あらすじ
京都の島原で「満月」と名乗る、絶世の美しさを持つ花魁がいました。満月には、金丸長者、青山銀之丞、播磨屋千六という三人の熱心な客がおり、彼女を巡って激しい争奪戦が繰り広げられます。それぞれの男は、満月への愛と執念を燃やし、財産や地位、そしてプライドを賭けて、彼女を手に入れようとします。しかし、運命のいたずら、そして満月の巧みな策略によって、三人の運命は大きく変わっていくのです。
 人皇(じんのう)百十六代桃園天皇の御治世。徳川中興の名将軍吉宗公の後を受けた天下泰平の真盛り。九代家重公の宝暦(ほうれき)の初めっ方。京都の島原で一と云われる松本楼に満月という花魁(おいらん)が居た。五歳の年に重病の両親の薬代に代えられた松本楼の子飼いの娘ながら、名前の通り満月をそのままの美くしさ。花ならば咲きも残らず散りも初(そ)めぬ十九の春という評判が、日本国中津々浦々までも伝わって、毎年三月の花の頃になると満月の道中姿を見るために洛中洛外の宿屋が、お上りさんで一パイになる。本願寺様のお会式(えしき)にも負けぬという、それは大層な評判であった。
 その頃、満月に三人の嫖客(おきゃく)が附いていた。
 一人は越後から京都に乗出して、嵯峨野の片ほとりに豪奢(ごうしゃ)な邸宅を構え、京、大阪の美人を漁りまわしていた金丸(かなまる)長者と呼ばれる半老人であった。はからずもこの満月に狃染(なじ)んでからというもの、曲りかけている腰を無理に引伸ばし、薄い白髪鬢(しらがびん)を墨に染め、可笑(おか)しい程派手な衣裳好みをして、若殿原(わかとのばら)に先(せん)をかけられまいという心遣いや金づかいに糸目を附けず。日本中を真半分に割って東の方に在るものは皆(みんな)、満月に買うてやりたいほどの意気組であった。
 今一人は青山銀之丞(ぎんのじょう)という若侍であった。関白七条家の御書院番で、俗に公家侍というだけに、髪の結い振り。素袍(すおう)、小袴(こばかま)の着こなしよう。さては又腰に提げた堆朱(ついしゅ)の印籠(いんろう)から青貝の鞘(さや)、茶※(「木+霸」、第3水準1-86-28)(ちゃづか)、白金具(しろかなぐ)という両刀の好みまで優にやさしく、水際立った眼元口元も土佐絵の中から脱け出したよう。女にしても見まほしい腮(あぎと)から横鬢(よこびん)へかけて、心持ち青々と苦味走ったところなぞ、熨斗目(のしめ)、麻裃(あさがみしも)を着せたなら天晴れ何万石の若殿様にも見えるであろう。俺ほどの男ぶりに満月が惚れぬ筈はない。日本一の美男と美女じゃもの。これが一所(いっしょ)にならぬ話の筋は世間にあるまい……といったような自惚(うぬぼ)れから、柄にない無理算段をして通い初(そ)めたのが運の尽き。案の定惚れたと見せたは満月の手管らしかった。天下の色男と自任していた銀之丞が、花魁(おいらん)に身上げでもさせる事か。忽ちの中(うち)に金に詰まり初め、御書院番のお役目の最中は、居眠りばかりしていながらに、時分を見計らっては受持っている宝物棚の中から、音に名高い利休の茶匙(ちゃさじ)、小倉(おぐら)の色紙を初め、仁清(にんせい)の香炉(こうろ)、欽窯(きんよう)の花瓶なぞ、七条家の御門の外に出た事のない御秘蔵の書画骨董(こっとう)の数々を盗み出して、コッソリと大阪の商人に売りこかし、満月に入れ揚げるのを当然の権利か義務のように心得ている有様であった。
 残る一人は大阪屈指の廻船問屋、播磨(はりま)屋の当主千六(せんろく)であった。二十四の年に流行病(はやりやみ)で両親を失ってからというもの、永年勤めていた烟(けむ)たい番頭を逐(お)い出し、独天下(ひとりてんか)で骨の折れる廻船問屋の采配を振り初めたところは立派であったが、一度、仲間の交際(つきあい)で京見物に上り、眉の薄い、色の白いところから思い付いた役者に化けて松本楼に上り、満月花魁の姿を見てからというもの役者の化けの皮はどこへやら、仲間に笑われながら京都に居残り、為替(かわせ)で金を取寄せて芸者末社の機嫌を取り、満月との首尾のためには清水の舞台から後跳(うしろと)びでも厭(いと)わぬ逆上(のぼ)せよう。自宅(うち)から心配して迎えに来た忠義な手代に会いは会うても、大阪という処が、どこかに在りましたかなあという顔をしていた。

 満月はこの三人に対して締めつ弛(ゆる)めつ、年に似合わぬ鮮やかな手管を使って見せたので、三人の競争はいよいよ激しくなって行くばかり。満月の名娼ぶりの中でも一番すごいのは、その持って生まれた手練手管であることを、三人が三人とも、夢にも気付かぬ気はいであった。どうしてもこの大空の満月を自分一人の手に握り込まねば……という必死の競争を続けるのであった。
 しかし、そのうちにこの競争も勝敗が附きそうになって来た。

 青山銀之丞は、宝暦元年の冬、御書院の宝物お検(あらた)めの日が近付く前に、今までの罪の露見を恐れ、当座の小遣のために又も目星(めぼ)しい宝物を二三品引っ抱えて、行衛(ゆくえ)を晦(くら)ましてしまったのであった。
 播磨屋千六は、これも満月ゆえの限りない遊興に、敢(あ)えなくも身代を使い果して、とうとう分散の憂目(うきめ)に会い、昨日(きのう)までの栄華はどこへやら、少しばかり習いおぼえた三味線に縋(すが)って所も同じ大阪の町中を編笠一つでさまよいあるき、眼引き袖引き後指(うしろゆび)さす人々の冷笑(あざわらい)を他所(よそ)に、家々の門口に立って、小唄を唄うよりほかに生きて行く道がなくなっている有様であった。

