あらすじ
清水の美しい風景を背景に、旅の途中の樹島は、かつて幼い頃に訪れた赤門寺に墓参りに立ち寄ります。そこでお坊さんから、かつて樹島が母と共に訪れたという摩耶夫人の寺「蓮行寺」について尋ねられます。樹島は、摩耶夫人の御堂の写真を目にするのですが、その中には、清水で洗濯をしていた美しい婦人の写真も紛れていました。樹島はその婦人の姿に心を奪われ、写真を持っている婦人に会いたいと願うのですが…。
 瑠璃色(るりいろ)に澄んだ中空(なかぞら)の樹(こ)の間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影の裡(なか)で、密(そっ)と、美麗な婦(おんな)の――人妻の――写真を視(み)た時に、樹島(きじま)は血が冷えるように悚然(ぞっ)とした。……
 山の根から湧(わ)いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで堰(いせき)を落ちて、湛(たた)えた底に、上の鐘楼の影が映るので、釣鐘の清水と言うのである。
 町も場末の、細い道を、たらたらと下りて、ずッと低い処から、また山に向って径(こみち)の坂を蜒(うね)って上る。その窪地(くぼち)に当るので、浅いが谷底になっている。一方はその鐘楼を高く乗せた丘の崖(がけ)で、もう秋の末ながら雑樹が茂って、からからと乾いた葉の中から、昼の月も、鐘の星も映りそうだが、別に札を建てるほどの名所でもない。
 居まわりの、板屋、藁屋(わらや)の人たちが、大根も洗えば、菜も洗う。葱(ねぎ)の枯葉を掻分(かきわ)けて、洗濯などするのである。で、竹の筧(かけひ)を山笹(やまざさ)の根に掛けて、流(ながれ)の落口の外(ほか)に、小さな滝を仕掛けてある。汲(く)んで飲むものはこれを飲むがよし、視(なが)めるものは、観(み)るがよし、すなわち清水の名聞(みょうもん)が立つ。
 径(こみち)を挟んで、水に臨んだ一方は、人の小家(こいえ)の背戸畠(せどばたけ)で、大根も葱も植えた。竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉(あかとんぼ)の羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎(かげろう)という光ある幻影(まぼろし)が、春の闌(たけなわ)なるごとく、浮いて遊ぶ。……
 一時間ばかり前の事。――樹島は背戸畑の崩れた、この日当りの土手に腰を掛けて憩いつつ、――いま言う――その写真のぬしを正(しょう)のもので見たのである。

 その前に、渠(かれ)は母の実家(さと)の檀那寺(だんなでら)なる、この辺(あたり)の寺に墓詣(はかまいり)した。
 俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹(に)であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。
 仁王門の柱に、大草鞋(おおわらじ)が――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――重(かさな)って、稲束の木乃伊(みいら)のように掛(かか)っている事は、渠(かれ)が小児(こども)の時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んだ状(さま)に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、健(すこやか)なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷(ふるさと)なれば可懐(なつか)しさも身に沁(し)みる。
 峰の松風が遠く静(しずか)に聞えた。
 庫裡(くり)に音信(おとず)れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所(なっしょ)とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。
 かあかあと、鴉(からす)が鳴く。……墓所(はかしょ)は日陰である。苔(こけ)に惑い、露に辷(すべ)って、樹島がやや慌(あわただ)しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰(ぶさた)した、塔婆の中の草径(くさみち)を、志す石碑に迷ったからであった。
 紫袱紗(ふくさ)の輪鉦(りん)を片手に、
「誰方(どなた)の墓であらっしゃるかの。」
 少々極(きまり)が悪く、……姓を言うと、
「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」
「御不沙汰をいたして済みません。」
 黙って俯向(うつむ)いて線香を供えた。細い煙が、裏すいて乱るるばかり、墓の落葉は堆(うずたか)い。湿った青苔に蝋燭(ろうそく)が刺(ささ)って、揺れもせず、燐寸(マッチ)でうつした灯がまっ直(すぐ)に白く昇(た)った。
 チーン、チーン。――かあかあ――と鴉が鳴く。
 やがて、読誦(どくじゅ)の声を留(とど)めて、
「お志の御回向(えこう)はの。」
「一同にどうぞ。」
「先祖代々の諸精霊……願以此功徳無量壇波羅蜜(がんいしくどくむりょうだんはらみつ)。具足円満(ぐそくえんまん)、平等利益(びようどうりやく)――南無妙(なむみょう)……此経難持(しきょうなんじ)、若暫持(にゃくざんじ)、我即歓喜(がそくかんぎ)……一切天人皆応供養(いっさいてんにんかいおうくよう)。――」
