あらすじ
徳田秋声の「あらくれ」は、養家に嫁いだお島が、自分の運命に翻弄されながら、力強く生きようとする姿を描いた作品です。養父と養母、そして周囲の人々との複雑な関係、そして自分の生い立ちや未来への不安を抱えながらも、お島は自分の道を切り開こうとします。彼女の強い意志と、周囲の人々の思惑が交錯する中で、物語は展開していきます。お島の運命は一体どうなるのでしょうか?ぜひ、手に取って読んでみてください。
 お島(しま)が養親(やしないおや)の口から、近いうちに自分に入婿(いりむこ)の来るよしをほのめかされた時に、彼女の頭脳(あたま)には、まだ何等の分明(はっきり)した考えも起って来なかった。
 十八になったお島は、その頃その界隈(かいわい)で男嫌(おとこぎら)いという評判を立てられていた。そんなことをしずとも、町屋の娘と同じに、裁縫やお琴の稽古(けいこ)でもしていれば、立派に年頃の綺麗(きれい)な娘で通して行かれる養家の家柄ではあったが、手頭(てさき)などの器用に産れついていない彼女は、じっと部屋のなかに坐っているようなことは余り好まなかったので、稚(ちいさ)いおりから善く外へ出て田畑の土を弄(いじ)ったり、若い男たちと一緒に、田植に出たり、稲刈に働いたりした。そうしてそんな荒仕事がどうかすると寧(むし)ろ彼女に適しているようにすら思われた。養蚕の季節などにも彼女は家中(うちじゅう)の誰よりも善く働いてみせた。そうして養父や養母の気に入られるのが、何よりの楽しみであった。界隈の若い者や、傭(やと)い男などから、彼女は時々揶揄(からか)われたり、猥(みだ)らな真似(まね)をされたりする機会が多かった。お島はそうした男たちと一緒に働いたり、ふざけたりして燥(はしゃ)ぐことが好(すき)であったが、誰もまだ彼女の頬(ほお)や手に触れたという者はなかった。そう云う場合には、お島はいつも荒れ馬のように暴れて、小(こ)ッぴどく男の手顔を引かくか、さもなければ人前でそれを素破(すっぱ)ぬいて辱(はじ)をかかせるかして、自ら悦(よろこ)ばなければ止まなかった。
 お島は今でもその頃のことを善く覚えているが、彼女がここへ貰(もら)われてきたのは、七つの年であった。お島は昔気質(むかしかたぎ)の律義(りちぎ)な父親に手をひかれて、或日の晩方、自分に深い憎しみを持っている母親の暴(あら)い怒と惨酷(ざんこく)な折檻(せっかん)から脱(のが)れるために、野原をそっち此方(こっち)彷徨(うろつ)いていた。時は秋の末であったらしく、近在の貧しい町の休茶屋や、飲食店などには赤い柿の実が、枝ごと吊(つる)されてあったりした。父親はそれらの休み茶屋へ入って、子供の疲れた足を劬(いた)わり休めさせ、自分も茶を呑んだり、莨(たばこ)をふかしたりしていたが、無智なお島は、茶屋の女が剥(む)いてくれる柿や塩煎餅(しおせんべい)などを食べて、臆病(おくびょう)らしい目でそこらを見まわしていた。今まで赤々していた夕陽(ゆうひ)がかげって、野面(のづら)からは寒い風が吹き、方々の木立や、木立の蔭の人家、黄色い懸稲(かけいね)、黝(くろ)い畑などが、一様に夕濛靄(ゆうもや)に裹(つつ)まれて、一日苦使(こきつか)われて疲れた体(からだ)を慵(ものう)げに、往来を通ってゆく駄馬の姿などが、物悲しげみえた。お島は大きな重い車をつけられて、従順に引張られてゆく動物のしょぼしょぼした目などを見ると、何となし涙ぐまれるようであった。気の荒い母親からのがれて、娘の遣場(やりば)に困っている自分の父親も可哀そうであった。
 お島は爾時(そのとき)、ひろびろした水のほとりへ出て来たように覚えている。それは尾久(おく)の渡(わたし)あたりでもあったろうか、のんどりした暗碧(あんぺき)なその水の面(おも)にはまだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かに漕(こ)いでゆく淋(さび)しい舟の影が一つ二つみえた。岸には波がだぶだぶと浸(ひた)って、怪獣のような暗い木の影が、そこに揺(ゆら)めいていた。お島の幼い心も、この静かな景色を眺(なが)めているうちに、頭のうえから爪先まで、一種の畏怖(いふ)と安易とにうたれて、黙ってじっと父親の痩せた手に縋(すが)っているのであった。

 その時お島の父親は、どういう心算(つもり)で水のほとりへなぞ彼女をつれて行ったのか、今考えてみても父親の心持は素(もと)より解らない。或(あるい)は渡しを向うへ渡って、そこで知合の家(うち)を尋ねてお島の体の始末をする目算であったであろうが、お島はその場合、水を見ている父親の暗い顔の底に、或可恐(おそろ)しい惨忍(ざんにん)な思着(おもいつき)が潜んでいるのではないかと、ふと幼心に感づいて、怯(おび)えた。父親の顔には悔恨と懊悩(おうのう)の色が現われていた。
 赤児のおりから里にやられていたお島は、家へ引取られてからも、気強い母親に疎(うと)まれがちであった。始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に焼火箸(やけひばし)を押しつけられたりした。お島は涙の目で、その火箸を見詰めていながら、剛情にもその手を引込めようとはしなかった。それが一層母親の憎しみを募らせずにはおかなかった。
「この業(ごう)つく張(ばり)め」彼女はじりじりして、そう言って罵(ののし)った。
 昔は庄屋であったお島の家は、その頃も界隈の人達から尊敬されていた。祖父が将軍家の出遊(しゅつゆう)のおりの休憩所として、広々した庭を献納したことなどが、家の由緒に立派な光を添えていた。その地面は今でも市民の遊園地として遺(のこ)っている。庭作りとして、高貴の家へ出入していたお島の父親は、彼が一生の瑕(きず)としてお島たちの母親である彼が二度目の妻を、賤(いや)しいところから迎えた。それは彼が、時々酒を飲みに行く、近辺の或安料理屋にいる女の一人であった。彼女は家にいては能(よ)く働いたがその身状(みじょう)を誰も好く言うものはなかった。
 お島が今の養家へ貰われて来たのは、渡場(わたしば)でその時行逢った父親の知合の男の口入(くちいれ)であった。紙漉場(かみすきば)などをもって、細々と暮していた養家では、その頃不思議な利得があって、遽(にわか)に身代が太り、地所などをどしどし買入れた。お島は養親(やしないおや)の口から、時々その折の不思議を洩(も)れ聞いた。それは全然(まるで)作物語(つくりものがたり)にでもありそうな事件であった。或冬の夕暮に、放浪(さすらい)の旅に疲れた一人の六部(ろくぶ)が、そこへ一夜の宿を乞求めた。夜があけてから、思いがけない或幸いが、この一家を見舞うであろう由を言告(いいつ)げて立去った。その旅客の迹(あと)に、貴い多くの小判が、外に積んだ楮(かぞ)のなかから、二三日たって発見せられた。養父は大分たってから、一つはその旅客の迹を追うべく、一つは諸方の神仏に、自分の幸(さち)を感謝すべく、同じ巡礼の旅に上ったが、終(つい)にそれらしい人の姿にも出逢わなかった。左(と)に右(かく)、養家はそれから好い事ばかりが続いた。ちょいちょい町の人達へ金を貸つけたりして、夫婦は財産の殖えるのを楽んだ。
「その六部が何者であったかな」養父は稀(まれ)に門辺(かどべ)へ来る六部などへ、厚く報謝をするおりなどに、その頃のことを想出して、お島に語聞(かたりきか)せたが、お島はそんな事には格別の興味もなかった。
 養家へ来てからのお島は、生(うみ)の親や兄弟たちと顔を合す機会は、滅多になかった。

 然(しか)し時がたつに従って、その時の事実の真相が少しずつお島の心に沁込(しみこ)むようになって来た。養家の旧(もと)を聞知っている学校友達などから、ちょいちょい聞くともなし聞齧(ききかじ)ったところによると、六部はその晩急病のために其処(そこ)で落命したのであった。そして死んだ彼の懐(ふとこ)ろに、小判の入った重い財布があった。それをそっくり養父母は自分の有(もの)にして了(しま)ったと云うのであった。お島はその説の方に、より多く真実らしいところがあると考えたが、矢張(やっぱり)好い気持がしなかった。
「言いたがるものには、何とでも言わしておくさ。お金ができると何とかかとか言いたがるものなのだよ」
 お島がその事を、私(そっ)と養母に糺(ただ)したとき、彼女はそう言って苦笑していたが、養父母に対する彼女のこれまでの心持は、段々裏切られて来た。自分の幸福にさえ黒い汚点(しみ)が出来たように思われた。そしてそれからと云うもの、出来るだけ養父母の秘密と、心の傷を劬(いたわ)りかばうようにと力(つと)めたが、どうかすると親たちから疎(うと)まれ憚(はばか)られているような気がさしてならなかった。
 六部の泊ったと云う、仏壇のある寂しい部屋を、お島は夜(よる)厠(かわや)への往来(ゆきき)に必ず通らなければならなかった。そこは畳の凸凹(でこぼこ)した、昼でも日の光の通わないような薄暗い八畳であった。夫婦はそこから一段高い次の部屋に寝ていたが、お島は大きくなってからは大抵(たいてい)勝手に近い六畳の納戸(なんど)に寝(ねか)されていた。お島はその八畳を通る度(たんび)に、そこに財布を懐ろにしたまま死んでいる六部の蒼白(あおじろ)い顔や姿が、まざまざ見えるような気がして、身うちが慄然(ぞっ)とするような事があった。夜はいつでも宵の口から臥床(ふしど)に入ることにしている父親の寝言などが、ふと寝覚(ねざめ)の耳へ入ったりすると、それが不幸な旅客の亡霊か何ぞに魘(うな)されている苦悶(くもん)の声ではないかと疑われた。
 陽気のぽかぽかする春先などでも家(うち)のなかには始終湿っぽく、陰惨な空気が籠(こも)っているように思えた。そして終日庭むきの部屋で針をもっていると、頭脳(あたま)がのうのうして、寿命がちぢまるような鬱陶(うっとう)しさを感じた。お島は糸屑(いとくず)を払いおとして、裏の方にある紙漉場(かみすきば)の方へ急いで出ていった。
 薮畳(やぶだたみ)を控えた広い平地にある紙漉場の葭簀(よしず)に、温かい日がさして、楮(かぞ)を浸すために盈々(なみなみ)と湛(たた)えられた水が生暖(なまあたた)かくぬるんでいた。そこらには桜がもう咲きかけていた。板に張られた紙が沢山日に干されてあった。この商売も、この三四年近辺に製紙工場が出来などしてからは、早晩罷(や)めてしまうつもりで、養父は余り身を入れぬようになった。今は職人の数も少かった。そして幾分不用になった空地(あきち)は庭に作られて、洒落(しゃれ)た枝折門(しおりもん)などが営(しつら)われ、石や庭木が多く植え込まれた。住居(すまい)の方もあちこち手入をされた。養父は二三年そんな事にかかっていたが、今は単にそればかりでなく、抵当流れになったような家屋敷も外(ほか)に二三箇所はあるらしかった。けれど養父母はお島に詳しいことを話さなかった。
「貧乏くさい商売だね」お島は自分の稚(ちいさ)い時分から居ずわりになっている男に声かけた。その男は楮の煮らるる釜の下の火を見ながら、跪坐(しゃが)んで莨(たばこ)を喫(す)っていた。
 顎髯(あごひげ)の伸びた蒼白い顔は、明い春先になると、一層貧相らしくみえた。
「お前さんの紙漉も久しいもんだね」
「駄目だよ。旦那(だんな)が気がないから」作(さく)と云うその男は俛(うつむ)いたまま答えた。「もう楮のなかから小判の出て来る気遣(きづかい)もないからね」
「真実(ほんとう)だ」お島は鼻頭(はなのさき)で笑った。

 お島は幼(ちいさ)い時分この作という男に、よく学校の送迎(おくりむかい)などをして貰ったものだが、養父の甥(おい)に当る彼は、長いあいだ製紙の職工として、多くの女工と共に働かされたのみならず、野良仕事や養蚕にも始終苦使(こきつか)われて来た。そうして気の強い主婦からはがみがみ言われ、お島からは豕(ぶた)か何ぞのように忌嫌(いみきら)われた。絶え間のない労働に堪えかねて、彼はどうかすると気分が悪いといって、少し遅くまで寝ているようなことがあると、主婦のおとらは直(じき)に気荒く罵った。
「おいおい、この忙(せわ)しいのに寝ている奴があるかよ。旧(もと)を考えてみろ」
 おとらは作の隠れて寝ている物置のような汚いその部屋を覗込(のぞきこ)みながら毎時(いつ)ものお定例(きまり)を言って呶鳴(どな)った。甲走(かんばし)ったその声が、彼の脳天までぴんと響いた、作は主人の兄にあたるやくざ者と、どこのものともしれぬ旅芸人の女との間(なか)にできた子供であった。彼の父親は賭博(とばく)や女に身上(しんしょう)を入揚(いれあ)げて、その頃から弟の厄介ものであったが、或時身寄を頼って、上州の方へ稼(かせ)ぎに行っていたおりにその女に引かかって、それから乞食のように零落(おちぶ)れて、間もなくまた二人でこの町へ復(かえ)って来た。その時身重であったその女が、作を産(うみ)おとしてから程なく、子供を弟の家に置去(おきざり)に、どこともなく旅へ出て行った。男が病気で死んだと云う報知(しらせ)が、木更津(きさらず)の方から来たのは、それから二三年も経(た)ってからであった。
 お島はおとらが、その頃のことを何かのおりには作に言聞かせているのを善く聞いた。おとらは兄夫婦が、汽車にも得乗(えの)らず、夏の暑い日と、野原の荒い風に焼けやつれた黝(くろ)い顔をして、疲れきった足を引きずりながら這込(はいこ)んで来た光景を、口癖のように作に語って聞かせた。少しでも怠けたり、ずるけたりするとそれを持出した。
「あの衆(しゅ)と一緒だったら、お前だって今頃は乞食でもしていたろうよ。それでも生みの親が恋しいと思うなら、いつだって行くがいい」
 作は親のことを言出されると、時々ぽろぽろ涙を流していたものだが、終(しまい)にはえへへと笑って聞いていた。
 作はそんなに醜い男ではなかったが、いじけて育ったのと、発育盛(さかり)を劇(はげ)しい労働に苦使(こきつか)われて営養が不十分であったので、皮膚の色沢(いろつや)が悪く、青春期に達しても、ばさばさしたような目に潤いがなかった。主人に吩咐(いいつ)かって、雨降りに学校へ迎えに行ったり、宵に遊びほうけて、何時までも近所に姿のみえないおりなどは、遠くまで捜しにいったりして、負(おぶ)ったり抱いたりして来たお島の、手足や髪の見ちがえるほど美しく肉づき伸びて行くのが物希(ものめずら)しくふと彼の目に映った。たっぷりしたその髪を島田に結って、なまめかしい八つ口から、むっちりした肱(ひじ)を見せながら、襷(たすき)がけで働いているお島の姿が、長いあいだ彼の心を苦しめて来た、彼女に対する淡い嫉妬(しっと)をさえ、吸取るように拭(ぬぐ)ってしまった。それまで彼は歴々(れっき)とした生みの親のある、家の後取娘として、何かにつけておとらから衒(ひけ)らかす様に、隔てをおかれるお島を、詛(のろ)わしくも思っていた。

 お島が作を一層嫌って、侮蔑(ぶべつ)するようになったのもその頃からであった。
 蒸暑い夏の或真夜中に、お島はそこらを開放(あけはな)して、蚊帳(かや)のなかで寝苦しい体を持余(もてあま)していたことがあった。酸(す)っぱいような蚊の唸声(うなりごえ)が夢現(ゆめうつつ)のような彼女のいらいらしい心を責苛(せめさいな)むように耳についた。その時ふとお島の目を脅(おびや)かしたのは、蚊帳のそとから覗(のぞ)いている作の蒼白い顔であった。
「莫迦(ばか)、阿母(おっか)さんに言告(いいつ)けてやるぞ」
 お島は高い調子に叫んだ。それで作はのそのそと出ていったが、それまで何の気もなしに見ていたそれと同じような作の挙動が、その時お島の心に一々意味をもって来た。お島は劇しい侮蔑を感じた。或時は野良仕事をしている時につけ廻されたり、或時は湯殿にいる自分の体に見入っている彼の姿を見つけたりした。
 お島はそれ以来、作の顔を見るのも胸が悪かった。そして養父から、善く働く作を自分の婿に択(えら)ぼうとしているらしい意嚮(いこう)を洩(もら)されたときに、彼女は体が竦(すく)むほど厭(いや)な気持がした。しかし養父のその考えが、段々分明(はっきり)して来たとき、お島の心は、自(おのずか)ら生みの親の家の方へ嚮(む)いていった。
「何しろ作は己(おれ)の血筋のものだから、同じ継(つが)せるなら、あれに後を取らせた方が道だ」
 養父は時おり妻のおとらと、その事を相談しているらしかったが、お島はふとそれを立聞したりなどすると、堪えがたい圧迫を感じた。我儘(わがまま)な反抗心が心に湧返(わきかえ)って来た。
 作の自分を見る目が、段々親しみを加えて来た。彼は出来るだけ打釈(うちと)けた態度で、お島に近づこうとした。畑で桑など摘(つ)んでいると、彼はどんな遠いところで、忙(せわ)しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。
 おとらが内々(ないない)お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ入浸(いりびた)っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として可也(かなり)に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。
 気爽(きさく)で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して銚子(ちょうし)のお燗(かん)をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十把(ぱ)の楮(かぞ)を漉(す)くのは、普通一人前(いちにんまえ)の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を其方退(そっちの)けにして、傭い人を見張ったり、金の貸出方(かしだしかた)や取立方(とりたてかた)に抜目のない頭脳(あたま)を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。
 お島の目にも、愛相(あいそ)のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に費(つか)った金高は、少い額ではなかった。

 お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷(いなり)さまへ出かけたものであった。天性(うまれつき)目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明(はっきり)覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳の姪(めい)にあたる娘とも、遊び友達であった。
 おとらは時には、青柳の家で、お島と対(つい)の着物をお花に拵(こしら)えるために、そこへ反物屋を呼んで、柄(がら)の品評(しなさだめ)をしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児(ふたご)としかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、偶(たま)にはお花をも誘い出した。
 お花という連(つれ)のある時はそうでもなかったが、自分一人のおりには、お島は大人同志からは、全然(まるで)除(の)けものにされていなければならなかった。
「じゃね、小父(おじ)さんと阿母(おっか)さんは、此処(ここ)で一服しているからね。お前は目がわるいんだから能(よ)くお詣(まい)りをしておいで。ゆっくりで可(い)いよ。阿母さんたちはどうせ遊びに来たんだからね。小父さんも折角来たもんだから、お酒の一口も飲まなければ満(つま)らないだろうし、阿母さんだって偶に出るんだからね」
 おとらはそう言って、博多(はかた)と琥珀(こはく)の昼夜帯の間から紙入を取出すと、多分のお賽銭(さいせん)をお島の小さい蟇口(がまぐち)に入れてくれた。そこは大師から一里も手前にある、ある町の料理屋であった。二人はその奥の、母屋(おもや)から橋がかりになっている新築の座敷の方へ落着いてからお島を出してやった。
 それは丁度初夏(はつなつ)頃の陽気で、肥ったお島は長い野道を歩いて、脊筋(せすじ)が汗ばんでいた。顔にも汗がにじんで、白粉(おしろい)の剥(は)げかかったのを、懐中から鏡を取出して、直したりした。山がかりになっている料理屋の庭には、躑躅(つつじ)が咲乱れて、泉水に大きな緋鯉が絵に描いたように浮いていた。始終働きづめでいるお島は、こんなところへ来て、偶に遊ぶのはそんなに悪い気持もしなかったが、落着のない青柳や養母の目色を候(うかが)うと、何となく気がつまって居辛(いづら)かった。そして小(ちいさ)いおりから母親に媚(こ)びることを学ばされて、そんな事にのみ敏(さと)い心から、自然(ひとりで)に故(ことさ)ら二人に甘えてみせたり、燥(はしゃ)いでみせたりした。
「ええ、可(よ)ござんすとも」
 お島は大きく頷(うなず)いて、威勢よくそこを出ると、急いで大師の方へと歩き出した。
 町には同じような料理屋や、休み茶屋が外にも四五軒目に着いたが、人家を離れると直(すぐ)に田圃(たんぼ)道へ出た。野や森は一面に青々して、空が美しく澄んでいた。白い往来には、大師詣りの人達の姿が、ちらほら見えて、或雑木林の片陰などには、汚い天刑病(てんけいびょう)者が、そこにも此処にも頭を土に摺(すり)つけていた。それらの或者は、お島の迹(あと)から絡(まつ)わり着いて来そうな調子で恵みを強請(ねだ)った。お島はどうかすると、蟇口を開けて、銭を投げつつ急いで通過(とおりす)ぎた。

 曲がりくねった野道を、人の影について辿(たど)って行くと、旋(やが)て大師道へ出て来た。お島はぞろぞろ往来(ゆきき)している人や俥(くるま)の群に交って歩いていったが、本所(ほんじょ)や浅草辺の場末から出て来たらしい男女のなかには、美しく装った令嬢や、意気な内儀(かみ)さんも偶(たま)には目についた。金縁(きんぶち)眼鏡をかけて、細巻(ほそまき)を用意した男もあった。独法師(ひとりぼっち)のお島は、草履や下駄にはねあがる砂埃(すなぼこり)のなかを、人なつかしいような可憐(いじら)しい心持で、ぱっぱと蓮葉(はすは)に足を運んでいた。ほてる脛(はぎ)に絡(まつ)わる長襦袢(ながじゅばん)の、ぽっとりした膚触(はだざわり)が、気持が好かった。今別れて来た養母や青柳のことは直(じき)に忘れていた。
 大師前には、色々の店が軒を並べていた。張子の虎(とら)や起きあがり法師を売っていたり、おこしやぶっ切り飴(あめ)を鬻(ひさ)いでいたりした。蠑螺(さざえ)や蛤(はまぐり)なども目についた。山門の上には馬鹿囃(ばかばやし)の音が聞えて、境内にも雑多の店が居並んでいた。お島は久しく見たこともないような、かりん糖や太白飴(たいはくあめ)の店などを眺(なが)めながら本堂の方へあがって行ったが、何処(どこ)も彼処(かしこ)も在郷くさいものばかりなのを、心寂しく思った。お島は母に媚びるためにお守札や災難除のお札などを、こてこて受けることを怠らなかった。
 そこを出てから、お島は野広い境内を、其方(そっち)こっち歩いてみたが、所々に海獣の見せものや、田舎(いなか)廻りの手品師などがいるばかりで、一緒に来た美しい人達の姿もみえなかった。お島は隙(ひま)を潰(つぶ)すために、若い桜の植えつけられた荒れた貧しい遊園地から、墓場までまわって見た。田舎爺(いなかじじい)の加持(かじ)のお水を頂いて飲んでいるところだの、蝋燭(ろうそく)のあがった多くの大師の像のある処の前に彳(たたず)んでみたりした。木立の中には、海軍服を着た痩猿(やせざる)の綱渡(つなわたり)などが、多くの人を集めていた。お島はそこにも暫(しばら)く立とうとしたが、焦立(いらだ)つような気分が、長く足を止(とど)めさせなかった。
 休茶屋で、ラムネに渇(かわ)いた咽喉(のど)や熱(いき)る体を癒(いや)しつつ、帰路についたのは、日がもう大分かげりかけてからであった。田圃に薄寒い風が吹いて、野末のここ彼処に、千住あたりの工場の煙が重く棚引(たなび)いていた。疲れたお島の心は、取留(とりとめ)のない物足りなさに掻乱(かきみだ)されていた。
 旧(もと)のお茶屋へ還って往くと、酒に酔(え)った青柳は、取ちらかった座敷の真中に、座蒲団(ざぶとん)を枕にして寝ていたが、おとらも赤い顔をして、小楊枝(こようじ)を使っていた。
「まあ可(よ)かったね。お前お腹(なか)がすいて歩けなかったろう」おとらはお愛相(あいそ)を言った。
「お前、お水を頂いて来たかい」
「ええ、どっさり頂いて来ました」
 お島はそうした嘘(うそ)を吐(つ)くことに何の悲しみも感じなかった。
 おとらはお島に御飯を食べさせると、脱いで傍に畳んであった羽織を自分に着たり、青柳に着せたりして、やがて其処を引揚げたが、町へ帰り着く頃には、もうすっかり日がくれて蛙(かえる)の声が静(しずか)な野中に聞え、人家には灯(ひ)が点(とも)されていた。
「みんな御苦労々々々」おとらは暗い入口から声かけながら入って行ったが、養父は裏で連(しきり)に何か取込んでいた。

 お島は養父がいつまでも内に入って来ようともしず、入って来ても、飯がすむと直ぐ帳簿調に取かかったりして、無口でいるのを自分のことのように気味悪くも思った。お島はいつもするように、「肩をもみましょうか」と云って、養父の手のすいた時に、後へ廻って、養母に代って機嫌(きげん)を取るようにした。お島は九つ十の時分から、養父の肩を揉(も)ませられるのが習慣になっていた。
 おとらは一ト休みしてから、晴れ着の始末などをすると、そっち此方(こっち)戸締をしたり、一日取ちらかった其処(そこ)らを疳性(かんしょう)らしく取片着けたりしていたが、そのうちに夫婦の間にぼつぼつ話がはじまって、今日行ったお茶屋の噂(うわさ)なども出た。そのお茶屋を養父も昔から知っていた。
 此処から三四里もある或町の農家で同じ製紙業者の娘であったおとらは、その父親が若いおりに東京で懇意になった或女に産れた子供であったので、東京にも知合が多く、都会のことは能(よ)く知っているが、今の良人(おっと)が取引上のことで、ちょくちょく其処へ出入しているうちに、いつか親しい間(なか)になったのだと云うことは、お島もおとらから聞かされて知っていた。その頃痩世帯(やせじょたい)を張っていた養父は、それまで義理の母親に育てられて、不仕合せがちであったおとらと一緒になってから、二人で心を合せて一生懸命に稼いだ。その苦労をおとらは能くお島に言聞せたが、身上(しんしょう)ができてからのこの二三年のおとらの心持には、いくらか弛(たる)みができて来ていた。世間の快楽については、何もしらぬらしい養父から、少しずつ心が離れて、長いあいだの圧迫の反動が、彼女を動(と)もすると放肆(ほうし)な生活に誘出(おびきだ)そうとしていた。
 お島は長いあいだ養父母の体を揉んでから、漸(やっ)と寝床につくことが出来たが、お茶屋の奥の間での、刺戟(しげき)の強い今日の男女(ふたり)の光景を思浮べつつ、直(じき)に健(すこ)やかな眠に陥ちて了った。蛙の声がうとうとと疲れた耳に聞えて、発育盛の手足が懈(だる)く熱(ほて)っていた。
 翌朝(あした)も養父母は、何のこともなげな様子で働いていた。
 お花を連出すときも、男女(ふたり)の遊び場所は矢張(やはり)同じお茶屋であったが、お島はお花と一緒に、浅草へ遊びにやって貰ったりした。お島はお花と俥(くるま)で上野の方から浅草へ出て往った。そして観音さまへお詣りをしたり、花屋敷へ入ったりして、※(「日/咎」、第3水準1-85-32)(とき)を消した。二人は手を引合って人込のなかを歩いていたが、矢張(やっぱり)心が落着かなかった。
 おとらは時とすると、若い青柳の細君をつれだして、東京へ遊びに行くこともあったが、内気らしい細君は、誘わるるままに素直について往った。おとらは往返(いきかえ)りには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように挙動(ふるま)っていたが、細君は心の侮蔑を面(おもて)にも現わさず、物静かに待遇(あしら)っていた。

 何時(いつ)の頃であったか、多分その翌年頃の夏であったろう、その年重(おも)にお島の手に委(まか)されてあった、僅(わずか)二枚ばかりの蚕が、上蔟(じょうぞく)するに間(ま)のない或日、養父とごたごたした物言(ものいい)の揚句(あげく)、養母は着物などを着替えて、ぶらりと何処かへ出ていって了(しま)った。
 養母はその時、青柳にその時々に貸した金のことについて、養父から不足を言われたのが、気に障(さ)わったと云って、大声をたてて良人に喰(く)ってかかった。話の調子の低いのが天性(もちまえ)である養父は、嵩(かさ)にかかって言募って来るおとらの為めに遣込(やりこ)められて、終(しまい)には宥(なだ)めるように辞(ことば)を和げたが、矢張(やっぱり)いつまでもぐずぐず言っていた。
「ちっと昔しを考えて見るが可(い)いんだ。お前さんだって好いことばかりもしていないだろう。旧(もと)を洗ってみた日には、余(あんま)り大きな顔をして表を歩けた義理でもないじゃないか」
 養蚕室にあてた例の薄暗い八畳で、給桑(きゅうそう)に働いていたお島は、甲高(かんだか)なその声を洩聞くと、胸がどきりとするようであった。お島は直(じき)に六部のことを思出さずにいられなかった。ぶすぶす言っている哀れな養父(ちち)の声も途断れ途断れに聞えた。
 青柳に貸した金の額は、お島にはよくは判らなかったが、家の普請に幾分用立てた金を初めとして、ちょいちょい持っていった金は少い額ではないらしかった。この一二年青柳の生活が、いくらか華美になって来たのが、お島にも目についた。養父の知らないような少額の金や品物が、始終養母の手から私(そっ)と供給されていた。
 お島はその年の冬の頃、一度青柳と一緒に落会った養母のお伴をしたことがあったが、十七になるお島を連出すことはおとらにも漸(ようや)く憚(はばか)られて来た。場所も以前のお茶屋ではなかった。
 その日も養父は、使い道の分明(はっきり)しないような金のことについて、昼頃からおとらとの間に紛紜(いざこざ)を惹起(ひきおこ)していた。長いあいだ不問に附して来た、青柳への貸のことが、ふとその時彼の口から言出された。そして日頃肚(はら)に保(も)っていた色々の場合のおとらの挙動(ふるまい)が、ねちねちした調子で詰(なじ)られるのであった。
 結局おとらは、綺麗に財産を半分わけにして、別れようと言出した。そして良人の傍を離れると、奥の間へ入って、暫(しばら)く用箪笥(ようだんす)の抽斗(ひきだし)の音などをさせていたが、それきり出ていった。
「まあ阿母(おっか)さん、そんなに御立腹なさらないで、後生ですから家にいて下さい。阿母さんが出ていっておしまいなすったら、私(わたし)なんざどうするんでしょう」
 お島はその傍へいって、目に涙をためて哀願したが、おとらは振顧(ふりむ)きもしなかった。
 夜になってから、お島は養父に吩咐(いいつ)かって、近所をそっち此方(こっち)尋ねてあるいた。青柳の家へもいって見たが、見つからなかった。
 おとらの未(ま)だ帰って来ない、或日の午後、蚕に忙(せわ)しいお島の目に、ふと庭向の新建(しんだち)の座敷で、おとらを生家(さと)へ出してやった留守に、何時か為(し)たように、夥(おびただ)しい紙幣(さつ)を干している養父の姿を見た。八畳ばかりの風通しのいいその部屋には、紙幣の幾束が日当りへ取出されてあった。

 お島は養父が、二三軒の知合の家へ葉書を出したことを知っていたが、おとらが帰ってから、漸(やっ)と届いたおとらの生家(さと)の外は、その返辞はどこからも来なかった。
 養父はどうかすると、蚕室にいるお島の傍へ来て、もうひきるばかりになっている蚕を眺めなどしていた。蚕の或物はその蒼白(あおじろ)い透徹(すきとお)るような躯(からだ)を硬張(こわばら)せて、細い糸を吐きかけていた。
「お前阿母(おっかあ)から口止されてることがあるだろうが」
 養父はこの時に限らず、おとらのいない処で、どうかするとお島に訊(たず)ねた。
「どうしてです。いいえ」お島は顔を赧(あから)めた。
 しかし養父はそれ以上深入しようとはしなかった。お島にはおとらに対する養父の弱点が見えすいているようであった。
 もう遊びあいて、家(うち)が気にかかりだしたと云う風で、おとらの帰って来たのは、その日の暮近くであった。養父はまだ帳場の方を離れずにいたが、おとらは亭主にも辞(ことば)もかけず、「はい只今」と、お島に声かけて、茶の間へ来て足を投げ出すと、せいせいするような目色(めつき)をして、庭先を眺めていた。濃い緑の草や木の色が、まだ油絵具のように生々(なまなま)してみえた。
 お島は脱ぎすてた晴衣や、汗ばんだ襦袢(じゅばん)などを、風通しのいい座敷の方で、衣紋竹(えもんだけ)にかけたり、茶をいれたりした。
「こんな時に顔を出しておきましょうと思って、方々歩きまわって来たよ」おとらは行水をつかいながら、背(せなか)を流しているお島に話しかけた。その行った先には、種違いのおとらの妹の片着先(かたづきさき)や、子供のおりの田舎の友達の縁づいている家などがあった。それらは皆(みん)な東京のごちゃごちゃした下町の方であった。そして誰も好い暮しをしている者はないらしかった。そして一日二日もいると、直(じき)に厭気(いやけ)がさして来た。おとら夫婦は、金ができるにつれて、それ等の人達との間に段々隔てができて、往来(ゆきき)も絶えがちになっていた。生家(さと)とも矢張(やっぱり)そうであった。
 湯から上がって来ると、おとらは東京からこてこて持って来た海苔(のり)や塩煎餅(しおせんべい)のようなものを、明(あかり)の下で亭主に見せなどしていたが、飯がすむと蚊のうるさい茶の間を離れて、直(じき)に蚊帳(かや)のなかへ入ってしまった。
 毎夜々々寝苦しいお島は、白い地面の瘟気(いきれ)の夜露に吸取られる頃まで、外へ持出した縁台に涼んでいたが、近所の娘達や若いものも、時々そこに落会った。町の若い男女の噂が賑(にぎわ)ったり、悪巫山戯(わるふざけ)で女を怒(おこ)らせたりした。
 仕舞湯(しまいゆ)をつかった作が、浴衣(ゆかた)を引かけて出て来ると、うそうそ傍へ寄って来た。
「この莫迦(ばか)また出て来た」お島は腹立しげについと其処を離れた。

 おとらと青柳との間に成立っていたお島と青柳の弟との縁談が、養父の不同意によって、立消えになった頃には、おとらも段々青柳から遠ざかっていた。一つはお島などの口から、自分と青柳との関係が、うすうす良人の耳に入ったことが、その様子で感づかれたのに厭気がさしたからであったが、一つは青柳夫婦がぐるになって、慾一方でかかっていることが余りに見えすいて来たからであった。
 お島が十七の暮から春へかけて、作の相続問題が、また養父母のあいだに持あがって来た。お島はそのことで、養父母の機嫌をそこねてから、一度生みの親達の傍へ帰っていた。お島はその頃、誰が自分の婿であるかを明白(はっきり)知らずにいた。そして婚礼支度の自分の衣裳(いしょう)などを縫いながら、時々青柳の弟のことなどを、ぼんやり考えていた。東京の学校で、機械の方をやっていたその弟と、お島はついこれまで口を利(き)いたこともなかったし、自分をどう思っているかをも知らなかったが、深川の方に勤め口が見つかってから、毎朝はやく、詰襟(つめえり)の洋服を着て、鳥打をかぶって出て行く姿をちょいちょい見かけた。途中で逢うおりなどには、双方でお辞儀ぐらいはしたが、お島自身は彼について深く考えて見たこともなかった。そして青柳とおとらとの間に、その話の出るとき毎時(いつも)避けるようにしていた。
 ある時そんな事については、から薄ぼんやりなお花の手を通して、綺麗(きれい)な横封に入った手紙を受取ったが、洋紙にペンで書いた細(こまか)い文字が、何を書いてあるのかお花にはよくも解らなかったが、双方の家庭に対する不満らしいことの意味が、お島にもぼんやり頭脳(あたま)に入った。お島のそんな家庭に縛られている不幸に同情しているような心持も、微(かすか)に受取れたが、お島は何だか厭味(いやみ)なような、擽(くすぐ)ったいような気がして、後で揉(もみ)くしゃにして棄(すて)てしまった。その事を、多少は誇りたい心で、おとらに話すと、おとらも笑っていた。
「あれも妙な男さ。養子なんかに行くのは厭だといって置きながら、そんな物をくれるなんて、厭だね」
 お島は養父母が、すっかり作に取決めていることを感づいてから、仕事も手につかないほど不快を感じて来た。おとらは不機嫌なお島の顔を見ると、お島が七つのとき初めて、人につれられて貰われて来た時の惨(みじめ)なさまを掘返して聞せた。
「あの時お前のお父(とっ)さんは、お前の遣場(やりば)に困って、阿母(おっか)さんへの面(つら)あてに川へでも棄ててしまおうかと思ったくらいだったと云う話だよ。あの阿母さんの手にかかっていたら、お前は産れもつかぬ不具(かたわ)になっていたかも知れないよ」おとらはそう言って、生みの親の無情なことを語り聞かせた。

 近所でも知らないような、作とお島との婚礼談(こんれいばなし)が、遠方の取引先などで、意(おも)いがけなくお島の耳へ入ったりしてから、お島は一層分明(はっきり)自分の惨(みじめ)な今の身のうえを見せつけられるような気がして、腹立しかった。そしてその事を吹聴してあるくらしい、作の顔が一層間ぬけてみえ、厭らしく思えた。
「まだ帰らねえかい」そう言って、小さい時分から学校へ迎えに来た作は、昔も今も同じような顔をしていた。
「外に待っておいで」お島はよく叱(しか)りつけるように言って、入り口の外に待たしておいたものだが、今でも矢張(やっぱり)、下駄に手をふれられても身ぶるいがするほど厭であった。
 婚礼談(ばなし)が出るようになってから、作は懲りずまに善くお島の傍へ寄って来た。余所行(よそゆき)の化粧をしているとき、彼は横へ来てにこにこしながら、横顔を眺めていた。
「あっちへ行っておいで」お島はのしかかるような疳癪声(かんしゃくごえ)を出して逐退(おいしりぞ)けた。
「そんなに嫌わんでも可(い)いよ」作はのそのそ出ていった。
 作の来るのを防ぐために、お島は夜自分の部屋の襖(ふすま)に心張棒(しんばりぼう)を突支(つっか)えておいたりしなければならなかった。
「厭だ厭だ、私死んでも作なんどと一緒になるのは厭です」お島は作のいる前ですら、始終母親にそう言って、剛情を張通して来た。
「作さんが到頭お島さんのお婿さんに決ったそうじゃないか」
 お島は仕切を取りに行く先々で、揶揄(からか)い面(づら)で訊(き)かれた。足まめで、口のてきぱきしたお島は、十五六のおりから、そうした得意先まわりをさせられていた。お島のきびきびした調子と、蓮葉(はすは)な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴(ものな)れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。
 それが小心な養父には、気に入らなかった。時々お島は養父から小言を言われた。
「可(い)いじゃありませんか阿父(おとっ)さん、家の身上(しんしょう)をへらすような気遣(きづかい)はありませんよ」お島は煩(うる)さそうに言った。
「阿父さんのように吝々(けちけち)していたんじゃ、手広い商売は出来やしませんよ」
 ぱっぱっとするお島の遣口(やりくち)に、不安を懐(いだ)きながらも、気無性(きぶしょう)な養父は、お島の働きぶりを調法がらずにはいられなかった。
「嘘ですよ」
 お島は作と自分との結婚を否認した。
「それでも作さんがそう言っていましたぜ」取引先の或人は、そう言って面白そうにお島の顔を瞶(みつ)めた。
「あの莫迦の言うことが、信用できるもんですか」お島は鼻で笑っていた。
 王子の方にある生家へ逃げて帰るまでに、お島の周囲には、その噂が到るところに拡がっていた。
「それじゃお前は、どんな男が望みなのだえ」おとらは終(しまい)にお島に訊ねた。
「そうですね」お島はいつもの調子で答えた。
「私はあんな愚図々々した人は大嫌いです。些(ちっ)とは何か大きい仕事でもしそうな人が好きですの。そして、もっと綺麗に暮していけるような人でなければ、一生紙をすいたり、金の利息の勘定してるのはつくづく厭だと思いますわ」

 盆か正月でなければ、滅多に泊ったことのない生みの親達の家へ来て二三日たつと、直(じき)に養母が迎いに来た。
 お島が盆暮に生家を訪ねる時には、砂糖袋か鮭(さけ)を提(たずさ)えて作が急度(きっと)お伴(とも)をするのであったが、この二三年商売の方を助(す)けなどするために、時には金の仕舞ってある押入や用箪笥(ようだんす)の鍵(かぎ)を委(まか)されるようになってからは、不断は仲のわるい姉や、母親の感化から、これも動(と)もすると自分に一種の軽侮(けいぶ)を持っている妹に、半衿(はんえり)や下駄や、色々の物を買って行って、お辞儀されるのを矜(ほこ)りとした。姉や妹に限らず、養家へ出入(ではいり)する人にも、お島はぱっぱと金や品物をくれてやるのが、気持が好かった。貧しい作男の哀願に、堅く財布の口を締めている養父も、傍へお島に来られて喙(くち)を容(い)れられると、因業(いんごう)を言張ってばかりもいられなかった。遊女屋から馬をひいて来る職工などに、お島は自分の考えで時々金を出してくれた。それらの人は、途(みち)でお島に逢うと、心から叮嚀(ていねい)にお辞儀をした。
 大方の屋敷まわりを兄に委せかけてあった実家の父親は、兄が遊蕩(ゆうとう)を始めてから、また自分で稼業(かぎょう)に出ることにしていたので、お島はそうして帰って来ていても滅多に父親と顔を合さなかった。毎日々々箸(はし)の上下(あげおろ)しに出る母親の毒々しい当こすりが、お島の頭脳(あたま)をくさくささせた。
「そう毎日々々働いてくれても、お前のものと云っては何(なん)にもありゃしないよ」
 母親は、外へ出て広い庭の草を取ったり、父親が古くから持っていて手放すのを惜んでいる植木に水をくれたりして、まめに働いているお島の姿をみると、家のなかから言聞かせた。広い門のうちから、垣根に囲われた山がかりの庭には、松や梅の古木の植わった大きな鉢(はち)が、幾個(いくつ)となく置駢(おきなら)べられてあった。庭の外には、幾十株松を育(そだて)てある土地があったり、雑多の庭木を植つけてある場所があったりした。この界隈(かいわい)に散ばっているそれ等の地面が、近頃兄弟達の財産として、それぞれ分割されたと云うことはお島も聞いていた。
 いつか父親が、自分の隠居所にするつもりで、安く手に入れた材木を使って建てさせた屋敷も、それ等の土地の一つのうちにあった。
「ええ。些(ちっ)とばかりの地面や木なんぞ貰(もら)ったって、何になるもんですか。水島の物にだって目をくれてやしませんよ」お島は跣足(はだし)で、井戸から如露(じょろ)に水を汲込みながら言った。
「好い気前だ。その根性骨だから人様に憎がられるのだよ」
「憎むのは阿母さんばかりです。私はこれまで人に憎がられた覚(おぼえ)なんかありゃしませんよ」
「そうかい、そう思っていれば間違はない。他人のなかに揉まれて、些(ちっ)とは直ったかと思っていれば、段々不可(いけな)くなるばかりだ」
「余計なお世話です。自分が育てもしない癖に」お島は如露を提げて、さっさと奥の方へ入って行った。

