あらすじ
ヴェローナという街を舞台に、互いに深く憎み合うモンタギュー家とキャピュレット家の間で、禁断の恋に落ちたロミオとジュリエットの物語です。二人の愛は、家族間の確執と、周囲の人々の策略によって、試練に満ち溢れ、悲劇へと突き進んでいきます。果たして二人の愛は成就するのでしょうか? 美しい言葉と、切ない愛の物語に、心を奪われること間違いなしです。
    登場人名

エスカラス、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナの領主。
パーリス、領主の親族、年若き貴公子。
キャピューレット┐
        ├相確執せる二名族の長者。
モンタギュー  ┘
キャピューレットが一族の一老人(叔父)。
ローミオー、モンタギューの息。
マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。
チッバルト、キャピューレットが妻の甥。
ロレンス法師、フランシス派の僧。
ヂョン、同じ派の僧。
バルターザー、ローミオーの下人。
サンプソン(或ひはサムソン)┐
              ├キャピューレット家の下人。
グレゴリー         ┘
ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。
エーブラハム、モンタギューの下人。
藥種屋の老人。
樂人甲、乙、丙。
パーリスの侍童(こしゃう)。他の侍童(こしゃう)。警吏一人。
モンタギュー夫人、モンタギューの妻。
キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。
ヂューリエット、キャピューレットの女。
ヂューリエットの乳母。

其他※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナの市民。兩家の親族。假裝舞踏者、門衞、
番衆、侍者等。
序詞役。

場所   ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナ。マンチュア。
(本文は、譯詞との釣合ひ上、固有名詞の發音に手心を加へたる部分あり。但し爰に録したるものが最も正しきに近しと知られたし。)
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ロミオとヂュリエット


序詞役(じょしやく)出(で)る。
序詞役 威權(ゐけん)相如(あひし)く二名族(めいぞく)が、
處(ところ)は花(はな)の※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナにて、
古(ふる)き怨恨(うらみ)を又(また)も新(あら)たに、
血(ち)で血(ち)を洗(あら)ふ市内鬪爭(うちわげんくわ)。
かゝる怨家(ゑんか)の胎内(たいない)より薄運(はくうん)の二情人(じゃうじん)、
惡縁(あくえん)慘(むご)く破(やぶ)れて身(み)を宿怨(しゅくゑん)と共(とも)に埋(うづ)む。
死(し)の影(かげ)の附纒(つきまと)ふ危(あやふ)き戀(こひ)の履歴(りれき)、
子等(こら)が非業(ひごふ)に果(は)てぬるまでは、
如何(いか)にしても解(と)けかねし親々(おや/\)の忿(いかり)、
是(こ)れぞ今(いま)より二時間(じかん)の吾等(われら)が演劇(えんげき)、
御心(みこゝろ)長(なが)く御覽(ごらん)ぜられさふらはゞ、
足(たら)はぬ所(ところ)は相勵(あひはげ)みて償(つぐの)ひ申(まう)さん。
序詞役(じょしやく)入(はひ)る。
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カピューレット家(け)の下人(げにん)サンプソンとグレゴリーとが劍(けん)と楯(たて)とを持(も)って出(で)る。
サン  やい、グレゴリー、誓言(せいごん)ぢゃ、こちとらは石炭(コール)なんぞは擔(かつ)ぐまいぞよ、假(かり)にも。(不面目な賤しい仕事(しごと)なんぞはすまいぞよ)。
グレ  さうとも/\、そんな事(こと)をすりゃ、奴隷(コーリヤー)も同然(どうぜん)ぢゃわい。
サン  いやさ、俺(おら)が癇(コーラー)に障(さは)るが最後(さいご)、すぐにも引(ひ)ッこ拔(ぬ)いてくれようといふンぢゃ。
グレ  さうよなァ、頸根(くびね)ッ子(こ)は、成(な)ろうなら、頸輪(コラー)(首枷(くびかせ))から引(ひ)ッこ拔(ぬ)いてゐるがよいてや。(罪人にはならぬがよいてや)。
サン  俺(おれ)が腹(はら)を立(た)ったとなりゃ、忽(たちま)ち(敵手(あひて)をば)眞二(まっぷた)つにしてくれる。
(以下、口合(パンニング)は邦語(はうご)に直譯(ちょくやく)しては通(つう)ぜざれば、意(い)を取(と)りて義譯(ぎやく)す。後段(こうだん)にも斯(か)かる例(れい)しば/\あるべし。)
グレ  ところが、其(その)立(た)つまでが手間(てま)が取(と)れうて。
サン  何(なん)の、すぐ立(た)つわい、モンタギュー家(け)の飼犬(かひいぬ)を見(み)たゞけでも。
グレ  はて、立(た)つと言(い)へば不動(ゐすわり)ぢゃがや。不動(ゐすわり)は立往生(たちわうじゃう)ぢゃ。出向(でむか)うて往(ゆ)かけんけりゃ鬪爭(けんくわ)にァならぬわい。
サン  はて、飼犬(いぬ)を見(み)たゞけでも向(むか)うてゆくわい。モンタギューの奴等(やつら)と見(み)りゃ、男(をとこ)でも女(をんな)でも關(かま)うたことァない。
グレ  へッ、關(かま)はいで放任(ほう)っておくのでがな、それが汝(おぬし)の弱蟲(よわむし)の證據(しょうこ)ぢゃ。
サン  したり。そこで、とかく弱蟲(よわむし)の女子(をなご)ばかりが玩弄(かま)はれまするとけつかる。いや、俺(おれ)は、野郎(やらう)をば抛(はふ)り出(だ)し、女郎(めらう)をば制裁(かま)はう。
グレ  鬪戰(たゝきあひ)は、主人衆(だんなしゅ)や吾等(おれたち)男共(をとこども)のすることぢゃ。
サン  いざ鬪爭(けんくわ)となりゃ、そんな斟酌(しんしゃく)は要(い)らんこっちゃ。男共(をとこども)を叩(たゝ)きみじいたら、女共(をんなども)をもやっつけてくれう。
グレ  やっつける?
サン  それ、彼奴等(きゃつら)の「額(はち)」を打破(ぶちわ)ってくれうわい。意味(いみ)は如何樣(どのやう)にも取(と)らっせいよ。
グレ  それは先方(あひて)の感(かん)じ次第(しだい)ぢゃ。
サン  はて、身(み)に沁々(しみ/″\)と感(かん)じようわい、俺(おれ)も隨分(ずゐぶん)と評判(ひゃうばん)の女(をんな)たらしぢゃに依(よ)って。
グレ  へん、魚(さかな)でなうて幸福(しあはせ)ぢゃわい、汝(おぬし)が魚(さかな)なら、女(をんな)たらしでは無(な)うて總菜(そうざい)の鹽大口魚(しほだら)と來(き)てけつからう。……(一方を見て)拔(ぬ)けよ(劍を)、モンタギューの奴等(やつら)が來(き)たわい。
此時(このとき)モンタギュー家(け)の下人(げにん)、エブラハムとバルターザーとが一方(ぱう)へ出(で)る。
サン  さ、拔(ぬ)いたわ、鬪爭(けんくわ)を買(か)はっせい、尻押(しりおし)をせう。
グレ  何(なん)ぢゃ! 尻(しり)に帆(ほ)を掛(か)ける?
サン  心配(しんぱい)すない。
グレ  何(なん)の、汝(おぬし)を!
サン  此方(こち)の非分(ひぶん)にならぬやうに、先方(むかう)から發端(しか)けさせい。
グレ  行違(ゆきちが)ふ途端(とたん)に睨(にら)みつけてくれう、如何(どう)思(おも)やがらうと關(かま)ふものかえ。
サン  うんにゃ、如何(どう)爲(し)やがらうと關(かま)ふものかえ。俺(おれ)は指(ゆび)の爪(つめ)を噛(か)んでくれう、それで默(だま)ってゐりゃ恥(はぢ)さらしぢゃ。
雙方(さうはう)行違(ゆきちが)ふ。サンプソン指(ゆび)の爪(つめ)を噛(か)んで見(み)する。
エブラ お手前(てまへ)は吾等(われら)に對(むか)うて指(ゆび)の爪(つめ)を噛(か)まっしゃったな?
サン  如何(いか)にも爪(つめ)を噛(か)みまする。
エブラ 吾等(われら)に對(むか)うて噛(か)まっしゃるのか?
サン  (グレゴリーを顧みて)然(うん)と言(い)うても、理分(りぶん)か?
グレ  いゝや。
サン  (エブラに對ひて)いゝや、足下(おぬし)たちに對(むか)うて噛(か)みはせんが、噛(か)む。
グレ  こりゃ鬪爭(けんくわ)を賣(う)らっしゃるのぢゃな?
エブラ 鬪爭(けんくわ)! いや、決(けっ)して。
サン  鬪爭(けんくわ)なら敵手(あひて)にならう。汝等(おぬしたち)には負(ま)けんぞ。
エブラ 勝(か)ちもすまい。
サン  むゝ。……
と詰(つま)る。此時(このとき)上手(かみて)よりモンタギューの親族(しんぞく)ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー出(で)る。
グレ  (サンプソンに對ひ、小聲にて)勝(か)つわいと言(い)はっせい。(下手を見やりて)あそこへ殿(との)の親族(しんぞく)の一人(ひとり)が來(わ)せた。
サン  うんにゃ、勝(か)つわい。
エブラ ※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)(うそ)を吐(つ)け。
サン  拔(ぬ)け、男(をとこ)なら。グレゴリー、えいか、頼(たの)むぞよ、しっかり。
サンプソンとエブラハムと劍(けん)を拔(ぬ)いて戰(たゝか)ふ。ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー此(この)體(てい)を見(み)て駈(か)け來(きた)り、劍(けん)を拔(ぬ)き、割(わ)って入(はひ)る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 待(ま)った/\! 藏(をさ)めい劍(けん)を。こゝな向不見(むかうみず)が。
カピューレット長者(ちゃうじゃ)の甥(をひ)チッバルト下手(しもて)より出(で)る。
チッバ やア、下司(げす)下郎(げらう)を敵手(あひて)にして汝(おぬし)は劍(けん)を拔(ぬ)かうでな? ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー、こちを向(む)け、命(いのち)を取(と)ってくれう。
と劍(けん)を拔(ぬ)く。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) いや、これは和睦(わぼく)させうためにしたことぢゃ。劍(けん)を藏(をさ)めい、でなくば、其(その)劍(けん)を以(もっ)て予(わし)と共(とも)に、こいつらを引分(ひきわ)けておくりゃれ。
チッバ 何(なん)ぢゃ、拔(ぬ)いてゐながら、和睦(わぼく)ぢゃ! 和睦(わぼく)といふ語(ことば)は大嫌(だいきら)ひぢゃ、地獄(ぢごく)ほどに、モンタギューの奴等(やつら)ほどに、汝(うぬ)ほどにぢゃ。卑怯者(ひけふもの)め、覺悟(かくご)せい!
突(つ)いてかゝる。ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー餘義(よぎ)なく敵手(あひて)になる。此(この)途端(とたん)、兩家(りゃうけ)の關係者(くわんけいじゃ)、双方(さうはう)より出(い)で來(きた)り、入亂(いりみだ)れて鬪(たゝか)ふ。市民(しみん)及(およ)び警吏長等(けいりちゃうら)棍棒(クラッブ)を携(たづさ)へて出(い)で來(きた)る。
警吏長 棍棒組(こんぼうぐみ)よ、戟組(ほこぐみ)よ! 打(う)て/\! 打据(うちす)ゑいカピューレットを! モンタギューを打据(うちす)ゑい!
カピューレット長者(ちゃうじゃ)寢衣(ねまき)のまゝにて、其(その)妻(つま)カピューレット夫人(ふじん)はそれを止(とゞ)めつゝ、出(で)る。
カピ長 此(この)騷動(さわぎ)は何事(なにごと)ぢゃ? やア/\、予(よ)が長(なが)い劍(けん)を持(も)て、長(なが)い劍(けん)を。
カピ妻 杖(つゑ)をば、杖(つゑ)をば! 何(なん)の爲(ため)に長(なが)い劍(けん)を?
カピ長 えい、劍(けん)ぢゃといふに。見(み)いあれを、モンタギューの長者(ちゃうじゃ)めが來(き)をって、俺(おれ)に見(み)よがしに刃(やいば)を揮(ふ)りをる。
モンタギュー長者(ちゃうじゃ)白刃(しらは)を堤(さ)げ、其(その)妻(つま)モンタギュー夫人(ふじん)それを止(とゞ)めつゝ、出(で)る。
モン長 おのれ、カピューレットめ!……とめるな、放(はな)せ。
モン妻 鬪(たゝか)はう爲(ため)になら、一歩(ひとあし)でも出(だ)させますな。
領主(りゃうしゅ)の公爵(こうしゃく)エスカラス、從者(じゅうしゃ)多勢(おほぜい)を引連(ひきつ)れて出(で)る。
領主  やア、平和(へいわ)を亂(みだ)す暴人(ばうじん)ども、同胞(どうばう)の血(ち)を以(もっ)て刃金(はがね)を穢(けが)す不埓奴(ふらちやつ)……聽(き)きをらぬな?……やア/\、汝等(おのれら)、邪(よこし)まなる嗔恚(しんに)の炎(ほのほ)を己(おの)が血管(けっくわん)より流(なが)れ出(いづ)る紫(むらさき)の泉(いづみ)を以(もっ)て消(け)さうと試(こゝろ)むる獸類(けだもの)ども、嚴罰(げんばつ)を怖(おそ)るゝならば、其(その)血腥(ちなまぐさ)い手(て)から兇暴(きょうばう)の劍(けん)を抛(なげう)ち、怒(いか)れる領主(りゃうしゅ)が宣言(ことば)を聽(き)け。カピューレットよ、モンタギューよ、汝等(なんぢら)二人(にん)の由(よし)も無(な)き爭論(あらそひ)が原(もと)となって、同胞(どうばう)の鬪諍(とうぢょう)既(すで)に三度(みたび)に及(およ)び、市内(しない)の騷擾(さうぜう)一方(ひとかた)ならぬによって、當(たう)※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナの故老共(こらうども)、其身(そのみ)にふさはしき老實(らうじつ)の飾(かざり)を脱棄(ぬぎす)て、何(なん)十年(ねん)と用(もち)ひざりしため、古(ふる)び錆(さ)びついたる戟共(ほこども)を同(おな)じく年老(としお)いたる手々(てんで)に把(と)り、汝等(なんぢら)が心(こゝろ)に錆(さ)びつきし意趣(いしゅ)の中裁(ちゅうさい)に力(ちから)を費(つひや)す。爾後(じご)再(ふたゝ)び公安(こうあん)を亂(みだ)るに於(おい)ては汝等(なんぢら)が命(いのち)は無(な)いぞよ。今日(こんにち)は餘(よ)の者共(ものども)は皆(みな)立退(たちさ)れ、カピューレットは予(よ)に從(したが)ひ參(まゐ)れ。モンタギュー、其方(そち)は、此(この)午後(ひるご)に、尚(な)ほ申(まう)し聞(き)かすこともあれば、裁判所(さいばんしょ)フリータウンへ參向(さんかう)せい。更(あらた)めて申(まう)すぞ、命(いのち)が惜(を)しくば、皆(みな)立退(たちさ)れ。
モンタギュー夫婦(ふうふ)とベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーだけ殘(のこ)りて皆(みな)入(はひ)る。
モン長 此(この)舊(ふる)い爭端(さうたん)をば何者(なにもの)が新(あたら)しう發(ひら)きをったか? 甥(をひ)よ、おぬしは最初(はじめ)から傍(そば)にゐたか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) いや、私(わたくし)が參(まゐ)った頃(ころ)には、敵(てき)の下人(げにん)と御家來衆(ごけらいしゅ)とがもう既(すで)に戰(たゝか)うてをりました。それを引分(ひきわ)けうとて拔劍(ぬ)きましたる途端(とたん)に、彼(あ)のチッバルトの我武者(がむしゃ)めが劍(けん)を拔(ぬ)いて駈付(かけつ)け、鬪戰(たゝかひ)を挑(いど)み、白刃(しらは)を揮※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(ふりまは)し、徒(いたづ)らに虚空(こくう)をば斫(き)りまする程(ほど)に、風(かぜ)は習々(しふ/\)と音(おと)を立(た)てゝ彼(か)れが不覺(ふかく)を嘲(あざけ)る風情(ふぜい)。かくて互(たが)ひに衝(つ)いつ撃(う)っつの折(をり)から、おひ/\多人數(たにんず)馳加(はせくは)はり、左右(さいふ)に別(わか)れて戰(たゝか)ふ處(ところ)へ、領主(との)が見(み)えさせられ、左右(さう)なく引別(ひきわけ)と相成(あひな)りました。
モン妻 おゝ、ロミオは何處(どこ)に?(ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーに)今日(けふ)そなた逢(あ)はしましたか? 此(この)騷動(さうどう)に關係(かゝりあ)うてゐなんだは、ま、何(なに)よりも喜(よろこ)ばしい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) さア、今朝(けさ)、東(ひがし)の金(きん)の窓(まど)から朝日影(あさひかげ)のまだ覗(のぞ)きませぬ頃(ころ)、胸(むね)の悶(もだへ)を慰(なぐさ)めませうと、郊外(かうぐわい)に出(で)ましたところ、市(まち)からは西(にし)に當(あた)る、とある楓(かへで)の杜蔭(もりかげ)に、見(み)れば、其樣(そん)な早朝(あさまだき)に、御子息(ごしそく)が歩(ある)いてござる、近(ちか)づけば、それと見(み)て取(と)り、忽(たちま)ちのうちに杜(もり)の繁(しげ)みへ。人目(ひとめ)を避(さ)くるは相身互(あひみたが)ひ、浮世(うきよ)を煩(うるさ)う思(おも)ふ折(をり)には、身一(みひと)つでさへも多(おほ)いくらゐ、強(あなが)ち同志(つれ)を追(お)はずともと、只(たゞ)もう己(おの)が心(こゝろ)の後(あと)をのみ追(お)うて、人目(ひとめ)を避(さ)くる其人(そのひと)をば此方(こちら)からも避(さ)けました。
モン長 げに、幾朝(いくあさ)も/\、未(まだ)乾(ひ)ぬ露(つゆ)に涙(なみだ)を置添(おきそ)へ、雲(くも)には吐息(といき)の雲(くも)を加(くは)へて、彷徨(うろつ)いてゐるのを見掛(みか)けたとか。されども遠(とほ)い東方(ひんがし)の、曙姫(あけぼのひめ)の寢所(ねどころ)から、あの活々(いき/\)した太陽(たいやう)が小昏(をぐら)い帳(とばり)を開(あ)けかくれば、重(おも)い心(こゝろ)の倅(せがれ)めは其(その)明(あか)るさから迯戻(にげもど)り、窓(まど)を閉(と)ぢ、日(ひ)を嫌(きら)うて、我(わ)れから夜(よる)をば製(つく)りをる。良(よ)い分別(ふんべつ)をして此(この)病(やまひ)の根(ね)を絶(た)たねば、一定(ぢゃう)、忌(いま)はしい不祥(ふしゃう)の基(もとゐ)。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) で叔父上(をぢうへ)には其(その)根(ね)を御(ご)ぞんじでござりますか?
モン長 いや、知(し)りもせねば、知(し)らせもせぬわい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 質問(きゝたゞ)して御覽(ごらう)じたことがござりますか?
モン長 予(わし)はもとより、親(した)しい誰(た)れ彼(か)れにも探(さぐ)らせたれども、倅(せがれ)めは、只(たゞ)もう其(その)胸(むね)の内(うち)に、何事(なにごと)をも祕(ひ)し隱(かく)して、いっかな餘人(よじん)には知(し)らせぬゆゑ、探(さぐ)ることも發見(みいだ)すことも出來(でき)ぬ有樣(ありさま)――それが身(み)の爲(ため)にならぬのは知(し)れてあれど――可憐(いたい)けな蕾(つぼみ)の其(その)うるはしい花瓣(はなびら)が、風(かぜ)にも開(ひら)かず、日光(ひ)にもまだ照映(てりは)えぬうちに、意地惡(いぢわる)の螟蛉(あをむし)めにあさましう食(は)まれてしまふやうに。彼(あ)れが愁歎(なげき)の源(もと)さへ知(し)れゝば、直(すぐ)にも療治(れいぢ)したう思(おも)ふのぢゃが。
此時(このとき)ロミオ物思(ものおも)ひ顏(がほ)にて一方(ぱう)へ出(で)る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) あれ、あそこへロミオどのが。お避(はづ)しなされませ。私(わたくし)が聞質(きゝたゞ)して見(み)ませう。どうしても拒(こば)まッしゃらうかも知(し)れぬが。
モン長 それが首尾(しゅび)よう自白(うちあ)けさせる役(やく)に立(た)てばよいが。……奧(おく)、さ、參(まゐ)らう。
モンタギュー夫婦(ふうふ)入(はひ)る。ロミオ近(ちか)づく。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) や、お早(はや)うござる。
ロミオ そんなに早(はや)うござるか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 今(いま)九時(じ)を打(う)ったばかり。
ロミオ あゝ/\、味氣無(あぢきな)い時間(じかん)は長(なが)い。……今(いま)急(いそ)いで去(い)んだは予(わし)の父(ちゝ)でござったか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) いかにも。どういふ味氣(あぢき)ない事(こと)があって、時(とき)を長(なが)いとは被言(おっしゃ)る?
ロミオ 得(え)れば時(とき)が短(みじか)うなるが、其物(そのもの)が得(え)られぬゆゑ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 戀(こひ)ぢゃな?
(此(この)あたりも、一問(もん)、一答(たふ)こと/″\く口合式(パンニングしき)の警句(けいく)にして、到底(たうてい)、原語通(げんごどほ)りには譯(やく)しがたきゆゑ、義譯(ぎやく)とす。)
ロミオ 人(ひと)の爲(ため)に……
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 戀人(こひゞと)の爲(ため)に?
ロミオ 戀(こ)ひ焦(こが)るゝ效(かひ)もなく、其人(そのひと)の爲(ため)に蔑視(さげす)まれて。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) やれ/\、柔和(やさ)しらしう見(み)ゆる彼(あ)の戀(こひ)めが、そんな酷(むご)いことや手荒(てあら)いことをしますか?
ロミオ あゝ/\! 戀(こひ)めは始終(しゞゅう)目隱(めかく)しをしてゐて、目(め)は無(な)けれども存分(ぞんぶん)其(その)的(まと)をば射(い)とめをる!……え、何處(どこ)で食事(しょくじ)をしようぞ?……(四下(あたり)を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して)あゝ/\! こりゃまア何(なん)といふ淺(あさ)ましい騷擾(さうぜう)? いや、其(その)仔細(しさい)はお言(い)やるには及(およ)ばぬ、殘(のこ)らず聞(き)いた。是(こ)れ皆(みな)憎(にく)いが原(もと)とは言(い)へ、可愛(かはゆ)いにも深(ふか)い/\縁(えん)がある……すれば是(こ)りゃ憎(にく)みながらの可愛(かはゆ)さ! 可愛(かはゆ)いながらの憎(にく)さといふもの! 無(む)から出(で)た有(う)ぢゃ! 悲(かな)しい戲(たはぶ)れ、沈(しづ)んだ浮氣(うはき)、目易(めやす)い醜(みにく)さ、重(おも)い羽毛(はね)、白(しろ)い煤(すゝ)、冷(つめた)い火(ひ)、健康(すこやか)な病體(びゃうたい)、醒(さ)めた眠(ねむり)! あゝ、有(あ)りのまゝとは同(おな)じでない物(もの)! 恰(ちょう)ど其樣(そのやう)な切(せつ)ない戀(こひ)を感(かん)じながら、戀(こひ)の誠(まこと)をば感(かん)ぜぬ切(せつ)なさ!……何(なん)で笑(わら)ふンぢゃ?
(斯(か)くの如(ごと)き對照式(たいせうしき)の綺語(きご)――技巧的(ぎこうてき)な比喩語(ひゆご)――を竝(なら)ぶることはシェークスピヤの青年期(せいねんき)にはイギリス文壇(ぶんだん)の流行(りうかう)なりしなり。以下(いか)にも同例(どうれい)多(おほ)し。)
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 何(なん)の、泣(な)いてゐるぢゃ。
ロミオ 泣(な)くとは、何故(なぜ)に?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) その歎(なげ)きを思(おも)ひやって。
ロミオ はて、それは深切(しんせつ)の爲過(しすご)し。いっそ迷惑(めいわく)。おのが心痛(しんつう)ばかりでも心臟(しんざう)が痛(いた)うなるのに、足下(きみ)までが泣(な)いてくりゃると、一段(だん)と胸(むね)が迫(せま)る。足下(きみ)の同情(どうじゃう)は多過(おほす)ぎる予(わし)の悲痛(かなしみ)に、只(たゞ)悲痛(かなしみ)を添(そ)へるばかり。戀(こひ)は溜息(ためいき)の蒸氣(ゆげ)に立(た)つ濃(こ)い煙(けむり)、激(げき)しては眼(め)の裡(うち)に火花(ひばな)を散(ち)らし、窮(きう)しては涙(なみだ)の雨(あめ)を以(もっ)て大海(おほうみ)の水量(みかさ)をも増(ま)す。さて其外(そのほか)では、何(なん)であらうか? 性根(しゃうね)の亂(みだ)れぬ亂心(らんしん)……息(いき)の根(ね)をも杜(と)むる苦(にが)い物(もの)。……命(いのち)を砂糖漬(さとうづけ)にする程(ほど)の甘(あま)い物(もの)。さらば。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) まったり! 一しょに行(ゆ)かう。予(わし)を棄(す)てゝ行(ゆ)くとはひどい。
ロミオ とうに棄(す)てゝしまうた身(み)ぢゃ。予(わし)は爰(こゝ)にはゐぬ、これはロミオでは無(な)い、ロミオは何處(どこ)か他所(よそ)にゐよう。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) いや、眞實(しんじつ)の白状(はくじゃう)をなされ、こなたが戀(こ)ひ慕(した)ふ人(ひと)とは誰(た)れぢゃ?
ロミオ 白状(はくじゃう)せいとは、予(わし)に拷問(がうもん)の苦痛(くるしみ)をさせうとてか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 拷問(がうもん)! 何(なん)の、只(たゞ)まッすぐに自白(はくじゃう)なされといふのぢゃ。
ロミオ はて、それは病人(びゃうにん)の遺言(ゆゐごん)を白状(はくじゃう)と呼(よ)ぶやうなもの、わるい上(うへ)にわるい異名(いみゃう)! が、白状(はくじゃう)せう、予(わし)には戀女(こひをんな)がある。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 戀(こひ)と睨(にら)んだ時(とき)に、それ程(ほど)は見拔(みぬ)いてゐた。
ロミオ ても偉(きつ)い射手(いて)ぢゃの! そして其(その)女(おんな)は誰(た)れが目(め)にも立(た)つ美人(びじん)。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 目(め)に立(た)つ的(まと)ならば、射落(いおと)すことは容易(たやす)からう。
ロミオ はて、其(その)覘(ねらひ)は外(はづ)れた。戀愛神(キューピッド)の弱弓(よわゆみ)では射落(いおと)されぬ女(をんな)ぢゃ。處女神(ダイヤナ)の徳(とく)を具(そな)へ、貞操(ていさう)の鐵(てつ)の鎧(よろひ)に身(み)を固(かた)めて、戀(こひ)の稚(をさな)い孱弱矢(へろ/\や)なぞでは些小(いさゝか)の手創(てきず)をも負(お)はぬ女(をんな)。言寄(いひよ)る語(ことば)に圍(かこ)まれても、戀(こひ)する眼(まなこ)に襲(おそ)はれても、いっかな心(こゝろ)を動(うご)かさぬ、賢人(けんじん)を墮落(だらく)さする黄金(こがね)にも前垂(まへだれ)をば擴(ひろ)げぬ。おゝ、限(かぎ)りない美(うつく)しさには富(と)みながら、其(その)美(うつく)しさは只(たゞ)一代限(だいかぎ)り、死(し)ねば種(たね)までも盡(つ)くるとは、貧乏(しがな)い/\運命(うんめい)!
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) では其(その)女(をんな)は嫁入(よめいり)はせぬと誓(ちか)うたのぢゃな?
ロミオ いかにも。其(その)物吝(ものをし)みが甚(いか)い損失(そんしつ)。折角(せっかく)の美(うつく)しさも、其(その)偏屈(へんくつ)ゆゑに餓死(うゑじに)をして、其(その)美(うつく)しさを子孫(しそん)には能(よ)う傳(つた)へぬ。美(うつく)しうて、賢(かしこ)うて、予(わし)を思(おも)ひ死(じに)さする程(ほど)に賢過(かしこす)ぎた美人(びじん)ゆゑ、恐(おそ)らくは冥利(みゃうり)が盡(つ)き、よもや天國(てんごく)へは登(のぼ)れまい。彼女(あれ)が戀(こひ)はせぬと誓(ちか)うたゝめ、予(わし)は斯(か)うして物(もの)を言(い)うてゐるものゝ、生(い)きながら死(し)んでゐるのぢゃ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) ま、予(わし)の言(い)ふことを聽(き)いて、其(その)女(をんな)をばお忘(わす)れなされ。
ロミオ おゝ! 教(をし)へてくれい、どうしたら忘(わす)れられるか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) もッと目(め)に自由(じいう)を與(あた)へて、あちこちの他(ほか)の美人(びじん)を見(み)たらよからう。
ロミオ 他(ほか)のと較(くら)ぶれば彌※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)彼女(あれ)をば絶美(ぜつび)ぢゃと言(い)はねばならぬことになる。美人(びじん)の額(ひたひ)に觸(ふ)るゝ彼(あ)の幸福(しあはせ)な假面(めん)どもは、孰(ど)れも黒々(くろ/″\)と製(つく)ってはあれど、それが却(かへ)って其(その)底(そこ)の白(しろ)い面(かほ)を思出(おもひだ)さする。目(め)を失(なく)した男(をとこ)が、其(その)失(なく)した目(め)といふ寶(たから)をば忘(わす)れぬ例(ためし)。如何(どん)な拔群(ばつくん)な美人(びじん)をお見(み)せあっても、それは只(たゞ)其(その)拔群(ばつくん)な美(び)をも拔(ぬ)く拔群(ばつくん)な美人(びじん)を思出(おもひだ)さす備忘帳(おぼえちゃう)に過(す)ぎぬであらう。さらば。忘(わす)るゝ法(はふ)を教(をし)ふることは足下(きみ)の力(ちから)では出來(でき)ぬ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 教(をし)へかたの不足(ふそく)は其中(そのうち)に償(つぐな)はう、借(か)りたまゝでは死(し)ぬまいぞ。
二人(ふたり)ともに入(はひ)る。

カピューレット長者(ちゃうじゃ)を先(さき)に、年若(としわか)き貴公子(きこうし)パリス(下人(げにん)一人(にん)從(つ)いて)出(で)る。
カピ長 モンタギューとても右(みぎ)同樣(どうやう)の懲罰(おとがめ)にて謹愼(きんしん)を仰附(おほせつ)けられた。したが、吾々(われ/\)老人(らうじん)に取(と)っては、平和(へいわ)を守(まも)ることはさまで困難(むづか)しうはあるまいでござる。
パリス 何(いづ)れも名譽(めいよ)の家柄(いへがら)であらせらるゝに、久(ひさ)しう確執(なかたがひ)をなされたはお氣(き)の毒(どく)な儀(ぎ)でござった。時(とき)に、吾等(われら)が申入(まうしい)れた事(こと)の御返答(ごへんたふ)は?
カピ長 先度(せんど)申(まう)した通(とほ)りを繰返(くりかへ)すまでゞござる。何分(なにぶん)にも世間(せけん)知らず、まだ十四度(よど)とは年(とし)の變移目(かはりめ)をば見(み)ぬ女(むすめ)、せめてもう二夏(ふたなつ)の榮枯(わかばおちば)を見(み)せいでは、適齡(としごろ)とも思(おも)ひかねます。
パリス 姫(ひめ)よりも若(わか)うて、見事(みごと)、母親(はゝおや)になってゐるのがござるのに。
カピ長 いや、速(はや)う成(な)るものは速(はや)う壞(くづ)るゝ。末(すゑ)の頼(たの)みを皆(みな)枯(から)し、只(たゞ)一粒(ひとつぶ)だけ殘(のこ)った種子(たね)、此土(このよ)で頼(たの)もしいは彼兒(あれ)ばかりでござる。さりながら、パリスどの、先(ま)づ言寄(いひよ)って女(むすめ)の心(こゝろ)をば動(うご)かしめされ。彼女(あれ)の諾否(いなや)が肝腎(かんじん)、吾等(われら)の意志(こゝろ)は添物(そへもの)、女(むすめ)が諾(うけひ)く上(うへ)は吾等(われら)の承諾(しょうだく)は其(その)取捨(しゅしゃ)の外(ほか)には出(で)ませぬ。今宵(こよひ)、家例(かれい)に因(よ)り、宴會(えんくわい)を催(もよふ)しまして、日頃(ひごろ)別懇(べっこん)の方々(かた/″\)を多勢(おほぜい)客人(まろうど)に招(まね)きましたが、貴下(こなた)が其(その)組(くみ)に加(くは)はらせらるゝは一段(だん)と吾家(わがや)の面目(めんもく)にござる。今宵(こよひ)、陋屋(らうをく)にて、地(ち)を蹈(ふ)む明星(みょうじゃう)が群(む)れ輝(かゞや)き、暗天(やみぞら)をさへも明(あかる)う照(て)らすを御覽(ごらん)あれ。譬(たと)へば、緩漫(なまのろ)い冬(ふゆ)の後(しり)へに華(はなや)かな春(はる)めが來(く)るのを見(み)て、血氣壯(けっきさかん)な若(わか)い手合(てあひ)が感(かん)ずるやうな樂(たの)しさ、愉快(こゝろよ)さを、蕾(つぼみ)の花(はな)の少女(をとめ)らと立交(たちまじ)らうて、今宵(こよひ)我家(わがや)で領(りゃう)せられませうず。悉(こと/″\)く聽(き)き、悉(こと/″\)く視(み)て、さて後(のち)に最(いっ)ち價値(ねうち)のあるのを取(と)らッしゃれ。熟(とく)と觀(み)らるゝと、女(むすめ)も其(その)一人(ひとり)として數(かず)には入(はひ)ってゐても、勘定(かんぢゃう)には入(はひ)らぬかも知(し)れぬ。さゝ、一しょにござれ。……(下人に)やい、汝(そち)は※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナ中(ぢゅう)を駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)って(書附を渡し)爰(こゝ)に名前(なまへ)の書(か)いてある人達(ひとたち)を見附(みつ)けて、今宵(こよひ)我(わが)邸(やしき)で懇(ねんごろ)に御入來(ごじゅらい)をお待(ま)ち申(まう)すと言(い)へ。
カピューレット長者(ちゃうじゃ)とパリスと入(はひ)る。
下人  こゝに名前(なまへ)の書(か)いてある人達(ひとたち)を見附(みつ)けい! えゝと、靴屋(くつや)は尺(ものさし)で稼(かせ)げか、裁縫師(したてや)は足型(あしかた)で稼(かせ)げ、漁夫(れふし)は筆(ふで)で稼(かせ)げ、畫工(ゑかき)は網(あみ)で稼(かせ)げと書(か)いてあるわい。こゝに名前(なまへ)の書(か)いてある人達(ひとたち)を見附(みつ)けて來(こ)いと言附(いひつ)かったが、書手(かきて)が如何樣(どのやう)な名前(なまへ)を書(か)きをったやら、こりゃ一向(かう)に見附(みつ)からぬわい。學者(ものしり)の處(ところ)へ往(ゆ)かにゃならぬ。……(一方を見て)お、ちょうどよい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー先(さき)にロミオ從(つ)いて出(で)る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 馬鹿(ばか)な! そこがそれ、火(ひ)は火(ひ)で壓(おさ)へられ、苦(く)は苦(く)で減(げん)ぜられる例(ためし)ぢゃ。逆(ぎゃく)に囘轉(まは)ると目(め)が眩(ま)うたのが癒(なほ)り、死(し)ぬる程(ほど)の哀愁(かなしみ)も別(べつ)の哀愁(かなしみ)があると忘(わす)れらるゝ。新(あたら)しい毒(どく)を目(め)に染(し)ませて舊(ふる)い毒(どく)を拔(ぬ)くがよい。
ロミオ それには車前草(おんばこ)が一ち好(よ)からう。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) それとは?
ロミオ 脛(すね)の傷(けが)には。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) ローミオー、貴下(こなた)は氣(き)が狂(ちが)うたのか?
ロミオ 氣(き)は狂(ちが)はぬが、狂人(きちがひ)よりも辛(つら)い境界(きゃうがい)……牢獄(らうごく)に鎖込(とぢこ)められ、食(しょく)を斷(た)たれ、笞(むちう)たれ、苛責(かしゃく)せられ……(下人の近づいたのを見て)や、機嫌(きげん)よう。
下人  はい、御機嫌(ごきげん)ようござりませ。旦那(だんな)は能(よ)う讀(よ)まッしゃりますか?
ロミオ いかにも……不幸(ふしあはせ)に逢(あ)ふて、身(み)の不運(ふうん)を解(よ)むわい。
下人  はて、その樣(やう)な事(こと)は書(ほん)が無(な)くても知(し)れましょ。いや、眼(まなこ)で讀(よ)むものをば讀(よ)まッしゃりますかと聞(き)きますのぢゃ。
ロミオ さア、其(その)文字(もじ)や其(その)言語(ことば)を知(し)ってをればなう。
下人  正直(しゃうぢき)なことを言(い)はっしゃる。御機嫌(ごきげん)ようござらっしゃりませ!
下人(げにん)行(ゆ)きかくる。
ロミオ まて/\、讀(よ)めるわい。
下人(げにん)より書附(かきつけ)を受取(うけと)りて讀(よ)む。
マーチノー殿(どの)、同じく夫人(おくがた)及(およ)び令孃方(むずめごがた)。アンセルム伯(はく)、同(おな)じく美(うつき)しき令妹達(いもとごがた)。※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)トルー※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)オー殿(どの)後室(こうしつ)。
プラセンシオー殿(どの)、同(おな)じく可憐(かれん)なる姪御達(めひごたち)。マーキューシオー、同(おな)じく舍弟(しゃてい)※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レンタイン。
叔父御(をぢご)カピューレット殿(どの)、同(おな)じく夫人(ふじん)、同(おな)じく令孃達(むすめごがた)。麗(うるは)しき姪(めひ)のローザライン。リ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ヤ。
※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レンシオー殿(どの)、同(おな)じく令甥(をひご)チッバルト。リューシオー及(およ)び快活(くわいくわつ)なるヘレナ。
書附(かきつけ)を下人(げにん)に返(かへ)しながら。
美人揃(びじんぞろひ)ぢゃ。何處(どこ)へ集(あつま)るのぢゃ此(この)手合(てあひ)は?
下人  えゝ、あの……
ロミオ え、あの夜會(やくわい)にか?
下人  手前方(てまへかた)へ。
ロミオ 手前方(てまへかた)とは?
下人  主人方(しゅじんかた)へ。
ロミオ いかさま、それを眞先(まっさき)に問(と)ふべきであった。
下人  問(と)はっしゃらいでも申(まう)しませう。手前(てまへ)主人(しゅじん)はカピューレット長者(ちゃうじゃ)でござります。若(も)し貴下(こなた)がモンタギュー家(け)の方(かた)でござらっしゃらぬならば、來(わ)せて酒杯(さかづき)を取(と)らッしゃりませ。御機嫌(ごきげん)ようござりませう!
下人(げにん)入(はひ)る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 其(その)カピューレットの例會(れいくわい)に、足下(きみ)の戀(こ)ひ慕(した)ふローザラインが、此(この)※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナで評判(ひゃうばん)のあらゆる美人達(びじんたち)と同席(どうせき)するは良(よ)い都合(つがふ)ぢゃ。そこへ往(い)て、昏(くら)まぬ目(め)で、予(わし)が見(み)する或(ある)顏(かほ)とローザラインのとをお見比(みくら)べあったら、白鳥(はくてう)と思(おも)うてござったのが鴉(からす)のやうにも見(み)えうぞ。
ロミオ 信仰(しんかう)の堅(かた)い此(この)眼(まなこ)に、假(かり)にも其樣(そのやう)な不信心(ふしんじん)が起(おこ)るならば、涙(なみだ)は炎(ほのほ)とも變(かは)りをれ! 何度(なんど)溺(おぼ)れても死(し)にをらぬ此(この)明透(すきとほ)る異端(げだう)め、※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)(うそ)を言(い)うた科(とが)で火刑(ひあぶり)にせられをれ! 何(なん)ぢゃ、予(わし)の戀人(こひびと)よりも美(うつく)しい! 何(なに)もかも見通(みとほ)しの太陽(たいやう)でも、現世(このよ)創(はじま)って以來(このかた)、又(また)とは彼女程(あれほど)の女(をなご)をば見(み)なんだのぢゃ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) さ、傍(わき)に誰(た)れも居(ゐ)ず、右(みぎ)の目(め)にも左(ひだり)の目(め)にもローザラインばかりを懸較(かけくら)べておゐやった時(とき)には、美(うつく)しうも見(み)えつらうが、其(その)水晶(すゐしゃう)の秤皿(はかりざら)に、今宵(こよひ)予(わし)が見(み)する或(ある)目(め)ざましい美人(びじん)を懸(か)けて、さて後(のち)に、其(その)戀姫(こひびめ)どのと貫目(くわんめ)を較(くら)べて御覽(ごらう)じたなら、今(いま)は最(いっ)ち善(よ)う見(み)ゆるのが最早(もはや)善(よ)うは見(み)えまいぞや。
ロミオ それを見(み)たうは無(な)けれど、自分(こち)のゝ美麗(りっぱ)さを見(み)ようために、一しょに往(ゆ)かう。
二人共(ふたりとも)入(はひ)る。

