面じゃの、ふァふァふァ、お夏さんなぞは心懸次第またどんな出世でも出来るのじゃ、こっちへ出入(ではい)ってござればおつきあいがおつきあいじゃから、ふァふァふァ。」と鯉呑麩(ふをのむ)の口、蕪村がいわゆる巨口玉を吐く鱸(すずき)と相似て非なるものなり。

 青年(わかもの)はこれに答うる術(すべ)も知らぬ状(さま)に、ただじろじろと後室の顔を瞻(みまも)ったが、口よりはまず身を開いて逡巡(しりごみ)して、
「ええ、からもう、」というばかり、逡巡(しりごみ)の上に、なおもじもじ。
「一体何じゃ、内へござる他(ほか)の方とはちと気風が違っていなさるから、その辺が何となく御身分のある方とはお交際(つきあい)がなさりにくいのじゃ、それも心懸(こころがけ)一ツで、の、ああどうともなります。」と念を入れて喋舌(しゃべ)れば顔も動くし、白い切髪も動いたのである。
「さようでございましょうか、へい、」といってこの泥に酔ったような、哀(あわれ)な、腑効(ふがい)ない青年(わかもの)は、また額を拭った。汗は流るるばかり、ほとんど取乱した形に見えたので、夫人(おくがた)才子は、さすがに笑止とや思(おぼ)しけん、
「貴方まあお羽織をお脱ぎなさいましよ。」と深切におっしゃりながら、団扇使(うちわづかい)の片手煽(あおぎ)に、風を操るがごとくそよそよと右左。
 勿体ない、この風にさえ腰も据(すわ)らないほど場打(ばうて)のしている者の、かかる待遇に会して何と処すべき。
 青年(わかもの)はそわそわしたが、いつの間にか胸紐を外して、その五ツ紋を背後(うしろ)にはらりと、肩を辷(すべ)らして脱いだのである。
「じゃあ御免を被って遣(やッ)つけますぜ。」と素頂天(すってんぴん)にぞんざいな口を切って、袂(たもと)の下を潜(くぐ)らすと、脱いだ羽織を前へ廻して、臆面(おくめん)もなく、あなた方の鼎(かなえ)に坐った真中(まんなか)で、裏返しにしてふわりと拡げた。言語道断、腕まくりで膝を立て、
「借もんだからね、皺(しわ)にしちゃあ動きが取れませんや、」と、切上った眦(まなじり)に筋を集めてニヤリと笑った。
 余りの思懸けなさに、鴨川の一家(いっけ)、座にある三人、呆気に取られる隙(ひま)もなく、とばかりに目を見合せた。中にも才子はその衝に当ったから、風が止(や)んだようにじっとする。
 青年(わかもの)は身を斜めに、肩を揺(ゆす)って才子に突懸(つっか)け、
「煽(あお)ぎねえ、へ、奇代な風だ、心持の可い日和だい。遠慮をするこたあねえぜ。こう聞きねえ、実はその団扇使を待ってたんだ。様(ざま)あ見やがれ、」というと、嶮のある目を屹(きっ)と見据え、今なお座中に横(よこた)わって、墨色も鮮(あざやか)に、五千疋とある奉書包に集めた瞳を、人指指の尖(さき)で三方へ突(つつ)き廻し、
「誰を煽いだつもりだよ、五千疋のお使者が御紋服の旦那だと思うと、憚(はばか)んながら違います。目先の見えねえ奴等じゃあねえか、何だと思ってやあがるんだ。手前ことはね、おい、御当所日本橋は人形町通よ、赤煉瓦の学校裏、紋床に役介(やっかい)になっている下剃(したぞり)の愛吉てえ、しがねえものよ。串戯(じょうだん)じゃあねえ、紙包の上書(うわがき)ばかり下目遣いで見てないで、ちッたあ御人体(ごじんてい)を見て物を謂(い)いねえ。」
「これ!」と向直って膝に手を置いた、後室は育柄(そだちがら)、長刀(なぎなた)の一手(ひとて)も心得ているかして気が強い。
「何を。」
「何じゃな、汝(きさま)は一体、」と大人(うし)は正面に腕を組む。令夫人はものもいわず衝(つ)と後向きになりたまう。後室は声鋭く、
「無法者め!」
「いよ。お婆々(ばば)、聞えます聞えます、」
 羽織を脱いで本性をあらわした、紋床の愛吉は薄笑(うすわらい)をして、
「歌の先生、どうだ歌先、ちょっと奥さん、はははは、今日(こんち)ア。」と、けろりと天井を仰いだが、陶然として酔える顔色(がんしょく)、フフンといって中音になり、
「――九は病(やまい)五七の雨に四(よ)ツひでりサ――」

 襖(ふすま)も畳も天井も黄昏(たそがれ)の色が籠(こも)ったのに、座はただ白け返った処へ、一道の火光颯(さっ)と葭戸(よしど)を透いて、やがて台附の洋燈(ランプ)をそれへ、小間使の光は、団扇を手にしたまま背向(うしろむき)になっている才子の傍(かたわら)へ、そッと差置いて退(さが)ろうとする。
「待ちねえ。」
 というが疾(はや)いか、愛吉は手を伸(のば)してむずとその袂(たもと)を捉(とら)えた。
「あれ、」
「遁(に)げるない、どうだ、謂(い)うことを肯(き)かねえか、応(うむ)といやあ夫婦(めおと)になるぜ。」
「御串戯(ごじょうだん)を遊ばしまし、」と女中は何事も知らないのであるから、つい通りの客とばかり、酒も飲まないのにと、驚いて変に思う。
「何、串戯なものか真剣だ、ずっと寄んねえ、内証(ないしょ)話は近い方が可(い)い、」と、ぐいと引くと、身体(からだ)が斜(ななめ)に靡(なび)く処を、足を挙げて小間使の膝の上に乗せた、傍若無人の振舞。
「何をするか、」
「光!」と堪(たま)りかねて大人と後室、一(いつ)は無法者を、一は小間使を、ほとんど同時に同音に叱咤(しった)した。
 小間使こそ、膝は犯される、主人には叱られる、ばたばたと身を悶(もだ)え、命の瀬戸際と振放してフイと遁(に)げた。
 愛吉は腕を反(そら)し、脚を投出したまま哄然(こうぜん)として、
「ははははおもしろい、汝(うぬ)! 嫌われて何がおもしろい。畜生、」と自ら嘲(あざけ)って、嚔(くさみ)を仕損ったように眉を顰(ひそ)め、口をゆがめて頬桁(ほおげた)をびっしゃり平手でくらわし、
「様(ざま)あねえ、こんなお大名の内にも感心に話せそうなのが居ると思ったがやっぱりいけねえ、ぐうたらのおたんちんだ。我(おれ)が顔(つら)つきが気に喰わねえそうだ、分らねえ阿魔(あま)じゃあねえか。やい、」と才子が踵(かかと)をかさねた腰に近き、その脚で畳を蹴(け)たが、頤(おとがい)を突出した反身(そりみ)の顔を、鴨川と後室の方へ捻向(ねじむ)けて、
「汝等(うぬら)一体節穴を盗んで来て鼻の両方へ御丁寧に並べてやあがるな。きょろきょろするない、こう睨(にら)むない、蛙になるぜえ、黙って目を瞑(ねむ)って、耳の穴を開けて聞け。私等(わっちら)が畠(はたけ)のよ、勝山さんのお夏さんを何だと思ってるんだ、何と見損いやあがったい、いけ巫山戯(ふざけ)た真似をしやあがって、何だ小股(こまた)がしまってりゃ附合がむずかしい? べらぼうめ、憚(はばか)んながら大橋からこっちの床屋はな、山の手の新店だっても田舎の渡職人(わたりじょくにん)と附合(つきええ)はしねえんだ、おともだち、お気の毒だが附合はこっちでお断(ことわり)だ。
 それもよ、行儀なら行儀をしつけようてえ真実からした事なら、どうせお前達(めえたち)はお夏さんにゃあお師匠様だ、先生だ、私(わっち)が紋床の拭掃除(ふきそうじ)をするのと異(かわ)りはねえ、体操でも何でもすら。そうじゃあねえか、これがな、お前(めえ)か、婆(ばばあ)か、またこの御新造様(ごしんぞさま)なら仔細(しさい)はねえ、よしんば仔細があった処で泣く子と地頭だ、かれこれいって来る筋じゃあねえ。へん、何曜日とやらの午後でなくっちゃあ面(つら)あ出さねえとおっしゃる方が、少しばかり実のある紙包が出ると、たちまちおひきつけへ出てござって、どうだい、下剃のこの愛的(こう)を団扇で煽(あお)ぐだろうじゃねえか。第一、婆の空お世辞が気にくわねえや、何ていう口つきだ、もう一度あの、ふァふァを遣(や)らねえか。いや、譬(たと)えようのない異変な声だぜ、その饒舌(しゃべ)る時の歯ぐきの工合な、先生様の嫌な目つきよ、奥方のこの足のうらまでちゃんと探鑿(たんさく)が届いて、五千疋で退治に来たんだ、さあ、尋常に覚悟をしやがれ、此奴等(こいつら)!」
 愛吉は痩(や)せたのを高胡坐(たかあぐら)に組んで開き直る。

「震えるない震えるない、何もそう、鮭(しゃけ)の天窓(あたま)を刻むようにぶりぶりするこたあねえ、なぐり込に来たのなら、襷(たすき)がけで顱巻(はちまき)よ、剃刀(かみそり)でも用意をしていらあ。生命(いのち)に別条はねえんだから騒ぐにゃあ当らねえ、おう、奥様(おくさん)ちょいと、おい、先刻(さっき)のようにお暑うございますとか何とか謂(い)って、その団扇で私(わっち)をば煽いでくんねえ、煽ぎねえよ、さあ煽げ、煽げ、煽がねえかい。」と、愛吉は目の色の変るまで対手(あいて)の三人を屹(きっ)と睨(ね)めて、手も足も突張(つッぱり)返った。
「母様(おかあさま)、」と才子は衝(つ)と身を起しざまに、愛吉を除(よ)けて起(た)った。
「貴郎(あなた)もお立ちなさいまし、狂人(きちがい)ですわ。」と、さも侮り軽んじたごとき調子で落しめて言うのに和(か)して、
「狂人だ。」
「うむ狂人じゃ、巡査に引渡すが可(い)いじゃろ。」
「さあ、引渡せ、そうでなきゃあ団扇で煽げ、」と愛吉は仰向(あおむ)けに寝て大の字形(なり)、挺(てこ)でも動きそうな様子はない。謂う処に依れば才子に思うさま煽がせさえすれば、畳に生(はや)した根も葉も無く、愛吉は退散しそうに見える。
 按(あん)ずるに煽ぐという字は火偏に扇である、しかればますます奴(やっこ)の※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)(ほのお)が盛(さかん)になっても、消えて鎮まるべき道理はないが、そのかかることをいい、さることを為(な)すは、深き仔細があったので。
 愛吉は紋床で謂った、鴨川はその敵(かたき)で親の仇(あだ)とも思う怨(うらみ)がある、それは渠(かれ)がかねて愛顧を蒙(こうむ)る勝山の女(むすめ)お夏というのに就いたことである。
 今より五日ばかりの前、振袖立矢(たてや)の字、児髷(ちごまげ)、高島田、夜会結(むすび)などいう此家(ここ)に出入(ではいり)の弟子達とは太(いた)く趣の異なった、銀杏返(いちょうがえし)の飾らないのが、中形の浴衣に繻子(しゅす)の帯、二枚裏の雪駄穿(せったばき)、紫の風呂敷包、清書を入れたのを小さく結んで、これをまくり手にした透通るように色の白い二の腕にかけて、その手に日傘をさした下町の女(むすめ)風、服装(みなり)より容色(きりょう)の目立つのが一人、馬車新道へ入って来たことがあろう、それがお夏であった。
 お夏は人形町通の裏町から出て、その日、日本橋で鉄道馬車に乗って上野で下りたが、山下、坂本通は人足繁く、日蔭はなし、停車場居廻(ステエションいまわり)の車夫の目も煩(うるさ)いので、根岸へ行(ゆ)くのに道を黒門に取って、公園を横切った。
 あとさき路(みち)は歩いたり、中の馬車も人の出入(ではいり)、半月ばかりの旱(ひでり)続きで熱(や)けた砂を装(も)ったような東京の市街(まち)の一面に、一条(ひとすじ)足跡を印して過(よぎ)ったから、砂は浴びる、埃(ほこり)はかかる、汗にはなる、分けて足のうらのざらざらするのが堪難(たえがた)い、生来(うまれつき)の潔癖、茂(しげみ)の動く涼しい風にも眉を顰(ひそ)めて歩を移すと、博物館の此方(こなた)、時事新報の大看板のある樹立(こだち)の下に、吹上げの井戸があって、樋(とい)の口から溢(あふ)れる水があたかも水晶を手繰るよう。
 お夏は翳(かざ)していた日傘の柄を横に倒して熟(じっ)と見たが、右手(めて)に商品陳列所の外囲(そとがわ)が白ずんで、窓々の硝子(がらす)がぼやけて見えるばかりか、蝉の声さえ地の下に沈んで、人気はなく、近づいて来る跫音(あしおと)もしない。もっともここに来る道で谷中(やなか)から朝顔の鉢を配る荷車二三台に行逢ったばかりであるから、そのまま日傘を地の上へ投げるように置いて、お夏は吻(ほっ)といきをついた。

 腕(かいな)にかけていた紫の風呂敷包は、輪を外して日傘の上。お夏は袂(たもと)から手巾(ハンケチ)を出して、件(くだん)の水に浸しながら、手を拭(ぬぐ)い、襟を拭い、胸を拭い、足を冷して埃を洗って、颯(さっ)とあとを絞出したが、懐にせんも袂にせんも、びっしょり濡れているから、手巾(ハンケチ)をそのまま日傘の柄に持ち添えて、気軽に雪踏(せった)ちゃらちゃらと、鴨川が根岸の家へ急いだのであった。
 鶯谷(うぐいすだに)を下りて御院殿を傍(かたえ)に見て、かの横町へ入ると中ほどの鴨川の門の前に、二頭立の馬車が一台、幅一杯になって着いていた。
 月に三度あるいは二度、十四から通うて二十(はたち)の今まで、いわゆる玉の輿(こし)がこの門に在ることは、あえて珍しくはないのであったが、かくまで道を塞いで、縦(ほしいまま)に横附けになっていたのは、はじめて。
 もとより豆腐売、油屋など、荷のある類(たぐい)はあらかじめこの一条(ひとすじ)の横町は使わぬことになってるけれども、人一人、別けて肩幅の細(ほっそ)りした女、車の歯を抜けても入られそうに見えるけれども、逞(たくま)しい鼠色の馬の面(つら)が、小鼻を動かし、呼吸(いき)を吹いて正面(まとも)に門の処に並んでいるので、お夏は日傘を楯(たて)にしてあなたこなた隙間(すきま)を差覗(さしのぞ)くがごとくにしたが進みかねた。
(どなたか、ちょいと、私、用があるんですから。)
 声を懸けると三人が三人、三体の羅漢(らかん)のように、御者台の上と下に仏頂面を並べたのが、じろりと見て、中にも薄髯(うすひげ)のある一体が、
(用があるなら勝手口へ廻れ、)とつッけんどんに陀羅尼音(だらにおん)でいったのである。
 対手(あいて)は馬二匹と男が三人、はじめから気を呑まれてお夏は、
(はい、)といって、小戻(こもどり)をして、黒塀の板戸の角、鴨川勝手口とある処へ引返(ひっかえ)したが、何となくその首(こうべ)を垂れた。
 されば誰憚(はばか)るというではないが、戸を開けるのも極めて内端(うちは)じゃあったけれども、これがまた台所の板の間に足を踏伸ばし、口を開けて眦(めじり)を垂れていた、八ツさがりの飯炊の耳には恐しく響いたので、(騒々しいじゃあないか、誰だよ。)と頓興(とんきょう)に、驚かされた腹立紛れ。勝手口から入るものには、この位なことをいって差支えないのであろう。
(お休みの処を、済みません、)と丁寧に小腰を屈(かゞ)めて挨拶(あいさつ)をしたが、うっかり禁句とは心着かなかった。飯炊は面(つら)を膨らして、
(へん、ちゃぶ屋の姉さんじゃあるまいし、夜更(よふけ)にお客は取りませんからね、昼間寝たりなんかしませんよ、はい、憚様(はばかりさま)でございますよ、空(あ)いたのはそこに出してあら、)といいずてに伸(のび)をして、ふてくされてふいと立った。小間使はともあれ半季がわりの下働きは、上(かみ)の弟子なる勝山さえを知らずして、その浴衣、その帯、その雪踏、殊に寝惚目(ねぼけめ)なり、おひるに何か取ったらしい、近い辺(あたり)の鳥屋の女中と間違えたのである。お夏は思わず、芙蓉(ふよう)の顔(かんばせ)に紅(くれない)を灌(そそ)いだ。
 飯炊が居なくなっては袴(はかま)を穿(は)いた例(いつも)の書生が取次に出る場所ではない、勝手は分らず、啣(くわ)えて振りつけられたような山出しのむく犬を、また呼び出そうという声は持たず、お夏は人いきれに悩んだごとくうっかりして彳(たたず)んだが、我知らずうるんだ目の眦(まなじり)の切れたので左手(ゆんで)を見ると、見透(みすか)さるる庭の模様、百合の花にも、松の木の振にも、何となく見覚えがある、確(たしか)に座敷から眺めの処、師の君は彼処(かしこ)にこそ。
 お夏は身を忍ぶがごとく思いなしつつ。

 鳳仙花(ほうせんか)の、草に雑(まじ)って二並(ふたならび)ばかり紅白の咲きこぼるる土塀際を斜(はす)に切って、小さな築山の裾(すそ)を繞(めぐ)ると池がある。この汀(みぎわ)を蔽(おお)うて棚の上に蔓(はびこ)り重(かさな)る葡萄(ぶどう)の葉蔭に、まだ薄々と開いたまま、花壇の鉢に朝顔の淡きが種々(いろいろ)。
 あたかもその大輪(おおりん)を被(かつ)いだよう、絽(ろ)の羅(うすもの)に紅(くれない)の襦袢(じゅばん)を透(すか)して、濃いお納戸地に銀泥をもって水に撫子(なでしこ)を描いた繻珍(しゅちん)の帯を、背(せな)に高々と、紫菱田鹿の子の帯上を派手に結んだ、高島田で品の可(い)い、縁側を横にして風采四辺(あたり)を払うのが、飛石にかかると眩(まばゆ)くお夏の瞳に映じた。
 机を置いてこれに対し、浴衣に縮緬(ちりめん)の扱帯(しごき)を〆(し)めて、肱(ひじ)をつき、仰(の)けざまの目を瞑(ねむ)るがごとくなるは、謂うまでもなく鴨川であった。
 二人の中に、やや座を開いて控えたのは、すなわちこれ才子の御方(おんかた)。
 お夏は蝶々髷の頃から来馴れているし、殊にその時三人が座を構えたる一室のごとき、いつも入込(いれごみ)に教(おしえ)を授かる、居心の知れた座敷ではあったけれども、不断とは勝手が違った庭口から案内なしの推参である上に、門でも裏でも取ってつけない挨拶をされた先刻(さっき)の今なり、来客(らいかく)の目覚しさ、それにもこれにも、気臆(きおく)れがして、思わず花壇の前に立留まると、頸(うなじ)から爪(つま)さきまで、木(こ)の葉も遮らず赫(かっ)として日光(ひ)が射(さ)した。
 才子は正面(まとも)に、鴨川は横目に、貴(あて)なる令嬢を振返って、一斉に此方(こなた)を見向いた時、お夏は会釈も仕後(しおく)れて、畳んだ手巾(ハンケチ)を掻撮(かいつま)んで前髪の処に翳(かざ)したのである。
 応とでも言葉がかかれば、取縋(とりすが)る法もあるけれども、対手(あいて)方はそれなり口も利かなかった咄嗟(とっさ)の間、お夏は船納涼(ふなすずみ)の転寝(うたたね)にもついぞ覚えぬ、冷たさを身に感じて、人心地もなく小刻(こきざみ)につかつかと踵(きびす)を返した。
 鳳仙花の咲いた処でぬっと出て来たのは玄関番、洗晒(あらいざら)した筒袖の浴衣に、白地棒縞の袴を穿いた、見知越(みしりごし)の書生で、
(やあ、貴女(あなた)でありますか、勝手に居た女中が女の明巣覗(あきすねらい)が入ったっていうですからな。はははは、何を寝惚けおって。さあ、お通りなさいまし、馬鹿な、)と気抜けのした様子。
(はい、御門の処に馬車が居て恐(こお)うございましたから間違えてこっちへ参りました、どうも失礼。)
(いや、飛んだ不都合でありました、ずっとおいでなさい。ちょうど御来客で先生はそこのお座敷にいらっしゃいます。)とこの者だけは調子が可い。
(憚様(はばかりさま)ですがちょいとそうおっしゃって下さいましな、またお客様で御邪魔だと悪うございます。)
(何(なあに)、山河内(やまこうち)様のお姫様(ひいさま)で、同じお弟子なんでありますから構いません、いらっしゃい。)といい棄てて、この暑いに袴を穿かせるほどな家風、一体婦人を対手(あいて)の業体、歌所はしつけのいいもので、ニヤリともせず真面目くさり、髭(ひげ)のない男の手持なげに、見事な面皰(にきび)を爪探りながら、勝手の方に引込(ひっこ)んでしまった。
 お夏は帰るにも帰られず、折角の取次にも向うから遠慮されて、太(いた)く便(たより)を失ったが、暑さは暑し弱い身の、日向(ひなた)に立っていられる数(すう)ではないから、止(や)むことを得ず、思い切って気の進まないのを元の処へ引返(ひっかえ)すと、我にもあらずおずおずして、差俯向(さしうつむ)いて、姫と、師と、その夫人とおわす縁側へ行って、両手をついたが、天窓(あたま)から叱りつけでもされるように、お夏は消入る思(おもい)がした。

