あらすじ
雨の降る夕暮れ時、支那の官人が従者を連れて、知人の法要に向かう途中、奇妙な油売りに遭遇します。油売りの青牛に乗った姿は、唐土の豆腐屋かと早合点してしまうほど異様で、官人の従者は怒って油売りに突進します。しかし、油売りの首が落ちても胴体は牛に乗って走り去り、官人は首のない胴体と牛を追いかけます。辿り着いたのは、斎藤道三の子孫と言われる豪邸。邸宅の庭にある古槐の根元を掘ると、巨大な蝦蟇が現れ、その蝦蟇こそ首のない油売りの姿、そして巨大な茸が油売りの姿だったことがわかります。蝦蟆が「とう、とう、とう/\」と鳴くと、茸の軸が動き、釣瓶の箍が嚔をして霧が発生。霧は雨となり、官人はその場を急いで立ち去ります。邸宅の三太夫は、この油売りの悪戯話を語り、井戸から引き揚げた帽子が雨で濡れた茸の姿になったと説明します。
 あちこちに、然(しか)るべき門は見えるが、それも場末で、古土塀(ふるどべい)、やぶれ垣(がき)の、入曲(いりまが)つて長く続く屋敷町(やしきまち)を、雨(あま)もよひの陰気な暮方(くれがた)、その県の令(れい)に事(つか)ふる相応(そうおう)の支那(しな)の官人が一人、従者を従(したが)へて通り懸(かか)つた。知音(ちいん)の法筵(ほうえん)に列するためであつた。
 ……来かゝる途中に、大川(おおかわ)が一筋(ひとすじ)流れる……其(そ)の下流のひよろ/\とした――馬輿(うまかご)のもう通じない――細橋(ほそばし)を渡り果てる頃、暮(くれ)六(む)つの鐘がゴーンと鳴つた。遠山(とおやま)の形が夕靄(ゆうもや)とともに近づいて、麓(ふもと)の影に暗く住む伏家(ふせや)の数々、小商(こあきない)する店には、早(は)や佗(わび)しい灯(ひ)が点(とも)れたが、此(こ)の小路(こうじ)にかゝると、樹立(こだち)に深く、壁に潜(ひそ)んで、一燈(とう)の影も漏(も)れずに寂(さみ)しい。
 前途(ぜんと)を朦朧(もうろう)として過(よぎ)るものが見える。青牛(せいぎゅう)に乗つて行(ゆ)く。……
 小形の牛だと言ふから、近頃青島(せいとう)から渡来(とらい)して荷車(にぐるま)を曳(ひ)いて働くのを、山の手でよく見掛ける、あの若僧(わかぞう)ぐらゐなのだと思へば可(い)い。……荷鞍(にぐら)にどろんとした桶(おけ)の、一抱(ひとかかえ)ほどなのをつけて居る。……大(おおき)な雨笠(あまがさ)を、ずぼりとした合羽(かっぱ)着た肩の、両方かくれるばかり深く被(かぶ)つて、後向(うしろむ)きにしよんぼりと濡(ぬ)れたやうに目前(めさき)を行く。……とき/″\、
「とう、とう、とう/\。」
 と、間(あいだ)を置いては、低く口の裡(うち)で呟(つぶや)くが如くに呼んで行く。
 私は此(これ)を読んで、いきなり唐土(もろこし)の豆腐屋(とうふや)だと早合点(はやがてん)をした。……処(ところ)が然(そ)うでない。
「とう、とう、とう/\。」
 呼声(よびごえ)から、風体(なり)、恰好(かっこう)、紛れもない油屋(あぶらや)で、あの揚(あげ)ものの油を売るのださうである。
「とう、とう、とう/\。」
 穴から泡(あわ)を吹くやうな声が、却(かえ)つて、裏田圃(うらたんぼ)へ抜けて変に響いた。
「こら/\、片寄(かたよ)れ。えゝ、退(ど)け/\。」
 威張(いば)る事にかけては、これが本場の支那(しな)の官人である。従者が式(かた)の如く叱(しか)り退(の)けた。
「とう、とう、とう/\。」
「やい、これ。――殿様のお通りだぞ。……」
 笠(かさ)さへ振向(ふりむ)けもしなければ、青牛(せいぎゅう)がまたうら枯草(がれくさ)を踏む音も立てないで、のそりと歩む。
「とう、とう、とう/\。」
 こんな事は前例が嘗(かつ)てない。勃然(ぼつぜん)としていきり立つた従者が、づか/\石垣を横に擦(す)つて、脇鞍(わきぐら)に踏張(ふんば)つて、