 チーン。
「ありがとう存じます。」
「はいはい。」
「御苦労様でございました。」
「はい。」
 と、袖(そで)に取った輪鉦形(りんなり)に肱(ひじ)をあげて、打傾きざまに、墓参の男を熟(じっ)と視(み)て、
「多くは故人になられたり、他国をなすったり、久しく、御墓参の方もありませぬ。……あんたは御縁辺であらっしゃるかの。」
「お上人様。」
 裾(すそ)冷く、鼻じろんだ顔を上げて、
「――母の父母(ふたおや)、兄などが、こちらにお世話になっております。」
「おお、」と片足、胸とともに引いて、見直して、
「これは樹島の御子息かい。――それとなくおたよりは聞いております。何よりも御機嫌での。」
「御僧様(あなたさま)こそ。」
「いや、もう年を取りました。知人(しりびと)は皆二代、また孫の代(よ)じゃ。……しかし立派に御成人じゃな。」
「お恥かしゅう存じます。」
「久しぶりじゃ、ちと庫裡(あれ)へ。――渋茶なと進ぜよう。」
「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣(おまいり)をしたい処もございますから。」
「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳(ひ)かれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人(まやぶにん)の御寺へかの。」
 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体(からだ)は、春秋(はるあき)の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。
「それはそれは。」
 と頷(うなず)いて、
「また、今のほどは、御丁寧に――早速御仏前へお料具を申そう。――御子息、それならば、お静(しずか)に。……ああ、上のその木戸はの、錠、鍵も、がさがさと壊れています。開けたままで宜(よろ)しい。あとで寺男(おとこ)が直しますでの。石段が欠けて草蓬々(ぼうぼう)じゃ、堂前へ上らっしゃるに気を着けなされよ。」
 この卵塔は窪地である。
 石を四五壇、せまり伏す枯尾花に鼠(ねずみ)の法衣(ころも)の隠れた時、ばさりと音して、塔婆近い枝に、山鴉が下りた。葉がくれに天狗(てんぐ)の枕のように見える。蝋燭(ろうそく)を啄(ついば)もうとして、人の立去るのを待つのである。
 衝(つ)と銜(くわ)えると、大概は山へ飛ぶから間違(まちがい)はないのだが、怪我(けが)に屋根へ落すと、草葺(くさぶき)が多いから過失(あやまち)をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡(うす)く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪(たま)らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏(こがらす)らしい。
「……お食(あが)り。」
 それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套(がいとう)に、洋傘(こうもり)を抱いて、ぬいだ中折帽(なかおれ)を持添えたまま葎(むぐら)の中を出たのであった。
 赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、径(こみち)を縫う右左、町家(まちや)が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても可(い)い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見(ほくしんみょうけん)の宮、摩利支天の御堂(みどう)、弁財天の祠(ほこら)には名木の紅梅の枝垂(しだ)れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天(びしゃもんてん)。虫歯封じに箸(はし)を供うる辻の坂の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)。時雨の如意輪観世音。笠守(かさもり)の神。日中(ひなか)も梟(ふくろう)が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。――
 清水の真空(まそら)の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀(よ)じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎(いしずえ)のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと称(とな)うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児(こども)たちは嬉しがったものである。――もっとも十(とお)ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用(いりよう)だった。――それだけに思出がなお深い。
 いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋(おおわらじ)を船にして、寺々の巷(ちまた)を漕(こ)ぐように、秋日和の巡礼街道。――一度この鐘楼に上ったのであったが、攀(よ)じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡(すいじゃく)に面して身がしまる。
 旅のつかれも、ともに、吻(ほっ)と一息したのが、いま清水に向った大根畑の縁(へり)であった。
 ……遅めの午飯(ひる)に、――潟で漁(と)れる――わかさぎを焼く香(におい)が、淡く遠くから匂って来た。暖か過ぎるが雨にはなるまい。赤蜻蛉の羽も、もみじを散(ちら)して、青空に透通る。鐘は高く竜頭(りゅうず)に薄霧を捲(ま)いて掛(かか)った。
 清水から一坂上り口に、薪(まき)、漬もの桶(おけ)、石臼(いしうす)なんどを投遣(なげや)りにした物置の破納屋(やれなや)が、炭焼小屋に見えるまで、あたりは静(しずか)に、人の往来(ゆきき)はまるでない。
 月の夜(よ)はこの納屋の屋根から霜になるであろう。その石臼に縋(すが)って、嫁菜の咲いたも可哀(あわれ)である。
 ああ、桶の箍(たが)に尾花が乱るる。この麗(うらら)かさにも秋の寂しさ……
 樹島は歌も句も思わずに、畑の土を、外套(がいとう)の背にずり辷(すべ)って、半ば寝つつも、金剛神の草鞋(わらじ)に乗った心持に恍惚(うっとり)した。
 ふと鳥影が……影が翳(さ)した。そこに、つい目の前(さき)に、しなやかな婦(おんな)が立った。何、……紡績らしい絣(かすり)の一枚着に、めりんす友染と、繻子(しゅす)の幅狭(はばぜま)な帯をお太鼓に、上から紐(ひも)でしめて、褪(あ)せた桃色の襷掛(たすきが)け……などと言うより、腕(かいな)露呈(あらわ)に、肱(ひじ)を一杯に張って、片脇に盥(たらい)を抱えた……と言う方が早い。洗濯をしに来たのである。道端の細流(ほそながれ)で洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。――ないのだが、見ただけでなよやかで、盥(たらい)に力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかな膚(はだ)を徹(とお)して、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿(は)いていた。近づくのに、音のしなかったのも頷(うなず)かれる。
 婦(おんな)は、水ぎわに立停(たちど)まると、洗濯盥――盥には道草に手打(たお)ったらしい、嫁菜が一束挿してあった――それを石の上へこごみ腰におろすと、すっと柳に立直った。日あたりを除(よ)けて来て、且つ汗ばんだらしい、姉(あね)さん被(かぶ)りの手拭(てぬぐい)を取って、額よりは頸脚(えりあし)を軽く拭(ふ)いた。やや俯向(うつむ)けになった頸(うなじ)は雪を欺く。……手拭を口に銜(くわ)えた時、それとはなしに、面(おもて)を人に打蔽(うちおお)う風情が見えつつ、眉を優しく、斜(ななめ)だちの横顔、瞳の濡々(ぬれぬれ)と黒目がちなのが、ちらりと樹島に移ったようである。颯(さっ)と睫毛(まつげ)を濃く俯目(ふしめ)になって、頸(えり)のおくれ毛を肱白く掻上げた。――漆にちらめく雪の蒔絵(まきえ)の指さきの沈むまで、黒く房(ふっさ)りした髪を、耳許(みみもと)清く引詰(ひッつ)めて櫛巻(くしまき)に結っていた。年紀(とし)は二十五六である。すぐに、手拭を帯に挟んで――岸からすぐに俯向くには、手を差伸(さしのば)しても、流(ながれ)は低い。石段が出来ている。苔も草も露を引いて皆青い。それを下りさまに、ふと猶予(ためら)ったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、褄(つま)を取って高く端折(はしょ)った。婦(おんな)は誰も長襦袢(ながじゅばん)を着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄く縊(くび)りつつ、太脛(ふくらはぎ)が白く滑(なめら)かにすらりと長く流(ながれ)に立った。
 ひたひたと絡(まつわ)る水とともに、ちらちらと紅(くれない)に目を遮ったのは、倒(さかさま)に映るという釣鐘の竜の炎でない。脱棄(ぬぎす)てた草履に早く戯るる一羽の赤蜻蛉の影でない。崖のくずれを雑樹また藪(やぶ)の中に、月夜の骸骨(がいこつ)のように朽乱れた古卒堵婆(ふるそとば)のあちこちに、燃えつつ曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が咲残ったのであった。
 婦(おんな)は人間離れをして麗(うつく)しい。
 この時、久米の仙人を思出して、苦笑をしないものは、われらの中に多くはあるまい。
 仁王の草鞋の船を落ちて、樹島は腰の土を払って立った。面(つら)はいつの間にか伸びている。
「失礼ですが、ちょっと伺います――旅のものですが。」
「は、」
「蓮行寺(れんぎょうじ)と申しますのは?」
「摩耶夫人様のお寺でございますね。」
 その声にきけば、一層奥ゆかしくなおとうとい※(「りっしんべん+刀」、第3水準1-84-38)利天(とうりてん)の貴女の、さながらの御(おん)かしずきに対して、渠(かれ)は思わず一礼した。
 婦(おんな)はちょうど筧(かけひ)の水に、嫁菜の茎を手すさびに浸していた。浅葱(あさぎ)に雫(しずく)する花を楯(たて)に、破納屋(やれなや)の上路(のぼりみち)を指して、
