あらすじ
南国を旅する物識りの旅行家から、忘れられない体験を語られる。それは、四国の路傍で出会った、神秘的な傀儡師の演戯のこと。至妙な演戯に魅了され、夢幻の世界に引き込まれるが、ふと我に返ると、芝居を終えた人形の額に汗が滲んでいることに気づく。忘れられない体験に、語り手は興味津々。その言葉は、不思議な魅力を秘め、読み手の心を惹きつけます。
 貴方は南国の傀儡くぐつを御存じですか? (と物識りの旅行家が私に話してきかせました)
 文楽の舞台に比べては余り原始的でみすぼらしいものの、まことの名人気質と名も知られない人形造りが一心こめて残した霊妙な人形はむしろ棄てられた傀儡師に伝へられてゐるのです。
 七年前のことです。四国の淋しい路傍で最も神秘な傀儡師を見ました。至妙な演戯よ! 私の心は涯もない夢幻の奥へ誘はれてゐたのです。けれども終生忘れることのできないのは(そして彼は暫く深々と感動の瞑目をつづけてゐました)ふと自分に返つたとき、芝居を終へた人形の額に汗のジットリ滲んでゐるのを見出したのでした。

 私は物識りの旅行家の額には汗なぞ滲まないので、彼の話をきくのが好きです。

底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
   1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「レツェンゾ 七月号」紀伊国屋書店レツェンゾ編輯部
   1934(昭和9)年7月1日発行
初出:「レツェンゾ 七月号」紀伊国屋書店レツェンゾ編輯部
   1934(昭和9)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年4月19日作成
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