カピューレット夫人(ふじん)を先(さき)に、乳母(うば)從(つ)いて出(で)る。
カピ妻 乳母(うば)よ、女(むすめ)は何處(どこ)にゐます? 呼(よ)んでくりゃれ。
乳母  はれま、十二の年(とし)の清淨潔白(しゃうじゃうけっぱく)を賭(か)けますがな、ござれと善(よ)う言(い)うておいたに。……(奧に向ひて)もしえ、羊兒(こひつじ)さん! もしえ、姫鳥(ひめどり)さん!……鶴龜々々(つるかめ/\)!……あのお兒(こ)は何處(どこ)へ往(ゆ)かッしゃったか!……もしえ、ヂュリエットさま!
ヂュリエット出(で)る。
ヂュリ 何(なに)え! 呼(よ)びゃるのは誰(た)れぢゃ?
乳母  お母(かゝ)さまぢゃ。
ヂュリ はい、母(はゝ)さま。何御用(なにごよう)?
カピ妻 用(よう)とは斯(か)うぢゃ。乳母(うば)や、ちっとの間(ま)退席(はづ)してたも、内密(ないしょう)の話(はなし)ぢゃによって。……いや/\、乳母(うば)、戻(もど)りゃ、一通(ひとゝほ)り聽(き)いておいて貰(もら)うたはうがよかった。知(し)っての通(とほ)り、女(むすめ)の齡(とし)も喃(なう)、既(もう)おひ/\適齡(としごろ)ぢゃ。
乳母  はい/\、存(ぞん)じてをりますとも、孃(ぢゃう)さまの年齡(おとし)なら、何時間(なんじかん)と言(い)ふことまで。
カピ妻 まだ眞實(ほんたう)の十四にはなりませぬ。
乳母  ならっしゃりませぬとも、此(この)齒(は)を十四本(ほん)賭(か)けますがな……と言(い)うても、其(その)十四本(ほん)が、ほんに/\、もう只(たった)四本(ほん)しかござりませぬわい。……初穗節(はつほまつり)(八朔)までは最早(もう)幾日(いくか)でござりますえ?
カピ妻 二週間(しうかん)と零餘(はした)が幾(いく)らか。
乳母  零餘(はした)が如何(どう)あらうと、一年(ねん)三百六十日(にち)の中(うち)で、初穗節(はつほまつり)の夜(よる)になれば、恰(ちゃう)どお十四にならッしゃります。スーザンと孃(ぢゃう)とは……南無(なむ)あみだぶ……同(おな)い齡(どし)でござりました。スーザンは神樣(かみさま)のお傍(そば)に居(を)りまする、私(わたくし)には過(す)ぎた奴(やつ)でござりましたが。……それはさうと、只今(たゞいま)申(まう)しました通(とほ)り、初穗節(はつほまつり)の夜(よる)になると、恰(ちゃう)どお十四にならッしゃります、大丈夫(だいぢゃうぶ)でござります、はい、善(よ)う記(おぼ)えて居(を)りまする。地震(ぢしん)があってから恰(ちゃう)ど最早(もう)十一年目(ねんめ)……忘(わす)れもしませぬ……一年(ねん)三百六十日(にち)の中(うち)で、はい、其日(そのひ)に乳離(ちばな)れをなされました。妾(わたし)が乳首(ちゝくび)へ苦艾(にがよもぎ)を塗(まぶ)って鳩小舍(はとごや)の壁際(かべぎは)で日向(ひなた)ぼっこりをして……殿樣(とのさま)と貴下(こなた)はマンチュアにござらしゃりました……いや、まだ/\耄(ぼ)きゃしませぬ。それはさうと、只今(たゞいま)も申(まう)しました通(とほ)り、妾(わたし)の乳(ちゝ)の尖所(さき)の苦艾(にがよもぎ)を嘗(な)めさっしゃると、苦(にが)いので、阿呆(あはう)どのがむづかって、乳(ちゝ)をなァ憎(にく)がって! すると鳩小舍(はとごや)が、がた/\/\。わしに出(で)て行(ゆ)けといふにゃ及(およ)ばんと思(おも)うてゐたのに。……それから既(もう)十一年(ねん)、其時(そのとき)になァ單身立(ひとりだち)をさっしゃりましたぢゃ、いや、眞(ほん)の事(こと)、彼方此方(あっちこっち)と駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)らッしゃって、恰(ちゃう)ど其(その)前(まえ)の日(ひ)に小額(こびたひ)に怪我(けが)さッしゃって……其時(そのとき)亡夫(やど)が……南無安養界(なむやんやうかい)! 面白(おもしろ)い人(ひと)でなァ……孃(ぢゃう)を抱起(だきおこ)して「これ、俯向(うつむき)に轉倒(ころ)ばしゃったな? 今(いま)に一段(もっと)怜悧者(りこうもの)にならッしゃると、仰向(あふむけ)に轉倒(ころ)ばっしゃらう、なァ、孃(いと)?」と言(い)ふとな、ま、いかなこと、此(この)お兒(こ)がいの、ふいと啼止(なきやま)っしゃって、「唯(あい)」ぢゃといの。(笑ふ)戲談(じゃうだん)が今(いま)となって眞(ほん)の事(こと)になったと思(おも)ふと! ほんに/\、千年(ねん)生(い)きたとても、これが忘(わす)れられることかいな。「仰向(あふむけ)に轉倒(ころ)ばっしゃらう、なァ、孃(いと)」と言(い)ふと、阿呆(あはう)どのが啼止(なきだま)って、「唯(あい)」ぢゃといの。(笑ふ)
カピ妻 もうよう、もうよい、お默(だま)り。
乳母  はい/\、默(だま)りまする、でもな、笑(わら)はいではをられませぬ、啼(な)くのを止(や)めて、「唯(あい)」と言(い)はッしゃったと思(おも)ふと。でもな、眞實(ほんたう)に小額(こびたひ)の處(ところ)に雛鷄(ひよっこ)のお睾丸程(きんたまほど)の大(おほ)きな腫瘤(こぶ)が出來(でき)ましたぞや、危(あぶな)いことよの、それで甚(きつ)う啼入(なきい)らッしゃった。亡夫(やど)が「これ、俯向(うつむき)に轉倒(ころ)ばしゃったか? 今(いま)に適齡(としごろ)にならッしゃると仰向(あふむけ)に轉倒(ころ)ばッしゃらう、なァ、孃(いと)?」といふとな、啼止(なきだま)って「唯(あい)」ぢゃといの。(笑ふ)。
ヂュリ そして汝(そなた)も默(だま)りゃ。默(だま)ってたも、と言(い)へば。
乳母  はい/\、もうしまひました。南無冥加(なむみょうが)あらせたまへ! 多勢(おほぜい)育(そだ)てた嬰兒(あかさん)の中(うち)で最(いっ)ち可憐(いたいけ)であったはお前(まへ)ぢゃ。其(その)お前(まへ)の御婚禮(ごこんれい)を見(み)ることが出來(でく)れば、予(わし)の本望(ほんまう)でござります。
カピ妻 さ、其(その)婚禮(こんれい)の事(こと)を話(はな)さうとしたのぢゃ。むすめよ、そもじは婚禮(こんれい)がしたいか、どうぢゃ?
ヂュリ 其樣(そのやう)な名譽事(めいよごと)は、わしゃまだ夢(ゆめ)にも思(おも)ふてゐぬ。
乳母  ま、名譽事(めいよごと)といの! わしばかりが乳(ちゝ)を献(あ)げたので無(な)かったなら、其(その)智慧(ちゑ)は乳(ちゝ)から入(はひ)ったとも言(い)ひませうずに。
カピ妻 ならば、今(いま)、よう思(おも)ふて見(み)や、そもじよりも年下(としした)の姫御前(ひめごぜ)で、とうに、此(この)※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナで、母親(はゝおや)におなりゃったのもある。わしも、今(いま)思(おも)へば、そもじと同(おな)じ程(ほど)の年齡(としごろ)に嫁入(よめい)って、そもじを生(まう)けました。摘(つ)まんで言(い)へば、斯(か)うぢゃ、あのパリス殿(どの)がそもじを内室(うちかた)にしたいといの。
乳母  ま、あのよな! 姫(ひい)さまえ、あのよなお方(かた)、世界中(せかいぢゅう)の女衆(をなごしゅ)が……ほんに奇麗(きれい)な、蝋細工(らうざいく)見(み)たやうな。
カピ妻 此(この)※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナに夏(なつ)が來(き)ても、あのやうな花(はな)は咲(さ)かぬ。
乳母  ほんとに花(はな)ぢゃ、眞實(ほん/″\)の活(い)きた花(はな)ぢゃ。
夫人  どうぞいの、あのやうなお方(かた)を可愛(いと)しいと思(おも)はぬか? 今宵(こよひ)の宴會(えんくわい)には彼方(あのかた)も見(み)ゆる筈(はず)、パリス殿(どの)の顏(かほ)といふ一卷(ひとまき)の書(ふみ)を善(よ)う讀(よ)んで、美(び)の筆(ふで)で物(もの)してある懷(なつか)しい意味(いみ)をば味(あぢ)はや。顏中(かほぢゅう)のどこも/\釣合(つりあひ)が善(よ)う取(と)れて、何一(なにひと)つ不足(ふそく)はないが、萬(まん)一にも、呑込(のみこ)めぬ不審(ふしん)があったら、傍註(わきちゅう)ほどに物(もの)を言(い)ふ眼附(めつき)を見(み)や。したが、此(この)戀(こひ)の一卷(ひとまき)に只一(たゞひと)つ足(た)らはぬことゝいふは、表紙(おもてがみ)がまだ附(つ)かず、美(うつく)しう綴(と)ぢても無(な)い。魚(うを)はまだ沖中(おきなか)にぢゃ。總(そう)じて内(うち)の美(び)を韜(つゝ)むは外(ほか)の美(び)の身(み)の譽(ほま)れ、金玉(きんぎょく)の物語(ものがたり)を金(きん)の鈎子(はさみがね)に抱(だ)かすれば、誰(た)が目(め)にも立派(りっぱ)な寶物(たからもの)。彼君(かのきみ)の有(も)たせます限(かぎ)りの物(もの)がそもじのとなることゆゑ、嫁入(よめいり)しやればとて、其方(そなた)に何(なん)の損(そん)も無(な)いのぢゃ。
乳母  損(そん)どころかいな! 女子(をなご)は男(をとこ)ゆゑに肥(ふと)りますわいの。
カピ妻 さ、ちゃッと言(い)や、パリス殿(どの)をお好(す)きゃることが出來(でき)るか?
ヂュリ さア、好(す)いても見(み)ませう、見(み)て好(す)かるゝものなら。とはいへ、わたしの目(め)の矢頃(やごろ)は、母(はゝ)さまのお許(ゆる)しをば限(かぎ)りにして、それより強(きつ)うは射込(いこ)まぬやうにいたしませう。
下人(げにん)出(で)る。
下人  お方(かた)さま、お客人(きゃくじん)も渡(わた)らせられ、御膳部(ごぜんぶ)も出(で)ました、貴下(こなた)をばお召(めし)、姫(ひい)さまをばお尋(たづ)ね、乳母(おんば)どのはお庖厨(だいどころ)で大小言(おほこゞと)、何(なに)もかも大紛亂(おほらんちき)。小僕(わたくし)めはこれからお給仕(きふじ)に參(まゐ)らにゃなりませぬ。すぐにいらせられませい。
カピ妻 すぐ行(ゆ)こ。(下人入(はひ)る)……ヂュリエットや、さ、若伯(わかとの)が待(ま)ってぢゃ。
乳母  さ、早(はや)う往(い)て、嬉(うれ)しい晝(ひる)に嬉(うれ)しい夜(よる)をば添(そ)へさっしゃれ。
皆々(みな/\)入(はひ)る。

※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)國巡禮(くわいこくじゅんれい)に假裝(かさう)したるロミオを先(さき)に、マーキューシオー、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー、おの/\思(おも)ひ/\の假裝(かさう)、他(ほか)に五六人(にん)、いづれも道外(だうけ)たる假面(かめん)を携(たづさ)へ、炬火持(たいまつもち)、太鼓係等(たいこがゝりとう)、多勢(おほぜい)ひきつれて出(で)る。
ロミオ 何(なん)と、例(れい)の通(とほ)りに斷口上(ことわりこうじゃう)を言(い)うて入場(はひ)ったものか、但(たゞ)しは無(な)しにせうか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) あのやうな冗繁(あくど)いことは最早(もう)流行(はや)らぬ。肩飾(かたかけ)で目飾(めかくし)をしたキューピッドに彩色(さいしき)した韃靼形(だったんがた)の小弓(こゆみ)を持(も)たせて、案山子(かゞし)のやうに、娘達(むすめたち)を追※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(おひまは)さするのは最早(もう)陳(ふる)い。それから後見(こうけん)に附(つ)けて貰(もら)うて、覺束無(おぼつかな)げに例(れい)の入場(にふぢゃう)の長白(つらね)を述(の)べるのも嬉(うれ)しう無(な)い。先方(さき)が如何(どう)思(おも)はうとも、此方(こっち)は此方(こっち)で、思(おも)ふ存分(ぞんぶん)に踊(をど)りぬいて還(かへ)らう。
ロミオ (炬火持に對ひ)俺(おれ)に炬火(たいまつ)を與(く)れい。俺(おれ)には迚(とて)も浮(う)かれた眞似(まね)は出來(でき)ぬ。餘(あんま)り氣(き)が重(おも)いによって、寧(いっ)そ明(あかる)いものを持(も)たう。
マーキュ いや/\、ロミオどん、是非(ぜひ)とも足下(おぬし)を踊(をど)らせねばならぬ。
ロミオ いや/\、滅相(めっさう)な。足下(きみ)の舞踏靴(をどりぐつ)の底(そこ)は輕(かる)いが、予(わし)の心(こゝろ)の底(そこ)は鉛(なまり)のやうに重(おも)いによって、踊(をど)ることはおろか、歩(ある)きたうもない。
マーキュ はて、足下(おぬし)は戀人(こひびと)ではないか? すればキューピッドの翼(はね)でも借(か)りて、鴉(からす)や鳶(とび)のやうに翔(かけ)ったがよからう。
ロミオ 彼奴(あいつ)の箭先(やさき)かゝってゐるゆゑ、翼(はね)を借(か)りたとても翔(かけ)られぬわい、鳶(とび)や鴉(からす)のやうにも飛(と)べず、悲(かな)しい思(おも)ひに繋(つな)がれてゐるゆゑ、鷹(たか)のやうに高(たか)うも飛(と)べぬ。戀(こひ)の重荷(おもに)に壓伏(おしつ)けらるゝばかりぢゃ。
マーキュ 何(なん)ぢゃ、壓伏(おしつ)ける? あの戀(こひ)に重荷(おもに)を? さりとは温柔(やさ)しい者(もの)を慘酷(むごたら)しう扱(あつか)うたものぢゃ。
ロミオ なに、戀(こひ)を温柔(やさ)しい? 温柔(やさ)しいどころか、粗暴(がさつ)な殘忍(あらけな)い者(もの)ぢゃ。荊棘(いばら)のやうに人(ひと)の心(むね)を刺(さ)すわい。
マーキュ はて、戀(こひ)めが殘忍(あらけな)いことをすれば、此方(こち)からも殘忍(あらけな)うしたがよい。刺(さ)しをったら、此方(こっち)からも刺(さ)して、壓倒(へこま)したがよい。(從者を顧みて)……面(つら)を隱(かく)す假面(めん)を與(く)れ。
從者(じゅうしゃ)より假面(めん)を受取(うけと)り、被(かぶ)らうとして
醜男面(ひょっとこづら)に假面(めん)は無用(むよう)ぢゃ!(と假面を抛出(なげだ)しながら)誰(た)れが皿眼(さらまなこ)で、此(この)見(み)ともない面(つら)を見(み)やがらうと儘(まゝ)ぢゃ! 出額(でこすけ)が赧(あか)うなるばかりぢゃわい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) さア/\、敲戸(たゝ)いて入(はひ)ったり。入(はひ)ったらば、直(すぐ)一しょに踊(をど)り出(だ)さうぞよ。
ロミオ (從者にむかひ)俺(おれ)には炬火(たいまつ)を與(く)れ。氣(き)の輕(かる)い陽氣(やうき)な手合(てあひ)は、舞踏靴(をどりぐつ)の踵(かゝと)で澤山(たんと)無感覺(むかんかく)な燈心草(とうしんぐさ)を擽(こそぐ)ったがよい。俺(おれ)は、祖父(ぢゝい)の訓言通(をしへどほ)り、蝋燭持(らうそくもち)をして高見(たかみ)の見物(けんぶつ)。「好(よ)い目(め)が出(で)た時(とき)、中止(や)めるは老巧者(くろと)」ぢゃ。
(舞踏室(ぶたふしつ)又(また)は客室(きゃくしつ)の床上(ゆかうへ)に刈(か)り集(あつ)めたるばかりの燈心草(とうしんぐさ)(藺(ゐ))を敷(し)きしは當時(たうじ)の上流(じゃうりう)の習(なら)はしなり。)
マーキュ へん「黒(くろ)い鼠(ねずみ)」と來(く)りゃ夜警吏(よまはり)の定文句(きまりもんく)ぢゃが、もしも足下(きみ)が「黒馬(くろうま)」なら、「沼(ぬま)」からではなく、はて、恐惶(おほそれ)ながら、足下(きみ)が首(くび)ッたけ沒(はま)ってゐる戀(こひ)の淵樣(ふちさま)から引上(ひきあ)げてもやらうに。……(皆々に對ひ)おい、どうした? こりゃ晝(ひる)の炬火(たいまつ)ぢゃわ。(むだな費(つひ)えぢゃ。)
ロミオ 何(なん)の其樣(そん)なことが。
マーキュ はて、斯(か)う愚圖(ぐず)ついてゐるのは、晝間(ひるま)炬火(たいまつ)を燃(つ)けてゐるも同然(どうぜん)と言(い)ふのぢゃ。これ、善(よ)い意味(いみ)に取(と)りゃれ。五智(ち)に只(たゞ)一度(ど)ッきりといふのが分別智(ふんべつち)ぢゃが、善(よ)い意味(いみ)の事(こと)になら、分別智(ふんべつち)が常(つね)に五度(ど)も働(はたら)く。
ロミオ さア、會(くわい)へ行(ゆ)かうとはわるい意味(いみ)でもなからう、が、行(ゆ)くのは智慧者(ちえしゃ)の所爲(しょゐ)ではない。
マーキュ とは何故(なぜ)に?
ロミオ 昨夜(ゆうべ)予(わし)は夢(ゆめ)を見(み)た。
マーキュ 俺(おれ)も見(み)た。
ロミオ そして足下(きみ)の夢(ゆめ)は?
マーキュ 空想家(ゆめをみるをとこ)は囈言(ねごと)や空言(そらごと)を言(い)ふのが癖(くせ)ぢゃといふことを。
ロミオ 囈言(ねごと)や空言(そらごと)の中(うち)にも動(うご)かぬ眞理(まこと)が籠(こも)ってゐる。
マーキュ おゝ、それならば、あの、足下(きみ)は昨夜(ゆうべ)はマブ媛(ひめ)(夢妖精)とお臥(ね)やったな! 彼奴(あいつ)は妄想(もうざう)を産(う)まする産婆(さんば)ぢゃ、町年寄(まちどしより)の指輪(ゆびわ)に光(ひか)る瑪瑙玉(めなうだま)よりも小(ちひ)さい姿(すがた)で、芥子粒(けしつぶ)の一群(ぐん)に車(くるま)を牽(ひか)せて、眠(ねぶ)ってゐる人間(にんげん)の鼻柱(はなばしら)を横切(よこぎ)りをる。其(その)車(くるま)の輻(や)は手長蜘蛛(てながぐも)の脛(すね)、天蓋(てんがい)は蝗蟲(いなご)の翼(はね)、※(むながい)[#「革+引」、40-5]は姫蜘蛛(ひめぐも)の絲(いと)、頸輪(くびわ)は水(みづ)のやうな月(つき)の光線(ひかり)、鞭(むち)は蟋蟀(こほろぎ)の骨(ほね)、其(その)革紐(かはひも)は豆(まめ)の薄膜(うすかは)、御者(ぎょしゃ)は懶惰(ぶしゃう)な婢(はしため)の指頭(ゆびさき)から發掘(ほじりだ)す彼(か)の圓蟲(まるむし)といふ奴(やつ)の半分(はんぶん)がたも無(な)い鼠裝束(ねずみしゃうぞく)の小(ちひ)さい羽蟲(はむし)、車體(しゃたい)は榛(はしばみ)の實(み)の殼(から)、それをば太古(おほむかし)から妖精(すだま)の車工(くるまし)と定(きま)ってゐる栗鼠(りす)と※(「虫+齊」、第3水準1-91-69)※(「虫+曹」、第3水準1-91-61)(ぢむし)とが製(つく)りをった。さて、此樣(このやう)な行裝(ぎゃうさう)で、彼奴(きゃつ)が毎夜々々(まいよ/\)、戀人共(こひびとども)の頭腦(あたま)の中(なか)を馳※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)ると、それが忽(たちま)ち種々(さま/″\)の夢(ゆめ)となる。廷臣(ていしん)の膝(ひざ)を走(はし)れば平身低頭(へいしんていとう)の夢(ゆめ)となり、代言人(だいげんにん)の指(ゆび)を走(はし)れば忽(たちま)ち謝金(しゃきん)の夢(ゆめ)となり、美人(びじん)の唇(くちびる)を走(はし)れば忽(たちま)ち接吻(キッス)の夢(ゆめ)となる。……其(その)唇(くちびる)を、時(とき)とすると、マブめ、腹(はら)を立(た)って水腫(みづぶくれ)に爛(たゞ)れさせをる、息(いき)が香菓子(にほひぐわし)で臭(くさ)いからぢゃ。或(ある)ひはまた廷臣(ていしん)の鼻(はな)の上(うへ)を走(はし)る、と叙任(ぢょにん)を嗅出(かぎだ)す夢(ゆめ)を見(み)る、或(ある)ひは獻納豚(をさめぶた)の尻尾(しっぽ)の毛(け)で牧師(ぼくし)の鼻(はな)を擽(こそぐ)ると、僧(ばうず)め、寺領(じりゃう)が殖(ふ)えたと見(み)る。或(ある)ひは兵卒(へいそつ)の頸筋元(くびすぢもと)を駈※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(かけまは)る、すると敵(てき)の首(くび)を取(と)る夢(ゆめ)やら、攻略(のっとり)やら、伏兵(ふせぜい)やら、西班牙(イスパニア)の名劍(めいけん)やら、底拔(そこぬけ)の祝盃(しゅくはい)やら、途端(とたん)に耳元(みゝもと)で陣太鼓(ぢんだいこ)、飛上(とびあが)る、目(め)を覺(さま)す、おびえ駭(おどろ)いて、一言二言(ひとことふたこと)祈(いのり)をする、又(また)就眠(ねい)る。乃至(ないし)は眞夜中(まよなか)に馬(うま)の鬣(たてがみ)を紛糾(こぐらか)らせ、又(また)は懶惰女(ぶしゃうをんな)の頭髮(かみのけ)を滅茶滅茶(めちゃめちゃ)に縺(もつ)れさせて、解(と)けたら不幸(ふかう)の前兆(ぜんてう)ぢゃ、なぞと氣(き)を揉(も)まするもマブが惡戲(いたづら)。或(ある)ひは娘共(むすめども)が仰向(あふむけ)に臥(ね)てゐる時分(じぶん)に、上(うへ)から無上(むしゃう)に壓迫(おさへつ)けて、つい忍耐(がまん)する癖(くせ)を附(つ)け、難(なん)なく強者(つはもの)にしてのくるも彼奴(きゃつ)の業(わざ)。乃至(ないし)は……
ロミオ しッ/\、もう止(や)めた、止(や)めた! 足下(きみ)は意義(たわい)もないことをばかりお言(い)やる。
マーキュ さもさうず、夢(ゆめ)の話(はなし)ぢゃ。夢(ゆめ)は空想(くうさう)の兒(こ)で、役(やく)に立(た)たぬ腦(なう)から生(うま)るゝ。そも/\空想(くうさう)は、空氣(くうき)よりも仄(ほのか)なもので、今(いま)は北國(ほっこく)の結氷(こほり)に言寄(いひよ)るかと思(おも)へば、忽(たちま)ち腹(はら)を立(た)てゝ吹變(ふきかは)って、南(みなみ)の露(つゆ)に心(こゝろ)を寄(よ)するといふ其(その)風(かぜ)よりも浮氣(うはき)なものぢゃ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 其(その)風(かぜ)に似(に)た浮(うか)れ話(ばなし)に、大分(だいぶん)の時(とき)が潰(つぶ)れた。ようせぬと、夜會(やくわい)が果(は)てゝ、時後(ときおく)れになってしまはう。
ロミオ (獨語のやうに)俺(おれ)はまた早(はや)まりはせぬかと思(おも)ふ。運(うん)の星(ほし)に懸(かゝ)ってある或(さる)怖(おそろ)しい宿命(しゅくめい)が、今宵(こよひ)の宴(えん)に端(はし)を開(ひら)いて、世(よ)に倦(う)み果(は)てた我(わが)命數(めいすう)を、非業無慚(ひごふむざん)の最期(さいご)によって、絶(た)たうとするのではないか知(し)らぬ。とはいへ、一生(しゃう)の航路(ふなぢ)をば一(ひと)へに神(かみ)に任(まか)した此身(このみ)!……(一同に對ひ)さ、さ、元氣(げんき)な人達(ひとたち)。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 打(う)て、太鼓(たいこ)を。
一同(どう)揃(そろ)うて入(はひ)る。

樂人共(がくじんども)控(ひか)へてゐる。給仕人共(きふじにんども)、布巾(ふきん)を携(たづさ)へて出(い)で來(きた)り、取散(とりち)らしたる盃盤(はいばん)をかたづくる。
甲給仕 ポトパンは何處(どこ)へ往(う)せた? かたづける手傳(てつだ)ひをしをらぬ。かたづけ役(やく)の癖(くせ)に! 拭役(ふきやく)の癖(くせ)に!
乙給仕 饗應(もてなし)の式作法(しきさはふ)一切(さい)を、一人(ひとり)や二人(ふたり)の、洗(あら)ひもせぬ手(て)でしてのくるやうでは、穢(むさ)いことぢゃ。
甲給仕 疊椅子(たゝみいす)を彼方(あっち)へ、膳棚(ぜんだな)もかたづけて。よしか、其(その)皿(さら)も頼(たの)んだ。おいおい、杏菓子(あんずぐわし)を一片(ひときれ)だけ取除(とっと)いてくりゃ。それから足下(おぬし)、深切(しんせつ)があるなら、門番(もんばん)にさう言(い)うて、スーザンとネルを入(はひ)らせてくりゃ。(奧に向つて[#「向つて」はママ])……アントニー! ポトパン!
丙(ポトパン)と丁(アントニー)と出(い)で來(きた)る。
丙   唯(おう)、こゝにゐるわい。
甲給仕 足下(おぬし)をば、大廣間(おほびろま)で、最前(さっき)から呼ばってぢゃ、探(さが)してぢゃ、尋※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(たづねまは)してぢゃ。
丁   さう彼方此方(あッちこッち)に居(を)ることは出來(でき)んわ。(一同に對ひ)ささ、働(はたら)いた働(はたら)いた。暫時(ちっとのま)ぢゃ、働(はたら)いた/\。さうして長生(ながいき)すりゃ持丸長者(もちまるちゃうじゃ)ぢゃ。
一同(どう)かたづけながら入(はひ)る。
カピューレット長者(ちゃうじゃ)を先(さき)に、ヂュリエット及(およ)び同族(どうぞく)の者(もの)多勢(おほぜい)一方(ぱう)より出(い)で、他方(たはう)より出(い)で來(きた)る賓客(ひんきゃく)の男女(なんにょ)及(およ)びロミオ、マーキューシオー等(ら)假裝者(かさうしゃ)の一群(ぐん)を迎(むか)ふる。
カピ長 (ロミオの一群に)ようこそ、方々(かた/″\)! 肉刺(まめ)で患(なや)んで居(を)らん婦人(ふじん)は、何(いづ)れも喜(よろこ)んで舞踏敵手(おあひて)になりませうわい。……(婦人連に對ひ)あァ、はァ、姫御前(ひめごぜ)たち! 舞踏(をど)るを否(いや)ぢゃと被言(おしゃ)る仁(ひと)があるか? 品取(ひんど)って舞踏(をど)らッしゃらぬ仁(ひと)は、誓文(せいもん)、肉刺(まめ)が出來(でき)てゐるンぢゃらう。何(なん)と圖星(づぼし)であらうが?……(ロミオらに對ひ)ようこそ! 吾等(われら)とても假面(めん)を被(つ)けて、美人(びじん)の耳(みみ)へ氣(き)に入(い)りさうな話(はなし)を囁(さゝや)いたこともござったが、あゝ、それは既(も)う過去(むかし)ぢゃ、遠(とほ)い/\過去(むかし)ぢゃ。……方々(かた/″\)、ようこそ來(わ)せられた……(樂人を顧みて)さゝ、樂人共(がくじんども)、はじめい。……(一同に對ひ)開(ひら)いた/\! つゝと開(ひら)いて、さゝ、舞踏(をど)ったり、娘達(むすめたち)。
樂(がく)を奏(そう)しはじむる。男女(なんにょ)手(て)を取(と)りあうて舞踏(をど)る。
もっと燭火(あかし)を持(も)て、家來共(けらいども)! 食卓(テーブル)を疊(たゝ)んでしまうて、爐(ろ)の火(ひ)を消(け)せ、餘(あま)り室内(ざしき)が熱(あつ)うなったわ。……あゝ、こりゃ思(おも)ひがけん好(よ)い慰樂(なぐさみ)であったわい。……(同族の一老人に對ひて)いや、叔父御(をぢご)、まま腰(こし)を下(おろ)しめされ、貴下(こなた)も予(わし)も最早(もう)舞踏時代(ダンスじだい)を過(すご)してしまうた。お互(たが)ひに假面(めん)を着(つ)けて以來(このかた)、もう何年(なんねん)にならうかの?
カピ叔 大丈夫(だいぢゃうぶ)、三十年(ねん)ぢゃ。
カピ長 何(なん)と被言(おしゃ)る! まさかに然程(さほど)ではない、まさかに。リューセンシオーの婚禮以來(こんれいいらい)ぢゃによって、すぐ鼻(はな)の先(さき)にペンテコスト(祭日)が來(き)たとして、二十五年(ねん)、あの時(をり)に被假面(かぶ)ったのぢゃ。
カピ叔 いや、もそっと經(た)つ、もそっと。彼(あ)れの倅(せがれ)がもそっと年(とし)を取(と)ってをる。もう三十ぢゃ。
カピ長 確(しか)とさやうか? あの倅(せがれ)には、つい二年程前(ねんほどまへ)かたまでは、後見人(こうけんにん)が附(つ)いてをった。
此間(このあひだ)ロミオは道外假面(だうけめん)を被(かぶ)ったるまゝ獨(ひと)り離(はな)れて見(み)てゐる。其中(そのうち)ヂュリエットと一武官(ナイト)と手(て)を取(と)りあうて舞踏(をど)りはじむる。
ロミオ (傍の給仕に對ひて)あの武家(ぶけ)と手(て)を取(と)りあうてござる彼(あの)姫(ひめ)は何誰(どなた)ぢゃ?
給仕  小僕(わたくし)は存(ぞん)じませぬ。
ロミオ おゝ、あの姫(ひめ)の美麗(あてやか)さで、輝(かゞや)く燭火(ともしび)が又(また)一段(だん)と輝(かゞや)くわい! 夜(よる)の頬(ほゝ)に照映(てりは)ゆる彼(あ)の姫(ひめ)が風情(ふぜい)は、宛然(さながら)黒人種(エシオツプ)の耳元(みゝもと)に希代(きたい)の寶玉(はうぎょく)が懸(かゝ)ったやう、使(つか)はうには餘(あま)り勿體無(もったいな)く、下界(げかい)の物(もの)としては餘(あま)り靈妙(いみ)じい! あゝ、あの姫(ひめ)が餘(よ)の女共(をんなども)に立交(たちまじ)らうてゐるのは、雪(ゆき)はづかしい白鳩(しらはと)が鴉(からす)の群(むれ)に降(お)りたやう。此(この)一舞踏(ひとをどり)が濟(す)んだなら、姫(ひめ)の居處(ゐどころ)に目(め)を着(つ)け、此(この)賤(いや)しい手(て)を、彼(あ)の君(きみ)の玉手(ぎょくしゅ)に觸(ふ)れ、せめてもの男冥利(をとこみゃうり)にせう。あゝ、俺(おれ)は今(いま)までに戀(こひ)をしたか? やい、眼(まなこ)よ、せなんだと誓言(せいごん)せい! 今夜(こんや)といふ今夜(こんや)までは、眞(まこと)の美人(びじん)をば見(み)なんだわい。
此中(このうち)來賓中(らいひんちゅう)のチッバルト此(この)聲(こゑ)を聞咎(きゝとが)めたる思入(おもひいれ)にて前(まへ)に進(すゝ)む。
チッバ あの聲音(こわね)はモンタギュー家(け)の奴(やつ)に相違(さうゐ)ない。……(從者に對ひ)予(よ)が細刃劍(ほそみ)を持(も)て。……何(なん)ぢゃ? 下司奴(げすやっこ)めが、道外假面(だうけめん)に面(おもて)を隱(かく)して、此(この)祝典(しゅくてん)を蹈附(ふみつけ)にしようとは不埓(ふらち)ぢゃ! カピューレットの正統(しゃうとう)たる權利(けんり)を以(もっ)て、彼奴(きゃつ)めをば打殺(ぶちころ)しても、俺(おれ)ゃ罪惡(ざいあく)とは思(おも)はぬわい。
カピ長 はて、甥(をひ)よ、何(なん)としたのぢゃ! おぬしは何(なん)で其樣(そのやう)に息卷(いきま)くのぢゃ?
チッバ 叔父上(をぢうへ)、あれは敵方(てきがた)のモンタギューでござる。今夜(こんや)の祝典(しゅくてん)を辱(はづかし)めん惡意(あくい)を抱(いだ)いて來(き)をったのでござる。
カピ長 年若(としわか)のロミオではないか?
チッバ でござる、そのロミオ奴(め)でござる。
カピ長 まゝ、堪忍(かんにん)して、放任(うちす)てゝおきゃれ、立派(りっぱ)な紳士(しんし)らしう立振舞(たちふるま)うてをる上(うへ)に、實(じつ)を言(い)へば、日頃(ひごろ)※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナが、徳(とく)もあり行状(ぎゃうじゃう)もよい若者(わかもの)と自慢(じまん)の種(たね)にしてゐるロミオぢゃ。全市(ぜんし)の富(とみ)に易(か)へても、我家(わがや)で危害(きがい)を加(くは)へたうない。ぢゃによって、堪忍(かんにん)して見(み)ぬ介(ふり)をしてゐやれ。これは予(よ)の意志(いし)ぢゃ、予(よ)を重(おも)んじておくりゃらば、顏色(がんしょく)を麗(うるは)しうし、其(その)むづかしい貌(かほ)を止(や)めておくりゃれ。祝宴最中(いはひもなか)に不似合(ふにあひ)ぢゃわい。
チッバ いや、不似合(ふにあひ)でござらん、あんな奴(やつ)が居(ゐ)るからは。堪忍(かんにん)はなりませぬ。
カピ長 はて、堪忍(かんにん)せにゃなりませぬ。これさ、どうしたもの! せにゃならぬといふに。これさ/\、こゝの主長(あるじ)は乃公(おれ)では無(な)いか? 汝(おぬし)か? さゝゝ。汝(おぬし)が堪忍(かんにん)ならん! はれやれ、汝(おぬし)は來賓中(らいひんちゅう)に大鬪爭(おほげんくわ)を起(おこ)させうぞよ! 大騷動(おほさうどう)を爲出來(しでか)さうわい! えゝ、汝(おぬし)のやうなのが、その!
チッバ でも、これは耻辱(ちじょく)でござる。
カピ長 さゝゝ、沒分曉漢(わからんをとこ)ぢゃ。確(しか)と然樣(さやう)か? 其樣(そのやう)なことをすれば身爲(みだめ)になるまい。……すれば、何(なん)ぢゃな、では乃公(おれ)の命令(いふこと)を聽(き)かぬ! はて、今(いま)が時(とき)ぢゃ。……(來賓の方に向ひて)よう/\、出來(でき)た!(又チッバルトに對ひ)向不見(むかうみず)にも程(ほど)があるわさ、さゝ。はて、靜(しづ)かに、若(も)し……(從者を顧みて)もそっと燭火(あかし)を持(も)て、燭火(あかし)を!……(又チッバルトに對ひ)どうしたものぢゃ! 是非(ぜひ)とも靜(しづ)かにして貰(もら)はう。……(來賓(らいひん)に對(むか)ひ)陽氣(やうき)に/\!
チッバ 無理往生(むりわうじゃう)の堪忍(かんにん)と持前(もちまへ)の癇癪(かんしゃく)との出逢(であ)ひがしらで、挨拶(あいさつ)の反(そり)が合(あは)ぬゆゑ、肉體中(からだぢゅう)が顫動(ふるへ)るわい。引退(ひきさが)らう。併(しか)し今(いま)こそ甘(あま)ったるう見(み)えてをる汝(うぬ)が今夜(こんや)の推參(すゐさん)に、やがて苦(にが)い味(あぢ)を見(み)せてくれうぞ。
チッバルト入(はひ)る。
此間(このあひだ)にロミオは假面(かめん)のまゝ、巡禮姿(じゅんれいすがた)のまゝにてヂュリエットに近(ちか)づき、膝(ひざ)まづきて恭(うや/\)しく其(その)手(て)を取(と)る。
ロミオ 此(この)賤(いや)しい手(て)で尊(たふと)い御堂(みだう)を汚(けが)したを罪(つみ)とあらば、面(かほ)を赧(あか)うした二人(ふたり)の巡禮(じゅんれい)、此(この)唇(くちびる)めの接觸(キッス)を以(もっ)て、粗(あら)い手(て)の穢(よご)した痕(あと)を滑(なめら)かに淨(きよ)めませう。
ヂュリ 巡禮(じゅんれい)どの、作法(さはふ)に善(よ)う合(かな)うた御信仰(ごしんかう)ぢゃに、其樣(そのやう)におッしゃッては、其(その)お手(て)に甚(いか)ァい氣(き)の毒(どく)。聖者(せいじゃ)がたにも御手(みて)はある、其(その)御手(みて)に觸(ふ)るゝのが巡禮(じゅんれい)の接吻禮(キッス)とやら。
ロミオ でも聖者(せいじゃ)にも唇(くちびる)があり、巡禮(じゅんれい)にも唇(くちびる)がござりまする。
ヂュリ さア、それはお祈願(いのり)だけに用(もち)ふるもの。
此(この)問答(もんだふ)のうちに、二人(ふたり)はやゝ群衆(ぐんしゅう)と離(はな)るゝ。
ロミオ おゝ、いでさらば、我(わが)聖者(せいじゃ)よ、手(て)の爲(な)す所爲(わざ)を唇(くちびる)に爲(な)さしめたまへ。唇(くちびる)が祈(いの)りまする、聽(ゆる)したまへ、さもなくば、信心(しんじん)も破(やぶ)れ、心(こゝろ)も亂(みだ)れまする。
ヂュリ 切(せつ)なる祈願(いのり)の心(こゝろ)は酌(く)んでも、動(うご)かぬのが聖者(せいじゃ)の心(こゝろ)。
ロミオ では、お動(うご)きなされな、祈願(いのり)の御報(おむくい)をいたゞきます。
と接吻(キッス)する。
斯(か)うして貴孃(あなた)のお唇(くちびる)で、私(わたし)の罪(つみ)が此(この)唇(くちびる)から清(きよ)められ、拭(ぬぐ)はれました。
ヂュリ では、其(その)罪(つみ)は妾(わたし)の唇(くちびる)へ移(うつ)りましたのかえ?
ロミオ 何(なに)、わたしの罪(つみ)が移(うつ)った? おゝ、嬉(うれ)しうもお咎(とが)めなされた! では、其(その)罪(つみ)を戻(もど)して下(くだ)され。
と又(また)接吻(キッス)する。
ヂュリ ても、まア、御均等(ごきんとう)な。
乳母(うば)出(で)る。
乳母  姫(ひい)さま、お母(かゝ)さまがお話(はなし)がありますといな。
これにてヂュリエット離(はな)るゝ。
ロミオ あの方(かた)の母御(はゝご)とは、何誰(どなた)ぢゃ?
乳母  はて、お若(わか)い方(かた)、母御樣(はゝごさま)は此(この)お邸(やしき)の内室(おかた)さまぢゃがな、よいお仁(ひと)で、御發明(ごはつめい)な、御貞節(ごていせつ)な。わしは、今(いま)貴下(こなた)が話(はな)してござらしゃった孃(ぢゃう)さまを育(そだ)てました。もしえ、あの子(こ)を手(て)に入(い)れさッしゃるお仁(ひと)は、澤山々々(たんと/\)貨幣(ちんから)にありつきますぞや。
乳母(うば)離(はな)るゝ。
ロミオ ではカピューレットの女(むすめ)か? おゝ、怖(おそろ)しい勘定狂(かんぢゃうくる)はせ! 俺(おれ)の命(いのち)はこりゃもう敵(かたき)からの借物(かりもの)ぢゃわ。
此時(このとき)、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー近寄(ちかよ)りて
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) さア、歸(かへ)らう/\。娯樂(たのしみ)はもう頂點(ちゃうてん)ぢゃ。
ロミオ なるほど、さうらしい。(獨語のやうに)なりゃこそ彌※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)心(こゝろ)が不安(ふあん)になる。
賓客等(ひんきゃくら)おひ/\歸(かへ)り支度(じたく)をする。
カピ長 あ、いや、方々(かた/″\)、お歸(かへ)り支度(じたく)をなされな。粗末(そまつ)な點心(ごだん)ながら、只今(たゞいま)準備中(よういちゅう)でござる。(皆々代る/″\長者に近づきて、小聲に挨拶して歸りゆく)……でござるか? はて、然(しか)らば、何(いづ)れも忝(かたじけ)なうござった。かたじけなうござる。御機嫌(ごきげん)ようござりませ。……(從者に向ひ)もそっと燭火(あかし)を持(も)て、こゝへ!……(賓客を送り果てゝ、家人の方に向ひ)さゝ、此上(このうへ)は、寢(ね)やう/\。あゝ、こりゃ、とんと夜(よ)が更(ふ)けたわ。どりゃ俺(おれ)も休(やす)まう。
一同(いちどう)次第(しだい)に入(はひ)る。ヂュリエットと乳母(うば)と殘(のこ)りて、出行(いでゆ)く客(きゃく)を見送(みおく)る。
ヂュリ 乳母(うば)、こゝへ來(き)や。あのお方(かた)は誰(だ)れ?
乳母  タイビリオーさまのお嗣子(あとゝり)でござります。
ヂュリ 今(いま)戸口(とぐち)から出(で)てゆかうとしてゐるのは誰(だ)れ?
乳母  さいな、ペトルーチオーさまの若樣(わかさま)でござりましょ。
ヂュリ あの方(かた)は、ありゃ誰(だ)れ? その後(あと)から行(ゆ)かッしゃる……ありゃ踊(をど)らなんだ人(ひと)ぢゃ。
乳母  存(ぞん)じませぬ。
ヂュリ さ、往(い)て、問(と)うて來(き)や。……
乳母(うば)離(はな)るゝ。
もしも婚禮(こんれい)が濟(す)んだお方(かた)なら、墓(はか)が予(わし)の新床(にひどこ)とならうも知(し)れぬ。
乳母(うば)戻(もど)り來(きた)る。
乳母  名(な)はロミオと言(い)うて、お邸(うち)とは敵(かたき)どうしのモンタギュー家(け)の若(わか)ぢゃといな。
ヂュリ (獨語的に)類無(たぐひな)いわが戀(こひ)が、類(たぐひ)ないわが憎怨(にくしみ)から生(うま)れるとは! とも知(し)らで早(はや)う見知(みし)り、然(さ)うと知(し)った時(とき)はもう晩蒔(おそまき)! あさましい因果(いんぐわ)な戀(こひ)、憎(にく)い敵(かたき)をば可愛(かはゆ)いと思(おも)はにゃならぬ。
乳母  何(なん)ぢゃいな、それは? 何(なに)を言(い)うてござる?
ヂュリ 歌(うた)ぢゃ……今(いま)がた一しょに舞踏(をど)った人(ひと)に教(をし)へて貰(もら)うた歌(うた)ぢゃ。
奧(おく)にて「ヂュリエット」と呼(よ)ぶ。
乳母  はい/\、只今(たゞいま)!……さゝ、參(まゐ)りましょ。お客人(きゃくじん)は皆(みな)もう歸(かへ)ってしまはッしゃれた。
ヂュリエットを促(うなが)して入(はひ)る。
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序詞役(じょしやく)出(で)る。
序詞役 扨(さて)も老(お)いにたる情慾(じゃうよく)は方(まさ)に最期(いまは)の床(とこ)に眠(ねぶ)りて、
うら若(わか)き戀情(れんじゃう)が其跡(そのあと)を襲(つ)ぐべく起出(おきい)づる。
曾(かつ)ては憧(あこが)れて、爲(ため)に死(し)なんとまで呻(うめ)きつる其(その)美女(びぢょ)も
今(いま)の目(め)には美(うつく)しとも見(み)えず、ヂュリエット姫(ひめ)に比(くら)べては。
かくて戀(こ)ひつ戀(こ)はれつ、二人(ふたり)は一樣(やう)に色(いろ)に迷(まよ)へり、
然(しか)はあれど、歎顏(かこちがほ)に、敵(かたき)の子(こ)に言寄(いひよ)る辛(つら)さ、
女(をんな)もまた鉤(つりばり)より戀(こひ)の甘餌(あまゑさ)を盜(ぬす)む怖(おそろ)しさ。
敵(かたき)どしなれば誓約(かねごと)をも世(よ)の人並(ひとなみ)には告(つ)げがたく、
姫(ひめ)も同(おな)じ思(おも)ひながら、逢(あ)ふべき傳手(つて)は更(さら)に少(すく)なし。
さもあれ、情火(じゃうくわ)は力(ちから)を、時(とき)は便宜(びんぎ)を與(あた)へければ、
限(かぎり)なき危(あやふ)さの中(うち)に、二人(ふたり)は限(かぎり)なく嬉(うれ)しく逢(あ)へり。
序詞役(じょしやく)入(はひ)る。


