あらすじ
盲目の老翁が、善光寺詣でのため、伏木港から直江津へ向かう船に乗り込みます。船は荒波の親不知の沖を越え、老翁は船室の狭さと暑さに苦しみます。やがて老翁は、親切な学生と出会うことで、甲板で涼むことを許されます。しかし、直江津への到着を目前にして、嵐に見舞われた船は、老翁の知られざる過去と運命を物語る、驚愕の展開を迎えます。
         上

「こりゃどうも厄介(やっかい)だねえ。」
 観音丸(かんのんまる)の船員は累々(やつやつ)しき盲翁(めくらおやじ)の手を執(と)りて、艀(はしけ)より本船に扶乗(たすけの)する時、かくは呟(つぶや)きぬ。
 この「厄介(やっかい)」とともに送られたる五七人の乗客を載了(のせおわ)りて、観音丸(かんのんまる)は徐々(じょじょ)として進行せり。
 時に九月二日午前七時、伏木港(ふしきこう)を発する観音丸(かんのんまる)は、乗客の便(べん)を謀(はか)りて、午後六時までに越後直江津(えちごなおえつ)に達し、同所(どうしょ)を発する直江津鉄道の最終列車に間に合(あわ)すべき予定なり。
 この憐(あわれ)むべき盲人(めしい)は肩身狭げに下等室に這込(はいこ)みて、厄介(やっかい)ならざらんように片隅に踞(うずくま)りつ。人ありてその齢(よわい)を問いしに、渠(かれ)は皺嗄(しわが)れたる声して、七十八歳と答えき。
 盲(めくら)にして七十八歳の翁(おきな)は、手引(てびき)をも伴(つ)れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲(めくら)の翁は、親不知(おやしらず)の沖を越ゆべき船に乗りたるなり。衆人(ひとびと)はその無法なるに愕(おどろ)けり。
 渠(かれ)は手も足も肉落ちて、赭黒(あかぐろ)き皮のみぞ骸骨(がいこつ)を裹(つつ)みたる[#「裹(つつ)みたる」は底本では「裏(つつ)みたる」]。躯(たけ)低く、頭(かしら)禿(は)げて、式(かた)ばかりの髷(まげ)に結(ゆ)いたる十筋右衛門(とすじえもん)は、略画(りゃくが)の鴉(からす)の翻(ひるがえ)るに似たり。眉(まゆ)も口も鼻も取立てて謂(い)うべき所(ところ)あらず。頬は太(いた)く痩(こ)けて、眼(まなこ)は※(「穴かんむり/目」、第3水準1-89-50)然(がっくり)と陥(くぼ)みて盲(し)いたり。
 木綿袷(もめんあわせ)の條柄(しまがら)も分かぬまでに着古したるを後※(「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-84)(しりからげ)にして、継々(つぎつぎ)の股引(ももひき)、泥塗(どろまぶれ)の脚絆(きゃはん)、煮染(にし)めたるばかりの風呂敷包(ふろしきづつみ)を斜めに背負い、手馴(てなら)したる白※(「木+諸」、第3水準1-86-25)(しらかし)の杖と一蓋(いっかい)の菅笠(すげがさ)とを膝(ひざ)の辺りに引寄せつ。産(うまれ)は加州(かしゅう)の在(ざい)、善光寺詣(もうで)の途(みち)なる由(よし)。
 天気は西の方(かた)曇りて、東晴れたり。昨夜(ゆうべ)の雨に甲板(デッキ)は流るるばかり濡れたれば、乗客の多分(おおく)は室内に籠(こも)りたりしが、やがて日光の雲間を漏れて、今は名残(なごり)無く乾きたるにぞ、蟄息(ちっそく)したりし乗客等(ら)は、先を争いて甲板(デッキ)に顕(あらわ)れたる。
 観音丸(かんのんまる)は船体小(しょう)にして、下等室は僅(わずか)に三十余人を容(い)れて肩摩(けんま)すべく、甲板(デッキ)は百人を居(お)きて余(あまり)あるべし。されば船室よりは甲板(デッキ)こそ乗客を置くべき所にして、下等室は一個の溽熱(むしあつ)き窖廩(あなぐら)に過ぎざるなり。
