あらすじ
三十年以上前の秋、釣り好きの語り手は、のどかな中川のほとりで、少年と出会います。少年は、貧しいながらも懸命に釣りをしている姿が印象的でした。語り手は少年に釣りのコツを教え、少年はそれを熱心に吸収していきます。しかし、少年の釣る魚は、語り手の期待に沿うものではありませんでした。やがて、少年が母親に厳しく躾けられていることが分かり、語り手は少年に同情し、釣った魚を分け与えます。二人の出会いは、短いながらも、語り手の心に深い感銘を与えたのでした。
 今を距(さ)ること三十余年も前の事であった。
 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康(あんこう)の生活に浸(ひた)って、朝夕(ちょうせき)を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。
 心身共(とも)に生気に充ちていたのであったから、毎日※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)の朝を、まだ薄靄(うすもや)が村の田の面(も)や畔(くろ)の樹(き)の梢(こずえ)を籠(こ)めているほどの夙(はや)さに起出(おきで)て、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた寛(ゆる)やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後の倦(う)んだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。
 川添いの地にいたので、何時(いつ)となく釣魚(ちょうぎょ)の趣味を合点(がてん)した。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることの強いものである。丁度(ちょうど)その頃一竿(いっかん)を手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように中川(なかがわ)べりへ出かけた。中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来(ゆきき)も繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川(すみだがわ)沿いの寺島(てらじま)や隅田(すみだ)の村※(二の字点、1-2-22)でさえさほどに賑(にぎ)やかではなくて、長閑(のどか)な別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋(ひらいばし)から上(かみ)の、奥戸(おくど)、立石(たていし)なんどというあたりは、まことに閑寂(かんじゃく)なもので、水ただ緩(ゆる)やかに流れ、雲ただ静かに屯(たむろ)しているのみで、黄茅白蘆(こうぼうはくろ)の洲渚(しゅうしょ)、時に水禽(すいきん)の影を看(み)るに過ぎぬというようなことであった。釣(つり)も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易(わい)安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱(いだ)かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅(きら)びやかな境界(きょうがい)に神経を消耗(しょうこう)させながら享受する歓楽などよりも遥(はるか)に嬉(うれ)しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行(ゆぎょう)したり寝転んだりして魚(うお)を釣ったり、魚の来ぬ時は拙(せつ)な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘(うま)い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然不言不語(ふげんふご)に悟らされていた。
