鐘(かね)の聲(こゑ)も響(ひゞ)いて來(こ)ぬ、風(かぜ)のひつそりした夜(よる)ながら、時刻(じこく)も丁(ちやう)ど丑滿(うしみつ)と云(い)ふのである。……此(こ)の月(つき)から、桂(かつら)の葉(は)がこぼれ/\、石(いし)を伐(き)るやうな斧(をの)が入(はひ)つて、もつと虧(か)け、もつと虧(か)けると、やがて二十六夜(にじふろくや)の月(つき)に成(な)らう、……二十日(はつか)ばかりの月(つき)を、暑(あつ)さに一枚(まい)しめ殘(のこ)した表二階(おもてにかい)の雨戸(あまど)の隙間(すきま)から覗(のぞ)くと、大空(おほぞら)ばかりは雲(くも)が走(はし)つて、白々(しろ/″\)と、音(おと)のない波(なみ)かと寄(よ)せて、通(とほ)りを一(ひと)ツ隔(へだ)てた、向(むか)うの邸(やしき)の板塀越(いたべいごし)に、裏葉(うらは)の飜(かへ)つて早(は)や秋(あき)の見(み)ゆる、櫻(さくら)の樹(き)の梢(うら)を、ぱつと照(て)らして、薄明(うすあか)るく掛(かゝ)るか、と思(おも)へば、颯(さつ)と墨(すみ)のやうに曇(くも)つて、月(つき)の面(おもて)を遮(さへぎ)るや否(いな)や、むら/\と亂(みだ)れて走(はし)る……
 ト火入(ひい)れに燻(く)べた、一把(は)三錢(せん)がお定(さだま)りの、あの、萌黄色(もえぎいろ)の蚊遣香(かやりかう)の細(ほそ)い煙(けむり)は、脈々(みやく/\)として、そして、空(そら)行(ゆ)く雲(くも)とは反對(はんたい)の方(はう)へ靡(なび)く。
 其(そ)の小机(こづくゑ)に、茫乎(ぼんやり)と頬杖(ほゝづゑ)を支(つ)いて、待人(まちびと)の當(あて)もなし、爲(せ)う事(こと)ござなく、と煙草(たばこ)をふかりと吹(ふ)かすと、
「おらは呑氣(のんき)だ。」と煙(けむり)が輪(わ)に成(な)る。
「此方(こつち)は忙(いそ)がしい。」
 と蚊遣香(かやりかう)は、小刻(こきざみ)を打(う)つて畝(うね)つて、せつせと燻(いぶ)る。
 が、前(まへ)なる縁(えん)の障子(しやうじ)に掛(か)けた、十燭(しよく)と云(い)ふ電燈(でんとう)の明(あかり)の屆(とゞ)かない、昔(むかし)の行燈(あんどん)だと裏通(うらどほ)りに當(あた)る、背中(せなか)のあたり暗(くら)い所(ところ)で、蚊(か)がブーンと鳴(な)く……其(そ)の、陰氣(いんき)に、沈(しづ)んで、殺氣(さつき)を帶(お)びた樣子(やうす)は、煙(けむり)にかいふいて遁(に)ぐるにあらず、落着(おちつ)き澄(す)まして、人(ひと)を刺(さ)さむと、鋭(するど)き嘴(はし)を鳴(な)らすのである。
 で、立騰(たちのぼ)り、煽(あふ)り亂(みだ)れる蚊遣(かやり)の勢(いきほひ)を、ものの數(かず)ともしない工合(ぐあひ)は、自若(じじやく)として火山(くわざん)の燒石(やけいし)を獨(ひと)り歩行(ある)く、脚(あし)の赤(あか)い蟻(あり)のやう、と譬喩(たとへ)を思(おも)ふも、あゝ、蒸熱(むしあつ)くて夜(よ)が寢(ね)られぬ。
 些(そよ)との風(かぜ)もがなで、明放(あけはな)した背後(うしろ)の肱掛窓(ひぢかけまど)を振向(ふりむ)いて、袖(そで)で其(そ)のブーンと鳴(な)くのを拂(はら)ひながら、此(こ)の二階住(にかいずみ)の主人(あるじ)唯吉(たゞきち)が、六疊(でふ)やがて半(なか)ばに蔓(はびこ)る、自分(じぶん)の影法師越(かげぼふしご)しに透(す)かして視(み)る、雲(くも)ゆきの忙(せは)しい下(した)に、樹立(こだち)も屋根(やね)も靜(しづ)まりかへつて、町(まち)の夜更(よふ)けは山家(やまが)の景色(けしき)。建續(たてつゞ)く家(いへ)は、なぞへに向(むか)うへ遠山(とほやま)の尾(を)を曳(ひ)いて、其方此方(そちこち)の、庭(には)、背戸(せど)、空地(あきち)は、飛々(とび/\)の谷(たに)とも思(おも)はれるのに、涼(すゞ)しさは氣勢(けはひ)もなし。
「暑(あつ)い。」
 と自棄(やけ)に突立(つゝた)つて、胴體(どうたい)ドタンと投出(なげだ)すばかり、四枚(よまい)を兩方(りやうはう)へ引(ひき)ずり開(あ)けた、肱(ひぢ)かけ窓(まど)へ、拗(す)ねるやうに突掛(つゝかゝ)つて、
「やツ、」と一(ひと)ツ、棄鉢(すてばち)な掛聲(かけごゑ)に及(およ)んで、其(そ)の敷居(しきゐ)へ馬乘(うまの)りに打跨(うちまた)がつて、太息(おほいき)をほツと吐(つ)く……
 風入(かぜい)れの此(こ)の窓(まど)も、正西(まにし)を受(う)けて、夕日(ゆふひ)のほとぼりは激(はげ)しくとも、波(なみ)にも氷(こほり)にも成(な)れとて觸(さは)ると、爪下(つました)の廂屋根(ひさしやね)は、さすがに夜露(よつゆ)に冷(つめた)いのであつた。
 爾時(そのとき)、唯吉(たゞきち)がひやりとしたのは――
 此(こ)の廂(ひさし)はづれに、階下(した)の住居(すまひ)の八疊(でふ)の縁前(えんさき)、二坪(ふたつぼ)に足(た)らぬ明取(あかりと)りの小庭(こには)の竹垣(たけがき)を一(ひと)ツ隔(へだ)てたばかり、裏(うら)に附着(くツつ)いた一軒(けん)、二階家(にかいや)の二階(にかい)の同(おな)じ肱掛窓(ひぢかけまど)が、南(みなみ)を受(う)けて、此方(こなた)とは向(むき)を異(ちが)へて、つい目(め)と鼻(はな)の間(あひだ)にある……其處(そこ)に居(ゐ)て、人(ひと)が一人(ひとり)、燈(あかり)も置(お)かず、暗(くら)い中(なか)から、此方(こなた)の二階(にかい)を、恁(か)う、窓(まど)越(こ)しに透(す)かすやうにして涼(すゞ)むらしい姿(すがた)が見(み)えた事(こと)である。――
「や、」
 たしかに、其家(そのいへ)は空屋(あきや)の筈(はず)。

 唯(たゞ)さへ、思(おも)ひ掛(が)けない人影(ひとかげ)であるのに、又(また)其(そ)の影(かげ)が、星(ほし)のない外面(とのも)の、雨氣(あまけ)を帶(お)びた、雲(くも)に染(にじ)んで、屋根(やね)づたひに茫(ばう)と來(き)て、此方(こなた)を引包(ひきつゝ)むやうに思(おも)はれる。
 が、激(はげ)しい、強(つよ)い、鋭(するど)いほどの氣勢(けはひ)はなかつた。
 闇(やみ)に咲(さ)く花(はな)の、たとへば面影(おもかげ)はほのかに白(しろ)く、あはれに優(やさ)しくありながら、葉(は)の姿(すがた)の、寂(さび)しく、陰氣(いんき)に、黒(くろ)いのが、ありとしも見(み)えぬ雲(くも)がくれの淀(よど)んだ月(つき)に、朦朧(もうろう)と取留(とりと)めなく影(かげ)を投(な)げた風情(ふぜい)に見(み)える。
 雨夜(あまよ)の橘(たちばな)の其(それ)には似(に)ないが、弱(よわ)い、細(ほつそ)りした、花(はな)か、空燻(そらだき)か、何(なに)やら薫(かをり)が、たよりなげに屋根(やね)に漾(たゞよ)うて、何(ど)うやら其(そ)の人(ひと)は女性(によしやう)らしい。
「婦人(をんな)だと尚(な)ほ變(へん)だ。」
 唯吉(たゞきち)は、襟許(えりもと)から、手足(てあし)、身體中(からだぢう)、柳(やなぎ)の葉(は)で、さら/\と擽(くすぐ)られたやうに、他愛(たわい)なく、むず/\したので、ぶる/\と肩(かた)を搖(ゆす)つて、
「此(これ)は暑(あつ)い。」
 と呟(つぶや)くのを機會(しほ)に、跨(また)いだ敷居(しきゐ)の腰(こし)を外(はづ)すと、窓(まど)に肱(ひぢ)を、横(よこ)ざまに、胸(むね)を投掛(なげか)けて居直(ゐなほ)つた。
 爾時(そのとき)だつたが、
「え、え、」と、小(ちひ)さな咳(しはぶき)を、彼方(かなた)の其(そ)の二階(にかい)でしたのが、何故(なぜ)か耳許(みゝもと)へ朗(ほが)らかに高(たか)く響(ひゞ)いた。
 其(それ)が、言(ことば)を番(つが)へた、豫(かね)て約束(やくそく)の暗號(あひづ)ででもあつた如(ごと)く、唯吉(たゞきち)は思(おも)はず顏(かほ)を上(あ)げて、其(そ)の姿(すがた)を見(み)た。
 肩(かた)を細(ほそ)く、片袖(かたそで)をなよ/\と胸(むね)につけた、風通(かぜとほ)しの南(みなみ)へ背(せ)を向(む)けた背後姿(うしろすがた)の、腰(こし)のあたりまで仄(ほのか)に見(み)える、敷居(しきゐ)に掛(か)けた半身(はんしん)で帶(おび)と髮(かみ)のみ艷(あで)やかに黒(くろ)い。浴衣(ゆかた)は白地(しろぢ)の中形(ちうがた)で、模樣(もやう)は、薄月(うすづき)の空(そら)を行交(ゆきか)ふ、――又(また)少(すこ)し明(あか)るく成(な)つたが――雲(くも)に紛(まぎ)るゝやうであつたが、つい傍(わき)の戸袋(とぶくろ)に風流(ふうりう)に絡(から)まり掛(かゝ)つた蔦(つた)かづらが其(そ)のまゝに染(そ)まつたらしい。……そして、肩越(かたご)しに此方(こなた)を見向(みむ)いた、薄手(うすで)の、中(なか)だかに、すつと鼻筋(はなすぢ)の通(とほ)つた横顏(よこがほ)。……唯吉(たゞきち)を見越(みこ)した端(はし)に、心持(こゝろもち)、會釋(ゑしやく)に下(さ)げた頸(うなじ)の色(いろ)が、鬢(びん)を透(す)かして白(しろ)い事(こと)!……美(うつく)しさは其(それ)のみ成(な)らず、片袖(かたそで)に手(て)まさぐつた團扇(うちは)が、恰(あたか)も月(つき)を招(まね)いた如(ごと)く、弱(よわ)く光(ひか)つて薄(うつす)りと、腋明(わきあけ)をこぼれた膚(はだへ)に透(とほ)る。
 褄(つま)はづれさへ偲(しの)ばるゝ、姿(すがた)は小造(こづく)りらしいのが、腰掛(こしか)けた背(せ)はすらりと高(たか)い。
 髮(かみ)は、ふさ/\とあるのを櫛卷(くしまき)なんどに束(たば)ねたらしい……でないと、肱(ひぢ)かけ窓(まど)の、然(さ)うした處(ところ)は、高(たか)い髷(まげ)なら鴨居(かもゐ)にも支(つか)へよう、其(それ)が、やがて二三寸(ずん)、灯(ひ)のない暗(くら)がりに、水際立(みづぎはた)つまで、同(おな)じ黒(くろ)さが、くツきりと間(ま)をおいて、柳(やなぎ)は露(つゆ)に濡(ぬ)れつゝ濃(こ)かつた。
 恁(か)う、唯吉(たゞきち)が、見(み)るも思(おも)ふも瞬(またゝ)く間(ま)で、
「暑(あつ)うござんす事(こと)……」
 と其(そ)の人(ひと)の聲(こゑ)。
 此方(こつち)は喫驚(びつくり)して默(だま)つて視(なが)める。
「貴方(あなた)でもお涼(すゞ)みでいらつしやいますか。」