 お夏はようよう座に着いたが、鴨川が澄して見もせぬ目よりも、才子がつんとしている胸よりも、山河内の姫様というのが、膝に置いた手の宝玉入の指輪よりも、真先(まっさき)に気が着いたのは、大人(うし)が机の傍(そば)に差置かれたる、水引のかかった進物の包であった。
 今こそ人形町の裏通に母親と自分と二人ぐらし、柳屋という小さな絵草紙屋をしているけれども、父が存生(ぞんじょう)の頃は、隅田川を前に控え、洲崎(すさき)の海を後(うしろ)に抱(いだ)き、富士筑波を右左に眺め、池に土塀を繞(めぐ)らして、石垣高く積累(つみかさ)ねた、五ツの屋の棟、三ツの蔵、いろは四十七の納屋を構え、番頭小僧、召使、三十有余人を一家(いっけ)に籠(こ)めて、信州、飛騨(ひだ)、越後路(えちごじ)、甲州筋、諸国の深山幽谷(ゆうこく)の鬼を驚かし、魔を劫(おびや)かして、谷川へ伐出(きりだ)す杉檜(ひのき)松柏(かしわ)を八方より積込ませ、漕入(こぎい)れさせ、納屋にも池にも貯うること乱杭逆茂木(らんぐいさかもぎ)を打ったるごとく、要害堅固に礎(いしずえ)を立てた一城の主人(あるじ)といっても可(い)い、深川木場の材木問屋、勝山重助の一粒種。汗のある手は当てない秘蔵で、芽の出づる頃より、ふた葉の頃より、枝を撓(た)めず、振(ふり)は直さず、我儘(わがまま)をさして甘やかした、千代田の巽(たつみ)に生抜(はえぬ)きの気象もの。
 随分派手を尽したのであるから、以前に較べてこの頃の不如意に、したくても出来ない師家への義理、紫の風呂敷包の中には、ただ清書と詠草の綴じたのが入っているばかりの仕誼(しぎ)、わけを知ってるだけに、ひがみもあれば気が怯(ひ)けるのに、目の前に異彩を放つ山河内の姫が馬車に積んで来た一件物、お夏はまた一倍肩身が狭くなるのであった。
 されば気の挫(くじ)けた声も弱く、
(お暑うございます、)と手をついて挨拶して、ものもいってくれぬ師匠夫婦が気色(けしき)のほどを伺うと、蛍(ほたる)の祟(たた)りがあるのでもないから、因縁事でもあるまいけれども、才子はその時も手にしていた深草形の団扇を膝の真中(まんなか)あたりで、じっと凝視(みつ)めて黙っていたが、顔を上げると、何と思ったか、半白という上目づかいに、お夏の面(おもて)をじろりと見て、
(ああ、暑うございますこと、勝山さんあなたお客様を煽(あお)いで下さい、私はちょいとあちらへ参りますから、)と畳へ団扇を辷(すべ)らして、お夏の身近う突いて寄越(よこ)し、(失礼を、)と姫にいって、そのままふいと座を立った。
 お夏は聞正(ききただ)すまでもなく、疑うまでもない、明かに、ちょうど自分が居る背後(うしろ)から煽ぎ参らせよ、といわれたのである。
 それ、頼まるれば越後から米搗(こめつき)にさえ出て来る位、分けて師の内室(うちぎみ)が仰(おお)せであるのに、お夏は顔の色を変えてためらった。
(そうだ、勝山さん煽いでお上げ、)とお夏が直(ただち)に命を奉ぜぬのを、歌詠(うたよみ)の大人は寛仁大度、柔かに教えるがごとく仰せられる。
 それでも黙って俯向(うつむ)いていた。
 鴨川はまた優しい声して、
(分りませんか、あのね、今才がそういったのはね、あちらに用があって行(ゆ)くから、あなた、そこにありますその団扇で、お客様を煽いで下さいと言ったんです。)
(はい。)
(分りませんか、あのね、今才がそういったのはね、あちらに用があって行くから、あなた、そこにありますその団扇で、)
 お夏は堪(たま)らず団扇を持って、姫が羅(うすもの)の袂を煽いだのであった。

「先生、惜(おし)いことをしました、同(おんなじ)一杯回生剤(きつけ)を頂かして下さるのなら、先方(むこう)へ参りません前(さき)に、こうやって、」
 と麦酒(ビイル)の硝子杯(コップ)を一呼吸(ひといき)に引いて、威勢よく卓子(テエブル)の上に置いた、愛吉は汚れた浴衣の腕まくりで、遠山金之助と、広小路の麦酒(ビイヤ)ホールの一方を領している。
「五六杯引掛(ひっか)けておきゃ、半分は酒が手伝って暴(あば)れてくれます、何しろしらふなんで、」といいかけて、迫った眉根を寄せたのである。
 金之助は腰をかけたまま、両手で椅子を圧(おさ)えて卓子に胸を附着(くッつ)けて、
「大向うが喝采(やんや)でない迄も謹んで演劇(しばい)をする分にゃあ仕損ないが少ないさ、酔っぱらって出懸けてみなさい、他(ほか)の酔っぱらいと酔っぱらいが[#「酔っぱらいが」は底本では「酔っらぱいが」]違うんだよ。愛吉さん、お前が酒と連立ったんじゃ、向上(のっけ)から鴨川で対手(あいて)になってくれやしない、序幕に出した強談場(ゆすりば)だし、若干金(なにがし)かこっちから持込というのだから、役不足だったろう、まあ飲むが可(い)い、」と笑っている。
「どういたしまして相済みません、私(わっし)あね、先生、書生や車夫(くるやま)なんぞが居るてますから、掴出(つかみだ)す位なことはするだろうと思ってね、そうしたら一番撲倒(はりたお)しておいて、そいつを機(しお)に消えようと思ったんだが、まるで足腰が立たねえんです。まだね先生、そりゃ可(よ)うございますが、彼奴等(あいつら)人を狂人(きちがい)にしやあがってさ、寄付(よッつ)きゃしませんでした、男ごかしだの、立(たて)ごかしだのは幾らもあるんだけれど、狂人ごかしは私あはじめてなんで、躍るような手(てッ)つきで引上げて参りましたがね、ええ、お羽織はお返し申します。」
 愛吉は胸紐を巻込んで、懐に小さく畳んで持って来た、来歴のあるかの五ツ紋を取出して、卓子の上なる蘇鉄(そてつ)の鉢物の蔭に載せた、電燈の光はその葉を透(すか)して、涼しげに麦酒(ビイル)の硝子杯(コップ)に映るのである。
「ですが先生、下司(げす)は下司で、この羽織を着た窮屈さッたらありませんでしたぜ、私(わっし)あ思いますが、この上に袴(はかま)でも穿(は)いた日にゃ、たって獄舎(ごくや)の苦(くるし)みでさ。」
「それでもよくお前ごまかしたな。」
「先方(さき)じゃあ思(おもい)もつかなかったからでしょう、あのお夏さんに、こんな友達があると思った日にゃ、狒々(ひひ)に人間の情婦(いろ)が出来るとあきらめなけりゃなりません、へい、希代なもんです。」とまた煽(あお)る。
「沢山(たんと)おあがり、どうだね。」
「済みません、どうも五千疋御散財をかけました上に御羽織を拝借、その上御馳走(ごちそう)でございます。ほんとうに先生は、金主と作者と、衣裳方(いしょうかた)と、振つけと、御見物とかねて下さるんだ、本雨の立廻りか、せめてのことに疵(きず)でもつけるんでなくっちゃあ御贔屓効(ごひいきがい)がねえんですが、山が小せえんだね、愛宕(あたご)の石段を上るほどもないんですからね、」
「だって、ちょいとでも煽がせて来たら可いだろう、仕返しはそれだけで十分さ、私も勝山というその婦(おんな)の様子を聞いてさぞ心外だったろうと思ったから。一体風のよくない御公家(おくげ)でな、しみったれに取りたがる評判の対手(あいて)だから、ついお前の話に乗ってお茶番を仕組んで上げたようなものの、これが道理から言って見なさい、師匠と親は無理な者と思えと、世間じゃあいうんだよ。弟子にお客を煽がした位、手近な物を取ってくれも同然さ。癪(しゃく)に障ったの、口惜(くやし)いのと、怪しからん心得違いだと、かえってお前さん達の方を言い落さなけりゃならない訳だよ。」
「へい、大(おッ)きにさようでございます。」と愛吉の神妙さ。

「はははは、真面目(まじめ)になるな、真面目になるな、ぐッとまた一杯(ひとつ)景気をつけて、さあ、此方方(こなたかた)楽屋内(うち)となって考えると面白い、馬鹿に気に入った、痛快ということだ。」
 金之助は色気のない※(「口+愛」、第3水準1-15-23)(おくび)をし、垢抜(あかぬ)けのした目のふちに色を染め、呼吸(いき)をフッと向うへ吹いて、両手で額を支えたが、
「可(い)い、可い、ああ溜飲(りゅういん)の下る話だ、五千疋の顔を見りゃ、知事公の令嬢で歌所の奥方が、床屋の役介者(やっかいもの)――まあそうしておけよ――役介者を煽(あお)ごうという当世に、お世辞をいって紅白の縮緬(ちりめん)でも拝領しようという気はなしに、師匠が華族様を煽がせたといって、やけに腹を立てた柳屋のも難有(ありがた)い。人事(ひとごと)とは思わないで、それをまた親の敵ほどに癪(しゃく)に障らしたお前も私あ嬉しい。理窟はなしにとぼけていて飛んだ可いが、いや、大人気もなくその尻馬に乗って、利のつく金を若干(なにがし)と痛んだ、この遠山先生も悪くはあるまい、」と金之助は独りで莞爾々々(にこにこ)。
「話せらあ、話せらあ、こいつあ話せらあ。無暗(むやみ)に飲めます。」と愛吉はがぶりがぶり、狼と熊とが親類になったような有様で。
「理窟はないとおっしゃいますがね、先生、時と場合と代物(しろもの)に因るんですよ。何も口の端(はた)を抓(つね)られるばかりが口惜(くやし)いというんじゃアありません、時に因りますとね、蚊が一疋留まったのが蝮(まむし)に食われたより辛うございます。私(わっし)あね、親孝行な奴が感心だというんじゃあねえんで、へい、不孝な奴でも豪(えら)いといいます。へい、盗人(どろぼう)だって気に入るのがあるし、施(ほどこし)をする奴に撲倒(はりたお)してやりたいのがありますね。不動様は贔屓(ひいき)ですが、念仏は大嫌(だいきらい)。水ごりを取ってそれが主人のためなんだと聞いたって、びくともしやあしねえんで、お三どんが皸(ひび)を切らしたってそれが不便(ふびん)というんじゃありません、そんなのははじめッからその気でつき合っているんですからね、甘いことをいうと附上りまさ、癖になりますからね、※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)酢(にえず)をぶッかけときゃあ可いんです、べらぼうめ、ヘッ、」といって、顔を顰(しか)め、
「無法なことをいうと吃逆(しゃっくり)を出させるぞ。ヘッ、不可(いけね)え、ヘッ、いやどうしやがった、ヘッ、何のこッたい、ヘッ驚きましたな。先生、そ、それですがお夏さんの団扇じゃあ恐しく胆(きも)が※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)(に)えました、理窟はねえんです、いえ、理窟がねえんじゃあございませんや、けれどもその理窟は分りません。ヘッ、おい後生だ、ヘッ、何のこッた。」
 愛吉はぐッたりと首(こうべ)を低(た)れて、ふらりとしていたが、
「お待ち下さい、待っておくんなさいまし。ええと、先生、こうです。何だってその、あの毛唐人奴(けとうじんめ)等、勝山のお嬢さん、今じゃあ柳屋の姉さんだ、それでも柳橋葭町(よしちょう)あたりで、今の田圃(たんぼ)の源之助(きのくにや)だの、前(ぜん)の田之助に肖(に)ているのさえ、何の不足があるか、お夏さんが通るのを見ると、大騒動(おおさわぎ)をやりますぜ。柳屋のお夏さんとはいわないで、お夏さんの柳屋、お夏さんの柳屋ッて、花がるたを買いに来まさ。何だ畜生、上野の下あたりに潜ってやあがって、歌読も凄(すさ)まじい、糸瓜(へちま)とも思うんじゃあねえ。茄子(なす)を食ってる蟋蟀(きりざりす)野郎の癖に、百文なみに扱いやあがって、お姫様を煽げ、べらぼうめ。あの、先生、ここなんですがね、理窟は私(わっし)あ分ってます、お夏さんは、うまれつき団扇ッてものは人を煽ぐものだッてことはかいきし知っちゃあいないんです。」
「うむ、まず。」

 愛吉は思わずまた吃逆(しゃっくり)をして、
「ヘッ、いや怨敵(おんてき)退散。真面目な所へ吃逆は情(なさけ)ない。そうじゃあございませんか、深川の家に居なすった時なんざ、団扇を持って、自分を煽いだ事だって滅多には無かったでしょう。私あ上りまして見ましたがね、お夏さんが行水を使って、立膝でこう浴衣の袖で襟を拭(ふ)いてると、女中がね、背後(うしろ)で団扇車(うちわぐるま)ってやつをくるくるとやってました、洗髪(あらいがみ)だし、色は白し、」
 と酔眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って苦い顔で、
「庭の植木からは雫(しずく)が溢(こぼ)れます、袂(たもと)だの、裾(すそ)だの、その風でそよそよして、ぞッとするような美しさ、ほんとうに深川中の涼しいのを一人で引受けていなさるようで、見る者も悪汗が引込(ひっこ)んだんです。
 幾ら相場が狂ったって、日本橋から馬車に乗って、上野を歩(てく)で、道端の井戸で身体(からだ)を洗って、蟋蟀(きりぎりす)の巣へ入(へえ)ってさ、山出しにけんつくを喰って、不景気な。この温気(うんき)に何と、薄いものにしろ襦袢(じゅばん)と合して三枚も襲(かさ)ねている、茄(うだ)った阿魔女(あまっちょ)を煽がせられようとは思やしません、私はじめ夢の様(よう)でさ、胸気(むねき)じゃアありませんか。」
「可(い)いや、まあそんなに怒るな、傍(はた)に居る者が怯気々々(びくびく)する。」
「御免なさいまし。つい、」といって愛吉は苦笑した。
 金之助はやや更(あらたま)り、
「何しろ以前は大した栄耀(えよう)をしたものらしい。」と自ら語り頷(うなず)いて且つ愛吉の面(おもて)を見た。
「じゃあお前は先(せん)からの知己(ちかづき)か、紋床に居て近所だから絵草紙屋と懇意になったというんじゃあないのかね。」
 関係のいかんを怪(あやし)んでそれとはなく尋ねたのが、愛吉に直ぐ読めて、
「おかしゅうございましょう、先生、檜舞台の立女形(たておやま)と私等(わっしら)みたような涼み芝居の三下が知己(ちかづき)ッてのも凄(すさま)じいんですが、失礼御免で、まあ横ずわりにでもなって、口を利くのには仔細(しさい)がなくッちゃあなりませんとも。」
「成程、ありそうな仔細だよ。まず飲んで、ふむ。」
「過年(いつか)、水天宮様の縁日の晩でしたっけ、大通(おおどおり)のごッた返す処をちっとばかり横町へ遠のいて明治座へ行(ゆ)こうという麺麭屋(パンや)の物置の前に、常店(じょうみせ)で今でも出ていまさ、盲目(めくら)の女の三味線を弾くのがあります。投銭にはちゃちゃらかちゃんなんて古風な流行唄(はやりうた)をやってますが、可(い)い声で、ぞッとするような明烏(あけがらす)をやりますんでね。私(わっし)あ例のへべれけで、素見(ひやかし)数の子か何か、鼻唄で、銭のねえふてくされ。おう、勤(つとめ)する身のままならぬテッテチチンテッテチチンリンリン==いつぞや主(ぬし)の居続(いつづけ)に寝衣(ねまき)のままに引寄せて==を聞かしねえ、後生だ。こうお客にすりゃ御損が行(ゆ)く、情人(いろ)にして不足のねえからっけつ曾我の十郎てえお兄(あに)いさんだ、頼むぜ、と取巻いた人立を割って怒鳴り込んだんでさ。ひょろひょろしながら先生、」といって、愛吉は椅子に懸(かか)りながら身悶(みもだえ)をして見せた、金之助はやけに頤(あご)を撫(な)でて、
「悪くない、うむ、そうすると、」
「いつも交返(まぜッかえ)すんだから盲目(めくら)め、声を知ってまさ、かねてお気にゃあ入らなかったと見えて、
(ああ、弾くがね、お鳥目をおくれ。)
(何を!)
(私の新内はばら銭じゃあ聞かせないんだよ。)ッて言いましたぜ、先生、御存じじゃありませんか、年増で縁日を稼ぐ癖に、好(い)い女でさ。」

 ここに愛吉が金之助に話したことは、ちょうど二年前、一昨年(おととし)の晩春の事で。
 愛吉は今に到ってもおとなしくない、その時分もおとなしくなかったが、恐らくいつまでもおとなしくないのであろう。
 いうがごとく、縁日稼(かせぎ)の門附(かどづけ)も利かない気で、へべれけの愛吉が意にさからい、価(あたい)を払わなければ術(わざ)は見せぬ、お銭(あし)がなくっていて、それでたって凄(すご)い処を聞きたいなら、前(さき)に立って提灯(ちょうちん)は持たずとも、月夜に背後(うしろ)からついて来て、お花主(とくい)の門(かど)でやる処を、こぼれ聞きに聞いたら可(よ)いと、愛嬌(あいきょう)の無いことを謂(い)ったそうな。
 二振(ふり)の斧(おの)と、一挺(ちょう)の剃刀(かみそり)、得物こそ違え、気象は同一(おなじ)、黒旋風紋床の愛吉。酒(きちがいみず)は過している、懐にはふてている。殊に人立の中のこと、凹(へこ)まされた面(つら)は握拳(にぎりこぶし)へ凸(なかだか)になって顕(あら)われ、支うる者を三方へ振飛ばして、正面から門附の胸を掴(つか)んだ。紋床の若いのが酔ったといえば、交番でも棄てて置くは、店の邪魔はせず、往来(ゆきき)には突懸(つッかか)らず、ひょろついた揚句が大道へ筋違(すじかい)に寝て、捨鐘を打てば起きて行(ゆ)くまで、当障(あたりさわ)りはないからであったに、その夜(よ)は何と間違ったか、門附の天窓(あたま)は束髪(たばねがみ)のまま砕けて取れよう、※(「口+阿」、第4水準2-4-5)呀(あわや)と傍(はた)の者。
(あれ!)
(畜生さあ、鳴かねえ鶯なら絞殺して附焼だ。)と愛吉はちらつく眼(まなこ)、二三度撲(なぐ)りはずして、独(ひとり)で蹌踉(よろ)けざまにまた揮上(ふりあ)げた。
 握拳をしっかり掴んで、力任せに後(うしろ)へ引放した者がある。
(顔(つら)を見ろ、)
(や、)
(蒼(あお)くなれ蒼くなれ、奴(やっこ)、居酒屋のしたみを舐(な)めやあがって何だその赤い顔は贅沢(ぜいたく)だい、我(おれ)が注連縄(しめなわ)を張った町内、汝(てめえ)のような孑孑(ぼうふら)は湧(わ)かない筈だ、どこの流尻(ながしじり)から紛れ込みやあがった。)と頭ごかし、前後に同一(おなじ)ような、袷(あわせ)三尺帯の若衆(わかいしゅ)は大勢居たが、大将軍のような顔色(かおつき)で叱ったのは、鯰(なまず)の伝六といって、ぬらくらの親方株、月々の三十一日(みそか)には昼間から寄席(よせ)を仕切って総温習(そうざらい)を催す、素人義太夫の切前(きりまえ)を語ろうという漢(おこと)であった。
 過日(いつぞや)その温習(さらい)の時、諸事周旋顔に伝六木戸へ大胡坐(おおあぐら)を掻込んでいて、通りかかった紋床を、おう、と呼留め、つい忙しくって身が抜けねえ、切前にゃあ高座へ上るのだから、ちょいと道具を持って来て髯(ひげ)だけあたってくんなよ、と言種(いいぐさ)が横柄な上、かねて売れた構(がまえ)の顔色(がんしょく)を癪に障らしていた、稲荷(いなり)さんの紋三(もんざ)、人を馬鹿にすンな、内に昼寝をしてる処へ、意休が髯を持込んだって気に向かなけりゃお断り申すんだぜ、憚(はゞか)んながらこの稲荷はな、寄席へ出開帳(でがいちょう)はしねえんだ、あばよ、一昨日(おととい)来い、とフイと通過ぎたことがあるから、坊主が憎けりゃ袈裟(けさ)までの筆法で、同一(おなじ)内の愛吉にも含んだ意味があるらしかった。
(放せ、やい、愛の手ッ首は細いッてよ、女の子が加減をして握るぜえ、この鯰(なまず)め。)といきなり取られた手を振切って、愛吉は下駄を脱いで飛蒐(とびかか)った、勢(いきおい)に恐れて伝六はたじたじと退(さが)ったが、附いていた若い衆(しゅ)がむらむらと押取(おっと)り包んで、胴上げにして放り出した。
 愛吉は足も立たず、腰も立たず、のめッているのを、いや、踏むやら、蹴るやら。これを笑いずてに尻をまくった鯰の伝六を真先(まっさき)に、若者(わかいもの)の立去ったあとで、口惜(くやし)い! とばかりぶるぶると顫(ふる)えて突立(つった)ったが、愛吉は血だらけになっていたのである。

