あらすじ
金沢の俳人・可心は、芭蕉の流れを汲む者として、能登半島の奥深くへと旅に出ます。道中、可心は様々な人々と出会い、美しい風景を目にし、俳句を詠みますが、同時に危険な目に遭うことも。特に、荒れ狂う海を渡る場面では、命の危険にさらされます。可心は、その旅の中で、一人の美しい女性と出会います。その女性との出会いは、可心の人生を大きく変えることになるのです。
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――心中見た見た、並木の下で
     しかも皓歯(しらは)と前髪で――


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 北国金沢は、元禄に北枝(ほくし)、牧童などがあって、俳諧に縁が浅くない。――つい近頃覧(み)たのが、文政三年の春。……春とは云っても、あのあたりは冬籠(ふゆごもり)の雪の中で、可心――という俳人が手づくろいに古屏風(ふるびょうぶ)の張替をしようとして――(北枝編――卯辰(うたつ)集)――が、屏風の下張りに残っていたのを発見して、……およそ百歳(ももとせ)の古(いにしえ)をなつかしむままに、と序して、丁寧に書きとった写本がある。
 卯辰は、いまも山よりの町の名で、北枝が住んでいた処らしい。
 可心の写本によると、奥の細道に、そんな記事は見えないが、
翁(おきな)にぞ蚊帳つり草を習ひける   北枝
 野田山のふもとを翁にともないて、と前がきしたのが見える。北方の逸士は、芭蕉を案内して、その金沢の郊外を歩行(ある)いたのである。また……
 丸岡にて翁にわかれ侍(はべ)りし時扇に書いて給(たま)はる。
もの書いて扇子(おうぎ)へぎ分くる別哉(わかれかな)   芭蕉
 本人が「給わる」とその集に記したのだから間違いはあるまい。奥の細道では、
もの書(かい)て扇子引(ひき)さくなごり哉
である。引裂くなどという景気は旅費の懐都合もあり、元来、翁の本領ではないらしい……それから、
石山の石より白し秋の霜   芭蕉
 那谷寺(なたでら)におけるこの句が、
石山の石より白し秋の風
 となっている。そうして、同じ那谷に同行した山中温泉の少年粂之助(くめのすけ)、新(あらた)に弟子になって、桃妖(とうよう)と称したのに対しての吟らしい。
湯のわかれ今宵は肌の寒からむ   芭蕉
 おなじく桃妖に与えたものである。芭蕉(じい)さん……性的に少し怪しい。……
山中や菊は手折らじ湯の匂ひ
 この句は、芭蕉がしたためたのを見た、と北枝が記しているから、
山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ
 世に知られたのは、後に推敲(すいこう)訂正したものであろう、あるいは猿簑(さるみの)を編む頃か。
 その猿簑に、
凧(たこ)きれて白嶺(しらね)ヶ嶽(たけ)を行方かな   桃妖
 温泉の美少年の句は――北枝の集だと、
糸切れて凧は白嶺を行方かな
 になっている。そのいずれか是なるを知らない。が、白山を白嶺と云う……白嶺ヶ嶽と云わないのは事実である。
 これは、ただ、その地方に、由来、俳諧の道にたずさわったものの少くない事を言いたいのに過ぎない。……ところが、思いがけず、前記の可心が、この編に顔を出す事になった。
 私は――小山夏吉さん。(以下、「さん」を失礼する。俳人ではない。人となりは後に言おうと思う。)と炬燵(こたつ)に一酌して相対した。

「――昨年、能登(のと)の外浦を、奥へ入ろうと歩行(ある)きました時、まだほんの入口ですが、羽咋(はぐい)郡の大笹の宿で、――可心という金沢の俳人の(能登路の記)というのを偶然読みました。
 寝床の枕頭(まくらもと)、袋戸棚にあったのです。色紙短冊などもあるからちと見るように、と宿の亭主が云ったものですから――」
 小山夏吉が話したのである。
「……宿へ着いたのは、まだ日のたかい中(うち)だったのです。下座敷の十畳、次に六畳の離れづくりで、広い縁は、滑るくらい拭込(ふきこ)んでありました。庭前(にわさき)には、枝ぶりのいい、大(おおき)な松の樹が一本、で、ちっとも、もの欲しそうに拵(こしら)えた処がありません。飛々に石を置いた向うは、四ツ目に組んだ竹垣で、垣に青薄(あおすすき)が生添(はえそ)って、葉の間から蚕豆(そらまめ)の花が客を珍らしそうに覗(のぞ)く。……ずッと一面の耕地水田で、その遠くにも、近くにも、取りまわした山々の末(すそ)かけて、海と思うあたりまで、一(ひとつ)ずつ蛙が鳴きますばかり、時々この二階から吹くように、峰をおろす風が、庭前(にわさき)の松の梢(こずえ)に、颯(さっ)と鳴って渡るのです。
 ――今でも覚えていますが、日の暮にも夜分にも、ほとんど人声が聞こえません。足音一つ響かないくらい、それは静(しずか)なものでした。それで、これが温泉宿……いや鉱泉宿です。一時(ひとしきり)世の中がラジウムばやりだった頃、憑(つき)ものがしたように賑(にぎわ)ったのだそうですが、汽車に遠い山入りの辺鄙(へんぴ)で、特(こと)に和倉の有名なのがある国です。近ごろでは、まあ精々在方の人たちの遊び場所、しかも田植時にかかって、がらんとしていると聞いて、かえって望む処と、わざと外浜の海づたいから、二里ばかりも山へ入込んで泊ったのです。別に目立った景色もありません、一筋道の里で、川が、米町(よねまち)川が、村の中を、すぐ宿の前を流れますが、谿河(たにがわ)ながら玉を切るの、水晶を刻むのと、黒い石、青い巌(いわ)を削り添えて形容するような流(ながれ)ではありません。長さ五間ばかり、こう透(すか)すと、渡る裏へ橋げたまで草の生乱れた土橋から、宿の玄関へ立ったのでしたっけ。――(さあ、どうぞ。)が、小手さきの早業で、例のスリッパを、ちょいと突直すんじゃない、うちの女房(かみさん)が、襷(たすき)をはずしながら、土間にある下駄を穿(は)いて、こちらへ――と前庭を一まわり、地境(じざかい)に茱萸(ぐみ)の樹の赤くぽつぽつ色づいた下を。それでも小砂利を敷いた壺(つぼ)の広い中に、縞笹(しまざさ)がきれいらしく、すいすいと藺(い)が伸びて、その真青(まっさお)な蔭に、昼見る蛍の朱の映るのは紅羅(がんび)の花の蕾(つぼみ)です。本屋(おもや)続きの濡縁に添って、小さな杜若(かきつばた)の咲いた姿が、白く光る雲の下に、明(あかる)く、しっとりと露を切る。……木戸の釘は錆びついて、抜くと、蝶番(ちょうつがい)が、がったり外れる。一つ撓直(ためなお)して、扉を開けるのですから、出会がしらに、水鶏(くいな)でもお辞儀をしそうな、この奥庭に、松風で。……ですから、私は嬉しくなって、どこを見物しないでも、翌日も一日、ゆっくり逗留(とうりゅう)の事と思ったのです。
 それに、とにかく、大笹鉱泉と看板を上げただけに、湯は透通ります。西の縁づたいに、竹に石燈籠(いしどうろう)をあしらった、本屋の土蔵の裏を、ずッと段を下りて行(ゆ)くのですが、人懐(ひとなつこ)い可愛い雀が、ばらばら飛んだり踊ったり、横に人の顔を見たり、その影が、湯の中まで、竹の葉と一所に映るのでした。
 ――夜、寝床に入りますまで、二階屋の上下(うえした)、客は私一人、あまり閑静(しずか)過ぎて寝られませんから、枕頭へ手を伸ばして……亭主の云った、袋戸棚を。で、さぞ埃(ほこり)だろうと思うのが、きちんとしている。上包(うわづつみ)して一束、色紙、短冊。……俳句、歌よりも、一体、何と言いますか、冠(かむり)づけ、沓(くつ)づけ、狂歌のようなのが多い、その中(なか)に――(能登路の記)――があったのです。大分古びがついていた。仮綴(かりとじ)の表紙を開けると、題に並べて、(大笹村、川裳明神(かわすそみょうじん)縁起。)としてあります。
 川裳明神……
 わたしはハッと思いました。」