ロミオ出(で)る。
ロミオ 心臟(しんざう)が此處(こゝ)に殘(のこ)ってゐるのに、何(なん)で歸(かへ)ることが出來(でき)ようぞい? 鈍(どん)な土塊(つちくれ)め、引返(ひッかへ)して、おのが中心(たましひ)を搜(さが)しをれ。
石垣(いしがき)を攀(よ)ぢて庭内(ていない)へ飛下(とびお)りる。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーとマーキューシオーと出る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) ローミオー! ロミオどの! ローミオー!
マーキュ 彼奴(あいつ)めは怜悧者(りこうもの)ぢゃ、一定(てっきり)とうに拔駈(ぬけがけ)して、今頃(いまごろ)は(家(うち)に)臥(ね)てゐるのであらう。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) いや/\、此方(こっち)へ走(はし)って來(き)て、此(この)石垣(いしがき)を飛越(とびこ)えた。マーキューシオーどの、呼(よ)んで見(み)さっしゃい。
マーキュ いや、序(ついで)に祈(いの)り出(だ)して見(み)よう。……(呪文の口眞似にて)ローミオーよ! 浮氣(うはき)よ! 狂人(きゃうじん)よ! 煩惱(ぼんなう)よ! 戀人(こひびと)よ! 溜息(ためいき)の姿(すがた)にて出現(しゅつげん)めされ。たッた一句(く)をでも宣言(おほ)せられたならば、小生(それがし)は滿足(まんぞく)いたす。只(たゞ)「嗚呼(あゝ)」とだけ叫(さけ)ばっしゃい、たッた一言(ひとこと)、戀(ラヴ)とか、鳩(ダヴ)とか宣言(おほ)せられい。此方(こち)の昔馴染(むかしなじみ)の※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ーナス殿(どの)を美(ほ)めさっしゃい、乃至(ないし)は盲目(めんない)の息子殿(むすこどの)、例(れい)のコーフェーチュアの王(わう)さんが乞食娘(こじきむすめ)に惚(ほ)れた時分(じぶん)に、見事(みごと)圖星(づぼし)を射中(いあ)てたといふ彼(あ)の弓取(ゆみと)りのキューピッドに何(なん)とか綽號(あだな)でも附(つ)けさっしゃい。……聞(きこ)えぬな、動(うご)かぬな、出(で)て來(こ)ぬな。はて、お猿(さる)どのは亡(な)くなられたさうな。こりゃ彌※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)祈(いの)らねばならぬ。……(又祈祷の口眞似)あはれ、ローザラインの彼(あ)の星(ほし)のやうな眼附(まみつき)、あの高々(たか/″\)とした額(ひたひ)、あの眞紅(まっくれなゐ)の唇(くちびる)、あの可憐(かはゆら)しい足(あし)、あの眞直(まっすぐ)な脛(すね)、あのぶる/\と顫(ふる)へる太股(ふともゝ)乃至(ないし)其(その)近邊(ちかま)にある處々(ところ/″\)に掛(か)けて祈(いの)りまするぞ。速(すみや)かに御正體(ごしゃうたい)を現(あらは)せられい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 聞(きこ)えたら、腹(はら)を立(た)たうぞ。
マーキュ 何(なん)の腹(はら)を立(た)たう。若(も)し戀女(こひをんな)の魔(ま)の輪近(わぢか)くへ奇異(おつりき)な魔物(まもの)を祈(いの)り出(だ)して、彼女(おてき)が調伏(てうぶく)してしまふまで、それを突立(つッた)たせておいたならば、それこそ惡戲(てんごう)でもあらうけれど、今(いま)のは正直正當(しゃうぢきしゃうたう)な呪文(じゅもん)ぢゃ、彼女(おてき)の名(な)を借(か)りて、ロミオめを祈(いの)り出(だ)さうとしたまでの事(こと)ぢゃ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) こりゃ何(なん)でも、木(こ)の間(ま)に隱(かく)れて、夜露(よつゆ)と濡(ぬ)れの幕(まく)という洒落(しゃれ)であらう。戀(こひ)は盲(めくら)といふから、闇(やみ)は恰(ちょう)どお誂(あつら)へぢゃ。
マーキュ はて、戀(こひ)が盲(めくら)なら的(まと)を射中(いあ)てることは出來(でき)まい。今頃(いまごろ)はロミオめ、枇杷(びわ)の木蔭(こかげ)に蹲踞(しゃが)んで、あゝ、予(わし)の戀人(おてき)が、あの娘共(むすめども)が内密(ないしょ)で笑(わら)ふ此(この)枇杷(びは)のやうならば、何(なん)のかのと念(ねん)じて居(ゐ)よう。おゝ、ロミオ、若(も)し足下(おぬし)の戀人(おてき)が、な、それ、開放(あけっぱな)しの何(なに)とやらで、そして足下(おぬし)が彼女(あれ)の細長林檎(ほそながりんご)であつたなら![#「あつたなら!」はママ] ロミオ、さらば。野天(のてん)の床(とこ)では寒(さぶ)うて寢(ね)られぬ、下司床(げすどこ)で臥(ね)よう。さ、往(ゆ)かうか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) では、去(いな)う。見附(みつ)けられまいと爲(し)てゐるものを搜(さが)すのは無要(むだ)ぢゃ。
二人(ふたり)とも入(はひ)る。

ロミオ前(まへ)に出(で)る。
ロミオ 人(ひと)の痛手(いたで)を嘲(あざけ)りをる、自身(じしん)で創(きず)を負(お)うたことの無(な)い奴(やつ)は。……
此時(このとき)ヂュリエット二階(かい)の窓(まど)に現(あらは)るゝ。
や、待(ま)てよ! あの窓(まど)から洩(も)るゝ光明(あかり)は? あれは、東方(ひがし)、なればヂュリエットは太陽(たいやう)ぢゃ!……あゝ、昇(のぼ)れ、麗(うるは)しい太陽(たいやう)よ、そして嫉妬深(りんきぶか)い月(つき)を殺(ころ)せ、彼奴(あいつ)は腰元(こしもと)の卿(そもじ)の方(はう)が美(うつく)しいのを恨(くや)しがって、あの通(とほ)り、蒼(あを)ざめて居(ゐ)る。あの嫉妬家(やきもちやき)に奉公(ほうこう)するのはよしゃれ。彼奴(あいつ)の制服(しきせ)は青白(あをじろ)い可嫌(いや)な色(いろ)ぢゃゆゑ、阿呆(あはう)の外(ほか)は誰(た)れも着(き)ぬ、脱(ぬ)いでしまや。……おゝ、ありゃ姫(ひめ)ぢゃ。戀人(こひびと)ぢゃ! あゝ、此(この)情(こゝろ)を知(し)らせたいなア!……何(なに)やら言(い)うてゐる。いや、何(なに)も言(い)うてはゐぬ。言(い)はいでもかまはぬ、あの目(め)が物(もの)を言(い)ふ。あの目(め)へ返答(へんたふ)をせふ。……あゝ、こりゃあんまり厚顏(あつかま)しかった。俺(おれ)に言(い)うてゐるのでは無(な)い。大空中(おほぞらぢゅう)で最(いっ)ち美(うつく)しい二箇(ふたつ)の星(ほし)が、何(なに)か用(よう)があって餘所(よそ)へ行(ゆ)くとて、其間(そのあひだ)代(かは)って光(ひか)ってくれと姫(ひめ)の眼(め)に頼(たの)んだのぢゃな。若(も)し眼(め)が星(ほし)の座(ざ)に直(なほ)り、星(ほし)が姫(ひめ)の頭(つむり)に宿(やど)ったら、何(なん)とあらう! 姫(ひめ)の頬(ほゝ)の美(うつく)しさには星(ほし)も羞耻(はにか)まうぞ、日光(にっくわう)の前(まへ)の燈(ランプ)のやうに。然(しか)るに天(てん)へ上(のぼ)った姫(ひめ)の眼(め)は、大空中(おほぞらぢゅう)を殘(のこ)る隈(くま)もなう照(て)らさうによって、鳥(とり)どもが晝(ひる)かと思(おも)うて、嘸(さぞ)啼立(なきた)つることであらう。あれ、頬(ほゝ)を掌(てのひら)へもたせてゐる! おゝ、あの頬(ほゝ)に觸(ふ)れようために、あの手袋(てぶくろ)になりたいなア!
ヂュリ あゝ/\!
ロミオ 物(もの)を言(い)うた。おゝ、今(いま)一度(ど)物(もの)言(い)うて下(くだ)され、天人(てんにん)どの! さうして高(たか)い處(ところ)に光(ひか)り輝(かゞや)いておゐやる姿(すがた)は、驚(おどろ)き異(あやし)んで、後(あと)へ退(さが)って、目(め)を白(しろ)うして見上(みあ)げてゐる人間共(にんげんども)の頭上(とうじゃう)を、翼(はね)のある天(てん)の使(つかひ)が、徐(しづ)かに漂(たゞよ)ふ雲(くも)に騎(の)って、虚空(こくう)の中心(たゞなか)を渡(わた)ってゐるやう!
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故(なぜ)卿(おまへ)はロミオぢゃ! 父御(てゝご)をも、自身(じしん)の名(な)をも棄(す)てゝしまや。それが否(いや)ならば、せめても予(わし)の戀人(こひゞと)ぢゃと誓言(せいごん)して下(くだ)され。すれば、予(わし)ゃ最早(もう)カピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞(き)かうか? すぐ物(もの)を言(い)はうか?
ヂュリ 名前(なまへ)だけが予(わし)の敵(かたき)ぢゃ。モンタギューでなうても立派(りっぱ)な卿(おまへ)。モンタギューが何(なん)ぢゃ! 手(て)でも、足(あし)でも、腕(かひな)でも、面(かほ)でも無(な)い、人(ひと)の身(み)に附(つ)いた物(もの)ではない。おゝ、何(なに)か他(ほか)の名前(なまへ)にしや。名(な)が何(なん)ぢゃ? 薔薇(ばら)の花(はな)は、他(ほか)の名(な)で呼(よ)んでも、同(おな)じやうに善(よ)い香(か)がする。ロミオとても其通(そのとほ)り、ロミオでなうても、名(な)は棄(す)てゝも、其(その)持前(もちまへ)のいみじい、貴(たふと)い徳(とく)は殘(のこ)らう。……ロミオどの、おのが有(もの)でもない名(な)を棄(す)てゝ、其代(そのかは)りに、予(わし)の身(み)をも、心(こゝろ)をも取(と)って下(くだ)され。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取(と)りませう。言葉(ことば)を其儘(そのまゝ)。一言(ひとこと)、戀人(こひゞと)ぢゃと言(い)うて下(くだ)され、直(すぐ)にも洗禮(せんれい)を受(う)けませう。今日(けふ)からは最早(もう)ロミオで無(な)い。
ヂュリ や、誰(た)れぢゃ、夜(よる)の闇(やみ)に包(つゝ)まれて、内密事(ないしょうごと)を聞(き)きゃった其方(そなた)は?
ロミオ 名(な)は何(なん)と言(い)うたものか予(わし)は知(し)らぬ。なう、我(わが)聖者(せいじゃ)よ、わが名(な)は君(きみ)の敵(かたき)ぢゃとあるゆゑ、自分(じぶん)ながら憎(にく)うて/\、紙(かみ)に書(か)いてあるものなら、引破(ひきやぶ)ってしまひたい。
ヂュリ お前(まへ)の言葉(ことば)はまだ百言(こと)とは聞(き)かなんだが、其(その)聲(こゑ)には記憶(おぼえ)がある。ロミオどのでは無(な)いか、モンタギューの?
ロミオ 孰(どち)らでもない、卿(そもじ)が嫌(きら)ひぢゃと言(い)やるならば。
ヂュリ ま、どうして此處(こゝ)へ? して、まア何(なん)の爲(ため)に? あの石垣(いしがき)は高(たか)いゆゑ容易(たやす)うは攀(のぼ)られぬに、それにお前(まへ)の身分(みぶん)は、若(も)し家(うち)の者(もの)が見附(みつ)くれば、忽(たちま)ちお命(いのち)が無(な)からうずに。
ロミオ あの石垣(いしがき)は、戀(こひ)の輕(かる)い翼(つばさ)で踰(こ)えた。如何(いか)な鐵壁(てっぺき)も戀(こひ)を遮(さへぎ)ることは出來(でき)ぬ。戀(こひ)は欲(ほっ)すれば如何樣(どのやう)な事(こと)をも敢(あへ)てするもの。卿(そもじ)の家(うち)の人達(ひとたち)とても予(わし)を止(とゞ)むる力(ちから)は有(も)たぬ。
ヂュリ でも見附(みつ)くれば殺(ころ)しませうぞえ。
ロミオ あゝ、彼等(かれら)十人(にん)、二十人(にん)の劍(けん)よりも、それ、その卿(そもじ)の眼(まなこ)にこそ人(ひと)を殺(ころ)す力(ちから)はあれ。唯(たゞ)もう可愛(かはゆ)い目(め)をして下(くだ)され、彼等(かれら)に憎(にく)まれうと何(なん)の厭(いと)はう。
ヂュリ 予(わし)ゃ何樣(どのやう)な事(こと)があっても、お前(まへ)をば見附(みつ)けさせたうない。
ロミオ 幸(さいは)ひ夜(よる)の衣(ころも)を被(き)てゐる、見附(みつ)けらるゝ筈(はず)はない。とはいへ卿(そもじ)に愛(あい)せられずば、立地(たちどころ)に見附(みつ)けられ、憎(にく)まれて、殺(ころ)されたい、愛(あい)されぬ苦(くるし)みを延(のば)さうより。
ヂュリ 誰(た)が案内(しるべ)をしておいでなされた?
ロミオ 戀(こひ)が案内(しるべ)ぢゃ。尋(たづ)ねて見(み)い、と眞先(まっさき)に促進(すゝ)めたも戀(こひ)なれば、智慧(ちゑ)を借(か)したも戀(こひ)、目(め)を借(か)したも戀(こひ)、予(わし)は舵取(かぢとり)ではないけれども、此樣(このやう)な貨(たから)を得(え)ようためなら、千里(り)萬里(り)の荒海(あらうみ)の、其先(そのさき)の濱(はま)へでも冐險(ばうけん)しよう。
ヂュリ 夜(よる)といふ假面(めん)を附(つ)けてゐればこそ、でなくば恥(はづ)かしさに此(この)頬(ほゝ)が眞赤(まっか)にならう、今宵(こよひ)言(い)うたことをついお前(まへ)に聽(き)かれたゆゑ。予(わし)とても、體裁(ていさい)つくり、そなことを言(い)ひはせぬ、と言(い)ひたいは山々(やま/\)なれど、式(しき)や作法(さはふ)は、もうおさらば! もし、予(わし)を可愛(いと)しう思(おも)うて下(くだ)さるか?「唯(うん)」と被言(おッしゃ)るであらうがな。そして、それをまた實(まこと)と思(おも)はう。でも誓言(せいごん)などなされると(却(かへ)って)心元(こゝろもと)ない、戀人(こひゞと)が誓言(せいごん)を破(やぶ)るのはヂョーヴ神(じん)も只(たゞ)笑(わら)うてお濟(す)ましなさるといふゆゑ。おゝ、ロミオどの、可愛(いと)しう思(おも)うて下(くだ)さるが實(まこと)なら、其通(そのとほ)り誠實(せいじつ)に言(い)うて下(くだ)され。それとも、餘(あ)まり手輕(てがる)う手(て)に入(い)ったとお思(おも)ひなさるやうならば、故(わざ)と怖(こは)い貌(かほ)をして、憎(にく)さうに否(いや)と言(い)はう、たとひお言寄(いひよ)りなされても。さもなくば、世界(せかい)かけて否(いや)とは言(い)はぬ。あゝ、モンタギューどの、このやうに愚(おろ)からしう言(い)うたなら、わしを蓮葉(はすは)なともお思(おも)ひなさらうが、巧妙(じゃうず)に餘所々々(よそ/\)しう作(つく)りすます人達(ひとたち)より、もそッと眞實(しんじつ)な女子(をなご)になって見(み)せう。いゝえ、わしとても、若(も)し戀(こひ)の祕密(ないしょう)を聽(き)かれなんだら、もッと餘所々々(よそ/\)しうしたであらう。ぢゃによって、お恕(ゆる)しなされ、斯(か)う速(はや)う靡(なび)いたをば浮氣(うはき)ゆゑと思(おも)うて下(くだ)さるな、夜(よる)の暗(やみ)に油斷(ゆだん)して、つい下心(したごゝろ)を知(し)られたゝめぢゃ。
ロミオ 姫(ひめ)よ、あの實(み)を結(むす)ぶ樹々(きゞ)の梢(こずゑ)の尖々(さき/″\)をば白銀色(しろがねいろ)に彩(いろど)ってゐるあの月(つき)を誓語(ちかひ)に懸(か)け……
ヂュリ おゝ、※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)る夜毎(よごと)に位置(ゐち)の變(かは)る不貞節(ふていせつ)な月(つき)なんぞを誓言(せいごん)にお懸(か)けなさるな。お前(まへ)の心(こゝろ)が月(つき)のやうに變(かは)るとわるい。
ロミオ では、何(なに)を誓語(ちかひ)に懸(か)けよう?
ヂュリ 誓言(せいごん)には及(およ)びませぬ。若(も)し又(また)、誓言(せいごん)なさるなら、わたしが神樣(かみさま)とも思(おも)ふお前(まへ)の身(み)をお懸(か)けなされ、すればお言葉(ことば)を信(しん)じませう。
ロミオ 予(わし)の眞心(こゝろ)が眞實(しんじつ)戀(こ)ひ慕(した)ふ……
ヂュリ あゝ、もし、誓言(せいごん)は、およしなされ。嬉(うれ)しいとは思(おも)へども、今宵(こよひ)すぐに約束(やくそく)するのは、粗忽(そこつ)らしうて、無分別(むぶんべつ)で、早急(さっきふ)で、あッといふ間(ま)に消(き)える稻妻(いなづま)のやうで、嬉(うれ)しうない。戀(こひ)しいお人(ひと)、さよなら! 此(この)戀(こひ)の莟(つぼみ)は、皐月(さつき)の風(かぜ)に育(そだ)てられて、又(また)逢(あ)ふまでには美(うつく)しう咲(さ)くであらう。さよなら/\! お前(まへ)の胸(むね)にも予(わし)の胸(むね)にも、なつかしい安息(あんそく)の宿(やど)りますやう!
ロミオ すりゃ、これぎりで別(わか)れようといふのか?
ヂュリ では、どうせいと被言(おッしゃ)るのぢゃ?
ロミオ 予(わし)の誓言(ちかひ)と取換(とりかへ)に、卿(そなた)の眞實(しんじつ)の誓言(ちかひ)が聽(き)きたい。
ヂュリ わしの誓言(ちかひ)は、さう言(い)はれぬ前(さき)に、献(あ)げてしまうた。もう一度(ど)献(あ)げらるゝやうであって欲(ほ)しい。
ロミオ では、取戻(とりもど)したいか? 何(なん)の爲(ため)に?
ヂュリ 有(あ)る限(かぎ)りを改(あらた)めて獻(あ)げうために。とはいへ、それも、畢竟(ひっきゃう)は、戀(こひ)しいからのこと、献(あ)げたいと思(おも)ふ心(こゝろ)も海(うみ)、戀(こひ)しいと思(おも)ふ心(こゝろ)も海(うみ)の、其(その)底(そこ)は測(はか)り知(し)られぬ。献(あ)ぐれば献(あ)ぐる程(ほど)、尚(なほ)戀(こひ)しさの増(ま)すばかりで、どちらにも限(かぎり)は無(な)い。
此時(このとき)、奧(おく)にて乳母(うば)の聲(こゑ)にて呼(よ)ぶ。
奧(おく)で何(なに)やら、かしましい聲(こゑ)がする。戀(こひ)しいお方(かた)、さよなら……あいあい、乳母(うば)、今(いま)すぐに!……モンタギューどの、必(かなら)ず渝(かは)らず。ちょと待(ま)ってゝ下(くだ)され、すぐ又(また)戻(もど)って來(こ)う。
ヂュリエット入(はひ)る。
ロミオ おゝ、有難(ありがた)い、かたじけない、何(なん)といふ嬉(うれ)しい夜(よる)! が、夜(よる)ぢゃによって、もしや夢(ゆめ)ではないか知(し)らぬ。現(うつゝ)にしては、餘(あんま)り嬉(うれ)し過(す)ぎて※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)(うそ)らしい。
ヂュリエット再(ふたゝ)び階上(かいじゃう)に現(あら)はるゝ。
ヂュリ ロミオどの、もう三言(みこと)だけ、それで今宵(こよひ)は別(わか)れませう。これ、お前(まへ)の心(こゝろ)に虚僞(いつはり)がなく、まこと夫婦(めをと)にならう氣(き)なら、明日(あす)才覺(さいかく)して使者(つかひ)をば上(あ)げませうほどに、何日(いつ)、何處(どこ)で式(しき)を擧(あ)ぐるといふ返辭(へんじ)をして下(くだ)され、すれば、一生(しゃう)の運命(うんめい)をばお前(まへ)の足下(あしもと)に抛出(なげだ)して、世界(せかい)の如何(どん)な端(はて)までも、わしの殿御(とのご)として隨(つ)いてゆきませう。
乳母  (奧にて)姫(ひい)さま!
ヂュリ あい、今(いま)すぐに。……したが、萬(まん)一にも正(たゞ)しうないお心(こゝろ)を有(も)ってござらば、どうぞ……
乳母  (奧にて)姫(ひい)さま!
ヂュリ 今(いま)すぐに行(ゆ)くわいの。……縁談(えんだん)を斷然(ふっゝり)止(や)め、予(わし)をば勝手(かって)に泣(な)かして下(くだ)され。明日(あす)使(つか)ひを送(あ)げませうぞ。
ロミオ 後(のち)の生(よ)をも誓言(ちかひ)にかけて……
ヂュリ 千(せん)たびも萬(まん)たびも御機嫌(ごきげん)よう。
ヂュリエット入(はひ)る。
ロミオ 千(せん)たびも萬(まん)たびも俺(おれ)は機嫌(きげん)がわるうなったわ、卿(そもじ)といふ光明(ひかり)が消(き)えたによって。戀人(こひゞと)に逢(あ)ふ嬉(うれ)しさは、寺子共(てらこども)が書物(しょもつ)に離(はな)るゝ心持(こゝろもち)と同(おな)じぢゃが、別(わか)るゝ時(とき)の切(せつ)なさは、澁面(じふめん)つくる寺屋通(てらやがよ)ひぢゃ。
ロミオそろ/\と退(さが)る。
ヂュリエット又(また)階上(かいぢゃう)に現(あらは)れて、窃(そっ)と口笛(くちぶえ)を鳴(な)らす。
ヂュリ hist(ヒスト)! ローミオー! hist(ヒスト)!……おゝ、こちの雄鷹(をたか)をば呼返(よびかへ)す鷹匠(たかじゃう)の聲(こゑ)が欲(ほ)しいなア、囚人(とらはれ)の身(み)ゆゑ聲(こゑ)が嗄(しゃが)れて、高々(たか/″\)とは能(よ)う呼(よ)ばぬ。さもなかったなら、木魂姫(こだまひめ)が臥(ね)てゐる其(その)洞穴(ほらあな)が裂(さ)くる程(ほど)に、また、あの姫(ひめ)の空(うつろ)な聲(こゑ)が予(わし)の聲(こゑ)よりも嗄(しゃが)るゝ程(ほど)に、ロミオ/\と呼(よ)ばうものを。
ロミオ や、俺(おれ)の名(な)を呼(よ)ぶは戀人(こひゞと)ぢゃ。あゝ、戀人(こひゞと)の夜(よる)の聲音(こわね)は、白銀(しろがね)の鈴(すゞ)のやうにやさしうて、聞(き)けば聞(き)くほどなつかしい!
ヂュリ ローミオー!
ロミオ 戀人(こひゞと)か?
ヂュリ 明日(あす)、何時頃(なんじごろ)に使(つか)ひを送(あ)げうぞ?
ロミオ 九時(じ)に。
ヂュリ あい、ちがへはせぬ。あゝ、その時(とき)までが二十年(ねん)! あれ、忘(わす)れた、何(なん)でお前(まへ)を呼返(よびかへ)したのやら?
ロミオ 思(おも)ひ出(だ)しなさるまで、斯(か)うして此處(こゝ)に立(た)ってゐよう。
ヂュリ さうしてゐて欲(ほ)しいから、わたしゃ尚(なほ)と忘(わす)れませう。一しょにゐたい、といふ事(こと)ばかりは忘(わす)れずに。
ロミオ 予(わし)は又(また)いつまでも斯(か)うして此處(こゝ)に立(た)ってゐよう、卿(そもじ)にも忘(わす)れさせ、自分(じぶん)も此家(こゝ)の事(こと)の外(ほか)は皆(みんな)忘(わす)れて。
ヂュリ もう夜(よ)が明(あ)くる。往(い)んで欲(ほ)しいとは思(おも)へども、小鳥(ことり)の脚(あし)に、氣儘少女(きまゝむすめ)が、囚人(めしうど)の鎖(くさり)のやうに絲(いと)を附(つ)けて、ちょと放(はな)しては引戻(ひきもど)し、又(また)飛(と)ばしては引戻(ひきもど)すがやうに、お前(まへ)を往(い)なしたうもあるが、惜(を)しうもある。
ロミオ 卿(そもじ)の小鳥(ことり)になりたいなア!
ヂュリ お前(まへ)を小鳥(ことり)にしたいなア! したが、餘(あんま)り可愛(かはゆ)がって、つい殺(ころ)してはならぬゆゑ、もうこれで、さよなら! さよなら! あゝ、別(わか)れといふものは悲(かな)し懷(なつか)しいものぢゃ。夜(よ)が明(あ)くるまで、斯(か)うしてさよならを言(い)うてゐたい。
ヂュリエット入(はひ)る。
ロミオ 卿(そもじ)の目(め)には安眠(あんみん)が、卿(そもじ)の胸(むね)には安心(あんしん)の宿(やど)るやう! あゝ、其(その)安眠(あんみん)とも安心(あんしん)ともなって、君(きみ)の美(うつく)しい胸(むね)や目(め)に宿(やど)りたいなア!……これから上人(しゃうにん)の庵(いほり)へ往(い)て、今宵(こよひ)の仕合(しあは)せを話(はな)した上(うへ)、何(なに)かと助力(ぢょりょく)を求(もと)めよう。
ロミオ入(はひ)る。

ロレンス法師(ほふし)提籃(さげかご)を携(たづさ)へて出(で)る。
ロレ  灰色目(はひいろめ)の旦(あした)が顰縮面(しかめつら)の夜(よる)に對(むか)うて笑(ゑ)めば、光明(ひかり)の縞(しま)が東方(とうばう)の雲(くも)を彩(いろど)り、剥(は)げかゝる暗(やみ)は、日(ひ)の神(かみ)の火(ひ)の輪(わ)の前(まへ)に、さながら醉人(ゑひどれ)のやうに蹣跚(よろめ)く。どりゃ、太陽(ひ)が其(その)燃(も)ゆるやうな眼(まなこ)を擧(あ)げて今日(けふ)の晝(ひる)を慰(なぐさ)め、昨夜(さくや)の濕氣(しっき)を乾(かわか)す前(まへ)に、毒(どく)ある草(くさ)や貴(たふと)い液(しる)を出(だ)す花(はな)どもを摘(つ)んで、吾等(われら)の此(この)籃(かご)を一杯(ぱい)にせねばならぬ。萬有(ばんいう)の母(はゝ)たる大地(だいぢ)は其(その)墓所(はかどころ)でもあり、又(また)其(その)埋葬地(まいさうち)たるものが其(その)子宮(こぶくろ)でもある、さて其(その)子宮(こぶくろ)より千差(さ)萬別(べつ)の兒供(こども)が生(うま)れ、其(その)胸(むね)をまさぐりて乳(ち)を吸(す)ふやうに、更(さら)に何(なに)か一種宛(ひとくさづゝ)靈妙(いみ)じい殊(こと)なる效能(かうのう)のある千種(しゅ)萬種(しゅ)を吸出(すひい)だす。あゝ、夥(おびたゞ)しいは草(くさ)や木(き)や金石(きんせき)どもの其(その)本質(ほんしつ)に籠(こも)れる奇特(きどく)ぢゃ。地上(ちじゃう)に存(そん)する物(もの)たる限(かぎ)り、如何(いか)な惡(あ)しい品(しな)も何等(なにら)かの益(えき)を供(きょう)せざるは無(な)く、又(また)如何(いか)な善(よ)いものも用法(ようはふ)正(たゞ)しからざれば其(その)性(せい)に悖(もと)り、圖(はか)らざる弊(へい)を生(しゃう)ずる習(なら)ひ。美徳(びとく)も法(はふ)を誤(あやま)れば惡徳(あくとく)と化(くわ)し、惡徳(あくとく)も用處(ようしょ)を得(え)て威嚴(ゐげん)を生(しゃう)ず。此(この)孱弱(かよわ)い、幼稚(いとけな)い蕚(はなぶさ)の裡(うち)に毒(どく)も宿(よど)れば藥力(やくりき)もある、嗅(か)いでは身體中(からだぢゅう)を慰(なぐさ)むれども、嘗(な)むるときは心臟(しんざう)と共(とも)に五官(くわん)を殺(ころ)す。かゝる敵(かたき)が、植物界(しょくぶつかい)にも、人間界(にんげんかい)にも、常(つね)に陣(ぢん)どって相鬪(あひたゝか)ふ……仁心(じんしん)と害心(がいしん)とが……而(しかう)して惡(あ)しい方(かた)が勝(か)つときは、忽(たちま)ち毒蟲(どくむし)に取附(とりつ)かれて、其(その)植物(しょくぶつ)は枯果(かれは)つる。
ロミオ出(で)る。
ロミオ お早(はや)うござります。
ロレ  冥加(みゃうが)あらせたまへ! 誰(た)れぢゃ、此(この)早朝(さうてう)に、なつかしい其(その)聲音(こわね)は? ほう、若(わか)い癖(くせ)に早起(はやおき)は、心(こゝろ)に煩悶(わづらひ)のある證據(しょうこ)ぢゃ。老(おい)の目(め)は苦勞(くらう)に覺(さ)め勝(が)ち、苦勞(くらう)の宿(やど)る處(ところ)には兎角(とかく)睡眠(すゐみん)の宿(やど)らぬものぢゃが、心(こゝろ)に創(きず)が無(な)く腦(なう)に蟠(わだかま)りのない若(わか)い者(もの)は、手足(てあし)を横(よこ)にするや否(いな)や、好(よ)い心持(こゝろもち)に眠(ねむ)らるゝ筈(はず)ぢゃに、かう早(はや)う起(お)きさしゃったは、こりゃ何(なに)か煩悶(わづらひ)が無(な)うてはならぬ。さうでなくば、こちのロミオは、昨夜(ゆうべ)は床(とこ)に就(つ)かなんだのぢゃな。
ロミオ 其通(そのとほ)りでござる、眠(ね)なんだ故(ゆゑ)にこそ嬉(うれ)しい安心(あんしん)。
ロレ  神(かみ)よ、罪(つみ)を赦(ゆる)させられい! さてはローザラインと一しょぢゃな!
ロミオ ローザラインと一しょぢゃと被言(おッしゃ)るか? 其(その)名前(なまへ)も、其(その)名前(なまへ)に伴(ともな)ふ悲痛(かなしみ)も、予(わし)ゃ最早(もう)みんな忘(わす)れてしまうた。
ロレ  それでこそ好(よ)い子(こ)ぢゃ。すれば、何處(どこ)におゐやったのぢゃ?
ロミオ 二度(ど)と問(と)はれいでも話(はな)しませう。仇敵(かたき)の家(いへ)で酒宴(しゅえん)の最中(さいちゅう)、だまし撃(うち)に予(わし)に創(きず)を負(お)はした者(もの)があったを、此方(こち)からも手(て)を負(お)はした。二人(ふたり)の受(う)けた創(きず)は貴僧(こなた)の藥力(やくりき)を借(か)れば治(なほ)る。なう、上人(しゃうにん)、予(わし)は其(その)敵(てき)を憎(にく)みはせぬ、かうして頼(たの)みに來(き)たのも、互(たが)ひの身(み)の爲(ため)を思(おも)ふからぢゃ。
ロレ  はて、明白(はっきり)と素直(すなほ)に被言(おッしゃ)れ。懺悔(ざんげ)が謎(なぞ)のやうであると、赦免(みゆるし)も謎(なぞ)のやうなことにならう。
ロミオ されば明白(はっきり)と言(い)はうが、予(わし)はカピューレット家(け)のあの美(うつく)しい娘(むすめ)を又(また)と無(な)い戀人(こひゞと)と定(き)めてしまうた。予(わし)が定(き)めたれば先方(むかう)もまた其通(そのとほ)りに定(き)めたのでござる。手筈(てはず)は皆(みな)濟(す)んだ、殘(のこ)るは貴僧(こなた)に行(おこな)うて貰(もら)ふ神聖(しんせい)な式(しき)ばかり。何時(いつ)、何處(どこ)で、如何(どう)して逢(あ)うて、如何(どう)言寄(いひよ)って、如何(どん)な誓言(せいごん)をしたかは、歩(ある)きながら話(はな)しませうほどに、先(ま)づ承引(しょういん)して下(くだ)され、今日(けふ)婚禮(こんれい)さすることを。
ロレ  祖師(そし)フランシス上人(しゃうにん)! こりゃまた何(なん)たる變(かは)りやうぢゃ! あれほどに戀(こ)ひ焦(こが)れておゐやつた[#「おゐやつた」はママ]ローザラインを最早(もう)棄(す)てゝおしまやったか? されば若(わか)い手合(てあひ)の戀(こひ)は其(その)心(こゝろ)には宿(やど)らいで其(その)眼中(がんちゅう)に宿(やど)ると見(み)えた。Jesu(ヂェシュー) Maria(マリヤ)! どれほど苦(にが)い水(みづ)が其(その)蒼白(あをじろ)い頬(ほゝ)をローザラインの爲(ため)に洗(あら)うたことやら? 幾何(どれほど)の鹽辛水(しほからみづ)を無用(むだ)にしたことやら、今(いま)は餘波(なごり)さへもない其(その)戀(こひ)を味(あぢ)つけうために! 卿(そなた)の溜息(ためいき)はまだ大空(おほぞら)に湯氣(ゆげ)と立昇(たちのぼ)り、卿(そなた)の先頃(さきごろ)の呻吟聲(うなりごゑ)はまだ此(この)老(おい)の耳(みゝ)に鳴(な)ってゐる。それ、まだ其(その)頬(ほゝ)に古(ふる)い涙(なみだ)の汚(よご)れが拭(ぬぐ)はれいで殘(のこ)ってある。卿(そなた)はやはり卿(そなた)で、あの愁歎(なげき)は卿(そなた)の愁歎(なげき)であったなら、それは皆(みな)ローザラインの爲(ため)であったに、なりゃ、其(その)心(こゝろ)が變(かは)ったか? すれば、此(この)一語(ご)を唱(とな)へしめ……女(をんな)は心(こゝろ)の移(うつ)る筈(はず)、男心(をとこごころ)さへも堅固(けんご)にあらず。
ロミオ 貴僧(こなた)はローザラインに戀(こひ)をすなというて、幾(いく)たびもお叱(しか)りゃったぞよ。
ロレ  戀(こひ)をすなではない、溺(おぼ)るなと言(い)うたのぢゃ。
ロミオ そして戀(こひ)を葬(ほうむ)れと被言(おしゃ)ったぞよ。
ロレ  前(まへ)のを墓(はか)に葬(ほうむ)って、別(べつ)のを掘出(ほりだ)せとは曾(つひ)ぞ言(い)はぬ。
ロミオ なう、叱(しか)って下(くだ)さるな。此度(こんど)の女(をんな)は、此方(こち)で思(おも)へば、彼方(あち)でも思(おも)ひ、此方(こち)で慕(した)へば、彼方(あち)でも慕(した)ふ。以前(さき)のはさうで無(な)かった。
ロレ  おゝ、それは、卿(そなた)の戀(こひ)をば、能(よ)う會得(ゑとく)してもゐぬことを、只(たゞ)口頭(くちさき)で誦(よ)む類(たぐひ)ぢゃと見拔(みぬ)いてゐた爲(ため)でもあらう。したが、こゝな浮氣者(うはきもの)、ま、予(わし)と一しょに來(き)やれ、仔細(しさい)あって助力(ぢょりき)せう、……此(この)縁組(えんぐみ)が原(もと)で兩家(りゃうけ)の確執(かくしつ)を和睦(わぼく)に變(か)へまいものでもない。
ロミオ おゝ、速(はや)う。早急(さっきふ)に濟(す)まさにゃならぬ。
ロレ  いや、賢(かしこ)う徐(ゆる)うぢゃ。馳出(かけだ)す者(もの)は蹉躓(けつまづ)くわい。
ロレンス先(さき)に、ロミオ從(つ)ひて入(はひ)る。

ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーとマーキューシオーと出(で)る。
マーキュ ロミオめは何處(どこ)へ往(ゆ)きをったか? 歸(かへ)らなんだか昨夜(ゆうべ)は?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) うん、父者(てゝぢゃ)の家(いへ)へは。家來(けらい)に逢(あ)うて聞(き)いた。
マーキュ はて、あの蒼白(あをじろ)い情無(じゃうな)し女(をんな)のローザラインめが散々(さん/″\)に奴(やつ)を苦(くるし)めるによって、果(はて)は狂人(きちがひ)にもなりかねまいわい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) カピューレットの一族(ぞく)のチッバルトが、ロミオが父者(てゝぢゃ)へ宛(あ)てゝ、書面(しょめん)をば送(おく)ったさうな。
マーキュ 誓文(せいもん)、決鬪状(けっとうじゃう)であらう。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) ロミオは返事(へんじ)をやるであらう。
マーキュ 字(じ)の書(か)ける程(ほど)の者(もの)なら、返事(へんじ)をせいでか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) いや、しかけられたからは、立合(たちあ)はうと返事(へんじ)をせう。
マーキュ あゝ、ロミオの奴(やつ)め、奴(やつ)は最早(もう)死(し)んでゐるわい! あの眞白(まッしろ)な小婦(あまッちょ)の黒(くろ)い目(め)でしてやられた、耳(みゝ)は戀歌(こひか)で射貫(いとほ)される、心臟(しんざう)の眞中央(まッたゞなか)は例(れい)の盲小僧(めくらこぞう)の彼(あ)の稽古矢(けいこや)で打碎(ぶちくた)かれる。何(どう)して、あのチッバルトと立合(たちあ)ふことなぞが出來(でけ)うぞい。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) え、如何(どん)な男(やつ)ぢゃチッバルトは?
マーキュ 昔話(むかしばなし)の猫王(チッバルト)ぢゃと思(おも)うたら當(あて)が違(ちが)はう。見事(みごと)武士道(ぶしだう)の式作法(しきさはふ)に精通(せいつう)遊(あそ)ばしたお達人(たつじん)さまぢゃ。譜本(ふほん)で歌(うた)を唱(うた)ふやうに、時(ま)も距離(きょり)も釣合(つりあひ)も違(ちが)へず、一(ひい)、二(ふう)と間(ま)を置(お)いて、三(みッ)つと言(い)ふ途端(とたん)に敵手(あひて)の胸元(むなもと)へ貫通(ずぶり)、絹鈕(きぬぼたん)をも芋刺(いもざし)にしようといふ決鬪師(けっとうし)ぢゃ。例(れい)の第(だい)一條(でう)、第(だい)二條(でう)を口癖(くちぐせ)にする決鬪師(けっとうし)の嫡々(ちゃき/\)ぢゃ。あゝ、百發(ぱつ)百中(ちゅう)の進(すゝ)み突(づき)とござい! 次(つぎ)は逆突(ぎゃくづき)? 參(まゐ)ったか突(づき)とござる!
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) え、何突(なにづき)?
マーキュ 白癩(びゃくらい)、あのやうな變妙來(へんめうらい)な、異樣(おつ)に氣取(きど)った口吻(ものいひ)をしをる奴(やつ)は斃(くたば)りをれ、陳奮漢(ちんぷんかん)め! 「イエスも照覽(せうらん)あれ、拔群(ばっくん)な劍士(けんし)でござる! いや、拔群(ばっくん)な丈夫(ますらを)でござる!」 へん、拔群(ばっくん)な淫婦(すべた)でござるが聞(き)いて呆(あき)れるわい。何(なん)と、お祖父(ぢい)さん、情無(なさけな)い世(よ)の中(なか)となったではござらぬか、朝(あさ)から晩(ばん)まで流行(りうかう)を仕入※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(しいれまは)って、口(くち)さへ開(あ)けば pardonnez(パルドンネ)-mois(モア), pardonnez(パルドンネ)-mois(モア)! 新型(しんがた)の細袴(ずぼん)を穿(は)かねば、半時(はんとき)、片時(へんし)も立(た)ってをられぬ如是(あゝいふ)※(「亡/(虫+虫)」、第3水準1-91-58)共(あぶども)に惱(なやま)されねばならぬとは? おゝ、又(また)しても bon(ぼん)! bon(ぼん)! ぶん/\!
ロミオ出る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) ロミオが來(わ)せた、ロミオが。
マーキュ ※(「魚+而」、第3水準1-94-40)(はららご)を拔(ぬ)かれた鯡(にしん)の干物(ひもの)といふ面附(つらつき)ぢゃ。おゝ、にしは、にしは、てもまア憫然(あさま)しい魚類(ぎょるゐ)とはなられたな! こりゃ最早(もう)ペトラークが得意(とくい)の戀歌(こひか)をお手(て)の物(もの)ともござらう。ローラなどはロミオが愛姫(ひめ)に比(くら)べては山出(やまだ)しの下婢(はしため)ぢゃ、もっとも、歌(うた)だけはローラが遙(はる)かに上等(じゃうとう)のを作(つく)って貰(もら)うた。はて、ダイドーは自墮落女(じだらくをんな)で、クレオパトラは赤面(あかつら)の乞食女(こじきをんな)、ヘレンやヒーローは賣女(ばいぢょ)、賤女(せんぢょ)で、シスビは碧瞳(あをめだま)ぢゃ何(なん)のかのと申(まう)せども、所詮(しょせん)は取(と)るに足(た)らぬ。……なうなう、ロミオの君(きみ)、えへん、bonjour(ボンジュール)! これはフランス式(しき)の細袴(ほそずぼん)に對(たい)してのフランス式(しき)の御挨拶(ごあいさつ)でござる。昨夜(ゆうべ)は、ようも巧々(うま/\)と贋金(にせがね)を掴(つか)ませやったの。
ロミオ 二人(ふたり)ともお早(はや)うござる。なに、贋金(にせがね)とは?
マーキュ 吾々(われ/\)の目(め)をお拔(ぬ)きゃって。後(あと)は言(い)はいでもぢゃ。
ロミオ マーキューシオーどの、恕(ゆる)して下(くだ)され、實(じつ)は是非(ぜひ)ない所用(しょよう)があったからぢゃ。あんな際(をり)には、つい、その、禮(れい)を曲(ま)ぐることがある習(なら)ひぢゃ。
マーキュ ふん、あんな際(をり)には、足腰(あしこし)の曲(ま)げ方(かた)が異(ちが)ふといふのぢゃな?
ロミオ といふのは、慇懃(ねんごろ)に挨拶(あいさつ)するためといふ意(こゝろ)か?
マーキュ 其通(そのとほ)り、御深切(ごねんごろ)な解釋(かいしゃく)ぢゃ。
ロミオ これはまた御丁寧(ごていねい)なお言葉(ことば)ぢゃ。
マーキュ はて、禮法(れいはふ)にかけては一代(だい)の精華(ピンク)とも崇(あが)められてゐる乃公(おれ)ぢゃ。
ロミオ 精華(ピンク)とは名譽(めいよ)の異名(いみゃう)か?
マーキュ いかにも。
ロミオ では、予(わし)の舞踏靴(ぶたふぐつ)は名譽(めいよ)なものぢゃ、此通(このとほ)り孔(ピンク)だらけぢゃによって。
マーキュ 出來(でき)た。此上(このうへ)は洒落競(しゃれくら)べぢゃぞ。これ、足下(おぬし)の其(その)薄(うす)っぺらな靴(くつ)の底(そこ)は、今(いま)に悉(こと/″\)く磨(す)り減(へ)って、果(はて)は見苦(みぐる)しい眞(ま)ッ赤(か)な足(あし)を出(だ)しゃらうぞよ。
ロミオ はて、見(み)ぐるしい眞(ま)ッ赤(か)な恥(はぢ)を駄洒落(だじゃ)るとは足下(おぬし)のこと。それ、もう、薄(うす)っぺらな智慧(ちゑ)の底(そこ)が見(み)えるわ!
マーキュ おい、應援(たす)けてくれ、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー。智慧(ちゑ)の息(いき)が切(き)れるわ。
ロミオ 鞭(むち)を加(あ)てい、鞭(むち)を、もっと/\。さうで無(な)いと「勝(か)った」と呼(よ)ぶぞよ。
マーキュ いや、こんな阿呆(あほ)らしい拔駈(ぬけがけ)の競爭(きゃうさう)は最早(もう)中止(やめ)ぢゃ。何故(なぜ)と言(い)へ、足下(おぬし)は最初(はじめ)からぬけてゐるわ。何(なん)と、頭拔(づぬ)けた洒落(しゃれ)であらうが。
ロミオ 成程(なるほど)、愚鈍者事(ぬけさくごと)にかけては、足下(おぬし)は生得(うまれつき)頭拔(づぬ)けてゐる。
マーキュ 巧(うま)く脱(ぬ)けをったな、咬(か)むぞよ。
ロミオ はて「咬(か)んでたもるな、阿呆鳥(あはうどり)どのよ」ぢゃ。
マーキュ 足下(おぬし)の洒落(しゃれ)は橙々酢(だい/\ず)といふ格(かく)ぢゃ、藥味(やくみ)にしたら酸(すッ)ぱからう。
ロミオ ぢゃによって、かうした味(あぢ)の脱(ぬ)けた代物(しろもの)に撒布(ふりか)けてゐるのぢゃ。
マーキュ おゝ、ても善(よ)う※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(まは)るわ、寸(すん)から尺(しゃく)に伸(の)びる莫大小口(めりやすぐち)とは足下(おぬし)の口(くち)ぢゃ。
ロミオ はて、伸(の)びると言(い)へば、その伸(の)びるとは足下(きみ)の鼻(はな)の下(した)ぢゃ、今(いま)天下(てんか)に並(なら)びもない拔作(ぬけさく)どのとは足下(きみ)のことぢゃ。
マーキュ (笑って)何(なん)と、かう洒落(しゃ)れのめしてゐるはうが、惚(ほ)れたの、腫(は)れたのと呻吟(うめ)いてゐるよりは優(まし)であらうが? 今日(けふ)こそは、つッともう人好(ひとずき)のする立派(りっぱ)なロミオぢゃ、今日(けふ)こそは正面(しゃうめん)、側面(そくめん)、何處(どこ)から見(み)ても正(しゃう)めん贋無(まがひな)しのロミオぢゃ。女(をんな)の事(こと)で愁言(なきごと)言(い)ふは、例(たと)へば、彼(あ)の弄僕(あはう)めが、見(み)ともない面(つら)をして、例(れい)の棒切(ボーブル)をおったてゝ……
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) もう止(や)めた、もう止(や)めた。
マーキュ しかけた一件(けん)を、止(や)めいとは如何(どう)ぢゃ?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 默(だま)ってゐたら、尚(な)ほ其上(そのうへ)に、何(なに)を爲出(しいだ)さうも知(し)れぬわい。
マーキュ 大(おほ)ちがひぢゃ、何(なに)をしようぞい。事(こと)はとうに終(す)んだわ。もう何(なに)もする氣(き)は無(な)い。
ロミオ やれ/\、お上品(じゃうひん)な問答(もんだふ)!
(此(この)原詞(げんし)は“Here's goodly gear.”此(この)意味(いみ)不分明(ふふんめい)。乳母(うば)とピーターとの來(きた)るを見附(みつ)けての評語(ひゃうご)とも、マーキューシオーとベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーの猥雜(わいざつ)な問答(もんだふ)を反語的(はんごてき)に評(ひゃう)したるものと解(かい)せらる。こゝには後者(こうしゃ)を正(たゞ)しと見(み)て、其義(そのぎ)に譯(やく)しておきたり。)
乳母(うば)が先(さき)に、下人(げにん)ピーター大(おほ)きな扇子(せんす)を持(も)ちて從(つ)いて出(で)る。
マーキュ 船(ふね)ぢゃ/\!
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 二艘(さう)々々(/\)。男襦袢(をす)と女襦袢(めす)ぢゃ。
乳母  ピーター!
ピータ あい/\!
乳母  予(わし)の扇子(せんす)を。
マーキュ ピーターどんや、扇子(せんす)で面(つら)を隱(かく)さうちふのぢゃ、扇子(せんす)の方(はう)が美(うつく)しいからなう。
乳母  殿方(とのがた)、お早(はや)うござります。
マーキュ 御婦人(ごふじん)、お晩(おそ)うござります。
乳母  え、晩(おそ)うござりますとえ。
マーキュ いかにも。それ、その日時計(ひどけい)の淫亂(すけべい)な手(て)が午過(ひるすぎ)の標(しるし)に達(とゞ)いてゐるわさ。
乳母  はれま、此人(このひと)は! 何(なん)たるお人(ひと)ぢゃお前(まへ)は?
ロミオ 御婦人(ごふじん)、これは事壞(ことこは)しの爲(ため)に神樣(かみさま)が造(つく)らせられた男(をとこ)ぢゃ。
乳母  ほんに、巧(うま)いことを被言(おっしゃ)る。事壞(ことこは)しの爲(ため)に出來(でき)た人(ひと)ぢゃといの! あの、殿方(とのがた)え、ロミオの若樣(わかさま)には何處(どこ)へゐたら逢(あ)はれうかの、御存(ごぞん)じなら教(をし)へて下(くだ)され。
ロミオ 予(わし)が教(をし)へう。したが、其(その)若樣(わかさま)は彌※(二の字点、1-2-22)(いよ/\)逢(あ)はッしゃる時分(じぶん)には、尋(たづ)ねてござる今(いま)よりは老(ふ)けてゐませうぞ。はて、最(いっ)ち年少(としわか)のロミオは予(わし)ぢゃ。これより粗(まづ)いのは今(いま)はない。
乳母  てもま、巧(うま)いことを被言(おっしゃ)る。
マーキュ 何(なん)ぢゃ、最(いっ)ち粗(まづ)いのをば甘美(うま)い? はて、巧(うま)い意味(いみ)の取(と)りやうぢゃの。賢女(けんぢょ)々々。
乳母  貴下(こなた)がロミオさまなら、何處(どこ)ぞで改(あらた)めて御密會(ごみっくわい)(御面會)がお願(ねが)ひ申(まう)したうござります。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) (笑って)今(いま)に、優待といふ積(つも)りで、誘惑をはじめかねまい。
マーキュ 慶庵婆(ぜげん)だ/\! 來(き)た/\!
ロミオ 來(き)たとは何(なに)が?
マーキュ はて、兎(うさぎ)ではない、兎(うさぎ)にしても脂肪(あぶら)の滿(の)った奴(やつ)ではなうて、節肉祭式(レントしき)の肉饅頭(にくまんぢう)、食(く)はぬうちから、陳(ふる)びて、萎(しな)びて……
(歌ふ)。やんれ、黴(かび)の生(は)えた雌兎(めすうさぎ)、
 やんれ、黴(かび)の生(は)えた雌兎(めすうさぎ)、
レント祭(さい)には相應(さうおう)なれど
 黴(か)びた兎(うさぎ)ぢゃ二十人(にん)でも食(く)へぬ、
食(く)はぬうちから黴(か)びたと聞(き)けば……
ロミオ、父御(てゝご)の館(うち)へおぢゃれ。あそこで飮(の)まうぞ。
ロミオ 後(あと)から行(ゆ)かう。
マーキュ お媼(ばゝ)どん、さらば。さらば/\。
「姫(ひめ)さん/\/\……」
流行(りうかう)の小唄(こうた)を唱(うた)ひながらベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーと共(とも)にマーキューシオー入(はひ)る。
乳母  はい、御機嫌(ごきげん)よう。……もし/\、あの人(ひと)は、ま、何(なん)といふ無作法(ぶさはふ)な若(わか)い衆(しゅ)でござるぞ? あくたいもくたいばかり言(い)うて。
ロミオ あれは自分(じぶん)の饒舌(しゃべ)るのを聽(き)くことの好(す)きな男(をとこ)、一月(ひとつき)かゝってもやり切(き)れぬやうな事(こと)を、一分間(ぶんかん)で饒舌(しゃべ)り立(た)てようといふ男(をとこ)ぢゃ。
乳母  おのれ、わしの事(こと)を何(なん)とでも言(い)うて見(み)をれ、目(め)に物(もの)を見(み)せうぞい。よしんば見(み)かけより強(つよ)からうと、あんな奴(やつ)がまだ別(べつ)に二十人(にん)あらうと、大事(だいじ)ない。自力(じりき)で敵(かな)はぬなら、人(ひと)を頼(たの)むわいの。碌(ろく)でなしの和郎(わろ)め! 彼奴(あいつ)らに阿呆(あはう)にされて堪(たま)るかいの。彼奴(あいつ)らの無頼仲間(ごろつきなかま)ぢゃありゃせぬわい。……(下人に對ひて)汝(おのし)も傍(そば)に立(た)ってゐながら、予(わし)が隨意的(えいやう)にされてゐるのを、見(み)てゐるとは何(なん)の事(こッ)ちゃい。
ピータ 誰(た)れもお前(まへ)を隨意的(えいやう)には爲(し)やせぬがや。若(も)しも其樣(そない)なことがあれば、此(この)利劍(わざもの)を引拔(ひきぬ)かいでかいの。こりゃ拔(ぬ)かんければならん場合(ばあひ)ぢゃとさへ思(おも)うたら、わしゃ人(ひと)に負(ま)くるこっちゃない。
乳母  えゝ、ほんに/\、悔(くや)しうて/\、身體中(からだぢゅう)が顫(ふる)へるわいの。碌(ろく)でなしの和郎(わろ)めが!……(ロミオに對ひて)もし/\、貴下(こなた)さまえ、最前(さいぜん)も申(まう)しましたが、妾(わし)の姫(ひい)さまが、貴下(こなた)を搜(さが)して來(こ)いとの吩咐(いひつけ)でな、其(その)仔細(わけ)は後(あと)にして、先(ま)づ言(い)うて置(お)くことがござります、若(も)しも貴下(こなた)が、世間(せけん)で言(い)ふやうに、阿呆(あはう)の極樂(ごくらく)へ姫(ひい)さまを伴(つ)れて行(ゆ)かっしゃるやうならば、ほんに/\、世間(せけん)で言(い)ふ通(とほ)り、不埓(ふらち)な事(こと)ぢゃ。何故(なぜ)と被言(おッしゃ)りませ、姫(ひい)さまはまだ齡(とし)がゆかッしゃらぬによって、騙(だま)さッしゃるやうであれば、ほんにそれは惡(わる)いこっちゃ、御婦人(ごふじん)を騙(だま)さッしゃるは卑怯(ひけふ)ぢゃ、非道(ひだう)ぢゃ。
ロミオ お乳母(うば)どの、おぬしのお姫(ひい)さんへ慇懃(ねんごろ)に傳(つた)へて下(くだ)され。予(わし)は飽迄(あくまで)も言(い)うておく……
乳母  はれ、善(よ)いお仁(ひと)や、ほんに其通(そのとほ)り申(まう)しましょわいな。ほんに、ま、何樣(どのやう)に喜(よろこ)ばッしゃらう。
ロミオ 其通(そのとほ)りにとは、何(なに)を? まだ何(なに)も言(い)やせぬのに。
乳母  飽迄(あくまで)も言(い)うて置(お)く、とおッしゃったと言(い)や、それが立派(りっぱ)なお言傳手(ことづて)ぢゃがな。
ロミオ なう、姫(ひめ)に勸(すゝ)めて下(くだ)され、此(この)晝過(ひるすぎ)に、何(なん)とか才覺(さいかく)して懺悔式(ざんげしき)に來(こ)らるゝやう。あのロレンス殿(どの)の庵室(あんじつ)で、懺悔(ざんげ)の式(しき)を濟(す)まして婚禮(こんれい)する心(こゝろ)なれば。こりゃ骨折賃(ほねをりちん)ぢゃ。
乳母  いえ、めっさうな。一錢(せん)も戴(いたゞ)きませぬ。
ロミオ まゝ、是非(ぜひ)とも。
乳母  では、此(この)晝過(ひるすぎ)に? む、む、其樣(そのやう)にいたしましょ。
乳母(うば)行(ゆ)きかくる。
ロミオ あ、これ、お待(ま)ち。やがて、あの寺(てら)の塀外(へいそと)へ、おぬしに渡(わた)す爲(ため)に、繩梯子(なはばしご)のやうに編(あ)み合(あは)せたものを家來(けらい)に持(も)たせて遣(や)りませう。それこそは忍(しの)ぶ夜半(やは)に嬉(うれ)しい事(こと)の頂點(ちゃうてん)へ此身(このみ)を運(はこ)ぶ縁(えん)の綱(つな)。……さよなら。眞實(しんじつ)を盡(つく)しておくりゃれ、きっと骨折(ほねをり)の報(むくひ)はせう。さらば。姫(ひめ)へ宜(よろ)しう傳(つた)へて下(くだ)され。
乳母  御機嫌(ごきげん)やういらせられませい!……あ、もし/\。
ロミオ 何(なん)とかお言(い)やったか?
乳母  御家來(ごけらい)は口(くち)の堅(かた)いお人(ひと)かいな? 二人(ふたり)ぎりの祕密(ひみつ)は洩(も)れぬ、三人目(にんめ)が居(を)らねば、と言(い)ひますぞや。
ロミオ 大丈夫(だいぢゃうぶ)ぢゃ、鋼鐡(はがね)のやうに堅(かた)い男(をとこ)ぢゃ。
乳母  それならば。こちの姫(ひい)さまはな、それは/\憐(しほら)しうて……ほんに、ほんに、まだ幼(ちひさ)うて、分別(たわい)もないことを言(い)うてゞあった時分(じぶん)は……お、あのな、パリス樣(さま)と言(い)うて、お立派(りっぱ)な方(かた)がな、どうぞして物(もの)にせうと氣(き)を揉(も)まっしゃるのぢゃが、あのよな人(ひと)に逢(あ)ふよりは、予(わし)ゃ蟾蜍(ひきがへる)に逢(あ)うたはうが優(まし)ぢゃ、と言(い)うてな、あの蟾蜍(ひきがへる)に。予(わし)も折々(をり/\)は腹(はら)を立(た)っても見(み)ますのぢゃ、パリスどのゝ方(はう)が、ずっと好(よ)い男(をとこ)ぢゃと言(い)うてな。すると、眞(ほん)の事(こと)ぢゃ、孃(ぢゃう)は眞蒼(まっさを)な顏(かほ)にならっしゃる、圖無(づな)い白布(しろぬの)のやうに。え、ロミオと萬迭香(ローヅメリ)とは、頭字(かしらじ)が同(おな)じかいな?
ロミオ いかにも。それが、何(なん)としたぞ? 兩方(りゃうはう)ともR(アール)ぢゃ。
乳母  はれま、人(ひと)を! そりゃ、犬(いぬ)の名(な)ぢゃがな。R(アール)がお前(まへ)の……いやいや、何(なに)か他(ほか)の字(じ)に相違(さうゐ)ないわいの。……何(なん)でもな、貴下(こなた)と萬迭香(ローズメリ)とが如何(どう)とやらしたといふ、何(なん)ぢゃ知(し)らんが、面白(おもしろ)さうな額言(がくげん)(格言)とやらを作(つく)らしゃってぢゃ、貴下(こなた)が聞(き)かッしゃれば喜(よろこ)ばッしゃらうやうな。
ロミオ 姫(ひめ)に宜(よろ)しう言(い)うて下(くだ)され。
ロミオ入る。
乳母  はい/\、申(まう)しましょとも。……ピーター!
ピータ あい/\!
乳母  先(さき)へ、そして急歩的(とっと)と。
乳母(うば)とピーターと入(はひ)る。

ヂュリエット出る。
ヂュリ 乳母(うば)を出(だ)してやった時(とき)、時計(とけい)は九(こゝの)つを打(う)ってゐた。半時間(はんじかん)で歸(かへ)るといふ約束(やくそく)。若(も)しや逢(あ)へなんだかも知(し)れぬ。いや/\、さうでは無(な)い。えゝも、乳母(うば)めは跛足(ちんば)ぢゃ! 戀(こひ)の使者(つかひ)には思念(おもひ)をこそ、思念(おもひ)は殘(のこ)る夜(よる)の影(かげ)を遠山蔭(とほやまかげ)に追退(おひの)ける旭光(あさひ)の速(はや)さよりも十倍(ばい)も速(はや)いといふ。ぢゃによって、戀(こひ)の神(かみ)の御輦(みくるま)は翼輕(はねがる)の鳩(はと)が牽(ひ)き、風(かぜ)のやうに速(はや)いキューピッドにも双(ふた)つの翼(はね)がある。あれ、もう太陽(たいやう)は、今日(けふ)の旅路(たびぢ)の峠(たうげ)までも達(とゞ)いてゐる。九時(じ)から十二時(じ)までの長(なが)い/\三時間(じかん)、それぢゃのに、まだ歸(かへ)って來(こ)ぬ。乳母(うば)めに、情(じゃう)が燃(も)えてゐたら、若(わか)い温(あたゝ)かい血(ち)があったら、テニスの球(たま)のやうに、予(わし)が吩咐(いひつ)くるや否(いな)や戀人(こひゞと)の許(とこ)へ飛(と)んで行(ゆ)き、また戀人(こひゞと)の返辭(へんじ)と共(とも)に予(わし)の手元(てもと)へ飛返(とびかへ)って來(き)つらうもの。……あゝ、老人(らうじん)といふものは、死(し)んでゞもゐるかのやうに、太儀(たいぎ)さうに緩漫(のろ/\)と、重(おも)くるしう、蒼白(あをじろ)う、鉛(なまり)のやうに……
乳母(うば)がピーターを從(つ)れて出る。
おゝ、嬉(うれ)しや、歸(かへ)って來(き)た。……なう乳母(うば)いの、如何(どう)ぞいの? あの方(かた)に逢(あ)やったかや?……侶(とも)は彼方(あち)へ。
乳母  ピーター。……入口(いりくち)に控(ひか)へてゐや。
ピーター入る。
ヂュリ さ、乳母(うば)いの。……ま、何(なん)で其樣(そのやう)な情(なさけ)ない顏(かほ)してゐやる? 悲(かな)しい消息(しらせ)であらうとも、せめて嬉(うれ)しさうに言(い)うてたも。若(も)し嬉(うれ)しい消息(しらせ)なら、それを其樣(そん)な顏(かほ)をして彈(ひ)きゃるのは、床(ゆか)しい知(し)らせの琴(こと)の調(しら)べを臺無(だいな)しにしてしまふといふもの。
乳母  おゝ、辛度(しんど)! 暫時(ちいと)まァ休(やす)まして下(くだ)され。あゝ/\、骨々(ほね/″\)が痛(いた)うて痛(いた)うて! ま、どの位(くらゐ)ほッつきまはったことやら!
ヂュリ 予(わし)の骨々(ほね/″\)を其方(そなた)に與(や)っても、速(はや)う其(その)消息(しらせ)が此方(こっち)へ欲(ほ)しい。これ、どうぞ聞(き)かしてたも。なう、乳母(うば)や、乳母(うば)いなう、如何(どう)ぢゃぞいの?
乳母  ま、氣忙(きぜは)しい! 暫時(ちいと)の間(ま)が待(ま)てぬかいな? 息(いき)が切(き)れて物(もの)が言(い)はれぬではないかいな?
ヂュリ 息(いき)が切(き)れて言(い)はれぬと言(い)やる程(ほど)なら、息(いき)は切(き)れてゐぬ筈(はず)ぢゃ。何(なん)のかのと言譯(いひわけ)してゐやるのが肝腎(かんじん)の一言(ひとこと)より長(なが)いわいの。これ、吉(きつ)か、凶(きょう)か? 速(はや)う言(い)や。それさへ言(い)うてたもったら、詳細事(くはしいこと)は後(あと)でもよい。速(はや)う安心(あんしん)さしてたも、吉(きつ)か、凶(きょう)か?
乳母  はて、お前(まへ)は阿呆(あほ)らしいお人(ひと)ぢゃ、あのやうな男(をとこ)を選(えら)ばッしゃるとは目(め)が無(な)いのぢゃ。ロミオ! ありゃ不可(いけ)んわいの。面附(つらつき)こそは誰(た)れよりも見(み)よけれ、脛附(すねつき)が十人並(にんなみ)以上(いじゃう)ぢゃ、それから手(て)や足(あし)や胴(どう)やは彼(か)れ此(こ)れ言(い)ふが程(ほど)も無(な)いが、外(ほか)には、ま、類(るゐ)が無(な)い。行儀作法(ぎゃうぎさはふ)の生粹(きっすゐ)ぢゃありやせん[#「ありやせん」はママ]、でも眞(ほん)の事(こと)、仔羊(こひつじ)のやうに、温和(おとな)しい人(ひと)ぢゃ。さァ/\/\、小女(いと)よ、信心(しんじん)さっしゃれ。……え、もう終(す)みましたかえ、お晝(ひる)の食事(しょくじ)は?
ヂュリ いゝえ/\。其樣(そん)な事(こと)は、もう夙(とう)に知(し)ってゐる。婚禮(こんれい)の事(こと)をば何(なん)と言(い)うてぢゃ? さ、それを。
乳母  はれ、頭痛(づつう)がする! あゝ、何(なん)といふ頭痛(づつう)であらう! 頭(あたま)が粉※(「くさかんむり/韲」、第4水準2-87-23)(こな/″\)に碎(くだ)けてしまひさうに疼(うづ)くわいの。脊中(せなか)ぢゃ。……そっち/\。……おゝ、脊中(せなか)が、脊中(せなか)が! ほんに貴孃(こなた)が怨(うら)めしいわいの、遠(とほ)い遠(とほ)い處(ところ)へ太儀(たいぎ)な使者(つかひ)に出(だ)さッしやって[#「出(だ)さッしやって」はママ]、如是(こん)な死(し)ぬるやうな思(おも)ひをさすとは!
ヂュリ ほんに氣(き)の毒(どく)ぢゃ、氣分(きぶん)が惡(わる)うてはなァ。したが、乳母(うば)、乳母(うば)や、乳母(うば)いなう、何卒(どうぞ)言(い)うてたも、戀人(こひゞと)が何(なん)と被言(おッしゃ)った?
乳母  さいな、あの方(かた)の言(い)はッしゃるには、行儀(ぎゃうぎ)もよければ深切(しんせつ)でもあり、男振(をとこぶり)はよし、器量人(きりゃうじん)でもあり、流石(さすが)に身分(みぶん)のある殿方(とのがた)らしう……お母(かゝ)さまは何處(どこ)にぢゃ?
ヂュリ 母(はゝ)さまは何處(どこ)にぢゃ? 母樣(はゝさま)は家(うち)にぢゃ。何處(どこ)に行(ゆ)かしゃらうぞ? 何(なに)を言(い)やるぞい!「あの方(かた)が被言(おッしゃ)るには、身分(みぶん)のある殿方(とのがた)らしう、お母樣(かゝさま)は何處(どこ)にぢゃ?」
乳母  はれ、まア! そのやうに熱(あつ)くならッしゃるな。これさ、まァ、ほんに/\。それが痛(いた)む節々(ふし/″\)の塗藥(ぬりぐすり)になりますかいの? これからは自分(じぶん)で使(つか)ひ歩(ある)きをばさっしゃったがよい。
ヂュリ まァ、仰山(ぎゃうさん)な騷(さわ)ぎぢゃ!……これの、ロミオが何(なん)と被言(おッしゃ)った?
乳母  お前(まへ)今日(けふ)はお參詣(まゐり)に往(い)ても可(よ)いといふお許可(ゆるし)が出(で)ましたかえ?
ヂュリ あいの。
乳母  では、なう、急(いそ)いでロレンス樣(さま)の庵室(あんじつ)まで往(ゆ)かっしゃれ。あそこでお前(まへ)を内室(うちかた)になさるゝ人(ひと)が待(ま)ってぢゃ。そりゃこそ頬邊(ほっぺた)へ放埓(みだら)な血(ち)めが上(のぼ)るわ、所詮(つまり)は何(なに)を聞(き)いても直(すぐ)に眞赤(まっか)にならッしゃらうぢゃまで。速(はや)うお寺(てら)へ。予(わし)はまた別(べつ)の方(はう)へ往(い)て梯子(はしご)を取(と)って來(こ)ねばならぬ、其(その)梯子(はしご)でお前(まへ)の戀人(こひびと)が、今宵(こよひ)暗(くら)うなるが最後(さいご)、鳥(とり)の巣(す)へ登(のぼ)らッしゃるのぢゃ。予(わし)は只(たゞ)もう齷齬(あくせく)とお前(まへ)を喜(よろこ)ばさうと念(おも)うて。したが、やがて夜(よる)になると、お前(まへ)も骨(ほね)が折(を)れうぞや。さ、予(わし)は食事(しょくじ)をせう。貴孃(こなた)は庵室(あんじつ)へ速(はや)うゆかしゃれ。
ヂュリ 速(はや)う其(その)幸福(しあはせ)に!……乳母(うば)や、きげんよう。
二人(ふたり)とも入る。