 お島はもう大概水をくれて了ったのであったが、家へ入ってからの母親との紛紜(いさくさ)が気煩(きうるさ)さに、矢張(やっぱり)大きな如露をさげて、其方(そっち)こっち植木の根にそそいだり、可也(かなり)の距離から来る煤煙に汚れた常磐木(ときわぎ)の枝葉を払いなどしていたが、目が時々入染(にじ)んで来る涙に曇った。
「お島さん、どうも済んませんね」などと、仕事から帰って来た若いものが声をかけたりした。
「私はじっとしていられない性分だからね」とお島はくっきりと白い頬(ほお)のあたりへ垂れかかって来る髪を掻(かき)あげながら、繁(しげ)みの間から晴やかな笑声を洩していたが、預けられてあった里から帰って来て、今の養家へもらわれて行くまでの短い月日のあいだに、母親から受けた折檻(せっかん)の苦しみが、憶起(おもいおこ)された。四つか五つの時分に、焼火箸(やけひばし)を捺(おし)つけられた痕(あと)は、今でも丸々した手の甲の肉のうえに痣(あざ)のように残っている。父親に告口をしたのが憎らしいと云って、口を抓(つ)ねられたり、妹を窘(いじ)めたといっては、二三尺も積っている脊戸(せど)の雪のなかへ小突出(こづきだ)されて、息の窒(つま)るほどぎゅうぎゅう圧しつけられた。兄弟達に食物を頒(わ)けるとき、お島だけは傍に突立ったまま、物欲しそうに、黙ってみている様子が太々(ふてぶて)しいといって、何もくれなかったりした。土掻(つちかき)や、木鋏(きばさみ)や、鋤鍬(すきくわ)の仕舞われてある物置にお島はいつまでも、めそめそ泣いていて、日の暮にそのまま錠をおろされて、地鞴(じだんだ)ふんで泣立てたことも一度や二度ではなかったようである。
 父親は、その度(たんび)に母親をなだめて、お島を赦(ゆる)してくれた。
「多勢子供も有(も)ってみたが、こんな意地張(いじっぱり)は一人もありゃしない」母親はお島を捻(ひね)りもつぶしたいような調子で父親と争った。
 お島は我子ばかりを劬(いた)わって、人の子を取って喰(く)ったという鬼子母神(きしぼじん)が、自分の母親のような人であったろうと思った。母親はお島一人を除いては、どの子供にも同じような愛執を持っていた。
 日が暮れる頃に、お島は物置の始末をして、漸(やっ)と夕飯に入って来たが、父親は難(むずか)しい顔をして、いつか長火鉢の傍で膳(ぜん)に向って、お仕着せの晩酌をはじめているところであった。外はもう夜の色が這拡(はいひろ)がって、近所の牧場では牛の声などがしていた。往来の方で探偵ごっこをしていた子供達も、姿をかくして、空には柔かい星の影が春めいてみえた。
「まあ一月でも二月でも家においてやるがいい。奉公に出したって、もう一人前の女だ」父親はそんなことを言って、何かぶつくさ言っている母親を和(なだ)めているらしかったが、お島は台所で、それを聞くともなしに、耳を立てながら、自分の食器などを取出していた。
「今に見ろ、目の飛出るようなことをしてやるから」お島はむらむらした母への反抗心を抑えながら、平気らしい顔をしてそこへ出て行った。切(せ)めて自分を養家へ口入した、西田と云う爺(じい)さんの行(や)っているような仕事に活動してみたいとも思った。その爺さんは、近頃陸軍へ馬糧などを納めて、めきめき家を大きくしていた。実直に働いて来た若いものにくれてやった姉などを、さも幸福らしく言たてる母親を、お島は苦々しく思っていたが、それにつけても、一生作などと婚礼するためには、養家の閾(しきい)は跨(また)ぐまいと考えていた。食事をしている間(ま)も、昂奮(こうふん)した頭脳(あたま)が、時々ぐらぐらするようであった。

 或日の午後におとらが迎いに来たとき、父親も丁度家に居合せて、ここから二三町先にある持地(もちじ)で、三四人の若い者を指図(さしず)して、可也大きな赤松を一株(ひともと)、或得意先へ持運ぶべく根拵(ねごしら)えをしていた。
 お島はおとらを客座敷の方へ案内すると、直(じき)に席をはずして了ったが、実母の吩咐(いいつけ)で父親を呼びに行った。お島はこうして邪慳(じゃけん)な実母の傍へ来ていると、小さい時分から自分を可愛(かわい)がって育ててくれた養母の方に、多くの可懐(なつか)しみのあることが分明(はっきり)感ぜられて来た。養家や長い馴染(なじみ)のその周囲も恋しかった。
「島ちゃん、お前さんそう幾日も幾日もこちらの御厄介になっていても済まないじゃないか。今日は私がつれに来ましたよ」おとらにいきなりそう言って上り込んで来られた時、お島は反抗する張合がぬけたような気がして、何だか涙ぐましくなって来た。
「手前の躾(しつけ)がわりいから、あんな我儘(わがまま)を言うんだ。この先もあることだから放抛(うっちゃ)っておけと、宅ではそう言って怒っているんですけれど、私もかかり子(ご)にしようと思えばこそ、今日まで面倒を見てきたあの子ですからね」
 おとらのそう言っている挨拶(あいさつ)を茶の間で茶をいれながら、お島は聞いていたが、お島のことと云うと、誰に向ってもひり出すように言いたい実母も、ただ簡単な応答(うけごたえ)をしているだけであった。
 こんな出入に口無調法な父親は、さも困ったような顔をしていたが、旋(やが)て井戸の方へまわって手顔を洗うと、内へ入って来た。お島は母親のいないところで、ついこの一両日前にも、父親が事によったら、母親に秘密で自分に頒(わ)けてもいいと言った地面の坪数や価格などについて、父親に色々聞されたこともあった。その坪は一千弱(たらず)で、安く見積っても木ぐるみ一万円が一円でも切れると云うことはなかろうと云うのであった。お島は心強いような気がしたが、母親の目の黒いうちは、滅多にその分前(わけまえ)に有附けそうにも思えなかった。
「家の地面は、全部でどのくらいあるの」お島は爾時(そのとき)も父親に訊いてみた。
「そうさな」と、父親は笑っていたが、それが大見(おおけん)一万近いものであることは、お島にも考えられた。中には野菜畠や田地も含まれていた。子供が多いのと、この二三年兄の浪費が多かったのとで、借金の方(かた)へ入っている場所も少くなかった。去年の秋から、家を離れて、田舎へ稼(かせ)ぎにいっている兄の傍には、暫く係合(かかりあ)っていた商売人(くろうと)あがりの女が未だに附絡(つきまと)っていたり、嫂(あによめ)が三つになる子供と一緒に、東京にあるその実家へ引取られていたりした。父親の助けになる男片(おとこきれ)と云っては、十六になるお島の弟が一人家にいるきりであった。
 家が段々ばたばたになりかかっていると云うことが、そうして五日も六日も見ているお島の心に感ぜられて来た。母親のやきもきしている様子も、見えすいていた。

 お島は父親が内へ入ってからも、暫く裏の植木畑のあたりを逍遥(ぶらつ)いていた。どうせここにいても、母親と毎日々々啀(いが)みあっていなければならない。啀み合えば合うほど、自分の反抗心と、憎悪の念とが募って行くばかりである。長いあいだ忘れていた自分の子供の時分に受けた母親の仕打が、心に熟(う)み靡(ただ)れてゆくばかりである。一万二万と弟や妹の分前はあっても、自分には一握(ひとつかみ)の土さえないことを思うと頼りなかった。それかと言って、養家へ帰れば、寄って集(たか)って急度(きっと)作と結婚しろと責められるに決っていた。多くの取引先や出入(ではいり)の人達には、もうそれが単なる噂ではなくて、事実となって刻まれている。お島は作の顔を見るのも厭だと思った。あの禿(はげ)あがったような貧相らしい頸(えり)から、いつも耳までかかっている尨犬(むくいぬ)のような髪毛(かみのけ)や赤い目、鈍(のろ)くさい口の利方(ききかた)や、卑しげな奴隷根性などが、一緒に育って来た男であるだけに、一層醜くも蔑視(さげす)ましくも思えた。あんな男と一緒に一生暮せようとは、どうしても考えられなかった。実母がそれを生意気だといって罵(ののし)るのはまだしも、実父にまで、時々それを圧(おし)つけようとする口吻(こうふん)を洩されるのは、堪(た)えられないほど情なかった。
 大分たってから皆(みんな)の前へ呼ばれていった時、お島は漸(やっ)と目に入染(にじ)んでいる涙を拭(ふ)いた。
「私(わし)もこの四五日忙(せわ)しいんで、聞いてみる隙(ひま)もなかったが、全体お前の了簡(りょうけん)はどういうんだな」
 お島が太(ふ)てたような顔をして、そこへ坐ったとき、父親が硬(かた)い手に煙管(きせる)を取あげながら訊ねた。お島は曇(うる)んだ目色(めつき)をして、黙っていた。
「今日までの阿母さんの恩を考えたら、お前が作さんを嫌うの何のと、我儘を言えた義理じゃなかろうじゃねえか。ようく物を考えてみろよ」
「私は厭です」お島は顔の筋肉を戦(わなな)かせながら言った。
「他(ほか)の事なら、何でも為(し)て御恩返しをしますけれど、これだけは私厭です」
 父親は黙って煙管を啣(くわ)えたまま俛(うつむ)いてしまったが、母親は憎さげにお島の顔を瞶(みつ)めていた。
「島、お前よく考えてごらんよ。衆(みな)さんの前でそんな御挨拶をして、それで済むと思っているのかい。義理としても、そうは言わせておかないよ。真実(ほんと)に惘(あき)れたもんだね」
「どうしてまたそう作太郎を嫌ったものだろうねえ」おとらは前屈(まえこご)みになって、華車(きゃしゃ)な銀煙管に煙草をつめながら一服喫(ふか)すと、「だからね、それはそれとして、左(と)に右(かく)私と一緒に一度還っておくれ。そんなに厭なものを、私だって無理にとは言いませんよ。出入の人達の口も煩(うるさ)いから、今日はまあ帰りましょう。ねえ。話は後でもできるから」と宥(なだ)めるように言って、そろそろ煙管を仕舞いはじめた。
 お島を頷(うなず)かせるまでには、大分手間がとれたが、帰るとなると、お島は自分の関係が分明(はっきり)わかって来たようなこの家を出るのに、何の未練気もなかった。
「どうも済みません。色々御心配をかけました」お島はそう言って挨拶をしながら、おとらについて出た。
 そして何時にかわらぬ威勢のいい調子で、気爽(きさく)におとらと話を交えた。
「男前が好くないからったって、そう嫌ったもんでもないんだがね」
 おとらは途々(みちみち)お島に話しかけたが、左(と)に右(かく)作の事はこれきり一切口にしないという約束が取極(とりき)められた。

 おとらは途(みち)で知合の人に行逢うと、きっとお島が、生家の母親の病気を見舞いにいった体(てい)に吹聴していたが、お島にもその心算(つもり)でいるようにと言含めた。
「作太郎にも余りつんけんしない方がいいよ。あれだってお前、為(す)ることは鈍間(のろま)でも、人間は好いものだよ。それにあの若さで、女買い一つするじゃなし、お前をお嫁にすることとばかり思って、ああやって働いているんだから。あれに働かしておいて、島ちゃんが商売をやるようにすれば、鬼に鉄棒(かなぼう)というものじゃないか。お前は今にきっとそう思うようになりますよ」おとらはそうも言って聞せた。
 お島は何だか変だと思ったが、欺(だま)したり何かしたら承知しないと、独(ひとり)で決心していた。
 家へ帰ると、気をきかして何処(どこ)かへ用達(ようた)しにやったとみえて、作の姿は何処にも見えなかったが、紙漉場(かみすきば)の方にいた養父は、おとらの声を聞つけると、直に裏口から上って来た。お島はおとらに途々言われたように、「御父さんどうも済みません」と、虫を殺してそれだけ言ってお叩頭(じぎ)をしたきりであったが、おとらが、さも自分が後悔してでもいるかのような取做方(とりなしかた)をするのを聞くと、急に厭気がさして、かっと目が晦(くら)むようであった。お島はこの家が遽(にわか)に居心がわるくなって来たように思えた。取返しのつかぬ破滅(はめ)に陥(お)ちて来たようにも考えられた。
「あの時王子の御父(おとっ)さんは、家へ帰って来るとお島は隅田川(すみだがわ)へ流してしまったと云って御母(おっか)さんに話したと云うことは、お前も忘れちゃいない筈(はず)だ」養父はねちねちした調子で、そんな事まで言出した。
 お島はつんと顔を外向(そむ)けたが、涙がほろほろと頬へ流れた。
「旧(もと)を忘れるくらいな人間なら、駄目のこった」
 お島がいらいらして、そこを立かけようとすると、養父はまた言足した。
「それで王子の方では、皆さんどんな考だったか。よもやお前に理(り)があるとは言うまいよ」
 お島は俛(うつむ)いたまま黙っていたが、気がじりじりして来て、じっとしていられなかった。
 おとらが汐(しお)を見て、用事を吩咐(いいつ)けて、そこを起(たた)してくれたので、お島は漸(やっ)と父親の傍から離れることが出来た。そして八畳の納戸(なんど)で着物を畳みつけたり、散かったそこいらを取片着けて、埃(ごみ)を掃出しているうちに、自分がひどく脅(おどか)されていたような気がして来た。
 夕方裏の畑へ出て、明朝(あした)のお汁(つゆ)の実にする菜葉(なっぱ)をつみこんで入って来ると、今し方帰ったばかりの作が、台所の次の間で、晩飯の膳に向おうとしていた。作は少し慍(おこ)ったような風で、お島の姿を見ても、声をかけようともしなかったが、大分たってから明朝(あした)の仕かけをしているお島の側へ、汚れた茶碗や小皿を持出して来た時には、矢張(やっぱり)いつものとおり、にやにやしていた。
「汚(きたな)い、其地(そっち)へやっとおき」お島はそんな物に手も触れなかった。

 お島が作との婚礼の盃がすむか済まぬに、二度目にそこを飛出したのは、その年の秋の末であった。
 残暑の頃から悩んでいた病気の予後を上州の方の温泉場で養生していた養父が、急にその事が気にかかり出したといって、予定よりもずっと早く、持っていった金も半分弱(たらず)も剰(あま)して、帰って来てから、この春の時に用意したお島の婚礼着の紋附や帯がまた箪笥(たんす)から取出されたり、足りない物が買足されたりした。
 お島はこの夏は、いつもの養蚕時が来ても、毎年々々仕馴れた仕事が、不思議に興味がなかった。そして病床に寝ている養父が、時々じれじれするほど、総(すべ)てのことに以前のような注意と熱心とを欠いて来た。家におって、薬や食物(たべもの)の世話をしたり、汚れものを洗濯したりするよりも、市中や田舎の方の仕切先を廻って、うかうか時間を消すことが、多かった。七つのおりからの、色々の思出を辿(たど)ってみると、養父や養母に媚(こ)びるために、物の一時間もじっとしている時がないほど、粗雑(がさつ)ではあったが、きりきり働いて来たことが、今になってみると、自分に取って身にも皮にもなっていないような気がした。或時は、着物の出来るのが嬉しかったり、或時は財産を譲渡されると云う、遠い先のことに朧げな矜(ほこり)を感じていた。そして妹達に比べて、自分の方が、一層慈愛深い人の手に育てられている一人娘の幸福を悦(よろこ)んでいた。
「お島さんお島さん」と云って、周囲の人が、挙(こぞ)って自分を崇(あが)めているようにも見えた。馬糧用達(ようたし)の西田の爺(じじ)いから、不断ここの世話になっている、小作人に至るまで、お島では随分助かっている連中も、お島が一切を取仕切る時の来るのを待設けているらしくも思われた。
「くよくよしないことさ。今にみんな好くしてあげようよ。ここの身代一つ潰(つぶ)そうと思えば、何でもありゃしない」
 お島は借金の言訳に、ぺこぺこしている男を見ると、そういって大束(おおたば)を極込(きめこ)んだ。
 病気の間もそうであったが、養父が湯治に行ってからは、青柳がまたちょくちょく入込んでいた。それでなくとも、十年来住みなれて来ながら、一生ここで暮せようとは思えなくなった家に、めっきり親しみがなくなって来たお島は、よく懇意の得意先へあがっていって、半日も話込んでいた。主人(あるじ)に代って、店頭(みせさき)に坐ってお客にお世辞を振撒(ふりま)いたり、気の合った内儀(かみ)さんの背後(うしろ)へまわって髪を取(とり)あげてやったりした。
「私二三年東京で働いてみようかしら」お島は何か働き効(がい)のある仕事に働いてみたい望みが湧いていた。
「笑談(じょうだん)でしょう」内儀さんは笑っていた。
「いいえ真実(まったく)。私この頃つくづくあの家が厭になってしまったんです」
「でも貴方にぬけられちゃ、お家(うち)で困るでしょう」
「どうですかね。安心して私に委せておけないような人達ですからね。何を仕出来(しでか)すかと思って、可怕(おっかな)いでしょう」お島は可笑(おか)しそうに笑った。
 目こする間(ま)に、さっさと髷(まげ)に取揚げられた内儀さんの頭髪(あたま)は、地(じ)が所々引釣(ひきつ)るようで、痛くて為方(しかた)がなかった。

 お島は或時は、それとなく自分に適当した職業を捜そうと思って、人にも聞いてみたり、自分にも市中を彷徨(ぶらつ)いてみたりしたが、自分の智識が許しそうな仕事で、一生懸命になり得るような職業はどこにも見当らなかった。坐って事務を取るようなところは、碌々(ろくろく)小学校すら卒業していない彼女の学力が不足であった。
 お島は時とすると、口入屋の暖簾(のれん)をくぐろうかと考えて、その前を往ったり来たりしたが、そこに田舎の駈出(かけだ)しらしい女の無智な表情をした顔だの、みすぼらしい蝙蝠(こうもり)や包みやレーザの畳のついた下駄などが目につくと、もう厭になって、その仲間に成下(なりさが)ってまでゆこうと云う勇気は出なかった。
 お島は日がくれても家へ帰ろうともしず、上野の山などに独(ひとり)でぼんやり時間を消すようなことが多かった。山の下の多くの飲食店や、商家(あきないや)には灯(ひ)が青黄色い柳の色と一つに流れて、そこを動いている電車や群衆の影が、夢のように動いていた。お島はそんな時、恩人の子息(むすこ)で、今アメリカの方へ行っているという男のことなどを憶出(おもいだ)していた。そして旅費さえ偸(ぬす)み出すことができれば、何時でもその男を頼って、外国へ渡って行けそうな気さえするのであった。
「ここまで漕(こ)ぎつけて、今一ト息と云うところで、あの財産を放抛(うっちゃ)って出るなんて、そんな奴があるものか」
 お島がその希望をほのめかすと、西田の老人は頭からそれを排斥した。この老人の話によると、養家の財産は、お島などの不断考えているよりは、※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)(はるか)に大きいものであった。動産不動産を合せて、十万より凹(へこ)むことはなかろうと云うのであった。床下の弗函(ドルばこ)に収(しま)ってあると云う有金だけでも、少い額ではなかろうと云うのであった。その中には幾分例の小判もあろうという推測も、強(あなが)ち嘘(うそ)ではなかろうと思われた。
 小(こまか)い子供を多勢持っているこのお爺さんも、旧(もと)は矢張(やっぱり)お島の養父から、資金の融通を仰いだ仲間の一人(いちにん)であった。今でも未償却のままになっている額が、少くなかった。老人は、何をおいても先(まず)、慾を知らなければ一生の損だということをお島にくどくど言聴(いいきか)した。
 お島はそれでその時はまた自分の家の閾(しきい)を跨(また)ぐ気になるのであったが、この老人や青柳などの口利(くちきき)で、婿が作以外の人に決めらるるまでは、動きやすい心が、動(と)もすると家を離れていこうとした。

 婚礼沙汰(ざた)が初まってから、毎日のように来ては養父母と内密(ないしょ)で談(はなし)をしていた青柳は、その当日も手隙(てすき)を見てはやって来て、床の間に古風な島台を飾りつけたり、何処からか持って来た箱のなかから鶴亀(つるかめ)の二幅対を取出して、懸けて眺(なが)めたりしていた。
「今度と云う今度は島ちゃんも遁出(にげだ)す気遣(きづかい)はあるまい。己(おれ)の弟は男が好いからね」青柳はそう言いながら、この二三日得意先まわりもしないでいるお島の顔を眺めた。青柳は頭顱(あたま)の地がやや薄く透けてみえ、明(あかる)みで見ると、小鬢(こびん)に白髪(しらが)も幾筋かちかちかしていたが、顔はてらてらして、張のある美しい目をしていた。弟はそれほど立派ではなかったが、摺(す)った揉(も)んだの揚句に、札がまたその男におちたと聞されたとき、お島は何となく晴がましいような気がせぬでもなかった。彼はその頃通いつつある工場の近くに下宿していて、兄の家にはいなかった。お島はこの正月以来その姿を見たこともなかった。一度自分に附文(つけぶみ)などをしてから、妙に疎々(うとうと)しくなっていたあの男が、婚礼の晩にどんな顔をして来るかと思うと、それが待遠しいようでもあり、不安なようでもあった。
 その日は朝からお島は、気がそわそわしていた。そしてまだ夜露のじとじとしているような畠へ出て、根芋を掘ったきりで、何事にも外の働きはしなかった。畑にはもう刈残された玉蜀黍(とうもろこし)や黍(きび)に、ざわざわした秋風が渡って、囀(さえず)りかわしてゆく渡鳥の群が、晴きった空を遠く飛んで行った。
 午頃(ひるごろ)に頭髪(かみ)が出来ると、自分が今婚礼の式を挙げようとしていることが、一層分明(はっきり)して来る様であったが、その相手が、十三四の頃から昵(なじ)んで、よく揶揄(からか)われたり何かして来た気象の剽軽(ひょうきん)な青柳の弟に当る男だと思うと、更(あらたま)ったような気分にもなれなかった。おとらと三人でいる時でも、青柳はよくめきめき娘に成ってゆくお島の姿形(すがたかたち)を眺めて、おとらに油断ができないと思わせるような猥(みだら)な辞(ことば)を浴せかけた。
 作太郎はというと、彼も今日は一日一切の仕事を休ませられて、朝から床屋へいったり、湯に入ったりして冶(めか)していた。そしてお島の顔さえみるとにこにこして、座敷へ入って、ごたごた積重ねられてある諸方からの祝の奉書包や目録を物珍らしそうに眺めていた。
 頼んであった料理屋の板前が、車に今日の料理を積せて曳込(ひきこ)んで来た頃には、羽織袴(はおりはかま)の世話焼が、そっち行き此方(こっち)いきして、家中が急に色めき立って来た。その中には、始終気遣わしげな顔をして、ひそひそ話をしている西田の老人もあった。
「今夜遁出(にげだ)すようじゃ、お島さんも一生まごつきだぞ。何でも可(い)いから、己(おれ)に委して我慢をして……いいかえ」
 箪笥に倚(よ)りかかって、ぼんやりしているお島の姿を見つけると、老人は側へよって来て力をこめて言聴かせた。

 お島が、これも当夜の世話をしに昼から来ていた髪結に、黒の三枚襲(がさ)ねを着せてもらった頃には、王子の父親も古めかしい羽織袴をつけ、扇子などを帯にはさんで、もうやって来ていた。余り人中へ出たことのない母親は、初めから来ないことになっていた。
 川へ棄てようかとまで思余(おもいあま)したお島が、ここの家を相続することに成りさえすれば、婿が誰であろうと、そんな事には頓着(とんちゃく)のない父親は、お島の姿を見ても見ぬ振をして、茶の間で養父と、地所や家屋に関して世間話に耽(ふけ)っていた。日頃内輪同様にしている二三の人の顔もそこに見えた。不断養父等の居間にしている六畳の部屋に敷かれた座布団も、大概塞(ふさ)がっていた。中には濁声(だみごえ)で高話(たかばなし)をしている男もあった。
 外が暗くなる時分に、白粉(おしろい)をこてこて塗って繰込んで来た若い女連(おんなれん)と無駄口を利(き)いたりして、お島は時の来るのを待っていた。女連は大方は一度か二度以上口を利合(ききあ)った人達であったが、それが孰(いずれ)も、式のあとの披露(ひろう)の席に、酌や給仕をするために※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)(やと)われて来たのであった。その中には着物の着こなしなどの、きりりとした東京ものも居た。
 女達が膳椀(ぜんわん)などの取出された台所へ出て行く時分に、漸(やっ)と青柳の細君や髪結につれられて、お島は盃の席へ直された。
「まあ今日(こんにち)のベールだね」などと、青柳が心持わなないているお島の綿帽子を眺めながら気軽そうに言った。そんな物を着ることをお島が拒んだので、着せる着せないで談(はなし)がその日も縺(もつ)れていたが、到頭被(かぶ)せられることになってしまった。
 盃がすむと、お島は逃げるようにして、自分の部屋へ帰って来た。それまでお島は綿帽子をぬぐことを許されなかった。
 着替をして、再び座敷の入口まで来たときには、人の顔がそこに一杯見えていたが、手をひかれて自分の席へ落着くまでは、今日の盃の相手が、作であったことには少しも気がつかなかった。折目の正しい羽織袴をつけて、彼はそこに窮屈そうに坐っていた。そして物に怯(おび)えたような目で、お島をじろりと見た。
 お島は頭脳(あたま)が一時に赫(かっ)として来た。女達の姿の動いている明(あかる)いそこいらに、旋風(つむじ)がおこったような気がした。そしてじっと俛(うつむ)いていると、体がぞくぞくして来て為方(しかた)がなかった。
「どうだい島ちゃん、こうして並んでみると万更でもないだろう」青柳が一二杯猪口(ちょこ)をあけた時分に、前屈(まえこご)みになって舐(な)めるような調子で、私(そっ)とお島の方へ声をかけた。
 吸物椀にぎごちない箸をつけていた作は、「えへへ」と笑っていた。
 お島は年取った人達のすることや言うことが、可恐(おそろ)しいような気がしていたが、作の物を貪(むさぼ)り食っている様子が神経に触れて来ると、胸がむかむかして、体中が顫(ふる)えるようであった。旋(やが)てふらふらと其処を起(た)ったお島の顔は真蒼(まっさお)であった。
 二三人の人が、ばらばらと後を追って来たとき、お島は自分の部屋で、夢中で着物をぬいでいた。

 追かけて来た人達は、色々にいってお島をなだめたが、お島は箪笥(たんす)をはめ込んである押入の前に直(ぴった)り喰着(くっつ)いたなりで、身動きもしなかった。
「これあ為様がない」幾度手を引張っても出て来ぬお島の剛情に惘(あき)れて、青柳が出ていったあとに、西田の老人と王子の父親とが、そこへお島を引据えて、低声(こごえ)で脅(おど)したり賺(すか)したりした。
「あれほど己が言っておいたに、今ここでそんなことを言出すようじゃ、まるで打壊(ぶちこわ)しじゃないか」お爺さんは可悔(くやし)そうに言った。
「ですから行きますよ。少し気分が快(よ)くなったら急度(きっと)行きます」お島は涙を拭きながら、漸(やっ)と笑顔(わらいがお)を見せた。
「厭なものは厭でいいてこと。それはそれとして何処までも頑張(がんば)っていなければ損だよ。なに財産と婚礼するのだと思えば肚(はら)はたたねえ」お爺さんは、そう言いながら、漸(やっ)と安心して出て行った。
 しんとして白けていた座敷の方が、また色めき立って来た。ちょいちょい立ってはお島を覗(のぞ)きに来た人達も、やっと席に落着いて、銚子(ちょうし)を運ぶ女の姿が、一時(ひとしきり)忙(せわ)しく往来(ゆきき)していた。
「おい島ちゃん、そんなに拗(す)ねんでもいいじゃないか」作が部屋の前を通りかかったとき、薄暗(うすくらが)りのなかにお島の姿を見つけて、言寄って来た。お島は帯をときかけたままの姿で、押入に倚(よっ)かかって、組んだ手のうえに面(おもて)を伏せていた。疳癪(かんしゃく)まぎれに頭顱(あたま)を振たくったとみえて、綺麗(きれい)に結った島田髷の根が、がっくりとなっていた。お島は酒くさい熱い息がほっと、自分の顔へ通(かよ)って来るのを感じたが、同時に作の手が、脇明(わきあき)のところへ触れて来た。
「何をするんだよ」お島はいきなり振顧(ふりかえ)ると、平手でぴしゃりとその顔を打(ぶ)った。
「おお痛(いて)え。えれえ見脈(けんまく)だな」作は頬(ほお)っぺたを抑えながら、怨(うら)めしそうにお島の顔を眺めていた。
 髪結が来て、顔を直してくれてから、お島が再び座敷へ出て行った頃には、席はもう乱れ放題に乱れていた。お島はぐでぐでに酔っている青柳に引張られて、作の側へ引すえられたが、父親や養父の姿はもう其処には見えなかった。作は四五人の若いものに取囲まれて、連(しきり)に酒を強(し)いられていたが、その目は見据(みすわ)って、あんぐりした口や、ぐたりとした躯(からだ)が、他哩(たわい)がなかった。

 その夜の黎明(ひきあけ)に、お島が酔潰(えいつぶ)れた作太郎の寝息を候(うかが)って、そこを飛出した頃には、お終(しまい)まで残ってつい今し方まで座敷で騒いで、ぐでぐでに疲れた若い人達も、もう寝静ってしまっていた。
 お島は庭の井戸の水で、白粉(おしろい)のはげかかった顔を洗いなどしてから、裏の田圃道(たんぼみち)まで出て来たが、濛靄(もや)の深い木立際(こだちぎわ)の農家の土間から、釜(かま)の下を焚(た)きつける火の影が、ちょろちょろ見えたり、田圃へ出て行く人の寒そうな影が動いていたりした。じっとりした往来には、荷車の軋(きし)みが静かなあたりに響いていた。徹宵(よっぴて)眠られなかったお島は、熱病患者のように熱(ほて)った頬(ほお)を快い暁の風に吹(ふか)れながら、野良道を急いだ。酒くさい作の顔や、ごつごつした手足が、まだ頬や体に絡(まつ)わりついているようで、気味がわるかった。
 王子の町近く来た時分には、もう日が高く昇っていた。そこにも此処(ここ)にも烟(けむり)が立って、目覚めた町の物音が、ごやごやと聞えていた。
「今時分はみんな起きて騒いでるだろうよ」お島はそう思いながら、町垠(まちはずれ)にある姉の家の裏口の方へ近寄っていった。
 山茶花(さざんか)などの枝葉の生茂った井戸端で、子供を負(おぶ)いながら襁褓(むつき)をすすいでいる姉の姿が、垣根のうちに見られた。花畠の方で、手桶(ておけ)から柄杓(ひしゃく)で水を汲んでは植木に水をくれているのは、以前生家(さと)の方にいた姉の婿であった。水入らずで、二人で恁(こう)して働いている姉夫婦の貧しい生活が、今朝のお島の混乱した頭脳(あたま)には可羨(うらやま)しく思われぬでもなかった。姉は自分から好きこのんで、貧しいこの植木職人と一緒になったのであった。畠には春になってから町へ持出さるべき梅や、松などがどっさり植つけられてあった。旭(あさひ)が一面にきらきらと射していた。はね釣瓶(つるべ)が、ぎーいと緩(ゆる)い音を立てて動いていた。
「長くはいませんよ、ほんの一日か二日でいいから」お島はそう言って、姉に頼んだ。そして、いきなり洗いものに手を出して、水を汲みそそいだり、絞ったりした。
「そんな事をして好いのかい。どうせお詫(わび)を入れて、此方(こっち)から帰って行くことになるんだからね」姉は手ばしこく働くお島の様子を眺めながら、子供を揺(ゆす)り揺り突立っていた。
「なに、そんな事があるもんですか。何といったって、私今度と云う今度は帰ってなんかやりませんよ」
 お島は絞ったものを、片端から日当(ひあたり)のいいところへ持っていって棹(さお)にかけたりした。日光が腫(は)れただれたように目に沁込(しみこ)んで、頭痛がし出して来た。
「またお島ちゃんが逃げて来たんですよ」姉は良人(おっと)に声かけた。
 良人は柄杓(ひしゃく)を持ったまま「へへ」と笑って、お島の顔を眺めていた。お島も眩(まぶ)しい目をふいて笑っていた。

 晩方近くに、様子を探りかたがた、ここから幾許(いくら)もない生家(さと)を見舞った姉は、養家の方からお島を尋ねに出向いて来た人達が、その時丁度奥で父親とその話をしているところを見て帰って来た。それらの人を犒(ねぎら)うために、台所で酒の下物(さかな)の支度などをしていた母親と、姉は暫(しばら)く水口のところで立話をしてから、お島のところへ戻って来たのであった。
「島ちゃん、お前さん今のうちちょっと顔をだしといた方がいいよ」
 一日痛い頭脳(あたま)をかかえて奥で寝転んでいたお島の傍へ来て、姉は説勧(ときすす)めた。
 お島は何だか胸がむしゃくしゃしていた。今夜にも旅費を拵(こしら)えて、田舎の方にいる兄のところへ遠(とお)っ走(ぱし)りをしようかとも考えていた。どこか船で渡るような遠い外国へ往って、労働者の群へでも身を投じようかなどと、棄鉢(すてばち)な空想に耽(ふけ)ったりした。夜明方まで作と闘った体の節々が、所々痛みをおぼえるほどであった。
 姉婿も同じようなことを言って、お島に意見を加えた。お島はくどくどしいそれ等の忠告が、耳にも入らなかったが、何時まで頑張ってもいられなかった。
「ふん、御父(おとっ)さんや御母(おっか)さんに、私のことなんか解るものですか。彼奴(あいつ)等は寄ってたかって私を好いようにしようと思っているんだ」お島はぷりぷりして呟(つぶや)きながら出ていった。
 外はもうとっぷり暮れて、立昇った深い水蒸気のなかに、山の手線の電燈や、人家の灯影(ほかげ)が水々して見えた。茶畑などの続いている生家(さと)の住居の周囲(まわり)の垣根のあたりは、一層静かであった。
 お島が入っていった時分には、もう衆(みんな)は弓張提灯(ゆみはりぢょうちん)などをともして、一同引揚げていったあとであった。お島は両親(ふたおや)の前へ出ると、急に胸苦しくなって、昨夜(ゆうべ)から張詰めていた心が一時に弛(ゆる)ぶようであった。
「御心配をかけて、どうも済みません」お島はそう言ってお叩頭(じぎ)をしようとしたが、筋肉が硬張(こわば)ったようで首も下らなかった。
「何て莫迦(ばか)なまねをしてくれたんだ」父親はお島に口を開(あ)かせず、いきなり熱(いき)り立って来たが、養家の財産のために、何事にも目をつぶろうとして来たらしい父親の心が、やっとお島にも見えすいて来た。

 お島が数度(すど)の交渉の後、到頭また養家へ帰ることになって、青柳につれられて家を出たのは、或日の晩方であった。
 お島はそれまでに、幾度となく父親や母親に逆(さから)って、彼等を怒らせたり悲しませたり、絶望させたりした。滅多に手荒なことをしたことのなかった父親をして、終(しまい)にお島の頭髪(たぶさ)を掴(つか)んで、彼女をそこに捻伏(ねじふ)せて打(ぶち)のめすような憤怒を激発せしめた。お島を懲しておかなければならぬような報告が、この数日のあいだに養家から交渉に来た二三の顔利(き)きの口から、父親の耳へも入っていた。それらの人の話によると、安心して世帯(しょたい)を譲りかねるような挙動(ふるまい)がお島に少くなかった。金遣いの荒いことや、気前の好過ぎることなどもその一つであった。おとらと青柳との秘密を、養父に言告(いいつ)けて、内輪揉めをさせるというのもその一つであったが、総てを引括(ひっくる)めて、養家に辛抱しようと云う堅い決心がないと云うのが、養父等のお島に対する不満であるらしかった。
「だから言わんこっちゃない。稚(ちいさ)い時分から私が黒い目でちゃんと睨(にら)んでおいたんだ。此方から出なくたって、先じゃ疾(とう)の昔に愛相(あいそ)をつかしているのだよ」母親はまた意地張(いじっぱり)なお島の幼(ちいさ)い時分のことを言出して、まだ娘に愛着を持とうとしている未練げな父親を詛(のろ)った。
「こんなやくざものに、五万十万と云う身上(しんしょう)を渡すような莫迦(ばか)が、どこの世界にあるものか」
 太(ふ)てていて、飯にも出て来ようとしないお島を、妹や弟の前で口汚く嘲(あざけ)るのが、この場合母親に取って、自分に隠して長いあいだお島を庇護(かばい)だてして来た父親に対する何よりの気持いい復讎(ふくしゅう)であるらしく見えた。
 お島も負けていなかった。母親が、角張った度強(どづよ)い顔に、青い筋を立てて、わなわな顫(ふる)えるまでに、毒々しい言葉を浴せかけて、幼いおりの自分に対する無慈悲を数えたてた。目からぽろぽろ涙が流れて、抑えきれない悲しみが、遣瀬(やるせ)なく涌(わき)立って来た。
「手前(てめえ)」とか、「くたばってしまえ」とか、「親不孝」とか、「鬼婆」とか、「子殺し」とか云うような有りたけの暴言が、激(げき)しきった二人の無思慮な口から、連(しきり)に迸(ほとばし)り出た。
 そんな争いの後に、お島は言葉巧な青柳につれられて、また悄々(すごすご)と家を出て行ったのであった。

 その晩は月は何処の森(もり)の端(は)にも見えなかった。深く澄(すみ)わたった大気の底に、銀梨地(ぎんなしじ)のような星影がちらちらして、水藻(みずも)のような蒼(あお)い濛靄(もや)が、一面に地上から這(はい)のぼっていた。思いがけない足下(あしもと)に、濃い霧を立てて流れる水の音が、ちょろちょろと聞えたりした。お島はこの二三日、気が狂ったような心持で、有らん限りの力を振絞って、母親と闘って来た自分が、不思議なように考えられた。時々顔を上げて、彼女は太息(といき)を洩(もら)した。道が人気の絶えた薄暗い木立際(こだちぎわ)へ入ったり、線路ぞいの高い土堤(どて)の上へ出たりした。底にはレールがきらきらと光って、虫が芝生に途断(とぎ)れ途断れに啼立(なきた)っていた。青柳がいなければ、お島はそこに疲れた体を投出して、独(ひとり)で何時までも心の限り泣いていたいとも考えた。
 けれどお島は、長く青柳と一緒に歩いてもいなかった。松の下に、墓石や石地蔵などのちらほら立った丘のあたりへ来たとき、先刻(さっき)からお島が微(かすか)な予感に怯(おび)えていた青柳の気紛(きまぐ)れな思附が、到頭彼女の目の前に、実となって現われた。
「ちょッ……笑談(じょうだん)でしょう」
 道傍(みちばた)に立竦(たちすく)んだお島は、悪戯(いたずら)な男の手を振払って、笑いながら、さっさと歩きだした。
 甘い言(ことば)をかけながら、青柳はしばらく一緒に歩いた。
「御母さんに叱られますよ」お島は軽(かろ)くあしらいながら歩いた。
「現にその御母さんがどうだと思う。だから、あの家のことは、一切己(おれ)の掌(て)のうちにあるんだ。ここで島ちゃんの籍をぬいて了(しま)おうと、無事に収めようと、すべて己の自由になるんだよ」
 威嚇(いかく)の辞(ことば)と誘惑の手から脱(のが)れて、絶望と憤怒に男をいら立(だた)せながら、旧(もと)の道へ駈出(かけだ)すまでに、お島は可也(かなり)悶※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)(もが)き争った。
 直(じき)にお島は、息せき家へ駈つけて来た。そしていきなり父親の寝室(ねま)へ入って行った。
「それが真実(ほんとう)とすれあ、己にだって言分があるぞ」いつか眠についていた父親は、床のうえに起あがって、煙草を喫(ふか)しながら考えていた。
「彼奴(あいつ)はあんな奴ですよ。畜生(ちきしょう)人を見損(みそこな)っていやがるんだ」お島は乱れた髪を掻(かき)あげながら、腹立しそうに言った。そして興(はず)んだ調子で、現場の模様を誇張して話した。父の信用を恢復(とりかえ)せそうなのと、母親に鼻を明(あか)させるのが、気色(きしょく)が好かった。

 お島が不断から目をかけてやっている銀さんと云う年取った車夫が、誰の指図(さしず)とも知れず、俥(くるま)を持って迎いに来たのは、お島たちが漸(やっ)と床に就こうとしている頃であった。
「何だ今時分……」玄関わきの部屋に寝ていたお島は、その声を聞つけると、寝衣(ねまき)に着替えたまま、門の潜(くぐ)りを開けに出たが、盆暮にお島が子供に着物や下駄を買ってくれたり、餅(もち)をついてやったりしていた銀さんは、どうでも今夜中に帰ってくれないと、家の首尾がわるいと言って、門の外に立ったまま動かなかった。
「きっと青柳と御母さんと相談ずくで、寄越したんだよ」お島は一応その事を父親に告げながら笑った。
 父親は、お島から養家の色々の事情を聞いて、七分通り諦(あきら)めているようであったが、矢張(やっぱり)このまま引取って了(しま)う気にはなっていなかった。作太郎と表向き夫婦にさえなってくれれば、少しくらいの気儘(きまま)や道楽はしても、大目に見ていようと云ったと云う養母の弱味なども、父親には初耳であった。
「芸人を買おうと情人(おとこ)を拵(こしら)えようとお前の腕ですることなら、些(ちっ)とも介意(かま)やしないなんて、そこは自分にも覚えがあるもんだから、お察しがいいと見えて、よくそう言いましたよ。どうして、あの御母さんは、若い時分はもっと悪いことをしたでしょうよ」お島は頑固な父親をおひゃらかすように、そうも言った。
 そんな連中(れんじゅう)のなかにお島をおくことの危険なことが、今夜の事実と照合(てりあわ)せて、一層明白(はっきり)して来るように思えた父親は、愈(いよいよ)お島を引取ることに、決心したのであったが、迎いが来たことが知れると、矢張心が動かずにはいなかった。
「作さんを嫌って、お島さんが逃げたって云うんで、近所じゃ大評判さ」とにかく今夜は帰ることにして、銀さんは、漸(ようよ)うお島を俥に載せると、梶棒(かじぼう)につかまりながら話しはじめた。
「だが今あすこを出ちゃ損だよ。あの身代(だい)を人に取られちゃつまらないよ」
「作の馬鹿はどんな顔している」お島は車のうえから笑った。
 家へ入っても、いつものように父親の前へ出て謝罪(あやま)ったり、お叩頭(じぎ)をしたりする気になれなかったお島は、自分の部屋へ入ると、急いで寝支度に取かかった。
「帰ったら帰ったと、なぜ己(おれ)んとこへ来て挨拶をしねえんだ」養母にささえられながら、疳癪声(かんしゃくごえ)を立てている養父の声が、お島の方へ手に取るように聞えた。
「お前がまたわるいよ」おとらは、寝衣(ねまき)のまま呼つけられて枕頭(まくらもと)に坐っているお島を窘(たしな)めた。
「それに自分の着物を畳みもせずに、脱(ぬぎ)っぱなしで寝て了うなんて、それだから御父さんも、この身上(しんしょう)は譲られないと言うんじゃないか」
 剛情なお島は、到頭麺棒(めんぼう)で撲(なぐ)られたり足蹴(あしげ)にされたりするまでに、養父の怒を募らせてしまった。