 その宝暦二年の三月初旬。桜の蕾(つぼみ)がボツボツと白く見え出す頃、如何なる天道様(てんとうさま)の配合(とりあわせ)であったろうか。絶えて久しい播磨屋千六と、青山銀之丞が、大阪の町外れ、桜の宮の鳥居脇でバッタリと出会ったのであった。
 最初は双方とも変り果てた姿ながら、あんまり風采(ようす)が似通っているままに、編笠の中を覗いてみたくなったものらしかったが、さて近付いてみると双方とも思わず声をかけ合ったのであった。
「これは青山様……」
「おお。これは千六どの……」
 二人とも世を忍ぶ身ながらに、落ちぶれて見ればなつかし水の月。おなじ道楽の一蓮托生(いちれんたくしょう)といったような気持も手伝って、昔の恋仇(こいがたき)の意地張はどこへやら。心から手を取り合って奇遇を喜び合うのであった。蒲公英(たんぽぽ)の咲く川堤(かわどて)に並んで腰を打ちかけ、お宮の背後(うしろ)から揚る雲雀(ひばり)の声を聞きながら、銀之丞が腰の瓢(ふくべ)と盃を取出せば、千六は恥かしながら背負うて来た風呂敷包みの割籠(わりご)を開いて、焼いた干鰯(ほしいわし)を抓(つま)み出す。
「満月という女は思うたよりも老練女(てだれもの)で御座ったのう」
「さればで御座ります。私どもがあの死にコジレの老人に見返えられましょうとは夢にも思いかけませなんだが……」
 なぞと互いに包むところもなく、黄金(こがね)ゆえにままならぬ浮世をかこち合うのであった。
「それにしても満月は美しい女子(おなご)で御座ったのう」
「さいなあ。今生(こんじょう)の思い出に今一度、見たいと思うてはおりまするが、今の体裁(ていたらく)では思いも寄りませぬ事で……」
「……おお……それそれ。それについてよい思案がある。この三月の十五日の夜(よ)には島原で満月の道中がある筈じゃ。今生の見納めに連れ立って見に参ろうでは御座らぬか。まだ四五日の間(ま)が御座るけに、ちょうどよいと思いまするが……」
「さいやなあ。そう仰言りましたら何で否(いな)やは御座りましょうか。なれど、その途中の路用が何として……」
「何の、やくたいもない心配じゃ。拙者にまだ聊(いささ)かの蓄(たくわ)えもある。それが気詰まりと思わるるならば此方(こんた)、三味線を引かっしゃれ。身共(わて)が小唄を歌おうほどに……」
「おお。それそれ。貴方(あなた)様の小唄いうたら祇園、島原でも評判の名調子。私の三味線には過ぎましょうぞい」
「これこれ。煽立(おだ)てやんな。落ちぶれたなら声も落ちつろう。ただ小謡(こうたい)よりも節(ふし)が勝手で気楽じゃまで……」
「恐れ入りまする。それならば思い立ったが吉日とやら。只今から直ぐにでも……」
「おお。それよ。善は急げじゃ」
 酒のまわり工合もあったであろう。さもなくとも色事にだけは日本一押(おし)の強い腰抜け侍に腑抜(ふぬ)け町人。春の日永(ひなが)の淀川づたいを十何里が間。右に左にノラリクラリと、どんな文句を唄うて、どんな三味線をあしろうて行ったやら。揃いも揃うた昔に変る日焼面(づら)に鬚(ひげ)蓬々(ぼうぼう)たる乞食姿で、哀れにもスゴスゴと、なつかしい京外れの木賃宿に着いたのが、ちょうど大文字山の中空(なかぞら)に十四日月のほのめき初(そ)むる頃おいであった。明くれば宝暦二年の三月十五日。日本切っての名物。島原の花魁(おいらん)道中の前の日の事とて、洛中洛外が何とのう、大空に浮き上って行きそうな気はいが、二人の泊っている木賃宿のアンペラ敷の上までも漂うていた。
 月は満月。人も満月。桜は真盛り……。
 島原一帯の茶屋の灯火(あかり)は日の暮れぬ中(うち)から万燈(まんどう)の如く、日本中から大地を埋めむばかりに押寄せた見物衆は、道中筋の両側に身動き一つせず。わけても松本楼に程近い石畳の四辻は人の顔の山を築いて、まだ何も通らぬうちから固唾(かたず)を呑んで、酔うたようになっていた。
 そのうちに聞こえて来る前触(しらせ)の拍子木。草履のはためき。カラリコロリという木履(ぼくり)の音につれて今日を晴れと着飾った花魁衆の道中姿、第一番に何屋の誰。第二番に何屋の某(かれ)と綺羅(きら)を尽くした伊達(だて)姿が、眼の前を次から次に横切っても、人々は唯、無言のまま押合うばかり。眼の前の美くしさを見向きもせず。ひたすらに背後(うしろ)を背後をと首を伸ばし、爪立ち上って、満月の傘を待ちかねている気はいであった。
 銀之丞、千六の姿も、むろんその中に立交(たちまじ)っていた。よもや満月花魁が、俺達の顔を見忘れはしまい……あれ程の仲であったものを……という自惚(うぬぼ)れと、見咎められては生きながらの恥辱という後(うしろ)めたさとが一所(いっしょ)になった心は一つ。互いに後(あと)になり先になり、人垣を押しわけ押しわけ伸び上り伸び上りするうちに、先を払う鉄棒(かなぼう)の響。男衆の拍子木の音。囃(はや)し連(つ)るる三味線太鼓、鼓(つづみ)の音なぞ、今までに例のない物々しい道中の前触れに続いて、黒塗、三枚歯の駒下駄高やかに、鈴の音(ね)もなまめかしく、ゆらりゆらりと六法を踏んで来る満月花魁の道中姿。うしろから翳(かざ)しかけた大傘の紋処はいわずと知れた金丸長者の抱茗荷(だきみょうが)と知る人ぞ知る。鼈甲(べっこう)ずくめの櫛、簪(かんざし)に後光の映(さ)す玉の顔(かんばせ)、柳の眉。綴錦(つづれにしき)の裲襠(うちかけ)に銀の六花(むつばな)の摺箔(すりはく)。五葉の松の縫いつぶし。唐渡り黒繻子(じゅす)の丸帯に金銀二艘の和蘭陀船(オランダぶね)模様の刺繍(ぬいとり)、眼を驚かして、人も衣裳も共々に、実(げ)に千金とも万金とも開(あ)いた口の閉(ふさ)がらぬ派手姿。蘭奢待(らんじゃたい)の芳香(かおり)、四隣(あたり)を払うて、水を打ったような人垣の間を、しずりもずりと来かかる折から、よろよろと前にのめり出た銀之丞、千六の二人の姿に眼を止めた満月は、思わずハッと立佇(たちど)まった。二人の顔を等分に見遣りながら、持って生れた愛嬌笑いをニッコリと洩らして見せた。
 魂が見る間にトロトロと溶けた二人は、腰の蝶番(ちょうつがい)が外(はず)れたらしい。眼を白くして、口をポカンと開いたまま、ヘナヘナとその場へ土下座して、水だらけの敷石の上にベッタリと並んで両手を支(つか)えてしまった。茫然として満月の姿を見上げたのであった。
 満月の愛嬌笑いは、いつの間にか淋しい、冷めたい笑顔に変っていた。二人の前で駒下駄を心持ち横に倒おして、土をはねかけるような恰好をしたと思うと、銀の鈴を振るようなスッキリとした声で、
「男の恥を知んなんし」
 とタッタ一言。白い腮(あぎと)を三日月のように反向(そむ)けて、眉一つ動かさず。見返りもせずに、裲襠(うちかけ)の背中をクルリと見せながら、シャナリシャナリと人垣の間を遠ざかって行った。あとから続く三味太鼓の音。漂い残す蘭麝(らんじゃ)のかおり。
「……満月……満月……」
 と囁やき交しながら雪崩(なだ)れ傾いて行く人雑沓(ひとごみ)の塵埃(ほこり)いきれ……。

