L'amour s'en va comme cette eau courante
L'amour s'en va
Comme la vie est lente
Et comme l'Esp
rance est violente
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
L'amour s'en va
Comme la vie est lente
Et comme l'Esp
rance est violenteVienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
さういふ時はそれでよかつた……だが、大川の上にあかあかと冬のきびしい夕日が照り、それが濁つた水の色と映り合ひながら、そこに何とも言ひやうのない、凄じいばかりの色感を生じさせてゐる時などは、私はちよつとそれを見ただけでも、何だかぞつと惡寒がするやうな、耐らなく不快な重苦しい心持になつてしまふのだ。その時分は、私にはさういふ惡感が、私の足の下を物憂げに流れてゐる大川の、その赤いとも黒いともつかないやうな、濁つた色の不快さから來るものとしか感じられなかつたが、いまから思へば、それはそのせゐばかりではなく、その當時すでに私の中にこつそり潛在してゐた病熱の、あらゆる水といふ水を嫌惡する性質のためもあつたに違ひないのだ。……
そんな何となく不快なやうなときにしろ、或はまたアポリネエルの詩句などを我知らず口吟んでゐるほど氣の輕いときにしろ、私は橋の中ほどに佇みながら、ふと、ダダダダダといふ心臟を惡くするやうな音を聞き、そして夕靄の中を、昔から「一錢蒸氣」と呼ばれてゐる、古ぼけた蒸氣船が、それでも小さな波を蹴立てながら私のゐる方へ進んでくるのをぼんやりと目に入れてゐるうちに、私はどうかした具合で思はずドキツとするやうなことがあるのだ。すると同時に私は(これも私の熱の作用のせゐだつたのかしら?)ふしぎに茫漠とした、とりとめのない氣分に落ち込んでしまひ、私の視野のなかの現實の風景がずんずん暈けてゆき、そしてその上に二重にも三重にも重なり合ひながら、昨日の失はれた風景が思ひがけず立ち現はれてくるのだが、それは例へば、ビイル會社の近代的な冷たい感じのするコンクリイトの壁へいつか一めんに蔦のからんだ古い煉瓦の壁が侵入し、それを見る見る掩ふかと思ふと、いつか現在の芝生ばかりの公園にとつて代つてゐる震災前の樹木の多い水戸樣の屋敷の中から、その昔、人が「首縊りの木」と呼んでゐた、一本の氣味のわるい恰好をした老木がによつと浮び出てきて、夜などその木の傍を通るときは一目散に駈け出さずにはゐられなかつたやうな子供の時分の恐怖感までがまざまざと思ひ出されてくる、といつた風に。……
その間もたえず私の眼は、笹縁のやうに白い泡で縁どられた蒸氣船をぼんやり追つてゐるのだが、そのうちに私は再び先刻のやうなドキツとする氣持を經驗する。すると今度は、その瞬間まで私を取卷いてゐた昨日の風景の幻たちがたちまち消滅する番だ。そして私は再び自分自身を、いつのまにか悲しげな勞働者たちで一杯になりだしてゐる、夕方の橋の上に見出しながら、ただそれだけが今しがたの幻の中からそつくりそのまま殘つてゐるやうな古蒸氣船のうしろ姿を、あたかもそれがその幻のうしろ姿であるかのやうに、とりとめのない氣持で見送つてゐるのである。
それは冬の夕方なのだ。そして私の立つてゐる橋の上からは、北方の空一面に、いくすぢとなく工場の灰色の煙の流れるのが見え、そしてそれらの灰色がどれもみな遠近によつて異つてゐるやうに、これもまたそれぞれに高低の異つた諸工場のサイレンの音がどれからともなく一どきに鳴り出すのが、橋の上の喧騷を通して私の耳に入つてくる。さて、私はと言へば、それを機會にそれからすぐ明るい街の方へ行かうともしないで、ぢつと橋の欄干に倚りかかりながら、いつかまたアポリネエルの詩句などを口吟んだりしたものだ。
Passent les jours et passent les semaines
Ni temps pass
Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
Ni temps pass

Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure