あらすじ
深川富岡門前の待乳屋という三味線屋の娘、菊枝は、縁日に出かけて夜遅くまで帰ってこなかった。心配した両親は、小僧の弥吉を迎えに行かせるが、菊枝の姿はどこにもない。看護婦のお縫も、菊枝がいないことに気づき、家の中を探し回るが、菊枝の姿は見当たらない。やがて、お縫は、菊枝が置いていった小町下駄を見つけ、菊枝が外へ出たと確信する。しかし、菊枝は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
縁日  柳行李  橋ぞろえ  題目船  衣の雫  浅緑

記念ながら
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     縁日

       一

 先年尾上(おのえ)家の養子で橘之助(きつのすけ)といった名題俳優(やくしゃ)が、年紀(とし)二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が痛いから白菊の露が飲みたいという意味の辞世の句を残して儚(はかの)うなり、贔屓(ひいき)の人々は謂(い)うまでもなく、見巧者(みごうしゃ)をはじめ、芸人の仲間にも、あわれ梨園の眺め唯一の、白百合一つ萎(しぼ)んだりと、声を上げて惜しみ悼まれたほどのことである。
 深川富岡門前に待乳(まっち)屋と謂って三味線(さみせん)屋があり、その一人娘で菊枝という十六になるのが、秋も末方の日が暮れてから、つい近所の不動の縁日に詣(まい)るといって出たのが、十時半過ぎ、かれこれ十一時に近く、戸外(おもて)の人通(ひとどおり)もまばらになって、まだ帰って来なかった。
 別に案ずるまでもない、同(おなじ)町の軒並び二町ばかり洲崎(すさき)の方へ寄った角に、浅草紙、束藁(たわし)、懐炉灰(かいろばい)、蚊遣香(かやりこう)などの荒物、烟草(たばこ)も封印なしの一銭五厘二銭玉、ぱいれっと、ひーろーぐらいな処を商う店がある、真中(まんなか)が抜裏の路地になって合角(あいかど)に格子戸造(づくり)の仕舞家(しもたや)が一軒。
 江崎とみ、と女名前、何でも持って来いという意気造(づくり)だけれども、この門札(かどふだ)は、さる類(たぐい)の者の看板ではない、とみというのは方違いの北の廓(くるわ)、京町とやらのさる楼(うち)に、博多(はかた)の男帯を後(うしろ)から廻して、前で挟んで、ちょこなんと坐って抜衣紋(ぬきえもん)で、客の懐中(ふところ)を上目で見るいわゆる新造(しんぞ)なるもので。
 三十の時から二階三階を押廻して、五十七の今年二十六年の間、遊女八人の身抜(みぬけ)をさしたと大意張(おおいばり)の腕だから、家作などはわがものにして、三月ばかり前までは、出稼(でかせぎ)の留守を勤め上(あが)りの囲物(かこいもの)、これは洲崎に居た年増(としま)に貸してあったが、その婦人(おんな)は、この夏、弁天町の中通(なかどおり)に一軒引手茶屋(ひきてぢゃや)の売物があって、買ってもらい、商売をはじめたので空家になり、また貸札でも出そうかという処へ娘のお縫。母親の富とは大違いな殊勝な心懸(こころがけ)、自分の望みで大学病院で仕上げ、今では町住居(ずまい)の看護婦、身綺麗(みぎれい)で、容色(きりょう)も佳(よ)くって、ものが出来て、深切で、優(おとな)しいので、寸暇のない処を、近ごろかの尾上家に頼まれて、橘之助の病蓐(びょうじょく)に附添って、息を引き取るまで世話をしたが、多分の礼も手に入るる、山そだちは山とか、ちと看病疲(づかれ)も出たので、しばらく保養をすることにして帰って来て、ちょうど留守へ入って独(ひとり)で居る。菊枝は前の囲者が居た時分から、縁あってちょいちょい遊びに行ったが、今のお縫になっても相変らず、……きっとだと、両親(ふたおや)が指図で、小僧兼内弟子の弥吉(やきち)というのを迎(むかい)に出すことにした。
「菊枝が毎度出ましてお邪魔様でございます、難有(ありがと)う存じます。それから菊枝に、病気揚句だ、夜更(よふか)しをしては宜(よ)くないからお帰りと、こう言うのだ。汝(てめえ)またかりん糖の仮色(こわいろ)を使って口上を忘れるな。」
 坐睡(いねむり)をしていたのか、寝惚面(ねぼけづら)で承るとむっくと立ち、おっと合点お茶の子で飛出した。
 わっしょいわっしょいと謂(い)う内に駆けつけて、
「今晩は。」というと江崎が家の格子戸をがらりと開けて、
「今晩は。」
 時に返事をしなかった、上框(あがりがまち)の障子は一枚左の方へ開けてある。取附(とッつき)が三畳、次の間(ま)に灯(あかり)は点(つ)いていた、弥吉は土間の処へ突立(つった)って、委細構わず、
「へい毎度出ましてお邪魔様でございます、難有(ありがと)う存じます。ええ、菊枝さん、姉さん。」

       二

「菊枝さん、」とまた呼んだが、誰も返事をするものがない。
 立続けに、
「遅いからもうお帰りなさいまし、風邪を引くと不可(いけ)ません。」
 弥吉は親方の吩咐(いいつけ)に註を入れて、我ながら旨(うま)く言ったと思ったが、それでもなお応じないから、土間の薄暗い中をきょろきょろと※(「目+句」、第4水準2-81-91)(みまわ)したが、密(そっ)と、框(かまち)に手をついて、及腰(およびごし)に、高慢な顔色(かおつき)で内を透(すか)し、
「かりん糖でござい、評判のかりん糖!」と節をつけて、
「雨が降ってもかりかりッ、」
 どんなものだ、これならば顕(あらわ)れよう、弥吉は菊枝とお縫とが居ない振(ふり)でかつぐのだと思うから、笑い出すか、噴き出すか、くすくす遣(や)るか、叱るかと、ニヤニヤ独(ひとり)で笑いながら、耳を澄(すま)したけれども沙汰(さた)がない、時計の音が一分ずつ柱を刻んで、潮(うしお)の退(ひ)くように鉄瓶の沸(に)え止(や)む響(ひびき)、心着けば人気勢(ひとけはい)がしないのである。
「可笑(おか)しいな、」と独言(ひとりごと)をしたが、念晴しにもう一ツ喚(わめ)いてみた。
「へい、かりん糖でござい。」
 それでも寂寞(ひっそり)、気のせいか灯(あかり)も陰気らしく、立ってる土間は暗いから、嚔(くさめ)を仕損なったような変な目色(めつき)で弥吉は飛込んだ時とは打って変り、ちと悄気(しょげ)た形で格子戸を出たが、後を閉めもせず、そのままには帰らないで、溝伝いにちょうど戸外(おもて)に向った六畳の出窓の前へ来て、背後向(うしろむき)に倚(よ)りかかって、前後(あとさき)を※(「目+句」、第4水準2-81-91)(みまわ)して、ぼんやりする。
 がらがらと通ったのは三台ばかりの威勢の可(よ)い腕車(くるま)、中に合乗(あいのり)が一台。
「ええ、驚かしゃあがるな。」と年紀(とし)には肖(に)ない口を利いて、大福餅が食べたそうに懐中(ふところ)に手を入れて、貧乏ゆるぎというのを行(や)る。
 処へ入乱れて三四人の跫音(あしおと)、声高にものを言い合いながら、早足で近(ちかづ)いて、江崎の前へ来るとちょっと淀(よど)み、
「どうもお嬢さん難有(ありがと)うございました。」こういったのは豆腐屋の女房(かみさん)で、
「飛んだお手数でしたね。」
「お蔭様だ。」と留(とめ)という紺屋の職人が居る、魚勘(うおかん)の親仁(おやじ)が居る、いずれも口々。
 中に挟(はさま)ったのが看護婦のお縫で、
「どういたしまして、誰方(どなた)も御苦労様、御免なさいまし。」
「さようなら。」
「お休み。」
 互に言葉を交(かわ)したが、連(つれ)の三人はそれなり分れた。
 ちょっと彳(たたず)んで見送るがごとくにする、お縫は縞物(しまもの)の不断着に帯をお太鼓にちゃんと結んで、白足袋を穿(は)いているさえあるに、髪が夜会結(やかいむすび)。一体ちょん髷(まげ)より夏冬の帽子に目を着けるほどの、土地柄に珍しい扮装(なり)であるから、新造の娘とは知っていても、称(とな)えるにお嬢様をもってする。
 お縫は出窓の処に立っている弥吉には目もくれず、踵(くびす)を返すと何か忙(せわ)しらしく入ろうとしたが、格子も障子も突抜けに開(あけ)ッ放し。思わず猶予(ためら)って振返った。
「お帰んなさい。」
「おや、待乳屋さんの、」と唐突(だしぬけ)に驚く間もあらせず、
「菊枝さんはどうしました。」
「お帰んなすったんですか。」
 いささか見当が違っている。
「病気揚句だしもうお帰んなさいって、へい、迎いに来たんで。」
「どうかなさいましたか。」と深切なものいいで、門口(かどぐち)に立って尋ねるのである。
 小僧は息をはずませて、
「一所に出懸けたんじゃあないの。」
「いいえ。」