 植源(うえげん)という父の仲間うちの隠居の世話で、父や母にやいやい言われて、翌年の春、神田の方の或鑵詰屋(かんづめや)へ縁着(えんづ)かせられることになったお島は、長いあいだの掛合で、やっと幾分かを養家から受取ることのできた着物や頭髪(あたま)のものを持って、心淋しい婚礼をすまして了った。
 植源の隠居の生れ故郷から出て来て、長いあいだ店でも実直に働き、得意先まわりにも経験を積み、北海道の製造場にも二年弱(たらず)もいて、職人と一緒に起臥(おきふし)して来たりした主人は、お島より十近(とおぢか)くも年上であったが、家附の娘であった病身がちのその妻と死別れたのは、つい去年の秋の頃だと云うのであった。
 鶴さんというその主人を、お島の姉もよく知っていた。神田の方のある棟梁(とうりょう)の家から来ている植源の嫁も、その主人のことを始終鶴さん鶴さんといって、噂(うわさ)していた。植源の嫁は、生家(さと)の近所にあったその鑵詰屋のことを、何でもよく知っていたが、色白で目鼻立のやさしい鶴さんをも、まだ婿に直らぬずっと前から知っていた。その頃鶴さんは、鳥打帽をかぶって、自転車で方々の洋食店のコック場や、普通の家の台所へ、自家製の鑵詰ものや、西洋食料品の註文(ちゅうもん)を持ちまわっていた。
 先(せん)の上(かみ)さんが、肺病で亡(なくな)ったことを、お島はいよいよ片着くという間際(まぎわ)まで、誰からも聞されずにいたが、姉の口からふとそれが洩れたときには、何だか厭(いや)なような気もした。
「先の上さんのような、しなしなした女は懲々(こりごり)だ。何でも丈夫で働く女がいいと言うのだそうだから、島ちゃんなら持って来いだよ」姉は肥りきったお島の顔を眺めながら揶揄(からか)ったが、男のいい鶴さんを旦那(だんな)に持つことになったお島の果報に嫉妬(しっと)を持っていることが、お島に感づかれた。死んだ上(かみ)さんの衣裳(いしょう)が、そっくりそのまま二階の箪笥に二棹(ふたさお)もあると云うことも、姉には可羨(うらやま)しかった。
 結納の取換(とりかわ)せがすんで、目録が座敷の床の間に恭(うやうや)しく飾られるまでは、お島は天性(もちまえ)の反抗心から、傍(はた)で強(し)いつけようとしているようなこの縁談について、結婚を目の前に控えている多くの女のように、素直な満足と喜悦(よろこび)に和(やわら)ぎ浸ることができずに、暗い日蔭へ入っていくような不安を感じていた。養家にいた今までの周囲の人達に対する矜(ほこり)を傷つけられるようなのも、肩身が狭かった。作太郎に嫁が来たと云う噂(うわさ)が、年のうちに此方(こっち)へも伝っていた。お島はそのことを、糧秣(りょうまつ)問屋の爺さんからも聞いたし、その土地の知合の人からも話された。その嫁はお島も知っている、男に似合いの近在の百姓家の娘であった。
「あの馬鹿が、どんな顔してるか一度見にいってやりましょうよ」お島は面白そうに笑ったが、何かにつけ、それを引合いに自分を悪く言う母親などから、そんな女と一つに見られるのが腹立しかった。

 結婚の翌日、新郎の鶴さんは朝早くから起出して、店で小僧と一緒に働いていた。昨夜極(ごく)親しい少数の人たちを呼んで、二人が手軽な祝言(しゅうげん)をすました手狭な二階の部屋には、まだ新郎の礼服がしまわれずにあったり、新婦の紋附や長襦袢(ながじゅばん)が、屏風(びょうぶ)の蔭に畳みかけたまま重ねられてあったりした。蓬莱(ほうらい)を飾った床の間には、色々の祝物が秩序もなくおかれてあった。
 客がみなお開きになってからも、それだけは新調したらしい黒羽二重の紋附をぬぐ間がなく、新郎の鶴さんは二度も店へ出て、戸締や何かを見まわったりしていたが、いつの間にか誰が延べたともしれぬ寝床の側に坐っているお島の側へ戻って来ると、いきなり自分の商売上のことや、財産の話を花嫁に為(し)て聞せたりした。そして病院へ入れたり、海辺へやったりして手を尽して来た、前(せん)の上(かみ)さんの病気の療治に骨の折れたことや、金のかかった事をも零(こぼ)した。先代の時から続いてやっている、確な人に委せて、監督させてある北海道の方へも、東京での販路拡張の手隙(てすき)には、年に一度くらいは行ってみなければならぬことも話して聞かせた。そういう[#「そういう」は底本では「さういう」]時には、お島は店を預かって、しっかり遣(や)ってくれなければならぬと云うので、多少そんなことに経験と技量のあるように聞いているお島に、望みを措(お)いているらしかった。
 部屋などの取片着(とりかたづけ)をしているうちに、翌日一日は直(じき)に経ってしまった。お島は時々細(こまか)い格子(こうし)のはまった二階の窓から、往来を眺めたり、向いの化粧品屋や下駄屋や莫大小屋(メリヤスや)の店を見たりしていたが、檻(おり)のような窮屈な二階に竦(すく)んでばかりもいられなかった。それで階下(した)へおりてみると、下は立込んだ廂(ひさし)の差交(さしかわ)したあいだから、やっと微(かす)かな日影が茶(ちゃ)の室(ま)の方へ洩(も)れているばかりで、そこにも荷物が沢山入れてあった。店には厚司(あつし)を着た若いものなどが、帳場の前の方に腰かけていた。鶴さんがそこに坐って帳簿を見たり、新聞を読んだりしていた。お島はそこへ姿を現して、暫く坐ってみたがやっぱり落着がなかった。
 二日三日と日がたって行った。お島は頭髪(あたま)を丸髷(まるまげ)に結って、少しは帳場格子のなかに坐ることにも馴れて来たが、鶴さんはどうかすると自転車で乗出して、半日の余(よ)も外廻りをしていることがあった。そして夜は疲れて早くから二階の寝床へ入ったが、お島は段々日の暮れるのを待つようになって来た、自分の心が不思議に思えた。姉や植源の嫁が騒いでいるように、鶴さんがそんなに好い男なのかと、時々帳場格子のなかに坐っている良人(おっと)の顔を眺めたり、独り居るときに、そんな思いを胸に育(はぐく)み温めていたりして、自分の心が次第に良人の方へ牽(ひき)つけられてゆくのを、感じないではいられなかった。

 麗(うららか)な春らしい天気の続いた或日、鶴さんは一日潰(つぶ)してお島と一緒に、媒介(なこうど)の植源などへ礼まわりをして、それからお島の生家(さと)の方へも往ってみようかと言出した。同じ鑵詰屋を出している、前(せん)の上(かみ)さんの義理の弟――先代の妾(めかけ)とも婢(はした)とも知れないような或女に出来た子供――のいる四谷の方へもお島は顔出しをしなければならないように言われていたが、それはもう商売上の用事で、二度も尋ねて来たりして、大概その様子がわかっていたが、鶴さんはそのお袋が気に喰(く)わぬといって、後廻しにすることにした。
 お島はこの頃漸(ようや)く落着いて来た丸髷に、赤いのは、道具の大きい較(やや)強味(きつみ)のある顔に移りが悪いというので、オレンジがかった色の手絡(てがら)をかけて、こってりと濃い白粉(おしろい)にいくらか荒性(あれしょう)の皮膚を塗(ぬり)つぶして、首だけ出来あがったところで、何を着て行こうかと思惑っていた。
 鶴さんは傍で、髷の型の大きすぎたり、化粧の野暮くさいのに、当惑そうな顔をしていたが、着物の柄(がら)も、鶴さんの気に入るような落着いたのは見当らなかった。
「かねのを少し出してごらん。お前に似合うのがあるかも知れない」
 鶴さんはそう言って、押入の用箪笥のなかから、じゃらじゃら鍵(かぎ)を取出して、そこへ投出(ほうりだ)した。
「でも初めていくのに、そんな物を着てなぞ行かれるものですか」
「それもそうだな」と、鶴さんは淋(さび)しそうな顔をして笑っていた。
「それにおかねさんの思いに取着(とっつ)かれでもしちゃ大変だ」お島はそう言いながら、自分の箪笥のなかを引(ひっ)くら返していた。
「でもどんな意気なものがあるんだか拝見しましょうか」
「何のかのと言っちゃ、四谷のお袋が大分持っていったからね」鶴さんは心からそのお袋を好かぬらしく言った。
「あの慾張婆(よくばりばばあ)め、これも廃(すた)れた柄(がら)だ、あれも老人(としより)じみてるといっちゃ、かねの生きてるうちから、ぽつぽつ運んでいたものさ」鶴さんはそう言いながら、さも惜しいことをしたように、舌打ばかりしていた。
 お島は錠をはずして、抽斗(ひきだし)を二つ三つぬいて、そっちこっち持あげて覗(のぞ)いていたが、お島の目には、まだそれがじみすぎて、着てみたいと思うようなものは少かった。
「そんなに思いをかけてる人であるなら、みんなくれてお仕舞いなさいよ。その方がせいせいして、どんなに好いか知れやしない」お島は蓮葉(はすっぱ)に言って笑った。
「戯談(じょうだん)じゃない。くれるくらいなら古着屋へ売っちまう」
 左(と)に右(かく)二人は初めて揃(そろ)って、外へ出てみた。鶴さんは先へ立って、近所隣をさっさと小半町も歩いてから振顧(ふりかえ)ったが、お島はクレーム色のパラソルに面(おもて)を隠して、長襦袢(ながじゅばん)の裾(すそ)をひらひらさせながら、足早に追ついて来た。外は漸くぽかぽかする風に、軽く砂がたって、いつの間にか芽ぐんで来た柳条(やなぎのえだ)が、たおやかに※(「車+(而/大)」、第3水準1-92-46)(しな)っていた。お島は何となく胸を唆(そそ)られるようで、今までとは全然(まるで)ちがった明い世間へ出て来たような歓喜を感じていたが、良人の心持がまだ底の底から汲取れぬような不安と哀愁とが、時々心を曇らせた。今まで人に恵んだり、助力を与えたりしたことは、養父母の非難を買ったほどであったが、矜(ほこり)と満足はあっても、心から愛しようと思おうとしたような人は、一人(いちにん)もなかった。真実(ほんと)に愛せられることも曽(かつ)てなかった。愛しようと思う鶴さんの心の奥には、まだおかねの亡霊が潜み蟠(わだか)まっているようであった。鶴さんは、それはそれとして大事に秘めておいて、自身の生活の単なる手助(てだすけ)として、自分を迎えたのでしかないように思えた。駢(なら)んで電車に乗ってからも、お島はそんなことを思っていた。

 奉公人などに酷だというので、植源いこうか茨(ばら)脊負(しょ)うか、という語(ことば)と共に、界隈(かいわい)では古くから名前の響いたその植源は、お島の生家(さと)などとは違って、可也(かなり)派手な暮しをしていたが、今は有名な喧(やかま)し屋(や)の女隠居も年取ったので、家風はいくらか弛(ゆる)んでいた。お島は一二度ここへ来たことはあったが、奥へ入ってみるのは、今日が初めであった。
 大秀の娘である嫁のおゆうが、鶴さんの口にはゆうちゃんと呼れて、小僧時代からの昵(なじ)みであることが、お島には何となし不快な感を与えたが、それもしみじみ顔を見るのは、初めてであった。
 おゆうは、浮気ものだということを、お島は姉から聞いていたが、逢ってみると、芸事の稽古(けいこ)などをした故(せい)か、嫻(しとや)かな落着いた女で、生際(はえぎわ)の富士形になった額が狭く、切(きれ)の長い目が細くて、口もやや大きい方であったが、薄皮出の細やかな膚の、くっきりした色白で、小作(こづくり)な体の様子がいかにも好いと思った。いつも通るところとみえて、鶴さんは仕立物などを散(ちら)かしたその部屋へいきなり入っていこうとしたが、おゆうは今日は更(あらた)まったお客さまだから失礼だといって、座敷の床の前の方へ、お島のと並べてわざとらしく座蒲団(ざぶとん)をしいてくれた。
「そう急に他人行儀にしなくても可(い)いじゃありませんか」鶴さんは蒲団を少しずらかして坐った。
「いいじゃありませんか。もう極(きまり)のわりいお年でもないでしょう」おゆうは顔を赧(あから)めながら言って、二人を見比べた。
「貴女(あなた)ちっとは落着きなさいましてすか」おゆうはお島の方へも言(ことば)をかけた。
「何ですか、私はこういうがさつものですから、叱(しか)られてばかりおりますの」お島は体(てい)よく遇(あしら)っていた。
「でもあの辺は可(よ)うございますのね、周囲(まわり)がお賑(にぎや)かで」おゆうはじろじろお島の髷の形などを見ながら自分の髪(あたま)へも手をやっていた。
 性急(せっかち)の鶴さんは、蒲団の上にじっとしてはおらず、縁側へ出てみたり、隠居の方へいったりしていたが、おゆうも落着きなくそわそわして、時々鶴さんの傍へいって、燥(はしゃ)いだ笑声をたてていたりした。広い庭の方には、薔薇(ばら)の大きな鉢が、温室の手前の方に幾十となく並んでいた。植木棚のうえには、紅や紫の花をつけている西洋草花が取出されてあった。四阿屋(あずまや)の方には、遊覧の人の姿などが、働いている若い者に交ってちらほら見えていた。
「どうしよう、これからお前の家へまわっていると遅くなるが……」鶴さんは時計を見ながらお島に言った。「何なら一人でいっちゃどうだ」
「不可(いけ)ませんよ、そんなことは……」おゆうはいれ替えて来たお茶を注(つ)ぎながら言った。
 それで鶴さんはまた一緒にそこを出ることになったが、お島は何だか張合がぬけていた。

 日がそろそろかげり気味であったので、このうえ二三十町もある道を歩くことが、二人には何となし気懈(けだる)い仕事のように思えた。鶴さんは植源へ来るのが今日の目的で、お島の生家(さと)へ行ってみようと云う興味は、もうすっかり殺(そ)げてしまったもののように、途中で幾度となく引返しそうな様子を見せたが、お島も自分が全く嫌われていないまでも、鶴さんの気持が自分と二人ぎりの時よりも、おゆうの前に居る時の方が、[#「方が、」は底本では「方が。」]話しの調子がはずむようなので、古昵(ふるなじ)みのなかを見せつけにでも連れて来られたように思われて、腹立しかった。二人は初めほど睦(むつ)み合っては歩けなくなった。
「でも此処(ここ)まで来て寄らないといっちゃ、義理が悪いからね」
 今度はお島が立寄るまいと言出したのを、鶴さんは何処か商人風の堅いところを見せて、すっかり気が変ったように言った。
「それ程にして戴かなくたって可(い)いんですよ。あの人達は、親だか子だか、私なぞ何とも思っていませんよ。生家(さと)は生家(さと)で、縁も由縁(ゆかり)もない家ですからね」お島はそう言いながら、従(つ)いて行った。
 生家(さと)では母親がいるきりであった。母親はお島の前では、初めて来た婿にも、愛相(あいそ)らしい辞(ことば)をかけることもできぬ程、お互に神経が硬張(こわば)ったようであったが、鶴さんと二人きりになると、そんなでもなかった。お島は母親の口から、自分の悪口を言われるような気がして、ちょいちょい様子を見に来たが、鶴さんは植源にいた時とは全然(まるで)様子がかわって、自分が先代に取立てられるまでになって来た気苦労や、病身な妻を控えて商売に励んで来た長いあいだの身(み)の上談(うえばなし)などを、例の急々(せかせか)した調子で話していた。
「ここんとこで、一つ気をそろえて、みっちり稼がんことにゃ、この恢復(とりかえし)がつきません」
 鶴さんは傍へ寄って来るお島に気もつかぬ様子であったが、お島には、それがすっかり母親の気に入って了ったらしく見えた。
「どうか店の方へも、時々お遊びにおいで下すって……」
 鶴さんは語(ことば)のはずみで、そう言っていたが、お島は、何を言っているかと云うような気がして、終(しまい)に莫迦々々(ばかばか)しかった。それでけろりとした顔をして、外を見ていながら、時々帰りを促した。
「こう云う落着のない子ですから、お骨も折れましょうが、厳(やかま)しく仰(おっし)ゃって、どうか駆使(こきつか)ってやって下さい」母親はじろりとお島を見ながら言った。
 鶴さんは感激したような調子で、弁(しゃべ)るだけのことを弁ると、煙管(きせる)を筒に収めて帰りかけた。
「何を言っていたんです」お島は外へ出ると、いらいらしそうに言った。「あの御母さんに、商売のことなんか解るものですか。人間は牛馬のように駆使(こきつか)いさえすれあ可(い)いものだと思っている人間だもの」

 夏の暑い盛りになってから、鶴さんは或日急に思立ったように北海道の方へ旅立つことになった。気の早い鶴さんは、晩にそれを言出すと、もうその翌朝夜のあけるのも待かねる風で、着替を入れた袋と、手提鞄(てさげかばん)と膝懸(ひざかけ)と細捲(ほそまき)とを持って、停車場(ステーション)まで見送の小僧を一人つれて、ふらりと出ていって了った。三四箇月のあいだに、商売上のことは大体頭脳(あたま)へ入って来たお島は、すっかり後を引受けて良人(おっと)を送出したが、意気な白地の単衣(ひとえ)物に、絞(しぼり)の兵児帯(へこおび)をだらりと締めて、深いパナマを冠(かぶ)った彼の後姿を見送ったときには、曽て覚えたことのない物寂しさと不安とを感じた。
 それにお島は今月へ入ってからも、毎時(いつも)のその時分になっても、まだ先月から自分一人の胸に疑問になっている月のものを見なかった。そうして漸(やっ)とそれを言出すことのできたのは、鶴さんが気忙(きぜわ)しそうに旅行の支度を調えてからの昨夜(ゆうべ)であった。
「私何だか体の様子が可笑(おかし)いんですよ。きっとそうだろうと思うの」一度床へついたお島は、厠(かわや)へいって帰って来ると、漸(やっ)とうとうとと眠りかけようとしている良人の枕頭(まくらもと)に坐りながら言った。蒸暑い夏の夜は、まだ十時を打ったばかりの宵の口で、表はまだぞろぞろ往来(ゆきき)の人の跫音(あしおと)がしていた。朝の早い鶴さんは、いつも夜が早かった。
「そいつぁ些(ちっ)と早いな。怪しいもんだぜ」などと、鶴さんは節の暢々(のびのび)した白い手をのばして、莨盆(たばこぼん)を引寄せながら、お島の顔を見あげた。鶴さんはその頃、お島の籍を入れるために、彼女の戸籍を見る機会を得たのであったが、戸籍のうえでは、お島は一度作太郎と結婚している体(からだ)であった。それを知ったときには鶴さんは欺かれたとばかり思込んで、お島を突返そうと決心した。しかし鶴さんはその当座誰にもそれを言出す勇気を欠いていた。そしてお島だけには、ちょいちょい当擦(あてこすり)や厭味(いやみ)を言ったりして漸(やっ)と鬱憤をもらしていたが、どうかすると、得意まわりをして帰る彼の顔に、酒気が残っていたりした。お島が帳場へ坐っている時々に、優しい女の声で、鶴さんへ電話がかかって来たりしたのも、その頃であった。そんな時は、お島は店の若いもののような仮声(こわいろ)をつかって、先(さき)の処と名を突留めようと骨を折ったが、その効(かい)がなかった。お島はその頃から、鶴さんが外へ出て何をして歩いているか、解らないと云う不安と猜疑(さいぎ)に悩されはじめた。植源の嫁のおゆう、それから自分の姉……そんな人達の身のうえにまで思い及ばないではいられなかった。日頃口に鶴さんを讃(ほ)めている女が、片端から恋の仇(かたき)か何ぞであるかのように思え出して来た。姉は、お島が片づいてからも、ちょいちょい訪ねて来ては、半日も遊んでいることがあった。
「それなら、何故私をもらってくれなかったんです」姉は、鶴さんに揶揄(からか)われながら自分の様子をほめられたときに、半分は真剣らしく、半分は笑談(じょうだん)らしく、妹のそこにあることを意(こころ)にかけぬらしく、ぽっと上気したような顔をして言ったことがあったくらいであった。
 お島はそれが癪(しゃく)にさわったといって、後で鶴さんと大喧嘩(おおげんか)をしたほどであった。

 鶴さんは、その当座外で酒など飲んで来た晩などには、時々お島が自分のところへ来るまでの、長い歳月の間のことを、根掘葉掘して聴くことに興味を感じた。結婚届まですましてあったお島と作太郎との関係についての鶴さんの疑いは、お島が説明して聴(きか)す作太郎の様子などで、その時はそれで釈(と)けるのであったが、その疑いは護謨毬(ゴムまり)のように、時が経つと、また旧(もと)に復(かえ)った。
「嘘(うそ)だと思うなら、まあ一度私の養家へ往ってごらんなさい。へえ、あんな奴がと思うくらいですよ。そうね、何といって可(い)いでしょう……」お島は身顫(みぶるい)が出るような様子をして、その男のことを話した。
「嫌う嫌わないは別問題さ。左(と)に右(かく)結婚したと云うのは事実だろう」
「だから、それが親達の勝手でそうしたんですよ。そんな届がしてあろうとは、私は夢にも知らなかったんです」
「しかもお前達夫婦の籍は、お前の養家じゃなくて、亭主の家の方にあるんだから可怪(おか)しいよ」
 最初は心にもかけなかったその籍のことを、二度も三度も鶴さんの口から聴されてから、お島は養家の人達の、作太郎を自分に押つけようとしていた真意が、漸(やっ)と朧(おぼろ)げに見えすいて来たように思えた。
「そうして見ると、あの人達は、そっくり私に迹(あと)を譲る気はなかったもんでしょうかね」お島は長いあいだ自分一人で極込(きめこ)んでいた、養家やその周囲に於ける自分の信用が、今になって根柢(こんてい)からぐらついて来たような失望を感じた。
 お島は、最近の養家の人達の、自分に対するその時々の素振や言(ことば)に、それと思い当ることばかり、憶出(おもいだ)せて来た。
「畜生、今度往ったら、一捫着(ひともんちゃく)してやらなくちゃ承知しない」お島はそれを考えると、不人情な養母達の機嫌を取り取りして来た、自分の愚しさが腹立しかったが、それよりも鶴さんの目にみえて狎々(なれなれ)しくなった様子に、厭気のさして来ていることが可悔(くやし)かった。
 二年の余(よ)も床についていた前(せん)の上(かみ)さんの生きているうちから、ちょいちょい逢っていた下谷(したや)の方の女と、鶴さんが時々媾曳(あいびき)していることが、店のものの口吻(くちぶり)から、お島にも漸く感づけて来た。お島はそれらの店の者に、時々思いきった小遣(こづかい)をくれたり、食物を奢(おご)ったりした。彼等はどうかすると、鼻(はな)ッ張(ぱり)の強い女主人から頭ごなしに呶鳴(どな)りつけられて、ちりちりするような事があったが、思いがけない気前を見せられることも、希(めず)らしくなかった。
 鶴さんの出ていった後から、自身で得意先を一循巡(まわ)って見て来たりするお島は、時には鶴さんと二人で、夜おそく土産(みやげ)などを提げて、好い機嫌で帰って来た。

 荒い夏の風にやけて、鶴さんが北海道の旅から帰って来たのは、それから二月半も経ってからであった。暑い盛りの八月も過ぎて、東京の空には、朝晩にもう秋めかした風が吹きはじめていた。
 鶴さんの話によると、帰りの遅くなったのは、東北の方にあるその生れ故郷へ立寄って、年取った父親に逢ったり、旅でそこねた健康を回復するために、近くの温泉場へ湯治に行っていたりした為だというのであったが、それから程なく、鶴さんの留守の間(ま)に北海道から入って来た数通の手紙の一つが、旅で馴染(なじみ)になった女からであることが、その手紙の表記(うわがき)でお島にも容易(たやす)く感づけた。
 帰ってからも、そっちこっち飛歩いていて、碌々(ろくろく)旅の話一つしんみり為(し)ようともしなかった鶴さんが、ある日帳簿などを調べたところによると、お島はお島だけで、留守中に可也(かなり)販路を拡めていることが解って来たが、それは率(おおむ)ね金払いのわるいような家ばかりであった。これまでに鶴さんが手をやいた質(たち)の悪い向(むき)も二三軒あったが、中にはまたお島が古くから知っている堅い屋敷などもあった。お島は少しでも手繋(てがかり)のあるようなそれ等の家から、食料品の註文を取ることが、留守中の毎日々々の仕事であったが、品物ばかり出て勘定の滞っているのが、其方(そっち)にも此方(こっち)にも発見せられた。
 悪阻(つわり)などのために、夏中動(やや)もするとお島は店へも顔を出さず、二階に床を敷いて、一日寝て暮すような日が多かったが、気分の好い時でも、その日その日の売揚(うりあげ)の勘定をしたり、店のものと一緒に、掛取に頭脳(あたま)を使ったりするのが煩(わずら)わしくなると、着飾って生家(さと)や植源へ遊びに出かけるか、昵(なじ)みの多い旧(もと)の養家の居周(いまわり)やその得意先へ上って話こむかして、時間を銷(け)さなければならなかった。養家では、作太郎が近所の長屋を一軒もらって、嫁と一緒に相変らず真黒になって働いていたが、お島はその方へも声をかけた。
「今度田舎の土産でもさげて、お島さんの婿さんの顔を見にいくだかな」作は帰りがけのお島に言ってにやにや笑っていた。
「まあそうやって、後生大事に働いてるが可(い)いや。私も危(あぶな)く瞞(だま)されるところだったよ。養母(おっか)さんたちは人がわるいからね」お島も棄白(すてぜりふ)でそこを出た。

 暫(しばら)くぶりで、一日遊びに来た姉が、その日も朝から店をあけている鶴さんや、知りたくもない植源の嫁の噂(うわさ)などをして、一人で饒舌(しゃべ)りちらして帰って行った。
 お島は気骨の折れる子持の客の帰ったあとで、気憊(きづか)れのした体を帳場格子(ちょうばごうし)にもたれて、ぼんやりしていた。お島の体は、単衣(ひとえ)もののこの頃では、夕方の涼みに表へ出るのも極(きまり)のわるいほど、月が重っていた。
 旅から帰って来た鶴さんは、落着いて店で帳合をするような日とては、幾(ほと)んど一日もなかった。偶(たま)に家にいても、朝から二階へあがって、枕などを取出して、横になっているような事が多かった。機嫌のいい時には、これまで口にしたこともなかった、猥(みだ)らな端唄(はうた)の文句などを低声(こごえ)で謡(うた)って、一人で燥(はしゃ)いでいた。
「おお厭だ、誰にそんなものを教わって来ました」お島はぼつぼつ支度にかかっていた赤子の着物の片(きれ)などを弄(いじ)りながら、傍で擽(くすぐ)ったいような笑方(わらいかた)をした。
「面白くでもない。北海道の女のお自惚(のろけ)なんぞ言って」
「どうして、そんなんじゃない」と云いそうな顔をして、鶴さんは物珍しげに、形のできた小さい襦袢(じゅばん)などを眺めていた。
「ちょいと、貴方(あなた)はどんな子が産れると思います」お島は始終気にかかっている事を、鶴さんにも訊(き)いてみた。
「どうせ私(あっし)には肖(に)ていまい。そう思っていれあ確(たし)かだ」鶴さんは鼻で笑いながら、後向になった。
「どうせそうでしょうよ、これは私のお土産ですもの」お島は不快な気持に顔を赧(あから)めた。「でも笑談(じょうだん)にもそういわれると、厭なものね。子供が可哀そうのようで」
「此方(こっち)の身も可哀そうだ」
「それは色女に逢えないからでしょう」
 二人の神経が段々尖(とが)って来た。そしてお島に泣いて突かかられると、鶴さんはいきなり跳起(はねお)きて、家では滅多にあけたことのない折鞄をかかえて、外へ飛出してしまった。その折鞄のなかには、女の写真や手紙が一杯入っているのであった。
 今もお島は、何の気なしに聞過していた姉の話が、一々深い意味をもって、気遣しく思浮べられて来た。姉の話では、鶴さんの始終抱えて歩いている鞄のなかの文(ふみ)が、時々植源の嫁の前などで、繰拡げられると云うのであった。
「それは可笑(おか)しいの」姉は一つはお島を煽(あお)るために、一つは鶴さんと仲のいい植源の嫁への嫉妬(しっと)のために、調子に乗って話した。
「その女というのが、美人の本場の越後から流れて来たとやらで、島ちゃんの旦那は碌素法(ろくすっぽう)工場へ顔出しもしないで、そこへばかり入浸(いりびた)っていたんだって。それで、その手紙にこんな事まで書いてあるんだってさ。これも東京の人で、彼方(あちら)へ往く度(たんび)に札びら切って、大尽風をふかしているお爺さんが、鉱山(やま)が売れたら、その女を落籍(ひか)して東京へつれていくといっているから、それを踏台にして、東京へ出ましょうかって。ねえ、ちょいとお安くないじゃないの」
 姉は植源の嫁から聞いたと云うその女の噂を、こまごまと話して聞した。
「それに鶴さんは、着物や半衿(はんえり)や、香水なんか、ちょいちょい北海道(あちら)へ送るんだそうだよ。島ちゃん確(しっか)りしないと駄目だよ」姉はそうも言った。
「何(なあ)に」と思って、お島は聞いていたのであったが、女にどんな手があるか解らないような、恐怖(おそれ)と疑惧(ぎぐ)とを感じて来た。

 植源の嫁のおゆうの部屋で、鶴さんと大喧嘩をした時のお島は、これまで遂(つい)ぞ見たこともないようなお盛装(めかし)をしていた。
 お島が鶴さんに無断で、その取つけの呉服屋から、成金の令嬢か新造(しんぞ)の着る様な金目のものを取寄せて、思いきったけばけばしい身装(なり)をして、劈頭(のっけ)に姉を訪ねたとき、彼女は一調子かわったお島が、何を仕出来(しでか)すかと恐れの目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)った。看(み)ればハイカラに仕立てたお島の頭髪(あたま)は、ぴかぴかする安宝石で輝き、指にも見なれぬ指環が光って、体に咽(むせ)ぶような香水の匂(におい)がしていた。
 旅から帰ってからの鶴さんに、始終こってり作(づくり)の顔容(かおかたち)を見せることを怠らずにいたお島の鏡台には、何の考慮もなしに自暴(やけ)に費さるる化粧品の瓶(びん)が、不断に取出されてあった。夜(よる)臥床(ふしど)に就くときも、色々のもので塗りあげられた彼女の顔が、電気の灯影に凄(すご)いような厭な美しさを見せていた。
「大した身装(なり)じゃないか。商人の内儀(かみ)さんが、そんな事をしても可(い)いの」惜気もなくぬいてくれる、お島が持古しの指環や、櫛(くし)や手絡(てがら)のようなものを、この頃に二度も三度ももらっていた姉は、媚(こ)びるように、お島の顔を眺めていた。
「どうせ長持のしない身上(しんしょう)だもの。今のうち好きなことをしておいた方が、此方(こっち)の得さ。あの人だって、私に隠して勝手な真似(まね)をしているんじゃないか」
 お島はその日も、外へ出ていった鶴さんの行先(ゆきさき)を、てっきり植源のおゆうの許(とこ)と目星をつけて、やって来たのであった。そして気味を悪がって姉の止めるのも肯(き)かずに、出ていった。
 おどおどして入っていった植源の家の、丁度お八つ時分の茶(ちゃ)の室(ま)では、隠居や子息(むすこ)と一緒に、鶴さんもお茶を飲みながら話込んでいたが、お島が手土産の菓子の折を、裏の方に濯(すす)ぎものをしているおゆうに示(み)せて、そこで暫(しばら)く立話をしている間(ま)に、鶴さんも例の折鞄を持って、そこを立とうとしておゆうに声をかけに来た。
「まあ可(い)いじゃありませんか。お島さんの顔を見て直(じ)き立たなくたって。御一緒にお帰んなさいよ」
 おゆうは愛相よく取做(とりな)した。
「自分に弱味があるからでしょう」お島は涙ぐんだ面(おもて)を背向(そむ)けた。
 夫婦はそこで、二言三言言争った。
「私(あっし)も、島(これ)のいる前で、一つ皆さんに訊(き)いてもらいたいです」鶴さんは蒼(あお)くなって言った。
 そしておゆうがお島をつれて、自分の部屋へ入ったとき、鶴さんもぶつぶつ言いながら、側へやって来た。
「孰(どっち)も孰(どっち)だけれど、鶴さんだって随分可哀そうよお島さん」終(しま)いにおゆうはお島に言かけたとき、お島は可悔(くやし)そうにぽろぽろ涙を流していた。
 夫婦はそこで、撲(なぐ)ったり、武者振(むしゃぶり)ついたりした。
 大分たってから、呼びにやった姉につれられて、お島はそこから姉の家へ還されていった。

 姉の家へ引取られてからも、お島の口にはまだ鶴さんの悪口(あっこう)が絶えなかった。おゆうに庇護(かば)われている男の心が、歯痒(はがゆ)かったり、妬(ねた)ましく思われたりした。男を我有(わがもの)にしているようなおゆうの手から、男を取返さなければ、気がすまぬような不安を感じた。
 お島は仕事から帰った姉の亭主が晩酌の膳(ぜん)に向っている傍で、姉と一緒に晩飯の箸(はし)を取っていたが、心は鶴さんとおゆうの側にあった。
「そうそう、こんな事しちゃいられないのだっけ。店のものが皆(みん)な私を待っているでしょう」お島は蚊帳(かや)のなかで子供を寝(ねか)しつけている、姉の枕元で想出したように言出した。
「良人(うち)はあんなだし、私でもいなかった日には、一日だって店が立行きませんよ」
「今度あばれちゃ駄目よ」姉は出てゆくお島を送出しながら言った。
「どうもお騒がせして相済みません」お島は何のこともなかったような顔をして、外へ出たが、鶴さんがまだ植源にいるような気がして、素直に家へ帰る気にはなれなかった。
 外はすっかり暮れてしまって、茶の木畑や山茶花(さざんか)などの木立の多い、その界隈(かいわい)は閑寂(ひっそり)していた。お島の足は惹寄(ひきよ)せられるように、植源の方へ歩いていった。「鶴さんも可哀そうよ」そう言ってお島を窘(たしな)めたおゆうの目顔が、まだ目についていた。北海道の女よりも、稚馴染(おさななじみ)のおゆうの方に、暗い多くの疑がかかっていた。
 大きな石の門のうえに、植源と出ている軒燈(けんとう)の下に突立って、やがてお島は家の方の気勢(けはい)に神経を澄したが、石を敷つめた門のうちの両側に、枝を差交した木陰から見える玄関には、灯影(ほかげ)一つ洩れていなかった。お島は※(「木+要」、第4水準2-15-13)(かなめ)と欅(けやき)の木とで、二重になっている外囲(そとがこい)の周(まわり)を、其方(そっち)こっち廻ってみたが、何のこともなかった。
 車で家へ帰ったのは、大分おそかった。
「お帰んなさい」
 店のもの二三人に声をかけられながら、車から降りると、奥の方の帳場に坐っている鶴さんの顔が、ちらと見えたので、お島は漸(やっ)と胸一杯に安心と歓喜(よろこび)との溢(あふ)れて来るのを感じたが、矢張(やっぱり)声をかける気になれなかった。
 上ってみると、二階は出ていった時、取散していったままであった。脱棄(ぬぎすて)が投出(ほうりだ)してあったり、蔽(おお)いをとられたままの箪笥(たんす)の上の鏡に、疲れた自分の顔が映ったりした。お島はその前に立って、物足りぬ思いに暫くぼんやりしていた。

 お島は二三度階下(した)へおりてみたけれど、鶴さんは、いつまで経(た)っても、帳場から離れて来る様子もなかった。そのうちに表が段々静になって、夜が更(ふ)けて来ると、店を片着けにかかっている物音が聞えたりして、鶴さんはやがて茶の間へ入って来た。お島は気持わるく壊(くず)れた髪を、束髪に結直して、長火鉢の傍へ来て坐ってみたりしていたが、頭脳(あたま)がぴんぴん痛みだして来たので、鶴さんが二階へ上って来る時分には、彼女(かれ)もいつか蒲団(ふとん)を引被(ひっかつ)いで寝ていた。
「お先へ失礼しましたよ。何だか気分がわるいので」お島はそう言いながら、呻吟声(うめきごえ)を立てていた。
 鶴さんは床についてからも、白い細長い手を出して、今朝から見るひまもなかった新聞を、かさこそ音を立てて、彼方(あっち)かえし此方(こっち)返しして読んでいるらしかったが、するうちに、それを投(ほう)りだして、枕につくかと思っていると、ぱちんと云う音がして、折鞄を開けて、何か取出したらしかった。後は闃寂(ひっそり)して、下の茶(ちゃ)の室(ま)の簷端(のきば)につるしてある鈴虫の声が時々耳につくだけであった。
 お島は後向になったまま、何をするかと神経を研(とぎ)すましていたが、今まで懈(だる)くて為方のなかった目までが、ぽっかり開(あ)いて来た。そして、ふと紙のうえを軋(きし)る万年筆の音が、耳にふれて来ると、渾身(からだじゅう)の全神経がそれに錘(あつま)って来て、向返ってその方を見ない訳にいかなかった。
「何をしてるんです、今時分……」
 お島はいきなり声を立てて、鶴さんを吃驚(びっくり)させた。鞄のなかには、女の手紙が一二通はみ出しているのが見えた。
 鶴さんは、ちらと此方(こっち)を見たが、黙ってまたペンを動かしはじめた。お島はいらいらしい目をすえて、じっと見つめていたが、忽(たちま)ち床から乗出して、その手紙を褫奪(ひったく)ろうとした。
「おい、戯談(じょうだん)じゃないぜ」
 鶴さんはそれでも落着いたもので、そっと書かけの手紙を床の下へ押込もうとしたが、同時に、お島の手は傍にあった折鞄を浚(さら)っていくために臂(ひじ)まで這出(はいだ)して来た。
「おい、ちょっと話がある」大分たってから、鶴さんは床のうえに起上って、疲れて枕に突伏になっているお島に声かけた。暴出(あれだ)すお島を押えたために、可也興奮させられて来た鶴さんは、爪痕(つめあと)のばら桜になっている腕をさすりながら、莨(たばこ)を喫(ふか)していた。
 お島はまだ肩で息をしながら、やっぱり突伏していた。
「……お前のようなものに、勝手な真似(まね)をされたんじゃ、商人はとても立って行(ゆき)っこはありゃしないんだからね」鶴さんは、自分がこの家に対する責任や、家つきの前(せん)の内儀(かみ)さんに対する立場などを説立ててから言出した。
「そんな事は、おゆうさんにでも聞いてお貰(もら)いなさい」お島は憎さげに言(ことば)を返したまま、またくるりと後向になった。

 返したとも返ったとも決らずに、お島が時々生家(さと)や植源の方へ往ったり来たりしていた頃には、鶴さんの家も大分ばたばたになりかけていた。
 北海道の女の方のそれはそれとして、以前から関係のあった下谷の女の方へ、一層熱中して来た鶴さんは、店のものの一人が所々の仕切先をごまかして、可也な穴を開けたことにすら気のつかぬほど、店を外にしていた。
「子供だけは私(あっし)が家において立派に育ててやるつもりです」
 鶴さんは、植源の隠居や嫁の前へ来ると、いつもお島の離縁話を持出しては、口癖のように言っていたが、お島に向ってもそれを明言した。
 植源の隠居に委(まか)してある、自分の身のうえに深い不安を懐(いだ)きながら、毎日々々母親に窘(いび)りづめにされていたお島は、ある朝釜の下の火を番しながら、跪坐(しゃが)んでいたとき言(ことば)を返したのが胸にすえかねたといって、母親のために、そこへ突転(つっこか)されて、竃(へっつい)の角で脇腹を打ったのが因(もと)で、到頭不幸な胎児が流れてしまった。
 その時お島は、飯の支度をすまして、衆(みんな)と一緒に、朝飯の膳に向って、箸を取かけていた。もう十月の半(なかば)で、七輪のうえに据えた鍋のお汁(つゆ)の味噌(みそ)の匂や、飯櫃(めしびつ)から立つ白い湯気にも、秋らしい朝の気分が可懐(なつか)しまれた。
 女を追って、田舎へ行ったきり、もう大分になる総領の姿のみえぬ家のなかは、急に衰えのみえて来た父親の姿とともに、この頃際立って寂しさが感ぜられて来た。食(たべ)かけた朝飯の箸を持ったまま、急に目のくらくらして来たお島は、声を立てるまもなく、そこへ仆(たお)れてしまったのであったが、七月(ななつき)になるかならぬの胎児が出てしまったことに気の附いたのは、時を経てからであった。
 一目もみないで、父親や鶴さんの手で、産児の寺へ送られていったのは、その晩方であったが、思いがけなく体の軽くなったお島の床についていたのは、幾日でもなかった。
 健康が回復して来ると同時に、母親と植源の隠居とのどうした談合(はなしあい)でか、当分植源にいっていることに決められたお島は、そこで台所に働いたり、冬物の針仕事に坐ったりしていた。ぐれ出した鶴さんは、口喧(くちやかま)しい隠居の頑張(がんば)っているこの閾(しきい)も高くなっていた。お島はおゆうの口から、下谷の女を家へ入れる入れぬで、苦労している彼の噂をおりおり聞されたりした。
「ああなってしまっちゃ、あの人ももう駄目よ」おゆうは鶴さんに愛相(あいそ)がつきたように言った。

