あらすじ
「植物知識」は、牧野富太郎が自身の膨大な植物学知識をわかりやすく解説した作品です。花は生殖器であり、その形や色は種子を作るための戦略であると説き、植物が子孫を残すための努力を熱く語ります。牡丹、芍薬、水仙、桔梗、リンドウ、アヤメ、カキツバタ、ムラサキ、スミレ、サクラソウ、ヒマワリなど、様々な植物の特徴や生態、歴史、文化的な側面を豊富なエピソードと共に紹介しています。植物学の知識だけでなく、牧野富太郎の人間的な魅力が溢れる、読みごたえのある一冊です。
 花は、率直(そっちょく)にいえば生殖器(せいしょっき)である。有名な蘭学者(らんがくしゃ)の宇田川榕庵(うだがわようあん)先生は、彼の著(ちょ)『植学啓源(けいげん)』に、「花は動物の陰処(いんしょ)の如(ごと)し、生産蕃息(はんそく)の資(とり)て始まる所なり」と書いておられる。すなわち花は誠(まこと)に美麗(びれい)で、且(か)つ趣味に富(と)んだ生殖器であって、動物の醜(みにく)い生殖器とは雲泥(うんでい)の差があり、とても比(くら)べものにはならない。そして見たところなんの醜悪(しゅうあく)なところは一点もこれなく、まったく美点に充(み)ち満(み)ちている。まず花弁(かべん)の色がわが眼を惹(ひ)きつける、花香(かこう)がわが鼻を撲(う)つ。なお子細(しさい)に注意すると、花の形でも萼(がく)でも、注意に値(あたい)せぬものはほとんどない。
 この花は、種子(たね)を生ずるために存在している器官である。もし種子を生ずる必要がなかったならば、花はまったく無用の長物(ちょうぶつ)で、植物の上には現(あらわ)れなかったであろう。そしてその花形(かけい)、花色(かしょく)、雌雄蕊(しゆうずい)の機能は種子を作る花の構(かま)えであり、花の天から受け得た役目である。ゆえに植物には花のないものはなく、もしも花がなければ、花に代わるべき器官があって生殖を司(つかさど)っている。(ただし最も下等なバクテリアのようなものは、体が分裂して繁殖(はんしょく)する。)
 植物にはなにゆえに種子が必要か、それは言わずと知れた子孫(しそん)を継(つ)ぐ根源であるからである。この根源があればこそ、植物の種属は絶(た)えることがなく地球の存する限り続くであろう。そしてこの種子を保護しているものが、果実である。
 草でも木でも最も勇敢(ゆうかん)に自分の子孫(しそん)を継(つ)ぎ、自分の種属を絶(た)やさぬことに全力を注(そそ)いでいる。だからいつまでも植物が地上に生活し、けっして絶滅(ぜつめつ)することがない。これは動物も同じことであり、人間も同じことであって、なんら違ったことはない。この点、上等下等の生物みな同権である。そして人間の子を生むは前記のとおり草木(くさき)と同様、わが種属を後代(こうだい)へ伝えて断(た)やさせぬためであって、別に特別な意味はない。子を生まなければ種属はついに絶(た)えてしまうにきまっている。つまりわれらは、続かす種属の中継(なかつ)ぎ役をしてこの世に生きているわけだ。
 ゆえに生物学上から見て、そこに中継(なかつ)ぎをし得なく、その義務を怠(おこた)っているものは、人間社会の反逆者であって、独身者はこれに属すると言っても、あえて差しつかえはあるまいと思う。つまり天然自然の法則に背(そむ)いているからだ。人間に男女がある以上、必ず配偶者を求むべきが当然の道ではないか。
 動物が子孫を継(つ)ぐべき子供のために、その全生涯を捧(ささ)げていることは蝉(せみ)の例でもよくわかる。暑い夏に鳴きつづけている蝉(せみ)は雄蝉(おすぜみ)であって、一生懸命(いっしょうけんめい)に雌蝉(めすぜみ)を呼んでいるのである。うまくランデブーすれば、雄蝉(おすぜみ)は莞爾(かんじ)として死出(しで)の旅路(たびじ)へと急ぎ、憐(あわ)れにも木から落ちて死骸(しがい)を地に曝(さら)し、蟻(あり)の餌(え)となる。
 しかし雌蝉(めすぜみ)は卵を生むまでは生き残るが、卵を生むが最後、雄蝉(おすぜみ)の後(あと)を追って死んでゆく。いわゆる蝉(せみ)と生まれて地上に出(い)でては、まったく生殖のために全力を打ち込んだわけだ。これは草でも、木でも、虫でも、鳥でも、獣(けもの)でも、人でも、その点はなんら変わったことはない、つまり生物はみな同じだ。
 われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を嘆美(たんび)するのではなくて、多くは、ただその表面に現れている美を賞観(しょうかん)して楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、誠(まこと)に迷惑至極(めいわくしごく)と歎(かこ)つであろう。花のために、一掬(いっきく)の涙があってもよいではないか。
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 ボタン、すなわち牡丹は中国の原産であるが、今は日本はもとより西洋諸国でも栽培(さいばい)している。
 だれでも知っているように、きわめて巨大な美花(びか)を開くので有名である。今その栽培してあるものを見ると、その花容(かよう)、花色(かしょく)すこぶる多様で、紅色、紫色、白色(はくしょく)、黄色などのものがあり、また一重咲(ひとえざ)き、八重咲(やえざ)きもあって、その満開(まんかい)を望むと吾人(ごじん)はいつも、その花の偉容(いよう)、その花の華麗(かれい)に驚嘆(きょうたん)を禁じ得ない。
 牡丹(ぼたん)に対し中国人は丹色(たんしょく)の花、すなわち赤色(せきしょく)のものを上乗(じょうじょう)としており、すなわち牡丹に丹の字を用いているのは、それがためである。また牡丹の牡は、春に根上からその芽が雄々(おお)しく出るから、その字を用いたとある。つまり牡は、盛(さか)んな意味として書いたものであろう。今はどうか知らぬが、昔は中国のある地方では、それが荊棘(いばら)のように繁(しげ)っていて、原住民はこれを伐採(ばっさい)し燃料にしたと書物に書いてある。
 牡丹はキツネノボタン科に属するが、この科のものはみな草本(そうほん)であるにかかわらず、独(ひと)りこの牡丹(ぼたん)は落葉灌木(らくようかんぼく)である。草木(そうほん)なる芍薬(しゃくやく)に近縁(きんえん)の種類で、Paeonia suffruticosa Andr. の学名を有している。この種名の suffruticosa は、亜灌木(あかんぼく)の意である。また Paeonia moutan Sims. の学名もあるが、この種名の Moutan は牡丹の意である。そしてその属名の Paeonia は、Paeon という古代の医者の姓名に基(もと)づいたものである。牡丹根皮は薬用となるので、それでこの医者の名をつけた次第(しだい)であろう。
 日本では牡丹の音ボタンが、今日の通名となっている。
 古歌にはハツカグサ、ナトリグサの名があり、古名にはフカミグサの名がある。右のハツカグサは二十日(はつか)草で、これは昔、藤原忠通(ただみち)の歌の、

咲きしより散り果つるまで見しほどに
  花のもとにて廿日(はつか)へにけり

 に基づいたもので、つまり牡丹の花の盛りが久しいことを称(たた)えたものだ。
 一つの花が咲き、次の蕾(つぼみ)が咲き、株上のいくつかの花が残らず咲き尽(つ)くすまで見て、二十日(はつか)もかかったというのであろう。いくら牡丹でも、一輪(りん)の花が二十日(はつか)間も萎(しぼ)まず咲いているわけはない。
 中国では、牡丹(ぼたん)が百花(ひゃっか)のうちで第一だから、これを花王(かおう)と唱(とな)えた。さらに富貴花(ふうきか)、天香国色(てんこうこくしょく)、花神(かしん)などの名が呼ばれている。宋(そう)の欧陽修(おうようしゅう)の『洛陽牡丹(らくようぼたん)の記』は有名なものである。
 牡丹は、樹(き)の高さ通常は九〇〜一二〇センチメートルばかりに成長し、まばらに分枝(ぶんし)する。春早く芽が出(い)で、葉は互生(ごせい)して葉柄(ようへい)があり、二回、三回分裂して複葉(ふくよう)の姿をなしている。五月、枝端(したん)に大なる花を開き、花径(かけい)およそ二〇センチメートルばかりもある。花下(かか)にある五萼片(がくへん)は宿存(しゅくそん)して花後(かご)に残り、八片(へん)ないし多片の花弁(かべん)ははじめ内(うち)へ抱(かか)え込み、まもなく開き、香(かお)りを放って花後に散落(さんらく)する。花中(かちゅう)に多雄蕊(たゆうずい)と、細毛(さいもう)ある二ないし五個の子房(しぼう)とがあり、子房は花後に乾(かわ)いた果実となり、のち裂(さ)けて大きな種子が露(あらわ)れる。
 多くの年数を経(へ)た古い牡丹にあっては、高さが一八〇センチメートル以上にも達して幹(みき)が太くなり、多くの枝(えだ)を分かち、たくさんな葉を繁(しげ)らし、花が一株上に数百輪(りん)も開花する。私は先年、この巨大な牡丹を飛騨高山(ひだたかやま)市の奥田邸(てい)で見たのだが、この株(かぶ)はたぶん今でも健在しているであろう。これはその土地で、「奥田の牡丹(ぼたん)」と評判せられて有名なものであった。たぶんこんな大きな牡丹は、今日(こんにち)日本のどこを捜しても見つからぬであろう。もし果たしてそうだとすれば、これは日本一の牡丹であると折(お)り紙(がみ)をつけてよかろう。もしも高山(たかやま)市へ赴(おもむ)かれる人があったら、一度かならずこの大牡丹(おおぼたん)を見て来(こ)られてよいと思う。
「ボタンの図」のキャプション付きの図
ボタンの図

 和名(わめい)として今日(こんにち)わが邦(くに)では、芍薬をシャクヤクと字音(じおん)で呼んでいることは、だれもが知っているとおりであるが、しかし昔はこれをエビスグサ、あるいはエビスグスリと称(とな)え、古歌(こか)ではカオヨグサといった。
 エビスグサは夷草(えびすぐさ)、エビスグスリは夷薬(えびすぐすり)、ともに外国から来たことを示している。カオヨグサは顔美草(かおよぐさ)で、花が美麗(びれい)だから、そういったものであろう。
 元来(がんらい)、芍薬(しゃくやく)の原産地は、シベリアから北満州〔中国の東北地方の北部〕の原野である。はじめシベリアで採(と)った白花品(はっかひん)へ、ロシアの学者のパラスが、Paeonia albiflora Pallas の学名をつけてその図説を発表したが、満州〔中国の東北地方一帯〕に産するものには、淡紅花(たんこうか)のものが多い。しかしそれは、もとより同種である。種名の albiflora は、白花の意である。
 日本に作っている芍薬(しゃくやく)は、中国から伝わったものであろう。今は広く国内に培養(ばいよう)せられ、その花が美麗(びれい)だから衆人(しゅうじん)に愛せられる。中国では人に別れる時、この花を贈る習慣がある。つまり離別(りべつ)を惜(お)しむ記念にするのであろう。
 芍薬は宿根性(しゅっこんせい)[#ルビの「しゅっこんせい」は底本では「しゅっこんそう」]の草本(そうほん)で、その根を薬用に供(きょう)する。春に根頭(こんとう)から勢(いきお)いのよい赤い芽を出し、見てまことに気持がよい。充分(じゅうぶん)成長すると、高さはおよそ九〇センチメートル内外に達し、その直立せる茎(くき)は通常まばらに分枝(ぶんし)する。葉は茎(くき)に互生(ごせい)し、再三出式に分裂している。各枝端(したん)に一花ずつ開き、直径はおよそ一二センチメートル内外もあろう。花下(かか)に五片(へん)の緑萼(りょくがく)があるが、蕾(つぼみ)の時には円(まる)く閉じている。花弁(かべん)は平開し、およそ十片(ぺん)内外もあるが、しかし花容(かよう)、花色種々多様(しゅじゅたよう)で、何十種もの園芸的変わり品がある。花心(かしん)に黄色の多雄蕊(たゆうずい)と、三ないし五の子房(しぼう)がある。
 芍薬(しゃくやく)の姉妹品(しまいひん)で、わが邦(くに)の山地に見る白花品(はっかひん)は、ヤマシャクヤクで、その淡紅花品(たんこうかひん)はベニバナヤマシャクヤクである。花は芍薬に比べるとすこぶる貧弱だが、その果実はみごとなもので、熟(じゅく)して裂(さ)けると、その内面が真赤色(しんせきしょく)を呈(てい)しており、きわめて美しい特徴(とくちょう)を現(あらわ)している。
「シャクヤクの図」のキャプション付きの図
シャクヤクの図

 スイセンは水仙を音読(おんどく)した、そのスイセンが今日本の普通名となっているが、昔はわが邦(くに)でこれを雪中花(せっちゅうか)と呼んだこともあった。元来(がんらい)、水仙(すいせん)は昔中国から日本へ渡ったものだが、しかし水仙の本国はけっして中国ではなく、大昔遠く南欧(なんおう)の地中海地方の原産地からついに中国に来(きた)り、そして中国から日本へ来たものだ。中国ではこの草が海辺を好んでよく育つというので、それで水仙と名づけたのである。仙は仙人(せんにん)の仙で、この草を俗を脱している仙人(せんにん)に擬(なぞら)えたものでもあろうか。
 水仙はヒガンバナ科に属して、その学名を Narcissus Tazetta L. というのだが、この種名の Tazetta はイタリア名の小皿(こざら)の意で、すなわちその花中(かちゅう)の黄色花冕(おうしょくかべん)を小皿に見立てたものである。そして属名の Narcissus は麻痺(まひ)の意で、それはその草に含まれているナルキッシネという毒成分に基(もと)づいたものであろう。
 水仙(すいせん)の花は早春に咲く。すなわち地中の球根(きゅうこん)(球根は俗言(ぞくげん)で正しくいえば襲重鱗茎(しゅうちょうりんけい))から、葉と共(とも)に花茎(かけい)(植物学上の語でいえば※(「くさかんむり/亭」、第4水準2-86-48)(てい))を抽(ひ)いて直立し、茎頂(けいちょう)に数花を着(つ)けて横に向かっている。花には小梗(しょうこう)があり、もとの方にはこれを擁(よう)して膜質(まくしつ)の苞(ほう)がある。そして小梗(しょうこう)の頂(いただき)に、緑色の子房(しぼう)(植物学では下位子房(かいしぼう)といわれる。下位子房(かいしぼう)のある花はすこぶる多く、キュウリ、カボチャなどの瓜(うり)類、キキョウの花、ナシの花、ラン類の花、アヤメ、カキツバタなどの花の子房はみな下位でいずれも花の下、すなわち花の外に位(くらい)している)があり、子房の上は花筒(かとう)となり、この花筒の末端(まったん)に白色の六花蓋片(かがいへん)が平開(へいかい)し、花としての姿を見せよい香(か)を放っている。そしてこの六花蓋の外列(がいれつ)三片が萼(がく)に当たり、内列(ないれつ)三片が花弁(かべん)である。
 このように、花弁と萼(がく)との外観が見分(みわ)け難(がた)いものを、植物学では便利のため花蓋(かがい)と呼んでいる。この開展(かいてん)せる瑩白色花蓋(えいはくしょくかがい)六片(へん)の中央に、鮮黄色(せんおうしょく)を呈せる皿状花冕(さらじょうかべん)を据(す)え、花より放つ佳香(かこう)と相(あい)まって、その花の品位(ひんい)きわめて高尚(こうしょう)であることに、われらは讃辞(さんじ)を吝(お)しまない。そしてこの水仙(すいせん)の花を、中国人は金盞銀台(きんさんぎんだい)と呼んでいる。すなわち銀白色の花の中に、黄金(おうごん)の盞(さかずき)が載(の)っているとの形容である。
 水仙花(すいせんか)の花筒(かとう)の内部には、黄色の六雄蕊(ゆうずい)があり、花筒の底からは一本の花柱(かちゅう)が立って、その柱頭(ちゅうとう)は三岐(き)しており、したがって子房(しぼう)が三室になっていることを暗示している。そして花下(かか)の子房の中には、卵子(らんし)が入っている。それにもかかわらず、この水仙には絶(た)えて実を結ばないこと、かのヒガンバナ、あるいはシャガと同様である。けれども球根(きゅうこん)で繁殖(はんしょく)するから、実を結んでくれなくっても、いっこうになんらの不自由はない。そうしてみると、水仙の花はむだに咲いているから、もったいないことである。ちょうど、子を生まない女の人と同じだ。
 水仙は花に伴(ともの)うて、通常は四枚、きわめて肥(こ)えたものは八枚の葉が出る。草質(そうしつ)が厚く白緑色(はくりょくしょく)を呈(てい)しているが、毒分があるから、ニラなどのように食用にはならない。地中の球根を搗(つ)きつぶせば強力な糊(のり)となり、女の乳癌(にゅうがん)の腫(は)れたのにつければ効(き)くといわれる。
 元来(がんらい)、水仙は海辺(かいへん)地方の植物であって、山地に生(は)える草ではない。房州(ぼうしゅう)〔千葉県の南部〕、相州(そうしゅう)〔神奈川県の一部〕、その他諸州(しょしゅう)の海辺地には、それが天然生(てんねんせい)のようになって生(は)えている。これはもと人家(じんか)に栽培(さいばい)してあったものが、いつのまにかその球根が脱出して、ついに野生(やせい)になったもので、もとより日本の原産ではない。このように野生になっている所では、玉玲瓏(ぎょくれいろう)と中国で称する八重咲(やえざ)きの花が見られる。また青花と呼ばれる下品な花も現(あらわ)れる。
 支那水仙といって、能(よ)く(このような場合のヨクは能の字を書くのが本当で、近ごろのように一点張(いってんば)りに良の字を書くのは誤(あやま)りである。これは can と good とを混同視(こんどうし)したものだ。チョット老婆心(ろうばしん)までに。)水盆(すいぼん)に載(の)せて花を咲かせているものがあるが、これは人工で球根を割(さ)き、多数の花茎(かけい)を出(いだ)させたものだ。けっして別種の水仙ではない。こんな球根への細工(さいく)は、その方法をもってすれば日本ででもできる。
「スイセンの図」のキャプション付きの図
スイセンの図

