あらすじ
「窮理日記」は、日常の些細な出来事を、観察眼鋭い筆致で綴ったエッセイ集です。著者の寺田寅彦は、科学者でありながら、身の回りの事象に深い興味を示し、独特の視点でユーモラスに描写します。自然現象や人々の営みを、時に科学的な考察を交えながら、時に詩情豊かに表現した、独特の味わいが魅力です。
 十日 動物教室の窓の下を通ると今洗ったらしい色々の骸骨がばらばらに笊(ざる)へ入れて干してある。秋の蠅(はえ)が二、三羽止ってやや寒そうに羽根を動かしている。
 十一日 垣にぶら下がっていた南瓜(かぼちゃ)がいつの間にか垂れ落ちて水引(みずひき)の花へ尻をすえている。我等が祖先のニュートンはいかにエライ者であったかと云う事を考えると隣の車井戸の屋根でアホーと鴉(からす)が鳴いた。
 十二日 傘を竪にさす。雨は横に降る。
 十三日 豆腐屋が来た。声の波の形が整わぬので新米(しんまい)という事が分る。
 十四日 雪隠(せっちん)でプラス、マイナスと云う事を考える。
 十五日 今日のようなしめっぽい空気には墓の匂いが籠っておるように思う。横になって壁を踏んでいると眼瞼(まぶた)が重くなって灰吹(はいふき)から大蛇が出た。
 十六日 涼しいさえさえした朝だ。まだ光の弱い太陽を見詰めたが金の鴉も黒点も見えない。坩堝(るつぼ)の底に熔けた白金のような色をしてそして蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)(とんぼ)の眼のようにクルクルと廻るように見える。眩(まぶ)しくなって眼を庭の草へ移すと大きな黄色の斑点がいくつも見える。色がさまざまに変りながら眼の向かう方へ動いて行く。
(明治三十三年十月『ホトトギス』)
了

底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:佳代子
2003年12月14日作成
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