 一つは人に媚(こ)びるため、働かずにはいられないように癖つけられて来たお島は、一年弱(たらず)の鶴さんとの夫婦暮しに嘗(な)めさせられた、甘いとも苦(にが)いとも解らないような苦しい生活の紛紜(いざこざ)から脱(のが)れて、何処(どこ)まで弾(はず)むか知れないような体を、ここでまた荒い仕事に働かせることのできるのが、寧(むし)ろその日その日の幸福であるらしく見えた。
 植源の庭には、大きな水甕(みずがめ)が三つもあった。お島は男の手の足りないおりおりには、その一つ一つに、水を盈々(なみなみ)汲込まなければならなかった。そしてそれを沢山の花圃(はなばたけ)や植木に漑(そそ)がなければならなかった。その頃かかっていた病身な出戻りの姉娘の連れていた二人の子供の世話も、朝晩に為なければならなかった。田舎で鉄道の方に勤めていた官吏の許(もと)へ片づいていたその姉は、以前この家に間借をしていたことのあるその良人が、田舎へ転任してから、七年目の今茲(ことし)の夏、遽(にわか)に病死してしまった。
 東北訛(なまり)のその子供は、おゆうには二人とも嫌われたが、お島には能く懐(なつ)いた。お島は暇さえあると、髪を結ったり、リボンをかけてやったり、寝起(ねおき)や入浴や食事の世話に骨惜みをしなかった。
 嫁にやられるとき、拵えて行ったものなどを不残(そっくり)亡(な)くして、旅費と当分の小遣にも足りぬくらいの金を、少(すこし)ばかりの家財を売払って持って来た姉は、まだ乳離れのせぬ小(ちいさ)い方の男の子を膝(ひざ)にのせて、時々縁側の日南(ひなた)に坐りながら、ぼんやりお島の働きぶりを眺めていた。
「能(よ)くそんなに体が動いたもんだわね」
 姉は感心したように言(ことば)をかけた。お島は襷(たすき)がけの素跣足(すはだし)で、手水鉢(ちょうずばち)の水を取かえながら、鉢前の小石を一つ一つ綺麗(きれい)に洗っていた。夏中縁先に張出されてあった葭簀(よしず)の日覆(ひおい)を洩(も)れて、まだ暑苦しいような日の差込む時が、二三日も続いた。
「ええ、子供の時分から慣れっこになっていますから」お島は笑いながら応(こた)えた。
「子供を産んだ人とは思われないくらいですよ」
「だって漸(ようよ)う七月(ななつき)ですもの。私顔も見ませんでしたよ。淡白(さっぱり)したもんです」
「それにしたって、旦那のことは忘れられないでしょう」
「そうですね。がさがさしてる癖に、余(あんま)り好い気持はしませんね」
「矢張(やっぱり)惚(ほ)れていたんだわね」
「そうかも知れませんよ」お島は顔を赧(あから)めて、
「私が暴れて打壊(ぶちこわ)したようなもんですの。あの人はまたどうして、あんなに気が多いでしょう。些(ちょ)いと何かいわれると、もう好い気になって一人で騒いでいるんですもの。その癖嫉妬(やきもち)やきなんですがね」
「でも能く思切って了(しま)ったわね」
「芸者や女郎じゃあるまいし、いつまで、くよくよしていたって為方がないですもの。私はあんなへなへなした男は大嫌いですよ」
「それもそうね。――私も思切って、どこか働きに行きましょうかしら」
「御笑談(じょうだん)でしょう。そんな可愛い坊ちゃんをおいて、何処へ行けるもんですか」

 夜になると、お島はまた隠居の足腰をさすって、寝かしつけてやるのが、毎日の日課であったが、時とすると子息(むすこ)夫婦に対する、病的な嫉妬から起るこの老婦(としより)の兇暴な挙動(ふるまい)をも宥(なだ)めてやらなければならなかった。
 四十代時分には、時々若い遊人(あそびにん)などを近(ちかづ)けたと云う噂のある隠居は、おゆうが嫁に来るまでは、幼(ちいさ)い時から甘やかして育てて来た子息(むすこ)の房吉を、猫可愛(ねこかわゆ)がりに愛した。一度脳を患(わずら)ったりなどしてから、気に引立(ひったち)がなくなって、温順(おとな)しい一方なのが、彼女(かれ)には不憫(ふびん)でならなかった。房吉は植木屋の仕事としては、これと云うこともさせられずに日を送って来たが、始終家にばかり引込んで、母親の傍に率(ひき)つけられていたので、友達というものもなかった。絵の好きであった彼は、十六七の時分には、絵師になろうとの希望を抱(いだ)きはじめたが、それも母親に遮(さえぎ)られて、修業らしい修業もしずにしまった。
 寝るにも起きるにも、自分ばかりを凝視(みつ)めて暮しているような、年取った母親の苛辣(からつ)な目が、房吉には段々厭(いと)わしくなって来た。そして何時の頃からか時々顔を合す機会のあった、おゆうの懐かしい娘姿に心が惹(ひき)つけられた。どんなことがあっても、おゆうちゃんを嫁に貰ってくれなければならない、房吉のそう言った辞(ことば)が、母親の口から大秀やおゆうの耳へも入れられた。
 結婚してからも、どうかすると、おゆうから離されて、房吉が気鬱(きぶせ)な母親の側に寝かされたり、おゆうが夜おそくまで、母親の側に坐って、足腰を揉ませられたりした。夜更(よなか)に目敏(めざと)い母親の跫音(あしおと)が、夫婦の寝室(ねま)の外の縁側に聞えたり、夜(よ)の未明(ひきあけ)に板戸を引あけている、いらいらしい声が聞えたりした。
 お島が来てからも、おゆうが物蔭で泣いているようなことが、時々あった。
 家にいても、大抵きちんとした身装(なり)をして、庭の方は職人まかせにして、自身は花を活(い)けたり、書画を弄(いじ)ったりして暮している内気な房吉は、どうかすると母親から、聴いていられないような毒々しい辞(ことば)を浴せられた。
「あれを手前の子と思ってるのが、大間抜だ」母親はそうも言った。
 衰えのみえる目などのめっきり水々して来たおゆうは、爾時(そのとき)五月(いつつき)の腹を抱えていた。日に日に気懈(けだる)そうにみえて来るおゆうの媚(なまめ)いた姿や、良人に甘えるような素振が、母親には見ていられないほど腹立しくてならなかった。

 お島の姉が、暑い日盛に帽子も冠せない子供を、手かけに負(おぶ)って、庭の方からまわって、おゆうを呼出しに来たとき、門のうちに張物をしていたお島と、自分の部屋の縁側で、髪を洗っていたおゆうを除いたほか、大抵の人は風通しの好さそうな場所を択んで、昼寝をしていた。房吉は時々出かけてゆく、近所の釣堀(つりぼり)へ遊びに行っていたし、房吉の姉のお鈴は、小さい方の子供に、乳房を啣(ふく)ませながら、茶(ちゃ)の室(ま)の方で、手枕をしながら、乱次(だらし)なく眠っていた。家のなかは、どこも彼処(かしこ)も長い日の暑熱に倦(う)み疲れたような懈(だる)さに浸っていた。
 大輪の向日葵(ひまわり)の、萎(しお)れきって項(うな)だれた花畑尻(はなばじり)の垣根ぎわに、ひらひらする黒い蝶(ちょう)の影などが見えて、四下(あたり)は汚点(しみ)のあるような日光が、強く漲(みなぎ)っていた。
 姉はおゆうと、五六分ばかり縁側で話をしていたが、やがて子供をそこへ卸(おろ)して、袂(たもと)で汗をふいていた。おゆうはまだ水気の取りきれぬ髪の端(はじ)に、紙片(かみきれ)を捲(まき)つけて、それを垂らしたまま、あたふた家を出ていった。
「きっと鶴さんが来ているんだ」
 お島はそう思うと、急に張物が手に着かなくなって、胸がいらいらして来た。
「姉さんも随分な人だよ」
 お島はいきなり姉の側へ寄っていった。
「どうしてさ」姉は這(は)っている子供に、乳房を出して見せながら、汗ばんだ顔を赧(あから)めた。
「解ってますよ」
「可笑(おかし)な人だね。解っていたら可(い)いじゃないの」
「そんな事をしても可いんですか」
「いいも悪いもないじゃないか。感違いをしちゃ困りますよ」
 二三度口留をしてから、姉の話すところによると、金の工面に行詰った鶴さんが、隠居や房吉に内密(ないしょ)で、おゆうから少(すこし)ばかり融通をしてもらうために、私(そっ)と姉の家へやって来たのだと云うのであった。鶴さんが、そんなに困っているとは、お島には信ぜられないくらいであったが、姉の真顔で、それは事実であるらしく思えた。
「ふむ」お島は首を傾(かし)げて、「じゃもう、あの店も駄目だね」
「そうなんでしょう。事によったら、田舎へ行(い)くて言ってるわ」
「芸者を引張込むようじゃ、長続きはしないね。散々(さんざ)好きなことをして、店を仕舞うがいいや」
 お島は自暴(やけ)に言いすてて、仕事の方へ帰って来たが、目が涙に曇っていた。せかせか出て行った今のおゆうの姿や、おゆうを待受けている鶴さんの、この頃の生活に荒(すさ)みきった神経質な顔などが、目について来た。
 暫く経って、帰って来たおゆうの顔には、鶴さんのためなら、何でも為かねないような浮いた大胆さと不安が見えていた。
 おゆうの部屋を出て行く姉の手には、小袖(こそで)を四五枚入れたほどの、ぼっとりした包みが提げられた。

 堅い口留をして、ふとそれ等の事をお鈴に洩(もら)したお島は、それを又お鈴から聞いて、宛然(さながら)姦通(かんつう)の手証(てしょう)でも押えたように騒ぎたてる、隠居の病的な苛責(かしゃく)からおゆうを庇護(かば)うことに骨がおれた。
 宵の口に、お島にすかし宥(なだ)められて、一度眠りについた隠居は、衆(みんな)がこれから寝床につこうとしている時分に、目がさめて来ると、広々した蚊帳(かや)のなかに起き坐って、さも退屈な夜の長さに倦(う)み果てたように、四下(あたり)を見回していた。
 宵に母親に警(いまし)め責められた房吉は、隠居がじりじりして業(ごう)を煮(にや)せば煮すほど、その事には冷淡であった。遊人などを近(ちかづ)けていた母親の過去を見せられて来た房吉の目には、彼女の苦しみが、滑稽(こっけい)にも莫迦々々(ばかばか)しくも見えた。
「誰のためでもない、みんなお前が可愛いからだ」
 ※(「兀のにょうの形+王」、第3水準1-47-62)弱(ひよわ)かった幼(ちいさ)い頃の房吉の養育に、気苦労の多かったことなどを言立てる隠居の言(ことば)を、好い加減に房吉は聞流していた。
「不義した女を出すことが出来ないような腑(ふ)ぬけと、一生暮そうとは思わない。私(わし)の方から出ていくからそう思うがいい」
 思っていることの半分も言えない房吉は、それでも二言三言辞(ことば)を返した。
「そんな事があったか否(ない)か知らないけれど、私(あっし)の家内なら、阿母(おっか)さんは黙ってみていたらいいでしょう。一体誰がそんな事を言出したんです」
 隠居の肩を揉(も)んでいたお島は、それを聴きながら顔から火が出るように思ったが、矢張(やっぱり)房吉を歯痒(はがゆ)く思った。
 無成算な、その日その日の無駄な働きに、一夏を過して来たお島は、習慣でそうして来た隠居の機嫌取や、親子の間の争闘の取做(とりなし)にも疲れていた。寝苦しい晩などには、お島は自分自身の肉体の苦しみが、まだ戸もしめずに、いつまでもぼそぼそ話声のもれている若夫婦の寝室(ねま)の方へも見廻ってみる、隠居と一つに神経を働かせた。
「まあ、そんな事はいいでしょう」お島は外方(そっぽう)を向きながら鼻で笑った。
「お前がそんな二本棒だから、おゆうが好きな真似(まね)をするんだ。お前が承知しても、この私が承知できない。さあ今夜という今夜は、立派におゆうの処分をしてみせろ。それが出来ないような意気地なしなら、首でも縊(くく)って一思(ひとおも)いに死んでしまえ」
 それよりも、部屋で泣伏しているおゆうの可憐(いじら)しい姿に、心の惹(ひ)かるる房吉は、やがてその傍(そば)へ寄って、優しい辞(ことば)をかけてやりたかった。妊娠(みもち)だと云うことが、一層男の愛憐(あいれん)を唆(そそ)った。
 お島にささえられないほどの力を出して、隠居が剃刀(かみそり)を揮(ふり)まわして、二人のなかへ割って入ったとき、おゆうは寝衣(ねまき)のまま、跣足(はだし)で縁から外へ飛出していった。

 二時過まで、植源の人達は騒いでいた。
 お鈴と二人で漸(やっ)と宥(なだ)めて、房吉から引離して、蚊帳(かや)のなかへ納められた隠居が鎮(しずま)ってからも、お島はじっとしてもいられなかった。
「どうしましょうね。大丈夫でしょうか」お島は庭の方を捜してから、これも矢張(やっぱり)そこいらを捜しあぐねて、蚊帳の外に茫然(ぼんやり)坐っている房吉の傍へ帰って来て言った。
 房吉は蒼白(あおざ)めた顔をして、涙含(なみだぐ)んでいた。
「大丈夫とは思うけれど、偶然(ひょっ)とするとおゆうは帰って来ないかも知れないね。不断から善く死ぬ死ぬと言っていたから」
「そうですか」お島は仰山らしく顫(ふる)え声で言った。
「それじゃ私少し捜して来ましょう」
 お島が近所の知った家を二三軒訊(き)いて歩いたり、姉の家へ行ってみたり、途中で鶴さんや大秀へ電話をかけたりしてから、漸(ようよ)う帰って来たのは、もう大分夜が更(ふ)けてからであった。
「安心していらっしゃい」お島は房吉の部屋へ入ると、せいせい息をはずませながら言った。「おゆうさんは大丈夫大秀さんにいるんですよ」
 お島が、大秀へ電話をかけたとき、出て来て応答(うけこたえ)をしたのは、おゆうには継母にあたる大秀の若い内儀(かみ)さんであった。
 おゆうが俥(くるま)で飛込んでいった時、生家(さと)ではもう臥床(ねどこ)に入っていたが、おゆうはいきなり昔し堅気の頑固(がんこ)な父親に、頭から脅(おどか)しつけられて、一層突(つき)つめた気分で家を出た。鶴さんに着物を融通したり何かしたと云うことが、植源へ片着かない前からの浮気っぽいおゆうを知っている父親には、赦(ゆる)すことのできぬ悪事としか思えなかった。
 おゆうが帰って来たとき、お島は自分の寝床へ帰って、表(おもて)の様子に気を配りながら、まんじりともせず疲れた体を横(よこた)えていた。
 帰って来たおゆうが、一つは姑(しゅうとめ)や父親への面当(つらあて)に、一つは房吉に拗(す)ねるために、いきなり剃刀(かみそり)で髪を切って、庭の井戸へ身を投げようとしたのは、その晩の夜中過であった。おゆうは、うとうと床(とこ)のなかに坐っている房吉には声もかけず、いきなり鏡台の前に立って、隠居の手から取離されたまま、そこに置かれた剃刀を見つけると、いきなり振釈(ふりほど)いた髪を、一握ほど根元から切ってしまった。
「可悔(くやし)い可悔い」跣足で飛出して来たお島に遮(ささ)えられながら、おゆうは暴(あば)れ悶※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)(もが)いて叫んだ。
 漸(やっ)とのことで、房吉と一緒におゆうを座敷へ連込んで来たお島の目には、髪を振乱したまま、そこに泣沈んでいるおゆうが、可憐(いじら)しくも妬(ねた)ましくも思えた。
「みんな鶴さんへの心中立だ」お島は心に呟(つぶや)きながら、低声(こごえ)でおゆうを宥(なだ)めさすっている房吉と、それを耳にもかけず泣沈んでいるおゆうの美しい姿とを見比べた。

 情婦(おんな)の流れて行っている、或山国の町の一つで、暫(しばら)く漂浪の生活を続けている兄の壮太郎(そうたろう)が、其処(そこ)で商売に着手していた品物の仕入かたがた、仕事の手助(てだすけ)にお島をつれに来たのはその夏の末であった。
「阿母さんは、一体いつまで私を彼処(あすこ)で働かしておくつもりだろう」
 植源の忙しい働き仕事や、絶え間のないそこの家(うち)のなかの紛紜(いざこざ)に飽はてて来たお島は、息をぬきに家へやって来ると父親に零(こぼ)した。
 長いあいだ家へ寄つきもしない壮太郎の代りに、家に居坐らせるため、植源を出て来て、父の手助に働かせられていたお島は、兄に説(とき)つけられて、その時ふいと旅に出る気になったのであった。
「誰が来たって駄目だ。お前ならきっと辛抱ができる」
 お島に家へ坐られることが不安であったと同時に、田舎で遣(やり)かけようとしている仕事と、そこで人に囲われている女とから離れることの出来なかった兄の壮太郎は、そう言って話に乗易(のりやす)いお島を唆(そそのか)した。
 田舎の植木屋仲間に売るような色々の植木と、西洋草花の種子(たね)などを、どっさり仕込んで、それを汽車に積んで、兄はしばらく住なれたその町の方へ出かけていった。一緒に乗込んだお島の心には、まだ見たことのない田舎の町のさまが色々に想像されたが、これまで何処へ行っても頭を抑えられていたような冷酷な生母、因業(いんごう)な養父母、植源の隠居、それらの人達から離れて暮せるということを考えるだけでも、手足が急に自由になったような安易を感じた。
「みっちり働いて、お金を儲(もう)けて帰ろう」お島はそう思うと、何もかも自分を歓迎するための手をひろげて待っているような気がした。
 黝(くろず)んだ土や、蒼々(あおあお)した水や広々した雑木林――関東平野を北へ北へと横(よこぎ)って行く汽車が、山へさしかかるに連れて、お島の心には、旅の哀愁が少しずつ沁(しみ)ひろがって来た。
「矢張(やっぱり)こんなような町?」お島は汽車が可也(かなり)大きなある停車場へ乗込んだとき、窓から顔を出して、壮太郎にささやいた。
 停車場には、日光帰りとみえる、紅色(べにいろ)をした西洋人の姿などが見えた。
「とてもこんな大きなんじゃない」壮太郎は、長く沁込んだその町の内部の生活を憶出(おもいだ)していると云う顔をして笑った。その土地では、壮太郎はもう可也色々の人を知っていた。
「どこを見ても山だからね。でも住なれてみると、また面白いこともあるのさ」
 汽車は段々山国へ入っていった。深い谿(たに)や、遠い峡(はざま)が、山国らしい木立の隙間(すきま)や、風にふるえている梢(こずえ)の上から望み見られた。客車のなかは一様に闃寂(ひっそり)していた。

 車窓に襲いかかる山気(さんき)が、次第に濃密の度を加えて来るにつれて、汽車はざッざッと云う音を立てて、静に高原地を登っていった。鬱蒼(うっそう)とした其処ここの杉柏(さんぱく)の梢からは、烟霧(えんむ)のような翠嵐(すいらん)が起って、細い雨が明い日光に透(すか)し視(み)られた。思いもかけない山麓(さんろく)の傾斜面に痩(や)せた田畑があったり、厚い薮畳(やぶだたみ)の蔭に、人家があったりした。
 その町へ着くまでに、汽車は寂しい停車場に、三度も四度も駐(とどま)った。東京の居周(いまわり)に見なれている町よりも美しい町が、自然の威圧に怯(お)じ疲れて、口も利(き)けないようなお島の目に異様に映った。
「へえ、こんな処にもこんな人がいるのかね」お島は不思議そうに、そこに見えている人達の姿を凝視(みつ)めた。
 S――と云うその町へ入った時にも、小雨がしとしとと降そそいでいた。停車場を出て橋を一つ渡ると、直ぐそこに町端(まちはな)らしい休茶屋や、運送屋の軒に続いて燻(くすぶ)りきった旅籠屋(はたごや)が、二三軒目についた。石楠花(しゃくなげ)や岩松などの植木を出してある店屋(みせや)もあった。壮太郎とお島とは、そこを俥(くるま)で通って行った。
 町はどこも彼処(かしこ)も、闃寂(ひっそり)していた。
 俥は直(じき)に大通の真中へ出ていった。そこに石造の門口を閉(とざ)した旅館があったり、大きな用水桶(ようすいおけ)をひかえた銀行や、半鐘を備えつけた警察署があったりした。
 壮太郎の家は、閑静なその裏通にあった。町屋風の格子戸や、土塀(どべい)に囲われた門構の家などが、幾軒か立続(たてつづ)いたはずれに、低い垣根に仕切られた広々した庭が、先ずお島の目を惹(ひ)いた。木組などの繊細(かぼそ)いその家は、まだ木香(きが)のとれないくらいの新建(しんだち)であった。
 留守を頼んで行った大家(おおや)の若い衆(しゅ)と、そこの子供とが、広い家のなかを、我もの顔にごろごろしていた。
「へえ、こんな処でも商売が利くんですかね」
 部屋に落着いたお島は、縁端(えんばな)へ出て、庭を眺めながら呟いた。
「この町は先ずこれだけのものだけれど、居周(いまわり)には、またそれぞれ大きな家があるからね」壮太郎は、茶盆や湯沸をそこへ持出して来ると、羽織をぬいで胡坐(あぐら)を掻(か)きながら呟(つぶや)いた。
 秋雨のような雨がまだじとじと降っていた。水分の多い冷(つめた)い風が、遠く山国に来ていることを思わせた。ごとんごとんと云う慵(だる)い水車の音が、どこからか、物悲しげに聞えていた。

 そこにお島を落着かせてから、壮太郎が荷物運搬の采配(さいはい)に、雨のなかを再び停車場へ出かけていってから、お島は晩の食事の支度に台所へ出たが、女がおりおり来ると見えて、暫(しばら)く女中のいない男世帯としては、戸棚(とだな)や流元(ながしもと)が綺麗(きれい)に取片着いていた。
 壮太郎は、夜までかかって、車で二度に搬(はこ)び込まれた植木類を、すっかり庭の方へ始末をしてから、お島にはどこへ往くとも告げずに、またふいと羽織や帽子を被(き)て出て往ったが、お島はその晩裏から入って来た壮太郎が、何時頃帰ったかを知らないくらい疲れて熟睡した。
 明朝(あした)目のさめたとき、水車の音が先ずお島の耳に着いた。お島はその音を聞きながら、寝床のなかにうとうとしていたが、今日から全く知らない土地に暮すのだと思うと、今まで憎み怨(うら)んでいた東京の人達さえ懐(なつか)しく思われた。
 ここから二停車場(ふたていしゃば)ほど先にある、或大きな市(まち)へ流れて来て、そこで商売をしていた兄の女が、その頃二三里の山奥にある或鉱山の方に係(かか)っている男に落籍(ひか)されて、市とS――町との間にある鉱山(やま)つづきの小さい町に、囲われていたことは、お島も東京を立つ前から聴(きか)されていた。女がまだ商売をしている頃から、兄はその市(まち)へ来て、何も為(す)ることなしに、宿屋にごろついていたり、居周の温泉場に遊んでいたりしているうちに、土地の遊人仲間にも顔を知られて、おりおり勝負事などに手を出していた。女が今の男に落籍(ひか)されてから、彼は少(すこし)ばかりの資本(もとで)をもらって、※(「夕/寅」、第4水準2-5-29)縁(つて)のあったこのS――町へ来て、植木に身を入れることになったのであった。
 昼頃に雨があがってから、お島は壮太郎に連れられて、つい二三町ほど隔っている大家の家へ遊びに往った。そこはこの町の唯一の精米所でもあり、金持でもあった。大きな門を入ると、水車仕掛の大きな精米所が、直にお島の目についた。話声が聴取れないほど、轟々(ごうごう)いう音がそこから起っていた。[#「起っていた。」は底本では「起っていた」]
「この米が皆(みん)な鉱山(やま)へ入るんだぜ」
 壮太郎は、お島をその入口まで連れていって、言って聴せた。白くなって働いている男達と、壮太郎は暫く無駄話をしていた。
 主人は硝子戸(ガラスど)のはまった、明い事務室で、椅子に腰かけて、青い巾(きれ)の張られた大きな卓子(テーブル)に倚(よっ)かかって、眼鏡をかけて、その日の新聞の相場づけに眼を通していたが、壮太郎の方へ笑顔を向けると、お島にも丁寧にお辞儀をした。柱の状挿(じょうさし)には、主(おも)に東京から入って来る手紙や電報が、夥(おびだた)しく挿(はさ)まれてあった。米屋町の旦那のような風をしたその主人を、お島は不思議そうに眺めていた。
「ここの庭さ、己(おれ)が手を入れたというのは……」壮太郎は飛石伝いに、築山(つきやま)がかりの庭へ出てゆくと、お島に話しかけたが、そこから上へ登ってゆくと、小さい公園ほどの広々した土地が、目の前に展(ひら)けた。
「へえ、こんな暮しをしている人があるんですかね」
 お島はそこから、築山のかかりや、家建(やだち)の工合を見下しながら呟いた。
「ここへみっしり木を入れて、この町の公園にしようてえのが、あの人の企劃(もくろみ)なんだがね。金のかかる仕事だから、少し景気が直ってからでないと……」
 兄はそう言って、子供のためのグラウンドのような場所の周(まわり)にある、木陰のベンチに腰をおろして、莨(たばこ)をふかしはじめた。

 直(じき)にお島は、ここの主人や上(かみ)さんや、子供達とも懇意になったが、来た時から目についた、通りの方の浜屋と云う旅館の人達とも親しくなった。
 旅館の方には、お島より二つ年下の娘の外に、里から来ている女中が三人ほどいたが、始終帳場に坐っている、色の小白い面長な優男(やさおとこ)が、そこの主人であった。物堅そうなその主人は、大(おおき)い声では物も言わないような、温順(おとな)しい男であった。
 山国のこの寂れた町に涼気(すずけ)が立って来るにつれて、西北に聳(そび)えている山の姿が、薄墨色の雲に封(とざ)されているような日が続きがちであった。鬱々(くさくさ)するような降雨(あめふり)の日には、お島はよく浜屋へ湯をもらいに行って、囲炉裏縁(いろりばた)へ上り込んで、娘に東京の話をして聞かせたり、立込んで来る客の前へ出たりした。
 一家の締(しまり)をしている、四十六七になった、ぶよぶよ肥りの上さんと、一日小まめに体を動かしづめでいる老爺(おじい)さんとが、薄暗いその囲炉裏の側に、酒のお燗番(かんばん)をしたり、女中の指図(さしず)をしたりしていた。町の旅籠(はたご)や料理屋へ肴(さかな)を仕送っている魚河岸(うおがし)の問屋の旦那が、仕切を取りに、東京からやって来て、二日も三日も、新建(しんだち)の奥座敷に飲つづけていた。
 精米所の主人が建ててくれたと云う、その新座敷へ、お島も時々入って見た。糸柾(いとまさ)の檜(ひのき)の柱や、欄間(らんま)の彫刻や、極彩色の模様画のある大きな杉戸や、黒柿の床框(とこがまち)などの出来ばえを、上さんは自慢そうに、お島に話して聞せた。
 河岸の旦那の芸づくしをやっているその部屋を、お島も物珍しそうに覗(のぞ)いてみた。それでも安お召などを引張った芸者や、古着か何かの友禅縮緬(ゆうぜんちりめん)の衣裳(いしょう)を来て、斑(まだ)らに白粉(おしろい)をぬった半玉(はんぎょく)などが、引断(ひっきり)なしに、部屋を出たり入ったりした。鼓や太鼓の音がのべつ陽気に聞えた。笛の巧いという、盲の男の師匠が、芸者に手をひかれて、廊下づたいに連れられて行った。
 そこへ精米所の主人がやって来て、炉縁(ろばた)に胡坐(あぐら)をかくと、そこにごろりと寝転んでいたお爺さんは直(じき)に奥へ引込んで行った。精米所の主人の前には、直に銚子(ちょうし)がつけられて、上さんがお酌をしはじめた。
「あれを知らねえのかい。お前も余程(よっぽど)間ぬけだな」
 兄はその主人と上さんとの間(なか)を、お島に言って聞せた。
「あの家も、精米所のお蔭で持っているのさ。だから爺さんも目をつぶって、見ているんだ」
 兄はそうも言った。

 旦那を鉱山(やま)へ還してから、女が一里半程の道を俥(くるま)に乗って、壮太郎のところへ遣(や)って来るのは、大抵月曜日の午前であった。
 家が近所にあったところから、幼(ちいさ)いおりの馴染(なじみ)であった、おかなと云うその女が、まだ東京で商売に出ている時分、兄は女の名前を腕に鏤(えり)つけなどして、嬉しがっていた。そして女の跡を追うて、此処(ここ)へ来た頃には、上(かみ)さんまで実家(さと)へ返して、父親からは準禁治産の形ですっかり見限(みきり)をつけられていた。
 日本橋辺にいたことのあるおかなは、痩(やせ)ぎすな躯(がら)の小(ちいさ)い女であったが、東京では立行かなくなって、T――町へ来てからは、体も芸も一層荒(すさ)んでいた。土地びいきの多い人達のなかでは、勝手が違って勤めにくかったが、鉱山(やま)から来る連中には可也に持囃(もてはや)された。
 おかなは朝来ると、晩方には大抵帰って行ったが、旦那が東京へ用達(ようたし)などに出るおりには、二晩も三晩も帰らないことがあった。二里ほど奥にある、山間の温泉場へ、呼出をかけられて、壮太郎が出向いて行くこともあった。
 おかなは素人(しろうと)くさい風をして、山焦(やまやけ)のした顔に白粉も塗らず、ぼくぼくした下駄をはいて遣って来たが、お島には土地の名物だといって固い羊羹(ようかん)などを持って来た。
 女のいる間、お島は家を出て、精米所へ行ったり、浜屋で遊んでいたりした。
 精米所では、東京風の品(ひん)のいい上(かみ)さんが、家に引込(ひっこみ)きりで、浜屋の後家(ごけ)に産れた主人の男の子と、自分に産れた二人の女の子供の世話をしていた。
「浜屋のおばさんの処(とこ)へいきましょうね」
 お島は近所の子供たちと、例の公園に遊んでいるその男の子の、綺麗な顔を眺めながら言ってみた。
「あ」と、子供は頷(うなず)いた。
「阿母(おっか)さんとおばさんと、孰(どっち)が好き?」お島は言ってみたが、子供には何の感じもないらしかった。
 お島はベンチに腰かけて、慵(だる)い時のたつのを待っていた。庭の運動場の周(まわり)に植(うわ)った桜の葉が、もう大半黄(きば)み枯れて、秋らしい雲が遠くの空に動いていた。お島は時々炉端(ろばた)で差向いになることのある、浜屋の若い主人のことなどを思っていた。T――市から来ていた、その主人の嫁が、肺病のために長いあいだ生家(さと)へ帰されていた。

 お島が楽(たのし)みにして世話をしていた植木畠や花圃(はなばた)の床に、霜が段々滋(しげ)くなって、吹曝(ふきさら)しの一軒家の軒や羽目板に、或時は寒い山颪(やまおろし)が、凄(すさま)じく木葉を吹きつける冬が町を見舞う頃になると、商売の方がすっかり閑(ひま)になって来た壮太郎は、また市(まち)の方へ出て行って、遊人仲間の群へ入って、勝負事に頭を浸している日が多かった。
 持って行った植木の或者は、土が適(ふさ)わぬところから、お島が如何(いか)に丹精しても、買手のつかぬうちに、立枯になるようなものが多かったが、草花の方も美事に見込がはずれて、種子(たね)が思ったほどに捌(さば)けぬばかりでなく、花圃(はなばたけ)に蒔(ま)かれたものも発芽や発育が充分でなかった。壮太郎はそれに気を腐らして、この一冬をどうしてお島と二人で、この町に立籠(たてこも)ろうかと思いわずろうた。
 山にはもう雪が来ていた。鉱山の方へ搬ばれてゆく、味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)などを荷造した荷馬が、町に幾頭となく立駢(たちなら)んで、時雨(しぐれ)のふる中を、尾をたれて白い息を吹いているような朝が幾日となく続いた。小春日和(こはるびより)の日などには、お島がよく出て見た松並木の往還にある木挽小舎(こびきごや)の男達の姿も、いつか見えなくなって、そこから小川を一つ隔てた田圃(たんぼ)なかにある遊廓(ゆうかく)の白いペンキ塗の二階や三階の建物を取捲いていた林の木葉(このは)も、すっかり落尽くしてしまった。
 それでも浜屋の奥座敷だけには、裏町にある芸者屋から、時々裾(すそ)をからげて出てゆく箱屋や芸者の姿が見られて、どこからともなく飲みに来る客が絶えなかった。お島は町を通るごとに目についていた、通りの飲食店や、町がさびれてから、どこも達磨(だるま)をおくようになったと云う旅籠屋などに、働きに入ろうかとさえ思ってみることもあったが、それらのお客が皆(みん)な近在の百姓や、繭買(まゆかい)などの小商人(こあきゅうど)であることを想ってみるだけでも、身顫(みぶるい)が出るほど厭であった。
 裸になって市(まち)から帰って来ると、兄はよくお島のものを持出して、顔を知っている質屋の門などを潜(くぐ)ったが、それも種子(たね)が尽きて来ると、矢張女のところへ強請(せび)りに行くより外なかった。
 その使に、お島も時々遣られた。峠の幾箇(いくつ)もある寂しい山道を、お島は独りでてくてく歩いて行った。どこへ行っても人家があった。休み茶屋や居酒屋もあった。女の囲われている町では、馬蹄(ばてい)や農具を拵(こしら)えている鍛冶屋(かじや)が殊(こと)に多かった。
「おかなさんが、こんな処によくいられたもんだ」お島は不思議に思ったが、それでも女のいるところは、小瀟洒(こざっぱり)した格子造の家であった。家のなかには、東京風の箪笥(たんす)や長火鉢もきちんとしていた。

 けれど、そうしてちょいちょい往ってみる、お島の目に映ったところでは、おかなは兄の思っているほど気楽な身分でもなかった。おかなの話によると、鉱敷課(こうしきか)とやらの方に勤めて、鉱夫達と一緒に穴へ入るのが職務であるその旦那から、月々配(あてが)われる生活費と小遣とは、幾許(いくら)でもなかった。もと居た市(まち)の方では、誰も知らないもののない壮太郎との情交(なか)が、鉱山(やま)の人達の口から、薄々旦那の耳へも伝わってから、金の受渡しが一層やかましくなって、おかなはその事でどうかすると旦那と豪(えら)い喧嘩を始めることすらあった。夏の頃から、山間の湯に行ってみたり、市(まち)の方の医者へ通っていたりしていたおかなの体は、涼気(すずけ)が経つに従って、いくらか肉づいて来たようであったが、やっぱり色沢(いろつや)が出て来なかった。それに何方(どちら)を向いても、山ばかりのこの寂しい町で、雪の深い長い一冬を越すことは、今まで賑(にぎや)かな市(まち)にいたおかなに取っては、穴へ入るほど心細い仕事であった。どこか暖い方へ出て、もとの商売をしよう! おかなは時々その相談を、壮太郎にも為てみるのであった。
 旦那から少(すこし)ばかりの手切をもらって、おかなが知合をたよって、着のみ着のままで千葉の方へ落ちて行くことになった頃には、壮太郎もすっかり零落(おちぶ)れはてていた。月はもう十二月であった。山はどこを見ても真白で、町には毎日々々じめじめした霙(みぞれ)が降ったり、雪が積ったりしていた。
 東京の自宅(うち)の方へ、時々無心の手紙などを書いていた壮太郎が、何の手応(てごたえ)もないのに気を腐らして、女から送って来た金を旅費にして、これもこの町を立って行ったのは、十二月の月ももう半過(なかばすぎ)であった。旅客の姿の幾(ほと)んど全く絶えてしまった停車場へ、独(ひとり)遺(のこ)されることになったお島は、兄を送っていった。精米所の主人や、浜屋の内儀(かみ)さんなどに、家賃や、時々の小遣などの借のたまっていた壮太郎のために、双方の談合(はなしあい)で、その質(かた)に、お島の体があずけられる事になったのであった。
 寒い冬空を、防寒具の用意すらなかった兄の壮太郎は、古い蝙蝠傘(こうもりがさ)を一本もって、宛然(さながら)兇状持(きょうじょうもち)か何ぞのような身すぼらしい風をして、そこから汽車に乗っていった。鳥打の廂(ひさし)から、落窪(おちくぼ)んだ目ばかりがぎろりと薄気味わるく光っていた。
 その日は、夕方から雪がぼそぼそ降出して来た。綿の入ったものの支度すらできなかったお島は、袷(あわせ)の肌にしみる寒さに顫えながら、汽車の出てしまった寂しい停車場を、浜屋の番傘をさして、独りですごすご出て来た。
「兄さんにすっかりかつがれてしまったんだ!」
 お島は初めて気がついたように、自分の陥ちて来た立場を考えた。
 達磨(だるま)などの多い、飲食店のなかからは、煮物の煙などが、薄白く寒い風に靡(なび)いていた。

 繭買いや行商人などの姿が、安旅籠(やすはたご)の二階などに見られる、五六月の交(こう)になるまで、旅客の迹(あと)のすっかり絶えてしまうこの町にも、県の官吏の定宿(じょうやど)になっている浜屋だけには、時々洋服姿で入って来る泊客があった。その中には、鉄道の方の役員や、保険会社の勧誘員というような人達もあったが、それも月が一月へ入ると、ぱったり足がたえてしまって、浜屋の人達は、炉端(ろばた)に額を鳩(あつ)めて、飽々する時間を消しかねるような怠屈な日が多かった。
「さあ、こんな事をしちゃいられない」
 朝の拭(ふき)掃除がすんで了(しま)うと、その仲間に加わって、時のたつのを知らずに話に耽(ふけ)っていたお島は、新建(しんだち)の奥座敷で、昨夜(ゆうべ)も悪好(わるず)きな花に夜を更(ふか)していた主婦の、起きて出て来る姿をみると、急いで暖かい炉端を離れた。そして冬中女の手のへらされた勝手元の忙しい働きの隙々(ひまひま)に見るように、主婦から配(あて)がわれている仕事に坐った。仕事は大抵、これからの客に着せる夜着や、※(「糸+弟」、第4水準2-84-31)袍(どてら)や枕などの縫釈(ぬいとき)であった。前二階の広い客座敷で、それらの仕事に坐っているお島は、気がつまって来ると、独(ひとり)で鼻唄を謡いながら、機械的に針を動かしていたが、遣瀬(やるせ)のない寂しさが、時々頭脳(あたま)に襲いかかって来た。
 窓をあけると、鳶色(とびいろ)に曇った空の果に、山々の峰続きが仄白(ほのじろ)く見られて、その奥の方にあると聞いている、鉱山(やま)の人達の生活が物悲しげに思遣(おもいや)られた。奥座敷の縁側に出してある、大きな籠(かご)に啼(な)いている小禽(ことり)の声が、時々聞えていた。
 市(まち)から引れてある電燈の光が、薄明く家のなかを照す頃になると、町はもう何処(どこ)も彼処(かしこ)も戸が閉されて、裏へ出てみると、一面に雪の降積った田畠や林や人家のあいだから、ごとんごとんと響く、水車の音が単調に聞えて、涙含(なみだぐ)まるるような物悲しさが、快活に働いたり、笑ったりして見せているお島の心の底に、しみじみ湧(わき)あがって来た。
 その頃になると、いつも炉端(ろばた)に姿をみせる精米所の主人が、もうやって来て大きな体を湯に浸っていた。そしてお島たちが湯に入る時分には、晩酌の好い機嫌で、懸離れた奥座敷に延べられた臥床(ふしど)につくのであったが、花がはじまると、ぴちんぴちんと云う札の響が、衆(みんな)の寝静った静な屋内(やうち)に、いつまでも聞えていた。二三人の町の人が、そこに集っていた。
 酒ものまず、花にも興味をもたない若主人と、お島は時々二人きりで炉端に坐っていた。病気が癒(なお)るとも癒らぬともきまらずに、長いあいだ生家(さと)へ帰っている若い妻の身のうえを、独(ひとり)で案じわずろうているこの主人の寝起(ねおき)の世話を、お島はこの頃自分ですることにしていた。

 新座敷の方の庭から、丁字形に入込んでいる中庭に臨んだ主人の寝室(ねま)を、お島はある朝、毎朝(いつも)するように掃除していた。障子襖(ふすま)の燻(くす)ぼれたその部屋には、持主のいない真新しい箪笥が二棹(ふたさお)も駢(なら)んでいて、嫁の着物がそっくり中に仕舞われたきり、錠がおろされてあった。お島は苦しい夢を見ているような心持で、そこを掃出していたが、不安と悔恨とが、また新しく胸に沁出(しみだ)していた。
 お島は人に口を利(き)くのも、顔を見られるのも厭になったような自分の心の怯(おび)えを紛らせるために、一層精悍(かいがい)しい様子をして立働いていた。そして客の膳立(ぜんだて)などをする場所に当ててある薄暗い部屋で、妹達と一緒に朝飯をすますと、自分独りの思いに耽るために、急いで湯殿へ入っていった。窓に色硝子(いろガラス)などをはめた湯殿には、板壁にかかった姿見が、うっすり昨夜(ゆうべ)の湯気に曇っていた。お島はその前に立って、いびつなりに映る自分の顔に眺入(ながめい)っていた。親達や兄や多くの知った人達と離れて、こんな処に働いている自分の姿が可憐(いじら)しく思えてならなかった。
 お島は湯をぬくために、冷い三和土(たたき)へおりて行った。目が涙に曇って、そこに溢(あふ)れ流れている噴井(ふきい)の水もみえなかった。他人の中に育ってきたお蔭で、誰にも痒(かゆ)いところへ手の達(とど)くように気を使うことに慣れている自分が、若主人の背(せなか)を、昨夜も流してやったことが憶出(おもいだ)された。そうした不用意の誘惑から来た男の誘惑を、弾返(はねかえ)すだけの意地が、自分になかったことが悲しまれた。
「鶴さんで懲々(こりごり)している!」
 お島はその時も、溺(おぼ)れてゆく自分の成行(なりゆき)に不安を感じた。
 お島は力ない手を、浴槽(よくそう)の縁(ふち)につかまったまま、流(なが)れ減(た)っていく湯を、うっとり眺めていた。ごぼごぼと云う音を立てて、湯は流れおちていった。
 橋をわたって、裏の庫(くら)の方へゆく、主人の筒袖(つつそで)を着た物腰の細(ほっそ)りした姿が、硝子戸ごしにちらと見られた。お島は今朝から、まだ一度もこの主人の顔を見なかった。親しみのないような皮膚の蒼白(あおじろ)い、手足などの繊細(きゃしゃ)なその体がお島の感覚には、触るのが気味わるくも思えていたのであったが、今朝は一種の魅力が、自分を惹着(ひきつ)けてゆくようにさえ思われた。
「郵便が来ているよ」
 不意にその主人が、湯殿のなかへ顔を出して、懐(ふとこ)ろから一封の手紙を出した。
 それは王子の父親のところから来たのであった。
「へえ、何でしょう」
 お島は手を拭きながら、それを受取った。そして封を披(ひら)いて見た。