 丁度秋の彼岸(ひがん)の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出(い)でては、中川べりの西袋(にしぶくろ)というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大(おおい)に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾(いちきょくわん)なのであった。中川は四十九曲(しじゅうくまが)りといわれるほど蜿蜒(えんえん)屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋という称(しょう)も生じたのであろう。水は湾※(二の字点、1-2-22)(わんわん)と曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見るならばその蟹目(かにめ)のところが即ち西袋である。そこで其処(そこ)は釣綸(つりいと)を垂れ難い地ではあるが、魚は立廻ることの多い自然に岡釣(おかづ)りの好適地である。またその堤防の草原(くさはら)に腰を下して眸(ひとみ)を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処(そこ)の水際(みずぎわ)に蹲(うずくま)って釣ったり、其処(そこ)の堤上(ていじょう)に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記しつけたりして毎日楽(たのし)んだ。特(こと)にその幾日というものは其処(そこ)で好い漁をしたので、家を出る時には既に西袋の景を思浮(おもいうか)べ、路を行く時にも早く雲影水光(うんえいすいこう)のわが前にあるが如き心地さえしたのであった。
 その日も午前から午後へかけて少し頭の疲れる難読の書を読んだ後であった。その書を机上に閉じて終(しま)って、半盞(はんさん)の番茶を喫了(きつりょう)し去ってから、
 また行ってくるよ。
と家内に一言(いちごん)して、餌桶(えさおけ)と網魚籠(あみびく)とを持って、鍔広(つばびろ)の大麦藁帽(おおむぎわらぼう)を引冠(ひっかぶ)り、腰に手拭(てぬぐい)、懐(ふところ)に手帳、素足に薄くなった薩摩下駄(さつまげた)、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、黄金(こがね)色に輝く稲田(いなだ)を渡る風に吹かれながら、少し熱いとは感じつつも爽(さわや)かな気分で歩き出した。
 川近くなって、田舎道の辻の或腰掛茶店(こしかけぢゃや)に立寄った。それは藤の棚の茶店(ちゃや)といって、自然に其処(そこ)にある古い藤の棚、といってさまで大きくもないが、それに店の半分は掩(おお)われているので人※(二の字点、1-2-22)にそう呼びならされている茶店(ちゃや)である。路行く人や農夫や行商や、野菜の荷を東京へ出した帰りの空車(からぐるま)を挽(ひ)いた男なんどのちょっと休む家(うち)で、いわゆる三文菓子(さんもんがし)が少しに、余り渋くもない茶よりほか何を提供するのでもないが、重宝になっている家(うち)なのだ。自分も釣の往復(ゆきかえ)りに立寄って顔馴染(かおなじみ)になっていたので、岡釣(おかづり)に用いる竿の継竿(つぎざお)とはいえ三間半(げんはん)もあって長いのをその度※(二の字点、1-2-22)(たびたび)に携えて往復するのは好ましくないから、此家(ここ)へ頼んで預けて置くことにしてあった。で、今行掛(ゆきがけ)に例の如く此家(ここ)へ寄って、
 やあ、今日は、また来ました。
と挨拶して、裏へ廻って自(みずか)ら竿を取出して※(「てへん+黨」、第3水準1-85-7)網(たま)と共に引担(ひっかつ)いで来ると、茶店(ちゃや)の婆さんは、
 おたのしみなさいまし。好いのが出ましたら些(ちと)御福分(おふくわ)けをなすって下さいまし。
と笑って世辞(せじ)をいってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、
 ああ、宜(い)いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。
と答えてサッサと歩くと、
 でもアテにして待ってますよ、ハハハ。
と背後(うしろ)から大きな声で、なかなか調子が好い。世故(せこ)に慣れているというまででなくても善良の老人は人に好い感じを持たせる、こういわれて悪い気はしない。駄馬にも篠(しの)の鞭(むち)、という格(かく)で、少しは心に勇みを添えられる。勿論(もちろん)未熟者という意味のボク釣師と自(みずか)ら言ったのは謙遜的で、内心に下手(へた)釣師と自ら信じている釣客(ちょうかく)はないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたのである。