「不埒(ふらち)ものめ。下郎(げろう)。」
 と怒鳴(どな)つて、仰(あお)ぎづきに張肱(はりひじ)でドンと突いた。突いたが、鞍の上を及腰(およびごし)だから、力が足りない。荒く触つたと言ふばかりで、その身体(からだ)が揺れたとも見えないのに、ぽんと、笠(かさ)ぐるみ油売(あぶらうり)の首が落ちて、落葉(おちば)の上へ、ばさりと仰向(あおむ)けに転げたのである。
「やあ、」とは言つたが、無礼討御免(ぶれいうちごめん)のお国柄(くにがら)、それに何、たかが油売の首なんぞ、ものの数ともしないのであつた。が、主従(しゅうじゅう)ともに一驚(いっきょう)を吃(きっ)したのは、其の首のない胴躯(どうむくろ)が、一煽(ひとあお)り鞍に煽(あお)ると斉(ひと)しく、青牛(せいぎゅう)の脚(あし)が疾(はや)く成つて颯(さっ)と駈出(かけだ)した事である。
 ころげた首の、笠と一所(いっしょ)に、ぱた/\と開(あ)く口より、眼球(めだま)をくる/\と廻して見据(みす)ゑて居た官人が、此の状(さま)を睨(にら)み据(す)ゑて、
「奇怪ぢや、くせもの、それ、見届けろ。」
 と前に立つて追掛(おいか)けると、ものの一町(ちょう)とは隔(へだ)たらない、石垣も土塀(どべい)も、葎(むぐら)に路(みち)の曲角(まがりかど)。突当(つきあた)りに大きな邸(やしき)があつた。……其の門内(もんない)へつツと入ると、真正面の玄関の右傍(みぎわき)に、庭園に赴(おもむ)く木戸際(きどぎわ)に、古槐(ふるえんじゅ)の大木(たいぼく)が棟(むね)を蔽(おお)うて茂つて居た。枝の下を、首のない躯(むくろ)と牛は、ふと又(また)歩を緩(ゆる)く、東海道の松並木(まつなみき)を行く状(さま)をしたが、間(あい)の宿(しゅく)の灯(ひ)も見えず、ぼツと煙の如く消えたのであつた。
 官人は少時(しばし)茫然(ぼうぜん)として門前(もんぜん)の靄(もや)に彳(たたず)んだ。
「角助(かくすけ)。」
「はツ。」
「当家(とうけ)は、これ、斎藤道三(さいとうどうさん)の子孫ででもあるかな。」
「はーツ。」
「いやさ、入道(にゅうどう)道三の一族ででもあらうかと言ふ事ぢや。」
「はツ、へゝい。」
「む、いや、分らずば可(よ)し。……一応検(しら)べる。――とに角(かく)いそいで案内をせい。」
 しかし故(ことさ)らに主人が立会(たちあ)ふほどの事ではない。その邸(やしき)の三太夫(さんだゆう)が、やがて鍬(くわ)を提げた爺(じい)やを従へて出て、一同槐(えんじゅ)の根を立囲(たちかこ)んだ。地(じ)の少し窪(くぼ)みのあるあたりを掘るのに、一鍬(ひとくわ)、二鍬(ふたくわ)、三鍬(みくわ)までもなく、がばと崩れて五六尺(しゃく)、下に空洞(うつろ)が開(あ)いたと思へ。
 べとりと一面青苔(あおごけ)に成つて、欠釣瓶(かけつるべ)が一具(いちぐ)、さゝくれ立(だ)つた朽目(くちめ)に、大(おおき)く生えて、鼠(ねずみ)に黄を帯びた、手に余るばかりの茸(きのこ)が一本。其の笠(かさ)既に落ちたり、とあつて、傍(わき)にものこそあれと説(い)ふ。――こゝまで読んで、私は又慌(あわ)てた。化(ば)けて角(つの)の生えた蛞蝓(なめくじ)だと思つた、が、然(そ)うでない。大(おおい)なる蝦蟆(がま)が居た。……其の疣(いぼ)一つづゝ堂門(どうもん)の釘(くぎ)かくしの如しと言ふので、巨(おおき)さのほども思はれる。
 蝦蟆(がま)即(すなわち)牛矣(うし)、菌(きのこ)即(すなわち)其人也(そのひとなり)。古釣瓶(ふるつるべ)には、その槐(えんじゅ)の枝葉(しよう)をしたゝり、幹(みき)を絞り、根に灌(そそ)いで、大樹(たいじゅ)の津液(しずく)が、木(こ)づたふ雨の如く、片濁(かたにご)りしつつ半(なか)ば澄んで、ひた/\と湛(たた)へて居た。油(あぶら)即(すなわち)此(これ)であつた。