「――川裳明神縁起。――この紀行中では、人が呼んで、御坊々々と言いますし、可心は坊さんかと、読みながら思いましたが、そうではない。いかにも、気がつくとその頃の俳諧の修行者(しゅぎょうじゃ)は、年紀(とし)にかかわらず頭を丸めていたのです――道理こそ、可心が、大木の松の幽寂に二本、すっくり立った処で、岐路(わかれみち)の左右に迷って、人少(ひとずくな)な一軒屋で、孫を抱いた六十余(あまり)の婆さんに途(みち)を聞くと、いきなり奥へ入って、一銭(いちもん)もって出た……(いやとよ、老女)と、最明寺で書いていますが、報謝に預るのではない、ただ路を聞くのだ、と云うと、魂消(たまげ)た気の毒な顔をして、くどくど詫(わび)をいいながら、そのまま、跣足(はだし)で、雨の中を、びたびた、二町ばかりも道案内をしてくれた。この老女の志、(現世に利益、未来に冥福(めいふく)あれ、)と手にした数珠を揉(も)んで、別れて帰るその後影を拝んだという……宗匠と、行脚(あんぎゃ)の坊さんと、容子(ようす)がそっくりだった事も分りますし、跣足(はだし)で路しるべをしたお婆さんの志、その後姿(うしろつき)も、尊いほどに偲(しの)ばれます。――折からのざんざ降(ぶり)で、一人旅の山道に、雨宿りをする蔭もない。……ただ松の下で、行李(こうり)を解いて、雨合羽(あまがっぱ)を引絡(ひきまと)ううちも、袖(そで)を絞ったというのですが。――これは、可心法師が、末森の古戦場――今浜から、所口(七尾)を目的(めあて)に、高畑をさして行(ゆ)く途中です。
 何でもその頃は、芭蕉の流れを汲(く)むものが、奥の細道を辿(たど)るのは、エルサレムの宮殿、近代の学者たちの洋行で、奥州めぐりを済まさないと、一人前の宗匠とは言われない。加賀近国では、よし、それまでになくても、内外(うちそと)能登の浦づたいをしないと、幅が利かなかったらしいのです。今からだと夢のようです。
 はじめ、河北潟(かほくがた)を渡って――可心は、あの湖を舟で渡った。――高松で一夜宿(いちやどまり)、国境になりますな。それから末松の方へ、能登浦、第一歩の草鞋(わらじ)を踏むと、すぐその浜に、北海へ灌(そそ)ぐ川尻が三筋あって、渡船がない。橋はもとよりで、土地のものは瀬に馴(な)れて、勘で渉(わた)るから埒(らち)が明く。勿論、深くはない、が底に夥多(おびただ)しく藻が茂って、これに足を搦(から)まれて時々旅人が溺(おぼ)れるので。――可心は馬を雇って、びくびくもので渉(わた)ったが、その第三の川は、最も海に近いだけに、ゆるい流(ながれ)も、押し寄せる荒海の波と相争って、煽(あお)られ、揉(も)まるる水草は、たちまち、馬腹に怪しき雲の湧(わ)くありさま。幾万条(すじ)ともなき、青い炎、黒い蛇が、旧暦五月、白い日の、川波に倒(さかさま)に映って、鞍(くら)も人も呑(の)もうとする。笠被(き)た馬士(まご)が轡頭(くつわ)をしっかと取って、(やあ、黒よ、観音様念じるだ。しっかりよ。)と云うのを聞いて、雲を漕(こ)ぐ櫂(かい)かと危(あやぶ)む竹杖(たけづえ)を宙に取って、真俯伏(まうつぶし)になって、思わずお題目をとなえたと書いています。
 旅行は、どうして、楽なものではなかったのです。可心にとって、能登路のこの第一歩の危懼(あぶなっかし)さが、……――実は讖(しん)をなす事になるんです。」
 と言って、小山夏吉は一息した。
「やがて道端の茶店へ休むと――薄曇りの雲を浴びて背戸の映山紅(つつじ)が真紅(まっか)だった。つい一句を認(したた)めて、もの優しい茶屋の女房に差出すと、渋茶をくんで飲んでいる馬士(まご)が、俺(おら)がにも是非一枚(いちめえ)。で、……その短冊をやたらに幾度も頂いた。(おかし。)と云って、宗匠ちょっと得意ですよ。――道中がちと前後しました。――可心法師は、それから徒歩(かち)で、二本松で雨に悩み、途(みち)に迷い、情(なさけ)あるお婆さんに導かれて後(のち)、とぼとぼと高畑まで辿(たど)り着く。その夜、旅のお侍と俳談をする処があります。翌日は快晴。しかし昨日(きのう)、道に迷った難儀に懲りて、宿から、すぐ馬を雇って出ると、曳出(ひきだ)した時は、五十四五の親仁(おやじ)が手綱を取って、十二三の小僧が鞍傍(くらわき)についていた。寂しい道だし、一人でも連(つれ)は難有(ありがた)いと喜んだのに、宿はずれの並木へ掛(かか)ると、奴(やっこ)が綱に代って、親仁は啣煙管(くわえぎせる)で、うしろ手を組んで、てくりてくりと澄まして帰る。……前後に人脚はまるでなし。……(これ、兄や、こなた馬は曳(ひ)けるかの、大丈夫じゃろうかの。私(わし)は初旅じゃ。その上馬に乗るも今度がはじめてじゃ。それにの、耳はよう聞えずの。……頼んだぞ。)いかにも心細そうです。読んでいて段々分りましたが、筆談でないと通じないほどでもないが、余程耳が疎(うと)いらしい。……あるいはそんな事で、世捨人同様に、――俳諧はそのせめてもの心遣(こころや)りだったのかも知れません。勿論、独身らしいのです。寸人豆馬(すんじんとうば)と言いますが、豆ほどの小僧と、馬に木茸(きくらげ)の坊さん一人。これが秋の暮だと、一里塚で消えちまいます、五月の陽炎(かげろう)を乗って行(ゆ)きます。
 お婆さんが道祖神(さえのかみ)の化身なら、この子供には、こんがら童子の憑移(のりうつ)ったように、路も馬も渉取(はかど)り、正午頃(ひるごろ)には早く所口へ着きました。可心は穴水の大庄屋、林水とか云う俳友を便(たよ)って行くので。……ここから七里、海上の渡(わたし)だそうです。
 ここの茶店の女房も、(ものやさしく取りはやして)――このやさしくを女扁に、花、※(やさし)[#「女+花」、U+5A72、257-2]。――という字があててある。……ちょっと今昔の感がありましょう。――(女ばかりか草さえ菜さえ能登は優(やさし)や土までも――俗謡の趣はこれなんめり。)と調子が乗って、はやり唄まで記した処は、御坊、ここで一杯きこしめしたかも知れない。……
 亭主が、これも、まめまめしく、方々聞合わせてくれたのだけれども、あいにく便船がなく、別仕立の渡船で、御坊一人十匁(もんめ)ならばと云う、その時の相場に、辟易(へきえき)して、一晩泊る事にきめると、居心のいい大きな旅籠(はたご)を世話しました。(私の大笹の宿という形があります。)その宿に、一人、越中の氷見(ひみ)の若い男の、商用で逗留(とうりゅう)中、茶の湯の稽古(けいこ)をしているのに、茶をもてなされたと記してあります。商用で逗留中、若い男が茶の湯の稽古――その頃の人気が思われます。しかし、何だかうら寂しい。
 翌日は、巳(み)の時ばかりに、乗合六人、石動山(せきどうざん)のお札くばりの山伏が交って、二人船頭で、帆を立てました。石崎、和倉、奥の原、舟尾、田鶴浜、白浜を左に、能登島を正面に、このあたりの佳景いわむ方なし。で、海上左右十町には足りまいと思う、大蛇(おろち)と称(とな)える処を過ぎると、今度は可恐(おそろ)しく広い海。……能登島の鼻と、長浦の間、今の三(みつ)ヶ口の瀬戸でしょう。その大海へ出る頃から、(波やや高く、風加わり、忽(たちま)ち霧しぶき立つと見れば、船頭たち、驚破(すわ)白山より下(おろ)すとて、巻落す帆の、軋(きし)む音骨を裂く。唯(ただ)一人おわしたる、いずくの里の女性(にょしょう)やらむ、髪高等に結いなして、姿も、いうにやさしきが、いと様子あしく打悩み、白芥子(しらげし)の一重(ひとえ)の散らむず風情。……
 むかし義経卿をはじめ、十三人の山伏の、鰐(わに)の口の安宅(あたか)をのがれ、倶利伽羅(くりから)の竜の背を越えて、四十八瀬に日を数えつつ、直江の津のぬしなき舟、朝の嵐に漾(ただよ)って、佐渡の島にも留(とど)まらず、白山の嶽(たけ)の風の激しさに、能登国珠洲(すず)ヶ岬へ吹(ふき)はなされたまいし時、いま一度陸にうけて、ともかくもなさせ給えとて、北の方(かた)、紅(くれない)の袴(はかま)に、唐(から)のかがみを取添えて、八大竜王に参らせらると、つたえ聞く、その面影も目(ま)のあたり。)……とこの趣が書いてあります。
 ――佐渡にも留めず、吹放った、それは外海。この紀事の七尾湾も一手(ひとて)の風に※(しぶき)[#「さんずい+散」、U+6F75、258-7]を飛ばす、霊山の威を思うとともに、いまも吹きしむ思(おもい)がして、――大笹の夜(よ)の宿に、ゾッと寒くなりました。それだのに掻巻(かいまき)を刎(は)ねて、写本を持ったなり、起直ったんです、私は……」
 小山夏吉の眉に、陰が翳(さ)した。
「……紀行に、前申した、川裳明神縁起とあるのでしょう。可心の無事はもとよりですが、ここでこの船に別条が起って、白芥子(しらげし)の花が散るのではないか。そのゆうなる姿を、明神に祭ったのではないだろうか、とはっとしました。私の聞き知った、川裳明神は女神(めがみ)ですから。……ところで(船中には、一人坊主を忌むとて、出家一人(にん)のみ立交る時は、海神の祟(たたり)ありと聞けば、彼(か)の美女の心、いかばかりか、尚(な)おその上に傷(いた)みなむ。坊主には候わず、出家には侍(はんべ)らじ。と、波風のまぎれに声高に申ししが、……船助かりし後(あと)にては、婦人の妍(かおよ)きにつけ、あだ心ありて言いけむように、色めかしくも聞えてあたり恥(はずか)し。)と云うので、木(こ)の葉とばかり浮き沈む中で、聾(つんぼ)同然の可心が、何慰めの言(ことば)も聞き得ないで、かえって人の気を安めようと、一人、魚(うお)のように口を開けて、張って(坊主でない、坊主でない。)と喚(わめ)いた様子が可哀(あわれ)に見えます。
 穴水の俳友の住居(すまい)は、千石の邸(やしき)の構(かまえ)で、大分懇(ねんごろ)にもてなされた。かこい網の見物に(われは坊主頭に顱巻(はちまき)して)と、大(おおい)に気競(きお)う処もあって――(鰯(いわし)、鯖(さば)、鰺(あじ)などの幾千ともなく水底(みずそこ)を網に飜(ひるがえ)るありさま、夕陽(ゆうひ)に紫の波を飜して、銀の大坩炉(おおるつぼ)に溶くるに異ならず。)――人気がよくて魚も沢山だったんでしょう。磯端(いそばた)で、日くれ方、ちょっと釣をすると、はちめ(甘鯛の子)、阿羅魚(あらうお)、鰈(かれい)が見る見るうちに、……などは羨(うらやま)しい。
 七日ばかり居たのです。
 これまでは、内浦で、それからは半島の真中(まんなか)を間道越(ごえ)に横切って、――輪島街道。あの外浦を加賀へ帰ろうという段取になると、路が嶮(けわし)くって馬が立たない。駕籠(かご)は……四本竹に板を渡したほどなのがあるにはある、けれども、田植時で舁(か)き手がない。……大庄屋の家の屈強な若いものが、荷物と案内を兼ねて、そこでおかしいのは、(遣りきれなくなったら負(おぶ)さりたまえ。)と云う俳友の深切です。出発の朝、空模様が悪いのを見て、雨が降ったら途中から必ず引返(ひっかえ)せ、と心づけています。道は余程難儀らしい……」
 小山夏吉は、炬燵蒲団(こたつぶとん)を指で辿(たど)りつつ言った。

 読者よ、小山夏吉は続けて言う。
「何、私の大笹どまりの旅行なぞ、七尾行の汽車で、羽咋(はぐい)で下りて、一の宮の気多(けた)神社に参詣(さんけい)を済ませましてから、外浦へ出たまでの事ですが、それだって、線路を半道離れますと、車も、馬も、もう思うようには行きません。あれを、柴垣(しばがき)、※(「けものへん+丸」、第4水準2-80-29)谷(くるみだに)、大島、と伝って、高浜で泊るつもりの処を、鉱泉があると聞いて、大笹へ入ったので。はじめから歩行(ある)くつもりではありましたが、景色のいい処ほど、道は難渋です。
 ついでに……その高浜から海岸を安部屋(あべや)へ行く間に、川があります。海へ灌(そそ)ぐ川尻の処は、私はまだ通らなかったうちですが、大笹の宿の前を流れる米町川の末になります。現に寝床へさらさらと音がします。――その川尻を渡って、安部屋から、百浦(ももうら)、志加浦(しがうら)、赤住(あかずみ)……この赤住を……可心の紀行には赤垣と誤(あやま)っています――福浦、生神(いきがみ)、七海(ななうみ)。それから富来(とぎ)、増穂(ますほ)、剣地(つるぎじ)、藤浜、黒島――外浜を段々奥へ、次第に、巌(いわ)は荒く、波はおどろになって、平(たいら)は奇に、奇は峭(けわし)くなるのだそうで。……可心はこの黒島へ出たのです、穴水から。間に梨(なし)の木坂の絶所を越えて門前村、総持寺(現今、別院)を通って黒島へ、――それから今言いました外浜を逆に辿(たど)って、――一の宮へ詣(まい)って、もとの河北潟を金沢へ帰ろうとしたのです。黒島へ一晩、富来へ二晩、大笹に近い、高浜へ一晩。……ただ、その朝の暴風雨(あらし)と、米町川の流(ながれ)の末が、可心のために、――女神の縁起になりました。
 まだ、途中の、梨の木坂を越えるあたりから降出したらしいのですが、さすが引返すでもなかった。家数四五軒、佗(わび)しい山間(やまあい)の村で、弁当を使った時、雨を凌(しの)いで、簀(す)の子の縁に立掛けた板戸に、(この家の裏で鳴いたり時鳥(ほととぎす)。……)と旅人の楽書(らくがき)があるのを見て、つい矢立を取って、(このあたり四方八方時鳥、可心。)鳴いているらしく思われます。やがて、総持寺に参詣して、(高塔の上やひと声時鳥、可心。)これはちょっとおまけらしい。雨の中に、門前の茶店へ休んで、土地の酒造(さけづくり)の豪家に俳友があるのを訪ねようと、様子を聞けば大病だという。式台まで見舞うのもかえって人騒(ひとさわが)せ、主人に取次もしようなら、遠来の客、ただ一泊だけもと気あつかいをされようと、遠慮して、道案内を返し、一人、しょぼしょぼ、濡れて出て、黒島道へかかろうとする、横筋の小川の畝(あぜ)をつたって来て、横ざまに出会(でっくわ)した男がある。……大(おおき)く、酒、とかいた番傘をさしていると、紀行の中にあるのです――

 一杯、頂きましょう。
 もう一杯。……もう一杯。
 息つぎを、というほどの、私の話振(はなしぶり)ではありませんけれど、私に取って、これからは少々勢(いきおい)をかりませんと、でないと、お話しにくい事がありますから。……」

「羽織は着たが、大番傘のその男、足駄穿(あしだばき)の尻端折(しりっぱしょり)で、出会頭(であいがしら)に、これはと、頬被(ほおかぶり)を取った顔を見ると、したり、可心が金沢で見知越(みしりごし)の、いま尋ねようとして、見合わせた酒造家の、これは兄ごで、見舞に行った帰途(かえり)だというのです。この男の住居(すまい)が黒島で、そこへその晩泊りますが、心あての俳友は大病、思いがけないその兄の内へともなわれる……何となく人間の離合集散に、不思議な隠約があるように思われて。――私は宿で、床の上で、しばらく俯向(うつむ)いて、庭の松風を聞いていました。――
 可恐(おそろ)しい荒海らしい、削立った巌(いわ)が、すくすく見えて、沖は白波のただ打累(うちかさな)る、日本海は暗いようです。黒島を立って、剣地、増穂――富来の、これも俳友の家に着いた。むかし、渤海(ぼっかい)の船が息をついた港だ、と言います。また格別の景色で。……近い処に増穂のあるのは、貝の名から出たのだそうで、浜の渚(なぎさ)は美しい。……
 金石(かないわ)の浜では見られません。桜貝、阿古屋貝(あこやがい)、撫子貝(なでしこがい)、貝寄(かいよせ)の風が桃の花片(はなびら)とともに吹くなどという事は、竜宮を疑わないものにも、私ども夢のように思われたもので。
 可心も讃嘆しています。半日拾いくらした。これが重荷になった――故郷(ふるさと)へ土産に、と書いています。
 このあたりに、荒城(あらき)の狭屋(さや)と称(とな)えて、底の知れない断崖(きりぎし)の巌穴(いわあな)があると云って、義経の事がまた出ました。
 免(のが)れられない……因縁です。」
 小山夏吉は、半ば独言(つぶや)いて嘆息して、苦(にが)そうに猪口(ちょこ)を乾(ほ)した手がふるえた。