 築地明石町(あかしちょう)に山の井光起(みつおき)といって、府下第一流の国手がある、年紀(とし)はまだ壮(わか)いけれども、医科大学の業を卒(お)えると、直(す)ぐ一年志願兵に出て軍隊附になった、その経験のある上に、第二病院の外科の医員で、且つ自宅でも診察に応じている。
 口寡(くちすくな)で、深切で、さらりと物に拘(かかわ)らず、それで柔和で、品が打上り、と見ると貴公子の風采あり、疾病(やまい)に心細い患者はそれだけでも懐しいのに、謂うがごとき人品。それに信州、能登、越後などから修業に出て来て、訛沢山(なまりだくさん)で、お舌をなどという風ではない。光起の亡き父も、義庵と称して聞えた典薬頭(てんやくのかみ)、今も残っている門内左手(ゆんで)の方の柳の下なる、この辺(あたり)に珍しい掘井戸の水は自然の神薬、大概の病はこれを汲めばと謂い伝えて、折々は竹筒、瓶、徳利を持参で集るほどで。
 先代の信用に当若先生の評判、午後(ひる)からは病院に通勤する朝の内だけは、内科と外科としかるべき助手を両名使って、なお詰めかける患者を引受け切れず、外神田に地を選んで、住所の町名をそのまま、明石(あかし)病院というのを私立で当時建築中、ここで山の手の病家を喰留めようという勢(いきおい)。
 山の井の家には薬局、受附など真白(まっしろ)な筒袖の上衣を絡(まと)って、粛々と神の使であるがごとく立働くのが七人居て、車夫が一人、女中が三人。但しまだ独身であるから、女は居ても何となく書生が寄合ったという遣放(やりっぱな)しな処があって、悪く片附かない構(かまえ)の、秘(かく)さず明らさまなのが一際奥床しい。
 記者遠山金之助は、愛吉からこの山の井の名を聞くと、一層、聞く話に身が入った、蓋(けだ)しかねて自分は医学士と別懇であったせいである。
 さるほどに愛吉は鯰(なまず)の伝六一輩に突転ばされて、身体五六ヶ所に擦疵(すりきず)、打たれ疵など、殊に斬られも破られもしないが、背中の疼痛(いたみ)が容易でない。
 もっとも怪我をした当夜は、足を引摺(ひきず)るようにして密(そっ)と紋床へ這戻り、お懶惰(なまけ)さんの親方が、内を明けて居ないのを勿怪(もっけ)の幸(さいわい)、お婆さんは就寝(およっ)てなり、姐(あね)さんは優しいから、いたわってくれた焼酎(しょうちゅう)を塗(なす)って、上口(あがりくち)の火鉢の傍(わき)へ突臥(つっぷ)して寝たが、さあ、難儀。
 あくる日帰って来た紋三郎には口惜(くやし)くっても喧嘩のことは話されず、もとより条理(すじみち)の立った事ではない、酒の上の悪戯(いたずら)を懲らした方は、男が可いけれども、親方は身内のこと、邪が非でもきかない気なり、かねて快からぬ対手(あいて)が伝六と明してはただ済むまい。引被(ひっかぶ)って達引(たてひき)でも、もしした日には、荒いことに身顫(みぶる)いをする姐さんに申訳のない仕誼(しぎ)だと、向後(きょうご)謹みます、相替らず酔ったための怪我にして、ひたすら恐入るばかり。
 転んだ身体(からだ)を引摺って歩行(ある)いても、これほど疵がつく砂利は界隈(かいわい)にない筈(はず)と、紋三内々は睨(にら)んだが、愛的可いほどにしておけ、お前(めえ)には母親(おふくろ)があるぜ、と言って深くは咎(とが)めず、大目に見てくれたのが附目な位。可哀そうに染むだろうねと、あねさんがまた塗ってくれる焼酎を、どうぞ口の方へとも何ともいわない弱りさ加減、黒旋風の愛吉疼(いた)むこと一方ならず。
 素人療治では覚束(おぼつか)なくなると、あたかも可(よし)紋床は、かねて山の井に縁故があった。
 先(せん)の義庵先生は、市に大隠を極(き)めて浜町に住(すま)ったので、若い奴等(やつら)などと言って紋床へ割込んで、夕方から集る職人仕事師輩(であい)を凹ますのを面白がって、至極の鉄拐(てっか)、殊の外稲荷が贔屓(ひいき)であったので、若先生の髪も紋床が承る。

(どうです豪傑、蝦蟇(がま)の膏(あぶら)じゃあ不可(いけ)ませんか。)と薬局に痛めつけられて、いつも蝦蟇の膏と酒さえありゃ外科も内科も訳なしだ、お前さん方は弱い者苛(いじ)めで儲(もう)けるんだ、などと大言を発する愛吉、中指のさきで耳の上を掻(か)きながら大悄(おおしょ)げになってその日もまた。
 明石町へ通うこと五日六日、もう佳(よ)かろうという日のことであった。
 打傾いたり、首垂(うなだ)れたり、溜息(ためいき)をしたり、咳(しわぶ)いたり、堅炭(かたずみ)を埋(い)けた大火鉢に崩折(くずお)れて凭(もた)れたり、そうかと思うと欠伸(あくび)をする、老若の患者、薬取がひしと詰懸けている玄関を、へい、御免ねえ、で愛吉はつかつかと。
 かかる馴染(なじみ)でお出入といったような怪我人であるから、番号も遠慮もない、愛吉は四辺(あたり)構わず、
(おう、柴田さん、この、診察所、と黒塗の板に胡粉(ごふん)で書いてある、この札をどうかしておくんなさいな。横ッちょに曲って懸(かか)ってるんですが、私(わっし)あ過日(いつか)中から気になってならないんで、直すか直すかと思ってるとやっぱり横ッちょだ。私(わっし)の内は貧乏だけれど姉(あね)さんが居るから暖簾(のれん)が汚れませんや、御新造(ごしんぞ)が居なさらねえとそれだもの困っちまう、)と高慢なことをいいながら、背伸をして、西洋造の扉の上に、鶏卵色(たまごいろ)の壁にかかった塗板を真直(まっすぐ)に懸直し、そのまま閉ってる扉を開けて、小腰を屈(かが)めて診察所へ入った。
 密閉した暗室の前に椅子が五脚ばかり並んで、それへ掛けたのが一人、男が一人、向うの寝台(ねだい)の上に胸を開けて仰向(あおの)けになっている。若先生光起は、結城(ゆうき)の袷(あわせ)に博多(はかた)の帯、黒八丈の襟を襲(かさ)ねて少し裄短(ゆきみじか)に着た、上には糸織藍微塵(あいみじん)の羽織平打(ひらうち)の胸紐(むなひも)、上靴は引掛(ひっか)け、これに靴足袋を穿(は)いているのは、蓋(けだ)し宅診が済むと直ちに洋服に変って、手車で病院へ駆けつけようという早手廻。
 卓子(テエブル)を傍(わき)に椅子に倚(かか)って、一個(ひとり)の貴夫人と対向(さしむか)いで居た。卓子に相対して、薬局の硝子窓(がらすまど)を背後(うしろ)に、かの白の上服(うわぎ)を着たのと、いま一人洋服を着けた少年と、処方帳をずばと左右に繰広げ、筆(ペン)に墨汁(インキ)を含ませつつ控えたり。
 薬の薫(かおり)は床に染み、窓を圧して、謂うべからざる冷静の趣。神社仏閣の堂と名医の室は、いかなる者にも神聖に感じられて、さすがの愛吉、ここへ入ると天窓(あたま)が上らず、青菜に塩。愛吉、薬の匂(におい)に悄(しお)れ返って医学士に目礼したが、一体八字髯(ひげ)のある近眼鏡を懸けた外科の助手に毎日世話になるのであったから、愛吉は猶予(ためら)わず、ひょこひょこと進むと、戸が半開(はんびらき)になっていたので、突然(いきなり)外科室へ首を突込(つっこ)こんだが[#「突込(つっこ)こんだが」はママ]、驚いて退(すさ)った。
 咄嗟(とっさ)の間、世にも媚(なまめ)かしい雪のような女の顔を見たのであった、そうして愛吉がお夏を見たのは、それが最初(はじめて)だというのである。
 見るから心も冷ゆるばかり、冷たそうな、艶(つや)のある護謨布(ゴムぬの)を蔽(おお)いかけた、小高い、およそ人の脊丈ばかりな手術台の上に、腰に絡(まと)った紅(くれない)の溢(こぼ)るるばかり両の膚を脱いだ後姿は、レエスの窓掛を透(すか)す日光(ひのひかり)に、くッきりと、しかも霞の中に描かれたもののよう目に留まった。
 愛吉の間の悪さ、思わず顔を赧(あか)らめながら、もじもじ後退(あとじさり)になり、腰をかけて待合している、患者か、はた供のものか、円髷(まるまげ)の婦人(おんな)の次なる椅子に堅くなったが、心こそ着かざりけれ、外科室に寄った椅子の上に、これもまた媚かしく差置いてあるのは、羽織と、帯と、解棄てた下〆(したじめ)と懐紙(ふところがみ)。取乱した藤お納戸、緋(ひ)、桃色、水色、白、紅(くれない)。

 愛吉はきょとんとして、ぼんやりあらぬ方(かた)を眺めながら、目玉をくるくると遣(や)っていると、やがて外科室のその半開の扉をおした、洋服の手が引込む、と入違いに、長襦袢(ながじゅばん)の胴がちらちら、薄紫の半襟、胸白く、袷の衣紋(えもん)の乱れたまま、前褄(まえづま)を取ったがしどけなく裾(すそ)を引いて、白足袋の爪先、はらりと溢(こぼ)るる留南木(とめき)の薫。
 診察室を出て来たが、深川の勝山、まだ世盛(よざかり)の頃で、お夏その時は高島田の、年紀(とし)十七であった。
(何某(なにがし)。)とかの筆(ペン)を持った一人が声を懸けると寝台の上に仰向(あおむ)けになっていたのは、辷(すべ)り落ちるように下りて蹌踉(よろよろ)と外科室へ入交(いりかわ)る。
 同時に医学士に診察を受けていた貴夫人は胸を掻合せたが、金縁の眼鏡をかけた顔で、背後(うしろ)へ芍薬(しゃくやく)が咲いたような微妙(いみじ)い気勢(けはい)に振返った。
 その時、打合せの帯を両手に取って、床に膝をつきついてお夏の前に廻ったのは、先刻(さっき)から控えていたかの円髷の婦人(おんな)であった。
 お夏は衽(おくみ)を取って揃えると、腰から乳の下に下〆を無造作にぐるぐる巻、あてがってくれる帯をして、袖を上へ投げて肩にかけた。附添の婦人(おんな)は衝(つ)と立って背後(うしろ)へ廻る。
 愛吉は心なく垣間見(かいまみ)た人に顔を見らるるよう、思いなしか、附添の婦人(おんな)の胸にも物ありげに取られるので、うつむいては天窓(あたま)を掻いた。
 その帯をまだ結び果てなかったほどのことで、光起は今貴夫人を診察し了して、立身(たちみ)になり、片手を卓子につきながら、低声(こごえ)で何か命じて、学生にその筆(ペン)を運ばしめていたが、ちょっと筆を留めて伺った顔に頷(うなず)いて見せて、光起は衝(つ)と立直った時、ふと、帯をしているお夏を見て、
(済みましたか。)
(ええ、)と頷く。
(痛かったでしょう。)
(はあ、)と事もなげに、淡泊に答えたのである。
 光起は微笑(ほほえ)んで、
(貴女(あなた)、母様(おっかさん)のいうことを肯(き)かないとまたできますよ。)
 お夏は襟を啣(くわ)えるようにして、差俯向(さしうつむ)いて、颯(さっ)と顔を赧(あか)らめたが、何にもいわないで莞爾(にっこり)した。
 愛吉は額を撫(な)でた。
 医学士の言葉とお夏の素振(そぶり)を、附添は嬉しそうに、
(お夏様、あれ御挨拶をなさいましな。)
(知らない、)と素気(そっけ)ないことをいって再び莞爾(にっこり)。
(先生、癬(たむし)の治ります薬はありませんでしょうか。)と不意に言い出したのは件(くだん)の貴夫人であった。
(打棄(うっちゃ)っておおきなさい、)と光起は言下に応ずる。
(でもあのこんなですから、)とさも世馴れた、人懐(ひとなつッ)こいといったような調子で、光起に背(せな)を捻向(ねじむ)けると、頸(うなじ)を伸して黒縮緬(くろちりめん)の羽織の裏、紅(くれない)なるを片落しに背筋の斜(ななめ)に見ゆるまで、抜衣紋(ぬきえもん)に辷(すべ)らかした、肌の色の蒼白(あおじろ)いのが、殊に干からびて、眉を造った、白粉(おしろい)の濃い、金縁の眼鏡に瞼(まぶた)の皺(しわ)をかくした顔こそ若けれ、あらわに見ゆる筋骨(すじぼね)は数四十であるのに、彼を抱(いだ)くものあらば正にその者の手の下なるべき、左の背(そびら)を肩へかけて、亜弗利加(アフリカ)の地図のごとき一面の癬、あな笑止や。
「汚(きたね)えな! って私(わっし)あ本当にうっかり。それが何です、山河内(やまこうち)という華族の奥方だったんですって、華族だって汚えんですもの。」と愛吉はビイヤホールで語りながら、今も思出すほどか眉を顰(ひそ)めたのである。

 名は知らず、西洋種の見事な草花を真白(まっしろ)な大鉢に植えて飾った蔭から遠くその半ばが見える、円形(まるがた)の卓子(テエブル)を囲んで、同一(おなじ)黒扮装(くろいでたち)で洋刀(サアベル)の輝く年少(としわか)な士官の一群(ひとむれ)が飲んでいた。
 此方(こなた)に、千筋の単衣(ひとえもの)小倉の帯、紺足袋を穿(は)いた禿頭(はげあたま)の異様な小男がただ一人、大硝子杯(おおコップ)五ツ六ツ前に並べて落着払った姿。
 時々髯(ひげ)のない顔が集り合っては、哄(どっ)という笑語の声がかの士官の群から起るごとに、件(くだん)の小男はちょいちょい額を上げて其方(そなた)を見返るのであるが、ちょうど背合(せなかあわ)せになってるから、金之助にこれは見えなかった。
 ビイヤホールの客は、今わずかに三組の外には無かったので、生麦酒(なまビイル)の出入(だしいれ)をする一段高い台の上には、器械を胸の辺(あたり)にして受持のボオイがあたかも議長席に着いたもののように正面を切って身動(みうごき)もせず悠然と控えている、その下に椅子に凭(かか)って一人のボオイは新聞を読む、これと並んで肩から脇の下へ金袋(かねぶくろ)をぶらさげた一人、白の洋服の足を膝の処で組違えて、斜(ななめ)に肱(ひじ)で身体(からだ)の中心を支えて立身で居る、しばしば跫音(あしおと)を立ててしっくい叩(たたき)の土間を、靴で士官の群の処へ通うのはこのボオイで、天井は高く四辺(あたり)はひっそり、電燈ばかり煌々(こうこう)と真昼間(まっぴるま)のごとく卓子を照(てら)して、椅子には人影もなかったのである。
 戸外(おもて)は立迷う人の足、往来(ゆきき)も何となく騒がしく、そよとの風も渡らぬのに、街頭に満ちた露店(ほしみせ)の灯(ともしび)は、おりおり下さまに靡(なび)いて、すわや消えんとしては燃え出づる、その都度夜商人(よあきゅうど)は愁(うれ)わしげなる眉を仰向(あおむ)けに打見遣(うちみや)る、大空は雲低く、あたかも漆で固めたよう。
 蒼(あお)と赤と二色(ふたいろ)の鉄道馬車の灯(ともしび)は、流るる蛍(ほたる)かとばかり、暗夜を貫いて東西より、衝(つ)と寄っては颯(さっ)と分れ、且つ消え、且つ顕(あらわ)れ、轣轆(れきろく)として近(ちかづ)き来り、殷々(いんいん)として遠ざかる、響(ひびき)の中に車夫の懸声、蒸気の笛、ほとんど名状すべからざる、都門一場の光景は一重(ひとえ)の硝子(がらす)に隔てられてビイヤホールの内は物色沈々、さすがに何となく穏(おだや)かならぬ宇宙の気勢(けはい)の、屋(おく)を圧して刻々に迫るを覚ゆる、これが、風になるか、雨になるか、日和癖(ひよりぐせ)で星になるか、いずれとも極(きま)ったら、瀬を造って客は一斉に籠(こ)むのであろう。
 とばかりにしてものの静けさよ。ここかしこの鉢植なる熱帯地方の植物は、奇花を着け、異香を放ち、且つ緑翠(りょくすい)を滴らせて、個々(ひとりひとり)電燈の光を受け、一目眇(びょう)として、人少なに、三組の客も、三人のボオイも、正にこれ沙漠の中なる月の樹蔭(こかげ)に憩える風情。
 この間に、愛吉がお夏の来歴を説く一場の物語は、人交(ひとまぜ)もせず進んで、築地明石町の医学士の診察所における出来事にまで至ったのである。
「声を出して言ったのか、汚(きたね)えなんて、癬(たむし)を嘗(な)めさせられはしまいし、肌を脱いで医者に見せた処を背後(うしろ)から、汚え、なんていう奴がありますかい、しかも華族だってな、山河内……伯爵だ。
 もっともその奥様(おくさん)は赤十字だの、教育会、慈善事業、音楽会などいうものに取合って、運動をするのに辻車で押廻すという名代(なだい)のかわりものなんだけれども、怒ったろう、皆(みんな)驚いたろう、乱暴狼藉(ろうぜき)だ、どうした、それから、」
「私(わっし)もついうっかり遣っちゃったんで、はっと思うと、」
「うむ、」
「ちょうど代診さんの方へ呼ばれたから遁(に)げ込みました。」