 この内(うち)に留(とどま)りて憂目(うきめ)を見るは、三人(みたり)の婦女(おんな)と厄介(やっかい)の盲人(めしい)とのみ。婦女等(おんなたち)は船の動くと与(とも)に船暈(せんうん)を発(おこ)して、かつ嘔(は)き、かつ呻(うめ)き、正体無く領伏(ひれふ)したる髪の乱(みだれ)に汚穢(けがれもの)を塗(まみ)らして、半死半生の間に苦悶せり。片隅なる盲翁(めくらおやじ)は、毫(いささか)も悩める気色はあらざれども、話相手もあらで無聊(ぶりょう)に堪(た)えざる身を同じ枕に倒して、時々南無仏(なむぶつ)、南無仏(なむぶつ)と小声に唱名(しょうみょう)せり。
 抜錨(ばつびょう)後二時間にして、船は魚津に着きぬ。こは富山県の良港にて、運輸の要地なれば、観音丸(かんのんまる)は貨物を積まむために立寄りたるなり。
来るか、来るかと浜に出て見れば、浜の松風音ばかり。
 櫓声(ろせい)に和(か)して高らかに唱連(うたいつ)れて、越中米(まい)を満載したる五六艘(そう)の船は漕(こぎ)寄せたり。
 俵の数は約二百俵、五十石(こく)内外の米穀(べいこく)なれば、機関室も甲板(デッキ)の空処(あき)も、隙間(すきま)なきまでに積みたる重量のために、船体はやや傾斜を来(きた)して、吃水(きっすい)は著しく深くなりぬ。
 俵はほとんど船室の出入口をも密封したれば、さらぬだに鬱燠(うついく)たる室内は、空気の流通を礙(さまた)げられて、窖廩(あなぐら)はついに蒸風呂(むしぶろ)となりぬ。婦女等(おんなたち)は苦悶(くもん)に苦悶(くもん)を重ねて、人心地(ひとごこち)を覚えざるもありき。
 睡りたるか、覚めたるか、身動きもせで臥(ふ)したりし盲人(めしい)はやにわに起上りて、
「はてな、はてな。」と首(こうべ)を傾けつつ、物を索(もと)むる気色(けしき)なりき。側(かたわら)に在(あ)るは、さばかり打悩(うちなや)める婦女(おんな)のみなりければ、渠(かれ)の壁訴訟(かべそしょう)はついに取挙(とりあ)げられざりき。盲人(めしい)は本意(ほい)無げに呟(つぶや)けり。
「はてな、小用場(こようば)はどこかなあ。」
 なお応ずる者のあらざりければ、渠(かれ)は困(こう)じ果てたる面色(おももち)にてしばらく黙(もく)せしが、やがて臆(おく)したる声音(こわね)にて、
「はい、もし、誠(まこと)に申兼(もうしか)ねましたが、小用場(こようば)はどこでございましょうかなあ。」
 渠(かれ)は頸(くび)を延(の)べ、耳を欹(そばだ)てて誨(おしえ)を俟(ま)てり。答うる者はあらで、婦女(おんな)の呻(うめ)く声のみ微々(ほそぼそ)と聞えつ。
 渠(かれ)は居去(いざ)りつつ捜寄(さぐりよ)れば、袂(たもと)ありて手頭(てさき)に触れぬ。
「どうも、はや御面倒でございますが、小用場(こようば)をお教えなすって下さいまし。はい誠(まこと)に不自由な老夫(おやじ)でございます。」
 渠(かれ)は路頭(ろとう)の乞食(こつじき)の如(ごと)く、腰を屈(かが)め、頭を下げて、憐(あわれみ)を乞えり。されどもなお応ずる者はあらざりしなり。盲人(めしい)はいよいよ途方(とほう)に暮れて、
「もし、どうぞ御願でございます。はいどうぞ。」
 おずおずその袂を曳(ひ)きて、惻隠(そくいん)の情(こころ)を動かさむとせり。打俯(うちふ)したりし婦人(おんな)は蒼白(あおじろ)き顔をわずかに擡(もた)げて、
「ええ、もう知りませんよう!」
 酷(むご)くも袂(たもと)を振払いて、再び自家(おのれ)の苦悩に悶(もだ)えつ。盲人(めしい)はこの一喝(いっかつ)に挫(ひし)がれて、頸(くび)を竦(すく)め、肩を窄(すぼ)めて、
