あらすじ
貿易商の娘・哥鬱賢は、美しい容姿と、不思議な言葉で話す鸚鵡を所有していた。その鸚鵡の言葉が、誰も理解できないことが、島の住人たちを悩ませていた。ある日、哥鬱賢は、鸚鵡の謎を解くために、日本の若者を招き、鸚鵡にその言葉を発させる。若者は鸚鵡の声を聞き、かつて自分が遭遇した出来事を思い出す。その出来事とは、日本の船が嵐に遭い、多くの乗組員が犠牲になったという悲劇だ。鸚鵡の声は、若者の記憶を呼び覚まし、過去と現在を繋ぎ、物語は新たな展開を迎える。
        一

「鸚鵡(おうむ)さん、しばらくね……」
 と真紅(しんく)へ、ほんのりと霞(かすみ)をかけて、新しい火の※(ぱっ)[#「火+發」、123-4]と移る、棟瓦(むねがわら)が夕舂日(ゆうづくひ)を噛(か)んだ状(さま)なる瓦斯暖炉(がすだんろ)の前へ、長椅子(ながいす)を斜(ななめ)に、ト裳(もすそ)を床(ゆか)。上草履(うわぞうり)の爪前(つまさき)細く※娜(たおやか)[#「女+島」の「山」に代えて「衣」、123-5]に腰を掛けた、年若き夫人が、博多の伊達巻(だてまき)した平常着(ふだんぎ)に、お召(めし)の紺(こん)の雨絣(あまがすり)の羽織ばかり、繕(つくろ)はず、等閑(なおざり)に引被(ひっか)けた、其(そ)の姿は、敷詰(しきつ)めた絨氈(じゅうたん)の浮出(うきい)でた綾(あや)もなく、袖(そで)を投げた椅子の手の、緑の深さにも押沈(おししず)められて、消えもやせむと淡かつた。けれども、美しさは、夜(よる)の雲に暗く梢(こずえ)を蔽(おお)はれながら、もみぢの枝の裏透(うらす)くばかり、友染(ゆうぜん)の紅(くれない)ちら/\と、櫛巻(くしまき)の黒髪の濡色(ぬれいろ)の露(つゆ)も滴(したた)る、天井高き山の端(は)に、電燈の影白うして、揺(ゆら)めく如き暖炉の焔(ほのお)は、世に隠れたる山姫(やまひめ)の錦(にしき)を照らす松明(たいまつ)かと冴(さ)ゆ。
 博士(はかせ)が旅行(たび)をした後(あと)に、交際(つきあい)ぎらひで、籠勝(こもりが)ちな、此(こ)の夫人が留守した家は、まだ宵(よい)の間(ま)も、実際蔦(つた)の中に所在(ありか)の知(し)るゝ山家(やまが)の如き、窓明(まどあかり)。
 広い住居(すまい)の近所も遠し。
 久しぶりで、恁(こ)うして火を置かせたまゝ、気に入りの小間使さへ遠ざけて、ハタと扉(ひらき)を閉(とざ)した音が、谺(こだま)するまで響いたのであつた。
 夫人は、さて唯(ただ)一人、壁に寄せた塗棚(ぬりだな)に据置(すえお)いた、籠(かご)の中なる、雪衣(せつい)の鸚鵡(おうむ)と、差向(さしむか)ひに居るのである。
「御機嫌よう、ほゝゝ、」
 と莟(つぼみ)を含んだ趣(おもむき)して、鸚鵡の雪に照添(てりそ)ふ唇……
 籠は上に、棚の丈(たけ)稍(やや)高ければ、打仰(うちあお)ぐやうにした、眉(まゆ)の優しさ。鬢(びん)の毛はひた/\と、羽織の襟(えり)に着きながら、肩も頸(うなじ)も細かつた。
「まあ、挨拶(あいさつ)もしないで、……黙然(だんまり)さん。お澄ましですこと。……あゝ、此の間(あいだ)、鳩(はと)にばツかり構つて居たから、お前さん、一寸(ちょいと)お冠(かんむり)が曲りましたね。」
 此の五日(いつか)六日(むいか)、心持(こころもち)煩(わずら)はしければとて、客にも逢(あ)はず、二階の一室(ひとま)に籠りツ切(きり)、で、寝起(ねおき)の隙(ひま)には、裏庭の松の梢(こずえ)高き、城のもの見のやうな窓から、雲と水色の空とを観(み)ながら、徒然(つれづれ)にさしまねいて、蒼空(あおぞら)を舞ふ遠方(おちかた)の伽藍(がらん)の鳩を呼んだ。――真白なのは、掌(てのひら)へ、紫(むらさき)なるは、かへして、指環の紅玉(ルビイ)の輝く甲(こう)へ、朱鷺色(ときいろ)と黄の脚(あし)して、軽く来て留(とま)るまでに馴(な)れたのであつた。
「それ/\、お冠の通り、嘴(くちばし)が曲つて来ました。目をくる/\……でも、矢張(やっぱ)り可愛(かわい)いねえ。」
 と艶麗(あでやか)に打傾(うちかたむ)き、
「其の替り、今ね、寝ながら本を読んで居て、面白い事があつたから、お話をして上げようと思つて、故々(わざわざ)遊びに来たんぢやないか。途中が寒かつたよ。」
 と、犇(ひし)と合はせた、両袖(りょうそで)堅(かた)く緊(しま)つたが、溢(こぼ)るゝ蹴出(けだ)し柔かに、褄(つま)が一靡(ひとなび)き落着いて、胸を反(そ)らして、顔を引き、
「否(いいえ)、まだ出して上げません。……お話を聞かなくツちや……でないと袖を啣(くわ)へたり、乗つたり、悪戯(いたずら)をして邪魔(じゃま)なんですもの。