 場処(ばしょ)へ着いた。と見ると、いつも自分の坐るところに小さな児(こ)がチャンと坐っていた。汚れた手拭で頬冠(ほおかむ)りをして、大人(おとな)のような藍(あい)の細かい縞物(しまもの)の筒袖単衣(つつそでひとえ)の裙短(すそみじか)なのの汚れかえっているのを着て、細い手脚(てあし)の渋紙(しぶかみ)色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく蹲(しゃが)んでいるのであった。東京者ではない、田舎の此辺(ここら)の、しかも余り宜(よ)い家(うち)でない家の児であるとは一目に思い取られた。髪の毛が伸び過ぎて領首(えりくび)がむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がじりじり当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗が沸(に)えてでもいるように汚らしく少し光っていた。傍(そば)へ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。
 自分は自分のシカケを取出して、穂竿(ほざお)の蛇口(へびくち)に着け、釣竿を順に続(つな)いで釣るべく準備した。シカケとは竿以外の綸(いと)その他の一具(いちぐ)を称する釣客の語である。その間にチョイチョイ少年の方を見た。十二、三歳かと思われたが、顔がヒネてマセて見えるのでそう思うのだが、実は十一か高※(二の字点、1-2-22)(たかだか)十二歳位かとも思われた。黙ってその児はシンになって浮子(うき)を見詰めて釣っている。潮(しお)は今ソコリになっていてこれから引返(ひっかえ)そうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見るとその浮子も売物浮子(うりものうき)ではない、木の箸(はし)か何ぞのようなものを、明らかに少年の手わざで、釣糸に徳利(とっくり)むすびにしたのに過ぎなかった。竿も二間(けん)ばかりしかなくて、誰かのアガリ竿を貰いか何ぞしたのであろうか、穂先が穂先になってない、けだし頭が三、四寸折れて失(う)せて終(しま)ったものである。
 この児は釣に慣れていない。第一此処(ここ)は浮子釣(うきづり)に適していない場である。やがて潮が動き出せば浮子は沈子(おもり)が重ければ水に撓(しお)られて流れて沈んで終(しま)うし、沈子が軽ければ水と共に流れて終(しま)うであろう。また二間ばかりの竿では、此処(ここ)では鉤先(はりさき)が好い魚の廻るべきところに達しない。岸近(きしぢか)に廻るホソの小魚(こざかな)しか鉤(はり)には来らぬであろう。とは思ったが、それは小児(こども)の釣であるとすればとかくを言うにも及ばぬことであるとして看過すべきであるから宜(よ)い。ただ自分に取って困ったことはその児の居場処(いばしょ)であった。それは自分が坐りたい処である。イヤ坐らねばならぬところである、イヤ当然坐るべきところである、ということであった。
 自分が魚餌(えさ)を鉤(はり)に装(よそお)いつけた時であった。偶然に少年は自分の方に面(おもて)を向けた。そして紅桃色(こうとうしょく)をしたイトメという虫を五匹や六匹ではなく沢山に鉤に装うところを看詰(みつ)めていた。その顔はただ注意したというほかに何の表情があるのではなかった。しかし思いのほかに目鼻立(めはなだち)の整った、そして怜悧(りこう)だか気象が好いか何かは分らないが、ただ阿呆(あほ)げてはいない、狡(こす)いか善良かどうかは分らないが、ただ無茶ではない、ということだけは読取(よみと)れた。
 少し気の毒なような感じがせぬではなかったが、これが少年でなくて大人であったなら疾(とっ)くに自分は言出すはずのことだったから、仕方がないと自分に決めて、
 兄さん、済まないけれどもネ、お前の坐っているところを、右へでも左へでも宜いから、一間半か二間ばかり退(ど)いておくれでないか。そこは私が坐るつもりにしてあるところだから。
と、自分では出来るだけ言葉を柔(やさ)しくして言ったのであった。
 すると少年の面上には明らかに反抗の色が上(あが)った。言葉は何も出さなかったが、眼の中(うち)には威(い)をあらわした。言葉が発されたなら明らかにそれは拒絶の言葉でなくて、何の言葉がその眼の中の或物に伴なおうやと感じられた。仕方がないから自分は自分の意を徹しようとするために再び言葉を費さざるを得なかった。
 兄さん、失敬なことを言う勝手な奴だと怒ってくれないでおくれ。お前の竿の先の見当の真直(まっすぐ)のところを御覧。そら彼処(あすこ)に古い「出し杭(ぐい)」が列(なら)んで、乱杭(らんぐい)になっているだろう。その中の一本の杭の横に大きな南京釘(ナンキンくぎ)が打ってあるのが見えるだろう。あの釘はわたしが打ったのだよ。あすこへ釘を打って、それへ竿をもたせると宜いと考えたので、わたしが家(うち)から釘とげんのうとを持って来て、わざわざ舟を借りて彼処(あすこ)へ行って、そして考え定めたところへあの釘を打ったのだよ。それから此処(ここ)へ来る度(たび)にわたしはあの釘へわたしの竿を掛けてあの乱杭の外へ鉤を出して釣るのだよ。