 キキョウは漢名(かんめい)、すなわち中国名である桔梗の音読(おんどく)で、これが今日(こんにち)わが邦(くに)での通名(つうめい)となっている。昔はこれをアリノヒフキと称(とな)えたが、この名ははやくに廃(すた)れて今はいわない。また古くは桔梗(ききょう)をオカトトキといったが、これもはやく廃語(はいご)となった。このオカトトキのオカは岡で、その生(は)えている場所を示し、トトキは朝鮮語でその草を示している。このトトキの語が、今日(こんにち)なお日本の農民間に残って、ツリガネソウ一名ツリガネニンジン、すなわちいわゆる沙参(しゃじん)をそういっている。
 右のオカトトキを昔はアサガオと呼んだとみえて、それが僧昌住(しょうじゅう)の著(あらわ)したわが邦(くに)最古の辞書である『新撰字鏡(しんせんじきょう)』に載(の)っている。ゆえにこれを根拠(こんきょ)として、山上憶良(やまのうえのおくら)の詠(よ)んだ万葉歌の秋の七種(ななくさ)の中のアサガオは、桔梗(ききょう)だといわれている。今人家(じんか)に栽培(さいばい)している蔓草(つるくさ)のアサガオは、ずっと後に牽牛子(けんぎゅうし)として中国から来たもので、秋の七種(ななくさ)中のアサガオではけっしてないことを知っていなければならない。
 キキョウはキキョウ科中著名(ちょめい)な一草で、Platycodon grandiflorum A. DC. の学名を有する。この属名の Platycodon はギリシア語の広い鐘(かね)の意で、それはその広く口を開(あ)けた形の花冠(かかん)に基(もと)づいて名づけたものである。そして種名の grandiflorum は、大きな花の意である。
 キキョウは山野(さんや)の向陽地(こうようち)に生じている宿根草(しゅっこんそう)であるが、その花がみごとであるから、観賞花草として能(よ)く人家(じんか)に栽(う)えられてある。茎(くき)は直立して、九〇ないし一五〇センチメートルばかりに達し、傷(きず)つけると葉と共(とも)に白乳液(はくにゅうえき)が出る。葉は緑色で裏面帯白(りめんたいはく)、葉形(ようけい)は広卵形(こうらんけい)ないし痩卵形(そうらんけい)で尖(とが)り、葉縁(ようえん)に細鋸歯(さいきょし)がある。ほとんど無柄(むへい)で茎(くき)に互生(ごせい)し、あるいは擬対生(ぎたいせい)し、あるいは擬輪生(ぎりんせい)する。
 秋に茎(くき)の上部分枝(ぶんし)し、小枝端(しょうしたん)に五裂(れつ)せる鐘形花(しょうけいか)を一輪(りん)ずつ着(つ)け、大きな鮮紫色(せんししょく)の美花(びか)が咲くが、栽培品には二重咲(ふたえざ)き花、白花、淡黄花(たんおうか)、絞(しぼ)り花、大形花、小形花、奇形花がある。そしてその蕾(つぼみ)のまさに綻(ほころ)びんとする刹那(せつな)のものは、円(まる)く膨(ふく)らみ、今にもポンと音して裂(さ)けなんとする姿を呈(てい)している。
 花中に五雄蕊(ゆうずい)と五柱頭(ちゅうとう)ある一花柱(かちゅう)とがあるが、この雄蕊(ゆうずい)は先に熟(じゅく)して花粉(かふん)を散らし、雌蕊(しずい)に属する五柱頭は後に熟(じゅく)して開くから、自分の花の花粉を受けることができず、そこで昆虫の助けを借りて、他の花の花粉を運んでもらうのである。つまり桔梗花(ききょうか)は、自家結婚ができないように、天から命ぜられているわけだ。植物界のいろいろな花には、こんなのがザラにある。花を研究してみると、なかなか興味のあるもので、ナデシコなどもその例に漏(も)れなく、もしも今昆虫が地球上におらなくなったら、植物で絶滅するものが続々とできる。
 花の時の子房(しぼう)は緑色で、その上縁(じょうえん)に狭小(きょうしょう)な五萼片(がくへん)がある。花後(かご)、この子房(しぼう)は成熟して果実となり、その上方の小孔(しょうこう)より黒色の種子が出る。
 地中に直下する根は多肉(たにく)で、桔梗根(ききょうこん)と称し※(「ころもへん+去」、第3水準1-91-73)痰剤(きょたんざい)となるので、したがってこの桔梗(ききょう)がたいせつな薬用植物の一つとなっている。春に芽出(めだ)つ新葉(しんよう)の苗(なえ)は、食用として美味(びみ)である。
「キキョウの図」のキャプション付きの図
キキョウの図

 リンドウというのは漢名(かんめい)、龍胆の唐音(とうおん)の音転(おんてん)であって、今これが日本で、この草の通称となっている。中国の書物によれば、その葉は龍葵(りゅうき)のようで味が胆(きも)のように苦(にが)いから、それで龍胆(りんどう)というのだと解釈してあるが、しかし葉が苦(にが)いというよりは根の方がもっと苦(にが)い、すなわちこの根からいわゆるゲンチアナチンキが製せられ、健胃剤(けんいざい)に使われている。
 リンドウは昔ニガナといった。すなわち、その草の味が苦(にが)いからであろう。また播州(ばんしゅう)〔兵庫県南部〕ではオコリオトシというそうだが、これもその草を煎(せん)じて飲めば味が苦(にが)いから、病気のオコリがオチル、すなわち癒(なお)るというのであろう。また葉が笹(ささ)のようであるから、ササリンドウの名もある。
 リンドウは向陽(こうよう)の山地、もしくは原野の草間(そうかん)に多く生ずる宿根草(しゅっこんそう)で、茎(くき)は三〇〜六〇センチメートルばかり、葉は狭(せま)くて尖(とが)り無柄(むへい)で茎を抱(いだ)いて対生(たいせい)し、全辺で葉中(ようちゅう)に三縦脈(じゅうみゃく)があり、元来(がんらい)緑色なれど、日を受けて往々(おうおう)紫色に染(そ)んでいる。秋更(ふ)けての候(こう)、その花は茎頂(けいちょう)に集合して咲き、また梢葉腋(しょうようえき)にも咲く。花下(かか)に緑萼(りょくがく)があって、尖(とが)った五つの狭長片(きょうちょうへん)に分かれ、花冠(かかん)は大きな筒(つつ)をなし、口は五裂(れつ)して副片(ふくへん)がある。この花冠(かかん)は非常に日光に敏感(びんかん)であるから、日が当たると開き、日がかげると閉(と)じる。
 ゆえに雨天(うてん)の日は終日(しゅうじつ)開かなく、また夜中もむろん閉(と)じている。閉じるとその形が筆(ふで)の頴(ほ)の形をしていて捩(ねじ)れたたんでいる。色は藍紫色(らんししょく)で外は往々褐紫色(かっししょく)を呈(てい)しているが、まれに白花のものがある。筒中(とうちゅう)に五雄蕊(ゆうずい)と一雌蕊(しずい)とが見られる。花後(かご)には、宿存花冠(しゅくそんかかん)の中で長莢(ちょうきょう)状の果実が熟(じゅく)し、二つに裂(さ)けて細かい種子が出る。このように果実が熟した後茎(くき)は枯(か)れ行き、根は残るのである。
 花は形が大きく且(か)つはなはだ風情(ふぜい)があり、ことにもろもろの花のなくなった晩秋(ばんしゅう)に咲くので、このうえもなく懐(なつ)かしく感じ、これを愛する気が油然(ゆうぜん)と湧(わ)き出るのを禁じ得ない。されども、人々が野や山より移して庭に栽植(さいしょく)しないのはどうしたものか、やはり、野に置けれんげそうの類かとも思えども、しかしそう野でこれを楽しむ人もないようだ。
 リンドウはリンドウ科に属し、わが邦(くに)では本科中の代表者といってよい。そしてその学名は Gentiana scabra Bunge var. Buergeri Maxim. である。この学名中にある var. はラテン語 varietas(英語の variety)の略字で、変種ということである。
 このリンドウ属(Gentiana)には、わが邦(くに)に三十種以上の種類があるが、その中でアサマリンドウ、トウヤクリンドウ、オヤマリンドウ、ハルリンドウ、フデリンドウ、コケリンドウなどは著名な種類である。右のアサマリンドウは、伊勢(いせ)〔三重県〕の朝熊山(あさまやま)にあるから名づけたものだが、また土佐(とさ)〔高知県〕の横倉山(よこぐらやま)にも産する。
 根の味が最も苦(にが)く、能(よ)く振(ふ)り出して健胃(けんい)のために飲用(いんよう)するセンブリは、一(いつ)にトウヤクともいい、やはりこのリンドウ科に属すれど、これはリンドウ属のものではなく、まったく別属のもので、その学名を Swertia japonica Makino といい、効力ある薬用植物として『日本薬局方』に登録せられている。秋に原野に行けば、採集ができる。
「リンドウの図」のキャプション付きの図
リンドウの図

 アヤメといえば、だれでもアヤメ科中の Iris 属のものと思っているでしょう。それもそのはず、今日(こんにち)ではアヤメと呼べば一般にそうなっているからだ。しかし厳格にいえば、このアヤメはまさにハナアヤメといわねばならぬものであった。なんとなれば、一方に本当のアヤメがあったからだ。とはいえ、この本当のアヤメの名は、実は今日ではすでに廃(すた)れてそうはいわず、ただ古歌(こか)などの上に残っているにすぎない運命となっているから、そう心配するにも及(およ)ぶまい。
 右に古歌(こか)といったが、その古歌とはどんな歌か、今試(こころ)みに数首(すうしゅ)を次に挙(あ)げてみよう。

ほととぎす厭(いと)ふときなしあやめぐさ
  かづらにせん日此(こ)ゆ鳴きわたれ
ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ
  玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか
あやめぐさひく手もたゆくながき根の
  いかであさかの沼に生(お)ひけむ
ほととぎす鳴くやさつきのあやめぐさ
  あやめも知らぬ恋もするかな

 などがある。さてこの歌にあるアヤメグサ、すなわちアヤメは、ショウブすなわち白菖(はくしょう)のことである。(世間(せけん)一般に今ショウブと呼んでいる水草(みずくさ)を菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元来(がんらい)は間違いであることをわきまえていなければならない。)そして前の Iris 属のハナアヤメとは、まったく違った草である。
 昔、右のショウブをアヤメといっていた時代には、今の Iris 属のアヤメは、前記のとおりハナアヤメといって花を冠(かん)していたが、ショウブに対するアヤメの名が廃(すた)れた後は、単にアヤメと呼ぶようになり、これが今日(こんにち)の通称となっている。すなわち白菖(はくしょう)がアヤメであった時は、今日(こんにち)のアヤメがハナアヤメであったが、アヤメの名がショウブとなるに及(およ)んで、ハナアヤメがアヤメとなり、時代により名称に変遷(へんせん)のあったことを示している。
 あまねく人の知っているかの潮来節(いたこぶし)の俚謡(りよう)に、

潮来出島(いたこでじま)のまこもの中にあやめ咲くとはしおらしい

 というのがある。この謡(うた)はその中にあるアヤメがこんがらかって、ウソとマコトとで織(お)りなされている。すなわちこの謡(うた)の作者は、謡(うた)のアヤメを美花(びか)の咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中に生(は)えているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸草(りくそう)だから水中には育たない。マコモといっしょになって生(は)えている水草のアヤメは、古名(こめい)のアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょに生(は)えていても、なにも別に不思議(ふしぎ)はない。
 サーことだ、美花(びか)を開くアヤメはマコモの中にはなく、マコモの中に生(は)えているアヤメは、つまらぬ不顕著(ふけんちょ)な緑色の細かい花が、グロ的な花穂(かすい)をなしているにすぎなく、ふつうの人はあまりこの花を知っていないほどつまらぬ花だ。
 上の謡(うた)の「まこもの中にあやめ咲くとはしおらしい」のアヤメは、マコモの中に咲かなく、つまらぬ花を持った昔のアヤメ(ショウブ)が咲くばかりであるから、この俚謡(りよう)の意味がまったくめちゃくちゃになっている。謡(うた)はきれいな謡だが、実物上からいえば、まったく事実を取り違えたつまらぬ謡(うた)だ。はじめてその事実の誤(あやま)りを摘発(てきはつ)して世に発表したのは私であって、記事の題は、「実物上から観(み)た潮来出島(いたこでじま)の俚謡(りよう)」であった。それはちょうど今から十六年前の、昭和八年のことだ。
「アヤメの図」のキャプション付きの図
アヤメの図

 アヤメを書いたついでに、それと同属のカキツバタについて述べてみよう。
 カキツバタの語原は書きつけ花の意で、その転訛(てんか)である。すなわち、書きつけは摺(す)り付(つ)けることで、その花汁(かじゅう)をもって布を摺(す)り染(そ)めることである。昔はこのような染め方が行われて、カキツバタの花の汁(しる)を染料(せんりょう)にしたのである。
 その証拠(しょうこ)には『万葉集』に次の歌がある。

住吉(すみのえ)の浅沢小野(あささはをぬ)のかきつばた
  衣(きぬ)に摺(す)りつけ著(き)む日知らずも
かきつばた衣(きぬ)に摺(す)りつけ丈夫(ますらを)の
  きそひ猟(かり)する月は来にけり

 この二つの歌を見れば、カキツバタの花の汁(しる)で布を染(そ)めたことが能(よ)くわかる。(こういう場合の「よく」を「良く」と書いてはいけない。)
 今からおよそ十年余(あま)りも前に、広島県安芸(あき)の国〔県の西部〕の北境(ほっきょう)なる八幡(やはた)村で、広さ数百メートルにわたるカキツバタの野生群落(やせいぐんらく)に出逢(であ)い、折(おり)ふし六月で、花が一面に満開して壮観(そうかん)を極(きわ)め、大いに興(きょう)を催(もよお)し、さっそくたくさんな花を摘(つ)んで、その紫汁(しじゅう)でハンケチを染(そ)め、また白シャツに摺(す)り付(つ)けてみたら、たちまち美麗(びれい)に染(そ)まって、大いに喜んだことがあった。その時、興(きょう)に乗(じょう)じて左の拙句(せっく)を吐(は)いてみた。

衣(きぬ)に摺(す)りし昔の里かかきつばた
ハンケチに摺(す)って見せけりかきつばた
白シャツに摺(す)り付(つ)けて見るかきつばた
この里に業平(なりひら)来ればここも歌
見劣(みおと)りのしぬる光淋屏風(こうりんびょうぶ)かな
見るほどに何(なん)となつかしかきつばた
去(い)ぬは憂(う)し散るを見果(みは)てんかきつばた