「はい、はい、はい。」

         中

 甲板(デッキ)より帰来(かえりきた)れる一個の学生は、室(しつ)に入(い)るよりその溽熱(むしあつさ)に辟易(へきえき)して、
「こりゃ劇(ひど)い!」と眉を顰(ひそ)めて四辺(あたり)を※(「目+句」、第4水準2-81-91)(みまわ)せり。
 狼藉(ろうぜき)に遭(あ)えりし死骸(むくろ)の棄(す)てられたらむように、婦女等(おんなたち)は算(さん)を乱して手荷物の間に横(よこた)われり。
「やあ、やあ! 惨憺(さんたん)たるものだ。」
 渠(かれ)はこの惨憺(みじめ)さと溽熱(むしあつ)さとに面(おもて)を皺(しわ)めつつ、手荷物の鞄(かばん)の中(うち)より何やらん取出(とりいだ)して、忙々(いそがわしく)立去らむとしたりしが、たちまち左右を顧(かえりみ)て、
「皆様(みなさん)、これじゃ耐(たま)らん。ちと甲板(かんぱん)へお出(い)でなさい。涼しくッてどんなに心地(こころもち)が快(いい)か知れん。」
 これ空谷(くうこく)の跫音(きょうおん)なり。盲人(めいし)は急遽(いそいそ)声する方(かた)に這寄(はいよ)りぬ。
「もし旦那様、何ともはや誠(まこと)に申兼(もうしか)ねましてございますが、はい、小用場(こようば)へはどちらへ参りますでございますか、どうぞ、はい。……」
 盲人(めしい)は数多(あまたたび)渠(かれ)の足下に叩頭(ぬかづ)きたり。
 学生は渠(かれ)が余りに礼の厚きを訝(いぶか)りて、
「うむ、便所かい。」とその風体(ふうてい)を眺めたりしが、
「ああ、お前様(さん)不自由なんだね。」
 かくと聞くより、盲人(めしい)は飛立つばかりに懽(よろこ)びぬ。
「はい、はい。不自由で、もう難儀をいたします。」
「いや、そりゃ困るだろう。どれ僕が案内してあげよう。さあ、さあ、手を出した。」
「はい、はい。それはどうも、何ともはや、勿体(もったい)もない、お難有(ありがと)う存じます。ああ、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。」
 優(やさ)しくも学生は盲人(めしい)を扶(たす)けて船室を出(い)でぬ。
「どッこい、これから階子段(はしごだん)だ。気を着けなよ、それ危い。」
 かくて甲板(デッキ)に伴(ともな)いて、渠(かれ)の痛入(いたみい)るまでに介抱(かいほう)せし後(のち)、
「爺様(じいさん)、まあここにお坐り。下じゃ耐(たま)らない、まるで釜烹(かまうで)だ。どうだい、涼しかろ。」
「はい、はい、難有(ありがと)うございます。これは結構で。」
 学生はその側(かたわら)に寝転びたる友に向いて言えり。
「おい、君、最少(もすこ)しそっちへ寄ッた。この爺様(じいさん)に半座(はんざ)を分けるのだ。」
 渠(かれ)は快くその席を譲りて、
「そもそも半座(はんざ)を分けるなどとは、こういう敵手(あいて)に用(つか)う易(やす)い文句じゃないのだ。」
 かく言いてその友は投出したる膝(ひざ)を拊(う)てり。学生は天を仰ぎて笑えり。
「こんな時にでも用(つか)わなくッちゃ、君なんざ生涯用(つか)う時は有りゃしない。」
「と先(まず)言ッて置(お)くさ。」
 盲人(めしい)はおそるおそるその席に割入(わりこ)みて、
「はい真平御免(まっぴらごめん)下さいまし。はい、はい、これはどうも、お蔭様で助かりまする。いや、これは気持の快(よ)い、とんと極楽でございます。」
 渠(かれ)は涼風の来(きた)るごとに念仏して、心窃(ひそ)かに学生の好意を謝(しゃ)したりき。