「その坂をなぞえにお上りなさいますと、――戸がしまっておりますが、二階家が見えましょう。――ね、その奥に、あの黒く茂りましたのが、虚空蔵様のお寺でございます。ちょうどその前の処が、青く明(あかる)くなって、ちらちらもみじが見えますわね……あすこが摩耶夫人様でございます。」
「どうもありがとう――尋ねたいにも人通りがないので困っていました。――お庇様(かげさま)で……」
「いいえ……まあ。」
「御免なさい。」
「お静(しずか)におまいりをなさいまし……御利益がございますわ。」
 と、嫁菜の花を口許(くちもと)に、瞼(まぶた)をほんのり莞爾(にっこり)した。
 ――この婦人(おんな)の写真なのである。

 写真は、蓮行寺の摩耶夫人の御堂(みどう)の壇の片隅に、千枚の歌留多(かるた)を乱して積んだような写真の中から見出(みいだ)された。たとえば千枚千人の婦女が、一人ずつ皆嬰児(あかご)を抱いている。お産の祈願をしたものが、礼詣りに供うるので、すなわち活きたままの絵馬である。胸に抱いたのも、膝に据えたのも、中には背に負(おんぶ)したまま、両の掌(て)を合せたのもある。が、胸をはだけたり、乳房を含ませたりしたのは、さすがにないから、何も蔽(おお)わず、写真はあからさまになっている。しかし、婦(おんな)ばかりの心だしなみで、いずれも伏せてある事は言うまでもない。
 この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然(きんぺきそうぜん)としつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青い錦(にしき)を見るばかり、厳(おごそか)に端(ただ)しく、清らかである。
 御厨子(みずし)の前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、紅(くれない)の袴(はかま)、白衣(びゃくえ)の官女、烏帽子(えぼし)、素袍(すおう)の五人囃子(ばやし)のないばかり、きらびやかなる調度を、黒棚よりして、膳部(ぜんぶ)、轅(ながえ)の車まで、金高蒔絵(きんたかまきえ)、青貝を鏤(ちりば)めて隙間なく並べた雛壇(ひなだん)に較べて可(い)い。ただ緋毛氈(ひもうせん)のかわりに、敷妙(しきたえ)の錦である。
 ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳(しんしん)、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。
 天人の舞楽、合天井の紫のなかば、古錦襴(こきんらん)の天蓋(てんがい)の影に、黒塗に千羽鶴の蒔絵をした壇を据えて、紅白、一つおきに布を積んで、媚(なまめ)かしく堆(うずたか)い。皆新しい腹帯である。志して詣(もう)でた日に、折からその紅(くれない)の時は女の児(こ)、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。
 右左に大(おおき)な花瓶が据(すわ)って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲(かこい)の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多(おびただ)しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗(ききょう)がまじって、女郎花(おみなえし)のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉(うらは)も落ちず露がしたたる。
 時に、腹帯は紅であった。
 渠(かれ)が詣でた時、蝋燭(ろうそく)が二挺(ちょう)灯(とも)って、その腹帯台の傍(かたわら)に、老女が一人、若い円髷(まるまげ)のと睦(むつま)じそうに拝んでいた。
 しばらくして、戸口でまた珠数を揉頂(もみいただ)いて、老女が前(さき)に、その二人が帰ったあとは、本堂、脇堂にも誰も居ない。
 ここに註(ちゅう)しておく。都会にはない事である。このあたりの寺は、どこにも、へだて、戸じまりを置かないから、朝づとめよりして夕暮までは、諸天、諸仏。――中にも爾(しか)く端麗なる貴女の奥殿に伺候(しこう)するに、門番、諸侍の面倒はいささかもないことを。
 寺は法華宗である。
 祖師堂は典正なのが同一棟(ひとつむね)に別にあって、幽厳なる夫人(ぶにん)の廟(びょう)よりその御堂(みどう)へ、細長い古畳が欄間の黒い虹(にじ)を引いて続いている。……広い廊下は、霜のように冷(つめと)うして、虚空蔵の森をうけて寂然(じゃくねん)としていた。
 風すかしに細く開いた琴柱窓(ことじまど)の一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越(むこうごし)の山の根に、きらきらと一面の姿見の光るのは、遠い湖の一部である。此方(こなた)の麓(ふもと)に薄もみじした中腹を弛(ゆる)く繞(めぐ)って、巳(み)の字の形に一つ蜒(うね)った青い水は、町中を流るる川である。町の上には霧が掛(かか)った。その霧を抽(ぬ)いて、青天に聳(そび)えたのは昔の城の天守である。
 聞け――時に、この虹の欄間に掛けならべた、押絵の有名な額がある。――いま天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠を凝(こら)した細工である。