     柳行李

       三

「へい、おかしいな、だって内にゃあ居ませんぜ。」
「なに居ないことがありますか、かつがれたんでしょう、呼んで見たのかね。」
「呼びました、喚(わめ)いたんで、かりん糖の仮声(こわいろ)まで使ったんだけれど。」
 お縫は莞爾(にっこり)して、
「そんな串戯(じょうだん)をするから返事をしないんだよ。まあお入んなさい、御苦労様でした。」と落着いて格子戸を潜(くぐ)ったが、土間を透(すか)すと緋(ひ)の天鵝絨(とうてん)の緒の、小町下駄を揃えて脱いであるのに屹(きっ)と目を着け、
「御覧、履物があるじゃあないか、何を慌ててるんだね。」
 弥吉は後について首を突込(つっこ)み、
「や、そいつあ気がつかなかったい。」
「今日はね河岸(かし)へ大層着いたそうで、鮪(まぐろ)の鮮(あたら)しいのがあるからお好(すき)な赤いのをと思って菊(きい)ちゃんを一人ぼっちにして、角の喜の字へ行(ゆ)くとね、帰りがけにお前、」と口早に話しながら、お縫は上框(あがりがまち)の敷居の処でちょっと屈(かが)み、件(くだん)の履物を揃えて、
「何なんですよ、蘆(あし)の湯の前まで来ると大勢立ってるんでしょう、恐しく騒いでるから聞いてみると、銀次さん許(とこ)の、あの、刺青(ほりもの)をしてるお婆さんが湯気に上(あが)ったというものですから、世話をしてね、どうもお待遠様でした。」
 と、襖(ふすま)を開けてその六畳へ入ると誰も居ない、お縫は少しも怪しむ色なく、
「堪忍して下さい。だもんですから、」ずっと、長火鉢の前を悠々と斜(はす)に過ぎ、帯の間へ手を突込(つっこ)むと小さな蝦蟇口(がまぐち)を出して、ちゃらちゃらと箪笥(たんす)の上に置いた。門口(かどぐち)の方を透(すか)して、
「小僧さん、まあお上り、菊枝さん、きいちゃん。」と言って部屋の内を※(「目+句」、第4水準2-81-91)(みまわ)すと、ぼんぼん時計、花瓶の菊、置床の上の雑誌、貸本が二三冊、それから自分の身体(からだ)が箪笥の前にあるばかり。
 はじめて怪訝(おかし)な顔をした。
「おや、きいちゃん。」
「居やあしねえや。」と弥吉は腹ン這(ばい)になって、覗(のぞ)いている。
「弥吉どん。本当に居ないですか、菊ちゃん。」とお縫は箪笥に凭懸(よりかか)ったまま、少し身を引いて三寸ばかり開(あ)いている襖、寝間にしておく隣の長(なが)四畳のその襖に手を懸けたが、ここに見えなければいよいよ菊枝が居ないのに極(きま)るのだと思うから、気がさしたと覚しく、猶予(ためら)って、腰を据えて、筋の緊(しま)って来る真顔は淋しく、お縫は大事を取る塩梅(あんばい)に密(そっ)と押開けると、ただ中古(ちゅうぶる)の畳なり。
「あれ、」といいさまつかつかと入ったが、慌(あわただ)しく、小僧を呼んだ。
「おっ、」と答えて弥吉は突然(いきなり)飛込んで、
「どう、どう。」
「お待ちなさいよ、いえね、弥吉どん、お前来る途(みち)で逢違(あいちが)いはしないだろうね、履物はあるし、それにしちゃあ、」
 呼び上げておきながら取留めたことを尋ねるまでもなく、お縫は半ば独言(ひとりごと)。蓋(ふた)のあいた柳行李(やなぎごうり)の前に立膝になり、ちょっと小首を傾けて、向うへ押して、ころりと、仰向けに蓋を取って、右手を差入れて底の方から擡(もた)げてみて、その手を返して、畳んだ着物を上から二ツ三ツ圧(おさ)えてみた。
「お嬢さん、盗賊(どろぼう)?」と弥吉は耐(たま)りかねて頓興(とんきょう)な声を出す。
「待って頂戴。」
 お縫は自らおのが身を待たして、蓋を引いたままじっとして勝手許(かってもと)に閉(しま)っている一枚の障子を、その情の深い目で瞶(みつ)めたのである。

       四

「弥吉どん。」
「へい、」
「おいで、」と言うや否や、ずいと立って件(くだん)の台所(だいどこ)の隔ての障子。
 柱に掴(つかま)って覗(のぞ)いたから、どこへおいでることやらと、弥吉はうろうろする内に、お縫は裾(すそ)を打って、ばたばたと例の六畳へ取って返した。
 両三度あちらこちら、ものに手を触れて廻ったが、台洋燈(だいランプ)を手に取るとやがてまた台所。
 その袂(たもと)に触れ、手に触り、寄ったり、放れたり、筋違(すじちがい)に退(の)いたり、背後(うしろ)へ出たり、附いて廻って弥吉は、きょろきょろ、目ばかり煌(きらめ)かして黙然(だんまり)で。
 お縫は額さきに洋燈(ランプ)を捧げ、血が騒ぐか細おもての顔を赤うしながら、お太鼓の帯の幅ったげに、後姿で、すっと台所へ入った。
 と思うと、湿(しめり)ッけのする冷い風が、颯(さっ)と入り、洋燈の炎尖(ほさき)が下伏(したぶし)になって、ちらりと蒼(あお)く消えようとする。
 はっと袖で囲ってお縫は屋根裏を仰ぐと、引窓が開(あ)いていたので、煤(すす)で真黒(まっくろ)な壁へ二条(ふたすじ)引いた白い縄を、ぐいと手繰ると、かたり。
 引窓の閉まる拍子に、物音もせず、五分(ぶ)ばかりの丸い灯は、口金から根こそぎ殺(そ)いで取ったように火屋(ほや)の外へふッとなくなる。
「厭(いや)だ、消しちまった。」
 勝手口は見通しで、二十日に近い路地の月夜、どうしたろう、ここの戸は閉(しま)っておらず、右に三軒、左に二軒、両側の長屋はもう夜中で、明(あかる)い屋根あり、暗い軒あり、影は溝板(どぶいた)の処々、その家もここも寂寞(ひっそり)して、ただ一つ朗かな蚯蚓(みみず)の声が月でも聞くと思うのか、鳴いている。
 この裏を行抜(ゆきぬ)けの正面、霧の綾(あや)も遮らず目の届く処に角が立った青いものの散(ちらば)ったのは、一軒飛離れて海苔粗朶(のりそだ)の垣を小さく結った小屋で剥(む)く貝の殻で、その剥身(むきみ)屋のうしろに、薄霧のかかった中は、直ちに汽船の通う川である。
 ものの景色はこれのみならず、間近な軒のこっちから棹(さお)を渡して、看護婦が着る真白(まっしろ)な上衣(うわぎ)が二枚、しまい忘れたのが夜干(よぼし)になって懸(かか)っていた。
「お化(ばけ)。」
「ああ、」とばかり、お縫は胸のあたりへ颯(さっ)と月を浴びて、さし入る影のきれぎれな板敷の上へ坐ってしまうと、
「灯(あかり)を消しましたね。」とお化の暢気(のんき)さ。