 船室に在(あ)りて憂目(うきめ)に遭(あ)いし盲翁(めくらおやじ)の、この極楽浄土(ごくらくじょうど)に仏性(ほとけしょう)の恩人と半座(はんざ)を分つ歓喜(よろこび)のほどは、著(しる)くもその面貌(おももち)と挙動とに露(あらわ)れたり。
「はい、もうお蔭様で老夫(おやじ)め助かりまする。こうして眼も見えません癖(くせ)に、大胆な、単独(ひとり)で船なんぞに乗りまして、他様(はたさま)に御迷惑を掛けまする。」
「まったくだよ、爺様(じいさん)。」
 と学生の友は打笑(うちわら)いぬ。盲人(めしい)は面目(めんぼく)なげに頭(かしら)を撫(な)でつ。
「はい、はい、御尤(ごもっとも)で。実は陸(おか)を参ろうと存じましてございましたが、ついこの年者(としより)と申すものは、無闇(むやみ)と気ばかり急(せ)きたがるもので、一時(いっとき)も早く如来様(にょらいさま)が拝みたさに、こんな不了簡(ふりょうけん)を起しまして。……」
「うむ、無理はないさ。」と学生は頷(うなず)きて、
「何も目が見えんからといって、船に乗られんという理窟(りくつ)はすこしもない。盲人(めくら)が船に乗るくらいは別に驚くことはないよ。僕は盲目(めくら)の船頭に邂逅(でッくわ)したことがある。」
 その友は渠(かれ)の背(そびら)に一撃(いちげき)を吃(くらわ)して、
「吹くぜ、お株(かぶ)だ!」
 学生は躍起(やっき)となりて、
「君の吹くぜもお株(かぶ)だ。実際ださ、実際僕の見た話だ。」
「へん、躄(いざり)の人力挽(じんりきひき)、唖(おし)の演説家に雀盲(とりめ)の巡査、いずれも御採用にはならんから、そう思い給え。」
「失敬な! うそだと思うなら聞き給うな。僕は単独(ひとり)で話をする。」
「単独(ひとり)で話をするとは、覚悟を極(き)めたね。その志に免じて一條(ひとくさり)聞いてやろう。その代り莨(たばこ)を一本。……」
 眼鏡越(ごし)に学生は渠(かれ)を悪(にく)さげに見遣(みや)りて、
「その口が憎いよ。何もその代りと言わんでも、与(く)れなら与(く)れと。……」
「与(く)れ!」と渠(かれ)はその掌(てのひら)を学生の鼻頭(はなさき)に突出(つきいだ)せり。学生は直(ただち)にパイレットの函(はこ)を投付けたり。渠(かれ)はその一本を抽出(ぬきいだ)して、燐枝(マッチ)を袂(たもと)に捜(さぐ)りつつ、
「うむ、それから。」
「うむ、それからもないもんだ。」
「まあそう言わずに折角(せっかく)話したまえ。謹聴々々(きんちょうきんちょう)。」
「その謹聴(きんちょう)のきんの字は現金のきんの字だろう。」
「未(いま)だ詳(つまびらか)ならず。」とその友は頭(かしら)を掉(ふ)りぬ。
「それじゃその莨(たばこ)を喫(の)んで謹聴(きんちょう)し給え。
 去年の夏だ、八田潟(はったがた)ね、あすこから宇木村(うのきむら)へ渡ッて、能登(のと)の海浜(かいひん)の勝(しょう)を探(さぐ)ろうと思って、家(うち)を出たのが六月の、あれは十日……だったかな。
 渡場(わたしば)に着くと、ちょうど乗合(のりあい)が揃(そろ)ッていたので、すぐに乗込(のりこ)んだ。船頭は未だ到(い)なかッたが、所(ところ)の壮者(わかいもの)だの、娘だの、女房(かみさん)達が大勢で働いて、乗合(のりあい)に一箇(ひとつ)ずつ折(おり)をくれたと思い給え。見ると赤飯(こわめし)だ。」
「塩釜(しおがま)よりはいい。」とその友は容喙(まぜかえ)せり。
「謹聴(きんちょう)の約束じゃないか。まあ聴き給えよ。見ると赤飯(こわめし)だ。」
「おや。二個(ふたつ)貰(もら)ッたのか。だから近来(ちかごろ)はどこでも切符を出すのだ。」
 この饒舌(じょうぜつ)を懲(こら)さんとて、学生は物をも言わで拳(こぶし)を挙(あ)げぬ。
