あらすじ
冬の日の午後、微酔した男は、相坂の團子屋へ立ち寄ります。昔、叔父と訪れた懐かしい店ですが、年月が流れ、叔父も亡くなり、かつての面影は薄れていました。男は、親類への土産に、名物の團子を買おうと決心します。
「團子(だんご)が貰(もら)ひたいね、」
 と根岸(ねぎし)の相坂(あひざか)の團子屋(だんごや)の屋臺(やたい)へ立(た)つた。……其(そ)の近所(きんじよ)に用達(ようたし)があつた歸(かへ)りがけ、時分時(じぶんどき)だつたから、笹(さゝ)の雪(ゆき)へ入(はひ)つて、午飯(ひる)を濟(す)ますと、腹(はら)は出來(でき)たし、一合(いちがふ)の酒(さけ)が好(よ)く利(き)いて、ふら/\する。……今日(けふ)は歸(かへ)りがけに西片町(にしかたまち)の親類(しんるゐ)へ一寸(ちよつと)寄(よ)らう。坂本(さかもと)から電車(でんしや)にしようと、一度(いちど)、お行(ぎやう)の松(まつ)の方(はう)へ歩行(ある)きかけたが。――一度(いちど)蕉園(せうゑん)さんが住(す)んで居(ゐ)た、おまじなひ横町(よこちやう)へ入(はひ)らうとする、小(ちひ)さな道具屋(だうぐや)の店(みせ)に、火鉢(ひばち)、塗箱(ぬりばこ)、茶碗(ちやわん)、花活(はないけ)、盆(ぼん)、鬱金(うこん)の切(きれ)の上(うへ)に古(ふる)い茶碗(ちやわん)、柱(はしら)にふツさりと白(しろ)い拂子(ほつす)などの掛(かゝ)つた中(なか)に、掛字(かけじ)が四五幅(しごふく)。大分(だいぶ)古(ふる)いのがあるのを視(み)た、――こゝ等(ら)には一組(ひとくみ)ぐらゐありさうな――草雙紙(くさざうし)でない、と思(おも)ひながら、フト考(かんが)へたのは此(こ)の相坂(あひざか)の團子(だんご)である。――これから出掛(でか)ける西片町(にしかたまち)には、友染(いうぜん)のふつくりした、人形(にんぎやう)のやうな女(をんな)の兒(こ)が二人(ふたり)ある、それへ土産(みやげ)にと思(おも)つた。
 名物(めいぶつ)と豫(かね)て聞(き)く、――前(まへ)にも一度(いちど)、神田(かんだ)の叔父(をぢ)と、天王寺(てんわうじ)を、其(そ)の時(とき)は相坂(あひざか)の方(はう)から來(き)て、今戸(いまど)邊(あたり)へ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)る途中(とちう)を、こゝで憩(やす)んだ事(こと)がある。が、最(も)う七八年(ねん)にもなつた。――親(おや)と親(おや)との許嫁(いひなづけ)でも、十年(じふねん)近(ちか)く雙方(さうはう)不沙汰(ぶさた)と成(な)ると、一寸(ちよつと)樣子(やうす)が分(わか)り兼(かね)る。況(いはん)や叔父(をぢ)と甥(をひ)とで腰掛(こしか)けた團子屋(だんごや)であるから、本郷(ほんがう)に住(す)んで藤村(ふぢむら)の買物(かひもの)をするやうな譯(わけ)にはゆかぬ。
 第一(だいいち)相坂(あひざか)が確(たしか)でない。何處(どこ)を何(ど)う行(ゆ)くのだつけ、あやふやなものだけれど、日和(ひより)は可(よ)し、風(かぜ)も凪(な)ぎ、小川(をがは)の水(みづ)ものんどりとして、小橋際(こばしぎは)に散(ちら)ばつた大根(だいこん)の葉(は)にも、ほか/\と日(ひ)が當(あた)る。足(あし)にまかせて行(ゆ)け、團子(だんご)を買(か)ふに、天下(てんか)何(なん)の恐(おそ)るゝ處(ところ)かこれあらん。
 で、人通(ひとどほ)りは少(すくな)し、日向(ひなた)の眞中(まんなか)を憚(はゞか)る處(ところ)もなく、何(なに)しろ、御院殿(ごゐんでん)の方(はう)へ眞直(まつすぐ)だ、とのん氣(き)に歩行(ある)き出(だ)す。
 笹(さゝ)の雪(ゆき)の前(まへ)を通返(とほりかへ)して、此(こ)の微醉(ほろゑひ)の心持(こゝろもち)。八杯(はちはい)と腹(はら)に積(つも)つた其(そ)の笹(さゝ)の雪(ゆき)も、颯(さつ)と溶(と)けて、胸(むね)に聊(いさゝ)かの滯(とゞこほり)もない。
 やがて、とろ/\の目許(めもと)を、横合(よこあひ)から萌黄(もえぎ)の色(いろ)が、蒼空(あをぞら)の其(それ)より濃(こ)く、ちらりと遮(さへぎ)つたのがある。蓋(けだ)し古樹(ふるき)の額形(がくがた)の看板(かんばん)に刻(きざ)んだ文字(もじ)の色(いろ)で、店(みせ)を覗(のぞ)くと煮山椒(にざんせう)を賣(う)る、これも土地(とち)の名物(めいぶつ)である。