 小山夏吉は寂(さびし)く微笑(ほほえ)んだ。
「ははは、泣くより笑(わらい)で。……富来に、判官(ほうがん)どのが詠じたと言伝えて、(義経が身のさび刀とぎに来て荒城のさやに入るぞおかしき。)北の方が、竜王の供料にと、紅(くれない)の袴(はかま)を沈めた、白山がだけの風に、すずの岬へ漂(ただよ)った時、狭屋へ籠(こも)っての歌だ、というのです。悪い洒落(しゃれ)です。それに、弁慶に鮑(あわび)を取らせたから、鮑は富来の名物だ、と言います。多分七つ道具から思いついたものだろう、と可心もこれには弱っている。……
 富来を立つ時、荷かつぎを雇うと、すたすた、せかせか、女の癖に、途方もなく足が早い。おくれまいとすると、駆出すばかりで。浜には、栄螺(さざえ)を起す男も見え、鰯(いわし)を拾う童(わらべ)も居る。……汐(しお)の松の枝ぶり一つにも杖を留めようとする風流人には、此奴(こいつ)あてつけに意地の悪いほど、とっとっと行(ゆ)く。そうでしょう、駄賃を稼ぐための職業婦人が聾(つんぼ)の坊さんの杖つきのの字に附合っていられる筈(はず)はない。喘(あえ)ぎ喘ぎ、遣切れなくなって、二里ばかりで、荷かつぎを断りました。御坊が自分で、荷を背負(しょ)って、これから註文通り景色を賞(ほ)め賞め歩行(ある)き出したは可いが、荷が重い。……弱った、弱った、とまた弱っている。……
 福浦のあたりは、浜ひろがりに、石山の下を綺麗な水が流れて、女まじりに里人が能登縮(のとちぢみ)をさらしていて、その間々(あいあい)の竈(くど)からは、塩を焼く煙が靡(なび)く。小松原には、昼顔の花が一面に咲いて、渚(なぎさ)の浪の千種(ちぐさ)の貝に飜(ひるがえ)るのが、彩色した胡蝶(ちょうちょう)の群がる風情。何とも言えない、と書いている下から、背負(しょ)い重りのする荷は一歩(ひとあし)ずつ重量(めかた)が掛(かか)る、草臥(くたびれ)はする、汗にはなる。荷かつぎに続いて息せいた時分から、もう咽喉(のど)の渇きに堪えない。……どこか茶店をと思うのに、本街道は、元来、上の石山を切って通るので、浜際は、もの好(ずき)が歩行(ある)くのだから、仕事をしている、布さらし、塩焼に、一杯無心する便宜はありません。いくら俳諧師だといって、昼顔の露は吸えず、切ない息を吐(つ)いて、ぐったりした坊さんが、辛うじて……赤住まで来ると、村は山際にあるのですが、藁葺(わらぶき)の小家(こや)が一つ。伏屋貝(ふせやがい)かと浜道へこぼれていて、朽ちて崩れた外流(そとながし)に――見ると、杜若(かきつばた)の真の瑠璃色(るりいろ)が、濡色に咲いて二三輪。……
 可心は、そこを書くための用意だかどうだか、それまでの記事のうちに、一ヶ処も杜若を記していません。
 ――その癖、ほんの片浦を見ました。私の目にも。――」
 小山夏吉は、炬燵(こたつ)に居直って言うのである。
「湖、沼、池の多い土地ですから、菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)が到る処に咲いています。――今この襖(ふすま)へでも、障子へでも、二条(ふたすじ)ばかり水の形を曳(ひ)いて、紫の花をあしらえば、何村、どの里……それで様子がよく分るほどに思うのです。――大笹の宿(しゅく)へ入っても、中庭の縁に添って咲いていたと申しましたっけ。

 ――杜若の花を小褄(こづま)に、欠盥(かけだらい)で洗濯をしている、束ね髪で、窶々(やつやつ)しいが、(その姿のゆうにやさしく、色の清げに美しさは、古井戸を且つ蔽(おお)いし卯(う)の花の雪をも欺(あざむ)きぬ。……類(たぐい)なき艶色(えんしょく)、前(さき)の日七尾の海の渡船にて見参らせし女性(にょしょう)にも勝りて)……と云って……(さるにても、この若き女房、心頑(かたくな)に、情(なさけ)冷(つめた)く、言わむ方なき邪慳(じゃけん)にて、)とのっけに遣ッつけたから、読んでいて吃驚(びっくり)すると、(茶を一つ給われかし、御無心)と頼んだのに、
(茶屋はあちらに。)――
 と云って断ったのです。耳が聞えないんですから、その女は前途(ゆくて)へ指さしでもしたらしい。……(いや、われらは城下のものにて、今度(このたび)、浦々を見物いたし、またこれよりは滝谷(たきだに)の妙成寺(みょうせいじ)へ、参詣をいたすもの、見受け申せば、我等と同じ日蓮宗の御様子なり。戸(かど)のお札をさえ見掛けての御難題、坊主に茶一つ恵み給うも功徳なるべし、わけて、この通り耳も疎(うと)し、独旅(ひとりたび)の辿々(たどたど)しさもあわれまれよ。)と痩法師(やせほうし)が杖に縋(すが)って、珠数まで揉(も)みながら、ずッと寄ると――ついと退(の)く。……端折(はしょ)った白脛(しらはぎ)を、卯の花に、はらはらと消し、真白(まっしろ)い手を、衝(つ)と掉(ふ)って押退(おしの)けるようにしたのです。芋を石にする似非(えせ)大師、むか腹を立って、洗濯もの黒くなれと、真黒(まっくろ)に呪詛(のろ)って出た!……
(ああ、われこそは心頑(かたくな)に、情(なさけ)なく邪慳無道であったずれ。耳うときものの人十倍、心のひがむを、疾(やまい)なりとて、神にも人にも許さるべしや。)と追(おッ)つけ、慚愧(ざんき)後悔をするのです。
 能登では、産婦のまだ七十五日を過ぎないものを、(あの姉さんは、まだ小屋の中(うち)、)と言う習慣(ならわし)のあるくらい、黒島の赤神(しゃくじん)は赤神様(あかがみさま)と申して荒神(あらがみ)で、厳(きびし)く不浄を嫌わるる。社(やしろ)まわりでは産小屋(うぶごや)を別に立てて、引籠(ひきこも)る。それまではなくても、浦浜一体にその荒神を恐れました。また霊験のあらたかさ。可心は、黒島でうけた御符(おふだ)を、道中安全、と頭陀袋(ずだぶくろ)にさしていた。
 とんでもない。……女が洗っていたのは、色のついた、うつ木の雪の一枚だったと言うのです。
 振返って、一睨(ひとにら)み。杜若(かきつばた)の色も、青い虫ほどに小さくなった、小高い道に、小川が一条(ひとすじ)流れる。板の橋が掛(かか)った石段の上に、廻縁(まわりえん)のきれいなのが高く見えた。――橋の上に、兄弟らしい男の子が、二人遊んでいたので、もしやと心頼みに、茶を一つ、そのよし頼むと、すぐに石段を駈上(かけあが)り縁を廻ったと思えば、十歳(とお)ばかりの兄の方が、早く薄べりを縁に敷いた。そこへ杖を飛ばしたそうです。七十ぐらいの柔和なお婆さんが煙草盆(たばこぼん)を出してくれて、すぐに煎茶(せんちゃ)を振舞い、しかも、嫁が朝の間(ま)拵(こしら)えたと、小豆餡(あずきあん)の草団子を馳走した。その風味のよさ、嫁ごというのも、容色(きりょう)も心も奥ゆかしい、と戴いています。が、この嬉しさにつけても思う、前刻(さっき)の女の邪慳(じゃけん)さは、さすがに、離れた土地ではないから、可心も何にも言わなかった。その事が後に分ります。……この一構(ひとかまえ)は、村の庄屋で。……端近へは姿も見えぬ、奥深い床の間と、あの砂浜の井戸端と、花は別れて咲きました。が、いずれ菖蒲(あやめ)、杜若(かきつばた)。……二人は邑知潟(おうちがた)の汀(みぎわ)に、二本(ふたもと)のうつくしい姉妹(きょうだい)であったんです。
 長話はしたが、何にも知らずに……可心は再び杖を曳(ひ)いて、それから二三町坂を上ると、成程、ちょっとした茶店もあった。……泊(とまり)を急いで、……高浜の宿(しゅく)へ着きました。
 可心はまだ川を渡らない。川を渡る、そこが……すぐ大笹の宿の前を流れて米町川の海に灌(そそ)ぐ処なんです。百年前の可心は、いまその紀行で、――鉱泉宿の真夜中の松を渡る風にさえ、さらさらと私の寝床に近づきました。」
 小山夏吉は杯を取った。
「高浜では、可心に相宿がありました。……七歳(ななつ)ばかりの男の子を連れた、五十近い親仁(おやじ)で、加賀の金石の港から、その日漁船の便で、海上十六七里――当所まで。これさえ可なり冒険で。これからは浪が荒いから、外浜を徒歩(かち)で輪島へ行(ゆ)く。この子の姉を尋ねて、と云う。――日曜に、洋服を着た子の手をひいたのでないと、父親の、子をつれた旅は、いずれ遊山ではありません。何となく、貧乏くさい佗(わび)しいものです。私なども覚(おぼえ)があります。親仁は問わずがたりに、姉娘は、輪島で遊女のつとめをする事。この高浜は、盆前から夏一杯、入船出船で繁昌(はんじょう)し、一浦(ひとうら)が富貴(ふっき)する。……その頃には、七尾から山越(ごし)で。輪島からは海の上を、追立てられ、漕流(こぎなが)されて、出稼ぎの売色(つとめ)に出る事。中にも船で漂うのは、あわれに悲(かなし)く、浅ましい……身(からだ)の丈夫で売盛(うれさか)るものにはない、弱い女が流される。(姉めも、病身じゃによって、)と蜘蛛(くも)の巣だらけの煤(すす)け行燈(あんどん)にしょんぼりして、突伏(つッぷ)して居睡(いねむ)る小児(こども)の蚊を追いながら、打語る。……と御坊は縁起で云うのですが。

 ――場所と言い、境遇と言い、それがそのまま、私の、恋の、お優さんの――」
 小山夏吉は肩を落して、両手を炬燵(こたつ)にさし入れた。
「電燈が暗くなったようです。……目のせいか知れません。何ですか、小さな紫が、電燈のまわりをちらちらします。

 大雨大風になりました。
 可心が、翌日、朝がけに志す、滝谷の妙成寺は、そこからわずか二里足らずですが、間道にかかるという。例の荷はあり、宵の間に荷かつぎを頼んで置いたが、この暴風雨(あらし)では出立出来ようかと、寝られない夢に悩んだ。風は、いよいよ強い、しかし雨は小降になって、朝飯の時、もう人足が来て待っていると、宿で言うので。
 杖と並んで、草鞋(わらじ)を穿(は)く時、さきへ宿のものの運んだ桐油包(とうゆづつみ)の荷を、早く背負(しょ)って、髪を引きしめた手拭(てぬぐい)を取って、颯(さっ)と瞼(まぶた)を染めて、すくむかと思うほど、内端(うちわ)におじぎをした婦(おんな)を見ると、継はぎの足袋に草鞋ばかり、白々とした脛(はぎ)ばかり、袖に杜若(かきつばた)の影もささず、着流した蓑(みの)に卯(う)の花の雪はこぼれないが、見紛(みまが)うものですか。引束ねた黒髪には、雨のまま水も垂りそうな……昨日(きのう)の邪慳(じゃけん)な女です。
 御坊は、たちまち、むっとして――突立(つった)って、すたすた出ました。
 ここが情(なさけ)ない。聾(つんぼ)の僻(ひが)みで、昨日悩まされた、はじめの足疾(あしばや)な女に対するむか腹立も、かれこれ一斉(いっとき)に打撞(ぶつか)って、何を……天気は悪し、名所の見どころもないのだから、とっとっ、すたすた、つんつん聾が先へ立って。合羽(かっぱ)を吹きなぐりに、大跨(おおまた)に蹈出(ふみだ)した。
 ――ああ、坊さんの仏頂面が、こっちを向いて歩行(ある)いて来ます。」
 小山夏吉は串戯(じょうだん)らしいが、深く、眉を顰(ひそ)めたのである。
「従って、対手(あいて)を不機嫌にした、自分を知って、偶然にその人に雇われて賃銭を取る辛さは、蓑もあら蓑の、毛が針となって肉を刺す。……撫肩(なでがた)に重荷に背負って加賀笠を片手に、うなだれて行く細(ほっそ)り白い頸脚(えりあし)も、歴然(ありあり)目に見えて、可傷(いた)々々しい。
 声を掛けて、呼掛けて、しかも聾に、大(おおき)な声で、婦(おんな)の口から言訳の出来る事らしくは思われない。……吹降(ふきぶり)ですから、御坊の頭陀袋(ずだぶくろ)に、今朝は、赤神(しゃくじん)の形像(すがた)の顕(あらわ)れていなかった事は、無論です。
 家並を二町ほど離れて来ると、前に十一二間幅の川が、一天地押包んだ巌山(いわやま)の懐から海へ灌(そそ)いでいる。……

(翌日、私が川裳明神へ詣(まい)ろうとして、大笹の宿(しゅく)の土橋を渡ろうと、渡りかけて、足がすくみました。そこは、おなじ米町川の上流なんですから。――)

 その海へ落口(おちぐち)が、どっと濁って、流(ながれ)が留まった。一方、海からは荒浪がどんどんと打(ぶ)ッつける。ちょうどその相激する処に、砂山の白いのが築洲(つきす)のようになって、向う岸へ架(かか)ったのです。白砂だから濡れても白い。……鵲(かささぎ)の橋とも、白瑪瑙(しろめのう)の欄干とも、風の凄(すさま)じく、真水と潮の戦う中に、夢見たような、――これは可恐(おそろし)い誘惑でした。
 暴風雨(あらし)のために、一夜に出来た砂堤(すなどて)なんです。お断りするまでもありませんが、打って寄せる浪の力で砂を築(つ)き上げる、川も増水の勢(いきおい)で、砂を流し流し、浪に堰(せ)かれて、相逆(あいさから)ってそこに砂を装上(もりあ)げる。能登には地勢上、これで出来た、大沼小沼が、海岸にはいくらもあります。――河北潟も同一(おなじ)でしょう。がそれは千年! 五百年、五十年、日月の築いた一種の橋立です。