 呆(あき)れた人々の、目鼻の、眉(まゆ)とともに動くに似ず、けろりとした蝦蟆が、口で、鷹揚(おうよう)に宙に弧(こ)を描いて、
「とう。とう、とう/\。」
 と鳴くにつれて、茸(きのこ)の軸が、ぶる/\と動くと、ぽんと言ふやうに釣瓶(つるべ)の箍(たが)が嚔(くさめ)をした。同時に霧(きり)がむら/\と立つて、空洞(うつろ)を塞(ふさ)ぎ、根を包み、幹を騰(のぼ)り、枝に靡(なび)いた、その霧が、忽(たちま)ち梢(こずえ)から雫(しずく)となり、門内(もんない)に降りそゝいで、やがて小路(こうじ)一面の雨と成つたのである。
 官人の、真前(まっさき)に飛退(とびの)いたのは、敢(あえ)て怯(おび)えたのであるまい……衣帯(いたい)の濡(ぬ)れるのを慎(つつし)んだためであらう。
 さて、三太夫(さんだゆう)が更(あらた)めて礼して、送りつつ、木(こ)の葉(は)落葉(おちば)につゝまれた、門際(もんぎわ)の古井戸(ふるいど)を覗(のぞ)かせた。覗くと、……
「御覧(ごろう)じまし、殿様。……あの輩(やから)が仕(つかまつ)りまする悪戯(あくぎ)と申しては――つい先日も、雑水(ぞうみず)に此なる井戸を汲(く)ませまするに水は底に深く映りまして、……釣瓶(つるべ)はくる/\とその、まはりまするのに、如何(いか)にしても上(のぼ)らうといたしませぬ。希有(けう)ぢやと申して、邸内(ていない)多人数(たにんず)が立出(たちい)でまして、力を合せて、曳声(えいごえ)でぐいと曳(ひ)きますとな……殿様。ぽかんと上(あが)つて、二三人に、はずみで尻餅(しりもち)を搗(つ)かせながらに、アハヽと笑うた化(ばけ)ものがござりまする。笑ひ落ちに、すぐに井戸の中へ辷(すべ)り込みまする処(ところ)を、おのれと、奴めの頭を掴(つか)みましたが、帽子だけ抜けて残りましたで、其(それ)を、さらしものにいたしまする気で生垣(いけがき)に引掛(ひきか)けて置きました。その帽子が、此の頃の雨つゞきに、何と御覧じまするやうに、恁(かく)の通り。」……
 と言つて指(さ)して見せたのが、雨に沢(つや)を帯びた、猪口茸(いぐち)に似た、ぶくりとした茸(きのこ)であつた。
 やがて、此が知れると、月余(げつよ)、里(さと)、小路(こうじ)に油を買つた、其の油(あぶら)好(よう)して、而(しか)して価(あたい)の賤(いやしき)を怪(あやし)んだ人々が、いや、驚くまい事か、塩よ、楊枝(ようじ)よと大騒動(おおそうどう)。
 然(しか)も、生命(いのち)を傷つけたるものある事なし、と記(しる)してある。
 私は此の話がすきである。
 何(ど)うも嘘らしい。……
 が、雨である。雨だ。雨が降る……寂(さみ)しい川の流(ながれ)とともに、山家(やまが)の里にびしよ/\と降る、たそがれのしよぼ/\雨、雨だ。しぐれが目にうかぶ。……
了

底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
   1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
   1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
   1940(昭和15)年発行
初出:「随筆」
   1923(大正12)年11月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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