 通(とほり)がかりに見(み)た。此(こ)の山椒(さんせう)を、近頃(ちかごろ)、同(おな)じ此(こ)の邊(あたり)に住(すま)はるゝ、上野(うへの)の美術學校出(びじゆつがくかうで)の少(わか)い人(ひと)から手土産(てみやげ)に貰(もら)つた。尚(な)ほ其(そ)の人(ひと)が、嘗(かつ)て修學旅行(しうがくりよかう)をした時(とき)、奈良(なら)の然(さ)る尼寺(あまでら)の尼(あま)さんに三體(さんたい)授(さづ)けられたと云(い)ふ。其(そ)の中(なか)から一體(いつたい)私(わたし)に分(わ)けられた阿羅漢(あらかん)の像(ざう)がある。般若湯(はんにやたう)を少(すこ)しばかり、幸(さいは)ひ腥(なまぐさ)を口(くち)にせぬ場合(ばあひ)で、思出(おもひだ)すに丁(ちやう)ど可(い)い。容姿端麗(ようしたんれい)、遠(とほ)く藤原氏時代(ふぢはらしじだい)の木彫(きぼり)だと聞(き)くが、細(ほそ)い指(ゆび)の尖(さき)まで聊(いさゝか)も缺(か)け損(そん)じた處(ところ)がない、すらりとした立像(りつざう)の、其(そ)の法衣(ほふえ)の色(いろ)が、乃(いま)し瞳(ひとみ)に映(うつ)つた其(そ)の萌黄(もえぎ)なのである。ほんのりとして、床(ゆか)しく薄(うす)いが、夜(よる)などは灯(ともしび)に御目(おんまな)ざしも黒(くろ)く清(すゞ)しく、法衣(ほふえ)の色(いろ)がさま/″\と在(いま)すが如(ごと)く幽(かすか)に濃(こ)い。立袈裟(たてげさ)は黒(くろ)の地(ぢ)に、毛(け)よりも細(ほそ)く斜(なゝめ)に置(お)いた、切込(きりこ)みの黄金(きん)が晃々(きら/\)と輝(かゞや)く。
 其(そ)の姿(すがた)を思(おも)つた。
 燒芋屋(やきいもや)の前(まへ)に床几(しやうぎ)を出(だ)して、日向(ひなた)ぼつこをして居(ゐ)る婆(ばあ)さんがあつた。
 店(みせ)の竈(かまど)の上(うへ)で、笊(ざる)の目(め)を透(すか)すまで、あか/\と日(ひ)のさした處(ところ)は、燒芋屋(やきいもや)としては威嚴(ゐげん)に乏(とぼ)しい。あれは破(わ)れるほどな寒(さむ)い晩(ばん)に、ぱつといきれが立(た)つに限(かぎ)る。で、白晝(はくちう)の燒芋屋(やきいもや)は、呉竹(くれたけ)の里(さと)に物寂(ものさび)しい。が、としよりの爲(ため)には此(こ)の暖(あたゝか)な日和(ひより)を祝(しゆく)する。
「お婆(ばあ)さん、相坂(あひざか)へ行(ゆ)くのは、」
「直(ぢ)き其(そ)の突當(つきあた)りを曲(まが)つた處(ところ)でございますよ。」
 と布子(ぬのこ)の半纏(はんてん)の皺(しわ)を伸(のば)して、長閑(のどか)さうに教(をし)へてくれた。

 其(それ)を、四五軒(しごけん)行(い)つた向(むか)う側(がは)に、幅(はゞ)の廣(ひろ)い橋(はし)を前(まへ)にして、木戸(きど)に貸屋札(かしやふだ)として二階家(にかいや)があつた。四五本(しごほん)曲(まが)つたり倒(たふ)れたりだが、竹垣(たけがき)を根岸流(ねぎしりう)に取(とり)まはした、木戸(きど)の内(うち)には、梅(うめ)の樹(き)の枝振(えだぶ)りの佳(い)いのもあるし、何處(どこ)から散(ち)つたか、橋(はし)の上(うへ)に柳(やなぎ)の枯葉(かれは)も風情(ふぜい)がある。……川(かは)も此(こ)の邊(あたり)は最(も)う大溝(おほどぶ)で、泥(どろ)が高(たか)く、水(みづ)が細(ほそ)い。剩(あまつさ)へ、棒切(ぼうぎれ)、竹(たけ)の皮(かは)などが、ぐしや/\と支(つか)へて、空屋(あきや)の前(まへ)は殊更(ことさら)に其(そ)の流(ながれ)も淀(よど)む。實(まこと)や、人(ひと)住(す)んで煙(けむり)壁(かべ)を洩(も)るで、……誰(たれ)も居(ゐ)ないと成(な)ると、南向(みなみむ)きながら、日(ひ)ざしも淡(うす)い。が、引越(ひきこ)すとすれば難(なん)には成(な)らぬ。……折(をり)から家(いへ)も探(さが)して居(ゐ)た。
 入(はひ)つて見(み)よう……今(いま)前途(ゆきさき)を聞(き)いたのに、道草(みちぐさ)をするは、と氣(き)がさして、燒芋屋(やきいもや)の前(まへ)を振返(ふりかへ)ると、私(わたし)に教(をし)へた時(とき)、見返(みかへ)つた、其(そ)のまゝに、外(そと)を向(む)いて、こくり/\と然(さ)も暖(ぬく)とさうな懷手(ふところで)の居睡(ゐねむ)りする。後生樂(ごしやうらく)な。嫁御(よめご)もあらば喜(よろこ)ばう……近所(きんじよ)も可(よ)し、と雪(ゆき)にも月(つき)にも姿(すがた)らしい其(そ)の門(かど)の橋(はし)を渡懸(わたりか)けたが、忽(たちま)ち猛然(まうぜん)として思(おも)へらく、敷金(しききん)の用意(ようい)もなく、大晦日近(おほみそかぢか)くだし、がつたり三兩(さんりやう)と、乃(すなは)ち去(さ)る。
 婆(ばあ)さんに聞(き)いた突當(つきあた)りは、練塀(ねりべい)か、高(たか)い石(いし)の塀腰(へいごし)らしかつたが、其(それ)はよく見(み)なかつた。ついて曲(まが)ると、眞晝間(まつぴるま)の幕(まく)を衝(つ)と落(おと)した、舞臺(ぶたい)横手(よこて)のやうな、ずらりと店(みせ)つきの長(なが)い、廣(ひろ)い平屋(ひらや)が、名代(なだい)の團子屋(だんごや)。但(たゞ)し御酒肴(おんさけさかな)とも油障子(あぶらしやうじ)に記(しる)してある。