 と直(す)ぐに續(つゞ)けて、落着(おちつ)いた優(やさ)しい聲(こゑ)なり。
 何(なに)を疑(うたぐ)つて見(み)た處(ところ)で、其(そ)のものの言(い)ひぶりが、別(べつ)に人(ひと)があつて、婦(をんな)と對向(さしむか)ひで居(ゐ)る樣子(やうす)には思(おも)はれないので、
「えゝん。」
 とつけたらしい咳(せきばらひ)を、唯吉(たゞきち)も一(ひと)つして、
「何(ど)うです……此(こ)のお暑(あつ)さは。」と思切(おもひき)つて、言受(ことう)けする。
「酷(ひど)うござんすのね。」
 と大分(だいぶ)心易(こゝろやす)い言(い)ひ方(かた)である。
「お話(はなし)に成(な)りません。……彼岸(ひがん)も近(ちか)い、殘暑(ざんしよ)もドン詰(づま)りと云(い)ふ處(ところ)へ來(き)て、まあ、何(ど)うしたつて云(い)ふんでせうな。」
 言(い)ひ交(か)はすのも窓(まど)と窓(まど)の、屋根越(やねごし)なれば、唯吉(たゞきち)は上(うは)の空(そら)で、
「はて、何(なん)だらう、誰(だれ)だらう……」

「でも、最(も)うお涼(すゞ)しく成(な)りませう……此(これ)がおなごりかも知(し)れません。」
 と靜(しづか)な聲(こゑ)で、慰(なぐさ)めるやうに窓(まど)から云(い)つたが、其(そ)の一言(ひとこと)から冷(つめ)たくなりさうに、妙(めう)に身(み)に染(し)みて、唯吉(たゞきち)は寂(さび)しく聞(き)いた。
 蟲(むし)の聲(こゑ)も頻(しきり)に聞(きこ)える。
 其(そ)の蟋蟀(こほろぎ)と、婦(をんな)の聲(こゑ)を沈(しづ)んで聞(き)いて、陰氣(いんき)らしく、
「其(それ)だと結構(けつこう)です……でないと遣切(やりき)れません。何(ど)うか願(ねが)ひたいもんでございます。」
 と言(い)ふうちに、フト其(そ)の(おなごり)と云(い)つたのが氣(き)に成(な)つて、此(これ)だと前方(さき)の言葉通(ことばどほ)り、何(ど)うやら何(なに)かがおなごりに成(な)りさうだ、と思(おも)つて默(だま)つた。
 少時(しばらく)人(ひと)の住(す)まない、裏家(うらや)の庭(には)で、此(こ)の折(をり)から又(また)颯(さつ)と雲(くも)ながら月(つき)の宿(やど)つた、小草(をぐさ)の露(つゆ)を、搖(ゆり)こぼしさうな蟲(むし)の聲(こゑ)。
「まあ!……」
 と敷居(しきゐ)に、其(そ)の袖(そで)も帶(おび)も靡(なび)くと、ひら/\と團扇(うちは)が動(うご)いて、やゝ花(はな)やかな、そして清(すゞ)しい聲(こゑ)して、
「御挨拶(ごあいさつ)もしませんで……何(ど)うしたら可(い)いでせう……何(なん)て失禮(しつれい)なんでせうね、貴方(あなた)、御免(ごめん)なさいまし。」
「いゝや、手前(てまへ)こそ。」
 と待受(まちう)けたやうに、猶豫(ためら)はず答(こた)へた……
「暑(あつ)さに變(かは)りはないんです、お互樣(たがひさま)。」と唯吉(たゞきち)は、道理(もつとも)らしいが、何(なに)がお互樣(たがひさま)なのか、相應(そぐ)はない事(こと)を云(い)ふ。
「お宅(たく)では、皆(みな)さんおやすみでございますか。」
「如何(いかゞ)ですか、寢(ね)られはしますまい。が、蚊帳(かや)へは疾(と)くに引込(ひつこ)みました。……お宅(たく)は?」
 と云(い)つて、唯吉(たゞきち)は屋根越(やねごし)に、また透(す)かすやうにしたのである。
「…………」
 婦(をんな)は一寸(ちよつと)言淀(いひよど)んで、
「あの……實(じつ)は、貴方(あなた)をお見掛(みか)け申(まを)しましたから、其(そ)の事(こと)をお願(ねが)ひ申(まを)したいと存(ぞん)じまして、それだもんですから、つい、まだお知己(ちかづき)でもございませんのに、二階(にかい)の窓(まど)から濟(す)みませんねえ。」
「何(なに)、貴女(あなた)、男同士(をとこどうし)だ、と何(ど)うかすると、御近所(ごきんじよ)づから、町内(ちやうない)では錢湯(おゆや)の中(なか)で、素裸(すつぱだか)で初對面(しよたいめん)の挨拶(あいさつ)をする事(こと)がありますよ……」
「ほゝ。」
 と唇(くちびる)に團扇(うちは)を當(あ)てて、それなり、たをやかに打傾(うちかたむ)く。
 唯吉(たゞきち)も引入(ひきい)れられたやうに笑(わら)ひながら、
「串戲(じようだん)ぢやありません、眞個(ほんとう)です。……ですから二階同士(にかいどうし)結構(けつこう)ですとも。……そして、私(わたし)に……とおつしやつて、貴女(あなた)、何(なん)でございます……御遠慮(ごゑんりよ)は要(い)りません。」
「はあ……」
「何(なん)でございます。」
「では、お頼(たの)まれなすつて下(くだ)さいますの。」
「承(うけたまは)りませう。」
 と云(い)つたが、窓(まど)に掛(か)けた肱(ひぢ)が浮(う)いて、唯吉(たゞきち)の聲(こゑ)が稍々(やゝ)忙(せは)しかつた。
「貴方(あなた)、可厭(いや)だとおつしやると、私(わたし)、怨(うら)むんですよ。」
「えゝ。」
 と、一(ひと)つあとへ呼吸(いき)を引(ひ)いた時(とき)、雲(くも)が沈(しづ)んで、蟋蟀(こほろぎ)の聲(こゑ)、幻(まぼろし)に濃(こ)く成(な)んぬ。
「……可厭(いや)な蟲(むし)が鳴(な)きます事(こと)……」
 と不※(ふと)[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、590-12]、獨言(ひとりごと)のやうに、且(か)つ何(なに)かの前兆(ぜんてう)を豫(あらかじ)め知(し)つたやうに女(をんな)が言(い)ふ。
「可厭(いや)な蟲(むし)が鳴(な)きます?……」と唯吉(たゞきち)は釣込(つりこ)まれて、つい饒舌(しやべ)つた。
 が、其處(そこ)に、又(また)此處(こゝ)に、遠近(をちこち)に、草(くさ)あれば、石(いし)あれば、露(つゆ)に喞(すだ)く蟲(むし)の音(ね)に、未(いま)だ嘗(かつ)て可厭(いや)な、と思(おも)ふはなかつたのである。
「貴女(あなた)、蟋蟀(こほろぎ)がお嫌(きら)ひですか。」
 と、うら問(ど)ひつゝ、妙(めう)な事(こと)を云(い)ふぞと思(おも)ふと、うつかりして居(ゐ)たのが、また悚然(ぞつ)とする……

 雲(くも)が衝(つ)と離(はな)れると、月(つき)の影(かげ)が、對(むか)うの窓際(まどぎは)の煤(すゝ)けた戸袋(とぶくろ)を一間(ひとま)、美人(びじん)の袖(そで)を其處(そこ)に縫留(ぬひと)めた蜘蛛(くも)の巣(す)に、露(つゆ)を貫(つらぬ)いたが見(み)ゆるまで、颯(さつ)と薄紙(うすがみ)の靄(もや)を透(とほ)して、明(あきら)かに照(て)らし出(だ)す、と見(み)る間(ま)に、曇(くも)つて、また闇(くら)くなり行(ゆ)く中(うち)に、もの越(ごし)は、蟲(むし)の音(ね)よりも澄(す)んで聞(きこ)えた。
「否(いゝえ)、つゞれさせぢやありません。蟋蟀(こほろぎ)は、私(わたし)は大(だい)すきなんです。まあ、鳴(な)きますわね……可愛(かはい)い、優(やさ)しい、あはれな聲(こゑ)を、誰(だれ)が、貴方(あなた)、殿方(とのがた)だつて……お可厭(いや)ではないでせう。私(わたし)のやうなものでも、義理(ぎり)にも、嫌(きら)ひだなんて言(い)はれませんもの。」
「ですが、可厭(いや)な蟲(むし)が鳴(な)いてる、と唯今(たゞいま)伺(うかゞ)ひましたから。」
「あの、お聞(き)きなさいまし……一寸(ちよつと)……まだ外(ほか)に鳴(な)いて居(ゐ)る蟲(むし)がござんせう。」
「はあ、」
 と唯吉(たゞきち)は、恰(あたか)もいひつけられたやうに、敷居(しきゐ)に掛(か)けた手(て)の上(うへ)へ、横(よこ)ざまに耳(みゝ)を着(つ)けたが、可厭(いや)な、と云(い)ふは何(なん)の聲(こゑ)か、其(それ)は聞(き)かない方(はう)が望(のぞ)ましかつた。
「遠(とほ)くに梟(ふくろ)でも啼(な)いて居(ゐ)ますか。」
「貴方(あなた)、蟲(むし)ですよ。」
「成程(なるほど)、蟲(むし)と梟(ふくろ)では大分(だいぶ)見當(けんたう)が違(ちが)ひました。……續(つゞ)いて餘(あま)り暑(あつ)いので、餘程(よほど)茫(ばう)として居(ゐ)るやうです。失禮(しつれい)、可厭(いや)なものツて、何(なに)が鳴(な)きます。」
「あの、きり/\きり/\、褄(つま)させ、てふ、肩(かた)させ、と鳴(な)きます中(なか)に、草(くさ)ですと、其(そ)の底(そこ)のやうな處(ところ)に、露(つゆ)が白玉(しらたま)を刻(きざ)んで拵(こしら)へました、寮(れう)の枝折戸(しをりど)の銀(ぎん)の鈴(すゞ)に、芥子(けし)ほどな水鷄(くひな)が音(おと)づれますやうに、ちん、ちん……と幽(かすか)に、そして冴(さ)えて鳴(な)くのがありませう。」
「あゝ……近頃(ちかごろ)聞(き)いて覺(おぼ)えました……鉦(かね)たゝきだ、鉦(かね)たゝきですね。や、あの聲(こゑ)がお嫌(きら)ひですかい。」
「否(いゝえ)、」
 と壓(おさ)へる、聲(こゑ)が沈(しづ)んで、
「聲(こゑ)が嫌(きら)ひなのではありません。不厭(いや)などころではないんですが、名(な)を思(おも)ふと、私(わたし)は悚然(ぞつ)とします……」
 と言(い)つた。
 其(そ)の氣(き)を受(う)けたか、唯吉(たゞきち)は一息(ひといき)に身體中(からだぢう)總毛立(そうけだ)つた。
「だつて、其(それ)だつて、」
 と力(ちから)が籠(こも)つて、
「可哀(かはい)さうな、氣(き)の毒(どく)らしい、あの、しをらしい、可愛(かはい)い蟲(むし)が、何(なん)にも知(し)つた事(こと)ではないんですけれど、でも私(わたし)、鉦(かね)たゝきだと思(おも)ひますだけでも、氷(こほり)で殺(ころ)して、一筋(ひとすぢ)づゝ、此(こ)の髮(かみ)の毛(け)を引拔(ひきぬ)かれますやうに……骨身(ほねみ)に應(こた)へるやうなんです……蟲(むし)には濟(す)まないと存(ぞん)じながら……眞個(ほんと)に因果(いんぐわ)なんですわねえ。」
 と染々(しみ/″\)言(い)ふ。
 唯吉(たゞきち)は敷居越(しきゐごし)に乘出(のりだ)しながら、
「何(なに)か知(し)りませんが、堪(たま)らないほど可厭(いや)なお心持(こゝろもち)らしく伺(うかゞ)はれますね……では、大抵(たいてい)分(わか)りました……手前(てまへ)にお頼(たの)みと云(い)ふのは、あの……ちん、ちんの聞(きこ)えないやうに、蟲(むし)を捕(つかま)へて打棄(うつちや)るか、何(ど)うにかしてくれろ、と云(い)ふんでせう……と其奴(そいつ)は一寸(ちよつと)困(こま)りましたな。其方(そちら)の……貴女(あなた)のお庭(には)に、ちよろ/\流(なが)れます遣水(やりみづ)のふちが、此(こ)の頃(ごろ)は大分(だいぶ)茂(しげ)りました、露草(つゆくさ)の青(あを)いんだの、蓼(たで)の花(はな)の眞赤(まつか)なんだの、美(うつく)しくよく咲(さ)きます……其(そ)の中(なか)で鳴(な)いて居(ゐ)るらしいんですがね。……
 蟋蟀(こほろぎ)でさへ、其(そ)の蟲(むし)は、宛然(まるで)夕顏(ゆふがほ)の種(たね)が一(ひと)つこぼれたくらゐ小(ちひさ)くつて、なか/\見着(みつ)かりませんし、……何(ど)うして掴(つか)まりつこはないさうです……貴女(あなた)がなさいますやうに、雪洞(ぼんぼり)を點(つ)けて探(さが)しました處(ところ)で、第一(だいいち)、形(かたち)だつて目(め)に留(とま)るんぢや、ありますまい。」
 と唯吉(たゞきち)もこゝで打解(うちと)けたらしく然(さ)う云(い)つた。
 今(いま)は、容子(ようす)だけでも疑(うたが)ふ處(ところ)はない……去年(きよねん)春(はる)の半(なか)ば頃(ごろ)から、横町(よこちやう)が門口(かどぐち)の、其(そ)の數寄(すき)づくりの裏家(うらや)に住(す)んだ美人(びじん)である。
 其(そ)の年(とし)の夏(なつ)が土用(どよう)に入(はひ)つて、間(ま)もなく……仔細(しさい)あつて……其家(そのいへ)には居(ゐ)なくなつた筈(はず)だと思(おも)ふ。

 庭(には)は唯(たゞ)垣(かき)一重(ひとへ)、二階(にかい)は屋根續(やねつゞ)きと云(い)つても可(よ)い、差配(さはい)も一(ひと)つ差配(さはい)ながら、前通(まへどほ)りと横町(よこちやう)で、引越蕎麥(ひつこしそば)のおつき合(あひ)の中(なか)には入(はひ)つて居(を)らぬから、内(うち)の樣子(やうす)は一寸(ちよつと)分(わか)らぬ。
 殊(こと)に其(そ)の家(いへ)は、風通(かぜとほ)しも可(よし)、室取(まど)りも可(よし)、造作(ざうさく)、建具(たてぐ)の如(ごと)きも、こゝらに軒(のき)を並(なら)べた貸家(かしや)とは趣(おもむき)が違(ちが)つて、其(それ)に家賃(やちん)もかつかうだと聞(き)くのに……不思議(ふしぎ)に越(こ)して來(く)るものが居着(ゐつ)かない。
 入(はひ)るか、と思(おも)ふと出(で)る、塞(ふさ)がつたと思(おも)へば空(あ)く。半月(はんつき)、一月(ひとつき)、三月(みつき)、ものの半年(はんとし)も住馴(すみな)れたのは殆(ほとん)どあるまい……處(ところ)で氣(き)を着(つ)けるでもなく、唯吉(たゞきち)が二階(にかい)から見知越(みしりごし)な、時々(とき/″\)の其(そ)の家(いへ)の主(あるじ)も、誰(たれ)が何時(いつ)のだか目紛(めまぎ)らしいほど、ごつちやに成(な)つて、髯(ひげ)やら前垂(まへだれ)やら判然(はんぜん)と區別(くべつ)が着(つ)かぬ。
 其(そ)の中(なか)に、今(いま)も忘(わす)れないのは、今夜(こんや)口(くち)を利(き)いて居(ゐ)る此(こ)の美人(びじん)であつた。……
 唯吉(たゞきち)が雇(やと)つておく、お媼(ば)さんの説(せつ)では、何(ど)うも人(ひと)の妾(めかけ)、かくし妻(づま)であらうと云(い)つた……其(それ)が引越(ひつこ)して來(き)た當時(たうじ)、女主人(をんなあるじ)と云(い)ふにつけて、其(そ)の庭(には)の片隅(かたすみ)に植(う)わつた一本(ひともと)の柳(やなぎ)の樹(き)、これが散(ち)ると屋根(やね)、もの干越(ほしごし)に、蓑(みの)を着(き)て渡(わた)りたい銀河(あまのがは)のやうに隅田川(すみだがは)が見(み)えるのに、葉(は)が茂(しげ)る頃(ころ)は燕(つばくろ)の羽(は)ほどの帆(ほ)も、ために遮(さへぎ)られて、唯吉(たゞきち)の二階(にかい)から隱(かく)れて行(ゆ)く。……對手(あひて)が百日紅(さるすべり)だと燒討(やきうち)にも及(およ)ぶ處(ところ)、柳(やなぎ)だけに不平(ふへい)も言(い)へぬが、口惜(くちをし)くない事(こと)はなかつた――其(それ)さへ、何(なん)となく床(ゆか)しいのに、此(こ)の邊(あたり)にしては可(か)なり廣(ひろ)い、其(そ)の庭(には)に石燈籠(いしどうろう)が据(すわ)つたあたりへ、巴(ともゑ)を崩(くづ)したやうな、たゝきの流(ながれ)を拵(こしら)へて、水(みづ)をちよろ/\と走(はし)らした……其(それ)も、女主人(をんなあるじ)の、もの數寄(ずき)で……
 兩方(りやうはう)のふちを挾(はさ)んで、雜草(ざつさう)を植込(うゑこ)んだのが、やがて、蚊帳(かや)つり草(ぐさ)になり、露草(つゆくさ)になり、紅蓼(べにたで)になつて、夏(なつ)のはじめから、朝露(あさつゆ)、夕露(ゆふつゆ)、……夜(よる)は姿(すがた)が隱(かく)れても、月(つき)に俤(おもかげ)の色(いろ)を宿(やど)して、蟲(むし)の聲(こゑ)さへ、薄(うつす)りと淺葱(あさぎ)に、朱鷺(とき)に、其(そ)の草(くさ)の花(はな)を綾(あや)に織(お)つた。……
「今度(こんど)裏(うら)の二階家(にかいや)へ越(こ)して來(き)た人(ひと)は、玉川(たまがは)さんと云(い)ふのだらう。」
 お媼(ば)さんが、其(そ)の時(とき)……
「おや、御存(ごぞん)じの方(かた)で在(い)らつしやいますか。」
「知(し)るものかね、けれども然(さ)うだらうと思(おも)ふのさ。當推量(あてずゐりやう)だがね。」
「今度(こんど)、お門札(かどふだ)を覗(のぞ)いて見(み)ませうでございます。」
「いや……見(み)ない方(はう)が可(い)い、違(ちが)ふと不可(いけな)いから、そして、名(な)はお京(きやう)さんと云(い)ふんだ……」
「お京(きやう)さま……」
「何(ど)うだい、然(さ)う極(き)めておかうぢやないか。」
「面白(おもしろ)い事(こと)をおつしやいます……ひよつとかして當(あた)りますかも知(し)れません。貴方(あなた)、然(さ)ういたしますと、何(ど)う云(い)ふか御縁(ごえん)がおあんなさいますかも知(し)れませんよ。」
「先(ま)づ、大丈夫(だいぢやうぶ)、女難(ぢよなん)はないとさ。」
 こんな事(こと)からお媼(ば)さんも、去年(きよねん)……其(そ)の當座(たうざ)、かりに玉川(たまがは)として置(お)く……其家(そのいへ)の出入(ではひ)りに氣(き)を着(つ)けたやうだつたが、主人(あるじ)か、旦那(だんな)か知(し)らず、通(かよ)つて來(く)るのが、謹深(つゝしみぶか)く温(つゝ)ましやかな人物(じんぶつ)らしくて、あからさまな夏(なつ)に成(な)つても、一度(ど)も姿(すがた)を見(み)なかつたと云(い)ふ。
 第一(だいいち)、二階(にかい)の其窓(そのまど)にも、階下(した)の縁先(えんさき)にも、とり/″\に風情(ふぜい)を添(そ)へる、岐阜提灯(ぎふぢやうちん)と、鐵燈籠(かなどうろう)、簾(すだれ)と葭簀(よしず)の涼(すゞ)しい色(いろ)。何(ど)うかすると石(いし)の手水鉢(てうづばち)が、柳(やなぎ)の影(かげ)に青(あを)いのに、清(きよ)らかな掛手拭(かけてぬぐひ)が眞白(まつしろ)にほのめくばかり、廊下(らうか)づたひの氣勢(けはひ)はしても、人目(ひとめ)には唯(たゞ)軒(のき)の荵(しのぶ)。

「裏(うら)の美(うつく)しいのは、旦那樣(だんなさま)、……坊主(ばうず)の持(もち)ものでござります……」
 道理(だうり)こそ、出入(でい)りを人(ひと)に隱(かく)して形(かたち)を見(み)せぬと、一晩(あるばん)お媼(ば)さんが注進顏(ちうしんがほ)で、功(てがら)らしく言(い)つた事(こと)を覺(おぼ)えて居(ゐ)る。……
 臺所(だいどころ)の狹(せま)い張出(はりだ)しで、お媼(ば)さんは日(ひ)が暮(く)れてから自分(じぶん)で行水(ぎやうずゐ)を使(つか)つた。が、蒸暑(むしあつ)い夜(よ)で、糊澤山(のりだくさん)な浴衣(ゆかた)を抱(だ)きながら、涼(すゞ)んで居(ゐ)ると、例(れい)の柳(やなぎ)の葉越(はごし)に影(かげ)が射(さ)す、五日(いつか)ばかりの月(つき)に電燈(でんとう)は點(つ)けないが、二階(にかい)を見透(みとほし)の表(おもて)の縁(えん)に、鐵燈籠(かなどうろう)の燈(ひ)ばかり一(ひと)つ、峰(みね)の堂(だう)でも見(み)るやうに、何(なん)となく浮世(うきよ)から離(はな)れた樣子(やうす)で、滅多(めつた)に顏(かほ)を見(み)せない其(そ)の女主人(をんなあるじ)が、でも、端近(はしぢか)へは出(で)ないで、座敷(ざしき)の中(なか)ほどに一人(ひとり)で居(ゐ)た。
 其(そ)の樣子(やうす)が、餘所(よそ)から歸宅(かへ)つて、暑(あつ)さの餘(あま)り、二階(にかい)へ遁(に)げて涼(すゞ)むらしい……
「羅(うすもの)も脱(ぬ)いで、帶(おび)も解(と)いて、水(みづ)のやうなお襦袢(じゆばん)ばかりで、がつかりしたやうに、持(も)つた團扇(うちは)も動(うご)かさないで、くの字(じ)なりに背後(うしろ)へ片手(かたて)支(つ)いて居(ゐ)なさる處(ところ)……何(ど)うもお色(いろ)の白(しろ)い事(こと)……乳(ちゝ)の邊(あたり)は其(そ)の團扇(うちは)で、隱(かく)れましたが、細(ほつそ)りした二(に)の腕(うで)の透(す)いた下(した)に、ちらりと結(むす)び目(め)が見(み)えました……扱帶(しごき)の端(はし)ではござりません……確(たし)かに帶(おび)でござりますね、月(つき)も最(も)う餘程(よほど)らしうござります……成程(なるほど)人目(ひとめ)に立(た)ちませう。
 此(これ)で以(もつ)て、あの方(かた)が、一寸(ちよつと)も庭(には)へも出(で)なさらない譯(わけ)も分(わか)りました、おみもちでござりますよ。」
 と其(そ)の時(とき)お媼(ば)さん拔衣紋(ぬきえもん)で、自分(じぶん)の下腹(したはら)を壓(おさ)へて言(い)つた。
「其(それ)が何(ど)うして、坊主(ばうず)の持(もち)ものだと知(し)れたんだらう。」
「處(ところ)が旦那樣(だんなさま)、別嬪(べつぴん)さんが、然(さ)うやつて、手足(てあし)も白々(しろ/″\)と座敷(ざしき)の中(なか)に涼(すゞ)んで居(ゐ)なさいます、其(そ)の周圍(まはり)を、ぐる/\と……床(とこ)の間(ま)から次(つぎ)の室(ま)の簀戸(よしど)の方(はう)、裏(うら)から表二階(おもてにかい)の方(はう)と、横肥(よこぶと)りにふとつた、帷子(かたびら)か何(なん)でござりますか、ぶわ/\した衣(き)ものを着(き)ました坊(ばう)さんが、輪(わ)をかいて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)つて居(を)ります。其(そ)の影法師(かげぼふし)が、鐵燈籠(かなどうろう)の幽(かすか)な明(あか)りで、別嬪(べつぴん)さんの、しどけない姿(すがた)の上(うへ)へ、眞黒(まつくろ)に成(な)つて、押(おし)かぶさつて見(み)えました。そんな處(ところ)へ誰(だれ)が他人(たにん)を寄(よ)せるものでございます。……まはりを※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)つて居(ゐ)た肥(ふと)つた坊(ばう)さんは、確(たしか)に、御亭主(ごていしゆ)か、旦那(だんな)に違(ちが)ひないのでございますよ。」
「はてな……其(それ)が又(また)、何(なん)だつて、蜘蛛(くも)の巣(す)でも掛(か)けるやうに、變(へん)に周圍(まはり)を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)るんだ。」
「其(それ)は貴方(あなた)、横(よこ)から見(み)たり、縱(たて)から見(み)たり、種々(いろ/\)にして樂(たのし)みますのでございます。妾(てかけ)などと申(まを)しますものは、然(さ)うしたものでございますとさ。」
「いや、恐(おそ)れるぜ。」
 と其(それ)なり濟(す)む。
 日(ひ)は經(た)ち、月(つき)はかはつたが、暑(あつ)さが續(つゞ)く。分(わ)けて雨催(あまもよ)ひで風(かぜ)の死(し)んだ、羽蟲(はむし)の夥(おびたゞ)しい夜(よ)であつた。……一度(ど)線(はりがね)を曳(ひ)いて窓(まど)へ出(だ)して、ねばり着(つ)いた蟲(むし)の數(かず)を、扱(しご)くほど、はたきに掛(か)けて拂(はら)ひ棄(す)てたが、もとへ据(す)ゑると、見(み)る/\うちに堆(うづたか)いまで、電燈(でんとう)のほやが黒(くろ)く成(な)つて、ばら/\と落(お)ちて、むら/\と立(た)ち、むず/\這(は)ふ。
 餘(あま)り煩(うるさ)くつて、パチンと捻(ひね)つて、燈(ひ)を消(け)した。
 曇(くも)つた空(そら)の星(ほし)もなし、眞黒(まつくろ)な二階(にかい)の裏(うら)の※(「木+靈」、第3水準1-86-29)子窓(れんじまど)で、――こゝに今(いま)居(ゐ)るやうに――唯吉(たゞきち)が、ぐつたりして溜息(ためいき)を吐(つ)いて、大川(おほかは)の水(みづ)を遮(さへぎ)る……葉(は)の動(うご)かない裏家(うらや)の背戸(せど)の、其(そ)の一本柳(ひともとやなぎ)を、熟々(つら/\)凝視(みつ)めて居(ゐ)た事(こと)があつた。
 其處(そこ)へ病上(やみあが)りと云(い)ふ風采(とりなり)、中形(ちうがた)の浴衣(ゆかた)の清(きよ)らかな白地(しろぢ)も、夜(よる)の草葉(くさば)に曇(くも)る……なよ/\とした博多(はかた)の伊達卷(だてまき)の姿(すがた)で、つひぞない事(こと)、庭(には)へ出(で)て來(き)た。其(そ)の時(とき)美人(びじん)が雪洞(ぼんぼり)を手(て)に取(と)つて居(ゐ)たのである。

 ほつれた圓髷(まげ)に、黄金(きん)の平打(ひらうち)の簪(かんざし)を、照々(てら/\)と左插(ひだりざし)。くツきりとした頸脚(えりあし)を長(なが)く此方(こなた)へ見(み)せた後姿(うしろすがた)で、遣水(やりみづ)のちよろ/\と燈影(ひかげ)に搖(ゆ)れて走(はし)る縁(へり)を、すら/\薄彩(うすいろ)に刺繍(ぬひとり)の、數寄(すき)づくりの淺茅生(あさぢふ)の草(くさ)を分(わ)けつゝ歩行(ひろ)ふ、素足(すあし)の褄(つま)はづれにちらめくのが。白々(しろ/″\)と露(つゆ)に輕(かる)く……柳(やなぎ)の絮(わた)の散(ち)る風情(ふぜい)。
 植(う)ゑ添(そ)へたのが何時(いつ)か伸(の)びて、丁度(ちやうど)咲出(さきで)た桔梗(ききやう)の花(はな)が、浴衣(ゆかた)の袖(そで)を左右(さいう)に分(わか)れて、すらりと映(うつ)つて二三輪(りん)、色(いろ)にも出(で)れば影(かげ)をも宿(やど)して、雪洞(ぼんぼり)の動(うご)くまゝ、靜(しづ)かな庭下駄(にはげた)に靡(なび)いて、十歩(ぽ)に足(た)らぬそゞろ歩行(あるき)も、山路(やまぢ)を遠(とほ)く、遙々(はる/″\)と辿(たど)るとばかり視(なが)め遣(や)る……
 間(ま)もなかつた。
 さつと音(おと)して、柳(やなぎ)の地摺(ぢず)りに枝垂(しだ)れた葉(は)が、裾(すそ)から渦(うづ)を卷(ま)いて黒(くろ)み渡(わた)つて、搖(ゆ)れると思(おも)ふと、湯氣(ゆげ)に蒸(む)したやうな生暖(なまぬる)い風(かぜ)が流(なが)れるやうに、ぬら/\と吹掛(ふきかゝ)つて、哄(どつ)と草(くさ)も樹(き)も煽(あふ)つて鳴(な)つたが、裾(すそ)、袂(たもと)を、はつと亂(みだ)すと、お納戸(なんど)の其(そ)の扱帶(しごき)で留(と)めた、前褄(まへづま)を絞(しぼ)るばかり、淺葱縮緬(あさぎちりめん)の蹴出(けだし)が搦(から)んで、踏出(ふみだ)す白脛(しらはぎ)を、草(くさ)の葉(は)の尖(さき)で危(あやふ)く留(と)めて……と、吹倒(ふきたふ)されさうに撓々(たわ/\)と成(な)つて、胸(むね)を反(そ)らしながら、袖(そで)で雪洞(ぼんぼり)の灯(ひ)をぴつたり伏(ふ)せたが、フツと消(き)えるや、よろ/\として、崩折(くづを)れる状(さま)に、縁側(えんがは)へ、退(しさ)りかゝるのを、空(そら)なぐれに煽(あふ)つた簾(すだれ)が、ばたりと音(おと)して、卷込(まきこ)むが如(ごと)く姿(すがた)を掻消(かきけ)す。
 其(そ)の雪洞(ぼんぼり)の消(き)えた拍子(ひやうし)に、晃乎(きらり)と唯吉(たゞきち)の目(め)に留(とま)つたのは、鬢(びんづら)を拔(ぬ)けて草(くさ)に落(お)ちた金簪(きんかんざし)で……濕(しめ)やかな露(つゆ)の中(なか)に、尾(を)を曳(ひ)くばかり、幽(かすか)な螢(ほたる)の影(かげ)を殘(のこ)したが、ぼう/\と吹亂(ふきみだ)れる可厭(いや)な風(かぜ)に、幻(まぼろし)のやうな蒸暑(むしあつ)い庭(には)に、恰(あたか)も曠野(あれの)の如(ごと)く瞰下(みおろ)されて、やがて消(き)えても瞳(ひとみ)に殘(のこ)つた、簪(かんざし)の蒼(あを)い光(ひかり)は、柔(やはら)かな胸(むね)を離(はな)れて行方(ゆくへ)も知(し)れぬ、……其(そ)の人(ひと)の人魂(おにび)のやうに見(み)えたのであつた。……同(おな)じ夜(よ)の寢(ね)る時分(じぶん)、
「裏家(あちら)では、今夜(こんや)、お産(さん)のやうでございます……」
 と云(い)つた、お媼(ば)さんは、あとじさりに蚊帳(かや)へ潛(もぐ)つた。
 風(かぜ)は凪(や)んでも雨(あめ)にも成(な)らず……激(はげ)しい暑(あつ)さに寢(ね)られなかつた、唯吉(たゞきち)は曉方(あけがた)に成(な)つてうと/\するまで、垣根(かきね)一重(ひとへ)の隔(へだ)てながら、産聲(うぶごゑ)と云(い)ふものも聞(き)かなかつたのである。
「お可哀相(かはいさう)に……あの方(かた)は、昨晩(ゆうべ)、釣臺(つりだい)で、病院(びやうゐん)へお入(はひ)りなすつたさうでございます。」
「やあ。産(さん)が重(おも)かつたか。」
「嬰兒(あかんぼ)は死(し)んで出(で)ましたとも申(まを)しますが、如何(いかゞ)でございますか、何(な)にしろお氣(き)の毒(どく)でございますねえ。」
 二月(ふたつき)ばかり經(た)つと、婆(ばあ)やが一人(ひとり)、留守(るす)をしたのが引越(ひつこ)したツ切(きり)、何(なん)とも、其(そ)れぎり樣子(やうす)を聞(き)かずに過(す)ごす。
 生死(しやうし)は知(し)らぬが、……いま唯吉(たゞきち)が、屋根越(やねごし)に、窓(まど)と窓(まど)とに相對(あひたい)して、もの云(い)ふは即(すなは)ち其(そ)の婦人(をんな)なのである。……
「まあ、」
 と美人(びじん)は、團扇(うちは)を敷居(しきゐ)に返(かへ)して、ふいと打消(うちけ)すらしく、其(そ)の時(とき)云(い)ふやう。
 どんなに私(わたし)が厚顏(あつかま)しうござんしたつて、貴方(あなた)に蟲(むし)を捕(と)つて、棄(す)てて下(くだ)さいなんぞと、そんな事(こと)が申(まを)されますものですか。
 あの……」
 派手(はで)な聲(こゑ)ながら、姿(すがた)ばかりは愼(つゝ)ましさうに、
「そんな事(こと)ではありません。お願(ねが)ひと申(まを)しますのは……」

 今(いま)は其(そ)の頼(たの)みと云(い)ふのを聞(き)かないわけには行(ゆ)かなく成(な)つた―……聞(き)かう、と唯吉(たゞきち)は胸(むね)を轟(とゞろ)かす。
「何(ど)うぞ、貴方(あなた)、私(わたし)が今夜(こんや)此處(こゝ)に居(を)りました事(こと)を、誰(だれ)にも仰有(おつしや)らないで下(くだ)さいまし。……唯(たゞ)それだけでございます。」
 と輕(かる)く言(い)ふ。
 餘(あま)り仔細(しさい)のない事(こと)を、聞(き)いて飽氣(あつけ)なく思(おも)ふほど、唯吉(たゞきち)は尚(なほ)氣(き)に掛(かゝ)る……昔(むかし)から語繼(かたりつ)ぎ言傳(いひつた)へる例(れい)によると、誰(たれ)にも言(い)ふ勿(な)と頼(たの)まるゝ、其(そ)の當人(たうにん)が……實(じつ)は見(み)ては成(な)らない姿(すがた)である場合(ばあひ)が多(おほ)い。
「はあ、誰(だれ)にもですね。」
 自分(じぶん)の見(み)たのは、と云(い)ふ心(こゝろ)を唯吉(たゞきち)は裏問(うらど)ひかける。
「否(いゝえ)、それまででもないんです……誰(だれ)にもと言(い)ひますうちにも、差配(さはい)さんへは、分(わ)けて内證(ないしよう)になすつて下(くだ)さいまし。」
「可(よ)うござんすとも……が、何(ど)うしてです。」
 と問返(とひかへ)すうちにも、一層(いつそう)、妙(めう)な夢路(ゆめぢ)を辿(たど)る心持(こゝろもち)のしたのは、其(そ)の差配(さはい)と云(い)ふのは、こゝに三軒(げん)、鼎(かなへ)に成(な)つて、例(れい)の柳(やなぎ)の樹(き)を境(さかひ)に、同(おな)じくたゞ垣(かき)一重(ひとへ)隔(へだ)つるのみ。で、……形(かた)の如(ごと)き禿頭(はげあたま)が、蚊帳(かや)に北向(きたむ)きにでも寢(ね)て居(ゐ)ると、分(わ)けて其(それ)は平屋(ひらや)であるため、二人(ふたり)は丁度(ちやうど)夢枕(ゆめまくら)に立(た)つて、高(たか)い所(ところ)で、雲(くも)の中(なか)に言(ことば)を交(か)はして居(ゐ)るやうな形(かたち)に成(な)るから。……
「御存(ごぞん)じの通(とほ)り、」
 と、差配(さはい)の棟(むね)の上(うへ)の其(その)ためか、婦人(をんな)は聲(こゑ)を密(ひそ)めたが、電車(でんしや)の軋(きしみ)も響(ひゞ)かぬ夜更(よふけ)。柳(やなぎ)に渡(わた)る風(かぜ)もなし、寂然(しん)として、よく聞(きこ)える……たゞ空(そら)走(はし)る雲(くも)ばかり、月(つき)の前(まへ)を騷(さわ)がしい、が、最初(はじめ)から一(ひと)ツ一(ひと)ツ、朗(ほがらか)な聲(こゑ)が耳(みゝ)に響(ひゞ)くのであつた。
「此處(こゝ)は空屋(あきや)に成(な)つて居(を)ります……昨年(さくねん)住(す)んで居(ゐ)ましたつて最(も)う何(なん)の縁(えん)もありませんものが、夜中(やちう)、斷(ことわ)りもなしに入(はひ)つて參(まゐ)りましたんですもの。知(し)れましては申譯(まをしわけ)がありません……
 つい、あの、通(とほ)りがかりに貸家札(かしやふだ)を見(み)ましたものですから、誰方(どなた)もおいでなさらないと思(おも)ひますと、何(なん)ですか可懷(なつかし)くつて、」
 と向(むき)を替(か)へて、團扇(うちは)を提(さ)げて、すらりと立(た)つた。美人(びじん)は庭(には)を差覗(さしのぞ)く……横顏(よこがほ)は尚(な)ほ、くつきりと、鬢(びん)の毛(け)は艷増(つやま)したが、生憎(あいにく)草(くさ)は暗(くら)かつた。
「御尤(ごもつとも)です……あんなに丹精(たんせい)をなさいましたから……でも、お引越(ひつこ)しなすつたあとでは、水道(すゐだう)を留(と)めたから、遣水(やりみづ)は涸(か)れました。しかし、草(くさ)は其(そ)のまゝです……近頃(ちかごろ)までに、四五度(ど)、越(こ)して來(き)た人(ひと)がありましたけれども、何(ど)う云(い)ふものか住着(すみつ)きませんから、別(べつ)に手入(てい)れもしないので、貴女(あなた)のおもの好(ずき)のまゝに殘(のこ)つて居(ゐ)ます、……秋口(あきぐち)には、去年(きよねん)は、龍膽(りんだう)も咲(さ)きましたよ。……露草(つゆくさ)は今(いま)盛(さか)りです……桔梗(ききやう)も澤山(たくさん)に殖(ふ)えました……
 月夜(つきよ)なんざ、露(つゆ)にも色(いろ)が染(そま)るやうに綺麗(きれい)です……お庇(かげ)を被(かうむ)つて、いゝ保養(ほやう)をしますのは、手前(てまへ)ども。
 お禮心(れいごころ)に、燈(あかり)を點(つ)けておともをしませう……町(まち)を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)つて、門(かど)までお迎(むか)ひに參(まゐ)つても可(よ)うござんす……庭(には)へ出(で)て御覽(ごらん)なさいませんか。
 尤(もつと)も、雪洞(ぼんぼり)と云(い)ふ、樣子(やうす)の可(い)い處(ところ)は持合(もちあ)はせがありません。」
 とうつかり喋舌(しやべ)る。
「まあ、よくお覺(おぼ)えなすつて在(い)らつしやるわね。」
「忘(わす)れませんもの。」
「後生(ごしやう)ですから、」
 と衝(つ)と戸袋(とぶくろ)へ、立身(たちみ)で斜(なゝ)めに近(ちか)づいて、
「あの時(とき)の事(こと)はお忘(わす)れなすつて下(くだ)さいまし……思出(おもひだ)しても慄然(ぞつ)とするんでございますから……」
「うつかりして、此方(こつち)から透見(すきみ)をされた、とお思(おも)ひですか。」
「否(いゝえ)、可厭(いや)な風(かぜ)が吹(ふ)いたんです……そして、其(そ)の晩(ばん)、可恐(おそろし)い、氣味(きみ)の惡(わる)い坊(ばう)さんに、忌々(いま/\)しい鉦(かね)を叩(たゝ)かれましたから……」
 唯吉(たゞきち)は、思(おも)はず、乘(のつ)かゝつて居(ゐ)た胸(むね)を引(ひ)く。

 婦人(をんな)の手(て)が白(しろ)く戸袋(とぶくろ)の端(はし)に見(み)えた……近(ちか)く、此方(こなた)を差覗(さしのぞ)くよ。
「あの……實(じつ)は貴方(あなた)が、繪(ゑ)を遊(あそ)ばすつて事(こと)を存(ぞん)じて居(を)りましたものですから、……お恥(はづ)かしうござんすわね……」
 と一寸(ちよつと)言淀(いひよど)む。
 唯吉(たゞきち)は浮世繪(うきよゑ)を描(か)くのである。
「私(わたし)は其(そ)の節(せつ)、身重(みおも)なんでございましたの……ですから、淺(あさ)ましい處(ところ)を、お目(め)に掛(か)けますのが情(なさけ)なくつて、つい、引籠(ひきこも)つてばかり居(ゐ)ました所(ところ)、何(なん)ですか、あの晩(ばん)は心持(こゝろもち)が、多時(しばらく)庭(には)へも出(で)られなからうと思(おも)はれましたので、密(そつ)と露(つゆ)の中(なか)を、花(はな)に觸(さは)つて歩行(ある)いて見(み)たんでございます。
 生暖(なまぬる)い、風(かぜ)に當(あた)つて、目(め)が、ぐら/\としましたつけ……産所(さんじよ)へ倒(たふ)れて了(しま)ひました。嬰兒(あかんぼ)は死(し)んで生(うま)れたんです。
 其(それ)も唯(たゞ)、苦(くる)しいので、何(なん)ですか夢中(むちう)でしたが、今(いま)でも覺(おぼ)えて居(を)りますのは、其時(そのとき)、錐(きり)を、貴方(あなた)、身節(みふし)へ揉込(もみこ)まれるやうに、手足(てあし)、胸(むね)、腹(はら)へも、ぶる/\と響(ひゞ)きましたのは、カン/\!と刻(きざ)んで鳴(な)らす鉦(かね)の音(おと)だつたんです。
 丁(ちやう)ど後産(あとざん)の少(すこ)し前(まへ)だと、後(のち)に聞(き)いたんでございますが、參合(まゐりあ)はせました、私(わたし)ども主人(あるじ)が、あゝ、可厭(いや)な音(おと)をさせる……折(をり)の惡(わる)い、……産婦(さんぷ)の私(わたし)にも聞(き)かせともなし、早(はや)く退(ど)いて貰(もら)はうと、框(かまち)の障子(しやうじ)を開(あ)けました。……
 鉦(かね)を叩(たゝ)くものは、此(こ)の貴方(あなた)、私(わたし)どもの門(かど)に立(た)つて居(ゐ)たんですつて、」
「其(そ)の横町(よこちやう)の……」
「はあ、」
「何(なん)です……鉦(かね)を叩(たゝ)くものは?」
「肥(ふと)つた坊主(ばうず)でござんしたつて、」
「えゝ?」
 すると……其(そ)の婦人(をんな)の主人(あるじ)と云(い)ふのは……二階座敷(にかいざしき)の火(ひ)のない中(なか)を、媚(なまめ)かしい人(ひと)の周圍(まはり)を、ふら/\とまはり繞(めぐ)つた影法師(かげぼふし)とは違(ちが)ふらしい。
「忌々(いま/\)しいではありませんか。主人(あるじ)が見(み)ますと、格子戸(かうしど)の外(そと)に、黒(くろ)で、卍(まんじ)をおいた薄暗(うすぐら)い提灯(ちやうちん)が一(ひと)つ……尤(もつと)も一方(いつぱう)には、朱(しゆ)で何(なに)かかいてあつたさうですけれど、其(それ)は見(み)えずに、卍(まんじ)が出(で)て……黄色黒(きいろぐろ)い、あだ汚(よご)れた、だゞつ廣(ぴろ)い、無地(むぢ)の行衣(ぎやうえ)見(み)たやうなものに、鼠(ねずみ)の腰衣(こしごろも)で、ずんぐり横肥(よこぶと)りに、ぶよ/\と皮(かは)がたるんで、水氣(すゐき)のありさうな、蒼(あを)い顏(かほ)のむくんだ坊主(ばうず)が、……あの、居(ゐ)たんですつて――そして、框(かまち)へ出(で)た主人(あるじ)を見(み)ますと、鉦(かね)をたゝき止(や)めて、朦(もう)とした卍(まんじ)の影(かげ)に立(た)つて居(ゐ)ました。
(何(なん)だ?……)
 主人(あるじ)も、容體(ようだい)の惡(わる)い病人(びやうにん)で、氣(き)が上(うは)ずつて居(ゐ)て突掛(つゝかゝ)るやうに申(まを)したさうです。
(騷々(さう/″\)しい!……急病人(きふびやうにん)があるんだ、去(い)つて下(くだ)さい。)
 然(さ)うしますと、坊(ばう)さんが、蒼黄色(あをきいろ)に、鼠色(ねずみいろ)の身體(からだ)を搖(ゆす)つて、唾(つば)を一杯(いつぱい)溜(た)めたやうな、ねば/\とした聲(こゑ)で、
(其(そ)の病人(びやうにん)があるので※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)るいの……)
 コンと一(ひと)つ敲(たゝ)いて見(み)せて、
(藥賣(くすりう)りぢやに買(か)ひないな、可(え)え所(ところ)へ來(き)たでや。)
 ツて、ニヤリと茶色(ちやいろ)の齒(は)を見(み)せて笑(わら)つたさうです……
(可(い)い所(ところ)とは何(なん)だ無禮(ぶれい)な、急病人(きふびやうにん)があると云(い)ふのに、)
 と極(き)めつけますとね。……
(お身樣(みさま)が赫(かツ)と成(な)つたで、はて、病人(びやうにん)の症(やまひ)も知(し)れた……血(ち)が上(あが)るのでや……)
 と頷(うなづ)いて、合點々々(がつてん/\)をするんですつて、」
 唯吉(たゞきち)は、こゝで聞(き)くさへ堪(こら)へられぬばかりに思(おも)ふ。
「不埒(ふらち)な奴(やつ)です……何(なに)ものです。」
「まあ、お聞(き)きなさいまし……」

「主人(あるじ)は、むら/\と氣(き)が苛(い)れて、早(はや)く追退(おひの)けようより、何(なに)より、
(何(なん)だ、何(なん)だ、お前(まへ)は。)
 と急込(せきこ)むのが前(まへ)に立(た)つ。
(弘法大師(こうぼふだいし)……)
 カーンと又(また)鉦(かね)を叩(たゝ)いて、
(御夢想(ごむさう)の藥(くすり)ぢやに……何(なん)の病疾(やまひ)も速(すみや)かに治(なほ)るで、買(か)ひないな……丁(ちやう)ど、來合(きあ)はせたは、あなた樣(さま)お導(みちび)きぢや……仇(あだ)には思(おも)はれますな。)
(要(い)らないよ。)
(爲(ため)に成(な)らぬが、)
 と、額(ひたひ)に蜘蛛(くも)のやうな皺(しわ)を寄(よ)せて、上目(うはめ)で、じろりと見(み)ましたつて、
(お導(みちび)きで來合(きあ)はせた藥(くすり)を買(か)はいでは、病人(びやうにん)が心許(こゝろもと)ない。お頂(いたゞ)きなされぬと、後悔(こうくわい)をされうが。)
(死(し)んでも構(かま)はん、早々(さつさ)と歸(かへ)れ。)
(斃(お)ちても可(え)えか……はあ、)
 と呆(あき)れたやうに大(おほ)きな口(くち)を開(あ)けると、卍(まんじ)を頬張(ほゝば)つたらしい、上顎(うはあご)一杯(いつぱい)、眞黒(まつくろ)に見(み)えたさうです。
(是非(ぜひ)に及(およ)ばん事(こと)の。)
 カン/\と鉦(かね)を叩(たゝ)きながら、提灯(ちやうちん)の燈(ひ)を含(ふく)みましたやうに、鼠(ねずみ)の腰衣(こしごろも)をふは/\と薄明(うすあか)るく膨(ふく)らまして、行掛(ゆきが)けに、鼻(はな)の下(した)を伸(の)ばして、足(あし)を爪立(つまだ)つて、伸上(のびあが)つて、見返(みかへ)つて、其(そ)れなり町(まち)の角(かど)を切(き)れましたつて。
(是非(ぜひ)に及(およ)ばぬ……)
 可厭(いや)な辻占(つじうら)でしたわねえ。」
 と俯向(うつむ)いて一寸(ちよつと)言(ことば)が途絶(とだ)え……
「やがて、其(そ)の後(あと)から、私(わたし)は身體(からだ)を載(の)せられて、釣臺(つりだい)で門(もん)を出(で)ました。
 大橋邊(おほはしへん)の、病院(びやうゐん)に參(まゐ)ります途中(とちう)……私(わたし)は顏(かほ)を見(み)られるのが辛(つら)うござんしたから、」
 ともの思(おも)ふ状(さま)に雲(くも)を見(み)た。雲(くも)は、はツ/\と、月(つき)が自分(じぶん)で吐出(はきだ)すやうに、むら/\と白(しろ)く且(か)つ黒(くろ)い。
「お星樣(ほしさま)一(ひと)ツ見(み)えないほど、掻卷(かいまき)を引被(ひつかぶ)つて、眞暗(まつくら)に成(な)つて行(い)つたんです。
(清正公樣(せいしやうこうさま)の前(まへ)だよ……煎豆屋(いりまめや)の角(かど)、唐物屋(たうぶつや)の所(ところ)……水天宮樣(すゐてんぐうさま)の横通(よこどほり)………)
 と所々(ところ/″\)で、――釣臺(つりだい)に附(つ)いてくれました主人(あるじ)が聲(こゑ)を掛(か)けて教(をし)へますのを、あゝ、冥途(めいど)へ行(ゆ)く路(みち)も、矢張(やつぱ)り、近所(きんじよ)だけは知(し)つた町(まち)を通(とほ)るのかと思(おも)ひました。
 私(わたし)は死(し)にさうな心持(こゝろもち)。
 そして、路筋(みちすぢ)を聞(き)かしてくれます、主人(あるじ)の聲(こゑ)のしません間(あひだ)は、絶(た)えず蟲(むし)が鳴(な)きましたつけ。前(まへ)に、身體(からだ)の一大事(いちだいじ)と云(い)つた時(とき)に、あの鉦(かね)を聞(き)かされましたのが耳(みゝ)に附(つ)いて……蟲(むし)の中(なか)でも、あれが、鉦(かね)たゝきと思(おも)ふばかりで、早鐘(はやがね)を撞(つ)きますやうな血(ち)が胸(むね)へ躍(をど)つたんです……
 又(また)……後(あと)で主人(あるじ)に聞(き)きますと……釣臺(つりだい)が出(で)ますと、それへ着(つ)いた提灯(ちやうちん)の四五尺(しやく)前(まへ)へ、早(は)や、あの、卍(まんじ)をかいたのが、重(かさな)つて點(とも)れて、すつ/\と先(さき)を切(き)つて歩行(ある)いたんださうです。」
「其(そ)、其(そ)の坊主(ばうず)が、」
「えゝ……遠(とほ)くへも行(ゆ)かないで、――藥(くすり)を買(か)はなかつた仇(あだ)をしに――待受(まちう)けてでも居(ゐ)たのでせう……直(ぢ)き二丁目(にちやうめ)の中程(なかほど)から、然(さ)うやつて提灯(ちやうちん)が見(み)え出(だ)したさうですが、主人(あるじ)かつて、忌(いま)はしからうが何(ど)うしようが、藥賣(くすりう)りが町(まち)を歩行(ある)くのに、故障(こしやう)を言(い)へるわけはありません。
 何(なん)だつて、又(また)……大病人(たいびやうにん)を釣臺(つりだい)でかゝへて居(ゐ)て、往來(わうらい)、喧嘩(けんくわ)も出來(でき)ない義理(ぎり)ですから、睨着(にらみつ)けて其(そ)のまんま歩行(ある)いたさうです。
 たゞ、あの、此處(こゝ)は、何處(どこ)……其處(そこ)……と私(わたし)に言(い)つて聞(き)かしました時分(じぶん)だけは、途切(とぎ)れたやうに其(そ)の提灯(ちやうちん)が隱(かく)れましたつて。清正公樣(せいしやうこうさま)の前(まへ)、煎豆屋(いりまめや)の角(かど)、唐物屋(たうぶつや)の所(ところ)、水天宮樣(すゐてんぐうさま)の裏通(うらどほ)り、とそツち此方(こつち)で、一寸々々(ちよい/\)見(み)えなく成(な)つたらしいんですが、……」

「すぐに、卍(まんじ)が出(で)て、ふつと前(まへ)へ通(とほ)つて行(ゆ)きます。最(も)う、其(それ)を見(み)ると、口惜(くや)しさが胸(むね)を縛(しば)つて、咽喉(のど)を詰(つ)めて、主人(あるじ)は口(くち)も利(き)けなかつたさうなんですよ。
 其主人(そのあるじ)の默(だま)つてますうちは、私(わたし)が鉦(かね)たゝきに五體(ごたい)を震(ふる)はす時(とき)でした……尤(もつと)も、坊主(ばうず)は、唯(たゞ)ぼんやりと鼠(ねずみ)の腰法衣(こしごろも)でぶら/\と前(まへ)へ立(た)ちますばかり、鉦(かね)は些(ちつ)とも鳴(なら)さなかつたつて事(こと)でした……
 カン/\カン/\と、不意(ふい)に目口(めくち)へ打込(うちこ)まれるやうに響(ひゞ)きました。
 私(わたし)は氣(き)が遠(とほ)くなつて了(しま)つたんです。
 口(くち)へ冷(つめた)いものが入(はひ)つて、寢臺(ねだい)の上(うへ)に居(ゐ)るのが分(わか)りましたつけ……坊主(ばうず)が急(きふ)に鉦(かね)を鳴(な)らしたのは、丁(ちやう)ど、釣臺(つりだい)が病院(びやうゐん)の門(もん)を入(はひ)る時(とき)だつたさうです。
 其(そ)の門(もん)が、又(また)……貴方(あなた)、表(おもて)でもなければ潛(くゞ)りでもなくつて、土塀(どべい)へついて一※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(ひとまは)り※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)りました、大(おほき)な椎(しひ)の樹(き)があります、裏門(うらもん)で木戸口(きどぐち)だつたと申(まを)すんです。
 尤(もつと)も、二時(じ)過(す)ぎに參(まゐ)つたんですから、門(もん)も潛(くゞ)りも閉(しま)つて居(ゐ)て、裏(うら)へ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)つたも分(わか)りましたが、後(のち)に聞(き)けば何(ど)うでせう……其(そ)の木戸(きど)は、病院(びやうゐん)で、死(し)にました死骸(しがい)ばかりを、密(そつ)と内證(ないしよう)で出(だ)します、其(そ)のために、故(わざ)と夜中(やちう)に明(あ)けとくんですつて、不淨門(ふじやうもん)!……
 隨分(ずゐぶん)ですわねえ。ほゝゝほ、」
 と寂(さび)しい笑顏(ゑがほ)が、戸袋(とぶくろ)へひつたりついて、ほの白(しろ)く此方(こなた)を覘(のぞ)いて打傾(うちかたむ)いた。
 唯吉(たゞきち)は又(また)慄然(ぞつ)とした。
「坊主(ばうず)は何(ど)うしました。」
「心得(こゝろえ)たもの、貴方(あなた)……」
 と聲(こゑ)が何故(なぜ)か近(ちか)く來(き)て、
「塀(へい)から押(おつ)かぶさりました、其(そ)の大(おほき)な椎(しひ)の樹(き)の下(した)に立(た)つて、半紙(はんし)四(よ)つ切(ぎ)りばかりの縱長(たてなが)い――膏藥(かうやく)でせう――其(それ)を提灯(ちやうちん)の上(うへ)へ翳(かざ)して、はツはツ、」
 と云(い)ふ、婦人(をんな)は息(いき)だはしいやうで、
「と黒(くろ)い呼吸(いき)を吐掛(はきか)けて居(ゐ)たんださうです……釣臺(つりだい)が摺違(すれちが)つて入(はひ)ります時(とき)、びたりと、木戸(きど)の柱(はしら)にはつて、上(うへ)を一(ひと)つ蒼黄色(あをきいろ)い、むくんだ掌(てのひら)で撫(な)でましたつて……
 悄乎(しよんぼり)と其處(そこ)へ入(はひ)ると、其(そ)のトタンに、カン/\カン。
 釣臺(つりだい)は、しつかり蓋(ふた)をした、大(おほき)な古井戸(ふるゐど)の側(そば)を通(とほ)つて居(ゐ)ました。
 餘(あんま)りですから、主人(あるじ)が引返(ひつかへ)さうとした時(とき)です……藥賣(くすりうり)の坊主(ばうず)は、柄(え)のない提灯(ちやうちん)を高々(たか/″\)と擧(あ)げて、椎(しひ)の樹(き)の梢越(こずゑご)しに、大屋根(おほやね)でも見(み)るらしく、仰向(あをむ)いて、
(先(ま)づは送(おく)つたぞ……)
 と聲(こゑ)を掛(か)けると、何處(どこ)かで、
(御苦勞(ごくらう)。)
 と一言(ひとこと)、婦(をんな)の聲(こゑ)で言(い)ひましたさうです……
 おやと思(おも)ふと、灰色(はひいろ)の扉(ひらき)が開(あ)いて、……裏口(うらぐち)ですから、油紙(あぶらがみ)なんか散(ち)らかつた、廊下(らうか)のつめに、看護婦(かんごふ)が立(た)つて、丁(ちやう)ど釣臺(つりだい)を受取(うけと)る處(ところ)だつたんですつて。
 主人(あるじ)は、此(こ)の方(はう)へ氣(き)を取(と)られました、が、其(それ)つ切(き)り、藥賣(くすりうり)は影(かげ)も形(かたち)も見(み)えません、あの……」
 と一息(ひといき)。で、
「此(これ)は、しかし私(わたし)が自分(じぶん)で見(み)たのではありません。其(それ)から、私(わたし)は私(わたし)の方(はう)で、何(なに)か、あの、ござんした。
 變(へん)な事(こと)が。
 其(そ)の時(とき)に、次手(ついで)に主人(あるじ)が話(はな)して聞(き)かせたんです……私(わたし)はたゞ其(そ)の鉦(かね)の音(ね)が耳(みゝ)について耳(みゝ)に着(つ)いて、少(すこ)しでも、うと/\としようとすれば、枕(まくら)に撞木(しゆもく)を當(あ)てて、カン/\と鳴(な)るんですもの……昔(むかし)、うつゝ責(ぜめ)とか申(まを)すのに、どら、ねう鉢(ばち)、太鼓(たいこ)を一齊(いちどき)に敲(たゝ)くより、鉦(かね)ばかりですから、餘計(よけい)に脈々(みやく/\)へ響(ひゞ)いて、貫(とほ)つて、其(そ)の苦(くる)しさつたら、日(ひ)に三度(ど)も注射(ちうしや)の針(はり)を刺(さ)されます、其(そ)の痛(いた)さなんぞなんでもない!」

「貴方(あなた)……そんなに切(せつ)なくつたつて、一寸(ちよつと)寢返(ねがへ)り所(どころ)ですか、醫師(せんせい)の命令(いひつけ)で、身動(みうご)きさへ成(な)りません。足(あし)は裾(すそ)へ、素直(まつすぐ)に揃(そろ)へたつ切(きり)、兩手(りやうて)は腋(わき)の下(した)へ着(つ)けたつ切(きり)、で熟(じつ)として、たゞ見舞(みまひ)が見(み)えます、扉(ひらき)の開(あ)くのを、便(たよ)りにして、入口(いりくち)の方(はう)ばかり見詰(みつ)めて見(み)ました。
 實家(さと)の、母親(はゝおや)、※(あね)[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、615-1]なんぞが、交(かは)る/″\附(つ)いて居(ゐ)てくれます他(ほか)に、其(そ)の扉(ひらき)ばかり瞻(みつ)めましたのは、人懷(ひとなつ)かしいばかりではないのです……續(つゞ)いて二人(ふたり)、三人(さんにん)まで一時(いちどき)に入(はひ)つて來(く)れば、屹(きつ)と其(それ)が、私(わたし)の臨終(りんじう)の知(し)らせなんでせうから、すぐに心掛(こゝろがか)りのないやうに、遺言(ゆゐごん)の眞似(まね)ごとだけもしませうと、果敢(はかな)いんですわねえ……唯(たゞ)そればかりを的(まと)のやうにして目(め)を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つて居(ゐ)たんですよ。
 然(さ)うしますとね、苦(くる)しい中(なか)にも、氣(き)が澄(す)むつて言(い)ふんでせう……窓(まど)も硝子(がらす)も透通(すきとほ)つて、晴切(はれき)つた秋(あき)の、高(たか)い蒼空(あをぞら)を、も一(ひと)つ漉(こ)した、それは貴方(あなた)、海(うみ)の底(そこ)と云(い)つて可(い)いか何(なん)と申(まを)して可(い)いんでせう、寒(かん)の月(つき)の底(そこ)へ入(はひ)つて、白(しろ)く凍(こほ)つたやうにも思(おも)へます。玲瓏(れいろう)つて云(い)ふんですか、自分(じぶん)の手(て)も、腕(うで)も、胸(むね)なんぞは乳(ちゝ)のなり、薄掻卷(うすかいまき)へすつきりと透(す)いて、映(うつ)つて、眞綿(まわた)は吉野紙(よしのがみ)のやうに血(ち)を壓(おさ)へて、骨(ほね)を包(つゝ)むやうなんです。
 清々(すが/\)しいの、何(なん)のつて、室内(しつない)には塵(ちり)一(ひと)ツもない、あつても其(それ)が矢張(やつぱ)り透通(すきとほ)つて了(しま)ふんですもの。壁(かべ)は一面(いちめん)に玉(たま)の、大姿見(おほすがたみ)を掛(か)けたやうでした、色(いろ)は白(しろ)いんですがね。
 ト最(も)う、幾日(いくにち)だか、晝(ひる)だか夜(よる)だか分(わか)りません、けれども、ふつと私(わたし)の寢臺(ねだい)の傍(そば)に坐(すわ)つて居(ゐ)る……見馴(みな)れない人(ひと)があつたんです。」
「えゝ、何(なん)ですつて、」
 と思(おも)はず聲(こゑ)を出(だ)して、唯吉(たゞきち)は窓(まど)から頸(くび)を引込(ひつこ)めた。
「私(わたし)は傍目(わきめ)も觸(ふ)らないで、瞳(ひとみ)を凝(じつ)と撓(た)めて視(み)たんですが、つひぞ覺(おぼ)えのない人(ひと)なんです……
 四十七八、五十ぐらゐにも成(な)りませうか、眉毛(まゆげ)のない、面長(おもなが)な、仇白(あだじろ)い顏(かほ)の女(をんな)で、頬骨(ほゝぼね)が少(すこ)し出(で)て居(ゐ)ます。薄(うす)い髮(かみ)を結(むす)び髮(がみ)に、きちんと撫(なで)つけて、衣紋(えもん)をすつと合(あ)はせた……あの、其(そ)の襟(えり)が薄黄色(うすきいろ)で、而(そ)して鼠(ねずみ)に藍(あゐ)がかつた、艷々(つや/\)として底光(そこびか)りのする衣服(きもの)に、何(なん)にもない、白(しろ)い、丸拔(まるぬ)きの紋着(もんつき)を着(き)て、幅(はゞ)の狹(せま)い黒繻子(くろじゆす)らしい帶(おび)を些(ち)と低(ひく)めに〆(し)めて、胸(むね)を眞直(まつす)ぐに立(た)てて、頤(おとがひ)で俛向(うつむ)いて、額越(ひたひごし)に、ツンとした權(けん)のある鼻(はな)を向(む)けて、丁(ちやう)ど、私(わたし)の左(ひだり)の脇腹(わきばら)のあたりに坐(すわ)つて、あからめもしないと云(い)つた風(ふう)に、ものも言(い)はなければ、身動(みうご)きもしないで、上(うへ)から、私(わたし)の顏(かほ)を見詰(みつ)めて居(ゐ)るぢやありませんか。
 其(それ)が貴方(あなた)……變(へん)な事(こと)には、病室(びやうしつ)で、私(わたし)の寢臺(ねだい)の上(うへ)に、然(さ)うやつて仰向(あをむ)けに寢(ね)て居(ゐ)ますんでせう。左(ひだり)の脇腹(わきばら)のあたりに坐(すわ)りました、其(そ)の女性(をんな)の膝(ひざ)は、寢臺(ねだい)の縁(ふち)と、すれ/\の所(ところ)に、宙(ちう)にふいと浮上(うきあが)つて居(ゐ)るのですよ。」
 唯吉(たゞきち)は押默(おしだま)つた。
「……恁(か)う、然(さ)まで骨々(ほね/″\)しう痩(や)せもしない兩手(りやうて)を行儀(ぎやうぎ)よく膝(ひざ)の上(うへ)に組(く)んだんですが、其(その)藍(あゐ)がかつた衣服(きもの)を膝頭(ひざがしら)へするりと、掻込(かいこ)みました、褄(つま)が揃(そろ)つて、其(そ)の宙(ちう)に浮(う)いた下(した)の床(ゆか)へ、すつと、透通(すきとほ)るやうに長々(なが/\)と落(お)ちて居(ゐ)るんです。
 朝(あさ)と思(おも)へば朝(あさ)、晝(ひる)、夜(よる)、夜中(よなか)、明方(あけがた)、もうね、一度(ど)其(それ)が見(み)えましてから、私(わたし)の覺(おぼ)えて居(ゐ)ますだけは、片時(かたとき)も、然(さ)うやつて、私(わたし)の顏(かほ)を凝視(みつ)めたなり、上下(うへした)に、膝(ひざ)だけ摺(ず)らさうともしないんです。
 可厭(いや)で、可厭(いや)で、可厭(いや)で。何(なん)とも、ものにたとへやうがなかつたんですが、其(そ)の女性(をんな)の事(こと)に付(つ)いて、何(なに)か言(い)はうとすると、誰(だれ)にも口(くち)が利(き)けません。……
 身體(からだ)が釘(くぎ)づけに成(な)つたやうなんでせう。
 唯(たゞ)其(そ)の中(なか)にも、はじめて嬉(うれ)しさを知(し)りましたのは、私(わたし)たち婦(をんな)の長(なが)い黒髮(くろかみ)です……白(しろ)い枕(まくら)に流(なが)れるやうに掛(かゝ)りましたのが、自分(じぶん)ながら冷々(ひや/\)と、氷(こほり)を伸(の)ばして敷(し)いたやうで、一條(ひとすぢ)でも風(かぜ)に縺(もつ)れて來(き)ますのを、舌(した)の先(さき)で吸寄(すひよ)せますと……乾(かわ)いた口(くち)が涼(すゞし)く成(な)つて、唇(くちびる)も濡(ぬ)れたんですから。」

「氷嚢(ひようなう)や、注射(ちうしや)より、たゞ髮(かみ)の冷(つめた)いのが、きつけに成(な)つて、幾度(いくたび)も、甦(よみがへ)り、甦(よみがへ)り、甦(よみがへ)る度(たび)に、矢張(やはり)同(おな)じ所(ところ)に、ちやんと膝(ひざ)に手(て)を組(く)んで見(み)て居(ゐ)ます。
 何(なに)か知(し)りませんけれども、幾(いく)らも其處等(そこいら)に居(ゐ)るものの、不斷(ふだん)は目(め)に見(み)えない、此(こ)の空氣(くうき)に紛(まぎ)れて隱(かく)れて居(ゐ)るのが、然(さ)うして塵(ちり)も透通(すきとほ)るやうな心持(こゝろもち)に成(な)つたので、自分(じぶん)に見(み)えるのだらうと思(おも)ひました。
 現在(げんざい)、居(ゐ)るのに、看護婦(かんごふ)さんにも、誰(だれ)の目(め)にも遮(さへぎ)りません……何(ど)うかすると、看護婦(かんごふ)さんの白(しろ)い姿(すがた)が、澄(す)まして、其(そ)の女性(をんな)の、衣服(きもの)の中(なか)を歴々(あり/\)と拔(ぬ)けて歩行(ある)いたんです。
 五日目(いつかめ)です……後(あと)で知(し)れました。
 其(そ)の朝(あさ)です。
 黒髮(くろかみ)の又(また)冷(つめ)たさが、染々(しみ/″\)と嬉(うれ)しかつた時(とき)でした。
(お前(まへ)。)
 と其(そ)の女性(をんな)が、其(そ)のまゝ、凝視(みつめ)たなりで口(くち)を利(き)きました。」
「えゝ、其(そ)の何(なに)かが?」
「今(いま)でも聲(こゑ)さへ忘(わす)れませんわ。
(お前(まへ)は澁太(しぶと)いの……先(ま)づ餘所(よそ)へ去(い)にます。)
 ツて、じろりと一目(ひとめ)見(み)て、颯(さつ)と消(き)えました。……何處(どこ)へ參(まゐ)つたか分(わか)りません。
 午前(ごぜん)、囘診(くわいしん)においでなすつた醫師(せんせい)が、喫驚(びつくり)なさいました。不思議(ふしぎ)なくらゐ、其(そ)の時(とき)から脈(みやく)がよく成(な)つたんです……
 其(そ)の晩(ばん)、翌朝(あくるあさ)と、段々(だん/\)、薄紙(うすがみ)を剥(は)ぐやうでせう。
 まあ、此(こ)の分(ぶん)なら助(たす)かります。實(じつ)はあきらめて居(ゐ)たんだツて、醫師(せんせい)もおつしやいます。あの室(へや)は、今夜(こんや)だ、今夜(こんや)だ、と方々(はう/″\)の病室(びやうしつ)で、然(さ)う言(い)つたのを五日(いつか)續(つゞ)けて、附添(つきそ)ひの、親身(しんみ)のものは聞(き)いたんですつて。