 山に雪が融けて、紫だったその姿が、くっきり碧(あお)い空に見られるようになる頃までに、お島は三度も四度も父親の手紙を受取った。
 冬中閉(とざ)されてあった煤(すす)けた部屋の隅々(すみずみ)まで、東風(こち)が吹流れて、町に陽炎(かげろう)の立つような日が、幾日(いくか)となく続いた。淡雪が意(おも)いがけなく、また降って来たりしたが、春の日光に照されて、直にびしょびしょ消えて行った。樋(ひ)の破目(われめ)から漏れおちる垂滴(すいてき)の水沫(しぶき)に、光線が美しい虹を棚引(たなびか)せて、凧(たこ)の唸声(うなりごえ)などが空に聞え、乾燥した浜屋の前の往来には、よかよか飴(あめ)の太鼓が子供を呼んでいた。
「お暖(あった)かになりやした」
 浜屋の炉端へ来る人の口から、そんな挨拶が聞かれた。
 ちらほら梅の咲きそうな裏庭へ出て、冷い頸元(えりもと)にそばえる軽い風に吹かれていると、お島は荐(しきり)に都の空が恋しく想出された。
「御父さんから、また手紙が来ましたよ」
 人のいないところで、帯の間から手紙を出してお島は男に見せた。
 正月頃までは、ちょいちょい嫁の病気を見にいっていた男は、この頃ではすっかり市(まち)の方へも足を遠退(の)いていた。湯殿口や前二階で、ひそひそ話(ばなし)をしている二人の姿が、妹達の目にも立つようになって来た。
 そんな処に何時までぐずぐずしていないで、早く立って来い。父親の手紙は、いつも同じようであったが、お島の身のうえについて、立っているらしい碌(ろく)でもない噂(うわさ)が、昔(むか)し気質(かたぎ)の老人(としより)を怒らせている事は、その文言(もんごん)でも受取れた。
「どうしましょう」
 お島はその度(たんび)に、目に涙をためて溜息(ためいき)を吐(つ)いたが、還るとも還らぬとも決らずに、話がぐずぐずになる事が多かった。
「御父さんは、私が酌婦にでもなっているものと思っているのでしょう」
 お島はそうも言って笑った。
 一緒に東京へ出る相談などが、二人のあいだに持上ったが、何もする事のない男は、そこまで盲目には成りきれなかった。市(まち)へお島を私(そっ)と住わしておこうと云う相談も出たが、精米所の補助を受けて、かつかつ遣っている浜屋の生計向(くらしむき)では、それも出来ない相談であった。
 一里半ほど東に当っている谿川(たにがわ)で、水力電気を起すための、測量師や工夫の幾組かが東京からやって来たり、山から降りて来たりする頃には、二人のなかを、誰も異(あや)しまなかった。月はもう五月に入りかけていた。

 嫁の生家(さと)や近所への聞えを憚(はばか)るところから、主婦(おかみ)の取計いで、お島がそれとなく、浜屋といくらか縁続きになっている山の或温泉宿へやられたのは、その月の末頃であった。
 S――町の垠(はずれ)を流れている川を溯(さかのぼ)って、重なり合った幾箇(いくつ)かの山裾(やますそ)を辿(たど)って行くと、直(じき)にその温泉場の白壁や屋(や)の棟(むね)が目についた。勾配(こうばい)の急な町には疾(はや)い小川の流れなどが音を立てて、石高な狭い道の両側に、幾十かの人家が窮屈そうに軒を並べ合っていた。
 お島の行ったところは、そこに十四五軒もある温泉宿のなかでも、古い方の家であったが、崖造(がけづくり)の新しい二階などが、蚕の揚り時などに遊びに来る、居周(いまわり)の人達を迎えるために、地下室の形を備えている味噌蔵の上に建出されてあったりした。庭にはもう苧環(おだまき)が葉を繁(しげ)らせ、夏雪草が日に熔(と)けそうな淡紅色の花をつけていた。
 雪の深い冬の間、閉(たて)きってあったような、その新建(しんだち)の二階の板戸を開けると、直ぐ目の前にみえる山の傾斜面に拓(ひら)いた畑には、麦が青々と伸びて、蔵の瓦屋根(かわらやね)のうえに、小禽(ことり)が怡(うれ)しげな声をたてて啼(な)いていた。山国の深さを思わせるような朝雲が、見あげる山の松の梢(こずえ)ごしに奇(く)しく眺められた。
 繭時(まゆどき)にはまだ少し間のあるこの温泉場には、近郷の百姓や附近の町の人の姿が偶(たま)に見られるきりであった。お島はその間を、ここでも針仕事などに坐らせられたが、どうかすると若い美術学生などの、函(はこ)をさげて飛込んで来るのに出逢った。
「こんな山奥へいらして、何をなさいますの」
 お島は絶えて聞くことの出来なかった、東京弁の懐かしさに惹着(ひきつ)けられて、つい話に※(「日/咎」、第3水準1-85-32)(とき)を移したりした。
 山越えに、××国の方へ渉(わた)ろうとしている学生は、紫だった朝雲が、まだ山(やま)の端(は)に消えうせぬ間(ま)を、軽々しい打扮(いでたち)をして、拵えてもらった皮包の弁当をポケットへ入れて、ふらりと立っていった。
「何て気楽な書生さんでしょう。男はいいね」
 お島は可羨(うらやま)しそうにその後姿を見送りながら、主婦(かみさん)に言った。
 三十代の夫婦の外に、七つになる女の貰い子があるきり、老人気(としよりけ)のないこの家では、お島は比較的気が暢(のん)びりしていた。始終蒼い顔ばかりしている病身な主婦は、暖かそうな日には、明い裏二階の部屋へ来て、希(まれ)には針仕事などを取出していることもあったが、大抵は薄暗い自分の部屋に閉籠(とじこも)っていた。
 夏らしい暑い日の光が、山間の貧しい町のうえにも照って来た。庭の柿の幹に青蛙(あおがえる)の啼声(なきごえ)がきこえて、銀(しろがね)のような大粒の雨が遽(にわか)に青々とした若葉に降りそそいだりした。午後三時頃の懶(だる)い眠に襲われて、日影の薄い部屋に、うつらうつらしていた頭脳(あたま)が急にせいせいして来て、お島は手摺(てすり)ぎわへ出て、美しい雨脚(あまあし)を眺めていた。圧(お)しつけられていたような心が、跳(はね)あがるように目ざめて来た。

 浜屋の主人が、二度ばかり逢いに来てくれた。
 主人は来れば急度(きっと)湯に入って、一晩泊って行くことにしていたが、お終(しまい)に別れてから、物の二日とたたぬうちに、また遣って来た。東京から突如(だしぬけ)に出て来たお島の父親をつれて来たのであった。
 お島はその時、貰(もら)い子(ご)の小娘を手かけに負(おぶ)って、裏の山畑をぶらぶらしながら、道端の花を摘(つ)んでやったりしていた。この町でも場末の汚い小家(こいえ)が、二三軒離れたところにあった。朝晩は東京の四月頃の陽気であったが、昼になると、急に真夏のような強い太陽の光熱が目や皮膚に沁通(しみとお)って仄(ほの)かな草いきれが、鼻に通うのであった。一雨ごとに桑の若葉の緑が[#「緑が」は底本では「縁が」]濃くなって行った。
「東京から御父(おとっ)さんが見えたから、ここへ連れて来たよ」
 主人は或百姓家の庭の、藤棚(ふじだな)の蔭にある溝池(どぶいけ)の縁(ふち)にしゃがんで、子供に緋鯉(ひごい)を見せているお島の姿を見つけると、傍へ寄って来て私語(ささや)いた。
「へえ……来ましたか」
 お島は息のつまるような声を出して叫んだなり、男の顔をしげしげ眺めていた。
「いつ来ました?」
「十一時頃だったろう。着くと直ぐ、連れて帰ると言うから、お島さんが此方(こっち)へ来ている話をすると、それじゃ私(わし)が一人で行って連れて来るといって、急立(せきた)つもんだからな」
「ふむ、ふむ」
とお島は鼻頭(はながしら)の汗もふかずに聞いていたが、「気のはやい御父さんですからね」と溜息をついた。
「それでどうしました」
「今あすこで一服すって待っているだが、顔さえ見れば直ぐに引立(ひった)てて連れて行こうという見脈(けんまく)だで……」
「ふむ」と、お島は蒼くなって、ぶるぶるするような声を出した。
「御父さんにここで逢うのは厭だな」お島は手を堅く組んで首を傾(かし)げていた。「どうかして逢わないで還す工夫はないでしょうか」
「でも、ここに居ることを打明けてしまったからね」
「ふむ……拙(まず)かったね」
「とにかく些(ちょっ)と逢った方がいいぜ。その上で、また善く相談してみたらどうだ」
「ふむ――」と、お島はやっぱり凄(すご)い顔をして、考えこんでいた。「東京を出るとき、私は一生親の家の厄介にはなりませんと、立派に言断(いいき)って来ましたからね。今逢うのは実に辛(つら)い!」
 お島の目には、ほろほろ涙が流れだして来た。
「為方がない、思断(おもいき)って逢いましょう」暫くしてからお島は言出した。「逢ったらどうにかなるでしょう」
 二人は藤棚の蔭を離れて、畔道(あぜみち)へ出て来た。

 父親は奥へも通らず、大きい柱時計や体量器の据えつけてある上り口のところに、行儀よく居住(いずま)って、お島の小さい時分から覚えている持古しの火の用心で莨(たばこ)をふかしていたが、お島や浜屋にしつこく言われて、漸(やっ)と勝手元近い下座敷の一つへ通った。
「よくいらっしゃいましたね」お島は父親の顔を見た時から、胸が一杯になって来たが、空々しいような辞(ことば)をかけて、茶をいれたり菓子を持って来たりして、何か言出しそうにしている父親の傍に、じっと坐ってなぞいなかった。
「私のことなら、そんな心配なんかして、わざわざ来て下さらなくとも可(よ)かったのに。でも折角来た序(ついで)ですから、お湯にでも入って、ゆっくり遊んで行ったら可(い)いでしょう」
「なにそうもしていられねえ。日帰りで帰るつもりでやって来たんだから」父親も落着のない顔をして、腰にさした莨入をまた取出した。
「お前の体が、たといどういうことになっていようとも、恁(こ)うやって己(おれ)が来た以上は、引張って行かなくちゃならない」
「どういう風にもなってやしませんよ」と、お島は笑っていたが、父親の口吻(くちぶり)によると、彼はお島の最初の手紙によって、てっきり兄のために体を売られて、ここに沈んでいるものと思っていた。そして東京では母親も姉も、それを信じているらしかった。
 それで父親は、今日のうちにも話をつけて、払うべき借金は綺麗に払って、連れて帰ろうと主張するのであった。
 お島はその問題には、なるべく触れないようにして、父親の酒の酌をしたり、夕飯の給仕をしたりすると、奥の部屋に寝転んでいる浜屋の主人のところへ来て、自分の身のうえについて、密談に※(「日/咎」、第3水準1-85-32)(とき)を移していたが、お島を返すとも返さぬとも決しかねて、夜になってしまった。
「人の妾(めかけ)なぞ私死んだって出来やしない。そんな事を聴(きか)したら、あの堅気な人が何を言って怒るかしれやしない」
 浜屋が自分で、直(じか)に父親に話をして、当分のうちどこかに囲っておこうと言出したときに、お島はそれを拒んで言った。そうすれば、精米所の主人に、内密(ないしょ)で金を出してもらって、T――市の方で、何かお島にできるような商売をさせようと云うのが、浜屋の考えつめた果(はて)の言条(いいじょう)であった。春の頃から、東京から取寄せた薬が利きだしたといって、この頃いくらか好い方へ向いて来たところから、近いうち戻って来ることになっている嫁のことをも、彼は考えない訳に行かなかった。そしてそれが一層男の方へお島の心を粘(へばり)つかせていった。
 奥まった小さい部屋から、二人の話声が、夜更までぼそぼそ聞えていた。
 その夜なかから降り出した雨が、暁になるとからりと霽(はれ)あがった。そしてお島が起出した頃には、父親はもうきちんと着物を着て、今にも立ちそうな顔をして、莨をふかしていた。

 お島が腫(はれ)ぼったいような目をして、父親の朝飯の給仕に坐ったのは、大分たってからであった。明放した部屋には、朝間(あさま)の寒い風が吹通って、田圃(たんぼ)の方から、ころころころころと啼(な)く蛙(かわず)の声が聞えていた。
「今日は雨ですよ。とても帰れやしませんよ」お島は縁(えん)の端(はじ)へ出て、水分の多い曇空を眺めながら呟(つぶや)いた。
「さあ、どういう風になっているんですかね、私にもさっぱりわからないんですよ。多分お金なんか可(い)いんでしょう」
 ここに五十両もって来ているから、それで大概借金の方は片着く意(つもり)だからといって、父親が胴巻から金を出したとき、お島は空※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)(そらとぼ)けた顔をして言った。
「それじゃ御父さん恁(こ)うしましょう。私も長いあいだ世話になった家ですから、これから忙(いそが)しくなろうと云うところを見込んで、帰って行くのも義理が悪いから、六月一杯だけいて、遅くともお盆には帰りましょう」
 お島はそうも言って、父親を宥(なだ)め帰そうと努めたが、こんな所に長くいては、どうせ碌なことにはならないからと言張って、やっぱり肯(き)かなかった。田舎へ流れていっている娘について、近所で立っている色々の風聞が、父親の耳へも伝わっていた。
「立つにしたって、浜屋へもちょっと寄らなくちゃならないし、精米所だって顔を出さないで行くわけにいきやしませんよ。私だって髪の一つも結わなくちゃ……」お島は腹立しそうに終(しまい)にそこを立っていったが、父親も到頭職人らしい若い時分の気象を出して、娘の体を牽着(ひきつ)けておく風の悪い田舎の奴等が無法だといって怒りだした。
「お前と己とじゃ話のかたがつかねえ。誰でもいいから、話のわかるものを此処(ここ)へ呼んできねえ」
 父親は高い声をして言出した。
 廊下をうろうろしていたお島の姿が、やがて浴場の方に現われた。
 お島は目に一杯涙をためて、鏡の前に立っていたが、硝子戸(ガラスど)をすかしてみると、今起きて出たばかりの男の白い顔が、湯気のもやもやした広い浴槽のなかに見られた。
「弱っちまうね、御父さんの頑固(がんこ)にも……」お島はそこへ顔を出して、溜息を吐(つ)いた。
「何といったって駄目だもの」
 どうしようと云う話もきまらずに、そこに二人は暫(しばら)く立話をしていたが、するうち※(「日/咎」、第3水準1-85-32)(とき)が段々移っていった。
 浜屋が湯からあがった時分には、お島の姿はもう家のどの部屋にも見られなかった。
 町を離れて、山の方へお島は一人でふらふら登って行った。山はどこも彼処(かしこ)も咽(むせ)かえるような若葉が鬱蒼(うっそう)としていた。痩(や)せた菜花(なたね)の咲いているところがあったり、赭土(あかつち)の多い禿山(はげやま)の蔭に、瀬戸物を焼いている竈(かまど)の煙が、ほのぼのと立昇っていたりした。お島は静かなその山のなかへ、ぐんぐん入っていった。誰の目にも触れたくはなかった。どこか人迹(ひとあと)のたえたところで、思うさま泣いてみたいと思った。

 山の方へ入って行くお島の姿を見たという人のあるのを頼りに、方々捜しあるいた末に、或松山へ登って行った浜屋と父親との目に、猟師に追詰められた兎か何(なん)ぞのように、山裾の谿川(たにがわ)の岸の草原に跪坐(しゃが)んでいる、彼女の姿の発見されたのは、それから大分たってからであった。
 赤い山躑躅(やまつつじ)などの咲いた、その崖(がけ)の下には、迅(はや)い水の瀬が、ごろごろ転がっている石や岩に砕けて、水沫(しぶき)を散(ちら)しながら流れていた。危い丸木橋が両側の巌鼻(いわはな)に架渡(かけわた)されてあった。お島はどこか自分の死を想像させるような場所を覗(のぞ)いてみたいような、悪戯(いたずら)な誘惑に唆(そそ)られて、そこへ降りて行ったのであったが、流れの音や、四下(あたり)の静(しずけ)さが、次第に牾(もどか)しいような彼女の心をなだめて行った。
 人の声がしたので、跳(はね)あがるように身を起したお島の目に、松の枝葉を分けながら、山を降りて来る二人の姿がふと映った。お島は可恥(はずか)しさに体が慄然(ぞっ)と立悚(たちすく)むようであった。
 お島は二人の間に挟(はさ)まれて、やがて細い崖道を降りて行ったが、目が時々涙に曇って、足下(あしもと)が見えなくなった。
 父親に引立てられて、お島が車に乗って、山間のこの温泉場を離れたのは、もう十時頃であった。石高な道に、車輪の音が高く響いて、長いあいだ耳についていた町の流れが、高原の平地へ出て来るにつれて、次第に遠ざかって行った。
 夏時に氾濫(はんらん)する水の迹の凄いような河原を渉(わた)ると、しばらく忘れていたS――町のさまが、直(じき)にお島の目に入って来た。見覚えのある場末の鍛冶屋(かじや)や桶屋(おけや)が、二三月前の自分の生活を懐かしく想出させた。軒の低い家のなかには、そっちこっちに白い繭(まゆ)の盛(も)られてあるのが目についた。諸方から入込んでいる繭買いの姿が、めっきり夏めいて来た町に、景気をつけていた。
 お島は浜屋で父親に昼飯の給仕をすると、碌々(ろくろく)男と口を利くひまもなく、直(じき)に停車場(ステーション)の方へ向ったが、主人も裏通りの方から見送りに来た。
「帰ってみて、もし行(い)くところがなくて困るような時には、いつでも遣って来るさ」浜屋は切符をわたすとき、お島に私語(ささや)いた。
 停車場では、鞄(かばん)や風呂敷包をさげた繭商人(まゆあきゅうど)の姿が多く目に立った。汽車に乗ってからも、それらの人の繭や生糸の話で、持切りであった。窓から頭を出しているお島の曇った目に、鳥打をかぶって畔伝(あぜづた)いに、町の裏通りへ入って行く浜屋の姿が、いつまでも見えた。汽車の進行につれて、S――町や、山の温泉場の姿が、段々彼女の頭脳(あたま)に遠のいて行った。深い杉木立や、暗い森林が目の前に拡がって来た。ゆさゆさと風にゆられる若葉が、蒼い影をお島の顔に投げた。
 自分を窘(いじ)める好い材料を得たかのように、帰りを待ちもうけている母親の顔が、憶い出されて来た。お島はそれを避けるような、自分の落つき場所を考えて見たりした。

 汽車が武蔵(むさし)の平野へ降りてくるにつれて、しっとりした空気や、広々と夷(なだら)かな田畠や矮林(わいりん)が、水から離れていた魚族の水に返されたような安易を感じさせたが、東京が近(ちかづ)くにつれて、汽車の駐(とど)まる駅々に、お島は自分の生命(いのち)を縮められるような苦しさを感じた。
「このまま自分の生家(うち)へも、姉の家へも寄りついて行きたくはない」お島は独りでそれを考えていた。
「何等かの運を自分の手で切拓(きりひら)くまでは、植源や鶴さんや、以前の都(すべ)ての知合にも顔を合したくない」と、お島はそうも思いつめた。
 王子の停車場(ステーション)へついたのは、もう晩方であったが、お島は引摺(ひきず)られて行くような暗い心持で、やっぱり父親の迹(あと)へついて行った。静かな町にはもう明(あかり)がついて、山国に居なれた彼女の目には、何を見ても潤いと懐かしみとがあるように感ぜられた。
 父親が、温泉場で目っけて根ぐるみ新聞に包んで持って来た石楠花(しゃくなげ)や、土地名物の羊羹(ようかん)などを提げて、家へ入って行ったとき、姉も自分の帰りを待うけてでもいたように、母親と一緒に茶の間にいた。もう三つになったその子供が歩き出しているのが、お島の目についた。
「へえ、暫く見ないまにもうこんなになったの」お島は無造作に挨拶をすますと、自分の傷ついた心の寄りつき場をでも見つけたように、いきなりその子供を膝(ひざ)に抱取った。
「寅坊(とらぼう)、このおばちゃんを覚えているかい。お前を可愛がったおばちゃんだよ」
 羊羹の片(きれ)を持たされた子供は、直(じき)にお島に懐(なつ)いた。
「何て色が黒くなったんだろう」姉はお島の山やけのした顔を眺めながら、可笑(おかし)そうに言った。お島の様子の田舎じみて来たことが、鈍い姉にも住んでいた町のさまを想像させずにはおかなかった。
「一口に田舎々々と非(くさ)すけれど、それあ好いところだよ」お島はわざと元気らしい調子で言出した。
「だって山のなかで、為方(しかた)のないところだというじゃないか」
「私もそう思って行ったんだけれど、住んでみると大違いさ。温泉もあるし、町は綺麗だし、人間は親切だし、王子あたりじゃとても見られないような料理屋もあれば、芸者屋もありますよ。それこそ一度姉さんたちをつれていって見せたいようだよ」
「島ちゃんは、あっちで、なにかできたっていうじゃないか。だからその土地が好くなったのさ」
「嘘ですよ」お島は鼻で笑って、「こっちじゃ私のことを何とこそ言ってるか知れたもんじゃありゃしない。困って酌婦でもしていると思ってたでしょう。これでも町じゃ私も信用があったからね、土地に居つくつもりなら、商売の金主(きんしゅ)をしてくれる人もあったのさ」
「へえ、そんな人がついたの」

 山の夢に浸っているようなお島は、直に邪慳(じゃけん)な母親のために刺戟(しげき)されずにはいなかった。以前から善く聴きなれている「業突張(ごうつくばり)」とか「穀潰(ごくつぶ)し」とかいうような辞(ことば)が、彼女のただれた心の創(きず)のうえに、また新しい痛みを与えた。
 お島が下谷(したや)の方に独身で暮している、父親の従姉(いとこ)にあたる伯母のところに、暫く体をあずけることになったのは、その夏も、もう盆過ぎであった。素(もと)は或由緒のある剣客の思いものであったその伯母は、時代がかわってから、さる宮家の御者(ぎょしゃ)などに取立られていた良人(おっと)が、悪い酒癖(しゅへき)のために職を罷(や)められて間もなく死んでしまった後は、一人の娘とともに、少(すこし)ばかり習いこんであった三味線を、近所の娘達に教えなどして暮していたが、今は商売をしている娘の時々の仕送りと、人の賃仕事などで、漸(ようよ)う生きている身の上であった。
 昔しを憶いだすごとに、時々口にすることのある酒が、萎(な)えつかれた脈管にまわってくると、爪弾(つめびき)で端唄(はうた)を口吟(くちずさ)みなどする三味線が、火鉢(ひばち)の側の壁にまだ懸っていた。良人であったその剣客の肖像も、煤(すす)けたまま梁(うつばり)のうえに掲(かか)っていた。
 お島は養家を出てから、一二度ここへも顔出しをしたことがあったが、年を取っても身だしなみを忘れぬ伯母の容態などが、荒く育ってきた彼女には厭味に思われた。色の白そうな、口髭(くちひげ)や眉(まゆ)や額の生際(はえぎわ)のくっきりと美しいその良人の礼服姿で撮(と)った肖像が、その家には不似合らしくも思えた。
「伯母さんの旦那は、こんなお上品な人だったんですかね」
 お島は不思議そうにその前へ立って笑った。その良人が、若いおりには、或大名のお抱えであったりした因縁(いんねん)から、桜田の不意の出来事当時の模様を、この伯母さんは、お島に話して聞かせたりした。子供をつれて浅草へ遊びに行ったとき、子供が荷物に突当ったところから、天秤棒(てんびんぼう)を振あげて向って来る甘酒屋を、群衆の前に取って投げて、へたばらしたという話なども、お島には芝居の舞台か何ぞのように、その時のさまを想像させるに過ぎなかった。
「この伯母さんも、旦那のことが忘れられないでいるんだ」
 伯母と一緒に暮すことになってから、お島は段々彼女の心持に、同感できるような気がして来た。
「やっぱり男で苦労した若い時代が忘れられないでいるんだ」
 お島はそうも思った。
 そんなに好いものも縫えなかった伯母の身のまわりには、それでも仕事が絶えなかった。中には芸者屋のものらしい派手なものもあった。
 その手助(てだすけ)に坐っているお島は、仕事がいけぞんざいだと云って、どうかすると物差で伯母に手を打(ぶ)たれたりした。
 重(おも)に気のはらない、急ぎの仕事にお島は重宝がられた。

 客から註文のセルやネルの単衣物(ひとえもの)の仕立などを、ちょいちょい頼みに来て、伯母と親しくしていたところから、時にはお島の坐っている裁物板(たちものいた)の側へも来て、寝そべって戯談(じょうだん)を言合ったりしていた小野田と云う若い裁縫師と一緒に、お島が始めて自分自身の心と力を打籠(うちこ)めて働けるような仕事に取着こうと思い立ったのは、その頃初まった外国との戦争が、忙(いそが)しいそれ等の人々の手に、色々の仕事を供給している最中(さなか)であった。
 自分の仕事に思うさま働いてみたい――奴隷のようなこれまでの境界(きょうがい)に、盲動と屈従とを強(し)いられて来た彼女の心に、そうした欲望の目覚めて来たのは、一度山から出て来て、お島をたずねてくれた浜屋の主人と別れた頃からであった。
 東京へ帰ってからのお島から、時々葉書などを受取っていた浜屋の主人は、菊の花の咲く時分に、ふいと出て来てお島のところを尋ねあてて来たのであったが、二日三日逗留(とうりゅう)している間に、お島は浅草や芝居や寄席(よせ)へ一緒に遊びに行ったり、上野近くに取っていたその宿へ寄って見たりした。
 浜屋は近頃、以前のように帳場に坐ってばかりもいられなかった。そして鉱山(やま)の売買(うりかい)などに手を出していたところから、近まわりを其方(そっち)こっち旅をしたりして暮していたが、東京へ来たのもそんな仕事の用事であった。
「気を長くして待っていておくれ。そのうち一つ当れば、お島さんだってそのままにしておきゃしない」
 彼は今でもお島をT――市(まち)の方へつれていって、そこで何等かの水商売をさせて、囲っておく気でいるらしかった。
「今更あの山のなかへなぞ行って暮せるもんですか。お妾さんなんか厭なこった」お島はそう言って笑って別れたのであった。
 男は少しばかりの小遣(こづかい)をくれて、停車場(ステーション)まで送ってくれた女に、冬にはまた出て来る機会のあることを約束して、立っていった。
 東京で思いがけなく男に逢えたお島は、二三日の放肆(ほしいまま)な遊びに疲れた頭脳(あたま)に、浜屋のことと、若い裁縫師のこととを、一緒に考えながら、ぼんやり停車場を出て来た。

「どうです、こんな仕事を少し助(す)けてくれられないでしょうか」と、小野田がそう言って、持って来てくれた仕事は、これから寒さに向って来る戦地の軍隊に着せるような物ばかりであった。
 それまで仕売物ばかり拵(こしら)えている或工場に働いていた小野田は、そんな仕事が仲間の手に溢(あふ)れるようになってから、それを請負(うけお)うことになった工場の註文を自分にも仕上げ、方々人にも頼んであるいた。
「仕事はいっくらでも出ます。引受けきれないほどあります」
 小野田はお島がやってみることになった、毛布の方の仕事を背負(しょ)いこんで来ると、そう言ってその遣方を彼女に教えて行った。
 毛布というのは兵士が頭から着る柿色の防寒外套(がいとう)であった。女の手に出来るようなその纏(まと)めに最初働いていたお島は、縫あがった毛布にホックや釦(ボタン)をつけたり、穴かがりをしたりすることに敏捷(びんしょう)な指頭(ゆびさき)を慣した。「これのまとめが一つで十三銭ずつです」小野田がそう云って配(あてが)っていった仕事を、お島は普通の女の四倍も五倍もの十四五枚を一日で仕上げた。
 手ばしこく針を動かしているお島の傍へ来て、忙(せわ)しいなかを出来上りの納(おさめ)ものを取りに来た小野田はこくりこくりと居睡をしていた。
 平気で日に二円ばかりの働きをするお島の帯のあいだの財布のなかには、いつも自分の指頭(ゆびさき)から産出した金がざくざくしていた。
「こんな女(ひと)を情婦(いろ)にもっていれば、小遣に不自由するようなことはありませんな」
 小野田は眠からさめると、せっせと穴かがりをやっている手の働きを眺めながら、そう言ってお島の働きぶりに舌を捲(ま)いていた。
「どうです、私を情婦(いろ)にもってみちゃ」お島は笑いながら言った。
「結構ですな」
 小野田はそう言いながら、品物を受取って、自転車で帰っていった。
 ホックづけや穴かがりが、お島には慣れてくると段々間弛(まだる)っこくて為方がなくなって来た。
 年の暮には、お島はそれらの仕事を請負っている小野田の傭(やと)われ先の工場で、ミシン台に坐ることを覚えていた。むずかしい将校服などにも、綺麗にミシンをかけることが出来てきた。
「訳あないや、こんなもの、男は意気地がないね」
 お島はのろのろしている、仲間を笑った。
 車につんで、溜池(ためいけ)の方にある被服廠(ひふくしょう)の下請(したうけ)をしている役所へ搬(はこ)びこまれて行く、それらの納めものが、気むずかしい役員等(ら)のために非(けち)をつけられて、素直に納まらないようなことがざらにあった。
「こんなものが納まらなくちゃ為方がないじゃありませんか」
 男達に代って、それらの納めものを持って行くことになったとき、お島はそう言って、ミシンが利いていないとか、服地が粗悪だとか、何(なん)だかんだといって、品物を突返そうとする役員をよく丸め込んだ。
 お島のおしゃべりで、品物が何の苦もなく通過した。

 お島が自分だけで、どうかしてこの商売に取着いて行きたいとの望みを抱きはじめたのは、彼女が一日工場でミシンや裁板(たちいた)の前などに坐って、一円二円の仕事に働くよりも、註文取や得意まわりに、頭脳(あたま)を働かす方に、より以上の興味を感じだしてからであった。
「被服も随分扱ったが、女の洋服屋ってのは、ついぞ見たことがないね」
 ちょいちょい納品(おさめもの)を持って行くうちに、直(じき)に昵近(ちかづき)になった被服廠の役員たちが、そう云って、てきぱきした彼女の商(あきな)いぶりを讃(ほ)めてくれた辞(ことば)が、自分にそうした才能のある事をお島に考えさせた。
「洋服屋なら女の私にだってやれそうだね」
 仕事の途絶えたおりおりに、家の方にいるお島のところへ遊びに来る小野田に、お島がその事を言出したのは、今までその働きぶりに目を注いでいる小野田に取っては、自分の手で、彼女を物にしてみようと云う彼の企てが、巧く壺(つぼ)にはまって来たようなものであった。
「遣ってやれんこともないね」感じが鈍いのか、腹が太いのか解らないような小野田は、にやにやしながら呟(つぶや)いた。名古屋の方で、二十歳頃(はたちごろ)まで年季を入れていたこの男は、もう三十に近い年輩であった。上向(うわむき)になった大きな鼻頭(はながしら)と、出張った頬骨(ほおぼね)とが、彼の顔に滑稽(こっけい)の相を与えていたが、脊(せ)が高いのと髪の毛が美しいのとで、洋服を着たときの彼ののっしりした厳(いかつ)い姿が、どうかするとお島に頼もしいような心を抱かしめた。
「私のこれまで出逢ったどの男よりも、お前さんは男振が悪いよ」お島はのっそりした無口の彼を前において、時々遠慮のない口を利いた。
「むむ」小野田はただ笑っているきりであった。
「だけどお前さんは洋服屋さんのようじゃない。よくそんな風をしたお役人があるじゃないか」
 しなくなした前垂(まえだれ)がけの鶴さんや、蝋細工(ろうざいく)のように唯美しいだけの浜屋の若主人に物足りなかったお島の心が、小野田のそうした風采(ふうさい)に段々惹着(ひきつ)けられて行った。
「工場から引っこぬいて、これを自分の手で男にしてみよう」
 薄野呂(うすのろ)か何ぞのような眠たげな顔をして、いつ話のはずむと云うこともない小野田と親しくなるにつれて、不思議な意地と愛着(あいじゃく)とがお島に起って来た。
「洋服屋も好い商売だが、やっぱり資本(もと)がなくちゃ駄目だよ。金の寝る商売だからね」小野田はお島に話した。
「資本(もと)があってする商売なら、何だって出来るさ。だけれど、些(ちょっ)とした店で、どのくらいかかるのさ」
「店によりきりさ。表通りへでも出ようと云うには、生(なま)やさしい金じゃとても駄目だね」

 芝の方で、適当な或小(ちいさ)い家が見つかって、そこで小野田と二人で、お島がこれこそと見込んだ商売に取着きはじめたのは、十二月も余程押迫って来てからであった。
 そうなるまでに、お島は幾度生家(うち)の方へ資金の融通を頼みに行ったか知れなかった。小いところから仕上げて大きくなって行った、大店(おおだな)の成功談などに刺戟(しげき)されると、彼女はどうでも恁(こう)でもそれに取着かなくてはならないように心が焦(いら)だって来た。町を通るごとに、どれもこれも相当に行き立っているらしい大きい小いそれらの店が、お島の腕をむずむずさせた。見たところ派手でハイカラで儲(もうけ)の荒いらしいその商売が、一番自分の気分に適(ふさ)っているように思えた。
「田町の方に、こんな家があるんですがね」
 お島はもと郵便局であった、間口二間に、奥行三間ほどの貸家を目っけてくると、早速小野田に逢ってその話をした。金をかけて少しばかり手入をすれば、物に成りそうに思えた。
「取着(とりつき)には持ってこいの家だがね」
 持主が、隣の酒屋だと云うその家が、小野田にも望みがありそうに思えた。
「あすこなら、物の百円とかけないで、手頃な店が出来そうだね。それに家賃は安いし、大家の電話は借りられるし」
 幾度足を運んでも、母親が頑張(がんば)って金を出してくれない生家(うち)から、鶴さんと別れたとき搬(はこ)びこんで来たままになっている自分の箪笥(たんす)や鏡台や着物などを、漸(やっ)とのことで持出して来たとき、お島は小野田や自分の手で、着物の目星しいものをそっち此方(こっち)売ってあるいた。
 もと大秀の兄弟分であった大工が愛宕下(あたごした)の方にいることを、思いだして、それに店の手入を頼んでから、郵便局に使われていた古いその家の店が、急に土間に床が拵(こしら)えられたり、天井に紙が張られたり、棚が作られたりした。一畳三十銭ばかりの安畳が、どこかの古道具屋から持運ばれたりした。
 雨降がつづいて、木片(きぎれ)や鋸屑(おがくず)の散らかった土間のじめじめしているようなその店へ、二人は移りこんで行った。
 陳列棚などに思わぬ金がかかって、店が全く洋服屋の体裁を具(そな)えるようになるまでに、昼間お島の帯のあいだに仕舞われてある財布が、二度も三度も空(から)になった。大工が道具箱を隅(すみ)の方に寄せて、帰って行ってから、お島はまたあわただしく箪笥の抽斗(ひきだし)から取出した着物の包をかかえて、裏から私(そっ)と出て行った。
 外はもう年暮(としぐれ)の景色であった。赤い旗や紅提灯(べにぢょうちん)に景気をつけはじめた忙しい町のなかを、お島は込合う電車に乗って、伯母の近所の質屋の方へと心が急(せ)かれた。

 ミシンや裁台(たちだい)などの据えつけに、それでも尚(なお)足りない分を、お島の顔で漸(やっ)と工面ができたところで、二人の渡(わた)り職人(しょくにん)と小僧とを傭い入れると、直に小野田が被服廠(ひふくしょう)の下請からもらって来た仕事に働きはじめた。
「大晦日(おおみそか)にはどんな事があってもお返しするんですがね。仕事は山ほどあって、面白いほど儲(もう)かるんですから」
 お島はそう言ってそのミシンや裁板(たちいた)を買入れるために、小野田の差金で伯母の関係から知合いになった或る衣裳持(いしょうもち)の女から、品物で借りて漸(やっ)と調(ととの)えることのできた際(きわ)どい金を、彼女は途中で目についた柱時計や、掛額(かけがく)などがほしくなると、ふと手を着けたりした。
「みんな店のためです。商売の資本(もと)になるんです」
 お島は小野田に文句を言われると、悧巧(りこう)ぶって応(こた)えた。
 まだ自分の店に坐った経験のない小野田の目にも、そうして出来あがった店のさまが物珍しく眺められた。
「うんと働いておくれ。今にお金ができると、お前さんたちだって、私が放抛(うっちゃ)っておきやしないよ」
 お島はそう言って、のろのろしている職人に声をかけたが、夜おそくまで廻っているミシンの響や、アイロンの音が、自分の腕一つで動いていると思うと、お島は限りない歓喜と矜(ほこり)とを感じずにはいられなかった。
 劇(はげ)しい仕事のなかに、朝から薄ら眠いような顔をしている乱次(だらし)のない小野田の姿が、時々お島の目についた。
「ちッ、厭になっちまうね」
 お島は針の手を休めて、裁板の前にうとうとと居睡(いねむり)をはじめている、彼の顔を眺めて呟(つぶや)いた。
「どうしてでしょう。こんな病気があるんだろうか」
 職人がくすくす笑出した。
「そんなこって善く年季が勤まったと思うね」
「莫迦(ばか)いえ」小野田は性(しょう)がついて来ると、また手を働かしはじめた。
 色々なものの支払いのたまっている、大晦日が直(じき)に来た。品物でかりた知合の借金に店賃(たなちん)、ミシンの月賦や質の利子もあった。払いのこしてあった大工の賃銀のことも考えなければならなかった。
「こんなことじゃとても追着(おっつ)きこはありゃしない」お島は暮に受取るべき賃銀を、胸算用で見積ってみたとき、そう言って火鉢の前に腕をくんで考えこんだ。
「もっともっと稼がなくちゃ」お島はそう言って気をあせった。

 大晦日(おおみそか)が来るまでに、二時になっても三時になっても、皆が疲れた手を休めないような日が、三日も四日も続いた。
 夜が更(ふ)けるにつれて、表通りの売出しの楽隊の囃(はや)しが、途絶えてはまた気懈(けだる)そうに聞えて来た。門飾の笹竹(ささだけ)が、がさがさと憊(くたび)れた神経に刺さるような音を立て、風の向(むき)で時々耳に立つ遠くの町の群衆の跫音(あしおと)が、潮(うしお)でも寄せて来るように思い做(な)された。
 職人達の口に、嗄(か)れ疲れた話声が途絶えると、寝不足のついて廻っているようなお島の重い頭脳(あたま)が、時々ふらふらして来たりした。がたんと言うアイロンの粗雑(がさつ)な響が、絶えず裁板のうえに落ちた。ミシンがまた歯の浮くような騒々しさで運転しはじめた。
「この人到頭寝てしまったよ」
 寒さ凌(しの)ぎに今までちびちび飲んでいた小野田が、いつの間にかそこに体を縮めて、ごろ寝をしはじめていた。
「今日は幾日(いくか)だと思っているのだい」
「上(かみ)さんは感心に目の堅い方(ほう)ですね」職人がそれに続いてまた口を利いた。
「私は二日や三日寝ないだって平気なもんさ」
 お島は元気らしく応(こた)えた。
 晦日の夜おそく、仕上げただけの物を、小僧にも脊負(しょ)わせ、自分にも脊負って、勘定を受取って来たところで、漸(やっ)と大家や外の小口を三四軒片着けたり、職人の手間賃を内金に半分ほども渡したりすると、残りは何程もなかった。
「宅(うち)じゃこういう騒ぎなんです」
 品物を借りてある女が、様子を見に来たとき、お島は振顧(ふりむ)きもしないで言った。
 店には仕事が散(ちら)かり放題に散かっていた。熨斗餅(のしもち)が隅(すみ)の方におかれたり、牛蒡締(ごぼうじめ)や輪飾が束(つか)ねられてあったりした。
「貴女(あなた)の方は大口だから、今夜は勘弁してもらいましょうよ」
 お島はわざと嵩(かさ)にかかるような調子で言った。
 小野田に嫁の世話を頼まれて、伯母がこれをと心がけていたその女は、言にくそうにして、職人の働きぶりに目を注いでいた。女は居辛(いづら)かった田舎の嫁入先を逃げて来て、東京で間借をして暮していた。着替や頭髪(あたま)の物などと一緒に持っていた幾許(いくら)かの金も、二三月(かげつ)の東京見物や、月々の生活費に使ってしまってから、手が利くところから仕立物などをして、小遣を稼(かせ)いでいた。二三度逢ううち直にお島はこの女を古い友達のようにして了った。
「まあ宅(うち)へ来て年越でもなさいよ」お島は女に言った。
 女は惘(あき)れたような顔をして、火鉢の傍で小野田と差向いに坐っていたが、間もなく黙って帰って行った。
「いくらお辞儀が嫌いだって、あんなこと言っちゃ可(い)けねえ」後で小野田がはらはらしたように言出した。
「ああでも言って逐攘(おっぱら)わなくちゃ、遣切(やりき)れやしないじゃないか」お島は顫(ふる)えるような声で言った。
「不人情で言うんじゃないんだよ。今に恩返しをする時もあるだろうと思うからさ」

 同じような仕事の続いて出ていた三月(みつき)ばかりは、それでもまだどうか恁(こう)かやって行けたが、月が四月へ入って、ミシンの音が途絶えがちになってしまってからは、お島が取かかった自分の仕事の興味が、段々裏切られて来た。職人の手間を差引くと、幾許(いくら)も残らないような苦しい三十日(みそか)が、二月(ふたつき)も三月も続いた。家賃が滞ったり、順繰に時々で借りた小(ちいさ)い借金が殖(ふ)えて行ったりした。
「これじゃ全然(まるで)私達が職人のために働いてやっているようなものです」お島は遣切(やりきり)のつかなくなって来た生活の圧迫を感じて来ると、そう言って小野田を責めた。冬中忙(せわ)しかった裁板の上が、綺麗に掃除をされて、職人の手を減した店のなかが、どうかすると吹払ったように寂しかった。
 近頃電話を借りに行くこともなくなった大家の店には、酒の空瓶(あきびん)にもう八重桜が生(い)かっているような時候であった。そこの帳場に坐っている主人から、お島たちは、二度も三度も立退(たちのき)の請求を受けた。
「洋服屋って、皆(みん)なこんなものなの。私は大変な見込ちがいをして了った」
 終(しまい)に工賃の滞っているために、身動きもできなくなって来た職人と、店頭(みせさき)へ将棋盤などを持出していた小野田の、それにも気乗がしなくなって来ると、ぽかんとして女の話などをしている暢気(のんき)そうな顔が、間がぬけたように見えたりして、一人で考え込んでいたお島はその傍へ行って、やきもきする自分を強(し)いて抑えるようにして笑いかけた。
「何(なあ)に、そうでもないよ」
 小野田は顔を顰(しか)めながら、仕事道具の饅頭(まんじゅう)を枕に寝そべって、気の長そうな応答(うけごたえ)をしていた。
 お島はのろくさいその居眠姿が癪(しゃく)にさわって来ると、そこにあった大きな型定規のような木片(きぎれ)を取って、縮毛(ちぢれげ)のいじいじした小野田の頭顱(あたま)へ投(なげ)つけないではいられなかった。
「こののろま野郎!」
 お島は血走ったような目一杯に、涙をためて、肉厚な自分の頬桁(ほおげた)を、厚い平手で打返さないではおかない小野田に喰(く)ってかかった。猛烈な立ちまわりが、二人のあいだに始まった。
 殺しても飽足りないような、暴悪な憎悪の念が、家を飛出して行く彼女の頭に湧返(わきかえ)っていた。
 暫くすると、例の女が間借をしている二階へ、お島は真蒼(まっさお)になって上って行った。
「あの男と一緒になったのが、私の間違いです。私の見損(みそこな)いです」お島は泣きながら話した。
「どうかして一人前(いちにんまえ)の人間にしてやろうと思って、方々駈(かけ)ずりまわって、金をこしらえて店を持ったり何かしたのが、私の見込ちがいだったのです」
 お島は口惜(くや)しそうにぼろぼろ涙を流しながら言った。
「どうしても私は別れます。あの男と一緒にいたのでは、私の女が立ちません」
 荒い歔欷(すすりなき)が、いつまで経っても遏(や)まなかった。