「しかし癬(たむし)が汚(きたね)えといったのが、柳屋の気に入ったというでもなかろう。」
 愛は真面目に、
「へい、そういう訳でもないんですがね。」
「それじゃあ手術台に肌脱の、俗にそれあられもないという処を見られたのが御縁になったか、但しちっとどうもおかしいな。」
「何、そういうわけでもないんですがね。」
「何しろ、汝(おまえ)の方からゆすり込んだものと私は思うな。」
「先生御串戯(ごじょうだん)を、勿論あれです、お夏さんは華族てえと大嫌(だいきらい)です。私(わっし)が心も同一(おんなじ)だ、癬は汚えに違いません、ですが、それがどうということはありませんよ。それからね、素肌を気にして腋(わき)の下をすぼめるような筋のゆるんでる娘(ねえ)さんじゃアありませんや。けれども私が出入(ではいり)をするようになったのは、こちらから泣附いたんです、へい。」
「手を合せて、拝みます、と口説(くど)いたか。」
「どういたし、……手前御慮外は申しません、泣ついたのは母親(おふくろ)でさ。」
「ははあ、紋三郎がいったように、いつも酒(ひだり)の方の意見の義だろう。」
「いいえ、その時は生命(いのち)にかかわります一件。」
「おや、お前それでも酒の他(ほか)にかかわることがあるだろうか。」
「大有り、」といって愛吉は硝子杯(コップ)の縁を圧(おさ)えながら、金之助をじっと見て、
「串戯(じょうだん)じゃアありませんでしたよ、まったく。
 それがね、やっぱりその日なんです、事というと妙なもんで、何でもない時は東京中押廻したって、蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)(とんぼ)一疋ぶつかりこはねえんですが、幕があくと一斉(いっとき)でさ。」
「大層感じたな。」
「まったくですから。」
「じゃあ何か、華族様へ御無礼を申したとあって、お差紙でも着いたのかい。」
「いえ、先刻(さっき)も申しました通り、外科室の方へ呼ばれたんで、まずお座は濁りましたね。
 それからお手当が済みました、もう通って来ないでも大丈夫だ、あとはただ大人しくなさいよ、さ、大人しくしろが可(よ)うございましょう。
 無暗(むやみ)とお礼を謂(い)って匆々(そこそこ)に山の井さんの前を抜けて、玄関へ参りますとね、入る時にゃあ気がつきませんでしたが、ここにそのまた珍事出来(しゅったい)の卵が居たんです。女の子で、」
「いずれそうだろう。」と金之助は故(わざ)とらしく深く頷(うなず)く。
「まあ、お聞きなさいまし。上口(あがりくち)の突尖(とっさき)の処、隅の方に、ばさばさした銀杏返(いちょうがえし)、前髪が膝に押(おッ)つくように俯向(うつむ)いて、畳に手をついてこう、横ずわりになって、折曲げている小さな足の踵(かかと)から甲へかけて、ぎりぎり繃帯(ほうたい)をしていました、綿銘仙の垢(あか)じみた袷(あわせ)に、緋勝(ひがち)な唐縮緬(めりんす)と黒の打合せの帯、こいつを後生大事に〆(し)めて、」
「大分悉(くわ)しいじゃないか。」
「私(わっし)だって先生、唐縮緬と繻子(しゅす)ぐらいは知ってますぜ。」
「幾干(いくら)か出せ、こりゃ恐ろしい。」
「真平(まっぴら)御免なさい、先方(さき)は小児(こども)なんです。ごく内気そうな、半襟の新しいが目立つほど、しみッたれた哀(あわれ)な服装(みなり)、高慢に櫛(くし)をさしてるのがみじめでね、どう見ても女中なんですが。
 恐ろしく疼(いた)むかして、小さく堅くなって、しくしく泣いてるんです。
 姉さんどうしたんだッてね、余り可哀相(かわいそう)だから声を懸けてやりましたが、返事をしません。疵処(きずしょ)にばかり気を取られて、もう現(うつつ)なんだろうと思いました、少(わか)いのに疼々(いたいた)しい。」

「じれったいから突然(いきなり)肩に手を懸けると、その女中は苦しくッてか、袷も透(とお)すような汗びっしょり、ぶるぶる震えているんでしょう。
 どうしたんだって聞きますとね、足の裏から突通るほどの踏抜(ふみぬき)をしたんだそうで、その前の日の事だっていうんです。
 見りゃ込合っていましたけれど、どれも病人、人の世話を焼こうという元気の好い奴(やつ)は居(お)りませんや、こいつかかり合だ、身体(からだ)を抜くわけにゃいかねえような気になりました。
 一体どこの者だ、家(うち)は遠いかって聞きますとね、つい五町ばかり先でございます、あの、親分の処に、と弱った声でいいました。親方というのは鯰(なまず)の伝――どうです騒(さわぎ)の卵じゃありませんか、尋常事(ただごと)じゃアありますまい。
 何でも伝が内の奉公人に違えねえ。野郎め、親方々々と間違でも人に謂われる奴が、汝(うぬ)が使ってる者がこんな怪我をしてるのに、医者に寄越(よこ)すッて、ないら病(やみ)の猫を押放(おっぱな)したような工合は何たる処置だい、姉(あね)さんをつけて寄越さないまでも、腕車(くるま)というものがないのじゃあなかろう、可哀相に丸ぽちゃの色の白いのが、今の間にげっそり痩(や)せて、目のふちを真蒼(まっさお)にしていらあ、震えてるぜ。
 そう思って堪(たま)らなかったんですが、気が着きますとね、待てよ、私(わっし)が思った通(とおり)を口へ出して謂やあ、突然(いきなり)伝を向うへまわして、ずらりと並べる台辞(せりふ)になる、さあ、おもしろい、素敵妙だ。
 一番、この女(こ)をかつぎ込んで、奴が平生侠客(おとこ)ぶるのを附目にして、ぎゅうと謂わそう。
 蝦蟇(がま)の膏(あぶら)で凹まされるのも何のためだ、忘れやしねえ。」
 と話をするにも凄(すさ)まじい意気込だった、愛吉はちょいと気をかえ、
「へへへへ、先(せん)の縁日の晩のは、全くこっちが悪かったんでさ。落度はあったって口惜(くやし)いにゃ口惜いでしょう、先生、子曰(しのたまわく)はよして聞いて下さい、可(よ)うございますか。」
「可(い)いさ、可いさ。」
「オイ、姉や、私(わっし)が肩へつかまりねえ、わけなしだ。お前ン処(とこ)まで送ってやろうと、穿物(はきもの)を突懸(つっか)けておいて、蹲(しゃが)んで背中を向けますとね、そんな中でも極(きまり)のわるそうに淋しい顔をして、うじうじ。
 じれってえ女(こ)じゃあねえか、尻なんざあ抱きやしねえや、帯を持って脊負ってやら、さあ来い、と喧嘩づらの深切ずくめ、言(いい)ぐさが荒っぽうございますから、おどおどして、何と肩へ喰いつくように顔をかくして、白昼(まっぴるま)、それでもこの野郎の背中へ負(おんぶ)をしましたぜ。あとで考えると気の毒でさ、女の気じゃあ疵(きず)が痛む方がどんなにお恰好(かっこう)だか知れませんよ。
 全く叱りつけるように勧めたんですからね、すすめ人(て)が私でしょう。阿魔(あま)はてっきり、ぶんなぐられると思って負(おぶ)さったもんです、名はお米ッていいます、可愛い女(こ)なんですがね、十七でしたよ。
 さあ、歩行(ある)き出すと、こう耳朶(みみたぶ)の処へ縺(もつ)れた髪の毛が障るでしょう、あいつあ一筋でもうるそうがさ、首を振るとなお乱れて絡(まと)いますから、呼吸(いき)をかけてふッふッ鬢(びん)の尖を向うへ吹いちゃあ、三角(みつかど)の処まで参りますとね、背後(うしろ)から腕車(くるま)が来ました。
 町幅が狭いんですから、すれ違って前へ駆け抜けたと思うと、振返った若衆(わかいし)と一所に、腕車の上から見なすったのは先刻(さっき)のお嬢様、ええ、お夏さん。」

「藤お納戸の、あの脱いであった羽織を被(き)ておいでなすった。襦袢(じゅばん)の袖口に搦(から)んだ白い手で、母衣(ほろ)の軸に掴(つか)まって、背中を浮かすようにして乗ってましたっけ、振向いて私(わっし)がお米を負(おぶ)ってた形を見て莞爾(にっこり)笑いなすった。
 顔を見合せますとね、こっちでも何だか知己(ちかづき)のような気がしたもんですから、遠慮しねえで、
(今日は、)と肚(はら)の中で言ってお辞儀したんです。
 腕車は何、休んだんじゃあございません、駆けてる中(うち)、ちょいとの間(ま)なんで、そのまま飛ぶように行っちまいましたが、縁でございましょう、先生。
 世の中というものは、どこにどんな引(ひっ)かかりがあるか知れませんぜ。なぜッてますと、あとで分りましたが、そのお夏さんの勝山という家(うち)は、私の亡くなりました父爺(ちゃん)が、船頭で、奉公人同様に久しい間御恩になったのでございました。
 さあ、それから米坊をかつぎ込んで、ちょうど縁端(えんばな)に大胡坐(おおあぐら)をかいて毛抜をいじくってやあがった、鯰の伝をふんづかまえて、思う状(さま)毒づいたとお思いなさいよ。
 くだらないことをお耳に入れるでもありませんから、始末は申上げませんが、何(なん)しろ侠客(おとこ)だとか何とかいわれる分では、お米に届かねえ点が十分にあったんですから、こりゃ力ずく、腕ずくじゃあ不可(いけ)ませんや、伝の親仁(おやじ)大凹み。
 こっちあぐッと溜飲(りゅういん)が下って、おさらばを極(き)めてフイとなって、ざっぷり朝湯を浴びた気さ、我ながら男振を上げて、や、どんなもんだい。
 人形町居廻(いまわり)から築地辺、居酒屋、煮染屋(にしめや)の出入(でいり)、往復(ゆきかえり)、風を払って伸(の)しましたわ、すると大変。
 暗がりを啣(くわ)え楊枝(ようじ)、月夜には懐手で、呑気(のんき)に歩行(ある)いてると、思いがけねえ狂犬(やまいぬ)めが噛附(かみつ)くような塩梅(あんばい)に、突然(いきなり)、突当る奴がある、引摺倒す奴がある、拳固でくらわす奴がある、一度々々呼吸(いき)を引かないばッかりで、はッはッと思うことが、毎晩じゃアありませんか。」
「成程、」
「その度(たんび)に微傷(かすりきず)です、一年三百六十五日、この工合じゃあ三百六十五日目に、三百六十五だけ傷がついて、この世を宜(よろ)しく申させられそうで、私(わっし)も、うんざり。
 様子を聞くと、伝がこの事を意趣にして、子分子方の奴等がしょっちゅう附け廻すんだそうですから、私あ堪らなくなって、舟賃を一銭(ひゃく)出して、川尻を渡って佃島(つくだじま)へ遁(に)げました。
 佃島には先生、不孝者を持って多(いか)いこと苦労をする婆さんが一人ね、弁天様の傍(わき)に吝(けち)な掛茶屋を出して細々と暮しています、子に肖(に)ない恐しい堅気なんで。」
「何だい、それは、」
「私(わっし)の母親(おふくろ)でございます。」
「それだもの。」
「へへへへ、今更いたし方がありません、そこへ転がり込んで、居縮(ゐすく)[#ルビの「ゐすく」はママ]まって震えてたもんですから、愛吉どうしたんだって、母親が尋ねます。
 これこれだといいますとね、それだから常日頃いって聞かさないことではない、蟻じゃあなし、毛虫じゃあなし、水があったって対手(あいて)は渡って来ます。しかし……鯰の伝……それならば死んだ父爺(おやじ)が御恩になった深川の勝山さんへ出入をするから、彼家(あすこ)へ行って、旦那様にお頼み申して、伝にいい聞かしておもらい申して、お前の身体(からだ)を無事なよう計らいましょうと、父爺(ちゃん)が亡くなってからも暑さ寒さにゃあお見舞を欠かしたことがないという、律儀はこんな時用に立ちます、で母親(おふくろ)が取りあえず。」

「深川へ参りましてね、母親(おふくろ)が訳を謂(い)って話をしますと、堅気の商人(あきんど)だ、遊人(あそびにん)なんぞ対手(あいて)にして口を利けるんじゃあないけれども、伝か、可(よ)し、鯰ならば仔細(しさい)はないと、さらりと埒(らち)は明いたんです。
 私(わっし)はこんなやくざものの事ですから、母親も別に話さないでいたのがその時知れまして、そうか、そんな倅(せがれ)があるのか、床屋が家業と聞きゃちょうど可い、奉公人も大勢居るこッた、遊びながら働きに寄越すが可いと、深切におっしゃって下すったので、二度目にはお礼かたがた、母親について伺いますと、先生、吃驚(びっくり)しましたぜ。
 中庭でもってきゃっきゃっという騒ぎ、女中衆が三四人(さんよったり)、池の周囲(まわり)を駆けてるんで、鬼ごッこがはじまってるか、深川だって呑気なもんだと、ひょいと見るとどうです、縁側に腰をかけてたのは山の井の診察所で見た、別嬪(べっぴん)だろうじゃありませんか。
 そうして女中が遁(に)げるのを追懸けますのは、恐しい、犬でも蹴(け)そうな軍鶏(しゃも)なんで。
 今でも柳屋に飼ってあります。強いことッたら御用の小僧なんか背後(うしろ)からはたかれて、ぎゃっといって、打(ぶ)っ坐りまさ。
 心持が可(よ)うございますぜ、とさかを立ってずっと伸(の)して、眼(まなこ)をくるりと遣りますとね、私とでも取組(とっく)みそうでさ。一体気の勝った、お夏さんは癇癪持(かんしゃくもち)なんだけれど、婦人(おんな)だけにどうすることも出来ないんですから、癪なことは軍鶏と私とで引受けてるんで、ええ、可うごす、軍鶏と愛吉とで請合いましたと謂うと、蒼くなって怒ってる時でも莞爾(にっこり)しまさあ。
 お夏さんは飛んだその鶏(とり)を可愛がってます。それから母上(おっかさん)はいうまでもありませんが、生命(いのち)がけで大事にしているお雛様(ひなさま)がありますよ。
 十軒店(じっけんだな)で近頃出来合の品物じゃあないんだそうで、由緒のあるのを、お夏さんのに金に飽かして買ったって申しますがね、内裏様が一対、官女が七人お囃子(はやし)が五人です、それについた、箪笥(たんす)、長持、挟箱(はさみばこ)。御所車一ツでも五十両したッていいますが、皆(みんな)金蒔絵(きんまきえ)で大したもんです。
 このお雛様の節句と来た日にゃ、演劇(しばい)も花見も一所にして、お夏さんにかかる雑用(ぞうよう)、残らず持出すという評判な祭をしたもんですッさ。
 私(わっし)が勝山(あちら)に伺うようになりました翌年(あくるとし)、一昨年(おととし)ですな。
 三月三日の晩、全焼(まるやけ)にあいなすった。」といいかけて、愛吉は四辺(あたり)を※(「目+句」、第4水準2-81-91)(みまわ)したが、浮かぬ色をした。
 声も低く、
「しかも私(わっし)が行合せていたんです。十時頃(じゅうじッころ)でございましたね、お雛様を見せておくんなさいって、勝手の方から。不断、皆様(みなさん)で可愛がってくれますし、お夏さんも贔屓(ひいき)にして下すったもんだから、すぐにその何でさ、二階の座敷へ上りました。
 目の覚めるような六畳は、一面に桜の造花(つくりばな)。活花(いけばな)の桃と柳はいうまでもありませんや、燃立つような緋の毛氈(もうせん)を五壇にかけて、※(「火+玄」、第3水準1-87-39)(まばゆ)いばかりに飾ってあります、お雛様の様子なんざ、私にゃ分りません、言ったって、聞いたって、ただもう綺麗で沢山。
 お夏さんは直ぐその壇の下の処に雪洞(ぼんぼり)を控えて、立派に着換えていなすったっけ。
 あの内裏様のだって、別に二個(ふたつ)蒔絵の蝶足のそうですな!……」
 愛吉は卓子(テエブル)の上に四角な線を指の先で引いた。
「この位なお膳(ぜん)がありましょう、男雛(おびな)のと女雛(めびな)のと一対、そら、あの、」
 金之助は熱心に耳を傾けながら頷(うなず)いた。

「可(よ)うございますか、その一対の小さなお膳を、お夏さんが自分の前に置いて、もう一個(ひとつ)の方を向うへならべて、差向いという形(なり)で居なすったが、前には誰も見えなかったんです。
 指を丸(まろ)げた様な蒔絵の椀、それから茶碗、小皿(てしお)なんぞ、皆(みんな)そのお膳に相当したのに、種々(いろいろ)な御馳走(ごちそう)が装(も)ってありましたっけ。
 その後病気で亡くなりましたが、あの診察所に附いていた年増ね、乳母(ばあや)というんじゃあなかったんですが、お夏さんのお気に入(いり)で傍(わき)の処へ。もう二人、小間使が坐って、これが白酒の瓶を持ってお酌をしてる、二ツ三ツ飲(あが)んなすったか、目の縁をほんのりさせて、嬉しそうに、お雛様の飾りものを食べてる処で。
 や、素敵なものだと、のほうずな大声で、何か立派なのとそこいらの艶麗(あでやか)さに押魂消(おったまげ)ながら、男気(おとこッけ)のない座敷だから、私(わっし)だって遠慮をしました。
 いつものようにお台所へ下ってお末の出尻(でっちり)と一所に頂くべいとね、後退(うしろじさ)りに出ようとすると、愛吉さん一ツあげましょうかと、お夏さんが言ったんです。
 まるで夢中、私あ腰が抜けたように突然(いきなり)そこへ坐りましたぜ。
 さあ、一面の桜と、咲乱れた桃の中、雪洞(ぼんぼり)の灯(あかり)で見たその時の美しさ。
 しかも微酔(ほろよい)と来ていましょう。もう雛壇を退(の)けようという三日の晩、この間飾ってから起きると寝るまで附添って、階下(した)へも滅多にゃあ下りたことのないばかり、楽(たのし)み疲れに気草臥(くたびれ)という形(なり)で、片手を畳について右の方に持ってなすった小杯(こさかずき)を、気前よくつつと差してくんなすったい。
 震えながら……まったくですよ、震えながらそのお杯を受けようとすると、愛吉さんもうちっとそちらへと、傍(はた)から年増のが気をつけたんです。
 坐ったのは、お膳の前でしょう、これは先生。毎年々々そうやって差向いに並べても、向うへ坐った奴はまだ一人も無かったんだそうで。
 お夏さんは朋友(ともだち)が嫌(きらい)だっていうんです、また番頭や小僧が罷出(まかりで)ようという場じゃアありませんや。
 しかもその年、一昨年(おととし)ですな、その晩にゃ私(わっし)より一足前(さき)に、雛の間で一人お客があったんです。
 何でも天下に聞えた立派な豪傑な爺(じい)だそうですが、旦那とは謡の方で、築地の宝生の師匠の宅(うち)ね、あの能楽堂などで懇意になってるんだって謂(い)いましたよ。大層な雛だというが、どれどれと押上がって、やあ一人でやっていなさるの、私(わし)が相手をしようッて、そのお膳の前に坐りましたっさ。
 お爺ちゃん、厭(いや)なこった! とお夏さんが屹(きっ)となったので、傍(はた)の者はあッふあッふ、旦那も御新造様(ごしんぞさん)も顔色を変えなすったけ。ははあ、これは遣られたと、肥った腹から大笑(おおわらい)を揺(ゆ)り出して、爺さんは訳もなく座敷をかえ、階下(した)で今、旦那、御新造様なぞと一座で飲んでいるという、その後でしょう。
 だから年増は遠慮しろと気を着けたんでさ。
 するとお夏さんがね、可いよッて、言いながら、白酒の瓶を取って、お酌して酔わしてやろうや。莞爾(にっこり)してお前様(さん)、いえさ、先生!」
 金之助は唖然として、
「口の端(はた)を拭(ふ)け、泡だらけだ。」