 その中(うち)に両手の穢(よご)れを払いながら立上った二人の顔は、もう人間の表情(かおつき)ではなかった。墓の下からこの世を呪いに出て来た屍鬼(しにん)の形相であった。血の気のない顔に生汗(なまあせ)を滴(したた)らせ、白い唇をわななかせつつ互いの顔を睨み合って、肩で呼吸(いき)をするばかりであった。
「……こ……これが見返さいでいられましょうか」
 千六の両眼から涙がハラハラと溢れ落ちた。
「……こ……これ程の挨拶……か……刀の手前にも……捨てて……おかれぬわい。ええっ……」
 銀之丞の美しい眼尻には涙どころか、血が鈍染(にじ)んでいた。二人は思わず互いの両手を固く握り合っていた。その手を銀之丞は烈しく打振った。
「……千六殿……約束しょう。……イ……今から丸一年目に……イ……今一度、ここで会おう。それまでに二人とも、あの金丸長者を見返すほどの金子(かね)をこしらえよう。二人の力を合わせても、あの売女奴(ばいため)を身請(みうけ)しよう」
 千六は感激に溢るる涙を拭いもあえず首肯(うなず)いた。一層固く銀之丞の手を握り締めた。銀之丞は遥かに遠ざかった満月の傘を振りかえった。ギリギリと歯噛みをした。
「……やおれ……身請けした暁には、思い知らさいでおこうものか。ズタズタに切り苛(さいな)んで、青痰(あおたん)を吐きかけて、道傍(みちばた)に蹴り棄てても見せようものを……」
「シッ……お声が……」
 二人はそのまま人ごみに紛れて左右に別れた。大空の満月が花の上にさしかかる頃であった。

 銀之丞は東海道を江戸へ志した。
 思い迫って約束した一年の短かい間に、どうしたら望み通りの金が稼げるかと……思案に暮るる一人旅。京外れで買うた尺八の歌口を嘗め嘗め破れ扇を差出しながら、宿場宿場の揚雲雀(あげひばり)を道連れに、江戸へ出るには出たものの、男振りよりほかに取柄のない柔弱武士とて、切取り強盗はもちろん叶(かな)わず。押借(おしが)り騙取(かたり)の度胸も持合わせず。賭博、相場の器用さなど、夢にも思い及ばぬまま、三日すれば止められぬ乞食根性をそのまま。京都とは似ても似付かぬ町人の気強さを恐れて、屋敷町や町外れの農家や小商人(こあきんど)の軒先をうろ付きまわり、一文二文の合力に、生命(いのち)をつなぐ心細さ。金儲けどころか立身どころか。派手な大小印籠(いんろう)までも塩鰯と剥(は)げ印籠に取りかえる落ちぶれよう。稀(たま)には場末の色町らしい処で笠の中を覗き込んで馬糞(まぐそ)女郎や安芸妓(げいしゃ)たちにムゴがられて、思わず収入(みいり)に有付いたり、そんな女どもの取なしで田舎大尽(いなかだいじん)に酒肴を御馳走され、一二番の戯れ小唄の御褒美に小袖、穿物、手拭なぞ貰うて帰る事もあり。そのほか役者衆に拾われかけたり、絵草子屋に売子を頼まれたりなぞ、色々な眼に出会うたものであったが、それでも女色にだけは決して近付かなかった。去る金持後家に見込まれて昼日中、引手茶屋に引上げられ、小謡いがまだ二三番と済まぬうちに脂切(あぶらぎ)った腕を首にさし廻わされた時なぞ、血相をかえて塩鰯をひねくりまわし、後退(あとしざ)りして逃げて来るという、世にも身固い、涙ぐましい月日が、いつの間(ま)にか夢のように流れて、早や笑うてくれる鬼もない来年の正月。約束の三月も程近い銀之丞が二十五の春となった。

 こうなれば最早(もはや)、致し方もない。僅か一年の間に大金を作ろうなぞと約束したのがこっちの愚昧(おろか)であった。浮世の風に吹き晒(さら)されてみればわかる。やはり他人(ひと)の云う通りに世の中は、思うたほど甘いものではないらしい。
 しかし約束は約束なれば是非に及ばぬ。満月の道中に間に合うように故郷へ帰らずばなるまい。播磨屋千六の顔を見ずばなるまい。千六は町人の事なれば、一年の間に一万両ぐらい儲けまいものでもない。もっとも町人の事なれば、そうなってみると、おのが身代が惜しゅうなって、気が摧(くじ)けていまいとは限らぬが、もしも、さような事になれば一文無しのこっちの方が、却(かえ)って確かなもの。否応(いやおう)なしに千六の尻を押(お)いて金輪際、満月を身請させいでおこうものか。もし又、万が一にも、その期(ご)に及んで満月が二人の切ない情(こころ)を酌(く)まず、売女(ばいた)らしい空文句を一言でも吐(ぬ)かしおって、吾儕(われら)を手玉に取りそうな気ぶりでも見せたなら最後の助。こっちは元より棄てた一生。一刀の下に切伏せて、この年月(としつき)の怨恨(うらみ)を晴(は)らいてくれるまでの事。所詮、それ位の役廻りにしか値打せぬ吾身の運命であったかも知れぬが……と、とつおいつ思案のうちに、旅支度という程の用意も要らぬ着のみ着のままの浪人姿。ブラリと立出づる吹晒(ふきさら)しの東海道。間道伝いに雪の箱根を越えて、下れば春近い駿河の海。富士の姿に満月の襟元を思い浮かめ、三保の松原に天女を抱き止めた伯竜(はくりゅう)の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後(うしろ)に、大井川の渡し賃に無(な)けなしの懐中(ふところ)をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く馬士(まご)どものワヤク話を聞くともなく聞いて行くうちに、銀之丞はフト耳を引っ立てて、並んで曳かれて行く馬の片陰に近付いた。声高く話す馬士(まご)どもの言葉を一句も聞き洩らすまいと腕を組み直し、笠を傾けて行った。
 菊川の家並(やなみ)外れから右に入って小夜(さよ)の中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う無間山(むげんざん)こと倶利(くり)ヶ岳(だけ)の中腹に、無間山(むげんざん)、井遷寺(せいせんじ)という梵刹(おてら)がある。この寺は昔、今川義元公が戦死者の菩提(ぼだい)のために、わざと風景のよい山の中腹に建てられたもので、寺領も沢山に附いておったが、その後、信長公、秀吉公、東照宮様と代が変って来るうちに、その寺領もなくなり、久しく無住の荒れ寺となって、妖怪(ばけもの)が出るというような噂まで立っていた。
 ところがツイ二三年前のこと、甲州生れの大工上りとかいう全身に黥(いれずみ)をした大入道で、三多羅和尚(さんたらおしょう)という豪傑坊主が、人々の噂を聞いて、一番俺がその妖怪(ばけもの)を退治(たいじ)てくれようというのでその寺に住(すま)い込み、自分でそこ、ここを修繕して納まり返り、近郷近在の無頼漢を集めて御本堂で賭博(ばくち)を打たせ、寺銭(てらせん)を集めて威張っている。自分も相当の好きらしく時々寺銭を賭(は)っているそうなが、不思議な事にこの坊主を負かすと間もなく、御本堂がユサユサと家鳴(やな)り震動して天井から砂が降ったり、軒の瓦が辷(すべ)ったりする。その物すごさに一同が居たたまれずに逃げ出すと、又、間もなく静まり返るので、打連れて本堂に引返してみると、こは如何に。今まで山のように積んであった寺銭も場銭(ばせん)も盆茣蓙(ござ)も、賽目(さいのめ)までも虚空に消え失せて、あとには夥しい砂ほこりが分厚く積っているばかり。それが恐ろしさと馬鹿らしさに皆、忘れても和尚を負かさぬように気を付けているが、それでも時々大地震のような家鳴(やなり)、震動が起るので、事によるとやはり狐狸(こり)の仕業(しわざ)かも知れない。とはいえ場所はよし、和尚の取持(とりもち)はよし、麓の一本道に見張りさえ付けておけば、手入れの心配は毛頭ないので、入れ代り立代り寄り集まって手遊びするものの絶えぬところが面白い。もちろんそのような家鳴、震動の度毎(たびごと)に、麓の百姓に聞いてみても、そんな地震は一向知らぬという話。ナント面妖な話ではないかえ。その狐か狸かが渫(さら)って行った金高を集めたなら、大したものづら……といったような話を、頭に刻み込み刻み込み行くうちに銀之丞は、いつの間(ま)にか菊川の町外れを右に曲って、松の間の草だらけの道を、無我夢中で急いでいた。……大工上りの袁許坊主(おげぼうず)……井遷寺(せいせんじ)のカラクリ本堂……思いもかけぬ大金儲けの緒(いとぐち)……生命(いのち)がけの大冒険……といったような問題を、心の中でくり返しくり返し考えながら……。