 お聞きなさいよ。
 可(い)いかい、お聞きなさいよ。
 まあ、ねえ。
 座敷は――こんな貸家建(かしやだて)ぢやありません。壁も、床も、皆彩色(さいしき)した石を敷いた、明放(あけはな)した二階の大広間、客室(きゃくま)なんです。
 外面(おもて)の、印度(インド)洋に向いた方の、大理石の廻(まわ)り縁(えん)には、軒(のき)から掛けて、床(ゆか)へ敷く……水晶の簾(すだれ)に、星の数々鏤(ちりば)めたやうな、ぎやまんの燈籠(とうろう)が、十五、晃々(きらきら)点(つ)いて並んで居ます。草花(くさばな)の絵の蝋燭(ろうそく)が、月の桂(かつら)の透くやうに。」
 と襟(えり)を圧(おさ)へた、指の先。

        二

 引合(ひきあ)はせ、又袖(そで)を当て、
「丁(ちょう)ど、まだ灯(あかし)を入れたばかりの暮方(くれがた)でね、……其の高楼(たかどの)から瞰下(みお)ろされる港口(みなとぐち)の町通(まちどおり)には、焼酎売(しょうちゅううり)だの、雑貨屋だの、油売(あぶらうり)だの、肉屋だのが、皆黒人(くろんぼ)に荷車を曳(ひ)かせて、……商人(あきんど)は、各自(てんでん)に、ちやるめらを吹く、さゝらを摺(す)る、鈴(ベル)を鳴らしたり、小太鼓を打つたり、宛然(まるで)お神楽(かぐら)のやうなんですがね、家(うち)が大(おおき)いから、遠くに聞えて、夜中の、あの魔もののお囃子(はやし)見たやうよ、……そして車に着いた商人(あきんど)の、一人々々、穂長(ほなが)の槍(やり)を支(つ)いたり、担(かつ)いだりして行(ゆ)く形が、ぞろ/\影のやうに黒いのに、椰子(やし)の樹(き)の茂つた上へ、どんよりと黄色に出た、月の明(あかり)で、白刃(しらは)ばかりが、閃々(ぴかぴか)、と稲妻(いなずま)のやうに行交(ゆきか)はす。
 其の向うは、鰐(わに)の泳ぐ、可恐(おそろし)い大河(おおかわ)よ。……水上(みなかみ)は幾千里(いくせんり)だか分らない、天竺(てんじく)のね、流沙河(りゅうさがわ)の末(すえ)だとさ、河幅が三里の上、深さは何百尋(なんびゃくひろ)か分りません。
 船のある事……帆柱(ほぼしら)に巻着(まきつ)いた赤い雲は、夕日の余波(なごり)で、鰐の口へ血の晩御飯を注込(つぎこ)むんだわね。
 時は十二月なんだけれど、五月のお節句の、此(これ)は鯉(こい)、其(それ)は金銀の糸の翼、輝く虹(にじ)を手鞠(てまり)にして投げたやうに、空を舞つて居た孔雀(くじゃく)も、最(も)う庭へ帰つて居るの……燻占(たきし)めはせぬけれど、棚に飼つた麝香猫(じゃこうねこ)の強い薫(かおり)が芬(ぷん)とする……
 同(おなじ)やうに吹通(ふきとお)しの、裏は、川筋を一つ向うに、夜中は尾長猿(おながざる)が、キツキと鳴き、カラ/\カラと安達(あだち)ヶ原(はら)の鳴子(なるこ)のやうな、黄金蛇(こがねへび)の声がする。椰子(やし)、檳榔子(びんろうじ)の生え茂つた山に添つて、城のやうに築上(つきあ)げた、煉瓦造(れんがづくり)がづらりと並んで、矢間(やざま)を切つた黒い窓から、弩(いしびや)の口がづん、と出て、幾つも幾つも仰向(あおむ)けに、星を呑(の)まうとして居るのよ……
 和蘭(オランダ)人の館(やかた)なんです。
 其の一(ひとつ)の、和蘭館(オランダかん)の貴公子と、其の父親の二人が客で。卓子(テエブル)の青い鉢、青い皿を囲んで向合(むきあ)つた、唐人(とうじん)の夫婦が二人。別に、肩には更紗(さらさ)を投掛(なげか)け、腰に長剣を捲(ま)いた、目の鋭い、裸(はだか)の筋骨(きんこつ)の引緊(ひきしま)つた、威風の凜々(りんりん)とした男は、島の王様のやうなものなの……
 周囲(まわり)に、可(い)いほど間(ま)を置いて、黒人(くろんぼ)の召使が三人で、謹(つつし)んで給仕に附いて居る所。」
 と俯目(ふしめ)に、睫毛(まつげ)濃く、黒棚(くろだな)の一(ひと)ツの仕劃(しきり)を見た。袖口(そでぐち)白く手を伸(の)べて、
「あゝ、一人此処(ここ)に居たよ。」
 と言ふ。天窓(あたま)の大きな、頤(あご)のしやくれた、如法玩弄(にょほうおもちゃ)の焼(やき)ものの、ペロリと舌で、西瓜(すいか)喰(く)ふ黒人(くろんぼ)の人形が、ト赤い目で、額(おでこ)で睨(にら)んで、灰色の下唇(したくちびる)を反(そ)らして突立(つった)つ。
「……余り謹(つつし)んでは居ないわね……一寸(ちょいと)、お話の中へ出ておいで。」