 愛吉は仇気(あどけ)なく平手で唇を横に扱(こ)いたが、すがめて掌(たなそこ)を打眺め、
「嘘、泡なんぞ附着(くッつ)いてやしねえ。」
 と例の愛くるしい口を結んで眉根を寄せ、吐息をついて歎息した。
「ほんとうに考えて見りゃ夢の様ですよ。
 お夏さんは酌をしておくんなさる気で瓶を持ちながら、ふと雛の壇を見ましたがね、どうなすったんだか、おや! といってこう、瞳を据えて、瞬(またたき)もしないでしばらく。
 枕についても目をぱっちり、お雛様の番をして、すやすやと寐息(ねいき)に簪(かんざし)の花は動いても、飾った雛は鼠一疋がたりともさせないんでございますってね、過年(いつか)もお雛様が皆(みんな)で話をするッて、真面目に言いなすったことがある位、凝(こ)ってるんだから魂が入ってましょう。
 トその凝視(みつ)めていなすったッけ、ちょいとお囃子の人形が笛を落した、まあ、鼓を打棄(うっちゃ)った、まあ、まあ、まあ、太鼓の撥(ばち)を、あれ緋(ひ)の袴(はかま)が動くんだよ。あれ、皆(みんな)! とお夏さんがすっくり立った。
 顔を見合せて皆(みんな)呼吸(いき)を呑みましたわ。
 その様子ッたら、まるで雛がどっと惣立ちになったように、私等(わっしら)が胸に響いたんです。」
 語る時、十有数日の間を蒸しに蒸した、人類の汗を絞り抜いた、一昨日来の気圧は、正にその極所に達したと見えて、陰々たる中にものの響(ひびき)、柱がきしむようである。
 愛吉は肩をすぼめて、
「その途端に私等は雛壇が滅茶(めっちゃ)に崩れるんだと思いましたね、火事だ、火事だと、天井の辺(あたり)で喚(わめ)いたと思うと、」
 愛吉は穏かならぬ猿眼(さるまなこ)で、きょろきょろと四辺(あたり)を見たが、たちまち衝(つッ)と立上った。
「先生、雨です。」という間もなく、硝子窓(がらすまど)に一千の礫(つぶて)ばらばらと響き渡って、この建物の揺(ゆら)ぐかと、万斛(ばんこく)の雨は一注して、轟(ごう)とばかりに降って来た。
 金之助も、話の変と、急な雨に、思わず顔の色を変えて唾を呑んだが、押出すように、
「おお、雨だ。」
 台の上のボオイは真先(まっさき)に飛び下りた、新聞を見ていたのは真中(まんなか)を掴(つか)み棄てて立つ。立っていたのは金袋(かねぶくろ)の口を圧(おさ)えて、この三人しばらくの間というものはただ縦横に土間の上を駆け歩行(ある)いた。白い姿の慌(あわただ)しく行交(ゆきか)うのを、見る者の目には極めて無意味であるが、彼等は各々(めいめい)に大雨を意識して四壁の窓を閉めようとあせるのである。大粒な雫(しずく)は、また実際、斜(ななめ)とも謂わず、直(すぐ)ともいわず、矢玉のように飛び込むので、かの兀頭(はげあたま)の小男は先刻(さっき)から人知れず愛吉の話に聞惚(ききと)れて、ひたすら俯向(うつむ)いて額をおさえているのであったが、その手を放して天井を仰ぐと、怪訝(けげん)な顔をして椅子を放れて、窓の下へ行って、これはまた故々(わざわざ)閉めてあった窓の戸を一枚上へ押し上げて腰を捻(ひね)って、戸外(おもて)へ衝(つ)とその兀頭を突出すや否や、ぱッたり閉めて引込(ひっこ)ました、何条堪(たま)るべき、雫はその額から、耳から、頤(あぎと)の辺から、まるで氷柱(つらら)を植えたよう。
 かかる中にも自若として冷静の態度を保ち、ことさらには耳を傾けて雨を聞こうともしないのは彼等士官の一群(ひとむれ)である。
 ややあって人々はあたかも軍人のごとく静まった。
「障子をあけると、突然(いきなり)火の粉でしょう。」いう声も沈むばかり、雨はいよいよ盛(さかん)である。

「お夏さんが一番しっかりして、そのまま、内裏様に手をお懸けなすったが、愛吉、鶏(とり)をって一声。聞棄てにして私(わっし)あ二階から飛び下りて、二ツ三ツ人の体に打附(ぶッつ)かったとばかし覚えています。ええ夢中でね、駆けつけたのは裏口にあるその軍鶏(しゃも)の塒(とや)なんですよ。
 何を悟ったのか、ケケッケケッ、羽ばたきをしてる奴を引掴(ひッつか)んで両手で袖の下へ抱え込むと、雨戸が一枚ばったり内へ煽(あお)ったんですが、赫(かっ)として顔が熱かったのも道理、見る間に裏返しに倒れ込むとめらめらと燃えてましょう。戸外(おもて)は限(かぎり)もない狐火のようにちらちらちらちら炎だらけ。はッと後退(あとじさ)りに飛ぶ拍子に慌ててつんのめって、仰向(あおの)けに倒れたやつでさ。もう天井から紅(あか)い舌を吐いてるじゃアありませんか。目が眩(くら)んだ足の処へ、箱だか、鉄瓶だか重いものが斜違(はすっかい)に来て乗っかるという騒(さわぎ)。百年目だと思った私(わっし)あ、板戸も壁も突破る勢(いきおい)で横ッ飛びに表の方へ刎(は)ね出したんで、どしばたというのが地(つち)の底へ刻み込むように聞えるばかり。あッとも、きゃッとも声なんぞはしませんでした。門口(かどぐち)へ出ると道も空も土器色(かわらけいろ)にばッとなって、処々段々にこうその隈取って血が流れたように見えましたっけ。
 その中をね、あっちこっち三四人、大きな蟻の影法師が映ったようにまるで酔ッぱらいの足つきで、ひょろひょろしながら歩行(ある)いてましたが、奇代なもんでございますね、道なら三町ばかり伸(の)したと思うと、洪(どっ)と火の粉が浴びせて来ました。鶏は脇の処で恐しい羽ばたきをしますね、私あその煽(あおり)で宙へ上りそうで足も地につきませんや。背後(うしろ)の方でも、前途(まえ)の方でも、その時分にようようワッという人声が陰に籠(こも)って聞えました。やがて私の身(からだ)は何の事はない渦(うずま)いて来る人間の浪の中に巻込まれてしまいました。
 右左透間(すきま)のねえ混雑なんで、そいつあ皆(みんな)火事場の方へ寄せるんでしょう、私あ向うへ抜けようとするんでしょう。
 突当るやら、蹌踉(よろ)けるやら、目も口も開かねえんで、何でえ! 田舎ものが神田の祭にはぐれやしめえし、人ごみにまごまごする事あねえ、火事に逃げるたあ何の事だと、おされて剣突を食う癇癪(かんしゃく)まぎれに、立直(たてなお)して引返そうとする、と気が着きました。鶏を抱えてます、そいつはただ一言お夏さんに頼まれたから起った事。
 ホイ何のこッた、行くにも帰るにもこの騒ぎに揉まれちゃあ、羽も翼も坊主にならあ、と吃驚(びっくり)して、背後(うしろ)は見ないで、抜けたり、潜(くゞ)ったり、呼吸(いき)ぐるしいほどの中をもぐって出て、まず水のある処へ行きましたがね。
 水ッてのは何、深川名物の溜池(ためいけ)で、片一方は海軍省の材木の置場なんで、広ッ場(ぱ)。
 一体堀割の土手続(つづき)で、これから八幡(はちまん)前へ出る蛇の蜿(うね)った形の一条(ひとすじ)道ですがね、洲崎(すさき)へ無理情死(しんじゅう)でもしに行こうッて奴より外、夜分は人通のない処で、場所柄とはいいながら、その火事にさえ、ちっとも人間が歩行(ある)きません。気のせいか、かッかッと燃える中に、木竹の折れる音もするほど近間で居て、それで何と私の跫音(あしおと)にばらばら蛙(かわず)が遁(に)げ込みます。水の音を聞くと一杯のんだ気になって、一呼吸(ひといき)吐(つ)いたんですが、――はてな。」

「そこでお夏さんだ、どうなすったろう。私(わっし)がこの慌て方じゃあ二階に残った女連(れん)は気絶(ひきつけ)たかも分らない。お夏さんはお夏さんで、雛を大切に取出しそうな権幕だったが、火急にも何にも内裏様一個(ひとつ)抱く時分にゃあ、火の粉を被(かぶ)んなすったに違いがないと、さあ、心配になって堪(たま)りません。
 矢でも鉄砲でも火事場へ飛んで帰って、お夏さんの様子を見ようと、引返そうとすると、抱えている鶏(とり)なんです。
 先刻(さっき)のあの場合にも、愛吉鶏をッてお謂(い)いなすった、どうしよう、これをまあ。
 葛籠(つづら)長持と違って、人の家(うち)へ投(ほうり)ッ放しに預けて来られるんじゃあなし、庇(かば)って持っていた日にゃあ、人混(ひとごみ)の中だってうっかり歩行(ある)かれるんじゃあねえ。火の中から助け出したばかりで、跡をお去らばにして可い位なら、お夏さんがお頼みはなさるまいし、私(わっし)だって頼まれる程の事じゃあなし、困りましたね、どうも、何(なん)しろ活物(いきもの)だから始末が悪かったろうじゃアありませんか。
 人通のない土手だって、軍鶏ばかり置いて行きゃ、どこへ去(い)っちまうも知れたもんじゃアありませずね。見りゃ溜池の中に舟もあったし、材木もありましたが、水死人(どざえもん)を捜すように鶏を浮(うか)しとく数(すう)じゃありませず、持扱いましたね、全く気が気じゃあなかったんで、一羽抱え込んで跣足(はだし)で池の縁をまごまごしてる風ッてのはありません、我ながら薄ぼんやり、どうしてるのかと思いました。
 火事はまだ盛(さかん)です。
 すると灰のように薄赤い向うの路へ影がさして、四五人一列(ひとならび)になって来るのがあります。土手を横に切って、あれから埋地にかかった橋の、欄干が真中(まんなか)で切れて水へ折れ込んでいようという、ぺんぺん草の生えてる袂(たもと)へ寄って、渡ろうとする時分にゃあ私が居る間近になったから見えました。
 真先(まっさき)が女で、二番目がまた女、あとの二人がやっぱり女、みんな顔の色が変ってまさ、島田か銀杏返(いちょうがえし)か、がッくり根が抜けて、帯を引摺(ひさず)ってるのがありますね、八口の切れてるのがありますね、どれもどれも小刻みに、歩行(ある)くと絡(から)むのは燃立つでしょう。
 一人々々(てんでてんで)に人形だの、雛の道県だのを持ってる、三人目の、内裏様を一対、両手に持って、袖で掻合して胸に押着(おッつ)けていたのがお夏さん、夜目にも確か、深川中探したって、およそその位なのはないのですからね、……助かった。
 つかつかと駈(か)け寄って、背後(うしろ)から、ちょうど橋の真中へその一組のかかったのを、やあ、と私あ嬉し紛れに頓興(とんきょう)な声を懸けました。
 屹(きっ)と立留って、黙って私を見なすった、その時のようにお夏さんの、あんな気高い凄(すご)い顔を見たことはありませんでしたよ。鬢(びん)の毛も乱れています、それに、場所がそんなでしょう、天を焦す明(あかり)でしょう。つい目の前にあの、愛吉、鶏をッて謂いなすった二階の景色が見えるのに、急に変ってそれなんでしょう、こりゃ死んだ魂が直(すぐ)とここへ映るのか、そうでなけりゃお夏さんの守護をして、緋の袴の連中が火の中から化けて来たのだ。」

「ちょうどその時分下火になったと見えまして、雲が颯(さっ)とかかったように、一面赤かった中へ黒味がさしましたわ、女連の姿は消えたよう、お夏さんばかりが判然(はっきり)と、ぱっちりとした目の色も見えて、私が手の鶏を御覧なすったが、何、あとのは張詰めた気が弛(ゆる)んだか、足取が乱れて、あっちへふらり、こっちへひょろり、一人は危険(けんのん)な欄干に凭(もた)れかかりましたし、もう一人は何の事はない、そこへ打坐(ぶっすわ)ってしまったんです。手を取って起して見りゃ、松ッていう女中なんで、怪しいも怪しくないも、場所だって不思議はありません。
 全体この橋も、池を渡った向うも、旧(もと)はやっぱりその時分の勝山さんぐらいな御大家の庭だったんで、橋がまた庭の景色の一ツだったそうですが、馬、車なんざ思いも寄らず、人ッ子だって通りやしません。ただね、材木を組んで筏(いかだ)を拵(こせ)えて流して来るのが、この下を抜ける時、どこでも勝手次第に長鍵(ながかぎ)を打込(ぶちこ)んで、突張(つっぱ)って、潜(くぐ)るくらいなもので、旦那が買置(かっとき)なすった。その中(うち)綺麗にして、藤棚の池へ倒れ込んでるのなんぞ直したら、お夏さんの祈祷所(きがんじょ)みたようのもの、勝山さんだけの弁天様の堂を建立しようなんてね、いっていなすった、その埋地へ遁(に)げて来たんでさ。考えて見るとそれなんですが、不意に打(ぶ)つかった時はこの世のことじゃあないように思いましたよ。」
「大分(だいぶん)涼しくなって来た。」と金之助は袖を合せて、想い出したように言いつつも、頷(うなず)き頷き聞くのである。
「へい、凄いような雨でございましたね、私(わっし)あどうなるんだ知らんと、お話をいたします内に気が変になりましたっけ、可(い)い塩梅(あんばい)でございます。
 いいえ、私ばかりじゃあなかったんで、火事場では、官女が前後(あとさき)を取巻いて、お夏さんが東の方に、通ったと謂う評判で、また勝山が焼けるちっとばかり前、緋の袴を穿(は)いた素白(まっしろ)な姿の者が、ちょうどその屋根の上あたりを走るのを、汐見橋(しおみばし)の上で見た者がある、前兆だなんて種々(いろん)なことを謂ったもんです。
 ようよう夜が夜の色になって、湿っぽい風が吹いて来ると、御新造様、それから旦那が、あとさきになって、女中が三人、私とお夏さんと、お雛様と軍鶏の居るそこの埋地へお見えなさいましたが、どなたも箸(はし)一本持っちゃあいらっしゃらないんで、追々集った、番頭小僧、どれも不残(のこらず)着のみ着のまま。
 もっとも私が二階を飛下りると、入違いに旦那と御新造様(ごしんさん)がお夏さんの処へ駆け上んなすったッけ、傍(はた)に居た女中は助けてくれというんでしょう。手を合せてただ拝む程とちってるのに、袂(たもと)のさきを口に啣(くわ)えてお夏さんは悠々とお雛様を片附けていらしったってね、皆(みんな)来い、お夏が死ぬ、お雛様だけ出しておくれと、お二人が一生懸命。
 それですもの。
 こういいますと、お夏さんが我儘三昧(わがままさんまい)、親御は甘いばっかりに聞えましょう、けれども因縁事なんですよ、だって勝山のものといったら、池に浮してあった材木まで焼けッちまいましたから。業(ごう)の火とかいうんですな、恐しいじゃアありませんか。
 それでね、一度その埋地で家中(うちじゅう)が寄ったが最後で、あとはもうちりちりばらばら。」

「雛は皆(みんな)助かりましたし、飾(かざり)の道具といったような物も、目立ったのは大抵出たんだそうですが、珠(たま)だの、珊瑚(さんご)だので飾った、天人が胸に掛けてるようなびらびらの下った女雛の冠ですが、無くなって、それから房のついた御簾(みす)のかかってる結構な、一品(ひとしな)で五十両、先刻(さっき)も申しましたね、格別私(わっし)なんぞも覚えている御所車がそれッきりになったんですって、いつまで経(た)っても、お夏さんが太(ひど)く気にしていますがね、もとより金目にかかわったことじゃありません、あの姉さんのことですから、へい。
 大方何でしょう、人並はずれて雛を大事がんなさるんでも分ります、そこらの様子でも知れますが、こう謂っちゃあ何ですけれども、お雛様をまず恋しい方のようにでも思ってるんじゃアありますまいか。
 そうすると、対手(あいて)の女雛を自分ごッこにでも極(き)めているんで、その冠が失(う)せたのも、許嫁(いいなずけ)の印の簪(かんざし)でも落したように思ってることでしょう、婦人(おんな)は天窓(あたま)の物と謂いますから。
 実(まこと)に砕けていて、ちっともみずからがらない女(ひと)だけれど、どこか恐しく品があって、私なんざ時々我ながら頭(つむり)の下がることがありますもの。
 ねえ先生、御所車と冠がなくなったのを、気にして鬱(ふさ)ぐ位なのが、今更じゃアありませんけれども、上野を歩行(ある)いて、路傍(みちばた)で身体(からだ)を洗って、ちゃぶ屋の姉やと間違えられて、癬(たむし)の女(むすめ)を、ちょいと先生、お夏さんもそういって話しなすったが、山河内の姫様(ひいさま)というと一件ものの女(むすめ)ですっさ。其奴(そいつ)を煽(あお)がされるなんて可哀相じゃアありませんか。
 いいえね、竜宮の乙姫てえ素ばらしいのだって、蜈蚣(むかで)にゃあ敵(かな)いませんや、瀬多の橋へあらわれりゃ、尋常の女でしょう、山の主が梅干になって、木樵(きこり)に嘗(な)められたという昔話がありますッてね、争われねえもんです。
 全体ちゃきちゃきの深川ッ女(こ)が、根岸くんだりへ行って、ももんじいに歌を習うなんて、そんな間違ったことはないんです。郷に入(い)ったら郷に従えだと、講釈で聞いたんですが、いかな立女形(たておやま)でもあの舞台じゃあ睨(にらみ)が利かねえ、それだから飛んだ目に逢うんでさ。
 それが先生、一体がお夏さんは、歌だの手習だのは大嫌(だいきらい)で、鴨川(かもがわ)なんて師匠取をするんじゃあないんですが、ただいま申しましたその焼け出されが只事(ただごと)じゃアありません。前世の業(ごう)のようなんだから致し方はありません、柱一本立直らないで、それだけの身上(しんしょう)がまるで0(フイ)。気ばかりあせっていなさる中(うち)に旦那が大病、その御遺言でさ、夏に我儘をさせ過ぎた。行末が案じられる、盆画なんぞ止(よし)にして手習をしてくれと、そこで発心をなすったんだが、なあにもう叩き止めッちまうが可(よ)うごす。その足で藤間へいらっしゃりゃ、御自分の方が活きた手本になろうてんで、ええ私の仕返しゃ動かねえ縁切(えんきり)だ。お夏さんがこれから行こうたって行かれやしません、さっぱりして可うございます。へい、いちいちどうも難有(ありがと)うございました先生。
 あなたのような紋着(もんつき)を着た方が、私等(わっちたち)を可愛がって下さろうとは思わなかったんで、柳屋のも便(たより)にするものはなし、この頃は御新造様(ごしんさん)が煩っていらっしゃるなり、あの勝気なのが、めっきり痩(や)せなすった。
 力になろうというのが私(わっし)と軍鶏だから困っちまう。」と、つくづく腕を組んであどけない、罪のないことを真心から言って崩折(くずお)れた。真面目な話に酔(えい)もさめたか、愛吉は肩肱(かたひじ)を内端(うちは)にして、見ると寂(さみ)しそうで哀(あわれ)である。雨は霽(は)れた、人は湯さめがしたように暑(あつさ)を忘れた、敷居を越して溢(あふ)れ込んだ前の大溝の雨溜(あまだまり)で、しっくい叩(たたき)の土間は一面に水を打ったよう。