 無間山井遷寺は聞きしにまさる雄大な荒廃寺(あれでら)であった。星明りに透かしてみると墓原(はかはら)らしい処は一面の竹籔となって、数百年の大銀杏(いちょう)が真黒い巨人のように切れ切れの天の河を押し上げ、本堂の屋根に生えたペンペン草、紫苑のたぐいが、下から這い上った蔦(つた)や、葛蔓(くずかずら)とからみ合って、夜目にもアリアリと森のように茂り重なっていた。
 見張りの眼を巧みに潜ってきた銀之丞が、閉め切った本堂の雨戸の隙間からチラチラ洩れる火影を窺(のぞ)いてみると、正しく天下晴れての袁彦道(ばくち)の真盛り。月代(さかやき)の伸びた荒くれ男どもは本職の渡世人らしく、頬冠りや向う鉢巻で群がっている穢苦(むさくる)しい老若は、近郷近在の百姓や地主らしい。正面に雲竜(うんりゅう)の刺青(ほりもの)の片肌を脱いで、大胡坐(おおあぐら)を掻いた和尚の前に積み上げてある寺銭が山のよう。盆茣蓙(ぼんござ)を取巻いて円陣を作った人々の背後(うしろ)に並んだ酒肴(さけさかな)の芳香(におい)が、雨戸の隙間からプンプンと洩れて来て、銀之丞の空腹(すきばら)を、たまらなく抉(えぐ)るのであった。
 そのうちに盆茣蓙の真中に伏せてあった骰子(さいころ)壺が引っくり返ると、和尚の負けになったらしく、積上げられた寺銭が、大勢の笑い声の中(うち)にザラザラと崩れて行く。それを見ると和尚が不機嫌そうにトロンとした眼を据えて、
「……これはいかん。ああ。酔うた酔うた。ドレちょっと一パイ水でも呑んで来ようか」
 と云ううちに立上った和尚の物すごい眼尻に引かえて、唇元(くちもと)の微かな薄笑いが、裸体(はだか)蝋燭の光りにチラリと映ったのを銀之丞は見逃がさなかった。
 銀之丞はコッソリと雨戸から離れて、ドシンドシンという和尚の足音が、どこへ行くかを聞き送っていた。
 和尚の足音は渡殿(わたどの)を渡って庫裡(くり)の方へ消えて行った。そこの闇(くら)がりで水を飲む柄杓(ひしゃく)の音がカラカラと聞こえたが、やがて又今度は音も立てずにヒッソリと渡殿を引返して、何やドッと笑い合う賭博(ばくち)連中のどよめきを他所(よそ)に、本堂の外廊下の暗(やみ)に消え込んで行ったと思うと、不思議なるかな。さしもの本堂の大伽藍(だいがらん)の鴨井(かもい)のあたりからギイギイと音を立てて揺れはじめ、だんだん烈しくなって来て本堂一面に砂の雨がザアザアと降り出し、軒の瓦がゾロゾロガラガラと辷り落ちて、バチンバチンと庭の面(も)を打つ騒ぎに、並居(なみい)る渡世人や百姓の面々は、すはこそ出たぞ、地震地震と取るものも取りあえず、燭台を蹴倒し、雨戸を蹴放(けはな)して家の外へ飛び出せば、本堂の中は真暗闇となって、聞こゆるものは砂ほこりの畳に頽雪(なだ)るる音ばかりとなった。
 なれども銀之丞はちっとも驚かなかった。こっそりと渡殿の欄干を匐(は)い上り、本堂の外縁にまわり込んでみると、本堂の真背後(まうしろ)に在る内陣と向い合った親柱を、最前の三多羅和尚が双肌脱ぎとなり、声こそ立てねエイヤエイヤと、調子を計って押しつ緩めつしているけはいである。さては前以て察した通りにこの和尚奴、自身大工の心得があるのを幸い、本堂のアタリアタリの締りを弛め、普通(なみ)の者の力でも拍子を揃えてゆすぶれば、次第次第に揺れ出すように仕掛け、天井裏には砂でも積んでおいて、客人達が勝負に夢中になっている油断を見澄まして、コッソリとカラクリを動かし、この辺の無智な奴どもを脅やかし、悪銭を奪いおったに相違ない。これこそ天の与うる福運。取逃がしてなるものかと思ううち、ぬき足さし足和尚の背後(うしろ)に忍び寄り、腰の錆脇差(さびわきざし)をソロソロと音のせぬように抜き放ち、和尚の背中のマン中あたりにシッカリと切先(きっさき)を狙い付け、矢声もろとも諸手(もろて)突きに、柄(つか)も透(とお)れと突込めば、何かはもってたまるべき、悪獣のような叫び声をギャアッと立てたがこの世の別れ、あおのけ様に引っくり返って、そのまま息が絶えてしまった。その声に驚いて、外に逃出していた百姓連中がワイワイと駈集(かけあつ)まって来るのを、銀之丞は和尚の屍体に片足かけたまま見下した。引抜いた血刀を構えながら凜々(りんりん)たる声を張上げて叫んだ。
「……騒ぐな騒ぐな。百姓共。よく聞けよ。身共は京都に在(おわ)します一品薬王寺宮(いっぽんやくおうじのみや)様の御申付(おもうしつけ)によって是(これ)まで参いった宮侍、吉岡鉄之進と申す者じゃ。そもそもこの寺は今川義元公の没落後、東照宮様の御心入れによって、薬王寺宮様の御支配寺になっていたものをこれなる悪僧が横領致して、不思議なる働きをなし、その方共が持寄る不浄の金を掻集めおる噂が、勿体なくも宮様の御耳に入り、一日も早く件(くだん)の悪僧を誅戮(ちゅうりく)なし、下々(しもじも)の難儀を救い取らせよとの有難い思召(おぼしめし)によって、はるばる身共を差遣(さしつか)わされた次第じゃ。只今首尾よくこの悪僧を仕止めた以上、この寺に在る不浄の金銭は残らず宮家に於て召上げられる故に左様(さよう)心得よ。なおその方共は身共の下知に従って、隠れたる金銀を探し出し、身共の差図通りに取形付けを致すならば、今日持って参(ま)いった賭博(ばくち)の資金(もとで)は各自(めいめい)に相違なく返し遣わすのみならず、賃銀は望みに任するであろう。もし又、否やを申す者があるならば、一品宮様の御罰までもない。身共がこの和尚と同様に一刀の下に斬棄(きりす)てる役柄故、左様(さよう)心得よ」