 案(あん)ずるに、團子(だんご)は附燒(つけやき)を以(もつ)て美味(うま)いとしてある。鹽煎餅(しほせんべい)以來(このかた)、江戸兒(えどつこ)は餘(あま)り甘(あま)いのを好(す)かぬ。が、何(なに)を祕(かく)さう、私(わたし)は團子(だんご)は※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)の方(はう)を得意(とくい)とする。これから土産(みやげ)に持(も)つて行(い)く、西片町(にしかたまち)の友染(いうぜん)たちには、どちらが可(い)いか分(わか)らぬが、しかず、己(おの)が好(この)む處(ところ)を以(も)つてせんには、と其處(そこ)で※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)のを誂(あつら)へた。
 障子(しやうじ)を透(す)かして、疊(たゝみ)凡(およ)そ半疊(はんでふ)ばかりの細長(ほそなが)い七輪(しちりん)に、五(いつ)つづゝ刺(さ)した眞白(まつしろ)な串團子(くしだんご)を、大福帳(だいふくちやう)が權化(ごんげ)した算盤(そろばん)の如(ごと)くずらりと並(なら)べて、眞赤(まつか)な火(ひ)を、四角(しかく)な團扇(うちは)で、ばた/\ばた、手拍子(てびやうし)を拍(う)つて煽(あふ)ぐ十五六の奴(やつこ)が、イヤ其(そ)の嬉(うれ)しいほど、いけずな體(てい)は。
 襟(えり)からの前垂(まへだれ)幅廣(はゞびろ)な奴(やつ)を、遣放(やりぱな)しに尻下(しりさが)りに緊(し)めた、あとのめりに日和下駄(ひよりげた)で土間(どま)に突立(つツた)ち、新(あたら)しいのを當(あて)がつても半日(はんにち)で駈破(かけやぶ)る、繼(つぎ)だらけの紺足袋(こんたび)、膝(ひざ)ツきり草色(くさいろ)よれ/\の股引(もゝひき)で、手織木綿(ておりもめん)の尻端折(しりはしより)。……石頭(いしあたま)に角(かど)のある、大出額(おほおでこ)で、口(くち)を逆(さかさ)のへの字(じ)に、饒舌(おしやべり)をムツと揉堪(もみこた)へ、横撫(よこな)でが癖(くせ)の鼻頭(はなさき)をひこつかせて、こいつ、日暮里(につぽり)の煙(けむり)より、何處(どこ)かの鰻(うなぎ)を嗅(か)ぎさうな、團栗眼(どんぐりまなこ)がキヨロリと光(ひか)つて、近所(きんじよ)の犬(いぬ)は遠(とほ)くから遁(に)げさうな、が、掻垂眉(かいだれまゆ)のちよんぼりと、出張(でば)つた額(ひたひ)にぶら下(さが)つた愛嬌造(あいけうづく)り、と見(み)ると、なき一葉(いちえふ)がたけくらべの中(なか)の、横町(よこちやう)の三五郎(さんごらう)に似(に)て居(ゐ)る。
 人(ひと)を見(み)ると、顏(かほ)を曲(ま)げて、肩(かた)を斜(はすつ)かひにしながら、一息(ひといき)、ばた/\、ばツと團扇(うちは)を拍(たゝ)く。
「※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)子(あんこ)のは――お手間(てま)が取(と)れますツ。」
「ぢや、待(ま)たうよ。」
 と障子(しやうじ)を入(はひ)つて、奴(やつこ)が背(せ)に近(ちか)い土間(どま)の床几(しやうぎ)にかけて、……二包(ふたつゝみ)誂(あつら)へた。
 處(ところ)へ入違(いれちが)ひに一人(ひとり)屋臺(やたい)へ來(き)た。
「七錢(なゝせん)だけ下(くだ)さいな。」
 奴(やつこ)、顏(かほ)を曲(ま)げ、肩(かた)を斜(なゝ)めにしながら、一息(ひといき)ばた/\團扇(うちは)をばツばツと煽(あふ)いで、
「餌子(あんこ)のはお手間(てま)が取(と)れますツ。」
「然(さ)う、」
 と云(い)つて其處(そこ)に立(た)つて考(かんが)へたのは、身綺麗(みぎれい)らしい女中(ぢよちう)であつたが、私(わたし)はよくも見(み)なかつた。で、左(ひだり)の隅(すみ)、屋臺(やたい)を横(よこ)にした處(ところ)で、年配(ねんぱい)の老爺(おとつさん)と、お婆(ばあ)さん。女(をんな)が一人(ひとり)、これは背向(うしろむ)きで、三人(さんにん)がかり、一(ひと)ツ掬(すく)つて、ぐい、と寄(よ)せて、くる/\と※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)をつけて、一寸(ちよいと)指(ゆび)で撓(た)めて、一(ひと)つ宛(づゝ)すつと串(くし)へさすのを、煙草(たばこ)を飮(の)みながら熟(じつ)と見(み)て居(ゐ)た。
 時(とき)に、今(いま)來(き)た女中(ぢよちう)の註文(ちうもん)が、何(ど)うやら※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)子(あんこ)ばかりらしいので、大(おほい)に意(い)を強(つよ)うして然(しか)るべしと思(おも)つて居(ゐ)ると、
「では、最(も)う些(ちつ)と經(た)つて來(き)ませうね。」
 と一度(いちど)、ぶらりと出(だ)した風呂敷(ふろしき)を、袖(そで)の下(した)へ引込(ひつこ)めて、胸(むね)を抱(だ)いて、むかうを向(む)く。