 世人(せじん)、イヤ歌読みでも、俳人(はいじん)でも、また学者でも、カキツバタを燕子花と書いて涼(すず)しい顔をして納(おさ)まりかえっているが、なんぞ知らん、燕子花はけっしてカキツバタではなく、これをそういうのは、とんでもない誤(あやま)りであることを吾人(ごじん)は覚(さと)らねばならない。
 しからばすなわち燕子花とはなにか、燕子花の本物はキツネノボタン科に属するヒエンソウの一種で、オオヒエンソウ、すなわち Delphinium grandiflorum L. と呼ぶ陸生宿根草本(りくせいしゅっこんそうほん)で、藍色(あいいろ)の美花(びか)を一花穂(かすい)に七、八花も開くものである。その花形(かけい)が、あたかも燕(つばめ)が飛んでいるような恰好(かっこう)から、それで燕子花の名がある。茎(くき)は細長く、高さおよそ六〇センチメートル内外で立ち、葉は細かく分裂し茎(くき)に互生(ごせい)している。そしてこの草は中国の北地、ならびに満州〔中国の東北地方〕には広く原野(げんや)に生じているが、わが日本にはあえて産しない。
 燕子花と同様な大間違(おおまちが)いをしているものは、紫陽花である。日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間違(まちが)いをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白楽天(はくらくてん)の詩集に、わずかにその詩が載(の)っているにすぎないものである。元来(がんらい)、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出生(しゅっせい)した花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者は能(よ)くその如何(いかん)を知っているのである。
 カキツバタは水辺、ならびに湿地(しっち)の宿根草(しゅっこんそう)で、この属中一番鮮美(せんび)な紫花を開くものである。葉は叢生(そうせい)し、鮮緑色(せんりょくしょく)で幅(はば)広く、扇形(せんけい)に排列(はいれつ)している。初夏(しょか)の候(こう)、葉中(ようちゅう)から茎(くき)を抽(ひ)いて茎梢(けいしょう)に花を着(つ)ける。花のもとに二、三片の大きな緑苞(りょくほう)があって、中に三個の蕾(つぼみ)を擁(よう)し、一日に一花(か)ずつ咲き出(い)でる。
 花は花下(かか)に緑色の下位子房(かいしぼう)があり、幅(はば)広い萼(がく)三片が垂(た)れて、花を美しく派手(はで)やかに見せており、狭い花弁(かべん)三片が直立し、アヤメの花と同じ様子(ようす)をしている。花中の花柱(かちゅう)は大きく三岐(き)し、その端(はし)に柱頭(ちゅうとう)があり、その三岐片(きへん)の下には白色葯(やく)の雄蕊(ゆうずい)を隠している。この花も同属のアヤメ、ハナショウブ、イチハツなどと同じく虫媒花(ちゅうばいか)で、昆虫により雄蕊(ゆうずい)の花粉が柱頭に伝えられる。花がすむと子房(しぼう)が増大し、ついに長楕円状(ちょうだえんじょう)円柱形の果実となり開裂(かいれつ)して種子が出るが、果内(かない)は三室に分かれている。
 花色(かしょく)は紫のものが普通品だが、また栽培品にはまれに白花のもの、白地(しろじ)に紫斑(しはん)のものもある。きわめてまれに萼(がく)、花弁が六片(へん)になった異品がある。
 学名を Iris laevigata Fisch. と称するが、その種名の laevigata は光沢(こうたく)あって平滑(へいかつ)な意で、それはその葉に基(もと)づいて名づけたものであろう。そして属名の Iris は虹(にじ)の意で、それは属中多くの花が美麗(びれい)ないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。
「カキツバタの図」のキャプション付きの図
カキツバタの図

『万葉集』に「託馬野(つくまぬ)に生ふる紫草衣(むらさききぬ)に染め、いまだ着ずして色に出(い)でけり」という歌があって、この時分染料(せんりょう)として、ふつうに紫草(むらさきぐさ)を使っていたことを示している。
 ムラサキは日本の名で、紫草(しそう)は中国の名である。根が紫色で、紫を染(そ)める染料となるので、この名がある。そしてその学名は Lithospermum erythrorhizon Sieb. et Zucc. である。すなわちこの種名の erythrorhizon は、字からいえば赤根(せきこん)の意であるが、その意味からいえば紫根(しこん)の意と解せられる。属名の Lithospermum は石の種子(しゅし)の意で、この属の果実が、石のように堅(かた)い種子のように見えるから、それでこんな字を用いたものだ。
 このムラサキは、山野向陽(さんやこうよう)の草中に生じている宿根草(しゅっこんそう)で、根は肥厚(ひこう)していて地中に直下し、単一、あるいは枝分(えだわ)かれがしている。そしてその根皮(こんひ)が、生時(せいじ)は暗紫色(あんししょく)を呈(てい)している。茎(くき)は直立して六〇〜九〇センチメートルに成長し、梢(こずえ)はまばらに分枝(ぶんし)している。葉は披針形(ひしんけい)で尖(とが)り、無柄(むへい)で茎(くき)に互生(ごせい)し茎と共(とも)に毛があり、葉面(ようめん)は白緑色(はくりょくしょく)を呈(てい)している。梢枝(しょうし)には苞葉(ほうよう)があって、その苞腋(ほうえき)に一輪(りん)ずつの小さい白花が咲くから、緑色の草中にあってちょっと目につく。花のもとの緑萼(りょくがく)は五尖裂(せんれつ)し、花冠(かかん)は高盆形(こうぼんけい)で花面(かめん)五裂(れつ)し輻状(ふくじょう)をなしている。花筒内(かとうない)に五雄蕊(ゆうずい)と一雌蕊(しずい)とがあり、花柱(かちゅう)のもとに四耳(しじ)をなした子房(しぼう)がある。
 果実は小粒(こつぶ)状の堅(かた)い分果(ぶんか)で、灰色を呈(てい)して光沢(こうたく)があり、蒔(ま)けば能(よ)く生(は)えるから、このムラサキを栽培することは、あえて難事(なんじ)ではない。ゆえに往時(おうじ)は、これを畑に作ったことがあった。野生(やせい)のものはそうザラにはないから、染料(せんりょう)に使うためには、是非(ぜひ)ともこれを作らねばならぬ必要があったのである。そしてこの紫根(しこん)の上等品は染料の方へ回(まわ)し、下等品を薬用の方へ回したものだそうな。
 昔は紫の色はみな紫根(しこん)で染(そ)めた。これがすなわち、いわゆる紫根染(しこんぞ)めである。今はアニリン染料(せんりょう)に圧倒(あっとう)せられて、紫根染(しこんぞ)めを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花輪(はなわ)町の染(そ)め物屋(ものや)に頼(たの)んで、絹地(きぬじ)にこの紫根染(しこんぞ)めをしてもらったが、なかなかゆかしい地色(じいろ)ができ、これを娘の羽織(はおり)に仕立てた。今それをアニリン染料(せんりょう)の紫に比(くら)ぶれば、地色(じいろ)が派手(はで)でないから、玄人(くろうと)が見れば凝(こ)っているが、素人(しろうと)の前では損をするわけだ。私はさらに同染(そ)め物屋(ものや)で茜染(あかねぞ)めもしてもらったが、茜染(あかねぞ)めの色は赤味がかったオレンジ色であるから、あまり引き立たないが、なんとなく上品である。そしてこの紫根染(しこんぞ)めも茜染(あかねぞ)めもいろいろの模様(もよう)を置くことができず、みな絞(しぼ)り染(ぞ)めである。
 ムラサキと武蔵野(むさしの)はつきものであるが、今日(こんにち)武蔵野にはムラサキは生じていない。しかし昔はそれがあったものと見えて、「紫の一もとゆえに武蔵野の、草はみながら憐(あわ)れとぞ見る」という有名な歌が遺(のこ)っている。
 ムラサキを採(と)りたい人は、富士山の裾野(すその)へ行けば、どこかで見つかるであろう。
「ムラサキの図」のキャプション付きの図
ムラサキの図

 春の野といえば、すぐにスミレが連想せられる。実際スミレは春の野に咲く花であるが、しかし人家の庭には栽培してはいない。万葉歌の中にはスミレが出ているから、歌人(かじん)はこれに関心を持っていたことがわかる。すなわちその歌は、「春の野(ぬ)にすみれ摘(つ)みにと来(こ)し吾(あれ)ぞ、野(ぬ)をなつかしみ一夜(ひとよ)宿(ね)にける」である。
 スミレは今、いろいろのスミレの種類を総称するような名ともなっていれど、その中で特にスミレというのは、スミレ品類中一等優品で、濃紫色(のうししょく)の花を開く無茎性叢生種(むけいせいそうせいしゅ)の名であって、これを学名では、Viola mandshurica W. Beck. といっている。満州〔中国の東北地方一帯〕にも産するので、それで mandshurica(「満州の」という意味)の種名がついている。
 そして日本にはスミレの品種が実に百種ほど(変種を入れるとこれ以上)もあって、これがみなスミレ属 Viola に属する。これによってこれを観(み)れば、日本は実にスミレ品種では世界の一等国といってよい。
 スミレ、すなわち Viola mandshurica W. Beck. は宿根草(しゅっこんそう)で、葉は一株(かぶ)に叢生(そうせい)し長葉柄(ちょうようへい)があり、葉面(ようめん)は長形で鈍鋸歯(どんきょし)がある。葉と同じ株(かぶ)から花茎(かけい)を抽(ひ)いて花が咲くのだが、花は茎頂(けいちょう)に一輪(りん)着(つ)き、側方(そくほう)に向こうて開いている。花茎(かけい)にはかならずその途中に狭長(きょうちょう)な苞(ほう)がほとんど対生(たいせい)して着(つ)いており、花には緑色の五萼片(がくへん)と、色のある五花弁(かべん)と、五雄蕊(ゆうずい)と、一雌蕊(しずい)とがある。花茎(かけい)は一株から一、二本、肥(こ)えた株では十本余りも出ることがある。そして濃紫色(のうししょく)の花が、いつも人目(ひとめ)を惹(ひ)くのである。
 五片(へん)の花弁中、下方の一花弁には、後(うし)ろに突き出た距(きょ)と称するものを持っている。元来(がんらい)、このスミレの花は虫媒花(ちゅうばいか)なれども、今日(こんにち)ではたいていのスミレ類は果実が稔(みの)らない。そして花の済(す)んだ後に、微小(びしょう)なる閉鎖花(へいさか)がしきりに生じて自家受精(じかじゅせい)をなし、能(よ)く果実ができる特性がある。ゆえにスミレの美花(びか)はまったくむだに咲いているわけだ。しかしここにいう Viola mandshurica W. Beck. のスミレは、その常花(じょうか)の後で能(よ)く果実の稔(みの)っているものを見かけることがある。このスミレもその後では、しきりと閉鎖花(へいさか)によっての果実が続々とできるのである。
 いったい、スミレの花は昆虫に対し、とても巧妙(こうみょう)にできている。まず花は側方(そくほう)に向いているので、昆虫が来て止まるに都合(つごう)がよい。花弁は上の方に二片(へん)、両側に二片、下の方に一片がある。そしてこの一片の後方に一つの距(きょ)のあることは、前に記したとおりである。
 花が開いていると、たちまち蜜蜂(みつばち)のごとき昆虫の訪問がある。それは花の後(うし)ろにある距(きょ)の中の蜜(みつ)を吸いに来たお客様である。さっそく自分の頭を花中へ突き入れる。そしてその嘴(くちばし)を距(きょ)の中へ突き込むと、その距(きょ)の中に二つの梃子(てこ)のようなものが出ていてそれに触(ふ)れる。この梃子(てこ)ようのものは、五雄蕊(ゆうずい)中の下の二雄蕊(ゆうずい)から突き出たもので、昆虫の嘴(くちばし)がこれに触(ふ)れてそれを動かすために、雄蕊(ゆうずい)の葯(やく)が動き、その葯(やく)からさらさらとした油気(あぶらけ)のない花粉が落ちて来て、昆虫の毛のある頭へ降りかかる。
 そしてこの昆虫がよい加減(かげん)蜜(みつ)を吸うたうえは、頭に花粉をつけたままこの花を辞(じ)し去って他の花へ行く。そして同じく花中へ頭を突き込む。その時、前の花から頭へつけて来た花粉を今度の花の花柱(かちゅう)、それはちょうど昆虫の頭のところへ出て来ている花柱の末端(まったん)の柱頭(ちゅうとう)へつける。この柱頭には粘液(ねんえき)が出ていて、持って来た花粉がそれに粘着(ねんちゃく)する。花粉が粘着すると、さっそく花粉管が花粉より延(の)び出て、花柱の中を通って子房(しぼう)の中の卵子(らんし)に達し、それから卵子が生長して種子となるが、それと同時に子房は成熟して果実となるのである。
 実にスミレ類は、このように昆虫とは縁の深い関係になっているのである。しかしかく昆虫に努力させても、花が果実を結ばず無駄咲(むだざ)きをしているものが多いのは、まことにもったいなき次第(しだい)である。それはちょうど水仙(すいせん)の花、ヒガンバナの花などと同じ趣(おもむき)である。
 スミレの葉は花後(かご)に出るものは、だんだんとその大きさを増し、形も長三角形となって花の時の葉とはだいぶ形が違ってくる。
 スミレの果実は三殻片(かくへん)からなっているので、それが開裂(かいれつ)するとまったく三つの殻片(かくへん)に分かれる。そしてその各殻片内(かくへんない)に二列に並(なら)ぶ種子を持っている。殻片(かくへん)が開いたその際は、その種子があたかも舟に乗ったように並んでいるのだが、その殻片(かくへん)がだんだん乾(かわ)くと、その両縁が内方に向こうて収縮(しゅうしゅく)、すなわち押し狭(せば)められ、ついにその種子を圧迫(あっぱく)して急に押し出し、それを遠くへ飛ばすのである。なんの必要があってかく飛ばすのか、それは広く遠近の地面へ苗(なえ)を生(は)えさせんがためなのである。
 またそれのみならず、その種子には肉阜(にくふ)(カルンクル)と呼ぶ軟肉(なんにく)が着(つ)いていて、これが蟻(あり)の食物になるものだから、その地面に転(ころ)がっている種子を蟻(あり)が見つけると、みなそれをわが巣(す)に運び入れ、すなわちその軟肉(なんにく)を食い、その堅(かた)い種子をばもはや不用として巣の外へ出し捨てるのである。この出された種子は、その巣の辺で発芽(はつが)するか、あるいは雨水(あまみず)に流され、あるいは風に飛んで、その落ちつく先で発芽する。かくてそのスミレがそこここに繁殖(はんしょく)することになる。このように、この肉阜(にくふ)が着(つ)いている種子はクサノオウ、キケマン、タケニグサなどのものもみなそうで、いずれもみな蟻(あり)へのごちそうを持っているわけだ。かく植物界のことに気をつけると、なかなかおもしろい事柄(ことがら)が見いだされるのである。
 春いちはやく紫の花が咲くスミレにツボスミレ(今日(こんにち)の植物界ではこれをタチツボスミレといっていれど、これは畢竟(ひっきょう)不用な名でツボスミレが昔からの本名である)というものがある。このツボスミレもはやく歌人の目にとまり、万葉の歌に

山ぶきの咲きたる野辺(のべ)のつぼすみれ
  この春の雨にさかりなりけり
茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)が原のつぼすみれ
  いまさかりなり吾(あ)が恋(おも)ふらくは

 がある。このツボスミレは前記のとおり紫花の咲くスミレで、他のスミレよりは早く開花する。野辺(のべ)ではこのツボスミレが最も早く咲き、且(か)つたくさんに咲くので、そこで歌人の心を惹(ひ)きつけたのであろう。ツボスミレは壺(つぼ)(内庭(なかにわ)のこと)スミレ、すなわち庭スミレの意である。花の後(うし)ろの距(きょ)が壺(つぼ)の形をしているからツボスミレという、という古い説はなんら取るに足(た)らない僻事(ひがごと)である。
 昔から菫の字をスミレだとしているのは、このうえもない大間違いで、菫はなんらスミレとは関係はない。いくら中国の字典(じてん)を引いて見ても、菫をスミレとする解説はいっこうにない。昔の日本の学者が何に戸惑(とまど)うたか、これをスミレだというのはばからしいことである。それを昔から今日(こんにち)に至るまでのいっさいの日本人が、古い一人の学者にそう瞞着(まんちゃく)せられていたのは、そのおめでたさ加減(かげん)、マーなんということだろう。
 菫(きん)という植物は元来(がんらい)、圃(はたけ)に作る蔬菜(そさい)の名であって、また菫菜(きんさい)とも、旱菫(かんきん)とも、旱芹(かんきん)ともいわれている。中国でも作っていれば、また朝鮮にも栽培せられて食用にしている。植物学上の所属はカラカサバナ科で、その学名は Apium graveolens L. である。これは西洋でも食用のため作られていて、かのセロリ(Celery)がそれである。今日(こんにち)ではこの和名(わめい)をオランダミツバというから、すなわち菫は確(たし)かにオランダミツバとせねばならなく、それがけっしてスミレではないことを、だれでも承知していなければならない。昔文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役(えき)の時、加藤清正(きよまさ)が朝鮮からこの種子を持って来たというので、このオランダミツバに昔キヨマサニンジンの名があった。
 パンジーはスミレ属の一種で、三色(さんしき)スミレと呼ばれる。すなわち、一花に三つの色があるというのである。
 スイート・バイオレットはニオイスミレで園芸品となっている。通常紫色の花が咲き、香(にお)いが高いから、香気(こうき)を好(す)く西洋人に大いに貴(とうと)ばれている。いったい日本人は花の香(にお)いに冷淡(れいたん)で、あまり興味を惹(ひ)かないようだが、西洋人と中国人とはこれに反して非常に花香(かこう)を尊重(そんちょう)する。かの素馨(そけい)〔ジャスミン〕などは大いに中国人に好かれる花の一つで、市場で売っており、薔薇(ばら)の※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰(まいかい)(日本の学者はハマナシ、すなわち誤っていうハマナスを※(「王+攵」、第3水準1-87-88)瑰(まいかい)としていれど、それはむろん誤りである)も同国人に貴(とうと)ばれ、その花に佳香(かこう)があるので茶に入れられる。ゆえに Tea rose の名がある。
「スミレの図」のキャプション付きの図
スミレの図