 と手を掛けると、ぶるりとした、貧乏動(びんぼうゆる)ぎと云ふ胴揺(どうゆす)りで、ふてくされにぐら/\と拗身(すねみ)に震ふ……はつと思ふと、左の足が股(もも)のつけもとから、ぽきりと折れて、ポンと尻持(しりもち)を支(つ)いた体(てい)に、踵(かかと)の黒いのを真向(まむ)きに見せて、一本ストンと投出(なげだ)した、……恰(あたか)も可(よし)、他(ほか)の人形など一所(いっしょ)に並んだ、中に交(まじ)つて、其処(そこ)に、木彫にうまごやしを萌黄(もえぎ)で描(か)いた、舶来ものの靴が片隻(かたっぽ)。
 で、肩を持たれたまゝ、右の跛(びっこ)の黒(くろ)どのは、夫人の白魚(しらうお)の細い指に、ぶらりと掛(かか)つて、一(ひと)ツ、ト前のめりに泳いだつけ、臀(いしき)を揺(ゆす)つた珍(ちん)な形で、けろりとしたもの、西瓜をがぶり。
 熟(じっ)と視(み)て、
「まあ……」
 離すと、可(い)いことに、あたり近所の、我朝(わがちょう)の姉様(あねさま)を仰向(あおむけ)に抱込(だきこ)んで、引(ひっ)くりかへりさうで危(あぶな)いから、不気味らしくも手からは落さず……
「島か、光(みつ)か、払(はたき)を掛けて――お待ちよ、否(いいえ)、然(そ)う/\……矢張(やっぱり)これは、此の話の中で、鰐(わに)に片足食切(くいき)られたと云ふ土人か。人殺しをして、山へ遁(に)げて、大木(たいぼく)の梢(こずえ)へ攀(よ)ぢて、枝から枝へ、千仭(せんじん)の谷(たに)を伝はる処(ところ)を、捕吏(とりて)の役人に鉄砲で射(い)られた人だよ。
 ねえ鸚鵡(おうむ)さん。」
 と、足を継(つ)いで、籠(かご)の傍(わき)へ立掛(たてか)けた。
 鸚鵡の目こそ輝いた。

        三

「あんな顔をして、」
 と夫人は声を沈めたが、打仰(うちあお)ぐやうに籠を覗(のぞ)いた。
「お前さん、お知己(ちかづき)ぢやありませんか。尤(もっと)も御先祖の頃だらうけれど――其の黒人(くろんぼ)も……和蘭陀(オランダ)人も。」
 で、木彫の、小さな、護謨細工(ゴムざいく)のやうに柔かに襞※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)(ひだ)の入つた、靴をも取つて籠の前に差置(さしお)いて、
「此のね、可愛らしいのが、其の時の、和蘭陀館(オランダやかた)の貴公子ですよ。御覧、――お待ちなさいよ。恁(こ)うして並べたら、何だか、もの足りないから。」
 フト夫人は椅子を立つたが、前に挟んだ伊達巻(だてまき)の端をキウと緊(し)めた。絨氈(じゅうたん)を運ぶ上靴は、雪に南天(なんてん)の実(み)の赤きを行く……
 書棚を覗(のぞ)いて奥を見て、抽出(ぬきだ)す論語の第一巻――邸(やしき)は、置場所のある所とさへ言へば、廊下の通口(かよいぐち)も二階の上下(うえした)も、ぎつしりと東西の書もつの揃(そろ)つた、硝子戸(がらすど)に突当(つきあた)つて其から曲る、……本箱の五(いつ)ツ七(なな)ツが家の五丁目七丁目で、縦横(じゅうおう)に通ずるので。……こゝの此の書棚の上には、花は丁(ちょう)ど挿(さ)してなかつた、――手附(てつき)の大形の花籠(はなかご)と並べて、白木(しらき)の桐(きり)の、軸ものの箱が三(み)ツばかり。其の真中の蓋(ふた)の上に……
 恁(こ)う仰々(ぎょうぎょう)しく言出(いいだ)すと、仇(かたき)の髑髏(しゃれこうべ)か、毒薬の瓶(びん)か、と驚かれよう、真個(まったく)の事を言ひませう、さしたる儀でない、紫(むらさき)の切(きれ)を掛けたなりで、一尺(しゃく)三寸(ずん)、一口(ひとふり)の白鞘(しらさや)ものの刀がある。
 と黒目勝(くろめがち)な、意味の深い、活々(いきいき)とした瞳(ひとみ)に映ると、何思ひけむ、紫ぐるみ、本に添へて、すらすらと持つて椅子に帰つた。
 其だけで、身の悩ましき人は吻(ほっ)と息する。
「さあ、此の本が、唐土(もろこし)の人……揃つたわね、主人も、客も。
 而(そ)して鰐(わに)の晩飯時分、孔雀(くじゃく)のやうな玉(たま)の燈籠(とうろう)の裡(うち)で、御馳走(ごちそう)を会食して居る……
 一寸(ちょいと)、其の高楼(たかどの)を何処(どこ)だと思ひます……印度(インド)の中のね、蕃蛇剌馬(ばんじゃらあまん)……船着(ふなつき)の貿易所、――お前さんが御存じだよ、私よりか、」
 と打微笑(うちほほえ)み、