「へーい、」
 と甲走(かんばし)つた聲(こゑ)を浴(あ)びせて、奴(やつこ)また團扇(うちは)を、ばた/\、ばツと煽(あふ)ぐ。

 手際(てぎは)なもので、煽(あふ)ぐ内(うち)に、じり/\と團子(だんご)の色(いろ)づくのを、十四五本(じふしごほん)掬(すく)ひ取(ど)りに、一掴(ひとつか)み、小口(こぐち)から串(くし)を取(と)つて、傍(かたはら)に醤油(したぢ)の丼(どんぶり)へ、どぶりと浸(つ)けて、颯(さつ)と捌(さば)いて、すらりと七輪(しちりん)へ又(また)投(な)げる。直(す)ぐに殘(のこ)つたのに醤油(したぢ)をつける。殆(ほとん)ど空(くう)で、奴(やつこ)は、此(こ)の間(あひだ)に例(れい)の、目(め)をきよろつかせる、鼻(はな)をひこつかせる、唇(くちびる)をへし曲(ま)げる。石頭(いしあたま)を掉(ふ)る、背(せ)ごすりをする、傍見(わきみ)をする。……幾干(いくら)か小遣(こづかひ)があると見(み)えて、時々(とき/″\)前垂(まへだれ)の隙間(すきま)から、懷中(くわいちう)を覗込(のぞきこ)んで、ニヤリと遣(や)る。
 いけずがキビ/\した事(こと)は!……私(わたし)は何故(なぜ)か嬉(うれ)しかつた。
 客(きやく)は私(わたし)のほかに三人(さんにん)あつた。其(そ)の三人(さんにん)は、親子(おやこ)づれで、九(こゝの)ツばかりの、絣(かすり)の羽織(はおり)に同(おな)じ衣服(きもの)を着(き)た優(おとな)しらしい男(をとこ)の兒(こ)。――見習(みなら)へ、奴(やつこ)、と背中(せなか)を突(つゝ)いて遣(や)りたいほどな、人柄(ひとがら)なもので。
 母親(はゝおや)は五十ばかり、黒地(くろぢ)のコートに目立(めだ)たない襟卷(えりまき)して、質素(じみ)な服姿(みなり)だけれど、ゆつたりとして然(しか)も氣輕(きがる)さうな風采(とりなり)。古風(こふう)な、薄(うす)い、小(ちひ)さな髷(まげ)に結(ゆ)つたのが、唐銅(からかね)の大(おほき)な青光(あをびか)りのする轆轤(ろくろ)に井戸繩(ゐどなは)が、づつしり……石築(いしづき)の掘井戸(ほりゐど)。それが、廂(ひさし)の下(した)にあの傍(かたはら)の床几(しやうぎ)に、飛石(とびいし)、石燈籠(いしどうろう)のすつきりした、綺麗(きれい)に掃(は)いて塵(ちり)も留(と)めず廣々(ひろ/″\)した、此(こ)の團子屋(だんごや)の奧庭(おくには)を背後(うしろ)にして、膝(ひざ)をふつくりと、きちんと坐(すわ)つて、頭(つむり)に置手拭(おきてぬぐひ)をしながら、女持(をんなもち)の銀煙管(ぎんぎせる)で、時々(とき/″\)、庭(には)を指(さ)し、空(そら)の雲(くも)をさしなどして、何(なに)か話(はな)しながら、靜(しづか)に煙草(たばこ)を燻(くゆ)らす。
 對向(さしむか)ひに、一寸(ちよいと)背(せな)を捻(ひね)つた、片手(かたて)を敷辷(しきすべ)らした座蒲團(ざぶとん)の端(はし)に支(つ)いて、すらりと半身(はんしん)、褄(つま)を内掻(うちがい)に土間(どま)に揃(そろ)へた、九(く)か二十(はたち)と見(み)えた、白足袋(しろたび)で、これも勝色(かついろ)の濃(こ)いコートを姿(すがた)よく着(き)たが、弟(おとうと)を横(よこ)にして、母樣(おつかさん)の前(まへ)であるから、何(なん)の見得(みえ)も、色氣(いろけ)もなう、鼻筋(はなすぢ)の通(とほ)つた、生際(はえぎは)のすつきりした、目(め)の屹(きつ)として、眉(まゆ)の柔(やさ)しい、お小姓(こしやう)だちの色(いろ)の白(しろ)い、面長(おもなが)なのを横顏(よこがほ)で、――團子(だんご)を一串(ひとくし)小指(こゆび)を撥(は)ねて、唇(くちびる)に當(あ)てたのが、錦繪(にしきゑ)に描(か)いた野(の)がけの美人(びじん)にそつくりで、微醉(ほろゑひ)のそれ者(しや)が、くろもじを噛(か)んだより婀娜(あだ)ツぽい。髮(かみ)は束髮(そくはつ)に、白(しろ)いリボンを大(おほ)きく掛(か)けたが、美子(みいこ)も喜(き)いちやんも爲(す)なる折(をり)から、當人(たうにん)何(なに)の氣(き)もなしに世(よ)とゝもに押移(おしうつ)つたものらしい。が、天(てん)の爲(な)せる下町(したまち)の娘風(むすめふう)は、件(くだん)の髮(かみ)が廂(ひさし)に見(み)えぬ。……何處(どこ)ともなしに見(み)る内(うち)に、潰(つぶ)しの島田(しまだ)に下村(しもむら)の丈長(たけなが)で、白(しろ)のリボンが何(なん)となく、鼈甲(べつかふ)の突通(つきとほ)しを、しのぎで卷(ま)いたと偲(しの)ばれる。
 此(こ)の娘(むすめ)も、白地(しろぢ)の手拭(てぬぐひ)を、一寸(ちよいと)疊(たゝ)んで、髮(かみ)の上(うへ)に載(の)せて居(ゐ)る、鬢(びん)の色(いろ)は尚(な)ほ勝(まさ)つて、ために一入(ひとしほ)床(ゆか)しかつた。