 それから数日の後(のち)、銀之丞は一品薬王寺宮御門跡の御賽銭宰領に変装し、井遷寺の床下に積んであった不浄の金を二十二の銭叺(ぜにがます)に入れ、十一頭の馬に負わせ、百姓共に口を取らせて名古屋まで運び、諸国為替問屋、茶中(ちゃちゅう)の手で九千余両の為替に組直させ、百姓共に手厚い賃銀を取らせて追返すと、さっぱりと身姿(みなり)を改めて押しも押されもせぬ公家侍の旅姿となり、夜(よ)を日に次いで京都へと急いだ。

 一方、銀之丞に別れた播磨屋千六は、途中滞りもなく長崎へ着いた。
 千六は長崎へ着くと直ぐに抜荷(ぬけに)を買いはじめた。抜荷というのは今でいう密貿易品のことで、翡翠(ひすい)、水晶、その他の宝玉の類、緞子(どんす)、繻珍(しゅちん)、羅紗(ラシャ)なぞいう呉服物、その他禁制品の阿片(アヘン)なぞいうものを、密かに売買いするのであったが、その当時は吉宗将軍以後の御政道の弛(ゆる)みかけていた時分の事だったので、面白いほど儲かった。モトモト千六は無敵な商売上手に生れ付いていたのが、女に痴呆(ほう)けたために前後を忘れていたに過ぎないので、こうして本気になって、女にも酒にも眼を呉(く)れず、絶体絶命の死身(しにみ)になって稼ぎはじめると、腕っこきの支那人でも敵(かな)わないカンのいいところを見せた。のみならず千六は賭博(ばくち)にも勝(すぐ)れた天才を持っていたらしく、相手の手の中(うち)を見破って、そいつを逆に利用する手がトテモ鮮やかでスゴかったので仲間の交際(つきあい)ではいつも花形になったばかりでなく、その身代は太るばかり。長崎に来てからまだ半年も経たぬうちに、早くも一万両に余る金を貯めたのを、彼(か)の夜の事を忘れぬように三五屋(さんごや)という家号で為替に組んで、大阪の両替屋、三輪鶴(みわづる)に預けていた。従って三五屋という名前は大阪では一廉(ひとかど)の大商人(おおあきんど)で通っていたが、長崎では詰まらぬ商人(あきんど)宿に燻ぶっている狐鼠狐鼠(こそこそ)仲買に過ぎなかった。
 その年の秋の初めの事であった。千六は何気なく長崎の支那人街を通りかかると、フト微(かす)かに味噌の臭いがしたので立ち佇まった。そこいらを見まわすと前後左右、支那人の家(うち)ばかりだから韮(にら)や大蒜(にんにく)の臭気(におい)がする分にはチットモ不思議はない筈であるが、その頃までは日本人しか使わない麦味噌の臭気(におい)がするとは……ハテ……面妖な……と思ったのが大金儲(おおがねもうけ)の緒(いとぐち)であったとは流石(さすが)にカンのいい千六も、この時まだ気付かなかったであろう。頻りに鼻をヒコ付かせて、その臭気(におい)のする方向へ近附いて行くうちに味噌の臭気(におい)がだんだんハッキリとなって来た。間もなく眼の前に屹立(きった)っている長崎随一の支那貿易商、福昌号(ふくしょうごう)の裏口に在る地下室の小窓から臭(にお)って来ることがわかった。そっと覗いてみると、暗い、微かな光線の中に一面に散らばった鋸屑(おがくず)の上に、百斤入(きんいり)と見える新しい味噌桶が十個、行儀よく二行に並んでいる。残暑に蒸(む)るる地下室で、味噌が腐りそうになったので、小窓を開いて息を抜いているものらしかった。
 そこで千六は暫く腕を組んで考えていたが、忽ちハタと膝を打って、赤い舌をペロリと出した。
「……そやそや……味噌桶と見せかけて、底の方へは何入れとるか知れたもんやない。この頃長崎中の抜荷買(なかま)が不思議がっとる福昌号の奸闌繰(からくり)ちうのはこの味噌桶に違いないわい。ヨオシ来た。そんなら一つ腕に縒(より)をかけて、唐人共の鼻を明かいてコマソかい。荷物の行く先はお手の筋やさかい……」

 そんな事をつぶやくうちに千六はもう二十日鼠のようにクルクルと活躍し初めていた。
 先ず福昌号の表口へ行って、その店の商品の合印(あいじるし)が○に福の字である事を、その肉の太さから文字の恰好まで間違いないように懐紙に写し取った。その足で長崎中の味噌屋を尋ねて、福昌号に味噌を売った者はないかと尋ねてみると、タッタ一軒、山口屋という味噌屋で三百五十斤(きん)の味噌を売ったというほかには一軒も発見し得なかった。
 それから同じく長崎中の桶屋を、裏長屋の隅々まで尋ねて、福昌号の註文で新しい味噌桶を作った家(うち)を探し出し、そこで百斤入の蓋附桶を十個作った事が判明すると、千六はホッと一息して喜んだ。
「それ見い。云わんこっちゃないわい。百斤入の桶が十個に味噌がタッタ三百五十斤……底の方に鋸屑(おがくず)と小判が沈んどるに、きまっとるやないか」
 とつぶやくと、思わず躍り上りたくなるのをジッと辛棒して、何喰わぬ顔で同じ型の蓋附桶を十個、大急ぎで誂(あつら)えた。それから今度は金物屋に行って鉛の半円鋳(なまこ)を六百斤ほど買集め、そっくりそのまま町外れのシロカネ屋(金属細工屋)に持って行って、これは蓬莢島(ホルモサ)から来た船の註文ゆえ、特別念入りの大急ぎで遣ってもらいたい。蓬莢島(ホルモサ)でも一番の大金持、万熊仙(まんゆうせん)という家で、この六月に生れる赤ん坊のお祝いに、部屋部屋の天井から日本の小判を吊るすのだそうで、ソックリそのまま蠅除(はいよ)けにするという話。普通の家(うち)では真鍮の短冊を吊すところを金持だけに凝(こ)った思案をしたものらしい。面倒ではあろうが、この鉛鋳(なまこ)の全部を大急ぎで小判の形に打抜いて金箔をタタキ付けてもらいたい。糸を通す穴は向うに着いてから明けるそうな。本物の小判のお手本はここに在る……といったような事を、まことしやかに頼み込んだ。
 賃銀がよかったのでシロカネ屋の老爺(おやじ)は、さほど怪しみもせずに、両手を揉合(もみわ)わせて引受けた。六百斤のナマコを三日三夜がかりで一万枚に近い小判型に打抜いて畳目まで入れたものに金箔を着せたのを、千六に引渡した。
 千六は、その小判を新しい唐米(からまい)の袋に詰込んで、手車に引かせ、帰りに桶屋から十個の桶を受取り、序(ついで)に山口屋から味噌を四百斤と、材木置場から鋸屑(おがくず)を五俵ほど買込んで、同じ手車に積ませて、その日の暮れ方に舟着場へ持って来た。そこで百石積の玄海丸という抜荷(ぬけに)専門の帆前船を探し出して顔なじみの船頭に酒手を遣り、水揚人足に命じて車の上の荷物を全部積込ませると、念のためもう一度上陸してこの間の福昌号の裏口に行き、人通りの絶えたところを見計(みはか)らって地下室の小窓に鼻を近付け、今一度中の様子を窺いてみた。中には四五日前の通りに味噌桶が行列して、黴臭(かびくさ)い味噌の臭気(におい)がムンムンする程籠もっていた。
 ニンガリと笑った彼は立上って空を仰いでみた。この辺では穏やかでない東(こち)寄りの南風(はえ)が数日来、絶え間なしに吹いているところで、追手の風でも余程自信のある船頭でないと船を出せるものでないことが商売柄千六にはよくわかっていた。
 舟着場に帰った千六は船頭を捉(つか)まえて、明日早朝に船が出せるかどうか。五島の城ヶ島まで行けるかどうか。船賃は望み次第出すが……と尋ねてみると、淡白らしい船頭は、城ヶ島なら屈託する事はない。心配する間もないうちに行き着いてしまう。ほかの船なら生命(いのち)がけの賃銀を貰うか知れぬが、この玄海丸に限って無駄な銭は遣わっしゃるな。この風に七分の帆を張れば、明日(あす)の夕方までには海上三十里を渡いて見せまっしょ……と自慢まじりに鼻をうごめかすのであった。
 千六は天の助けと喜んだ。すぐに多分の酒手を与えて船頭を初め舟子(かこ)舵取(かんどり)まで上陸させて、自分一人が夜通し船に居残るように計らった。
 船の中が空っぽになって日が暮れると、千六は提灯を一つ点(つ)けて忙がしく働き初めた。十個の味噌桶の底にそれぞれ擬(まが)い小判を平等に入れて、上から鋸屑(おがくず)を被(おお)いかぶせ、その上から味噌を詰込んでアラカタ百斤の重さになるように手加減をした。厳重に蓋をして目張りを打つと、残った味噌と鋸屑(おがくず)は皆、海に投込んでしまった。アトを綺麗に掃出(はきだ)して、海岸を流して行く支那ソバを二つ喰うと、知らぬ顔をして寝てしまった。