ロレンス法師(ほふし)が先(さき)に、ロミオ從(つ)いて出る。
ロレ  諸天善神(しょてんぜんじん)、願(ねが)はくは此(この)神聖(しんせい)なる式(しき)に笑(ゑ)ませられませい、ゆめ後日(ごじつ)悲哀(かなしみ)を降(くだ)さしまして御譴責(ごけんせき)遊(あそ)ばされますな。
ロミオ アーメン、アーメン! 如何(どん)な悲哀(かなしみ)が來(こ)ようとも、姫(ひめ)の顏(かほ)を見(み)る嬉(うれ)しさの其(その)刹那(せつな)には易(かへ)られない。神聖(たふと)い語(ことば)で二人(ふたり)の手(て)を結(むす)び合(あ)はして下(くだ)されば、戀(こひ)を亡(ほろぼ)す死(し)の爲(ため)に此身(このみ)が如何樣(どのやう)にならうとまゝ。妻(つま)と呼(よ)ぶことさへ叶(かな)へば、心殘(こゝろのこ)りはない。
ロレ  さうした過激(くわげき)の歡樂(くわんらく)は、とかく過激(くわげき)の終(をはり)を遂(と)ぐる。火(ひ)と煙硝(えんせう)とが抱合(だきあ)へば忽(たちま)ち爆發(ばくはつ)するがやうに、勝誇(かちほこ)る最中(さなか)にでも滅(ほろ)び失(う)せる。上(うへ)なう甘(あま)い蜂蜜(はちみつ)は旨過(うます)ぎて厭(いや)らしく、食(く)うて見(み)ようといふ氣(き)が鈍(にぶ)る。ぢゃによって、戀(こひ)も程(ほど)よう。程(ほど)よい戀(こひ)は長(なが)う續(つゞ)く、速(はや)きに過(す)ぐるは猶(なほ)遲(おそ)きに過(す)ぐるが如(ごと)しぢゃ。
ヂュリエット出る。
それ、姫(ひめ)が來(わ)せた。おゝ、あのやうな輕(かる)い足(あし)では、いつまで蹈(ふ)むとも、堅(かた)い石道(いしみち)は磨(へ)るまいわい。戀人(こひびと)は、夏(なつ)の風(かぜ)に戲(たはむ)れ遊(あそ)ぶあの埓(らち)もない絲遊(かげろふ)に騎(のッ)かっても、落(お)ちぬであらう。さほどに輕(かる)いものが空(あだ)な歡樂(たのしみ)!
ヂュリ (ロレンスを抱きて)教父(けふふ)さま、ごきげんよろしう!
ロレ  其(その)お返禮(かへし)は、二人分(ふたりぶん)、ロミオの口(くち)から。
ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお返禮(かへし)が多過(おほすぎ)よう。
ロミオ あゝ、ヂュリエット、今日(けふ)を嬉(うれ)しい、かたじけないと思(おも)ふ心(こゝろ)が予(わし)と同(おな)じに滿腔(いっぱい)なら、しかもそれを現(あらは)す力(ちから)が予(わし)よりも多(おほ)いなら、今日(けふ)の出會(であひ)で二人(ふたり)が感(かん)ずる此(この)夢(ゆめ)のやうな嬉(うれ)しさを、床(ゆか)しい天樂(てんがく)のやうな卿(そもじ)の聲(こゑ)で、四邊(あたり)の空氣(くうき)も融解(とろ)くるばかりに、なつかしう奏(かな)でゝ下(くだ)され。
ヂュリ 内實(なかみ)の十分(ぶん)な思想(しさう)は、言葉(ことば)の花(はな)で飾(かざ)るには及(およ)ばぬ。算(かぞ)へらるゝ身代(しんだい)は貧(まづ)しいのぢゃ。妾(わし)の戀(こひ)は、分量(ぶんりゃう)が大(おほ)きう/\なったゆゑに、今(いま)は其(その)半分(はんぶん)をも計算(かんぢゃう)することが出來(でき)ぬわいの。
ロレ  さゝ、予(わし)と一しょにござれ。速(はや)う濟(すま)してのけう。慮外(りょぐわい)ながら、尊(たふと)い教會(けうくわい)が二人(ふたり)を一人(ひとり)に合體(がったい)さするまでは、さし對(むか)ひでゐてはなりませぬのぢゃ。
ロレンスに從(つ)いて二人(ふたり)とも入る。
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マーキューシオー先(さき)に、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー、侍童(こわらは)、下人等(しもべら)從(つ)いて出(で)る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) マーキューシオーどの、もう歸(かへ)らう。暑(あつ)くはある、カピューレット家(け)の奴等(やつら)が出歩(である)いてもゐる、出會(でっくは)したが最後(さいご)、鬪爭(けんくわ)をせねばなるまい。かういふ暑(あつ)い日(ひ)には、えて氣(き)ちがひめいた血(ち)が騷(さわ)ぐものぢゃ。
マーキュ おい、酒亭(さかや)へ入(はひ)った當座(たうざ)には、劍(けん)を食卓(テーブル)の下(した)へ叩(たゝ)きつけて「神(かみ)よ、願(ねが)はくは此奴(こいつ)に必要(ひつえう)あらしめたまふな」なぞといってゐながら、忽(たちま)ち二杯目(はいめ)の酒(さけ)が利(き)いて、何(なん)の必要(ひつえう)も無(な)いのに、給仕人(きふじにん)を敵手(あひて)に引(ひ)っこぬく手合(てあひ)があるが、足下(おぬし)が其(その)仲間(なかま)ぢゃ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 予(わし)がそんな仲間(なかま)か?
マーキュ さゝ、足下(おぬし)はイタリーで誰(た)れにも負(ひけ)を取(と)らぬ易怒男(おこりむし)ぢゃ、直(ぢき)に怒(おこ)るやうに仕向(しむ)けられる、仕向(しむ)けらるれば直(すぐ)怒(おこ)る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) して何(なん)にするんぢゃ?
(此(この)原詞(げんし)は“And what to?”「して何(なん)の爲(ため)に?」といふ義(ぎ)。マーキューシオーはそれをわざと“And what two?”の意味(いみ)に取(と)りて例(れい)の駄洒落(だじゃれ)のキッカケとする。)
マーキュ 何人(なんにん)? いや、足下(おぬし)のやうなのが二人(ふたり)とゐたら、忽(たちま)ち殺(ころ)しあうてしまはうから、二人(ふたり)ともゐなくならう。はて、足下(おぬし)なぞは髭(ひげ)の毛(け)一筋(すぢ)の多(おほ)い少(すく)ないが原(もと)でも叩(たゝ)き合(あ)ふ。或(ある)ひは足下(おぬし)の目(め)の色(いろ)が榛色(はしばみいろ)ぢゃによって、そこで相手(あひて)が榛(はしばみ)の實(み)を噛割(かみわ)ったと言(い)ふだけの事(こと)で、鬪爭(けんくわ)を買(か)ひかねぬ。その眼(まなこ)でなうて、そんな鬪爭(けんくわ)を買(か)ふ眼(まなこ)が何處(どこ)にあらう? 足下(おぬし)の頭(あたま)には鷄卵(たまご)に黄蛋(きみ)が充實(つま)ってゐるやうに、鬪爭(けんくわ)が充滿(いっぱい)ぢゃ、しかも度々(たび/″\)打撲(どや)されたので、少許(ちっと)腐爛氣味(くされぎみ)ぢゃわい。足下(おぬし)は、街中(まちなか)で咳(せき)をして足下(おぬし)の飼犬(かひいぬ)の日向(ひなた)ぼこりを驚(おどろ)かしたと言(い)うて、或(ある)男(をとこ)と鬪爭(けんくわ)をした。復活祭前(イースターまへ)に新調胴衣(したておろし)を着(き)たと言(い)うて、或(ある)裁縫師(したてや)と掴(つか)み合(あ)ひ、新(あたら)しい靴(くつ)に古(ふる)い紐(ひも)を附(つ)けをったと言(い)うて、誰某(たれやら)とも爭論(いが)み合(あ)うた。それでゐて俺(おれ)に鬪爭(けんくわ)をすまいぞと異見(いけん)めいたことを被言(おし)ゃるのか?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 予(わし)が足下(きみ)ほど鬪爭好(けんくわずき)と言(い)ふことが實(ぢゃう)なら、無條件(ろは)で此(この)命(いのち)を一時間位(じかんぐらゐ)は賣(う)ってやってもよいわい。
マーキュ ろはぢゃ! ろッはッは! ろッはッは!(と笑ふ)。
チッバルトを先(さき)に、カピューレットの黨人(たうじん)出る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) や、カピューレットのやつらが來(き)をった。
マーキュ へん、かまふものかえ。
チッバ 俺(おれ)に附着(くッつ)いて來(こ)う、彼奴等(きゃつら)と談(だん)じてくれう。……(ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーらに)諸氏(かた/″\)、機嫌(きげん)よう。一言(ごん)申(まう)したうござる。
マーキュ ただ一言(ごん)でござるか? 何(なに)かお添(そ)へなさい。一言(ごん)兼(けん)一撃(げき)としたら如何(どう)ぢゃ?
チッバ 機會(きっかけ)さへ與(おこ)しゃらば、何時(いつ)でも敵手(あひて)になり申(まう)さう。
マーキュ 此方(こち)から與(おこ)さねば、其方(そち)では機會(きっかけ)が出來(でき)ぬと被言(おしゃ)るか?
チッバ マーキューシオー、足下(おぬし)は平生(ふだん)あのロミオと調子(てうし)を合(あは)せて……
マーキュ 何(なん)ぢゃ、調子(てうし)を合(あは)せて? 吾等(われら)を樂人扱(がくにんあつか)ひにするのか? 樂人扱(がくにんあつか)ひに爲(す)りゃ、耳(みゝ)を顛覆(でんぐりかへ)らする音樂(おんがく)を聞(きか)す。準備(ようい)せい。(劍に手を掛けて)乃公(おれ)の胡弓(こきう)は此劍(これ)ぢゃ、今(いま)に足下(おぬし)を踊(をど)らせて見(み)せう。畜生(ちくしゃう)、調子(てうし)を合(あは)す!
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) こゝは往來(わうらい)ぢゃ、どうぞ閑寂(ひそか)な處(ところ)で冷靜(しづか)に談判(だんぱん)をするか、さもなくば別(わか)れたがよい。衆人(ひと)が見(み)るわ。
マーキュ 見(み)る爲(ため)の眼(まなこ)ぢゃ、見(み)るがえいわ。他(ひと)が如何(どう)思(おも)はうと介意(かま)ふものかえ。
ロミオ出る。
チッバ 足下(おぬし)とは中直(なかなほ)りぢゃ。あそこへ奴(やつ)が來(き)をった。
マーキュ 奴(やつ)ぢゃ? へん、ロミオが足下(おぬし)の奴(やっこ)なものか? 何時(いつ)足下(おぬし)が給服(しきせ)を着(き)せた? はて、先(さき)に立(た)って決鬪場(ばしょ)へ行(ゆ)きゃれ、ロミオも隨行(とも)をせう。それが奴(やっこ)の役(やく)なら、ロミオは足下樣(おぬしさま)のお抱奴(かゝへやっこ)ぢゃ。
チッバ (ロミオに對ひて)やい、ロミオ、足下(おぬし)に對(たい)する俺(おれ)が情合(じゃうあひ)からは是限(これぎり)しか言(い)へぬ。……汝(おのれ)は惡漢(あくたう)ぢゃ。
ロミオ チッバルト、足下(きみ)を愛(あい)する仔細(しさい)があって、怒(いか)らねばならぬ其(その)挨拶(あいさつ)をもわるうは取(と)らぬ。予(わし)は惡漢(あくたう)ではない。さらば、足下(きみ)は予(わし)を知(し)らぬのぢゃ。
ロミオ行(ゆ)きかくる。
チッバ 小僧(わっぱ)め、それが無禮(ぶれい)の辨解(いひわけ)にはならぬぞ。戻(もど)って拔劍(ぬ)け。
ロミオ 予(わし)は無禮(ぶれい)をした覺(おぼ)えはない、いや、其(その)仔細(しさい)の分(わか)るまでは迚(とて)も會得(ゑとく)のゆかぬ程(ほど)に予(わし)は足下(きみ)を愛(あい)してゐるのぢゃ。カピューレットどの、予(わし)は今(いま)カピューレットといふ其(その)名前(なまへ)を我名(わがな)も同樣(どうやう)に大切(たいせつ)に思(おも)うてゐる、まゝ、堪忍(かんにん)さっしゃれ。
マーキュ おゝ、柔弱(てぬる)い、不面目(ふめんもく)な、卑劣(ひれつ)な降參(かうさん)! 此上(このうへ)は劍(けん)あるのみぢゃ。(劍を拔く)。チッバルト、いやさ、猫王(ねこまた)どの、お往(ゆ)きゃらうか?
チッバ 何(なん)ぞ俺(おれ)に用(よう)があるか?
マーキュ 猫王(ねこまた)どの、九箇(こゝのつ)あるといふ足下(おぬし)の命(いのち)が只(たッた)一(ひと)つだけ所望(しょもう)したいが、其後(そののち)の擧動次第(しこなししだい)で殘(のこ)る八箇(やッつ)も叩(たゝ)き挫(みじ)くまいものでもない。耳形(みゝがた)の※(「木+覊」の「馬」に代えて「月」、第4水準2-15-85)(つか)を掴(つか)んで其(その)劍(けん)をお拔(ぬ)きゃれ、速(はや)うせぬと乃公(おれ)の劍(けん)が足下(おぬし)の耳元(みゝもと)へお見舞(みま)ひ申(まう)すぞ。
チッバ 合點(がってん)だ。
劍(けん)を拔(ぬ)く。
ロミオ マーキューシオー君(くん)、まア/\、劍(けん)を。
マーキュ さ、突(つ)いて來(こ)い。
チッバルトとマーキューシオーと鬪(たゝか)ふ。
ロミオ 拔劍(ぬ)け、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー、二人(ふたり)の武器(えもの)を叩(たゝ)き落(おと)さう。これさ/\、恥(はぢ)ぢゃ/\、亂暴(らんばう)をすな? チッバルト、マーキューシオー、領主(との)の嚴命(げんめい)では無(な)いか、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナの街頭(まちなか)で鬪諍(たゝかひ)をしてはならぬ筈(はず)ぢゃ。これさ、チッバルト! マーキューシオー!
此(この)立※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(たちまは)りの間(あひだ)にマーキューシオーはチッバルトに突かるゝ。
チッバルト及(およ)び其(その)黨人(たうじん)入る。
マーキュ やられた! 畜生(ちくしゃう)、兩方(りゃうはう)の奴等(やつら)め! やられたわい。去(い)にをったか、彼奴(きゃつ)め無創(むきず)で?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) や、手(て)を負(お)うたか足下(きみ)は?
マーキュ 唯(うん)、唯(うん)、引掻(ひっか)かれた/\。はて、これで十分(ぶん)ぢゃ。侍童(こやっこ)めは何處(どこ)にをる? 小奴(やっこ)、はよ往(い)って下科醫者(げくわいしゃ)を呼(よ)んで來(こ)い。
ロミオ これ、氣(き)を確(たしか)に。手傷(てきず)は決(けっ)して重(おも)うはない。
マーキュ さうぢゃ。井戸(ゐど)ほどに深(ふか)くも無(な)ければ、教會(けうくわい)の入口程(いりぐちほど)には廣(ひろ)くもない、が十分(ぶん)ぢゃ、役(やく)には立(た)つ。明日(あす)訪(たづ)ねてくれい、すれば墓(はか)の中(なか)から御挨拶(ごあいさつ)ぢゃ。先(ま)づ乃公(おれ)の一生(しゃう)も、誓文(せいもん)、總仕舞(そうじまひ)が澄(す)んでしまうた。……畜生(ちくしゃう)、兩方(りゃうはう)の奴等(やつら)め!……うぬ! 犬(いぬ)、鼠(ねずみ)、※(「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2-94-69)鼠(はつかねずみ)、猫股(ねこまた)、人間(にんげん)を引掻(ひっか)いて殺(ころ)しをる! 一二三(ひふうみい)で劍(けん)を使(つか)ふ駄法螺吹家(だぼらふき)め! 破落戸(ごろつき)、惡黨(あくたう)! 何(なん)で眞中(まんなか)へ飛込(とびこ)んだんぢゃ足下(おぬし)は! 足下(おぬし)の腕(うで)の下(した)でやられた。
ロミオ みんな爲(ため)を思(おも)うてしたのぢゃ。
マーキュ おい、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー、何處(どこ)ぞ家(うち)の中(なか)へ伴(つ)れて行(い)ってくれ、速(はや)うせぬと氣絶(きぜつ)しさうぢゃ。畜生(ちくしゃう)、兩方(りょうはう)の奴等(やつら)! とう/\俺(おれ)を蛆蟲(うじむし)の餌食(ゑじき)にしてしまひをった。參(まゐ)った、しっかり參(まゐ)った。畜生(ちくしゃう)、兩方(りゃうはう)の奴等(やつら)!
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーに介抱(かいはう)せられて、マーキューシオー入(はひ)る。
ロミオ 領主(りゃうしゅ)には近親(きんしん)たる信友(しんいう)のマーキューシオーが俺故(おれゆゑ)あのやうな重傷(ふかで)を負(お)ひ、俺(おれ)はまた只(たゞ)一時程(ときほど)縁者(えんじゃ)となったあのチッバルト故(ゆゑ)に汚名(をめい)を受(う)けた。おゝ、ヂュリエット、卿(おまひ)の艶麗(あてやか)さが俺(おれ)を柔弱(にうじゃく)にならせて、日頃(ひごろ)鍛(きた)うておいた勇氣(ゆうき)の鋒(きっさき)が鈍(にぶ)ってしまうた。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオー又(また)出る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) おゝ、ロミオ/\、マーキューシオーはお死(し)にゃったぞよ! あの勇敢(ゆうかん)な魂(たましひ)は氣短(きみじか)に此世(このよ)を厭(いと)うて、雲(くも)の上(うへ)へ昇(のぼ)ってしまうた。
ロミオ けふの此(この)惡運(あくうん)は此儘(このまゝ)では濟(す)むまい。これは只(たゞ)不幸(ふしあはせ)の手始(てはじめ)、つゞく不幸(ふかう)が此(この)結局(しまつ)をせねばならぬ。
チッバルト又(また)出る。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 我武者(がむしゃ)のチッバルトめが又(また)來(き)をった。
ロミオ なに、無事(ぶじ)で、勝誇(かちほこ)って? マーキューシオーが殺(ころ)されたのに! 此上(このうへ)は禮儀(れいぎ)も寛大(くわんだい)も天外(てんぐわい)に抛(なげう)った。※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)(ほのほ)を眼(まなこ)の忿怨神(いかりのかみ)よ、案内者(あんないじゃ)となってくれい!……(チッバルトに對ひ)やい、チッバルト、先刻(せんこく)足下(おぬし)が俺(おれ)にくれた「惡漢(あくたう)」の名(な)は今(いま)返(かへ)す、受取(うけと)れ。マーキューシオーの魂(たましひ)がつい頭上(とうじゃう)に立迷(たちまよ)うて同伴者(どうばんじゃ)を求(もと)めてゐる、足下(おぬし)か、俺(おれ)か、兩人(ふたり)ながらか、同伴(どうばん)をせねばならぬぞ。
チッバ 青(あを)二才(さい)どの、最初(さいしょ)同伴(つれだ)って來(き)た足下(おぬし)ぢゃ、冥土(あのよ)へ行(ゆ)くも一しょにお往(ゆ)きゃれ。
ロミオ それは此劍(これ)が決(き)めるわ。
二人(ふたり)鬪(たゝか)ふ。チッバルト倒(たふ)るゝ。
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) ロミオ、速(はや)う! 速(はや)う迯(に)げた! あれ、市人(まちびと)が騷(さわ)ぎはじむる。チッバルトは落命(らくめい)ぢゃ。狼狽(うろた)へてゐるところでない。捕(とら)へられたならば、領主(りゃうしゅ)は死罪(しざい)を宣告(せんこく)せう。速(はや)う落(お)ちた、速(はや)う/\!
ロミオ おゝ、俺(おれ)ゃ運命(うんめい)の玩弄物(もてあそび)ぢゃわい!
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) おい、何(なに)をしてゐるのぢゃ?
ロミオ入る。
市人等(まちびとら)出る。
甲市人 マーキューシオーを殺(ころ)した奴(やつ)は何方(どちら)へ逃(に)げました? 人殺(ひとごろ)しのチッバルトは何方(どっち)へ逃(に)げました?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) そこにゐるのがチッバルトでござる。
甲市人 ござれ、吾等(われら)と一しょに。御領主(ごりゃうしゅ)の命(おほせ)でござる、ござれ。
此時(このとき)、領主(りゃうしゅ)公爵(こうしゃく)、多勢(おほぜい)の從者(じゅうしゃ)を引連(ひきつ)れて出る。モンタギュー長者夫婦(ちゃうじゃふうふ)、カピューレット長者夫婦(ちゃうじゃふうふ)、其他(そのた)多勢(おほぜい)出る。
領主  その不埓(ふらち)な爭鬪(さうとう)を始(はじ)めた者共(ものども)は何方(いづれ)にをる?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) 憚(はゞか)りながら、此(この)不運(ふうん)なる騷擾(さうぜう)のあさましき經緯(ゆくたて)は手前(てまへ)が言上(ごんじゃう)いたしませう。それに倒(たふ)れをりまする男(をとこ)が御親戚(ごしんせき)のマーキューシオーどのを殺害(せつがい)しましたるをロミオと申(まう)す若人(わかうど)が討取(うちと)ってござります。
カピ妻 なに、チッバルト! おゝ、わしの甥(をひ)の、弟(おとうと)の子(こ)の! おゝ、御領主(とのさま)! おゝ、甥(をひ)よ! わが夫(つま)! おゝ、大事(だいじ)の/\、親族(うから)の血汐(ちしほ)が流(なが)されてゐる! 公平(こうへい)な御領主(ごりゃうしゅ)さま、モンタギューの血(ち)を流(なが)して吾等(われら)のを償(つぐな)うて下(くだ)さりませい。おゝ、甥(をひ)よ/\!
領主  ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーよ、此(この)無慚(むざん)な鬪諍(とうじゃう)を始(はじ)めたのは誰(た)れぢゃ?
ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85) チッバルトにござります、ロミオに殺(ころ)されたましたる。ロミオは言葉(ことば)穩(おだや)かに、此(この)爭端(さうたん)の取(とる)に足(た)らぬ由(よし)を反省(はんせい)させ、二(ふた)つには殿(との)のお怒(いかり)を思(おも)ひやれ、と聲色(せいしょく)を和(やは)らげ、膝(ひざ)を曲(ま)げて、さま/″\に申(まう)しましたなれども、中裁(ちゅうさい)には耳(みゝ)を假(か)しませぬチッバルト、理不盡(りふじん)なる怒(いかり)の切先(きっさき)、只(たゞ)一突(ひとつき)にとマーキューシオー殿(どの)の胸元(むなもと)をめがけて突(つ)いてかゝりまする、此方(こなた)も同(おな)じく血氣(けっき)の勇士(ゆうし)、なにを小才覺(ちょこざい)なと立向(たちむか)ひ、氷(こほり)の死(し)の手(て)をば引外(ひッぱづ)して右手(めて)に附入(つけい)りまする手練(しゅれん)の切先(きっさき)、それを撥反(はねかへ)すチッバルト。ロミオは其時(そのとき)聲(こゑ)高(たか)く「お待(ま)ちゃれ、兩氏(かた/″\)! 退(ひ)いた/\!」といふより速(はや)く劍(けん)を拔(ぬ)いて、その怖(おそ)ろしい切先(きっさき)をば、叩伏(たゝきふ)せ/\、二人(にん)が間(あひだ)に割(わ)って入(い)る、腕(かひな)の下(した)よりチッバルトが突出(つきだ)しましたる毒刃(どくじん)に、マーキューシオーどのは敢無(あへな)い最期(さいご)。さて、チッバルトは其儘(そのまゝ)一旦(たん)逃去(にげさ)りましたが、やがて又(また)取(と)って返(かへ)すを、今(いま)や復讐(ふくしう)の念(ねん)に滿(み)ちたるロミオが見(み)るよりも、電光(でんくわう)の如(ごと)く切(き)ってかゝり、引分(ひきわ)けまする間(ひま)さへもござらぬうちに、チッバルトは突殺(つきころ)され、倒(たふ)るゝ途端(とたん)に身(み)を飜(ひるがへ)し、ロミオは逃去(にげさ)ってござりまする。此儀(このぎ)相違(さうゐ)あらば、ベン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ーリオーが命(いのち)を召(め)されませう。
カピ妻 此(この)仁(じん)はモンタギューの親戚(しんせき)ゆゑ、贔屓心(ひいきごゝろ)がさもない事(こと)を申(まう)させまする。此(この)不正(ふせい)な爭鬪(たゝかひ)には二十人餘(にんよ)も關係(かゝづら)うて只(たんだ)一人(ひとり)を殺(ころ)したに相違(さうゐ)ござりませぬ。殿(との)さまに願(ねが)ひまする、是非(ぜひ)ともお成敗(せいばい)の下(くだ)さりませい。ロミオはチッバルトを殺(ころ)したからは、生(いか)してはおかれませぬ。
領主  ロミオはチッバルトを、チッバルトはマーキューシオーを殺(ころ)したとすれば、マーキューシオーの血(ち)を償(つぐな)ふべき者(もの)は誰(た)れぢゃ?
モン長 それはロミオではござりませぬ、彼(か)れはマーキューシオーどのゝ親友(しんいう)でござる。倅(せがれ)が曲事(きょくじ)は國法(こくはふ)によって絶(た)たるべきチッバルトの命(いのち)を絶(た)ったまでゝござります。
領主  其(その)曲事(きょくじ)ゆゑに、即刻(そっこく)追放(つゐはう)を申附(まうしつ)くる。汝等(なんぢら)の偏執(へんしふ)に予等(われら)までも卷込(まきこ)まれ、其(その)粗暴(そばう)の鬪諍(とうじゃう)によって我(わが)血族(けつぞく)の血汐(ちしほ)を流(なが)した。わが此(この)不幸(ふかう)を汝等(なんぢら)にも悔(くや)ます爲(ため)、きびしい科料(くわれう)を課(くわ)さうずるわ。陳辯(いひわけ)も分※(「足へん+流のつくり」、第4水準2-89-31)(ぶんそ)も聽(き)かぬ。涙(なみだ)も祈祷(きとう)も罪(つみ)をば贖(あがな)はぬぞよ。それゆゑに何(なに)も申(まう)すな。急(いそ)ぎロミオを退去(たちさ)らせい。さもなうて見附(みつ)けられなば、其時(そのとき)が即(やが)て最期(さいご)ぢゃ。此(この)死骸(しがい)を荷(にな)ひゆきて、予(よ)が命(めい)を待(ま)て。人殺(ひとごろ)しを憫(あはれ)むは人(ひと)を殺(ころ)すにひとしいわい。
ヂュリエット出る。
ヂュリ 驅(か)けよ速(はや)う、火(ひ)の脚(あし)の若駒(わかごま)よ、日(ひ)の神(かみ)の宿(やど)ります今宵(こよひ)の宿(やど)へ。フェートンのやうな御者(ぎょしゃ)がゐたなら、西(にし)へ/\と鞭(むち)をあてゝ、すぐにも夜(よる)を將(つ)れて來(こ)うもの、曇(くも)った夜(よる)を。隙間(すきま)もなう黒(くろ)い帳(とばり)を引渡(ひきわた)せ、戀(こひ)を助(たす)くる夜(よる)の闇(やみ)、其(その)闇(やみ)に町(まち)の者(もの)の目(め)も閉(ふさ)がれて、ロミオが、見(み)られもせず、噂(うはさ)もされず、予(わし)の此(この)腕(かひな)の中(なか)へ飛込(とびこ)んでござらうやうに。戀人(こひゞと)は其(その)麗(うるは)しい身(み)の光明(ひかり)で、戀路(こひぢ)の闇(やみ)をも照(て)らすといふ。若(も)し又(また)戀(こひ)が盲(めくら)ならば、夜(よる)こそ戀(こひ)には一段(だん)と似合(にあ)ふ筈(はず)。さア、來(き)やれ、夜(よる)よ、黒(くろ)づくめの服(きもの)を被(き)た、見(み)るから眞面目(まじめ)な、嚴格(いかめ)しい老女(らうぢょ)どの、速(はや)う來(き)て教(をし)へてたも、清淨無垢(しゃうじゃうむく)の操(みさを)を二(ふた)つ賭(か)けた此(この)勝負(しょうぶ)に負(ま)ける工夫(くふう)を教(をし)へてたも。汝(そなた)の黒(くろ)い外套(マントル)で頬(ほゝ)に羽(は)ばたく初心(うぶ)な血(ち)をすッぽりと包(つゝ)んでたも、すれば臆病(おくびゃう)な此(この)心(こゝろ)も、見(み)ぬゆゑに強(きつ)うなって、何(なに)するも戀(こひ)の自然(しぜん)と思(おも)ふであらう。夜(よる)よ、來(き)やれ、速(はや)う來(き)やれ、ローミオー! あゝ、夜(よる)の晝(ひる)とはお前(まへ)の事(こと)ぢゃ。夜(よる)の翼(つばさ)に降(お)りたお前(まへ)は、鴉(からす)の背(せ)に今(いま)降(ふ)りかゝる其(その)雪(ゆき)の白(しろ)う見(み)ゆるよりも白(しろ)いであらう。速(はや)う來(こ)い、やさしい、懷(なつか)しい夜(よる)の闇(やみ)、さ、予(わし)のロミオを賜(た)もれ。ロミオがお死(し)にゃれば、汝(そち)に遣(や)らう程(ほど)に、細截(きりこまざ)いて星(ほし)にせい、したら大空(おほぞら)が見(み)かはすばかり美(うつく)しうなって、世界中(せかいぢゅう)の者(もの)が夜(よる)に惚(ほ)れ、もう誰(た)れもあの爛々(ぎら/\)した太陽(たいやう)を拜(をが)まぬやうにもなるであらう。おゝ、戀(こひ)の屋敷(やしき)は買(か)うたれど、おのが住居(すまひ)にはまだならぬ、身(み)は人(ひと)に賣(う)ったれど、まだ賞翫(しゃうくわん)はして貰(もら)へぬ。あゝ、待(ま)つ間(ま)がもどかしい、祭(まつり)の前(まへ)の晩(ばん)に氣(き)をいらつ子供(こども)のやうに、製(こしら)へて貰(もら)うた晴着(はれぎ)はあっても、被(き)ることが成(な)らぬので。……おゝ、あれ、乳母(うば)が。きっと消息(しらせ)ぢゃ。ロミオの名(な)をでも告(つ)ぐる舌(した)は天人(てんにん)の聲(こゑ)と聞(きこ)ゆる。……これ、乳母(うば)、何(なん)の消息(しらせ)ぢゃ? 持(も)ってゐやるは何(なん)ぢゃ? ロミオが取(と)って來(こ)いと言(い)やった綱(つな)かや?
乳母  あい/\、綱(つな)ぢゃ。
綱(つな)を抛出(はふりだ)す。
ヂュリ あゝ、まア! 何事(なにごと)が起(おこ)ったのぢゃ? 何(なん)で其方(そなた)は手(て)を絞(しぼ)るのぢゃ?
乳母  あゝ、かなしや! 死(し)なしゃった/\/\! もう無效(だめ)でござります、もう無效(だめ)でござります。あゝ、かなしや!……逝(い)なしゃった、殺(ころ)されさっしゃった、死(し)なしゃった!
ヂュリ え、それほどに天(てん)が無慈悲(むじひ)か!
乳母  天(てん)は如何(どう)あらうと、ロミオは無慈悲(むじひ)ぢゃ。おゝ、ロミオどのが、ロミオどのが! ……誰(た)れが思(おも)ひがけうぞい? ロミオどのが!
ヂュリ 何(なん)で予(わし)に氣(き)を揉(もま)すのぢゃ? 其樣(そのやう)な怖(おそろ)しい唸(うな)り聲(ごゑ)は地獄(ぢごく)でなうては聞(き)かれぬ筈(はず)ぢゃ。ロミオが自害(じがい)でもなされたか? これ、唯(あい)と言(い)って見(み)や、その唯(あい)といふ一言(ひとこと)が、只(たゞ)一目(ひとめ)で人(ひと)を殺(ころ)す毒龍(コカトリス)の目(め)にもまして、怖(おそろ)しい憂目(うきめ)を見(み)する。其樣(そのやう)な羽目(はめ)とならば、予(わし)の身(み)は最早(もう)駄目(だめ)ぢゃ。これ、お死(し)にゃったが實(ぢゃう)ならば、唯(あい)と言(い)や。さうでなくば否(いな)と言(い)や。たった一言(ひとこと)二言(ふたこと)で此身(このみ)の生死(しゃうし)が決(きま)るのぢや[#「決(きま)るのぢや」はママ]。
乳母  其(その)創(きず)を見(み)ましたが、此眼(このめ)で見(み)ましたが……南無(なむ)さんぼう!……ちょうど此(この)お立派(りっぱ)な胸元(むなもと)に。いた/\しい、無慚(むざん)な、いた/\しい死顏(しにがほ)。蒼白(あをじろ)う、灰(はひ)のやうに蒼白(あをじろ)うなって、血(ち)みどろになって、どこもどこも血(ち)が凝(こご)りついて。見(み)ると其儘(そのまゝ)、わしゃ氣(き)を失(うし)なうてしまひましたわいの。
ヂュリ おゝ、裂(さ)けよ! 此(この)胸(むね)よ! 破産(はさん)した不幸(みじめ)な心(こゝろ)よ、一思(ひとおも)ひに裂(さ)けてしまうてくれい! 目(め)も此上(このうへ)は牢(らう)へ入(はひ)れ、もう自由(じいう)を見(み)るな! 穢(けがらは)しい塵芥(ちりあくた)め、元(もと)の土塊(つちくれ)へ歸(かへ)りをれ、活(い)きて働(はたら)くには及(およ)ばぬわい、ロミオと一しょに同(おな)じ柩車(ひつぎ)の積荷(つみに)となりをれ!
乳母  おゝ、チッバルトどの、チッバルトどの、此上(このうへ)もない頼(たの)もしいお方(かた)であったに! おゝ、お懇(ねんごろ)なチッバルトどの! お立派(りっぱ)なお方(かた)! お前(まへ)が亡(な)くならっしゃるのを生(い)きてゐて見(み)ようとは!
ヂュリ や、こりゃ、風向(かざむき)が變(ちが)うたわ、如何(どう)した暴風雨(あらし)ぢゃ? ロミオが殺(ころ)されて、そしてチッバルトもお死(し)にゃったか? 大事(だいじ)な從兄(いとこ)も、尚(な)ほ大事(だいじ)なロミオどのも? もしさうならば、大審判日(おほさばきのひ)の喇叭手(らっぱしゅ)よ、世(よ)は最早(もう)絶滅(をはり)ぢゃと宣告(せんこく)せい! あの二人(ふたり)が逝(い)にゃったなら、生(い)きてゐる甲斐(かひ)はない!
乳母  チッバルトどのはお死(し)にゃって、ロミオどのは追放(つゐはう)ぢゃ。下手人(げしゅにん)のロミオどのは追放(つゐはう)にならッしゃったのぢゃ。
ヂュリ おゝ/\!……あのロミオの手(て)でチッバルトを?
乳母  さよぢゃ/\。あゝ/\、さよぢゃわいの!
ヂュリ おゝ、花(はな)の顏(かほ)に潛(ひそ)む蝮(まむし)の心(こゝろ)! あんな奇麗(きれい)な洞穴(ほらあな)にも毒龍(どくりう)は棲(すま)ふものか? 面(かほ)は天使(てんし)、心(こゝろ)は夜叉(やしゃ)! 美(うつく)しい虐君(ぎゃくゝん)ぢゃ! 鳩(はと)の翼(はね)被(き)た鴉(からす)ぢゃ! 狼根性(おほかみこんじゃう)の仔羊(こひつじ)ぢゃ! 見(み)た目(め)は神々(かう/″\)しうて心(こゝろ)は卑(さも)しい! 外面(うはべ)とは裏表(うらうへ)! いやしい聖僧(ひじり)、氣高(けたか)い惡黨(あくたう)! おゝ、造化主(ざうくわしゅ)よ、あのやうな可憐(いと)しらしい人間(にんげん)の肉體(にくたい)にすら夜叉(やしゃ)の魂(たましひ)を宿(やど)らせたなら、地獄(ぢごく)の夜叉(やしゃ)の肉體(からだ)には何者(なにもの)を住(す)ませうとや? あんな内容(なかみ)にあのやうな表紙(へうし)を附(つ)けた書(ほん)があらうか? あんな華麗(りっぱ)な宮殿(きゅうでん)に虚僞(うそ)譎詐(いつはり)が棲(すま)はうとは!
乳母  さゝ、頼(たの)まれぬ、信(しん)ぜられぬ、不正直(ふしゃうぢき)は男(をとこ)の習(なら)ひぢゃ。どれも/\※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)吐(うそつき)、誓言破(せいごんやぶ)り、ろくでなしの詐僞者(いつはりもの)ぢゃ。あゝ、彼僮(あいつ)めは何處(どこ)へ往(い)にをったぞ? 火酒(しゃうちゅう)を持(も)て來(き)てくりゃ。此(この)苦(くる)しみ、此(この)歎(なげ)き、此(この)悲(かな)しみで、わしゃ齡(とし)を取(と)ってしまふわいの。ロミオの奴(やつ)、恥掻(はぢか)きをれ!
ヂュリ そのやうなことを言(い)ふ汝(そち)の舌(した)こそ腐(くさ)りをれ! 恥(はぢ)を掻(か)かしゃる身分(みぶん)かいの、彼方(あのかた)の額(ひたひ)には恥(はぢ)などは恥(はづ)かしがって能(よ)う坐(すわ)らぬ。あれこそは此世(このよ)の名譽(めいよ)といふ名譽(めいよ)が、只(た)った一人(ほとり)王樣(わうさま)となって、坐(すわ)る帝座(ていざ)ぢゃ。おゝ、何(なん)といふ獸物(けだもの)ぢゃ予(わし)は、かりにも彼(あ)の方(かた)を惡(わる)ういふとは!
乳母  從兄(いとこ)どのを殺(ころ)した人(ひと)をお前(まへ)は善(よ)う言(い)はうでな?
ヂュリ 殿御(とのご)ぢゃ、惡(わる)う言(い)うてならうか! あゝ、我(わが)夫(つま)、どの舌(した)で滑(すべ)ッこうせうぞ、つい三時(みとき)が程(ほど)連添(つれそ)うた妻(つま)の口(くち)で創(きず)だらけにしたお前(まへ)の名(な)を? とは言(い)ひながら何故(なぜ)殺(ころ)した汝(おのれ)は、予(わし)の從兄(いとこ)を? さア、お前(まへ)をば從兄(いとこ)めが殺(ころ)したでもあらうによって。戻(もど)れ、おろかな涙(なみだ)め、元(もと)の泉(いづみ)へ戻(もど)りをれ。悲歎(かなしみ)に献(さゝ)ぐる貢(みつぎ)を間違(まちが)へて喜悦(よろこび)に献上(まゐら)せをる。チッバルトが殺(ころ)したでもあらう我(わが)夫(つま)は生存(いきながら)へて、我(わが)夫(つま)を殺(ころ)したでもあらうチッバルトが死(し)んだのぢゃ。すれば、嬉(うれ)しいことばかり、予(わし)ゃ何(なん)で泣(な)くのぢゃ? 最前(さいぜん)聞(き)いた一言(ひとこと)が、その一言(ひとこと)が、チッバルトが死(し)にゃったよりも悲(かな)しいのぢゃ。辛(つら)い、忘(わす)れたい。おゝ、それが切實(ひし/\)と思(おも)ひ出(だ)さるゝ、怖(おそろ)しい罪惡(ざいあく)を罪人(ざいにん)が忘(わす)れぬやうに。「チッバルトは死(し)なしゃれた、そしてロミオは……追放(つゐはう)!」……「追放(つゐはう)」……其(その)「追放(つゐはう)」といふ一言(ひとこと)がチッバルトを一萬人(まんにん)も殺(ころ)してのけた。チッバルトが死(し)にゃったばかりでも可(よ)い程(ほど)の不幸(ふしあはせ)であったものを。若(も)し又(また)不幸(ふしあはせ)は同伴(つれ)を好(この)み、是非(ぜひ)とも他(ほか)の不幸(ふしあはせ)を同伴(つれだ)って來(こ)ねばならぬなら、「チッバルトが死(し)なしゃれた」というた次(つぎ)に、父(とゝ)さまとか、母(はゝ)さまとか、乃至(ないし)お二人(ふたり)もろともとか、乳母(うば)が何故(なぜ)言(い)ひをらぬ。すればまだしも尋常(ひととほり)の憂悲歎(うきかなしみ)で濟(す)まうものを。チッバルトがお死(し)にゃった上(うへ)に、殿(しんが)りに「ロミオは追放(つゐはう)」。追放(つゐはう)と聞(き)くからは、父母(ちゝはゝ)もチッバルトもロミオもヂュリエットも皆々(みんな/\)殺(ころ)されてしまうたのぢゃ。「ロミオは追放(つゐはう)!」其(その)一言(ひとこと)が人(ひと)を殺(ころ)す力(ちから)には際(はて)も量(はかり)も限(きり)も界(さかひ)も無(な)いわいの。言葉(ことば)では言(い)ひ盡(つく)されぬ不幸(ふしあはせ)ぢゃ。……なう、父樣(とゝさま)や母樣(はゝさま)は何處(どこ)にぢゃ。
乳母  チッバルトどのゝ死骸(なきがら)に取着(とりつ)いてお泣(な)きゃってでござります。彼方(あち)へ往(い)かしゃるなら案内(あんない)をしませう。
ヂュリ 涙(なみだ)で創口(きずぐち)を洗(あら)はしゃるがよい、其(その)涙(なみだ)の乾(ひ)る頃(ころ)にはロミオの追放(つゐはう)を悔(くや)む予(わし)の涙(なみだ)も大概(たいがい)盡(つけ)う。其(その)綱(つな)を拾(ひろ)うてたも。……ても憫然(ふびん)な綱(つな)よの、汝等(おぬしら)は欺(だま)されたなう、汝等(おぬしら)も予(わし)もぢゃ、ロミオが追放(つゐはう)になりゃったによって。ロミオは汝等(おぬしら)をば寢室(ねま)への通路(かよひぢ)にせうとお思(おも)やったに、予(わし)は志望(おもひ)を能(え)い遂(と)げいで、處女(をとめ)のまゝで世(よ)を去(さ)るのぢゃ。さ、綱(つな)よ。さ、乳母(うば)よ。これから婚禮(こんれい)の床(とこ)へ往(ゆ)かう。ロミオではない死神(しにがみ)よ、予(わし)は此身(このみ)を任(まか)さうわいの!
乳母  速(はや)う居間(ゐま)へゆかしゃれ。お前(まへ)を喜(よろこ)ばす眞實(ほん/″\)のロミオを搜(さが)して來(こ)う。其(その)居處(ゐどこ)は知(し)ってをる。これの、こちのロミオどのは、今宵(こよひ)こゝへ來(き)やしゃる筈(はず)ぢゃ。わしが往(い)て呼(よ)んで來(こ)う。はて、ロレンスさまの庵室(あんじつ)に、ロミオは隱(かく)れてござらッしゃります。
ヂュリ おゝ、速(はや)う逢(あ)うて! そして此(この)指輪(ゆびわ)を予(わし)の勳爵士(ナイト)どのに手渡(てわた)して、訣別(いとまごひ)にござるやう傳(つた)へてたも。
二人(ふたり)ともに入る。

ロレンス法師(ほふし)出る。
ロレ  ロミオよ、出(で)てござれ、出(で)てござれよ、こりゃ人目(ひとめ)を怕(おそ)れ憚(はゞか)る男(をとこ)。あゝ、卿(そなた)は憂苦勞(うきくらう)に見込(みこ)まれて、不幸(ふしあはせ)と縁組(えんぐみ)をお爲(し)やったのぢゃわ。
ロミオ出る。
ロミオ 師(し)の御坊(ごばう)か、消息(たより)は何(なん)とぢゃ? 殿(との)の宣告(いひわたし)は何(なん)とあったぞ? まだ知(し)らぬ何樣(どのやう)な不幸(ふしあはせ)が、予(わし)と知合(しりあひ)にならうといふのぢゃ?
ロレ  されば、其(その)可厭(いやな)友達衆(ともだちしゅ)に和子(わこ)は親(した)しみが多過(おほす)ぎるわい。お宣告(いひわたし)を知(し)らせに來(き)た。
ロミオ 一定(ぢゃう)、命(いのち)を召(め)されうでな?
ロレ  いや、寛大(くわんだい)なお宣告(いひわたし)、一命(めい)は召(め)されいで、追放(つゐはう)にせいとの命令(おほせ)ぢゃ。
ロミオ なに、追放(つゐはう)! 慈悲(じひ)ぢゃ、死罪(しざい)と言(い)うて下(くだ)され。謫竄(さすらへ)の身(み)となるは死(し)ぬるよりも怖(おそろ)しい。追放(つゐはう)と言(い)うて下(くだ)さるな。
ロレ  いや、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナからは追放(つゐはう)ぢゃが、世界(せかい)は廣(ひろ)い、まゝ、落着(おちつ)いてござれ。
ロミオ ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナの市(まち)を離(はな)れては世界(せかい)は無(な)い、有(あ)るものは只(たゞ)煉獄(れんごく)ぢゃ、苛責(かしゃく)ぢゃ、地獄(ぢごく)ぢゃ。此處(こゝ)から逐(お)はるゝは世界(せかい)から逐(お)はるゝも同(おな)じ事(こと)、世界(せかい)から逐(お)はるゝは殺(ころ)さるゝも同(おな)じ事(こと)、すれば追放(つゐはう)とは死罪(しざい)の隱(かく)し名(な)ぢゃ。死罪(しざい)の事(こと)を追放(つゐはう)といはッしゃるは、黄金(わうごん)の斧鉞(まさかり)で予(わし)の首(くび)を刎(は)ねておいて、汝(そち)は幸福(しあはせ)ぢゃと笑(わら)うてござるやうなものぢゃ。
ロレ  おゝ、罪深(つみふか)や/\! おゝ、作法知(さはふし)らず、恩知(おんし)らず! これ、卿(そなた)の罪科(ざいくわ)は國法(こくはふ)では死罪(しざい)とある、然(しか)るに慈悲深(じひぶか)い御領主(ごりゃうしゅ)が卿(そなた)の肩(かた)を持(も)ち、御法(ごはふ)を曲(ま)げ、怖(おそろ)しい死罪(しざい)の名(な)を追放(つゐはう)とは變(か)へさせられた。其(その)難有(ありがた)いお慈悲(じひ)が分(わか)らぬか!
ロミオ 慈悲(じひ)ではなうて、そりゃ苛責(かしゃく)ぢゃ。ヂュリエットがゐやる此處(こゝ)は天國(てんごく)、こゝに住(す)む限(かぎ)りは猫(ねこ)も犬(いぬ)も※(「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2-94-69)鼠(はつかねずみ)も、どのやうな屑々物(はかないもの)も、姫(ひめ)の顏(かほ)が見(み)らるゝゆゑ天國(てんごく)にゐるのぢゃが、ロミオにはそれが能(かな)はぬ。腐肉(くされにく)に集(たか)る蒼蠅(あをばへ)でもロミオには優(ま)す幸福者(しあはせもの)ぢゃ、風雅(みや)びた分際(ぶんざい)ぢゃ。彼奴等(あいつら)は可憐(いと)しいヂュリエットの手(て)の白玉(はくぎょく)を掴(つか)むことも出來(でく)る、また姫(ひめ)の脣(くちびる)から……其(その)上下(うへした)の脣(くちびる)が、淨(きよ)い温淑(しとやか)な處女氣(をぼこぎ)で、互(たが)ひに密接(ひた)と合(あ)ふのをさへ惡(わる)いことゝ思(おも)うてか、いつも眞赤(まっか)になってゐる……其(その)姫(ひめ)の脣(くちびる)から永劫(えいがう)死(し)なぬ天福(てんぷく)を窃(そっ)と盜(ぬす)むことも出來(でく)る、ロミオにはそれが能(かな)はぬ。ロミオは追放(つゐはう)の身(み)の上(うへ)ぢゃ。蒼蠅(あをばへ)でも能(よ)うすることをロミオばかりは能(よ)うせぬ、彼奴等(あいつら)は自由(じいう)の身(み)、吾等(われら)は追放(つゐはう)! これでも足下(おぬし)は追放(つゐはう)を死罪(しざい)でないとおしゃるかいの? 調合(てうがふ)した毒(どく)はないか、研(と)ぎすました刃(やいば)はないか、如何(いか)に卑(いや)しうても大事(だいじ)ない、一思(ひとおも)ひに死(し)ぬ法(はふ)は無(な)いか?……「追放(つゐはう)」……「追放(つゐはう)」で殺(ころ)さるゝのは俺(おれ)ゃ否(いや)ぢゃ! おゝ、御坊(ごばう)よ、追放(つゐはう)とは墮獄(だごく)の輩(やから)が用(もち)ふる語(ことば)、唸(うな)り聲(ごゑ)が附物(つきもの)。そのやうな語(ことば)を聞(き)かせて予(わし)を切(き)りさいなむとは酷(むご)いわい、つれないわい、それでも高僧(かうそう)か、司悔僧(しくわいそう)か、教導師(けうどうし)か、莫逆(ばくぎゃく)と誓(ちか)うた信友(しんいう)か?
ロレ  はてさて、愚(おろか)な狂人(きちがひ)どの、ま、予(わし)の言(い)ふことを聽(き)かっしゃれ。
ロミオ きっとまた追放(つゐはう)といふことを被言(おしゃ)るであらう。
ロレ  いや、其(その)語(ことば)の鋭鋒(きっさき)を防(ふせ)ぐ甲胄(よろひ)を與(おま)さう。逆境(ぎゃくきゃう)の甘(あま)い乳(ちゝ)ぢゃと謂(い)ふ哲學(てつがく)こそは人(ひと)の心(こゝろ)の慰(なぐさ)め草(ぐさ)ぢゃ、よしや追放(つゐはう)の身(み)とならうと。
ロミオ それ、また「追放(つゐはう)」と! えゝ、哲學(てつがく)め、腐(くさ)りをれ! 哲學(てつがく)でヂュリエットが出來(でき)、市(まち)が移(うつ)され、領主(りゃうしゅ)の宣告(せんこく)が取消(とりけ)さるれば知(し)らぬこと、哲學(てつがく)が何(なん)の役(やく)に立(た)つ、何(なん)にならう? もう聽(き)かぬ。
ロレ  おゝ、すれば狂人(きちがひ)には耳(みゝ)が無(な)いと見(み)える。
ロミオ 無(な)い筈(はず)ぢゃ、賢(かしこ)い人(ひと)にさへ目(め)が無(な)い世(よ)ぢゃ。
ロレ  いや、卿(そなた)の今(いま)の身(み)の上(うへ)について、談(だん)じたい事(こと)があるのぢゃ。
ロミオ 身(み)に感(かん)じておゐやらぬ事(こと)を、何(なん)で談(だん)ずることが出來(でけ)う。足下(こなた)が予程(わしほど)に齡(とし)が若(わか)うて、あのヂュリエットが戀人(こひびと)で、婚禮(こんれい)の式(しき)を擧(あ)げて只(たんだ)一時(とき)も經(た)たぬうちにチッバルトをば殺(ころ)して、予(わし)のやうに戀(こ)ひ焦(こが)れ、予(わし)のやうにあさましう追放(つゐはう)された上(うへ)でなら、予(わし)に談(だん)ずることも出來(でけ)うずれ、このやうに頭髮(かみのけ)を掻毟(かきむし)って、ま此樣(このやう)に地上(ぢびた)に倒(たふ)れて、まだ掘(ほ)らぬ墓穴(はかあな)の尺(しゃく)を取(と)ることも出來(でけ)うずれ!
ロミオ頭髮(かみのけ)を掻毟(かきむし)り仰向(あふむけ)に倒(たふ)れて歎(なげ)く。此時(このとき)奧(おく)にて戸(と)を叩(たゝ)く音(おと)。
ロレ  起(た)ちゃれ。案内(あんない)がある。ロミオや、速(はや)う身(み)を匿(かく)しゃれ。
ロミオ 俺(おれ)ゃ匿(かく)れぬ。胸(むね)の惱悶(なやみ)の唸(うめ)きの息(いき)が霧(きり)のやうに立籠(たちこ)めて追手(おって)の目(め)を塞(ふさ)いだら知(し)らぬこと。
戸(と)を叩(たゝ)く音(おと)。
ロレ  あれ、あの叩(たゝ)くことは!……誰(た)れぢゃな!……速(はや)う起(た)ちゃ。捕(とら)へられうぞよ。……暫(しばら)く/\!……立(た)ちゃ/\。
叩(たゝ)く音(おと)。
予(わし)の書齋(しょさい)へ。……只今々々(たゞいま/\)!……はてさて、愚(おろ)かにも程(ほど)があるわ!……はい/\、只今(たゞいま)參(まゐ)ります!
叩(たゝ)く音(おと)。
けたゝましうお叩(たゝ)きゃるは何人(どなた)ぢゃ? どこから見(み)えたぞ? 何(なん)の御用(ごよう)ぢゃ?
乳母 (内にて)用(よう)は入(はひ)ってから申(まう)しまする、ヂュリエットさまからでござります。
ロレ  なれば、ようこそ。
戸(と)を開(あ)くる、乳母(うば)入來(いりきた)る。
乳母  おゝ、御坊(ごばう)さま、御坊(ごばう)さま、姫(ひめ)さまの殿御(とのご)は何處(どこ)にござらッしゃります、ロミオさまは何處(どこ)に?
ロレ  それ、そこに地上(ちじゃう)に、おのが涙(なみだ)に醉(ゑ)うて。
乳母  おゝ/\、こちの姫(ひめ)さまも、ま、ちょうど其通(そのとほ)りぢゃがな!
ロレ  ても、いたましい悲哀(ひあひ)の感應(かんおう)! 氣(き)の毒(どく)な境遇(きゃうぐう)!
乳母  こちのも其通(そのとほ)りに平伏(へたば)って、泣面(べそ)かいて、哭立(なきた)てゝぢゃ。立(た)たッしゃれ/\。男(をとこ)なら立(た)たッしゃりませ。姫(ひめ)の爲(ため)ぢゃ、ヂュリエットどのの爲(ため)ぢゃ、起(お)きさッしゃれ、立(た)たしませ。(此時ロミオ唸(うめ)く。)何(なん)で其樣(そのやう)に歎(なげ)かッしゃるのぢゃ、何(なん)で其樣(そのやう)に大業(おほげふ)に?
ロミオ (俄に起ち上りて)おゝ、乳母(おんば)!
乳母  あゝ、もし! これさ、もし! はて、死(し)ぬれば何(なに)もかも結局(おしまひ)ぢゃがな。
ロミオ 今(いま)ヂュリエットと被言(おしゃ)ったの? 姫(ひめ)は何(なん)としてぢゃ? 姫(ひめ)は予(わし)を二人(ふたり)が中(なか)の歡樂(くわんらく)の其(その)水子(みづご)を姫(ひめ)の身内(みうち)の血(ち)で汚(よご)した怖(おそろ)しい殺人者(ひとごろし)と思(おも)うてはゐやらぬか? 何處(どこ)にぢゃ? 何(なん)としてぢゃ? わしの内密妻(ないしょづま)は破(やぶ)れた互(たが)ひの誓文(せいもん)を何(なん)と言(い)うてぢゃ?
乳母  おゝ、何(なに)も言(い)はッしゃらいで、泣(な)いてばっかり。寢床(ねどこ)の上(うへ)に倒(たふ)れさっしゃるかと思(おも)ふと、即(やが)て又(また)飛(と)び起(お)きてチッバルトと呼(よ)ばらっしゃる、かと思(おも)ふと、ロミオと呼(よ)ばって、又(また)横倒(よこたふ)しにならっしゃります。
ロミオ すりゃ、其(その)名前(なまへ)に胸板(むないた)を射拔(いぬ)かれたやうに思(おも)うて、其(その)名前(なまへ)の持主(もちぬし)が大事(だいじ)の近親(うから)を殺(ころ)したゆゑ。おゝ、御坊(ごばう)、をしへて下(くだ)され、此(この)肉體(にくたい)の何(ど)のあたりに、予(わし)の醜穢(けがらは)しい名(な)は宿(やど)ってゐるぞ? さ、をしへて下(くだ)され、其(その)憎(にく)い居所(ゐどころ)を切裂(霧さ)いてくれう。
劍(けん)を拔(ぬ)く。
ロレ  まゝゝ、滅相(めっそう)なことをすまい。これ、男(をとこ)ではないか? 姿(すがた)を見(み)れば男(をとこ)ぢゃが、其(その)涙(なみだ)は宛然(さながら)の女子(をなご)ぢゃ。狂氣(きちがひ)めいた其(その)振舞(ふるまひ)は理性(りせい)のない獸類同然(けだものどうぜん)。男(をとこ)らしうも女(をなご)らしうも見(み)えて、獸類(けだもの)らしうも見(み)ゆる見(み)ともない振舞(ふるまひ)! はてさて、呆(あき)れ果(は)てた。誓文(せいもん)、予(わし)は今少(もすこ)し立派(りっぱ)な氣質(きだて)ぢゃと思(おも)うてゐたに。チッバルトを殺(ころ)した上(うへ)に、おのが身(み)をも殺(ころ)さうとや? 自(みづか)ら墮地獄(だぢごく)の罪(つみ)を犯(をか)して、卿(そなた)ゆゑにこそ生(い)きてゐやるあの姫(ひめ)をも殺(ころ)さうとや? 何(なん)で卿(そなた)は出生(しゅっしゃう)を呪(のろ)ひ、天(てん)を、地(ち)を呪(のろ)ふのぢゃ? 生(せい)と天(てん)と地(ち)と此(この)三(み)つが相合(あひあ)うて出來(でき)た身(み)をば、つい無分別(むふんべつ)に棄(す)てうでな? 馬鹿(ばか)な、馬鹿(ばか)な! 姿(すがた)を、戀(こひ)を、分別(ふんべつ)を辱(はづかし)むる振舞(ふるまひ)といふものぢゃ。譬(たと)へば、吝嗇者(りんしょくもの)のやうに貨(たから)は夥(おびたゞ)しう有(も)ってをっても、正(たゞ)しう用(もち)ふることを知(し)らぬ、姿(すがた)をも、戀(こひ)をも、分別(ふんべつ)をも、其身(そのみ)の盛飾(かざり)となるやうには。卿(そなた)の其(その)氣高(けだか)い姿(すがた)は徒(ほん)の蝋細工同樣(らうざいくどうやう)、男(をとこ)の勇氣(ゆうき)からは外(はづ)れたものぢゃ。卿(そなた)の戀(こひ)の盟約(ちかひ)は内容(なかみ)の無(な)い空誓文(からぜいもん)、なりゃこそ養育(はごく)まうと誓(ちか)うた戀(こひ)をも殺(ころ)してのけうと爲(し)やるのぢゃ、卿(そなた)の分別(ふんべつ)は姿(すがた)や戀(こひ)の飾(かざり)ぢゃが、本體(ほんたい)が善(よ)うないので不具(かたは)となり、愚(おろか)な卒(そつ)が藥筐(くすりいれ)の火藥(くわやく)のやうに、扱(あつか)ひかたがわるいので爆發(ばくはつ)し、我(わ)れと我(わ)が武器(ぶき)で身(み)を滅(ほろぼ)す。こりゃ、しっかりとお爲(し)やらう! つい最前(いまがた)まで戀(こひ)しさに死(し)ぬる苦(くる)しみを爲(し)てござった其(その)戀人(こひゞと)のヂュリエットは恙(つゝが)ない。すれば、それが先(ま)づ幸福(しあはせ)。またチッバルトは卿(そなた)を殺(ころ)したでもあらうずに、卿(そなた)がチッバルトを殺(ころ)した。それもまた一(ひと)つの幸福(しあはせ)。次(つぎ)に死罪(しざい)ともあるべき國法(こくはふ)は卿(そなた)の身方(みかた)となって追放(つゐはう)で事濟(ことず)み。それもまた一(ひと)つの幸福(しあはせ)。天(てん)の恩惠(めぐみ)は重(かさ)ね/″\脊(せ)に下(くだ)り、幸福(かうふく)が餘所行姿(よそゆきすがた)で言寄(いひよ)りをる。それに何(なん)ぢゃ、意地(いぢ)くねの曲(まが)った少女(こめらう)のやうに、口先(くちさき)を尖(とが)らせて運命(うんめい)を呪(のろ)ひ、戀(こひ)を呪(のろ)ふ。氣(き)を附(つ)けゃ、氣(き)を附(つ)けゃ、さういふ輩(やから)があさましい最期(さいご)を遂(と)ぐる。さゝ、豫定通(さだめどほ)り、戀人(こひゞと)の許(もと)へ往(い)て、居間(ゐま)へ攀(よ)ぢ登(のぼ)り、速(はや)う慰(なぐさ)めてやりめされ。したが、夜番(よばん)の置(お)かれぬうちに別(わか)れませうぞ、マンチュアへ往(ゆ)かれぬやうになってはならぬ。マンチュアに蟄(ちっ)してゐやる間(あひだ)に、わしが機(をり)を見(み)て二人(ふたり)が内祝言(ないしうげん)の顛末(もとすゑ)を公(おほやけ)にし、兩家(りゃうけ)の確執(かくしつ)を調停(てうてい)し、御領主(ごりゃうしゅ)の赦(ゆるし)を乞(こ)ひ、やがて卿(そなた)を呼返(よびかへ)すことにせう、其折(そのをり)の喜悦(よろこび)は出(で)て行(ゆ)く今(いま)の悲痛(かなしみ)の千萬倍(せんまんばい)であらうぞよ。……乳母(おんば)、先(さき)へ往(ゆ)きゃれ。姫(ひめ)によう傳(つた)へたもれ、家内中(かないぢゅう)を早(はや)う就褥(ねか)しめさと被言(おしゃ)れ、歎(なげ)きに疲(つか)れたれば眠(ね)むるは定(ぢゃう)ぢゃ。ロミオは今直(いますぐ)參(まゐ)らるゝ。
乳母  はれま、結構(けっこう)なお教訓(けうくん)ぢゃ、夜(よ)すがら此處(こゝ)に居殘(ゐのこ)っても、聽聞(ちゃうもん)がしたいわいの。てもま、學問(がくもん)は偉(きつ)いものぢゃな! 殿(との)さん、貴方(こなた)が來(き)さしますことを姫(ひい)さまに申(まう)しましょ。
ロミオ さういうて、戀人(こひゞと)に、叱(しか)る準備(したしらべ)をさせてたもれ。
乳母  もしえ、この指輪(ゆびわ)は姫(ひい)さまから、わしに貴下(こなた)へ上(あ)げませいと言(い)うて。さ、速(はや)う、急(いそ)がしゃれ、甚(いか)う夜(よ)が深(ふ)けたによって。
乳母(うば)入る。
ロミオ おゝ、これで心(こゝろ)が安(やす)らいだわ!
ロレ  さ、速(はや)う往(ゆ)きゃれ。さらばぢゃ。貴下(こなた)の幸運(かううん)は只(たゞ)此(この)一(ひと)つに繋(かゝ)る、夜番(よばん)の置(お)かれぬうちに出立(しゅったつ)するか、さなくば夜明(よあ)くる頃(ころ)姿(すがた)を窶(やつ)して此(この)市(まち)を遠(とほ)ざかるか、二(ふた)つに一(ひと)つぢゃ。マンチュアに蟄(ちっ)してござれ、忠實(まめやか)な僕(をとこ)を求(もと)め、時折(ときおり)、其(その)男(をとこ)して此方(こなた)の吉左右(きッさう)を知(し)らせう。さ、手(て)を。もう晩(おそ)い。さらばぢゃ、機嫌(きげん)よう。
ロミオ 此上(このうへ)も無(な)い歡樂(よろこび)が予(わし)を呼(よ)ぶのでなかったら、斯(こ)う早急(さっきふ)に別(わか)るゝのは悲(かな)しいことであらう。恙(つゝが)なうござりませ。
二人(ふたり)左右(さいう)に別(わか)れて入る。