「どうなすったね」
 脇目もふらずに、一日仕事にばかり坐っている沈みがちなその女は、惘(あき)れたような顔をして、お島が少し落着きかけて来たとき、言出した。
「貴女(あんた)はよく稼ぐというじゃないかね。どうしてそう困るね」
「私がいくら稼いだって駄目です。私はこれまで惰(なま)けるなどと云われたことのない女です」お島は涙を拭(ふ)きながら言った。
「洋服屋というものは、大変儲(もう)かる商売だということだけれど……二人で稼いだら楽にやって行けそうなものじゃないかね」女はやっぱり仕事から全く心を離さずに笑っていた。
「それが駄目なんです。あの男に悪い病気があるんです。私は行(や)ろうと思ったら、どんな事があっても遣通(やりとお)そうって云う気象ですから、のろのろしている名古屋ものなぞと、気のあう筈(はず)がないんです」
「そんな人とどうして一緒になったね」女はねちねちした調子で言った。
 お島は「ふむ」と笑って、泣顔を背向(そむ)けたが、この女には、自分の気分がわかりそうにも思えなかった。
「でも東京というところは、気楽な処じゃないかね。私等(わしら)姑(しゅうと)さんと気が合わなんだで、恁(こう)して別れて東京へ出て来たけれど、随分辛い辛抱もして来ましたよ。今じゃ独身(ひとり)の方が気楽で大変好いわね。御亭主なんぞ一生持つまいと思っているわね」
「何を言っているんだ」と云うような顔をして、お島は碌々(ろくろく)それには耳も仮さなかった。そしてやっぱり自分一人のことに思い耽(ふけ)っていた。時々胸からせぐりあげて来る涙を、強いて圧(おし)つけようとしたが、どん底から衝動(こみあ)げて来るような悲痛な念(おもい)が、留(とめ)どもなく波だって来て為方がなかった。どこへ廻っても、誤り虐(しいた)げられて来たような自分が、可憐(いじらし)くて情(なさけ)なかった。
 小野田がのそりと入って来たときも、静に針を動かしている女の傍に、お島は坐っていた。どんよりした目には、こびり着いたような涙がまだたまっていた。
「何だ、そんな顔をして。だから己(おれ)が言うじゃないか、どんな商売だって、一年や二年で物になる気遣はないんだから、家のことはかまわないで、お前はお前で働けばいいと」
 小野田はそこへ胡坐(あぐら)をくむと、袂(たもと)から莨(たばこ)を出してふかしはじめた。
「被服の下請なんか、割があわないからもう断然止めだ。そして明朝(あした)から註文取におあるきなさい」
 お島は「ふむ」と鼻であしらっていたが、女の註文取という小野田の思いつきに、心が動かずにはいなかった。
「そしてお前には外で活動してもらって、己は内をやる。そうしたら或は成立って行くかも知れない」
「こんな身装(なり)で、外へなんか出られるもんか」お島ははねつけていたが、誰もしたことのないその仕事が、何よりも先ず自分には愉快そうに思えた。
 帰るときには、お島のいらいらした感情が、すっかり和(なだ)められていた。そして明日(あした)から又初めての仕事に働くと云うことが、何かなし彼女の矜(ほこり)を唆(そそ)った。
「こうしてはいられない」
 彼女の心にはまた新しい弾力が与えられた。

 晩春から夏へかけて、それでもお島が二着三着と受けて来た仕事に、多少の景気を添えていたその店も、七、八、九の三月にわたっては、金にならない直しものが偶(たま)に出るくらいで、ミシンの廻転が幾どもばったり止ってしまった。
 最初お島が仲間うちの店から借りて来たサンプルを持って、註文を引出しに行ったのは、生家(さと)の居周(いまわり)にある昔からの知合の家などであったが、受けて来る仕事は、大抵詰襟(つめえり)の労働服か、自転車乗の半窄袴(はんズボン)ぐらいのものであった。それでもお島の試された如才ない調子が、そんな仕事に適していることを証(あか)すに十分であった。
 サンプルをさげて出歩いていると、男のなかに交(まざ)って、地(じ)を取決めたり、値段の掛引をしたり、尺を取ったりするあいだ、お島は自分の浸っているこの頃の苦しい生活を忘れて、浮々した調子で、笑談(じょうだん)やお世辞が何の苦もなく言えるのが、待設けない彼女の興味をそそった。
 煙突の多い王子のある会社などでは、応接室(おうせつま)へ多勢集って来て、面白そうに彼女の周囲(まわり)を取捲(とりま)いたりした。
「もし好かったら、どしどし註文を出そう」
 その中の一人はそう言って、彼女を引立てるような意志をさえ漏した。
「そう一時(とき)に出ましても、手前どもではまだ資本がございませんから」
 お島はその会社のものを、自分の口一つで一手に引受けることが何の雑作もなさそうに思えたが、引受けただけの仕事の材料の仕込にすら差閊(さしつか)えていることを考えずにはいられなかった。
 註文が出るに従って、材料の仕込に酷(ひどく)工面(くめん)をして追着(おっつ)かないような手づまりが、時々好(い)い顧客(とくい)を逃したりした。
「ええ、可(よろ)しゅうございますとも、外(ほか)さまではございませんから」
 品物を納めに行ったとき、客から金の猶予を言出されると、お島は悪い顔もできずに、調子よく引受けたが、それを帰って、後の仕入の金を待設けている小野田に、報告するのが切(せつ)なかった。それでまた外の顧客先(とくいさき)へ廻って、懈(だる)い不安な時間を紛らせていなければならなかった。
「堅い人だがね、どうしてくれなかったろう」
 お島は小野田の失望したような顔を見るのが厭(いや)さに、小野田がいつか手本を示したように、私(そっ)と直しものの客の二重廻しなどを風呂敷に裹(つつ)みはじめた。
「どうせ冬まで寝(ねか)しておくものだ」お島は心の奥底に淀(よど)んでいるような不安と恐怖を圧しつけるようにして言った。そしてこの頃昵(なじ)みになった家へ、それを抱(だき)こんで行った。
 一日外をあるいているお島は、夜になるとぐっすり寝込んだ。昼間居眠をしておる男の体が、時々夢現(ゆめうつつ)のような彼女の疲れた心に、重苦しい圧迫を感ぜしめた。

 それからそれへと、段々展(ひろ)げて行った遠い顧客先(とくいさき)まわりをして、どうかすると、夜遅くまで帰って来ないお島には解らないような、苦しい遣繰(やりくり)が持切れなくなって来たとき、小野田の計画で到頭そこを引払って、月島の方へ移って行ったのは、その冬の初めであった。
 造作を売った二百円弱(たらず)の金が、その時小野田の手にあった。細々(こまごま)した近所の買がかりに支払をした残りで、彼はまた新しく仕事に取着(とっつ)く方針を案出して、そこに安い家を見つけて、移って行ったのであったが、意(おも)いのほか金が散かったり品物が掛(かけ)になったりして、資本の運転が止ったところで、去年よりも一層不安な年の暮が、直(すぐ)にまた二人を見舞って来た。
 荒いコートに派手な頸捲(えりまき)をして、毎日のように朝夙(はや)くから出歩いているお島が、掛先から空手(からて)でぼんやりして帰って来るような日が、幾日(いくか)も続いた。
 仕事の途絶えがちな――偶(たま)に有っても賃銀のきちんきちんと貰えないような仕事に働くことに倦(う)んで来た若い職人は、好い口を捜すために、一日店をあけていた。
 病気のために、中途戦争から帰って来たその職人は、軍隊では上官に可愛がられて上等兵に取立てられていたが、久振で内地へ帰ってくると、職人気質(かたぎ)の初めのような真面目(まじめ)さがなくなって、持って来た幾許(いくら)かの金で、茶屋酒を飲んだり、女に耽(ふけ)ったりして、金に詰って来たために、もと居た店の物をこかしたり、友達の着物を持逃したりして居所(いどころ)がなくなったところから、小野田の店へ流れて来たのであったが、その時にはもうすっかりさめてしまって、旧(もと)の小心な臆病ものの自分になり切っていた。
 来た当座、針を動かしている彼は時々巡査の影を見て怕(おそ)れおののいていた。そしてどんな事があっても、一切日(ひ)の面(おもて)へ出ることなしに、家にばかり閉籠(とじこも)っていた。彼は救われたお島のために、家のなかではどんな用事にも働いたが、昼間外へ出ることとなると、釦(ボタン)一つ買いにすら行けなかった。点呼にも彼は居所を晦(くら)ましていて出て行く機会を失った。それが一層彼の心を萎縮(いしゅく)させた。
 今朝も彼は朝飯のとき、奥での夫婦の争いを、蒲団(ふとん)のなかで聴いていながら、臆病な神経を戦(わなな)かせていた。最初その争いは多分夫婦間独自の衝突であったらしく思えたが、この頃の行詰った生活問題にも繋(つなが)っていた。
「私はこうみえても動物じゃないんだよ。そうそう外も内も勤めきれんからね」
 お島はこの頃よく口にするお株を、また初めていた。
 誰があの職人を今まで引留めておいたかと言うことが、二人の争いとなった。
「お前さんさえ働けば、家なんざ小僧だけで沢山なんだ」飽っぽいようなお島が言出していた。どんな事があっても、三人でこの店を守立ててみせると力んでいた彼女が、どんな不人情な心を持っているかとさえ疑われた。

 二日ばかり捜しあるいた口が、どこにも見つからなかったのに落胆(がっかり)した彼が、日の暮方に疲れて渡場(わたしば)の方から帰って来たとき、家のなかは其処(そこ)らじゅう水だらけになっていた。
 以前友達の物を持逃したりなどしたために、警察へ突出そうとまで憤っている男もあって、急にぐれてしまった自分の悪い噂(うわさ)が、そっちにも此方(こっち)にも拡がっていることを感づいたほか、何の獲物もなかった彼は、当分またお島のところに置いてもらうつもりで、寒い渡しを渡(わた)って、町へ入って来たのであったが、お島の影はどこにも見えずに、主人の小野田が雑巾(ぞうきん)を持って、水浸しになった茶の間の畳をせっせと拭(ふ)いていた。
 気の小さい割には、躯(からだ)の厳丈づくりで、厚手に出来た唇(くちびる)や鼻の大きい銅色(あかがねいろ)の皮膚をした彼は、惘(あき)れたような顔をして、障子も襖(ふすま)もびしょびしょした茶(ちゃ)の室(ま)の入口に突立っていた。
「どうしたんです、私(あっし)の留守のまに小火(ぼや)でも出たんですか」
「何(なあ)に、彼奴(あいつ)の悪戯(いたずら)だ。為様のない化物だ」小野田はそう言って笑っていた。
 昨日の晩から頭顱(あたま)が痛いといってお島はその日一日充血したような目をして寝ていた。髪が総毛立ったようになって、荒い顔の皮膚が巖骨(いわっころ)のように硬張(こわば)っていた。そして時々うんうん唸(うな)り声をたてた。
 米や醤油(したじ)を時買(ときがい)しなければならぬような日が、三日も四日も二人に続いていた。お島は朝から碌々(ろくろく)物も食べずに、不思議に今まで助かっていた鶴さん以来の蒲団(ふとん)を被(かぶ)って臥(ふせ)っていた。
 自身に台所をしたり、買いものに出たりしていた小野田には、女手のない家か何ぞのような勝手元や家のなかの荒れ方が、腹立しく目についたが、それはそれとして、時々苦しげな呻吟(うめき)の聞える月経時の女の躯(からだ)が、やっぱり不安であった。
「腰の骨が砕けて行きそうなの」
 お島は傍へ寄って来る小野田の手に、絡(から)みつくようにして、赭(あか)く淀(おど)み曇(うる)んだ目を見据えていた。
 小野田は優しい辞(ことば)をかけて、腰のあたりを擦(さす)ってやったりした。
「私はどこか体を悪くしているね。今までこんな事はなかったんだもの。私の体が人と異(ちが)っているのかしら、誰でも恁(こ)うかしら」お島は小野田に体に触らせながら、この頃になって萌(きざ)しはじめて来た、自分か小野田かに生理的の欠陥があるのではないかとの疑いを、その時も小野田に訴えた。
 お島は小野田に済まないような気のすることもあったが、この結婚がこんな苦しみを自分の肉体に齎(もたら)そうとは想いもかけなかった。
 お島は今着ているものの聯想(れんそう)から鶴さんの肉体のことを言出しなどして、小野田を気拙(きまず)がらせていた。男の体に反抗する女の手が、小野田の火照(ほて)った頬(ほお)に落ちた。
 兇暴なお島は、夢中で水道の護謨栓(ゴムせん)を向けて、男の復讎(ふくしゅう)を防ごうとした。

 小野田の怯(ひる)んだところを見て、外へ飛出したお島は、何処(どこ)へ往くという目当もなしに、幾箇(いくつ)もの町を突切って、不思議に勢いづいた機械のような足で、ぶらぶら海岸の方へと歩いて行った。
 町幅のだだっ広い、単調で粗雑(がさつ)な長い大通りは、どこを見向いても陰鬱に闃寂(ひっそり)していたが、その癖寒い冬の夕暮のあわただしい物音が、荒(さび)れた町の底に淀(おど)んでいた。燻(くす)みきった男女の顔が、そこここの薄暗い店屋に見られた。活気のない顔をして職工がぞろぞろ通ったり、自転車のベルが、海辺の湿っぽい空気を透して、気疎(けうと)く耳に響いたりした。目に見えないような大道(だいどう)の白い砂が、お島の涙にぬれた目や頬に、どうかすると痛いほど吹つけた。
 お島は死場所でも捜しあるいている宿なし女のように、橋の袂(たもと)をぶらぶらしていたが、時々欄干(らんかん)にもたれて、争闘に憊(つか)れた体に気息(いき)をいれながら、ぼんやり彳(たたず)んでいた。寒い汐風(しおかぜ)が、蒼い皮膚を刺すように沁透(しみとお)った。
 やがて仄暗(ほのぐら)い夜の色が、縹渺(ひょうびょう)とした水のうえに這(はい)ひろがって来た。そしてそこを離れる頃には、気分の落著(おちつ)いて来たお島は、腰の方にまた劇(はげ)しい疼痛(とうつう)を感じた。
 暗くなった町を通って、家へ入って行った時、店の入口で見慣れぬ老爺(じじい)の姿が、お島の目についた。
 お島は一言二言口を利いているうちに、それがつい二三日前に、ふっと引込まれて行くような射倖心(しゃこうしん)が動いて、つい買って見る気になった或賭(かけ)ものの中(あた)った報知(しらせ)であることが解った。
「お上さんは気象が面白いから、きっと中(あた)りますぜ」
 暮をどうして越そうかと、気をいらいらさせているお島に、そんな事に明い職人が説勧(ときすす)めてくれた。秘密にそれの周旋をしている家の、近所にあることまで、彼は知っていた。
「厭(いや)だよ、私そんなものなんか買うのは……」お島はそう言って最初それを拒んだが、やっぱり誘惑されずにはいなかった。
「そんな事をいわずに、物は試しだから一口買ってごらんなさい、しかし度々(たびたび)は可(い)けません、中(あた)ったら一遍こきりでおよしなさい」職人は勧めた。
「何といって買うのさ」
「何だって介意(かま)いません。あんたが何処かで見たものとか聞いた事とか……見た夢でもあれば尚面白い」
 それでお島は、昨夜(ゆうべ)見た竜の夢で、それを買って見ることにしたのであった。
 意(おも)いもかけない二百円ばかりの纏(まと)まった金を、それでその爺さんが持込んで来てくれたのであった。
 秘密な喜悦(よろこび)が、恐怖に襲われているお島たちの暗い心のうえに拡がって来た。
「何だか気味がわるいようだね」
 爺さんの行ったあとで、お島はその金を神棚(かみだな)へあげて拝みながら、小野田に私語(ささや)いた。

 燈明の赤々と照している下で、お島たちはまるで今までの争いを忘れてしまったように、興奮した目を輝かして坐っていた。何か不思議な運命が、自分の身のうえにあるように、お島は考えていた。暗い頭脳(あたま)の底から、光が差してくるような気がした。
「ふむ、こう云うこともあるんだね」お島は感激したような声を出した。
「全く木村さんのいうことは当ったよ。して見ると、私は何でもヤマを張って成功する人間かも知れないね」
「お上さんの気前じゃ、地道(じみち)なことはとても駄目かも知れませんよ」
「面倒(めんど)くさい洋服屋なんか罷(や)めて、株でも買った方がいいかも知れないね」
「そうですね。洋服屋なんてものは、とても見込はありませんね。私(あっし)は二日歩いてみて、つくづくこの商売が厭になってしまった」
 職人は首を項垂(うなだ)れて溜息(ためいき)を吐(つ)いた。
「そんな事を言ったって、今更この商売が罷(や)められるものか」小野田は何を言っているかと云う顔をして、呟いた。
 職人はやっぱり深く自分のことに思入っているように、それには耳も仮さなかった。
「私(あっし)は早晩洋服屋って商売は駄目になると思うね。羅紗(らしゃ)屋と裁縫師、その間に洋服屋なんて云う商人とも職工ともつかぬ、不思議な商売の成立(なりたち)を許さない時期が、今にきっと来ると思いますね」
 職人は興奮したような調子で言った。
「どうしてさ」お島は目元に笑って、「この人はまた妙なことを言出したよ」
「だってそうでしょう」職人は誰にもそれが解らないのが不思議のように熱心に、「だからお客は莫迦(ばか)に高いものを着せられて、職人はお店(たな)のために働くということになる。その癖洋服屋は資本が寝ますから、小い店はとても成立って行きやしませんや。これはどうしたって、お客が直接地を買って、裁縫師に仕立を頼むってことにしなくちゃ嘘(うそ)です」
「ふむ」とお島は首を傾(かし)げて聴惚(ききほ)れていた。今まで莫迦にしていたこの男が、何か耳新しい特殊な智識を持っている悧巧(りこう)者のように思えて来た。
「君は職人だから、自分の都合のいいように考えるんだけれど、実地にはそうは行かないよ」小野田は冷笑(あざわら)った。
「だがこの人は莫迦じゃないね。何だか今に出世をしそうだよ」
 お島はそう言って、神棚から取おろした札束の中から、十円札を一枚持出すと、威勢よく表へ飛出して行った。
「おい、ちょっと己にもう一度見せろよ」小野田はそう言って、札を両手に引張りながら、物欲しそうな目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)った。
「好い気になって余りぱっぱと使うなよ」
 お島が方々札びらを切って、註文して来た酒や天麩羅(てんぷら)で、男達はやがて飲(のみ)はじめた。

 そんな噂(うわさ)がいつか町内へ拡がったところから、縁起を祝うために、鈴木組と云う近所の請負師の親分の家で出た註文を、不意に受けたのが縁で、その男の引立で、家が遽(にわか)に景気づいて来た。
 月島で幅を利(きか)していたその請負師の家へ、お島は新調の著物(きもの)などを着込んで、註文を聞きに行った。寒い雨の降る日で、茶(ちゃ)の室(ま)の火鉢の側には下に使われている男が仕事を休んで、四五人集っていた。大きな縁起棚の傍には、つい三四日前の酉(とり)の市(いち)で買って来た熊手などが景気よく飾られて、諸方からの附届けのお歳暮が、山のように積まれてあった。男達のなかには、お島が見知(みしり)の顔も見受けられた。
「お上さんは莫迦に鉄火な女だっていうから、外套(がいとう)を一つ拵(こさ)えてもらおうと思うんだが……」
 金歯や指環などをぴかぴかさせて、糸織の褞袍(どてら)に着脹(きぶく)れている、五十年輩のその親方は、そう言いながら、サンプルを見はじめた。痩(やせ)ぎすな三十七八の小意気な女が、軟かものを引張って、傍に坐っていた。
「工合がよければ、またちょいちょい好いお客をおれが周旋するよ」
 親分は無造作に註文を決めて了うと、そう言って莨をふかしていた。今まで受けたこともないような河獺(かわおそ)の衿(えり)つき外套や、臘虎(らっこ)のチョッキなどに、お島は当素法(あてずっぽう)な見積を立てて目の飛出るほどの法外な高値を、何の苦もなく吹きかけたのであった。
「これを一つあなたのような方に召していただいて、是非皆さんに御吹聴して頂きたいのでございます。どういたしましても、親方のようなお顔の売れた方の御贔屓(ひいき)にあずかりませんと、私共(わたくしども)の商売は成立って行きませんのでございます」
 男達はみんなお島の弁(しゃべ)る顔を見て、面白そうに笑っていた。
「お上さんの家では、お上さんが大層な働きもので、お亭主はぶらぶら遊んでいるというじゃないか」男たちはお島に話しかけた。
「衆(みな)さんがそう言って下さいます」お島は赤い顔をして、サンプルを仕舞っていた。
「たまに宅へお見えになるお客がございましても、私(わたくし)がいないと御註文がないと云う始末でございますから。あれじゃお前が一人で切廻す訳だと、お客さまが仰(おっし)ゃって下さいます」
 お島はそう言って、この商売をはじめた自分の行立(ゆきたて)を話して、衆(みんな)を面白がらせながら、二時間も話しこんでいた。
「あの辺でおきき下さいませば、もう誰方(どなた)でも御存じでございます。滝庄(たきしょう)という親分が、以前私の父の兄で、顔を売っていたものですから、ああ云う社会の方(かた)が、あの辺ではちょいちょい私のお得意さまでございます」
 帰りがけにお島は、自分のそうした身のうえまで話した。

 そんなような仕事が、少しばかり続くあいだ、例の金で身装(みなり)のできたお島は、暮のせわしいなかを、昼間は顧客(とくい)まわりをして、夜になると能(よ)く小野田と一緒に浮々した気分で、年の市などに景気づいた町を出歩いたり、友達のようになった顧客先の細君連と、芝居へ入ったり浅草辺をぶらついたりして調子づいていたが、それもまたぱったり火の消えたように閑(ひま)になって、肆(ほしいま)まに浪費した金の行方(ゆくえ)も目にみえずに、物足りないような寂しい日が毎日々々続いた。
 定(きま)りだけの仕事をすると、職人は夫婦の外を出歩いているあいだ、この頃ふとした事から思いついた翫具(おもちゃ)の工夫に頭脳(あたま)を浸して、飯を食うのも忘れているような事が多かった。
 仕事の断え間になると、彼は昼間でも一心になってそれに耽っていた。時とすると夜(よる)夫婦が寝しずまってからも、彼はこつこつ何かやっていた。
「この人は何をしているの」
 隅(すみ)の方へ入って、ボール紙を切刻んだり、穴を明けたり、絵具をさしたりして、夢中になっている彼の傍へ来て、お島は可笑(おかし)そうに訊(たず)ねた。
「こう云う悪戯(いたずら)をしているんです」
 彼は細(こまか)く切ったその紙片を、賽(さい)の目(め)なりに筋をひいて紙のうえに駢(なら)べていながら、振顧(ふりむ)きもしないで応えた。
「何だねその切符のようなものは……」
「これですか」木村はやっぱりその方に気を褫(と)られていた。
「これは軍艦ですよ」
「軍艦をどうするの」
「これでもって海軍将棋を拵(こさ)えようというんです」
「海軍将棋だって? へえ。そしてそれを何(なん)にするの」
「高尚な翫具を拵(こさ)えて、一儲けしようってんですがね……この小(ちいさ)いのが水雷艇(すいらいてい)です」
「へえ、妙なことを考えたんだね。戦争あて込みなんだね」
「まあそうですね。これが当ると、お上さんにもうんと資本(もと)を貸しますよ。どうせ私(あっし)は金の要(い)らない男ですからね」
「はは」と、お島は笑いだした。
「可(よ)かったね」
「こればかりじゃないんです」職人はこの頃夜もろくろく眠らずに凝り考えた、色々の考案が頭脳(あたま)のなかに渦のように描かれていた。新しい仕事の興味が、彼の小さい心臓をわくわくさせていた。
「私(あっし)ゃ子供の時分から、こんな事が好きだったんですから、この外にまだ幾箇(いくつ)も考えてるんですが、その中には一つ二つ成功するのが急度(きっと)ありますよ」
「じゃ木村さんは発明家になろうというんだわね。発明家ってどんな豪(えら)い人かと思っていたら、木村さんのような人でもやれるような事なら、有難(ありがた)くもないね」
「笑談言っちゃ可(い)けませんよ」
「まあ発明もいいけれど、仕事の方もやって下さいね、どしどし仕事を出しますからね」

 お島たちが、寄(より)つく処もなくなって、一人は職人として、一人は註文取として、夫婦で築地の方の或洋服店へ住込むことになったのは、二人が半歳ばかり滞っていた小野田の故郷に近いN――と云う可也(かなり)繁華な都会から帰ってからであった。
 一月から三月頃へかけて、店が全く支え切れなくなったところで、最初同じ商売に取(とり)ついている知人を頼って、上海(シャンハイ)へ渡って行くつもりで、二人は小野田の故郷の方へ出向いて行ったのであったが、路用や何かの都合で、そこに暫く足を停(と)めているうちに、ついつい引かかって了ったのであった。
 二人が月島の店を引払った頃には、三月(みつき)ほどかかって案じ出した木村の新案ものも、古くから出ているものに類似品があったり、特許出願の入費がなかったりしたために、孰(どれ)もこれも持腐れになってしまったのに落胆(がっかり)して、又渡り職人の仲間へ陥(お)ちて行っていた。
 南の方の海に程近いN――市では二人は少しばかり持っている著替(きがえ)などの入った貧しい行李(こうり)を、小野田の妹の家で釈(と)くことになったが、町には小野田の以前の知合も少くなかった。
 主人が勤人であった妹の家の二階に二三日寝泊りしていた二人は、そこから二里ばかり隔たった村落にいる小野田の父親に遭(あ)って、そこから出発するはずであったが、以前住んでいた家や田畑も人の手に渡って、貧しい百姓家の暮しをしている父親の様子を、一度行って見て来た小野田は、見すぼらしげな父親をお島に逢わせるのが心に憚(はばか)られた。東京に住つけた彼の目には、久しく見なかった惨(みじ)めな父親の生活が、自分にすら厭(いと)わしく思えた。
 逢いさえすれば、路費の出来そうに言っていた父親の家への同行を、お島は二度も三度も迫ってみたが、小野田は不快な顔をして、いつもそれを拒んだ。
 八九年前に、効性(かいしょ)ものの妻に死訣(しにわか)れてから、酒飲みの父親は日に日に生活が荒(すさ)んで行った。妻の働いているうちは、どうか恁(こう)か持堪(もちこた)えていた家も、古くから積り積りして来ている負債の形(かた)に取られて、彼は細(ささや)かな小屋のなかに、辛(かろ)うじて生きていた。
 到頭お島がつれられて行ったときに、彼は麦や空豆の作られた山畑の中に、熱い日に照されて土弄(つちいじ)りをしていたが、無智な顔をして畑から出て来る汚いその姿を見たときには、お島は慄然(ぞっ)とするほど厭であった。一緒に行った小野田に対する軽蔑(けいべつ)の念が一時に彼女の心を凍らしてしまった。

 それでお島は、小野田が自分をつれて来なかった理由が解ったような気がして、父親が本意(ほい)ながるのも肯(き)かずに、その日のうちにN――市へ引返して来たのであった。自分のこれまでがすっかり男に瞞(だま)されていたように思われて、腹立しかったが、小野田が自分達のことをどんな風に父親に話しているかと思うと、擽(くすぐ)ったいような滑稽(こっけい)を感じた。
 空濶(くうかつ)な平野には、麦や桑が青々と伸びて、泥田をかえしている農夫や馬の姿が、所々(ところどころ)に見えた。砂埃(すなぼこり)の立つ白い路(みち)を、二人は鈍(のろ)い俥(くるま)に乗って帰って来たが、父親が侑(すす)めてくれた濁酒に酔って、俥の上でごくりごくりと眠っている小野田の坊主頸(ぼうずえり)をした大きい頭脳(あたま)が、お島の目には惨(みじめ)らしく滑稽にみえた。
 この貧しげな在所から入って来ると、着いた当時は鈍(のろ)くさくて為方(しかた)のなかった寂しい町の状(さま)が、可也賑(にぎや)かで、豊かなもののように見えて来た。大きい洋風の建物が目についたり、東京にもみられないような奥行の深そうな美しい店屋や、洒落(しゃれ)た構(かまえ)の料理屋なども、物珍しく眺(なが)められた。妹の住(すま)っている静な町には、どんな人が生活しているかと思うような、門構の大きな家や庭がそこにも此処(ここ)にもあった。
 小野田の話によると、父親の財産として、少(すこし)ばかりの山が、それでもまだ残っていると云うのであった。その山を売りさえすれば、多少(いくらか)の金が手につくというのであった。そしてそうさせるには、二人で機嫌(きげん)を取って、父親を悦(よろこ)ばせてやらなければならないのである。
「そんな気の長いことを言っていた日には、いつ立てるか解りやしないじゃないか」
 お島はその晩も二階で小野田と言争った。時々他国の書生や勤め人をおいたりなどして、妹夫婦が細い生活の補助(たすけ)にしているその二階からは、町の活動写真のイルミネーションや、劇場の窓の明(あかり)などが能(よ)く見えた。四下(あたり)には若葉が日に日に繁(しげ)って、遠い田圃(たんぼ)からは、喧(かまびす)しい蛙(かえる)の声が、物悲しく聞えた。春の支度でやって来た二人には、ここの陽気はもう大分暑かった。小野田はホワイト一枚になって寝転んでいたが、昔住慣れた町で、巧く行きさえすれば、お島と二人でここで面白い暮しができそうに思えた。上海(シャンハイ)くんだりまで出かけて行くことが、重苦しい彼の心には億劫(おっくう)に想われはじめていた。
「厭(いや)なこった、こんな田舎の町なんか、成功したって高が知れている。東京へ帰ったって威張れやしないよ」そう言って拒むお島の空想家じみた頭脳(あたま)には、ぼろい金儲けの転がっていそうな上海行が、自分に箔(はく)をつける一廉(ひとかど)の洋行か何ぞのように思われていた。

 其処(そこ)をも散々遣散(やりちら)してN――市を引揚げて、どこへ落着く当もなしに、暑い或日の午後に新橋へ入って来たとき、二人の体には、一枚ずつ著(つ)けたもののほか何一つすら著いていなかった。
 鼻息の荒いお島たちは、人の気風の温和でそして疑り深いN――市では、どこでも無気味(ぶきみ)がられて相手にされなかった。一月二月(ひとつきふたつき)小野田の住込んでいた店(たな)では、毎日のように入浸(いりびた)っていたお島は、平和の攪乱者(こうらんしゃ)か何ぞのように忌嫌(いみきら)われ、不謹慎な口の利き方や、遣(やり)っぱなしな日常生活の不検束(ふしだら)さが、妹たち周囲の人々から、女雲助か何かのように憚(はばか)られた。著いて間もない時分の彼女から、東京風の髪をも結ってもらい、洗濯や針仕事にも働いてもらって、頭髪(あたま)のものや持物などを、惜気もなげにくれてもらったりしていた妹は、帯や下駄や時々の小遣いの貸借(かしかり)にも、彼女を警戒しなければならないことに気がついた。
「そんなに吝々(けちけち)しなさんなよ、今に儲けてどっさりお返ししますよ」
 それを断られたとき、お島はそう云って笑ったが、土地の人たちの腹の見えすいているようなのが腹立しかった。自分の腕と心持とが、全く誤解されているのも業腹(ごうはら)であった。
 小野田にも信用がなく、自分にも働き勝手の違ったような、その土地で、二人は日に日に上海行の計画を鈍らされて行った。二人は小野田が数日のあいだに働いて手にすることのできた、少しばかりの旅費を持って、辛々(からがら)そこを立ったのであった。
 一日込合う暑い客車の瘟気(うんき)に倦(う)みつかれた二人が、停車場の静かな広場へ吐出されたのは、夜ももう大分遅かった。
「どこへ行ったものだろうね」
 青い火や赤い火の流れている広告塔の前に立って、しっとりした夜の空気に蘇(よみが)えったとき、お島はそこに跪坐(しゃが)んでいる小野田を促した。
 前(せん)に働いていた川西という工場のことを、小野田は心に描いていたが、前借などの始末の遣(やり)っぱなしになっている其処へは行きたくなかった。上海行を吹聴したような人の方へは、どこへも姿を見せたくなかった。

 不安な一夜を、芝口の或安旅籠(やすはたご)に過して、翌日二人は川西へ身を寄せることになるまで、お島たちは口を捜すのに、暑い東京の町を一日彷徨(ぶらつ)いていた。
 最後に本郷の方を一二軒猟(あさ)って、そこでも全く失望した二人が、疲れた足を休めるために、木蔭に飢えかつえた哀れな放浪者のように、湯島(ゆしま)天神の境内へ慕い寄って来たのは、もうその日の暮方であった。
 漸(ようよ)う日のかげりかけた境内の薄闇には、白い人の姿が、ベンチや柵(さく)のほとりに多く集っていた。葉の黄ばみかかった桜や銀杏(いちょう)の梢(こずえ)ごしに見える、蒼い空を秋らしい雲の影が動いて、目の下には薄闇(うすぐら)い町々の建物が、長い一夏の暑熱に倦み疲れたように横(よこた)わっていた。二人は仄暗(ほのぐら)い木蔭のベンチを見つけて、そこに暫く腰かけていた。涼しい風が、日に焦(や)け疲れた二人の顔に心持よく戦(そよ)いだ。
 水のような蒼い夜の色が、段々木立際(こだちぎわ)に這い拡がって行った。口も利かずに黙って腰かけているお島は、ふと女坂を攀登(よじのぼ)って、石段の上の平地へ醜い姿を現す一人の天刑病(てんけいびょう)らしい躄(いざり)の乞食が目についたりした。
 石段を登り切ったところで、哀れな乞食は、陸(おか)の上へあがった泥亀(どろがめ)のように、臆病らしく四下(あたり)を見廻していたが、するうちまた這い歩きはじめた。そして今夜の宿泊所を求めるために、人影の全く絶えた、石段ぎわの小さい祠(ほこら)の暗闇の方へいざり寄って行った。
「ちょっと御覧なさいよ」お島は小野田に声かけて振顧(ふりむ)いた。
 今まで莨を喫(す)っていた小野田は、ベンチの肱(ひじ)かけに凭(もた)れかかっていつか眠っていた。
「この人は、為様がないじゃないの」お島は跳(はね)あがるような声を出した。
「行きましょう行きましょう。こんな所にぐずぐずしていられやしない」お島は慄(ふる)えあがるようにして小野田を急立(せきた)てた。
 二人は痛い足を引摺(ひきず)って、またそこを動きだした。
「何でもいいから芝へ行きましょう。恁(こ)うなれば見えも外聞もありゃしない」お島はそう言って倦(う)み憊(くたび)れた男を引立てた。
 食物(たべもの)といっては、昼から幾(ほと)んど[#「幾んど」は底本では「幾んで」]何をも取らない二人は、口も利けないほど饑(う)え疲れていた。
 川西の店へ立ったのは、その晩の九時頃であった。

 長い漂浪の旅から帰って来たお島たちを、思いのほか潔(きよ)く受納れてくれた川西は、被服廠(ひふくしょう)の仕事が出なくなったところから、その頃職人や店員の手を減して、店がめっきり寂しくなっていた。
 そこへ入って行ったお島は、久しい前から、世帯崩(しょたいくず)しの年増女(としまおんな)を勝手元に働かせて、独身で暮している川西のために、時々上さんの為(す)るような家事向の用事に、器用ではないが、しかし活溌(かっぱつ)な働き振を見せていた。
 前(せん)にいた職人が、女気のなかったこの家へ、どこからともなく連れて来て間もなく、主人との関係の怪しまれていたその年増は、渋皮の剥(む)けた、色の浅黒い無智な顔をした小躯(こがら)の女であったが、お島が住込むことになってから、一層綺麗にお化粧(つくり)をして、上さん気取で長火鉢の傍に坐っていた。
 始終忙(せわ)しそうに、くるくる働いている川西は、夜は宵の口から二階へあがって、臥床(ふしど)に就いたが、朝は女がまだ深い眠にあるうちから床(とこ)を離れて、人の好(よ)い口喧(くちやかま)しい主人として、口のわるい職人や小僧たちから、蔭口を吐(つ)かれていた。
 お島は女が二階から降りて来ぬ間に、手捷(てばし)こくそこらを掃除したり、朝飯の支度に気を配ったりしたが、寝恍(ねぼ)けた様な締(しまり)のない笑顔をして、女が起出して来る頃には、職人たちはみんな食膳(しょくぜん)を離れて、奥の工場で彼女の噂(うわさ)などをしながら、仕事に就いていた。
 彼らが食事をするあいだ、裏でお島の洗い灑(すす)ぎをしたものが、もう二階の物干で幾枚となく、高く昇った日に干されてあった。
「どうも済みませんね」
 ばけつをがらがらいわせて、働いているお島の姿を見ると、それでも女は、懈(だる)そうな声をかけて、日のじりじり照はじめて来た窓の外を眺めていた。毛並のいい頭髪(あたま)を銀杏返(いちょうがえ)しに結って、中形(ちゅうがた)のくしゃくしゃになった寝衣(ねまき)に、紅(あか)い仕扱(しごき)を締めた姿が、細そりしていた。白粉(おしろい)の斑(まだら)にこびりついたような額のあたりが、屋根から照返して来る日光に汚(きたな)らしく見えた。
「どういたしまして」
 お島は無造作に懸つらねた干物の間を潜(くぐ)りぬけながら、袂(たもと)で汗ばんだ顔を拭(ふ)いていた。
「私は働かないではいられない性分ですからね。だから、どんなに働いたって何ともありませんよ」
「そう」
 女はまだうっとりした夢にでも浸っているような、どこか暗い目色(めつき)をしながら呟いた。
「私の寝るのは、大抵十二時か一時ですよ」
「そうですかね」お島は白々しいような返辞をして、「でも可(い)いじゃありませんか。お秀さんは好い身分だって、衆(みんな)がそう言っていますよ」
 女は紅くなって、厭な顔をした。
「そうそう、お秀さんといっちゃ悪かったっけね。御免なさいよ」

「どうです、今日は素敵に好(い)いお顧客(とくい)を世話してもらいましたよ」
 半日でも一日でも、外へ出て来ないと気のすまないようなお島は、職人たちの手がしばらく空(す)きかかったところで、その日も幾日振(いくかぶり)かで昼からサンプルをさげて出て行ったが、晩方に帰って来ると、お秀と一緒に店の方にいる川西にそう言って声かけた。
「為様がないね、私がなまけると直ぐこれだもの」お島は出てゆく時も、これと云う目星しい仕事もない工場の様子を見ながら言っていたが、出れば必ず何かしら註文を受けて来るのであった。中には自分の懇意にしている人のを、安く受けて来たのだと云って、小野田との相談で、店のものにはせず、自分たちだけの儲仕事(もうけしごと)にするものも時にはあった。そんなものを、小野田は店の仕事の手隙(てすき)に縫うことにしていたが、川西はそれを余り悦(よろこ)ばないのであった。
「ほんとに好い腕だが、惜しいもんだね」
 川西は、独(ひと)り店頭(みせさき)にいた小僧を、京橋の方へ自転車で用達(ようたし)に出してから、註文先の話をしてお島に言った。彼はもう四十四五の年頃で、仕入ものや請負もので、店を大きくして来たのであったが、お島たちが入って来てから、上物の註文がぼつぼつ入るようになっていた。
 川西は晩酌をやった後で、酒くさい息をふいていた。工場では皆(みん)な夕方から遊びに出て行って、誰もいなかった。
「そんな腕を持っていながら、名古屋くんだりまで苦労をしに行くなんて、余程(よっぽど)可笑(おかし)いよ」
 川西は、傍に附絡(つきまと)っているお秀をも、湯へ出してやってから、時々口にすることをその時もお島に言出した。
「ですから私も熟々(つくづく)厭になって了ったんです。あの時疾(とっく)に別れる筈だったんです。でもやっぱりそうも行かないもんですからね」
「小野田さんと二人で、ここでついた得意でも持って出て、早晩独立(ひとりだち)になるつもりで居るんだろうけれど、あの腕じゃまず難(むずか)しいね」
「そうですとも。これまで散々失敗して来たんですもの」
「どうだね、それよりか小野田さんと別れて、一つ私と一緒に稼(かせ)ぐ気はないかね」
 川西はにやにやしながら言った。
「御笑談でしょう」お島は真紅(まっか)になって、「貴方(あなた)にはお秀さんという人がいるじゃありませんか」
「あんなものを……」川西はげたげた笑いだした。「どこの馬の骨だか解りもしねえものを、誰が上さんなぞにする奴があるもんか」
「でも好い人じゃありませんか。可愛がっておあげなさいまし。私みたような我儘(わがまま)ものはとても駄目です」
 お島はそう言って、茶(ちゃ)の室(ま)を通って工場の方へ入って行くと、汗ばんだ着物の着替に取りかかった。蒸暑い工場のなかは綺麗に片着いて、電気がかっかと照っていた。