 愛吉がいう処も、大雨の後をそよ吹く風も、太(いた)く身に染みた様子であった、金之助は改めて硝子杯(コップ)を挙げ、「もう一杯(ひとつ)景気をつけよう、大分引込まれて私まで妙になった、お前にも似合わない何も鬱(ふさ)ぐにも当るまい、」と、激(はげ)ます人も何となく理に落ちて来たのである。
「ええ、この位にしておきましょう、何年ぶりかで不思議にこうやって折角真面目になったものを、また酔っちゃあ詰(つま)りません、ねえ先生、どうぞ可愛がって下さいまし、私(わっし)はくらい酔ってそれなりけりでも構いませんが、お夏さんはほんとうに誰も便(たより)にするものがないんですから、後生でございます。旦那方のような紋着を着た方は大嫌なんだけれど、何、実の処は私等を軽蔑して取合って下さらないと相場が極(きま)ってるとおもいますから、じゃじゃ馬ですねてるんでさ、心細うございます。ほんとうにお夏さんは便りのない身でおいでなさるんですからね、御不便(ごふびん)がありゃ、直ぐにでも柳屋へ引張って行って見せてえや、そしてこの先生がお前さんのことを身に染みて聞いて下すったって話したら、どんなにか喜ぶでしょう。」とさも懐しげにいうのである。
 金之助も他所事(よそごと)とは取らない気色(けしき)で、
「いや、私はこれでなかなか当世じゃあないんだから、女の児(こ)とお附合はちっと困る、しかしお前とは改めて朋達(ともだち)になろう。なあ、朋達――そうだ親類とでも何とでも思いなさい。用に立つことがあったら出来るだけ智慧(ちえ)も貸そうよ、身体(からだ)も貸そうよ。込入った話でそのお夏さんのことについちゃ、こりゃ懸直(かけね)無し私も一ツもの思いだ、帰ってからも路々も条(すじ)を辿(たど)って考えよう、いやしかしお庇(かげ)でおもしろい……といっちゃあ済まないような気もするね。」
「はい、」といったッきり、愛吉はしばらく差俯向(さしうつむ)いていたが、思出したように天窓(つむり)を上げて、
「飛んだ頂きまして、もう御免を蒙(こうむ)ります。」
「一所に出ようか、そこいらまで同じ向だ。」
 金之助は愛吉が返した、根岸の鴨川の討入の武器なる黒糸縅(おどし)の五ツ紋を、畳んであるまま懐へ捻込(ねじこ)んで、ボオイを呼んで勘定をすると、件(くだん)の金袋を提げたのがその金袋は蓋(けだ)し代金を受納めるために持っているのではなく、剰金(つり)を出す用意をしているもののよう、規則正しく返したのに、銀一ツ添えて金之助はここに長座を償ったが、断るまでもなく、ボオイはこれを別の衣兜(かくし)に納(い)れたのである。
「御機嫌よろしゅう、」
 それと二人は卓子(テエブル)を挟(さしはさ)んで斉(ひと)しく立上ったのが、一所になり前後(あとさき)になって出ようとする、横合の椅子から、
「やあ、」と声を懸けたのは、件(くだん)の兀頭(はげあたま)の小男であった。
 金之助ははじめて心着いて、はたと立留って顔を見て、不意だという面色(おももち)で更に見直したが、
「おお、どうして、」と驚いて言った。
 ここに先刻(さっき)からおみこしを据えて、愛吉の物語に耳を傾けたり、士官の方をじろじろ見たり、あるいは空合(そらあひ)を伺ってびっしょりの奇観を呈するなど、慌てたような、落着いたような、人の悪いような、呑気なような、ほとんど端倪(たんげい)すべからざる、たとえば竜(りょう)のごとき否、むしろ大雨に就いて竜を黙想しつつありしがごとき、奇体なる人物は、渾名(あだな)を外道(げどう)と称(とな)えて、名誉の順風耳(じゅんぷうに)、金之助と同一(おなじ)新聞社の探訪員で、竹永丹平(たんぺい)というのであった。

 軒の柳、出窓の瞿麦(なでしこ)、お夏の柳屋は路地の角で、人形町通(どおり)のとある裏町。端から端へ吹通す風は、目に見えぬ秋の音信(おとずれ)である。
 まだ宵の口だけれども、何となく人足稀(まれ)に、一葉二葉ともすれば早や散りそうな、柳屋の軒の一本柳(ひともとやなぎ)に、ほっかりと懸(かか)っている、一尺角くらいな看板の賽(さい)ころは、斜(ななめ)に店の灯(ともしび)に照されて、こっちへは一が出て、裏の六がまともに見られる。四五軒筋違(すじかい)の向う側に、真赤(まっか)な毛氈(もうせん)をかけた床几(しやうぎ)[#ルビの「しやうぎ」はママ]の端が見えて、氷屋が一軒、それには団扇(うちわ)が乗ってるばかり、涼しさは涼し、風はあり、月夜なり。
 氷屋の並びに表通から裏へ突抜けた薬屋の蔵の背(うしろ)があって、壁を塗かえるので足代(あししろ)が組んである、この前に五六人、女まじり、月を向うの仕舞屋(しもたや)の屋根に眺めて、いずれも、蹲(つくば)って雨上りに出た蟇(ひきがえる)という身で居る。
「え、もし。」
「さようでございますね、」
「どうでしょう、」
 と口々にどれが何をいうのか知らず、低声(こごえ)でひそひそ。
「ねえ、おい、」
「どうだろう、」
「そうさな。」
 時々吸殻が呼吸(いき)をして、団扇が動くわ。
「構わず談じようじゃあねえか、十五番地の差配(おおや)さんだと、昔気質(かたぎ)だから可(い)いんだけれども、町内の御差配(ごさいはい)はいけねえや。羽織袴で杖(ステッキ)を持とうという柄だもの、かわって謂(い)ってくれねえから困るよな。」
「むむ、だが何しろ打棄(うっちゃ)っちゃあ置かれめえ。」
「もし、確に不可(いけ)ますまいね。」
 ちと老(ふ)けた声で、
「されば宜しくござりません、昔から申すことで、何しろ湯屋で鐘の音(ね)を聞くのさえ忌(い)むとしてござります。」
「そして詰る処、何に障るんですね。」
「いえはじまりは地震かと思うてびくびくしていたんで、暑さが酷(ひど)かったもんだからね。それという時の要心だ、私(わっし)どもじゃ、媽々(かか)にいいつけて、毎晩水瓶(みずがめ)の蓋(ふた)を取って置きました。」
「へい、火事ならまあ、蓋を取る内も早いが可いというんでしょうが、地震に水瓶の蓋を取って置くはおかしいね。」
「理詰じゃあねえんでさ、まずいわばお禁厭(まじない)さ。安政の時に家中(うちじゅう)やられたのが、たった一人、面くらって水瓶の中へ飛込んだ奴が、不思議に助かったと謂いますからね、よくよく運だ、あやかるだけでも可(よ)うございましょう。」
「お待ちなさい、して見ると鉄さん。」
「ええ。」
「お前さんがこの頃また毎晩色ものの寄席へ行(ゆ)くのはやっぱりそこらの地震除(よけ)から割出したもんだね。」
「何故(なぜ)、何故、ええ御隠居。」
「麹町(こうじまち)の人だがね、同一(おなじ)その安政年度に、十五人の家内でたった一人寄席へ行っていて助かったものがありますわい。」
「ざまあ見やがれ、俺(おいら)が寄席へ行(ゆ)くのを愚図々々(ぐずぐず)吐(ぬか)しやがって、鉄さんだってお所帯持だ、心なくッて欠厘(けちりん)でも贅(むだ)な銭を使うものかい、地震除だあ、おたふくめ、」
「おや、それじゃあ地震よけに、いつも寄席に行って、お前一人助かる気かい。」
「何だと。」
「いいえさ、お前一人助かれば女房は可いのかよ。」とそのかみさんか、女の声。

「べらぼうめ、何を、何をいってやあがる、」と、何か言っていやあがる。
「鉄さんぐうの音(ね)も出ずさ、こりゃお時さんが道理(もっとも)だ、はははは、」
 歯の抜けた笑いに威勢の可い呵々(からから)が交って哄(どっ)となると、件(くだん)の仕舞屋(しもたや)の月影の格子戸の処に立っていた、浴衣の上へちょいと袷羽織(あわせばおり)を引掛(ひっか)けた艶(えん)なのも吻々(ほほ)と遣る。実はこれなる御隠居の持物で。
 鉄と謂われたのはやっきとなり、
「やい、じゃあ汝(うぬ)あどうだ、この間鉄砲汁をやッつけた時一箸(ひとはし)も食やしめえ。命取だ。恐しいといって身震(みぶるい)をしやあがって、コン畜生、その癖俺(おいら)にゃあ三杯と啜(すす)らせやがって、鍋底をまた装(も)りつけたろう、どうだ、やい、もう不可(いけ)ねえだろう。勿体ない打棄(うっちゃ)った処で犬だって困るだろうと謂ったじゃあねえか、犬だって困るよ、命取をよ、亭主が食ってるのを見て汝一人助かりゃ可いのかい、やい、七面鳥。」
「東西!」
「さあお家の乱れだ。」
「さてはこの前兆かッ。」
 傍(かたわら)より、
「もし何でございます。」
「牝鶏(ひんけい)のあしたすると言うて、牝鶏(めんどり)が差し出るからよ。」
「ええ、牝鶏があしたなら構いませんが、こうやって頭(つむり)を集めているのは、柳屋の雄鶏(おんどり)が宵啼(よいなき)をするからでございますぜ。」
「うう成程、雄鶏だっけの。」
「御串戯(ごじょうだん)、」
「これはやられた。」
「皆様(みなさん)笑いごとじゃアありませんぜ、火に障るっていうのじゃアありませんか、ねえ御隠居。」
「されば……謂うて。」
「御隠居さんなんざ歯に障りましょうね、柳屋のは軍鶏(しゃも)だから。」
「誰だ、交ぜるない、嘉吉(かきち)が処(とこ)の母親(おふくろ)さえ、水天宮様へ日参をするという騒(さわぎ)だ。尋常事(ただごと)じゃあねえ、第一また万に一つ何事もないにした処が、心持が悪いじゃあねえか、宵啼なんて厭(いや)なものだ、ほんとうにどうにかしようじゃあねえか。」
「どうするッて、殺しっちまえば可(い)いんでしょう。」
「そうだとよ。」
「それはもう禍(わざわい)の根を断つのだから、宵啼をする鶏は殺すものとしてあるわさ。」
「そこで、」
「謂ったってあの女(こ)が肯(き)くものか、どうして可愛がることといったら、」
 恐しく声を密めて、
「御隠居の前(めえ)ですが、お内の猫ぐらいなものじゃアありませんぜ。」
「まずの、」とあやふや。
「だから差配(おおや)さんに懸合ってもらってよ。」
「その差配さんが今謂う杖(ステッキ)だ。」
 一段声を張上げて高らかに策を献ずるものあり。
「交番々々。」
「馬鹿をいえ、杖でさえ不可(いけ)ねえものが、洋刀(サアベル)で始末におえるかい。構うこたあない、皆(みんな)で押懸けて行ってあの軍鶏を引奪(ひッた)くッてしまうとするだ。」
「大勢でか、ちと変だな。」
「何さ、対手(あいて)がどうというんじゃあないが、一人や二人ではさすがに話しにくいて。」
「気の毒なり、可哀相でもあり、」
「まあ、何にしろ困ったものだ、今夜にも宵啼が留(や)みさえすりゃ、ああもこうもないんだけれど、留まなきゃあ、事のねえ内よ、気の毒だが仕方がねえ。」
 風はさらさらと軒を渡って、ああ、柳屋で鶏が鳴く。

「蔵人(くらんど)、蔵人。」
 涼しい声で、たしなめるように呼懸けながら、店の左手(ゆんで)に飾った硝子戸(がらすど)の本箱に附着(くッつ)けて、正面から見えるよう、雑誌、新版、絵草紙、花骨牌(はながるた)などを取交ぜてならべた壇の蔭に、ただ一人居たお夏は、小さな帳場格子の内から衝(つ)と浴衣の装(なり)で立つと斉(ひと)しく、取着(とッつき)に箪笥(たんす)のほのめく次の間の隔(へだて)の葭簀(よしず)を蓮葉(はすは)にすらりと引開けて、ずっと入ると暗くて涼しそうな中へ、姿は消えたが、やがて向直ってつかつかと店へ出た、乳のあたりにその胸を置かせて、翼に手をかけ抱いたのは、お夏が撰んで名をつけた、蔵人という飼鶏(かいどり)である。
「何故(なぜ)今時分啼(な)くんだね、」と人にものを謂うような、されば宵の一声にお夏が忙(いそが)わしく立ったのは、あたかも寐(ね)かしつけた嬰児(みどりご)が、求めて泣出すのに、嫁がその乳房を齎(もた)らすがごとき趣であった。
「お前、寂(さみ)しいのか。」
 淋(さみ)しいのかと謂って、少しく抱きあげて、牙(きば)のごとく鋭き嘴(くちばし)にお夏は頬の触らぬばかり、
「私だって店に独(ひとり)で居るんだもの、我儘でございますよ。」
 くるくると動かす蔵人の目は光って、ものに動ずる風情あり。
「母様(おっかさん)は塩梅(あんばい)が悪いし、寝ていらっしゃるじゃありませんか、人がね、宵啼をするッて忌(いや)がります。不可(いけな)いよ、厭(いや)だよ、幾度(いくたび)言って聞かせるか知れないのに、何故言うことをお聞きでない。」
 と品ある目で屹(きっ)と見たが、傾けている片頬(かたほ)から顔の色が和(やわ)らいで、
「灯(あかり)を見せてあげようね、宵ッ張(ぱり)たらないのだもの。」
 店の真中(まんなか)へ二足三足、あかり前(さき)へ、お夏は釣洋燈(つりランプ)の下(もと)に立ち寄った。新版ものの表紙、錦絵の三枚続(つづき)、二枚合せ、一枚もの、就中(なかんずく)飼鶏がぱっと色彩を放って、金、銀、翠(みどり)、紅(くれない)、紫、あらゆる色のここに相応ずる中に、墨絵に肖(に)たる立姿は、一際水が垂りそうである。
「お祭だわねえ、灯(あかり)がついて賑(にぎや)かだろう。」
 飼鶏は心あるごとく※(「火+玄」、第3水準1-87-39)(まばゆ)い洋燈(ランプ)をとみこう見た。楯(たて)をも砕くべきその蹴爪(けづめ)は、いたいたしげもなくお夏の襟にかかっている。
「あっちを御覧、綺麗じゃあないか、音羽屋だの、成田屋だの、片市(かたいち)……おやおや誰かの姫君様といったような方がいらっしゃる、いやに澄してさ、高慢な風じゃあないか、お前知ってるかい、何が合点(がってん)さ、」と言いかけて打微笑(うちほほえ)み、
「何にも分らない癖に、おもしろいかい、そうかい。これは相撲の番附、こちらが名人鑑(かがみ)、向うが凌雲閣(りょううんかく)、あれが観音様、瓢箪池(ひょうたんいけ)だって。喜蔵がいつか浅草へ供をして来た時のようだ。お前あの時分はおとなしかったっけ、この頃はまるで嬰児(あかんぼ)のようじゃあないか、夜啼をして、良い児だからもうちっと遊んだらあっちへおいで、可いかい。夜になって塒(とや)へ入るのは何もかわったことはないけれど、何だか淋(さみ)しそうで可哀相だねえ、母様(おっかさん)と二人ばかしになったって、お前、私が居れば可いじゃあないか。」と、いつか独言(ひとりごと)をいいながら段々軒に近づいた。
「まだ見たいのかい、さあ、何にしよう、これは軍(いくさ)の絵でございます、」と謂ってお夏は胸を反(そ)らし、黒目勝(がち)なのを仰向(あおむ)くと同時に、両手で上へ差上げたが、翼の尖(さき)が鬢(びん)にかかって、
「あら髪がこわれるよ。」と思わず手を放した、飼鶏はどんと身を落して、突立って土間へ下りた。

 溝石で路を劃(くぎ)って、二間ばかりの間の軒下の土間に下りた、蔵人は踏留まるがごとくにして、勇ましく衝(つ)と立ったが、秋風は静々と町の一方から家毎(やごと)の廂(ひさし)を渡って来て、ちょうどこの小さな散際(ちりぎわ)の柳を的(あて)に、柳屋へ音信(おとず)れたので、葉が一斉に靡(なび)くと思うと、やがて軍鶏の威毛(おどしげ)を戦(おのの)き揺(ゆら)いで、それから鶏を手から落した咄嗟(とっさ)の、お夏の水髪を二筋三筋はらはらと頬に乱して、颯(さっ)と吹いてそのまま寂寞(ひっそり)。
 この名残(なごり)であろう、枝に結えた賽(さい)ころは一ツくるりと廻って、三が出て、柳の葉がほろりと落ちた、途端に高く脚をあげて、軍鶏は店前(みせさき)をとッとッと歩行(ある)き出した。
 お夏は片手をついて腰をかけて、土間なる駒下駄の上へ一片(ひとひら)の雪かとばかり爪先をかけて、うっかりとなった。フトその飼鶏を念頭から奪い去られたのであろう、もの思(おもひ)をする人の常として、こうは思いがけずしばしば心を失うのである。
 その間に軍鶏の健脚は、猫の額のごとき店頭(みせさき)を往復することをもって満足が出来なくなった。
 かつて黒旋風愛吉をして、お夏の一諾(いちだく)を重(おもん)ぜしめ、火事のあかりの水のほとりで、夢現(ゆめうつつ)の境に誘(いざな)った希代の逸物(いちもつ)は、制する者の無きに乗じて、何と思ったか細溝を一跨(ひとまた)ぎに脊伸びをして高々と跨ぎ越して、小路の真中へずっと出て、あたかも西側を離れて、これから東側へ廻ろうとして、狭い町の屋根と屋根との中空へ来た、月の下にすっくとこそ。
 土蔵の前に集った一団の人の驚きは推するに余りある次第であろう。
 渠等(かれら)が額を集め、鼻を合せ、呼吸(いき)をはずませて、あたかも魔界から最後の戦(たたかい)を宣告されたように呶々(どど)している、忌むべき宵啼の本体が、十間とは間を措かず忽然(こつぜん)として顕(あらわ)れたのであったから。
 あまつさえ這個(しゃこ)の怪禽は、月ある町中へつッ立つと斉(ひと)しく、一振りふって首を伸(のば)して、高く蒼空(あおぞら)を望んでまた一声、けい引おう! と叫んだ。
 これをしも忌み且つ恐れたる面々は、鳴声があとを引いて、前町裏町すべて界隈(かいわい)の路地の奥、土蔵の隅、井戸の底、屋根裏、階子(はしご)の下、三階、額の裏、敷居、鴨居(かもい)の中までも遠く響いて押拡がって行(ゆ)くに連れて、次第に霧が起り、月がかくれて、ほとんど名状すべからざるありさまに変ずるがごとく見て取った。
 鶏鳴(けいめい)暁を報ずる時、夜のさまが東雲(しののめ)にうつり行く状(さま)は、いつもこれに変らぬのであるけれども、月さえやや照(てら)し初(そ)めたほどの宵の内に何事ぞ。
 宵啼をもって、火の神の町を焼く前駆とする者の心には、その声の至る処、路地の奥、土蔵の隅、井戸の底、屋根裏、階子の下、三階、額の裏、敷居、鴨居の中までも、燃えんとして火気の蔓(はびこ)り伝わる心地がして、あわれ人形町は柳屋の店を中心として真黒(まっくろ)な地図に変ずるのであろうと戦慄(せんりつ)した。
「ワッ!」
 古浴衣を蹴返して転がるように駆出したのは、町内無事の日参をするという、嘉吉が家(とこ)の婆様じゃ。

 と見れば白髪を振乱し、頤(おとがい)細って痩(や)せさらぼい、年紀(とし)六十に余るのが、肉(しし)の落窪んだ胸に骨のあらわれたのを掻(か)いはだけて、細帯ばかり、跣足(はだし)でしかも眼(まなこ)が血走り、薪雑木(まきざっぽう)を引掴(ひッつか)んで、飛出したと思うと突然(いきなり)、
「火事だ、」と叫んで、軍鶏を打とうとしたが、打外した。
 蔵人は咄嗟(とっさ)に躱(かわ)して、横なぐれに退(すさ)ったが、脚を揃えて、背中を持上げるとはたと婆(ばば)に突(つっ)かけた。
「火事だ、」
 また喚(わめ)いて件(くだん)の薪雑棒を振廻す、形相あたかも狂者のごとく、いや、ごとくでない、正に本物である。蓋(けだ)し小金も溜(たま)って、家だけは我物にしたというから、人一倍、むしろ十倍、宵啼(よいなき)に神経(こころ)を悩まして、六日七日得(え)も寝られず、取り詰めた果(はて)が逆上をしたに違いはないので。
 白髪は飛んで、翼は乱れた。あれよと見る間に、婆と軍鶏と、とんと当り、颯(さっ)と分れて、月下にただぐるりぐるりと廻った。
「汝(うぬ)、業畜生、」と激昂(げっこう)の余り三度目の声は皺嗄(しわが)れて、滅多打に振被(ふりかぶ)った、小手の下へ、恐気(おそれげ)もなく玉の顔(かんばせ)、夜風に乱るる洗髪の島田を衝(つ)と入れて、敵と身体(からだ)の擦合うばかり、中を割って引懸(ひっか)けにぐいと結んだ帯の背後(うしろ)へ、軍鶏を庇(かば)ったのはお夏である。
「お婆さん何をなさるんです。」
 ちょいと横顔で振返って、
「叱(しっ)!」
 軍鶏も窘(すく)むようであった。婆は恐しい目をしながら、胸に波を打たせて肩で呼吸(いき)だ、歯を喰緊(くいし)めて口が利けず。
 かかる処へ殺気を籠めて、どかどかと寄せて来た、お夏と蔵人とを中に、婆の右左へかけて取巻いたのは土蔵の前に居た連中(てあい)。
「何だ、火事だ。」
「火事だ?」と口々に尋ねたが、これは事件(ことがら)の緒口(いとぐち)を引出そうとするに過ぎない、皆々は云うまでもなく、その間の消息を解していた。
「こ、こ、こいつじゃ、火事はこいつじゃ。」
 人数(にんず)が襲い来(きた)ったので思わずおさえていた袂(たもと)が弛(ゆる)んだ、お夏の手を振放して、婆は蔵人に躍りかかった。
「何をするんですよ。」
 遮ろうとするお夏の帯を、ぐいと留めた者がある。同時に婆を突退(つきの)けて、
「まあ、待ちなさい、」と一名。
 発奮(はずみ)をくらい、婆は尻餅をついて、熟柿(じゅくし)のごとくぐしゃりとなったが、むっくと起き、向をかえると人形町通の方(かた)へ一文字に駆け出した、且つ走り、且つ声を絞って、
「火事じゃ、火事じゃ。」
「あれ。」
 嬰児(あかんぼ)を懐にしっかと圧(おさ)え、片手を上げて追懸けたのは、嘉吉の家(うち)の女房(かみさん)である、亭主その晩は留守さ。
「さてお夏さん、思切っておくんなさい、二三日前から薄々様子は知っていなさろうがね、町内じゃあ大抵気にするッたらないんだから、一番(ひとつ)ね、思切って私等(わたしども)に鶏(とり)をおくんなさい。何も宵啼をすりゃこうと、政府(おかみ)からお触(ふれ)が出たわけじゃないけれども、可(よ)うがすかい、心持だ。悪いことは謂(い)いませんや、お前さんのお為(ため)にその方が可(よ)かろうと思うからね。」
 お夏は黙って囲(かこみ)の中に居るのである。