 が、其(そ)の筈(はず)で、いけずな奴(やつ)が、燒團子(やきだんご)のばた/\で、七輪(しちりん)の尉(じよう)を飛(と)ばすこと、名所(めいしよ)とはいひがたく雪(ゆき)の如(ごと)しであつたから。
 母樣(おつかさん)が、膝(ひざ)を彈(はじ)いて、ずらりと、ずらすやうに跨(また)いで下(お)りると、氣輕(きがる)にてく/\と土間(どま)を來(き)た。
「其(それ)では、土産(みやげ)の包(つゝみ)を何(ど)うぞ。」と奴(やつこ)に言(い)ふ。
「へーい。」
 すとんきような聲(こゑ)を出(だ)し、※(「虫+奚」、第3水準1-91-59)※(「虫+斥」、第3水準1-91-53)(ばつた)壓(おさ)へたり、と云(い)ふ手(て)つきで、團扇(うちは)を挾(はさ)んで、仰向(あふむ)いた。
「二十錢(にじつせん)のを一(ひと)ツ、十五錢(じふごせん)のと、十錢(じつせん)のと都合(つがふ)三包(みつゝみ)だよ。」
「※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)子(あんこ)ならお手間(てま)が取(と)れますツ。」
 と、けろりとして、ソレ、ばた/\ばた、ばツばツばツ。
「皆(みんな)附燒(つけやき)の方(はう)さ。」
「へーい。」
「ぢや、分(わか)つたかね。」
 と一寸(ちよいと)前(まへ)を通(とほ)る時(とき)、私(わたし)に會釋(ゑしやく)して床几(しやうぎ)へ返(かへ)つた。
 いしくも申(まを)された。……殘(のこ)らずつけ燒(やき)のお誂(あつら)へは有難(ありがた)い、と思(おも)ふと、此(こ)の方(はう)目(め)のふちを赤(あか)くしながら、※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)こばかりは些(ちつ)と擽(くすぐつた)い。
 また其(そ)の※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)がかりの三人(さんにん)の、すくつて、引(ひ)いて、轉(ころ)がして、一(ひと)ツ捻(ひね)つてツイと遣(や)るが、手(て)を揃(そろ)へ、指(ゆび)を揃(そろ)へて、ト撓(た)めて刺(さ)す時(とき)、胸(むね)を据(す)ゑる處(ところ)まで、一樣(いちやう)に鮮(あざや)かなものである。が、客(きやく)が待(ま)たうが待(ま)つまいが、一向(いつかう)に頓着(とんぢやく)なく、此方(こつち)は此方(こつち)、と澄(すま)した工合(ぐあひ)が、徳川家時代(とくがはけじだい)から味(あぢ)の變(かは)らぬ頼(たの)もしさであらう。

 處(ところ)へ、カタ/\と冷(つめ)たさうな下駄(げた)の音(おと)。……母(はゝ)ぢや人(びと)のを故(わざ)と穿(は)いて來(き)たらしい、可愛(かはい)い素足(すあし)に三倍(さんばい)ほどな、大(おほき)な塗下駄(ぬりげた)を打(ぶ)つけるやうに、トンと土間(どま)へ入(はひ)つて來(き)て、七輪(しちりん)の横(よこ)へ立(た)つた、十一二だけれども、九(こゝの)ツぐらゐな、小造(こづく)りな、小(ちひ)さな江戸(えど)の姉(ねえ)さんがある。縞(しま)の羽織(はおり)の筒袖(つゝそで)を細(ほそ)く着(き)た、脇(わき)あけの口(くち)へ、腕(かひな)を曲(ま)げて、些(ちつ)と寒(さむ)いと云(い)つた體(てい)に、兩手(りやうて)を突込(つツこ)み、ふりの明(あ)いた處(ところ)から、赤(あか)い前垂(まへだれ)の紐(ひも)が見(み)える。其處(そこ)へ風呂敷(ふろしき)を肱(ひぢ)なりに引挾(ひつぱさ)んだ、色(いろ)の淺黒(あさぐろ)い、目(め)に張(はり)のある、きりゝとした顏(かほ)の、鬢(びん)を引緊(ひきし)めて、おたばこ盆(ぼん)はまた珍(めづら)しい。……
「五錢(ごせん)頂戴(ちやうだい)。」
「へーい。」
「さあ、」
 と片手(かたて)を出(だ)して、奴(やつこ)に風呂敷(ふろしき)を突(つき)つけると、目(め)をくるりと天井(てんじやう)覗(のぞ)きで、
「※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)子(あんこ)ならお手間(てま)が取(と)れますツ。」
「あら、燒(や)いたのだわよ、兄(にい)さん。」
 とすつきり言(い)つた。
 奴(やつこ)、一本(いつぽん)參(まゐ)つた體(てい)で、頸(くび)を竦(すく)め、口(くち)をゆがめて、※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)をつける三人(さんにん)の方(はう)を、外方(そつぱう)にして、一人(ひとり)で笑(わら)つて、
「へーい。」
 と七輪(しちりん)の上(うへ)を見計(みはか)らひ、風呂敷(ふろしき)を受取(うけと)つて、屋臺(やたい)へ立(た)ち、大皿(おほざら)からぶツ/\と煙(けむり)の立(た)つ、燒(や)きたてのを、横目(よこめ)で睨(にら)んで、竹(たけ)の皮(かは)の扱(しご)きを入(い)れる、と飜然(ひらり)と皮(かは)の撥(は)ねる上(うへ)へ、ぐいと尻(しり)ツ撥(ぱ)ねに布巾(ふきん)を掛(か)ける。