カピューレット長者(ちゃうじゃ)、同(おな)じく夫人(ふじん)及(およ)びパリス出る。
カピ長 かやうな珍變(ちんぺん)が起(おこ)ったによって、女(むすめ)に説(と)き聞(きか)す暇(いとま)もござらなんだ。女(むすめ)もチッバルトを甚(きつ)う懷(なつか)しう思(おも)うてをったに、また吾等(われら)とても同樣(どうやう)ぢゃに。さりながら人(ひと)は皆(みな)死(し)ぬるやうに生(うま)れたもの。もう今宵(こよひ)は晩(おそ)うござる、女(むすめ)は降(お)りては參(まゐ)るまいぢゃまで。貴下(こなた)がござったればこそ、さもなくば吾等(われら)とても、一時(とき)も前(さき)に、臥床(やす)んだでござらう。
パリス かういふ愁傷(なげき)の最中(さなか)には祝言(しうげん)の話(はなし)も出來(でき)まい。お内(うち)かた、おさらばでござる。娘御(むすめご)によろしう傳(つた)へて下(くだ)され。
カピ妻 心得(こゝろえ)ました、女(むすめ)の心(こゝろ)は明日(あす)早(はや)う質(たゞ)しましょ。今宵(こよひ)は悲嘆(なげき)に囚(とら)はれて、閉籠(とぢこ)めてのみ居(ゐ)まする。
パリス行(ゆ)きかくる。
カピ長 いや、なう、パリスどの、女(むすめ)は敢(あへ)て献(けん)じまする。彼(か)れめは何事(なにごと)たりとも吾等(われら)の意志(こゝろざし)には背(そむ)くまいでござる、いや、其儀(そのぎ)は聊(いさゝか)も疑(うたが)ひ申(まう)さぬ。……奧(おく)よ、其許(そなた)は寢(ね)る前(まへ)に女(むすめ)に逢(あ)うて、婿(むこ)がねパリスどのゝ深(ふか)い心入(こゝろいれ)の程(ほど)を知(し)らせて、よいかの、次(つぎ)の水曜日(すゐえうび)には……いや、待(ま)ちゃれ、けふは何曜日(なにえうび)ぢゃ?
パリス 月曜日(げつえうび)でござる。
カピ長 月曜日(げつえうび)! はゝア! かうッと、水曜日(すゐえうび)はちと急(きふ)ぢゃ。木曜日(もくえうび)にせう。……女(むすめ)に、木曜日(もくえうび)には此(この)殿(との)と祝言(しふげん)さすると被言(おしゃ)れ。ようござるか? 此(この)早急(さっきふ)に異議(いぎ)はござらぬか? 業々(げふ/\)しうはすまい、ほんの近(ちか)しい輩(やから)一兩名(りゃうめい)、はて、何故(なぜ)と被言(おしゃ)れ、近親(きんしん)チッバルトが殺(ころ)されて間(ま)がないことゆゑ、盛宴(せいゑん)を催(もよふ)すときは無情(むじゃう)な行爲(しこなし)とも思(おも)はれうによって。されば、近(ちか)しい友達(ともだち)をば只(たんだ)五六名(めい)限(かぎ)り招(まね)くことにしませう。……したが、貴下(こなた)、木曜日(もくえうび)でようござるか?
パリス 吾等(われら)は其(その)木曜日(もくえうび)が明日(あす)であってほしうござる。
カピ長 さらば、先(ま)づお歸(かへ)りあれ。なれば木曜日(もくえうび)と定(き)めまする。……卿(そなた)は寢(ね)る前(まへ)に女(むすめ)に逢(あ)うて、當日(たうじつ)の準備(こゝろまうけ)をさせたがよい。……おさらばでござる。予(わし)が居間(ゐま)へ燭火(あかし)を持(も)て! はれやれ、晩(おそ)うなったわい、こりゃ軈(やが)てお早(はや)うと言(い)はねばなるまい。……さゝ、お休(やす)みなされ。
パリスと夫婦(ふうふ)と左右(さいう)に分(わか)れて入る。

ロミオとヂュリエットと樓上(ろうじゃう)の窓口(まどぐち)に現(あらは)るゝ。
ヂュリ 去(いな)うとや? 夜(よ)はまだ明(あ)きゃせぬのに。怖(こはが)ってござるお前(まへ)の耳(みゝ)に聞(きこ)えたは雲雀(ひばり)ではなうてナイチンゲールであったもの。夜毎(よごと)に彼處(あそこ)の柘榴(じゃくろ)へ來(き)て、あのやうに囀(さへず)りをる。なア、今(いま)のは一定(きっと)ナイチンゲールであらうぞ。
ロミオ いや/\、旦(あさ)を知(し)らする雲雀(ひばり)ぢゃ、ナイチンゲールの聲(こゑ)ではない。戀人(こひびと)よ、あれ、お見(み)やれ、意地(いぢ)の惡(わる)い横縞(よこじま)めが東(ひがし)の空(そら)の雲(くも)の裂目(さけめ)にあのやうな縁(へり)を附(つ)けをる。夜(よる)の燭火(ともしび)は燃(も)え盡(つ)きて、嬉(うれ)しげな旦(あした)めが霧立(きりた)つ山(やま)の巓(いたゞき)にもう足(あし)を爪立(つまだ)てゝゐる。速(はや)う往(い)ぬれば命(いのち)助(たす)かり、停(とゞ)まれば死(し)なねばならぬ。
ヂュリ あの光明(ひかり)は朝(あさ)ぢゃない、いえ/\、朝日(あさひ)ではないわいの。ありゃ太陽(たいやう)がお前(まへ)の爲(ため)に、今宵(こよひ)マンチュアへの道案内(みちしるべ)に炬火持(たいまつもち)の役(やく)さしょとて、急(きふ)に呼出(よびだ)した光(ひか)り物(もの)ぢゃ。ぢゃによって、大事(だいじ)ない、まだ去(いな)しゃるには及(およ)ばぬ。
ロミオ 捕(とら)はれうと、死罪(しざい)にならうと、恨(うらみ)はない、卿(そもじ)の望(のぞみ)とあれば。あの灰色(はひいろ)は朝(あさ)の眼(め)で無(な)いとも言(い)はう、ありゃ嫦娥(シンシヤ)の額(ひたひ)から照返(てりかへ)す白光(びゃくくわう)ぢゃ。また吾等(われら)の頭(かしら)の上(うへ)で大空(おほぞら)高(たか)う鳴響(なりひゞ)くあの奏樂(そうがく)も、雲雀(ひばり)の聲(こゑ)では無(な)いと言(い)はう。去(い)にたいよりも此處(こゝ)に居(ゐ)たいが幾層倍(いくそうばい)ぢゃ。さ、死(し)よ、來(きた)れ、喜(よろこ)んで迎(むか)へう! それがヂュリエットの望(のぞみ)ぢゃ。さ、戀人(こひびと)、どうぢゃ? もっと話(はな)さう。朝(あさ)ではない。
ヂュリ いや、朝(あさ)ぢゃ、朝(あさ)ぢゃ。速(はや)う去(いな)しませ、速(はや)う/\! 聞辛(きゝづら)い、蹴立(けた)たましい高調子(たかてうし)で、調子外(てうしはづ)れに啼立(なきだ)つるは、ありゃ雲雀(ひばり)ぢゃ。雲雀(ひばり)の聲(こゑ)は懷(なつか)しいとは虚僞(いつはり)、なつかしい人(ひと)を引分(ひきわ)けをる。蟇(ひき)と目(め)を交換(とりか)へたとは事實(まこと)か? ならば何故(なぜ)聲(こゑ)までも交換(とりか)へなんだぞ? あの聲(こゑ)があればこそ、抱(いだ)きあうた腕(かひな)と腕(かひな)を引離(ひきはな)し、朝彦(あさびこ)覺(さま)す歌聲(うたごゑ)で、可愛(いと)しいお前(まへ)を追立(おひた)てをる。おゝ、速(はや)う去(いな)しませ、だん/″\明(あか)るうなって來(く)る。
ロミオ 明(あか)るうなればなる程(ほど)、暗(くら)うなる二人(ふたり)が身(み)の上(うへ)。
乳母(うば)出る。
乳母  姫(ひい)さま!
ヂュリ 乳母(うば)か?
乳母  御方樣(おんかたさま)が只今(たゞいま)お居間(ゐま)へ入(い)らせられます。夜(よ)は明(あ)けた、もし、油斷(ゆだん)なう心(こゝろ)を配(くば)って。
ヂュリ なりゃ、窓(まど)よ、日光(ひ)を内(うち)へ、命(いのち)を外(そと)へ。
ロミオ おさらば、おさらば! これを名殘(なごり)に(と接吻して)降(お)りて去(いな)う。
樓(ろう)を下(お)りかくる。
ヂュリ (樓上より)お前(まへ)もう去(いな)しますか? あゝ、戀人(こひびと)よ、殿御(とのご)よ、わが夫(つま)よ、戀人(こひびと)よ! きっと毎日(まいにち)消息(たより)して下(くだ)され。これ、一時(とき)も百日(にち)なれば、一分(ぷん)も百日(にち)ぢゃ。おゝ、そんな風(ふう)に勘定(かんぢゃう)したら、また逢(あ)ふまでには予(わし)は老年(としより)になってしまはう!
ロミオ さらばぢゃ! かりそめにも機會(きくわい)さへあれば消息(たより)を怠(おこた)ることではない。
ヂュリ おゝ、また逢(あ)はれうかいの?
ロミオ 念(ねん)には及(およ)ばぬ。今(いま)の此(この)憂苦勞(うきくらう)は、後(のち)の樂(たの)しい昔語(むかしがたり)ぢゃ。
ヂュリ おゝ、如何(どう)せうぞ! 心(こゝろ)めが忌(いまは)しい取越苦勞(とりこしぐらう)をさせをる。下(した)にゐやしゃるのを此處(こゝ)から見(み)ると、どうやら墓(はか)の底(そこ)の死人(しにん)のやう。目(め)の故(せゐ)か知(し)らねども、お前(まへ)の顏(かほ)が蒼(あを)う見(み)ゆる。
ロミオ 眞實(しんじつ)、予(わし)の目(め)にも、卿(そもじ)の顏(かほ)が然(さ)う見(み)ゆる。憂悲愁(うきかなしみ)が互(たが)ひの血汐(ちしほ)を涸(か)らしたのぢゃ。おさらば、おさらば!
ロミオ入る。
ヂュリ おゝ、運命神(うんめい)よ、運命神(うんめい)よ! 皆(みな)が汝(そち)を浮氣者(うはきもの)ぢゃといふ。いかに汝(そち)が浮氣(うはき)であらうと、世(よ)に聞(きこ)えた堅實(かたぎ)な人(ひと)を何(なん)とすることも出來(でき)まい。いや、やっぱり浮氣(うはき)がよい、そしたら彼(あ)の人(ひと)を直(すぐ)※(「厭/(餮−殄)」、第4水準2-92-73)(あ)いて予(わし)へ返(かへ)してたもらうによって。
カピ妻 (内にて)女(むすめ)や/\! 起(お)きてかいの?
ヂュリ 誰(た)れぢゃ呼(よ)ぶは? 母(かゝ)さまか知(し)らぬ。晩(おそ)うまで眠(ねぶ)らいでか、早(はや)うから目(め)を覺(さま)してか? 何事(なにごと)があって、見(み)えたやら?
カピューレット夫人(ふじん)出る。
カピ妻 ま、其方(そなた)、如何(どう)ぞしやったか?
ヂュリ 心地(こゝち)がわるうござります。
カピ妻 いつまでも從兄(いとこ)どのゝのことを悔(くや)んでゐやるか? これの、涙(なみだ)で洗(あら)うたら墓(はか)から出(で)て來(き)やると思(おも)うてか? 出(で)て來(き)やったとても生(い)かすことは出來(でき)まい。ぢゃによって、思(おも)ひ切(き)りゃ。歎(なげ)くは愛情(まごゝろ)の深(ふか)い證(しるし)ぢゃが、餘(あま)りに深(ふか)う歎(なげ)くは分別(ふんべつ)の足(たら)はぬ證(しるし)ぢゃ。
ヂュリ でも此樣(このやう)な不幸(ふしあはせ)は存分(ぞんぶん)に泣(な)いてのけたい。
カピ妻 存分(ぞんぶん)にお泣(な)きゃらうと、不幸(ふしあはせ)な人(ひと)が歸(かへ)りはせぬ。
ヂュリ 返(かへ)らぬことゝ思(おも)うても、存分(ぞんぶん)に泣(な)かいではをられぬ。
カピ妻 では、其方(そなた)は、殺(ころ)した當(たう)の惡黨(あくたう)が尚(まだ)存(ながら)へてゐくさるのを、然程(さほど)にはお泣(な)きゃらぬな?
ヂュリ え、惡黨(あくたう)とはえ?
カピ妻 あのロミオの惡黨(あくたう)。
ヂュリ (傍を向き)惡黨(あくたう)と彼(あ)の人(ひと)では大(おほ)きな相違(ちがひ)ぢゃ!……神樣(かみさま)、あの者(もの)を赦(ゆる)させられませ! わたしは眞實(しんじつ)赦(ゆる)してゐます。とは言(い)へ、思(おも)ひ出(だ)すと、悲(かな)しうてなりませぬ。
カピ妻 と言(い)ふのも、あの二心(ふたごころ)の下手人(げしゅにん)めが生存(いきながら)へてをるからぢゃ。
ヂュリ あい、さうぢゃ、わたしの此(この)手(て)が能(よ)う達(とゞ)かぬ遠(とほ)い處(ところ)に。わたしの手(て)一(ひと)つで從兄(いとこ)どのゝ敵(かたき)が討(う)ちたい。
カピ妻 敵(かたき)は一定(きっと)取(と)ってやります。懸念(けねん)には及(およ)ばぬ。すれば、最早(もう)泣(な)きゃんな。あの追放人(おひはらはれ)の無頼漢(ならずもの)が住(す)んでゐるマンチュアに使(つかひ)を送(おく)り、さる男(をとこ)に言(い)ひ含(ふく)めて尋常(よのつね)ならぬ飮物(のみもの)を彼奴(あいつ)めに飮(の)ませませう、すれば即(やが)てチッバルトが冥途(めいど)の道伴(みちづれ)。さうなれば其方(そなた)の心(こゝろ)も慰(なぐさ)まう。
ヂュリ ほんにロミオの顏(かほ)を……死顏(しにがほ)を……見(み)るまでは、妾(わたし)ゃ如何(どう)しても心(こゝろ)が勇(いさ)まぬ、從兄(いとこ)がお死(し)にゃったのが、それ程(ほど)に心(こゝろ)に沁(し)みて悲(かな)しい。母(かゝ)さま、其(その)毒(どく)を持(も)って行(ゆ)く使(つかひ)の男(をとこ)とやらが定(きま)ったら、藥(くすり)は妾(わたし)が調合(てうがふ)せう、ロミオがそれを手(て)に入(い)れたら、直(すぐ)にも安眠(あんみん)しをるやうに。おゝ、彼奴(あいつ)の名(な)を聞(き)くと身(み)が顫(ふるへ)る。もどかしいなア、チッバルトを殺(ころ)しをった彼奴(あいつ)の肉體(からだ)をば掻毟(かきむし)って、懷(なつか)しい/\從兄(いとこ)への此(この)眞情(まごゝろ)を見(み)することも出來(でき)ぬか!
カピ妻 方法(てだて)は自身(じしん)で工夫(くふう)しやれ、使者(つかひ)は予(わし)が搜(さが)しませう。それはさうと、めでたい報道(しらせ)を持(も)って來(き)たぞや。
ヂュリ めでたい事(こと)とは耳寄(みゝよ)りな、此樣(このやう)な辛(つら)い時(とき)に。それは何樣(どのやう)な事(こと)でござります?
カピ妻 はて、其方(そなた)は仁情深(なさけぶか)い父御(てゝご)をお有(も)ちゃってぢゃ。其方(そなた)に愁歎(なげき)を忘(わす)れさせうとて、俄(にはか)にめでたい日(ひ)をお定(さだ)めなされた、予(わし)も其方(そなた)も曾(つひ)ぞ思(おも)ひがけぬめでたい日(ひ)を。
ヂュリ はれま、母樣(かゝさま)、それはまた何樣(どのやう)な?
カピ妻 はて、女(むすめ)よ、次(つぎ)の木曜日(もくえうび)の朝(あさ)早(はや)う、あの風流(みやび)な、立派(りっぱ)な若殿(わかとの)のパリスどのが、セント・ピーターの會堂(くわいだう)で、めでたう其方(そなた)を花嫁御(はなよめご)にお爲(し)やる筈(はず)ぢゃ。
ヂュリ そのセント・ピーターの會堂(くわいだう)懸(か)けて、いゝや、ピーターどのをも誓言(ちかひ)にかけて、何(なん)のそれがめでたからう! 嫁入(よめいり)はせぬわいの。何(なん)といふ早急(さっきふ)ぢゃ。申入(まうしいれ)も聞(き)かぬうちに婚禮(こんれい)とは何事(なにごと)ぢゃ? 父(とゝ)さまに言(い)うて下(くだ)され、わたしは嫁入(よめいり)はまだしませぬ。嫁入(よめいり)すれば如何(どう)あってもロミオへ往(ゆ)く、憎(にく)いと思(い)ふあのロミオへ、パリスどのへ往(ゆ)くよりは。まア、ほんに、思(おも)ひがけない!
カピ妻 あれ、父御(ちゝご)がわせた。自身(じしん)で然(さ)う言(い)うて、父御(ちゝご)がそれを其方(そなた)から聞(き)いて、何(なん)と思(おも)はしゃるかを見(み)たがよい。
カピューレット長者(ちゃうじゃ)先(さき)に乳母(うば)從(つ)いて出る。
カピ長 日(ひ)が沈(しず)むと露(つゆ)が降(お)りるは尋常(よのつね)ぢゃが、甥(をひ)の日沒(ひのいり)には如瀧雨(どしゃぶり)ぢゃ。どうぢゃ! 噴水像(みづふき)どの! え、まだ泣(な)いておぢゃるか? え、いつまでも雨天(しけ)つゞきか? 其許(おぬし)は只(たんだ)一(ひと)つの小(ちひ)さい身體(からだ)で、船(ふね)にもなれば、海(うみ)にも風(かぜ)にもなりゃる。先(ま)づ目(め)は海(うみ)ぢゃ、終始(たえず)涙(なみだ)の滿干(みちひき)がある、身體(からだ)は船(ふね)、其(その)鹽辛(しほから)い浪(なみ)を走(はし)る、溜息(ためいき)は風(かぜ)ぢゃ、涙(なみだ)の浪(なみ)と共(とも)に荒※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(あれまは)り、涙(なみだ)はまたそれを得(え)て倍※(二の字点、1-2-22)(ます/\)荒(あ)るゝ、はて、和(なぎ)が急(きふ)に來(こ)なんだら、命(いのち)の船(ふね)が顛覆(ひっくりかへ)ってしまふわい。……何(なん)とぢゃ、卿(そなた)! 吩咐(いひつ)けた通(とほ)りをお語(かた)りゃったか?
カピ妻 はい、申(まう)しましたなれど、有難(ありがた)うはござりますが、望(のぞ)まぬと言(い)うてゐます。阿呆(あはう)めは墓(はか)へ嫁入(よめいり)したがようござります!
カピ長 ま、待(ま)たしませ! 如何(どう)したと言(い)はします、いさや、どうしたと被言(おしゃ)るのぢゃ? え! 望(のぞ)まぬ? 有難(ありがた)いとは思(おも)はぬか? 其(その)身(み)の名譽(めいよ)ぢゃと思(おも)はぬか? おのれ、嬉(うれ)しいとも思(おも)ひをらぬか、あのやうな、分不相應(ぶんふさうおう)の貴人(きにん)を親(おや)が婿(むこ)にしてとらしたをば?
ヂュリ さア、名譽(めいよ)ぢゃとは思(おも)はねど、嬉(うれ)しいとは思(おも)ひまする。嫌(いや)なものを名譽(めいよ)には能(よ)うせねど、其(その)嫌(いや)なことも妾(わたし)を可愛(かわゆ)さにして下(くだ)されたと思(おも)へば嬉(うれ)しい。
カピ長 何(なん)ぢゃ、何(なん)ぢゃ! 小理窟屋(こりくつや)が! 何(なん)ぢゃそれは? 「名譽(めいよ)ぢゃ」、「嬉(うれ)しいと思(おも)ひまする」、「嬉(うれ)しいと思(おも)ひませぬ」。しかも尚(なほ)「名譽(めいよ)ぢゃとは思(おも)ひませぬ」はて、こゝな我儘(わがまゝ)どの、嬉(うれ)しがったり名譽(めいよ)がったりする間(ひま)に、其(その)上等(けっこう)な脚節(すねふし)でも調査(しら)べておきゃ、次(つぎ)の木曜日(もくえうび)にパリスと一しょに會堂(くわいだう)へ行(ゆ)くために。さうでないと、簀子(すのこ)の上(うへ)へ叩(たゝ)き伏(ふ)せて、引摺(ひきず)って行(ゆ)かうぞよ。おのれ、萎黄病(ゐわうびゃう)で死(し)んだやうな面(つら)をしをって! うぬ/\、碌(ろく)でなし! おのれ、白蝋面(びゃくろうづら)めが!
長者(ちゃうじゃ)立(た)ちかゝる。
カピ妻 あさましい! 貴下(こなた)は氣(き)でも狂(くる)うたか?
ヂュリエット父(ちゝ)の前(まへ)に膝(ひざ)まづく。
ヂュリ もうし、父上(ちゝうへ)、膝(ひざ)をついて願(ねが)ひまする、たった一言(ひとこと)堪忍(かんにん)して聽(き)いて下(くだ)され。
カピ長 くたばりをれ、碌(ろく)でなしめが! 不孝千萬(ふかうせんばん)な奴(やつ)ぢゃ! こりゃやい、次(つぎ)の木曜日(もくえうび)に教會堂(けうくわいだう)へ往(ゆ)きをらう。往(ゆ)かずば、又(また)と此(この)顏(かほ)を見(み)るな。言(い)ふな、答(こた)へるな、返答(へんたふ)するな。此(この)指(ゆび)がむづ/\するわい。……奧(おく)よ、子(こ)をば神(かみ)が只(たゞ)一人(ひとり)しか賜(たまは)らなんだのを不足(ふそく)らしう思(おも)うたこともあったが、今(いま)となっては此奴(こやつ)一人(ひとり)すら多過(おほす)ぎる、取(と)りも直(なほ)さず、呪咀(じゅそ)ぢゃ、禍厄(わざはひ)ぢゃ、うぬ/\、賤婢(はしたをんな)め!
乳母  はれまア、可愛相(かはいさう)に! 其樣(そのやう)に叱(しか)らしゃりますは、殿(との)さま、それは貴下(こなた)が無理(むり)でござります。
カピ長 なゝ、なぜぢゃ、賢女(けんぢょ)どの! 聰明樣(おりこうさま)、まゝ、お默(だま)りなされ。喋々語(べちゃつ)きたくば、とっとゝ彼方(あち)へ往(い)て、冗口仲間(むだぐちなかま)と饒舌(しゃべ)れ。
乳母  お爲(ため)にならぬことは言(い)ひませぬわいの。
カピ長 はい、さやうなら、御機嫌(ごきげん)よう!
乳母  物言(ものい)うては、わるいかいな?
カピ長 默(だま)れ、むが/\むが/\と、阿呆(あはう)め! 其許(おぬし)の御託宣(ごたくせん)は、冗口仲間(むだぐちなかま)と酒(さけ)でも飮合(のみあ)ふ時(とき)に被言(おしゃ)れ、こゝには用(よう)は無(な)いわ。
乳母  貴下(こなた)は餘(あま)り逆上(のぼ)せてござる。
カピ長 はて、氣(き)ちがひにもなるわさ。晝(ひる)も夜(よる)も、季(き)も節(せつ)も、念々刻々(ねん/\こく/\)、働(はたら)いてゐよが、遊(あそ)んでゐよが、只(たゞ)一人(ひとり)ゐよが、多勢(おほぜい)と共(とも)にゐよが、女(むすめ)めが縁邊(えんぺん)を苦勞(くらう)にせなんだ時(とき)は無(な)い。やっとの事(こと)で、門閥家(もんばつか)の、良(よ)い領地有(りゃうちもち)の、年(とし)の若(わか)い、教育(けういく)も立派(りっぱ)な、何樣(なにさま)才徳(さいとく)の具足(ぐそく)した男(をとこ)は斯(か)うもありたいもの、と望(のぞ)まるゝ通(とほ)りに出來上(できあが)ってゐる婿(むこ)を搜(さが)して、供給(あてが)へば、見(み)ともない、吠面(ほえづら)さかいて、泣偶人(なきにんぎゃう)め、幸福(しあはせ)をば幸福(しあはせ)とも思(おも)ひをらいで、「嫁入(よめいり)はせぬ」の、「戀(こひ)は知(し)らぬ」の、「まだ年齡(としは)がゆかぬ」の、「赦(ゆる)して下(くだ)されい」の、と吐(ぬか)しをる。したが、嫁入(よめいり)をせぬとならば、赦(ゆる)してもくれう。好(す)きな處(ところ)で草食(くさは)みをれ、此處(こゝ)には住(すま)さぬわい。やい、よう思(おも)へ、よう考(かんが)へをれ、戲言(たはぶれごと)は言(い)はぬ乃公(おれ)ぢゃ。木曜日(もくえうび)は今(いま)の間(ま)、胸(むね)に手(て)を置(お)いて思案(しあん)せい。我子(わがこ)ならば親友(しんいう)の許(もと)へ遣(や)る、さなくば首(くび)を縊(くゝ)らうと、乞食(こじき)をせうと、餓(う)ゑて途上死(のたれじに)をしをらうとまゝぢゃ、誓文(せいもん)、我子(わがこ)とは思(おも)はぬわい、また何一(なにひと)つたりと、汝(おのれ)には與(く)れまいぞよ。よいか、二言(ごん)は無(な)いぞよ。誓言(せいごん)は破(やぶ)らぬぞよ。
長者(ちゃうじゃ)入(はひ)る。ヂュリエット泣倒(なきたふ)るゝ。
ヂュリ 大空(おほぞら)の雲(くも)の中(なか)にも此(この)悲痛(かなしみ)の底(そこ)を見透(みとほ)す慈悲(じひ)は無(な)いか? おゝ、母(かゝ)さま、わたしを見棄(みす)てゝ下(くだ)さりますな! 此(この)婚禮(こんれい)を延(のば)して下(くだ)され、せめて一月(ひとつき)、一週間(しうかん)。それも能(かな)はぬなら、チッバルトが臥(ね)てゐやる薄昏(うすぐら)い廟(べう)の中(なか)に婚禮(こんれい)の床(とこ)を設(まう)けて下(くだ)され。
カピ妻 わしに物(もの)を被言(おしゃ)んな、わしは最早(もう)何(なに)も言(い)ひますまいほどに。好(す)きにしや、もう其方(そなた)には關(かま)ひませぬほどに。
夫人(ふじん)入る。
ヂュリ おゝ!……おゝ、乳母(うば)や! 如何(どう)したらよいであらうぞ? 夫(をっと)は地上(ちじゃう)、誓約(ちかひ)は天上(てんじゃう)。何(なん)として其(その)誓約(ちかひ)が再(ふたゝ)び地上(ちじゃう)に戻(もど)らうぞ、其(その)夫(つま)が地(ち)を離(はな)れて天(てん)から取戻(とりもど)してたもらずば?……慰(なぐさ)めてたも、教(をし)へてたも。……かなしや/\、此身(このみ)のやうな孱弱(かよわ)い者(もの)を天(てん)までが陰謀(たくら)んで責(せ)めさいなむ!……これ、乳母(うば)、どうせう? 嬉(うれ)しいことを言(い)うてたも。何(なん)ぞ慰(なぐさ)めはないかいの?
乳母  誓文(せいもん)、ござります。ロミオどのは追放(つゐはう)の身(み)ぢゃほどに、世界(せかい)が崩(くづ)れうと、戻(もど)って來(き)て何(なん)のかのと言(い)はッしゃらう筈(はず)は無(な)い。よしや戻(もど)らッしゃるにせい、ほんの窃々(こつそり)の内密沙汰(ないしょざた)ぢゃ。すれば、かうなってしまうた上(うへ)は、あの若殿(わかとの)へ嫁入(よめい)らッしゃるが最(いっ)ち良(よ)い分別(ふんべつ)ぢゃ。おゝ、ほんに可憐(かはいら)しいお方(かた)。彼方(あなた)に比(くら)べてはロミオどのは雜巾(ざふきん)ぢゃ。萠黄色(もえぎいろ)の、活々(いき/\)とした美(うつく)しい眼附(めつき)、鷲(わし)の目(め)よりも立派(りっぱ)ぢゃ。ほんに/\、こんどのお配偶(つれあひ)こそ貴孃(こなた)のお幸福(しあはせ)であらうぞ、前(まへ)のよりはずっと優(まし)ぢゃ。よし然(さ)うでないにせい、前(まへ)のは最早(もう)絶滅(だめ)ぢゃ、いや、絶滅(だめ)も同樣(どうやう)ぢゃ、離(はな)れて住(す)んでござって、貴孃(こなた)のまゝにならぬによって。
ヂュリ そりや[#「そりや」はママ]其方(そなた)本氣(ほんき)で言(い)やるか?
乳母  はい、本氣(ほんき)でも本心(ほんしん)でもござります、でなくば罰(ばち)が當(あ)たれ!
ヂュリ 其通(そのとほ)りに!
乳母  えゝ?
ヂュリ なに、あの、其方(そなた)の慰(なぐさ)めで不思議(ふしぎ)に心(こゝろ)が安堵(おちつ)いた。奧(おく)へ往(い)て、母樣(はゝさま)に言(い)うてたも、父上(ちゝうへ)の御不興(ごふきょう)を受(う)けたゆゑ、懺悔(ざんげ)をして罪(つみ)を赦(ゆる)して貰(もら)はうとて、ロレンスどのゝ庵室(あんじつ)へわしが往(い)んだと。
乳母  はい/\、心得(こゝろえ)ました。それこそ賢(かしこ)い御分別(ごふんべつ)ぢゃ。
乳母(うば)入る。ヂュリエットじっと行方(ゆくかた)を見送(みおく)って
ヂュリ 罰當(ばちあた)りの夜叉(やしゃ)め! おゝ、惡魔(あくま)め! 予(わし)に誓約(ちかひ)を破(やぶ)らせうとしをるばかりか、前(まへ)には幾千度(いくせんたび)も比(くら)べ物(もの)の無(な)いやうに褒(ほ)めちぎった予(わし)の殿御(とのご)を其(その)同(おな)じ舌(した)で惡口(あくこう)しをる。……去(い)ね、相談敵手(さうだんあひて)にした其方(そち)ぢゃが、其方(そち)と予(わし)とは今(いま)からは心(こゝろ)は別々(べつ/\)。……御坊(ごばう)の許(ところ)へ往(い)て救(すく)ひを乞(こ)はう。事(こと)が皆(みな)破(やぶ)れても、死(し)ぬる力(ちから)は此身(このみ)に有(あ)る。
ヂュリエット入る。
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ロレンス法師(ほふし)とパリスと出る。
ロレ  木曜日(もくえうび)と仰(おほ)せらるゝか? では早急(さっきふ)な事(こと)ぢゃ。
パリス 舅(しうと)カピューレットどのが其樣(そのやう)にしたいと被言(おしゃ)る。予(わし)とてもそれを遲(おそ)うしたいとは思(おも)ひませぬ。
ロレ  姫(ひめ)の心(こゝろ)はまだ知(し)らぬと仰(おほ)せらるゝ。すれば段取(だんどり)が素直(すなほ)でない、吾等(われら)は好(この)もしう思(おも)ひませぬ。
パリス チッバルトの落命(らくめい)をいみじう歎(なげ)いてゞあったゆゑ、涙(なみだ)の宿(やど)には戀神(※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ーナス)は笑(ゑ)まぬものと、縁談(えんだん)を差控(さしひか)へてゐたところ、餘(あま)り甚(きつ)う歎(なげ)いては姫(ひめ)の身(み)が心元(こゝろもと)ない、獨(ひとり)でゐれば洪水(こうずゐ)のやうに出(で)る涙(なみだ)も、交(まじ)らふ者(もの)があれば堰止(せきと)むることも出來(でき)るものと、舅御(しうとご)の才覺(さいかく)にて、急(きふ)に婚禮(こんれい)と事(こと)が決(きま)った。速(はや)うせねばならぬ仔細(わけ)を、何(なん)と會得(ゑとく)めされたか?
ロレ  (傍を向きて)それは遲(おそ)うせねばならぬ仔細(わけ)が、此方(こち)に解(わか)ってをらなんだらなア!……あれ、御覽(ごらう)ぜ、姫(ひめ)が此庵(こゝ)にわせられた。
ヂュリエット出る。
パリス 嬉(うれ)しう逢(あ)ひました、我妻(わがつま)。
ヂュリ 妻(つま)とも呼(よ)ばしませ、婚禮(こんれい)が叶(かな)ふなら。
パリス 叶(かな)はいでならうか、此次(このつぎ)の木曜日(もくえうび)には?
ヂュリ 叶(かな)はいでならぬことは叶(かな)ふ筈(はず)ぢゃ。
ロレ  こりゃ格言(かくげん)ぢゃわい。
パリス 今日(けふ)は師(し)の御坊(ごばう)に懺悔(ざんげ)をばしよう爲(ため)にわせられたか?
ヂュリ はい、というたなら、貴下(こなた)へ自白(ざんげ)をしたことになりませうぞ。
パリス 吾等(われら)を思(おも)うてゐるといふことを、御坊(ごばう)に打明(うちあ)けて言(い)うて下(くだ)され。
ヂュリ では、打明(うちあ)けて申(まう)しませう、わたしは御坊樣(ごばうさま)を思(おも)うてゐます。
パリス 吾等(われら)をも同(おな)じやうに思(おも)うてゐる、と言(い)うて下(くだ)されうがな。
ヂュリ さア、言(い)ふにせい、それは背(せ)で言(い)うてこそ價値(ねうち)もあれ、面(かほ)を見合(みあ)せて言(い)はうより。
パリス やれ、笑止(きのどく)や、卿(そなた)の面(かほ)は涙(なみだ)で甚(いか)う汚(よご)れてゐる。
ヂュリ 涙(なみだ)が何程(どれほど)の事(こと)をしませう、生得(うまれつき)、見(み)ともない面(かほ)ぢゃもの。
パリス 其樣(そのよ)なことを被言(おしゃ)るのは、われから我面(わがかほ)を讒訴(ざんそ)するのぢゃ。
ヂュリ 眞(ほん)の事(こと)は讒訴(ざんそ)とは言(い)はれぬ、ましてこれは後言(かげごと)ではない、直(ぢか)に面(かほ)に對(むか)うて言(い)うてゐるのぢゃもの。
パリス いや、卿(こなた)の面(かほ)は今(いま)では予(わし)の有(もの)ぢゃに、それをば其樣(そのやう)に惡(あ)しう被言(おしゃ)るのは讒訴(ざんそ)ぢゃ。
ヂュリ ほんに然(さう)もあらうか、妾(わたし)の有(もの)ではないゆゑ。……(ロレンスに)御坊樣(ごぼうさま)、今(いま)お暇(ひま)でござりますか、改(あらた)めて晩(ばん)のお祈祷頃(いのりごろ)に參(まゐ)りませうか?
ロレ  いや、今(いま)でも故障(こしゃう)は無(な)い。……若殿(わかとの)、憚(はゞか)りぢゃが、暫(しばら)くの間(あひだ)、こゝを吾等(われら)に。
パリス おゝ、かりそめにも勤行(ごんぎゃう)のお妨(さまた)げをしてはならぬ!……ヂュリエットどの、木曜日(もくえうび)には朝(あさ)早(はや)うお迎(むかへ)に行(ゆ)きませうぜ。それまでは、おさらば。此(この)聖(きよ)い接吻(キッス)を保有(しま)っておいて下(くだ)され。
パリス入る。
ヂュリ おゝ、早(はや)う扉(と)を閉(し)めて、そしてしめてまうたら、わたしと一しょに泣(な)いて下(くだ)され。もう絶望(だめ)ぢゃ! 絶望(だめ)ぢゃ、絶望(だめ)ぢゃ!
ロレ  あゝ、これ、ヂュリエットや、其(そ)の悲歎(かなしみ)は善(よ)う知(し)ってをる! 何(なん)ぼう搾(しぼ)っても予(わし)の智慧(ちゑ)には能(あた)はぬ。次(つぎ)の木曜(もくえう)には、寸分(すんぶん)の猶豫(ゆうよ)もなう、彼(あ)の若(わか)と婚禮(こんれい)を爲(し)やらねばならぬと聞(き)いた。
ヂュリ いゝえ/\、それを中止(やめ)にする方便(てだて)が無(な)いなら、聞(き)いたなぞとおッしゃるな。お前(まへ)の智慧(ちえ)にも能(あた)はぬなら、つい予(わし)の覺悟(かくご)をば良(よ)い分別(ふんべつ)ぢゃと讃(ほ)めて下(くだ)され、すれば此(この)懷劒(くわいけん)で今直(いますぐ)に敢行(しての)けう。ロミオとわしの心(こゝろ)と心(こゝろ)を結(むす)び合(あ)はせたは神樣(かみさま)、手(て)と手(て)を繋(つな)いだはお前(まへ)。すれば、お前(まへ)がロミオへの封印代(ふいんがは)りにした此(この)手(て)を、他(あだ)し證書(しょうしょ)の封印(ふういん)に使(つか)はうより、又(また)僞(いつは)りの無(な)い此(この)心(こゝろ)を操(みさを)に背(そむ)いて他(あだ)し男(をとこ)に向(む)けうより、此(この)懷劒(くわいけん)で手(て)も心(こゝろ)も突殺(つきころ)してのけう。ぢゃによって今直(いますぐ)にお前(まへ)の長(なが)い年功(ねんこう)で良(よ)い思案(しあん)をして下(くだ)され。さもなくば、此(この)怖(おそろ)しい懷劒(くわいけん)を難儀(なんぎ)の瀬戸際(せどぎは)の行司(ぎゃうじ)にして、年(とし)の功(こう)も智慧(ちえ)の力(ちから)も如何(どう)とも能(よ)うせぬ女一人(をんなひとり)の面目(めんもく)を今(いま)こゝで裁決(とりさば)かす、見(み)て下(くだ)され。さ、早(はや)う何(なん)となと言(い)うて下(くだ)され。わしゃ早(はや)う死(し)にたい、お前(まへ)の言(い)ふことが何(なん)の役(やく)にも立(た)たぬやうなら。
ロレ  まア、お待(ま)ちゃれ。助(たす)かる術(すべ)を思(おも)ひついたわ。必死(ひっし)の厄(やく)を脱(のが)れうためゆゑ必死(ひっし)の振舞(ふるまひ)をもせねばならぬ。パリスどのと祝言(しうげん)するよりも寧(いっ)そ自害(じがい)せうと程(ほど)の逞(たくま)しい意志(こゝろざし)がおりゃるなら、いゝやさ、恥辱(はぢ)を免(まぬか)れうために死(し)なうとさへお爲(し)やるならば、同(おな)じ望(のぞみ)のために死(し)ぬるに似(に)た一事(あること)をば多分(たぶん)敢行(しての)くることが出來(でけ)う。敢行(しての)けう意(こゝろ)なら救(すく)はるゝ術(すべ)を授(さづ)けう。
ヂュリ おゝ、パリスどのと祝言(しうげん)をせう程(ほど)なら、あの塔(たふ)の上(うへ)から飛(と)んで見(み)い、山賊(やまだち)の跳梁(はびこ)る夜道(よみち)を行(ゆ)け、蛇(へび)の棲(す)む叢(くさむら)に身(み)を潛(ひそ)めいとも言(い)はッしゃれ。吼(ほ)ゆる荒熊(あらくま)と一しょにも繋(つな)がれう、墓(はか)の中(なか)にも幽閉(おしこ)められう、から/\と鳴(な)る骸骨(がいこつ)や穢(むさ)い臭(くさ)い向脛(むかはぎ)や黄(き)ばんだ頤(あご)のない髑髏(しゃれかうべ)が夜々(よる/\)掩(おほ)ひ被(かぶさ)らうと。又(また)昨日(きのふ)今日(けふ)の新墓(しんばか)で死人(しびと)の墓衣(はかぎ)に苞(くる)まって隱(かく)れてゐよとも言(い)はッしゃれ。聞(き)いたばかりでも、例(つね)は身毛(みのけ)が彌立(よだ)ったが、大事(だいじ)の操(みさを)を立(た)つる爲(ため)なら、躊躇(ちゅうちょ)せいで敢行(しての)けう。
ロレ  では、待(ま)ちゃれ。先(ま)づ今日(けふ)は立歸(たちかへ)って、嬉(うれ)しさうにもてなし、パリスどのとの祝言(しうげん)を承諾(しょうだく)しやれ。明日(あす)は水曜日(すいえうび)ぢゃ。明日(あす)は何(なん)とかして一人(ひとり)でお臥(ね)やれ、乳母(うば)をも同(おな)じ間(ま)には臥(ね)かさッしゃるな。床(とこ)にお入(はひ)りゃったら、(小さき藥瓶を取出し)此(この)瓶(びん)を取(と)って此(これ)なる藥水(やくすゐ)をばお飮(の)みゃれ。すると、即(やが)て慄然(ぞっ)として眠(ねむ)たいやうな氣持(きもち)が血管中(けっくわんぢゅう)に行渡(ゆきわた)り、脈搏(みゃくはく)も例(いつも)のやうではなうて、全(まった)く止(や)み、生(い)きてをるとは思(おも)はれぬ程(ほど)に呼吸(こきふ)も止(とま)り、體温(ぬくみ)も失(う)する。頬(ほゝ)、唇(くちびる)の薔薇(ばら)も褪(あ)せて、蒼白(あをじろ)い灰(はひ)と變(かは)る。目(め)の窓(まど)もはたと閉(と)づる、生活(いのち)の日(ひ)がつい暮(く)れて行(ゆ)く時(とき)のやうに。どこも/\硬固(しゃちこば)って、冷(つめた)うなって、自在(じざい)な活動(はたらき)をば失(うしな)うて、死切(しにき)ったやうにも見(み)えう。さて、此(この)死切(しにき)ったらしい相(すがた)で四十二時(とき)經(た)つときは、氣持(きもち)の好(よ)い睡(ねむり)から醒(さ)むるやうに、自然(しねん)と起(お)きさッしゃらう。然(しか)るに、翌朝(あくるあさ)、あの新郎殿(むこどの)が卿(おこと)を迎(むか)ひにとて來(わ)するころは、卿(おこと)は恰(ちゃう)ど死(し)んでゐる。すれば、當國(このくに)の風習通(ならはしどほ)りに、顏(かほ)は故(わざ)と隱(かく)さいで、最(いっち)良(よ)い晴衣(はれぎ)を着(き)せ、柩車(ひつぎぐるま)に載(の)せて、カピューレット家(け)代々(だい/\)の古(ふる)い廟舍(たまや)へ送(おく)られさッしゃらう。其間(そのひま)に、予(わし)の消息(しらせ)で、ロミオが此(この)計畫(けいくわく)を知(し)り、卿(おこと)が覺(さ)めさッしゃる前(まへ)に、此方(こち)へ來(く)ることとならう。予(わし)も共々(とも/″\)目覺(めさめ)まで番(ばん)をして、其夜(そのよ)の中(うち)にロミオが卿(おこと)をばマンチュアへ伴(つ)れて行(いな)う。卿(おこと)の心(こゝろ)さへ變(かは)らずば、女々(めゝ)しい臆病心(おくびゃうごゝろ)の爲(ため)に、敢行(しての)くる勇氣(ゆうき)さへ弛(ゆる)まなんだら、此度(このたび)の耻辱(はぢ)は脱(のが)れられうぞ。
ヂュリ 下(くだ)され、さ、それを。早(はや)うそれを! おゝ、何(なん)の臆病心(おくびゃうごゝろ)!
ロレ  まゝ、歸(かへ)らしめ。(藥瓶を渡し)さらば、逞(たくま)しう覺悟(かくご)して、首尾(しゅび)よう事(こと)を爲遂(しと)げさッしゃれ。予(わし)はまた一(さる)法師(ほふし)に、卿(おこと)の殿御(とのご)への書面(しょめん)を持(も)たせ、急(いそ)いでマンチュアまで遣(や)りませう。
ヂュリ 戀(こひ)よ、予(わし)に力(ちから)をくれい! 力(ちから)さへあれば事(こと)は成(な)らう。……御坊(ごばう)さま、さらば。
左右(さいう)へ別(わか)れて入る。