 万亭応賀の作、豊国画(えがく)。錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫(しゃかはっそうやまとぶんこ)の挿画(さしえ)のうち、摩耶夫人の御(おん)ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾(あや)、錦、また珊瑚(さんご)をさえ鏤(ちりば)めて肉置の押絵にした。……
 浄飯王(じょうぼんおう)が狩の道にて――天竺(てんじく)、天臂城(てんぴじょう)なる豪貴の長者、善覚の妹姫が、姉君矯曇弥(きょうどんみ)とともに、はじめて見(まみ)ゆる処より、優陀夷(うだい)が結納の使者に立つ処、のちに、矯曇弥が嫉妬(しっと)の処。やがて夫人が、一度(ひとたび)、幻に未生(みしょう)のうない子を、病中のいためる御胸(おんむね)に、抱(いだ)きしめたまう姿は、見る目にも痛ましい。その肩にたれつつ、みどり児の頸(うなじ)を蔽(おお)う優しき黒髪は、いかなる女子のか、活髪(いきがみ)をそのままに植えてある。……
 われら町人の爺媼(じいばば)の風説(うわさ)であろうが、矯曇弥の呪詛(のろい)の押絵は、城中の奥のうち、御台、正室ではなく、かえって当時の、側室、愛妾(あいしょう)の手に成ったのだと言うのである。しかも、その側室は、絵をよくして、押絵の面描(かおかき)は皆その彩筆に成ったのだと聞くのも意味がある。
 夫人の姿像のうちには、胸ややあらわに、あかんぼのお釈迦様を抱(いだ)かるるのがあるから、――憚(はばか)りつつも謹んで説(い)おう。
 ここの押絵のうちに、夫人が姿見のもとに、黒塗の蒔絵の盥(たらい)を取って手水(ちょうず)を引かるる一面がある。真珠を雪に包んだような、白羽二重で、膚脱(はだぬぎ)の御乳(おんち)のあたりを装(も)ってある。肩も背も半身の膚(はだえ)あらわにおわする。
 牙(きば)の六つある大白象(だいびゃくぞう)の背に騎して、兜率天(とそつてん)よりして雲を下って、白衣の夫人の寝姿の夢まくらに立たせたまう一枚のと、一面やや大なる額に、かの藍毘尼園中(らんびにおんちゅう)、池に青色(せいしょく)の蓮華(れんげ)の開く処。無憂樹(むうじゅ)の花、色香鮮麗(せんれい)にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。
 面影も、色も靉靆(たなび)いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立(つまだ)たれた。
 畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟(ぶにんびょう)の壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。
 押絵のあとに、時代を違えた、写真を覘(のぞ)くのも学問である。
 清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷(まるまげ)にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の児(こ)らしい嬰児(みどりご)を抱(いだ)いて、写真屋の椅子にかけた像(かたち)は、寸分の違いもない。
 こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひそかに持帰る事を許されている。ただし遅速はおいて、複写して、夫人の御(おん)人々御中に返したてまつるべき事は言うまでもなかろう。
 今日は方々にお賽銭(さいせん)が多い。道中の心得に、新しく調えた懐中に半紙があった。
 目の露したたり、口許(くちもと)も綻(ほころ)びそうな、写真を取って、思わず、四辺(あたり)を見て半紙に包もうとした。
 トタンに人気勢(ひとけはい)がした。
 樹島はバッとあかくなった。
 猛然として憶起(おもいおこ)した事がある。八歳(やッつ)か、九歳(ここのつ)の頃であろう。雛人形(ひなにんぎょう)は活(い)きている。雛市は弥生(やよい)ばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。……心を籠(こ)めて、じっと凝視(みつめ)るのを、毎日のように、およそ七日十日に及ぶと、思入ったその雛、その人形は、莞爾(にっこり)と笑うというのを聞いた。――時候は覚えていない。小学校へ通う大川の橋一つ越えた町の中に、古道具屋が一軒、店に大形の女雛(めびな)ばかりが一体あった。※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)長(ろうた)けた美しさは註するに及ぶまい。――樹島は学校のかえりに極(きま)って、半時ばかりずつ熟(じっ)と凝視した。