「謝(あやま)ッた謝ッた。これから真面目(まじめ)に聴く。よし、見ると赤飯(こわめし)だ。それは解(わか)ッた。」
「そこで……」
「食ったのか。」
「何を?」
「いや、よし、それから。」
「これはどういう事実だと聞くと、長年この渡(わたし)をやッていた船頭が、もう年を取ッたから、今度息子(むすこ)に艪(ろ)を譲ッて、いよいよ隠居(いんきょ)をしようという、この日(ひ)が老船頭、一世一代(いっせいちだい)の漕納(こぎおさめ)だというんだ。面白(おもしろ)かろう。」
 渠(かれ)の友は嗤笑(せせらわら)いぬ。
「赤飯(こわめし)を貰(もら)ッたと思ってひどく面白がるぜ。」
「こりゃ怪(け)しからん! 僕が[#「怪(け)しからん! 僕が」は底本では「怪(け)しからん!僕が」]赤飯(こわめし)のために面白がるなら、君なんぞは難有(ありがた)がッていいのだ。」
「なぜなぜ。」と渠(かれ)は起回(おきかえ)れり。
「その葉巻(はまき)はどうした。」
「うむ、なるほど。面白い、面白い、面白い話だ。」
 渠(かれ)は再び横になりて謹聴(きんちょう)せり。学生は一笑(いっしょう)して後(のち)件(くだん)の譚(はなし)を続けたり。
「その祝(いわい)の赤飯(こわめし)だ。その上に船賃(ふなちん)を取らんのだ。乗合(のりあい)もそれは目出度(めでたい)と言うので、いくらか包んで与(や)る者もあり、即吟(そくぎん)で無理に一句浮べる者もありさ。まあ思(おも)い思いに祝(いわ)ッてやったと思(おも)いたまえ。」
 例の饒舌先生はまた呶々(どゝ)せり。
「君は何を祝った。」
「僕か、僕は例の敷島(しきしま)の道さ。」
「ふふふ、むしろ一つの癖(くせ)だろう。」
「何か知らんが、名歌だッたよ。」
「しかし伺(うかが)おう。何と言うのだ。」
 学生はしばらく沈思(ちんし)せり。その間に「年波(としなみ)」、「八重の潮路(しおじ)」、「渡守(わたしもり)」、「心なるらん」などの歌詞(うたことば)はきれぎれに打誦(うちずん)ぜられき。渠(かれ)はおのれの名歌を忘却(ぼうきゃく)したるなり。
「いや、名歌(めいか)はしばらく預ッておいて、本文(ほんもん)に懸(かか)ろう。そうこうしているうちに船頭が出て来た。見ると疲曳(よぼよぼ)の爺様(じいさん)さ。どうで隠居(いんきょ)をするというのだから、老者(としより)は覚悟(かくご)の前だッたが、その疲曳(よぼよぼ)が盲(めくら)なのには驚いたね。
 それがまた勘(かん)が悪いと見えて、船着(ふなつき)まで手を牽(ひか)れて来る始末だ。無途方(むてっぽう)も極(きわま)れりというべしじゃないか。これで波の上を漕(こ)ぐ気だ。皆(みんな)呆(あき)れたね。険難千方(けんのんせんばん)な話さ。けれども潟(かた)の事だから川よりは平穏だから、万一(まさか)の事もあるまい、と好事(ものずき)な連中(れんじゅう)は乗ッていたが、遁(に)げた者も四五人は有(あ)ッたよ。僕も好奇心(こうきしん)でね、話の種(たね)だと思ッたから、そのまま乗って出るとまた驚いた。
 実に見せたかッたね、その疲曳(よぼよぼ)の盲者(めくら)がいざと言(い)ッて櫓柄(ろづか)を取ると、※(「にんべん+乞」、第3水準1-14-8)然(しゃっきり)としたものだ、まるで別人さね。なるほどこれはその道(みち)に達したものだ、と僕は想(おも)ッた。もとよりあのくらいの潟(かた)だから、誰だッて漕(こ)げるさ、けれどもね、その体度(たいど)だ、その気力(きあい)だ、猛将(もうしょう)の戦(たたかい)に臨(のぞ)んで馬上に槊(さく)を横(よこた)えたと謂ッたような、凛然(りんぜん)として奪(うば)うべからざる、いや実にその立派さ、未だに僕は忘れんね。