「主人(しゅじん)は、支那(しな)の福州(ふくしゅう)の大商賈(おおあきんど)で、客は、其も、和蘭陀(オランダ)の富豪父子(かねもちおやこ)と、此の島の酋長(しゅうちょう)なんですがね、こゝでね、皆(みんな)がね、たゞ一(ひと)ツ、其だけに就(つ)いて繰返して話して居たのは、――此のね、酋長の手から買取つて、和蘭陀の、其の貴公子が、此の家(うち)へ贈りものにした――然(そ)うね、お前さんの、あの、御先祖と云ふと年寄染(としよりじ)みます、其の時分は少(わか)いのよ。出が王様の城だから、姫君の鸚鵡(おうむ)が一羽(いちわ)。
 全身緋色(ひいろ)なんだつて。……
 此が、哥太寛(こたいかん)と云ふ、此家(ここ)の主人(あるじ)たち夫婦の秘蔵娘で、今年十八に成る、哥鬱賢(こうつけん)と云うてね、島第一の美しい人のものに成つたの。和蘭陀の公子は本望(ほんもう)でせう……実は其が望みだつたらしいから――
 鸚鵡は多年馴(な)らしてあつて、土地の言語は固(もと)よりだし、瓜哇(ジャワ)、勃泥亜(ボルネオ)の訛(なまり)から、馬尼剌(マニラ)、錫蘭(セイロン)、沢山(たんと)は未(ま)だなかつた、英吉利(イギリス)の語も使つて、其は……怜悧(りこう)な娘をはじめ、誰にも、よく解るのに、一(ひと)ツ人の聞馴(ききな)れない、不思議な言語(ことば)があつたんです。
 以前の持主、二度目のはお取次(とりつぎ)、一人も仕込んだ覚えはないから、其の人たちは無論の事、港へ出入る、国々島々のものに尋ねても、まるつきし通じない、希有(けう)な文句を歌ふんですがね、検(しら)べて見ると、其が何なの、此の内へ来てから、はじまつたと分つたんです。
 何かの折の御馳走に、哥太寛(こたいかん)が、――今夜だわね――其の人たちを高楼(たかどの)に招(まね)いて、話の折に、又其の事を言出(いいだ)して、鸚鵡(おうむ)の口真似もしたけれども、分らない文句は、鳥の声とばツかし聞えて、傍(そば)で聞く黒人(くろんぼ)たちも、妙な顔色(かおつき)で居る所……ね……
 其処(そこ)へですよ、奥深く居て顔は見せない、娘の哥鬱賢(こうつけん)から、※(「女+必」、第4水準2-5-45)(こしもと)が一人使者(つかい)で出ました……」

        四

「差出(さしで)がましうござんすが、お座興にもと存じて、お客様の前ながら、申上げます、とお嬢様、御口上(ごこうじょう)。――内に、日本(にっぽん)と云ふ、草毟(くさむしり)の若い人が居(お)りませう……ふと思ひ着きました。あのものをお召し遊ばし、鸚鵡の謎(なぞ)をお問合はせなさいましては如何(いかが)でせうか、と其の※(「女+必」、第4水準2-5-45)(こしもと)が陳(の)べたんです。
 鸚鵡は、尤(もっと)も、お嬢さんが片時(かたとき)も傍(そば)を離さないから、席へ出ては居なかつたの。
 でね、此を聞くと、人の好(い)い、気の優しい、哥太寛の御新姐(ごしんぞ)が、おゝ、と云つて、袖(そで)を開(ひら)く……主人もはた、と手を拍(う)つて、」
 とて、夫人は椅子なる袖に寄せた、白鞘(しらさや)を軽く圧(おさ)へながら、
「先刻(せんこく)より御覧に入れた、此なる剣(つるぎ)、と哥太寛の云つたのが、――卓子(テエブル)の上に置いた、蝋塗(ろうぬり)、鮫鞘巻(さめざやまき)、縁頭(ふちがしら)、目貫(めぬき)も揃(そろ)つて、金銀造りの脇差(わきざし)なんです――此の日本の剣(つるぎ)と一所(いっしょ)に、泯汰脳(ミンダネオ)の土蛮(どばん)が船に積んで、売りに参つた日本人を、三年前(さき)に買取(かいと)つて、現に下僕(かぼく)として使ひまする。が、傍(そば)へも寄せぬ下働(したばたらき)の漢(おとこ)なれば、剣(つるぎ)は此処(ここ)にありながら、其の事とも存ぜなんだ。……成程(なるほど)、呼べ、と給仕を遣(や)つて、鸚鵡を此へ、と急いで嬢に、で、※(「女+必」、第4水準2-5-45)(こしもと)を立たせたのよ。
 たゞ玉(たま)の緒(お)のしるしばかり、髪は糸で結んでも、胡沙(こさ)吹く風は肩に乱れた、身は痩(や)せ、顔は窶(やつ)れけれども、目鼻立ちの凜(りん)として、口許(くちもと)の緊(しま)つたのは、服装(なり)は何(ど)うでも日本(やまと)の若草(わかくさ)。黒人(くろんぼ)の給仕に導かれて、燈籠(とうろう)の影へ顕(あらわ)れたつけね――主人の用に商売(あきない)ものを運ぶ節は、盗賊(どろぼう)の用心に屹(きっ)と持つ……穂長(ほなが)の槍(やり)をねえ、こんな場所へは出つけないから、突立(つきた)てたまゝで居るんぢやありませんか。
 和蘭陀(オランダ)のは騒がなかつたが、蕃蛇剌馬(ばんじゃらあまん)の酋長(しゅうちょう)は、帯を手繰(たぐ)つて、長剣の柄(つか)へ手を掛けました。……此のお夥間(なかま)です……人の売買(うりかい)をする連中(れんじゅう)は……まあね、槍は給仕が、此も慌(あわ)てて受取つたつて。
 静かに進んで礼をする時、牡丹(ぼたん)に八(や)ツ橋(はし)を架(か)けたやうに、花の中を廻り繞(めぐ)つて、奥へ続いた高楼(たかどの)の廊下づたひに、黒女(くろめ)の※(「女+必」、第4水準2-5-45)(こしもと)が前後(あとさき)に三人属(つ)いて、浅緑(あさみどり)の衣(きぬ)に同じ裳(も)をした……面(おもて)は、雪の香(か)が沈む……銀(しろがね)の櫛(くし)照々(てらてら)と、両方の鬢(びん)に十二枚の黄金(こがね)の簪(かんざし)、玉の瓔珞(ようらく)はら/\と、お嬢さん。耳鉗(みみわ)、腕釧(うでわ)も細い姿に、抜出(ぬけで)るらしく鏘々(しょうしょう)として……あの、さら/\と歩行(ある)く。
 母親が曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)(きょくろく)を立つて、花の中で迎へた処(ところ)で、哥鬱賢は立停(たちど)まつて、而(そ)して……桃の花の重(かさな)つて、影も染(そ)まる緋色の鸚鵡(おうむ)は、お嬢さんの肩から翼、飜然(ひらり)と母親の手に留(と)まる。其を持つて、卓子(テエブル)に帰つて来る間(ま)に、お嬢さんの姿は、※(「女+必」、第4水準2-5-45)(こしもと)の三(みっ)ツの黒い中に隠れたんです。
 鸚鵡は誰にも馴染(なじみ)だわね。
 卓子(テエブル)の其処(そこ)へ、花片(はなびら)の翼を両方、燃立(もえた)つやうに。」
 と云ふ。声さへ、其の色。暖炉(だんろ)の瓦斯(がす)は颯々(さっさつ)と霜夜(しもよ)に冴(さ)えて、一層殷紅(いんこう)に、且(か)つ鮮麗(せんれい)なるものであつた。
「影を映した時でした……其の間(ま)に早(は)や用の趣(おもむき)を言ひ聞かされた、髪の長い、日本の若い人の、熟(じっ)と見るのと、瞳(ひとみ)を合せたやうだつたつて……
 若い人の、窶(やつ)れ顔に、血の色が颯(さっ)と上(のぼ)つて、――国々島々、方々が、いづれもお分りのないとある、唯(ただ)一句、不思議な、短かい、鸚鵡の声と申すのを、私(わたくし)が先へ申して見ませう……もしや?……
 ――港で待つよ――
 と、恁(こ)う申すのではござりませぬか、と言ひも未(ま)だ果てなかつたに、島の毒蛇(どくじゃ)の呼吸(いき)を消して、椰子(やし)の峰、鰐(わに)の流(ながれ)、蕃蛇剌馬(ばんじゃらあまん)の黄色な月も晴れ渡る、世にも朗(ほがら)かな涼(すず)しい声して、
 ――港で待つよ――
 と、羽(はね)を靡(なび)かして、其の緋鸚鵡(ひおうむ)が、高らかに歌つたんです。
 釵(かんざし)の揺(ゆら)ぐ気勢(けはい)は、彼方(あちら)に、お嬢さんの方にして……卓子(テエブル)の其の周囲(まわり)は、却(かえ)つて寂然(ひっそり)となりました。
 たゞ、和蘭陀(オランダ)の貴公子の、先刻(さっき)から娘に通はす碧(あい)を湛(たた)へた目の美しさ。
 はじめて鸚鵡に見返して、此の言葉よ、此の言葉よ!日本、と真前(まっさき)に云ひましたとさ。」

        五

「真個(まったく)、其の言(ことば)に違はないもんですから、主人も、客も、座を正して、其のいはれを聞かうと云つたの。
 ――港で待つよ――
 深夜に、可恐(おそろし)い黄金蛇(こがねへび)の、カラ/\と這(は)ふ時は、[#「、」は底本では「、、」]土蛮(どばん)でさへ、誰も皆耳を塞(ふさ)ぐ……其の時には何(ど)うか知らない……そんな果敢(はかな)い、一生奴隷(どれい)に買はれた身だのに、一度も泣いた事を見ないと云ふ、日本の其の少(わか)い人は、今其(そ)の鸚鵡の一言(ひとこと)を聞くか聞かないに、槍(やり)をそばめた手も恥かしい、ばつたり床(ゆか)に、俯向(うつむ)けに倒れて潸々(さめざめ)と泣くんです。
 お嬢さんは、伸上(のびあが)るやうに見えたの。
 涙を払つて――唯今の鸚鵡(おうむ)の声は、私(わたくし)が日本の地を吹流(ふきなが)されて、恁(こ)うした身に成ります、其の船出の夜中に、歴然(ありあり)と聞きました……十二一重(じゅうにひとえ)に緋の袴(はかま)を召させられた、百人一首と云ふ歌の本においで遊ばす、貴方方(あなたがた)にはお解りあるまい、尊い姫君の絵姿に、面影(おもかげ)の肖(に)させられた御方(おかた)から、お声がかりがありました、其の言葉に違ひありませぬ。いま赫耀(かくやく)とした鳥の翼を見ますると、射(い)らるゝやうに其の緋の袴が目に見えたのでこさります。――と此から話したの――其の時のは、船の女神(おんながみ)さまのお姿だつたんです。