 サクラソウはよく人の知っている花草(かそう)で、どんな人にでも愛せられる。またその名もよくつけたもので、まことにその花にふさわしい名称である。通常桜草と書いてあるが、これはもとより中国名すなわち漢名ではなく、単にサクラソウを漢字で書いたものたるにすぎなく、サクラソウには中国名はない。
 そしてその学名は Primula Sieboldi Morren forma spontanea Takeda. であるが、この学名の中にある forma は品の義でその変わり品を示しており、spontanea は自生(じせい)の意、種名の Sieboldi はかの有名なシーボルトの人名であり、属名の Primula は最初の義で、畢竟(ひっきょう)花の早咲(はやざ)きを意味したものである。
 サクラソウは平野に生ずるが、また山の高原地にも見られる。しかしそう普遍的(ふへんてき)にどこにもあるものではない。東京付近では、かの田島(たじま)の原にたくさん咲くので、そこは天然記念物に指定せられている。また信州〔長野県〕軽井沢の原にもあり、また遠く九州豊後(ぶんご)〔大分県〕の日田(ひた)地方にもあるといわれている。
 宿根草(しゅっこんそう)で、これを人家の庭に栽(う)えても能(よ)く育ち、毎年花が咲いてかわいらしい。葉は一株(かぶ)から二、三枚ほど出(い)でて毛がある。長い葉柄(ようへい)を具(そな)え、葉面(ようめん)は楕円形(だえんけい)で重鋸歯(じゅうきょし)があり、葉質(ようしつ)は軟(やわ)らかくて皺(しわ)がある。四月ごろ花茎(かけい)が葉よりは高く立ち、茎頂(けいちょう)に繖形(さんけい)をなして小梗(しょうこう)ある数花が咲く。花下(かか)に五裂(れつ)せる緑萼(りょくがく)があり、花冠(かかん)は高盆形(こうぼんけい)で下は花筒(かとう)となり、平開(へいかい)せる花面(かめん)は五片(へん)に分かれ、各片の頂(いただき)は二裂(れつ)していて、その状すこぶるサクラの花に彷彿(ほうふつ)している。花の直径はおよそ二センチメートルばかりで、花色は紅紫色(こうししょく)であるが、たまに白花のものに出逢(であ)う。花筒(かとう)内には五雄蕊(ゆうずい)と一雌蕊(しずい)とがあって、雌蕊のもとに一子房(しぼう)がある。
 このサクラソウの園芸的培養品にはおよそ二、三百の変わり品があって、みなこれまでの熱心な園芸家により、苦心して作り出されたものである。これは世界中に類のないもので、大いにわが邦(くに)の誇(ほこ)りとするに足(た)る花である。
 ここに最も興味のあることは、このサクラソウ(同属の他の種も同様)の花には二様の差があって、それが株によって異なっている事実である。すなわち一方の花は五つの雄蕊(ゆうずい)が花筒(かとう)の入口直下についていて、その雌蕊(しずい)の花柱(かちゅう)は短い。また一方の花は雄蕊(ゆうずい)が花筒(かとう)の中途についていて、その花柱は長く花筒の口に達している。すなわち前者は高雄蕊短花柱(こうゆうずいたんかちゅう)の花であり、後者は低雄蕊長花柱(ていゆうずいちょうかちゅう)の花である。
 ゆえにこれらの花は自分の花粉を自分の柱頭(ちゅうとう)に伝うることができず、是非(ぜひ)ともそれを持ってきてくれる何者かに依頼(いらい)せねばならないように、自然がそう鉄則(てっそく)を設(もう)けている。まことに不自由な花のようだが、実はそれがそう不自由でないのはおもしろいことではないか。なんとなれば、そこには花粉の橋渡(はしわた)し役を勤(つと)めるものがあって、断(た)えずこの花を訪(おとず)れるからである。そしてその訪問者は蝶々(ちょうちょう)である。花の上を飛び回(まわ)っている蝶々は、ときどき花に止まって仲人(なこうど)となっているのである。
 今、蝶(ちょう)が来て高雄蕊低花柱(こうゆうずいていかちゅう)の花に止まったとする。すなわちその長い嘴(くちばし)をさっそく花に差し込んで、花底(かてい)の蜜(みつ)を吸う。その時その嘴(くちばし)に高雄蕊(こうゆうずい)の花粉をつける。次にこの蝶が低雄蕊高花柱(ていゆうずいこうかちゅう)の花に行き、その嘴(くちばし)を花に差し込む。そうすると低雄蕊(ていゆうずい)の花粉がその嘴(くちばし)に付着するばかりでなく、前の花の高雄蕊からつけて来た花粉を高花柱(こうかちゅう)の柱頭(ちゅうとう)につける。また右の低雄蕊の花からその低雄蕊の花粉をつけて来た蝶は、その花粉を低花柱(ていかちゅう)の柱頭につける。
 このようにその花の受精するのは、どうしても他の花から花粉を持って来てもらわぬ限りそれができないから、自分の花粉で自分の花の受精作用はまったく不可能である。他花(たか)の花粉で、自分の花の受精作用を行わんがために、このサクラソウの花は雄蕊(ゆうずい)の位置に上下があり、雌蕊(しずい)の花柱に長短を生じさせているのである。天然(てんねん)の細工(さいく)は流々(りゅうりゅう)、まことに巧妙(こうみょう)というべきではないか。こうなると他家結婚ができ、したがって強力な種子が生じ、子孫繁殖(しそんはんしょく)には最も有利である。
 植物でも自家受精、すなわち自家結婚だと自然種子が弱いので、そこで他家受精すなわち他家結婚して強壮(きょうそう)な種子を作ろうというのだ。植物でこんな工夫(くふう)をしているのはまことに感嘆(かんたん)に値(あたい)する。今それを人間にたとうれば、同族結婚を避(さ)けて他族結婚をしたこととなる。実際縁(えん)の近い人同士の結婚はあまり有利でなく、これに反して縁の遠い人同士の結婚が有利である。それゆえイトコ同士の結婚などはあまり褒(ほ)むべきものではなく、強健(きょうけん)な子供を欲(ほ)しいと思えば、縁類でない他の家から嫁をもらうべきである。前述のとおりサクラソウでさえ、自家結婚を避けて他家結婚を歓迎(かんげい)しているではないか。言い古した言葉だが、「人にして草に如(し)かざるべけんや」である。
 日本にはサクラソウ属の種類がおよそ三十種ばかりもあるが、その中で一番りっぱで大きな形のものはクリンソウで、これは世界中でも有名なものである。温室内にあるサクラソウ類には中国産のものが多く、シナサクラソウ、オトメザクラ、ハルコザクラなどはその名が高い。とにかく、観賞花としてサクラソウの類は、上乗(じょうじょう)なものである。
「サクラソウの図」のキャプション付きの図
サクラソウの図

 ヒマワリは一名ヒグルマ、一名ニチリンソウ、一名ヒュウガアオイと呼ばれ、アメリカ合衆国の原産であるが、はやくに広く世界に広まり、諸国で栽培(さいばい)せられている。そしてわが邦(くに)へはけだし、昔中国からそれを伝えたものであろう。今はわが国内でもあまねく諸州で作られている。通常は観賞花草として栽(う)えられているばかりで、その実を食らい、あるいはそれから油を搾(しぼ)るなどのことはやっていないようだ。つまり有用植物としては顧(かえり)みられないでいる。
 世人(せじん)は一般に、ヒマワリの花が日に向こうて回(まわ)るということを信じているが、それはまったく誤りであった。先年私が初めてこれを看破(かんぱ)し、「日まわり日に回(まわ)らず」と題して当時の新聞や雑誌などに書いたことがあった。つまりヒマワリの花は側方に傾(かたむ)いて咲いてはいれど、日に向こうてはいっこうに動かないことは、実地についてヒマワリの花を朝から夕まで見つめていれば、すぐにその真相がわかり、まったくくたびれもうけにおわるほかはない。
 このヒマワリの花が日光を追うて回るということは、もと中国の書物から来たものだ。それは『秘伝花鏡(ひでんかきょう)』という書物に次のとおり書いてある。すなわち、
「向日葵(ひまわり)、毎幹(まいかん)の頂上(ちょうじょう)に只(ただ)一花(いっか)あり、黄弁大心(おうべんたいしん)、其(そ)の形盤(ばん)の如(ごと)く、太陽に随(したが)いて回転す、如(も)し日が東に昇(のぼ)れば則(すなわ)ち花は東に朝(むか)う、日が天に中(なか)すれば則(すなわ)ち花直(ただ)ちに上に朝(むか)う、日が西に沈(しず)めば則(すなわ)ち花は西に朝(むか)う」
 である。これが、ヒマワリの日に向こうて回転する、という中国での説である。
 ヒマワリはキク科に属する一年生草本(そうほん)で、その学名を Helianthus annuus L. と称し、俗に Sunflower といわれている。すなわち太陽花、すなわち日輪花(にちりんか)である。右属名の Helianthus は、これまた同じく Sunflower と同義で日輪花(にちりんか)を意味し、種名の annuus は一年生植物の義である。なぜこの花を日輪(にちりん)、すなわち太陽にたとえたかというと、あの大きな黄色の花盤(かばん)を太陽の面とし、その周辺に射出(しゃしゅつ)している舌状花弁を、その光線に擬(なぞら)えたものだ。
 中央に広く陣取(じんど)って並(なら)んでいる管状(かんじょう)小花は、その平坦(へいたん)な花托面(かたくめん)を覆(おお)い埋(う)め、下に下位子房(かいしぼう)を具(そな)え、花冠(かかん)は管状をなして、その口五裂(れつ)し、そして管状内には集葯(しゅうやく)的に連合した五雄蕊(ゆうずい)があり、中央に一本の花柱(かちゅう)があって右の葯(やく)内を通り、その柱頭(ちゅうとう)は二岐(き)している。花の後(のち)には子房(しぼう)が成熟して果実となり、果中に一種子があり、種皮の中には二子葉(しよう)を有する胚(はい)がある。春にこの種子を播(ま)けば能(よ)く生ずる。はじめ緑色の二枚の子葉(しよう)が開展し、その中央から茎(くき)が出て葉を着(つ)ける。そしてその胚には油を含(ふく)んでいる。
 茎(くき)は巨大で、高さが二メートル以上にも達し、あたかも棒のようである。
 葉は広くて、長葉柄(ちょうようへい)を具(そな)え、茎に互生(ごせい)しており、広卵形(こうらんけい)で三大脈を有して、葉縁(ようえん)に粗鋸歯(そきょし)があり、茎(くき)と共(とも)にざらついている。茎(くき)の頂(いただき)に一花あるものもあれば、また分枝(ぶんし)してその各枝端(したん)に一輪(りん)ずつの花を着(つ)けるものもある。また品種によって花に大小があり、その大なるものは直径およそ二十センチメートルばかりもあろう。
 このヒマワリの花は、他のキク科植物と同じく集合花で、そのおのおのを学問上で小花(フロレット)と称する。すなわち、この小花が集まって一輪の花を形作っている。こんな集合花を、植物学上で頭状花(とうじょうか)と称する。キク科の花はいずれもみな頭状花である。つまり寄(よ)り合い世帯(せたい)、すなわち一の社会を組み立ている花である。そしてこの寄り合い世帯には、分業が行われてたいへんにこの花に利益をもたらし、それがためにたくさんな種子がよく稔(みの)ることになっている。
 ヒマワリの花は虫媒花(ちゅうばいか)である。昆虫が花の蜜(みつ)を吸(す)いに来て、花盤面(かばんめん)にあるたくさんな小花の上を這(は)い回ると、花が一度に受精(じゅせい)する巧妙(こうみょう)な仕組みになっている。これは他のキク科植物も同様である。
 右に分業といったが、すなわち、花盤(かばん)上にある小花はもっぱら生殖を司(つかさど)り、周辺にある舌状(ぜつじょう)小花は、昆虫に対する目印(めじるし)の看板(かんばん)と併(あわ)せて生殖を担当(たんとう)している。こんな分業などが能(よ)く行われ、且(か)つ受精が巧妙(こうみょう)に行(ゆ)きわたり、また種子の分布(ぶんぷ)も巧(たく)みなので、キク科植物は地球上で最も進歩発達した花である、と評価せられている。そしてキク科植物は、他のいずれの科のものよりも勝(まさ)ってたくさんな種類を含み、はなはだ優勢である。
 ヒマワリの姉妹品(しまいひん)にキクイモがあって同属に列する。その学名を Helianthus tuberosus L.(この種名は塊茎(かいけい)を有する意)と称し、俗に Girasole または Jerusalem artichoke と呼び、やはりアメリカ合衆国ならびにカナダがその原産地である。地中にジャガイモ(馬鈴薯(ばれいしょ)というは大間違い)のような塊茎(かいけい)が生じて食用になるのだが、それにまったく澱粉(でんぷん)はなく、ただイヌリン(ゴボウと同様)があるのみである。味は淡白(たんぱく)であって美味(うま)くないから、だれも食料として歓迎(かんげい)しない。しかれども方法をもってすれば、砂糖(さとう)が製せられるから捨てたものではない。
「ヒマワリの図」のキャプション付きの図
ヒマワリの図