 いきなり渡って堪(たま)るものですか。
 聾(つんぼ)ひがみの向腹立(むかっぱらたち)が、何おのれで、渡(わたり)をききも、尋ねもせず、足疾(あしばや)にずかずかと踏掛(ふんが)けて、二三間ひょこひょこ発奮(はず)んで伝わったと思うと、左の足が、ずぶずぶと砂に潜った。あッと抜くと、右の方がざくりと潜る。わあと※(「てへん+爭」、第4水準2-13-24)(もが)きに※(「てへん+爭」、第4水準2-13-24)く、檜木笠(ひのきがさ)を、高浪が横なぐりに撲(なぐ)りつけて、ヒイと引く息に潮を浴びせた。
 杖は徒(いたずら)に空に震えて、細い塔婆が倒れそうです。白い手がその杖にかかると、川の方へぐいと曳(ひ)き、痩法師(やせほうし)の手首を取った救(すくい)の情(なさけ)に、足は抜けた。が、御坊はもう腰を切って、踏立てない。……魔の沼へ落込むのに怯(おび)えたから、尻を餅について、草鞋(わらじ)をばちゃばちゃと、蠅の脚で刎(は)ねる所へ、浪が、浪が、どぶん――
「お助け。――」
 波がどぶん。
 目も口も鼻も一時(いっとき)にまた汐(しお)を嘗(な)めた。
「お助け――」
 濤(なみ)がどぶーん。
「お助け――」
 耳は聾だ。
「助けてくれ――」
 川の方へ、引こう引こうとしていた、そのうつくしい女の、優(やさし)い眉が屹(きっ)としまると、蓑(みの)を入れちがいに砂堤(すなどて)に乗って、海の方から御坊の背中を力一杯どんと圧(お)した。ずるずるずると、可心は川の方へ摺落(ずりお)ちて、丘の中途で留まった。この分なら、川へ落ちたって水を飲むまでで生命(いのち)には別条はないのに。ああ、入替った、うつくしい人の雪なす足は、たちまち砂へ深く埋(うま)ったんです。……
 吻(ほっ)と一息つく間もない、吹煽(ふきあお)らるる北海の荒浪が、どーん、どーんと、ただ一処(ひとところ)のごとく打上げる。……歌麿の絵の蜑(あま)でも、かくのごとくんば溺(おぼ)れます。二打ち三打ち、頽(くず)るる潮の黒髪を洗うたびに、顔の色が、しだいに蒼白(そうはく)にあせて、いまかえって雲を破った朝日の光に、濡蓑は、颯(さっ)と朱鷺色(ときいろ)に薄く燃えながら――昨日(きのう)坊さんを払ったように、目口に灌(そそ)ぐ浪を払い払いする手が、乱れた乳のあたりに萎々(なえなえ)となると、ひとつ寝の枕に、つんと拗(す)ねたように、砂の衾(ふすま)に肩をかえて、包みたそうに蓑の片袖を横顔に衝(つ)と引いた姿態(なり)で、羽衣の翼は折れたんです。
 可心は、川の方の砂堤(すなどて)の腹にへばりついて、美しい人の棄てた小笠を頭陀袋(ずだぶくろ)の胸に敷き、おのが檜木笠を頸窪(ぼんのくぼ)にへし潰(つぶ)して、手足を張り縋(すが)ったまま、ただあれあれ、あっと云う間だった、と言うのです。

 ――三年経(た)って、顔色(がんしょく)は憔悴(しょうすい)し、形容は脱落した、今度はまったくの墨染の聾坊主が、金沢の町人たちに送られながら、新しい筵(むしろ)の縦に長い、箱包を背負(しょ)って、高浜へ入って来ました。……川口(かわぐち)に船を揃えて出迎えた人数の中には、穴水の大庄屋、林水。黒島の正右衛門。……病気が治って、その弟の正之助。その他、俳友知縁が挙(こぞ)ったのです。可心法師の大願によって、当時、北国の名工が丹精をぬきんでた、それが明神の神像でした。美しい人の面影です。――
 村へ、はじめて女神像(じょしんぞう)を据えたのは、あの草団子のまわり縁で。……その家の吉之助というのの女房、すなわち女神の妹は、勿論、姉(あね)が遭難の時、真(まっ)さきに跣足(はだし)で駈(か)けつけたそうですが、
(あれ、あれ、お祝の口紅を。身(からだ)がきれいになって。)
 と、云って泣いたそうです。
 姉が日雇に雇われるとは知らなかった。……中たがいをしたのでも何でもない。選んだ夫の貧しい境遇に、安処して、妹の嫁入さきから所帯の補助(たすけ)は肯(がえん)じなかった。あの時、――橋で中よく遊んでいた男子(おとこのこ)たち、かえって、その弟の方が、姉(あね)さんの子だったそうです。
 この妹が、凜(りん)としていた。土地の便宜上、米町川の上流、大笹に地を選んで、とにかく、在家を土蔵ぐるみ、白壁づくりに、仮屋を合せて、女神像をそこへ祭って、可心は一生堂守で身を終る覚悟であった処。……
(お心はお察し申しますが、一つ棟にお住いの事は、姉がどう思うか、分りかねます。御僧(あなた)をお好き申して助けましたか。可厭(いや)で助けましたか。私には分りませんから。)
 妹がきっぱり云った。
 可心は、ワッと声を上げて泣いたそうです。
 そこで、可心一代は、ずッと川下へ庵(いおり)を結んで、そこから、朝夕、堂に通って、かしずいて果てた、と言います。
 この庵のあとはありません。
 時に不思議な縁で、その妹の子が、十七の年、川尻で――同じ場所です――釣をしていて、不意に波に浚(さら)われました。泳(およぎ)は出来たが、川水の落口で、激浪に揉(も)まれて、まさに溺(おぼ)れようとした時、大(おおき)な魚に抱かれたと思って、浅瀬へ刎出(はねだ)されて助かった。その時、艶麗(えんれい)、竜女のごとき、おばさんの姿を幻に視(み)たために、大笹の可心寺へ駈込(かけこ)んで出家した。これが二代の堂守です。ところが、さいわい、なお子があったのに、世を譲って、あの妹も、おなじ寺へ籠って、やがて世を捨てました。
 川裳明神の像は、浪を開いた大魚に乗った立像だそうです。
 寺は日蓮宗です。ですが、女神の供物は精進ではない。その折の蓑(みの)にちなんだのが、ばらみの、横みの、鬢(びん)みの、髢(かもじ)の類、活毛(いきげ)さえまじって、女が備える、黒髪が取りつつんで凄(すご)いようです。船、錨、――纜(ともづな)がそのまま竜の形になったのなど、絵馬が掛かっていて、中にも多いのは、むかしの燈台、大ハイカラな燈明台のも交っています。
 ――これは、翌日、大笹の宿で、主人(あるじ)を呼んで、それから聞いた事をある処は補いましたし、……後(のち)とはいわず、私が見た事も交りました。」……

「……この女神(めがみ)の信仰は、いつ頃か、北国に大分流布して、……越前の方はどうか知りませんが、加賀越中には、処々法華宗の寺に祭ってあります。いずれも端麗な女体です。
 多くは、川裳(かわすそ)を、すぐに獺(かわうそ)にして、河の神だとも思っていて、――実は、私が、むしろその方だったのです。――恐縮しなければなりません。
 魔女だと言う。――実は私の魂のあり所だと思う、……加賀、金石(かないわ)街道の並木にあります叢祠(ほこら)の像(すがた)なぞは、この女神が、真夏の月夜に、近いあたりの瓜畠(うりばたけ)――甜瓜(まくわ)のです――露の畠へ、十七ばかりの綺麗な娘で涼みに出なすった。それを、村のあぶれものの悪少狡児(わるもの)六人というのがやにわに瓜番の小屋へ担ぎあげて無礼をした、――三年と経(た)たず六人とも、ばたばたと死んだために、懺悔(ざんげ)滅罪抜苦功徳のためとして、小さな石地蔵が六体、……ちょうど、義経の――北国落(おち)の時、足弱の卿の君が後(おく)れたのを、のびあがりのびあがりここで待ったという――(人待石)の土手下に……」
 小山夏吉の顔は暗かった。
「海の方を斜(ななめ)に向いて立っています。私はここで、生死(しょうし)の境の事を言わねばならなくなりました――一杯下さい……」
 炬燵(こたつ)は巌(いわ)のように見えた。
 はじめよりして、判官(ほうがん)殿の北国の浦づたいの探訪のたびに、色の変るまでだった、夏吉の心が頷(うなず)かれた。
「――能登路の可心は、僻(ひが)みで心得違いをしたにしろ、憎いと思った女の、過(あやま)って生命(いのち)を失ったのにさえ、半生を香華(こうげ)の料に捧げました。……
(――これは縁起に話しましたが――)
 私なんぞ、まったく、この身体(からだ)を溝石(どぶいし)にして、這面(しゃつら)へ、一鑿(ひとのみ)、目鼻も口も、削りかけの地蔵にして、その六地蔵の下座の端へ、もう一個(ひとつ)、真桑瓜を横噛(よこかじ)りにした処を、曝(さら)しものにされて可(い)いのです。――事実、また、瓜を食って渇命をつないでいるのですから。」
 と自棄(やけ)に笑った。が、酔(よい)もさめ行く、面(おもて)の色とともに澄切った瞳すずしく、深く思情(おもい)を沈めた裡(うち)に、高き哲人の風格がある。
 ここは渠(かれ)について言うべき機会らしい。小山夏吉は工人にして、飾職(かざりしょく)の上手である。金属の彫工、細工人。この業(わざ)は、絵画、彫刻のごとく、はしけやけき芸術ほど人に知られない。鋳金家、蒔絵師(まきえし)などこそ、且つ世に聞こゆれ。しかも仕事の上では、美術家たちの知らぬはない、小山夏吉は、飾職の名家である。しかも、その細工になる瓜の製作は、ほとんど一種の奇蹟である。
 自ら渠(かれ)が嘲(あざけ)った。
「――瓜を食って生きている――」
 いま芸術を論ずる場合ではないのだから、渠の手腕についてはあえて話すまい。が、その作品のうちで、瓜――甜瓜(まくわうり)が讃美される。露骨に言えば、しきりに註文され、よく売れる。思うままの地金を使って、実物の大(おおき)さ、姫瓜、烏瓜ぐらいなのから、小さなのは蚕豆(そらまめ)なるまで、品には、床の置もの、香炉(こうろ)、香合(こうごう)、釣香炉、手奩(てばこ)の類(たぐい)。黄金の無垢(むく)で、簪(かんざし)の玉を彫(きざ)んだのもある。地金は多くは銀だが、青銅も、朧銀(しぶいち)も、烏金(しゃくどう)も……真黒(まっくろ)な瓜も面白い。皆、甜瓜(まくわ)を二つに割って、印籠づくりの立上り霊妙に、その実(み)と、蓋(ふた)とが、すっと風を吸って、ぴたりと合って、むくりと一個(ひとつ)、瓜が据る。肉取(ししど)り、平象嵌(ひらぞうがん)、毛彫(けぼり)、浮彫、筋彫、石め、鏨(たがね)は自由だから、蔓(つる)も、葉も、あるいは花もこれに添う。玉の露も鏤(ちりば)む。
 いずれも打出しもので、中はつぎのないくりぬきを、表の金質に好配して、黄金(きん)また銀の薄金(うすがね)を覆輪に取って、しっくりと張るのだが、朱肉入、驕(おご)った印章入、宝玉の手奩にも、また巻煙草入(まきたばこいれ)にも、使う人の勝手で異議はない。灰皿にも用いよう。が希(ねがわ)くば、竜涎(りゅうぜん)、蘆薈(ろかい)、留奇(とめき)の名香。緑玉(エメラルド)、真珠、紅玉(ルビイ)を装(も)らせたい。某国(なにがし)――公使の、その一品(ひとしな)を贈(おくり)ものに使ってから、相伝えて、外国の註文が少くない。
 ただ、ここに不思議な事がある。一度手に入れた顧客(かいて)、また持(もち)ぬしが、人づてに、あるいは自分に、一度必ず品を返す。――返して、礼を厚うして、蓋(ふた)と実のいずれか、瓜のうつろの処へ、ただもう一鏨(ひとたがね)、何ものにても、手が欲(ほし)いと言うのである。ほかの芸術における美術家の見識は知らない。小山夏吉は快くこれを諾して、情景品(しな)に適し、景に応じ、時々の心のままに、水草、藻の花、薄(すすき)の葉、桔梗(ききょう)の花。鈴虫松虫もちょっと留まろうし、ささ蟹(がに)も遊ばせる。あるいは単に署名する。客はいずれも大満足をするのである。
 外国へ渡ったのは、仏蘭西(フランス)からと、伊太利(イタリイ)、それから白耳義(ベルギイ)と西班牙(スペイン)から、公私おのおのその持ぬしから、おなじ事を求めて、一度ずつ瓜を返したのには、小山夏吉も舌をまいて一驚を吃(きっ)したそうである。妙に白耳義が贔屓(ひいき)で、西班牙が好(すき)な男だから、瓜のうつろへ、一つには蛍を、頸(くび)の銅(あかがね)に色を凝らして、烏金(しゃくどう)の烏羽玉(うばたま)の羽を開き、黄金(きん)と青金で光の影をぼかした。一つには、銀象嵌(ぎんぞうがん)の吉丁虫(たまむし)を、と言っていた。
 こう陳列すると、一並べ並べただけでも、工賃作料したたかにして、堂々たる玄関構(がまえ)の先生らしいが、そうでない。挙げたのは二十幾年かの間の折にふれた作なのである。第一、一家を構えていない。妻子も何も持たぬ。仕事は子がいから仕込まれた、――これは名だたる師匠の細工場に籠ってして、懐中(ふところ)のある間は諸国旅行ばかりして漂泊(さすら)い歩行(ある)く。
 一向に美術家でない。錺屋(かざりや)、錺職をもって安んじているのだから、丼に蝦蟇口(がまぐち)を突込(つっこ)んで、印半纏(しるしばんてん)で可(よ)さそうな処を、この男にして妙な事には、古背広にゲエトルをしめ、草鞋穿(わらじばき)で、鏨(たがね)、鉄鎚(かなづち)の幾挺(いくちょう)か、安革鞄(やすかばん)で斜(はす)にかけ、どうかするとヘルメット帽などを頂き、繻子(しゅす)の大洋傘(おおこうもり)をついて山野を渡る。土木の小官吏、山林見廻りの役人か、何省お傭(やとい)の技師という風采(ふうさい)で、お役人あつかいには苦笑するまでも、技師と間違えられると、先生、陰気にひそひそと嬉しがって、茶代を発奮(はず)む。曰く、技師と云える職は、端的に数字に斉(ひと)しい。世をいつわらざるものだ、と信ずるからである、と云うのである。
(――夜話の唯今(ただいま)なども、玄関の方には件(くだん)のヘルメットと、大洋傘があるかも知れない。)
 が、甜瓜(まくわ)は――「瓜を食って活(い)きている。」――渠(かれ)の言(ことば)とともに、唐草の炬燵(こたつ)の上に、黄に熟したると、半ば青きと、葉とともに転がった。