 若い人は筑前(ちくぜん)の出生(うまれ)、博多の孫一(まごいち)と云ふ水主(かこ)でね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百石(こく)の大船(たいせん)に、乗組(のりくみ)の人数(にんず)、船頭とも二十人、宝暦(ほうれき)午(うま)の年(とし)十月六日に、伊勢丸(いせまる)と云ふ其の新造(しんぞう)の乗初(のりぞめ)です。先(ま)づは滞(とどこお)りなく大阪へ――それから豊前(ぶぜん)へ廻つて、中津(なかつ)の米を江戸へ積んで、江戸から奥州へ渡つて、又青森から津軽藩の米を託(ことづか)つて、一度品川まで戻つた処(ところ)、更(あらた)めて津軽の材木を積むために、奥州へ下(くだ)つたんです――其の内、年号は明和(めいわ)と成る……元年申(さる)の七月八日、材木を積済(つみす)まして、立火(たつび)の小泊(こどまり)から帆を開(ひら)いて、順風に沖へ走り出した時、一人(にん)、櫓(やぐら)から倒(さかさま)に落ちて死んだのがあつたんです、此があやかしの憑(つ)いたはじめなのよ。
 南部の才浦(さいうら)と云ふ処(ところ)で、七日(なぬか)ばかり風待(かざまち)をして居た内に、長八(ちょうはち)と云ふ若い男が、船宿(ふなやど)小宿(こやど)の娘と馴染(なじ)んで、明日(あす)は出帆(しゅっぱん)、と云ふ前の晩、手に手を取つて、行方も知れず……一寸(ちょいと)……駈落(かけおち)をして了(しま)つたんだわ!」
 ふと蓮葉(はすは)に、ものを言つて、夫人はすつと立つて、対丈(ついたけ)に、黒人(くろんぼ)の西瓜(すいか)を避けつゝ、鸚鵡の籠(かご)をコト/\と音信(おとず)れた。
「何(ど)う?多分其(そ)の我まゝな駈落ものの、……私は子孫だ、と思ふんだがね。……御覧の通りだからね、」
 と、霜(しも)の冷(つめた)い色して、
「でも、駈落ちをしたお庇(かげ)で、無事に生命(いのち)を助かつたんです。思つた同士は、道行(みちゆ)きに限るのねえ。」
 と力なささうに、疲れたらしく、立姿(たちすがた)のなり、黒棚(くろだな)に、柔かな袖(そで)を掛けたのである。
「あとの大勢つたら、其のあくる日から、火の雨、火の風、火の浪(なみ)に吹放(ふきはな)されて、西へ――西へ――毎日々々、百日と六日の間(あいだ)、鳥の影一つ見えない大灘(おおなだ)を漂うて、お米を二升(しょう)に水一斗(と)の薄粥(うすがゆ)で、二十人の一日の生命(いのち)を繋(つな)いだのも、はじめの内。くまびきさへ釣(つ)れないもの、長い間(あいだ)に漁したのは、二尋(ふたひろ)ばかりの鱶(ふか)が一疋(ぴき)。さ、其を食べた所為(せい)でせう、お腹(なか)の皮が蒼白(あおじろ)く、鱶(ふか)のやうにだぶだぶして、手足は海松(みる)の枝の枯れたやうになつて、漸(や)つと見着けたのが鬼(おに)ヶ島(しま)、――魔界だわね。
 然(そ)うして地(つち)を見てからも、島の周囲(まわり)に、底から生えて、幹(みき)ばかりも五丈(じょう)、八丈、すく/\と水から出た、名も知れない樹が邪魔に成つて、船を着ける事が出来ないで、海の中の森の間(あいだ)を、潮あかりに、月も日もなく、夜昼(よるひる)七日(なのか)流れたつて言ふんですもの……
 其の時分、大きな海鼠(なまこ)の二尺許(にしゃくばか)りなのを取つて食べて、毒に当つて、死なないまでに、こはれごはれの船の中で、七顛八倒(しちてんばっとう)の苦痛(くるしみ)をしたつて言ふよ。……まあ、どんな、心持(こころもち)だつたらうね。渇くのは尚(な)ほ辛(つら)くつて、雨のない日の続く時は帆布(ほぬの)を拡げて、夜露(よつゆ)を受けて、皆(みんな)が口をつけて吸つたんだつて――大概唇は破れて血が出て、――助かつた此の話の孫一(まごいち)は、余(あんま)り激しく吸つたため、前歯二つ反(そ)つて居たとさ。……
 お聞き、島へ着くと、元船(もとぶね)を乗棄(のりす)てて、魔国(まこく)とこゝを覚悟して、死装束(しにしょうぞく)に、髪を撫着(なでつ)け、衣類を着換(きか)へ、羽織を着て、紐(ひも)を結んで、てん/″\が一腰(ひとこし)づゝ嗜(たしな)みの脇差(わきざし)をさして上陸(あが)つたけれど、飢(うえ)渇(かつ)ゑた上、毒に当つて、足腰も立たないものを何(ど)うしませう?……」

        六