 目は、三日四日めから、もう動くようであった。最後に、その唇の、幽冥(ゆうめい)の境より霞一重に暖かいように莞爾(にっこり)した時、小児(こども)はわなわなと手足が震えた。同時である。中仕切の暖簾(のれん)を上げて、姉さんだか、小母さんだか、綺麗(きれい)な、容子(ようす)のいいのが、すっと出て来て、「坊ちゃん、あげましょう。」と云って、待て……その雛ではない。定紋つきの塗長持の上に据えた緋(ひ)の袴(はかま)の雛のわきなる柱に、矢をさした靱(うつぼ)と、細長い瓢箪(ひょうたん)と、霊芝(れいし)のようなものと一所に掛けてあった、――さ、これが変だ。のちに思っても可思議(ふしぎ)なのだが、……くれたものというと払子(ほっす)に似ている、木の柄が、草石蚕(ちょうろぎ)のように巻きぼりして、蝦色(えびいろ)に塗ってあるさきの処に、一尺ばかり革の紐がばらりと一束ついている。絵で見た大将が持つ采配(さいはい)を略したような、何にするものだか、今もって解(わか)らない。が、町々辻々に、小児(こども)という小児が、皆おもちゃを持って、振ったり、廻したり、空(くう)を払(はた)いたりして飛廻った。半年ばかりですたれたが、一種の物妖(ぶつよう)と称(とな)えて可(よ)かろう。持たないと、生効(いきがい)のないほど欲しかった。が樹島にはそれがなかった。それを、夢のように与えられたのである。
 橋の上を振廻して、空を切って駈戻(かけもど)った。が、考えると、……化払子(ばけほっす)に尾が生えつつ、宙を飛んで追駈(おっか)けたと言わねばならない。母のなくなった、一周忌の年であった。
 父は児(こ)の手の化ものを見ると青くなって震えた。小遣銭をなまで持たせないその児の、盗心(ぬすみごころ)を疑って、怒ったよりは恐れたのである。
 真偽を道具屋にたしかめるために、祖母がついて、大橋を渡る半ばで、母のおくつきのある山の峰を、孫のために拝んだ、小児(こども)も小さな両手を合せた。この時の流(ながれ)の音の可恐(おそろし)さは大地が裂けるようであった。「ああ、そうとは知りませぬ。――小児衆の頑是ない、欲しいものは欲しかろうと思うて進ぜました。……毎日見てござったは雛じゃったか。――それはそれは。……この雛はちと大金(たいまい)のものゆえに、進上は申されぬ――お邪魔でなくばその玩弄品(おもちゃ)は。」と、確(しか)と祖母に向って、道具屋が言ってくれた。が、しかし、その時のは綺麗な姉さんでも小母さんでもない。不精髯(ぶしょうひげ)の胡麻塩(ごましお)の親仁(おやじ)であった。と、ばけものは、人の慾(よく)に憑(つ)いて邪心を追って来たので、優(やさし)い婦(ひと)は幻影(まぼろし)ばかり。道具屋は、稚(おさな)いのを憐(あわ)れがって、嘘で庇(かば)ってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。
 ――おなじ思(おもい)が胸を打った。同時であった、――人気勢(ひとけはい)がした。――
 御廟子(みずし)の裏へ通う板廊下の正面の、簾(すだれ)すかしの観音びらきの扉(と)が半ば開きつつ薄明(うすあかる)い。……それを斜(ななめ)にさし覗(のぞ)いた、半身の気高い婦人がある。白衣に緋を重ねた姿だと思えば、通夜の籠堂(こもりどう)に居合せた女性(にょしょう)であろう。小紋の小袖に丸帯と思えば、寺には、よき人の嫁ぐならいがある。――あとで思うとそれも朧(おぼろ)である。あの、幻の道具屋の、綺麗な婦(ひと)のようでもあったし、裲襠姿振袖(うちかけすがたふりそで)の額の押絵の一体のようにも思う。……
 瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々(つつ)と出、その裳(もすそ)に両手をついて跪(ひざまず)いた。
「小児は影法師も授(さずか)りません。……ただあやかりとう存じます。――写真は……拝借出来るのでございましょうか。」
 舌はここで爛(ただ)れても、よその女を恋うるとは言えなかったのである。
「どの、お写真。」
 と朗(ほがらか)に、しっとり聞えた。およそ、妙(たえ)なるものごしとは、この時言うべき詞(ことば)であった。
「は、」
 と載せたまま白紙(しらかみ)を。
「お持ちなさいまし。」
 あなたの手で、スッと微(かす)かな、……二つに折れた半紙の音。
「は、は。」
 と額に押頂くと、得ならず艶(えん)なるものの薫(かおり)に、魂は空(くう)になりながら、恐怖(おそれ)と恥(はじ)とに、渠(かれ)は、ずるずると膝で退(さが)った。
 よろりと立つ時、うしろ姿がすっと隠れた。
 外套も帽も引掴(ひッつか)んで、階(きざはし)を下りる、足が辷(すべ)る。そこへ身体(からだ)ごと包むような、金剛神の草鞋(わらじ)の影が、髣髴(ほうふつ)として顕(あらわ)れなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、径(こみち)へ転落(ころげお)ちたに相違ない。
 雛の微笑(ほほえみ)さえ、蒼穹(あおぞら)に、目に浮(うか)んだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へ橇(そ)り落した。
 清水の向畠(むこうはた)のくずれ土手へ、萎々(なえなえ)となって腰を支(つ)いた。前刻の婦(おんな)は、勿論の事、もう居ない。が、まだいくらほどの時も経(た)たぬと見えて、人の来て汲(く)むものも、菜を洗うものもなかったのである。
 ほかほかとおなじ日向(ひなた)に、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履を嬲(なぶ)ったのが羨(うらやま)しい……赤蜻蛉が笑っている。
「見せようか。」
 仰向(あおむ)けに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄(やけ)に言った。
「いや、……自分で拝もう。」