 中国に百合という一種のユリがあって、白い花が咲く。これは中国の特産であって、日本には見ることがない。そして百合は、独(ひと)りこの白花ユリ(Lilium sp. 種名未詳)の専有する特名である。
 百合とは、その地下の球根(植物学上でいえば鱗茎(りんけい))に多くの鱗片(りんぺん)があって層々(そうそう)と重なっているから、それでそう百合というとのことである。
 ところが日本の諸学者はだれでも百合はササユリ(学名は Lilium Makinoi Koidz.)であるといっている。しかしササユリは、日本の特産で中国には産しないから、もとよりこのユリに中国名の百合の名があるわけはない。この一点をもってしても、ササユリが百合ではないことが判(わか)る。そして日本ではなお百合をユリの総名のように思っており、ユリといえばよく百合と書いているが、それはまったく間違っている。
 日本産のユリには多くの種類があれども、一つも百合に当たるものはない。ゆえに百合を、日本のいずれのユリにも、それに対して用いてはならない。世間(せけん)の女の子によく百合子があるが、これは正しい書き方ではない。ゆえにユリコといいたければ、仮名(かな)でユリ子と書けば問題はないことになる。
 右のような次第(しだい)だから、実を言えば、百合の字面を日本のユリからは追放(ついほう)すべきもので、ユリの名はその語原がまったく不明である。また昔はユリをサイといったらしいが、これもその語原がわからない。しかしユリの想像語原では、ユリの茎(くき)が高く延(の)びて重たげに花が咲き、それに風が当たるとその花が揺(ゆ)れるから、それでユリというのだ、といっていることがある。
 ユリの諸種はみな宿根草(しゅっこんそう)である。地下に鱗茎(りんけい)(俗にいう球根)があって、これが生命の源(みなもと)となっている。すなわち茎葉(けいよう)は枯(か)れても、この部はいつまでも生きていて死なない。
 右、鱗茎(りんけい)は白色、あるいは黄色の鱗片(りんぺん)が相重(あいかさ)なって成(な)っているが、この鱗片(りんぺん)は実は葉の変形したものである。そして地中で養分を貯(たくわ)えている役目をしているから、それで多肉(たにく)となり、多量の澱粉(でんぷん)を含んでいる御蔵(おくら)をなしているが、それを人が食用とするのである。右の鱗片が相擁(あいよう)して塊(かたま)り、球をなしているその球の下に叢生(そうせい)して鬚状(ひげじょう)をなしているものが、ユリの本当の根である。そしてなお鱗茎(りんけい)から出ている一本の茎(くき)にも、その地中部には真の根が横出(おうしゅつ)して生(は)えている。
 茎(くき)は鱗茎(りんけい)、すなわち球根から一本出(い)でて直立し、狭長(きょうちょう)な葉がたくさんそれに互生(ごせい)している。茎(くき)の梢(こずえ)は多くは分枝(ぶんし)して花を着(つ)けているが、花はみな美しくて香気(こうき)のあるものが少なくない。そして花は上向(うわむ)きに咲くものもあれば、横向きに咲くものもあり、また下向きに咲くものもあって、みな小梗(しょうこう)を有している。
 花は花蓋(かがい)(萼(がく)、花弁同様な姿をしているものを、便宜(べんぎ)のため植物学上では花蓋(かがい)と呼んでいる)が六片(ぺん)あるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が萼片(がくへん)であり、内列の三片が花弁である。そしてそのもとの方の内面には、よく蜜(みつ)が分泌(ぶんぴつ)せられているのが見られる。六本の雄蕊(ゆうずい)があって、おのおのが花蓋片(かがいへん)の前に立っており、長い花糸(かし)の先にはブラブラと動く葯(やく)があって、たくさんな花粉を出している。この花粉には色があって、それが着物に着(つ)くと、なかなかその色が落ちないので困る。ゆえに、人によりユリの花を嫌(きら)うことがある。
 花の底には一つの緑色の子房(しぼう)が立っており、その頂(いただき)に一本の長い花柱(かちゅう)があり、その末端(まったん)はすなわち柱頭(ちゅうとう)で三耳形(さんじけい)を呈(てい)し、粘滑(ねんかつ)で花粉を受けるに都合(つごう)よくできている。右のように花の中にある子房(しぼう)をば、植物学上では上位子房(じょういしぼう)といっている。
 ユリの花は著(いちじる)しい虫媒花(ちゅうばいか)で、主として蝶々(ちょうちょう)が花を目当(めあ)てに頻々(ひんぴん)と訪問する常得意(じょうとくい)である。それで美麗(びれい)な花色(かしょく)が虫を呼ぶ看板(かんばん)となっており、その花香(かこう)もまた虫を誘(さそ)う一つの手引(てび)きを務(つと)めている。訪問客、すなわち蝶々はその長い嘴(くちばし)を花中へ差し込み、花蓋(かがい)のもとの方の内面に分泌(ぶんぴつ)している蜜(みつ)を吸(す)うのである。その時、その虫の体も嘴(くちばし)も葯(やく)に触(ふ)れて、その花粉を体や嘴(くちばし)に着(つ)ける。そして他の花へ飛びあるいた時、その着(つ)けて来た花粉を粘着(ねんちゃく)する雌蕊(しずい)の柱頭(ちゅうとう)へ、知らず知らず着(つ)けるのである。すなわち蝶と花とが、利益の交換(こうかん)をやっているわけだ。こうしてユリは子房(しぼう)の中の卵子(らんし)が孕(はら)み、のち種子となって、子孫を継(つ)ぐ基(もとい)をなすのである。
 たくさんあるユリの種類の中で、最もふつうで人に知られているものが、オニユリである。これは中国にも産し、巻丹(けんたん)の名がある。それは花蓋片(かがいへん)が反巻(はんかん)し、且(か)つ丹(あか)いからである。このオニユリの球根、すなわち鱗茎(りんけい)は白色で食用になるのであるが、少しく苦味(にがみ)がある。このユリの特徴(とくちょう)は葉腋(ようえき)に珠芽(しゅが)が生ずることである。これが地に落ちれば、そこに仔苗(しびょう)が生ずるから繁殖(はんしょく)さすには都合(つごう)がよい。
 またこのオニユリは往々(おうおう)圃(はたけ)に作ってあるが、なお諸処に野生(やせい)もある。おもしろいことには東京地方へ旅行すると、農家の大きな藁葺(わらぶき)屋根の高い棟(むね)にオニユリが幾株(いくかぶ)も生(は)えて花を咲かせている風情(ふぜい)である。オニユリの花は通常一重(ひとえ)であるが、時に八重咲(やえざ)きのものが見られ、これを八重天蓋(やえてんがい)と称するが、テンガイユリはオニユリの一名である。
 ヤマユリはりっぱなユリであって、関東諸国に野生(やせい)し、また人家にも作られている。大きな花が咲き、その満開(まんかい)の時はよく香(にお)う。その花蓋片(かがいへん)は元来(がんらい)は白色だが、片面に褐赤色(かっせきしょく)の斑点(はんてん)がある。花蓋片(かがいへん)の中央紅色(べにいろ)の深いものはベニスジユリと唱(とな)え珍重(ちんちょう)せられるが、これは園芸的の品である。ハクオウというのは、花蓋片(かがいへん)が白くて斑点(はんてん)なく中央に黄筋(きすじ)の通っているもので、これも園芸品である。
 ヤマユリの球根は、食用として上乗(じょうじょう)なものである。ゆえに古(いにしえ)より、料理ユリの名がある。またその産地に基(もと)づいてヨシノユリ、ホウライジユリ、エイザンユリ、ウキシマユリの名がある。元来(がんらい)、ヤマユリの名は、ササユリの一名であるところのヤマユリの名と重複するので、今のヤマユリは、これをヨシノユリか、あるいはリョウリユリと呼んだならきわめてよいと思われる。ヤマユリの名は、なんとなく土臭(つちくさ)い感じがして、いっこうに上品に聞こえない。
 このヤマユリは日本の特産で、中国にはないから、したがって中国名はない。日本の学者は『汝南圃史(じょなんほし)』という中国の書物にある天香百合をヤマユリだとしていれど、それはむろん誤りである。
 ヤマユリは、輸出向きには一等重要なユリである。従来非常にたくさんなこのユリ根が外国に輸出せられたが、これからも漸次(ざんじ)にその盛況(せいきょう)を見るに至るであろう。
 ササユリは、関西諸州の山地には多く野生(やせい)しているが、関東地方には絶(た)えてない。しかし関西の地でも、あまり人家には作っていない。茎(くき)は九〇〜一二〇センチメートルに成長して立ち、なんとなく上品な色を呈(てい)し、花も淡紅色(たんこうしょく)で、すこぶる優雅(ゆうが)である。前記のとおり、このユリにもヤマユリの名があり、またサユリという名もある。サユリはサツキユリの略されたもので、それは早月(さつき)(旧暦の五月、今日(こんにち)では六月に当たる)のころに花が咲くからそういうのである。
 カノコユリは、きわめて華美(かび)な花が咲く。花色紅赤色(こうせきしょく)で、濃紅色(のうこうしょく)の点がある。日本のユリ中、最も優(すぐ)れた花色を呈(てい)している。このユリは四国、九州には野生があって、いつも断崖(だんがい)の所に生じている。ゆえにその茎(くき)は向こうに突き出(い)で、あたかも釣竿(つりざお)を差し出したようになっており、その先に花が下向いて咲いている。ゆえに土佐(とさ)〔高知県〕では、これをタキユリというのだが、同国では断崖(だんがい)をタキと称するからである。変種に白花の品と淡紅色(たんこうしょく)の品とがあって、その淡紅色のものをアケボノユリ(新称)といい、白花のものをシラタマユリと呼んでいる。これは共(とも)に園芸品である。
 テッポウユリは沖繩方面の原産で、筒(つつ)の形をした純白の花が横向きに咲き、香気(こうき)が高い。このユリを筑前(ちくぜん)〔福岡県北東部〕では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。そしてこのテッポウユリは、輸出ユリとして著名(ちょめい)なもので、その球根が大量に外国に出て行く。
 サクユリは、伊豆七島(いずしちとう)における八丈島(はちじょうじま)の南にある小島青ヶ島の原産で、日本のユリ中、最も巨大なものである。花は純白で香気(こうき)強く、実にみごとなユリで、この属中の王様である。球根もきわめて大きく、鱗片(りんぺん)も大形で肉厚く黄色を呈(てい)し、食用ユリとしても上位を占(し)むるものといってよろしい。
 スカシユリは、ふつうに栽培(さいばい)して花を咲かせていて、その花色には赤、黄、樺(かば)〔赤みを帯(お)びた黄色〕などがある。花は上向きに咲き、花蓋片(かがいへん)のもとの方がたがいに透(す)いているので、スカシユリの名がある。諸国の海岸に野生(やせい)しているユリに、ソトガハマユリとも、テンモクユリとも、ハマユリとも、またイワトユリともいう樺色花(かばいろか)のユリがあるが、これは右スカシユリの原種である。東京付近では房州(ぼうしゅう)〔千葉県の南部〕、相州(そうしゅう)〔神奈川県〕、豆州(ずしゅう)〔伊豆半島と伊豆七島〕へ行けば得られる。
 コオニユリは、オニユリに似て小さいというのでこの名があるが、一にスゲユリともいわれる。それは葉が狭長(きょうちょう)だからである。山地向陽(こうよう)の草中に野生し、オニユリのごとき丹赤色(たんせきしょく)の花が咲き、暗褐色(あんかっしょく)の斑点(はんてん)がある。球根は食用によろしい。
 ヒメユリはその名の示すごとく可憐(かれん)なユリである。関西地方から九州にかけて山野に野生があるが、そう多くはない。茎(くき)は六〇〜九〇センチメートルに立ち、狭葉(きょうよう)を互生(ごせい)し、梢(こずえ)に少数の枝を分かちて、きわめて美麗(びれい)な真赤色の花が上向きに咲く。この一変種に、コヒメユリというのがある。茎(くき)は細長く花は茎末(けいまつ)に一、二輪(りん)咲く。この品は野生はなく、まったく園芸品である。
 クルマユリは、その葉が車輪状(しゃりんじょう)をなしているので、この名がある。花は茎梢(けいしょう)に一花ないし数花点頭(てんとう)して咲き、反巻(はんかん)せる花蓋面(かがいめん)に暗点がある。高山(こうざん)植物の一つであるが、羽前(うぜん)〔山形県〕の飛島(とびしま)に生(は)えているのは珍しいことである。
 右のほかヒメサユリ、タケシマユリ、タツタユリ、ハカタユリ、カサユリなどの種類がある。ウバユリというのは異彩(いさい)を放ったユリで、もとはユリ属(Lilium)に入れてあったが、私はこれをユリ属から独立させて、Cardiocrinum なる別属のものとしている。その葉はユリの諸種とは違い、広闊(こうかつ)なる心臓形で網状脈(もうじょうみゃく)を有し、花は一茎に数花横向きに開き、緑白色(りょくはくしょく)で左右相称状になっている。鱗茎(りんけい)の鱗片(りんぺん)もきわめて少なく、花が咲くとその鱗茎(りんけい)は腐死(ふし)し、その側に一、二の仔苗(しびょう)を残すにすぎない特状がある。この属のもの日本に二種、一はウバユリ、二はオオウバユリである。インド・ヒマラヤ山地方に産する偉大なウバユリ、すなわちヒマラヤウバユリもこの属に属する。
 輸出ユリとしては日本が第一で、年々たくさんな球根が海外へ出ていたが、戦争で頓挫(とんざ)していたけれども、これからふたたび、前日のような盛況(せいきょう)を見るであろうことは請(う)け合いで、わが邦(くに)園芸界のために、大いに祝(しゅく)してよろしい。その輸出ユリの第一はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリという順序だろう。これらのユリは、日本でなるべくその球根を大きくなるように培養(ばいよう)して、その球根を輸出する。先方ではそれを一年作って、さらにその大きさを増さしめ、そして次年(じねん)に勢(いきお)いよく花を咲かせてその花を賞翫(しょうがん)する。花が咲いた後、弱った球根は捨てて顧(かえり)みない。
 ゆえに年々歳々(ねんねんさいさい)日本から断(た)えず輸入する必要があるので、この貿易は向こうの人の花の嗜好(しこう)が変わらぬ以上いつまでも続くわけで、日本はまことにまたと得がたい良い得意先を持ったものだ。また、良いユリをも持ったものだ。万歳万歳(ばんざいばんざい)。
「ユリの図」のキャプション付きの図
ユリの図

 ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわが邦(くに)の特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。アメリカでは、花ショウブ会ができているほどなのであるが、その本国のわが邦(くに)では、たいした会もないのはまことに恥(は)ずかしい次第(しだい)であるから、大いに奮起(ふんき)して、世界に負けないようなハナショウブ学会を設立すべきである、と私は提唱(ていしょう)するに躊躇(ちゅうちょ)しない。
 Iris 属中の各種中で、ハナショウブほど一種中(ワンスピーシーズ中)に園芸上の変わり品を有しているものは、世界中に一つもない。これは独(ひと)り日本の持つ特長である。なんとなれば、ハナショウブを原産する国は、日本よりほかにはないからである。実にハナショウブの品種は、何百通りもあるではないか。
 ハナショウブは、まったく世界に誇(ほこ)るべき花であるがゆえに、どこか適当な地を選んで一大花ショウブ園を設計し、少なくも十万平方メートルぐらいある園を設(もう)けて、各種類を網羅(もうら)するハナショウブを栽(う)え、大いに西洋人をもビックリさすべきである。いまや観光団が来るという矢先(やさき)に、こんな大規模のハナショウブ園を新設するのは、このうえもない意義がある。従来、東京付近にある堀切(ほりきり)、四ツ目などのハナショウブ園は、みな構(かま)えが小さくて問題にならぬ。
 花ショウブは、元来(がんらい)、わが邦(くに)の山野に自生している野(の)ハナショウブがもとで、それを栽培に栽培を重ねて生まれしめたものである。ゆえに、このノハナショウブは栽培ハナショウブの親である。昔かの岩代(いわしろ)〔福島県の西部〕の安積(あさか)の沼のハナショウブを採(と)り来って、園芸植物化せしめたといわれるが、それはたぶん本当であろう。
 しかしハナガツミというものがその原種だというのは、妄説(もうせつ)であると私は信ずる。そしてその歌の、「陸奥(みちのく)のあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋やわたらむ」の花ガツミはマコモ、すなわち真菰(まこも)の花を指(さ)したもので、なんらこのハナショウブとは関係はないが、園養のハナショウブを美化(びか)せんがために、強(し)いてこの歌を引用し、付会(ふかい)しているのは笑止(しょうし)の至りである。
 ハナショウブの花は千差万別(せんさばんべつ)、数百品もあるであろう。かつて三好学(みよしまなぶ)博士が大学にいる間に、『花菖蒲図譜(はなしょうぶずふ)』を著(あらわ)して公(おおやけ)にしたが、まことに篤志(とくし)の至りであるといってよい。われらはこの図譜(ずふ)によって、明治末年前後のハナショウブ花品(かひん)を窺(うかが)うことができるわけだ。そしてハナショウブを花菖蒲と書くのは、実は不正な書きかたで、ショウブは菖蒲から書いた名ではあれど、ショウブはけっして菖蒲ではない。
 ハナショウブの花は、その構造はアヤメやカキツバタと少しも変わりはない。ただ花の器官に大小広狭(こうきょう)、ならびに色彩(しきさい)の違いがあるばかりだ。すなわち最外(さいがい)の大きな三片(ぺん)が萼片(がくへん)で、次にある狭(せま)き三片が花弁(かべん)である。三つの雄蕊(ゆうずい)は幅広き花柱枝(かちゅうし)の下に隠れて、その葯(やく)は黄色を呈(てい)しており、中央の一花柱(かちゅう)は大きな三枝(し)に岐(わ)かれて開き、その末端(まったん)に柱頭(ちゅうとう)があり、虫媒花(ちゅうばいか)であるこの花に来る蝶々(ちょうちょう)が、この柱頭へ花粉を着(つ)けてくれる。花下(かか)に緑色の一子房(しぼう)があって、直立し花を戴(いただ)いている。子房には小柄(しょうへい)があり、その下に大きな二枚の鞘苞(しょうほう)があって花を擁(よう)している。
 ハナショウブは、ふつうに水ある泥地(でいち)に作ってあるが、しかし水なき畑に栽(う)えても、能(よ)くできて花が咲く。宿根性草本(しゅっこんせいそうほん)で、地下茎(ちかけい)は横臥(おうが)している。茎(くき)は直立し少数の茎葉(けいよう)を互生(ごせい)し、初夏(しょか)の候(こう)、頂(いただき)に派手(はで)やかな大花(たいか)が咲く。葉は直立せる剣状(けんじょう)で白緑色(はくりょくしょく)を呈(てい)し、基部(きぶ)は葉鞘(ようしょう)をもって左右に相抱(あいいだ)き、葉面(ようめん)の中央には隆起(りゅうき)せる葉脈(ようみゃく)が現(あらわ)れている。花が了(お)わると果実ができ、熟(じゅく)してそれが開裂(かいれつ)すると、中の褐色(かっしょく)種子が出る。
 ハナショウブとは花の咲くショウブの意で、そしてその葉の大きさは、ちょうどショウブと同じくらいである。ところが元来(がんらい)、菖蒲と言う中国名、すなわち漢名(かんめい)は、実はしょせんショウブそのものではなく、ショウブは白菖と書かねば正しくない。そして菖蒲と書けば、本当はセキショウのことになる。このセキショウはショウブ属(Acorus)のものではあれど、ずっと小形な草で溪間(けいかん)に生じている常緑(じょうりょく)の宿根草(しゅっこんそう)であって、冬に葉のないショウブとはだいぶ異なっている。
 この水に生(は)えていて端午(たんご)の節句(せっく)に用うるショウブは、昔はこれをアヤメといった。そして根が長いので、これを採(と)るのを「アヤメ引く」といった。すなわち古歌(こか)にアヤメグサとあるのは、みなこのショウブであって、今日(こんにち)いう Iris のアヤメではない。右ショウブをアヤメといっていた昔の時代には、この Iris のアヤメはハナアヤメであった。右 Acorus 属であるアヤメの名が消えて、今名(こんめい)のショウブとなると同時に、ハナアヤメの名も消えてアヤメとなった。
 ハナショウブの母種(ぼしゅ)、すなわち原種のノハナショウブは、関西地方ではドンドバナと称するらしいが、今その意味が私には判(わか)らない。人によっては、道祖神(どうそじん)の祭りをトンド祭というとのことであるから、あるいはその時分にノハナショウブが咲くからというので、それでノハナショウブをドンドバナというのかもしれない。ドンドとトンドと多少違いはあるから、あるいはドンドバナはトンドバナというのが本当かも知れない。野州(やしゅう)〔栃木県〕日光の赤沼(あかぬま)の原では、そこに多いノハナショウブをアカヌマアヤメといっている。
 このノハナショウブは、どこに咲いていても紅紫色(こうししょく)一色で、私はまだ他の色のものに出逢(であ)ったことがない。そして花はなかなか風情(ふぜい)がある。
「ハナショウブの図」のキャプション付きの図
ハナショウブの図

