あらすじ
戦争の惨禍を目の当たりにした男が、その経験から生まれた絶望と、それでもなお未来への希望を求める葛藤を描いた作品です。戦争の残酷さと、人間の弱さ、そして戦争がもたらす深い悲しみを、静かで力強い言葉で表現しています。ラジオから聞こえてくる戦争のニュース、そして自身の記憶が鮮明に蘇る中で、男は心の奥底で、戦争の終結を切に願うのです。
コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

 夕食が済んで病妻が床に横はると、雨戸をおろした四辺は急に静かになる。ラジオばかりが生々しいものをその部屋に伝へてくるのだが、それを聴きながらも、つねにそれを無視しようとする気持が僕にはあつた。それは日本軍による香港入城式の録音放送を聴いてゐた時のことであつた。戦車の轟音のなかから突然、キヤーツと叫ぶ婦人の声をきいた僕は、まるで腸に針を突刺されたやうな感覚をおぼえた。あの時、あの時から僕には、もつともつと怖しいことがらが身近かに迫るだらうとおもへた。それから、原子爆弾による地球大破滅の縮図をこの眼でたしかに見て来たのだつた。
 だが、今後も……。人類は戦争と戦争の谷間にみじめな生を営むのであらうか。原子爆弾の殺人光線もそれが直接彼の皮膚を灼かなければ、その意味が感覚できないのであらうか。そして、人間が人間を殺戮することに対する抗議ははたして無力に終るのであらうか。……僕にはよくわからないのだ。ただ一つだけ、明確にわかつてゐることがらは、あの広島の惨劇のなかに横はる塁々たる重傷者の、そのか弱い声の、それらの声が、等しく天にむかつて訴へてゐることが何であるかといふことだ。

底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「近代文学」
   1948年9月号
入力:ジェラスガイ
校正:大野晋
2002年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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