あらすじ
長野県塩山村を舞台に、東京で学問を志し、故郷の友と再会を果たした「私」は、友の家を訪ねます。しかし、かつての静かで穏やかな村は、放火事件で騒然としていました。村の悪党・重右衛門が放火を繰り返し、村は不安に包まれています。そして、重右衛門の手下とされる謎の少女の存在が、事態をさらに複雑にしています。美しい自然と、その中に潜む闇。「私」は、かつての友の現状と、村に蔓延る不安、そして重右衛門の謎に迫ります。
     一

 五六人集つたある席上で、何(ど)ういふ拍子か、ふと、魯西亜(ロシヤ)の小説家イ、エス、ツルゲネーフの作品に話が移つて、ルウヂンの末路や、バザロフの性格などに、いろ/\興味の多い批評が出た事があつたが、其時なにがしといふ男が急に席を進めて、「ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度猟夫手記(れふふしゆき)の中にでもありさうな人物に田舎(ゐなか)で邂逅(でつくは)して、非常に心を動かした事があつた。それは本当に、我々がツルゲネーフの作品に見る魯西亜の農夫そのまゝで、自然の力と自然の姿とをあの位明かに見たことは、僕の貧しい経験には殆(ほとん)ど絶無と言つて好い。よく観察すれば、日本にも随分アントニイ、コルソフや、ニチルトッフ、ハーノブのやうな人間はあるのだ」と言つて話し出した。

     二

 まアずつと初めから話さう。自分が十六の時始めて東京に遊学に来た頃の事だから、もう余程古い話だが、其頃麹町(かうぢまち)の中六番町に速成学館といふ小さな私立学校があつた。英学、独逸(ドイツ)学、数学、漢学、国学、何でも御座れの荒物屋で、重(おも)に陸軍士官学校、幼年学校の試験応募者の為めに必須の課目を授くるといふ、今でも好く神田、本郷辺(へん)の中通(なかどほり)に見るまことにつまらぬ学校で、自分等が知つてから二年ばかり経(た)つて、其学校は潰(つぶ)れて了(しま)ひ、跡には大審院の判事か何かが、その家を大修繕して、裕(ゆた)かに生活して居るのを見た。けれど其古風な門は依然たる昔の儘(まゝ)で、自分は小倉(こくら)の古袴(ふるばかま)の短いのを着、肩を怒(いから)して、得々(とく/\)として其門に入つて行つたと思ふと、言ふに言はれぬ懐(なつ)かしい心地がして、其時分のことが簇々(むら/\)と思ひ出されるのが例(つね)だ。で、何(ど)うして自分が其学校に通ふ事に為(な)つたかと言ふと、夫(それ)は自分が陸軍志願であつたからで自分の兄は非常な不平家の処から、規則正しい学校などに入つて、二年も三年も懸(かゝ)つて修業するのなら誰にでも出来る、貴様は少くともそんな意気地の無い真似を為(し)てはならぬ。何でも早く勉強して、来年にも幼年学校に入るやうにしなければ、一体男児(をとこ)の本分が立(たゝ)ぬではないか。と言つた風に油を懸(か)けられたので、それで当時規則正しい、陸軍志願の学生には唯一の良校と言はれた市谷の成城学校にも入らずに、態々(わざ/\)速成といふ名に惚(ほ)れて、そのつまらぬ学校の生徒と為(な)つたのであつた。今から思ふと、随分愚かな話ではあるが、自分はいくらか兄の東洋豪傑流の不平に感化されて居つたから、それを好い事と深く信じ、来年は必ず幼年学校に入らなければならぬと頻(しき)りに学問を励んで居た。
 忘れもせぬ、自分の其学校に行つて、頬に痣(あざ)のある数学の教師に代数の初歩を学び始めて、まだ幾日(いくか)も経(へ)ぬ頃に、新に入学して来た二人の学生があつた。一人は髪の毛の長い、色の白い、薄痘痕(うすあばた)のある、背の高い男で、風采は何所(どこ)となく田舎臭(ゐなかくさ)いところがあるが、其の柔和な眼色(めつき)の中(うち)には何所(どこ)となく人を引付ける不思議の力が籠(こも)つて居て、一見して、僕は少なからず気に入つた。一人はそれとは正反対に、背の低い、色の浅黒い痩(やせ)こけた体格で、其顔には極(ご)く単純な思想が顕(あら)はれて居るばかり、低頭勝(うつむきがち)なる眼には如何(いか)なる空想の影をも宿して居るやうには受取れなかつた。二人とも綿(めん)の交つた黒の毛糸の無意気(ぶいき)な襟巻(えりまき)を首に巻付けて、旧(ふる)い旧い流行後れの黒の中高帽を冠つて(学生で中高帽などを冠つて居るものは今でも少い)それで、傍(そば)で聞いては、何とも了解(わか)らぬやうな太甚(はなはだ)しい田舎訛(ゐなかなまり)で、互に何事をか声高く語り合ふので、他の学生等はいづれも腹を抱へて笑はぬものは無い。
「イット、エズ、エ、デック」
 とナショナルの読本(リードル)の発音が何うしても満足に出来ぬので、二人はしたゝか苦しんで居たが、ある日、教師から指名されて、「ズー、ケット、ラン」と読方を初めると……、生徒は一同どつと笑つた。
 漢学の素読(そどく)の仕方がまた非常に可笑(をか)しかつた、文章軌範の韓退之(かんたいし)の宰相(さいしやう)に上(たてまつ)るの書を其時分我々は読んで居つたが、それを一種可笑(をか)しい、調子を附けずには何うしても読めぬので、それが始まるといつも教場を賑(にぎ)はすの種(たね)とならぬ事は無かつたのである。
 ある日、自分が課業を終つて、あたふたとその学校の門を出て行くと、自分より先にその田舎の二人が丸で兄弟でもあるかの様に、肩と肩とを摩合(すりあは)せて、頻(しき)りに何事をか話しながら歩いて行く。
 声を懸けようと思つたけれど、黙つて自分は先へ行つて了(しま)つた。
 次の日も二人睦(むつま)しさうに並んで行く。
 矢張声を懸けなかつた。
 次の日も……
 又其次の日も矢張同じやうに肩を摩り合せて、同じやうにさも睦しさうに話し合つて行くので、彼等は一体何所(どこ)に行くのか知らん、自分等の帰る方角に帰つて行くのか知らんと思ひながら、ふと、
「君達は何処(どこ)です」
 と突然尋ねた。
 急に答は為(せ)ずに丁寧に会釈(ゑしやく)してから、
「私等(わしらあ)ですか、私等は四谷(よつや)の塩町(しほちやう)に居るんでがすア」
 と背の高い方がおづ/\答へた。
「僕も四谷の方に行くんだ!」
 と自分も言つた。其頃自分は牛込の富久町(とみひさちやう)に住んで居たので、其処に帰るには是非四谷の塩町は通らなければならぬ。否、四谷の大通には夜などよく散歩に出懸(でかく)る事がある身の、塩町附近の光景には一方(ひとかた)ならず熟して居る。玩弄屋(おもちやや)の隣に可愛い娘の居る砂糖屋、その向ふに松風亭といふ菓子屋、鍛冶屋(かぢや)、酒屋、其前に新築の立派な郵便電信局……。
 二三歩歩いてから、
「塩町つて、……僕はよく知つてるが、塩町の何処です、君達の居る家は……」
「塩町の……湯屋の二階に来て居るんでさア」
「湯屋つて言へば、あの角に柳のある?」
「左様でがさア」
「それぢや僕も入つた事がある湯屋だ。彼処(あすこ)には背の低い、にこ/\した妻君が居る筈(はず)だ」
「好く知つて居やすナア」
 と驚いた様子。
「それぢや、いつでも僕が帰る道だから、これから一所に帰らうぢやありませんか」
「さう願へりや、はア結構だす……」
 と背の低い方が答へた。
 又二三歩黙つて歩いた。
「それで君達の国は一体何処です?」
「私等の国ですか、私等の国は信州でがすが……」
「信州の何処(どこ)?」
「信州は長野の在でがすア」
「何時(いつ)東京(こつち)に来たのです」
「去年の十二月、来たんですが、山中(やまんなか)から、はア出て来たもんだで、為体(えてい)が分らないでえら困りやした」
「塩町の湯屋は親類ですか」
「親類ぢやありやしねえが、村の者で、昔村で貧乏した時分、私等の親が大層世話をした事がある男でさア。十年前に国元ア夜逃げする様にして逃げて来たゞが、今ぢやえら身代(しんだい)のう拵(こしら)へて、彼地処(あすこ)でア、まア好い方だつて言ふたが、人の運て言ふものは解らねえものだす」
 自分はこの時からこの二人に親しく為(な)つたので、段々話を為(し)て見ると、言ふに言はれぬ性質の好い処があつて、背の高い方は田舎者に似合はぬ才をも有(も)つて居るし、又背の低い方は自分と同じく漢詩を作る事を知つて居るので、一月もその同じ道を伴立(つれだ)つて帰る中(うち)には、十年も交つた親友のやうに親しくなつて、互の将来の思想も語り合へば、互の将来の目的も語り合つて、時間の都合で一所に帰られぬ時は非常に寂(さび)しく感ずるといふ程の交情になつて了つた。自分は四谷御門の塵埃(ほこり)の間を歩きながら、幾度二人に向つて、陸軍志願を勧めたであらうか。幾度二人に漢学の修養の必要を説いたであらうか。自分は其頃兄に教はつて居た白文(はくぶん)の八家文(はつかぶん)の難解の処を読み下し、又は即席に七絶(ぜつ)を賦(ふ)して、大いに二人を驚かした。ことに背の低い山県行三郎(やまがたかうざぶらう)といふのは、自分の漢詩に巧(たくみ)であることを知つて、喜んでその自作の漢詩を示し、好くその故郷(ふるさと)の雪の景色を説明して自分に聞かせた。自分の若い空想に富んだ心は何(ど)んなにその二人の故郷の雪景色なるものを想像したであらうか。二人は言ふのである。自分の故郷は長野から五里、山又山の奥で其の景色の美しさは、とても都会の人の想像などでは解りこは無(ね)えだアと。否、そればかりではない、背の低い山県は学問の時間の間に、その古い手帳をひろげて、其処に描かれたる拙(つたな)い一枚の写生図を示し、これが私の家、これが杉山君の家、こゝにこんもりと茂つて居るのは村の鎮守、それから少し右に寄つて同じ木立(こだち)のあるのは安養寺といふ村の寺、私等の逃げて来たのは(かれ等は親の許さぬのに、青雲(せいうん)の志(こゝろざし)に堪へかねて脱走して来たのである)十二月の十三日の夜で、地上には雪が四五尺も積つて、それの堅く氷つてる上に、月が寒く美しく照り渡つて、何とも言へない光景だつた。私は杉山君と昼間約束して置いたから、鎮守の向ふに行つて待つて居ると、やがて杉山君は遣(や)つて来る。二人連れ立つて歩み出す。追手のかゝらぬやうに為(す)るには何でも夜の中に長野に行つて、明日の一番の汽車に乗らなければならぬ。と言ふので、一生懸命に歩いたが、村が見えなくなつた時は流石(さすが)に胸が少し迫つて、親達は嘸(さぞ)驚く事であらう。こんな無理な事を為(し)ないでも、打明けて頼んだなら、公然東京に出して呉れるであらうと思つた……などといふ事を自分に話した。自分はいよ/\空想を逞(たくまし)うして、其村、その静かな山の中の村に一度は是非行つて見度いと、其頃から自分の胸はその山中の一村落に向つて波打(なみうち)つゝあつたので……。猶(なほ)詳しく聞くと、その村には尾谷川(をたにがは)といふ清い渓流(けいりう)もあるといふ。その岸には水車が幾個となく懸つて居て、春は躑躅(つゝじ)、夏は卯(う)の花、秋は薄(すゝき)とその風情(ふぜい)に富んで居ることは画にも見ぬところである相(さう)な。又その村の山の畠には一面雪ならぬ蕎麦(そば)の花が咲き揃(そろ)つて、秋風のさびしく其上を吹き渡る具合など君でも行つたなら、何んなに立派な詩が出来るか知れぬとの事。あゝ本当にその仙境はどんな処であらうか。山と山とが重り合つて、其処に清い水が流れて、朴訥(ぼくとつ)な人間が鋤(すき)を荷(にな)つて夕日の影にてく/\と家路をさして帰つてゆく光景。それを想像すると、空想は空想に枝葉を添へて、何だか自分の眼の前には西洋の読本(リーダー)の中の仙女(フエリー)の故郷がちらついて何うも為(な)らぬ。

     三

 二人の寄寓して居る塩町の湯屋の二階、其処に間もなく自分は行くやうになつた、二階は十二畳敷二間(ふたま)で、階段(はしご)を上つたところの一間の右の一隅(かたすみ)には、欅(けやき)の眩々(てら/\)した長火鉢が据ゑられてあつて、鉄の五徳に南部の錆(さ)びた鉄瓶(てつびん)が二箇(ふたつ)懸(かゝ)つて、その後にしつかりした錠前(ぢやうまへ)の附いた総桐(そうぎり)の箪笥(たんす)がさも物々しく置かれてある。総じて室(へや)の一体の装飾(かざり)が、極(ご)く野暮な商人(あきうど)らしい好みで、その火鉢の前にはいつもでつぷりと肥つた、大きい頭の、痘痕面(あばたづら)の、大縞(おほしま)の褞袍(どてら)を着た五十ばかりの中老漢(ちゆうおやぢ)が趺坐(あぐら)をかいて坐つて居るので、それが又自分が訪(たづ)ねると、いつも笑ひながら丁寧に会釈(ゑしやく)を為(す)るのが常であつた。この主人公が即(すなは)ち二人の山の中から出身した昔の無頼漢(ぶらいかん)なるもので、二十年前には村の中にも其五尺の身を置く事が出来なかつたのであるが、人間の運といふものは解らぬ者で、二十九歳の時に夜逃を為(し)て、この東京に遣(や)つて来て、蕎麦屋の坦夫(かつぎ)、質屋の手伝、湯屋の三助とそれからそれへと辛抱して、今では兎(と)に角(かく)一軒の湯屋の主人と成り済(すま)して、財産の二三千も出来たといふ、まア感心すべき部類に入れても差支ない人間であつた。であるから自分の村の者と言へば、随分一肌抜いで、力にもなつて遣るので、その山の中から来た失意の人間は、多くはこれを便(たよ)つて来て、三助から段々湯屋の主人に立身しようとして居る人間も随分あるといふ事だ。全体信濃(しなの)のその二人の故郷といふのは、越後(ゑちご)の方に其境を接して居るから、出稼(でかせぎ)といふ一種の冒険心には此上もなく富んで居るので、また現在その冒険に成功して、錦を故郷に飾つた例(ためし)はいくらも眼の前に転(ころが)つて居るから、志を故郷に得ぬものや、貧窶(ひんる)の境(きやう)に沈淪(ちんりん)して何(ど)うにも彼(か)うにもならぬ者や、自暴自棄に陥つた者や、乃至(ないし)は青雲の志の烈しいものなどは、恰(あたか)も渓流の大海(だいかい)に向つて流れ出づるが如く、日夜都会に向つて身を投ずるのを躊躇(ちうちよ)しないのであつた。あゝこの山中の民の冒険心。
 で、自分は愈(いよ/\)その山中の二人の青年と親しくなつて、果ては殆(ほとん)ど毎日のやうにその二階を訪問した。春はやゝ過ぎて、夕の散歩の好時節になると、自分はよく四谷の大通を散歩して、帰りには必ずその柳のある湯屋に寄つてみる。すると、二階の上から田舎の太神楽(だいかぐら)に合せる横笛の声がれろれろ、ひーひやらりと面白く聞えて、月がその物干台の上に水の如く照り渡つて、その背の低い山県の姿が、明かな夜の色の中に黒くくつきりと際立(きはだ)つて見える。
「おい、山県君!」
 と下から声を懸ける。
 と……笛の音(ね)がばつたり止む。
「誰だか」
 と続いて田舎訛(ゐなかなまり)の声。
「僕、僕、富山(とみやま)!」
「富山君か、上(あが)んなはれ」
 その物干台! その月の照り渡つた物干台の上で、自分等は何んなにその美しい夜を語り合つたであらうか。今頃は私等の故郷でもあの月が三峯(みつみね)の上に出て、鎮守の社(やしろ)の広場には、若い男や若い女がその光を浴びながら何の彼(か)のと言つて遊び戯れて居るであらう。斑尾山(まだらをさん)の影が黒くなつて、村の家々より漏るゝ微かな燈火(ともしび)の光! あゝ帰りたい、帰りたいと山県は懐郷の情に堪へないやうに幾度もいふ。自分も何んなにその静かな山中の村を想像したであらうか。
 半年程立つた頃、自分は又その同じ村の青年の脱走者を二人から紹介された。顔の丸い、髪の前額(ひたひ)を蔽(おほ)つた二十一二の青年で、これは村でも有数の富豪の息子であるといふ事であつた。けれど自分は杉山からその新脱走者の家の経歴を聞いたばかり、別段二人ほど懇意にはならなかつた。杉山の言ふ所によると、その根本(ねもと)(青年の名は根本行輔(かうすけ)と言ふので)の家柄は村では左程重きを置かれて居ないので、今でこそ村第一の富豪(かねもち)などと威張つて居るが、親父の代までは人が碌々(ろく/\)交際も為(し)ない程の貧しい身分で、その親父は現に村の鎮守の賽銭(さいせん)を盗んだ事があつて、その二十七八の頃には三之助(親父の名)は村の為めに不利な事ばかり企らんでならぬ故いつそ筵(こも)に巻いて千曲川(ちくまがは)に流して了はうではないかと故老の間に相談されたほどの悪漢であつたといふ事である。それがある時、其頃の村の俄分限(にはかぶんげん)の山田といふ老人に、貴様も好い年齢(とし)をして、いつまで村の衆に厄介を懸けて居るといふ事もあるまい。もう貴様も到底(たうてい)村では一旗挙げる事は難しい身分だから、一つ奮発して、江戸へ行つて皆の衆を見返つて遣らうといふ気は無いか。私(わし)などを見なされ、一度は随分村の衆に馬鹿にされて、口惜しい/\と思つたが、今では何うやらかういふ身になつて、人にも立てられる様になつた。三之助、貴様は本当に一つ奮発して見る気は無いか。と懇々説諭されて、鬼の眼に涙を拭き/\、餞別(せんべつ)に貰つた金を路銀(ろぎん)にして、それで江戸へ出て来たが、二十年の間に、何う転んで、何う起きたか、五千といふ金を攫(つか)んで帰つて来て、田地を買ふ、養蚕(やうさん)を為る、金貸を始める、瞬(またゝ)く間に一万の富豪(しんだい)! だから、村では根本の家をあまり好くは言はぬので、その賽銭箱の切取つた処には今でも根本三之助窃盗と小さく書いてあつて、金を二百円出すから、何うかそれを造り更(か)へて呉れろと頼んでも、村の故老は断乎(だんこ)としてそれに応じようともせぬとの事である。その長男がまた新しい青雲を望んで、ひそかに国を脱走するといふのは……何と面白い話では無いか。
 けれど自分がこの三人と交際したのは纔(わづ)か二年に過ぎなかつた。山県は家が余り富んで居ない為め、学資が続かないで失望して帰つて了ふし、根本は家から迎ひの者が来て無理往生に連れて行つて了ふし、唯一人杉山ばかり自分と一緒に其志を固く執(と)つて、翌年の四月陸軍幼年学校の試験に応じたが自分は体格で不合格、杉山は亦(また)学科で失敗して、それからといふものは自分等の間にもいつか交通が疎(うと)くなり、遂(つひ)には全く手紙の交際になつて了つた。杉山は猶(なほ)暫く東京に滞(とゞま)つて居た様子であつたが、耳にするその近状はいづれも面白からぬ事ばかりで、やれ吉原通(よしはらがよひ)を始めたの、筆屋の娘を何うかしたの、日本授産館の山師に騙(だま)されて財産を半分程失(な)くしたのと全く自暴自棄に陥つたやうな話であつた。それから一年程経つて失敗に失敗を重ねて、茫然(ぼんやり)田舎に帰つて行つた相だが、間もなく徴兵の鬮(くじ)が当つて高崎の兵営に入つたといふ噂(うはさ)を聞いた。

     四

 五年は夢の如く過ぎ去つた。
 其の五年目の夏のある静かな日の事であつた。自分は小山から小山の間へと縫ふやうに通じて居る路を喘(あへ)ぎ/\伝つて行くので、前には僧侶の趺坐(ふざ)したやうな山が藍(あゐ)を溶(とか)したやうな空に巍然(ぎぜん)として聳(そび)えて居て、小山を開墾した畑には蕎麦(そば)の花がもうそろ/\その白い美しい光景を呈し始めようとして居た。空気は此上も無く澄んで、四面の山の涼しい風が何処から吹いて来るとも無く、自分の汗になつた肌を折々襲つて行くその心地好さ! これは山でなければ得られぬ賜(たまもの)と、自分はそれを真袖(まそで)に受けて、思ふさま山の清い※気(けいき)[#「冫+影」、333-上-9]を吸つた。十年都会の塵にまみれて、些(いさゝか)の清い空気をだに得ることの出来なかつた自分は、長野の先の牟礼(むれ)の停車場で下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と四辺(あたり)を囲む青山の姿とに、既に一方(ひとかた)ならず心を奪はれて、世にもかゝる自然の風景もあることかと坐(そゞ)ろに心を動かしたのであるが、渓橋を渡り、山嶺(さんれい)をめぐり、進めば進むほど、行けば行くだけ、自然の大景は丁度(ちやうど)尽きざる絵巻物を広げるが如く、自分の眼前に現はれて来るので、自分は益々興を感じて、成程これでは友が誇つたのも無理ではないと心(しん)から思つた。
 小山と小山との間に一道の渓流(けいりう)、それを渡り終つて、猶其前に聳えて居る小さい嶺(みね)を登つて行くと、段々四面(あたり)の眺望(てうばう)がひろくなつて、今迄越えて来た山と山との間の路が地図でも見るやうに分明(はつきり)指点せらるゝと共に、この小嶺(せうれい)に塞(ふさ)がれて見得なかつた前面の風景も、俄(には)かにパノラマにでも向つたやうにはつと自分の眼前に広げられた。
 上州境の連山が丁度(ちやうど)屏風(びやうぶ)を立廻したやうに一帯に連(つらな)り渡つて、それが藍(あゐ)でも無ければ紫でも無い一種の色に彩(いろど)られて、ふは/\とした羊の毛のやうな白い雲が其絶巓(ぜつてん)からいくらも離れぬあたりに極めて美しく靡(なび)いて居る工合、何とも言ヘぬ。そして自分のすぐ前の山の、又その向ふの山を越えて、遙(はる)かに帯を曳(ひ)いたやうな銀(しろがね)の色のきらめき、あれは恐らく千曲(ちくま)の流れで、その又向ふに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であらう。と思つて、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿!
 何と言ふ山か知らん……と自分は少時(しばらく)その好景に見惚(みと)れて居た。
 ふと背負籠(しよひかご)を負つた中老漢(ちゆうおやぢ)が向ふから上(のぼ)つて来たので、
「あの山は?」
 と指(ゆびさ)して尋ねた。
「あれでがすか、あれははア、飯山(いひやま)の向ふの高社山(かうしやざん)と申しやすだア」
 あれが高社山! よく友の口から聞いたと思ふと、其時の事が簇々(むら/\)と思ひ出されて今更其頃が懐(なつ)かしい。其頃は其仙境を何時(いつ)尋ねて行かれるであらうか、或は一生尋ねて行く事が出来ぬかも知れぬなどと思つて居たが、五年後の今日かうして尋ねて行くとは、如何に縁の深い事であらう。
「塩山村(しほやまむら)へはまだ余程あるかね」
「塩山へかね」と背負籠(しよひかご)を傍(かたはら)の石の上に下して、腰を伸しながら、「塩山へは此処からまだ二里と言ひやすだ。あの向ふの大(でか)い山の下に小(こまか)い山が幾箇(いくつ)となく御座らつせう。その山中(やまんなか)だアに……」
「塩山に根本といふ家はあるかね」
 と自分は更に尋ねた。
「根本………御座らしやるとも、根本ていのア、塩山では一等の丸持大尽(まるもちだいじん)でごわすア」と答へて、更に、「で貴郎(あんた)ア、根本さア処(とけ)の御客様(おきやくさん)かね」
「其処に行輔(かうすけ)といふ子息(むすこ)が有るだらう?」
「御座らつしやる」と言つて吸ひ懸けた烟草(たばこ)の烟(けむり)を不細工な獅子鼻からすうと出し、「大尽どこの子息に似合ねえ堅い子息でごわすア、何でも東京へ行かしつた時にア、それでも四五百も遣つたといふ噂だが、それから堅くなつて、今ぢや村でも評判ものでごわす」
「一体汝(おまへ)は何処だね? 塩山かね」
「いんにや、塩山ではごへん、その一つ前の村の倉沢でごわす」
「もう根本は女房(かみさん)を持つたらう」
「嚊(かゝ)さまでごわすか、持ちましたとも、……えいと……あれは確か三年前で、芋子村(いもこむら)の大尽の娘さアだ」
「子供は?」
「まだごわしねえ、もう出来さうな者だつて此間(こねえだ)も父様(とつさま)えらく心配(しんぺい)のう為(し)で御座らしやつたけ」
「それでは山県といふのも知つてるだらう」
「山県――はア学校の先生様(さん)だア、私等が餓児(がき)も先生様の御蔭にはえらくなつてるだア。好(え)い優しい人で、はア」
「それでは杉山は何うしてるね」
「えらく、貴郎ア、塩山の人の名前知つて御座らつしやるだア。貴郎ア、若い者等が東京に出た時懇意に為(な)すつて居た先生だかね……」
 言懸けてじろ/\と自分の顔を見て、
「……杉山の子息……あれア、今は徴集されて戦争(いくさ)(日清戦争)に行つてるだ。あの山師にや、村ではもう懲々(こり/″\)して居るだア。長野に興業館といふ東京の山師の出店(でだな)見ていなものを押立(おつた)てて、薬材(くすり)で染物のう御始(おつぱじ)めるつて言つて、何も知らねえ村の者を騙(だま)くらかして、何でもはア五六千円も集めただア。それを皆な妾(めかけ)を置いたり、芸妓(げいしや)を家に引摺込(ひきずりこ)んだり、遊廓に毎晩のやうに行つたり、二月ばかりの中に滅茶/\にして仕舞つたゞア。……恐ろしい虚言家(うそつき)でナ、私等も既(すんで)の事欺騙(だまくら)かされる処でごわした」
「家は今何うしてるね」
「家でごすか、余程あれの為めに金のう打遣(ぶつつか)つたでがすが爺様(とつさま)まだ確乎(しつかり)して御座らつしやるし、廿年前までは村一番の大尽だつたで、まだえらく落魄(おちぶれ)ねえで暮して御座るだ」
 と言つたが、ふと思出した様に、
「塩山つていふ村は、昔からえらく変り者を出す所でナア、それが為めに身代(しんだい)を拵(こしら)へる者は無(ね)えではねいだが、困つた人間も随分出るだア」
「今でも困つた人間が居るかね」
 中老漢(ちゆうおやぢ)は岩の上に卸した背負籠を担(にな)つて、其儘(そのまゝ)歩き出さうとして居たが、自分に尋ねられて、
「つい、今もそれで大騒ぎをして居るだア」
 と言つた。
 そして、その大騒の何を意味して居るかを語らずに、其儘急いで向ふへと下りて行つて了つた。自分は猶少時(しばらく)其処に立つて、六年前の友が何んな生活を為(し)て居るであらうかといふ事、其妻は如何(いか)なる人で、其家は如何なる家で、その家庭は何んな具合であるかといふ事などを思ふと、種々(いろ/\)なる感想が自分の胸に潮(うしほ)のやうに集つて来て、其山中の村が何だか自分と深い宿縁を有(も)つて居るやうな気が為(し)て、何うも為(な)らぬ。
 一時間後には、自分はもう其懐かしい村近く歩いて居た。成程山又山と友の言つたのも理(ことわり)と思はるゝばかりで、渓流はその重り合つた山の根を根気よく曲り曲つて流れて居るが、或ところには風情ある柴の組橋(くみはし)、或るところには竜(たつ)の住みさうな深い青淵(あをふち)、或は激湍(げきたん)沫(あわ)を吹いて盛夏猶(なほ)寒しといふ白玉(はくぎよく)の渓(たにがは)、或は白簾(はくれん)虹(にじ)を掛けて全山皆動くがごとき飛瀑(ひばく)の響、自分は幾度足を留めて、幾度激賞の声を挙げたか知れぬ。で、その曲り曲つた渓流に添つて、涼しい水の調(しらべ)に耳を洗ひながら、猶三十分程も進んで行くと、前面(むかふ)が思ひも懸(か)けず俄(には)かに開けて、小山の丘陵のごとく起伏して居る間に、黄稲(くわうたう)の実れる田、蕎麦の花の白き畑、欝蒼(こんもり)と茂れる鎮守の森、ところどころに碁石を並べたやうに、散在して居る茅茸(かやぶき)の人家。
 手帳の画がすぐ思出された。
 あゝこの静かな村! この村に向つて、自分の空想勝なる胸は何んなに烈しく波打つたであらうか。六年間、思ひに思つて、さて今のこの一瞥(いちべつ)。
 殊に、自分は世の塵の深きに泥(まみ)れ、久しく自然の美しさに焦(こが)れた身、それが今思ふさまその自然の美を占める事が出来る身となつたではないか。この静かな村には世に疲れた自分をやさしく慰めて呉れる友二人まであるではないか。
 顧ると、夕日は既に低くなつて、後の山の影は速くその鎮守の森に及んで居る。壁はいよ/\深碧(ふかみどり)の色を加へて、野中の大杉の影はくつきりと線を引いたやうに、その午後の晴やかな空に聳(そび)えて居る。山県の家は何でもその大杉の陰と聞いて居たので、自分は眼を放つてじつと其方(そなた)を打見やつた。
 静かな村!

     五

 と思つた途端、ふと自分の眼に入つたものがある。大杉の陰に簇々(むら/\)と十軒ばかりの人家が黒く連(つらな)つて居て、その向ふの一段高い処に小学校らしい大きな建物があるが、その広場とも覚しきあたりから、二道の白い水が、碧(みどり)なる大空に向つて、丁度大きな噴水器を仕掛たごとく、盛(さかん)に真直に迸出(へいしゆつ)して居る。
 そしてその末が美しく夕日の光にかゞやき渡つて見える。
「あれは何だね」
 折から子供を背負つた十歳(とを)ばかりの洟垂(はなたら)しの頑童(わんぱく)が傍(そば)に来たので、怪んで自分は尋ねた。
「あれア、喞筒(ポンプ)だい」
 と言つたが、見知らぬ自分の姿に其儘走つて行つて了つた。
 成程喞筒(ポンプ)に相違ない。けれどこの静かな山中の村にあのやうな喞筒! 火事などは何十年有らうとも思はれぬこの山中に、あのやうな喞筒の練習! 自分は何だか不思議なやうな気が為(し)て仕方が無かつたが、これは只(たゞ)何の意味も無い練習に止(とゞ)まるのであらうと解釈して、其儘其村へと入つて行つた。先(まづ)最初に小さい風情(ふぜい)ある渓橋、その畔(ほとり)に終日動いて居る水車、婆様(ばあさん)の繰車(いとぐるま)を回しながら片手間に商売をして居る駄菓子屋、養蚕(やうさん)の板籠を山のごとく積み重ねた間口の広い家、娘の唄(うた)を歌ひながら一心に機(はた)を織(おつ)て居る小屋など、一つ/\顕(あら)はれるのを段々先へ先へと歩いて行くと、高低定(さだま)らざる石の多い路の凹処(くぼみ)には、水が丸で洪水(こうずゐ)の退(ひ)いた跡でもあるかのやうに満ち渡つて、家々の屋根は雨あがりの後のごとく全く湿(うるほ)ひ尽して居る。
 否、そればかりではない、それから大凡(およそ)十間ばかり離れたところには、新しい一箇(ひとつ)の赤塗の大きな喞筒(ポンプ)が据(す)ゑられてあつて、それから出て居る一箇のヅックの管(くだ)は後の尾谷(をたに)の渓流に通じ、二箇(ふたつ)の径五寸ばかりの管は大空に向つて烈しい音を立てながら、盛んに迸出(へいしゆつ)して居るのを認めた。
 其周囲(まはり)には村の若者が頬かぶりに尻はしよりといふ体(てい)で、その数大凡(およそ)三十人許(ばか)り、全く一群(ひとむれ)に為(な)つて、頻(しき)りにそれを練習して居る様子である。喞筒(ポンプ)の水を汲み上げるもの、ヅックの管を荷(にな)ふもの、管の尖(さき)を持つて頻りに度合を計つて居るもの、やれ今少し力を入れろの、やれ管が少し横に曲るの、やれ洩るの、やれ冷いのと、それは一方(ひとかた)ならぬ大騒で、世話人らしい印半纏(しるしばんてん)を着た五十格好(かつかう)の中老漢(ちゆうおやぢ)が頻りにそれを指図して居るにも拘(かゝ)はらず、一同はまだ好く喞筒の遣(つか)ひ方に慣(な)れぬと覚しく、管から迸出する水を思ふ所に遣らうとするには、まだ余程困難らしい有様が明かに見える。一同は今水を学校の屋根に濺(そゝ)がうとして居るので、頻(しき)りに二箇の管を其方向に向けつゝあるが、一度(ひとたび)はそれが屋根の上を越えて、遠く向ふに落ち、一度は見当違ひに一軒先の茅葺(かやぶき)屋根を荒し、三度目には学校の下の雨戸へしたゝか打ち付けた。
「やあ!」
 と後で喝采(かつさい)した。
 見ると、路の傍、家の窓、屋根の上、樹(き)の梢(こずゑ)などに老若男女殆(ほとん)ど全村の人を尽したかと思はるゝばかりの人数が、この山中に珍らしい喞筒(ポンプ)の練習を見物する為めに驚くばかり集つて居るので、旨(うま)く行つたとては、喝采し、拙(まづ)く行つたとては、喝采し、やれ管が何(ど)うしたの、やれ誰さんがずぶ濡(ぬ)れになつたのと頻りに批評を加へるのであつた。
 余り面白いので、自分は思はず立留つてそれを見た。この多い若者の中(うち)に自分の友が交つて居はせぬかとも思はぬではなかつたが、さりとて別段それを気にも留めずに、只(たゞ)余念なく見惚(みと)れて居た。自分の前には川に浸(つ)けてある方の管が蛇ののたくつたやうに蟠(わだかま)つて、其中を今しも水が烈しい力で通つて行くと覚しく、針のやうな隙間から、しう/\と音して烈しく余流が迸出(へいしゆつ)して居る。で、一同はやつとの思ひで、其目的の学校の屋根に涼しい一雨を降らせたが、ふと其群の一人――古い手拭を被(かぶ)つて縞(しま)の単衣(ひとへ)を裾短かに端折つた――が何か用が出来たと見えて、急いで自分の方へ下りて来た……と……思ふと、二人は顔を見合せた。
「おや、君ぢや無いか」
 と自分は言つた。
「やア富山……さん!」
 と根本行輔は驚いて叫んだ。
 丸きり六年逢(あ)はぬのだが、その風貌(ふうばう)といひ、その態度といひ、更に昔に変らぬので、これを見ても、山中の平和が、直ぐ自分の脳に浮んだ。
 渠(かれ)は限りなき喜悦(よろこび)の色を其穏かな顔に呈して、頻りに自分の顔を見て居たが、不図(ふと)傍(かたはら)に立つて居る其家の家童(かどう)らしい十四五の少年を呼び近づけて、それに、この御客様を丁寧に家に案内せよといふ事を命じ、さて自分に向つては、
「失礼だすが、村の若い者でこんな事を遣り懸けて居ますだで……一足先に家に行つて休んで居て下され。もうすぐ済むだで、跡から直きに参じますだに」
 自分は小童に導かれて、其儘(そのまゝ)根本行輔の家へと行つた。一方稲の穂の豊年らしく垂れてゐる田、一方甜瓜(まくはうり)の旨(うま)さうに熟して居る畠の間の細い路を爪先上りにだら/\とのぼつて行くと、丘と丘との重り合つた処の、やゝ低く凹(くぼ)んだ一帯の地に、一棟(むね)の茅葺(かやぶき)屋根と一つの小さい白壁造の土蔵とがあつて、其後には欅(けやき)の十年ほど経(た)つた疎(まば)らな林、その周囲には、蕎麦(そば)や、胡瓜(きうり)や唐瓜(たうなす)や、玉蜀黍(たうもろこし)などを植ゑた畠、猶(なほ)近づくと、路の傍に田舎(ゐなか)には何処にも見懸ける不潔な肥料溜(こやしだめ)があつて、それから薪(まき)を積み重ねた小屋、雑草の井桁(ゐげた)の間に満遍なく生えて居る古い井(ゐど)、高く夕日の影に懸つて見える桔※(はねつるべ)[#「槹」の「白」に代えて「自」、337-下-13]、猶その前に、鍬(くは)や鋤(すき)を洗ふ為めに一間四方ばかり水溜が穿(うが)たれてあるが、これはこの地方に特有で、この地方ではこれを田池(たねけ)と称(とな)へて、その深さは殆ど人の肩を没するばかり、鯉(こひ)、鮒(ふな)の魚類をも其中に養つて、時には四五尺の大きさまで育てる事もあるといふ話。周囲には萱(かや)やら、薄(すゝき)やらの雑草が次第もなく生ひ茂つて水際には河骨(かうほね)、撫子(なでしこ)などが、やゝ濁つた水にあたらその美しい影をうつして、居るといふ光景であつた。山県の話に、自分が十五六の悪戯盛(いたづらざかり)には相棒の杉山とよくこの田池(たねけ)の鯉を荒して、一夜に何十尾といふ数を盗んで、殆ど仕末に困つた事があつたとの事を聞いて居つたが、その所謂(いはゆる)田池がこんな小さな汚穢(きたな)い者とは夢にも思つて居らなかつた。否、其友の家――村一番の大尽の家をもこんな低い小さいものとは?
 ふと見ると、その田池に臨んで、白い手拭を被つた一人の女が、頻(しき)りに草刈鎌を磨いで居る。
「神(かみ)さまア、旦那様(だんなさア)に吩咐(いひつ)かつて、東京の御客様ア伴(つ)れて来たゞア」
 と小童は突如(だしぬけ)に怒鳴つた。
 女は驚いて顔を上げた。何処と言つて非難すべきところは無いが、色の黒い、感覚の乏しい、黒々と鉄漿(おはぐろ)を附けた、割合に老(ふ)けた顔で、これが友の妻とすぐ感附いた自分は、友の姿の小さく若々しいのに比べて、いかにこの妻の丈高く、体格の大きいかといふ事に思ひ及んだ。これは大方東京で余り「老いたる夫と若い妻」との一行を見馴れた故(せゐ)であらう。
 自分はその妻の手に由(よ)つて、直ちに友の父なる人に紹介された。父なる人は折しも鋸(のこぎり)や、鎌や、唐瓜(たうなす)や、糸屑などの無茶苦茶に散(ちら)ばつて居る縁側に後向に坐つて、頻りに野菜の種を選分(えりわ)けて居るが、自分を見るや、兼ねて子息(むすこ)から噂(うはさ)に聞いて居つた身の、さも馴々しく、
「これは/\東京の先生――好(よ)う、まア、この山中(やまんなか)に」
 といふ調子で挨拶(あいさつ)された。
 流石(さすが)は若い頃江戸に出て苦労したといふ程あつて、その人を外(そら)さぬ話し振、その莞爾(にこ/\)と満面に笑(ゑみ)を含んだ顔色(かほつき)など、一見して自分はその尋常ならざる性質を知つた。輪廓の丸い、眼の鋭い、鼻の尖(とが)つた顔のつくりで、体格は丸で相撲取でもあるかのやうに、でつぷりと肥つて、体重は二十貫目以上もあらうかと思はれるばかりであつた。これが当年の無頼漢(ぶらいかん)、当年の空想家、当年の冒険家で、一度はこの平和な村の人々に持余されて、菰(こも)に包んで千曲川に投込まれようとまで相談された人かと思ふと、自分は悠遠(いうゑん)なる人生の不可思議を胸に覚えずには居られぬので。
 此時、奴僕(どぼく)らしい三十前後の顔の汚い男が駆けて遣つて来て、
「大旦那さア、がいに暑いんで、馬が疲れて、寝そべつて、起きねえが、はア何(ど)う為(す)べい」
 と叫んだ。
「また寝そべつたか、困るだなア、汝(われ)、余り劇(ひど)く虐使(こきつか)ふでねえか」
「虐使ふどころか、此間(こねえだ)も寝反(ねそべ)つただから、四俵つけるところを三俵にして来ただアが」
「何処(どけ)へ寝反つてるだ」
「孫右衛門どんの垣(かきね)の処の阪で、寝反つたまゝ何うしても起きねえだ。己(おら)あ何うかして起すべい思つて、孫右衛門さん許(とこ)へ頼みに行つただが、少(ちひせ)い娘(あま)つ子(こ)ばかりで、何うする事も為得(しえ)ねえだ」
「仕方の無(ね)え奴等だ」
 と罵倒(ばたう)したが、傍(そば)に立つて居る子息(むすこ)の妻に向つて、
「ぢや御客様にはえらい失礼だが、私(わし)あ馬を起しに行つて来るだあから、お前は御客様を奥に通して、行輔が帰つて来る迄(まで)、緩(ゆつく)り御休ませ申して置け」
 自分に向つては、
「それぢや、先生様失礼しやす!」
 自分の挨拶をも聞かず、
「一所に歩(あゆ)べ……おい、作公、何を愚図/\してやがるんだ?」
 と怒鳴りながら走つて行つた。
 同時に自分は奥の一室へと案内される。奥の一室――成程此処は少しは整頓して居る。床の間には何(ど)んな素人(しろうと)が見ても贋(にせ)と解り切つた文晁(ぶんてう)の山水(さんすゐ)が懸(かゝ)つて居て、長押(なげし)には孰(いづ)れ飯山あたりの零落(おちぶれ)士族から買つたと思はれる槍が二本、さも不遇を嘆じたやうに黒く燻(くすぶ)つて懸つて居る。けれど都とは違つて、造作は確乎(しつかり)として居るし、天井は高く造られてあるから風の流通もおのづから好く、只(たゞ)、馬小屋の蝿さへ此処まで押寄せて来なければ、中々居心の好い静かな室(へや)であるのだが……
 やがて妻君は茶器を運んで来たが、おづ/\と自分の前に坐つて、そして古くなつた九谷焼の急須(きふす)から、三十目くらゐの茶を汲んで出した。
「田舎は静かで好いですナア」
 と自分はそれとなく言ふと、
「いゝえ、静かどころでは、……此頃は、はア、えらく物騒で……」
「何うしてゞす」
 と自分は怪んで尋ねた。
「此頃は、はア、えらく火事があるんで、夜もゆつくり寝ては居られないで、はア」
「何うしてゞす?」
「何うしてといふ訳(わけ)も無(ね)えだすが……」
 と躊躇(ためら)ふのを、
「放火(つけび)なのですか」
「はア」
「誰か悪い者でもあるんですか」
「はア、悪い者があつて、どうも困り切りますだア」
 暫時(しばらく)沈黙(だんまり)。
「はア」と自分は緩(ぬる)い茶を一杯啜(すゝ)つてから、「それでですナア、今喞筒(ポンプ)を稽古して居るのは?」
「貴郎(あんた)さアも見て御座らしやつたゞか、火事が、はア、毎晩のやうにあつて、物騒で、仕方が無(ね)えものだで、村で、割前で金のう集めて、漸(やうや)く東京から昨日喞筒が出来て来ただア」
「東京から喞筒?」
「はア、昨日出来て来たばかしで……村にやもう何十年と火事なんぞは無いだで、喞筒なんぞは有りませんだつたが、今度は、はア仕方が無(ね)えのでごわす。そして、今夜にも火事が打始(ぶつぱじま)らねえ者でも無(ね)えといふので、若い者が午(ひる)から学校へ寄り集(あ)つて、喞筒の稽古を為(し)て居るんでごわす。……」と少時(しばし)途絶えて、「でも、……大方水は撒(ま)いたやうだで、もう直(ぢ)き帰つて来るでごわしやう」
 と言つたが、更に気を更(か)へて、
「まア、御疲れだせうに、緩(ゆつ)くり横にでも成つて休まつしやれ。牟礼(むれ)には三里には遠いだすから」
 と古い黒塗の枕を出して、そして挨拶して次の室(ま)へ下つた。
 見ると、中々好い眺望(てうばう)である。地位が高いので、村の全景がすつかり手に取るやうに見えて、尾谷川の閃々(きら/\)と夕日にかゞやく激湍(げきたん)や、三ツ峯の牛の臥(ね)たやうに低く長く連(つらな)つて居る翠微(すゐび)や、猶(なほ)少し遠く上州境の山が深紫の色になつて連(つらな)り亘(わた)つて居る有様や、ことに、高社山(かうしやざん)の卓(すぐ)れた姿が、此処から見ると、一層魁偉(くわいゐ)の趣(おもむき)を呈して居るので、その雲煙の変化が少なからず、自分の心を動かしたのであつた。あゝこの平和な村! あゝこの美しい自然! と思ふとすると、今言つた妻君の言葉がゆくりなく簇々(むら/\)と自分の胸に思ひ出された。この平和な村に喞筒(ポンプ)! この美しい村に放火! 殊に何十年とそんな例(ためし)が無かつたといふこの村に! これは何か意味が無くてはならぬ。これは必ず不自然な事があつたに相違ないと自分は思つた。空想勝なる自分の胸は今しもこの山中にも猶絶えない人生の巴渦(うづまき)の烈しきを想像して転(うた)た一種の感に撲(うた)れたのであつた。

     六

「放火(つけび)が流行(はや)るツて言ふが、一体何(ど)うしたんです?」
 かう言つて自分は友に訊(たづ)ねた。これは一時間程前、友はその喞筒(ポンプ)の稽古から帰つて来て、いろ/\昔の事や、よくこんな山中(やまんなか)に来て呉れたといふ事や、余り突然なので吃驚(びつくり)したといふ事や、六年ぶりの何や彼(か)やを殆(ほとん)ど語り尽した後で、自分の前には地酒の不味(まづい)のながら、二三本の徳利が既に全く倒されてあつて、名物の蕎麦(そば)が、椀に山盛に盛られてある。妻君は、田舎(ゐなか)流儀の馳走振に、日光塗の盆を控へて、隙(すき)が有つたなら、切込まうと立構へて居るので、既に数回の太刀打(たちうち)に一方(ひとかた)ならず参つて居る自分は、太(いた)くそれを恐れて居るのであつた。友も稍(やゝ)酔つた様子で、漸(やうや)く戸外(おもて)の闇(くら)くなつて行くのを見送つて居たが、不意に、かう訊(たづ)ねられて、われに返つたといふ風で、
「本当に因つて了(しま)ふですア、夜も碌々(ろく/\)寝られないのですから」
「それで、一体、犯罪者が解らんのかね?」
「それア、もう彼奴(きやつ)と極(きま)つて、居るんだが……」
「何故(なぜ)、捕縛しないのだね?」
「それが田舎ですア‥…」と友は言葉を意味あり気に長く曳いて、「駐在所に巡査ア、一人来て居る事は居るんだすが、田舎の巡査なんていふ者は、暢気(のんき)な者だで、嫌疑(けんぎ)が懸つたばかりでは、捕縛する事ア出来ん。現行犯でなければ……とかう言つて済まして居りやすだア。一体、巡査先生の方がびく/\して居るんで御座(ごわ)すア、だもんだで、彼奴(きやつ)ア、好い気に為(な)つて、始めからでは、もう十五六軒もツン燃やしましたぜ」
「十五六軒!」
「この小さい村、皆な合せても百戸位しか無(ね)いこの小さい村に、十五六軒ですだで、村開闢(かいびやく)以来の珍事として、大騒を遣つて居りますだア」
「それは左様(さう)だらう」
 少時(しばらく)経(た)つてから、
「で、一体、その悪漢(わるもの)は何者だね、村の者かね」
「はア、村の者でさア」
「村の者で、それでそんな大胆な事を為(す)るといふのは、其処に何か理由がある事だらうが……」
「何アに、はア御話にも何にもなりやしやせん。放蕩者(どらもの)で、性質(たち)が悪くつて、五六年も前から、もう村の者ア、相手に仕なかつたんでごすから」
「まだ若いのかね」
「いや、もう四十二三‥…」
「それぢや分別盛(ふんべつざかり)だのに……」
 と自分は深く考へた。
「御口にア、合ひますめいけど、何にもがアせんだに、せめて、蕎麦なと上つてお呉れんし」
 と妻君は盆を出した。
 自分はもう十分であるといふ事を述べて、そして蕎麦の椀を保護すべく後に遺つた。それでは御酒(ごしゆ)でもと妻君は徳利を取上げたので、それをも辞義してはと、前のを飲干して一杯受けた。
「それにしても……」と自分は口を開いて、
「十何回も放火を為(す)るのに、一度位実行して居るところを見付けさうな者ですがナア」
「それが、彼奴(きやつ)が実行するのなら、無論見付けない事は無いだすが、彼奴の手下に娘(あま)つ子(こ)が一人居やして、そいつが馬鹿に敏捷(すばしつこ)くつて、丸で電光(いなづま)か何ぞのやうで、とても村の者の手には乗らねえだ」
「それは奴の本当の娘なんですか」
「否(いや)、今年の春頃から、嚊(かゝあ)代(がは)りに連れて来たんだといふ話で、何でも、はア、芋沢(いもさは)あたりの者だつて言ふ事だす。此奴が仕末におへねえ娘(あま)つ子(こ)で、稚(ちひさ)い頃から、親も兄弟もなく、野原で育つた、丸で獣(けだもの)といくらも変らねえと云ふ話で、何でも重右衛門(嫌疑者の名)が飯綱原(いひつなはら)で始めて春情(いゝこと)を教へたとか言(いふ)んで、それからは、村へ来て、嚊の代りを勤めて居るが、これが実に手におへねえだ。重右衛門が自身手を下すのでなく、この獣のやうな娘(むすめ)つ子(こ)に吩附(いひつ)けて火を放(つ)けさせるのだから、重右衛門と言ふ事が解つて居ても、それを捕縛するといふ事は出来ず、さればと言つて、娘つ子は敏捷(すばしこく)つて、捕へる事は猶々(なほ/\)出来ず、殆ど困つて仕舞つたでがすア」
「年齢(とし)は何歳(いくつ)位?」
「まだ漸(や)つと十七位のもんだせう」
「それが捕へる事が出来ないとは! 高が娘(むすめ)つ子(こ)一人」
「知らない人はさう思ふのは無理は無いだす。高が娘(あま)つ子(こ)一人、それを捕へる事が出来ぬとは、余り馬鹿/\しくつて話にも何にも為(な)らない様だが、それを知つて御覧なされ、それは実に驚いたもので、今其処に居たかと思ふと、もう一里も前に行つて居るといふ有様、若い者などがよく村の中央(まんなか)で邂逅(でつくは)して、石などを投(はふ)りつけて遣(や)る事が幾度(いくたび)もある相だすが、中々一人や二人では敵(かな)はない。反対(あべこべ)に眉間(みけん)に石を叩(たゝ)き付けられて、傷を負つた者は幾人(いくたり)もある。それで此方(こつち)が五人六人、十人と数が多くなると、屋根でも、樹でも、する/\と攀上(よぢのぼ)つて、丸で猫ででもあるかのやうに、森と言はず、田と言はず、川と言はず、直ちに遁(に)げて身を隠して了ふ。それは実に驚くべき者ですア」
 此時、ふと、
「やあ!」
 と言つて庭から入つて来た者があつた。見ると、それは懐(なつか)しい山県行三郎君で、自分が来たといふ事を今少し前に知らせて遣つたものだから、万事を差措(さしお)いて急いで遣つて来たのであつた。夏の夕は既に暮れて、夕暮の海の様に晴れ渡つた大空には、星が降るやうに閃(きら)めいて居るが、十六日の月は稍(やゝ)遅く、今しも高社山(かうしやざん)の真黒な姿の間から、其の最初の光を放たうとして、その先鋒(せんぽう)とも称すべき一帯の余光を既に夜露の深い野に山に漲(みなぎ)らして居た。四辺(あたり)はしんとして、しつとりとして、折々何とも形容の出来ない涼しい好い風が、がさ/\と前の玉蜀黍(たうもろこし)の大きな葉を動かすばかり、いつも聞えるといふ虫の声さへ今宵(こよひ)は何(ど)うしてか音を絶つた。でも、黙つて、静かに耳を欹(そばだ)てると、遠くでさら/\と流れて居る尾谷川の渓流の響が、何だか他界から来るある微妙な音楽でも聞くかのやうに、極めて微かに聞えて居る。
 疎(まば)らな鎮守の森を透(とほ)して、閃々(きら/\)する燈火の影が二つ三つ見え出した頃には、月が已(すで)にその美しい姿を高社山の黒い偉大なる姿の上に顕(あら)はして居て、その流るゝやうな涼しい光は先(まづ)第一に三峯(みつみね)の絶巓(いたゞき)とも覚しきあたりの樹立(こだち)の上を掠(かす)めて、それから山の陰に偏(かたよ)つて流るゝ尾谷の渓流には及ばずに直ちに丘の麓(ふもと)の村を照し、それから鎮守の森の一端を明かに染めて、漸(やうや)く自分等の前の蕎麦の畑に及んで居る。洋燈(ランプ)をさへ点(つ)けなければ、其光は我等の清宴の座に充(み)ちて居るに相違ないのである。
 山県が来たので、一座の話に花が咲いて、東京の話、学校の話、英語の話、詩の話、文学の話、それからそれへと更にその興は尽きようともせぬ。果ては、自分は興(きよう)に堪へかねて、常々暗誦(あんしよう)して居る長恨歌(ちやうごんか)を極めて声低く吟(ぎん)じ始めた。
「この良夜を如何(いか)んですナア」
 と山県はしみ/″\感じたやうに言つた。
 此時鎮守の森の陰あたりから、夜を戒(いまし)める柝木(ひやうしぎ)の音がかち/\と聞えて、それが段々向ふヘ/\と遠(とほざ)かつて行く。
「今夜の柝木番は誰だえ、君ぢや無かつたか」
 と根本は山県に訊(たづ)ねた。
「私(わし)だつたけれど、……富山君が来たと謂(い)ふから、松本君に頼んで、代つて貰つたんです。その代り今夜十時から二時間ばかり忍びの方を勤めさせられるのだ」
「僕も二時から起される訳になつて居るんだが」と言つて、急に言葉を変へて、「それから、先程(さつき)聞くと、昼間あの娘つ子が喞筒(ポンプ)の稽古を見て居たと言ふが、それア、本当かね」
「本当とも……総左衛門どんの家の角の処で、莞爾(にこ/\)笑ひながら見てけつかるだ。余り小癪(こしやく)に触るつて言ふんで、何でも五六人許(ばかり)で、撲(なぐ)りに懸つた風なもんだが、巧にその下を潜(くゞ)つて狐のやうに、ひよん/\遁(に)げて行つて了つたさうだ。……それから重右衛門も来て見物して居たぢやないか」
「重右衛門も?」
「あの野郎、何処まで太いんだか、見物しながら、駐在所の山田に喧嘩見たやうな事を吹懸(ふつか)けて居たつけ。何んだ、この藤田重右衛門が駐在所の巡査なんか恐れやしねえ、何んだ村の奴等ア、喞筒(ポンプ)なんて、騒ぎやがつて、それよりア、この重右衛門に、お酒(みき)でも上げた方が余程効能(きゝめ)があるんだ。ツて、大きな声で呶(ぬか)して居やがつたつけ。何でも酒を余程飲んで居た風だつた」
「誰が酒を飲ましたのか知らん」
「誰がツて……野郎、又威嚇(おどし)文句で、又兵衛(酒屋の主人)の許(とこ)へ行つて、酒の五合も喰(くら)つて来たんだ」
「困り者だナア」
 と根本は心(しん)から独語(つぶや)いた。
「それから、言ふのを忘れたが、……先程(さつき)此処に来る時、あの森の傍で、がさ/\音が為(す)るから、何かと思つて、よく見ると、あの娘つ子め、何かまご/\捜して居る。此奴(こいつ)怪しいと思つたから、何を為(し)てるんだ! と態(わざ)と大(でか)い声を懸(か)けて遣つた。すると、猫のやうな眼で、ぎよろツと僕を見て、そしてがさ/\と奥の方に身を隠して了つた。丸で獣に些(ちつ)とも違はない……それから、私は、会議所に行つて、これ/\だから注意して呉れと言つて来た」
 自分は二人の会話を聞きながら、山中の平和といふ事と、人生の巴渦(うづまき)といふ事を取留(とりとめ)もなく考へて居た。月は段々高くなつて、水の如き光は既に夜の空に名残(なごり)なく充ち渡つて、地上に置き余つた露は煌々(きら/\)とさも美しく閃(きら)めいて居る。さらぬだに寂寞(せきばく)たる山中の村はいよ/\しんとして了つて、虫の音と、風の声と、水の流るゝ調べの外には更に何の物音も為(せ)ぬ。
 一時間程経つた。
 すると、不意に、この音も無くしんとした天地を破つて、銅鑼(どら)を叩いたなら、かういふ厭(いや)な音が為(す)るであらうと思はれる間の抜けたしかも急な鐘の乱打の響!
 二人は愕然(ぎよつ)とした。
「又遣付(やつつ)けた!」
 と忌々(いま/\)しさうに叫んで、根本の父は一散に駆けて行つた。
「粂(くめ)さんの家(とこ)だア、粂さんの家だア」
 と、誰か向ふの畔(あぜ)を走りながら、叫ぶ者がある。山県はちらと見たが、「あ、僕の家らしい!」と叫んで、そして跣足(はだし)の儘(まゝ)、慌(あわ)てて飛出した。
 根本も続いて飛出した。
 見ると、月の光に黒く出て居る鎮守の森の陰から、やゝ白けた一通の烟(けむり)が蜃気楼(しんきろう)のやうに勢よく立のぼつて、其中から紅(あか)い火が長い舌を吐いて、家の燃える音がぱち/\と凄(すさま)じく聞える。山際の寺の鐘も続いて烈しく鳴り始めた。
 一散に自分も駆け出した。

     七

 田の畔(くろ)を越えて、丘の上を抜けて、谷川の流を横(よこぎ)つて、前から、後から、右から、左から、其方向に向つて走り行く人の群、それが丁度大海に集るごとく、鎮守の森の陰の路へと進んで来るので、平生(いつも)ならば人も滅多に来ない鎮守の森の裏山は全く人の影を以て填(うづ)められて了つた。自分は駆出す事は駆出したが、今日来たばかりで道の案内も好く知らぬ身の、余り飛出し過ぎて思ひも懸けぬ災難に逢(あ)つては為(な)らぬと思つたから、其儘少し離れた、小高いところに身を寄せて、無念ながら、手を束(つか)ねて、友の家の焼けるのをじつと見て居た。
 眼前に広げられた一場の光景! 今燃えて居るのは丁度鎮守の森の東表に向つた、大きな家で、火は既にその屋(やね)に及んで居るけれど、まだすつかり燃え出したといふ程ではなく、半分燃え懸けた窓からは、燻(くすぶ)つた黒い色の烟(けむり)がもく/\と凄(すさま)じく迸(ほとばし)り出でて、それがすつかり火に為つたならば、下の二三軒の家屋は勿論(もちろん)、前の白壁の土蔵も危くはありはせぬかと思はれるばかりであつた。けれど消防組はまだ一向見えぬ様子で、昼間盛んに稽古して居たその新調の喞筒(ポンプ)も、まだ其現場に駆け付けては居らなかつた。暫時(しばらく)すると、燻(くすぶ)つて居た火は恐ろしく凄じい勢でぱつと屋根の上に燃え上る……と……四辺(あたり)が急に真昼のやうに明くなつて、其処等に立つて居る人の影、辛(から)うじて運び出した二三の家具、其他いろ/\の悲惨な光景が、極めて明かに顕(あら)はれて見える。火は既に全屋に及んで、その火の子の高く騰(あが)るさまの凄じさと言つたら、無い。幸ひに風が無いので、火勢は左程(さほど)四方には蔓延(まんえん)せぬけれど、下の家の危さは、見て居ても、殆ど冷汗が出るばかりである。
「喞筒(ポンプ)!」
 と叫ぶ声。
「おい、喞筒は何を為(し)て居るだアーい」
 と長く曳いて叫ぶ声。
 けれど、本当に何うしたのか、喞筒はまだ遣つて来るやうな様子も見えぬ。屋根の焼落つる度(たび)に、美しく火花を散した火の子が高く上つて、やゝ風を得た火勢は、今度は今迄と違つて士蔵の方へと片靡(かたなび)きがして来た。土蔵の上には五六人ばかり人が上つて頻(しき)りに拒(ふせ)いで居た様子だつたが、これに面喰(めんくら)つてか、一人/\下りて、今は一つの黒い影を止めなくなつて了つた。
「熱つくて堪らねえ」
「まご/\して居ると、焼死んで了ふア」
「何うしやがつたんだ。一体、喞筒(ポンプ)は? 気が利(き)かねえ奴等でねえか」
 と土蔵から下りて来た人の会話らしい声がすぐ自分の脚下(あしもと)に聞える。
 と、思ふと、向ふの低い窪地(くぼち)に簇々(むら/\)と十五六人許(ばかり)の人数が顕(あら)はれて、其処に辛うじて運んで来たらしいのは昼間見たその新調の喞筒である。
 やがて火光に向つて一道の水が烈しく迸出(へいしゆつ)したのを自分は認めた。
「喞筒(ポンプ)確(しつ)かり頼むぞい!」
「確かり遣れ」
「喞筒!」
 と彼方(あつち)此方(こつち)から声が懸る。
 で、その喞筒(ポンプ)の水の方向は或は右に、或は左に、多くは正鵠(せいこく)を得なかつたにも拘(かゝは)らず、兎(と)に角(かく)、多量の水がその方面に向つて灑(そゝ)がれたのと、幸ひ風があまり無かつたのとで、下なる低い家屋にも、前なる高い土蔵にもその火を移す事なしに、首尾よく鎮火したのである。
 それが丁度十時二十分。
 疲れたから、帰つて、寝ようかとも思つたが、火事の後の空はいよ/\澄んで、山中の月の光の美しさは、此の世のものとは思はれぬばかりであるから、少し渓流の畔(ほとり)でも歩いて見ようと、其儘(そのまゝ)焼跡をくるりと廻つて、柴の垣の続いて居る細い道を静かに村の方へと出た。
 村へ出て見ると、一軒として大騒を遣つて居らぬ家は無く、鎮火と聞いて孰(いづれ)も胸を安めたやうなものの、かう毎晩の様に火事があつては、とても安閑として生活して居られぬといふそは/\した不安の情が村一体に満ち渡つて、家々の角には、婦(をんな)やら、老人(としより)やらが、寄つて、集(たか)つて、いろ/\喧(かしま)しく語り合つて居る。
「本当にかう毎晩のやうに火事があつては、緩(ゆつ)くり寝ても居られねえだ。本当に早く何(ど)うか為(し)て貰はねえでは……」
「駐在所ぢや、一体(いつてい)何を為て居るんだか、はア、困つた事だ」
 前の老人らしい声で、
「駐在所で、仕末が出来(でけ)ねえだら、長野へつゝ走つて、何うかして貰ふが好(え)いし、長野でも何うも出来ねえけりや、仕方が無えから、村の顔役が集(たか)つて、千曲川へでも投込(はふりこ)んで了ふが好(え)いだ」
「本当に左様(さう)でも為(し)て貰はねいぢや……」
 猶(なほ)少し行くと、
「まご/\してると、己(おら)が家(とこ)もつん燃されて了ふかも知んねえだ。本当にまア、何うしたら好い事だか」
「困つた事だ」
 とさも困つたといふやうな調子。
 聞流して又少し歩いた。
「重右衛門がこんな騒動(さわぎ)を打始(ぶつぱじ)めようとは夢にも思ひ懸けなかつたゞ。あれの幼い頃はお互(たげへ)にまだ記憶(おぼ)えて居るだが、そんなに悪い餓鬼(がき)でも無かつたゞが……」
 かう言つたのは年の頃大凡(およそ)六十五六の皺(しわ)くちやの老婆であつた。それに向つて立つて居るのも、これも同じく其年輩らしい老婆の姿で、今しも月の光にさも感に堪へぬといふ顔色(かほつき)を為(し)たが、前の老婆の言葉を受けて、「本当でごすよ。重右衛門は、妾(わし)の遠い親類筋だで、それでかう言ふのではごんせぬが、何アに、あれでも旨(うま)くさへ育てれや、こんな悪党にや為(な)りや仕ないんだす。一体祖父様(ぢゝさま)が悪かつただす。余(あんま)り可愛がり過ぎたもんだで……」
「だから、子供(がき)を育てるのも、容易(ばか)には出来ねえだ」
 と他の老婆は言葉を合せた。
 自分は其前をも行過ぎた。
 すると、路の角に居酒屋らしいものがあつて、其処には洋燈(らんぷ)が明るく点(つ)いて居るが、中(うち)には七八人の村の若者が酒を飲んで、頻(しき)りに大きい声を立(たて)て居る。
 立留つて聞くと、
「重右衛門は火事の中何処に行つて居たツて?」
「奴か、奴ア、直き山県さんの下の家に行つて、火事見舞に来たとか、何とか言つて、酒の馳走になつてけつかつた。あの位図太い奴ア無いだ」
「さういふ時、思ふさま、酒喰(くら)はして、ぐつと遣つて仕舞へば好いんだ」
「本当にそれが一番早道だア、と我(おら)ア、いつでも言ふんだけど、まさか、それも出来ねえと見えて、それを遣つて呉れる人が無えだ」
「忌々(いめ/\)しい奴だなア」
 と其中の一人が叫んだ。
 自分は又歩き出した。路が其処から川の方に曲つて居るので、それについて左に曲り、猶(なほ)半町ほど辿(たど)つて行くと、もう其処は尾谷川の崖(がけ)で、石に激する水声が、今迄種々(いろ/\)な悪声を聞いた自分の耳に、殆(ほとん)ど天上の音楽の如く聞える。月はもう高くなつたので、渓流の半面はその美しい光に明かに輝いて居るが、向ふに偏(かたよ)つた半面には、また容易に其光が到着しさうにも見えぬ。自分は崖に凭(よ)つて、そして今夜の出来事を考へた。友の言葉やら、村の評判やらから綜合(そうがふ)して見ると、この事件の中心に為(な)つて居る重右衛門といふ男は確かに自暴自棄に陥つて居るに相違ないと自分は思つた。けれど何うして渠(かれ)はその自暴自棄の暗い境に陥つたのであらうか。先程の老婆の言ふ所によれば、祖父様が悪いのだ、あまり可愛がり過ぎたから、それで彼様(あん)な風に為つたのだと言ふけれど、単に愛情の過度といふのみで、それで人間が、己(おのれ)の故郷の家屋を焼くといふ程の烈しい暗黒の境(きやう)に陥るであらうか。殊に此村には一種の冒険の思想が満ち渡つて居て、もし単に故郷に容(い)れられぬといふばかりならば、根本の父のやうに、又は塩町の湯屋のやうに、憤(いきどほり)を発して他郷に出て、それで名誉を恢復(くわいふく)した例(ためし)は幾許(いくら)もある。であるのに、それを敢(あへ)て為(し)ようとも為(せ)ず、かうして故郷の人に反抗して居るといふのは、其処に何か理由が無くてはならぬ。その理由は先天的性質か、それとも又境遇から起つた事か。
 種々に空想を逞(たくまし)うしたが、未だ其人をさへ見た事の無い身の、完全にそれを断定することが何うして出来よう。遂(つひ)に思切つて、そして帰宅すべく家路に就いた。路は昼間小僮(せうどう)に案内して貰つて知つて居るから別段甚しく迷ひもせずに、やがて緑樹の欝蒼(こんもり)と生ひ茂つた、月の光の満足にさし透(とほ)らぬ、少しく小暗(をぐら)い阪道へとかゝつて来た。村の方ではまだ騒いで居ると見えて、折々人声は聞えるけれど、此の四辺(あたり)はひつそりと沈まり返つて、木(こ)の葉(は)の戦(そよ)ぐ音すら聞えぬ。自分は月の光の地上に織り出した樹の影を踏みながら、阪の中段に構へられてある一軒の農家の方へと只(たゞ)無意味に近づいて行つた。
 すると、その家の垣根の前に小さな人の影があつて、低頭(うつぶき)になつて頻りに何か為て居るではないか。勿論家の蔭であるから、それと分明(はつきり)とは解らぬが、その影によつて判断すると、それは確かに大人で無いといふ事がよく解る。自分は立留つた。そして樹の蔭に身を潜めて、暫(しば)しその為様(せんやう)を見て居た。
 ぱツとマッチを擦(す)る音!
 同時に
「誰だ!」
 と叫んで自分は走り寄つた。けれどその影の敏捷(びんせふ)なる、とても人間業(にんげんわざ)とは思はれぬばかりに、走寄る自分の袖(そで)の下をすり抜けて、電光(いなづま)の如く傍の森の中に身を没(かく)して了つた。跡には石油を灑(そゝ)いだ材料に火が移つて盛(さかん)に燃え出した。
「火事だ、火事だア」
 と自分は声を限りに叫んだ。

     八

 藤田重右衛門と言ふのは、昔は村でも中々の家柄で祖父の代までは田の十町も所有して、小作人の七八人も遣(つか)つた事のある身分だといふことである。家は丁度(ちやうど)尾谷川に臨んだ一帯の平地にあつて、樫(かし)の疎(まば)らな並樹(なみき)がぐるりと其の周囲を囲んで居る奥に、一棟(むね)の母屋(おもや)、土蔵、物置と、普請(ふしん)も尋常(よのつね)よりは堅く出来て居て、村に何か事のある時には、その祖父といふ人は必ず総代か世話人に選ばれるといふ程の名望家であつた。現に根本三之助の乱暴を働いた頃にも、その村の相談役で、千曲川(ちくまがは)に投込(はふりこ)んで了(しま)へと決議した人の一人であつたといふ。性質の穏かな、言葉数の少ない、慈愛心の深い人で、殊に学問――と謂(い)ふ程でも無いが、御家流(おいへりう)の字が村にも匹敵(ひつてき)するものが無い程上手で、他村への交渉、飯山藩の武士への文通などは皆この人に頼んで書いて貰ふのが殆ど例になつて居たといふ事である。この人は千曲川の対岸の大俣(おほまた)といふ処から、妻を娶(めと)つたが、この妻といふ人も至極好人物で、貧乏者にはよく米を遣つたり、金銭を施したりして、年が老(と)つてからは、寺参りをのみ課業として、全く後生(ごしやう)を願ふといふ念より外に他(ほか)は無かつた。であるのに、僅(わづ)か一代を隔てて、何うしてこんな不幸がその藤田一家を襲つたのであらうか。何うしてその祖父祖母の孫に今の重右衛門のやうな、乱暴無慚(むざん)の人間が出たのであらうか。
 その優しい正しい祖父祖母の問に、仮令(たとへ)女でも好いから、まことの血統を帯びた子といふ者が有つたなら、決してこんな事は無かつたらうとは、村でも心ある者の常に口に言ふ所であるが、不幸にもその祖父祖母の間には一人の子供も無かつたので、藤田の系統(けつとう)を継(つ)がしむる為めに、二人は他の家から養子を為なければならなかつた。今の重右衛門の父と言ふのは、芋沢のさる大尽の次男で、母は村の杉坂正五郎といふものの三女である。何方(どちら)も左程悪い人間と言ふではないが、否、現に今も子息(むすこ)の事を苦にして、村の者に顔を合せるのも恥しいと山の中に隠れて出て来ぬといふやうな寧(むし)ろ正直な人間ではあるが、さりとて、又、祖父祖母のやうな卓(すぐ)れて美しい性質は夫婦とも露ばかりも持つて居らなかつたので、母方の伯父(をぢ)といふ人は人殺をして斬罪(ざんざい)に処せられたといふ悪い歴史を持つて居るのであつた。で、この夫婦養子の間(なか)に間もなく出来たのが、今の重右衛門。子の無い処の孫であるから、祖父祖母の寵愛(ちようあい)は一方(ひとかた)ではなく、一にも孫、二にも孫と畳にも置かぬほどにちやほやして、その寵愛する様は、他所目(よそめ)にも可笑(をか)しい程であつたといふ。処が、この最愛の孫に一つ悲むべきことがある。それは生れながらにして、腸の一部が睾丸(かうぐわん)に下りて居る事で、何うかしてこの大睾丸(おほきんたま)を治(なほ)して遣(や)る方法は無いかと、長野まで態々(わざ/\)出懸けて、いろ/\医者にも掛けて見たけれど、まだ其頃は医術も開けて居らぬ時代の事とて、一時は腸に収まつて居ても、又何かの拍子で忽地(たちまち)元に復して了ふので、いくら可愛想に思つても、何(ど)う為(す)る事も出来なかつた。
 これが又一層不便(ふびん)を増すの料となつて、孫や孫やと、その祖父祖母の寵愛は益(ます/\)太甚(はなはだ)しく、四歳(よつ)五歳(いつゝ)、六歳(むつ)は、夢のやうに掌(たなごころ)の中に過ぎて、段々その性質があらはれて来た。けれど、子供の時分には、只非常に意地の強いといふばかりで、別段これと言つて他の童(わらべ)に異つたところも無かつたといふ事だが、それでも今の老人の中には、重右衛門の子供にも似ぬ、一種茫然(ぼんやり)したやうな、しつかりしたやうな、要領を得ない処があるのを記憶して居て、どうもあの子は昔から変つて居ると思つたと言ふ者もある。が、概して他の童にさしたる相違が無かつたといふのが、一般の評であつた。山県の総領の兄などはその幼い頃の遊び夥伴(なかま)で、よく一所に蜻蛉(とんぼ)を交(つる)ませに行つたり、草を摘みに行つたり、山葡萄(やまぶだう)を採(と)りに行つたり為た事があるといふが、今で、一番記憶に残つて居るのは、鎮守の境内で、鬼事(おにごと)を為る時、重右衛門は睾丸が大いものだから、いつも十分に駆ける事が出来ず、始終中(しよつちゆう)鬼にばかり為(な)つて居たといふ事と、山茱萸(やまぐみ)を採りに三峯に行つた時、その大睾丸を蜂に食はれて、家に帰るまで泣き続けて居たといふ事と、今一つ、よく大睾丸を材料(たね)にして、いろ/\渾名(あざな)を付けたり、悪口を言つたり為(す)るものだから、終(しまひ)にはそれを言ひ始めると、厭(いや)な顔をして、折角(せつかく)楽しげに遊んで居たのも直ぐ止めて帰つて了ふやうになつたといふ事位のものであるさうな。けれど其先天的不具がかれの一生の上に非常に悲劇の材料と為つたのは事実で、人間と生れて、これほど不幸福(ふしあわせ)なものは有るまい。それから愛情の過度、これも確かにかれの今日の境遇に陥つた一つの大なる原因で、大きくなる迄、孫や、孫やとやさしい祖父にちやほやされて、一時村の遊び夥伴(なかま)の中に、重右衛門と名を呼ぶ者はなく、孫や、孫やで通つたなども、かれの悲劇を思ふ人の有力なる材料になるに相違ない。
 月日は流るゝ如く過ぎて、早くも渠(かれ)は十七の若者となつた。其年の春、祖母は老病で死んで了つたが、此年ほど藤田家に取つて運の悪い年は無かつたので、其初夏には、父親が今年こそはと見当を付けて、連年の養蚕(やうさん)の失敗を恢復(くわいふく)しようと、非常に手を拡(ひろ)げて養(か)つた蚕が、気候の具合で、すつかり外(はづ)れて、一時に田地の半分ほども人手に渡して了ふといふ始末。かてて加へて、妻の持病の子宮が再発して、枕も上らず臥(ふ)せつて居ると、父親は又父親で、失敗の自棄(やけ)を医(いや)さん為め、長野の遊廓にありもせぬ金を工面して、五日も六日も流連(ゐつゞけ)して帰らぬので、年を老(と)つた、人の好い七十近い祖父が、独(ひと)りでそれを心配して、孫や孫やと頻(しき)りに重右衛門ばかりを力にして、何うか貴様は、親父(おやぢ)のやうに意気地なしには為つて呉れるな、祖父(ぢいさん)の代の田地(でんち)を何うか元のやうに恢復(くわいふく)して呉れと、殆ど口癖のやうに言つて居た。
 御存じでは御座るまいが、村には若者の遊び場所と言ふやうなものがあつて、(自分は根本行輔の口からこの物語を聞いて居るので)昼間の職業(しごと)を終つて夕飯を済すと、いつも其処に行つて、娘の子の話やら、喧嘩の話やら、賭博(ばくち)の話やら、いろ/\くだらぬ話を為て、傍(かたは)ら物を食つたり、酒を飲んだりする処がある。今では学校が出来て、教育の大切な事が誰の頭脳(あたま)にも入つて来たから、さういふ下らぬ遊を為(す)るものも少く為(な)つたけれど、まだ私等の頃までは、随分それが盛んで、やれ平右衛門の二番娘は容色(きりやう)が好いの、やれ総助の処の末の娘が段々色気が付いて来たのと下らぬ噂を為(する)ばかりならまだ好いが、若者と若者との間にその娘に就いての鞘当(さやあて)が始まる、口論が始まる、喧嘩が始まる、皿が飛ぶ、徳利が破(こは)れるといふ大活劇を演ずることも度々で、それは随分弊(へい)が多かつた。殊に其遊び場所の最も悪い弊と言ふのは、その若者の群の中にも自(おのづ)から勢力の有るものと、無いものとの区別があつて、其勢力のある者が、まだ十六七の若い青年を面白半分に悪いところに誘つて行く、これが第一の弊だと思ふ。
 私なども経験があるが、散々村の遊び場所で騒ぎ散して、さてそれから其処に集つて居る若者の総(すべ)ての懐中を改めて、これなれば沢山(たくさん)となると、もう大分夜が更(ふ)け渡つて居るにも拘(かゝは)らず、其処から三里もある湯田中(ゆだなか)の遊廓へと押懸けて行く。其一群の中には、屹度(きつと)今夜が始めて……といふ初陣(うひぢん)の者が一人は居るので、それを挑(おだ)てたり、それを戯(からか)つたり、散々飜弄(ひやか)しながら歩いて行くのが何よりも楽みに其頃は思つて居た。そして又、村の若者の親なども、これはもう公然止むを得ざる事と黙許して居て、「家の忰(せがれ)もはア、色気が附いて来ただで、近い中に湯田中に遣らずばなるめい、お前方(めいがた)附いて居て、間違の無(ね)いやうに遊ばして呉らつしやれ」とその兄分の若い衆に頼むものさへある。兎(と)に角(かく)、村の若い者で、湯田中に遊びに行かぬ者は一人も無く、又初めての翌朝、兄分の者に昨夜(ゆうべ)の一伍一什(いちぶしじふ)を無理に話させられて、顔を赤く為(し)ないものは一人も無い。
 重右衛門を始めて湯田中に連れて行つたのは、勝五郎といふ其頃有名な兄分で、今では失敗して行衛(ゆくへ)知れずになつて居るが、それがよく重右衛門の初陣の夜の事を得意になつて人に話した。
「重右め、不具(かたは)だもんだで、姫つ子が何うしても承知しねえ、二夜(ばん)、三夜(ばん)、五夜(ばん)ほど続けて行つて、姫つ子を幾人も変へて見たが、何奴(どいつ)も、此奴も厭だアつてぬかして言ふ事を聞かねえだ。朝になつて、あの田中の堤(どて)の上を茫然(ぼんやり)帰つて来ると、重右め、いつも浮かぬ顔をして待つて居る。咋夜(ゆうべ)は何うだつたつて……聞くと、頭ア振つて駄目だアと言ふ。それが余り幾夜も続くので、私も、はア、終(つひ)には気の毒になつて、重右だツて、人間だア。不具に生れたのは、自分(われ)が悪いのぢやねえ。それだのに、その不具の為めに、女を知る事が出来ねえとあつては、これア気の毒だア。一つ肌を抜いで世話をして遣らうと思つて、それから私の知つて居る女郎屋の嚊様(かゝさま)に行つてこれ/\だつて話して遣つただ。すると、流石(さすが)は商売人だで、訳なく承知して呉れて、重右め、其処に行つて泊る事に為つただ。明日の朝、何んな顔をして居るかと思つたら、奴め、莞爾(にこ/\)と笑つて居やがる。背中を一つ喰はせて遣ると、いひ/\/\と笑やがつたが、其笑ひ様つて言つたら、そりや形容(かたち)にも話にも出来ねえだ。本当に、私あ、随分人を湯田中に連れて行つたが、重右の奴ぐらゐ、手数(てかず)の懸(かゝ)つたのは無え」
 と高く笑つて、
「それにしても、考へると、可笑(をかし)くつてなんねえだよ。あの大(でか)い睾丸を拘へてよ、それで姫ツ子を自由に為(し)ようつて言んだから、こいつは中々骨が折れるあ!」
 と言ふのが例だ。
 で、其からといふものは、重右衛門は好く湯田中に出懸けて行つたが、金を費(つか)ふ割に余りちやほやされないので、つねに悒々(おふ/\)として楽しまなかつたといふ事である。
 其中には段々家は失敗に失敗を重ねて、祖父が一人真面目に心配して居るけれど、さてそれを何うする事も出来ず田地は益々人手に渡つて、祖父の死んだ時(それは丁度重右衛門が二十二の時であつた)にはもう田畠(でんばた)合せて一町歩位しか無かつたとの話だ。ことに、その祖父の死ぬ時に一つの悲しい話がある。それは、其頃重右衛門は湯田中に深く陥(はま)つて居る女があつたとかで、家の衰へて行くのにも頓着せず、米を売つた代価とか、蚕(かひこ)を売つた金とかありさへすれば、五両なり十両なりそれを残らず引攫(ひつさら)つて飛出して、四日、五日、その金の有らん限り、流連(ゐつゞけ)して更に家に帰らうとも為なかつた。父親と母親とは重右街門とは始めから仲が悪いので、商売を為るとか言つて、其頃長野へ出て居つたから、家には只死に瀕した祖父一人。その祖父は曾(かつ)て孫を此上なく寵愛(ちようあい)して、凡(およ)そ祖父の孫に対する愛は、遺憾(ゐかん)なく尽して居つたにも拘(かゝは)らず、その死の床には侍(はべ)つて居るものが一人も無いとは!
 二日程前から病に罹(かゝ)つて、老人はその腰の曲つた姿を家の外に顕(あら)はさなかつたが、其三日目の晩に、あまり家の中がしんとして居ると言ふので、隣の者が行つて見ると、老人(としより)行火(あんくわ)に凭(よ)り懸つたまゝ、丸くなつて打伏して居る。
「爺様(ぢいさん)! 何うだね」
 と声を懸けても、返事が無い。
「爺様!」
 と再び呼んでも、猶(なほ)返事を為ようとも為ない。これは不思議だと怪んで、急いで傍に行つて見ると、体がぐたりとして水涕(みづつぱな)を出したまゝ、早既に締(こと)が切れて居る。驚いて、これを村の世話役に報告する、湯田中の重右衛門に使を出す、と、重右衛門は遊廓の二階で、大睾丸を抱へて大騒を遣つて居る最中だつたさうで、祖父(ぢゝ)が死んだといふ悲むべき報知を聞いても、更に涙一つ滴(こぼ)さうでもなく、「死んで了つたものは仕方が無え、明日帰つて、緩(ゆつく)り葬礼(ともれひ)を出して遣るから、もう帰つて呉れても好い」との無情な言草には、使の者も殆(ほとん)ど呆(あき)れ返つたとの事だ。
 兎に角重右衛門は此頃からそろ/\評判が悪くなつたので、その祖父の孫に対する愛を知つて居る人は、他村の者までも、重右衛門の最後の必ず好くないといふ事を私語(さゝや)き合つたのである。
 祖父が死んだので、父親母親は一先(ひとまづ)村へ帰つて、少時(しばらく)其家に住んで居た。が、この親子の間柄(あひだ)といふものは、祖父が余り過度に愛した故(せゐ)でもあらうが、それは驚くばかり冷(ひやゝ)かで、何かと言つては、直(ぢ)き親子で衝突して、撲(なぐ)り合ひを始める。仲裁に入ると、その仲裁に入つた者まで撲り飛ばして、傷を負はせるといふ有様なので、後には誰も相手に為る者が無くなつて了つた。で、この親と子の間に少なからざる活闘が演じられたが、重右衛門は体格が大きく、馬鹿力があつて、其上意地が非常に強く、酒を飲むと、殆ど親子の見さかひも無くなつて了ふものだから、流石(さすが)の親達も終(つひ)には呆れ返つてこんな子息(むすこ)の傍には居られぬ、と一年許(ばかり)して、又長野へ出て行つた。