人が難(わけ)のない事を(眠っていても出来る)と言うが、その船頭は全くそれなのだ。よく聞いて見ると、その理(はず)さ。この疲曳(よぼよぼ)の盲者(めくら)を誰(たれ)とか為(な)す! 若い時には銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)の抱(かかえ)で、年中千五百石積(こくづみ)を家として、荒海を漕廻(こぎまわ)していた曲者(くせもの)なのだ。新潟から直江津ね、佐渡辺(あたり)は持場(もちば)であッたそうだ。中年(ちゅうねん)から風眼(ふうがん)を病(わず)らッて、盲(つぶ)れたんだそうだが、別に貧乏というほどでもないのに、舟を漕(こ)がんと飯(めし)が旨(うま)くないという変物(へんぶつ)で、疲曳(よぼよぼ)の盲目(めくら)で在(い)ながら、つまり洒落(しゃれ)半分に渡(わたし)をやッていたのさ。
 乗合(のりあい)に話好(はなしずき)の爺様(じいさん)が居(い)て、それが言ッたよ。上手な船頭は手先で漕(こ)ぐ。巧者(こうしゃ)なのは眼で漕(こ)ぐ。それが名人となると、肚(はら)で漕(こ)ぐッ。これは大(おお)いにそうだろう。沖で暴風(はやて)でも吃(く)ッた時には、一寸先は闇だ。そういう場合には名人は肚(はら)で漕(こ)ぐから確(たしか)さ。
 生憎(あいにく)この近眼だから、顔は瞭然(はっきり)見えなかッたが、咥煙管(くわえぎせる)で艪を押すその持重加減(おちつきかげん)! 遖(あっぱ)れ見物(みもの)だッたよ。」
 饒舌(じょうぜつ)先生も遂に口を噤(つぐ)みて、そぞろに興(きょう)を催(もよお)したりき。

         下

 魚津(うおづ)より三日市(みっかいち)、浦山(うらやま)、船見(ふなみ)、泊(とまり)など、沿岸の諸駅(しょえき)を過ぎて、越中越後の境なる関(せき)という村を望むまで、陰晴(いんせい)すこぶる常ならず。日光の隠顕(いんけん)するごとに、天(そら)の色はあるいは黒く、あるいは蒼(あお)く、濃緑(こみどり)に、浅葱(あさぎ)に、朱(しゅ)のごとく、雪のごとく、激しく異状を示したり。
 邇(ちか)く水陸を画(かぎ)れる一帯の連山中に崛起(くっき)せる、御神楽嶽飯豊山(おかぐらがたけいいとよさん)の腰を十重二十重(とえはたえ)に※(「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-16)(めぐ)れる灰汁(あく)のごとき靄(もや)は、揺曳(ようえい)して巓(いただき)に騰(のぼ)り、見(み)る見る天上に蔓(はびこ)りて、怪物などの今や時を得んずるにはあらざるかと、いと凄(すさま)じき気色(けしき)なりき。
 元来伏木(ふしき)直江津間の航路の三分の一は、遙(はるか)に能登半島の庇護(ひご)によりて、辛(から)くも内海(うちうみ)を形成(かたちつく)れども、泊(とまり)以東は全く洋々たる外海(そとうみ)にて、快晴の日は、佐渡島の糢糊(もこ)たるを見るのみなれば、四面(しめん)※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)茫(びょうぼう)として、荒波(あらなみ)山(やま)の崩(くず)るるごとく、心易(こころやす)かる航行は一年中半日も有難(ありがた)きなり。
 さるほどに汽船の出発は大事を取りて、十分に天気を信ずるにあらざれば、解纜(かいらん)を見合(みあわ)すをもて、却(かえ)りて危険の虞(おそれ)寡(すくな)しと謂(い)えり。されどもこの日の空合(そらあい)は不幸にして見謬(みあやま)られたりしにあらざるなきか。異状の天色(てんしょく)はますます不穏(ふおん)の徴(ちょう)を表せり。
