あらすじ
芥川竜之介の先輩である豊島与志雄氏は、作家の芥川氏とは、大学時代からの友人です。豊島氏は、芥川氏が初めて出会った時は、おとなしく無口な印象だったものの、その後、親しくなるにつれて、人懐っこい一面を見せるようになります。芥川氏は、豊島氏を「ちょいと人の好い公卿悪」と評し、豊島氏の人間味あふれる魅力を感じています。初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。一番隅の方へひっこんでいた僕の前へ、紺絣の着物を着た、大柄な、色の白い、若い人が来て坐った。眼鏡はその頃はまだかけていなかったと思うが、確には覚えていない。僕はその人と小説の話をした。それが豊島だった事は、云うまでもなかろう。何でもその時は、大へんおとなしい、無口な人と云う印象を受けた。それから、いゝ男だとも思ったらしい。らしいと云うのは、その後鴻の巣か何かで会があった時に、豊島の男ぶりを問題にした覚えがあるからである。
それから豊島とは、始終或程度の間隔を置いて、つき合っていた。何かの用で内へ来た時に、ムンクの画が好きだと云いながら、持っている本を出して見せた事がある。多分好きだろうと思って、ギイの素描を見せたら、これは嫌いだと云ったのもその時ではないかと思う。それからどこかの芝居の二階で遇った事がある。その時は糸織の羽織か何か著て、髪を油で光らせて、甚大家らしい風格を備えていた。それから新思潮が発刊して一年たった年の秋、どこかで皆が集まって、飯を食った時にも会ったと云う記憶がある。「玉突場の一隅」を褒めたら、あれは左程自信がないと云ったのも恐らく其時だったろう。それから――後はみんな、忘れてしまった。が、兎に角、世間並の友人づき合いしかしなかった事は確である。それでいて、始終豊島の作品を注意して読んでいた所を見ると、やはり僕の興味は豊島の書く物に可成強く動かされていたのかも知れない。
それが今日ではだん/\お互に下らない事もしゃべり合うような仲になった。尤もそれは何時からだかはっきり分らない。三土会などが出来る以前からだったような気もするし、以後からだったような気もしない事はない。
豊島は作品から受ける感じとよく似た男である。誰かゞそれを洒落れて、「豊島は何時でも秋の中にいる」と形容した、そう云う性格の一面は世間でもよく知っているだろう。が、豊島の人間にある愛す可き悪党味は、その芸術からは得られない。親しくしていると、ちょいと人の好い公卿悪と云うような所がある。そうしてそれが豊島の人間に、或「動き」をつけている。そう云う所を知って見ると、豊島が比較的多方面な生活上の趣味を持っているのも不思議はない。
だから何も豊島は「何時でも秋の中にいる」訳ではない。反って実は秋が豊島の中にいるのである。
了
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一〜九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9〜12月、1978(昭和53)年1〜4、7月初版発行
入力:向井樹里
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。