カピューレット長者(ちゃうじゃ)を先(さき)に、同(おな)じく夫人(ふじん)、乳母(うば)、并(なら)びに下人(げにん)甲(かふ)、乙(おつ)、從(つ)いて出る。
カピ長 こゝに書(か)いてあるだけの客人(きゃくじん)を招待(せうだい)せい。……
甲(かふ)の下人(げにん)入(はひ)る。乙(おつ)の下人(げにん)に向(むか)ひ
やい、汝(そち)は料理人(れうりにん)の老練(らうれん)な奴(やつ)を二十人(にん)ばかり雇(やと)うて來(こ)い。
乙下人 御懸念(ごけねん)なされますな、先(ま)づ指(ゆび)を嘗(な)めさせて見(み)て雇(やと)ひまする。
カピ長 それはまた如何(どう)した理由(わけ)ぢゃ?
乙下人 はて、うぬが指(ゆび)を能(よ)う嘗(な)めぬやうな奴(やつ)は不可(いけ)ぬ料理人(れうりにん)でござります。それゆゑ指(ゆび)を能(よ)う嘗(な)めぬ奴(やつ)は採用(とりあ)げませぬ。
カピ長 往(ゆ)け/\。……
乙(おつ)の下人(げにん)入る。
必定(ひつぢゃう)、何(なに)かと行屆(ゆきとゞ)かぬがちであらうわい。え、こりゃ、女(むすめ)はロレンス御坊(ごばう)の許(ところ)へ往(い)たか?
乳母  さよでござります。
カピ長 うゝ、御坊(ごばう)の庇(かげ)で、ちと料簡(れうけん)も直(なほ)りをらうわい。氣儘(きまゝ)な、沒分曉的(わからずや)の賤婦(あまっちゃ)めぢゃ。
ヂュリエット出る。
乳母  あれ、孃(ぢゃう)が嬉(うれ)しさうな顏(かほ)して、お懺悔(ざんげ)から歸(かへ)らしゃれた。
カピ長 どうぢゃ、剛情張(がうじょッぱり)が? どこを漫歩(ほつきある)いて? 何處(どこ)にゐたのぢゃ?
ヂュリ 父(とゝ)さまの命令(おほせごと)に省(そむ)いた不孝(ふかう)の罪(つみ)を悔(くや)むことを習(なら)うた處(ところ)に。(膝まづきて)かうして地(ち)に平伏(ひれふ)して父(とゝ)さまの赦(ゆるし)を乞(こ)へいと、あのロレンスどのが言(い)はれました。どうぞ堪忍(かんにん)して下(くだ)され! これからは善(よ)う命令(おほせつけ)を聽(き)きまする。
カピ長 それ、パリスどのを呼(よ)びにやって、速(はや)う此事(このこと)を知(し)らせい。明日(あす)は朝(あさ)の間(ま)に此(この)縁結(えんむす)びを濟(すま)さうわい。
ヂュリ その若(わか)にロレンスどのゝ庵室(あんじつ)で逢(あ)うたゆゑ、女(をなご)の謹愼(つゝしみ)に障(さは)らぬ限(かぎ)りの、ふさはしい會釋(ゑしゃく)をしておきました。
カピ長 はて、それは重疉々々(ちょうでう/\)。よし/\。起(た)ちゃ/\。(ヂュリエットを扶け起し)さうなうてはならぬ筈(はず)ぢゃ。……ま、ともかくも若(わか)に逢(あ)はうわ、さうぢゃ、はて、速(はや)う往(い)て彼(か)の人(ひと)を伴(つ)れて來(こ)いといふに。……さてはや、實(じつ)に高徳(かうとく)のあの上人(しゃうにん)、此(この)市中(まちぢゅう)の者(もの)で、誰(た)れ一人(ひとり)、彼(か)の人(ひと)の庇(かげ)を蒙(かうむ)らぬものはないわい。
ヂュリ 乳母(うば)や、一しょに部屋(へや)へ來(き)て、明日(あす)被(き)ねばならぬ最(いっ)ち似合(にあ)ふ晴衣(はれぎ)を手傳(てつだ)うて撰(えら)んでくりゃ。
カピ妻 木曜日(もくえうび)までは急(いそ)ぐに及(およ)ばぬ。まだ澤山(たくさん)間(ま)があるがな。
カピ長 乳母(うば)よ、往(ゆ)け一しょに。……明日(あす)教會(けうくわい)へ往(ゆ)くことにせう。
ヂュリエットと乳母(うば)と入る。
カピ妻 では、準備(ようい)をする暇(ひま)もあるまい。もう即(やが)て夜(よる)ぢゃ。
カピ長 なにさ/\、乃公(おれ)が馳驅奔走(かけずりまは)るわさ、さすれば、大丈夫(だいぢゃうぶ)、どうにかなるわさ。卿(そなた)は、ヂュリエットの許(とこ)へ往(い)て、着(き)る物(もの)を手傳(てつだ)うてやりゃ。乃公(おれ)は今夜(こんや)は寢(やす)むまい。はて、任(まか)せておきゃ。今夜(こんや)ほどは女房役(にょうばうやく)をせうわい。……(奧に向ひて)こりゃ、誰(た)れかゐぬか!……皆(みな)出拂(ではら)うてしまうた。むゝ、自身(じしん)でパリスどのゝ邸(やしき)へ往(い)て、明朝(あす)の準備(こゝろがまへ)をさせて來(こ)う。心(こゝろ)がおそろしう輕(かる)うなったわい、あの我儘者(わがまゝもの)めが改心(かいしん)しをったによって。
二人(ふたり)ともに入る。

ヂュリエットを先(さき)に乳母(うば)從(つ)いて出る。
ヂュリ あい、其(その)晴着(はれぎ)が最(いっ)ち佳(よ)い。それはさうと、乳母(うば)や、今宵(こよひ)は予(わし)をどうぞ一人(ひとり)で寢(ね)かしてくりゃ。知(し)ってゐやる通(とほ)りの、執拗(ねぢく)れた、此(この)罪深(つみふか)い心(こゝろ)を、神樣(かみさま)に赦(ゆる)して貰(もら)ふため、いろ/\とお祷(いのり)をせねばならぬ。
カピューレットの夫人(ふじん)出る。
カピ妻 え、何(なん)と、忙(いそが)しうおぢゃるなら、手傳(てつだ)ひませうか?
ヂュリ いゝえ、母樣(かゝさま)、明日(あす)の式(しき)に相應(ふさは)しい入用(いりよう)な品程(しなほど)は既(も)う撰出(えりだ)しておきました。それゆゑ、妾(わたし)にはお介意(かまひ)なう、乳母(うば)はお傍(そば)で夜中(よぢゅう)お使(つか)ひ下(くだ)されませ。かうした早急(さっきふ)な取込(とりこみ)ゆゑ、嘸(さぞ)お手(て)が足(た)りますまい。
カピ妻 では、機嫌(きげん)よう、床(とこ)に就(つ)いてお休(やす)み、それが何(なに)よりも大切(たいせつ)ぢゃほどに。
夫人(ふじん)乳母(うば)を伴(つ)れて入る。
ヂュリ さやうなら!……又(また)いつ逢(あ)はるゝやら。……おゝ、總身(そうみ)が寒(さむ)け立(だ)って、血管中(けっくわんぢゅう)に沁(し)み徹(とほ)る怖(おそ)ろしさに、命(いのち)の熱(ねつ)も凍結(こゞ)えさうな! 寧(いっ)そ皆(みな)を呼戻(よびもど)さうか? 乳母(うば)!……えゝ、乳母(うば)が何(なん)の役(やく)に立(た)つ? 怖(おそろ)しい此(この)一場(ば)は、一人(ひとり)で如何(どう)あっても勤(つと)めにゃならぬ。……さア、來(こ)い、瓶(びん)よ。
藥瓶(くすりびん)を取上(とりあ)げる。
とはいへ、若(も)し此(この)藥(くすり)に、何(なん)の效力(きゝめ)も無(な)かったなら? すれば、明日(あす)の朝(あさ)となって、結婚(けっこん)を爲(し)ようでな? いや/\。……それは此劍(これ)が(と懷劍を取り上げ)させぬ。……やい、其處(そこ)にさうしてゐい。(と懷劍を下に置く)。……萬(まん)一、此(この)藥(くすり)が毒藥(どくやく)であったら? ロミオどのと縁組(えんぐみ)させておきながら、此(こ)の婚禮(こんれい)をさすときは、宗門(しゅうもん)の恥(はぢ)となるによって、それで予(わし)を殺(ころ)さうといふ深(ふか)い陰謀(たくみ)の毒藥(どくやく)ではあるまいものでもない。いや/\、よもや其樣(そのやう)なこともあるまい、不斷(ふだん)から上人(しゃうにん)と人(ひと)に崇(あが)められた彼(あの)法師(ほふし)ぢゃ。……したが、墓(はか)の中(なか)に臥(ね)てゐる時分(じぶん)、まだロミオがお來(き)やらぬうちに、若(も)し目(め)が覺(さ)めたら何(なん)とせう? さア、それが怖(おそろ)しい! 其(その)窖(あなむろ)で呼吸(いき)が塞(つま)ってはしまやせぬか? 其(その)穢(むさ)い穴(あな)の中(なか)へは清(きよ)い空氣(くうき)は些程(つゆほど)も通(かよ)はぬゆゑ、ロミオどのが來(わ)する頃(ころ)には予(わし)ゃ死(し)んでしまうてゐねばなるまい。若(も)し生(い)きてゐるやうなら……時(とき)も時(とき)、處(ところ)も處(ところ)、墓(はか)も墓(はか)、年(とし)を經(へ)た埋葬所(はふむりどころ)、何(なん)百年(ねん)の其間(そのあひだ)の先祖(せんぞ)の骨(ほね)が填充(つま)ってあり、まだ此間(このあひだ)埋(う)めたばかりの彼(あ)のチッバルトも血(ち)まぶれの墓衣(はかぎ)のまゝで、定(さだ)めて腐(くさ)りかけてゐるであらうし、また眞夜中(まよなか)の幾時(いくとき)かは幽靈(いうれい)も出(で)るといふ……えゝ、どうしょう、目(め)が覺(さ)めたら?……厭(いや)らしい其(その)臭(にほひ)と、聞(き)けば必然(きっと)狂亂(きちがひ)になるといふ彼(あの)曼陀羅華(まんだらげ)を根(ね)びくやうな、凄(すご)い氣味(きみ)のわるい聲(こゑ)を聞(き)いたら……おゝ、早(はや)まって覺(さ)めた時分(じぶん)に、其樣(そのやう)な怖(おそろ)しい、畏(こは)いものに取卷(とりま)かれたら、氣(き)が違(ちが)はいでをられうか? 先祖(せんぞ)の衆(しゅう)の手(て)や足(あし)やを偶(ふ)と玩具(もてあそび)にはしはすまいか? 手傷(てきず)だらけのチッバルトを血(ち)みどろの墓衣(はかぎ)から引出(ひきだ)しゃせぬか? 狂氣(きゃうき)の餘(あま)り、世(よ)に聞(きこ)えた或(さる)親族(うから)の骨(ほね)を取上(とりあ)げ、棍棒(ばうぎれ)のやうに揮※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(ふりまは)して、我(われ)と我手(わがて)で此(この)腦天(なうてん)をば摧(くだ)きゃせぬか? あれ/\! チッバルトの怨靈(をんりゃう)が、細刃(ほそみ)で斫(き)られた返報(へんぽう)をしようとて、ロミオを追※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(おひまは)してゐるのが見(み)ゆるやうぢゃ! あ、あれ、待(ま)ってたべ、チッバルト!……ロミオ、わしぢゃ! これはお前(まへ)を思(おも)うて飮(の)むのぢゃ。
と藥水(やくすゐ)を飮干(のみほ)すとやがて眩暈(げんうん)したる思入(おもひいれ)にて、寢臺(しんだい)の上(うへ)、帳(とばり)の内(うち)へ倒(たふ)れ込(こ)む。

カピューレット夫人(ふじん)と乳母(うば)と出る。
カピ妻 待(ま)ちゃ、乳母(うば)、此(この)鍵(かぎ)を持(も)って往(い)て、もそっと藥味(やくみ)を取(と)って來(き)てたも。
乳母  お庖厨(だいどころ)では、棗(なつめ)や榲※(「木+孛」、第3水準1-85-67)(まるめろ)を與(く)れいと呼(よ)んでゐます。
カピューレット長者(ちゃうじゃ)出る。
カピ長 さゝゝゝゝ、働(はたら)け/\! 二番鷄(ばんどり)が啼(な)いたぞ、深夜鐘(カアヒウ)が鳴(な)ったわ、もう三時(じ)ぢゃ。こりゃアンヂェリカ、燒饅頭(やきまんぢう)はよいかの? 費用(つひえ)は介意(かま)ふな、費用(つひえ)は。
乳母  またしてもお干渉(せっかひ)を爲(し)やしゃります、さゝ、お就褥(やすみ)なされませ。誓文(せいもん)、明日(あす)は病人(びゃうにん)にならしゃりませうぞえ、此夜(こよひ)寢(ね)やしゃらぬと。
カピ長 うんにゃ、ちょっともぢゃ。はて、其前(そのぜん)には、もそっと些細(ささい)な事(こと)で、幾(いく)たびも夜明(よあか)しをしたものぢゃが、曾(つひ)ぞ病氣(びゃうき)なぞになったことは無(な)いわい。
カピ妻 さいの、其時分(そのじぶん)には甚(きつ)い鼠捕(ねずみと)りであったさうな。したが、わたしが不寢(ねず)の番(ばん)をするゆゑ、今(いま)は其樣(そのやう)な鼠(ねずみ)をば捕(と)らすことぢゃない。
夫人(ふじん)と乳母(うば)と入る。
カピ長 妬(や)きをるわい、妬(や)きをるわい!……
下人(げにん)三四人(にん)、炙串(うをぐし)、薪(まき)、籃(てかご)などを携(たづさ)へて出る。
やい/\、そりゃ何(なん)ぢゃ?
甲下人 料理番(れうりばん)のでござります、が、何(なん)ぢゃやら存(ぞん)じませぬ。
カピ長 急(いそ)げ/\。
甲(かふ)の下人(げにん)入る。
やい、もそっと枯(か)れた薪(まき)を取(と)って來(こ)い。ピーターに聞(き)け、すると、在處(ありしょ)をば教(をし)へるわい。
乙下人 眼(め)がござりますから、薪位(まきぐらゐ)は見附(みつ)けまする、へい、ピーターには及(およ)びませぬ。
乙(おつ)の下人(げにん)入る。
カピ長 南無三(なむさん)、やりをるわい。おもしろい下司野郎(げすやらう)め! 何(なん)ぢゃ、薪(まき)を見(み)る眼(め)ぢゃ? 乃公(おれ)ゃまた薪目(まきめ)くらかと思(おも)うた。……はれやれ、夜(よ)が明(あ)けたわ。今(いま)に彼(あ)の若(わか)が樂人共(がくじんども)を將(ゐ)て來(わ)するであらう、さうせうと被言(おしゃ)ったによって。
樂(がく)の音(ね)聞(きこ)ゆる。
もう來(わ)せたわ、……(奧に向ひて)乳母(うば)……奧(おく)よ! こりゃ、やい!……こりゃ乳母(うば)、乳母(うば)といへば!
乳母(うば)又(また)出る。
さゝ、ヂュリエットを起(おこ)して、着飾(きかざ)らせい。俺(おれ)は往(い)てパリスどのに挨拶(あいさつ)せう。……さゝ、急(いそ)げ/\。婿(むこ)どのは最早(もう)來(わ)せたわ。急(いそ)げ急(いそ)げ。
皆(みな)入る。

ヂュリエット前(まへ)の場(ば)の儘(まゝ)に寢床(ねどこ)に倒(たふ)れ臥(ふ)してゐる。床(とこ)には帳(とばり)がかけてある。乳母(うば)出る。
乳母  孃(ぢゃう)さま! これさ、孃(ぢゃう)さま! ヂュリエットさま! ぐっすりと睡入(ねい)ってぢゃな、定(ぢゃう)? はて、仔羊(こひつじ)さんえ! はて、姫(ひい)さまえ! ま、こゝなお寢坊(ねばう)さんえ! はて、可憐(いとしぼ)さん! これの、お姫(ひい)さま! 戀人(こひびと)さんえ! はてま、花嫁御(はなよめご)さんえ! えゝも、うんとも言(い)はっしゃらぬ。もう三文(もん)がた眠(ね)ようでな? なりゃ一週間(しうかん)がたも眠(ね)やっしゃれ、明日(あす)の晩(ばん)となると眠(ね)らるゝことではない、あの若(わか)がお前(まへ)を眠(ね)かさぬと根(ね)を据(す)ゑてぢゃ。……南無三寶(なむさんぼう)、ほんにまア善(よ)う眠込(ねこ)んでござることぢゃ! でも是非(ぜひ)起(おこ)さにゃならぬ。……孃(ぢゃう)さま孃(ぢゃう)さま/\! 其(その)床(とこ)の中(なか)へあの若(わか)が這入(はひ)らしゃってもよいかや? そしたら飛起(とびお)きさっしゃらうがな。何(なん)と然(さ)うであらうがな?(寢床の帳を開く)。ま、支度(したく)まで爲(し)やしゃれて! 着衣(め)したまゝで! それでまた寢(ね)たのかいな! どうしても起(おこ)さにゃなりませぬわい!(ゆすぶりながら)姫(ひい)さま! 姫(ひい)さま!……あゝ、かなしや! はれ、誰(た)れぞ來(き)て下(くだ)され、たれぞ! 姫(ひい)さまが死(し)なしゃってぢゃ! おゝ、悲(かな)しや/\、生(うま)れなんだが優(まし)であったものを! 速(はや)う火酒(しゃうちう)を持(も)って來(き)て下(くだ)され! 殿(との)さまえ、奧(おく)さま!
カピューレット夫人(ふじん)出る。
カピ妻 ま、何(なん)といふ騷(さわ)ぎぢゃ?
乳母  おゝ、かなしや/\!
カピ妻 如何(どう)したのぢゃ?
乳母  あれを、あれを! おゝ、悲(かな)しや/\!
カピ妻 (立寄りて)おゝ、おゝ! 女(むすめ)よ、我子(わがこ)よ、これ、生(い)きてたも、目(め)を開(あ)いてたも、其方(そなた)が死(し)にゃると、予(わし)も一しょに死(し)にますわいの。誰(た)れぞ來(き)て下(くだ)され! 人(ひと)を呼(よ)びゃ、人(ひと)を。
カピューレット長者(ちゃうじゃ)出る。
カピ長 どうしたものぢゃ、さ、速(はや)うヂュリエットを、殿御(とのご)が來(わ)せたに。
乳母  姫(ひい)さまは亡(な)くならしゃった、死(し)なしゃりました、亡(な)くならッしゃった。あら、かなしや/\!
カピ妻 あら、悲(かな)しや、女(むすめ)は死(し)にました、死(し)にました、死(し)にましたわいなう!
カピ長 やッ! どれ、どこに。……やれ、悲(かな)しや! こりゃ冷(つめた)いわ、血(ち)が沈(しず)んで、節々(ふし/\)が固硬(しゃちこば)って、こりゃ此(この)唇(くちびる)から息(いき)が離(はな)れてから最早(もう)久(ひさ)しい。廣(ひろ)い野邊(のべ)にも又(また)と無(な)い其(その)花(はな)に、時(とき)ならぬ霜(しも)が降(お)りたがやうに、死(し)んで行(ゆ)く女(むすめ)、ヂュリエット!
乳母  おゝ、かなしや/\!
カピ妻 おゝ、なさけなや/\!
カピ長 女(むすめ)を奪(うば)うて泣(な)かせをる死神(しにがみ)めに、此(この)舌(した)を縛(しば)られて、物(もの)を言(い)ふことが能(かな)はぬわい。
ロレンス法師(ほふし)とパリス、樂人(がくじん)らを引連(ひきつ)れて出る。
ロレ  さゝ、嫁御寮(よめごれう)の教會行(けうくわいゆき)の身支度(みじたく)は整(とゝの)ひましたかの?
カピ長 いかにも、往(ゆ)きて再(ふたゝ)び還(かへ)らぬ支度(したく)が。おゝ、婿(むこ)どの、いざ婚禮(こんれい)の前(まへ)の夜(よ)に、死神(しにがみ)めが貴下(こなた)の妻(つま)を寢取(ねと)りをった。あれ、あのやうに花(はな)の相(すがた)の色(いろ)も褪(あ)せたわ。死神(しにがみ)が吾等(われら)の婿(むこ)、死神(しにがみ)が吾等(われら)の嗣子(あとつぎ)、此上(このうへ)は吾等(われら)も死(し)んで何(なに)もかも彼奴(あいつ)に與(く)れう、命(いのち)も財産(しんだい)も何(なに)もかも死神(しにがみ)めに與(く)れませうわい。
パリス 今朝(けさ)、面(かほ)を見(み)る嬉(うれ)しさをば、久(ひさ)しう待焦(まちこが)れてをったに、此樣(このやう)な樣(さま)を見(み)ようとは!
カピ妻 憎(にく)や、かなしや、あさましや、怨(うら)めしや! 休(やす)む間(ま)もなう※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)(めぐ)り行(ゆ)く長(なが)い年月(としつき)の間(あひだ)にも、又(また)と、こんな情(なさけ)ない日(ひ)があらうかいの! 只(たゞ)一人(ひとり)の、可愛(かはゆ)い一人(ひとり)の、大事(だいじ)の/\祕藏兒(ほんそご)をば、樂(たのし)みとも慰(なぐさ)めとも思(おも)うてゐたを、取(と)ってゆかれてしまうたと思(おも)へば、もう二度(ど)とは逢(あ)はれぬ處(ところ)へ!
乳母  おゝ、悲(かな)しや! おゝ、かなしや/\/\! こんな情(なさけ)ない、こんなあさましい日(ひ)には、わしゃ曾(つひ)ぞ遭(あ)うたことがない! おゝ、こんな! こんな! こんな! こんな怨(うら)めしい! こんな忌(いま)はしい惡日(あくにち)は、わしゃ曾(つひ)ぞ/\。おゝ、悲(かな)しや/\!
パリス 欺(だま)されて、中(なか)を裂(さ)かれて、侮辱(ぶじょく)されて、賤蔑(さげす)まれて、殺(ころ)されてしまうたのぢゃ。憎(にく)い死神(しにがみ)めに欺(だま)されたのぢゃ。慘酷(むご)い/\汝(おのれ)めには滅(ほろぼ)されたのぢゃ! おゝ、戀人(こひゞと)よ! 我(わが)命(いのち)よ! いや/\、命(いのち)とは言(い)はれぬ、死(し)んでしまうてゐやる我(わが)戀人(こひびと)!
カピ長 さげすまれ、困(くるし)められ、憎(にく)まれて、何(なん)の罪(つみ)もなうて殺(ころ)されてしまうたのぢゃ! あさましい惡日(あくにち)め、何(なん)で汝(おのれ)は吾家(わがや)へは來(き)をったぞ、此(この)めでたい式(しき)を殺(ころ)さうとて、此(この)めでたい式(しき)を殺(ころ)さうとて! おゝ、女(むすめ)よ! おゝ、女(むすめ)よ! 女(むすめ)どころかい、我(わが)靈魂(たましひ)よ! 其方(そなた)は死(し)にゃった! あゝ、あゝ! 女(むすめ)は死(し)んでしまうた、女(むすめ)が死(し)ねば俺(おれ)の樂(たのし)みも最早(もう)絶(た)えたわ。
ロレ  しづまりめされ! 如何(どう)したものぢゃ! 起(おこ)ってしまうた騷(さわ)ぎは、騷(さわ)げばとて治(をさま)るものではない。そも/\此(この)娘御(むすめご)は天(てん)と貴下(こなた)の兩有(りゃうもち)ぢゃ、今(いま)や天(てん)の獨有(ひとりもち)となったは娘御(むすめご)の爲(ため)には幸福(しあはせ)。貴下(こなた)の有分(もちぶん)は死(し)が取(と)るといへば與(や)らぬわけにはゆかぬが、天(てん)の分(ぶん)は永劫(えいごふ)不滅(ふめつ)ぢゃ。娘御(むすめご)の出世(しゅっせ)を願(ねが)ひ、其(その)昇進(しょうしん)をば此世(このよ)の天國(てんごく)とも思(おも)はしゃった貴下(こなた)が、只今(たゞいま)娘御(むすめご)が雲(くも)の上(うへ)の眞(まこと)の天國(てんごく)へ昇進(しゃうしん)せられたのを、何(なん)として歎(なげ)かしゃるぞ! おゝ、安(やす)らかにならしゃれたを、其樣(そのやう)に取亂(とりみだ)して悲嘆(なげ)かしゃるは、正(たゞ)しう愛(あい)さっしゃる所以(ゆゑん)で無(な)い。婚(こん)して壽(じゅ)なるは必(かなら)ずしも良縁(りゃうゑん)ならず、婚(こん)して夭折(えうせつ)す、却(かへ)って良縁(りゃうえん)。さ、涙(なみだ)を乾(かわ)かして、迷迭香(まんねんくわう)を死骸(なきがら)に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)(はさ)ましゃれ。そして習慣通(ならはしどほ)り、最(いっ)ち佳(よ)い晴衣(はれぎ)を着(き)せて、教會(けうくわい)へ送(おく)らっしゃれ。涙(なみだ)を禁(とど)めあへぬは痴(おろか)な情(じゃう)の自然(しぜん)なれども、理性(りせい)の眼(まなこ)からは笑草(わらひぐさ)でござるぞよ。
カピ長 婚儀(こんぎ)の爲(ため)にと準備(ようい)した一切(さい)が役目(やくめ)を變(か)へて葬儀(さうぎ)の用(よう)。祝(いは)ひの樂(がく)は哀(かな)しい鐘(かね)の音(ね)、めでたい盛宴(ちさう)が法事(ほふじ)の饗應(もてなし)、樂(たの)しい頌歌(しょうか)は哀(あは)れな挽歌(ばんか)、新床(にひどこ)に撒(ま)く花(はな)は葬(はふむ)る死骸(なきがら)の用(よう)に立(た)つ。何事(なにごと)も、皆(みな)うらはら。
ロレ  先(ま)づ奧(おく)に入(い)らせられい。……内室(おくがた)も一しょに入(い)らせられい。……パリスどのにも。……何(いづ)れも亡姫(なきひめ)の隨行(とも)をして墓場(はかば)へ行(ゆ)く準備(したく)をなされ。こりゃ何(なに)か仔細(しさい)あって天(てん)のお咎(とが)め、此上(このうへ)、天意(てんい)に逆(さから)うて、ゆめ/\御赫怒(みいかり)をば招(まね)かせらるゝな。
皆々(みな/\)入る。樂人(がくじん)らと乳母(うば)と殘(のこ)る。
甲樂人 こりゃ最早(もう)樂器(がくき)をしまうて歸(かへ)ってもよいであらう。
乳母  ほんに、御苦勞(ごくらう)でござったが、ま、しまはッしゃれ/\。して見(み)ようもない「事(こと)」になったのぢゃわいの。
乳母(うば)入る。
甲樂人 成程(なるほど)、御道理(ごもっとも)でござります、したが、今(いま)に如何(どう)にかなる「琴(こと)」でござりませう。
ピーター出(で)る。
ピータ 樂人(がくじん)さん、おゝ、樂人(がくじん)さん、「心(こゝろ)の慰(なぐさ)め、心(こゝろ)の慰(なぐさ)め」。乃公(おいら)を陽氣(やうき)にさせてくれる氣(き)なら、頼(たの)む、聽(き)かせてくれ、例(れい)の「心(こゝろ)の慰(なぐさ)め」を。
甲樂人 何故(なぜ)「心(こゝろ)の慰(なぐさ)め」をでござります?
ピータ はて、樂人(がくじん)さん、何故(なぜ)と言(い)うて、今(いま)、乃公(おれ)の心(こゝろ)の中(なか)では「予(わし)の心(こゝろ)は悲哀(かなしみ)に……」が始(はじ)まってゐる最中(さいちゅう)ぢゃ。ぢゃによって、何(なに)か可笑(をか)し悲哀(なさけな)い奴(やつ)をば聽(き)かせてくりゃ、乃公(おれ)は怏々(くさ/\)してかなはぬによって。
甲樂人 いや、滅相(めっさう)な、そんな氣分(きぶん)ぢゃござりませぬ。
ピータ 否(いや)ぢゃと被言(おしゃ)るか?
甲樂人 さやう。
ピータ よいわ、今(いま)に見(み)い、身體中(からだぢゅう)に鳴響(なりひび)くやうに支拂(しはら)うてくれうぞ。
甲樂人 何(なに)を支拂(しはら)はッしゃります?
ピータ 金(かね)ぢゃ無(な)いぞ、輕蔑(べっかっこう)をぢゃ。太鼓持扱(たいこもちあつか)ひにしてくれるわ。
甲樂人 すれば、此方(こち)も卿(こなた)をば從僕扱(さんぴんあつか)ひにしてくれう。
ピータ すれば、其(その)從僕(さんぴん)さまのお帶劍(こしのもの)を汝等(ぬしら)の賤頭(どたま)へ上(の)せてくれう。(短き鈍劍を拔いて揮り※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)し)これ、大概(たいがい)で大言(ぶう/\)を止(や)めぬと、其(その)太鼓面(たいこづら)をはりまげて地(つち)ん中(なか)へめりこますぞよ、は如何(どう)だ?
甲樂人 それ、そのめったりはったりが音樂(ぶう/\)(律呂)と謂(い)ふものぢゃ。
乙樂人 もし/\、もう好(よ)い加減(かげん)に其(その)鈍劍(なまくら)を藏(しま)はっしゃれ、駄洒落(だしゃれ)も最早(もう)ぬきにさっしゃれ。
ピータ 何(なん)ぢゃ、劍(けん)を藏(しま)うて洒落(しゃれ)を拔(ぬ)け? よし! すれば、名劍(めいけん)を藏(しま)うて名洒落(めいじゃれ)で打挫(うちひし)いでくれう。さ、男(をとこ)らしう試合(しあ)うて見(み)い。
(歌ふ)鋭(するど)き悲愁(かなしみ)に心(こゝろ)傷(いた)み
  我胸(わがむね)堪難(たへがた)く沈(しづ)める時(とき)、
  其時(そのとき)音樂(おんがく)の銀(ぎん)の調(しらべ)は……
何故(なぜ)「銀(ぎん)の調(しらべ)」ぢゃ? 何故(なぜ)「音樂(おんがく)の銀(ぎん)の調(しらべ)」ぢゃ?……猫腸絃子(サイモン・キャトリング)どん、さ、何(なん)とぢゃ?
甲樂人 はて、銀(ぎん)は好(よ)い音色(ねいろ)を出(だ)すからでござります。
ピータ 中等(ちゅう)ぢゃな!……三絃胡弓子(ヒュー・レベック)どん、足下(おぬし)は?
乙樂人 銀(ぎん)の調(しらべ)と言(い)ふのは、はて、樂人(がくじん)は賃銀(ちんぎん)を儲(もう)くるからぢゃ。
ピータ これも中等(ちゅう)ぢゃ!……提琴柱子(ヂェームズ・サウンドポスト)どん、足下(おぬし)は?
丙樂人 予(わし)ゃ如何(どう)言(い)うてよいか知(し)らぬ。
ピータ ほい、眞平御免(まっぴらごめん)なれぢゃ。足下(おぬし)は唄方(うたかた)であったものを。乃公(おれ)が代(かは)って言(い)はう。そも/\「音樂(おんがく)の銀(ぎん)の調(しらべ)」と謂(い)っぱ、はて、とかく樂人(がくじん)は金貨には能(よ)うありつかぬからぢゃ。
(歌ふ)其時(そのとき)音樂(おんがく)の銀(ぎん)の調(しらべ)は
  たちまち欝結(むすぼ)れし憂思(おもひ)を解(と)く。
ピーター歌(うた)ひながら入る。
甲樂人 何(なん)といふ煩(うるさ)い奴(やつ)ぢゃ彼奴(あいつ)は!
乙樂人 はッつけ野郎(やらう)め!……さ、奧(おく)へ往(い)て、會葬者(くわいさうじゃ)の來(く)るまで待(ま)ってゐて食事(もてなし)にありつかう。
皆(みな)入る。
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ロミオ出る。
ロミオ 頼(たの)もしらしい夢(ゆめ)の告(つげ)が實(まこと)ならば、やがて喜(よろこ)ばしい消息(たより)があらう。わが胸(むね)の主(ぬし)(戀の神)もいと安靜(やすら)かに鎭座(ちんざ)めされた、されば例(いつ)になく嬉(うれ)しうて/\、日(ひ)がな一日(ひとひ)心(こゝろ)が浮(う)かるゝ。俺(おれ)が死(し)んでゐると、姫(ひめ)が來(き)て、俺(おれ)の脣(くちびる)に接吻(せっぷん)して命(いのち)の息(いき)を吹込(ふきこ)んでくれたと見(み)た……死(し)んだ者(もの)が思案(しあん)するとは不思議(ふしぎ)な夢(ゆめ)!……すると、即(やが)て蘇生(いきかへ)って帝王(ていわう)となった夢(ゆめ)。あゝ/\! 戀(こひ)の影坊師(かげばうし)でさへ此位(このくらゐ)嬉(うれ)しいとすると、遂(と)げられた眞(まこと)の戀(こひ)は、まア、どんなに樂(たの)しからうぞ?
ロミオの下人(げにん)バルターザー長靴(ながぐつ)の旅裝(りょさう)にて出る。
や、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナからの音信(たより)ぢゃ! どうぢゃ、バルターザー! 御坊(ごばう)からの消息(たより)は無(な)かったか? 姫(ひめ)は如何(どう)ぢゃ、父上(ちゝうへ)は御無事(ごぶじ)か? ヂュリエットは何(なに)としておゐやる? 先(ま)づ、それを聞(き)かう、姫(ひめ)さへ安穩(あんのん)なら何事(なにごと)も大事(だいじ)ないわい。
バル  すれば、何事(なにごと)も大事(だいじ)ござりませぬ、姫(ひい)さまは御安穩(ごあんのん)にカピューレット家(け)代々(だい/\)のお墓所(はかどころ)にお休(やす)み、朽(く)ちぬ靈魂(みたま)は天使(てんし)がたと御(ご)一しょにござります。手前(てまへ)は姫(ひい)さまが御親類(ごしんるゐ)がたのお廟所(たまや)へ入(い)らせらるゝを見(み)るや否(いな)や、驛馬(はやうま)に飛乘(とびの)ってお知(し)らせに參(まゐ)りました。此樣(このやう)な惡(あ)しいお使(つかひ)も命置(おほせお)かせられた役目(やくめ)ゆゑでござります、御免(ごめん)なされませい。
ロミオ そりゃ實(まこと)か?……おのれ、怨(うら)めしい運星(うんせい)めら!……俺(おれ)の宿(やど)を知(し)ってゐような。筆(ふで)と紙(かみ)とを手(て)に入(い)れて、そして驛馬(はやうま)をも傭(やと)うてくれ。今宵(こよひ)のうちに出發(た)たうわ。
バル  まゝ、お耐(こら)へなされませい、甚(いか)うお色(いろ)も蒼(あを)ざめて、物狂(ものぐる)ほしげな御樣子(ごやうす)、ひょんな事(こと)でも遊(あそ)ばしさうな。
ロミオ 馬鹿(ばか)な、何(なん)の、そんな事(こと)を! 俺(おれ)には介意(かま)はいで吩咐(いひつ)くることをせい。御坊(ごばう)からの書状(しょじゃう)は無(な)かったか?
バル  いえ、ござりませぬ。
ロミオ よし/\。早(はや)う往(い)て、馬(うま)どもを傭(やと)うてくれ、やがて會(あ)はう。
バルターザー入る。ロミオ獨(ひとり)殘(のこ)る。
はて、ヂュリエット、今宵(こよひ)は一しょに臥(ね)ようぞ。……そこで、其(その)方法(てだて)ぢゃが……おゝ、害心(がいしん)よ、ても速(はや)う入(はひ)って來(き)をるなア、絶望(ぜつばう)した者(もの)の胸(むね)へは!……思(おも)ひ出(だ)すは彼(あの)藥種屋(やくしゅや)……たしか此邊(このあたり)に住(す)んでゐる筈(はず)……いつぞや見(み)た折(をり)は、身(み)に襤褸(つゞれ)を着(ゆ)て、藥草類(やくさうるゐ)を撰(え)ってをったが、顏(かほ)は痩枯(やせが)れ、眉毛(まゆげ)は蔽(おほ)い被(かぶさ)り、鋭(するど)い貧(ひん)に躯(み)を削(けづ)られて、殘(のこ)ったは骨(ほね)と皮(かは)。貧(まづ)しい店前(みせさき)には※(おほがめ)[#「(口+口)/田/一/黽」、202-2]の甲(かふ)、鰐(わに)の剥製(はくせい)、不恰好(ぶかっかう)な魚(うを)の皮(かは)を吊(つる)して、周圍(まはり)の棚(たな)には空箱(からばこ)、緑色(りょくしょく)の土(つち)の壺(つぼ)、及(およ)び膀胱(ばうくわう)、黴(か)びた種子(たね)、使(つか)ひ殘(のこ)りの結繩(ゆはへなは)、乾枯(ひから)びた薔薇(ばら)などを口實(いひわけ)ほどに取散(とりち)らして貧羸(みすぼ)らしう飾(かざ)った店附(みせつき)。其(その)貧(まづ)しさを見(み)るまゝに、思(おも)はず獨語(ひとりご)って、此(この)マンチュアで毒(どく)を賣(う)れば、直(すぐ)にも命(いのち)を取(と)らるれども、若(も)しも毒(どく)が欲(ほ)しければ賣(う)りさうなのは此奴(こいつ)め、と思(おも)うたが、今日(けふ)ある知(し)らせであったまで。むゝ、あの貧人(ひんじん)から是非(ぜひ)毒(どく)を買(もと)めうわい。……何(なん)でも此(こ)の邊(へん)であった。祭日(さいじつ)ゆゑ貧乏店(びんばふみせ)が閉(しま)ってある。……いや、なう/\! 藥種屋(やくしゅや)はおりゃるか?
藥種屋(やくしゅや)出る。
藥種屋 かしましう呼(よ)ばッしゃるは誰(たれ)ぢゃ?
ロミオ ま、こゝへ來(き)やれ。かう見(み)たところ不如意(ふにょい)さうな。こりゃ此處(こゝ)に四十兩(りゃう)ある、予(わし)に毒藥(どくやく)を一匁(もんめ)ほど賣(う)ってくりゃれ、直(すぐ)に血管(けっくわん)に行渡(ゆきわた)って世(よ)に※(「厭/(餮−殄)」、第4水準2-92-73)果(あきは)てた飮主(のみぬし)を立地(たちどころ)に死(し)なすやうな、又(また)、射出(うちだ)された焔硝(えんせう)が怖(おそろ)しい大砲(たいはう)の胴中(どうなか)から激(はげ)しう急(きふ)に走(はし)り出(で)るやうに、息(いき)をば此(この)體内(みうち)から逐出(おひだ)してくれる毒(どく)が欲(ほ)しい。
藥種屋 されば、其樣(そのやう)な大毒藥(だいどくやく)をば貯(たくは)へてはをりまするが、マンチュアの御法度(ごはっと)では、賣(う)ったりゃ、命(いのち)がござりませぬ。
ロミオ 其樣(そのやう)に貧(まづ)しうあさましう暮(くら)してゐても、汝(おぬし)は死(し)ぬるのが怖(おそろ)しいか? 飢(うゑ)は頬(ほゝ)に、逼迫(ひっぱく)は眼(め)に、侮辱(ぶじょく)貧窮(ひんきう)は背(せ)に懸(かゝ)ってある。無情(つれな)い此(この)浮世(うきよ)に法度(はっと)はあっても、つゆ汝(おぬし)の爲(ため)にはならぬ。ならば、貧(ひん)を守(まも)るにも及(およ)ばぬ。法度(はっと)を犯(をか)して之(これ)を取(と)りゃれ。
藥種屋 意(こゝろ)は好(すゝ)みませねど、貧苦(ひんく)めがお言葉(ことば)に從(したが)ひまする。
ロミオ 此方(こち)も其(その)貧苦(ひんく)にこそ拂(はら)へ、意(こゝろ)には拂(はら)はぬわい。
藥種屋 (藥瓶を渡しながら)これをばお好(この)みの飮料(いんれう)に入(い)れて飮(の)ませられい。たとひ二十人力(にんりき)おじゃらしませうとも、立地(たちどころ)に片附(かたづ)かッしゃりませう。
ロミオ 此(この)黄金(こがね)を遣(つかは)すぞ、これこそは人(ひと)の心(こゝろ)の大毒藥(だいどくやく)ぢゃ、汝(おぬし)が賣(う)りかぬる此(この)些末(さまつ)なる藥種(やくしゅ)よりも此(この)濁世(ぢょくせ)では遙(はるか)に怖(おそろ)しい人殺(ひとごろ)しをするもの。汝(おぬし)では無(な)うて予(わし)こそは毒(どく)を賣(う)るのぢゃ。さらば。食物(たべもの)を買(もと)めて些(ち)と肉(にく)を附(つ)けたがよい。……(行きかけて藥瓶を見て)毒(どく)ではない興奮劑(きつけぐすり)よ、さア一しょに、ヂュリエットの墓(はか)へ來(こ)い、あそこで汝(そち)を使(つか)はにゃならぬ。
二人(ふたり)ともに入る。