「どうです、御承知だろうね、町内じゃあお前さんの家(うち)が第一(いっち)新顔だから、何かその辺にものでもあるように思われては迷惑、可うごすかい、分りましたろう。」
「軍鶏(これ)を寄越せって謂うんですか。」
「さようさ。」
「連れてってどうなさるの。」
「占めるんでえ、殺(や)っちまうんでえ。」
 と鉄だろう、打(ぶち)まけた。
 慌て騒ぐと思(おもい)の外、お夏は莞爾(にっこり)して、
「不可(いけ)ませんわ。」
「不可ねえと!」
「まあまあまあ、静かに言っても分ることだ。もし、不可ませんなんてそう平気でいられちゃあ困るじゃあごわせんか。一体、母様(おっかさん)に懸合う筈(はず)なんだけれど、御病人だからお前さんだ、見なすったろう、嘉吉さん許(とこ)のなんざ、あの騒(さわぎ)。」
「御免なさいな。」となお笑いながら平気なもので、お夏は下に居て片袖の袂(たもと)を添えて左手(ゆんで)を膝に置いて、右手(めて)で蔵人の背(そびら)を撫(な)でた。
「仕ようがないねえ。」
 顔を見合せたのが二三人、談判委員もちと案外という語気で、
「呑気(のんき)にどうも軍鶏と談(はなし)なんかしていられちゃ困りますよ、ちょこまかした事とは違いますぜ。」
 お夏は振仰いで、
「ですから御免なさいまし。」
「あやまるの、あやまらないのというような岡ったるいこっちゃあないんだというに、困っちまうな。」
「私だって困っている、」とお夏も差俯向(さしうつむ)いた。
「月夜で門(かど)へ寄合ったという条、大きな野郎が五人三人、こうやって来たんだから、よくよくの事だと思いなさい、ね、ささ、これが一番分(わかり)が早い、分りましたか。」
 退引(のっぴ)かせず詰寄るに従って、お夏はますます庇立(かばいだて)、蔵人に押被(おっかぶ)さるばかりにしつつ、
「もうきっとですよ、きっと鳴きはしませんよ、大丈夫だよ。私がよく言って聞かせますから。」
「おやおや、この上軍鶏と話なんぞされて堪(たま)るものか、気味の悪い、何てッたってどうせ助けてはおかないんだ。へん、言って聞かせる、人間の言うことを肯(き)いて鶏が鳴かないようなら、勝手の悪い時は夜が明けねえや。」と嘲笑(あざわら)った者がある。
 お夏は屹(きっ)と見て、
「何、」
「何、何たあ、何たあ何だい、経師屋(きょうじや)の旦那に向って、何たあ何だい、そんな口は軍鶏に利け。」
「はい、軍鶏の方が、お前さん方より余程(よっぽど)いうことが分りますよ。」
「皆様(みなさん)。」
 一同の眼(まなこ)はお夏に注いだ。
「面倒だ、やッつけましょう、可いや、手籠(てごめ)が悪いという方がありゃ後でまた対手(あいて)になる、留めなすったって合点(がってん)しねえ、さあ、退(ど)け。」
 腕まくりをして掴(つか)みかからんず権幕であるのに、お夏は更に意に介しないか、眼あるものならば面(おもて)をも向けられないほど、品ある顔に笑(えみ)を湛(たた)えて、
「それでもほんとに分らないんだもの、あやまったら可いじゃありませんか。」
 自ら疑わないことまたかくのごときはあるまい。まさに突飛ばして軍鶏を奪わんとした男も、余りのことに手が出なかった。
 それが猶予(ためら)ったので、かえって傍(はた)からいきり出した。あっちこっち耳ッこすりをして、
「エ、」
「さようさ。」
 衆議一決。

 両人あり、その時、挟(さしはさ)んでお夏の左右より、斉(ひと)しく袖を引いて、
「さあ放した、退(ど)かないか。」
「余り強情を張りなさりゃ仕方がない、姉さん、お前さんの身体(からだ)に手を懸けますよ。」と断って立懸(たちかか)る、いずれも門札(かどふだ)を出した、妻子もあろうという連中であるから、事ここに及んでも無法に拳(こぶし)は握らぬので。
「何をするのよ。」
「いや、どうもしねえ、そン畜生を渡せてえんだい。」
「これ。」
「厭(いや)ですよ。」
「厭? 一人前の男に向って、そんな我儘な挨拶があるものか。」
「分らなけりゃ分らないで、可いから町内の交際(つきあい)というものを教えてやろう。」
「姉さん、虫の薬だ、我慢しな。」
「厭、」という時、黒髪は崩るるごとく蔵人の背(せな)に揺れかかって真白(まっしろ)な腕(かいな)は逆に、半身捻(ねじ)れたと思うと二人の者に引立(ひった)てられて、風に柳の靡(なび)くよう、横ざまに身悶(みもだ)えした、お夏はさも口惜(くや)しげに唇を歪めたが、眦(まなじり)をきりりと上げて、
「私を、……私を、……私を、……」と怒(いかり)を帯びた声強く、月に瞳を見据えたが、颯(さっ)と耳朶(みみたぶ)に紅を染めた。胴を反(そら)して、雪なす足を折曲げて、
「あ痛(いつ)々々々。」
 たちまち血の気は頬に消えて、色は一際白ずむのである。
「虫殺しだ、ちったあ痛えや。」
「掴(つかま)えッちまいなせえ、」とお夏を押えたのが早速の懸声、それもこれも瞬く間で。
「危(あぶね)え、わッ!」
 といって、今、お夏を引立(ひった)てたのを見るや否や、軍鶏の頸(うなじ)を捕えようとした鉄は、両の掌(てのひら)で目を蓋(ふた)して背後(うしろ)へ反(そ)った。
 軍鶏はその肩の辺りまで素直(まっすぐ)に宙へ飛んだのである。
 その脚の地に着くともろともに身を飜(ひるが)えしてどんと突くと、
「おッ、」と喚(わめ)いて、お夏の腕(かいな)を捻(ねじ)っていたのが手を放して飛退(とびさが)ると、袖が断(き)れたか、とぐいと払って、お夏はいま一人を振放して、つつと月影に姿を消したが、柳の下を潜(くぐ)るが疾(はや)いか、溝を超えて、店へ駆け上ると奥へ入った。
 後を追って、奇異なる断々(きれぎれ)の声を叫びながら駆け出した蔵人を、ばらばらと追詰める連中の、ある者は右へ退(の)き、ある者は左へ避け、三人五人前後に分れて、賽(さい)の目のように散らばった。
 要こそあれ滅多当(あたり)に拳(こぶし)を廻して、砂煙の渦(うずま)くばかり、くるくる舞して働きながら、背後(うしろ)から割って出て、柳屋の店頭(みせさき)に突立(つった)った、蚰蜒眉(げじげじまゆ)の、猿眼(さるまなこ)の、豹(ひょう)の額の、熟柿(じゅくし)の呼吸(いき)の、蛇の舌の、汚い若衆(わかいしゅ)を誰とかする、紋床の奴(やっこ)愛吉だ。
「待ちゃあがれ此奴等(こいつら)、私(わっし)が出入先をどうするんだ。」
 奥から引返(ひっかえ)して出たのはお夏、五七人の男を対手(あいて)に、いかに負けじとてどうする事ぞ、右手(めて)に長煙草(ながぎせる)を提(ひっさ)げたり。かねて煙草は嗜(たし)まぬから、これは母親の枕辺(まくらべ)にあったのだろう、お夏はこの得物を取りに駆込んだのであった。
「お嬢さん。」
「愛吉か。」
 そのまま店から下りそうなるを、びったりと背(せな)でおさえて、愛吉は土間一杯に身構えながら、件(くだん)の賽(さい)の目のごとき足並の人立に向って、かすれた声、
「やい! 何方様(どなたさま)もよくおいで遊ばされやがったね、へへへへへへ、何御用でございますか、仰せ聞けられまし、へへへへへ。」

「……七銭三厘、二銭、五銭、十五銭、一銭、二十五銭、三十銭、可(い)いかい。」
「へい、可(よ)うございます。」
 愛吉は神妙に割膝で畏(かしこま)り、算盤(そろばん)を弾(はじ)いている。間を隔てた帳場格子の内に、掛硯(かけすずり)の上で帳面を読むのはお夏で、釣洋燈(つりランプ)は持って来て台の上、店には半蔀(はんしとみ)を下してある。
「十銭、十八銭、四十銭、五十八銭。」
「旨(うめ)えもんですぜ。」
「こんなに遅く読むのを置くのじゃあないか、ちっとも旨いことはありゃしない。」
「いいえさ、商(あきない)もこうなりゃ、占めたものだというんでさ。」
 お夏は何にも謂わないで微笑(ほほえ)みながら、
「八銭、七銭、五銭、合せて十二銭、三十二銭、十六銭。」
 愛吉慌(あわただ)しく急込(せきこ)んで、
「おっと! と。」
「またかい。」
「大概可(よ)うがすがね。」
「算用が大概じゃあ困るからね、また遣損なったんでしょう。」
「ええと、今何でさ、合せてなんて、余計なことを言いなすった時、拇(おやゆび)で引懸(ひっか)けて、上が下りて一ツ飛んで入りましたっけ。はてな、」
 お夏は帳場格子に肱(ひじ)をついて、顔を出して、愛吉が手なる算盤を差覗(さしのぞ)いた。間近に照らす洋燈(ランプ)の明(あかり)に、と見れば喧嘩の名残(なごり)である、前髪が汗ばんでいた。頬にかかるのは愛嬌毛(あいきょうげ)で、
「幾ツ入違えたの、お直しな。」
 愛吉は小指でちょいちょいと耳を掻(か)き、
「珠を幾つ遣損なったか、それが分りますと可うがすがね。」
 お夏は肱を掛硯の上へ支(つ)き直して、明(あかり)の後(うしろ)へ胸を引いた。
「もうこっちへお寄越しなさい。」
 愛吉は一議もなく、算盤と一所に額を突出し、お辞儀をして、
「どうぞ願います。」
 入違いにぽんと投出す、帳面を受取って、愛吉は膝の上。
「読みますぜ。」
 お夏は前髪の下へ、美しい指を一本、珠を狙って傍目(わきめ)も触(ふ)らず、
「さあ、」
「しっかりおやんなさい。」
「ああ、」と真面目である。
「えゝと、こうだに寄って、はじまりから遣りますよ、拾銭也(なり)。」
「ああ、」と置く。
「八銭八厘也、可うがすかい。」
「ああ、」と置く。
「三十五銭也。」
「ああ、」と置く。
「それから二十八銭也。」
「ああ、」
 愛吉は目を擦(こす)った。
「お嬢さん、貴女(あなた)は手習はからっぺただっていうんですが、この字は細くって綺麗ですね。」
「ああ。」
「おっと、また二十四銭也。」
「ああ、」と置く。
「違った、二、二、二、二十二銭、そう、そう。」
 と独りで狼狽(うろた)えて独(ひとり)で落着く。
 お夏は後生大事に、置いた処を爪紅(つまべに)の尖(さき)で圧(おさ)えながら、
「ちらちらするね、きっと飲んでおいでだよ。」
「おっと、八銭也。」
 早速珠を弾いて、
「ああ、」
「どうも一ツ一ツ、ああと返事をなさっちゃあ、その間にぽつぽつ、私(わっし)なんざ及びッこなし、旨いものです。」
「旨いもんです。」とお夏は珠を凝視(みつ)めたままで莞爾(にっこり)する。
 愛吉はけろりとして、
「お次が二十八銭也。」

「お夏や。」
 折から奥で衰えた声して呼んだのは、病の床に臥(ふ)しているという母様(おっかさん)。この声を聞くと、愛吉は胸を折って、肩の中へ頸(うなじ)を縮(すく)めて、口をむぐむぐと遣る。お夏はこれを見ぬようにしてちょいと見ながら、
「母様(おっかさん)。」
「おお、いいえ、来るに及びません、勘定をしておいでか。」
「はい、」と軽く言う。
「御苦労だの。」
「母様、今夜は愛吉が来てくれまして、種々(いろいろ)あの交ぜかえしたり、下手な算盤を置いたり、間違ったことをいったりしますから、おもしろくッて可(よ)うございますよ。」
「酷(ひど)いことを、」と口の裡(うち)、愛吉は苦い顔をして、お夏を怨(うら)めしそうに見る目をぱちくり。
「愛吉、難有(ありがと)うよ。」
「これは、」と額を押えたが、隔てていれば見えもせず、聞えもせず、目(ま)のあたりのお夏にはどんなに可笑(おかし)かったろう。
「母様、愛吉があんな風をいたします。」
 愛吉はじたばたしたが、くるりと坐り直って奥の方(かた)に手をついた。
「どういたしまして、ええ、水をって申しますと、平時(いつも)のとおり裏長屋の婆さんが汲込(くみこ)んで行ったと仰有(おっしゃ)るんで、へい、もう根っから役に立ちません。」と膝を擦(さす)ったり、天窓(あたま)を掻いたり。
「へい、何でございまして、その、」
「何がどうおしなのさ、」とお嬢さん人の悪い。
 愛吉はまた慌てて、
「その、何でございまして、へい。」
「佃島のは達者かい。」
「ええ阿母(おっかあ)でございますか、ええ、ぴんぴんいたしております。ええ毎日のようにもお伺い申し上げませんければなりませんと、いつでもそう申しちゃあね、済まないッて言いますんでございますが、ああして一人で店を行(や)っておりますし、それにこの頃じゃあ、度々上ると、お夏様が気を揉(も)んでお構い遊ばして、却ってお邪魔だからと、こんなに申しまして、へい。」
「そうかい、お前がちょいちょい来てくれるんだもの。佃島からは大変だ、今度逢ったら宜しくと申してくんなよ。」
「難有(ありがと)うございます、私(わっし)はどうもちっとも御用にゃ立ちませんで、ほんのもうお嬢様の癇癪(かんしゃく)、」
 途端にお夏が帳場格子をコトコトと叩いて気を着けた。振向くと眉を顰(ひそ)めて、かぶりを振って見せたので、
「癇、」と行詰り、
「癇……癪なんぞお起しなすっちゃあ不可(いけ)ません、紋床の親方なんぞも申しますが、気永に御養生なさいませんと、お焦(じ)れなさるのは一番毒ですって、」といいかけて、額の汗を拭(ぬぐ)いながら、愛吉は這身(はいみ)になり、暗い蘆戸(よしど)を覗入(のぞきい)れるようにして、
「もし御新造様(ごしんぞさま)え。」
 ややあって、
「あいよ。」
「そして早くよくおなんなすって、またお襟でもあたらして下さいまし、そうまずくはありませんや、剃刀(かみそり)だけは御用に立ちます。」としんみりする。
「涼しくなったら可かろうと思うよ、今夜あたりは余程(よっぽど)心持が可(い)いようだよ。」
 しばらく言(ことば)が途絶えたが、
「お夏や。」
「母様。」
「先刻(さっき)うとうとしていると、戸外(おもて)が大分(だいぶん)騒がしかったようだっけ、」
 愛吉はぎょっとして、また頸(うなじ)を縮(すく)め、
「そうら。」
「何? あれは。」

「何でございますか、向うの嘉吉さんの所(とこ)の婆さんが気が狂(ふ)れて戸外(おもて)へ飛び出したもんですから、皆(みんな)で取押えるッて騒いだんですよ。」
 とお夏は自若としていって真顔で居る、愛吉は苦笑(にがわらい)、また苦笑。
「そうかい、飛んだこッたね、そしてどうなりました。」
「火事だ火事だといって表町の方へ駆出して行きましたっけ、しばらくすると角の交番のお巡査(まわり)さんが連れて戻りましたよ。」
 自分かかり合のことは丸抜にして言い紛らした。お夏は母親の前を繕ったのであるが、しかし事実で。
 先刻(さっき)ちょうど来合せた愛吉が、常に口にするよう、お夏の癇癪を引受けて、町内の人々と言い争い、すわや、掴合(つかみあい)の始りそうになった時、あたかも可し、婆を捕えて、かの嬰児(あかんぼ)を抱いた女房を従えて、嘉吉の宅へ届けるため、角の交番から出張したのか、見ると騒動、コヤコヤと叱り留(とど)めて、所得税を納める者まで入交って、腕力沙汰は、おい、何事じゃい。
 双方聞合せて、仔細(しさい)が分ると、仕手方の先見明(あきらか)なり、杖(ステッキ)の差配(おおや)さえ取上げそうもないことを、いかんぞ洋刀(サアベル)が頷(うなず)くべき。
 各々(めいめい)自分勝手な迷信から、他人の持物を侵そうとする、それも方角が悪いといって、掃溜の置場所を変えよとでも謂うことか、鶏(とり)を殺そうとは沙汰の限り。
 なお人一人、それがためにと申立てるが、鶏の宵啼(よいなき)で気が違うほどの者は、犬が吠えると気絶をしよう、理非を論ずる次第でない。火事だ、火事だと駆け廻って、いや火の玉のような奴、かえってその方が物騒じゃ、家内の者注意怠るな、一同の者、きっと叱り置くぞ、早々引取りませい、とお捌(さば)きあり。
 あっちでもこっちでもぶつぶつがらがら、口小言やら格子の音。靴の響(ひびき)が遠ざかって、この横町は静(しずか)になったが、嘉吉が家ではなおばたばたするので、うるさいと謂って、お夏が半蔀(はんしとみ)を愛吉に下(おろ)さした、その内に蔵人は旧(もと)の閨(ねや)、煙管(きせる)もそっと、母親の枕許へ、それで事済(ことずみ)となったのであるが、寐(ね)つきなり殊に病(やまい)の疲れ、知らぬと思っていた母親に尋ねられて、お夏は落着いても、胸は騒いだのであるけれども、これも案ずるより産むが安かった。
「愛吉、」
「ええ、」
 無言で目を合せていて、やがてのこと。
「あの、母様(おっかさん)。」
 黙って返事がないから、
「寐なすったよ。」
 眼(まなこ)を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って呼吸(いき)を凝(こら)した、愛吉は吻(ほっ)とばかり、
「可(い)い塩梅(あんばい)、確(たしか)ですか。」とそッという。
「始終すやすやしていらっしゃる、先刻(さっき)もよく寐ていなすった様だっけ。」
「それであの煙管などを持出して、ほんとうにあれを揮舞(ふりまわ)すつもりでございましたか。」
「むむ、」とお夏は打頷(うちうなず)く。
 愛吉驚いた風で、
「途方もねえ。」
「私にだって一人や二人は打(ぶ)てようじゃあないか。」
「飛んでもねえ。」
 お夏は澄したもので、
「不可(いけな)いかしら?」
「不可いたって、可いたって、そんな身体(からだ)で、あの中へ揉込まれて、串戯(じょうだん)じゃアありませんぜ。髪の毛でもつかまったらどうします。」
「まあ、」
「ええ?」
「そうね。」とわけもなく合点(がってん)する。
 愛吉は乗出して、
「呑気(のんき)じゃあ困りますな。」