 障子(しやうじ)の外(そと)へすつと來(き)て、ひとり杖(つゑ)を支(つ)いて立(た)つた翁(おきな)がある。
 白木綿(しろもめん)の布子(ぬのこ)、襟(えり)が黄色(きいろ)にヤケたのに、單衣(ひとへ)らしい、同(おな)じ白(しろ)の襦袢(じゆばん)を襲(かさ)ね、石持(こくもち)で、やうかん色(いろ)の黒木綿(くろもめん)の羽織(はおり)を幅廣(はゞびろ)に、ぶわりと被(はお)つて、胸(むね)へ頭陀袋(づだぶくろ)を掛(か)けた、鼻(はな)の隆(たか)い、赭(あか)ら顏(がほ)で、目(め)を半眼(はんがん)にした、眉(まゆ)には黒(くろ)も交(まじ)つたけれど、泡(あわ)を塗(なす)つた體(てい)に、口許(くちもと)から頤(おとがひ)へ、短(みじか)い髯(ひげ)は皆(みな)白(しろ)い。鼠(ねずみ)のぐたりとした帽子(ばうし)を被(かぶ)つて、片手(かたて)に其(そ)の杖(つゑ)、右(みぎ)の手首(てくび)に、赤玉(あかだま)の一連(いちれん)の數珠(じゆず)を輪(わ)にかけたのに、一(ひと)つの鐸(りん)を持添(もちそ)へて、チリリリチリリリと、大(おほき)な手(て)を振(ふ)つて鳴(な)らし、
「なうまくさんまんだばさらだ、なうまくさんまんだばさらだ、南無成田山不動明王(なむなりたさんふどうみやうわう)をはじめ奉(たてまつ)り、こんがら童子(どうじ)、せいたか童子(どうじ)、甲童子(かふどうじ)、乙童子(おつどうじ)、丙童子(へいどうじ)、いばらぎ童子(どうじ)、酒呑童子(しゆてんどうじ)、其(そ)のほか數々(かず/\)二十四童子(にじふしどうじ)。」
 と、丁(ちやう)ど私(わたし)と向(む)き合(あ)ひに、まともに顏(かほ)を見(み)る處(ところ)で、目(め)を眠(ねむ)るやうにして爽(さわや)かに唱(とな)へた。
 私(わたし)が懷(ふところ)の三(み)つ卷(まき)へ、手(て)を懸(か)けた時(とき)であつた。
「お進(しん)ぜ申(まを)せ。」
 と、向(むか)うで※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)をつけて居(ゐ)た、其(そ)のお婆(ばあ)さんが聲(こゑ)を懸(か)ける。
「へーい。」と奴(やつこ)が、包(つゝ)んだ包(つゝ)みを、ひよいと女(をんな)の兒(こ)に渡(わた)しながら、手(て)を引込(ひつこ)めず、背後(うしろ)の棚(たな)に、煮豆(にまめ)、煮染(にしめ)ものなどを裝並(もりなら)べた棚(たな)の下(した)の、賣溜(うりだ)めの錢箱(ぜにばこ)をグヮチャリと鳴(な)らして、銅貨(どうくわ)を一個(ひとつ)、ひよい、と空(そら)へ投(な)げて、一寸(ちよいと)掌(てのひら)へ受(う)けながら持(も)つて出(で)る。
 前後(ぜんご)して、
「はい、上(あ)げます。」
 と絣(かすり)の衣服(きもの)の、あの弟御(おとうとご)が、廂帽子(ひさしばうし)を横(よこ)ツちよに、土間(どま)に駈足(かけあし)で、母樣(おつかさん)の使(つかひ)に來(き)て、伸上(のびあが)るやうにして布施(ふせ)する手(て)から、大柄(おほがら)な老道者(らうだうじや)は、腰(こし)を曲(ま)げて、杖(つゑ)を持(も)つた掌(たなそこ)に受(う)けて、奴(やつこ)と兩方(りやうはう)へ、……二度(にど)頂(いたゞ)く。
 私(わたし)も立(た)つた。
 氣(き)の寄(よ)る時(とき)は、妙(めう)なもので……又(また)此處(こゝ)へ女(をんな)一連(ひとつれ)、これは丸顏(まるがほ)の目(め)のぱつちりした、二重瞼(ふたへまぶた)の愛嬌(あいけう)づいた、高島田(たかしまだ)で、あらい棒縞(ぼうじま)の銘仙(めいせん)の羽織(はおり)、藍(あゐ)の勝(か)つた。――着物(きもの)は、茶(ちや)の勝(か)つた、同(おな)じやうな柄(がら)なのを着(き)て、阿母(おふくろ)のおかはりに持(も)つた、老人(としより)じみた信玄袋(しんげんぶくろ)を提(さ)げた、朱鷺色(ときいろ)の襦袢(じゆばん)の蹴出(けだ)しの、内端(うちわ)ながら、媚(なま)めかしい。十九にはなるまい新姐(しんぞ)を前(さき)に、一足(ひとあし)さがつて、櫛卷(くしまき)にした阿母(おふくろ)がついて、此(こ)の店(みせ)へ入(はひ)りかけた。が、丁(ちやう)ど行者(ぎやうじや)の背後(うしろ)を、斜(なゝめ)に取(とり)まはすやうにして、二人(ふたり)とも立停(たちど)まつた。

「お前(まへ)、細(こまか)いのはえ?」
 と阿母(おふくろ)が言(い)ふ。
「あい、」と頤(おとがひ)を白(しろ)く、淺葱(あさぎ)の麻(あさ)の葉(は)絞(しぼ)りの半襟(はんえり)に俯向(うつむ)いた。伏目(ふしめ)がふつくりとする……而(そ)して、緋無地(ひむぢ)の背負上(しよひあ)げを通(とほ)して、めりんすの打合(うちあ)はせの帶(おび)の間(あひだ)に、これは又(また)よそゆきな、紫鹽瀬(むらさきしほぜ)の紙入(かみいれ)の中(なか)から、横(よこ)に振(ふ)つて、出(だ)して、翁(おきな)に與(あた)へた。