     橋ぞろえ

        五

「さあ、おい、起きないか起きないか、石見橋(いわみばし)はもう越した、不動様の前あたりだよ、直(すぐ)に八幡様(はちまんさま)だ。」と、縞(しま)の羽織で鳥打を冠(かぶ)ったのが、胴の間(ま)に円くなって寝ている黒の紋着(もんつき)を揺り起す。
 一行三人の乗合(のりあい)で端に一人仰向(あおむ)けになって舷(ふなばた)に肱(ひじ)を懸けたのが調子低く、
佃(つくだ)々と急いで漕(こ)げば、
  潮がそこりて艪(ろ)が立たぬ。
 と口吟(くちずさ)んだ。
 けれども実際この船は佃をさして漕ぐのではない。且つ潮がそこるどころの沙汰ではない。昼過(ひるすぎ)からがらりと晴上って、蛇の目の傘(からかさ)を乾かすような月夜になったが、昨夜(ゆうべ)から今朝へかけて暴風雨(あらし)があったので、大川は八分(ぶ)の出水、当深川の川筋は、縦横曲折至る処、潮、満々と湛(たた)えている、そして早船乗(はやぶねのり)の頬冠(ほおかぶり)をした船頭は、かかる夜(よ)のひっそりした水に声を立てて艪をぎいーぎい。
 砂利船、材木船、泥船などをひしひしと纜(もや)ってある蛤町(はまぐりちょう)の河岸を過ぎて、左手に黒い板囲い、※(丸サ、1-12-69)※[#丸大、418-5]※[#「重なった「へ」/一」、屋号を示す記号、418-5]と大きく胡粉(ごふん)で書いた、中空に見上げるような物置の並んだ前を通って、蓬莱橋(ほうらいばし)というのに懸(かか)った。
 月影に色ある水は橋杭(はしぐい)を巻いてちらちらと、畝(うね)って、横堀に浸した数十本の材木が皆動く。
「とっさんここいらで、よく釣ってるが何が釣れる。」
 船顎、
「沙魚(はぜ)に鯔子(おぼこ)が釣れます。」
「おぼこならば釣れよう。」と縞の羽織が笑うと、舷に肱をついたのが向直って、
「何あてになるものか。」
「遣(や)って御覧(ごろう)じろ。」と橋の下を抜けると、たちまち川幅が広くなり、土手が著しく低くなって、一杯の潮は凸(なかだか)に溢(あふ)れるよう。左手(ゆんで)は洲(す)の岬(みさき)の蘆原(あしはら)まで一望渺(びょう)たる広場(ひろっぱ)、船大工の小屋が飛々(とびとび)、離々たる原上の秋の草。風が海手からまともに吹きあてるので、満潮の河心へ乗ってるような船はここにおいて大分揺れる。
「釣れる段か、こんな晩にゃあ鰻(うなぎ)が船の上を渡り越すというくらいな川じゃ。」と船頭は意気頗(すこぶ)る昂(あが)る。
「さあ、心細いぞ。」
「一体この川は何という。」
「名はねえよ。」
「何とかありそうなものだ。」
「石見橋なら石見橋、蓬莱橋なら蓬莱橋、蛤町の河岸なら蛤河岸さ、八幡前、不動前、これが富岡門前の裏になります。」という時、小曲(こまがり)をして平清(ひらせい)の植込の下なる暗い処へ入って蔭になった。川面(かわづら)はますます明(あかる)い、船こそ数多(あまた)あるけれども動いているのはこの川にこれただ一艘(そう)。
「こっちの橋は。」
 間近く虹(にじ)のごとく懸(かか)っているのを縞の羽織が聞くと、船頭の答えるまでもなく紋着が、
「汐見橋(しおみばし)。」
「寂(さみ)しいな。」
 この処の角にして船が弓なりに曲った。寝息も聞えぬ小家(こいえ)あまた、水に臨んだ岸にひょろひょろとした細くって低い柳があたかも墓へ手向けたもののように果敢(はか)なく植わっている。土手は一面の蘆で、折しも風立って来たから颯(さっ)と靡(なび)き、颯と靡き、颯と靡く反対の方へ漕いで漕いで進んだが、白珊瑚(しろさんご)の枝に似た貝殻だらけの海苔粗朶(のりそだ)が堆(うずたか)く棄ててあるのに、根を隠して、薄ら蒼(あお)い一基の石碑が、手の届きそうな処に人の背よりも高い。

       六

「おお、気味悪い。」と舷(ふなばた)を左へ坐りかわった縞(しま)の羽織は大いに悄気(しょげ)る。
「とっさん、何だろう。」
「これかね、寛政子年(ねどし)の津浪(つなみ)に死骸(しがい)の固(かたま)っていた処だ。」
 正面に、
葛飾郡(かつしかごおり)永代築地
 と鐫(え)りつけ、おもてから背後(うしろ)へ草書(はしりがき)をまわして、
 此処(このところ)寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、此の後高波の変はかりがたく、溺死(できし)の難なしというべからず、是(これ)に寄りて西入船町を限り、東吉祥寺前に至るまで凡(およ)そ長さ二百八十間余の所、家居(いえい)取払い空地となし置くものなり。
 と記して傍(かたわら)に、寛政六年甲寅(きのえとら)十二月 日とある石の記念碑である。
「ほう、水死人の、そうか、謂(い)わば土左衛門塚。」
「おっと船中にてさようなことを、」と鳥打はつむりを縮(すく)めて、
「や!」
 響くは凄(すさま)じい水の音、神川橋の下を潜(くぐ)って水門を抜けて矢を射るごとく海に注ぐ流(ながれ)の声なり。
「念入(ねんいり)だ、恐しい。」と言いながら、寝返(ねがえり)の足で船底を蹴ったばかりで、未(いま)だに生死(しょうじ)のほども覚束(おぼつか)ないほど寝込んでいる連(つれ)の男をこの際、十万の味方と烈(はげ)しく揺動かして、
「起きないか起きないか、酷(ひど)く身に染みて寒くなった。」
 やがて平野橋、一本(ひともと)二本蘆の中に交(まじ)ったのが次第に洲崎のこの辺(あたり)土手は一面の薄原(すすきばら)、穂の中から二十日近くの月を遠く沖合の空に眺めて、潮が高いから、人家の座敷下の手すりとすれずれの処をゆらりと漕いだ、河岸についてるのは川蒸汽で縦に七艘(そう)ばかり。
「ここでも人ッ子を見ないわ。」
「それでもちっとは娑婆(しゃば)らしくなった。」
「娑婆といやあ、とっさん、この辺で未通子(おぼこ)はどうだ。」と縞の先生活返(いきかえ)っていやごとを謂う。
「どうだどころか、もしお前さん方、この加賀屋じゃ水から飛込む魚(うお)を食べさせるとって名代(なだい)だよ。」
「まずそこらで可(よ)し、船がぐらぐらと来て鰻の川渡りは御免蒙(こうむ)る。」
「ここでは欄干(てすり)から這込(はいこ)みます。」
「まさか。」
「いや何ともいえない、青山辺じゃあ三階へ栗が飛込むぜ。」
「大出来!」
 船頭も哄(どっ)と笑い、また、
佃々と急いで漕げば、
  潮がそこりて艪が立たぬ。
 程なく漕ぎ寄せたのは弁天橋であった、船頭は舳(へさき)へ乗(のり)かえ、棹(さお)を引いて横づけにする、水は船底を嘗(な)めるようにさらさらと引いて石垣へだぶり。
「当りますよ。」
「活きてるか、これ、」
 二度まで揺(ゆす)られても人心地のないようだった一名は、この時わけもなくむっくと起きて、真先(まっさき)に船から出たのである。
「待て、」といいつつ両人、懐をおさえ、褄(つま)を合わせ、羽織の紐(ひも)を〆(し)めなどして、履物を穿(は)いてばたばたと陸(おか)へ上(あが)って、一団(ひとかたまり)になると三人言い合せたように、
「寒い。」
「お静(しずか)に。」といって、船頭は何か取ろうとして胴の間の処へ俯向(うつむ)く。
 途端であった。
 耳許(みみもと)にドンと一発、船頭も驚いてしゃっきり立つと、目の前(さき)へ、火花が糸を引いて※(ぱっ)[#「火+發」、422-15]と散って、川面(かわづら)で消えたのが二ツ三ツ、不意に南京(なんきん)花火を揚げたのは寝ていたかの男である。
 斉(ひと)しく左右へ退(の)いて、呆気(あっけ)に取られた連(つれ)の両人(ふたり)を顧みて、呵々(からから)と笑ってものをもいわず、真先(まっさき)に立って、
 鞭声(べんせい)粛々!――