 小山夏吉は更(あらた)めて言(ことば)を継いだ。――
「あの、金石街道の、――(人待石)に、私は――その一日(あるひ)、昼と夜と、二度ぐったりとなって、休みました。八月の半ば、暑さの絶頂で、畠には瓜が盛(さかん)の時だったんです。年は十七です。
 昼の時は、まだ私という少年(こども)も、その生命(いのち)も日南(ひなた)で、暑さに苦しい中に、陽気も元気もありました。身の上の事について、金石に他家(よそ)の部屋借をして、避暑かたがた勉強をしている、小学校から兄弟のように仲よくした年上の友だちに相談をして行ったんですから。あるいは希望(のぞみ)が達しられるかも知れないと思ったので。
 つまり、友だちが暑中休暇後に上京する――貧乏な大学生で――その旅費の幾分を割(さ)いて、一所に連れて出てもらいたかったので。……
 ――父のなくなった翌年(あくるとし)、祖母と二人、その日の糧にも困(くるし)んでいた折から。
 何、ところが、大学生も、御多分に洩(も)れず、窮迫していて、暑中休暇は、いい間(ま)の体裁。東京の下宿に居るより、故郷の海岸で自炊をした方が一夏だけも幾干(いくら)か蹴出(けだ)せようという苦しがりで、とても相談の成立ちっこはありません。友だちは自炊をしている……だから、茄子(なすび)を煮て晩飯を食わしてくれたんですが、いや、下地が黒い処へ、海水で色揚げをしたから、その色といったら茄子のようで、ですから、これだって身の皮を剥(は)いでくれたほどの深切です。何しろ、ひどい空腹(すきはら)の処へ、素的に旨味(うま)そうだから、ふうふう蒸気(いき)の上る処を、がつがつして、加減なしに、突然(いきなり)頬張ると、アチチも何もない、吐出せばまだ可いのに、渇(かつ)えているので、ほとんど本能の勢(いきおい)、といった工合(ぐあい)で、呑込むと、焼火箸(やけひばし)を突込(つっこ)むように、咽喉(のど)を貫いて、ぐいぐいと胃壁を刺して下って行く。……打倒(ぶったお)れました。息も吐(つ)けません。きりきりと腹が疼出(いたみだ)して止りません。友だちが、笑いながら、心配して、冷飯を粥に煮てくれました。けれども、それも、もう通らない。……酷(ひど)い目に逢いました。
 横腹(よこっぱら)を抱えて、しょんぼりと家へ帰るのに、送って来た友だちと別れてから、町はずれで、卵塔場の破垣(やれがき)の竹を拾って、松並木を――少年(こども)でも、こうなると、杖に縋(すが)らないと歩行(ある)けません。きりきり激しく疼(いた)みます。松によっかかったり、薄(すすき)の根へ踞(しゃが)んだり……杖を力にして、その(人待石)の処へ来て、堪(たま)らなくなって、どたりと腰を落しました。幹が横に、大(おおき)く枝を張った、一里塚のような松の古木の下に、いい月夜でしたが、松葉ほどの色艶(いろつや)もない、藁(わら)すべ同然になって休みました。ああ、そこいらに落散っている馬の草鞋(わらじ)の方が、余程勢(いきおい)がよく見えます。
 道を挟(はさん)で、入口に清水の湧(わ)く、藤棚の架(かか)った茶店があって、(六地蔵は、後に直ぐその傍(わき)に立ったのですが、)――低く草の蔭に硝子(ビイドロ)の簾(すだれ)が透いて、二つ三つ藍色(あいいろ)の浪を描(か)いた提灯(ちょうちん)が点(とも)れて、賑(にぎや)かなような、陰気なような、化けるような、時々高笑(たかわらい)をする村の若衆(わかいしゅ)の声もしていたのが、やがて、寂然(ひっそり)として、月ばかり、田畑が薄く光って来ました。
 あとまだ一里余(あまり)、この身体(からだ)を引摺(ひきず)って帰った処で、井戸の水さえ近頃は濁って悪臭(くさ)し……七十を越えた祖母(ばあ)さんが、血を吸う蚊の中に蚊帳もなしに倒れて、と思うと、疼む腹から絞るようにひとりでに涙が出て、人影もないから、しくしくと両手を顔にあてて泣いていました。
(どうなすったの。)
 花の咲くのに音はしません。……いつの間にか、つい耳許(みみもと)に、若い、やさしい声が聞こえて、
(お腹(なか)が疼(いた)いんですか。)
 少年(こども)たち、病気を見舞うのに、別に、ほかに言葉はないので……こう云ってくれたのを、夢か、と顔を上げて見ると、浅葱(あさぎ)の切(きれ)で、結綿(ゆいわた)に結った、すずしい、色の白い……私とおなじ年紀(とし)ごろの、ああ、それも夢のような――この日、午後四時頃のまだ日盛(ひざかり)に――往(ゆ)きにここで休んだ時――一足おくれて、金沢の城下の方から、女たち七人ばかりを、頭痛膏(ずつうこう)を貼(は)った邪慳(じゃけん)らしい大年増と、でっくり肥(ふと)った膏親爺(あぶらおやじ)と、軽薄(けいはく)らしい若いものと、誰が見ても、人買が買出した様子なのが、この炎天だから、白鵞(はくが)も鴨(かも)も、豚も羊も、一度水を打って、活(いき)をよくし、ここの清水で、息を継がせて、更に港へ追立(おった)てた……
 ……更に追って行く。その時、金石の海から、河北潟へ、瞬く間に立蔽(たちおお)う、黒漆(こくしつ)の屏風(びょうぶ)一万枚、電光(いなびかり)を開いて、風に流す竜巻(たつまき)が馳掛(はせか)けた、その余波(なごり)が、松並木へも、大粒な雨と諸(もろ)ともに、ばらばらと、鮒(ふな)、沙魚(はぜ)などを降らせました。
 竜巻がまだ真暗(まっくら)な、雲の下へ、浴衣の袖、裾、消々(きえぎえ)に、冥土(めいど)のように追立てられる女たちの、これはひとり、白鷺(しらさぎ)の雛(ひな)かとも見紛(みまご)うた、世にも美しい娘なんです。」
 彫玉の技師は一息した。
「……出稼(でかせぎ)の娼妓(しょうぎ)の一群(ひとむれ)が竜巻の下に松並木を追われて行く。……これだけの事は、今までにも、話した事がありましたから、一度、もう、……貴下(あなた)の耳に入れたかも知れません。」
 君待て、仏国のわけしりが言ったと聞く。
「再びする談話を、快く聞く彼(か)の女には、
 汝(なんじ)、愛されたるなり。」
 筆者は、別の意味だが、同じ心で聞入った。……
「朝顔の簪(かんざし)をさしていました。――
(――病気じゃないんです。僕はもう駄目なんです、死にたいんです。)
 事実、そのやさしい、恍惚(うっとり)した、そして、弱々しい中(うち)に、目もとの凜(りん)とした顔を見ると、腹の疼(いた)いのは忘れましたが。
(まあ。)
 娘は熟(じっ)と顔を見ました。
(私も死にたいの。)
 竜巻のために、港を出る汽船に故障が出来た。――(前刻(さっき)友だちと浜へ出て見た、そういえば、沖合一里ばかりの処に、黒い波に泡沫(あぶく)を立てて、鮫(さめ)が腹を赤く出していた、小さな汽船がそれなんです。)――日暮方の出帆が出来なくなった。雑用(ぞうよう)宿の費(ついえ)に、不機嫌な旦那に、按摩(あんま)をさせられたり、煽(あお)がせられたり。濁った生簀(いけす)の、茶色の蚊帳で揉(も)まれて寝たが、もう一度、うまれた家の影が見たさに、忍んでここまで来たのだ、と言います。
 弥生(やよい)の頃は、金石街道のこの判官石(ほうがんいし)の処から、ここばかりから、ほとんど仙境のように、桃色の雲、一刷(ひとは)け、桜のたなびくのが見えると、土地で言います。――町のその山の手が、娘のうまれた場所なのです。
(私は、うちにお父さんと、お爺(じい)さんが。)
(僕は祖母(おばあ)さん一人……)
(死んで、あの、幽霊になって、お手つだいした方が、……ええ、その方がましだと思ってよ。)
(ほんとうです。死んだ方が可い。)
 娘は、紅麻(べにあさ)の肌襦袢(はだじゅばん)の袖なしで、ほんの手拭(てぬぐい)で包んだ容子(ようす)に、雪のような胸をふっくりさして、浴衣の肌を脱いで、袖を緋(ひ)の扱帯(しごき)に挟んでいました。急いで来て暑かったんでしょう。破蚊帳(やれがや)から抜出したので、帯もしめない。その緋鹿の子の扱帯が、白鷺に鮮血(なまち)の流れるようです。
(こんなにして死ぬと……検死の時、まるで裸にされるんですって――)
(可厭(いや)だなあ。)
(手だの足だの、引(ひっ)くりかえされるんですって。……この石の上でしょうか、草の中でしょうか。私、お湯に入るのも極(きま)りが悪かった。――でも、そうやって検死されるのを、死ねば……あの、空から、お振袖を着て見ているから可いわ。私お裁縫(しごと)が少し出来ます、貴方(あなた)にも、ちゃんと衣服(きもの)を着せますよ、お袴(はかま)もはかせましょうね。)
 私は一刻(いっとき)も早く、速(すみやか)に死にたくなった。
 その扱帯を托(ことづか)って――娘が、一結び輪にしたのを、引絞りながら、松の幹をよじ上った勢(いきおい)のよさといったら。……それでも、往還の路へ向かない、瓜畠の方の太い枝へ、真中(まんなか)へ掛けて、両方へ、幻の袖のような輪を垂らした。つづく下枝の節の処へ、構わない、足が重(かさな)るまでも一所に踏掛けて、人形の首を、藁苞(わらづと)にさして、打交(ぶっちが)えた形に、両方から覗(のぞ)いて、咽喉(のど)に嵌(は)めて、同時に踏はずして、ぶらんこに釣下ろうという謀反(むほん)でしてなあ。
 用意が出来て、一旦ずり下りて、それから誘って、こう、斜(はす)の大(おおき)な幹ですから、私が先へ、順に上へ這(は)ったのですが、結綿(ゆいわた)の島田へ、べったりと男の足を継いだようで変です。娘の方も、華奢(きゃしゃ)な、柔(やわらか)い肩を押上げても、それだと、爪さきがまだ、石の上を離れないで、勝手が悪い。
 そこで、極(き)めた足場、枝の節へ立てるまで、娘を負(おぶ)う事になりました。
 一度、向合った。
(まだ、名を知らない。)
(私、ゆう。)
(ゆう、勇。)
(あら、可哀相に、おてんばじゃありません。※(「にんべん」、第4水準2-1-21)(にんべん)の。)
(……ああ、お優さん。)
(はい。)
(僕は、夏吉。)
(あれ、いいお名――御紋着(もんつき)も、絽(ろ)が似合うでしょうね。)
 お優さんは、肌襦袢を括(くく)った細い紐(ひも)で、腰をしめて、
(汗があってよ、……堪忍ね。)
 襟を、合わせたんですが、その時、夕顔の大輪の白い花を、二つうつむけに、ちらちらと月の光が透きました。乳の下を、乳の下を。
(や、大(おおき)な蟻(あり)が。)
(あれ、黒子(ほくろ)よ。)
 月影に、色が桃色の珊瑚(さんご)になった。
 膝を極(き)めて、――起身(たちみ)の娘に肩を貸す、この意気、紺絣(こんがすり)も緋縅(ひおどし)で、神(しん)のごとき名将には、勿体ないようですが、北の方(かた)を引抱(ひっかか)えた勢(いきおい)は可(よ)かった、が、いかに思っても、十七の娘を負(おぶ)って木登りをした経験は、誰方(どなた)もおありになりますまい。松の上へ……登れたかって?……飛んでもない。ちょっと這(は)って上れそうでも、なかなか腰が伸(の)せません。二度も三度も折重(おりかさな)って、摺(ず)り落ちて、しまいには、私がどしんと尻餅を搗(つ)くと、お優さんは肩に縋(すが)った手を萎(な)えたように解いて、色っぽくはだけた褄(つま)と、男の空脛(からすね)が二本、少し離れて、名所の石に挫(ひしゃ)げました。
 溜息(ためいき)吐(つ)いてる、草の茂(しげみ)を、ばさり、がさがさと、つい、そこに黒く湧(わ)いて、月夜に何だか薄く動く。あ、とお優さんは、媚(なまめ)かしい色を乱して裾(すそ)を縮めました。おや、※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)鼠(もぐら)か、田鼠(たねずみ)か。――透かして見ると、ぴちぴち刎(は)ねるのが尾のようで……とにかく、長くないのだから、安心して、引(ひッ)つかまえると、
(お魚よ、お魚よ。)
(鮒(ふな)のようだ。)
 掌(てのひら)には、余るくらいなのが、しかも鰓(えら)、鰭(ひれ)、一面に泥まみれで、あの、菖蒲(しょうぶ)の根が魚になったという話にそっくりです。
 これで首くくりは見合わせて、二人とも生きる事になりました。ちょっと、おめでたい。
 両方で瞳(め)を寄せるうちに、松の根を草がくれの、並木下の小流(こながれ)から刎出(はねだ)したものではない。昼間、竜巻の時、魚が降った、あの中の一尾(ぴき)で、河北潟から巻落されたに違いない。昼から今に到るまで、雲から落ちながらさえ、魚(うお)は生命(いのち)を保つ。そうしてこの水音をしたって、路の向うから千里百里の思(おもい)をして、砂を分けて来たのであろう。それまでにして魚(うお)さえ活(い)きる。……ここは魚売が浜から城下へ往来(ゆきき)をしますから、それが落したのかも分りませんが、思う存分の方へ引きつけて、お優さんも、おなじ意見で。
 早速、草を分けて、水へ入れてやりました。が、天から降った、それほどの逸物(いちもつ)だから、竜の性を帯びたらしい、非常な勢(いきおい)で水を刎(は)ねると、葉うらに留まった、秋近い蛍の驚いて、はらはらと飛ぶ光に、鱗(うろこ)がきらきらと青く光りました。
(食べれば可かったなあ、彼奴(あいつ)。――ああ、お腹が空いて動くことも出来ない。僕は――)
(まあ、可哀相に、あんなに苦労したお魚を……)
 その癖、冷い汗が流れるほど、腹が空いて、へとへとだと、お優さんも言うんでしょう。……