フランシス派(は)の僧(そう)ヂョン出る。
ヂョン フランシス宗(しゅう)の御僧(おんそう)はゐさしますか! なう/\、御坊(ごばう)!
ロレンス法師(ほふし)出る。
ロレ  あれはヂョン坊(ばう)の聲(こゑ)ぢゃ。……さてようこそお戻(もど)りゃったマンチュアから。してロミオは何(なん)と被言(おしゃ)った? 若(も)し筆(ふで)に物(もの)せられたならば、其(その)書面(しょめん)を見(み)せやれ、
ヂョン いやの、同伴者(どうばんしゃ)に連立(つれだ)たうとて、同門跣足(どうもんせんそく)の或(ある)御坊(ごばう)を尋(たづ)ねて、町(まち)で或(ある)病家(びゃうか)をお見舞(みま)やってゐるのに逢(あ)うたところ、町(まち)の檢疫(けんえき)の役人衆(やくにんしゅう)に兩人(ふたり)ながら時疫(じえき)の家(うち)にゐたものぢゃと疑(うたが)はれて、戸外(そと)へ出(づ)ることを禁(とゞ)められた、それゆゑマンチュアの急用(きふよう)も其場(そのば)で止(と)められてしまうたわいの。
ロレ  すれば誰(たれ)が持(も)って往(い)んだぞ、ロミオへの予(わし)の書状(しょじゃう)は?
ヂョン はて、屆(とゞ)けることを能(よ)うせなんだのぢゃ。……これ、此通(このとほ)り持(も)って戻(もど)った。……此庵(こち)へ屆(とゞ)けうと思(おも)うてもな、皆(みな)が傳染(でんせん)を怖(こは)がりをるによって、使(つかひ)の男(をとこ)さへも雇(やと)へなんだわいの。
ロレ  はれ、それは物怪(もっけ)の不運(ふうん)の! 眞實(しんじつ)、重大(ぢゅうだい)な容易(ようゐ)ならぬ用向(ようむき)の其(その)書面(しょめん)、それが等閑(なほざり)になった上(うへ)は、どのやうな一大事(だいじ)が出來(でけ)うも知(し)れぬ。御坊(ごばう)よ、早(はや)う往(い)て、何處(どこ)ぞで、鐵梃(かなてこ)を才覺(さいかく)して、急(いそ)いで此處(こゝ)へ持(も)って來(き)て下(くだ)され。
ヂョン うゝ、すれば、往(い)て持來(もてこ)う。
ヂョン坊(ばう)入る。
ロレ  此上(このうへ)は、そっと墓所(はかしょ)まで往(ゆ)かねばならぬ。此(この)三時(みとき)が間(あひだ)に、ヂュリエットは目(め)を覺(さま)さう。始終(しじゅう)をロミオに知(し)らせなんだとお知(し)りゃったら嘸(さぞ)予(わし)を怨(うら)むであらう。したが、マンチュアへは改(あらた)めて書送(かきおく)り、ロミオがお來(き)やるまでは、姫(ひめ)を庵室(あんじつ)にかくまっておかう。不便(ふびん)や、生(い)きた骸(むくろ)となって、死人(しにん)の墓(はか)の中(なか)に埋(うも)れてゐやる!
ロレンス入る。

パリス先(さき)に、侍童(こわらは)從(つ)いて、草花(くさばな)と炬火(たいまつ)とを携(たづさ)へて出(い)で來(きた)る。
パリス 侍童(わらは)よ、其(その)炬火(たいまつ)をおこせ。彼方(あち)へ往(い)て、つッと離(はな)れてゐい。……いや、それを消(け)せ、人目(ひとめ)に掛(かゝ)りたうない。あの水松(いちゐ)の下(した)で、長々(なが/\)と横(よこ)になって、此(この)洞(ほら)めいた地(ち)の上(うへ)に直(ひた)と耳(みゝ)を附(つ)けてゐい、穴(あな)を掘(ほ)るので、土(つち)が緩(ゆる)んで、和(やはら)いでゐるによって、踏(ふ)めば直(すぐ)に足音(あしあと)が聞(きこ)えう。したら、人(ひと)が來(き)たといふ知(し)らせに、口笛(くちぶえ)を吹(ふ)かうぞ。その花(はな)もおこせ。吩附(いひつ)けたやうにせい、さ。
侍童  (傍を向きて)こんな墓原(はかはら)に一人(ひとり)立(た)ってゐるのは怖(こは)らしい、が、ま、やって見(み)よう。
侍童(こわらは)物※(「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)(ものかげ)へ退(さが)る。
パリス (廟の前へ進みて)なつかしい花(はな)の我妹子(わぎもこ)、花(はな)を此(この)新床(にひどこ)の上(うへ)に撒(ま)いて……あゝ、天蓋(てんがい)は石(いし)や土塊(つちくれ)……其(その)撒(ま)いた草花(くさはな)に夜毎(よごと)に香(かほ)る水(みづ)を注(そゝ)がう。若(も)しそれが盡(つ)きたなら、歎(なげ)きに搾(しぼ)る予(わし)が涙(なみだ)を。和女(そもじ)への夜毎(よごと)の手向(たむけ)は、かうして花(はな)を撒(ま)いて泣(な)くことぢゃわい。
此時(このとき)、侍童(こわらは)あなたにて口笛(くちぶえ)を吹(ふ)く。
むゝ、侍童(こわらは)めが何(なに)か來(き)たと知(し)らせをる。いま/\しい、何者(なにもの)であらう、今頃(いまごろ)此邊(このあたり)へ彷徨(さまよ)うて、俺(おれ)が眞情(まごゝろ)の囘向(ゑかう)をば妨(さまた)げをる。や、炬火(たいまつ)を持(も)って來(く)るわ!……夜(よる)よ、ちっとの間(ま)、俺(おれ)を包(つゝ)んでくれい。
パリス退(さが)る。
ロミオ先(さき)に、バルターザー炬火(たいまつ)、鶴嘴等(つるはしとう)を携(たづさ)へて出る。
ロミオ 其(その)鶴嘴(つるはし)と鐵梃(かなてこ)を此方(こち)へ。こりゃ、此(この)書状(しょじゃう)をば、明日(あす)早(はや)う父上(ちゝうへ)へ屆(とゞ)けてくれ。其(その)炬火(たいまつ)をこちへ。さて、確(しか)と申附(まうしつ)くる、如何(いか)な事(こと)を見聞(みきゝ)せうとも、悉(こと/″\)く立離(たちはな)れ、予(わし)が仕事(しごと)の妨碍(さまたげ)をばすまいぞよ。予(わし)が廟(たまや)へ降(お)りるは、姫(ひめ)の面(かほ)を見(み)ようがためでもあるが、それよりも姫(ひめ)が身(み)に着(つ)けた貴(たふと)い指輪(ゆびわ)を或(ある)大切(たいせつ)な用(よう)に使(つか)はうため取外(とりはづ)して來(く)るのが主(おも)な目的(もくてき)ぢゃによって、早(はや)う往(い)ね。若(も)し疑(うたが)うて立戻(たちもど)り、予(わし)が所行(しょぎゃう)を窺(うかゝ)ひなど致(いた)さうなら、天(てん)も照覽(せうらん)あれ、汝(おのれ)が四肢(し)五體(たい)を寸々(すん/″\)に切裂(きりさ)き、飽(あ)くことを知(し)らぬ此(この)墓(はか)を肥(こや)すべく撒(ま)き散(ち)らさうぞよ。時刻(じこく)が時刻(じこく)ゆゑ、俺(おれ)の心(こゝろ)は殘忍(ざんにん)、兇暴(きょうばう)、餓(う)ゑたる虎(とら)、鳴渡(なりわた)る荒海(あらうみ)よりも猛(たけ)しいぞよ。
バルタ はい/\、立去(たちさ)りまする、お妨碍(さまたげ)は仕(つかまつ)りませぬ。
ロミオ それでこそ予(わし)への忠節(ちゅうせつ)。これを取(と)れ。(と金子を與へ)末長(すゑなが)うめでたう暮(くら)せ。さらばぢゃ。
バルタ (傍を向きて)あゝは言(い)はせられるが、ま、此邊(このあたり)にかくれてゐよう。お顏(かほ)の色(いろ)も心懸(こゝろがゝ)り、お心(こゝろ)の中(うち)も疑(うたが)はしい。
物※(「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)(ものかげ)へ退(さが)る。
ロミオ (廟の前に進みて)汝(おのれ)、死(し)の母胎(ぼたい)め、世(よ)に又(また)とない珍羞(ちんしゅう)を貪(むさぼ)り食(く)ひをった憎(にッく)い胃(ゐ)の腑(ふ)め、汝(おのれ)の腐(くさ)った顎(あぎと)をば、まッ此(こ)のやうに押開(おしひら)いて、(と廟の扉を抉(こ)ぢあけながら)汝(おのれ)への面當(つらあて)に、無理(むり)に食餌(ゑぢき)を填充(つめこ)まう。
廟扉(べうひ)を開(ひら)く。
パリス ありゃ追放(つゐはう)された高慢(かうまん)なモンタギューめぢゃ。彼奴(あいつ)が從兄(いとこ)を殺(ころ)したゆゑ、美(うつく)しい戀人(こひゞと)が、愁歎(しうたん)の餘(あま)りにお死(し)にゃったといふこと。こゝへ來(き)をったは、死骸(しがい)に侮辱(はづかしめ)を加(くは)へよう爲(ため)でがな。捉(とら)へてくれう。……やい、モンタギューめ、破廉恥(はれんち)な所行(しょぎゃう)を止(や)めい。怨(うらみ)を死骸(むくろ)にまで及(およ)ぼさうとは、墮地獄(だぢごく)の人非人(にんぴにん)め、引立(ひきた)つる、尋常(じんじゃう)に從(つ)いて來(こ)い。生(い)けてはおかぬぞ。
ロミオ いかにも、生(い)きてをられぬ身(み)ぢゃ。なればこそ此墓(こゝ)へは來(き)た。いやなう、若(わか)、命知(いのちし)らずの者(もの)に手出(てだ)しをなさるな。早(はや)うお迯(に)げなされ。此(この)亡者達(もうじゃたち)の事(こと)を思(おも)うて怖(おそ)れたがよい。予(わし)を腹立(はらだ)たせて、又(また)の罪惡(ざいあく)を犯(をか)させて下(くだ)さるな。おゝ、速(はや)う去(い)なしゃれ。眞實(しんじつ)、予(わし)は自分(じぶん)よりも足下(おぬし)を可愛(いと)しう思(おも)うてゐる、予(わし)は自殺(じさつ)をしようと覺悟(かくご)して此處(こゝ)へ來(き)た者(もの)であるに依(よ)って。さゝ、速(はや)う去(い)なしゃれ。生存(いきながら)へて、後日(ごじつ)、自分(じぶん)は、狂人(きちがひ)の仁情(なさけ)で、危(あやふ)い所(ところ)を助(たす)かったとお言(い)ひなされ。
パリス どう頼(たの)まうとも聽(き)かぬわい。重罪人(ぢゅうざいにん)として引立(ひきた)つるは。
ロミオ では俺(おれ)を怒(いか)らす氣(き)か? ならば、覺悟(かくご)せい!
二人(ふたり)劍(けん)を拔(ぬ)いて戰(たゝか)ふ。
侍童  大變(たいへん)ぢゃ、戰(たゝか)うてぢゃ! 速(はや)う夜番(よばん)の衆(しゅう)を呼(よ)んで來(こ)よう。
侍童(こわらは)入る。此中(このうち)にパリス手(て)を負(お)うて倒(たふ)るゝ。
パリス おゝ、しまうた!……仁情(なさけ)があるなら廟(べう)を開(ひら)いてヂュリエットと一しょに埋(うづ)めてくれい。
パリス息絶(いきた)ゆる。
ロミオ おゝ、承引(しょういん)したぞ。……面(おもて)を檢(しら)べて見(み)よう。……マーキューシオーの親戚(しんせき)のパリス殿(どの)ぢゃ! 馬(うま)に騎(の)って來(く)る途中(とちゅう)、家來(けらい)めが何(なん)とか言(い)うた、心(こゝろ)が亂(みだ)れてゐて善(よ)う聽(き)いてはゐなんだが? ヂュリエットと此(この)パリスとが婚禮(こんれい)をする筈(はず)であったとか言(い)うた。いや、さうは言(い)はなんだか? 夢(ゆめ)か? 今(いま)がたパリスが、ヂュリエットの事(こと)を言(い)うたゆゑ、それで此樣(こん)なことを思(おも)ふのか? 此(この)心(こゝろ)が狂(くる)うたか?……おゝお手(て)をおこしゃれ、薄運(はくうん)の名簿(めいぼ)の裡(うち)に、俺(おれ)と並(なら)べ書(がき)にせられた足下(おぬし)ぢゃ! 予(わし)が今(いま)埋(う)めて進(しん)ぜよう名譽(めいよ)の墓(はか)に。墓(はか)か? いや/\、こりゃ墓(はか)ではない、明(あか)り窓(まど)ぢゃ、なア、足下(きみ)。はて、ヂュリエットが居(ゐ)るゆゑに、其(その)艶麗(あてやか)さで、此(この)窖(あなむろ)が光(ひか)り輝(かゞや)く宴席(えんせき)とも見(み)ゆるわい。……死人(しにん)どのよ、死人(しにん)の手(て)で埋(う)められて、其處(そこ)で臥(ね)やれ。
パリスの死骸(しがい)を廟(べう)の中(なか)に横(よこ)たへる。
人(ひと)は動(やゝ)もすれば、其(その)最期(いまは)に心(こゝろ)が浮(う)かるゝ! それを看護人(かんごにん)が死(し)ぬる前(まへ)の電光(いなづま)と命(よ)んでゐる。おゝ、これが電光(いなづま)と言(い)はれようか?……おゝ、戀人(こひびと)よ! 我妻(わがつま)よ! 卿(そなた)の息(いき)の蜜(みつ)を吸(す)ひ盡(つく)した死神(しにがみ)も、卿(そなた)の艶麗(あてやか)さには能(え)い勝(か)たいでか、其(その)蒼白(あをじろ)い旗影(はたかげ)はなうて美(び)の旗章(はたじるし)の鮮(あざや)な此(この)唇(くちびる)、此(この)兩頬(りゃうほゝ)。……おゝ、チッバルト、足下(おぬし)も其處(そこ)にゐるか、血(ち)に染(そ)みたまゝで? まだ嫩若(うらわか)い足下(おぬし)を眞二(まッぷた)つにした其(その)同(おな)じ手(て)で、當(たう)の敵(かたき)を切殺(きりころ)して進(しん)ぜるが、せめてもの追善(つゐぜん)ぢゃ。從兄(いとこ)どの、赦(ゆる)してくれい。……あゝ、戀(こひ)しい、懷(なつか)しい、ヂュリエット、何(なん)として今尚(いまな)ほ斯(か)うも艶麗(あてやか)ぢゃ? 若(も)しや形(かたち)のない死神(しにがみ)が卿(そなた)の色香(いろか)に迷(まよ)うて、あの骨(ほね)ばかりの怪物(くわいぶつ)めが、己(おの)が嬖妾(おもひもの)にしようために、此(この)黒闇(くらやみ)に蓄(かこ)うておくのではないか知(し)らぬ。それが氣懸(きがゝ)りゆゑ、俺(おれ)ゃもう決(けっ)して此(この)暗(やみ)の館(やかた)を離(はな)れぬ。卿(そなた)の侍女(こしもと)の蛆共(うじども)と一しょに俺(おれ)ゃ永久(いつまで)も此處(こゝ)にゐよう。おゝ、今(いま)こゝで永劫安處(えいがふあんじょ)の法(はふ)を定(さだ)め、憂世(うきよ)に※(「厭/(餮−殄)」、第4水準2-92-73)(あ)き果(は)てた此(この)肉體(からだ)から薄運(ふしあはせ)の軛(くびき)を振落(ふりおと)さう。……眼(め)よ、見(み)よ、これが最後(なごり)ぢゃぞ! 腕(かひな)よ、抱(だ)け、これが最後(なごり)ぢゃ! おゝ、息(いき)の戸(と)の脣(くちびる)よ、人(ひと)の命(いのち)を長永(とこしなへ)に買占(かひし)むる死(し)の證文(しょうもん)に天下(てんが)晴(は)れた接吻(せっぷん)の奧印(おくいん)せよ!……(毒藥の瓶を取り出し)さ、來(こ)い、苦(にが)い、飮(の)みぐるしい案内者(あんないじゃ)よ! やい、命知(いのちし)らずの舵手(かんどり)よ、苦(くる)しい海(うみ)に病(や)み疲(つか)れた此(この)小船(こぶね)を、速(はや)う巖礁角(いはかど)へ乘上(のりあ)げてくれ!……さ、戀人(こひゞと)に!(と飮む)。おゝ、眞實(しんじつ)な彼(あの)藥種屋(やくしゅや)、效力(きゝめ)は忽(たちま)ち……かう接吻(せっぷん)して俺(おれ)ゃ死(し)ぬるわ。
ヂュリエットへ臥(ふ)し重(かさ)なるやうにして息絶(いきたゆ)る。
此時(このとき)、一方(ぱう)へロレンス法師(ほふし)が提燈(ちゃうちん)、鶴嘴(つるはし)、鋤等(すきとう)を携(たづさ)へて出(い)で來(きた)る。
ロレ  南無(なむ)やフランシス上人(しゃうにん)、護(まも)らせられい! はれ、けったいな、今宵(こよひ)此(この)老脚(らうきゃく)が幾(いく)たび墓穴(はかあな)に蹉躓(けつまづ)いたことやら!……誰(た)れぢゃ、そこにゐるのは?
バルタ 怪(け)しうは無(な)い者(もの)、貴僧(こなた)を善(よ)う存(ぞん)じてをる者(もの)でござる。
ロレ  ほい、其許(そのもと)か! さらば問(と)はうが、あしこのあの炬火(たいまつ)は、ありゃ何(なん)でおじゃる、蛆蟲(うじむし)や目(め)も無(な)い髑髏(どくろ)を空(むな)しう照(てら)すあの光(ひかり)は? かう見(み)たところ、カペル家(け)の廟舍(たまや)の前(まへ)ぢゃが。
バルタ 其通(そのとほ)りにござります。あそこに主人(しゅじん)が居(を)られまする、御坊(ごばう)の可憐(いと)しう思(おも)はせらるゝ。
ロレ  とは誰(た)れぢゃ?
バルタ ロミオさまでござります。
ロレ  え、こゝへ參(まゐ)られて久(ひさ)しいか?
バルタ 半時餘(はんときあま)りになりまする。
ロレ  なりゃ墓穴(はかあな)まで一しょにおじゃれ。
バルタ いや、僕(ぼく)は能(え)い行(ゆ)きませぬ。主人(しゅじん)は僕(わたくし)をば既(はや)往(い)んだとのみ思(おも)うてをられます。若(も)しも此處(こゝ)に止(とゞ)まって樣子(やうす)など窺(うかゞ)はうならば、斬殺(きりころ)してのけうと、怖(おそろ)しい見脈(けんみゃく)で嚇(おど)されました。
ロレ  ならば、此處(こゝ)にござれ。予(わし)が獨(ひとり)で往(ゆ)かう。はて、氣懸(きがゝり)になって來(き)たわ。おゝ、こりゃ何(なに)か不祥(ふしゃう)な事(こと)が出來(しゅつらい)したのでは無(な)いか知(し)らぬまでい。
バルタ 最前(さいぜん)、此(この)水松(いちゐ)の蔭(かげ)で居眠(ゐねむ)ってゐますうちに、夢(ゆめ)うつゝに、主人(しゅじん)とさる人(ひと)とが戰(たゝか)うて、主人(しゅじん)が其人(そのひと)をば殺(ころ)したと見(み)ました。
ロレンスは廟(べう)の方(はう)へ進(すゝ)む。
ロレ  ローミオー! あら、あら、何事(なにごと)ぢゃ此(この)血汐(ちしほ)は、これ、此(この)廟舍(たまや)の入口(いりくち)の石(いし)を染(そ)めた此(この)血汐(ちしほ)は? 主(ぬし)もない此(この)劍(つるぎ)は? 此樣(このやう)な平和(へいわ)の場所(ばしょ)に血(ち)まぶれにして棄(す)てゝあるは、こりゃ何(なん)としたことであらう?
と廟(べう)の中(なか)へ進(すゝ)み入(い)る。
や、ローミオー! おゝ、色(いろ)は蒼白(まッさを)!……外(ほか)にも誰(たれ)やら? や、パリスどのまで? 剩(あまつ)さへ血汐(ちしほ)に浸(ひた)って?……あゝ/\、何(なん)といふ無慚(むざん)な時刻(じこく)ぢゃ、如是(こんな)あさましい事(こと)をば一時(とき)に爲出來(しでか)すとは!……や、姫(ひめ)が身動(みうごき)爲(し)やる。
此時(このとき)ヂュリエット目(め)を開(ひら)く。
ヂュリ おゝ、嬉(うれ)しや御坊樣(ごばうさま)か! 殿御(とのご)は何處(どこ)にぢゃ? 行(ゆ)き處(どこ)は記(おぼ)えてゐる、おゝ、さうぢゃ、そこへ予(わし)は來(き)てゐるのぢゃ?
ロミオは何處(どこ)にぢゃ?
奧(おく)にて多勢(おほぜい)の人聲(ひとごゑ)する。
ロレ  人聲(ひとごゑ)がする。……こりゃ姫(ひめ)よ、ま、早(はや)う出(で)てござれ、そこは死(し)や疫癘(えきれい)や無理(むり)な睡眠(すゐみん)の宿(やど)ぢゃほどに。人間以上(にんげんいじゃう)の力(ちから)の爲(ため)に折角(せっかく)の計畫(はかりごと)が皆(みな)敗(やぶ)れた、さ、早(はや)うござれ。和女(そもじ)の殿御(とのご)は、それ、其處(そこ)に胸元(むなもと)にお死(し)にゃってぢゃ。パリスどのもぢゃ。さゝ、尼御達(あまごたち)の仲間中(うち)へ、頼(たの)うで和女(そもじ)を入(い)れておかう。あれ、夜番(よばん)が來(く)るわ、委細(ゐさい)の事(こと)は後(あと)で/\。さゝ、ヂュリエット、ござれ/\。予(わし)ゃもう此處(こゝ)には能(よ)うをらぬわ。
ロレンス狼狽(うろた)へて入る。
ヂュリ さ、速(はや)う去(いな)しゃれ、予(わし)は去(いな)ぬほどに。……こりゃ何(なん)ぢゃ? 戀人(こひゞと)が手(て)に握(にぎ)りゃったは盃(さかづき)か? さては毒(どく)を飮(の)んで非業(ひごふ)の最期(さいご)をお爲(し)やったのぢゃな。……まア、あたじけない! 皆(みん)な飮(の)んでしまうて、隨(つ)いて行(ゆ)かう予(わたし)の爲(ため)に只(たゞ)一滴(てき)をも殘(のこ)しておいてはくれぬ。……お前(まへ)の脣(くちびる)を吸(す)はうぞ。毒(どく)がまだ殘(のこ)って居(ゐ)たら、それこそは假(かり)の命(いのち)から實(まこと)の命(いのち)へ囘(かへ)らする大妙藥(だいめうやく)!……まだ温(ぬく)い、お前(まへ)の脣(くちびる)!
とロミオの死骸(しがい)に接吻(せっぷん)する。
此時(このとき)奧(おく)にて又(また)多勢(おほぜい)の人聲(ひとごゑ)する。
番甲  (奧にて)案内(あんない)せい。どちらぢゃ。
ヂュリ や、人聲(ひとごゑ)? なりゃ、片時(へんし)も早(はや)う。……おゝ、嬉(うれ)しや、短劍(たんけん)!(ロミオが佩びたる短劍を取りて)さ、鞘(さや)はこゝに。(と胸を貫き)そこに居附(ゐつ)いて、予(わし)を死(し)なせてくれ。
と息(いき)絶(た)ゆる。
夜番(よばん)の者(もの)甲(かふ)、乙(おつ)、丙(へい)、其他(そのた)多勢(おほぜい)パリスの侍童(こわらは)を案内者(あんないじゃ)にして出る。
侍童  こゝぢゃ。あの炬火(たいまつ)が燃(も)えてをる處(ところ)がそれぢゃ。
番甲  此邊(このあたり)は血(ち)だらけぢゃ。墓場(はかば)の界隈(かいわい)を探(さが)さっしゃい。さゝ、見(み)つけ次第(しだい)に、かまうたことは無(な)い、引立(ひきた)てめさ。
二三人(にん)入る。
はれ、無慚(むざん)な! こゝに若殿(わかとの)が殺(ころ)されてござる、のみならず、既(も)う二日(ふつか)も葬(はふむ)られてござったヂュリエットどのが、つい今(いま)がた死(し)なっしゃれたやうに血(ち)を流(なが)して、温(ぬく)いまゝで。……誰(た)れぞ早(はや)う御領主樣(ごりゃうしゅさま)へ。カピューレットどのゝ邸(やしき)へも走(はし)った。モンタギューどのを起(おこ)して來(こ)い。他(あと)の者(もの)は、探(さが)せ/\。
夜番頭(よばんかしら)の甲(かふ)のみ殘(のこ)りて皆々(みな/\)入る。
不運(ふうん)な人達(ひとたち)が臥(ね)ておりゃる地盤(グラウンド)だけは善(よ)う見(み)えるが、此(この)不運(ふうん)の眞(ほん)の原因(グラウンド)は、よう査(しら)べて見(み)ぬうちは分(わか)らぬわい。
夜番(よばん)の乙(おつ)、外(ほか)一二人(にん)バルターザーを引立(ひきた)てゝ出る。
番乙  これはロミオどのゝ家來(めしつかひ)でおりゃる。墓場(はかば)で見付(みつ)けました。
番甲  殿(との)さまの渡(わた)らせらるゝまで、逃(にが)さぬやうに護(まも)ってござれ。
他(た)の夜番(よばん)の者(もの)丙(へい)、ロレンス法師(ほふし)を引立(ひきた)てゝ出る。
番丙  これなる老僧(らうそう)は、顫(ふる)へながら溜息(といき)を吐(つ)き、涙(なみだ)を流(なが)してをりまする。只今(たゞいま)墓場(はかば)から參(まゐ)るところを取押(とりをさ)へて、これなる鋤(すき)と鶴嘴(つるはし)とを取上(とりあ)げました。
番甲  甚(いか)う胡散(うさん)な。その僧(ぼうず)をも留(と)めておかっしゃい。
領主(りゃうしゅ)、多勢(おほぜい)の從者(じゅうしゃ)を引連(ひきつ)れて出る。
領主  朝(あさ)まだきに如何(いか)なる珍事(ちんじ)が出來(しゅったい)したのぢゃ、予(よ)が夢(ゆめ)を驚(おどろ)かして呼出(よびい)だすは?
カピューレット長者夫婦(ちゃうじゃふうふ)、其他(そのた)出る。
カピ長 何(なん)とした事(こと)ぢゃ、街上(そと)にて人々(ひと/\)の叫(わめ)き立(た)つるは?
カピ妻 往來(わうらい)の人々(ひと/″\)は、或(ある)ひはロミオと呼(よ)び、或(ある)ひはヂュリエット、或(ある)ひはパリスと呼(よ)びかはして、聲々(こゑ/″\)に叫(わめ)き立(た)て、吾屋(わがや)の廟屋(たまや)へと急(いそ)ぎまする。
領主  吾等(われら)の耳(みゝ)を驚(おどろ)かす變事(へんじ)とは何事(なにごと)ぢゃ?
番甲  申上(まうしあ)げまする、こゝにパリス樣(さま)が殺(ころ)されて居(ゐ)させられます、またロミオにも、また其以前(そのいぜん)に死去(みまか)りました筈(はず)のヂュリエットにも、體温(ぬくもり)のあるまゝ、新(あたら)しく殺(ころ)されてをられまする。
領主  あくまでも手(て)を盡(つく)して此(この)虐殺(ぎゃくさつ)の所因(しょいん)を査(しら)べい。
番甲  これにをりまする老僧(らうそう)、また殺(ころ)されましたるロミオの僕(しもべ)一人(にん)、何(いづ)れも墓(はか)を發(あば)きまするに屈竟(くっきゃう)の道具(だうぐ)をば携(たづさ)へてをりまする。
カピ長 やゝ、これは! おゝ、我妻(わがつま)よ、あれ、見(み)さしませ、愛女(むすめ)の體内(みうち)から血(ち)が流(なが)るゝ! えゝ、此(この)劍(けん)は住家(すみか)をば間違(まちが)へをったわ。こやつが住(す)むべきモンタギューが腰(こし)なる宿(やど)は裳脱(もぬけ)の殼(から)で、無慚(むざん)や、愛女(むすめ)の胸(むね)が鞘(さや)!
カピ妻 おゝ、悲(かな)しや! 此(この)慘(いたま)しい死樣(しにざま)は、老(お)いゆく此身(このみ)をば墓(はか)へ急(いそ)がす死鐘(しにがね)ぢゃ。
モンタギュー長者(ちゃうじゃ)、其他(そのた)出る。
領主  さ、こゝへ、モンタギュー。時(とき)ならず早(はや)う起出(おきい)でめされたが、目(め)に入(い)るものは、時(とき)ならず早(はや)う臥(ね)た息子(むすこ)どのゝ寐姿(ねすがた)ぢゃ。
モン長 なう、情(なさけ)なや、我君(わがきみ)! 我子(わがこ)の追放(つゐはう)を歎悲(なげき)の餘(あま)りに衰(おとろ)へて、妻(つま)は昨夜(やぜん)相果(あひはて)ました。尚(なほ)此上(このうへ)にも老人(らうじん)をさいなむは如何(いか)なる不幸(ふかう)ぢゃ。
領主  あれ、あれをお見(み)ゃれ[#「お見(み)ゃれ」はママ]。
モン長 おゝ、汝(おのれ)、不所存者(ふしょぞんもの)めが! 父(ちゝ)を押退(おしの)けて先(さき)へ墓(はか)へ入(はひ)らうとは、何(なん)といふ作法知(さはふし)らずぢゃ、汝(おのれ)!
領主  暫時(しばらく)叫喚(けうくわん)の口(くち)を閉(と)ぢよ、先(ま)づ此(この)疑惑(ぎわく)を明(あきら)かにして其(その)源流(げんりう)を取調(とりしら)べん。然(しか)る後(のち)、われ將(は)た卿等(おんみら)の悲歎(なげき)を率(ひき)ゐて、敵(かたき)の命(いのち)をも取遣(とりつか)はさん。先(ま)づそれまでは悲歎(ひたん)を忍(しの)んで、此(この)不祥事(ふしゃうじ)の吟味(ぎんみ)を主(しゅ)とせい。……嫌疑(けんぎ)の徒輩(ともがら)を引出(ひきだ)せ。
ロレ  手前(てまへ)こそは、力量(りきりゃう)は最(いっ)ち不足(ふそく)ながら、時(とき)も處(ところ)も手前(てまへ)に不利(ふり)でござるゆゑ、此(この)怖(おそろ)しい殺人(ひとごろし)の第(だい)一番(ばん)の嫌疑者(けんぎしゃ)でござりませう。只今(たゞいま)此處(これ)にて呪(のろ)はるべくもあり、恕(ゆる)さるべくもある手前(てまへ)の所行(しょぎゃう)を告發(こくはつ)もし、辯解(べんかい)も仕(つかまつ)りませう。
領主  さらば、汝(そち)が存(ぞん)じをる限(かぎ)りを疾(と)く申(まう)せ。
ロレ  手短(てみじか)に申(まう)しませう、管(くだ)々しう申(まう)さうには命(いのち)が覺束(おぼつか)なうござりまする。……そこにお死(し)にゃったるロミオこそはヂュリエットが正(たゞ)しい夫(をっと)、またそこにお死(し)にゃったるヂュリエットこそはそのロミオが貞節(ていせつ)なる宿(やど)の妻(つま)、二人(ふたり)を嫁(めあは)したは手前(てまへ)。また二人(ふたり)が内祝言(ないしうげん)の日(ひ)はチッバルトどのゝ大厄日(だいやくじつ)、非業(ひごふ)の最期(さいご)が因(もと)となって新婿(にいむこ)どのには當市(たうし)お構(かま)ひの身(み)の上(うへ)となり、ヂュリエットどのゝ悲歎(ひたん)の種(たね)、さうとは知(し)らずチッバルトどのをお歎(なげ)きゃるとのみ思召(おぼしめ)され、其(その)歎(なげき)を除(のぞ)かうとてパリスどのへ無理強(むりじ)ひの婚禮沙汰(こんれいざた)、其時(そのとき)姫(ひめ)が庵室(いほり)へわせられ、此(この)二度(ど)の祝言(しうげん)を脱(のが)るゝ手段(すべ)を教(をし)へてくれい、然(さ)なくば此處(こゝ)で自害(じがい)すると半狂亂(はんきゃうらん)の面持(おもゝち)、是非(ぜひ)なく、自得(じとく)の法(はふ)により、眠劑(ねむりぐすり)を授(さづ)けましたところ、案(あん)の如(ごと)くに效力(きゝめ)ありて、死(し)せるにひとしき其(その)容態(ようだい)、手前(てまへ)其間(そのあひだ)に書状(しょじゃう)して、藥力(やくりき)の盡(つく)るは今宵(こよひ)、姫(ひめ)をば假(かり)の墓所(はかしょ)より、來(きた)りて救(すく)ひ出(だ)されよ、とロミオ方(かた)へ申(まう)し遣(や)りしに、使僧(しそう)ヂョンと申(まう)す者(もの)、不慮(ふりょ)の事(こと)にて抑留(ひきと)められ、夜前(やぜん)其(その)書(しょ)を持歸(もちかへ)ってござりまするゆゑ、目覺(めざ)めなば嘸(さぞ)當惑(たうわく)、と姫(ひめ)を救(すく)ひ出(いだ)さんため、只(たゞ)一人(ひとり)にて參(まゐ)りしは、窃(ひそか)に庵室(いほり)にかくまひおき、後日(ごじつ)機(をり)を見(み)て、ロミオへ送(おく)り屆(とゞ)けん存念(ぞんねん)、然(しか)るに參(まゐ)り見(み)れば、姫(ひめ)の目覺(めざ)むる少(すこ)しき前方(まへかた)、非業(ひがふ)の最期(さいご)はパリスどのとロミオどの。其中(そのうち)、姫(ひめ)の目覺(めざ)め[#「目覺(めざ)め」は底本では「目覺(めさ)め」]しゆゑ、天(てん)の爲(な)せる業(わざ)は是非(ぜひ)に及(およ)ばず、ともかく出(で)てござれ、と勸(すゝ)むるうちに、近(ちか)づく人聲(ひとごゑ)、予(われら)駭(おどろ)き逃出(にげいで)ましたが、絶望(ぜつばう)の餘(あまり)にや、姫(ひめ)は續(つゞ)いて參(まゐ)りもせず、やがて自害(じがい)を致(いた)したと相見(あひみ)えまする。手前(てまへ)が存(ぞん)じをりまするは是限(これぎ)り。内祝言(ないしうげん)の儀(ぎ)は乳母(うば)が善(よ)う承知(しょうち)の筈(はず)。何事(なにごと)にまれ、予(われら)が不埓(ふらち)と御檢斷(ごけんだん)遊(あそ)ばれうならば、餘命(よめい)幾何(いくばく)もなき老骨(らうこつ)、如何(いか)な御嚴刑(ごげんけい)にも處(しょ)せられませう。
領主  予(よ)は常(つね)に足下(おぬし)をば正(たゞ)しい僧(そう)と信(しん)じてをったわ。……ロミオの僕(しもべ)は何處(いずこ)にをる? 彼(か)れは此儀(このぎ)に對(たい)して何(なん)と申(まう)すぞ?
バルタ 僕(わたくし)めは、ヂュリエット樣(さま)お死去(しきょ)の事(こと)をば、マンチュアの主人方(しゅじんがた)へ傳(つた)へましたるところ、主人(しゅじん)は直(すぐ)に驛馬(はやうま)にて、彼處(かしこ)から御廟所(ごべうしょ)まで參(まゐ)られ、墓(はか)へ入(はひ)られまする前(まへ)に、此(この)書面(しょめん)を朝(あさ)早(はや)う親御樣(おやごさま)へ渡(わた)してくれいと申(まう)され、速(すみや)かに此處(こゝ)を立去(たちさ)らずば殺(ころ)してしまふぞと嚇(おど)されました。
領主  其(その)書面(しょめん)見(み)ようわ。これへ。……して、夜番(よばん)を呼起(よびおこ)した伯(はく)の侍童(こわらは)とやらは何處(どこ)に居(を)る?……こりや[#「こりや」はママ]、其方(そち)の主人(しゅじん)は此處(このところ)へは何(なに)しにわせたぞ?
侍童  御方(おんかた)の墓(はか)へ撒(まか)うとて花(はな)を持(も)ってわせられました。遠(とほ)くへ離(はな)れてゐいと仰(おほ)せられましたゆゑ、僕(わたくし)はさやう致(いた)しました。やがて燈火(あかり)を持(も)った人(ひと)がわせて、墓(はか)を發(ひら)かうと爲(し)やしゃるやいな、御主人(ごしゅじん)は劍(けん)を拔(ぬ)かしゃれました。それで僕(わたくし)は走出(かけいだ)して夜番(よばん)の衆(しゅう)を呼(よ)びました。
領主  此(この)書面(しょめん)にて僧(そう)が申條(まうしでう)の證(あかり)は立(た)ったり、情事(じゃうじ)の顛末(てんまつ)、女(をんな)が死去(しきょ)の報告(しらせ)また貧窮(ひんきう)なる藥種屋(やくしゅや)より毒藥(どくやく)を買求(かひもと)めてそれを持參(じさん)し、此處(これ)なる女(をんな)の墓(はか)の中(なか)にて自殺(じさつ)なさん底意(そこい)まで、明白(めいはく)と相成(あひな)ったわ。……仇敵同士(かたきどうし)は何(いづ)れにあるぞ? カピューレット! モンタギュー!……見(み)い、是(これ)皆(みな)汝等(おぬしたち)が相憎惡(にくみあひ)の懲罰(こらしめ)、天(てん)は故(わざ)と子供等(こどもら)を愛(あい)しあはせ、以(もっ)て汝等(おぬしら)が歡樂(よろこび)をば殺(ころ)させられたわ。予(われ)將(は)た汝等(おぬしら)の確執(なかたがひ)を等閑(なほざり)に視過(みすご)したる罪(つみ)によって、近親(うから)を二人(ふたり)までも失(うしな)うた。御罰(ごばつ)に漏(も)れたる者(もの)はない。
カピ長 おゝ、モンタギューどの、御手(おんて)をば與(あた)へさせられい。これをこそ愛女(むすめ)への御結納(ごゆひなう)とも思(おも)ひまする、他(ほか)に望(のぞみ)とてはござらぬわい。
モン長 いや、こなたよりはまだ參(まゐ)らするものがおぢゃる。吾等(われら)純金(じゅんきん)にて姫(ひめ)の像(ざう)を建(た)て申(まう)し、此(この)※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナが同(おな)じ呼名(よびな)で知(し)らるゝ限(かぎ)り、貞節(ていせつ)なヂュリエットどのゝ黄金(こがね)の像(ざう)をば上無(うへな)き記念(かたみ)と崇(あが)めさせん。
カピ長 女(むすめ)と並(なら)べてロミオどのゝ黄金(こがね)の像(ざう)をも建(た)て申(まう)そう、互(たが)ひの不和(ふわ)の憫然(ふびん)な犧牲(いけにえ)!
領主  物悲(ものがな)しげなる靜(しづ)けさをば此(この)朝景色(あさげしき)が齎(もたら)する。日(ひ)も悲(かな)しみてか、面(おもて)を見(み)せぬわ。いざ、共(とも)に彼方(かなた)へ往(い)て、盡(つ)きぬ愁歎(なげき)を語(かた)り合(あ)はん。赦(ゆる)すべき者(もの)もあれば、罰(ばっ)すべき者(もの)もある。哀(あは)れなる物語(ものがたり)は多(おほ)けれども、此(この)ロミオとヂュリエットの戀物語(こひものがたり)に優(まさ)るはないわい。
皆々(みな/\)徐(しず)かに入る。
[#改ページ]
ロミオとヂュリエット (完)
了

底本:「ロミオとヂュリエット 新修シェークスピヤ全集 第二十五卷」中央公論社
   1933(昭和8)年10月30日発行
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
入力:osawa
校正:土屋隆
2010年7月23日作成
2010年11月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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