     題目船

       七

「何じゃい。」と打棄(うっちゃ)ったように忌々(いまいま)しげに呟(つぶや)いて、頬冠(ほおかぶり)を取って苦笑(にがわらい)をした、船頭は年紀(とし)六十ばかり、痩(や)せて目鼻に廉(かど)はあるが、一癖も、二癖も、額、眦(まなじり)、口許(くちもと)の皺(しわ)に隠れてしおらしい、胡麻塩(ごましお)の兀頭(はげあたま)、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居(ひとりずまい)の、七兵衛という親仁(おやじ)である。
 七兵衛――この船頭ばかりは、仕事の了(しまい)にも早船をここへ繋(つな)いで戻りはせぬ。
 毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返(ひっかえ)してかの石碑の前を漕(こ)いで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木に纜(もや)っておいて上(あが)るのが例(ならい)で、風雨の烈(はげ)しい晩、休む時はさし措(お)き、年月夜ごとにきっとである。
 且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、法華経第十六寿量品(じゅりょうぼん)の偈(げ)、自我得仏来(じがとくぶつらい)というはじめから、速成就仏身(そくじょうじゅぶつしん)とあるまでを幾度(いくたび)となく繰返す。連夜の川施餓鬼(かわせがき)は、善か悪か因縁があろうと、この辺では噂(うわさ)をするが、十年は一昔、二昔も前から七兵衛を知ってるものも別に仔細(しさい)というほどのことを見出さない。本人も語らず、またかかる善根功徳、人が咎(とが)めるどころの沙汰(さた)ではない、もとより起居に念仏を唱える者さえある、船で題目を念ずるに仔細は無かろう。
 されば今宵(こよい)も例に依って、船の舳(へさき)を乗返した。
 腰を捻(ひね)って、艪柄(ろづか)を取って、一ツおすと、岸を放れ、
「ああ、良(い)い月だ、妙法蓮華経如来(みょうほうれんげきょうにょらい)寿量品第十六自我得仏来、所経諸劫数(しょきょうしょごうすう)、無量百千万億載阿僧祇(むりょうひゃくせんまんおくさいあそうぎ)、」と誦(じゅ)しはじめた。風も静(しずか)に川波の声も聞えず、更け行(ゆ)くにつれて、三押(みおし)に一度、七押に一度、ともすれば響く艪の音かな。
「常説法教化無数億衆生爾来無量劫(じょうせっぽうきょうげむすうおくしゅじょうじらいむりょうごう)。」
 法(のり)の声は、蘆(あし)を渡り、柳に音ずれ、蟋蟀(きりぎりす)の鳴き細る人の枕に近づくのである。
 本所ならば七不思議の一ツに数えよう、月夜の題目船(だいもくぶね)、一人船頭。界隈(かいわい)の人々はそもいかんの感を起す。苫家(とまや)、伏家(ふせや)に灯(ともしび)の影も漏れない夜(よ)はさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児(みどりご)、盲目(めくら)の媼(おうな)、継母、寄合身上(よりあいしんしょう)で女ばかりで暮すなど、哀(あわれ)に果敢(はか)ない老若男女(ろうにゃくなんにょ)が、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る世の中のことではあるまい。
 髯(ひげ)ある者、腕車(くるま)を走らす者、外套(がいとう)を着たものなどを、同一(おなじ)世に住むとは思わず、同胞(はらから)であることなどは忘れてしまって、憂きことを、憂しと識別することさえ出来ぬまで心身ともに疲れ果てたその家この家に、かくまでに尊い音楽はないのである。
「衆生既信伏質直意柔軟(しゅじょうきしんぷくしちじきいにゅうなん)、一心欲見仏(いっしんよくけんぶつ)、不自惜身命(ふじじゃくしんみょう)、」と親仁は月下に小船を操る。
 諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占(つじうら)というのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へ懸(かか)った。
 いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記すのにちっとも縁がないのではない。
 幕府の時分旗本であった人の女(むすめ)で、とある楼(うち)に身を沈めたのが、この近所に長屋を持たせ廓(くるわ)近くへ引取って、病身な母親と、長煩いで腰の立たぬ父親とを貢いでいるのがあった。

       八

 少なからぬ借金で差引かれるのが多いのに、稼高(かせぎだか)の中から渡される小遣(こづかい)は髪結(かみゆい)の祝儀にも足りない、ところを、たといおも湯にしろ両親が口を開けてその日その日の仕送(しおくり)を待つのであるから、一月と纏(まと)めてわずかばかりの額ではないので、毎々借越(かりこし)にのみなるのであったが、暖簾名(のれんな)の婦人(おんな)と肩を並べるほど売れるので、内証で悪(にく)い顔もしないで無心に応じてはいたけれども、応ずるは売れるからで、売るのには身をもって勤めねばならないとか。
 いかに孝女でも悪所において斟酌(しんしゃく)があろうか、段々身体(からだ)を衰えさして、年紀(とし)はまだ二十二というのに全盛の色もやや褪(あ)せて、素顔では、と源平の輩(やから)に遠慮をするようになると、二度三度、月の内に枕が上らない日があるようになった。
 扱帯(しごき)の下を氷で冷すばかりの容体を、新造(しんぞ)が枕頭(まくらもと)に取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭(てぬぐい)で汗を拭(ふ)く度に肉が殺(そ)げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は御全盛のお庇(かげ)に、と小刀針(こがたなばり)で自分が使う新造(もの)にまでかかることを言われながら、これにはまた立替えさしたのが、控帳についてるので、悔しい口も返されない。
 という中にも、随分気の確(たしか)な女、むずかしく謂えば意志が強いという質(たち)で、泣かないが蒼(あお)くなる風だったそうだから、辛抱はするようなものの、手元が詰(つま)るに従うて謂うまじき無心の一つもいうようになると、さあ鰌(どじょう)は遁(にげ)る、鰻(うなぎ)は辷(すべ)る、お玉杓子(たまじゃくし)は吃驚(びっくり)する。
 河岸は不漁(しけ)で、香のある鯛(たい)なんざ、廓(さと)までは廻らぬから、次第々々に隙(ひま)にはなる、融通は利かず、寒くはなる、また暑くはなる、年紀(とし)は取る、手拭は染めねばならず、夜具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠(しかけ)の色は変えねばならず、茶は切れる、時計は留(とま)る、小間物屋は朝から来る、朋輩は落籍(ひく)のがある、内証では小児(こども)が死ぬ、書記の内へ水がつく、幇間(たいこもち)がはな会をやる、相撲が近所で興行する、それ目録だわ、つかいものだ、見舞だと、つきあいの雑用(ぞうよう)を取るだけでも、痛む腹のいいわけは出来ない仕誼(しぎ)。
 随分それまでにもかれこれと年季を増して、二年あまりの地獄の苦(くるしみ)がフイになっている上へ、もう切迫(せっぱ)と二十円。
 盆のことで、両親の小屋へ持って行って、ものをいう前にまず、お水(ひや)を一口という息切(いきぎれ)のする女(むすめ)が、とても不可(いけ)ません、済(すま)ないこッてすがせめてお一人だけならばと、張(はり)も意気地もなく母親の帯につかまって、別際(わかれぎわ)に忍泣(しのびなき)に泣いたのを、寝ていると思った父親が聞き取って、女(むすめ)が帰って明くる日も待たず自殺した。
 報知(しらせ)を聞くと斉(ひと)しく、女(むすめ)は顔の色が変って目が窪(くぼ)んだ、それなりけり。砂利へ寝かされるような蒲団(ふとん)に倒れて、乳房の下に骨が見える煩い方。
 肺病のある上へ、驚いたがきっかけとなって心臓を痛めたと、医者が匙(さじ)を投げてから内証は証文を巻いた、但し身附の衣類諸道具は編笠一蓋(あみがさいっかい)と名づけてこれをぶったくり。
 手当も出来ないで、ただ川のへりの長屋に、それでも日の目が拝めると、北枕に水の方へ黒髪を乱して倒れている、かかる者の夜更けて船頭の読経を聞くのは、どんなに悲しかろう、果敢(はか)なかろう、情(なさけ)なかろう、また嬉しかろう。
「妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇。」と誦(じゅ)するのが、いうべからざる一種の福音を川面(かわづら)に伝えて渡った、七兵衛の船は七兵衛が乗って漂々然。