 一時(ひとしきり)魔鳥(まちょう)の翼(つばさ)と翔(かけ)りし黒雲は全く凝結(ぎょうけつ)して、一髪(いっぱつ)を動かすべき風だにあらず、気圧は低落して、呼吸の自由を礙(さまた)げ、あわれ肩をも抑(おさ)うるばかりに覚えたりき。
 疑うべき静穏(せいおん)! 異(あやし)むべき安恬(あんてん)! 名だたる親不知(おやしらず)の荒磯に差懸(さしかか)りたるに、船体は微動だにせずして、畳(たたみ)の上を行くがごとくなりき。これあるいはやがて起らんずる天変の大頓挫(だいとんざ)にあらざるなきか。
 船は十一分の重量(おもみ)あれば、進行極めて遅緩(ちかん)にして、糸魚川(いといがわ)に着きしは午後四時半、予定に後(おく)るること約(およそ)二時間なり。
 陰※(いんえい)[#「日+(士/冖/一/一/口/一)」、38-9]たる空に覆(おおわ)れたる万象(ばんしょう)はことごとく愁(うれ)いを含みて、海辺の砂山に著(いちじ)るき一点の紅(くれない)は、早くも掲げられたる暴風警戒(けいかい)の球標(きゅうひょう)なり。さればや一艘(そう)の伝馬(てんま)も来(きた)らざりければ、五分間も泊(とどま)らで、船は急進直江津に向えり。
 すわや海上の危機は逼(せま)ると覚(おぼ)しく、あなたこなたに散在したりし数十の漁船は、北(にぐ)るがごとく漕戻(こぎもど)しつ。観音丸(かんのんまる)にちかづくものは櫓綱(ろづな)を弛(ゆる)めて、この異腹(いふく)の兄弟の前途を危(きづか)わしげに目送(もくそう)せり。
 やがて遙(はるか)に能生(のう)を認めたる辺(あたり)にて、天色(そら)は俄(にわか)に一変せり。――陸(おか)は甚(はなは)だ黒く、沖は真白に。と見る間に血のごとき色は颯(さ)と流れたり。日はまさに入らんとせるなり。
 ここ一時間を無事に保たば、安危(あんき)の間を駛(は)する観音丸(かんのんまる)は、恙(つつが)なく直江津に着(ちゃく)すべきなり。渠(かれ)はその全力を尽して浪を截(き)りぬ。団々(だんだん)として渦巻く煤烟(ばいえん)は、右舷(うげん)を掠(かす)めて、陸(おか)の方(かた)に頽(なだ)れつつ、長く水面に横(よこた)わりて、遠く暮色(ぼしょく)に雑(まじ)わりつ。
 天は昏※(「夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2-82-16)(こんぼう)として睡(ねむ)り、海は寂寞(じゃくまく)として声無し。
 甲板(デッキ)の上は一時頗(すこぶ)る喧擾(けんじょう)を極(きわ)めたりき。乗客は各々(おのおの)生命を気遣(きづか)いしなり。されども渠等(かれら)は未(いま)だ風も荒(すさ)まず、波も暴(あ)れざる当座(とうざ)に慰められて、坐臥行住(ざがぎょうじゅう)思い思いに、雲を観(み)るもあり、水を眺むるもあり、遐(とおく)を望むもありて、その心には各々無限の憂(うれい)を懐(いだ)きつつ、※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)息(てきそく)して面(おもて)をぞ見合せたる。
 まさにこの時(とき)、衝(つ)と舳(とも)の方(かた)に顕(あらわ)れたる船長(せんちょう)は、矗立(しゅくりつ)して水先を打瞶(うちまも)りぬ。俄然(がぜん)汽笛の声は死黙(しもく)を劈(つんざ)きて轟(とどろ)けり。万事休す! と乗客は割るるがごとくに響動(どよめ)きぬ。
 観音丸(かんのんまる)は直江津に安着(あんちゃく)せるなり。乗客は狂喜の声を揚(あ)げて、甲板(デッキ)の上に躍(おど)れり。拍手は夥(おびただ)しく、観音丸(かんのんまる)万歳! 船長万歳! 乗合(のりあい)万歳!