 翌る朝は、まだ夜(よ)の明けないうちに船頭たちが帰って来た。昨夜(ゆんべ)の酒手が利いたらしくキビキビと立働らいて、間もなく帆を十分に引上げると、港中の注視の的になりながら、これ見よがしに港口を出るや否や、マトモ一パイに孕んだ帆を七分三分に引下げた。暴風雨(あらし)模様の高浪を追越し追越し、白泡を噛み、飛沫(しぶき)を蹴上げて天馬空(くう)を駛(はし)るが如く、五島列島の北の端、城ヶ島を目がけて一直線。その日の夕方も、まだ日の高いうちに、野崎島をめぐって神之浦(こうのうら)へ切れ込むと、そこへ山のような和蘭陀(オランダ)船が一艘碇泊(かか)って、風待ちをしているのが眼に付いた。
「ナアルほどなあ。千六旦那の眼ンクリ玉はチイット計(ばか)り違わっしゃるばい。摺鉢(すりばち)の底の長崎から、この船の風待ちが見えとるけになあ。ハハハハ……」
 と感心する船頭の笑い声を眼で押えた千六は、兼ねて用意していた福昌号の三角旗を船の舳に立てさした。風のない島影の海岸近くをスルスルと辷(すべ)るように和蘭(オランダ)船へ接近して帆を卸(おろ)すと、ピッタリと横付けにした。
 船の甲板から人相の悪い紅毛人の顔がズラリと並んで覗いていた。口々に和蘭(オランダ)語で叫んだ。
「何だ貴様は……何だ何だ……」
 千六はもう長崎に来てから、各国の言葉に通じていた。その中(うち)でも和蘭(オランダ)語は最も得意とするところであった。
「福昌号から荷物を受取りに来ました。この頃、長崎の役人の調べが急に八釜(やかま)しくなって、仕事が危険(やば)くなりましたのに、この風で船が出なくなって、皆青くなっているところです。支那人はみんな臆病ですから、私が頼まれて四百五十斤の小判を積んで、嵐を乗切って来たのです。どうぞ荷物を渡して下さい」
 と殆んど疑問の余地を残さないくらい巧妙に、スラスラと説明した。
「フーム。そうかそうか。それじゃ上れ」
 と云うと船から梯子(はしご)を卸(おろ)してくれたので千六は内心ビクビクしながら船頭と二人で上って行った。そうして船長室で船長に会って葡萄酒と珈琲(コーヒー)と、見た事もない美味(おいし)い果物を御馳走になった。
 千六は福昌号の信用の素晴らしいのに驚いた。積んで来た十個の味噌樽が全部、ロクに調べもせずに和蘭(オランダ)船に積込まれて、代りに夥しい羅紗(ラシャ)とギヤマンの梱包が、玄海丸に積込まれた。まだ羅紗と、絹緞(けんどん)と翡翠(ひすい)の梱包が半分以上残っているが、この風と玄海丸の船腹では積切れまいし、こっちも実はこの風が惜しいばかりでなく、非常に先を急ぐのだから、向うの海岸に卸しておく。今一度長崎へ帰って、風を見てから積取りに来いと云って、千六と船頭を卸すと、和蘭(オランダ)船はその夜のうちに、白泡を噛む外洋に出て行ってしまった。
 アト見送った千六は慌しく船頭の耳に口を寄せた。
「直ぐにこの船を出いておくれんか。この風を間切(まぎ)って呼子(よぶこ)へ廻わってんか。途中でインチキの小判と気が付いて引返やいて来よったら叶(かな)わん。和蘭陀(オランダ)船は向い風でも構いよらんけに……呼子まで百両出す。百両……なあ。紀国屋文左衛門や。道程(みちのり)が近いよって割合にしたら千両にも当るてや、なあ。男は度胸や……。あとはコンタの腕次第や。酒手を別にモウ五十両出す……」
 玄海丸は思い切って碇(いかり)を抜いた。それこそ紀国屋文左衛門式の非常な冒険的な難航海の後(のち)、翌る日の夕方呼子港へ這入った。そこで玄海丸を乗棄てた千六は巧みに役人の眼を眩(くら)まして荷物を陸揚して、数十頭の駄馬に負わせた。陸路から伊万里(いまり)、嬉野(うれしの)を抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の抜荷(ぬけに)買を呼集め、それからそれへと右から左に荷を捌(さば)かせて、忽ちの中(うち)に儲けた数万両を、やはり尽(ことごと)く為替にして大阪の三輪鶴(みわづる)に送り付けた。