 父は――同じ錺職(かざりしょく)だったんですが、盛(さかん)な時分、二三人居た弟子のうちに、どこか村の夜祭に行って、いい月夜に、広々とした畑を歩行(ある)いて、あちらにも茅屋(かやや)が一つ、こちらにも茅屋が一つ。その屋根に狐が居たとか、遠くで砧(きぬた)が聞えたとか。つまり畑へ入って瓜を盗んで食ううちに、あたり一面の水になって、膝まで来て、胴へついて、素裸(すっぱだか)になって、衣(き)ものを背負(しょ)って、どうとか……って、話をするのを、小児(こども)の時、うとうと寝ながら聞いて、面白くって堪(たま)らない。あの話を――と云って、よくその職人にねだったものです。

 ただ悪戯(いたずら)にさえ嬉(うれし)い処を、うしろに瓜畑があります。――路近い処には一個(ひとつ)も生(な)っていませんから、二人して、ずッと畑を奥へ忍ぶと、もこもこと月影を吸って、そこにも、ここにも、銀とも、金とも、紫とも、皆薄青い覆輪して、葉がくれの墨絵もおもしろい。月夜に瓜畑へ入らないではこの形は分りません。いや、お優さんと一所でなくては。――一個(ひとつ)、掌(てのひら)にのせました。が夜露で、ひやりとして、玉の沓(くつ)、珊瑚(さんご)の枕を据えたようです。雲の形が葉を拡(ひろ)げて、淡(うす)く、すいすいと飛ぶ蛍は、瓜の筋に銀象嵌(ぎんぞうがん)をするのです。この瓜に、朝顔の白い花がぱっと咲いた……結綿(ゆいわた)を重そうに、娘も膝に袂(たもと)を折って、その上へ一顆(ひとつ)のせました。いきなり歯を当てると、むし歯になると不可(いけな)いと、私のために簪(かんざし)の柄を刺して、それから、皮を取って、裂目を入れて、両(ふた)つに分けて、とろとろと唇が触ったか、触らない中に――
 いまの※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)鼠(もぐら)、田鼠(たねずみ)の形を、およそ三百倍したほどな、黒い影が二つ三つ五つ六つ、瓜畑の中へ、むくむくと湧(わ)いて、波を立てて、うねって起きた。
(泥棒。)
(どッ、泥棒。)
 と喚(わめ)くや否や、狼のように人立(じんりつ)して、引包(ひッつつ)んで飛(とび)かかった。
(あれえ。)
(阿魔(あまっ)ちょは、番小屋へかつげ。)
(この野郎。)
(二才め。)
 私は仰向(あおむ)けに撲飛(はりと)ばされた。
(身もんだえしやがると、棒しばりにして、俺等(おらっち)の小便をしっかけるぞ。)
(村のお規則(きまり)だい。)
(堪忍して、堪忍して……)
 娘の声は、十二本の足の真黒(まっくろ)な可恐(おそろし)い獣(けもの)の背に、白い手を空にして聞こえました。
 瓜番小屋は、ああ、ああ血の池に掛けた、桟敷のように、鉄(くろがね)が煙りながら宙に浮く。……知らなかった。――直(じ)き近い処にあったのです。

(きれいな黒子だな、こんな処に、よう。)――
 私の目からは血が流れた。瓜は皆真紅(まっか)になって、葉ごとに黒い浪打つ中を、体は、ただ地を摺(す)って転がった。
心中見た見た、並木の下で、
しかも皓歯(しらは)と前髪で。……
心中見た、見た、並木の下で、
しかも皓歯……
 番小屋の中から、優しく、細い、澄んだ声で、お優さんの、澄まして唄うのが聞こえました。」
 小山夏吉は、声が切(せま)って、はらはらと落涙した。
「お聞きになって、どう、お考えなさるでしょう?
 私には、その時、三つだけ、する事がありました。……
 首をくくる事、第一。すぐ傍(わき)の茶店へ放火する、家を焼いて、村のものを驚かす事、第二。第三は飛込んで引縛(ひっくく)られて小便を、これだけはどうも不可(いけな)い……どいつも私に二嵩(ふたかさ)ぐらい、村角力(むらずもう)らしいのも交って、六人居ます。
 間に合う、合わないは別として、私は第二の手段を選ぶのが、後に思うと、娘に対する義務ではなかったかと思うのです。わずかに復讐の意義をかねて。――ええ、火の用意は、と言うんですか?……煙草のために燐寸(マッチ)がありました。それでなくても、黒くなった畑の上に、松の枝に、扱帯(しごき)の緋(ひ)の輪が、燃えて動いているんです。そればかりでも家は焼けるのに、卑怯(ひきょう)な奴で、放火(つけび)が出来ない。第一の事を、と松に這寄った時、お優さんの唄が聞こえましたのは――発狂したのでしょうのに――
(――この通りあきらめました。死なないでお帰りなさい――)
 そう言ってくれるのだと、身勝手ばかり考えて、
松の根もとに苺(いちご)が見える、
お前末代わしゃ一期(いちご)。……
一期末代添おうとしたに、
松も苺も、もう見えぬ――  ――とまた唄う。
 ええ、その苺という紅(あか)い実も、火をつけて、火をつけて、とうつくしい、怜悧(りこう)な娘が教えたのかも知れないのに……耳を塞(ふさ)ぎ、目を瞑(つむ)って、転んだか、躓(つまず)いたか、手足は血だらけになって、夜のしらしらあけに、我が家で、バッタリ倒れたんです。
 並木で人の死んだ風説(うわさ)はきかない。……
 翌月、不意の補助(たすけ)があって、東京へ出ました。」
(すぐにある技芸学校を出たあとを、あらためて名匠の内弟子に入ったのである。)
「やっと一人だちで故郷へ帰る事が出来て、やがて十年前に、前(ぜん)申したわけで六地蔵があすこへ立ったと聞きました頃には、もう山桜の霞の家も消えている……お優さんの行方は知れません。生命(いのち)はあったのでしょう。いずれ追手が掛(かか)ったのでしょう。おなじように、舁(かつ)がれて、連れ戻されて、鱗の落ちた魚、毛のあか膚(はだ)になった鳥は、下積に船に積まれて、北海の浪に漾(ただよ)ったのでしょう。けれども、汽車は、越前の三国、敦賀(つるが)。能登の富来、輪島。越中の氷見、魚津。佐渡。また越後の糸魚川(いといがわ)、能生(のう)、直江津――そのどこへ売られたのか、捜しようがなかったのです。
 六人が、六条(むすじ)、皆赤い蛇に悩まさるる、熱の譫言(うわごと)を叫んだという、その、渠等(かれら)に懲罰を給(たま)わった姫神を、川裳明神と聞いて、怪しからんことには――前刻(さっき)も申した事ですが、私も獺(かわおそ)だと思って、その化身にされたのを、お優さんのために、大不平だった。松の枝の緋鹿子(ひがのこ)を、六人して、六条に引裂いて、……畜、畜生めら。腕に巻いたり、首に掛けたり、腹巻はまだしも、股に結んで弄(もてあそ)びなぞしていやがった。払って浄(きよ)めて、あすこの祠(ほこら)に納めたと聞いてさえ、なぜか、扉を開けようとはしませんでした。赤い蛇を恐れたのではないのです。――私は実は、めぐり合って、しめ殺されたい。
 殺されて、そうして、彼奴等(きゃつら)よりなお醜い瓜かじりの頬(ほっ)かけ地蔵を並べれば可いんです。」
 小山夏吉の旅行癖が――諸君によくお分りになったと思う。
「――大笹の宿で、しかも、この、大笹村にある……思いかけず、その姫神の縁起に逢った。私は、直ぐに先祖の系図を見る真剣さと、うまれぬさきの世の履歴を読む好奇心と、いや、それよりも、恋人にめぐり逢う道しるべの地図を見る心の時めきで、読む手が思わず震えました。
 川裳明神の縁起――可心、述(のぶる)。……」

「大笹の宿のその夜、可心の能登紀行で、川裳明神の本地が釈然としました。跪(ひざまず)かなければなりません。私は寝られません。
 なぜか、庭の松の樹を、一度見ないでは、どうしても気が済まなくなりました。手(た)ぐりつけられるように。……金石街道でお優さんと死のうとした、並木の松に、形がそっくりに見えて忍耐(がまん)がならないのです。――

 勝手は心得ていましたから、雨戸を開けました。庭の松が、ただ慄然(ぞっ)とするほど、その人待石の松と枝振は同じらしい。が、どの枝にも首を縊(くく)る扱帯(しごき)は燃えてはおりません。寝そびれた上に、もうこうなっては、葉がくれに、紅いのがぶら下っていようも知れないと、跣足(はだし)でも出る処を、庭下駄があったんです。
 暗夜(やみ)だか、月夜だか、覚えていません。が、松の樹はすやすやと息を立てて、寝姿かと思う静(しずか)さで、何だか、足音を立てるのも気の毒らしい。三度ばかり、こんもりと高い根を廻りましたが何にも見えません。茫然(ぼうぜん)と、腕組をして空を視(なが)めて立った、二階の棟はずれを覗(のぞ)いて、梟(ふくろ)が大(おおき)く翼を拡(ひろ)げた形で、またおなじような松が雲の中に見えるんです。心を曳(ひ)かれて、うっかりして木戸を出ました。土が白い色して、杜若(かきつばた)の花、紅羅(がんぴ)の莟(つぼみ)も、色を朧(おぼろ)に美しい。茱萸(ぐみ)の樹を出ますと、真夜中の川が流れます。紀行を思うと、渡るのが危(あぶな)っかしい。生えた草もまた白い。土橋の上に、ふと二個(ふたつ)向合った白いものが見えました。や、女だ! これは。……いくら田舎娘だって、まだ泳ぐには。――思わず、私が立停(たちど)まると、向合(むかいあ)ったのが両方から寄って、橋の真中(まんなか)へ並んで立ちました。その時莞爾(にっこり)笑ったように見えたんですが、すたすたと橋を向うへ行く。跣足(はだし)です。よく見ると、まるの裸体(はだか)……いや、そうでない。あだ白い脚は膝の上、ほとんどつけ根へ露呈(あらわ)なのですが、段々瞳が定(き)まると、真紅(まっか)な紅羅(がんぴ)の花を簪(かんざし)にして、柳条笹(しまざさ)のような斑(ふ)の入った薄い服(きもの)、――で青いんだの、赤いんだの、茱萸(ぐみ)の実が玉のごとく飾ってある。――またしきりに鳴く――蛙の皮の疣々(いぼいぼ)のようでもあります。そうして、一飛(ひとッとび)ずつ大跨(おおまた)に歩行(ある)くのが、何ですか舶来の踊子が、ホテルで戸惑(とまどい)をしたか、銀座の夜中に迷子になった様子で。その癖、髪の色は黒い、ざらざらと捌(さば)いたおさげらしい。そのぶら下った毛の中に、両方の、目が光る。……ああ、あとびっしゃりをする。……そうでないと、目が背中へつくわけがない、と吃驚(びっくり)しました。しかし一体、どっちが背だか腹だか、開(はだ)けた胸も腹も、のっぺらぼうで、人間としての皮の縫目が分りません。
 少し上流の方へ伝(つたわ)って行くと、向う左へ切れた、畝道(あぜみち)の出口へ、おなじものが、ふらふらと歩行(ある)いて来て、三個(みッつ)になった。三個が、手足を突張(つっぱ)らかして、箸の折れたように、踊るふりで行くと、ばちゃばちゃと音がして、水からまた一個(ひとり)這上(はいあが)った。またその前途(ゆくて)に、道の両側に踞(しゃが)んで待ったらしいのが、ぽんと二個(ふたつ)立つと、六個(むたり)も揃って一列になりました。逆に川下へ飛ぶ、ぴかりぴかりと一つ大(おおお)な蛍の灯に、皆(みんな)脊が低い。もっとも、ずッと遠くなったのだから、そのわけかも知れませんが、三尺二尺、五寸ぐらいに、川べりの田舎道遥(はるか)になると、ざあと雨の音がして、流(ながれ)の片側、真暗(まっくら)な大(おおき)な竹藪(たけやぶ)のざわざわと動いて真暗な処で、フッと吸われて消えました。
 ほんとうに降って来た。私は、いつか橋を渡っていたのです。――
 小雨に、じっとりとなった、と思ったのは、冷い寝汗で。……私はハッと目が覚めました。」