 秋の彼岸(ひがん)ごろに花咲くゆえヒガンバナと呼ばれるが、一般的にはマンジュシャゲの名で通っている。そしてこの名は梵語(ぼんご)の曼珠沙(まんじゅしゃ)から来たものだといわれる。その訳(わけ)は、曼珠沙(まんじゅしゃ)は朱華(しゅか)の意だとのことである。しかしインドにはこの草は生じていないから、これはその花が赤いから日本の人がこの曼珠沙(まんじゅしゃ)をこの草の名にしたもので、これに華を加えれば曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、すなわちマンジュシャゲとなる。そして中国名は石蒜(せきさん)であって、その葉がニンニクの葉のようであり、同国では石地(せきち)に生じているので、それで右のように石蒜(せきさん)といわれている。
 本種はわが邦(くに)いたるところに群生(ぐんせい)していて、真赤な花がたくさんに咲くのでことのほか著(いちじる)しく、だれでもよく知っている。毒草(どくそう)であるからだれもこれを愛植(あいしょく)している人はなく、いつまでも野の草であるばかりでなく、あのような美花(びか)を開くにもかかわらず、いつも人に忌(い)み嫌(きら)われる傾向を持っている。
 とにかく、眼につく草であるゆえに、諸国で何十もの方言(ほうげん)がある。その中にはシビトバナ、ジゴクバナ、キツネバナ、キツネノタイマツ、キツネノシリヌグイ、ステゴグサ、シタマガリ、シタコジケ、テクサリバナ、ユウレイバナ、ハヌケグサ、ヤクビョウバナなどのいやな名もあるが、またハミズハナミズ、ノダイマツ、カエンソウなどの雅(みや)びな名もある。そしてその学名を Lycoris radiata Herb. といい、ヒガンバナ科に属する。右種名の radiata は放射状(ほうしゃじょう)の意で、それはその花が花茎(かけい)の頂(いただき)に放射状、すなわち車輪状をなして咲いているからである。
 野外で、また山面で、また墓場で、また土堤(どて)などで、花が一時に咲き揃(そろ)い、たくさんに群集して咲いている場合はまるで火事場のようである。そしてその咲く時は葉がなく、ただ花茎(かけい)が高く直立していて、その末端(まったん)に四、五花(か)が車座(くるまざ)のようになって咲き、反巻(はんかん)せる花蓋片(かがいへん)は六数、雄蕊(ゆうずい)も六数、雌蕊(しずい)の花柱(かちゅう)が一本、花下(かか)にある。下位子房(かいしぼう)は緑色で各小梗(しょうこう)を具(そな)えている。
 ここに不思議(ふしぎ)なことには、かくも盛(さか)んに花が咲き誇(ほこ)るにかかわらず、いっこうに実を結ばないことである。何百何千の花の中には、たまに一つくらい結実してもよさそうなものだが、それが絶対にできなく、その花はただ無駄(むだ)に咲いているにすぎない。しかし実ができなくても、その繁殖(はんしょく)にはあえて差しつかえがないのは、しあわせな草である。それは地中にある球根(学術上では鱗茎(りんけい)と呼ばれる)が、漸々(ぜんぜん)に分裂して多くの仔苗(しびょう)を作るからである。ゆえに、この草はいつも群集して生(は)えている。それはもと一球根から二球根、三球根、しだいに多球根と分かれゆきて集っている結果である。
 花が済(す)むとまもなく数条の長い緑葉(りょくよう)が出(い)で、それが冬を越(こ)し翌年の三月ごろに枯死(こし)する。そしてその秋、また地中の鱗茎(りんけい)から花茎(かけい)が出て花が咲き、毎年毎年これを繰り返している。かく花の時は葉がなく、葉の時は花がないので、それでハミズハナミズ(葉見ず花見ず)の名がある。鱗茎(りんけい)は球形(きゅうけい)で黒皮(こくひ)これを包み、中は白色で層々(そうそう)と相重(あいかさ)なっている。そしてこの層をなしている部分は、実に葉のもとが鞘(さや)を作っていて、その部には澱粉(でんぷん)を貯(たくわ)え自体の養分となしていること、ちょうど水仙(すいせん)の球根、ラッキョウの球根などと同様である。そしてそこは広い筒(つつ)をなして、たがいに重なっているのである。
 近来(きんらい)は澱粉(でんぷん)製造の会社が設立せられ、この球根を集め砕(くだ)きそれを製しているが、白色無毒な良好澱粉が製出せられ、食用に供(きょう)せられる。元来(がんらい)、この球根にはリコリンという毒分を含んでいるが、しかしその球根を搗(つ)き砕(くだ)き、水に晒(さら)して毒分を流し去れば、食用にすることができるから、この方面からいえば、有用植物の一に数(かぞ)うることができるわけだ。
 この草の生の花茎(かけい)を口で噛(か)んでみると、実にいやな味のするもので、ただちにそれが毒草(どくそう)であることが知れる。女の子供などは往々(おうおう)その茎(くき)を交互(こうご)に短く折(お)り、皮で連(つら)なったまま珠数(じゅず)のようになし、もてあそんでいることがある。
『万葉集』にイチシという植物がある。私はこれをマンジュシャゲだと確信しているが、これは今までだれも説破(せつは)したことのない私の新説である。そしてその歌というのは、

路(みち)の辺(べ)の壱師(いちし)の花の灼然(いちしろ)く、人皆知りぬ我が恋妻を

 である。右の歌の灼然(いちしろ)の語は、このマンジュシャゲの燃ゆるがごとき赤い花に対し、実によい形容である。しかしこのイチシという方言は、今日(こんにち)あえて見つからぬところから推(お)してみると、これはほんの狭(せま)い一地方に行われた名で、今ははやく廃(すた)れたものであろう。
 このマンジュシャゲ、すなわちヒガンバナ、すなわち石蒜(せきさん)は日本と中国との原産で、その他の国にはない。外国人はたいへんに球根植物を好くので、ずっと以前にこのマンジュシャゲの球根が、多数に海外へ輸出せられたことがあった。
「ヒガンバナの図」のキャプション付きの図
ヒガンバナの図

 春に山地に行くと、往々(おうおう)オキナグサという、ちょっと注意を惹(ひ)く草に出逢(であ)う。全体に白毛(はくもう)を被(かぶ)っていて白く見え、他の草とはその外観が異っているので、おもしろく且(か)つ珍しく感ずる。葉は分裂(ぶんれつ)しており、株(かぶ)から花茎(かけい)が立ち十数センチメートルの高さで花を着(つ)けている。花は点頭(てんとう)して横向きになっており、日光が当たると能(よ)く開く。花の外面に多くの白毛が生じており、六片(ぺん)の花片(かへん)(実は萼片(がくへん)であって花弁はなく、萼片が花弁状をなしている)の内面は色が暗紫赤色(あんしせきしょく)を呈(てい)している。花内(かない)に多雄蕊(たゆうずい)と多雌蕊(たしずい)とがある。わが邦(くに)の学者はこの草を漢名の白頭翁(はくとうおう)だとしていたが、それはもとより誤りであった。この白頭翁(はくとうおう)はオキナグサに酷似(こくじ)した別の草で、それは中国、朝鮮に産し、まったくわが日本には見ない。ゆえに右日本のオキナグサを白頭翁(はくとうおう)に充(あ)てるのは悪い。
 さてこの草をなぜオキナグサ、すなわち翁草というかというと、それはその花が済(す)んで実になると、それが茎頂(けいちょう)に集合し白く蓬々(ほうほう)としていて、あたかも翁(おきな)の白頭(はくとう)に似ているから、それでオキナグサとそう呼ぶのである。この蓬々(ほうほう)となっているのは、その実の頂(いただき)にある長い花柱(かちゅう)に白毛(はくもう)が生じているからである。
 この草には右のオキナグサのほかになおたくさんな各地の方言があって、シャグマグサ、オチゴバナ、ネコグサ、ダンジョウドノ、ハグマ、キツネコンコン、ジイガヒゲ、ゼガイソウもその内の名である。右のゼガイソウは、すなわち善界草(ぜんがいそう)で、これは謡曲(ようきょく)にある赤態(しゃぐま)を着(つ)けた善界坊(ぜんがいぼう)から来た名である。
『万葉集』にこの草を詠(よ)み込んである歌が一つある。すなわちそれは、

芝付(しばつき)の美宇良崎(みうらざき)なるねつこぐさ、相見ずあらば我(あれ)恋(こ)ひめやも

 である。そしてこのネツコグサは、ネコグサの意で、オキナグサを指(さ)している。花に白毛が多いので、それで猫草といったものだ。
 このオキナグサは山野(さんや)の向陽地(こうようち)に生じ、春早く開花するので、子女(しじょ)などに親しまれ、その花を採(と)って遊ぶのである。葉は花後(かご)に大きくなる。根は多年生で肥厚(ひこう)しており、毎年その株の頭部から花、葉が萌出(ほうしゅつ)するのである。
 この草はキツネノボタン科に属し、その学名を Anemone cernua Thunb. とも、また Pulsatilla cernua Spreng. ともいわれる。そしてその種名の cernua は点頭(てんとう)、すなわち傾垂(けいすい)の意で、それはその花の姿勢(しせい)に基(もと)づいて名づけたものだ。
「オキナグサの図」のキャプション付きの図
オキナグサの図

 シュウカイドウ、すなわち秋海棠はもと中国原産の植物である。昔寛永年間(かんえいねんかん)に日本へ渡り来って、いまは各地に繁殖(はんしょく)しているが、しかし多くは栽(う)えられてある。たまに寺の後庭などに野生(やせい)の姿となっている所があれど、これは元(もと)からの野生ではないけれど、人によってはそこに野生があると疑っていることがある。けれどもそれは、まったく思い違いである。
 日本では、この中国名の秋海棠を音読(おんどく)したシュウカイドウを、そのまま和名(わめい)にしているが、さらにヨウラクソウ(瓔珞草(ようらくそう)の意)、ナガサキソウ(長崎草の意)の別名があれど、一般にはいわない。
 そしてこのヨウラクソウは、花の見立てから来た名、ナガサキソウは、その渡来(とらい)した地に基(もと)づき名づけたものである。本品はシュウカイドウ科に属し、Begonia Evansiana Andr. の学名を有しているが、この Begonia 属のものは温室植物として多くの種類がある。みなその茎葉(けいよう)に酸味(さんみ)を含んでいるが、それは蓚酸(しゅうさん)である。
 秋海棠(しゅうかいどう)は宿根草本(しゅっこんそうほん)であるが、冬は茎(くき)も葉もなく、春に黒ずんだ地中のタマネ、すなわち球茎(きゅうけい)から芽が出て来る。ゆえに一度栽(う)えておくと、年々生じて開花する。茎(くき)は立って六〇〜九〇センチメートルの高さとなり枝(えだ)を分(わ)かっている。葉は大形で葉柄(ようへい)を具(そな)え、茎(くき)に互生(ごせい)している。その葉面(ようめん)は心臓形で左右不同の歪形(わいけい)を呈(てい)し、他の植物の葉とはだいぶ葉形が異なっている。茎と共(とも)に質が柔(やわ)らかく、元来(がんらい)は緑色なれども、赤味を帯(お)びているから美しい。
 茎(くき)の上部に分枝(ぶんし)し、さらに小梗(しょうこう)に分かれて紅色(こうしょく)の美花(びか)を着(つ)け垂(た)れているが、その花には雄花(ゆうか)と雌花(しか)とが雑居(ざっきょ)して咲いており、雄花(ゆうか)は花中(かちゅう)に黄色の葯(やく)を球形に集めた雄蕊(ゆうずい)があり、雌花(しか)は花下(かか)に三つの翼(よく)ある子房(しぼう)がある。このように、一株(かぶ)上に雄花(ゆうか)と雌花(しか)とを持っている植物を、植物学上では一家花(かか)植物と呼んでいる。すなわち雌雄同株(しゆうどうしゅ)植物である。
 中国の書物には、秋海棠(しゅうかいどう)を一に八月春と名づけ、秋色中(しゅうしょくちゅう)の第一であるといい、花は嬌冶柔媚(きょうやじゅうび)で真に美人が粧(よそお)いに倦(う)むに同じと讃美(さんび)している。また俗間(ぞくかん)の伝説では、昔一女子があって人を懐(おも)うてその人至らず涕涙(ているい)下って地に洒(そそ)ぎ、ついにこの花を生じた。それゆえ、この花は色が嬌(あで)やかで女のごとく、よって断腸花(だんちょうか)と名づけたとある。実際にその咲いている花に対せば淡粧(たんしょう)美人のごとく、実にその艶美(えんび)を感得(かんとく)せねば措(お)かない的のものである。
 栽培はきわめて容易で、家の後(うし)ろなどに栽(う)えておくと年々能(よ)く繁茂(はんも)して開花する。その茎上(けいじょう)に小珠芽(しょうしゅが)ができて地に落ちるから、それから芽が出て新株(しんしゅ)が殖(ふ)える特性を有している。
 日本にはこのシュウカイドウ科の土産(どさん)植物は一つもなく、ただあるものは外国渡来(とらい)の種類のみである。温室内にあるタイヨウベゴニア(大葉ベゴニア)は、大なる深緑色葉面(しんりょくしょくようめん)に白斑(はくてん)があって、名高い粧飾(しょうしょく)用の一種である。
「シュウカイドウの図」のキャプション付きの図
シュウカイドウの図

 ドクダミと呼ぶ宿根草(しゅっこんそう)があって、たいていどこでも見られる。人家(じんか)のまわりの地にも多く生じており、摘(つ)むといやな一種の臭気(しゅうき)を感ずるので、よく人が知っている。また民間ではこれを薬用に用いるので有名でもある。ドクダミとは毒痛(どくいた)みの意だともいわれ、またあるいは毒を矯(た)め除(のぞ)くの意だともいわれ、身体の毒を追い出すに使われている。また頭髪(とうはつ)を洗うにも使われ、またあるいは風呂(ふろ)に入れて入浴する人もある。すなわち毒を除くというのが主である。佐渡(さど)ではドクマクリというそうだが、これは毒を追い出す意味であろう。
 この草の中国名は※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)(しゅう)であるが、ドクダミは今日(こんにち)日本での通名である。これをジュウヤクというのは※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)薬(じゅうやく)の意、またシュウサイというのは※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)菜(しゅうさい)の意である。草の臭気(しゅうき)に基(もと)づきイヌノヘドクサといい、その地下茎(ちかけい)は白く細長いからジゴクソバの名がある。またボウズグサ、ホトケグサ、ヘビクサ、ドクグサ、シビトバナなどの各地方言があるが、みなこの草を唾棄(だき)したような称で、畢竟(ひっきょう)不快なこの草の臭気(しゅうき)を衆人(しゅうじん)が嫌(きら)うから、このように呼ぶのである。馬を飼(か)うに十種の薬の効能(こうのう)があるから、それで十薬という、といわれているのはよい加減(かげん)にこしらえた名で、ジュウヤクとは実は※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)薬(じゅうやく)から来た名である。
 この草は春に苗(なえ)を生ずるが、それは地中に蔓延(まんえん)せる細長い地下茎(ちかけい)から出て来る。茎(くき)は直立して三〇センチメートル内外となり、心臓状円形で葉裏帯紫色の厚い柔(やわ)らかな全辺葉(ぜんぺんよう)を互生(ごせい)し、葉柄本(ようへいほん)に托葉(たくよう)を具(そな)えている。茎(くき)の梢(こずえ)に直径一〜二センチメートルの白花を開くが、その花は四花弁(かべん)があるように見えるけれど、これは花弁を粧(よそお)うている葉の変形物なる苞(ほう)である。そしてその花の中央から一本の花軸(かじく)が立って、それに多数の花を着(つ)けているが、しかしその花はみな裸で萼(がく)もなければ花弁もなく、ただ黄色葯(おうしょくやく)ある三雄蕊(ゆうずい)と一雌蕊(しずい)とのみを持っているにすぎなく、まことに簡単至極(かんたんしごく)な花ではあるが、これに引き換(か)えその白色四片(へん)の苞(ほう)はたいせつな役目を勤(つと)めている。
 すなわち目に着(つ)くその白い色を看板(かんばん)にして、昆虫を招いているのである。昆虫はこの白看板(しろかんばん)に誘(さそ)われて遠近から花に来(きた)り、花中(かちゅう)に立っている花軸(かじく)の花を媒助(ばいじょ)してくれるのである。けれども昆虫はただでは来(こ)なく、利益交換(りえきこうかん)の蜜(みつ)が花中にあるので、それでやって来(く)るのである。この草が群をなして密生(みっせい)している所では、草の表面にその白花が緑色の葉を背景に点々とたくさんに咲いていて、すこぶる趣(おもむき)がある。
 このドクダミははなはだ抜き去り難(がた)く、したがって根絶(こんぜつ)せしめることはなかなか容易でなく、抜いても抜いても後(あと)から生(は)え出るのである。それもそのはず、地中に細長い白色地下茎(はくしょくちかけい)が縦横(じゅうおう)に通っていて、苗(なえ)を抜く時にそれが切れ、依然(いぜん)として地中に残り、その残りからまた苗(なえ)が生(は)えるからである。この地下茎(ちかけい)を蒸(む)せば食用にするに足(た)るとのこと、また地方によりこれから澱粉(でんぷん)を採(と)って食(しょく)しているところがある。
 この草は日本と中国との原産で、もとより欧米(おうべい)にはない。欧州のある植物園では非常に珍しがって、たいせつに栽培してあるとのことだ。
 このドクダミはハンゲショウ科に属し、Houttuynia cordata Thunb. の学名で世界に通っている。この属名はオランダの学者で日本の植物をも書いたホッタインの姓(せい)を取ったものだ。種名のコルダタは心臓形の意で、その葉形(ようけい)に基(もと)づいて名づけたわけだ。
「ドクダミの図」のキャプション付きの図
ドクダミの図