「だから私(わっし)がいつでも言うんじゃございませんか、荒いことは軍鶏と私とで引受(ひきうけ)ますッて。ですから私におっしゃるまで、我慢をしていなさらなけりゃ不可(いけ)ません、まったくですよ。御新造様(ごしんさん)がどんなに心配をなさるか知れません、可(よ)うがすかい。」
「それでも打棄(うっちゃ)って置くと殺されるじゃあないか、鶏(とり)を寄越せって謂(い)うんだもの。」
「そりゃもう。いえ、済んだ事は仕方がありませんが、これからもあることです、これからの事ですよ。だって先刻(さっき)も私が来合せましたから宜(よ)かったようなものの、どうして立至った場合なら、貴女一人で叶いっこがありますか。どうせ叶わねえので見りゃ、怪我なんぞなさらない方が割方(わりかた)でございましょう、威張ったって婦人(おんな)だ、何をし得るもんですか。ねえ、」
「はい、さようでございますよ。」
「そら、御覧なさい。」と愛吉は説破し得たりという顔であった。
「愛吉、」
「へい。」
「私が来たから可いようなもののと、お言いだがね。」
「ええ、さようさ。」
「私はそうとは思いません、」と莞爾々々(にこにこ)[#ルビの「にこにこ」は底本では「に にこ」]する。
 怪訝(けげん)な顔色(かおつき)で、
「はてね。」
「私は巡査(おまわり)さんが見えたからそれで助かったと思いますよ。」
「や、成程。」
「どうだい。」
「へへへへへへ、一言(ひとこと)もござなく、……」
 続けさまに天窓(あたま)を掻き、
「ですがね、お嬢さん。」
「ああ。」
「私(わっし)も深川のお宅へ泣込んで参りました時のように、いつも弱くばかしはございませんぜ。あの頃は何でもこう二三人とは謂いませんや、一人でも向うへ廻して、わッというと、」
 愛吉はぎょッとする仕方をして、
「もう目がくらみました。何、どんな目に合おうかと危険(けんのん)だから塞(ふさ)ぐんで、卑怯(ひきょう)に生命(いのち)が惜(おし)いと思うんじゃありませんけれども、さぞ痛かろうと、あらづもりをするんでさ。」
「まあ、」
「もっとも、何ですか、一寸さきは分らないといった工合で、からだらしがありませんでしたが、段々馴(な)れて来てお前さん、この頃じゃあ、立身(たちみ)になりましょうと、喧嘩の虫が声を懸(かけ)ると、それから明るくなりますぜ。そら拳固だ、どッこい足蹴(あしげ)だ、おっとその手を食うものか、その内に一人つんのめるね、ざまあ見やがれと、一々合点(がってん)が出来ますだろう。どうです、強くなった証拠ですぜ。親方も言いましたっけ、撲(なぐ)りあいに目を塞がないようになりゃ、喧嘩流の折紙だって、もうちっと年紀(とし)を取って功を積んで来ると、極意皆伝奥許(おくゆるし)と相成ります。へ、」
「おやおやそうすると。」
「喧嘩をしませんとさ。」
「何、」
「極意皆伝奥許というのは喧嘩をしない事ですとさ、何のこッた詰らない。」
 と愛吉は何か詰らなそう。
「ほんとうに詰らない、」
「いえ、ところが私(わっし)にゃあ不可(いけ)ません、お嬢さんなんざ何でも分っていなさるんだから、はじめから幾らも皆伝になられます、荒っぽい気をお出しなすっちゃあ不可(いけ)ませんぜ。」
「ああ、だからお前も喧嘩の話はおよし、お前の話というときっと喧嘩の事だよ。」
 と淡泊(あっさり)したことを謂いながら、物足りなそうな、済まぬらしい、愛吉の様子を眺めて、もの優しく、
「おもしろい話をお聞かせな、私も淋(さみし)いからゆっくりおし。そして、煙草(たばこ)がなくば上げようか。」

 愛吉は店の箱火鉢を引張り寄せ、叩き曲げた真鍮(しんちゅう)の煙管(きせる)を構え、膝頭(ひざがしら)で、油紙の破れた煙草入の中を掻廻しながら少し傾き、
「ト、おもしろい談(はなし)? 鯰(なまず)が許(とこ)のかのお米が身の上……ありゃ確(たしか)もう御存じでございましたね。」
「ああ、二三度聞いたよ、可哀相だわ、おもしろくはないよ。」
「さてと、困ったな、喧嘩が禁制となって酔払いがお気に入らずとあっては、前座種切れだ。」
 と吸いつけ、
「お待ちなさい、お米が身の上は可哀相と極(きま)って、長崎から強飯(こわめし)が長い話と極った処で、これがおもしろいと形(かた)のついた話といってはありますまい。私(わっし)が一度甲州街道の府中に行っていたことがあります。
 よくはやりましたが、新店(しんみせ)で、親方というのが少(わか)いので、女房(かみさん)もまだ出来たてだもんですから、職人は欲しい、世話はしたいが一所に居るのはちと工合が悪い、内には妹と厄介な叔母(おば)とが居て、ちょうど別に一軒借りようという処で、家は見つかっている、所帯道具なんぞ、一式調い次第あとから繰込むとするから、私に先へ行って夜だけ泊っていてくれろとこういう話です。
 宜(よ)うございますとも。早速その晩から煎餅蒲団(せんべいぶとん)一枚ずつ抱えて寝に行(ゆ)きました。木戸があって玄関まであって室数(まかず)が七ツばかり、十畳敷の座敷には袋戸棚、床の間づき、時代にてらてら艶(つや)が着いて戸棚の戸なんぞは、金箔(きんぱく)を置いて白鷺が描いてあろうという大したもんです。
 私は曰附(いわくつき)の家へ瀬踏(せぶみ)に使われたんだとは気が着きませんや。
 床屋風情にゃあ過ぎたものを借りやあがった、襖(ふすま)の引手一個(ひとつ)引剥(ひっぺが)しても、いっかど飲代(のみしろ)が出来るなんと思って、薄ら寒い時分です、深川のお邸(やしき)があんなになりました、同一(おなじ)年の秋なんで。
 その十畳敷の真中(まんなか)で、昆布巻(こぶまき)を極(き)めて手足をのびのびと遣(や)りましたっけ。」
 愛吉は吸殻を払(はた)いて、
「可(よ)うごすかい、さあ寝られません。総鎮守の風の音が聞えますね、玉川の流(ながれ)は響きますね、遠くじゃあ、ばッたんばッたん機織(はたおり)の夜延(よなべ)でしょう、淋(さみし)いッたらありません。
 悪くするとこりゃ狐でも鳴きそうだ、弱りましたね、さよう、一時頃でございましたろうか。」
 聞惚(ききと)れていたお夏は急にあどけないことをいった。
「出たかい。」
 余り唐突(だしぬけ)に聞かれたから、愛吉まごついて、
「へい、何でございます。」
「いずれ何か。」
「最初は、庭に手水鉢(ちょうずばち)があります、その雨戸がカタリといいましたっけ、縁側を誰か歩行(ある)いて来ます、変だと思ってる内に、広間の前の処で跫音(あしおと)が留(や)んだんです。へい、」といって一ツ自分で頷いた。
「それだけ。」
「どういたしまして、これからなんでさ。しばらくすると、すッと障子を開けましたが、私が枕を持上(もた)げる時には、もう畳を三畳ばかりすらすらと歩行(ある)いて来ました。
 見ると婦人(おんな)。
 はてな、盗(と)られる物はなし、戸締りはして置かないから、店から用があって来たのかしらと、ひょいと見ると、どう仕(つかまつ)り……床屋の妹というのはちょいと娘柄(こがら)は佳(よ)うございましたけれど、左の頬辺(ほっぺた)に痣(あざ)があって第一円顔なんで。」

「よく演劇(しばい)でしたり、画(え)に描いたりするのは腰から下が霧のようになってましょう。
 私(わっし)がその時見ましたのは、どうして、大した結構なものですぜ。
 目鼻立のはっきりとした、面長で、整然(ちゃん)とした高島田、品は知りませんが、よろけた竪縞(たてじま)の薄いお納戸の着物で、しょんぼり枕許へ立ったんです。
 時刻は時刻だし、場所は場所ですし、第一、その玉がまた、府中あたりに見ようたって見られるのじゃありません。何(なん)しろお嬢様、三階建(だち)の青楼(おちゃや)の女郎が襟のかかった双子(ふたこ)の半纏(はんてん)か何かで店を張ろうという処ですもの。
 歌舞伎座(こびきちょう)のすっぽんから糶上(せりあが)りそうな美しいんだから、驚きましたの何のって、ワッともきゃっともまさかに声を上げはしませんが、一番生命(いのち)がけで、むっくり起上ると、フイと背後向(うしろむき)になって、風を切るようにすっと引返しました。その時は背筋のあたり、真白(まっしろ)な襟を艶々(つやつや)した髷(まげ)ね、毛筋もならべたほどに見えましたっけ、もう消えたんです。あくる朝はぼんやりでどうも考えて見ると夢のよう、早い処でまず、その消えたあとのことを思出すと、何しろ真暗(まっくら)なんでございましょう。夢でなくッて顔色がどうの、着ものの色がどうの、髷の形(かた)がこうのと、分るわけがなかろうじゃありませんか。
 夢とすると話が出来ない、いかに田舎稼(かせぎ)に出ていたって、野郎の癖に新造(しんぞ)の夢でもありますまい。これが山賊に出逢って一貫投げ出したとでもいう事なら、意気地がねえたって茶話にゃなりまさ。
 黙っていました。
 その晩、また昨夜(ゆうべ)のように、燧火(マッチ)だけは枕頭(まくらもと)へ置いて火の用心に灯(あかり)は消して寝たんですが。
 同一刻(おなじじこく)になりますと、雨戸がカタリ、ほんの、カタリと聞えますだけなんで、縁側に跫音(あしおと)がしましょう。枕を上げて見たばかりで、何故(なぜ)だか起返る事が出来ません。
 その女もしばらく立っていましたっけ、別に何という事は無しに、縁側の障子の際で、肩の辺(あたり)が消えますとね、桟が見えて高島田もなくなりました。」
 お夏は半ば聞棄てて、気を入れるともなく返事ばかりして、帳面をあっちこっちばらばらと返していたが、この時一点も疑う色のない顔を上げた。
「奇代だわねえ。」
「ええ、まだまだそれが三晩四晩と続きましたね、段々気味が悪くなって来るせいですか、さあ、おいでなすったと思うと天窓(あたま)から慄然(ぞっ)として、圧(おし)を置かれるような塩梅(あんばい)で動くこともなりません。
 五日経(た)ってからお約束の、叔母と、妹というのが引移りました。けれども、そら私(わっし)に瀬踏をさした位なんですから、そうやって日が経っても、何にもいわないについて大丈夫とは思ったでしょうが、まだ安心がなりますまい、そこで段取は抜(ぬき)、所帯道具は運ばないでまず泊りに来たもんです。
 次の室(ま)の六畳に二人抱ッこをして寝ましたっけよ。お前さん昨夜(ゆうべ)は大層うなされてねと、夜が明けてから吐(ぬか)しまさ。さあいよいよだ、とぎょっとしたけれど、何時頃にと、惚(とぼ)けて尋ねますと、ちょうど刻限が合ってるんで。
 ままよ、こうなりゃ百年目だ。新造に取着(とッつ)かれる覚(おぼえ)はないから、別に殺そうというのじゃあなかろう、生命(いのち)に別条がないと極(きま)りゃ、大威張りの江戸児(えどっこ)、」
「吻々々々(ほほほほ)、」
「ほんとうに度胸を据えました、いえ、大したことじゃありません。何か化けて出る因縁があるに相違ないと思いましたからね、思い切って聞いて試(み)ようと、さあ、事が極(きま)ると日の暮れるのが待遠いよう。」

「婦人(おんな)二人は、また日が暮れると泊りに来ました、いい工合に青緡(あおざし)を少々握りましたもんですから、宵の内に二合半(こなから)呷(あお)りつけて、寝床に潜り込んで待ってると、案の定、刻限も違(たが)えず、雨戸カタリ。
 ちらりと姿が見えたが勝負で、私(わっし)あ目を瞑(ねむ)って、江戸児だ、お前さん何の用だ、と言いました。
 すると莞爾(にっこり)笑ったから凄(すご)うございまさ。少し俯向(うつむ)いてこう胸の処に袖を重ねていた、それをね、両方へ開いたでしょう。
 突然(いきなり)、大蛇(うわばみ)の天頭(あたま)でも顕(あらわ)れるかと思うと、そうじゃアありません。これを預けたさに、と小さな声で謂いましたね。青い襦袢(じゅばん)の中から、細い手を差延べたから、何か知らんが大変だ、幽霊の押着(おッつけ)ものなんざ恐しい、突退(つきの)けようと向うへ突出したこの手ッ首の細い処へ、」
 愛吉は指の環(わ)で左の手首を握りながら、
「一本きらきらする銀の簪(かんざし)、脚を割って突(つき)さすように挟んだんです。確(たしか)に、可(よ)うござんすか。確に、という口の下、ぐいぐいとその簪の脚が緊(しま)りましてね、ここが不思議ですよ、その痛いことと謂ったら。思わずキャッというと、愛吉さん愛吉さんと呼びますわ、次の室(ま)で二人の声がするから、気が着きますと、私(わっし)は床の上へ坐り直って、現(うつつ)にもお嬢さん、こうやって左の手ッ首を圧(おさ)えていたんです。
 恐しいことには、夜があけても何だか脈処(みゃくどころ)が冷たいようで、ずきずき痛みましたから堪(たま)りません。
 打明けては言いませんでしたけれども、二晩続けて私(わっし)が魘(うな)されたのを聞いたんで、婦人(おんな)二人はもう厭(いや)だとかぶりを振ります。
 有耶無耶(うやむや)の内は、夢だろうぐらいで私も我慢をしましたけれども、そうどうも手首へ極印を打たれちゃあ辛抱がなりません。とても次の晩からはその家へは寝られませんで、形(かた)なしになりましたが、私あはじめてです、いまだに不思議に思いますがね。」
「それッきり逢わなかったの。」
「ええ、もう木賃の方へ逃げました。」
「惜しいことをしたねえ、何かお前に頼みごとでもあったんじゃあないか、それでなくってもまた来た時を待っていて、分(わけ)を聞けば可(よ)かったのにね。」
 と身に染みて、お夏は残惜しそうな風情であった。
「今で見ますと、私も惜(おし)いことをしたと思います、ですがお嬢さん、その場に臨んで御覧なさい、その気味の悪いことといっちゃあ、口で謂うようなものではないんですから。」
 お夏はこれを聞取らなかったほど、何か考えていたが、
「幾歳(いくつ)、」
「十八九で、」
「一昨年(おととし)のことだって、」
「一昨年でございますよ。」
「一昨年十八九、私と同一年(おないどし)ぐらいだねえ?」
「飛んだことを、譬(たとえ)になすっちゃあ不可(いけ)ません。」と驚いて言う。
 お夏は自若として、
「そして簪(かんざし)を預けたいといったって、十八九で綺麗な女で、可愛らしいお化(ばけ)だこと。ほんとに可愛いじゃあないかねえ、」とものおもい、もの思う様子で謂いながら、つむりへ手を遣ると、さしていた銀脚の簪を抜いて取った。
「愛吉、ちょいとお見せな、手を。」
「へい、」
「こんな風に預けたの。」と、そのまま手首へはさんだが、よくは入らないから耳の処へ力を入れた、銀(しろがね)は柔かく二ツに分れて、愛吉の手は帳場格子の上に結いつけられたようになったが、双方無言で、やがて愛吉はぶるぶると震えた。

「取ってお置き、それをお前に上げましょう。」とお夏は事もなげに打微笑(うちほほえ)み、
「それであのお化の念が届くんだわ。」とあっけに取られた愛吉の顔をさも嬉しそうに眺めたが、不意に色をかえて、お夏はちょっと簪を抜いた髪に、手を触れて見て屹(きっ)とした。この時の容貌は、過般(いつぞや)深川の橋の上で、女中に取巻かれて火を避けたのを愛吉が見たそれのごとく、ほとんど侵すべからざる、威厳のあるものであった。しかもあきらかに一片の懸念の俤(おもかげ)は、美しい眉宇(びう)の間にあらわれたのである。お夏は神に誓って、戯(たわむれ)にもかかる挙動(ふるまい)をすべき身ではないのであった。
 しかるに愛吉が状(さま)もまた極めて案外。
 その手も引かず渠(かれ)は色を正して、やや開き直ったという体(てい)で、
「お嬢様(さん)、それじゃあこれをお記念(かたみ)に頂きましょう。」
「え。」
「お嬢さん、私(わっし)は何とも申し上げようはございません。」と片手をそれへ、頭(つむり)をさげたが、声の調子も変っている。
「私あお嬢さん、あなたに取っちゃあ敵(かたき)でございます。へい、とんでもない、謂(い)わばその獅子身中の虫と謂うんで、こんな分らずやで何にも存じませんもんですから、愛吉々々とおっしゃって下さるのを、可い事にして、癇癪(かんしゃく)は引請けましたなんぞと、汝(うぬ)が勝手な熱を吹いちゃあ、ちょいちょいお出入をするもんですから、こんな役雑(やくざ)ものと口をお利きなさりますばッかりで、お嬢様、あなたに人が後指を指すんです。知らない内はから呑気で、一向澄したものでおりましたが、人から気をつけられて身体(からだ)を持って行き処のないほど、驚いたんでございますよ。
 まあどの位、こちら様に害をなすか、こん畜生、数(すう)が知れねえんで、へい。実に相済みません、何てっておわびのいたしようもないのでございます。
 今晩も実は一言(ひとこと)申上げて、お暇乞(いとまごい)をしましょうと、その事で上りましたが、いつに変らず愛吉々々とおっしゃるので、つい言い出しかねておりました。
 唐突(だしぬけ)にこんな事を藪(やぶ)から棒、気が違ったかとお思いなさいましょうが、お嬢さん。
 あなたも何にも御存じなし、私もちっとも知らないでおります内に、あなたの御縁談が一ツ打破(ぶちこわ)れたんでございまして。
 これが並一通(ひととおり)のことじゃアありませんや。対手(あいて)がまたその辺に対手欲しやでうろついてる出来星の吝(けち)な野郎じゃアありません、汝(うぬ)が身体(からだ)さえ打棄(うっちゃ)ってる私ですもの、大臣だって、大将だって、大金持だって何だって、糸瓜(へちま)とも思わねえのに、こればかりは大の贔屓(ひいき)で、心底から惚(ほ)れています山の井の若先生。」
「愛吉!」
「お待ちなさい、それだ、分ってます。京橋から築地、この日本橋、神田、下谷(したや)、一度見た親はこういう人をと思わねえものはありますまい。今度あなたの代りに極(きま)りました縁の先方(さき)の、山河内の奥方てえ、あの癬(たむし)の大年増なんざ、断食をしないばかりに、女(むすめ)を押(おッ)つけようといって騒いだと申すんで。
 その若先生が、お嬢さん、あなたを望みで、影日向(ひなた)心を入れていたというのに、何と私が着絡(つきまと)ってるばかりに、控えたというじゃアありませんか。」
「愛吉!」
「済みません、分ってます、分ってます。しかもこういう事をはじめて聞きましたのが、先達てお嬢さんが口惜(くやし)がっておいでなすった、根岸の鴨川一件だ。鼻元思案のお前(さき)ばしりに私が暴(あば)れ込んで、ひッくりかえって可い心持で飲みました晩ですぜ。それと分ってからはお顔を見るにも御不便(ごふびん)で、上りかねましたから、こんなに御不沙汰にもなりましたが、もう一度問直そうと、山の井先生がその時は、自分で鴨川の許(とこ)へ行ったッていうんです。それが頼まれもせずいいつけもなさらない、お嬢さんの名を出して、私が暴れて帰ったあとだった、というじゃありませんか。
 口惜(くやし)いのは、お嬢さんに団扇(うちわ)で煽(あお)がせた時がと言うと、あの鴨川めが肝入(きもいり)で、山河内の娘に見合をさせるのに、先生を呼んだ日だと謂いますわ。敵(かたき)だもの、おまけに、私が帰ったあとで、あなたの相談がどうなります。それに、まだ、そんな事じゃあない、といいますのはあの若先生は、お嬢さん、あなたが誰にもおっしゃらないで、心で思っていらっしゃる、……」
「愛吉!」
「いいえ、分ってます。誰も知りませんが、これを、いって聞かしたのは、竹永丹平という、新聞社の探訪員。」
明治三十三(一九〇〇)年九月
了

底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷
底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店
   1941(昭和16)年11月10日第1刷発行
初出:「大阪毎日新聞」
   1900(明治33)年8月9日〜9月27日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年3月5日作成
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