 九時頃に小野田が外から帰って来たとき、駭(おどろ)かされたお島の心は、まだ全く鎮(しずま)らずにいた。人品や心の卑しげな川西に、いつでも誰にも動く女のように見られたのが可恥(はずか)しく腹立しかった。
「へえ、私がそんな女に見えたんですかね。そんな事をしたら、あの物堅い父に私は何といわれるでしょう」
 お島は迹(あと)から附絡(つきまと)って来る川西の兇暴な力に反抗しつつ、工場の隅(すみ)に、慄然(ぞっ)とするような体を縮めながらそう言って拒んだ。
 髯(ひげ)の延びた長い顎(あご)の、目の落窪(おちくぼ)んだ川西の顔が、お島の目には狂気(きちがい)じみて見えた。
「可(い)けません可けません、私は大事の体です。これから出世しなくちゃなりません。信用を墜(おと)しちゃ大変です」お島は片意地らしく脅(おど)しつけるように言って、筋張った彼の手をきびしく払退(はらいの)けた。
 劇(はげ)しい争闘がしばらく続いた。
 婉曲(えんきょく)としおらしさとを欠いた女の態度に、男の顔を潰(つぶ)されたと云って、川西がぷりぷりして二階へあがって行ってから、お島は腕節(うでぶし)の痛みをおさえながら、勝矜(かちほこ)ったものの荒い不安を感じた。
 暫(しばら)くすると、白粉をこてこて塗って、湯から帰って来たお秀が、腕を組んで、ぼんやり店頭(みせさき)に彳(たたず)んでいるお島に笑顔を見せて、奥へ通って行った。
「ぽんつくだな」お島はそう思いながら、女の顔を見返しもせずに黙っていた。何のことをも感づくことができずに、全く満足し切っているように鈍い、その癖どこかおどおどしている女の様子に、妄(むやみ)に気がいらいらして、顔の筋肉一つすら素直に働かないのであった。
「小野田が帰ったら、今の始末を残らず吩咐(いいつ)けよう。そして今からでも二人でここを出てやろう」
 お島はそう思いながら、そこに立ったまま彼の帰りを待っていた。外は秋らしい冷(ひやや)かな風が吹いて、往来を通る人の姿や、店屋々々の明(あかり)が、厭に滅入って寂しく見えた。浜屋や鶴さんのことが、物悲しげに想い出されたりした。
 その晩、小野田は二階でしばらく川西と何やら言合っていたが、やがて落着のない顔をして降りて来ると、店にいるお島の傍へ寄って来た。
「店が閑(ひま)でとても置ききれないから、気の毒だけれど、己たちに今から出てくれというんだがね」
 小野田は言出した。
「ふむ」お島はまだ神経が突っ張っていて、こまこました話をする気にはなれなかった。
「己(おれ)たちが自分の仕事をするので、それも気に加(くわ)んらしい」
「どうせそうだろうよ」お島は荒い調子で冷笑(あざわら)った。
「出ましょう出ましょう。言われなくたって、此方(こっち)から出ようと思っていたところだ」

 翌日朝夙(はや)くから、お島はぐずぐずしている小野田を急立(せきた)てて家を捜しに出た。
「また何かお前が大将の気に障(さわ)ることでも言ったんじゃないか」
 小野田は昨夜(ゆうべ)も自分たちの寝室(ねま)にしている茶(ちゃ)の室(ま)で、二人きりになった時、そう言ってお島を詰(なじ)ったのであったが、今朝もやっぱりそれを気にしていた。
「私があの人に何を言うもんですか」お島は顔をしかめて煩(うるさ)そうに応答(うけごたえ)をしていたが、出る先へ立って、細(こまか)い話をして聞かす気にもなれなかった。
「それどころか、私はこの店のために随分働いてやっているじゃありませんか」
「でも何か言ったろう」
「煩(うるさ)いよ」お島は眉(まゆ)をぴりぴりさせて、「お前さんのように、私はあんなものにへっこらへっこらしてなんかいられやしないんだよ」
「だがそうは行かないよ。お前がその調子でやるから衝突するんだ」
「ふむ。私よりかお前さんの方が、余程(よっぽど)間抜なんだ。だから川西なんかに莫迦(ばか)にされるんです。もっとしっかりするが可(い)いんだ」
 それで二人は半日ほど捜しあるいて、漸(やっ)と見つけた愛宕(あたご)の方の或る印判屋の奥の三畳一室(ひとま)を借りることに取決め、持合せていた少(すこし)ばかりの金で、そこへ引移ったのであった。
 そこは見附(みつき)の好い小綺麗(こぎれい)な店屋であった。お島はその足で直ぐ、差当り小野田の手を遊ばさないように、仕事を引出しに心当りを捜しに出たが、早速仕事に取かかるべく少しばかり月賦の支払をしてあったミシンを受取の交渉のために、川西へ出向いていった小野田が、失望して――多少怒(いかり)の色を帯びて帰って来た頃には、彼女も一二枚の直しものを受けて来て、彼を待受けていた。
「どうです、同情がありますよ。すぐ仕事が出ましたよ。だから、ここでうんと働いて下さいよ」
 人に対する反抗と敵愾心(てきがいしん)のために絶えず弾力づけられていなければ居(い)られないような彼女は、小野田の顔を見ると、いきなり勝矜(かちほこ)ったように言った。
 部屋にはもう電燈がついて、その晩の食物(たべもの)を拵(こしら)えるために、お島は狭い台所にがしゃがしゃ働いていた。印判屋の婆さんとも、狎々(なれなれ)しい口を利くような間(なか)になっていた。
「それでミシンはどうしたんです」
「それどころか、川西はお前のことを大変悪く言っていたよ。そして己にお前と別れろと言うんだ」
「ふむ、悪い奴だね」お島は首を傾(かし)げた。「畜生(ちきしょう)、私を怨(うら)んでいるんだ。だがミシンがなくちゃ為様(しよう)がないね」
 飯をすますと直ぐ、お島が通りの方にあるミシンの会社で一台註文して来た機械が、明朝(あした)届いたとき、二人は漸(やっ)と仕事に就くことができた。

 住居の手狭なここへ引移ってから、初めて世帯(しょたい)を持った新夫婦か何ぞのように、二人は夕方になると、忙しいなかをよく外を出歩いた。
 川西を出たときから、新しい愛執が盛返されて来たようなお島たちはそれでもその月は可也にあった収入で、涼気(すずけ)の立ちはじめた時候に相応した新調の着物を着たり着せたりして、打連れて陽気な人寄場(ひとよせば)などへ入って行った。
 行く先々で、その時はまるで荷厄介のように思って、惜げもなく知った人にくれたり、棄値(すてね)で売ったり又は著崩(きくず)したりして、何一つ身につくもののなかったお島は、少しばかり纏(まと)まった収入の当がつくと、それを見越して、月島にいる頃から知っていた呉服屋で、小野田が目をまわすような派手なものを取って来て、それを自分に仕立てて、男をも着飾らせ、自分にも着けたりした。
「己たちはまだ着物なんてとこへは、手がとどきやしないよ。成算なしに着物を作って、困るのは知れきっているじゃないか」
 着ものなどに頓着(とんじゃく)しない小野田は、お島の帰りでもおそいと、時々近所のビーヤホールなどへ入って、蓄音機を聴きながら、そこの女たちを相手に酒を飲んでいては、お島に喰ってかかられたりしたが、やっぱり自分の立てた成算を打壊(ぶちこわ)されながら、その時々の気分を欺かれて行くようなことが多かった。
「あの御父(おとっ)さんの産んだ子だと思うと、厭になってしまう。東京へでも出ていなかったら、貴方(あんた)もやっぱりあんなでしょうか」
 お島はにやにやしている小野田の顔を眺めながら笑った。
「莫迦(ばか)言え」小野田はその頃延しはじめた濃い髭(ひげ)を引張っていた。
「だからビーヤホールの女なぞにふざけていないで、少しきちんとして立派にして下さいよ。あんなものを相手にする人、私は大嫌い、人品(じんぴん)が下りますよ」
 お島はどうかすると、父親の面差(おもざし)の、どこかに想像できるような小野田の或卑しげな表情を、強(し)いて排退(はねの)けるようにして言った。小野田が物を食べる時の様子や、笑うときの顔容(かおつき)などが、殊(こと)にそうであった。
「子が親に似るのに不思議はないじゃないか。己は間男(まおとこ)の子じゃないからな」
 小野田は心から厭そうにお島にそれを言出されると、苦笑しながら慍然(むっ)として言った。
「間男の子でも何でも、あんな御父さんなんかに肖(に)ない方が可(い)いんですよ」
「ひどいことを言うなよ。あれでも己を産んでくれた親だ」
 小野田は終(しまい)に怒りだした。
「お前さんはそれでも感心だよ。あんな親でも大事にする気があるから。私なら親とも思やしない」

 そんな気持の嵩(こう)じて来たお島には、自分一人がどんなに焦燥(やきもき)しても、出世する運が全く小野田にはないようにさえ考えられてきた。彼の顔が無下(むげ)に卑しく貧相に見えだして来た。ビーヤホールの女などと、面白そうにふざけていることの出来る男の品性が、陋(さも)しく浅猿(あさま)しいもののように思えた。
「己はまた親の悪口(あっこう)なぞ云う女は大嫌いだ」
 顔色を変えて、お島の側を離れると、小野田は黙って仕事に取りかかろうとして、電気を引張って行ってミシンを踏みはじめた。
 そのミシンは、支払うべき金がなかったために、お島が機転を利(き)かして、機械の工合がわるいと言って、新しく取替えたばかりの代物(しろもの)であった。そうすれば試用の間、一時また支払いが猶予される訳であった。
「こんな際(きわ)どいことでもしなかった日には、私たちはとてもやって行けやしません。成功するには、どうしたってヤマを張る必要があります」
 お島はその時もそう言って、自分の気働きを矜(ほこ)ったが、何の気もなさそうに、それに腰かけている小野田の様子が、間抜らしく見えた。
 がたがたと動いていたミシンの音が止ると、彼は裁板(たちいた)の前に坐って、縫目を熨(の)すためにアイロンを使いはじめた。
「ふむ、莫迦だね」
 お島は無性に腹立しいような気がして、腕を組みながら溜息(ためいき)を吐(つ)いた。
「一生職人で終る人間だね。それでも田を踏んで暮す親よりかいくらか優(まし)だろう」
「生意気を言うな。手前の親がどれだけ立派なものだ。やっぱり土弄(つちいじ)りをして暮しているじゃないか」
「ふむ、誰がその親のところへ、籍を入れてくれろと頼みに行ったんだ。私の親父はああ見えても産れが好いんです。昔はお庄屋さまで威張っていたんだから。それだって私は親のことなんか口へ出したことはありゃしない」
「お前がまた親不孝だから、親が寄せつけないんだ。そう威張ってばかりいても得(とく)は取れない。ちっとはお辞儀をして、金を引出す算段でもした方が、※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)(はるか)に悧巧(りこう)なんだ」
 小野田はいつもお島に勧めているようなことを、また言出した。
「意気地のないことを言っておくれでないよ。私は通りへ店を持つまでは、親の家へなんか死んでも寄りつかない意(つもり)だからね」
「だから、お前は商売気がなくて駄目だというのだよ」
 仕事が一と片着け片着く時分に、二人はまたこんな相談に耽(ふけ)りはじめた。

 上海(シャンハイ)へ行くつもりで、N――市へ立つ前に、一度顔出(かおだし)したことのある自分の生家(さと)の方へ、小野田がお島を勧めて、贈物などを持って、更(あらた)めて一緒に訪ねて行ってから、続いて一人でちょいちょい両親(ふたおや)の機嫌(きげん)を取りに行ったりしていた。
「これだけの地面は私の分にすると、御父さんが言うんですけれどね」
 最初二人で行ったとき、お島は庭木のどっさり植(うわ)っている母屋の方の庭から、附近に散かっている二三箇所の持地を、小野田と一緒に見廻りながら、五百坪ばかりの細長い地所へ小野田を連れて行って言った。
 雑木の生茂(おいしげ)っているその地所には、庭へ持出せるような木も可也にあった。暗い竹藪(たけやぶ)や荒れた畑地もあった。周囲(まわり)には新しい家(いえ)が二三軒建っていた。
「ふむ」小野田は驚異の目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って、その木立のなかへ入って行った。夏草の生茂った木立の奥は、地面がじめじめしていて、日の光のとどかぬような所もあった。
「この辺の地所は坪どのくらいのものだろう」
 小野田はそこを出てお島の傍へ来ると、打算的の目を耀(かがや)かして訊(たず)ねた。
「どの位だかね。今じゃ十円もするでしょうよ」
 お島は※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)(とぼ)けたような顔で応(こた)えたが、この地面が自分の有(もの)になろうとは思えなかった。
 生家(さと)では二三年のあいだ家を離れて、其方(そっち)こっち放浪して歩いていた兄が、情婦(おんな)に死訣(しにわか)れて、最近にいた千葉の方から帰って来ていた。一時生家(さと)へ還っていた嫁も、その子供をつれて、久振で良人(おっと)と一緒に暮していた。兄は一時悪い病に罹(かか)ってから、めっきり健康が衰え、お島と山で世帯を持っていた頃の元気もなくなっていた。お島はあの頃の山の生活と、二三度そこで交際(つきあ)った兄の情婦(おんな)の身のうえなどを想い出させられた。悪い病気にかかったというその情婦は、どこへ行っても兄に附絡(つきまと)われていて、好いこともなくて旅で死んでしまった。その時は、何の気もなしに傍観していた二人の情交(なか)や心持が、お島にはいくらか解るように思えて来たが、どこが好くて、あの女がそんなに男のために苦労したかが訝(いぶ)かられた。
「あの時は、兄さんはほんとに私をひどい目に逢わしたね」
 お島は長いあいだの経過を考えて、何の温かみも感ずることのできない恣(ほしいま)まな兄との接触に、失望したように言出した。
 兄はその頃のことは想い出しもしないような顔をしていた。お島たちの寄ついて来ることを、余り悦んでもいないらしかった。
「あれはああ云う男です。人が悪いっていうんでもないけれど、人情はないんですね」
「早くあの地面を自分のものに書きかえておくようにしなくちゃ駄目だよ」
 小野田は、お島の投遣(なげやり)なのを牾(もどか)しそうに言った。
「あの地面も、今はどうなっているんだか。あの御母(おっか)さんの生きているうちは、まあ私の手にはわたらないね」
「それもお前が下手だからだよ」
 小野田はそう言いながら、望みありげに家へ入って来た。

 小野田がこの家に信用を得るために、母親の傍に坐って、話込んでいるあいだ、お島は擽(くすぐ)ったいような、いらいらしい気持を紛らせようとして、そこを離れて、子供を揶揄(からか)ったり、嫂(あによめ)と高声(たかごえ)で話したりしていた。
「家じゃ島が一番親に世話をやかせるんでございますよ。これまでに、幾度(いくたび)家を出たり入ったりしたか知れやしません」
 母親はお島が傍についているときも、そんな事を小野田に言って聴(きか)せていたが、彼女の目には、これまでお島が干係(かんけい)した男のなかで、小野田が一番頼もしい男のように見えた。取澄してさえいれば、口髭(くちひげ)などに威のある彼のがっしりした相貌(そうぼう)は、誰の目にも立派な紳士に見えるのであった。小野田は切(きり)たての脊広(せびろ)などを着込んで、のっしりした態度を示していた。
 お島は自分の性得(しょうとく)から、N――市へ立つ前に、この男のことをその田舎では一廉(ひとかど)の財産家の息子ででもあるかのように、父や母の前に吹聴しずにはいられなかった。それで小野田もその意(つもり)で、母親に口を利いていた。
「この人の家は、それは大したもんです」
 お島は母親を威圧するように、今日も皆(みんな)が揃(そろ)っている前で言ったが、小野田はそれを裏切らないように、口裏を合せることを忘れなかった。
「いや私の家も、そう大した財産もありませんよ。しかしそう長く苦しむ必要もなかろうと思います。夫婦で信用さえ得れば、そのうちにはどうにかなるつもりでいますので」
 母親の安心と歓心を買うように、小野田は言った。
 お島はその傍に、長くじっとしていられなかった。自分を信用させようと骨を折っている、男の狡黠(わるごす)い態度も蔑視(さげす)まれたが、この男ばかりを信じているらしい、母親の水臭い心持も腹立しかった。
 嫂は、この四五年の良人(おっと)の放蕩(ほうとう)で、所有の土地もそっちこっち抵当に入っていることなどを、蔭でお島に話して聴せた。
「御父さんが、あすこの地面を私にくれるなんて言っていましたっけがね、あれはどうする気でしょうね」
 お島は嫂の口占(くちうら)を引いてでも見るように、そう言ってみた。
「へえ、そんな事があるんですか。私はちっとも知りませんよ」
「男だけには、それぞれ所有(もち)を決めてあるという話ですけれどね」
 お島はこの場合それだけのものがあれば、一廉(ひとかど)の店が持てることを考えると、いつにない慾心の動くのを感じずにはいられなかったが、家を出て山へ行ってから、父親の心が、年々自分に疎(うと)くなっていることは争われなかった。
「行きましょうよ」
 お島はまだ母親の傍にいる男を急(せき)たてて、やっと外へ出た。

 狭い三畳での、窮屈で不自由な夫婦生活からと、男か女かの孰(いず)れかにあるらしい或生理的の異常から来る男の不満とが、時とするとお島には堪えがたい圧迫を感ぜしめた。
「へえ、そんなもんですかね」
 若い亭主を持っている印判屋の上さんから、男女間の性慾について、時々聞かされることのあるお島は、それを不思議なことのように疑い異(あやし)まずにはいられなかった。
「じゃ、私が不具(かたわ)なんでしょうかね」
 お島はどうかすると、男の或(ある)不自然な思いつきの要求を満すための、自分の肉体の苦痛を想い出しながら、上さんに訊(き)いた。
「でもこれまで私は一度も、そんな事はなかったんですからね」
 お島はどんな事でも打明けるほどに親しくなった上さんにも、これまでに外に良人を持った経験のあることを話すのに、この上ない羞恥(しゅうち)を感じた。
「真実(ほんとう)は、私はあの人が初めじゃないんですよ」
「それじゃ旦那が悪いんでしょうよ」
「でも、あの人はまた私が不可(いけな)いんだと言うんですの。だから私もそうとばかり思っていたんですけれど……真実(ほんと)に気毒(きのどく)だと思っていたんです」
「そんな莫迦なことってあるもんじゃ有りませんよ、お医者に診ておもらいなさい」
 上さんは、真実(まったく)それが満(つま)らない、気毒な引込思案であるかのように、色々の人々の場合などを話して勧めた。
「まさか……極(きまり)がわりいじゃありませんか」
 お島は耳朶(みみたぶ)まで紅くなった。若い男などを有(も)っている猥(みだら)な年取った女のずうずうしさを、蔑視(さげす)まずにはいられなかったが、やっぱりその事が気にかかった。人並でない自分等夫婦の、一生の不幸ででもあるように思えたりした。
 朝になっても、体中が脹(は)れふさがっているような痛みを感じて、お島はうんうん唸(うな)りながら、寝床を離れずにいるような事が多かった。そして朝方までいらいらしい神経の興奮しきっている男を、心から憎く浅猿(あさま)しく思った。
「こんな事をしちゃいられない」
 お島は註文を聞きに廻るべき顧客先(とくいさき)のあることに気づくと、寝床を跳(はね)おきて、身じまいに取かかろうとしたが、男は悪闘に疲れたものか何ぞのように、裁板の前に薄ぼんやりした顔をして、夢幻(ゆめうつつ)のような目を目眩(まぶ)しい日光に瞑(つぶ)っていた。
「それじゃ私が旦那に一人、好いのをお世話しましょうか」
 上さんは、笑談(じょうだん)らしく妾(めかけ)の周旋を頼んだりする小野田に言うのであったが、お島はやっぱりそれを聞流してはいられなかった。
「そうすればお上さんもお勤めがなくて楽でしょう」
「莫迦なことを言って下さるなよ。妾なんかおく身上(しんしょう)じゃありませんよ」
 お島は腹立しそうに言った。

 五六箇月の間に、そこの仮店(かりみせ)で夫婦が稼ぎ得た収入が二千円近くもあったところから、狭苦しい三畳にもいられなかった二人が、根津の方へ店を張ることになってからも、外の活動に一層の興味を感じて来たお島は、時々その事について、親しい友達に秘密な自分の疑いを質(ただ)しなどしたが、それをどうすることもできずに、忙しいその日その日を紛らされていた。
 生理的の不権衡(ふけんこう)から来るらしい圧迫と、失望とを感ずるごとに、お島は鶴さんや浜屋のことが、心に蘇(よみが)えって来るのを感じた。
「成功したら、一度山へ行ってあの人にも逢ってみたい」
 そんな秘密の願が、気忙(きぜわ)しい顧客(とくい)まわりに歩いている時の彼女の心に、どうかすると、或異常な歓楽でも期待され得るように思い浮かんだりした。一つは、妾になら為(し)ておこうといったことのある、その男への復讐心(ふくしゅうしん)から来る興味もあったが、現在の自分等夫婦には、欠けているらしい或要求と歓楽とに憧(あこが)るる心とが、それを彼女に想像させるのであった。
 一旦田舎へ引込んで、そこで思わしいことがなくて、この頃また東京へ来て、日本橋の方の或洋酒問屋にいるとか聞いた鶴さんのことをも、時々彼女は考えた。植源のおゆうが、鶴さんの迹を追って、家を出たりなどして、あの古い植木屋の家にも、紛紜(いざこざ)の絶えなかった一頃の事情は、お島もこの頃姉の口などから洩聞(もれき)いたが、その鶴さんにも、いつか何処かで逢う機会があるような気がしていた。
 それに鶴さんや浜屋と、はっきりその人は定(きま)っていないまでも、どこかに自分が真実(ほんとう)に逢うことのできるような男が、小野田以外の周囲に、一人はあるような気がしないでもなかった。成功と活動とのみに飢え渇(かつ)えているような荒いそして硬い彼女の心にも、そんな憧憬(あこがれ)と不満とが、沁出(しみだ)さずにはいなかった。
 お島はそれからそれへと、※(「夕/寅」、第4水準2-5-29)縁(つて)を求めて知合いになった、自分と同じような或他の職業に働いている活動の女、独立の女、人妻になっている女などから聞される恋愛談などから、自分もやっぱり同じ女であることの暗示を得るような、秘密な渇望と幻想とに、思い浸ることがあったが、動(と)もすると自分の目覚しい活動そのものすら、それらのぼんやりした影のような目的を追い求めているためですらないように思われたりした。
「お前さんは真実(ほんとう)に好かんよ」
 肉体の苦痛を堪(た)え忍ばされたあとでは、そうした男に対する反撥心(はんぱつしん)が、彼女の体中に湧(わき)かえって来た。
 根津へ引越して来てからも、小野田に妾を周旋するということを言出してから、急に嫌(きら)いになった印判屋の上さんのところへ、お島はその時の自分の感情は、すっかり忘れてしまったもののように、ふと自分の苦痛を訴えに行くことすらあった。
「ほんとうに、あの人に妾を周旋してやって下さい。そうでもしなければ、私はとても自由な働きができません」
 お島はそう言って、熱心に頼んだ。
「笑談(じょうだん)でしょう。そんな事をしたら、それこそ大変でしょう」
 上さんはお島の言うことが、総(すべ)て虚構であるとしか思えなかった。

 そこへ引越して行ったのは、その頃開かれてあった博覧会の賑(にぎわ)いで、土地が大した盛場になっていた為であった。
 その家は、不断は眠っているような静かな根津の通りであったが、今は毎日会場からの楽隊の響が聞えたり、地方から来る色々な団体見物の宿泊所が出来たりして、近い会場の浮立った動揺(どよめき)が、ここへも遽(あわただ)しい賑かしさを漂わしていた。
 陽気がややぽかついて来たところで、小野田が出した懇(ねんご)ろな手紙に誘(いざな)われて、田舎で毎日野良仕事に憊(くたび)れている彼の父親が、見物にやって来たり、お島から書送った同じ誘引状に接して、彼女が山で懇意になった人々が、どやどや入込んで来たりした。世のなかが景気づいて来たにつれて、お島たちは自分たちの浮揚るのは、何の造作もなさそうに思えていた。
 この店を張るについての、二人の苦しい遣繰(やりくり)を少しも知らない父親は、来るとすぐ倅(せがれ)夫婦につれられて、会場を見せられて感激したが、これまで何一つ面白いものを見たこともない哀れな老人(としより)を、そうした盛り場に連出して悦ばせることが、お島に取っては、自分の感激に媚(こ)びるような満足であった。
 上野は青葉が日に日に濃い色を見せて来ていた。蟻(あり)のように四方から集ってくる群衆のうえに、梅雨(つゆ)らしい蒸暑い日が照りわたり、雨雲が陰鬱な影を投げるような日が、毎日毎日続いた。
 お島は新調の夏のコオトなどを着て、パナマを冠(かぶ)った小野田と一緒に、浮いたような気持で、毎日のように父親をつれて歩いたが、親に甘過ぎる男の無反省な態度が、時々彼女の犠牲的な心持を、裏切らないではいなかった。無知な老人(としより)の彳(たたず)んで見るところでは、莫迦孝行な小野田は、女にのろい男か何ぞのように、いつまでも気長に傍についていて、離れなかった。驚きの目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って、父親の立寄って行くところへは、どんな満(つま)らないものでも、小野田も嬉しそうに従(つ)いて行って見せたり、説明したりした。
「それどころじゃないんですよ。私たちはそう毎日々々親の機嫌を取っているほど、気楽な身分じゃないんですからね」
 晩方になると、きっとお仕着せを飲ませることに決(きま)っている父親への、酒の支度を疎(おろそ)かにしたといって、小野田がその時も大病人のように二階に寝ていたお島に小言をいった。彼女は筋張った顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)(こめかみ)のところを押えながら、小野田を遣返(やりかえ)した。
 お島はいつもそれが起ると、生死(いきしに)の境にでもあるような苦しみをする月経時の懈(だる)さと痛さとに悶(もだ)えていた。
「それに私はこの体です。とてもお父さんの面倒はみられませんよ」

「そんな事を言ってもいいのか」
 そう言って極(きめ)つけそうな目をして、小野田は疳癪(かんしゃく)が募って来るとき、いつもするように口髭(くちひげ)の毛根を引張っていたが、調子づいて父親を※(「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31)待(もてな)していた彼女に寝込まれたことが、自分にも物足りなかった。
 お島は煩(うるさ)そうに顔を顰(しか)めていたが、小野田が悄々(すごすご)降りていったあとでも、取(とり)つき身上(しんしょう)の苦しさと、自分の心持については、何も知ってくれないような父親の挙動(ふるまい)が腹立しかった。自分にどんな腕と気前とがあるかを見せようとでもするように、紛らされていた利己的な思念が、心の底からむくれ出して来るように感じて、我儘な涙が湧立って来た。
 お島がじっと寝てもいられないような気がして、下へ降りて行ったとき、父親はもう酒をはじめていた。小野田も興がなさそうに傍に坐っていた。
「どうもすみません」
 お島は何もない餉台(ちゃぶだい)の前に坐っている父親の傍へ来て、やっぱり顔を顰めていた。
「私はこの病気が起ると、もうどうすることも出来ないんです。それに家も、これから夏は閑(ひま)ですから、お※(「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31)待(もてな)しをしようと思っても、そうそうは為(し)きれないんです」
「そうともそうとも、それどこじゃない。私(わし)は一時のお客に来たものでないから」
 父親はいつまでも倅夫婦の傍で暮そうとしている自分の心持を、その時も口から洩(もら)したが、お島が積(つも)って燗(つ)ける酒に満足していられないような、強い渇望がその本来の飲慾を煽(あお)って来ると、父親はふらふらと外へ出て、この頃昵(なじ)みになった近所の居酒屋へ入っていくのが、習慣になった。そして家でおとなしく飲んでいられないような野性的な彼の卑しい飲み癖が、一層お島を顰蹙(ひんしゅく)させた。

 山で知合になった人達が、四五人誘いあわせて出て来てから、父親は一層お島たちのために邪魔もの扱いにされた。
 連中のうちには、その頃呼吸器の疾患のため、遊覧旁(かたがた)博士連の診察を受けに来た浜屋の主人もあった。山の温泉宿や、精米所の主人もいた。精米所の主人は、月に一度くらいは急度(きっと)蠣殻町(かきがらちょう)の方へ出て来るのであったが、その時は上さんと子供をつれて来ていた。
 その通知の葉書を受取ったお島は、大きな菓子折などを小僧に持たせて、紋附の夏羽織を着込んで、丸髷(まるまげ)姿で挨拶のために、ある晩方その宿屋を訪ねたが、込合っていたので、連中はこの部屋にかたまって、ちょうど晩酌の膳に向いながら、陽気に高談(たかばなし)をしていた。
「えらい仕揚げたそうだね。そのせいか女振もあがったじゃねえか。好い奥様になったということ」
 精米所の主人は、浴衣(ゆかた)がけで一座の真中に坐っていながら言った。
「御笑談でしょう」
 お島は初(うぶ)らしく顔の赤くなるのを覚えた。
「お蔭でどうか恁(こう)かね。でもまだまだ成功というところへは参りません。何しろ資本のいる仕事ですからね。どうか少しお貸しなすって下さいまし。あなた方はみんな好い旦那方じゃありませんか」
 お島はそう言って、自分の来たために一層浮立ったような連中を笑わせた。
 夜景を見に出るという人達の先に立って、お島も混雑しているその宿を出たが、別れるときに家の方角を能(よ)く教えておいて、広小路まで連中を送った。
「病気って、どこが悪いんです」
 お島はまさかの時には、多少の資本くらいは引出せそうに思えていた浜屋に、二人並んであるいている時訊(たず)ねた。浜屋がその後、ちょくちょく手を出していた山林の売買がいくらか当って、融通が利くと云う噂(うわさ)などを、お島はその土地の仲間から聞伝えている兄に聞いて知っていた。
「どこが悪いというでもないが、肺がちっと弱いから用心しろと言われたから、東京(こちら)で二三専門の博士を詮議(せんぎ)したが、事によったら当分逗留(とうりゅう)して、遊び旁(かたがた)注射でもしてみようかと思う」
「それじゃ奥さんのが移ったのでしょう。私は一緒にならないで可(よ)かったね」
 お島は可怕(こわ)そうに言ったが、やっぱりこの男を肺病患者扱いにする気には成得(なりえ)なかった。
「あんたが肺病になれば、私が看病しますよ。肺病なんか可怕(おっかな)くて、どうするもんですか」
「今じゃそうも行かない。これでも山じゃ死(しの)うとしたことさえあったっけがね」
「おお厭だ」お島は思出してもぞっとするような声を出した。「そんな古いことは言(いい)っこなし。あなたは余程(よっぽど)人が悪くなったよ」

 一日の雑沓(ざっとう)と暑熱に疲れきったような池の畔(はた)では、建聯(たてつらな)った売店がどこも彼処(かしこ)も店を仕舞いかけているところであったが、それでもまだ人足(ひとあし)は絶えなかった。水に臨んだ飲食店では、人が蓄音器に集っていたり、係のものらしい男が、粗野な調子で女達を相手に酒を飲んでいたりした。暗闇の世界に、秘密の歓楽を捜しあるいているような、猥(みだ)らな女と男の姿や笑声が聞えたりした。
 お島はその間を、ふらふらと寂しい夢でも見ているような心持で歩いていた。会場のイルミネーションはすっかり消えてしまって、無気味な広告塔から、蒼(あお)い火が暗(やみ)に流れていたりした。
 浜屋の主人が肺病になったと云うことが、ふと彼女の心に暗い影を投げているのに気がついた。自分の世界が急に寂しくなったようにも感じた。しかし離れているときに考えていたほど、自分がまだあの男のことを考えているとは思えなかった。今のあの男とは全く懸はなれたその頃の山の思出が、微(かす)かに懐(なつか)しく思出せるだけであった。あの時分の若い痴呆(ちほう)な恋が、いつの間にか、水に溶(とか)されて行く紅の色か何ぞのように薄く入染(にじ)んでいるきりであった。
 自分の若い職人が一人、順吉というお島の可愛がって目をかけている小僧と一緒に、熱い仕事場の瓦斯(ガス)の傍を離れて、涼しい夜風を吸いに出ているのに、ふと観月橋の袂(たもと)のところで出会(でっくわ)した。
「どうしたえ、田舎のお爺さんは」お島は順吉に訊ねた。
 二人はにやにや笑っていた。
「今夜も酔っぱらっているんだろう」
「ええ何だかやっぱり外で飲んで来たようでしたよ」
 お島はこの順吉から、父親が自分の嫁振を蔭で非(くさ)して、不平を言っていることなどを、ちょいちょい耳にしていたが、それはその時で、聴流しているのであった。
「私のこったもの、どうせ好くは言われないさ。あの田舎ものにこの上さんの気前なんかわかるものかね」
 お島はそう云って笑っていたが、新しく入って来たものから、世間普通の嫁と一つに見られているのが、侮辱のように感ぜられて腹立しかった。
「お上さん今夜は好いことがあるんだから、何かおごろうか」お島は二人に言った。
「おごって下さい」
「じゃ、みんなおいでおいで」
 お島は先に立って、何か食べさせるような家を捜してあるいた。
「……上さんを離縁しろなんて言っていましたよ」
 風の吹通しな水辺の一品料理屋でアイスクリームや水菓子を食べながら、順吉は話した。
「へえ、そんなことを言っていたかい」お島はそれでも極(きま)りわるそうに紅くなった。
「へん、お気の毒さまだが、舅(しゅうと)に暇を出されるような、そんな意気地なしのお上さんと上さんが異(ちが)うんだ」

 お島が毎日のように呼出されて、市内の芝居や寄席(よせ)、鎌倉や江の島までも見物して一緒に浮々しい日を送っていた山の連中は、田舎へ帰るまでに、一度お島達夫婦のところへも遊びにやって来たが、それらの人々が宿を引揚げて行ってからも、浜屋の主人だけは、お島の世話で部屋借をしていた家から、一月の余(よ)も病院へ通っていた。
 田舎では大した金持ででもあるように、お島が小野田に吹聴しておいた山の客が、どやどややって来たとき――浜屋だけは加わっていなかったが――お島は水菓子にビールなどをぬいて、暑い二階で彼等を※(「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31)待(もてな)したが、小野田も彼等から、商売の資本でも引出し得るかのように言っているお島の言(ことば)を信じて、そこへ出て叮嚀(ていねい)な取扱い方をしていた。
 お島はその一人からは夏のインバネス、他の一人からは冬の鳶(とんび)と云う風に、孰(いずれ)も上等品の註文を取ることに抜目がなかったが、いつでも見本を持って行きさえすれば、山の町でも好い顧客(とくい)を沢山世話するような話をも、精米所の主人が為ていた。
「私がこの旦那方に、どのくらいお世話になったか知れないんです」
 お島はそう言って小野田にも話したが、そこにお島の身のうえについて、何か色っぽい挿話(そうわ)がありそうに、感の鈍い小野田にも想像されるほど、彼等はお島と狎々(なれなれ)しい口の利(き)き方をしていた。
 肉づいた手に、指環などを光(ひから)せている精米所の主人のことを、小野田は山にいた時のお島の旦那か何ぞであったように猜(うたが)って、彼等が帰ったあとで、それをお島の前に言出した。
「ばかなことをお言いでないよ」
 お島は散かったそこらを取片着けながら、紅い顔をして言った。たっぷりした癖のない髪を、この頃一番自分に似合う丸髷に結って、山の客が来てからは、彼女は一層化粧(みじまい)を好くしていた。指環なども、顔の広い彼女は、何処かの宝玉屋から取って来て、見なれない品を不断にはめていた。それが小野田の目に、お島を美しく妬(ねた)ましく見せていた。
「その証拠には、お前は私のおやじがこの席へ顔を出すのを、大変厭がったじゃないか」
 私が出て挨拶をするといって、聴かなかった父親に顔を顰(しか)めて、奥へ引込めておくようにしたお島の仕打を、小野田は気にかけて言出した。
「だって可恥(はずか)しいじゃないか。お前さんの前だけれど、あの御父さんに出られて堪(たま)るもんですか。お前さんの顔にだってかかります」
「昔(むか)しの旦那だと思って、余(あんま)り見えをするなよ」
「人聞きのわるいことを言って下さるなよ」お島は押被(おっかぶ)せるように笑った。「あの人達に笑われますね。それが嘘なら聴いてみるがいい」
「そうでもなくて、あんな者が来たってそんなに大騒ぎをする奴があるかい」
「煩(うるさ)いよ」お島は終(しまい)に呶鳴(どなり)出した。

 暑い東京にも居堪(いたたま)らなくなって、浜屋がその宿を引払って山へ帰るまでに、お島は幾度(いくたび)となくそこへ訪ねて行ったが、彼女はそれを小野田へ全く秘密にはしておけなかった。ちょっと手許(てもと)の苦しい時なぞに、お島は浜屋から時借(ときがり)をして来た金を、小野田の前へ出して、その男がどんな場合にも、自分の言うことを聴いてくれるような関係にあることを、微見(ほのめ)かさずにはいられなかった。
 浜屋はその通(かよ)っている病院で、もう十本ばかり、やってもらった注射にも飽きて、また出るにしても、盆前にはどうしても一度は帰らなければならぬ家の用事を控えている体であったが、お島たち夫婦の内幕が、初め聴いたほど巧く行っていないことが、幾度も逢っているうちに、自然(ひとりで)に彼女の口から洩聞されるので、その事も気にかかっているらしかったが、やっぱり自分の手でそれをどうしようと云う気にもなれないらしかった。
「そんな事を言わずにまあ辛抱するさ」
 お島はその時の調子で、どうかすると心にもない自分の身(み)の上(うえ)談(ばなし)がはずんで、男に凭(もた)れかかるような姿態(ようす)を見せたが、聴くだけはそれでも熱心に聴いている浜屋が、何時でもそういった風の応答(うけごたえ)ばかりして笑っているのが物足りなかった。
「あの時分とは、まるで人が変ったね」お島は男の顔を眺めながら言った。
「変ったのは私ばかりじゃないよ」お島は男がそう云って、自分の丸髷姿をでも見返しているような羞恥(しゅうち)を感じて来た。
「月日がたつと誰でもこんなもんでしょうか」
 お島は二階の六畳で疲れた体を膝掛(ひざかけ)のうえに横(よこた)えている男の傍に坐って、他人行儀のような口を利いていたが、興奮の去ったあとの彼女は、長く男の傍にもいられなかった。
 部屋には薄明い電気がついていた。お島はどうしても直(ぴった)り合うことの出来なくなったような、その時の厭な心持を想出しながら、涼気(すずけ)の立って来た忙しい夕暮の町を帰って来たが、気重いような心持がして、店へ入って行くのが憚(はばか)られた。
「己(おれ)も一度その人に逢っておこう」
 小野田はお島から金を受取ると、そう云って感謝の意を表(あらわ)した。
「可(い)けない可けない」お島はそれを拒んで、「あの人は莫迦(ばか)に内気な人なんです。田舎にもあんな人があるかと思うくらい、温順(おとな)しいんですから、人に逢うのを、大変に厭がるんです」
 小野田はそれを気にもかけなかったが、やっぱりその男のことを聴きたがった。
「それは東京にも滅多にないような好い男よ」お島は笑いながら応えたが、自分にも顔の赧(あか)くなるのを禁じ得なかった。

 避暑客などの雑沓(ざっとう)している上野の停車場(ステーション)で、お島が浜屋に別れたのは、盆少し前の或日の午後であったが、そんな人達が全く引揚げて行ってから、お島たちはまた自分の家のばたばたになっていることに気がついた。
 浜屋はお島に買せた色々の東京土産(みやげ)などを提げこんで、パナマを前のめりに冠(かぶ)り、お島が買ってくれた草履をはいて、軽い打扮(いでたち)で汽車に乗ったのであったが、お島も絽縮緬(ろちりめん)の羽織などを着込んで、結立ての丸髷頭で来ていた。
 足音の騒々しい構内を、二人は控室を出たり入ったりして、発車時間を待っていたが、このステーションの気分に浸っていると、自然(ひとりで)に以前の自分の山の生活が想出せて来て、涙含(なみだぐ)ましいような気持になるのであった。
「どうでしょう。西洋人は活溌(かっぱつ)でいいね」
 日光へでも行くらしい、男女(おとこおんな)の外国人の綺麗(きれい)な姿が、彼等の前を横(よこぎ)って行ったとき、お島は男に別れる自分の寂しさを蹴散(けちら)すように、そう云って、嘆美の声を放った。
「どうだね、一緒に行かないか」
 浜屋は瀬戸物のような美しい皮膚に、この頃はいくらか日焦(ひやけ)がして、目の色も鋭くなっていたが、お島が暫くでも夫婦ものの旅行と見られるのが嬉しいような、目眩(まぶし)いような気持のするほど、それは様子が好かった。
 客車に乗ってからも、お島は窓の前に立って、元気よく話を交えていたが、そのうちに汽車がするする出て行った。
「そのうち景気が直ったら、一度温泉へでも来るさ」
 浜屋は窓から顔を出して、どうかすると睫毛(まつげ)をぬらしているお島に、そんな事を言っていた。
 お島はとぼとぼと構内を出て来たが、やっぱり後髪(うしろがみ)を引(ひか)るるような未練が残っていた。
 盆が来ると、お島は顧客先(とくいさき)への配りものやら、方々への支払やらで気忙(きぜわ)しいその日その日を送っていた。そして着いてから葉書をよこした浜屋のことも忘れがちでいたが、自分たちの不幸な夫婦であったことが、一層判って来たような気がした。お島は時々その事に思い耽(ふけ)っているのであったが、それを小野田に感づかれるのが、不安であった。お島は可恥(はずか)しい自分の秘密な経験を押隠すことを怠らなかった。
 暑い盛に博覧会が閉(とざ)されてから、お島たちの居周(いまわり)の町々には、急に潮がひいたように寂しさが襲って来たと同時に、二人の店にもこれまで紛らされていたような、頽廃(たいはい)の色が、まざまざと目に見えて来た。
 多くの建物の、日に日に壊されて行く上野を、店を支えるための金策の奔走などで、毎日のようにお島は通った。やがてまた持切れそうもない今の家を一思いに放擲(ほうりだ)して了(しま)いたいような気分になっていた。
「ここは縁起がわるいから、私たちはまたどこかで新規蒔直(まきなお)しです」
 ここへ引移って来てから、貸越の大分たまって来ている羅紗(らしゃ)の仲買などに、お島は投出したような棄鉢(すてばち)な調子で言っていた。

 本郷の通りの方で、第四番目にお島たちが取着いて行った家を、すっかり手を入れて、洋風の可也(かなり)な店つきにすると同時に、棚(たな)に羅紗などを積むことができたのは、それから二三年もたって、店の名が相応に人に知られてからであったが、最初二人がそこへ引移っていった時には、店へ飾るものといっては何一つなかった。
 愛宕(あたご)時代に傭(やと)ったのとは、また別の方面から、お島が大工などを頼んで来たとき、二人の懐(ふとこ)ろには、店を板敷にしたり、棚を張ったりするために必要な板一枚買うだけの金すらなかったのであったが、新しいものを築き創(はじ)めるのに多分の興味と刺戟(しげき)とを感ずる彼女は、際(きわ)どいところで、思いもかけない生活の弾力性を喚起(よびおこ)されたりした。
「面倒ですから、材料も私(あっし)の方から運びましょうか」
 父親の縁故から知っている或叩(たた)き大工のあることを想出して、そこへ駈(かけ)つけていった彼女は、仕事を拡張する意味で普請を嘱(たの)んだところで、彼は呑込顔にそう言って引受けた。
「そうしてもらいましょうよ。私達は材料を詮議(せんぎ)している隙(ひま)なんかないんだから」
 材木がやがて彼等の手によって、車で運びこまれた。
「どうです、訳あないじゃありませんか」
 大工が仕事を初めたところで、釘(くぎ)をすら買うべき小銭に事かいていたお島は、また近所の金物屋から、それを取寄せる智慧(ちえ)を欠かなかった。
「これから普請の出来あがるまで、何かまたちょいちょい貰(もら)いに来るのに、一々お金を出すのも面倒ですから、お帳面にしておいて下さいよ。少しばかりお手つけをおいてきましょう」
 お島は夜を待つまもなく、小僧の順吉に脊負(しょ)いださせた蒲団(ふとん)に替えた、少(すこし)ばかりの金のうちから、いくらか取出してそれを渡した。その蒲団は、彼女が鶴さん時代から持古している銘仙ものの代物(しろもの)であった。
「乗るか反(そ)るか、お上さんはここで最後の運を試すんだよ」
 萌黄(もえぎ)の風呂敷に裹(つつ)んだその蒲団を脊負いださせるとき、お島は気嵩(きがさ)な調子で、その時までついて来た順吉を励(はげま)した。
「お前もその意(つもり)でやっておくれ。この恩はお上さん一生忘れないよ」
 涙含(なみだぐ)んだような顔をして、それを脊負って行く順吉のいじらしい後姿を見送っているお島の目には、涙が入染(にじ)んで来た。
「どうでしょう。職人は小(ちいさ)い時分から手なずけなくちゃ駄目だね。順吉だけは、どうか渡職人(わたりじょくにん)の風(ふう)に染(し)ましたくないもんだ。それだけでも私たちは茫然(ぼんやり)しちゃいられない」
 お島は大工の仕事を見ている、小野田の傍へ来て呟(つぶや)いた。
 表では大工が、二人ばかりの下を使って、せっせっと木拵(きごしら)えに働いていた。