 これからが重右衛門の罪悪史である。祖父は歿(な)くなる、親は追出す、もう誰一人その我儘(わがまゝ)を抑(と)めるものが無くなつたので、初めの中は自分の家の財産を抵当に、彼方(あつち)此方(こつち)から金を工面して、猶(なほ)その放蕩(はうたう)を続けて居た。けれど重右衛門とて、丸きり意識を失つた馬鹿者でも無いから、満更その自分の一生に就いて思慮を費(つひ)やさぬ事も無いので、時にはいろ/\その将来の事を苦にして、自分の家の没落をも何うかして恢復(くわいふく)したいと思つた事もあつたらしい。其証拠には、それから、大凡(およそ)一年ばかり経つと、丸で人間が変つたかと思はれるやうに、もうふつゝりと女郎買をやめて、小作人まかせに荒れて居た田地を耕し、人の為めに馬を曳(ひ)いて賃金を取り、養蚕(やうさん)の手伝をして日当を稼ぐなど、それは村の人が一時眼を聳(そば)だてる程の勤勉なる労働者と為つた
 其頃である。稍(やゝ)その信用が恢復しようとした頃である。村に世話好の男があつて、重右衛門も此頃では余程身持も修(をさ)まつて来たやうだし、あゝ勤勉に労働する処を見ると、将来にも左程希望が無いとも云へぬ。一つ相応な嫁を周旋して、一層身が堅まるやうに為(し)て遣らうではないかといふ者があつたが、それに賛成する者も随分あつて、彼れかこれかといよ/\相応の嫁を探して遣る事と為つた。
 其候補者には誰が為つたらう。
 その頃、村の尽頭(はづれ)に老婆と一緒に駄菓子の見世(みせ)を出して、子供等を相手に、亀の子焼などを商(あきな)つて、辛うじて其日の生活を立てて行く女があつた。生れは何でも越後(ゑちご)の者だといふ事だが、其処に住んだのは、七八年前の事で、始めはその父親らしい腰の曲つた顔の燻(くすぶ)つた汚(きたな)らしい爺様(ぢいさま)も居つた相だが、それは間もなく死んで、今では母の老婆と二人暮し。村の若い者などが時々遊びに行く事があつても、不器量で、無愛想で、おまけに口が少し訥(ども)ると来て居るから、誰も物好に手を出すものもなく、二十五歳の今日まで、男といふものは猫より外に抱いた事も無かつた。けれど其性質は悪くはない相で、子供などには中々優しくする様子であるから、何うだ、重右衛門、姿色(みめ)よりも心と言ふ譬(たとへ)もある、あれを貰ふ気は無いかと勧めた。
 重右衛門も流石(さすが)に二の足を踏んだに相違ないが、余りに人から執念(しふね)く勧めらるゝので、それでは何うか好いやうにして下され、私等は、ハア、どうせ不具者(かたはもの)でごすでと言つて承知して、それより一月ならざるに、重右衛門の寂(さび)しい家宅(いへ)にはをり/\女の笑ふ声が聞える様になつた。
 村の人はこれで重右衛門の身が堅まつたと思つて喜んだのである。けれどそれは少くとも重右衛門のやうな性格と重右衛門のやうな先天的不備なところがある人間には間違つた皮相な観察であつた。一体重右衛門といふ男は負け嫌ひの、横着の、図々しいところがあつて、そして其上に烈(はげ)しい/\熱情を有(も)つて居る。で、この熱情が旨(うま)く用ひられると、中々大した事業をも為るし、人の眼を驚かす程の偉功をも建てる事が出来るのだけれど、惜しい事には、この男にはこれを行ふ力が欠けて居る。先天的に欠けて居る。この男には「自分は不具者(かたはもの)、自分は普通の人間と肩を並べることが出来ぬ不具もの」といふ考が、小児(こども)の中からその頭脳に浸(し)み込んで居て、何かすぐれた事でも為ようと思ふと、直ぐその悲しむべき考が脳を衝(つ)いて上つて来る。そしてこの不具者といふ消極的思想が言ふべからざる不快の念をその熱情の唯中に、丁度氷でもあるかのやうに、極めて烈しく打込んで行く。この不快の念、これが起るほど、かれには辛(つら)いことはなく、又これが起るほど、かれには忌々(いま/\)しい事はない。何故(なぜ)自分は不具に生れたか、何故自分は他の人と同じ天分を受ける事が出来なかつたか。
 親が憎い、己(おれ)を不具に生み付けた親が憎い。となると、自分の全身には殆(ほとん)ど火焔(くわえん)を帯びた不動尊も啻(たゞ)ならざる、憎悪(ぞうを)、怨恨(ゑんこん)、嫉妬(しつと)などの徹骨の苦々しい情が、寸時もじつとして居られぬほどに簇(むらが)つて来て、口惜(くや)しくつて/\、忌々(いま/\)しくつて/\、出来るものならば、この天地を引裂(ひつさ)いて、この世の中を闇にして、それで、自分も真逆様(まつさかさま)にその暗い深い穴の中に落ちて行つたなら、何(ど)んなに心地が快(い)いだらうといふやうな浅ましい心が起る。
 かういふ時には、譬(たと)へ一銭の銅貨を持つて居らないでも、酒を飲まなければ、何うしても腹の中の虫が承知しない。仕方が無いから、居酒屋に飛んで行つて一杯飲む、二杯飲む。あとは一升、二升。
 重右衛門の為めには、女房が出来たのは余り好い事では無かつたが、もし二人の間に早く子供が生れたなら、或は重右衛門のこの腹の虫を全く医(いや)し得たかも知れぬ。けれど不幸にも一年の間に子をつくることが出来なかつた二人の仲は、次第に殺伐(さつばつ)に為(な)り、乱暴に為り、無遠慮になつて、そして、その場句(あげく)には、泣声、尖声(とがりごゑ)を出しての大立廻。それも度重なつては、犬の喧嘩と振向いて見るものなく、女房の顔には殆ど生傷(なまきず)が絶えぬといふやうな寧(むし)ろ浅ましい境遇に陥つて行つた。
 その結果として、折角身持が治(をさま)り懸けた重右衛門が再び遊廓に足を踏み入れるやうに為り、少しく手を下し始めた荒廃した田地の開墾が全く委棄(ゐき)せられて了つたのも、これも余儀ない次第であらう。
 ※(「にんべん+尚」、第3水準1-14-30)(も)し、この危機に処して、一家の女房たるものが、少しく怜悧(れいり)であつたならば、狂瀾(きやうらん)を既に倒るゝに翻(ひるがへ)し、危難を未(いま)だ来らざるに拒(ふせ)ぐは、さして難い事では無いのである。が、天は不幸なるこの重右衛門にこの纔(わづ)かなる恩恵(めぐみ)をすら惜んで与へなかつたので、尋常よりも尚(なほ)数等愚劣なるかれの妻は、この危機に際して、あらう事か、不貞腐(ふてくされ)にも、夫の留守を幸ひに、山に住む猟師(れふし)のあらくれ男と密通した。
 そして、それの露顕した時、
「だつて、その位(くれゐ)は当(あた)り前(めへ)だア。お前さアばか、勝手な真似して、己(うら)ら尤(とが)められる積(せき)はねえだ」
 とほざいた。
 重右衛門は怒つたの、怒らないのツて、
「何だ、この女(あま)!」
 と一喝して、いきなり、その髪を執(と)つて、引摺倒(ひきずりたふ)し、拳(こぶし)の痛くなるほど、滅茶苦茶に撲(なぐ)つた。そして半死半生になつた女房を尻目にかけて、其儘(そのまま)湯田中へと飛んで行つた。そして、酒……酒……酒。
 で、これからと言ふものは、重右衛門は全く身を持崩して了つたので、女郎買を為(す)るばかりではない、悪い山の猟師と墾意に為(な)つて、賭博(ばくち)を打つ、喧嘩を為る、茶屋女を買ふ、瞬(またゝ)く間にその残つて居る田地をも悉(こと/″\)く人手に渡して、猶(なほ)其上に宅地と家屋敷を抵当に、放蕩費(はうたうひ)を借りようとして居るのだが、誰もあんな無法者に金を貸して、抵当として家屋敷を押へた処が、跡で何んな苦情を持出さぬものでもないと、恐毛(おぞけ)振つて相手に為(せ)ぬので、そればかりは猶其後少時(しばし)、かれの所有権ある不動産として残つて居た。
 ある時かういふ奇談がある。
 かれはその三日前ばかりから、湯田中に流連(ゐつゞけ)して、いつもの馴染(なじみ)を買つて居たが、さて帰らうとして、それに払ふべき金が無い。仕方が無いから、苦情やら忌味(いやみ)やらを言はれ/\、三里の山道を妓夫(ぎふ)を引張つて遣つて来て見ると家の道具はもう大方持出して叩き売つて仕舞つたので、これと言つて金目なものは一つも無い。妓夫は怒るし、仕末に困つて、何うしようと思つて居ると、裏の馬小屋で、主人が居ないので、三日間食はずに、腹を減(へら)して居つた、栗毛の三歳が、物音を聞き付けて、一声高く嘶(いなゝ)いた。
「やア、まだ馬が居るア」
 と言つて、平気でそれを曳出(ひきだ)して、飯をも与ヘずに、妓夫に渡した。そして、彼はその馬を売つた残りの金を費(つか)ふべく、再び湯田中へと飛び出して行つたのである。
 其事が誰言ふとなく村の者に伝つて、孫(祖父の口癖に言つた)が馬を引張つて来て、又馬を引張つて行かれたとよと大評判の種となつた。
 それから、三年。かれが到頭(たうとう)家屋敷を抵当に取られて、忌々(いま/\)しさの余(あまり)に、その家に火を放ち、露顕して長野の監獄に捕へらるゝ迄其間の行為は、多くは暗黒と罪悪とばかりで、少しも改善の面影(おもかげ)を顕(あら)はさなかつたが、只(たゞ)一度……只一度次のやうな事があつた。
 それは何でも其家屋の抵当に入つてから後の事だ相だが、ある日かれは金を借ようと思つて、上塩山(かみしほやま)の上尾(あげを)貞七の家を訪(たづ)ねた事があつた。この上尾貞七と謂(い)ふのは、根本三之助などと同じく、一時は非常に逆境に沈淪(ちんりん)して、村には殆ど身を措(お)く事が出来ぬ程に為(な)つた事のある男で、それから憤(いきどほり)を発して、江戸へ出て、廿年の間に、何う世の荒波を泳いだか、一万円近くの資産を作つて帰つて来て、今では上塩山第一の富豪(かねもち)と立てられる身分である。重右衛門が訪ねると、快く面会して、その用向の程を聞き、言ふがまゝに十五円ばかりの金を貸し、さて真面目な声で、貞七が、「実はお前さんの事は、兼ねて噂(うはさ)に聞いて知つて居つたが、生れた村といふものは、まことに狭いもので、とても其処に居ては、思ふやうな事は出来ない。私なども……覚えが有るが、村の人々に一度信用せられぬとなると、もう何んなに藻掻(もが)いても、とても其村では何うする事も出来なくなる。お前さんも随分村では悪い者のやうに言はれるが、何うだね、一奮発する気は無いか」
 重右衛門は黙つて居る。
「私なども……それア、随分酷(ひど)い眼に逢(あ)つた。親には見放される、兄弟には唾(つば)を吐き懸けられる、村の人にはてんから相手にされぬといふ始末で、夜逃の様にして村を出て行つたが、其時の悲しかつた事は今でも忘れない。あの倉沢の先の吹上(ふきあげ)の水の出て居る処があるが、あそこで、石に腰を懸けて、もうこれで村に帰つて来るか何(ど)うだかと思つた時は、情なくなつて涙が出て、いつそこゝで死んで了はうかとすら思つた程であつた。けれど……思返して、何うせ死ぬ位なら、江戸に行つて死ぬのも同じだ、死んだ積りで、量見を入れかへて、働いて見よう……とてく/\と歩き出したが、それが私の運の開け始めで、それでまア、兎(と)に角(かく)今の身分に為つた……」
「私なんざア、駄目でごす…‥」
 と重右衛門は言つたが、其顔はおのづから垂れて、眼からは大きな涙がほろ/\と膝の上に落ちた。
「駄目な事があるものか。私などもお前さんの様に、其時は駄目だと思つた。けれどその駄目が今日のやうな身分になる始となつたぢやがアせんか。何でも人間は気を大きくしなければ好(い)けない」
 答の無いのに再び言葉を続(つ)いで、
「村の奴などは何とでも勝手に言はせて置くが好い。世の中は広いのだから、何も村に居なければならねえと言ふのでもねえ、男と生れたからにや、東京にでも出て一旗挙げて来る様で無けりや、話にも何にも為(な)らねえと言ふ者(もん)だ……」
 重右衛門は殆ど情に堪へないといふ風で潮(うしほ)の如く漲(みなぎ)つて来る涙を辛うじて下唇を咬(か)みつゝ押へて居た。
「本当でごいすよ、私は決して自分に覚えの無(ね)え事を言ふんぢやねえんだから、……本当に一つ奮発さつしやれ、屹度(きつと)それや立身するに極つてるから」
「私は駄目でごす……」と涙の込み上げて来るのを押へて、「私ア、とても貴郎(あんた)の真似は出来ねえでごす。一体、もうこんな体格(からだ)でごいすだで」
「そんな事はあるものか」と貞七は口では言つたが、成程それで十分に奮発する事も出来ないのかと思ふと、一層同情の念が加はつて、愈(いよ/\)慰藉(ゐしや)して遣らずには居られなくなつた。
「本当にそんな事は無い。世の中にはお前さんなどよりも数等利(き)かぬ体で、立派な事業を為た人はいくらもある。盲目(めくら)で学者になつた塙検校(はなはけんげう)と言ふ人も居るし、跛足(びつこ)で大金持に為つた大俣(おほまた)の惣七といふ男もある。お前さんの体位で、そんな弱い事を言つて居ては仕方がない。本当に一つ……遣つて見さつしやる気は無えかね。私ア、東京にも随分知つてる人も居るだて、一生懸命に為る積なら、いくらも世話は為て遣るだが」
「難有(ありがた)い、さう仰(おつしや)つて下さる人は、貴郎ばかり。決して……決して」と重右衛門は言葉を涙につかへさせながら、「決して忘れない、この御厚恩は! けれど私ア、駄目でごす。体格(からだ)さへかうでなければ、今までこんなにして村にまご/\して居るんぢや御座(ごア)せんが……。私は駄目でごす……」
 と又涙をほろ/\と落した。
 これは貞七の後での話だが実際その時は気の毒に為つて、あんな弱い憐れむべき者を村では何故(なぜ)あのやうに虐待するのであらう。元はと言へば気ばかり有つて、体が自由にならぬから、それで彼様(あん)な自暴自棄(やけ)な真似を為(す)るのであるのに……と心から同情を表(へう)さずには居られなかつたといふ事だ。実際、重右衛門だとて、人間だから、今のやうな乱暴を働いても、元はその位のやさしい処があつたかも知れない。けれどその体の先天的不備がその根本の悪の幾分を形造つたと共に、その性質も亦その罪悪の上に大なる影響を与へたに相違ないと、自分は友の話を聞きながら、つくづく心の中に思つた。