 時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋(やれなや)の石臼も眼(まなこ)が窪み口が欠けて髑髏(しゃりこうべ)のように見え、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)も鬼火に燃えて、四辺(あたり)が真暗(まっくら)になったのは、眩(めくるめ)く心地がしたからである。――いかに、いかに、写真が歴々(ありあり)と胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児(あかんぼ)が、美女の袖を消えて、拭(ぬぐ)って除(と)ったように、なくなっていたのであるから。
 樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に駈戻(かけもど)った。あえて目をつむってと言う、金剛神の草鞋が、彼奴(きゃつ)の尻をたたき戻した事は言うまでもない。
 夫人の壇に戻し参らせた時は、伏せたままでソと置いた。嬰児(あかんぼ)が、再び写真に戻ったかどうかは、疑うだけの勇気はなかったそうである。

「いや、何といたしまして。……棚に、そこにござります。金、極彩色の、……は、そちらの素木彫(しらきぼり)の。……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。――はい、店口にござります、その紫の袈裟(けさ)を召したのは私(てまえ)が刻みました。祖師のお像(すがた)でござりますが、喜撰法師のように見えます処が、業(わざ)の至りませぬ、不束(ふつつか)ゆえで。」
 と、淳朴(じゅんぼく)な仏師が、やや吶(ども)って口重く、まじりと言う。
 しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対して試(こころみ)に聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。
 一山に寺々を構えた、その一谷(ひとたに)を町口へ出はずれの窮路、陋巷(ろうこう)といった細小路で、むれるような湿気のかびの一杯に臭(にお)う中に、芬(ぷん)と白檀(びゃくだん)の薫(かおり)が立った。小さな仏師の家であった。
 一小間(ひとこま)硝子(がらす)を張って、小形の仏龕(ぶつがん)、塔のうつし、その祖師の像(かたち)などを並べた下に、年紀(としごろ)はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚(ちりづか)に対しつつ、口をへの字形(なり)に結んで泰然として、胡坐(あぐら)で細工盤に向っていた。「少々拝見を、」と云って、樹島は静(しずか)に土間へ入って、――あとで聞いた預りものだという仏(ぶつ)、菩薩(ぼさつ)の種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。大(おおき)なこのくらいの像(すがた)を一体は。」とおおよその値段を当った。――冷々(ひやひや)とした侘住居(わびずまい)である。木綿縞(もめんじま)の膝掛(ひざかけ)を払って、筒袖のどんつくを着た膝を居(すわ)り直って、それから挨拶した。そッときいて、……内心恐れた工料の、心づもりよりは五分の一だったのに勢(いきおい)を得て、すぐに一体を誂(あつら)えたのであった。――
「……なれども、おみだしに預りました御註文……別して東京へお持ちになります事で、なりたけ、丹、丹精を抽(ぬき)んでまして。」
 と吃(ども)って言う。
「あなた、仏様に御丹精は、それは実に結構ですが、お礼がお礼なんですから、お骨折ではかえって恐縮です。……それに、……唯今(ただいま)も申しました通り、然るべき仏壇の用意もありません。勿体なくありません限り、床の間か、戸袋の上へでもお据え申そうと思いますから、かたがた草双紙風俗(ふう)にとお願い申したほどなんです。――本式ではありません。※(「りっしんべん+刀」、第3水準1-84-38)利天(とうりてん)のお姿では勿体ないと思うのですから。……お心安く願います。」
「はい、一応は心得ましてござります。なお念のために伺いますが、それでは、むかし御殿のお姫様、奥方のお姿でござりますな。」
「草双紙の絵ですよ。本があると都合がいいな。」
 樹島は巻莨(まきたばこ)を吸いさして打案じつつ、
「倭文庫(やまとぶんこ)。……」
「え、え、釈迦八相――師匠の家にございまして、私(てまえ)よく見まして存じております。いや、どうも。……」
 と胸を抱くように腕を拱(く)んで、
「小僧から仕立てられました、……その師匠に、三年あとになくなられましてな。杖とも柱とも頼みましたものを、とんと途方に暮れております。やっと昨年、真似方(まねかた)の細工場を持ちました。ほんの新店でござります。」
「もし、」
 と、仕切一つ、薄暗い納戸から、優しい女の声がした。
「端本(はほん)になりましたけれど、五六冊ございましたよ。」
「おお、そうか。」
「いや、いまお捜しには及びません。」
 様子を察して樹島が框(かまち)から声を掛けた。
「は、つい。」
「お乳(っぱ)。」
 と可愛い小児(こども)の声する。……
「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」
「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」
「まあ、のの様ではありません、母(かあ)ちゃんよ。」
「ううん、欲(ほし)くないの、坊、のんだの、のの様のおっぱい。――お雛様(ひなちゃん)のような、のの様のおっぱい。」
「おや、夢を御覧だね。」
 樹島は肩の震うばかり胸にこたえた。