 千六のこうした仕事は、その当時としては実に思い切った、電光石火的なスピード・アップを以て行われたのであった。
 果して、そのあとから正直な五島、神之浦(こうのうら)の漁民たちが海岸にコンナ荷物が棄ててありましたと云って、夥しい羅紗や宝石の荷を船に積んで奉行所へ届出たというので長崎中の大評判になった。これこそ抜荷の取引の残りに相違ないというので与力、同心の眼が急に光り出した。結局、五島の漁夫(りょうし)達が見たという○に福の字の旗印が問題になって、福昌号に嫌疑がかかって行ったが、その時分には千六は最早(もはや)長崎に居なかった。仲間の抜荷買連中と共に逸早(いちはや)く旅支度をして豊後国、日田(ひた)の天領に入込み、人の余り知らない山奥の川底(かわそこ)という温泉に涵(ひた)っていた。
 千六はそれから仲間に別れて筑前の武蔵(むさし)、別府、道後と温泉まわりを初めた。たとい金丸長者の死に損いが、如何に躍起となったにしたところが、とても大阪三輪鶴の千両箱を三十も一所(いっしょ)に積みは得(え)せまい。その上に銀之丞殿の蓄えまで投げ出したらば、松本楼の屋台骨を引抜くくらい何でもあるまい。もし又、万一、それでも満月が自分を嫌うならば、銀之丞様に加勢して、満月を金縛りにして銀之丞様に差出しても惜しい事はない。去年三月十五日の怨恨(うらみ)さえ晴らせば……男の意地というものが、決してオモチャにならぬ事が、思い上がった売女(ばいた)めに解かりさえすれば、ほかに思いおく事はない。おのれやれ万一思い通りになったらば、三日と傍へは寄せ附けずに、天の橋立の赤前垂(あかまえだれ)にでもタタキ売って、生恥(いきはじ)を晒(さら)させてくれようものを……という大阪町人に似合わぬズッパリとした決心を最初からきめていたのであった。

 京都に着いても満月の事は色にも口にも出さず。ひたすらに相手の行衛(ゆくえ)を心探しにしていた銀之丞、千六の二人は期せずして祇園の茶屋で顔を合わせた。お互いに無事を喜び合い、今までの苦心談を語り合い、この上は如何なる事があっても女の情に引かされまい。満月の手管に乗るような不覚は取るまい。必ず力を合わせて満月を泥の中に蹴落し、世間に顔向けの出来ぬまで散々に踏み躪(にじ)って京、大阪の廓雀(くるわすずめ)どもを驚かしてくれよう。日本中の薄情女を震え上らせて見せようでは御座らぬか……と固く固く誓い固めたのであった。
 何はともあれ善は急げ。二人がこうして揃った上は便々(べんべん)と三月十五日を待つ迄もない……というので、二人は顔を揃えて島原の松本楼に押し上り、芸妓(げいしゃ)末社を総上げにして威勢を張り、サテ満月を出せと註文をすると、慌てて茶代の礼を云いに来た亭主が、妙な顔をして二人を別の離(はなれ)座敷に案内した。そこで薄茶を出した亭主の涙ながらの話を聞いているうちに、二人は開いた口が塞がらなくなったのであった。
 満月は、モウこの世に居ないのであった。
「お聞き下されませ去年の春。あの花見の道中の道すがら満月が、昔なじみのお二方(ふたかた)様に、勿体ない事を申上げて、お恥かしめ申上ました事は、いつ、誰の口からともなく忽ちの中(うち)に京、大阪中の大評判になりましたもので……。
 ……ところがその評判につれて、お二人様のお姿が、京、大阪界隈にフッツリと見えなくなりますると、御老人の気弱さからでも御座りましょうか。金丸大尽様が何とのう御周章(おうろたえ)になりまして、お二人様から、どのように満月が怨まれていようやら知れぬ。満月と自分の身体(からだ)に万一の事がないうちにと仰言るような仔細(ことわり)で、こちらからお願い申上げまする通りのお金を積んで、満月ことを御身請(おみうけ)なされまして、嵯峨野の奥の御邸(おやしき)を御造作なされ変えて、お城のように締りの厳重な一廓を構え、その中に美事な別荘好みのお家敷(やしき)を作り、水を引き、草木(そうもく)を植えて、満月をお住まわせになりました。
 ……それは見事なお構えで御座いました。お客にお出でになりましたお江戸の学者、鼻曲山人(はなまがりさんじん)様も、お筆に残しておいでになりまする。私どもが御機嫌伺いに参りましても根府(ねぶ)川の飛石(とびいし)伝い、三尺の沓脱(くつぬぎ)は徳山花崗(みかげ)の縮緬(ちりめん)タタキ、黒縁に綾骨(あやぼね)の障子(しょうじ)。音もなく開きますれば青々とした三畳敷。五分縁(べり)の南京更紗(なんきんさらさ)。引ずり小手(ごて)の砂壁。楠の天井。一間二枚の襖は銀泥(ぎんでい)に武蔵野の唐紙。楽焼(らくやき)の引手。これを開きますると八畳のお座敷は南向のまわり縁。紅カリンの床板、黒柿の落し掛。南天の柱なぞ、眼を驚かす風流好み。京中を探しましても、これ程のお座敷はよも御座いますまい。満月どのの満足もいかばかりかと存じておりましたが、満つれば欠くる世の習いとか。月にむら雲。花に嵐の比喩(たとえ)も古めかしい事ながら、さて只今と相成りましては痛わしゅうて、情のうて涙がこぼれまする事ばかり……。
 何をお隠し申しましょう。満月ことはまだ手前の処で勤めに出ておりまする最中から、重い胸の疾患(やまい)に罹(かか)っておりましたので、いずれに致しましても長い生命(いのち)ではなかったので御座いまする。されば金丸大尽様からの御身請の御話が御座りました時にも、手前の方から商売気を離れまして、この事を残らず大尽様にお打明け致しまして、かかり付けのお医者様順庵様までも御同席願いました上で、かような不治の疾患(やまい)の者を御身請なぞとは勿体ない。満月ことを左程御贔負(ごひいき)に思召(おぼしめ)し賜わりまするならば、せめて寮へ下げて養生致させまする御薬代なりと賜わりましたならば、当人の身に取り、私どもに取りまして何よりの仕合わせに御座りまする。所詮、行末の計られませぬ病人を、まんろくな者と申しくるめて御引取願いましては商売冥利に尽きますると平に御宥免(おゆるし)を願いましたが、流石(さすが)に長者様とも呼ばるる御方様の御腹中は又格別なもので、さては又あれが御老人の一徹とでも申上るもので御座いましょうか、いやいやそれは要らざる斟酌。楼主(そなた)の心入れは重々忝(かたじけ)ないが、さればというてこのまま手を引いてしもうてはこっちの心が一つも届かぬ。商売は商売。人情は人情じゃ。皿茶碗の疵物(きずもの)ならば、疵(きず)のわかり次第棄てても仕舞(しま)おうが、生きた人間の病気は、そのようなものと同列には考えられぬ。袖振り合うも他生(たしょう)の縁とやら。それほどの病気ならばこちらへ引取って介抱しとうなるのが人情。まさかに満月の身体(からだ)を無代価(ただ)で引取る訳には行くまいと仰言る、退引(のっぴ)きならぬお話。こちらもその御執心と御道理に負けまして、満月をお渡し申上げたような次第で御座りまする。……が……。
 ……さて満月さんをお引取りになりましてからの大尽さまのお心づくしというものは、それはそれは心にも言葉にも悉(つ)くされる事では御座いませなんだ。京大阪の良いお医者というお医者を尋ね求め、また別に人をお遣わしなされて日本中にありとあらゆる癆※(「やまいだれ+亥」、第3水準1-88-46)(ろうがい)のお薬をお求めになりました。そのほか大法、秘法の数々、加持(かじ)、祈祷のあらん限り、手をつくし品を換えての御介抱で御座いましたが、定まる生命(いのち)というものは致し方のないもので、去年の夏もようように過ぎて秋風の立ちまする頃、果敢(はか)なくも二十一歳を一期(いちご)としてこの世の光りを見納めました。その夜は如何ようなめぐり合わせでも御座りましつろうか、拭うたような仲秋の満月の夜で御座いましたが、重たい枕を上げる力ものうなりました人間の満月どのは、おろおろしておいでになりまする金丸様のお手と、駈付けて参りました私の手を瘠せ枯れた右と左の手に力なく振って、庭の面(おもて)にさらばう虫の声よりも細々とした息の下に、かような遺言をなされました。
 ……これまでの方々(かたがた)様の御心づくし、何と御礼を申上げましょうやら。つたないこの身に余り過ぎました栄耀栄華(えいようえいが)。空恐ろしゅうて行く先が思い遣られまする計(ばか)りで御座います。ただ、おゆるし下されませ。金丸様と、御楼主様の御恩のほどは生々世々(しょうじょうせぜ)犬畜生、虫ケラに生れ代りましょうとも決して忘れは致しますまい。
 ……わたくし幼少(おさな)い時より両親(ふたおや)に死に別れまして、親身(しんみ)の親孝行も致しようのない身の上とて、この上はただ御楼主様(ごないしょさま)の御養育の御恩を、一心にお返しするよりほかに道はないと、そればかりを楽しみに思い詰めて成長(おおき)くなりましたところへ、肉親の親から譲られましたこの重病。いずれ長い寿命はないものと思い諦らめましてからというもの、一も御店のため、二も御楼主様(ごないしょさま)への御恩返しとあらゆる有難い御嫖客様(おきゃくさま)を手玉に取り、いく程の罪を重ねましたことやら。それだけでも来世は地獄に堕ちましょう。その中(うち)にも忘れかねましたのは、あの銀様と千様のこと。今年の花見の道中で、あのような心ない事を申しましたのも、心底(しんそこ)からお二人様の御行末を愛(いと)しゅう思いましたればの事。早ようこのような女を思い切って、男らしい御生涯にお入りなされませと、平生(いつも)から御意見申上げたい申上げたいと思いながらも、それがなりませぬ悲しい思いが、お変りなされたお二人のお姿を見上げますと一時に、たまらぬようになりまして、熱い固まりを胸にこらえながら、やっとあれだけ申しましたもの……それを、どのような心にお取りなされましたやら。それから後(のち)というものフッツリとお二人のお姿が京、大阪の中(うち)にお見えになりませぬとやら。その後の御様子を聞くすべもないこの胸の中(うち)の苦しさ辛(つ)らさ。お二人様は今頃日本のどこかで、怨めしい憎い女と思召(おぼしめ)して、寝ても醒めても怨んでおいでなされましょうか。それとも、もしやお若い心の遣(や)る瀬なさにこの世を儚(はか)なみ思い詰めて、あられぬ御最期をなされはせまいか。これはこの身の自惚(うぬぼ)れか。思い過ごしか。罪の深さよ。浅ましさよと、思いめぐらせばめぐらすほど、身も心も瘠せ細る三日月の、枯木の枝に縋り付きながら、土の底へ沈み果てまする、わたくしの一生。
 ……わけても勿体ない御ことは金丸様。御身請の御恩は主様(しゅさま)の御恩、親様の御恩にも憎して深いものと承わっておりながら、身をお任せ申しまする甲斐もない、うつそみの脱殻(ぬけがら)よりも忌(い)まわしいこの病身、逆様(さかさま)の御介抱を受けまするなりにこの世を去りまする面目なさ。空恐ろしさ。来世は牛にも馬にも生れ変りまして、草を喰べ、水を飲みましても貴方様を背負いまする身の上になりまするようにと、神様、仏様に心中の御願はかけながらも、この世にては露ほども御恩返しの叶(かな)わぬ情なさ。女とはかようなものかと夕蝉の、草の葉末に取りついて、心も空に泣き暮らすばかり。
 ……神様、仏様の御恩は申すに及ばず、この世にてお世話様になりました方々や、不束(ふつつか)なわたくしに仮初(かりそめ)にも有難いお言葉を賜わりました方々様へは、これこの通り手を合わせまする。ただ何事もわたくしの、つたない前世の因果ゆえと思召(おぼしめ)して、おゆるしなされて下されませ……。
 ……と……云わるる声も絶え絶えに、水晶のような涙がタッタ二すじ、右と左へ、緞子の枕に伝わり落ちると思ううちに、あるかないかの息が絶えました。それはちょうど大空の澄み渡った満月が、御病室の屋(や)の棟を超える時刻で御座いました。
 ……金丸長者様の御歎きは申すまでも御座いませぬ。この世の無常とやらを深くもお悟りになったので御座いましょう。それから間もなく、さしもにお美事なお住居(すまい)をお建て換えになりまして一宇のお寺を建立なされ、無明山満月寺と寺号をお附けになりました。去るあたりから尊い智識をお迎えになりまして御住職となされ、満月どののために仰山(ぎょうさん)な施餓鬼(せがき)をなされまして、御自身も頭を丸めて法体(ほったい)となり、法名を友月(ゆうげつ)と名乗り、朝から晩まで鉦(かね)をたたいて京洛の町中を念仏してまわり、満月どのの菩提を弔うておいでになりまする。先祖代々算盤(そろばん)を生命(いのち)と思うておりまする私どもまでも、その友月上人様の御痛わしいお姿を拝みまする度毎(たびごと)に、まことに眼も眩(く)れ、心もしどろになりまするばかり……」
 と云ううちに松本楼の主人は涙を押えて声を呑んだ。
 銀之丞も、千六も、もう正体もなく泣崩れていた。ことに播磨屋の千六は町人のボンチ上りだけに、取止めもなく声を放ってワアワアと泣出すのであった。