 あらかた出来あがったところで、大工の手を離れた店の飾窓や、入口の戸(ドア)に張るべき硝子(ガラス)を、お島が小野田に言われて、根津に家を持ったときから顔を知られている或硝子屋へ懸けあいに行ったのは、それから間もなくであった。
 お島はその日も、新しい店を持った吹聴かたがた、朝から顧客(とくい)まわりをして、三時頃にやっと帰って来たが、夏場はどこでも註文がなくて、代りに一つ二つの直しものを受取ったきりであった。
 外は黄熟(おうじゅく)した八月の暑熱が、じりじり大地に滲透(しみとお)るようであった。蝉(せみ)の声などのまだ木蔭に涼しく聞かれる頃に、家を出ていった彼女は、行く先々で、取るべき金の当がはずれたり、主(あるじ)が旅行中であったりした。古くからの昵(なじ)みの家では、彼女は病気をしている子供のために、氷を取替えたり、団扇(うちわ)で煽(あお)いだりして、三時間も人々に代って看護をしていたりして、目がくらくらするほど空腹を感じて来た頃に、家へ帰って来たのであった。
 家では大工がみんな昼寝をしていた。小野田もミシン台をすえた奥の六畳の涼しい窓の下で、横わっていた。
 お島はそこらをがたぴし言わせて、着替などをしていた。根津の家を引払う前に、田舎へ還してしまった父親の毎日々々飲みつづけた酒代の、したたか滞っている酒屋の註文聞の一人に、途中で出逢って、自分の方からその男に声をかけて来なければならなかったことなどが、一層彼女の頭脳(あたま)をむしゃくしゃさせていた。小野田がその父親を呼寄せさえしなければ、あの家もどうか恁(こう)か持続けて行けたように考えられた。あの飲んだくれのために、どのくらい自分の頭脳が掻廻(かきまわ)され、働きが鈍らされたか知れないと思った。
「撲(ぶち)のめしても飽足りない奴だ」
 お島は、酔ったまぎれに自分を離縁しろといって、小野田を手甲擦(てこず)らせていたと云う父親の言分から、内輪が大揉(おおも)めにもめて、到頭田舎へ帰って行くことになった父親に対する憎悪が、また胸に燃えたって来るのを覚えた。小野田の寝顔までが腹立しく見返えられた。
「せっせと仕事をして下さいよ。莫迦みたいな顔して寝ていちゃ困りますよ」
 小野田が薄目をあいて、ちろりと彼女の顔を見たとき、お島はいらいらした声で言った。
 お島は台所で飯を食べている時分に、やっと小野田はのそのそ起出して来た。
「仕事々々って、そうがみがみ言ったって仕事ができるもんじゃないよ」
 小野田は火鉢の傍へ来て、莨(たばこ)をふかしはじめながら、まだ眠足(ねむりた)りないような赭(あか)い目をお島の方へ向けた。
「それよりか硝子の工面もしなければならず、店だって飾なしにおかれやしない」
「知らないよ、私は。自分でもちっと心配するがいいんだ」お島は言返した。

 小野田はそこへ脱ぎっぱなしにしたお島の汗ばんだ襦袢(じゅばん)や帯が目に入ったり、不断著を取出すために引掻(ひっかき)まわした押入のどさくさした様子などを見ると、とても世帯は持てない女だといって、自分のために離縁を勧めた父親の辞(ことば)が思い出された。
「技倆(はたらき)があるか何だか知らんが、まあ大変なもんだ。とても女とは思えんの」
 そうも言って、荒いお島の調子に驚いていた父親の善良そうな顔も思出された。
「朝から出て、あれは一日どこを何をして歩いてるだい」
 父親はそうも言って、不思議がったが、お島自身に言わせると、朝は誰かが台所働きをしてくれて、気持よく家を出なければ、とても調子よく外で働くことはできないというのであった。帰って来た時にも、自分を迎えてくれる衆(みんな)の好い顔をでも見なければ埋らないと言うのであった。それで小野田は順吉と一緒に、どうかすると七輪に火をおこしたり、漬物桶(つけものおけ)へ手を入れたりすることを行(や)っているのであったが、お島が一人で面白がってやっている顧客(とくい)まわりも、集金の段になってくると、やっぱり小野田自身が出て行くより外ないようなことが多かった。
 夕方にお島は機嫌を直して、硝子屋の方へ出て行った。
「この店さえ出来あがれば、少し資本を拵(こしら)えて、夏の末には己が新趣向の広告をまいて、有(あら)ゆる中学の制服を取ろうと思っている」
 小野田はそう言って、この頃から考えていた自分の平易で実行し易(やす)いような企劃(もくろみ)をお島に話した。
「それには女唐服(めとうふく)を着て、お前が諸学校へ入込んで行かなければならぬのだがね」
「駄目です駄目です。制服なんかやったって、どれだけ儲かるもんですか」
 そんな際物(きわもの)仕事が、自分の顔にでもかかるか何かのように考えているお島は、そう言って反抗したが、好い客を惹着(ひきつ)けるような立派な場所と店と資本とをもたない自分達に取っては、そうでもして数でこなすより外ないことを小野田は主張した。
 学生相手の確(たしか)なことはお島も知っていた。洋服姿で、若い学生だちの集りのなかへ入って行く自分の姿を想像するだけでも、彼女は不思議な興味を唆(そそ)られた。
「そうすると、お前の顔は直きに学生仲間に広まってしまうよ」
 小野田はその妻や娘を売物にすることを能(よ)く知っている、思附のある興行師か何ぞのような自分の計劃(けいかく)で、成功と虚栄に渇(かわ)いている彼女を使嗾(しそう)する術を得たかのように、自信のある目を輝かしていた。
「ふむ」お島は自分がいつからかぼんやり望んでいたことを、小野田が探りあててくれたような興味を感じた。男が頼もしい悧巧(りこう)もののように思えて来た。
「それは確(たしか)にあたるね」お島はそういって賛成した。

 横浜に店を出している知合いの女唐服屋で、お島が工面した金で自分の身装(みなり)をすっかり拵(こしら)えて来たのは、それから大分たってからであった。
 新築の家はすっかり出来あがって、硝子もはまった飾窓に、小野田が柳原から見つけて買って来た古い大礼服の金モオルなどが光っていた。
 一度姿見を買ったことのある硝子屋では、主人はその申込を最初は断ったが、お島のことを知っている息子(むすこ)が、自分で引受けて要(い)るだけの硝子を入れてくれた。
「老爺(おやじ)はああいいますけれど、お上さんの気前を買って、私がお貸し申しましょう。だから入れられるだけ入れてみて下さい。倒されればそれまでです」
 そしてその翌朝、彼は小僧と一緒に硝子を運びこんで、それを飾窓や入口のドアなどに切はめてくれた。
「お前さんは若いにしては感心だよ。そう云う風に出られると、誰だって贔屓(ひいき)にしないじゃいられないからね。また好いお得意をどっさり世話してあげますよ」
 お島はそう言って、その硝子屋を還した。
 看板を書くために、ペンキ屋が来たり、小野田が自転車で飛して、方々当ってみてあるいた羅紗のサンプルが持込まれたり、スタイルの画見本の額が、店に飾られたりした。
 白い夏の女唐服に、水色のリボンの捲(ま)かれた深い麦稈(むぎわら)帽子を冠(かぶ)って、お島が得意まわりをしはじめるようになったのは、それから大分たってからであった。
「どうです、似合いますか」などと、お島は姿見の前を離れて、その頃また来ることになった木村という職人や小野田の前に立った。コルセットで締つけられた、太い胴が息がつまるほど苦しかった。皮膚の汚点(しみ)や何かを隠すために、こってり塗りたてた顔が、凄艶(せいえん)なような蒼味(あおみ)を帯びてみえた。
「莫迦(ばか)に若くみえるね。少くとも布哇(ハワイ)あたりから帰って来た手品師くらいには踏めますぜ」木村は笑った。
 お島はその身装(なり)で、親しくしているお顧客(とくい)をまわって行った。その中には若い歯科医や弁護士などもあった。
「どこの西洋美人がやって来たかと思ったら、君か」
 途中で行逢った若い学生たちは、そういって不思議な彼女の姿に目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)った。
「その身装(なり)で、ぜひ僕んとこへもやって来てくれたまえ」
 彼等の或者は、肉づきの柔かい彼女の手に握手をして、別れて行ったりした。
「洋服はばかに評判がいいんですよ」
 お島は日の暮に帰って来ると、急いで窮屈なコルセットをはずしてもらうのであったが、薄桃色肉のぽちゃぽちゃした体が、はじめて自分のものらしい気がした。
 小野田は色々の学校へ新(あらた)に入学した学生たちの間に撒(ま)くべき、広告札の意匠などに一日腐心していた。

 時間割表などの刷込まれた、二つ折小形のその広告札を、羅紗(らしゃ)の袋に入れて、お島は朝早く新入生などの多く出入(ではいり)する学校の門の入口に立った。
「どうぞどっさりお持くださいまし。そして皆さん方へも、お拡めなすって下さいまし」お島はそう云って、それを彼等の手に渡した。
「私(わたくし)どもでは皆さんの御便宜を図って、羅紗屋と特約を結んで、精々勉強いたしますから、どうぞ御贔屓に……スタイルも極(ごく)斬新(ざんしん)でございます」彼女はそうも云って、面白そうに集ってくる若い人達の心を惹着(ひきつ)けた。
「安いね」
「洋行がえりの洋服屋だとさ」
 学生たちは口々に私語(ささや)きあった。
「おいおい、引札を撒(ま)くことは止めてもらおう。此方(こちら)ではそれぞれ規定の洋服屋があるから」
 門番や小使たちは、学生の手から校庭へ撒棄てられる引札を煩(うるさ)がって、彼女を逐攘(おいはら)おうとした。
 お島は時とすると、札(さつ)を二三枚ポケットから取出して、彼等の手に渡した。そして学校の事務員にまで取入ることを怠らなかった。
「品物を好くして、安く勉強すると云うなら、どこで拵えるのも同じだから、学生を勧誘するのも君の自由だがね」
 事務員はそう云って、彼女の出入(しゅつにゅう)に黙諾を与えてくれたりした。
 広い運動場に集っている生徒のなかへ、お島の洋服姿が現れて行った。
 時には一つの学校から、他の学校へ彼女は腕車(くるま)を飛しなどして、せり込んで行く多くの同業者と劇(はげ)しい競争を試みることに、深い興味を感じた。
 小野田や職人たちが、まだぐっすり眠っているうちに、お島は床を離れて、化粧(おつくり)をするために大きい姿見の前に立った。そして手ばしこくコルセットをはめたり、漸(ようや)く着なれたペチコオトを着けたりした。洋服がすっかり体に喰(く)っついて、ぽちゃぽちゃした肉を締つけられるようなのが、心持よかった。そして小(ちいさ)いしなやかな足に、踵(かかと)の高い靴をはくと、自然(ひとりで)に軽く手足に弾力が出て来て、前へはずむようであった。ぞべらぞべらした日本服や、ぎごちない丸髷姿では、とても入って行けない場所へ、彼女の心は、何の羞恥(しゅうち)も億劫(おっくう)さも感ずることなしに、自由に飛込んで行くことができた。
 朝おきると、懈(だる)い彼女の体が、直(じき)にそれらの軽快な服装を要求した。不思議なほど気持の引締ってくるのを覚えた。朝露にまだしっとりとしているような通りを、お島は一朝でも、洋服で出て行かない日があると、一日気分が悪かった。
 自転車で納めものを運んで行く小野田が、どうかすると途中で彼女の側へ寄って来た。
「惜い事には丈(たけ)が足りないね」
 小野田は胴幅(どうはば)などの広い彼女の姿を眺めながら言った。
「どうせ労働服ですもの、様子なんぞに介意(かま)っていられるもんですか」
 二人は暫く歩きながら話した。

 月が十月へ入ってから、撒いておいた広告の著しい効験(ききめ)で、冬の制服や頭巾(ずきん)つきの外套(がいとう)の註文などが、どしどし入って来た。その頃から工場には職人の数も殖えて来た。徒歩の目弛(まだる)いのに気を腐(くさら)していたお島は、小野田の勧めで、自転車に乗る練習をはじめていた。
 晩方になると、彼女は小野田と一緒に、そこから五六丁隔(へだた)った原っぱの方へ、近所で月賦払いで買入れた女乗の自転車を引出して行った。一月(ひとつき)の余(よ)も冠った冠物(かぶりもの)が暑い夏の日に焦(や)け、リボンも砂埃に汚れていた。お島はその冠物の肩までかかった丸い脊を屈(こご)めて、夕暗のなかを、小野田についていて貰(もら)って、ハンドルを把(と)ることを学んだ。
 近いうちに家が建つことになっているその原には、桐(きり)の木やアカシヤなどが、昼でも涼しい蔭を作っていた。夏草が菁々(せいせい)と生繁(おいしげ)って、崖のうえには新しい家が立駢(たちなら)んでいた。
 そこらが全く夜(よる)の帷(とばり)に蔽(おお)い裹(つつ)まるる頃まで、草原を乗まわしている、彼女の白い姿が、往来の人たちの目を惹(ひ)いた。
 木の蔭に乗物を立てかけておいて、お島は疲れた体を、草のうえに休めるために跪坐(しゃが)んだ。裳裾(もすそ)や靴足袋(くつたび)にはしとしと水分が湿(しと)って、草間(くさあい)から虫が啼(な)いていた。
 お島はじっとり汗ばんだ体に風を入れながら、鬱陶しい冠(かぶり)ものを取って、軽い疲労と、健やかな血行の快い音に酔っていた。腿(もも)と臀部(でんぶ)との肉に懈(だる)い痛みを覚えた。小野田は彼女の肉体に、生理的傷害の来ることを虞(おそ)れて、時々それを気にしていたが、自転車で町を疾走するときの自分の姿に憧(あこが)れているようなお島は、それを考える余裕すらなかった。
「少しくらい体を傷(いた)めたって、介意(かま)うもんですか。私たちは何か異(かわ)ったことをしなければ、とても女で売出せやしませんよ」
 お島はそう言って、またハンドルに掴まった。
 朝はやく、彼女は独(ひとり)でそこへ乗出して行くほど、手があがって来た。そして濛靄(もや)の顔にかかるような木蔭を、そっちこっち乗りまわした。秋らしい風が裾に孕(はら)んで、草の実が淡青く白(しろ)い地(じ)についた。崖のうえの垣根から、書生や女たちの、不思議そうに覗(のぞ)いている顔が見えたりした。土堤(どて)の小径(こみち)から、子供たちの投げる小石が、草のなかに落ちたりした。
「おそろしい疲れるもんですね」
 一月(ひとつき)ほどの練習をつんでから、初めて銀座の方へ材料の仕入に出かけて行って、帰って来たお島は、自転車を店頭(みせさき)へ引入れると、がっかりしたような顔をして、そこに立っていた。
「須田町から先は、自分ながら可怕(おっかな)くて為様(しよう)がなかったの。だけど訳はない。二三度乗まわせば急度(きっと)平気になれます」お島は自信ありそうに言った[#「言った」は底本では「言つた」]。

 忙(いそが)しいその一冬を自転車に乗づめで、閑(ひま)な二月が来たとき、お島は時々疑問にしていながら、診てもらうのを厭(いや)がっていた、自分の体をふとした機会から、病院で医者に診せた。
「……毛がすっかり擦切れてしまったところを見ると、余程(よっぽど)毒なもんですね」
 お島はそう言って、そこを小野田に見せたりなどしていたが、それはそれで真(ほん)の外面の傷害に過ぎないらしかった。
 その病院では、お島の親しい歯科医の細君が、腹部の切開で入院していた。そこへお島は時々見舞に行った。
 そんなところへも自分の商売を広告するつもりで、看護婦や下足番などへの心づけに、切放(きれはな)れの好いお島は、直に彼等とも友達になったが、一二度体を診てもらううちに、親しい口を利(き)きあう若い医師が、二人も三人もできた。
 段々肥立(ひだ)って来た、売色(くろうと)あがりの細君の傍で、お島は持って行った花を花瓶(かびん)に挿(さ)したり、薄くなった頭髪(あたま)に櫛(くし)を入れて、束(つく)ねてやったりして、半日も話相手になっていた。
「どう云うんでしょう、私の体は……」
 お島は看護婦などのいる傍で、いつかも印判屋の上さんに訊(たず)ねたと同じことを言出した。
「夫婦の交際(まじわり)なんてものは、私にはただ苦しいばかりです。何の意味もありません」
「それは貴女(あなた)がどうかしてるのよ」
 患者は日ましに血色のよくなって来た顔に、血の気のさしたような美しい笑顔を向けて、お島の顔を眺めた。
「でも可笑(おかし)いんですの。こんなことを言うのは、自分の恥を曝(さら)すようなもんですけれど、実際あの人が変なんです」
 お島は紅い顔をして言った。
「ええ、そんな人も千人に一人はありますね」
 お島が診てもらった医者に、それを言出すほど気がおけなくなったとき、彼はそう言って笑っていた。
 位置が少し変っているといわれた自分の体を、お島はそれまでに、もう幾度(いくたび)も療治をしてもらいに通ったのであった。
「当分自転車をおやめなさい。圧迫するといけない」
 お島は苦しい療治にかかった最初の日から、そう言われて毎日和服で外出(そとで)をしていた。
 長いお島の病院がよいの間、小野田が、多く外まわりに自転車で乗出した。
 顧客(とくい)先で、小野田が知合になった生花(はな)の先生が出入(ではい)りしたり、蓄音器を買込んだりするほど、その頃景気づいて来ていた店の経済が、暗いお島などの頭脳(あたま)では、ちょと考えられないほど、貸や借の紛紜(こぐらかり)が複雑になっていたが、それはそれとして、身装(みなり)などのめっきり華美(はで)になった彼女は、その日その日の明い気持で、生活の新しい幸福を予期しながら、病院の門を潜(くぐ)った。

 小野田は時々外廻りに歩いて、あとは大抵店で裁(たち)をやっていたが、隙(すき)がありさえすれば蓄音器を弄(いじ)っていた。楽遊(らくゆう)や奈良丸(ならまる)の浪華節(なにわぶし)に聴惚(ききほ)れているかと思うと、いつかうとうと眠っているようなことが多かった。
 しげしげ足を運んでくる生花(はな)の先生は、小野田が段々好いお顧客(とくい)へ出入(ではい)りするようになったお島に習わせるつもりで、頼んだのであったが、一度も花活(はないけ)の前に坐ったことのない彼女の代りに、自身二階で時々無器用な手容(てつき)をして、ずんどのなかへ花を挿(さ)しているのを、お島は見かけた。
 もと人の妾などをしていたと云う不幸なその女は、どうかすると二時間も三時間も遊んで帰ることがあった。上方(かみがた)に近い優しい口の利き方などをして、名古屋育ちの小野田とはうまが合っていた。
「私だって偶(たま)には逆様(さかさ)にお花も活(い)けてみとうございますよ」
 外から帰って、ふと二階の梯子(はしご)をあがって行くお島の耳に、その日も午(ひる)から来て話込んでいたその年増(としま)の媚(なま)めかしい笑い声が洩(も)れ聞えた。嫉妬(しっと)と挑発とが、彼女の心に発作的におこって来た。
 女が帰って行くとき、お島はいきなり帳場の方から顔を出して行った。
「お気毒(きのどく)さまですがね、宅(たく)はお花なんか習っている隙(ひま)はないんですから、今日きり私(わたくし)からお断りいたします」
 お島は硬(こわ)ばった神経を、強(し)いておさえるようにして、そう言いながら謝礼金の包を前においた。
 もう三十七八ともみえる女は、その時も綺麗に小皺(こじわ)の寄った荒(すさ)んだ顔に薄化粧などをして、古いお召の被布姿(ひふすがた)で来ていたが、お島の権幕に怯(お)じおそれたように、悄々(すごすご)出ていった。
「この莫迦!」
 二階へ駈(かけ)あがって往ったお島は、いきなり小野田に浴せかけた。毎日鬢(びん)や前髪を大きくふっくらと取った丸髷(まるまげ)姿で出ていた彼女は、大きな紋のついた羽織もぬがずに、外眦(めじり)をきりきりさせてそこに突立っていた。
「髯(ひげ)なんかはやして、あんなものにでれでれしているなんて、お前さんも余程(よっぽど)な薄野呂(うすのろ)だね」
 お島はそう言いながら、そこにあった花屑(はなくず)を取あげて、のそりとしている小野田の顔へ叩(たた)きつけた。吊(つり)あがったような充血した目に、涙がにじみ出ていた。
「何をする」
 小野田も怒りだして、そこにあった水差を取ってお島に投げつけた。彼女の御召の小袖から、水がだらだらと垂れた。
 負けぬ気になって、お島も床の間に活かったばかりの花を顛覆(ひっくらか)えして、へし折りへし折りして小野田に投(ほう)りつけた。
 劇(はげ)しい格闘が、直(じき)に二人のあいだに初まった。小野田が力づよい手を弛(ゆる)めたときには、彼女の鬢(びん)がばらばらに紊(ほつ)れていた。そうして二人は暫く甘い疲労に浸りながら、黙って壁の隅っこに向きあって坐っていた。

 二人が階下(した)へおりていったのは、もう電燈の来る時分であった。病院通いをするようになってから、可恐(おそろ)しいものに触れるような気がして、絶えて良人(おっと)の側へ寄らなかった彼女は、その時も二人の肉体に同じような失望を感じながら、そこを離れたのであった。
「あなたは別に女をもって下さい」
 お島はそう言って、根津にいた頃近所の上さんに勧められて、小野田が時々逢ったことのある女をでも、小野田に取戻そうかとさえ考えていた。
「そうでもしなければ、とてもこの商売はやって行けない」お島はそうも考えた。
 産れが好いとかいわれていたその女は、ここへ引越してからも、一二度店頭(みせさき)へ訪ねて来たことがあったが、お島はそれの始末をつけるために、砲兵工廠(こうしょう)の方へ通っている或男を見つけて、二人を夫婦にしてやったのであった。
 小野田がどうかすると、その女のことを思い出して、裏店住(うらだなずま)いをしている、戸崎町の方へ訪ねて行くことを、お島もうすうす感づいていた。
「あの女はどうしました」
 お島は思出したように、それを小野田に訊ねたが、その頃は食物屋(たべものや)などに奉公していた当座で、いくらか身綺麗にしていた女は、亭主持になってからすっかり身装(みなり)などを崩しているのであった。
「いくら向うに未練があったって、あの頃とは違いますよ。亭主のあるものに手を出して、呶鳴込(どなりこ)まれたらどうするんです」
 小野田がまだ全く忘れることのできないその女のことを口にすると、お島はそう言って窘(たしな)めたが、別れてからも、小野田に執着を持っている女を不思議に思った。
「あいつの亭主は、そんな事を怒るような男じゃない、おれがあいつの世話をしていたことも、ちゃんと知っていて、今でもそういうことには無神経でいるんだ」
 小野田はそう言って笑っていた。
 二三日前から、また時々自転車で乗出すことにしていたお島が、ある晩九時頃に家へ帰って来ると、女から、呼出をかけられて、小野田は家にいなかった。
「どこへ行ったえ」
 お島は何のことにも能(よ)く気のつく順吉に、私(そっ)とたずねた。
「白山(はくさん)から来たと云って、若(わか)い衆(しゅ)が手紙を持って、迎いに来ましたよ。私(あっし)が取次いだんだから、間違いはありません」
 順吉はそう云って、まだ洋服もぬがずにいるお島の血相のかわった顔を眺めていた。
「じゃまた何処かで媾曳(あいびき)してるんだろうよ。上さん今夜こそは一つ突止めてやらなくちゃ……」
 お島は急いでコルセットなどを取はずすと、和服に着替えて、外へ飛出していった。時々小野田の飲みに行く家を彼女は思出さずにはいられなかった。

 秘密な会合をお島に見出(みいだ)されたその女は、その時から頭脳(あたま)に変調を来して、幾夜かのあいだお島たちの店頭(みせさき)へ立って、呶鳴(どな)ったり泣いたりした。
 女はお島に踏込まれたとき、真蒼(まっさお)になって裏の廊下へ飛出したのであったが、その時段梯子(だんばしご)の上まで追っかけて来たお島の形相の凄(すご)さに、取殺されでもするような恐怖(おそれ)にわななきながら、一散に外へ駈出した。
「この義理しらずの畜生!」
 お島は部屋へ入って来ると、いきなり呶鳴りつけた。野獣のような彼女の体に抑えることが出来ない狂暴の血が焦(や)けただれたように渦をまいていた。
 締切ったその二階の小室(こま)には、かっかと燃え照っている強い瓦斯(ガス)の下に、酒の匂(にお)いなどが漂って、耳に伝わる甘い私語(ささやき)の声が、燃えつくような彼女の頭脳(あたま)を、劇しく刺戟(しげき)した。白い女のゴム櫛(ぐし)などが、彼女の血走った目に異常な衝動を与えた。
 手に傷などを負って、二人がそこを出たときには、春雨のような雨が、ぼつぼつ顔にかかって来た。
 まだ人通りのぼつぼつある、静かな春の宵に、女は店頭(みせさき)へ来て、飾窓の硝子(ガラス)に小石を撒(ま)きちらしたり、ヒステリックな蒼白い笑顔を、ふいにドアのなかへ現わしたりした。
「お上さんはいるの」
 女は臆病らしく奥口を覗(のぞ)いたりした。
「旦那をちょっと此処(ここ)へ呼んで下さいな」
 女はそう言って、しつこく小僧に頼んだ。
 小僧は面白そうに、にやにや笑っていた。
「旦那は今いないんだがね、お前さんも亭主があるんだから、早く帰って休んだら可(い)いだろう」
 お島は側へ来て、やさしく声かけた。そして幾許(いくら)かの金を、小い彼女の掌に載せてやった。
 女はにやにやと笑って、金を眺めていたが、投げつけるようにしてそれを押戻した。
「わたしお金なんか貰いに来たのじゃなくてよ。私を旦那に逢わしてください」
 女はそこを逐攘(おっぱら)われると、外へ出ていつまでもぶつぶつ言っていた。そして男の帰って来るのを待っているか何ぞのように其処(そこ)らをうろうろしていた。
「そっちに言分があれば、此方(こっち)にだって言分がありますよ」
 亭主から頼まれたと云って、四十左右(そう)の遊人風の男が、押込んで来たとき、お島はそう言って応対した。そして話が込入って来たときに、彼女の口から洩れた、伯父の名が、その男を全くその談(はなし)から手を引かしめてしまった。顔利(かおきき)であった伯父の名が、世話になったことのあるその男を反対に彼女の味方にして了(しま)うことができた。

 親思いの小野田が、田舎ではまだ物珍しがられる蓄音器などをさげて、根津の店が失敗したおりに逐返(おいかえ)したきりになっている、父親を悦(よろこ)ばせに行った頃には、彼が留守になっても差閊(さしつか)えぬだけの、裁(たち)の上手な若い男などが来ていた。
 知った職人が、この頃小野田の裁を飽足らず思っているお島に、その男を周旋したのは、間服(あいふく)の註文などの盛んに出た四月の頃であったが、その職人は、来た時からお島の気に入っていた。
 自分でも店を有(も)ったりした経験のある、その職人は、最近に一緒にいた女と別れてそれまで持っていた世帯(しょたい)を畳んで、また職人の群へ陥(お)ちて来たのであったが、悪いものには滅多に剪刀(はさみ)を下(くだ)そうとしない、彼の手に裁たれ、縫わるる服は、得意先でも評判がよかった。おっつけ仕事を間に合すことのできないその器用な遅い仕事振を、お島は時々傍から見ていた。体つきのすんなりしたその様子や、世間に明いその男は、お島たちの見も聞きもしたことのないような世界を知っていたが、親しくなるにつれて小野田と酒などを飲んでいるときに、ちょいちょい口にする自分自身の情話などが、一層彼女の心を惹(ひ)いた。
「こんな仕事を私にさせちゃ損ですよ」
 彼はそう云って、どんな忙(いそが)しい時でも下等な仕事には手をつけることを肯(がえん)じなかった。
「それじゃお前さんは貧乏する訳さね」
 お島も躯(からだ)の弱いその男を、そんな仕事に不断に働かせるのを、痛々しく思った。
「それにお前さんは人品がいいから、身が持てないんだよ」
 お島は話ぶりなどに愛嬌(あいきょう)のあるその男の傍にすわっていると、自然(ひとりで)に顔を赧(あか)くしたりした。黒子(ほくろ)のような、青い小(ちいさ)い入墨が、それを入れたとき握合った女とのなかについて、お島に異様な憧憬(しょうけい)をそそった。
「いくつの時分さ」
 お島はその手の入墨を発見したとき、耳の附根まで紅くして、猥(みだら)な目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)った。男はえへらえへらと、締(しまり)のない口元に笑った。
「あっしが十六ぐらいのときでしたろう」
「その女はどうしたの」
「どうしたか。多分大阪あたりにいるでしょう。そんな古い口は、もう疾(とっく)のむかしに忘れっちゃったんで……」
 暮に彼の手によって、濁ったところへ沈められた若い女のことが、まだ頭脳(あたま)に残っていた。
「そんな薄情な男は、私は嫌(きら)いさ」
 お島はそう言って笑ったが、男がその時々に、さばさばしたような気持で、棄てて来た多くの女などに関する閲歴が、彼女の心を蕩(とろ)かすような不思議な力をもっていた。
 蓄音器に、レコードを取かえながら、薄ら眠い目をしている小野田の傍をはなれて、お島はその男と、そんな話に耽(ふけ)った。

 小野田が田舎へ立ってから間もなく、急に浜屋に逢う必要を感じて来たお島が、その男に後を頼んで、上野から山へ旅立ったのは、初夏(はつなつ)のある日の朝であった。
 病院で躯(からだ)の療治をしてからのお島は、先天的に欠陥のない自分の肉体に確信が出来たと同時に、今まで小野田から受けていた圧迫の償いをどこかに求めたい願いが、彼女の頭脳(あたま)に色々の好奇な期待と慾望とを湧かさしめた。いつからか朧(おぼろ)げに抱(いだ)いていた生理的精神的不満が、若いその職人のエロチックな話などから、一層誘発されずにはいなかった。
 そしてそれを考えるときに、彼女はその対象として、浜屋を心に描いた。
「あの人に一度逢って来よう。そして自分の疑いを質(ただ)そう」
 お島はそれを思いたつと、一日も早くその男の傍へ行って見たかった。
 一つはそれを避けるために田舎へ帰った小野田がいなくなってからも、まだ時々店頭(みせさき)へ来て暴れたり呶鳴(どな)ったりする狂女が、巣鴨(すがも)の病院へ送込まれてから、お島はやっと思出の多いその山へ旅立つことができた。
 全く色情狂に陥ったその女は、小野田が姿を見せなくなってからは、一層心が狂っていた。そして近所の普請場から鉋屑(かんなくず)や木屑をを拾い集めて来て、お島の家の裏手から火をかけようとさえするところを、見つけられたりした。
 近所の人だちの願出(ねがいいで)によって、警察へ引張られた彼女が、梁(はり)から逆さにつられて、目口へ水を浴せられたりするところを、お島も一度は傍で見せつけられた。
「水をかけられても、目をつぶらないところを見ると、これは確(たしか)に狂気(きちがい)です」
 責道具などの懸けられてあるその室で、お島は係の警官から、笑いながらそんな事を言われた。
「私は二三日で帰って来ますからね、留守をお頼み申しますよ」
 お島は立つ前の晩にも、その職人に好きな酒を飲ませたり、小遣(こづかい)をくれたりして頼んだ。
「多分それまでに帰ってくるようなことはないだろうと思うけれど、偶然(ひょっ)として良人(うち)が帰って来たら、巧(うま)い工合に話しておいて下さいよ。前(せん)に縁づいていた人のお墓参りに行ったとそう言ってね」
 お島は顔を赧(あか)らめながら言った。
「可(よ)ござんすとも。ゆっくり行っておいでなさいまし」
 その男はそう言って潔(きよ)く引受けたが、胡散(うさん)な目をして笑っていた。
「真実(ほんとう)にわたし恁(こ)ういう人があるんです」
 お島は終(しま)いにそれを言出さずにはいられなかった。
「けどこれだけはあの人には秘密ですよ」

 博覧会時分に上京して来た、山の人たちに威張って逢えるだけの身のまわりを拵(こしら)えて、お島があわただしい思いで上野から出発したのは、六月の初めであった。
 四五年前に、兄に唆(そその)かされて行った頃の暗い悲しい心持などは、今度の旅行には見られなかったが、秘密な歓楽の果(み)をでも偸(ぬす)みに行くような不安が、汽車に乗ってからも、時々彼女の頭脳(あたま)を曇らした。
 汽車の通って行く平野のどこを眺めても、昔(むか)しの記憶は浮ばなかった。大宮だとか高崎だとかいうような、大きなステーションへ入るごとに、彼女は窓から首を出して、四下(あたり)を眺めていたが、しばらく東京を離れたことのない彼女には、どこも初めてのように印象が新しかった。高崎では、そこから岐(わか)れて伊香保(いかお)へでも行くらしい男女(おとこおんな)の楽しい旅の明い姿の幾組かが、彼女の目についた。蓄音器をさげて父親を悦(よろこ)ばせに行った小野田が思出された。不恰好(ぶかっこう)な洋服を着たり、自転車に乗ったりして、一年中働いている自分が、都(すべ)て見くびっているつもりの男のために、好い工合に駆使されているのだとさえしか思われなかった。
「わたしは莫迦だね。浜屋に逢いに行くのにさえ、こんなに気兼をしなくてはならない。あの人はこれまでに、私に何をしてくれたろう」
 お島は口を利くものもない客車のなかで、静かに東京の埃(ほこり)のなかで活動している自分の姿が考えられるような気がした。慾得(よくとく)のためにのみ一緒になっているとしか思えない小野田に対する我儘(わがまま)な反抗心が、彼女の頭脳(あたま)をそうも偏傾(へんけい)せしめた。何のために血眼(ちまなこ)になって働いて来たか解らないような、孤独の寂しさが、心に沁拡(しみひろ)がって来た。
 桐の花などの咲いている、夏の繁みの濃い平野を横ぎって、汽車はいつしか山へさしかかっていた。高崎あたりでは日光のみえていた梅雨時(つゆどき)の空が、山へ入るにつれて陰鬱に曇っているのに気がついた。窓のつい眼のさきにある山の姿が、淡墨(うすずみ)で刷(は)いたように、水霧に裹(つつ)まれて、目近(まぢか)の雑木の小枝や、崖の草の葉などに漂うている雲が、しぶきのような水滴を滴垂(したた)らしていたりした。白い岩のうえに、目のさめるような躑躅(つつじ)が、古風の屏風(びょうぶ)の絵にでもある様な鮮(あざや)かさで、咲いていたりした。水がその巌間(いわま)から流れおちていた。
 深い渓(たに)や、高い山を幾つとなく送ったり迎えたりするあいだに、汽車は幾度(いくたび)となく高原地の静なステーションに停(とど)まった。旅客たちは敬虔(けいけん)なような目を側(そば)だてて、山の姿を眺めた。
 ステーションへつく度に、お島は待遠しいような気がいらいらいした。
 山の町近くへ来たのは、午後の四時頃であった。糠(ぬか)のような雨が、そのあたりでも窓硝子を曇らしていた。

 目ざす町に近い或小駅で、お島は乗込んで来る三四人の新しい乗客が、自分の向側へ来て坐るのを見た。
 それらの人は、どこかこの近辺の温泉場へでも遊びに行って来たものらしく、汽車が動きだしてからも、手々(てんで)にそんな話に耽(ふけ)っていた。山の町の人達の噂(うわさ)も、彼等の口に上(のぼ)ったが、浜屋々々と云う辞(ことば)が、一層お島の耳についた。汽車の窓から、首をのばして彼等の見ている山の形が、ふと浜屋の記憶を彼等に喚起(よびおこ)したのであった。その山は、そこから二三里の先の灰色の水霧のなかに幽(かす)かな姿を見せていた。
「あなた方(がた)はS――町の方のようですが、浜屋さんがどうかしましたのですか」
 お島は、断々(きれぎれ)に耳につくその話に、ふと不安を感じながら訊いた。
「私(わたくし)は東京から、あの人に少し用事があって来たものですが、お話の様子では、あの人があの山のなかで何か災難にでも逢ったと云うのでしょうか」
 遊女屋の主人か、芸者町の顔利(かおきき)かと云うような、それらの人たちは、みんなお島の方へその目を注いだ。
 金歯などをぎらぎらさせたその中の一人の話によると、浜屋は近頃自分の手に買取ったその山のある一部の森林を見廻っているとき、雨(あま)あがりの桟道(そばみち)にかけてある橋の板を踏すべらして、崖(がけ)へ転(ころが)り陥(お)ちて怪我(けが)をしてから、病院へ担(かつ)ぎこまれて、間もなく死んでしまったと云うのであった。
 お島はそれを聴いたとき、あの男が、そんな不幸な死方をしたとは、信じられなかったが、その死の日や刻限までを聴知ってから、次第にその確実さが感じられて来た。
「すれば、あの人の霊(たましい)が、私をここへ引寄せたのかもしれない」
 お島はそうも考えながら、次第に深い失望と哀愁のなかへ心が浸されて行くのを感じた。
 浜屋へついたのは、日の暮方であった。以前よく往来(ゆきき)をしたステーションの広場には、新しい家などが建っているのが二三目についたが、俥(くるま)のうえから見る大通りは、どこもかしこも変りはなかった。雨がはれあがって、しめっぽい六月の空の下に、高原地の古い町が、澱(おど)んだような静さと寂しさとで、彼女の曇(うる)んだ目に映った。
 お島はその夜(よ)一夜(ひとよ)は、むかし自分の拭掃除(ふきそうじ)などをした浜屋の二階の一室に泊って、翌(あく)る日(ひ)は、町のはずれにある菩提所(ぼだいしょ)へ墓まいりに行った。その寺は、松や杉などの深い木立のなかにある坂路のうえにあった。
 松風の音の寂しい山門を出てからも、お島はまだ墓の下にあるものの執着の喘(あえ)ぎが、耳につくような無気味さを感じた。彼女は急いで道をあるいた。
 半日を浜屋で暮して、十二時頃お島はまた汽車に乗った。
「どこか温泉で二三日遊んでいこう」
 失望の安易に弛(ゆる)んだ彼女は、汽車のなかでそうも考えた。

 途中汽車を乗替えたり、電車に乗ったりして、お島はその日の昼少し過ぎに、遠い山のなかの或温泉場に着いた。
 浴客はまだ何処にも輻湊(ふくそう)していなかったし、途々(みちみち)見える貸別荘の門なども大方は閉(しま)っていて、松が六月の陽炎(ようえん)に蒼々(あおあお)と繁り、道ぞいの流れの向うに裾をひいている山には濃い青嵐(せいらん)が煙(けぶ)ってみえた。
 お島の導かれたのは、ある古い家建(やだち)の見晴(みはらし)のいい二階の一室であったが、女中に浴衣(ゆかた)に着替えさせられたり、建物のどん底にあるような浴場へ案内されたりする度(たんび)に、一人客の寂しさが感ぜられた。
 浴場の窓からは、草の根から水のちびちびしみ出している赭土山(あかつちやま)が侘(わび)しげに見られ、檐端(のきば)はずれに枝を差交(さしかわ)している、山国らしい丈(たけ)のひょろ長い木の梢(こずえ)には、小禽(ことり)の声などが聞かれた。
「お一人でお寂しゅうございますでしょう」
 浴後の軽い疲をおぼえて、うっとりしているところへ、女がそう言いながら膳部(ぜんぶ)を運んで来た。
 笑い声などを立てたことのない、この二日ばかりの旅が、物悲しげに思いかえされた。どこの部屋からか蓄音器が高調子に聞えていた。
 電話室へ入って、東京の自宅(うち)の様子を聞くことのできたのは、それから大分たってからであった。小野田はまだ帰っていなかった。
「好いところだよ。旦那の留守に、お前さんも一日遊びに来たらいいだろう」
 お島は四五日の逗留(とうりゅう)に、金を少し取寄せる必要を感じていたので、その事を、留守を頼んでおいた若い職人に頼んでから、そう言って誘(いざな)った。
「それから順吉もつれて来て頂戴よ。あの子には散々(さんざ)苦労をさせて来たから、一日ゆっくり遊ばしてやりましょうよ」
 お島はそうも言って頼んだ。
 その晩は、水の音などが耳について、能(よ)くも睡(ねむ)られなかった。
 夜があけると、東京から人の来るのが待たれた。そして怠屈な半日をいらいらして暮しているうちに、旋(やが)て昼を大分過ぎてから二人は女中に案内されて、お島の着替えや水菓子の入った籠(かご)などをさげて、どやどやと入って来た。部屋が急に賑(にぎや)かになった。
「こんな時に、私も保養をしてやりましょうと思って。でも、一人じゃつまらないからね」お島は燥(はしゃ)いだような気持で、いつになく身綺麗にして来た若い職人や、お島の放縦(ほうじゅう)な調子におずおずしている順吉に話しかけた。
「医者に勧められて湯治に来たといえば、それで済むんだよ。事によったら、上さんあの店を出て、この人に裁(たち)をやってもらって、独立(ひとりだち)でやるかも知れないよ」
 お島は順吉にそうも言って、この頃考えている自分の企画(もくろみ)をほのめかした。
了

底本:「あらくれ」新潮文庫、新潮社
   1949(昭和24)年10月31日発行
   1969(昭和44)年6月20日21刷改版
   1982(昭和57)年9月15日38刷
入力:久保あきら
校正:湯地光弘
2000年6月23日公開
2011年9月12日修正
青空文庫作成ファイル:
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