       *     *     *

 此後の重右衛門の歴史は只々(たゞ/\)驚くべき罪悪ばかり、抵当に取られた自分の家が残念だとて、火を放(つ)けて、獄に投ぜられ、六年経つて出て来たが、村の人の幾らか好くなつたらうと望を属(しよく)して居たのにも拘(かゝは)らず、相変らず無頼(ぶらい)で、放蕩(はうたう)で後悔を為るどころか一層大胆に悪事を行つて、殆ど傍若無人といふ有様であつた。其翌年、賭博(とばく)現行犯で長野へ引かれ、一年ほどまた臭い飯を食ふ事になつたが、二度目に帰つて来た時は、もう村でも何うする事も出来ない程の悪漢(わるもの)に成り済(すま)して、家も無いものだから今の堤下(どてした)に乞食(こじき)の住むやうな小屋を造つて、其処に気の合つた悪党ばかり寄せ集め、米が無くなると、何処の家にでもお構ひなしに、一升米を貸して呉れ、二升米を貸して呉れと、平気な面(つら)して貰ひに行く。そして、少しでも厭な素振を見せると、それなら考があるから呉れなくても好いと威嚇(おど)すのが習(ならひ)。村方では又火でも放(つ)けられては……と思ふから、仕方なしに、言ふまゝに呉れて遣る。すると好気(いゝき)に為つて、幅(はゞ)で、大風呂敷を携(たづさ)へて貰つて歩くといふ始末。殆ど村でも持余した。それがまだ其中は好かつたが、ある時ふと其感情を損(そこ)ねてからと言ふものは、重右衛門大童(おほわらは)になつて怒つて、「何だ、この重右衛門一人、村で養つて行けぬと謂(い)ふのか。そんな吝(けち)くさい村だら、片端から焼払つて了へ」
 と酔客の如く大声で怒鳴つて歩いた。
 で、今回の放火騒動(ひつけさわぎ)。

     九

 山県の家の全焼したあくる日は、益々警戒に警戒を加へて、重右衛門の行為は勿論(もちろん)、その娘ツ子の一挙一動、何処(どこ)に行つた、彼処(かしこ)に行つたといふ事まで少しも注意を怠らなかつた。否、消防の人数を加へ、夜番の若者を増して、十五分毎には柝木(ひやうしぎ)と忍びとが代る/″\必ず廻つて歩くといふ、これならば何(ど)んな天魔でも容易に手を下す事が出来まいと思はれる許(ばかり)の警戒を加へて居て、それは中々一通の警戒ではないのであつた。であるのに、その厳しい防禦線(ばうぎよせん)の間を何う巧(たくみ)に潜つてか、其夜の十時少し過ぎと云ふに、何か変な臭ひがすると思ふ間もなく、ふす/\と怪しい音がするので、まだ今寝たばかりの雨戸を繰つて見ると、これはそも驚くまじき事か、火の粉(こ)が降るやうに満面に吹き附けて、すぐ下の家屋の窓からは、黒く黄(きいろ)い烟(けむ)と赤い長い火の影とが……
「火事だア、火事だア」
 とこの世も終りと云はぬばかりの絶望の叫喚(さけび)が凄(すさま)じく聞えた。
 自分は慌(あわ)てて、跣足(はだし)で庭に飛び出した。下の家とは僅(わづ)か十間位しか離れて居らぬので、母屋(おもや)では既に大騒を遣つて居る様子で、やれ水を運べの桶(をけ)を持つて来いのと老主人が声を限りに指揮(さしづ)する気勢(けはひ)が分明(はつきり)と手に取るやうに聞える。自分もこの危急の場合に際して、何か手助になる事もと思つて、兎(と)に角(かく)母屋の方に廻つて見たが、元より不知案内の身の、何う為る事も出来ぬので、寧(むし)ろ足手纏(あしてまと)ひに為らぬ方が得策と、其儘(そのまゝ)土蔵の前の明地(あきち)に引返して、只々(たゞ/\)その成行を傍観して居た。
 昨夜と均(ひと)しく、月は水の如く、大空に漂つて、山の影はくつきりと黒く、五六歩前の叢(くさむら)にはまだ虫の鳴く音が我は顔に聞えて居る。その寂(しづ)かな村落にもく/\と黒く黄(きいろ)い烟(けむ)が立昇つて、ばち/\と木材の燃え出す音! 続いて、寺の鐘、半鐘の乱打、人の叫ぶ声、人の走る足音!
 村はやがて鼎(かなへ)の沸(わ)くやうに騒ぎ出した。

     十

 母屋(おもや)の大広間で恐しく鋭い尖声(とがりごゑ)が為たと思ふと、
「何だと……何と吐(ぬ)かした? この藤田重右衛門に……」
 と叫んだ者がある。
 自分の傍に来て居た友は、
「重右衛門が来て居る! 自分で火を点(つ)けて置いて、それで知らん顔で、手伝酒を食(くら)つてるとは図太いにも程がある」
 と言つた。
 火は幸(さいはひ)にも根本の母屋には移らずに下の小い家屋(いへ)一軒で、兎に角首尾よく鎮火したので、手伝ひに来て呉れた村の人々、喞筒(ポンプ)の水にずぶ濡(ぬ)れになつた村の若者、それから遠くから聞き付けて見舞に来て呉れた縁者などを引留めて、村に慣例(しきたり)の手伝酒を振舞つて居るところであるが、その十五畳の大広間には順序次第もなく、荒くれた男がずらりと並んで、親椀で酒を蒙(かぶ)つて居るものもあれば、茶碗でぐび/\遺つて居る者もある。さうかと思ふと、さも/\腹が空(す)いて仕方が無いと言はぬばかりに一生懸命に飯を茶漬にして掻込んで居るもの、胡坐(あぐら)を掻いて烟草(たばこ)をすぱり/\遣つて御座るもの、自分は今少し前、一寸(ちよつと)其席を覗(のぞ)いて見たが、それは/\何とも形容する事の出来ぬばかりの殺風景で、何だか鬼共の集り合つた席では無いかと疑はれるのであつた。いづれも火の母屋(おもや)に移らぬ事を祝しては居るが、連夜の騒動に、夜は大分眠らぬ疲労(つかれ)と、烈しく激昂(げきかう)した一種の殺気とが加はつて、何(ど)の顔を見ても、不穏な落付かぬ凄(すご)い色を帯びて居らぬものは、一人も無かつた。
 それが、自分が覗(のぞ)いてから、大方一時間にもなるのであるから、酒も次第にその一座に廻つたと覚しく、恐ろしく騒ぐ気勢(けはひ)が其次の間に満ち渡つた。
「来てるのかね?」
 と自分は友の言葉を聞いて、すぐ訊(たづ)ねた。
「来てるですとも……奴ア、これが楽みで、この手伝酒を飲むのが半分目的で火をつけるのですア」
 暫くすると、
「何だと、この重右衛門が何うしたと……この重右衛門が……」
 といふ恐ろしく尖(とが)つた叫声が、その次の大広間から聞える。
「先生……また酔つたナ」
 と友は言つた。
 次の間で争ふ声!
「何(なあ)に、貴様が火を放(つ)けると言つたんぢやねえ。貴様が火を放けようと、放けまいと、それにやちやんと、政府(おかみ)といふものがある。貴様も一度は、これで政府(おかみ)の厄介に為つた事が有るぢやねえか」
 かう言つたのは錆(さ)びのある太い声である。
「何だと、……己(おれ)が政府(おかみ)の厄介に為らうが為るまいが、何も奴等(うぬら)の知つた事つちや無(ね)えだ。何が……この村の奴等……(少時(しばし)途絶えて)この藤田重右衛門に手向ひするものは一人もあるめい。かう見えても、この藤田重右衛門は……」
 と腕でも捲(まく)つたらしい。
「何も貴様が豪(えら)くねえと言ひやしねえだア、貴様のやうな豪い奴が、この村に居るから困るつて言ふんだ」
「何が困る……困るのは当り前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々(わざ/\)困るやうにして遣るんだ」
 非常に酔つて居るものと見える。
「酔客(よつぱらひ)を相手にしたつて、仕方が無えから、よさつせい」
 と留める声がする。
 暫時(しばし)沈黙(だんまり)。
「だが、重右衛門ナア、貴様も此村で生れた人間ぢや無えか、それだアに、此様(こんな)に皆々(みんな)に爪弾(つまはじき)されて……悪い事べい為て居て、それで寝覚(ねざめ)が好いだか」
 と言つたのは、前のとは違つた、稍(やゝ)老人らしい口吻(くちぶり)。
「勝手に爪弾(つまはじき)しやアがれ、この重右衛門様はナ、奴等(うぬら)のやうなものに相手に為(さ)れねえでも……ねつから困らねえだア……べら棒め、根本三之助などと威張りやアがつて元ア、賽銭箱(さいせんばこ)から一文二文盗みやがつたぢやねえだか」
「撲(なぐ)つて了(しま)へ」
 と傍(かたはら)から憤怒に堪へぬといふやうな血気の若者の叫喚(さけび)が聞えた。
「撲れ! 撲れ!」
「取占(とつち)めて了へ」
 と彼方(あつち)此方(こつち)から声が懸る。
「何だ、撲(なぐ)れ? と。こいつは面白れえだ。この重右衛門を撲るものがあるなら撲つて見ろ!」
 と言ふと、ばら/\と人が撲(う)ちに蒐(かゝ)つた様な気勢(けはひ)が為たので、自分は友の留めるのをも振り解(ほど)いて、急いで次の間の、少し戸の明いて居る処へ行つて、そつと覗いた。いづれも其方(そつち)にのみ気を取られて居るから、自分の其処に行つたのに誰も気の付く者は無い。自分の眼には先(まづ)烟(けむり)の籠(こも)つた、厭(いや)に蒸熱(むしあつ)い空気を透(とほ)して、薄暗い古風な大洋燈(おほランプ)の下に、一場の凄(すさま)じい光景が幻影(まぼろし)の如く映つたので、中央の柱の傍に座を占めて居る一人の中老漢(ちゆうおやぢ)に、今しも三人の若者が眼を瞋(いか)らし、拳(こぶし)を固めて、勢(いきほひ)猛(まう)に打つて蒐(かゝ)らうとして居るのを、傍の老人が頻(しき)りにこれを遮(さへぎ)つて居るところであつた。この中老漢、身には殆ど断々(きれ/″\)になつた白地の浴衣(ゆかた)を着、髪を蓬(おどろ)のやうに振乱し、恐しい毛臑(けずね)を頓着せずに露(あら)はして居るが、これが則(すなは)ち自分の始めて見た藤田重右衛門で、その眼を瞋(いか)らした赤い顔には、まことに凄じい罪悪と自暴自棄との影が宿つて、其半生の悲惨なる歴史の跡が一々その陰険な皺(しわ)の中に織り込まれて居るやうに思はれる。自分は平生(へいぜい)誰でも顔の中に其人の生涯(しやうがい)が顕(あらは)れて見えると信じて居る一人で、悲惨な歴史の織り込まれた顔を見る程心を動かす事は無いのであるが、自分はこの重右衛門の顔ほど悲惨極まる顔を見た事は無いとすぐ思つた。稍(やゝ)老いた顔の肉は太(いた)く落ちて、鋭い眼の光の中に無限の悲しい影を宿しながら、じつと今打ちに蒐(かゝ)らうとした若者の顔を睨(にら)んだ形状(かたち)は、丸で餓(う)ゑた獣の人に飛蒐(とびかゝ)らうと気構へて居るのと少しも変つた所は無い。
「酔客(よつぱらひ)を相手にしたつて仕方が無えだ! 廃(よ)さつせい、廃さつせい!」
 と老人は若者を抑へた。
「撲(なぐ)るとは、面白(おもしれ)いだ、この藤田重右衛門を撲れるなら、撲つて見ろ、奴等(うぬら)のやうな青二才とは」
 と果して腕を捲(まく)つて、体をくるりと其方へ回した。
「管(かま)はんで置くと、好い気に為(な)るだア。此奴の為めに、村中大騒を遣つて、夜も碌々(ろく/\)寝られねえに、酒を食(くら)はせて、勝手な事を言はせて置くつて言ふ法は無(ね)えだ。駐在所で意気地が無くつて、何うする事も出来ねえけりや、村で成敗(せいばい)するより仕方が無えだ。爺(とつ)さん退(ど)かつせい、放さつせい」と二十一二の体の肥つた、血気の若者は、取られた袂(たもと)を振放つて、いきなり、重右衛門の横面(よこつら)を烈しく撲つた。
「此奴(こいつ)!」
 と言つて、重右衛門は立上つたが、其儘(そのまゝ)その若者に武者振り付いた。若者は何のと金剛力を出したが、流石(さすが)は若者の元気に忽地(たちまち)重右衛門は組伏せられ、火のごとき鉄拳(てつけん)は霰(あられ)とばかりその面上頭上に落下するのであつた。
 見兼ねて、老人が五六人寄つて来て、兎に角この組討は引分けられたが、重右衛門は鉄拳を食ひし身の、いつかなこの仲裁を承知せず、よろ/\と身体(からだ)をよろめかしながら、猶(なほ)其相手に喰つて蒐(かゝ)らうとするので、相手の若者は一先(ひとまづ)其儘次の間へと追遣られた。
「おい、人を撲(なぐ)らせて、相手を引込ませるつて言ふ法は何所(どこ)にあるだ。おい、こら、相手を出せ、出さねえだか」
 と重右衛門は烈しく咆哮(はうかう)した。
 今出すから、まア一先(ひとまづ)坐んなさいと和(なだ)められて、兎に角再び席に就(つ)いたが、前の酒を一息に仰(あふ)つて、
「おい、出さねいだか」
 と又叫んだ。
 相手に為(す)るものが無いので、少時(しばし)頭を低(た)れて黙つて居たが、ふと思出したやうに、
「おい出さんか。根本三之助! 三之助は居ないか」
 と云つて、更に又、
「酒だ! 酒だ! 酒を出せ」
 と大声で怒鳴(どな)つた。
 云ふが儘に、酒が運んで来られたので、今撲(な)ぐられた憤怒(いかり)は殆ど全く忘れたやうに、余念なく酒を湯呑茶椀で仰(あふ)り始めた。かうなつて、構はずに置いては、始末にいけぬと誰も知つて居るので、世話役の一人が立上つて、
「重右衛門! もう沢山(たくさん)だから帰らうではねえか、余り飲んでは体に毒だアで……」
 と其傍に行つた。
「体に毒だと……」首をぐたりとして、「体に毒だアでと、あんでも好いだ。帰るなら奴等(うぬら)帰れ。この藤田重右衛門は、これから、根本三之助と」
 舌ももう廻らぬ様子。
「まア、話ア話で、後で沢山云ふが好いだ。こんなに意気地なく酔つて居ながら、帰らねえとは、余り押が強過ぎるぢやねえだか」
 と世話役は、其儘両手を引張つて、強(し)ひてこの酔漢を立上らせようとした。けれど大磐石(だいばんじやく)の如く腰を据(す)ゑた儘、更に体を動かさうとも為ないので、仕方がなく、傍の二三人に助勢させて、無理遣りに其席から引摺上(ひきずりあ)げた。
「何為(し)やがる」
 と重右衛門は引摺られながら、後の男を蹴らうと為た。が、夥(おびただ)しく酔つて居るので、足の力に緊(しま)りが無く、却(かへ)つて自分が膳や椀の上に地響して※(「てへん+堂」、第4水準2-13-41)(どう)と倒れた。
「おい、確(しつか)りしろ」
 と世話役は叫んで、倒れたまゝ愈(いよ/\)起きまじとする重右衛門を殆ど五人掛りにて辛くも抱上げ、猶(なほ)ぐづ/\に埋窟(りくつ)を云ひ懸くるにも頓着せずに、Xの字にその大広間をよろめきながら、遂(つひ)に戸外(おもて)へと伴(つ)れ出した。
 一室は俄(には)かに水を打つたやうに静かになつた。今しも其一座の人の頭脳(あたま)には、云ひ合さねど、いづれも同じ念が往来して居るので、あの重右衛門、あの乱暴な重右衛門さへ居なければ、村はとこしへに平和に、財産、家屋も安全であるのに、あの重右衝門が居るばかりで、この村始まつて無いほどの今度の騒動(さわぎ)。
 いつそ……
 と誰も皆思つたと覚しく、一座の人々は皆意味有り気に眼を見合せた。
 あゝこの一瞬!
 自分はこの沈黙の一座の中に明かに恐るべく忌(い)むべく悲しむべき一種の暗潮の極めて急速に走りつゝあるのを感じたのである。
 一座は再び眼を見合せた。
「それ!」
 と大黒柱を後に坐つて居た世話役の一人が、急に顎(あご)で命令したと思ふと、大戸に近く座を占めた四五人の若者が、何事か非常なる事件でも起つたやうに、ばら/\と戸外(おもて)へ一散に飛び出した。