       九

 蓬莱橋は早や見える、折から月に薄雲がかかったので、野も川も、船頭と船とを淡く残して一面に白み渡った、水の色は殊にやや濁(にごり)を帯びたが、果(はて)もなく洋々として大河のごとく、七兵衛はさながら棲息(せいそく)して呼吸するもののない、月世界の海を渡るに斉(ひと)しい。
「妙法蓮華経如来寿量品。」と繰返したが、聞くものの魂が舷(ふなばた)のあたりにさまようような、ものの怪(け)が絡(まつわ)ったか。烏が二声ばかり啼(な)いて通った。七兵衛は空を仰いで、
「曇って来た、雨返しがありそうだな、自我得仏来所経、」となだらかにまた頓着(とんじゃく)しない、すべてのものを忘れたという音調で誦(じゅ)するのである。
 船は水面を横に波状動を起して、急に烈(はげ)しく揺れた。
 読経をはたと留め、
「やあ、やあ、かしが、」と呟(つぶや)きざま艫(とも)を左へ漕(こ)ぎ開くと、二条(ふたすじ)糸を引いて斜(ななめ)に描かれたのは電(いなづま)の裾(すそ)に似たる綾(あや)である。
 七兵衛は腰を撓(た)めて、突立(つった)って、逸疾(いちはや)く一間ばかり遣違(やりちが)えに川下へ流したのを、振返ってじっと瞶(みつ)め、
「お客様だぜ、待て、妙法蓮華経如来寿量品第十六。」と忙(せわ)しく張上げて念じながら、舳(へさき)を輪なりに辷(すべ)らして中流で逆に戻して、一息ぐいと入れると、小波(さざなみ)を打乱す薄月に影あるものが近(ちかづ)いて、やがて舷にすれすれになった。
 飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭(しらがあたま)を左右に振ったが、突然(いきなり)水中へ手を入れると、朦朧(もうろう)として白く、人の寝姿に水の懸(かか)ったのが、一揺(ゆれ)静(しずか)に揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波(ひとなみ)浴(あび)せたが、あわよく手先がかかったから、船は人とともに寄って死骸に密接することになった。
 無意識に今掴(つか)んだのは、ちょうど折曲げた真白(まっしろ)の肱(ひじ)の、鍵形(かぎなり)に曲った処だったので、
「しゃっちこばッたな、こいつあ日なしだ。」
 とそのまま乱暴に引上げようとすると、少しく水を放れたのが、柔かに伸びそうな手答(てごたえ)があった。
「どッこい。」驚いて猿臂(えんぴ)を伸(のば)し、親仁(おやじ)は仰向(あおむ)いて鼻筋に皺(しわ)を寄せつつ、首尾よく肩のあたりへ押廻して、手を潜(くぐ)らし、掻い込んで、ずぶずぶと流(ながれ)を切って引上げると、びっしょり舷へ胸をのせて、俯向(うつむ)けになったのは、形も崩れぬ美しい結綿(ゆいわた)の島田髷(まげ)。身を投げて程も無いか、花がけにした鹿(か)の子の切(きれ)も、沙魚(はぜ)の口へ啣(くは)え去られないで、解(ほど)けて頸(うなじ)から頬の処へ、血が流れたようにベッとりとついている。
 親仁は流に攫(さら)われまいと、両手で、その死体の半(なかば)はいまだ水に漂っているのをしっかり押えながら、わなわなと震えて早口に経を唱えた。
 けれどもこれは恐れたのでも驚いたのでもなかったのである。助かるすべもありそうな、見た処の一枝の花を、いざ船に載せて見て、咽喉(のど)を突かれてでも、居はしまいか、鳩尾(みずおち)に斬(き)ったあとでもあるまいか、ふと愛惜(あいじゃく)の念盛(さかん)に、望(のぞみ)の糸に縋(すが)りついたから、危ぶんで、七兵衛は胸が轟(とどろ)いて、慈悲の外何の色をも交えぬ老(おい)の眼(まなこ)は塞(ふさ)いだ。
 またもや念ずる法華経の偈(げ)の一節(ひとふし)。
 やがて曇った夜の色を浴びながら満水して濁った川は、どんと船を突上げたばかりで、忘れたようにその犠(にえ)を七兵衛の手に残して、何事もなく流れ流るる。


     衣の雫

       十

 待乳屋の娘菊枝は、不動の縁日にといって内を出た時、沢山ある髪を結綿(ゆいわた)に結っていた、角絞(つのしぼ)りの鹿(か)の子の切(きれ)、浅葱(あさぎ)と赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服(きもの)は薄お納戸の棒縞(ぼうじま)糸織の袷(あわせ)、薄紫の裾(すそ)廻し、唐繻子(とうじゅす)の襟を掛(かけ)て、赤地に白菊の半襟、緋鹿(ひが)の子の腰巻、朱鷺色(ときいろ)の扱帯(しごき)をきりきりと巻いて、萌黄繻子(もえぎじゅす)と緋の板じめ縮緬(ちりめん)を打合せの帯、結目(むすびめ)を小さく、心(しん)を入れないで帯上(おびあげ)は赤の菊五郎格子、帯留(おびどめ)も赤と紫との打交ぜ、素足に小町下駄を穿(は)いてからからと家(うち)を。
 一体三味線(さみせん)屋で、家業柄出入るものにつけても、両親は派手好(はでずき)なり、殊に贔屓俳優(ひいきやくしゃ)の橘之助の死んだことを聞いてから、始終くよくよして、しばらく煩ってまでいたのが、その日は誕生日で、気分も平日(いつ)になく好(い)いというので、髪も結って一枚着換えて出たのであった。
 小町下駄は、お縫が許(とこ)の上框(あがりがまち)の内に脱いだままで居なくなったのであるから、身を投げた時は跣足(はだし)であった。
 履物が無かったばかり、髪も壊れず七兵衛が船に助けられて、夜(よ)があけると、その扱帯もその帯留も、お納戸の袷も、萌黄と緋の板締(いたじめ)の帯も、荒縄に色を乱して、一つも残らず、七兵衛が台所にずらりと懸(かか)って未(いま)だ雫(しずく)も留まらないで、引窓から朝霧の立ち籠(こ)む中に、しとしとと落ちて、一面に朽ちた板敷を濡(ぬら)しているのは潮の名残(なごり)。
 可惜(あたら)、鼓のしらべの緒にでも干す事か、縄をもって一方から引窓の紐にかけ渡したのは無慙(むざん)であるが、親仁(おやじ)が心は優しかった。
 引窓を開けたばかりわざと勝手の戸も開けず、門口(かどぐち)も閉めたままで、鍋(なべ)をかけた七輪の下を煽(あお)ぎながら、大入だの、暦(こよみ)だの、姉さんだのを張交ぜにした二枚折の枕屏風(まくらびょうぶ)の中を横から振向いて覗(のぞ)き込み、
「姉(ねえ)や、気分はどうじゃの、少し何かが解(わか)って来たか、」
 と的面(まとも)にこっちを向いて、眉の優しい生際(はえぎわ)の濃い、鼻筋の通ったのが、何も思わないような、しかも限りなき思(おもい)を籠めた鈴のような目を瞠(みは)って、瓜核形(うりざねなり)の顔ばかり出して寝ているのを視(なが)めて、大口を開(あ)いて、
「あはは、あんな顔をして罪のない、まだ夢じゃと思うそうだ。」
 菊枝は、硫黄(いおう)ヶ島の若布(わかめ)のごとき襤褸蒲団(ぼろぶとん)にくるまって、抜綿(ぬきわた)の丸(まろ)げたのを枕にしている、これさえじかづけであるのに、親仁が水でも吐(はか)したせいか、船へ上げられた時よりは髪がひっ潰(つぶ)れて、今もびっしょりで哀(あわれ)である、昨夜(ゆうべ)はこの雫の垂るる下で、死際の蟋蟀(きりぎりす)が鳴いていた。
 七兵衛はなおしおらしい目から笑(えみ)を溢(こぼ)して、
「やれやれ綺麗(きれい)な姉さんが台なしになったぞ。あてこともねえ、どうじゃ、切ないかい、どこぞ痛みはせぬか、お肚(なか)は苦しゅうないか。」と自分の胸を頑固な握拳(にぎりこぶし)でこツこツと叩いて見せる。
 ト可愛らしく、口を結んだまま、ようようこの時頭(かぶり)を振った。
「は、は、痛かあない、宜(い)いな、嬉しいな、可(よ)し、可し、そりゃこうじゃて。お前(めえ)、飛込んだ拍子に突然(いきなり)目でも廻したか、いや、水も少しばかり、丼に一杯吐いたか吐かぬじゃ。大したことはねえての、気さえ確(たしか)になれば整然(ちゃん)と治る。それからの、ここは大事ない処じゃ、婆(ばば)も猫も犬も居(お)らぬ、私(わし)一人じゃから安心をさっしゃい。またどんな仔細(しさい)がないとも限らぬが、少しも気遣(きづかい)はない、無理に助けられたと思うと気が揉(も)めるわ、自然天然と活返(いきかえ)ったとこうするだ。可いか、活返ったら夢と思って、目が覚めたら、」といいかけて、品のある涼しい目をまた凝視(みつ)め、
「これさ、もう夜があけたから夢ではない。」

       十一

 しばらくして菊枝が細い声、
「もし」
「や、産声(うぶごえ)を挙げたわ、さあ、安産、安産。」と嬉しそうに乗出して膝を叩く。しばらくして、
「ここはどこでございますえ。」とほろりと泣く。
 七兵衛は笑傾(えみかたむ)け、
「旨(うま)いな、涙が出ればこっちのものだ、姉(ねえ)や、ちっとは落着いたか、気が静まったか。」
「ここはどっちでしょう。」
「むむ、ここはな、むむ、」と独(ひとり)でほくほく。
「散々気を揉(も)んでお前(めえ)、ようようこっちのものだと思うと、何を言ってもただもうわなわな震えるばっかりで。弱らせ抜いたぜ。そっちから尋ねるようになれば占めたものだ。ここは佃町よ、八幡様の前を素直(まっすぐ)に蓬莱橋を渡って、広ッ場(ぱ)を越した処だ、可(い)いか、私(わし)は早船の船頭で七兵衛と謂(い)うのだ。」
「あの蓬莱橋を渡って、おや、そう、」と考える。
「そうよ、知ってるか、姉やは近所かい。」
「はい。……いいえ、」といってフト口をつぐんだ。船頭は胸で合点(がってん)して、
「まあ、可いや、お前(めえ)の許(とこ)は構わねえ、お前の方にさえ分れば可いわ、佃町を知っているかい。」
 ややあって、
「あの、いつか通った時、私くらいな年紀(とし)の、綺麗な姉さんが歩行(ある)いていなすった、あすこなんでしょう、そうでございますか。」
「待たッせよ、お前(めえ)くらいな年紀(とし)で、と、こうと十六七だな。」
「はあ、」
「十六七の阿魔(あま)はいくらも居るが、綺麗な姉さんはあんまりねえぜ。」
「いいえ、いますよ、丸顔のね、髪の沢山(たんと)ある、そして中形の浴衣を着て、赤い襦袢(じゅばん)を着ていました、きっとですよ。」
「待ちねえよ、赤い襦袢と、それじゃあ、お勘が家(とこ)に居る年明(ねんあき)だろう、ありゃお前(めえ)もう三十くらいだ。」
「いいえ、若いんです。」
 七兵衛天窓(あたま)を掻いて、
「困らせるの、年月も分らず、日も分らず、さっぱり見当が着かねえが、」と頗(すこぶ)る弱ったらしかったが、はたと膝を打って、
「ああああ居た居た、居たが何、ありゃ売物よ。」と言ったが、菊枝には分らなかった。けれども記憶を確めて安心をしたものと見え、
「そう、」と謂った声がうるんで、少し枕を動かすと、顔を仰向けにして、目を塞(ふさ)いだがまた涙ぐんだ。我に返れば、さまざまのこと、さまざまのことはただうら悲しきのみ、疑(うたがい)も恐(おそれ)もなくって泣くのであった。
 髪も揺(ゆら)めき蒲団も震うばかりであるから、仔細(しさい)は知らず、七兵衛はさこそとばかり、
「どうした、え、姉やどうした。」
 問慰(といなぐさ)めるとようよう此方(こなた)を向いて、
「親方。」
「おお、」
「起きましょうか。」
「何、起きる。」
「起きられますよ。」
「占めたな! お前(めえ)じっとしてる方が可いけれど、ちっとも構わねえけれど、起(おき)られるか、遣(や)ってみろ一番、そうすりゃしゃんしゃんだ。気さえ確(たしか)になりゃ、何お前案じるほどの容体じゃあねえんだぜ。」と、七兵衛は孫をつかまえて歩行(あんよ)は上手の格で力をつける。
 蒲団の外へは顔ばかり出していた、裾(すそ)を少し動かしたが、白い指をちらりと夜具の襟へかけると、顔をかくして、
「私、………」


     浅緑

       十二

「大事ねえ大事ねえ、水浸しになっていた衣服(きもの)はお前(めえ)あの通(とおり)だ、聞かっせえ。」
 時に絶えず音するは静(しずか)な台所の点滴(したたり)である。
「あんなものを巻着けておいた日にゃあ、骨まで冷抜(ひえぬ)いてしまうからよ、私(わし)が褞袍(どんつく)を枕許(まくらもと)に置いてある、誰も居ねえから起きるならそこで引被(ひっか)けねえ。」
 といったが克明な色面(おもて)に顕(あらわ)れ、
「おお、そして何よ、憂慮(きづかい)をさっしゃるな、どうもしねえ、何ともねえ、俺(おら)あ頸子(くびったま)にも手を触りやしねえ、胸を見な、不動様のお守札が乗っけてあら、そらの、ほうら、」
 菊枝は嬉しそうに血の気のない顔に淋しい笑(えみ)を含んだ。
「むむ、」と頷(うなず)いたがうしろ向(むき)になって、七兵衛は口を尖(とん)がらかして、鍋(なべ)の底を下から見る。
 屏風(びょうぶ)の上へ、肩のあたりが露(あらわ)れると、潮たれ髪はなお乾かず、動くに連れて柔かにがっくりと傾くのを、軽く振って、根を圧(おさ)えて、
「これを着ましょうかねえ。」
「洗濯をしたばかりだ、船虫は居ねえからよ。」
 緋鹿子(ひがのこ)の上へ着たのを見て、
「待(また)っせえ、あいにく襷(たすき)がねえ、私(わし)がこの一張羅の三尺じゃあ間に合うめえ! と、可(よ)かろう、合したものの上へ〆(し)めるんだ、濡れていても構うめえ、どッこいしょ。」
 七兵衛は※(「虫+奚」、第3水準1-91-59)※(「虫+斥」、第3水準1-91-53)(ばった)のような足つきで不行儀に突立(つった)つと屏風の前を一跨(ひとまたぎ)、直(すぐ)に台所へ出ると、荒縄には秋の草のみだれ咲(ざき)、小雨が降るかと霧かかって、帯の端衣服(きもの)の裾(すそ)をしたしたと落つる雫(しずく)も、萌黄(もえぎ)の露、紫の露かと見えて、慄然(ぞっ)とする朝寒(あささむ)。
 真中(まんなか)に際立って、袖も襟も萎(な)えたように懸(かか)っているのは、斧(よき)、琴、菊を中形に染めた、朝顔の秋のあわれ花も白地の浴衣である。
 昨夜(ゆうべ)船で助けた際、菊枝は袷(あわせ)の上へこの浴衣を着て、その上に、菊五郎格子の件(くだん)の帯上(おびあげ)を結んでいたので。
 謂(いわれ)は何かこれにこそと、七兵衛はその時から怪(あやし)んで今も真前(まっさき)に目を着けたが、まさかにこれが死神で、菊枝を水に導いたものとは思わなかったであろう。
 実際お縫は葛籠(つづら)の中を探して驚いたのもこれ、眉を顰(ひそ)めたのもこれがためであった。斧と琴と菊模様の浴衣こそ菊枝をして身を殺さしめた怪しの衣(きぬ)、女(むすめ)が歌舞伎の舞台でしばしば姿を見て寐覚(ねざめ)にも俤(おもかげ)の忘られぬ、あこがるるばかり贔屓(ひいき)の俳優(やくしゃ)、尾上橘之助が、白菊の辞世を読んだ時まで、寝返りもままならぬ、病(やまい)の床に肌につけた記念(かたみ)なのである。
 江崎のお縫は芳原の新造(しんぞ)の女(むすめ)であるが、心懸(こころがけ)がよくッて望んで看護婦になったくらいだけれども、橘之助に附添って嬉しくないことも無いのであった。
 しかるに重体の死に瀕(ひん)した一日、橘之助が一輪ざしに菊の花を活(い)けたのを枕頭(まくらもと)に引寄せて、かつてやんごとなき某(なにがし)侯爵夫人から領したという、浅緑(あさみどり)と名のある名香(めいこう)を、お縫の手で焚(た)いてもらい、天井から釣(つる)した氷嚢(ひょうのう)を取除(とりの)けて、空気枕に仰向けに寝た、素顔は舞台のそれよりも美しく、蒲団(ふとん)も掻巻(かいまき)も真白(まっしろ)な布をもって蔽(おお)える中に、目のふちのやや蒼(あお)ざめながら、額にかかる髪の艶(つや)、あわれうらわかき神のまぼろしが梨園を消えようとする時の風情。