で、また私は釣れた日でも釣れない日でも、帰る時にはきっと何時(いつ)でも持って来た餌(えさ)を土と一つに捏(こ)ね丸めて炭団(たどん)のようにして、そして彼処(あすこ)を狙って二つも三つも抛(ほう)り込んでは帰るのだよ。それは水の流れの上ゲ下ゲに連れて、その土が解け、餌が出る、それを魚(さかな)が覚えて、そして自然に魚を其処(そこ)へ廻って来させようというためなのだよ。だからこういう事をお前に知らせるのは私に取って得(とく)なことではないけれども、わたしがそれだけの事を彼処(あすこ)に対してしてあるのだから、それが解ったらわたしに其処(そこ)を譲ってくれても宜(い)いだろう。お前の竿では其処(そこ)に坐っていても別に甲斐があるものでもないし、かえって二間ばかり左へ寄って、それ其処(そこ)に小さい渦(うず)が出来ているあの渦の下端(したば)を釣った方が得がありそうに思うよ。どうだネ、兄さん、わたしはお前を欺(だま)すのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が其処(そこ)を退(ど)かないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。
と言って聴かせている中(うち)に、少年の眼の中(うち)は段※(二の字点、1-2-22)に平和になって来た。しかし末に至って自分は明らかにまた新(あらた)に失敗した。少年は急に不機嫌になった。
 小父(おじ)さんが遊びだとって、俺が遊びだとは定(きま)ってやしない。
と癇(かん)に触ったらしく投付けるようにいった。なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、己(おのれ)を以(もっ)て人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている理はないのであった。公平を失った情懐(じょうかい)を有(も)っていなかった自分は一本打込まれたと是認しない訳には行かなかった。が、この不完全な設備と不満足な知識とを以て川に臨んでいる少年の振舞が遊びでなくてそもそも何であろう。と驚くと同時に、遊びではないといっても遊びにもなっておらぬような事をしていながら、遊びではないように高飛車に出た少年のその無智無思慮を自省せぬ点を憫笑(びんしょう)せざるを得ぬ心が起ると、殆どまた同時に引続いてこの少年をして是(かく)の如き語を突嗟(とっさ)に発するに至らしめたのは、この少年の鋭い性質からか、あるいはまた或事情が存在して然(しか)らしむるものあってか、と驚かされた。
 この驚愕は自分をして当面の釣場の事よりは自分を自分の心裏に起った事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察を敢(あえ)てするに至った。
 参った。そりゃそうだった。何もお前遊びとは定(き)まっていなかったが……
と、ただ無意識で正直な挨拶をしながら、自分は凝然(じっ)と少年を見詰めていた。その間(あいだ)に少年は自分が見詰められているのも何にも気が着かないのであろう、別に何らの言語も表情もなく、自分の竿を挙げ、自分の坐をわたしに譲り、そして教えてやった場処に立って、その鉤を下(おろ)した。
 ヤ、有難う。
と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭(さおさき)を眺めた。
 少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。堤後(ていご)の樹下(じゅか)に鳴いているのだろう、秋蝉(あきぜみ)の声がしおらしく聞えて来た。
 潮は漸(ようや)く動いて来た。魚(うお)はまさに来らんとするのであるがいまだ来ない。川向うの蘆洲(ろしゅう)からバン鴨(がも)が立って低く飛んだ。
 少年はと見ると、干極(そこり)と異なって来た水の調子の変化に、些細の板沈子(いたおもり)と折箸(おればし)の浮子(うき)とでは、うまく安定が取れないので、時※(二の字点、1-2-22)竿を挙げては鉤を打返(うちかえ)している。それは座を易(か)えたためではないのであるが、そう思っていられると思うと不快で仕方がない。で、自分は声を掛けた。
 兄さん、此処(ここ)は潮(しお)の突掛(つっか)けて来るところだからネ、浮子釣(うきづり)ではうまく行かないよ。沈子釣(おもりづり)におしよ。
 浮子釣では釣れないかい。
 釣れないとは限らないが、も少し潮が利いて来たら餌がフラフラし過ぎるし、釣(つり)づらくて仕方がないだろう。
 今でも釣りづらいよ。
 そうだろう。沈子を持っていないなら、此処(ここ)へおいで。沈子もあげようし、シカケも直してあげよう。
 沈子をくれる?