「嬢ちゃんですか。」
「ええ、もう、年弱(としよわ)の三歳(みッつ)になりますが、ええ、もう、はや――ああ、何、お茶一つ上げんかい。」
 と、茶卓に注(つ)いで出した。
「あ、」
 清水にきぬ洗える美女である。先刻(さっき)のままで、洗いさらした銘仙(めいせん)の半纏(はんてん)を引掛(ひっか)けた。
「先刻は。」
「まあ、あなた。」
「お目にかかったか。」
「ええ、梅鉢寺の清水の処で、――あの、摩耶夫人様のお寺をおききなさいました。」
 渠(かれ)は冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。
「御信心でございますわね。」
 と、熟(じっ)と見た目を、俯目(ふしめ)にぽッと染めた。
 むっくりとした膝を敲(たた)いて、
「それは御縁じゃ――ますます、丹、丹精を抽んでますで。」
「ああ、こちらの御新姐(ごしんぞ)ですか。」
 と、吻(ほっ)として、うっかり言う。
「いや、ええ、その……師、師匠の娘でござりまして。」
「何ですね、――ねえ、……坊や。」
 と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向(そがい)に面(おもて)を背けた。
 樹島は謝礼を差出した。出来(しゅったい)の上で、と辞して肯(がえん)ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、硯(すずり)に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を――
  記
一金……円也
「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました。」
「御主人。」
 と樹島が手を挙げて、
「夫人のお名は、金員の下でなく、並べてか、……上の方へ願います。」
「あ、あ、あい分りました。」
「御丁寧に。……では、どうぞ。……決して口を出すのではありませんが、お顔をどうぞ、なりたけ、お綺麗になすって下さい。……お仕事の法にかなわないかは分りませんが。」
「ああ、いえ。――何よりも御容貌が大切でございます。――赤門寺のお上人は、よく店へお立寄り下さいますが、てまえどもの方の事にも、それはお悉(くわ)しゅうございましてな。……お言(ことば)には――相好(そうごう)説法――と申して、それぞれの備ったおん方は、ただお顔を見たばかりで、心も、身も、命も、信心が起(おこ)るのじゃと申されます。――わけて、御女体、それはもう、端麗微妙(たんれいみみょう)の御面相でなければあいなりません。――……てまいただ、力、力が、腕、腕がござりましょうか、いかがかと存じまするのみでして、は、はい。」
 樹島は、ただ一目散に停車場(ステエション)へ駈(かけ)つけて、一いきに東京へ遁(に)げかえる覚悟をして言った。
「御新姐の似顔ならば本懐です。」――

 十二月半ばである。日短かな暮方に、寒い縁側の戸を引いて――震災後のたてつけのくるいのため、しまりがつかない――竹の心張棒を構おうとして、柱と戸の桟に、かッと極(き)め、極めはずした不思議のはずみに、太い竹が篠(しの)のようにびしゃっと撓(しな)って、右の手の指を二本打(うち)みしゃいだ。腕が砕けたかと思った――気が遠くなったほどである。この前日、夫人像出来、道中安全、出荷という、はがきの通知をうけていた。
 のち二日目の午後、小包が届いたのである。お医師(いしゃ)を煩わすほどでもなかった。が、繃帯(ほうたい)した手に、待ちこがれた包を解いた、真綿を幾重にも分けながら。
 両手にうけて捧げ参らす――罰当り……頬を、唇を、と思ったのが、面(おもて)を合すと、仏師の若き妻の面でない――幼い時を、そのままに、夢にも忘れまじき、なき母の面影であった。
 樹島は、ハッと、真綿に据えたまま、蒼白(あお)くなって飛退(とびしさ)った。そして、両手をついた。指はズキズキと身に応(こた)えた。
 更(あらた)めて、心着くと、ああ、夫人の像の片手が、手首から裂けて、中指、薬指が細々と、白く、蕋(しべ)のように落ちていた。
 この御慈愛なかりせば、一昨日(おととい)片腕は折れたであろう。渠(かれ)は胸に抱いて泣いたのである。
 なお仏師から手紙が添って――山妻云々とのお言(ことば)、あるいはお戯(たわむれ)でなかったかも存ぜぬが、……しごとのあいだ、赤門寺のお上人が四五度もしばしば見えて、一定(いちじょう)それに擬(なぞら)え候よう、御許様(おんもとさま)のお母様の俤(おもかげ)を、おぼろげならず申伝えられましたるゆえ――とこの趣であった。
 ――樹島の事をここに記して――
 筆者は、無憂樹、峰茶屋心中、なお夫人堂など、両三度、摩耶夫人の御像(みすがた)を写そうとした。いままた繰返しながら、その面影の影らしい影をさえ、描き得ない拙(つたな)さを、恥じなければならない。
大正十三(一九二四)年七月
了

底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二卷」岩波書店
   1940(昭和15)年11月20日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年10月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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