 イカリソウは錨草の意で、その花形(かけい)に基(もと)づいて名づけたものである。実際その花はちょうど錨(いかり)を下(さ)げたようなおもしろい姿を呈(てい)しているので、この草を庭に栽(う)えるか、あるいは盆栽(ぼんさい)にしておき、花を咲かすと、すこぶる趣(おもむき)がある。栽培はいたって簡易(かんい)で且(か)つその草もじょうぶであるから、一度栽(う)えておくと毎年その時季(じき)には花が眺(なが)められる。
 春に新葉(しんよう)と共(とも)に茎上(けいじょう)に短い花穂(かすい)をなし、数花が咲くのだが、ちょっと他に類のない珍(めずら)しい花形(かけい)である。これを地に栽(う)えるとよく育ち、毎年花が着(つ)く。東京付近のクヌギ林の下などには、諸処に野生しているから、これを採集して来(き)て栽(う)えるとよろしい。種類によっては白花のものもあるが、東京近辺のものはみな淡紫花(たんしか)の品ばかりである。
 花には萼(がく)、花弁、雄蕊(ゆうずい)、雌蕊(しずい)が備(そな)わっていて、植物学上でいう完備花(かんびか)をなしている。萼(がく)は元来(がんらい)、八片(へん)よりなっているが、しかしその外側の小さき四片は早く散落(さんらく)し、内側の四片が残って花弁状を呈(てい)し、卵状披針形(らんじょうひしんけい)をなして尖(とが)り平開(へいかい)している。花弁が四個あって、前記残留(ざんりゅう)の四萼片(がくへん)と共(とも)に花の主部をなしており、著(いちじる)しい長距(ちょうきょ)があって四方に突(つ)き出(い)で、下に向かって少しく弯曲(わんきょく)している。すなわちこれが錨(いかり)の手に当たる部である。
 この長い距(きょ)の底には、蜜液(みつえき)が分泌(ぶんぴつ)せられていて、花は昆虫の来るのを待っている。この虫媒花(ちゅうばいか)であるイカリソウの花へは長い嘴(くちばし)を出す蝶(ちょう)が訪れ、蜜を吸いに来て頭を花中(かちゅう)へ差し込むときその頭へ花粉を着(つ)けて、これを他の花の花柱(かちゅう)の柱頭(ちゅうとう)へ伝えるのである。そして花柱のもとにある子房(しぼう)が、ついに果実となるのである。
 花中(かちゅう)には四雄蕊(ゆうずい)がある。その長い葯(やく)は、葯胞(やくほう)の片(へん)がもとから上の方に巻(ま)き上がって、黄色の花粉を出している特状がある。このような葯(やく)を、植物学上では片裂葯(へんれつやく)と称している。雌蕊(しずい)は一本で、緑色の子房(しぼう)とほとんど同長な花柱(かちゅう)が上に立っており、その頂(いただき)に花頭(かとう)があって花粉を受けている。
 葉は、地下茎(ちかけい)から出(い)で立つ一本の長い茎(くき)の頂(いただき)から一方は花穂(かすい)となり、一方はこの葉となって出ていて長柄(ちょうへい)があり、それが三柄(へい)に分かれ、さらにそれが三小柄(しょうへい)に分かれて各小柄(しょうへい)ごとに緑色の一小葉片(しょうようへん)が着(つ)いている。葉片(ようへん)は心臓状卵形で尖(とが)り、葉縁(ようえん)に針状歯(しんじょうし)があり、花後(かご)にはその葉質(ようしつ)が剛(かた)くなる。かく小葉(しょうよう)が一葉(よう)に九片(へん)あるので、それで中国でこの草を三枝(し)九葉草(ようそう)というのだが、淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)(いんようかく)というのがその本名である。しかしこの淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)(いんようかく)の名は、この類の総称のようである。
 右漢名(かんめい)(中国名のこと)の淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)(いんようかく)に就(つ)き、中国の説では、羊がこの葉(※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)(かく))を食えば、一日の間に百遍(ぺん)も雌雄(しゆう)相通(あいつう)ずることができる効力を持っていると信ぜられている。昔からこんな伝説が右のとおり中国にあるので、日本でもこれが成分を研究してみた人があったが、なにもそんな不思議(ふしぎ)な効力はないとの結論で、たちまちその研究熱が覚(さ)めてしまって、今日(こんにち)ではだれもその淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)説(いんようかくせつ)を信ずる馬鹿者(ばかもの)はなくなった。
 かのタデ科に属し、地下茎(ちかけい)に塊根(かいこん)のできる何首烏(かしゅう)すなわちツルドクダミも、一時はそれが性欲に利(き)くとて、やはり中国の説がもとで大騒ぎをしてみたが、結局はなんの効(こう)も見つからず、阿呆(あほ)らしいですんでしまった。
 イカリソウはヘビノボラズ科に属し、右の名のほかになおクモキリソウ、カリガネソウ、カナビキソウなどの別名がある。
「イカリソウの図」のキャプション付きの図
イカリソウの図
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 世間(せけん)ふつうには果実というといわゆるクダモノであって、リンゴ、カキ、ミカンなどの食用になる実を呼んでいるのであるが、しかし植物学上で果実と称するものは、花の後にできる実をすべて果実といい、通俗とは大いにその呼び方が異なっている。そしてそれはあえて食用になると、ならないとにかかわらず、すべてをそういっている。ゆえにシソ、エゴマの実のようなものでも果実であり、また右のリンゴ、カキなどのようなものでもむろん果実である。
 花の中の子房(しぼう)が花後(かご)に成熟して実になったものは、果実そのものの本体で、すなわち正果実である。
 ウメ、モモ、ケシ、ダイコン、エンドウ、ソラマメ、トウモロコシ、イネ、ムギ、ソバ、クリ、クヌギ、ならびにチャの実などがそれである。
 また、果実には他の器官が子房(しぼう)と合体し、共同で一の果実をなしているものもある。すなわちリンゴ、ナシ、キュウリ、カボチャ、メロンなどがそれである。
 また、他の器官が主部となって果実をなしているものもあって、そんな場合は、これを擬果(ぎか)とも偽果(ぎか)とも称(とな)える。すなわちオランダイチゴ、ヘビイチゴ、イチジク、ノイバラの実などがそれである。
 果実の食用となる部分は、果実の種類によってかならずしも一様(いちよう)ではない。モモ、アンズなどは植物学上でいうところの中果皮(ちゅうかひ)の部を食用とし、リンゴ、ナシなどは実を合成せる花托部(かたくぶ)を食(しょく)しており、ミカンは果内(かない)の毛を食し、バナナは果皮(かひ)を食し、イチジクは変形せる花軸部(かじくぶ)を食用に供(きょう)している。
 いろいろの果実、すなわち実を研究してみるとなかなかおもしろいもので、ふつう世人(せじん)が思っているよりほか、意外な事実を発見するものである。次に四つの果実について、おのおのその趣味ある特状を述べてみましょう。

 リンゴの果実は、これを縦(たて)に割ったり横に切ったりして見れば、よくその内部の様子がわかるから、そうして検(けん)して見るがよい。
 その中央部に五室に分かれた部分があって、その各室内には二個ずつの褐色(かっしょく)な種子(たね)が並(なら)んでいる。そしてその外側に区切りがあって、それが見られる。すなわちこの区切りを界(さかい)としてその内部が真の果実であって、この果実部はあえてだれも食わなく捨てるところである。そしてこの区切りと最外(さいがい)の外皮(がいひ)のところまでの間が人の食(しょく)する部分であるが、この部分は実は本当の果実(中心部をなせる)へ癒合(ゆごう)した付属物で、これは杯状(はいじょう)をなした花托(かたく)(すなわち花の梗(くき)の頂部(ちょうぶ))であって、それが厚い肉部となっているのである。
 これで見ると、このリンゴの実は本当の果実は食われなく、そしてただそのつきものの変形せる花托(かたく)、すなわち花梗(かこう)の末端(まったん)を食っていることになるが、しかしリンゴを食う人々は、植物学者かあるいは学校で教えられた学生かを除くのほかは、だれもその真相を知っているものはほとんどないであろう。
 このリンゴは英語でいえばアップルである。今日(こんにち)の日本人はだれでもこれをリンゴといってすましているが、実をいうとこれはリンゴではなくて、すべからくそれをトウリンゴまたはオオリンゴ、あるいはセイヨウリンゴといわねばならぬものである。そして漢字で書けば苹果でありまた※(「木/示」、第4水準2-14-51)である。
 元来(がんらい)、本当のリンゴは林檎であって、これはその実の直径およそ三センチメートル余りもない小さいもので、あえて市場へは出てこなく、日本では昔その苗木(なえぎ)がわが邦(くに)へ渡って今日信州(しんしゅう)〔長野県〕あるいは東北地方にわずかに見るばかりである。元来(がんらい)日本の原産ではなけれども、これを西洋リンゴのアップルと区別せんがために和(わ)リンゴといわれている。すなわち日本リンゴの意である。
 アップルすなわち西洋リンゴは、明治の初年にはじめて西洋から伝わりて爾後(じご)しだいに日本に拡(ひろ)まり、今日(こんにち)では東北諸州ならびに信州からそれの良果が盛(さか)んに市場に出回(でまわ)り、果実店頭を飾(かざ)るようにまでなったのである。
 アップルを学名でいえば Malus pumila var. domestica であって、前の和(わ)リンゴは Malus asiatica である。元来(がんらい)リンゴは林檎(和リンゴ)の音であるから本当のリンゴをいう場合は何もいうことはないが、今日(こんにち)のように西洋リンゴ(トウリンゴ)を単にリンゴと呼ぶのは、実は当(とう)を得たものではないことを知っていなければならない。
「リンゴの図」のキャプション付きの図
リンゴの図

 ミカンすなわち蜜柑は、食用果実として名高く且(か)つ最もふつうのものであるが、世人(せじん)はそのミカンの実のいずれの部分を味わっているのか知らぬ人が多いのであろう。そしてそのミカンは、その毛の中の汁(しる)を味わっている、と聞かされるとみな驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい。もし万一ミカンの実の中に毛が生(は)えなかったならば、ミカンは食(く)えぬ果実としてだれもそれを一顧(いっこ)もしなかったであろうが、幸(さいわ)いにも果中(かちゅう)に毛が生(は)えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨(くんりん)しているのである。こうなってみると毛の価(あたい)もなかなか馬鹿(ばか)にできぬもので、毛頭(もうとう)その事実に偽(いつわ)りはない。
 ミカンの属は学問上ではシトルス(Citrus)と称し、属中には多数の種類を含んでいる。日本にあるダイダイ、クネンボ、ウンシュウミカン、ナツミカン、コウジ、ユズ、ベニミカン、ヤツシロミカン、レモン、マルブシュカン、トウミカン、コナツミカン、オレンジ、サンボウカン、ザボン、キシュウミカン(コミカン)、ポンカン(元来(がんらい)台湾産、九州に作っている所がある)などみなその果実の構造は同一で、いずれも甘汁(かんじゅう)もしくは酸汁(さんじゅう)を含んでいる毛がその食用源をなしているのである。これらミカン類の貴(とうと)さも、つまるところは前述のとおりその果内(かない)の毛に帰(き)するわけだ。
 ミカン類の果実は、植物学上果実の分類からいえば漿果(しょうか)と称すべきであるが、なお精密にいえば漿果中(しょうかちゅう)の柑橘果(かんきつか)と呼ぶべきものである。
 ミカン類の果実を剥(む)いて見ると、表面の皮がまず容易にとれる。その中には俗にいうミカンの嚢(ふくろ)が輪列(りんれつ)していて、これを離(はな)せば個々に分かれる。そしてその嚢(ふくろ)の中に汁(しる)を含んだ膨大(ぼうだい)せる毛と種子とがあって、その毛はその嚢(ふくろ)の外方の壁面(へきめん)から生じており、その種子は内方の底から生じている。つまり右の毛と種子とは反対側から出て、たがいに向き合っているのである。すなわち図上左隅(ひだりすみ)にその毛の生じ具合(ぐあい)が示され、またそれとならんでその右隅には、成熟した毛が描かれている。子房(しぼう)がまだ若いときは(左側中央の図)、その各室内にまだ毛は生じていないが、花が終わって後子房(しぼう)が日増しに大きくなるにつれ、漸次(ざんじ)にその外方の内壁(ないへき)から毛が生じ始める。そして後には図の下方にあるミカン半切(はんき)れ図が示すように、右の毛は嚢(ふくろ)の中いっぱいに充満(じゅうまん)する。
 右のとおり、その半切れ図で表(あらわ)してあるように、果実の中は幾室(いくしつ)にも分かれていて、この果実は実(じつ)は数個の一室果実から合成せられていることを示している。すなわち一花中に数子房があって、それがたがいに分立(ぶんりつ)せずして癒着(ゆちゃく)し、ここに複成子房をなしているのである。ゆえにその嚢(ふくろ)は数個連合してはいるが、これを離せば容易に離れて個々の嚢(ふくろ)となるのである。ただその外側に当たる外皮(がいひ)が割れ目なしに密に連合しているので、それがミカンの皮をなしている。そして果実全体からいえば、その部が外果皮(がいかひ)と中果皮(ちゅうかひ)とに当たり、嚢(ふくろ)の部分が内果皮(ないかひ)と果実の本部とに当たるのである。
 なお図に種子が描いてあるが、この種子はなんら食用とはならず捨て去られるものである。しかしおもしろいことには、一つの種皮の中に子葉(しよう)(貝割葉(かいわれば))、幼芽(ようが)、幼根(ようこん)から成(な)る胚(はい)が二個もしくは数個あることで、そこでこれを地に播(ま)いておくと一つの種子から二本あるいは数本の仔苗(しびょう)が生(は)え出てくることで、これはあまり他に類のないことである。
 ミカン類の葉はみな一片ずつになっていて、それが枝(えだ)に互生(ごせい)しているが、しかしミカン類の葉は祖先は三出葉とて三枚の小葉(しょうよう)から成(な)り、ちょうどカラタチ(キコク)の葉を見るようであったことが推想(すいそう)せられる。つまり前世界時代のミカン類の葉は、みな三出葉であったのである。その証拠(しょうこ)として今日(こんにち)あるミカンの苗(なえ)にははじめ三出葉が出(い)で、次(つ)いで一枚の常葉(じょうよう)(単葉)が出ていることがたまに見られ、またザボンの苗(なえ)の葉柄(ようへい)に幹(みき)から芽出(めだ)つ葉にもまた三出葉が見られることがあって、つまり遠い遠い前世界の時の葉を出しているのであることは、すこぶる興味ある事実を自然が提供しているのである。
 それからいま一つミカン類にとっておもしろいことは、その枝上(しじょう)にある刺針(ししん)、すなわちトゲの件である。そしてこのトゲは、元来(がんらい)はこの樹(き)を食害する獣類(それは遠い昔の)などを防禦(ぼうぎょ)するために生じたものであろうが、こんな開けた世にはそんな害獣(がいじゅう)もいないので、したがってそのトゲもまったく無用の長物(ちょうぶつ)となっている。
 しかし学問上からそのトゲは何であるのかを究明(きゅうめい)するのは、すこぶる興味ある問題の一つである。従来日本のある学者は、それは葉の変形したものだと言った。またある学者は、それは枝の変形したものにほかならないと唱(とな)えた。これらの学者のいう説にはなんら確(かく)たる根拠(こんきょ)はなく、ただ外から観(み)た想像説でしかない。そこで私の実検上からの観察では、これは葉腋(ようえき)にある芽を擁(よう)しているその鱗片(りんぺん)の最外(さいがい)のものが大いに増大し、大いに強力となってついにトゲにまで進展発育したものにほかならなく、それはそのトゲの位置がそれをよく暗示しているので、これは動かし難(がた)いものである、と私は自分で発見したこの自説を固守(こしゅ)している次第(しだい)だ。
 よく世人(せじん)はタチバナ(橘の字を当てているが、実は橘はクネンボの漢名であってタチバナではない)ということをいうが、それはタチバナとはどのミカンを指(さ)したものかというと、いま確説をもっていうことはできぬが、たぶん今日(こんにち)いうキシュウミカン、一名コミカンのようなミカンをいったものではなかろうかと思われる。
 かの昔、田道間守(たじまもり)が常世(とこよ)の国(今どこの国かわからぬが、多分中国の東南方面のいずれかの地であったことが想像せられる)から持って帰って来たというもので、それはむろん食用に供すべきミカンの一種であったわけだ。その当時はむろん日本ではまことに珍しいものであったに相違(そうい)ない。そしてそのタチバナの名は、その常世(とこよ)の国からはるばると携(たずさ)え帰朝(きちょう)した前記の田道間守(たじまもり)の名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。
 珍しくも日本の九州、四国、ならびに本州の山地に野生(やせい)しているミカン類の一種に、通常タチバナといっているものがある。黄色の小さい実がなるのだが、果実が小さい上に汁(しる)が少なく種子が大きく、とても食用の果実にはならぬ劣等至極(れっとうしごく)なミカンである。これを栽植(さいしょく)したものが時折(ときおり)神社の庭などにあるのだが、そんな場合、多少実が大きく、小さいコウジの実ぐらいになっているものもあれど、食用果実としてはなんら一顧(いっこ)の価値だもないものである。
 世人(せじん)はタチバナの名に憧(あこが)れて勝手にこれを歴史上のタチバナと結びつけ、貴(とうと)んでいることがあれど、これはまことに笑止千万(しょうしせんばん)な僻事(ひがごと)である。かの京都の紫宸殿(ししんでん)前の右近(うこん)の橘(たちばな)が畢竟(ひっきょう)この類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナと同じものであるとする所説は、まったく噴飯(ふんぱん)ものである。要するに、歴史上のタチバナと日本野生品のタチバナとは、全然関係のないミカンであることを私は断言(だんげん)する。
 前記(ぜんき)のとおりわが邦(くに)野生のいわゆるタチバナに、かくタチバナの名を保(も)たしておくのは元来(がんらい)間違いであるのみならず、前からすでにある歴史上のタチバナの本物と重複するから、これをヤマトタチバナと改称すると提議したのは、土佐(とさ)〔高知県〕出身で当時柑橘界(かんきつかい)の第一人者であった田村利親(としちか)氏であったが、その後、私はさらにそれを日本(にっぽん)タチバナの名に改訂(かいてい)した。
 なぜそうしたかというと、ザボンの一品に疾(と)くヤマトタチバナの名称があったからであった。ちなみに右田村氏は、かつて日向(ひゅうが)の国〔宮崎県〕において一の新蜜柑(しんみかん)を発見し、これを小夏蜜柑(こなつみかん)と名づけて世に出した。すなわち小形の夏蜜柑(なつみかん)の意で、そのとおり夏蜜柑(なつみかん)よりは小形である。そしてその味は夏蜜柑ほど酸(す)っぱくなくて甘味(あまみ)を有している。これは四、五月ごろに市場に現(あらわ)れ、サマー・オレンジと称している。この品は田村氏がはじめて見いだしたので、一に田村蜜柑(みかん)とも呼んでいる。
「ミカンの図」のキャプション付きの図
ミカンの図