 道者(だうじや)は、杖(つゑ)を地(つち)から離(はな)して、手(て)を高(たか)く上(あ)げて禮(れい)したのである。
 時(とき)に、見(み)るもいたいけだつたのは、おたばこぼんの小姉(ちひねえ)さん。
 先刻(さつき)から、人々(ひと/″\)の布施(ふせ)するのと、……もの和(やは)らかな、翁(おきな)の顏(かほ)の、眞白(まつしろ)な髯(ひげ)の中(なか)に、嬉(うれ)しさうな唇(くちびる)の艷々(つや/\)と赤(あか)いのを、熟(じつ)と視(なが)めて、……奴(やつこ)が包(つゝ)んでくれた風呂敷(ふろしき)を、手(て)の上(うへ)に据(す)ゑたまゝ、片手(かたて)を服(きもの)の中(なか)へ入(い)れて、其(そ)れでも肌薄(はだうす)な、襦袢(じゆばん)の襟(えり)のきちんとして、赤(あか)い細(ほそ)いのも、あはれに寒(さむ)さうに見(み)えたのが、何(なん)と思(おも)つたか、左手(ゆんで)を添(そ)へて、結(むす)び目(め)を解(と)いて、竹(たけ)の皮(かは)から燒團子(やきだんご)、まだ、いきりの立(た)つ、温(あたゝか)いのを二串(ふたくし)取(と)つて、例(れい)の塗下駄(ぬりげた)をカタ/\と――敷居際(しきゐぎは)で、
「お爺(ぢい)さん、これあげませう、おあがんなさいな。」
 と出(だ)した時(とき)、……翁(おきな)の赭(あか)ら顏(がほ)は、其(そ)のまゝ溶(と)けさうに俯向(うつむ)いて、目(め)をしばたゝいた、と見(み)ると、唇(くちびる)がぶる/\と震(ふる)へたのである。
 床几(しやうぎ)の娘(むすめ)も肩越(かたごし)に衝(つ)と振向(ふりむ)いた。一同(いちどう)、熟(じつ)と二人(ふたり)を見(み)た。
「南無御一統(なむごいつとう)、御家内安全(ごかないあんぜん)。まめ、そくさい、商賣繁昌(しやうばいはんじやう)。」
 と朗(ほがら)かな聲(こゑ)で念(ねん)じながら、杖(つゑ)も下(おろ)さず、團子(だんご)持(も)つたなりに額(ひたひ)にかざして、背後(うしろ)は日陰(ひかげ)、向(むか)つて日向(ひなた)へ、相坂(あひざか)の方(かた)へ、……冷(ひや)めし草履(ざうり)を、づるりと曳(ひ)いて、白木綿(しろもめん)の脚絆(きやはん)つけた脚(あし)を、とぼ/\と翁(おきな)は出(で)て行(ゆ)く。
「や、包(つゝ)みなほして上(あ)げようぜ。」
 と、徳(とく)は孤(こ)ならず、ちよろつかな包(つゝ)み加減(かげん)。拔(ぬ)いた串(くし)に皮(かは)が開(あ)いて、小姉(ちひねえ)の手(て)の上(うへ)に飜(ひるがへ)つたのを、風呂敷(ふろしき)ごと引奪(ひつたく)るやうに取(と)つて、奴(やつこ)は屋臺(やたい)で、爲直(しなほ)しながら、
「えゝ……まけて置(お)け、一番(いちばん)。」と、皿(さら)から捻(ねぢ)るやうに引摘(ひつつか)んで、別(べつ)に燒團子(やきだんご)を五串(いつくし)添(そ)へた。
「此處(こゝ)へも、お團子(だんご)を下(くだ)さいな。」
 と櫛卷(くしまき)の阿母(おふくろ)が衝(つ)と寄(よ)つた。
 きよろりと見向(みむ)いて、
「※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)子(あんこ)ならお手間(てま)が取(と)れますツ。」と又(また)仰向(あふむ)く。
「否(いゝえ)、燒(や)いたのですよ。」
「へーい。」と相(あひ)かはらず突走(つツぱし)る。
「十錢(じつせん)のを二包(ふたつゝみ)、二包(ふたつゝみ)ですよ――可(い)いかい。其(それ)から、十五錢(じふごせん)のを一包(ひとつゝみ)、皆(みな)燒(や)いたのをね。」
「へーい、唯今(たゞいま)。」
「否(いゝえ)、歸途(かへり)で可(い)いのよ。」
「へーいツ」
「あのね、母樣(おつかさん)。」と、娘(むすめ)があたりを兼(か)ねた體(てい)で、少(すこ)し甘(あま)えるやうに低聲(こごゑ)で言(い)つた。
「然(さ)う……では其(そ)の十五錢(じふごせん)のなかへ、※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)のを交(ま)ぜて、――些(ちつ)とで可(い)いの。」
「些(ちつ)と、」
 と口眞似(くちまね)のやうに繰返(くりかへ)して、
「へーい。」
「さあ、それぢやおまゐりをして來(こ)ようね。」
「あい、」
 と言(い)つて、母娘(おやこ)二人(ふたり)、相坂(あひざか)の方(はう)へ、並(なら)んで向(む)く。
 ※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)がかりは澄(す)ましたもので、