「三百人ばかり、山手(やまて)から黒煙(くろけぶり)を揚げて、羽蟻(はあり)のやうに渦巻いて来た、黒人(くろんぼ)の槍(やり)の石突(いしづき)で、浜に倒れて、呻吟(うめ)き悩む一人々々が、胴、腹、腰、背、コツ/\と突(つつ)かれて、生死(いきしに)を験(ため)されながら、抵抗(てむかい)も成らず裸(はだか)にされて、懐中ものまで剥取(はぎと)られた上、親船(おやぶね)、端舟(はしけ)も、斧(おの)で、ばら/\に摧(くだ)かれて、帆綱(ほづな)、帆柱(ほばしら)、離れた釘は、可忌(いまわし)い禁厭(まじない)、可恐(おそろし)い呪詛(のろい)の用に、皆(みんな)奪(と)られて了(しま)つたんです。……
 あとは残らず牛馬(うしうま)扱ひ。それ、草を毟(むし)れ、馬鈴薯(じゃがいも)を掘れ、貝を突け、で、焦げつくやうな炎天、夜(よる)は毒蛇(どくじゃ)の霧(きり)、毒虫(どくむし)の靄(もや)の中を、鞭(むち)打ち鞭打ち、こき使はれて、三月(みつき)、半歳(はんとし)、一年と云ふ中(うち)には、大方死んで、あと二三人だけ残つたのが一人々々、牛小屋から掴(つか)み出されて、果(はて)しも知らない海の上を、二十日目(はつかめ)に島一つ、五十日目に島一つ、離れ/″\に方々へ売られて奴隷(どれい)に成りました。
 孫一(まごいち)も其の一人だつたの……此の人はね、乳も涙も漲(みなぎ)り落ちる黒女(くろめ)の俘囚(とりこ)と一所(いっしょ)に、島々を目見得(めみえ)に廻つて、其の間(あいだ)には、日本、日本で、見世ものの小屋に置かれた事もあつた。一度何処(どこ)か方角も知れない島へ、船が水汲(みずくみ)に寄つた時、浜つゞきの椰子(やし)の樹の奥に、恁(こ)うね、透かすと、一人、コトン/\と、寂(さび)しく粟(あわ)を搗(つ)いて居た亡者(もうじゃ)があつてね、其が夥間(なかま)の一人だつたのが分つたから、声を掛けると、黒人(くろんぼ)が突倒(つきたお)して、船は其のまゝ朱色(しゅいろ)の海へ、ぶく/\と出たんだとさ……可哀相ねえ。
 まだ可哀(あわれ)なのはね、一所(いっしょ)に連廻(つれま)はられた黒女(くろめ)なのよ。又何とか云ふ可恐(おそろし)い島でね、人が死ぬ、と家属(かぞく)のものが、其の首は大事に蔵(しま)つて、他人の首を活(い)きながら切つて、死人の首へ継合(つぎあ)はせて、其を埋(うず)めると云ふ習慣(ならわし)があつて、工面(くめん)のいゝのは、平常(ふだん)から首代(くびしろ)の人間を放飼(はなしがい)に飼つて置く。日本ぢや身がはりの首と云ふ武士道とかがあつたけれど、其の島ぢや遁(に)げると不可(いけな)いからつて、足を縛つて、首から掛けて、股(また)の間(あいだ)へ鉄の分銅(ふんどう)を釣(つ)るんだつて……其処(そこ)へ、あの、黒い、乳の膨れた女は買はれたんだよ。
 孫一は、天の助けか、其の土地では売れなくつて――とう/\蕃蛇剌馬(ばんじゃらあまん)で方(かた)が附いた――
 と云ふ訳なの……
 話は此なんだよ。」
 夫人は小さな吐息した。
「其(そ)のね、ね。可悲(かなし)い、可恐(おそろし)い、滅亡の運命が、人たちの身に、暴風雨(あらし)と成つて、天地とともに崩掛(くずれかか)らうとする前の夜(よる)、……風はよし、凪(なぎ)はよし……船出の祝ひに酒盛したあと、船中残らず、ぐつすりと寝込んで居た、仙台の小淵(こぶち)の港で――霜(しも)の月に独(ひと)り覚(さ)めた、年十九の孫一の目に――思ひも掛けない、艫(とも)の間(ま)の神龕(かみだな)の前に、凍(こお)つた竜宮の几帳(きちょう)と思ふ、白気(はっき)が一筋(ひとすじ)月に透いて、向うへ大波が畝(うね)るのが、累(かさな)つて凄(すご)く映る。其の蔭に、端麗(あでやか)さも端麗(あでやか)に、神々(こうごう)しさも神々しい、緋の袴(はかま)の姫が、お一方(ひとかた)、孫一を一目見なすつて、
 ――港で待つよ――
 と其の一言(ひとこと)。すらりと背後(うしろ)向かるゝ黒髪のたけ、帆柱(ほばしら)より長く靡(なび)くと思ふと、袴の裳(もすそ)が波を摺(す)つて、月の前を、さら/\と、かけ波の沫(しぶき)の玉を散らしながら、衝(つ)と港口(みなとぐち)へ飛んで消えるのを見ました……あつと思ふと夢は覚(さ)めたが、月明りに霜の薄煙(うすけぶ)りがあるばかり、船の中に、尊い香(こう)の薫(かおり)が残つたと。……
 此の船中に話したがね、船頭はじめ――白痴(たわけ)め、婦(おんな)に誘はれて、駈落(かけおち)の真似がしたいのか――で、船は人ぐるみ、然(そ)うして奈落へ逆(さかさま)に落込(おちこ)んだんです。
 まあ、何と言はれても、美しい人の言ふことに、従へば可(よ)かつたものをね。