       *     *     *

 二十分後の光景。
 自分は殆(ほとん)ど想像するに堪へぬのである。
 諸君は御存じであらう。自分が始めてこの根本家を尋ねた時、妻君が頻(しき)りに、鋤(すき)、鍬(くは)等を洗つて居た田池(たねけ)――其周囲には河骨(かうほね)、撫子(なでしこ)などが美しくその婉(しを)らしい影を涵(ひた)して居た纔(わづ)か三尺四方に過ぎぬ田池の有つた事を。然るに其田池の前には、今一群の人が黒く影をあつめて居て、その傍には根本家と記した高張提燈(たかはりぢやうちん)が、月が冴々(さえ/″\)しく満面に照り渡つて居るにも拘(かゝ)はらず、極めて朧(おぼろ)げに立てられてあるが、自分はそれと聞いて、驚いて、其傍に駆付(かけつ)けて、その悲惨なる光景を見た時は、果して何んな感に撲(う)たれたであらうか。諸君、其三尺四方の溝(どぶ)のやうな田池の中には、先刻(さつき)大酔して人に扶(たす)けられて戸外へ出たかの藤田重右衛門が、殆ど池の広さ一杯に、髪を乱(み)だし、顔を打伏(うつぶ)して、丸で、犬でも死んだやうになつて溺(おぼ)れて居るではないか。
「一体何うしたんです」
 自分は激して訊(たづ)ねた。
「何アに、先生、えら酔殺(よつぱらつ)たもんだで、遂(つ)ひ、陥(はま)り込んだだア」
 と其中の一人が答へた。
「何故(なぜ)揚げて遣らなかつた!」
 と再び自分は問うた。
 誰も答へるものが無い。
 けれどこれは訊ねる必要があるか。と自分は直ぐ思つたので、其儘押黙つて、そつとその憐れな死骸に見入つた。月は明らかに其田池を照して、溺れた人の髪の散乱せるあたりには、微かな漣(さざなみ)が、きら/\と美しく其光に燦(きら)めいて居る。一間と離れた後の草叢(くさむら)には、鈴虫やら、松虫やらが、この良夜に、言ひ知らず楽しげなる好音を奏(かな)でてゐる。人の世にはこんな悲惨な事があるとは、夢にも知らぬらしい山の黒い影!
「あゝ、これが、この重右衛門の最後か」
 と再び思つた自分の胸には、何故か形容せられぬ悲しい同情の涙が鎧(よろひ)に立つ矢の蝟毛(ゐまう)の如く簇々(むら/\)と烈しく強く集つて来た。
 で、自分は猶(なほ)少時(しばし)其池の畔(ほとり)を去らなかつた。

     十一

「人間は完全に自然を発展すれば、必ずその最後は悲劇に終る。則(すなは)ち自然その者は到底(たうてい)現世の義理人情に触着(しよくちやく)せずには終らぬ。さすれば自然その者は、遂にこの世に於(おい)て不自然と化したのか」
 と自分は独語した。
「六千年来の歴史、習慣。これが第二の自然を作るに於て、非常に有力である。社会はこの歴史を有するが為めに、時によく自然を屈服し、よく自然を潤色する。けれど自然は果して六千年の歴史の前に永久(とこしへ)に降伏し終るであらうか」
「或は謂(い)ふかも知れぬ。これ自然の屈伏にあらず、これ自然の改良であると。けれど人間は浅薄なる智と、薄弱なる意とを以て、如何(いか)なるところにまで自然を改良し得たりとするか」
「神あり、理想あり、然れどもこれ皆自然より小なり。主義あり、空想あり、然れども皆自然より大ならず。何を以てかくいふと問ふ者には、自分は箇人(こじん)の先天的解剖をすゝめようと思ふ」
 少時(しばらく)考へて後、
「重右衛門の最期(さいご)もつまりはこれに帰するのではあるまいか。かれは自分の思ふ儘(まゝ)、自分の欲する儘、則ち性能の命令通りに一生を渡つて来た。もしかれが、先天的に自我一方の性質を持つて生れて来ず、又先天的にその不具の体格を持つて生れて来なかつたならば、それこそ好く長い間の人生の歴史と習慣とを守り得て、放恣(はうし)なる自然の発展を人に示さなくつても済むだのであらうが、悲む可(べ)し、かれはこの世に生れながら、この世の歴史習慣と相容るゝ能はざる性格と体とを有(も)つて居た」
「殊に、かれは自然の発展の最も多かるべき筈(はず)にして、しかも歴史習慣を太甚(はなはだ)しく重んずる山中の村――この故郷を離るゝ事が出来ぬ運命を有して居た」
 と思ふと、自分が東京に居て、山中の村の平和を思ひ、山中の境の自然を慕つたその愚かさが分明(はつきり)自分の脳に顕(あら)はれて来て、山は依然として太古、水は依然として不朽、それに対して、人間は僅(わづ)か六千年の短き間にいかにその自然の面影(おもかげ)を失ひつゝあるかをつく/″\嘆ぜずには居られなかつた。
「けれど‥‥‥」
 と少時(しばらく)して、
「けれど重右衛門に対する村人の最後の手段、これとて人間の所謂(いはゆる)不正、不徳、進んでは罪悪と称すべきものの中に加へられぬ心地するは、果して何故であらう。自然……これも村人の心底から露骨にあらはれた自然の発展だからではあるまいか」
 此時ゆくりなく自分の眼前に、その沈黙した意味深い一座の光景が電光(いなづま)の如く顕(あらは)れて消えた。続いて夜の光景、暁の光景、ことに、それと聞いて飛んで来た娘つ子の驚愕(おどろき)。
「爺様(とつさん)、嘸(さ)ぞ無念だつたべい。この仇(かたき)ア、己(おら)ア、屹度(きつと)取つて遣るだアから」
 と怪しげなる声を放つて、其死体に取附いて泣いた一場の悲劇!
 其鋭い声が今も猶耳に聞える。
 午後になつて、漸(やうや)く長野から判事、検事、などが、警察官と一緒に遺つて来て臨検したが、その溺死した田池(たねけ)がいかにも狭く小さいので、いかに酔つたからとて、こんな所で独(ひと)りで溺れるといふ訳は無い。これには何か原因があるであらうと、中々事情が難かしくなつて、其時傍に居た二三人は、事に寄ると長野まで出なければならぬかも知れぬといふ有様。それにも拘らず溺死者の死体は外に怪しい箇処(ところ)も無いので、其儘受取人として名告(なの)つて出たかの娘つ子に下渡(さげわた)された。
 半日水中に浸けてあつたので、顔は水膨(みづぶく)れに気味悪くふくれ、眼は凄(すさま)じく一所を見つめ、鼻洟(はな)は半(なかば)開いた口に垂れ込み、だらりと大いなる睾丸(きんたま)をぶら下げたるその容体(ていたらく)、自分は思はず両手に顔を掩(おほ)つたのであつた。
「それにしても、娘(あま)つ子(つ)はあの死骸を何うしたであらう。村では、あの娘つ子の手に其死骸のある中は、寺には決して葬らせぬと言つて居つたが……」
 かう思つて自分は戸外(おもて)を見た。昨夜の月に似もやらぬ、今日は朝より曇り勝にて、今降り出すか降り出すかと危んで居たが、見ると既に雨になつて、打渡す深緑は悉(こと/″\)く湿(うるほ)ひ、灰色の雲は低く向ひの山の半腹までかゝつて、夏の雨には似つかぬ、しよぼ/\と烟(けぶ)るがごとき糠雨(ぬかあめ)の侘(わび)しさは譬(たと)へやうが無い。
 其処へ根本が不意に入つて来た。
 検死事件で一寸手離されず、彼方此方(あつちこつち)へと駈走つて居たが、漸(やうや)く何うにかなりさうになつたので、一先(ひとまづ)体を休めに帰つて来たとの事であつた。
「何うだね?」
 と聞くと、
「何アに、其様(そんな)に心配した程の事は無えでごす。警官も奴の悪党の事は知つて居るだアで、内々は道理(もつとも)だと承知してるでごすが、其処は職掌で、さう手軽く済ませる訳にも行かぬと見えて、それで彼様(あん)な事を言つたんですア」
「それで死骸は何うしたね」
「重右衛門のかね。あの娘(あま)つ子(つ)が引取つて行つたけれど、村では誰も構ひ手が無し、遠い親類筋のものは少しはあるが、皆な村を憚(はゞか)つて、世話を為(し)ようと言ふものが無えので、娘(あま)つ子(つ)非常に困つて居たといふ事です……。けれど、今途中で聞くと、娘つ子奴、一人で、その死骸を背負(しよ)つて、其小屋の裏山にのぼくつて、小屋の根太(ねだ)やら、扉やらを打破(ぶちこは)して、火葬にしてるといふ事だが……此処から烟(けむ)位見えるかも知れねえ」
 と言つて向ふを見渡した。
 注意されて見ると、成程、三峯の下の小高い丘の深緑の上には、糠雨(ぬかあめ)のおぼつかなき髣髴(はうふつ)の中に、一道の薄い烟が極めて絶え/″\に靡(なび)いて居て、それが東から吹く風に西へ西へと吹寄せられて、忽地(たちまち)雲に交つて了ふ。
「あれが、左様(さう)です」
 と平気で友は教へた。
 それが村で持余された重右衛門の亡骸(なきがら)を焼く烟かと思ふと、自分は無限の悲感に打れて、殆ど涙も零(お)つるばかりに同情を濺(そゝ)がずには居られなかつた。「死はいかなる敵をも和睦(わぼく)させると言ふではないか。であるのに、死んだ後までも猶(なほ)その死骸を葬るのを拒むとは、何たる情ない心であらう。そのあはれなる自然児をして、小屋の扉を破り、小屋の根太(ねだ)を壊して、その夫の死骸を焼く材料を作らせるとは、何たる悲しい何たる情ない事であらう」
 自分の眼の前には、その獣の如き自然児が、涙を揮(ふる)つて、その死骸を焼いて居る光景が分明(はつきり)見える。下には村、かれ等二人が敵として戦つた村が横(よこたは)つて居るが、かの娘は果して何んな感を抱いてこの村を見下して居るであらうか。
「けれど重右衛門の身に取つては、寧(むし)ろこの少女(をとめ)の手――宇宙に唯一人の同情者なるこの自然児の手に親しく火葬せらるゝのが何んなに本意であるか知れぬ。否、これに増(まさ)る導師は恐らく求めても他に在(あ)るまい」
「村の人々、無情なる村の人々、死しても猶(なほ)和睦(わぼく)する事を敢(あへ)てせぬ程の冷(ひやゝ)かなる村の人々の心! この冷かなる心に向つて、重右衛門の霊は何うして和睦せられよう。さればその永久(とこしへ)に和睦せられざる村人の寺に穏かに葬られて眠らんよりは、寧(むし)ろそのやさしき自然の儘(まゝ)なる少女の手に――」
 暗涙が胸も狭しと集つて来た。
「自然児は到底(たうてい)この濁つた世には容(い)られぬのである。生れながらにして自然の形を完全に備へ、自然の心を完全に有せる者は禍(わざはひ)なるかな、けれど、この自然児は人間界に生れて、果して何の音もなく、何の業(わざ)もなく、徒(いたづ)らに敗績(はいせき)して死んで了ふであらうか」
「否、否、否、――」
「敗績して死ぬ! これは自然児の悲しい運命であるかも知れぬ。けれどこの敗績は恰(あたか)も武士の戦場に死するが如く、無限の生命を有しては居るまいか、無限の悲壮を顕(あら)はしては居るまいか、この人生に無限の反省を請求しては居るまいか」
 自分は深く思ひ入つた。
 少時(しばらく)してから、
「けれど、この自然児! このあはれむべき自然児の一生も、大いなるものの眼から見れば、皆なその必要を以て生れ、皆なその職分を有して立ち、皆なその必要と職分との為めに尽して居るのだ! 葬る人も無く、獣のやうに死んで了つても、それでも重右衛門の一生は徒爾(いたづら)ではない!」
 と心に叫んだ。
 何時(いつ)去つたか、傍には既に友は居らぬ。
 戸外の雨はいよ/\侘(わび)しく、雲霧は愁(うれひ)の影の如くさびしくこの天地に充(み)ち渡つた。丘の上の悲しい煙は、殆ど消ゆるかと思はるゝばかりに微かに、微かに靡(なび)いて居るが、村ではこれに対して一人も同情する者が無いと思ふと、自分は又簇々(むら/\)と涙を催した。
 あゝその雨中の煙! 自分は何うしてこの光景を忘るゝ事が出来よう。

     十二

 否――
 諸君、自分は其夜更に驚くべく忘るべからざる光景に接したのである。自分は自然の力、自然の意のかほどまで強く凄(すさま)じいものであらうとは夢にも思ひ懸けなかつた。其夜自分は早くから臥床(ふしど)に入つたが、放火の主犯者が死んで了つたといふ考へと、連夜眠らなかつた疲労(つかれ)とは苦もなく自分を華胥(くわしよ)に誘つて、自分は殆ど魂魄(たましひ)を失ふばかりに熟睡して了つた。熟睡、熟睡、今少し自分が眼覚めずに居つたなら自分は恐らく全く黒焼に成つたであらう。自分の眼覚めた時には、既に炎々たる火が全室に満ち渡つて、黒煙が一寸先も見えぬ程に這(は)つて居た。自分は驚いて、慌(あわ)てて、寝衣(ねまき)の儘、前の雨戸を烈しく蹴つたが、幸(さいはひ)にも閾(しきゐ)の溝(みぞ)が浅い田舎家(ゐなかや)の戸は忽地(たちまち)外(はづ)れて、自分は一簇(いちぞく)の黒煙と共に戸外(おもて)へと押し出された。
 押出されて、更に驚いた。
 夢では無いかと思つた。
 何うです、諸君。全村が丸で火※[#感嘆符三つ、365-下-12] 鎮守の森の蔭に一つ。すぐ前の低いところの一隅(かたすみ)に一つ。後に一つ。右に一つ。殆ど五六ヶ所から、凄(すさま)じい火の手が上つて、それが灰色の雨雲に映つて、寝惚(ねぼ)けた眼で見ると、天も地も悉(こと/″\)く火に包まれて了つたやうに思はれる。雨は歇(や)んだ代りに、風が少し出て、その黒烟(こくえん)とその火とが恐ろしい勢で、次第に其領分をひろめて行く。寺の鐘、半鐘、叫喚、大叫喚※[#感嘆符三つ、365-下-18]
 自分は後の低い山に登つて、種々(いろ/\)なる思想に撲(うた)れながら一人その悲惨なる光景を眺(なが)めて居た。
 実際自分はさま/″\の経験を為たけれど、この夜の光景ほど悲壮に、この夜の光景ほど荘厳に自分の心を動かしたことは一度も無かつた。火の風に伴(つ)れて家から家に移つて行く勢(いきほひ)、人のそれを防ぎ難(か)ねて折々発する絶望の叫喚(さけび)、自分はあの刹邪(せつな)こそ確かに自然の姿に接したと思つた。
 諸君! これでこの話は終結(をはり)である。けれど猶(なほ)一言、諸君に聞いて貰はなければならぬ事がある。それは、その翌日、殆ど全村を焼き尽したその灰燼(くわいじん)の中に半(なかば)焼けた少女(をとめ)の死屍を発見した事で、少女は顔を手に当てたまゝ打伏(うつぶし)に為つて焼け死んで居た。かれは人に捕へられて、憎悪(ぞうを)の余(あまり)、その火の中に投ぜられたのであらうか、それとも又、独(ひと)り微笑(ほゝゑ)んで身をその中に投じたのであらうか。それは恐らく誰も知るまい。
 自分は其翌日万感を抱いてこの修羅(しゆら)の巷(ちまた)を去つた。
 それからもう七年になる。
 其村の人々には自分は今も猶交際して居るが、つい、此間も其村の冒険者の一人が脱走して自分の家を尋ねて来たから、あの後は村は平和かと聞くと、「いや、もうあんな事は有りはしねえだ。あんな事が度々(たび/\)有つた日には、村は立つて行かねえだ。御方便な事には、あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの時分より富貴(かねもち)に為つただ」と言つた。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がをり/\香花(かうげ)を手向(たむ)けるといふ事を自分に話した。
 諸君、自然は竟(つひ)に自然に帰つた!
(明治三十五年五月)
了

底本:「筑摩現代文学大系 6 国木田独歩 田山花袋集」筑摩書房
   1978(昭和53)年11月25日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年2月20日初版第2刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力者:kompass
校正:伊藤時也
2004年8月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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