 元来(がんらい)バナナ(Banana)はその実のできるミバショウ(学名は Musa paradisiaca L. subsp. sapientum O. Kuntze)の名であるが、日本民間でふつうにバナナというと、その実(果実)を指(さ)して呼んでいる。しかし西洋でも同様にその実をバナナといっていることもないではないが、これを正しくいうならバナナの実と呼ぶべきである。
 さて、果実としてのバナナは元来(がんらい)そのいずれの部分を食(しょく)しているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっして嘘(うそ)の皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多肉質(たにくしつ)をなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。幸(さいわ)いにも多肉質の皮が存しているために、これが賞味(しょうみ)すべき好果実として登場しているのであるが、しかしこの委曲(いきょく)を知悉(ちしつ)していた人は世間(せけん)に少ないと思う。ゆえにバナナは皮を食うといったら、みな怪訝(けげん)な顔をするのであろう。
 バナナのミバショウ植物は、見たところ内地にあるバショウそっくりの形状をしている。それもそのはず、その両方が同属(Musa すなわちバショウ属)であるからだ。葉を検(けん)して見ると、バナナの方が葉質(ようしつ)がじょうぶで葉裏が白粉(はくふん)を帯(お)びたように白色(はくしょく)を呈(てい)しており、そして花穂(かすい)の苞(ほう)が暗赤色(あんせきしょく)であるから、わがバショウの葉の裏面(りめん)が緑色で、花穂(かすい)の苞(ほう)が多少褐色(かっしょく)を帯(お)びる黄色なのとすぐ区別がつく。
 バナナを食うときはだれでもまずその外皮(がいひ)を剥(は)ぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をした香(にお)いのよい肉、を食(しょく)する。そしてこの皮と肉とは、これは共(とも)にバナナの皮であるが、皮のように剥(は)げる皮は実はその外果皮(がいかひ)で、これは繊維質(せんいしつ)であるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮(ちゅうかひ)内果皮(ないかひ)から容易に剥(は)ぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮(ちゅうかひ)と内果皮(ないかひ)とである。
 元来(がんらい)このバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食(く)える肉はできずに繊維質の硬(かた)い果皮(かひ)のみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟(ふじゅく)に帰(き)して、ただ果実の中央に軟(やわ)らかい黒ずんだ痕跡(こんせき)を存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態(じょうたい)ではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人(ごじん)はこの珍果(ちんか)を口にする幸運に遭(あ)っているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食(く)って喜んでいるわけだ。
 わが邦(くに)にあるバショウにも花が咲いて果実を結ぶけれど、食うようなものはけっしてできない。このバショウの名は芭蕉(ばしょう)から来たものだけれど、元来(がんらい)芭蕉はバナナ類の名だから、右のように日本のバショウの名として用いることは反則である。昔の日本の学者は芭蕉(ばしょう)の本物を知らなかったので、そこでこの芭蕉(ばしょう)の字を濫用(らんよう)し、それが元(もと)でバショウの名がつけられ今日(こんにち)に及(およ)んでいるのである。いまさら改(あらた)めようもないから、まずそのままにしておくよりほか仕方(しかた)がない。そしてこのバショウは、元来(がんらい)日本のものではなく昔中国から渡って来た外来(がいらい)植物なのである。
 中国名の芭蕉(ばしょう)は一に甘蕉(かんしょう)ともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘(あま)いバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉(ばしょう)といい、甘蕉(かんしょう)といってもよいわけだ。
 数年前には台湾(たいわん)より多量のバナナが日本の内地に輸入せられ、大きな籠(かご)に入れたまま、それが神戸港(こうべこう)などに陸上(りくあ)げせられた時はまだ緑色であった。それを仲買人(なかがいにん)が買って地下室に入れ、数日も置くとはじめて黄色に熟(じゅく)するので、それからそれが市場の売店へ氾濫(はんらん)し一般の人々を喜ばせたものだったが、一朝(いっちょう)バナナの宝庫の台湾が失われた後は、前日のバナナ盛況(せいきょう)を見ることはできなくなってしまった。
「バナナの図」のキャプション付きの図
バナナの図

 オランダイチゴは今日(こんにち)市場では、単にイチゴと呼んで通じている。けれども単にイチゴでは物足(ものた)りなく、且(か)つ他のイチゴ(市場には出ぬけれど)とその名が混雑する。人によっては草苺(くさいちご)と呼んでいれど、これも別にクサイチゴがあるから名が重複して困る。オランダイチゴの名は回(まわ)りくどくて言いにくいし、他の名は混雑、重複するし困ったものだ。あるいは西洋イチゴといってもよかろうが、いっそ英語のストローベリ(Strawberry)で呼ぶかな、それがご時勢(じせい)向きかもしれない。
 このオランダイチゴをむずかしく学名で呼ぶとすれば、それは Fragaria chiloensis Duch. var. ananassa Bailey である。日本産のモリイチゴ(シロバナヘビイチゴ)もその姉妹品(しまいひん)で、これは Fragaria nipponica Makino であり、いま一つ同属の日本産は、ノウゴイチゴで、それは Fragaria Iinumae Makino である。このモリイチゴもノウゴイチゴも共(とも)にその実はオランダイチゴそっくりで、ただ小形であるばかりである。その形、その味、その香(にお)い、なんらオランダイチゴと変わりはない。わが邦(くに)の園芸家がこれに着目(ちゃくもく)し、大いにその品種の改良を企(くわだ)てなかったのは、大(だい)なる落度(おちど)である。
 このオランダイチゴ、すなわちストローベリの実の食(く)うところは、その花托(かたく)が放大して赤色(せきしょく)を呈(てい)し味が甘く、香(にお)いがあって軟(やわ)らかい肉質をなしている部分である。人々はその花托(かたく)すなわち茎(くき)の頂部(ちょうぶ)、換言(かんげん)すればその茎(くき)を食(しょく)しているのであって、本当の果実を食(く)っているのではない(いっしょに口には入って行けども)。されば本当の果実とはどこをいっているかというと、それはその放大せる花托面(かたくめん)に散布(さんぷ)して付着(ふちゃく)している細小な粒状(つぶじょう)そのもの(図の右の方に描いてあるもの)である。
 ゆえにオランダイチゴは食用部と果実とはまったく別で、ただその果実は花托面(かたくめん)に載(の)っているにすぎない。そして畢竟(ひっきょう)このオランダイチゴの実も一つの擬果(ぎか)に属するのだが、それは野外に多きヘビイチゴの実も同じことだ。このヘビイチゴの実には甘味(あまみ)がないからだれも食(く)わない。いやな名がついていれど、もとよりなんら毒はない。ヘビイチゴとは野原で蛇(へび)の食(く)う苺(いちご)の意だ。
「オランダイチゴの図」のキャプション付きの図
オランダイチゴの図
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 まず以上で花と実との概説(がいせつ)を了(お)えた。これは一気呵成(いっきかせい)に筆(ふで)にまかせて書いたものであるから、まずい点もそこここにあるであろうことを恐縮している。要するに失礼な申し分ではあれど、読者諸君を草木(くさき)に対しては素人(しろうと)であると仮定し、そんな御方(おかた)になるべく植物趣味を感じてもらいたさに、わざとこんな文章、それは口でお話するようなしごく通俗な文章を書いてみたのである。もし諸君がこの文章を読んでいささかでも植物趣味を感ぜられ、且(か)つあわせて多少でも植物知識を得られたならば、筆者の私は大いに満足するところである。
 われらを取り巻いている物の中で、植物ほど人生と深い関係を持っているものは少ない。まず世界に植物すなわち草木がなかったなら、われらはけっして生きてはいけないことで、その重要さが判(わか)るではないか。われらの衣食住はその資源を植物に仰(あお)いでいるものが多いことを見ても、その訳(わけ)がうなずかれる。
 植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且(か)つ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天然(てんねん)の賜(たまもの)である。実にこれは人生の至宝(しほう)であると言っても、けっして溢言(いつげん)ではないのであろう。
 翠色(すいしょく)滴(した)たる草木の葉のみを望んでも、だれもその美と爽快(そうかい)とに打たれないものはあるまい。これが一年中われらの周囲の景致(けいち)である。またその上に植物には紅白紫黄(こうはくしおう)、色とりどりの花が咲き、吾人(ごじん)の眼を楽しませることひととおりではない。だれもこの天から授(さず)かった花を愛せぬものはあるまい。そしてそれが人間の心境(しんきょう)に影響すれば、悪人(あくにん)も善人(ぜんにん)になるであろう。荒(すさ)んだ人も雅(みや)びな人となるであろう。罪人(ざいにん)もその過去を悔悟(かいご)するであろう。そんなことなど思いめぐらしてみると、この微妙な植物は一の宗教である、と言えないことはあるまい。
 自然の宗教! その本尊(ほんぞん)は植物。なんら儒教(じゅきょう)、仏教と異なるところはない。今日(こんにち)私は飽(あ)くまでもこの自然宗教にひたりながら日々を愉快(ゆかい)に過(す)ごしていて、なんら不平の気持はなく、心はいつも平々坦々(へいへいたんたん)である。そしてそれがわが健康にも響(ひび)いて、今年八十八歳のこの白髪(はくはつ)のオヤジすこぶる元気で、夜も二時ごろまで勉強を続けて飽(あ)くことを知らない。時には夜明けまで仕事をしている。畢竟(ひっきょう)これは平素(へいそ)天然を楽しんでいるおかげであろう。実に天然こそ神である。天然が人生に及ぼす影響は、まことに至大至重(しだいしちょう)であると言うべきだ。
 植物の研究が進むと、ために人間社会を幸福に導(みちび)き人生を厚くする。植物を資源とする工業の勃興(ぼっこう)は国の富(とみ)を殖(ふ)やし、したがって国民の生活を裕(ゆた)かにする。ゆえに国民が植物に関心を持つと持たぬとによって、国の貧富(ひんぷ)、したがって人間の貧富が分かれるわけだ。貧(ひん)すれば、その間に罪悪(ざいあく)が生じて世が乱れるが、富(と)めば、余裕(よゆう)を生じて人間同士の礼節(れいせつ)も敦(あつ)くなり、風俗も良くなり、国民の幸福を招致(しょうち)することになる。想(おも)えば植物の徳大なるかなであると言うべきである。
 人間は生きている間が花である。わずかな短かい浮世(うきよ)である。その間に大いに勉強して身を修め、徳を積み、智(ち)を磨(みが)き、人のために尽(つ)くし、国のために務(つと)め、ないしはまた自分のために楽しみ、善人として一生を幸福に送ることは人間として大いに意義がある。酔生夢死(すいせいむし)するほど馬鹿(ばか)なものはない。この世に生まれ来るのはただ一度きりであることを思えば、この生きている間をうかうかと無為(むい)に過(す)ごしてはもったいなく、実に神に対しても申し訳(わけ)がないではないか。
 私はかつて左のとおり書いたことがあった。
「私は草木(くさき)に愛を持つことによって人間愛を養(やしな)うことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮(にちれん)ほどの偉物(えらぶつ)であったなら、きっと私は、草木を本尊(ほんぞん)とする宗教を樹立(じゅりつ)してみせることができると思っている。私は今草木(くさき)を無駄(むだ)に枯(か)らすことをようしなくなった。また私は蟻(あり)一ぴきでも虫などでも、それを無残(むざん)に殺すことをようしなくなった。この慈悲的(じひてき)の心、すなわちその思いやりの心を私はなんで養(やしな)い得たか、私はわが愛する草木でこれを培(つちこ)うた。また私は草木の栄枯盛衰(えいこせいすい)を観(み)て、人生なるものを解(かい)し得たと自信している。
 これほどまでも草木(くさき)は人間の心事(しんじ)に役立つものであるのに、なぜ世人(せじん)はこの至宝(しほう)にあまり関心を払(はら)わないであろうか。私はこれを俗に言う『食わず嫌(ぎら)い』に帰(き)したい。私は広く四方八方の世人(せじん)に向こうて、まあ嘘(うそ)と思って一度味わってみてください、と絶叫(ぜっきょう)したい。私はけっして嘘言(きょげん)は吐(は)かない。どうかまずその肉の一臠(いちれん)を嘗(な)めてみてください。
 みなの人に思いやりの心があれば、世の中は実に美しいことであろう。相互(そうご)に喧嘩(けんか)も起こらねば、国と国との戦争も起こるまい。この思いやりの心、むずかしく言えば博愛心、慈悲心、相愛心があれば世の中は必ず静謐(せいひつ)で、その人々は確(たし)かに無上の幸福に浴(よく)せんこと、ゆめゆめ疑いあるべからずだ。
 世のいろいろの宗教はいろいろの道をたどりてこれを世人(せじん)に説(と)いているが、それを私はあえて理窟(りくつ)を言わずにただ感情に訴(うった)えて、これを草木で養(やしな)いたい、というのが私の宗教心でありまた私の理想である。私は諸処の講演に臨(のぞ)む時は機会あるごとに、いつもこの主意で学生等に訓話(くんわ)している」
 また私は世人が植物に趣味を持てば次の三徳(とく)があることを主張する。すなわち、
 第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲き誇(ほこ)る草花(くさばな)を見れば、何人(なんびと)もあの優(やさ)しい自然の美に打たれて、和(なご)やかな心にならぬものはあるまい。氷が春風に融(と)けるごとくに、怒(いか)りもさっそくに解(と)けるであろう。またあわせて心が詩的にもなり美的にもなる。
 第二に、健康(けんこう)になる。植物に趣味を持って山野(さんや)に草や木をさがし求むれば、自然に戸外(こがい)の運動が足(た)るようになる。あわせて日光浴(にっこうよく)ができ、紫外線(しがいせん)に触(ふ)れ、したがって知(し)らず識(し)らずの間に健康が増進せられる。
 第三に、人生に寂寞(じゃくまく)を感じない。もしも世界中の人間がわれに背(そむ)くとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木(くさき)は永遠の恋人としてわれに優(やさ)しく笑(え)みかけるのであろう。
 惟(おも)うに、私はようこそ生まれつき植物に愛を持って来たものだと、またと得がたいその幸福を天に感謝している次第(しだい)である。
了

底本:「植物知識」講談社
   1981(昭和56)年2月10日第1刷発行
   1993(平成5)年10月20日第22刷発行
底本の親本:「四季の花と果実」教養の書シリーズ、逓信省
   1949(昭和24)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本には、復刻するに当って「寸尺などをメートル法に換算された」と記載されています。
※図版は、各項目の末尾に置きました。
入力:川山隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月17日作成
2012年5月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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