 ああ。
 自分の気持も坦夷(たんい)で、決して親切でないものではなかった。それが少年に感知されたからであろう、少年も平和で、そして感謝に充ちた安らかな顔をして、竿を挙げてこちらへやって来た。はじめてこの時少年の面貌風采(ふうさい)の全幅を目にして見ると、先刻(さっき)からこの少年に対して自分の抱いていた感想は全く誤っていて、この少年もまた他の同じ位の年齢の児童と同様に真率で温和で少年らしい愛らしい無邪気な感情の所有者であり、そしてその上に聡明さのあることが感受された。その眼は清らかに澄み、その面(おもて)は明らかに晴れていた。自分は小嚢(こぶくろ)から沈子(おもり)を出して与え、かつそのシカケを改めて遣(や)ろうとした。ところが少年は、
 いいよ、僕、出来るから。
といって、自(みずか)らシカケを直した。一ト通りの沈子釣(おもりづり)の装置の仕方ぐらいは知っているのであったが、沈子のなかったために浮子釣(うきづり)をしていたのであったことが知られた。
 少年の用いていた餌はけだし自分で掘取ったらしい蚯蚓(みみず)であったから、聊(いささ)かその不利なことが気の毒に感じられた。で、自分の餌桶を指示(さししめ)して、
 この餌を御使いよ、それでは魚(さかな)の中(あた)りが遠いだろうから。
 少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、僅(わずか)に一匹の虫を鉤(はり)に着けたに過ぎなかったから、
 もっとお着け、魚は餌で釣るのだからネ。
 少年はまた二匹ばかり着け足した。
 今まで何処(どこ)で釣っていたのだい、此処(ここ)は浮子釣りなんぞでは巧(うま)く行かない場だよ。
 今までは奥戸の池で釣ってたよ、昨日(きのう)も一昨日(おととい)も。
 釣れたかい。
 ああ、鮒(ふな)が七、八匹。
 奥戸というのは対岸で、なるほどそこには浮子釣に適すべき池があることを自分も知っていた。しかし今時分の鮒を釣っても、それが釣という遊びのためでなくって何の意味を為そう。桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は全く仕方のないものである。自分には合点が行かなかったから、
 遊びじゃないように先刻(さっき)お言いだったが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やっぱり遊びじゃないか。
というと、少年は急に悲しそうな顔をして気色(けしき)を曇らせたが、
 でも僕には鮒のほかのものは釣れそうに思えなかったからネ。お相撲(すもう)さんの舟に無銭(ただ)で乗せてもらって往還(ゆきかえ)りして彼処(あすこ)で釣ったのだよ。
 無銭(ただ)で乗せてもらっての一語は偶然にその実際を語ったのだろうが、自分の耳に立って聞えた。お相撲さんというのは、当時奥戸の渡船守(わたしもり)をしていた相撲上(あが)りの男であったのである。少年の談(はなし)の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。
 そうかい。そしてまた今日はどうして此処(ここ)へ来たのだい。
 だってせっかく釣って帰っても、今小父(おじ)さんの言った通りにネ、昨日(きのう)は、こんな鮒なんか不味(まず)くて仕様がない、も少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。
 誰に。
 お母(っか)さんに。
 じゃお母(っか)さんに吩咐(いいつけ)られて釣に出ているのかい。
 アア。下(くだ)らなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。
 ここに至って合点が出来た。油然(ゆうぜん)として同情心が現前(まのあたり)の川の潮のように突掛(つっか)けて来た。
 ムムウ。ほんとのお母(っか)さんじゃないネ。
 少年は吃驚(びっくり)して眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと頭(かしら)を下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。その時あたかも自分の鉤に魚(うお)が中(あた)った。型の好いセイゴが上(あが)って来た。
 少年は羨(うらや)ましそうに予(よ)の方を見た。
 続いてまた二尾(ひき)、同じようなのが鉤(はり)に来た。少年は焦(あせ)るような緊張した顔になって、羨(うらやま)しげに、また少しは自分の鉤に何も来ぬのを悲しむような心を蔽いきれずに自分の方を見た。
 しばらく彼も我も無念(しん)になって竿先を見守ったが、魚の中(あた)りはちょっと途断(とだ)えた。
 ふと少年の方を見ると、少年はまじまじと予の方を見ていた。何か言いたいような風であったが、談話の緒(ちょ)を得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を幽(かすか)に湛(たた)えて予と相見た。と同時に予は少年の竿先に魚の来(きた)ったのを認めた。
 ソレ、お前の竿に何か来たよ。
 警告すると、少年は慌(あわ)てて向直ったが早いか敏捷に巧い機(しお)に竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さい畚(ふご)にそれを入れて、川柳の細い枝を折取って跳出(はねだ)さぬように押え蔽った少年は、その手を小草(おぐさ)でふきながら予の方を見て、
 小父(おじ)さん、また餌をくれる?