       十三

 橘之助は垢(あか)の着かない綺麗な手を胸に置いて、香(こう)の薫(かおり)を聞いていたが、一縷(いちる)の煙は二条(ふたすじ)に細く分れ、尖(さき)がささ波のようにひらひらと、靡(なび)いて枕に懸(かか)った時、白菊の方に枕を返して横になって、弱々しゅう襟を左右に開いたのを、どうなさいます? とお縫が尋ねると、勿体ないが汗臭いから焚(た)き占めましょう、と病苦の中に謂(い)ったという、香の名残(なごり)を留めたのが、すなわちここに在る記念(かたみ)の浴衣。
 懐しくも床(ゆかし)さに、お縫は死骸の身に絡(まと)った殊にそれが肺結核の患者であったのを、心得ある看護婦でありながら、記念(かたみ)にと謂って強いて貰い受けて来て葛籠(つづら)の底深く秘め置いたが、菊枝がかねて橘之助贔屓(びいき)で、番附に記した名ばかり見ても顔色を変える騒(さわぎ)を知ってたので、昨夜、不動様の参詣(さんけい)の帰りがけ、年紀(とし)下ながら仲よしの、姉さんお内かい、と寄った折も、何は差置き橘之助の噂(うわさ)、お縫は見たままを手に取るよう。
 これこれこう、こういう浴衣と葛籠の底から取出すと、まあ姉さんと進むる膝、灯(あかり)とともに乗出す膝を、突合した上へ乗せ合って、その時はこういう風、仏におなりの前だから、優しいばかりか、目許(めもと)口付、品があって気高うてと、お縫が謂えば、ちらちらと、白菊の花、香の煙。
 話が嵩(こう)じて理に落ちて、身に沁(し)みて涙になると、お縫はさすがに心着いて、鮨(すし)を驕(おご)りましょうといって戸外(おもて)へ出たのが、葦(あし)の湯の騒ぎをつい見棄てかねて取合って、時をうつしていた間(ま)に、過世(すぐせ)の深い縁であろう、浅緑の薫のなお失(う)せやらぬ橘之助の浴衣を身につけて、跣足(はだし)で、亡き人のあとを追った。
 菊枝は屏風の中から、ぬれ浴衣を見てうっとりしている。
 七兵衛はさりとも知らず、
「どうじゃ〆(し)めるものはこの扱帯(しごき)が可(い)いかの。」
 じっと凝視(みつ)めたまま、
 だんまりなり。
「ぐるぐる巻(まき)にすると可い、どうだ。」
「はい取って下さいまし、」とやっといったが、世馴(よな)れず、両親(ふたおや)には甘やかされたり、大恩人に対し遠慮の無さ。
 七兵衛はそれを莞爾(にこ)やかに、
「そら、こいつあ単衣(ひとえ)だ、もう雫(しずく)の垂るようなことはねえ。」
 やがて、つくづくと見て苦笑い、
「ほほう生れかわって娑婆(しゃば)へ出たから、争われねえ、島田の姉さんがむつぎにくるまった形(なり)になった、はははは、縫上げをするように腕をこうぐいと遣(や)らかすだ、そう、そうだ、そこで坐った、と、何ともないか。」
「ここが痛うございますよ。」と両手を組違えに二の腕をおさえて、頭(つむり)が重そうに差俯向(さしうつむ)く。
「むむ、そうかも知れねえ、昨夜(ゆうべ)そうやってしっかり胸を抱いて死んでたもの。ちょうど痛むのは手の下になってた処よ。」
「そうでございますか、あの私はこうやって一生懸命に死にましたわ。」
「この女(こ)は! 一生懸命に身を投げる奴(やつ)があるものか、串戯(じょうだん)じゃあねえ、そして、どんな心持だった。」
「あの沈みますと、ぼんやりして、すっと浮いたんですわ、その時にこうやって少し足を縮めましたっけ、また沈みました、それからは知りませんよ。」
「やれやれ苦しかったろう。」
「いいえ、泣きとうございました。」


