二、里見君の「蚊遣り」も亦十月小説中の白眉なり。唯聊か末段に至つて落筆の憾みあらん乎。他は人情的か何か知らねど、不相変巧手の名に背かずと言ふべし。
三、旅に病めることは珍らしからず。(今度も軽井沢の寐冷えを持ち越せるなり。)但し最も苦しかりしは丁度支那へ渡らんとせる前、下の関の宿屋に倒れし時ならん。この時も高が風邪なれど、東京、大阪、下の関と三度目のぶり返しなれば、存外熱も容易には下らず、おまけに手足にはピリン疹を生じたれば、女中などは少くとも梅毒患者位には思ひしなるべし。彼等の一人、僕を憐んで曰、「注射でもなすつたら、よろしうございませうに。」
東雲の煤ふる中や下の関
四、彼は昨日「小咄文学」を罵り、今日恬然として「コント文学」を作る。宜なるかな。彼の健康なるや。五、小穴隆一、軽井沢の宿屋にて飯を食ふこと五椀の後女中の前に小皿を出し、「これに飯を少し」と言へば、佐佐木茂索、「まだ食ふ気か」と言ふ。「ううん、手紙の封をするのだ」と言へど、茂索、中中承知せず「あとでそつと食ふ気だらう」と言ふ。隆一、憮然として、「ぢや大和糊にするわ」と言へば、茂索、愈承知せず、「ははあ、糊でも舐める気だな。」
六、それから又玉突き場に遊びゐたるに、一人の年少紳士あり。僕等の仲間に入れてくれと言ふ。彼の僕等に対するや、未だ嘗「ます」と言ふ語尾を使はず、「そら、そこを厚く中てるんだ」などと命令すること屡なり。然れどもワン・ピイスを一着したる佐佐木夫人に対するや、慇懃に礼を施して曰、「あなたはソオシアル・ダンスをおやりですか?」佐佐木夫人の良人即ち佐佐木茂索、「あいつは一体何ものかね」と言へば、何度も玉に負けたる隆一、言下に正体を道破して曰、「小金をためた玉ボオイだらう。」
七、軽井沢に芭蕉の句碑あり。「馬をさへながむる雪のあしたかな」の句を刻す。これは甲子吟行中の句なれば、名古屋あたりの作なるべし。それを何ゆゑに刻したるにや。因に言ふ、追分には「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」の句碑あるよし。
八、軽井沢の或骨董屋の英語、――「ジス・キリノ(桐の)・ボツクス・イズ・ベリイ・ナイス。」
九、室生犀星、碓氷山上よりつらなる妙義の崔嵬たるを望んで曰、「妙義山と言ふ山は生姜に似てゐるね。」
十、十項だけ書かんと思ひしも熱出でてペンを続けること能はず。
(大正十四年十月)