 嵯峨野の奥、無明山満月寺の裏手に、桜吹雪に囲まれた一基の美事な新墓が建っている。正面に名娼満月之墓と金字を彫り、裏に宝暦二年仲秋行年二十一歳と刻(きざ)んである。
 その前に香華を手向けて礼拝を遂げた老僧と新発意(しんぼち)二人。老僧は金丸長者の後身友月(ゆうげつ)。新発意の一人は俗名銀之丞こと友銀(ゆうぎん)、今一人は千六こと友雲であった。いずれも三月二十一日……思い出も深い島原の道中から七日目のきょう、一切合財の財産を思い切って満月寺に寄進し、当住職を導師として剃髪し、先輩の老僧友月と共に、満一年振りの変り果てた満月の姿を拝んだのであった。
 三人は三人とも、今更に夢のような昔を偲(しの)び、今を思うて代る代る法衣の袖を絞り合った。暫くは墓の前を立上る気色もなかったが、やがて一しきり渦巻く落花の吹雪の中を三人はよろよろと満月の墓前からよろめき出た。
 三人は並んで山門を出ると人も無い郊外の田圃道を後になり先になり列を作って鉦(かね)をたたいた。半泣きの曇り声を張上げて念仏を初めた。
「南(な)ア無(む)ウ阿(あ)ア弥(み)イ陀(だ)ア仏(ぶつ)ウ」
「ナアン……マアイ……ダア――アア」
「ナア――モオ――ダア――アア」
了

底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年10月22日第1刷発行
初出:「富士」
   1936(昭和11)年4月15日発行
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2006年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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