と如何にも欲しそうに言った。
 アア、あげる。
 少年は竿を手にして予の傍(かたえ)へ来た。
 好(い)い鮒だったネ。
 よくっても鮒だから。せっかく此処(ここ)へ来たんだけれどもネエ。
と失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たくない意(こころ)で胸が一(いっ)パイになっているのを現わしていた。
 どうもお前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。
と慰めてやった。わんどとは水の彎曲した半円形をいうのだ。が、かえってそれは少年に慰めにはならずに決定的に失望を与えたことになったのを気づいた途端に、予の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメ込(こみ)を候(うかが)った。魚は式(かた)の如くにやがて喰総(くいし)めた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月の如くになった。綸(いと)は鉄線(はりがね)の如くになった。水面に小波(さざなみ)は立った。次いでまた水の綾(あや)が乱れた。しかし終(つい)に魚は狂い疲れた。その白い平(ひら)を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時予の後(しりえ)にあって※(「てへん+黨」、第3水準1-85-7)網(たま)を何時(いつ)か手にしていた少年は機敏に突(つ)とその魚を撈(すく)った。
 魚は言うほどもないフクコであったが、秋下(あきくだ)りのことであるし、育ちの好いのであったから、二人の膳に上(のぼ)すに十分足りるものであった。少年は今はもう羨(うらや)みの色よりも、ただ少年らしい無邪気の喜色に溢(あふ)れて、頬を染め目を輝かして、如何にも男の児らしい美しさを現わしていた。
 それから続いて自分は二尾(ひき)のセイゴを得たが、少年は遂に何をも得なかった。
 時は経(た)った。日は堤の陰に落ちた。自分は帰り支度にかかって、シカケを収め、竿を収めはじめた。
 少年はそれを見ると、
 小父(おじ)さんもう帰るの?
と予に力ない声を掛けたが、その顔は暗かった。
 アア、もう帰るよ。まだ釣れるかも知れないが、そんなに慾張っても仕方はないし、潮も好いところを過ぎたからネ。
と自分は答えたが、まだ余っている餌を、いつもなら土に和(あ)えて投げ込むのだけれど、今日はこの児に遺(のこ)そうかと思って、
 餌が余っているが、あげようか。
といった。少年は黙って立ってこちらへ来た。しかし彼は餌を盛るべき何物をも持っていなかった。彼は古新聞紙の一片に自分の餌を包(くる)んで来たのであったから。差当って彼も少年らしい当惑の色を浮めたが、予にも好い思案はなかった。イトメは水を保つに足るものの中に入れて置かねば面白くないのである。
 やっぱり小父(おじ)さんが先刻(さっき)話したようにした方が宜(い)い。明日(あした)また小父さんに遇(あ)ったら、小父さんその時に少しおくれ。
といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分別は、少からず予を感動させた。よしんば餌入れがなくて餌を保てぬにしても、差当り使うだけ使って、そこらに捨てて終(しま)いそうなものである。それが少年らしい当然な態度でありそうなものであらねばならぬのである。
 お前も今日はもう帰るのかい。
 アア、夕方のいろんな用をしなくてはいけないもの。
 夕方の家事雑役をするということは、先刻(さっき)の遊びに釣をするのでないという言葉に反映し合って、自分の心を動かさせた。
 ほんとのお母(っか)さんでないのだネ。明日(あす)の米を磨いだり、晩の掃除をしたりするのだネ。
 彼はまた黙った。
 今日も鮒を一尾(ぴき)ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。
 彼は黯然(あんぜん)とした顔になったが、やはり黙っていた。その黙っているところがかえって自分の胸の中(うち)に強い衝動を与えた。
 お父(とっ)さんはいるのかい。
 ウン、いるよ。
 何をしているのだい。
 毎日亀有(かめあり)の方へ通って仕事している。
 土工かあるいはそれに類した事をしているものと想像された。
 お前のお母(っか)さんは亡くなったのだネ。
