あらすじ
七八年|前のことです。北国の同人誌に掲載された平家物語を題材にした小説を読みました。作者は若者だったと思います。その小説は、平家物語の作者が、大原御幸《おほはらごかう》で筆が進まず苦悩する様子、そしてその物語の註釈者が、作者の表現に頭を悩ませる様子、さらには現代の中学校で、その小説の一節を解釈する授業の様子と、三つの場面に分かれていました。作者は、才能あふれる若者だったのでしょう。その小説は、私の中に深い印象を残し、いまだに忘れられません。
 七八年ぜんのことです。加賀かがでしたか能登のとでしたか、なんでも北国の方の同人どうじん雑誌でした。今では、その雑誌の名も覚えて居ませんが、平家物語へいけものがたりに主題を取つて書いた小説のつてゐるのを見たことがあります。その作者は、おそらく青年だつたらうと思ひます。
 その小説は、三回に分れて居りました。
 一は、平家物語の作者が、大原御幸おほはらごかうのところへ行つて、少しも筆が進まなくなつて、困り果てて居るところで、そのうち、突然、インスピレエシヨンを感じて、――いらか破れてはきり不断ふだんかうき、とぼそ落ちては月常住じやうぢゆうともしびかかぐ――と、云ふところを書くところが、書いてありました。
 それから二は、平家物語の註釈者ちゆうしやくしやのことで、この註釈者が、今引用した――いらか破れては……のところへ来て、その語句の出所しゆつしよなどを調べたり考へたりするけれども、どうしてもわからないので、おれなどはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来て居ないのだと言つて、慨歎がいたんして筆をくところが書いてありました。
 三は現代で、中学校の国語の先生が、生徒に大原御幸おはらごかうの講義をしてゐるところで、先生が、この――きり不断ふだんかうき……と云ふやうな語句は、昔からその出所も意味も解らないものとされて居ると云ふと、席の隅の方に居た生徒が「そこが天才の偉いところだ」と、独言ひとりごとのやうにつぶやくところが書いてありました。
 今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才をいだいて、うづもれてゆく人は、ほかにも沢山たくさんある事と思ひます。
(大正十五年三月)

底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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