 七年幾月(いくつき)の其の日はじめて、世界を代へた天竺(てんじく)の蕃蛇剌馬(ばんじゃらあまん)の黄昏(たそがれ)に、緋の色した鸚鵡(おうむ)の口から、同じ言(ことば)を聞いたので、身を投臥(なげふ)して泣いた、と言ひます。
 微妙(いみじ)き姫神(ひめがみ)、余りの事の霊威に打(うた)れて、一座皆跪(ひざまず)いて、東の空を拝みました。
 言ふにも及ばない事、奴隷(どれい)の恥も、苦(くるし)みも、孫一は、其の座で解(と)けて、娘の哥鬱賢(こうつけん)が贐(はなむけ)した其の鸚鵡を肩に据(す)ゑて。」
 と籠(かご)を開(あ)ける、と飜然(ひらり)と来た、が、此は純白雪(ゆき)の如きが、嬉しさに、颯(さっ)と揚羽(あげは)の、羽裏(はうら)の色は淡く黄に、嘴(くち)は珊瑚(さんご)の薄紅(うすくれない)。
「哥太寛(こたいかん)も餞別(せんべつ)しました、金銀づくりの脇差(わきざし)を、片手に、」と、肱(ひじ)を張つたが、撓々(たよたよ)と成つて、紫(むらさき)の切(きれ)も乱るゝまゝに、弛(ゆる)き博多の伊達巻(だてまき)へ。
 肩を斜めに前へ落すと、袖(そで)の上へ、腕(かいな)が辷(すべ)つた、……月が投げたるダリヤの大輪(おおりん)、白々(しろじろ)と、揺れながら戯(たわむ)れかゝる、羽交(はがい)の下を、軽く手に受け、清(すず)しい目を、熟(じっ)と合はせて、
「……あら嬉しや!三千日(さんぜんにち)の夜あけ方、和蘭陀(オランダ)の黒船(くろふね)に、旭(あさひ)を載せた鸚鵡(おうむ)の緋の色。めでたく筑前(ちくぜん)へ帰つたんです――
 お聞きよ此を! 今、現在、私のために、荒浪(あらなみ)に漂つて、蕃蛇剌馬(ばんじゃらあまん)に辛苦すると同じやうな少(わか)い人があつたらね、――お前は何と云ふの!何と言ふの?
 私は、其が聞きたいの、聞きたいの、聞きたいの、……たとへばだよ……お前さんの一言(ひとこと)で、運命が極(きま)ると云つたら、」
 と、息切れのする瞼(まぶた)が颯(さっ)と、気を込めた手に力が入つて、鸚鵡の胸を圧(お)したと思ふ、嘴(くちばし)を※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)(もが)いて開(あ)けて、カツキと噛(か)んだ小指の一節(ひとふし)。
「あ、」と離すと、爪を袖口(そでぐち)に縋(すが)りながら、胸毛(むなげ)を倒(さかさ)に仰向(あおむ)きかゝつた、鸚鵡の翼に、垂々(たらたら)と鮮血(からくれない)。振離(ふりはな)すと、床(ゆか)まで落ちず、宙ではらりと、影を乱して、黒棚(くろだな)に、バツと乗る、と驚駭(おどろき)に衝(つ)と退(すさ)つて、夫人がひたと遁構(にげがま)への扉(ひらき)に凭(もた)れた時であつた。
 呀(や)!西瓜(すいか)は投げぬが、がつくり動いて、ベツカツコ、と目を剥(む)く拍子に、前へのめらうとした黒人(くろんぼ)の其の土人形(つちにんぎょう)が、勢(いきおい)余つて、どたりと仰状(のけざま)。ト木彫のあの、和蘭陀(オランダ)靴は、スポンと裏を見せて引顛返(ひっくりかえ)る。……煽(あおり)をくつて、論語は、ばら/\と暖炉に映つて、赫(かっ)と朱を注(そそ)ぎながら、頁(ペエジ)を開(ひら)く。
 雪なす鸚鵡は、見る/\全身、美しい血に染(そま)つたが、目を眠るばかり恍惚(うっとり)と成つて、朗(ほがら)かに歌つたのである。
 ――港で待つよ――
 時に立窘(たちすく)みつゝ、白鞘(しらさや)に思はず手を掛けて、以ての外(ほか)かな、怪異(けい)なるものどもの挙動(ふるまい)を屹(き)と視(み)た夫人が、忘れたやうに、柄(つか)をしなやかに袖に捲(ま)いて、するりと帯に落して、片手におくれ毛を払ひもあへず……頷(うなず)いて……莞爾(にっこり)した。
了

底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
   1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
   1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
   1940(昭和15)年発行
初出:「中央公論」
   1912(大正元)年11月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
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