 ここに至ってわが手は彼の痛処(つうしょ)に触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと点頭(てんとう)して是認した彼の眼の中には露が潤(うる)んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが華※(二の字点、1-2-22)(はなばな)しく明るく落ちて、その薄汚い頬被(ほおかむ)りの手拭、その下から少し洩(も)れている額(ひたい)のぼうぼう生えの髪さき、垢(あか)じみた赭(あか)い顔、それらのすべてを無残に暴露した。
 お母(っか)さんは何時(いつ)亡くなったのだい。
 去年。
といった時には、その赭い頬に涙の玉が稲葉(いなば)をすべる露のようにポロリと滾転(こんてん)し下(くだ)っていた。
 今のお母(っか)さんはお前をいじめるのだナ。
 ナーニ、俺が馬鹿なんだ。
 見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分の問(とい)に答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、我(われ)恥かしい事だと、愕然として自分は大(おおい)に驚いて、大鉄鎚(だいてっつい)で打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻(さっき)の事を反顧(はんこ)せざるを得なくもなり、また今残(のこ)り餌(え)を川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合(おもいあわ)されて、田野の間(かん)にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が涌起(ようき)せずにはおられなかった。
 自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのを至当の礼儀のように思った。
 では兄さん、この残り餌を土で団(まる)めておくれでないか、なるべく固く団めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣った魚(さかな)を悉皆(すっかり)でもいくらでもお前の宜いだけお前にあげる。そしてお前がお母(っか)さんに機嫌を悪くされないように。そうしたらわたしは大へん嬉しいのだから。
 自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子(つちだんご)をこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣った魚(うお)の中からセイゴ二尾(ひき)を取って、自分に対して言葉は少いが感謝の意は深く謝した。
 二人とも土堤へ上(あが)った。少年は土堤を川上の方へ、自分は土堤の西の方へと下りる訳だ。別れの言葉が交された時には、日は既に収まって、夕風が袂(たもと)凉しく吹いて来た。少年は川上へ堤上を辿(たど)って行った。暮色は漸(ようや)く逼(せま)った。肩にした竿、手にした畚(ふご)、筒袖(つつそで)の裾短(すそみじ)かな頬冠り姿の小さな影は、長い土堤の小草の路のあなたに段※(二の字点、1-2-22)と小さくなって行く※(「足へん+禹」、第3水準1-92-38)※(二の字点、1-2-22)然(くくぜん)たるその様。自分は少時(しばらく)立って見送っていると、彼もまたふと振返ってこちらを見た。自分を見て、ちょっと首(かしら)を低くして挨拶したが、その眉目(びもく)は既に分明(ぶんみょう)には見えなかった。五位鷺(ごいさぎ)がギャアと夕空を鳴いて過ぎた。
 その翌日も翌※(二の字点、1-2-22)日も自分は同じ西袋へ出かけた。しかしどうした事かその少年に復(ふたた)び会うことはなかった。
 西袋の釣はその歳限(としぎ)りでやめた。が、今でも時※(二の字点、1-2-22)その日その場の情景を想い出す。そして現社会の何処(どこ)かにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならぬのである。
(昭和三年十月)
了

底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年11月16日第1刷発行
   1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店
   1953(昭和28)年3月刊
※「裙短」と「裾短」の混在は、底本通りです。
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2007年11月26日作成
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