     記念ながら

       十四

 二ツ三ツ話の口が開(あ)けると老功の七兵衛ちっとも透(すか)さず、
「何しろ娑婆(しゃば)へ帰ってまず目出度(めでたい)、そこで嬰児(あかんぼ)は名は何と謂(い)う、お花か、お梅か、それとも。」
「ええ、」といいかけて菊枝は急に黙ってしまった。
 様子を見て、七兵衛は気を替えて、
「可(い)いや、まあそんなことは。ところで、粥(かゆ)が出来たが一杯どうじゃ、またぐっと力が着くぜ。」
「何にも喰べられやしませんわ。」と膠(にべ)の無い返事をして、菊枝は何か思出してまた潸然(さめざめ)とするのである。
「それも可いよ。はは、何か謂われると気に障って煩(うるさ)いな? 可いや、可いやお前になってみりゃ、盆も正月も一斉(いちどき)じゃ、無理はねえ。
 それでは御免蒙(こうむ)って、私(わし)は一膳(いちぜん)遣附(やッつ)けるぜ。鍋(なべ)の底はじりじりいう、昨夜(ゆうべ)から気を揉(も)んで酒の虫は揉殺したが、矢鱈(やたら)無性(むしょう)に腹が空いた。」と立ったり、居たり、歩行(ある)いたり、果(はて)は胡坐(あぐら)かいて能代(のしろ)の膳の低いのを、毛脛(けずね)へ引挟(ひっぱさ)むがごとくにして、紫蘇(しそ)の実に糖蝦(あみ)の塩辛(しおから)、畳み鰯(いわし)を小皿にならべて菜ッ葉の漬物堆(うずたか)く、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤(まっか)な顔をして、熱いのを、大きな五郎八茶碗(ごろはちぢゃわん)でさらさらと掻食(かっくら)って、掻食いつつ菊枝が支えかねたらしく夜具に額をあてながら、時々吐息を深くするのを、茶碗の上から流眄(ながしめ)に密(そっ)と見ぬように見て釣込まれて肩で呼吸(いき)。
 思出したように急がしく掻込(かっこ)んで、手拭(てぬぐい)の端(はじ)でへの字に皺(しわ)を刻んだ口の端(はた)をぐいと拭(ふ)き、差置いた箸(はし)も持直さず、腕を組んで傾いていたが、台所を見れば引窓から、門口(かどぐち)を見れば戸の透(すき)から、早や九時十時の日ざしである。このあたりこそ気勢(けはい)もせぬが、広場一ツ越して川端へ出れば、船の行交(ゆきか)い、人通り、烟突(えんとつ)の煙、木場の景色、遠くは永代、新大橋、隅田川の模様なども、同一(おんなじ)時刻の同一頃が、親仁(おやじ)の胸に描かれた。
「姉(ねえ)や、姉や、」と改めて呼びかけて、わずかに身を動かす背(そびら)に手を置き、
「道理じゃ、善(い)いにしろ、悪いにしろ、死のうとまで思って、一旦(いったん)水の中で引取ったほどの昨夜(ゆうべ)の今じゃ、何か話しかけられても、胸へ落着かねえでかえって頭痛でもしちゃあ悪いや、な。だから私(わし)あ何にも謂わねえ。
 一体昨夜(ゆうべ)お前(めえ)を助けた時、直ぐ騒ぎ立てればよ、汐見橋の際には交番もあるし、そうすりゃ助けようと思う念は届くしこっちの手は抜けるというもんだし、それに上を越すことは無かったが、いやいやそうでねえ、川へ落ちたか落されたかそれとも身を投げたか、よく見れば様子で知れらあ、お前は覚悟をしたものだ。
 覚悟をするには仔細(しさい)があろう、幸いことか悲しいことか、そこン処は分らねえが、死のうとまでしたものを、私(わし)が騒ぎ立って、江戸中知れ渡って、捕(つかま)っちゃあならねえものに捕るか、会っちゃあならねえものに会ったりすりゃ、余計な苦患(くげん)をさせるようなものだ。」七兵衛は口軽に、
「とこう思っての、密(そっ)と負(おぶ)って来て届かねえ介抱をしてみたが、いや半間(はんま)な手が届いたのもお前(めえ)の運よ、こりゃ天道様(てんとうさま)のお情(なさけ)というもんじゃ、無駄にしては相済まぬ。必ず軽忽(かるはずみ)なことをすまいぞ、むむ姉や、見りゃ両親(ふたおや)も居なさろうと思われら、まあよく考えてみさっせえ。
 そこで胸を静めてじっと腹を落着けて考えるに、私(わし)が傍(そば)に居ては気を取られてよくあるめえ、直ぐにこれから仕事に出て、蝸牛(まいまいつぶろ)の殻をあけるだ。可(よ)しか、桟敷(さじき)は一日貸切だぜ。」

       十五

「起きようと寝ようと勝手次第、お飯(まんま)を食べるなら、冷飯(おひや)があるから茶漬にしてやらっせえ、水を一手桶(ておけ)汲(く)んであら、可(い)いか、そしてまあ緩々(ゆっくり)と思案をするだ。
 思案をするじゃが、短気な方へ向くめえよ、後生だから一番方角を暗剣殺に取違えねえようにの、何とか分別をつけさっせえ。
 幸福(しあわせ)と親御の処へなりまた伯父御叔母御の処へなり、帰るような気になったら、私(わし)に辞儀も挨拶(あいさつ)もいらねえからさっさと帰りねえ、お前(めえ)が知ってるという蓬薬橋は、広場(ひろっぱ)を抜けると大きな松の木と柳の木が川ぶちにある、その間から斜向(はすかい)に向うに見えらあ、可いかい。
 また居ようと思うなら振方(ふりかた)を考えるまで二日でも三日でも居さっせえ、私(わし)ン処はちっとも案ずることはねえんだから。
 その内に思案して、明(あか)して相談をして可いと思ったら、謂(い)って見さっせえ、この皺面(しわづら)あ突出して成ることなら素(そ)ッ首は要らねえよ。
 私(わし)あしみじみ可愛くってならねえわ。
 それからの、ここに居る分にゃあうっかり外へ出めえよ、実は、」
 と声を密(ひそ)めながら、
「ここいらは廓外(くるわそと)で、お物見下のような処だから、いや遣手(やりて)だわ、新造(しんぞ)だわ、その妹だわ、破落戸(ごろつき)の兄貴だわ、口入宿(くちいれやど)だわ、慶庵だわ、中にゃあお前勾引(かどわかし)をしかねねえような奴等が出入(でいり)をすることがあるからの、飛んでもねえ口に乗せられたり、猿轡(さるぐつわ)を嵌(は)められたりすると大変だ。
 それだからこうやって、夜夜中(よなか)開放(あけっぱな)しの門も閉めておく、分ったかい。家(うち)へ帰るならさっさと帰らっせえよ、俺(わし)にかけかまいはちっともねえ。じゃあ、俺は出懸けるぜ、手足を伸(のば)して、思うさま考えな。」
 と返事は強いないので、七兵衛はずいと立って、七輪の前へ来ると、蹲(しゃが)んで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張(だろくばり)の真鍮(しんちゅう)の煙管(きせる)の雁首(がんくび)をかえして、突(つつ)いて火を寄せて、二ツ提(さげ)の煙草入(たばこいれ)にコツンと指し、手拭(てぬぐい)と一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつかと出て、まだ雫(しずく)の止(や)まぬ、びしょ濡(ぬれ)の衣を振返って、憂慮(きづかわし)げに土間に下りて、草履を突(つっ)かけたが、立淀(たちよど)んで、やがて、その手拭を取って頬被(ほおかぶり)。七兵衛は勝手の戸をがらりと開けた、台所は昼になって、ただ見れば、裏手は一面の蘆原(あしはら)、処々に水溜(たまり)、これには昼の月も映りそうに秋の空は澄切って、赤蜻蛉(あかとんぼ)が一ツ行(ゆ)き二ツ行き、遠方(おちかた)に小さく、釣(つり)をする人のうしろに、ちらちらと帆が見えて海から吹通しの風颯(さつ)と、濡れた衣(きぬ)の色を乱して記念(かたみ)の浴衣は揺(ゆら)めいた。親仁はうしろへ伸上って、そのまま出ようとする海苔粗朶(のりそだ)の垣根の許(もと)に、一本二本咲きおくれた嫁菜の花、葦(あし)も枯れたにこはあわれと、じっと見る時、菊枝は声を上げてわっと泣いた。

「妙法蓮華経如来寿量品(みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうぼん)第十六自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇(じがとくぶつらいしょきょうしょごうすうむりょうひゃくせんまんおくさいあそうぎ)。」
 川下の方から寂(しん)として聞えて来る、あたりの人の気勢(けはい)もなく、家々の灯(ともし)も漏れず、流(ながれ)は一面、岸の柳の枝を洗ってざぶりざぶりと音する中へ、菊枝は両親(ふたおや)に許されて、髪も結い、衣服もわざと同一(おなじ)扮(なり)で、お縫が附添い、身を投げたのはここからという蓬莱橋から、記念(かたみ)の浴衣を供養した。七日(なぬか)経(た)ってちょうど橘之助が命日のことであった。
「菊(きい)ちゃん、」
「姉さん、」
 二人は顔を見合せたが、涙ながらに手を合せて、捧げ持って、
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、」
「南無阿弥陀仏。」
 折から洲崎のどの楼(うち)ぞ、二階よりか三階よりか、海へ颯(さっ)と打込む太鼓。
 浴衣は静(しずか)に流れたのである。
 菊枝は活々(いきいき)とした女(むすめ)になったが、以前から身に添えていた、菊五郎格子の帯揚(おびあげ)に入れた写真が一枚、それに朋輩の女(むすめ)から、橘之助の病気見舞を紅筆(べにふで)で書いて寄越(よこ)したふみとは、その名の菊の枝に結んで、今年は二十(はたち)。
明治三十三(一九〇〇)年十一月
了

底本:「泉鏡花集成3」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店
   1941(昭和16)年11月10日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:染川隆俊
2009年5月10日作成
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