「家内安全(かないあんぜん)、まめ、そくさい、商賣繁昌(しやうばいはんじやう)、……だんご大切(たいせつ)なら五大力(ごだいりき)だ。」と、あらう事(こと)か、團子屋(だんごや)の老爺(とつ)さまが、今時(いまどき)取(と)つて嵌(は)めた洒落(しやれ)を言(い)ふ。
「何(なに)を言(い)はつしやる。」と……お婆(ばあ)さんは苦笑(くせう)した。
 あの、井戸(ゐど)の側(そば)を、庭(には)を切(き)つて裏木戸(うらきど)から、勝手(かつて)を知(し)つて來(き)たらしい。インキの壺(つぼ)を、ふらここの如(ごと)くに振(ふ)つて、金釦(きんぼたん)にひしやげた角帽(かくばう)、かまひつけぬ風(ふう)で、薄髯(うすひげ)も剃(あた)らず遣放(やりつぱな)しな、威勢(ゐせい)の可(い)い、大學生(だいがくせい)がづか/\と入(はひ)つて來(き)た。
「いや、どつこいしよ。」
 と――あの弟(おとうと)が居(ゐ)る、其(そ)の床几(しやうぎ)の隅(すみ)に腰(こし)を投下(なげおろ)すと、
「おい、※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)(あん)のを一盆(ひとぼん)。……お手間(てま)が取(と)れます、待(ま)つてらつしやい。」
 と恐(おそろ)しく鐵拐(てつか)に怒鳴(どな)つて、フト私(わたし)と向合(むきあ)つて、……顏(かほ)を見(み)て……雙方(さうはう)莞爾(につこり)した。同好(どうかう)の子(し)よ、と前方(さき)で思(おも)へば、知己(ちき)なるかな、と言(い)ひたかつた。
 いや、面喰(めんくら)つたのは奴(やつこ)である。……例(れい)に因(よ)つて「お手間(てま)が取(と)れますツ。」を言(い)はない内(うち)に、眞向(まつかう)高飛車(たかびしや)に浴(あび)せられて、「へーい、」とも言(い)ひ得(え)ず、鳶(とんび)に攫(さら)はれた顏色(がんしよく)。きよとんとして、小姉(ちひねえ)に再(ふたゝ)び其(そ)の包(つゝみ)を渡(わた)すと、默(だま)つて茶(ちや)を汲(く)みに行(ゆ)く、石頭(いしあたま)のすくんだ、――背(せ)の丸(まる)さ。
「しばらく、――お二人(ふたり)しばらく。」
 と後(あと)じさりに、――いま出(で)て行(ゆ)く櫛卷(くしまき)と、島田(しまだ)の母娘(おやこ)を呼留(よびと)めながら、翁(おきな)の行者(ぎやうじや)が擦違(すれちが)ひに、しやんとして、逆(ぎやく)に戻(もど)つて來(き)た。
 店頭(みせさき)へ、恭(うや/\)しく彳(たゝず)んで、四邊(あたり)を見(み)ながら、せまつた聲(こゑ)で、
「誰方(どなた)もしばらく。……あゝ、野山(のやま)も越(こ)え、川(かは)も渡(わた)り、劍(つるぎ)の下(した)も往來(わうらい)した。が、生(うま)れて以來(このかた)、今日(けふ)と云(い)ふ今日(けふ)ほど、人(ひと)の情(なさけ)の身(み)に沁(し)みた事(こと)は覺(おぼ)えません。」と、聲(こゑ)が途絶(とだ)えて、チリ/\と鐸(りん)が鳴(な)つた。
 溜息(ためいき)を深(ふか)く、吻(ほ)と吐(つ)いて、
「私(わし)は行者(ぎやうじや)でも何(なん)でもないのぢや。近頃(ちかごろ)まで、梅暮里(うめぼり)の溝(みぞ)へ出(で)て、間(ま)に合(あは)せの易(えき)を遣(や)つて居(ゐ)ましたが、好(す)きなどぶろくのたしにも成(な)らんで、思(おも)ひついた擬行者(まがひぎやうじや)ぢや。信心(しんじん)も何(なに)もなかつたが、なあ、揃(そろ)ひも揃(そろ)つた、あなたがたのお情(なさけ)――あの娘(こ)も聞(き)かつしやれ。」
 と小姉(ちひねえ)に差出(さしだ)した手(て)がふるへて、
「老人(らうじん)つく/″\身(み)に染(し)みて、此(こ)のまゝでは、よう何(ど)うも、あの蹈切(ふみきり)が越切(こしき)れなんだ。――
 あらためて、是(これ)から直(す)ぐに、此(こ)の杖(つゑ)のなり行脚(あんぎや)をして、成田山(なりたさん)へ詣(まう)でましてな。……經一口(きやうひとくち)も知(し)らぬけれども、一念(いちねん)に變(かは)りはない。南無成田山不動明王(なむなりたさんふどうみやうわう)、と偏(ひとへ)に唱(とな)へて、あなた方(がた)の御運長久(ごうんちやうきう)、無事(ぶじ)そくさい、又(また)お若(わか)い孃(ぢやう)たちの、」
 とほろりとして、老(おい)の目(め)に涙(なみだ)を湛(たゝ)へ、
「行末(ゆくすゑ)の御良縁(ごりやうえん)を祈願(きぐわん)します、祈願(きぐわん)しまする。」
明治四十三年一月
了

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「松(まつ)の葉(は)」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年9月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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