「翌朝思(おもい)のほか寝過ごして、朝湯で少しはっきりして、朝飯(あさはん)を取ります頃は、からりと上天気。もう十時頃で、田舎はのんきですから、しらしら明(あけ)もおんなじに、清々(すがすが)しく、朗かに雀たちが高囀(たかさえずり)で遊んでいます。蛙も鳴きます。旅籠(はたご)の主人(あるじ)に、可心寺の聞きたしをして――(女神(じょしん)は、まったく活(い)きておいでなさる。幽寂(しん)とした時、ふと御堂(みどう)の中で、チリンと、幽(かすか)な音のするのは、簪(かんざし)が揺れるので、その時は髪を撫(な)でつけなさるのだそうで。)と聞く時分から、テケテケテン、テトドンドンと、村のどこかで……遠い小学校の小児(こども)の諸声(もろごえ)に交って、静(しずか)に冴(さ)えて、松葉が飛歩行(とびある)くような太神楽(だいかぐら)の声が聞えて、それが、谺(こだま)に響きました。
 おお! ここに居る。――流(ながれ)に添って、上(かみ)の方へ三町ばかり、商家(あきないや)も四五軒、どれも片側の藁葺(わらぶき)を見て通ると、一軒荒物屋らしいのの、横縁の端(はじ)へ、煙草盆を持出して、六十ばかりの親仁(おやじ)が一人。角(つの)ぶちの目金(めがね)で、熟(じっ)と――別に見るものはなし、人通(ひとどおり)もほとんどないのですから、すぐ分った、鉢前の大(おおき)く茂った南天燭(なんてん)の花を――(実はさぞ目覚(めざまし)かろう)――悠然として見ていた。ほかに、目に着いたものはなかったのですが……宿で教えられた寺の入口の竹藪(たけやぶ)が、ついそこに。……川は斜(ななめ)に曲って、巌(いわ)が嶮(けわし)くなり、道も狭く、前途(ゆくて)は、もう田畝(たんぼ)になります。――その藪の前の日向(ひなた)に、ぼったら焼(やき)の荷に廂(ひさし)を掛けたほどな屋台を置いて、おお! ここに居る。太神楽が、黒木綿の五紋(いつつもん)の着流しで鳥打帽を被(かぶ)った男と、久留米絣(くるめがすり)にセルの袴(はかま)を裾長に穿流(はきなが)した男と、頬杖を突合って休んだのを見ました。端初(はな)、夢に見た藪にそっくりだ、と妙な気がした処へ、この太神楽で陽気になった。そのまますれ違って通ったのです。
 向って、たらたらと上(あが)る坂を、可なり引込(ひっこ)んで、どっしりした茅(かや)の山門が見えます。一方はその藪畳みで、一方は、ぐっと崖(がけ)に窪(くぼ)んで、じとじとした一面の茗荷畑(みょうがばたけ)。水溜(みずたまり)には杜若(かきつばた)が咲いていました。上り口をちょっと入った処に、茶の詰襟の服で、護謨(ゴム)のぼろ靴を穿(は)いて、ぐたぐたのパナマを被った男が、撥(ばち)で掌(てのひら)を敲(たた)きながら、用ありそうに立っている。処へ、私が上りかかると出会がしらに、横溝(よこどぶ)を跨(また)いで、藪からぬっくりと、顕(あら)われたのは、でっぷりと肥(ふと)った坊主頭で、鼠木綿を尻高々と端折(はしょ)って、跣足(はだし)で鍬(くわ)をついた。……(これがうつくしい伯母さんのために出家した甥(おい)だと、墨染の袖に、その杜若の花ともあるべき処を)茗荷(みょうが)を掴(つか)み添えた、真竹の子の長い奴(やつ)を、五六本ぶら下げていましたが、
(じゃあ、米一升でどうじゃい。)
 すぐこう云うと、詰襟が、
(さあ、それですがね。)
(銭、五貫より、その方が割じゃぜい――はっはっはっ。稗(ひえ)まじりじゃろうが、白米一升、どないにしても七十銭じゃ。割じゃろがい。はっはっはっ。)
 泥足を捏(こ)ねながら、肩を揺(ゆす)って、大きに御機嫌。
 給金(しんしょう)の談判(かけあい)でした。ずんずん通り抜けて、寺内へ入ると、正面がずッと高縁(たかえん)で、障子が閉って、茅葺(かやぶき)ですが本堂らしい。左が一段高く、そこの樹林の中を潜(くぐ)ると、並んではいますが棟が別で、落葉のままに甍(かわら)が見えます。階(きざはし)を上(あが)ると、成程、絵馬が沢山に、正面の明神の額の下に、格子にも、桟にも、女の髪の毛が房々と掛(かか)っています。紙で巻いたり、水引で結んだり、で引いて見ましたが、扉は錠が下りています。虹(にじ)の帳(とばり)、雲の天蓋(てんがい)の暗い奥に、高く壇をついて、仏壇、廚子(ずし)らしいのが幕を絞って見えますが、すぐに像(すがた)が拝まれると思ったのは早計でした。第一女神(じょしん)でおいでなさる。まず拝して、絵馬を視(み)て、しばらく居ました。とにかく、廚裡(くり)へ案内して、拝見……を願おうと……それにしても、竹の子上人は納所(なっしょ)なのかしら、法体(ほったい)した寺男かしら。……
 女神の簪(かんざし)の音を、わざとでなく聞こうとして、しばらくうっかりしたものと見えます。なぜというに、いま、樹立(こだち)の中を出ますと、高縁の突端(とっぱし)に薄汚れたが白綸子(しろりんず)の大蒲団(おおぶとん)を敷込んで、柱を背中に、酒やけの胸はだけで、大胡坐(おおあぐら)を掻(か)いたのは藪(やぶ)の中の大入道。……納所どころか、当山の大和尚。火鉢を引寄せ、脛(すね)の前へ、一升徳利を据えて、驚きましたなあ――茶碗酒です。
 門内の広庭には、太神楽が、ほかにもう二人。五人と揃って、屋台を取巻いて、立ったり、踞(しゃが)んだり、中には赤手拭をちょっと頭にのせたのも居て、――これは酒じゃない、大土瓶から、茶をがぶがぶ、丼の古沢庵(ひねたくあん)を横噛(よこかじ)りで遣(や)ってると、破れかかった廚裡(くり)の戸口に、霜げた年とった寺男が手を組んで考えた面(つら)で居る処。
 けたけたけたと、和尚が化笑(ばけわらい)を唐突(だしぬけ)に遣ったから、私は肩をすぼめて、山門を出た。
 何と、こんな中へ開扉(かいひ)が頼まれますものですか。
 なお驚いたのは、前刻(さっき)の爺さんが同じ処で、まだ熟(じっ)と南天燭(なんてん)の枝ぶりを見ていた事です。――一度宿へ帰って出直そうとそこまで引返したのですが、考えました。そちこち午(ひる)すぎだ、帰れば都合で膳(ぜん)も出そうし、かたがた面倒だ。一曲か二曲か、太神楽の納(おさま)るまで、とまた寺の方へ。――
 テンドンドン、テケレンと、囃子(はやし)がはじまる。少し坂を上って、こう、透(すか)しますと、向う斜(ななめ)にずッと覗込(のぞきこ)む、生垣と、門の工合(ぐあい)で、赤い頭ばかりが鞠(まり)のように、ぴょんぴょんと、垣の上へ飛ぶのと――柱を前へ乗出した和尚の肩の処が半分見える。いま和尚の肩と、柱の裏の壁らしく暗い間に、世を忍ぶ風情で、※娜(なよなよ)[#「女+島」の「山」に代えて「衣」、U+5B1D、297-14]と、それも肩から上ぐらい、あとは和尚の身体(からだ)にかくれた、婦(おんな)が見えます。
 はっと思った。
 髪は艶々(つやつや)と黒く、色は白いと思うのが、凄(すご)いほど美しい。
 が、近づけません、いや、寄って行けない。せめて一人、小児(こども)でも、そこらに居てくれれば可(い)いのですが、小学校の声ばかりまた遥(はるか)に響くんです。私ただ一人……それに食べものが出ている……四十面を下げたものが、そこへ顔が出せますか。
 殊に、佳(い)い女、と思うほど、ここにうそうそ居て、この顔が見えよう。覗くのさえ気がさしますから、思切って、村はずれの田畝(たんぼ)まで、一息に離れました。

 蛙がよく鳴いています。その水田の方へ、畷(なわて)へ切れて、蛙が、中でも、ことこところころ、よく鳴頻(なきしき)ってる田のへりへ腰を落し、ゆっくり煙草を吹かして、まずあの南天老人を極(き)めました。
 ――しばらくして、ここを、二人ばかり人が通る。……屋台を崩して、衣装葛籠(つづら)らしいのと一所に、荷車に積んで、三人で、それは畷(なわて)の本道を行きます。太神楽も、なかなか大仕掛(おおじかけ)なものですな。私の居た畷(なわて)へ入って来たその二人は、紋着(もんつき)のと、セルの袴(はかま)で。……田畝の向うに一村(ひとむら)藁屋(わらや)が並んでいる、そこへ捷径(ちかみち)をする、……先乗(さきのり)とか云うんでしょう。
 私は、笑いながら、
(お寺の、美人はいかがでした。)
 対手(あいて)が道化ものだから、このくらいな事は可い、と思った。
(別嬪(べっぴん)? お寺に。)
 とセルが言うと、
(弁天様があるのかね。)
 と紋着が生真面目(きまじめ)です。
 私はまごついた。
(いいや、和尚の、かみさんだか、……何ですかね。)
(ははは、御串戯(ごじょうだん)もんだ。)
(別嬪が居て御覧(ごろう)じろ、米一升のかわりに引攫(ひっさら)っちまう。)
 と笑いながら、さっさと行(ゆ)きます。
 はぐらかすとは思えません。――はてな、それでは、いま見たのは。――何にしても太神楽は、もう済んだのですから、すぐに可心寺へ出向く筈(はず)の処を、少々居迷ったのは、前刻(さっき)から田の上を、ひょいひょいと行(や)る蛙連中が、大小――どうもおかしい。……生(な)りはじめの瓜に似ている。……こんな事はありません。泳ぐ形は、そんなでもないが、ひょんと構えたり、腹を見せて仰向(あおむ)けに反った奴などは、そのままです。瓜の嬰児(あかんぼ)が踊っている。……それに、私は踏込んで見る気はありませんでしたが、この二三枚を除いたほかは、つづく畠で、気のせいか、一面に瓜が造ってあるようです。蛙どもは、ひょんひょんと飛ぶ。すいすい泳ぐ。ばちゃりと刎(は)ねる。どうもおかしい。そのうちに、隣のじとじとした廃畑(すたればた)から、畝(あぜ)うつりに出て来る蛙を見ると、頭に三筋ばかり長い髪の毛を引掛(ひっか)けて曳(ひ)いているのです。おや、また来るのも曳いている。五六疋(ぴき)――八九疋。――こっちの田からも飛込んでまた引いて出る。すらすらと長い髪の毛です。熟(じっ)と視(み)ると、水底(みなそこ)に澄ました蛙は、黒いほどに、一束ねにして被(かつ)いでいます。処々に、まだこんなに、蝌蚪(おたまじゃくし)がと思うのは、皆(みんな)、ほぐれた女の髪(かみのけ)で。……
 女神の堂に、あんなに、ばらみの、たぼみのが有ったのを見ない前だと、これだけでも薄気味が悪かったでしょうのに。――そんな気はちっともなかった――ただ、畝(あぜ)どなりの廃畑(すたればた)をよく見ると、畳五枚ばかりの真中(まんなか)に、焼棄(やきすて)の灰が、いっぱい湿って、淀(よど)んで、竹の燃えさしが半ば朽ちて、ばらばらに倒れたり、埋(うも)れたりしています。……流灌頂(ながれかんちょう)――虫送り、虫追、風邪の神のおくりあと、どれも気味のいいものではない。いや、野墓、――野三昧(のざんまい)、火葬のあと……悚然(ぞっ)とすると同時に、昨夕(ゆうべ)の白い踊子を思い出した。さながらこの蛙に似ている。あっけに取られた時でした。
(やあ――やあ――やあ――)
 と山裾の方から、野良声を掛けて、背後(うしろ)の畝(あぜ)を伝って来た、鍬(くわ)をさげた爺さんが、
(やあ、お前様(めえさま)いけましねえ。いけましねえ。)
 慌てて挨拶(あいさつ)した。
(どうも済まない。)
(やあ、はい、詫(わ)びさっしゃる事は何にもねえだがね、そこに久しく立っていると瘧(ぎゃく)を煩らうだあかンな、取憑(とッつ)かれるでな。)
(ええ、どうしてだい。)
(何、お前様。)
 と、榛(はん)の樹から出て来ながら、ひょい、とあとへ飛退(とびすさ)った。
(菜売(なうり)がそこで焼死んだてばよ。)
(焼死んだ。)
 こっちも退(すさ)った。
(菜売?……ッて)
(おおよ。一昨年(おととし)ずらい。菜売の年増女さ、身体(からだ)あ役に立たなくなったちで、そこな瓜番小屋へ夜番に出したわ。――我が身で火をつけて、小屋ぐるみ押焦(おっこ)げたあだ。真夜中での、――そん時は、はい、お月様も赤かったよ。)」
 …………………………