 然(さ)うしますとね……私(わたし)の方(はう)が見直(みなほ)しました二日目(ふつかめ)の夜中(よなか)です……隣(となり)の室(へや)においでなすつた御婦人(ごふじん)の、私(わたし)と同(おな)じ病氣(びやうき)でした。其(それ)は、此方(こちら)とは違(ちが)つて、はじめから樣子(やうす)のよかつたのが、急(きふ)に變(へん)がかはつておなくなりになりました。死骸(しがい)は、あけ方(がた)に裏門(うらもん)を出(で)て行(ゆ)きました。
 眞(まこと)に、罪(つみ)な、濟(す)まない事(こと)ぢやあるけれども、同一(おなじ)病人(びやうにん)が枕(まくら)を並(なら)べて伏(ふせ)つて居(ゐ)ると、どちらかに勝(かち)まけがあるとの話(はなし)。壁(かべ)一重(ひとへ)でも、おんなじ枕(まくら)。お隣(となり)の方(かた)は身代(みがは)りに立(た)つて下(くだ)すつたやうなものだから、此方(こちら)が治(なほ)つたら、お墓(はか)を尋(たづ)ねて、私(わたし)も參(まゐ)る、お前(まへ)も一所(いつしよ)に日參(につさん)しようね。
 と※(あね)[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、619-9]が云(い)つてくれるんです。
 最(も)う、寢(ね)ながら私(わたし)は、兩手(りやうて)を合(あ)はせて囘向(ゑかう)をしました。
 日(ひ)に増(ま)し……大丈夫(だいぢやうぶ)と云(い)ふ時(とき)に、主人(あるじ)が、鉦(かね)たゝきの事(こと)から、裏門(うらもん)を入(はひ)つた事(こと)など話(はな)しましたツけ、――心(こゝろ)も確(たしか)で、何(なん)にも氣(き)に掛(かゝ)らないほど、よく成(な)つたんです。
 髮(かみ)を結(むす)んでもらひました、こんなに……」
 と、優(やさ)しく櫛卷(くしまき)に手(て)を觸(ふ)れて、嬉(うれ)しらしく云(い)つたが、あど氣(け)なく、而(そ)して、かよわい姿(すがた)が、あはれに見(み)えた。
「朝(あさ)、牛乳(ぎうにう)を飮(の)んで、涼(すゞ)しく、のんびりとして、何(なん)となく、莞爾(にこ/\)して一人(ひとり)で居(ゐ)ました。
(おぎい、おぎい、)
 ツて聲(こゑ)がします……
 あゝ、明方(あけがた)にお産(さん)があつた。
 おなくなんなすつた室(へや)の、次(つぎ)の室(へや)はあいて居(ゐ)て、其(そ)の次(つぎ)の室(へや)に、十八におなんなさる……初産(うひざん)の方(かた)があつたんです。其處(そこ)で聞(きこ)えるのを、うつかり、聞(き)いて居(ゐ)ましたツけ。
 廊下(らうか)をばた/\と來(き)て、扉(ひらき)をあけながら、私(わたし)どもの看護婦(かんごふ)さんが、
(まあ、可厭(いや)な、まあ可厭(いや)な。)
 と云(い)ひ/\、づか/\と入(はひ)つて來(き)て、
(貴女(あなた)、一軒(けん)、あのお隣(となり)さんが、變(へん)なことを云(い)ふんですよ。唯今(たゞいま)、何(ど)うしたんですか、急(きふ)に、思(おも)ひも掛(か)けない、惡(わる)い容體(ようだい)にお變(かは)んなすつたんですがね。皆(みんな)が壓(おさ)へても、震(ふる)へ上(あが)るやうに、寢臺(ねだい)の上(うへ)から、天井(てんじやう)を見(み)て、あれ/\彼處(あすこ)に變(へん)なものが居(ゐ)て、睨(にら)みます、とつて頂戴(ちやうだい)、よう、とつて頂戴(ちやうだい)。あれ、釣下(つりさが)つた電燈(でんとう)の上(うへ)の所(ところ)に、變(へん)な物(もの)がつて、身悶(みもだ)えをするんですもの。氣味(きみ)の惡(わる)さツたら!)
 私(わたし)は水(みづ)を浴(あ)びるやうに悚然(ぞつと)して、聲(こゑ)も出(で)ませんでした。
 遁腰(にげごし)に、扉(ひらき)を半開(はんびら)きに壓(おさ)へて、廊下(らうか)を透(す)かしながら、聞定(きゝさだ)めて、
(あれ、おなくなんなすつたんだ。)
 ドン、と閉(し)めて駈出(かけだ)して見(み)に參(まゐ)ります……其(そ)の跫音(あしおと)と、遠(とほ)くへ離(はな)れて、
(おぎい、おぎい。)
 と幽(かすか)に成(な)つて行(い)つたのは、お産婦(さんぷ)から引離(ひきはな)して、嬰兒(あかんぼ)を連(つ)れて退(どく)らしい。……
 三(み)ツ四(よ)ツの壁越(かべごし)ですが、寢臺(ねだい)に私(わたし)、凍(こほ)りついたやうに成(な)つて、熟(じつ)と其方(そのはう)を見(み)て居(ゐ)ますと、向(む)きました、高(たか)い壁(かべ)と、天井(てんじやう)の敷合(しきあ)はせの所(ところ)から、あの、女性(をんな)が、」
「えゝ、」
「見上(みあ)げます所(ところ)に坐(すわ)つたなり、膝(ひざ)へ折(を)つた褄(つま)をふはりと落(おと)して、青(あを)い衣服(きもの)が艷々(つや/\)として、すつと出(で)て、
(お前(まへ)、何(ど)うしても又(また)來(き)たよ……)
 と、其處(そこ)から膝(ひざ)に手(て)を組(く)んで、枕許(まくらもと)へふら/\と、下(お)りたんです。其(そ)の脇(わき)の下(した)の兩方(りやうはう)を、背後(うしろ)から何(なん)ですか、大(おほき)な黒(くろ)い手(て)が二(ふた)ツ出(で)て、据(す)ゑて持(も)つて居(ゐ)たんです。
 寢臺(ねだい)と、すれ/\の所(ところ)へ坐(すわ)りますと……」
 ふと言淀(いひよど)むかして、默(だま)つて、美人(びじん)は背後(うしろ)を振向(ふりむ)いた。
 唯吉(たゞきち)も我(わ)が座敷(ざしき)の背後(うしろ)を見(み)た。
「もう少(すこ)し……」
 と向(むか)うの二階(にかい)で、眞暗(まつくら)な中(なか)で云(い)ふのを聞(き)いた。
 唯吉(たゞきち)は確乎(しか)と敷居(しきゐ)を掴(つか)んだ。
 婦人(ふじん)は、はつきりと向直(むきなほ)つて、
「あゝ……其(そ)の黒(くろ)い大(おほき)な手(て)が、蒼(あを)い袖(そで)の下(した)からずツと伸(の)びて、わ、私(わたし)の咽喉(のど)を、」
 はツと思(おも)つたのは、凄(すさま)じい音(おと)で、はた、と落(おと)した團扇(うちは)が、カラ/\と鳴(な)つて、廂屋根(ひさしやね)の瓦(かはら)を辷(すべ)つて、草(くさ)の中(なか)へ落(お)ちたのである。
「あれ、」
 と云(い)ふ、哀(かな)しい聲(こゑ)に、驚(おどろ)いて顏(かほ)を上(あ)げると、呀(や)、影(かげ)の如(ごと)く、黒(くろ)い手(て)が、犇(ひし)と背後抱(うしろだ)きに、其(そ)の左右(さいう)の腕(うで)を掴(つか)み挫(ひし)ぐ。此(これ)に、よれ/\と身(み)を絞(しぼ)つた、美人(たをやめ)の眞白(ましろ)な指(ゆび)が、胸(むね)を壓(おさ)へて、ぶる/\と震(ふる)へたのである。
 唯吉(たゞきち)は一堪(ひとたま)りもなく眞俯(まうつ)ぶせに突俯(つゝぷ)した。……
 夜(よ)は蟲(むし)の音(ね)に更(ふ)け渡(わた)る。
了

底本:「鏡花全集 巻十四」岩波書店
   1942(昭和17)年3月10日第1刷発行
   1987(昭和62)年10月2日第3刷発行
初出:「地球 第1巻第7号」
   1912(大正元)年10月
※「明(あかり)」と「燈(あかり)」、「燈(ひ)」と「灯(ひ)」、「覗(のぞ)く」と「覘(のぞ)いて」、「暗(くら)い」と「闇(くら)く」、「所(ところ)」と「處(ところ)」、「樣子(やうす)」と「容子(ようす)」、「云(い)ふ」と「言(い)ふ」、「歩行(ある)く」と「歩行(あるき)」と「歩行(ひろ)ふ」、「獨(ひと)り」と「一人(ひとり)」、「一(ひと)ツ」と「一(ひと)つ」、「背後(うしろ)」と「後(うしろ)」、「見(み)る」と「視(み)る」、「面影(おもかげ)」と「俤(おもかげ)」、「青(あを)い」と「蒼(あを)い」、「婦人(をんな)」と「女(をんな)」と「婦(をんな)」と「女性(をんな)」、「夜更(よふ)け」と「夜更(よふけ)」、「俯向(うつむ)いて」と「俛向(うつむ)いて」、「大(おほ)き」と「大(おほき)」、「梢(うら)」と「裏(うら)」、「冷(つめた)い」と「冷(つめ)たさ」、「爾時(そのとき)」と「其時(そのとき)」と「其(そ)の時(とき)」、「同(おな)じ」と「同一(おなじ)」、「向(む)き」と「向(むき)」、「涼(すゞ)しく」と「涼(すゞし)く」、「小(ちひ)さ」と「小(ちひさ)」、「確(たし)か」と「確(たしか)」、「温(つゝ)まし」と「愼(つゝ)まし」、「凝視(みつ)め」と「凝視(みつめ)」と「見詰(みつ)め」と「瞻(みつ)め」、「靜(しづか)」と「靜(しづ)か」、「退(ど)」と「退(どく)」、「明方(あけがた)」と「曉方(あけがた)」、「切(きり)」と「切(き)り」、「御尤(ごもつとも)」と「尤(もつと)も」、「藥賣(くすりうり)」と「藥賣(くすりう)り」、「症(やまひ)」と「病疾(やまひ)」、「矢張(やつぱ)り」と「矢張(やはり)」、「鳴(な)ら」と「鳴(なら)」、「傍(そば)」と「側(そば)」、「餘(あま)り」と「餘(あんま)り」、「一齊(いちどき)」と「一時(いちどき)」、「可懷(なつかし)」と「懷(なつ)かし」、「熟(じつ)と」と「凝(じつ)と」、「撫(な)で」と「撫(なで)」、「可(い)い」と「可(よ)い」の混在は、底本通りです。
※「誰」に対するルビの「だれ」と「たれ」、「鬢」に対するルビの「びん」と「びんづら」、「越(ごし)」と「越(ご)し」、「梢」に対するルビの「うら」と「こずゑ」、「些」に対するルビの「そよ」と「ちつ」と「ち」、「裏家」に対するルビの「うらや」と「あちら」、「眞個」に対するルビの「ほんとう」と「ほんと」、「悚然」に対するルビの「ぞつ」と「ぞつと」、「室」に対するルビの「へや」と「ま」、「妾」に対するルビの「めかけ」と「てかけ」、「眞白」に対するルビの「まつしろ」と「ましろ」、「美人」に対するルビの「びじん」と「たをやめ」、「形」に対するルビの「かたち」と「かた」、「夜中」に対するルビの「やちう」と「よなか」、「此方」に対するルビの「こつち」と「こなた」と「こちら」、「婦人」に対するルビの「をんな」と「ふじん」、「音」に対するルビの「おと」と「ね」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:室谷きわ
2022年8月27日作成
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