 八人の船子(ふなこ)を備えたる艀(はしけ)は直(ただ)ちに漕(こぎ)寄せたり。乗客は前後を争いて飛移れり。学生とその友とはやや有(あ)りて出入口に顕(あらわ)れたり。その友は二人分の手荷物を抱(かか)えて、学生は例の厄介者(やっかいもの)を世話して、艀(はしけ)に移りぬ。
 艀(はしけ)は鎖(くさり)を解(と)きて本船と別るる時、乗客は再び観音丸(かんのんまる)と船長との万歳を唱(とな)えぬ。甲板(デッキ)に立てる船長は帽(ぼう)を脱(だっ)して、満面に微笑(えみ)を湛(たた)えつつ答礼せり。艀(はしけ)は漕出(こぎいだ)したり。陸(りく)を去る僅(わずか)に三町(ちょう)、十分間にして達すべきなり。
 折から一天(いってん)俄(にわか)に掻曇(かきくも)りて、※(「風にょう+炎」、第4水準2-92-35)(ど)と吹下す風は海原を揉立(もみた)つれば、船は一支(ひとささえ)も支(ささ)えず矢を射るばかりに突進して、無二無三(むにむさん)に沖合へ流されたり。
 舳櫓(ともろ)を押せる船子(ふなこ)は慌(あわ)てず、躁(さわ)がず、舞上(まいあ)げ、舞下(まいさぐ)る浪(なみ)の呼吸を量(はか)りて、浮きつ沈みつ、秘術を尽して漕(こ)ぎたりしが、また一時(ひときり)暴増(あれまさ)る風の下に、瞻(みあぐ)るばかりの高浪(たかなみ)立ちて、ただ一呑(ひとのみ)と屏風倒(びょうぶだおし)に頽(くず)れんずる凄(すさま)じさに、剛気(ごうき)の船子(ふなこ)も※(「口+阿」、第4水準2-4-5)呀(あなや)と驚き、腕(かいな)の力を失う隙(ひま)に、艫(へさき)はくるりと波に曳(ひか)れて、船は危(あやう)く傾(かたぶ)きぬ。
 しなしたり! と渠(かれ)はますます慌(あわ)てて、この危急に処すべき手段を失えり。得たりやと、波と風とはますます暴(あ)れて、この艀(はしけ)をば弄(もてあそ)ばんと企(くわだ)てたり。
 乗合(のりあい)は悲鳴して打(うち)騒ぎぬ。八人の船子(ふなこ)は効(かい)無き櫓柄(ろづか)に縋(すが)りて、
「南無金毘羅大権現(なむこんぴらだいごんげん)!」と同音(どうおん)に念ずる時、胴(どう)の間(ま)の辺(あたり)に雷(らい)のごとき声ありて、
「取舵(とりかじ)!」
 舳櫓(ともろ)の船子(ふなこ)は海上鎮護(ちんご)の神の御声(みこえ)に気を奮(ふる)い、やにわに艪(ろ)をば立直して、曳々(えいえい)声を揚(あ)げて盪(お)しければ、船は難無(なんな)く風波(ふうは)を凌(しの)ぎて、今は我物なり、大権現(だいごんげん)の冥護(みょうご)はあるぞ、と船子(ふなこ)はたちまち力を得て、ここを先途(せんど)と漕(こ)げども、盪(お)せども、ますます暴(あ)るる浪(なみ)の勢(いきおい)に、人の力は限(かぎり)有(あ)りて、渠(かれ)は身神(しんしん)全く疲労して、将(まさ)に昏倒(こんとう)せんとしたりければ、船は再び危(あやう)く見えたり。
「取舵(とりかじ)!」と雷(らい)のごとき声はさらに一喝(いっかつ)せり。半死の船子(ふなこ)は最早(もはや)神明(しんめい)の威令(いれい)をも奉(ほう)ずる能(あた)わざりき。
 学生の隣に竦(すく)みたりし厄介者(やっかいもの)の盲翁(めくらおやじ)は、この時(とき)屹然(きつぜん)と立ちて、諸肌(もろはだ)寛(くつろ)げつつ、
「取舵(とりかじ)だい※(感嘆符二つ、1-8-75)」と叫ぶと見えしが、早くも舳(とも)の方(かた)へ転行(ころげゆ)き、疲れたる船子(ふなこ)の握れる艪(ろ)を奪いて、金輪際(こんりんざい)より生えたるごとくに突立(つった)ちたり。
「若い衆(しゅ)、爺(おやじ)が引受けた!」
 この声とともに、船子(ふなこ)は礑(はた)と僵(たお)れぬ。
 一艘(そう)の厄介船(やっかいぶね)と、八人の厄介(やっかい)船頭と、二十余人の厄介(やっかい)客とは、この一個の厄介物(やっかいもの)の手に因(よ)りて扶(たす)けられつつ、半時間の後(のち)その命を拾いしなり。この老(お)いて盲(めしい)なる活大権現(かつだいごんげん)は何者ぞ。渠(かれ)はその壮時(そうじ)において加賀(かが)の銭屋内閣(ぜにやないかく)が海軍の雄将(ゆうしょう)として、北海(ほっかい)の全権を掌握(しょうあく)したりし磁石(じしゃく)の又五郎(またごろう)なりけり。
了

底本:「新潟県文学全集 第1巻 明治編」郷土出版社
   1995(平成7)年10月26日発行
底本の親本:「泉鏡花全集1」岩波書店
初出:「太陽 創刊号」
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月18日作成
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