「……女神(じょしん)の殿堂の扉の下にやがて跪(ひざまず)いた私は、それから廚裡(くり)の方へ行こうとしました。
 あの――山門を入った正面の高縁の障子が開いたままになっていましたから、廚裡へもまわらないで、すぐに廊下を一つ、女神堂へ参ったのですが、扉はしまっていました。――
 この開扉を頼むのと、もう一つ、急に住職の意を得たい事が出来たのです。
 唐花(からはな)の絵天井から、壁、柱へ、綾(あや)と錦(にしき)と、薄暗く輝く裡(なか)に、他国ではちょっと知りますまい。以前、あのあたりの寺子屋で、武家も、町家も、妙齢(としごろ)の娘たちが、綺麗な縮緬(ちりめん)の細工ものを、神前仏前へ奉献する習慣(ならわし)があって、裁縫の練習なり、それに手習(てならい)のよく出来る祈願だったと言います。四季の花はもとよりで、人形の着もの、守袋、巾着(きんちゃく)もありましょう、そんなものを一条(ひとすじ)の房につないで、柱、天井から掛けるので。祝って、千成(せんなり)百成(ひゃくなり)と言いました。絢爛(けんらん)な薬玉(くすだま)を幾条(すじ)も聯(つら)ねたようです。城主たちの夫人、姫、奥女中などのには金銀珠玉を鏤(ちりば)めたのも少くありません。
 女神の前にも、幾条か聯(つらな)って掛(かか)っていた。山の奥の幽なる中に、五色の蔦(つた)を見る思(おもい)があります。ここに、生(な)りもの、栗、蜜柑(みかん)、柿、柘榴(ざくろ)などと、蕪(かぶら)、人参、花を添えた蔓(つる)の藤豆、小さな西瓜(すいか)、紫の茄子(なすび)。色がいいから紅茸(べにたけ)などと、二房一組――色糸の手鞠(てまり)さえ随分糸の乱れたのに、就中(なかんずく)、蒼然(そうぜん)と古色を帯びて、しかも精巧目を驚かすのがあって、――中に、可愛い娘の掌(てのひら)ほどの甜瓜(まくわ)が、一顆(ひとつ)。
 嬉しくなって、私が視入(みい)った事は申すまでもありますまい。
 黄に薄藍(うすあい)の影がさす、藍田(らんでん)の珠玉とか、柔(やわらか)く刻んで、ほんのりと暖(あたたか)いように見えます、障子越(ごし)に日が薄く射(さ)すんです。
 立って手を伸ばすと、届く。密(そっ)と手で触ると……動く。……動く瓜の中に、ふと、何かあるんです。」
「――中に――」
 筆者は思わず問返した。
「中に何だかあるんです。チリン、チリンと真綿に包(くる)まった、微妙な鈴のような音がしました。ああ、女神の簪(かんざし)の深秘に響くというのは、これだと想って、私は全身、かッとほてりました。」
 ここに聞くものは悚然(ぞっ)とした。
「中は空(うつ)ろで、きれ仕立ですから、瓜の合せ目は直ぐ分りました。が、これは封のあるも同然。神の料のものなんです。参詣人が勝手には窺(のぞ)けません。
 ――真先(まっさき)にこれを一つと思ったんです。もう堂の中に居るのですから、不躾(ぶしつけ)に廚裡(くり)へ向って、大(おおき)な声は出せません。本堂には祖師の壇があります。ここで呼立てるのも失礼だと思いますから、入った高縁の処、畳数を向うへ長く縦に見取って、奥の方へ、御免下さい、願います、願います、とやったが一向に通じない。弱った、和尚、あの勢(いきおい)で、寝込みはしないか。廚裡へ行く板戸は閉(しま)っていて、ふと、壁についた真向うの障子の外へ、何だか、ちらりと人影が射(さ)したようで、それなり消えましたから……あの美しい女が。……
 あるいは人に隠れたのかも知れない。しかし帰れません。思切って、ずかずかと立入って、障子を開けますと、百日紅(さるすべり)が、ちらちらと咲いている。ここを右へ、折れ曲りになって、七八間、廂(ひさし)はあるが、囲(かこい)のない、吹抜けの橋廊下が見えます。暗い奥に、庵(いおり)が一つ。背後(うしろ)は森で、すぐに、そこに、墓が、卒塔婆(そとば)が、と見る目と一所に、庵の小窓に、少し乱れた円髷(まるまげ)の顔が覗(のぞ)いて、白々と、ああ、藤の花が散り澄ますと思う、窓下の葉蘭(はらん)に沈んで、水の装上(もりあが)った水盤に映ったのは、撫肩(なでがた)の靡(なび)いた浴衣の薄い模様です。襟うらに紅(あか)いのがちらりと覗いて、よりかかった状(さま)に頬杖して半ば睡(ねむ)るようにしていました。ああ、寝着(ねまき)で居る……あの裾の下に、酒くさい大坊主が踏反(ふんぞ)って。……
 私は慇懃(いんぎん)に礼をしました。
 瞳を上げる、鼻筋が冷く通って、片頬(かたほ)にはらはらとかかる、軽いおくれ毛を撫でながら、静(しずか)に扉(ひらき)を出ました。水盤の前に、寂しく立つ。黒繻子(くろじゅす)と打合せらしい帯を緩くして、……しかし寝ていたのではありません。迎えるように、こっちから橋に進んで――象嵌(ぞうがん)などを職にします――話して、瓜の事を頼みました。
 やさしい声で、
(和尚様は留守でございます。けれど、明神様へ……私から。)
(是非どうぞ。)
 前刻(さっき)は、あの柱の蔭に、と思って、
(太神楽はいかがでした。)
(まあ、違いますよ、私は見はいたしません。)
(ええ、それでは。)
(明神様の御像(おすがた)を、和尚さんが抱いて出たのでございます。お慰みに、と云って、私は出はいたしません。明神様も、御迷惑だったでしょう。)
(貴女(あなた)は。)
(私は可厭(いや)ですわ――それに御厄介になっております居候なんですから。)
 瓜の中が解ったら、あるいはこの意味も、どうした事か、解るかも知れない。
(これでございますね。)
 御廚子(みずし)の前に、深く蝋燭(ろうそく)を点じ、捧げて後(のち)、女は紅(くれない)の総(ふさ)に手を掛けた。燈(あかし)をうけると、その姿は濃くなった。
(よく出来ていますこと。)
(ああ、そうして取れますか。)
 自分の顔の蒼(あお)くなるまで、女のさしのばした雪白の腕(かいな)に、やや差寄って言いました。
(畠のだと、貴方(あなた)の方が取るのがお上手でしょうけれど……)
 微笑(にっこり)する。
(ええ。)
(これは、この蔓(つる)の結びめで解(ほど)けます。私なぞも、真似をして拵(こしら)えましたから存じております。――まあ、貴女(あなた)が。)
 と云って、廚子を拝んで、
(お気にめして、時々お持ち遊ばすそうで、ちっとも埃(ほこり)がついていません。――あすこへ……明るい処へ参りましょう。お仕事の事で御覧になりますなら、その方がよく見えます。)
 消えるようになって、すらすらと出ました、障子際へ。明けると、荒れたが、庭づくりで、石の崩れた、古い大(おおき)な池が、すぐこの濡縁に近く、蓮(はす)は浮葉を敷き、杜若(かきつばた)は葉がくれに咲いている。……御堂の外格子――あの、前刻(さっき)階(きざはし)から差覗(さしのぞ)いた処はただ、黒髪の暗い簾(すだれ)だったんですがな。
(どうぞ、貴女(あなた)が明けて――お見せ下さい。)
 さし向った、その膝に近づきました。
(お菓子でしょうか、よく合っておりますこと。)
 私へ、斜めに、瓜を重いように、しなやかに取って、据えて、二つに分けると、魚が一尾(ひとつ)、きらりと光り、チンチンチンと鱗(うろこ)が鳴ると斉(ひと)しく、ひらりと池の水へ落ちました。
 あ、あ、あ、あの池の向うの、大(おおき)な松の幹を、結綿(ゆいわた)の娘と、折重(おりかさな)って、絣(かすり)の単衣(ひとえ)の少年が這っている。こっちで、ひしと女に寄ろうとする、私の膝が石のようにしびれたと思うと、対向(むこう)で松の幹を、少年がずるずると辷(すべ)って落ちた。
 落ちると同時に、その向うの縁に、旅の男が、円髷(まるまげ)の麗人と向合っているのが見える。
 そこには、瓜が二つに割れて、ここの松の空なる枝には、緋鹿子(ひがのこ)の輪が掛(かか)りました。……御堂も、池も、ぐるぐると廻ったんです。
 見る見る野の末に黒雲がかかると、黒髪の影の池の中で、一つ、かたかたと鳴くに連れて、あたりの蛙の一斉(いっとき)に、声を合わせるのが、
松の根本に苺(いちご)が見える…………
 あの当時(とき)の唄にそのままです。
 飛びついて抱こうとする手が硬(こわ)ばって動かない。化鳥(けちょう)のごとく飛びかかった、緋の扱帯(しごき)を空(くう)に掴(つか)んで、自分の咽喉(のど)を縊(し)めようとするのを、じっと押(おさ)えて留めました。女の袖が肩を抱くと、さし寄せた頬にかかっておくれ毛が、ゆれて、靡(なび)いて、そこいらの、みの毛ばら毛、髢(かもじ)も一所に、あたりは真暗(まっくら)になりました。
(連れてって下さい、お優さん、冥途(めいど)へでもどこへでも。)
(お帰りなさい――私が一所に参りますから。)
 その時、甘い露に……唇が濡れました。息を返したんです。大笹の宿の亭主が、余り帰りの遅いのを見に来て、花桶(はなおけ)の水を灌(そそ)いだんだそうです。
(……私が一所に参りますから。)
 で、――お優さんは、この炬燵(こたつ)の、ここに居ます。」
 筆者は炬燵から飛(とび)しさった。

「しかし、この頃に、大笹へ参って、骨を拾って帰ろうと思います。
 あの時、農家の爺さんが(菜売)の年増女だと、言ったでしょう。瓜番の小屋へ自分で火をつけたのは尋常(ただ)ごととは思わなかったが。……ただ菜売とだけ存じました。――この頃土地の人に聞くと、それは、夏場だけ、よそから来て、肉(み)を売る女の事だと言います。それだと、お優さんの、骨は、可心寺の無縁ですから。」
   附記。
 その後、大笹から音信(たより)があった――(知人はその行を危(あやぶ)んだが、小山夏吉は日を措(お)かず能登へ立った)――錦の影であろう、廚子(ずし)にはじめて神像を見た時は、薄い桃色に映った、実は胡粉(ごふん)だそうである、等身の女神像は肩に白い蓑(みの)を掛けて、それが羽衣に拝まれる。裳(もすそ)を据えた大魚は、やや面(つら)が奇怪で、鯉だか、鱒(ます)だか、亀だか、蛇だか、人間の顔だか分らない。魚尾は波がしらに刎(は)ねている。黒髪の簪(かんざし)に、小さな黄金(きん)の鮒(ふな)が飾ってある。時に鏘々(しょうしょう)として響くのはこの音で、女神が梳(くしけず)ると、また更(あらた)めて、人に聞いた――それに、この像には、起居(たちい)がある。たとえば扉の帳をとざす、その時、誦経者(ずきょうしゃ)の手に従うて、像の丈の隠るるに連れて、魚の背に膝が着くというのである。が、小山夏吉の目にも、同じ場合にその気勢(けはい)を感じた。波を枕に、肱枕(ひじまくら)をさるるであろう。蓑の白い袖が時として、垂れて錦帳(きんちょう)をこぼれなどする。
 不思議な発条仕掛(ばねじかけ)があるのではないか、と言う。
 実(まこと)や、文化よりして、慶応の頃まで生存した、加賀大野港(おおのみなと)に一代の怪人、工匠にして科学者であった。――町人だから姓はない、大野浜の弁吉の作だそうである。
 三味線(さみせん)ただ一挺(ちょう)を携えていずこよりともなく浜づたいに流れて来て、大野の浜に留(とど)まった。しきりに城下を往来したが、医をよくし、巫術(ふじゅつ)、火術を知り、その頃にして、人に写真を示した。製図に巧(たくみ)に、機械に精(くわ)しい。醤油のエッセンスにて火を灯(とも)し、草と砂糖を調じて鉱山用のドンドロを合せたなどは、ほんの人寄せの前芸に過ぎない。その技工の妙を伝聞して、当時の藩主の命じて刻ましめた、美しき小人の木彫は、坐容立礼、進退を自由にした。余りにその活(い)きたるがごとく、目に微笑をさえ含んで、澄まし返った小憎(こにく)らしさに、藩主が扇子をもってポンと一つ頭を打つや、颯(さっ)と立って、据腰(すえごし)に、やにわに小刀(ちいさがたな)に手を掛けて、百万石をのけ反(ぞ)らした。ちょっと弁吉の悪戯(いたずら)だというのである。三聖酢をなむる図を浮彫にした如意(にょい)がある。見ると、髯(ひげ)も、眉も浮出ているが手を触ると、何にもない、木理(ぼくり)滑かなること白膏(はっこう)のごとし。――その理、測るべからず。密(ひそか)に西洋に往来することを知って、渠(かれ)を憚(はばか)るものは切支丹(キリシタン)だとささやいた。
 ――鳶(とんび)(鶴ではない)を造って乗って、二階から飛んでその行く処を知らない。
 好んで、風人と交(まじわ)ったから、――可心は、この怪工に知を得て、女神の像は成ったのである。
 また希有(けぶ)なのは、このあたり(大笹)では、蛙が、女神にささげ物の、みの、髢(かもじ)を授けると、小さな河童(かっぱ)の形になる。しかしてあるものは妖艶(ようえん)な少女に化ける。裸体に蓑をかけたのが、玉を編んで纏(まと)ったようで、人の目には羅(うすもの)に似て透いて肉が甘い。脚は脛(はぎ)のあたりまでほとんどあらわである。月朧(おぼろ)に、燈(ともしび)くらき夜(よ)など、高浜、あべ屋、福浦のあたりまで、少からず男を悩すというのである。
 小山夏吉の手紙は、この意味を――

「おもいの外、瓜吉(渾名(あだな)をいう)は暢気(のんき)だぜ。」
 皆云っていたが、小山夏吉は帰らない。
 なお手紙によると、再び可心寺に詣(もう)でた時は、和尚は、あれから直(すぐ)に亡くなって、檀を開くのに、村の人たちが立会った。――無住だった――というから。
 お優さんの骨――ばかりでなく、霊に添って、奥の庵(いおり)を畠に、瓜を造っているのだろう。本懐であろう。
 蛙の唄をききながら、その化けた不良性らしい彼(か)の女等を眷属(けんぞく)にして。……
 あとでも、時々、瓜は市場に出た。が、今は他のものを装(も)る器具(うつわ)でない。瓜はそのまま天来の瓜である。従って名実ともに鏨(たがね)は冴えた、とその道のものは云った。が惜しいかな――去年の冬、厳寒に身を疼(いた)んで、血を咯(は)いて、雪に紅(くれない)の瓜を刻んだ。
昭和二(一九二七)年五月
了

底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、以下の個所を除いて大振りにつくっています。
「三(みつ)ヶ口」「一ヶ処」
2011年7月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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